肘関節屈曲を伴う肩関節屈曲運動が有効であった
右肩腱板広範囲断裂の一症例
鈴木 宏宜
1)三浦 雄一郎
1)福島 秀晃
1)長﨑 進
1)上村 拓矢
1)森原 徹
2)Approach for facilitation of middle trapezius muscle fibers and pectoralis major
and deltoid muscle inhibition in a patient with a massive rotator cuff tear for
whom therapeutic exercises were effective: a case report
Hironori SUZUKI, RPT
1), Yuichiro MIURA, RPT
1), Hideaki FUKUSHIMA, RPT
1),
Susumu NAGASAKI, RPT
1), Takuya KAMIMURA, RPT
1), Toru MORIHARA, MD, Ph.D.
2)Abstract
We report the case of a patient with a massive rotator cuff tear (all of the supraspinatus, upper subscapularis, and upper infraspinatus muscle fibers), which rendered raising the upper extremity impossible. The patient experienced pain when moving the clavicular portion of the pectoralis major and all of the deltoid muscle fibers. Therapeutic exercises resulted in inadequate effects. In order to reduce pain when moving the clavicular portion of the pectoralis major muscle and all of the deltoid muscle fibers, and to examine compensatory mechanisms for failure in rotator cuff function, we evaluated two-dimensional scapular motion using X-ray and surface EMG. During scapular motion, there was excessive outer displacement on the abnormal side compared with the normal side and the clavicular portion of the pectoralis major and all the deltoid muscle fibers exhibited excess muscle activity, while the middle trapezius muscle fibers exhibited low activity. Therefore, the therapeutic program was re-examined. Therapeutic exercises were developed to improve the excessive outer displacement of the scapula through its muscle function and those of the middle trapezius muscle fibers, and to control the clavicular portion of the pectoralis major and all of the deltoid muscle fibers. Through these exercises, the patient was able to raise the upper extremity. Therefore, in cases of massive rotator cuff tear, it is necessary to consider dynamic scapular motion and control muscle pain during movement due to excessive muscle activity through therapeutic exercises.
Key words: massive rotator cuff tear, therapeutic exercise, EMG, two-dimensional scapula motion in X-ray J. Kansai Phys. Ther. 16: 117–124, 2016
1) 伏見岡本病院 リハビリテーション科
2) 京都府立医科大学大学院 医学研究科 運動器機能再生外科学 (整形外科)
受付日 平成28 年 8 月 8 日 受理日 平成 28 年 10 月 7 日
Department of Rehabilitation, Fushimi Okamoto Hospital Department of Orthopedics, Graduate School of Medical Science,
Kyoto Prefectural University of Medicine
はじめに 回旋筋腱板は肩関節の運動方向や挙上角度に応じて上 腕骨の円滑な運動(肩甲上腕関節機能)に関与している1)。 回旋筋腱板が断裂すると肩甲上腕関節機能が失われ、肩 甲上腕リズムが破綻し上肢挙上困難に陥ることが知られ ている。腱板断裂の治療には、保存療法と手術療法があ る。一般的に疼痛の改善が期待できない腱板断裂若年者 などは手術療法が選択されるが、高齢かつ腱板断端部の 脂肪浸潤が著しい場合などは保存療法が選択される。谷
となったので一部考察を踏まえて報告する。なお、本論 文の作成に関して本症例に説明のうえ、同意を得た。 症例紹介 症例は70 歳代の女性、診断名は右肩腱板広範囲断裂 (棘上筋・棘下筋上部・肩甲下筋上部線維の断裂)、上腕 二頭筋長頭腱断裂である。現病歴は、平成X年5月に右肩 から転倒し、1カ月半、自宅にて療養される。しかし、手 を挙げること(肩関節屈曲動作)が困難なため当院を受 診し、上記診断名を受け、リハビリテーション開始となっ た。主訴は「腕が上がらず、家事ができない」であり、ニー ドは「肩関節屈曲動作の獲得」とした。 理学療法評価 本症例の主訴・ニードより肩関節屈曲動作の動作観察 および肩甲骨動態を触診にて実施した。なお、肩甲骨 ・ 鎖骨の運動学的定義は、Neumannら1)およびLudewingら4) の報告に準じた。まず、開始肢位である端座位姿勢は頭 頸部正中位、腰椎軽度屈曲に伴う骨盤軽度後傾位を呈し ていた。静止時の肩甲骨は健側に比べて僅かに内旋 ・ 前 傾位、鎖骨は軽度前方突出位であった。この座位姿勢か ら、右肩関節屈曲動作を観察したところ屈曲30° で胸椎 伸展、鎖骨後退、肩甲骨内旋・下方回旋し翼状肩甲を認め、 それ以上の屈曲動作は困難であった。動作観察より、肩 甲上腕関節での屈曲角度が乏しいこと、屈曲開始時から 肩甲骨は内旋・下方回旋し翼状肩甲を認め上方回旋が生 じないこと、腱板広範囲断裂であることから、肩甲上腕 関節 ・ 肩甲胸郭関節の可動域制限および筋力低下、残存 する腱板機能の低下を疑った。理学療法評価結果は、肩 関節および肩甲帯の可動域制限は認めなかった。徒手筋 力検査(Manual Muscle Test : 以下、MMT)では、肩甲骨 外転・上方回旋2、肩甲骨内転2、肩甲骨内転・下制2、肩 関節屈曲2、肩関節内旋4、肩関節外旋4であった。整形外 科学的検査における腱板機能検査においては棘上筋テス トのみ陽性であり、棘下筋テスト、Belly Press Test、Bear
本症例の病態は腱板広範囲断裂であるが、棘上筋テス トのみが陽性であった。棘上筋は本来、三角筋とともに 肩関節屈曲における初動作筋として機能する5)。この機 能低下によって、大胸筋鎖骨部および三角筋全線維への 負荷が増大していると考えられた。しかし、本症例の肩 関節屈曲筋力は、肩甲骨を徒手的に固定すると、肩関節 屈曲90°位での空間保持並びにMMT4レベルの抵抗に抗 することが可能であり、疼痛も軽減した。肩甲骨周囲筋 の筋力は、肩甲骨外転 ・ 上方回旋(前鋸筋)、内転(僧帽 筋中部線維)、内転 ・ 下制(僧帽筋下部線維)の顕著な筋 力低下を認めたことから、肩甲骨上方回旋運動制限と肩 甲胸郭関節の安定性が低下していると考えた。 上肢挙上可能な腱板断裂症例は、保存例および術後例 ともに肩甲上腕関節の運動制限(腱板機能の破綻)を補 填するため、上肢挙上早期に肩甲骨上方回旋角度が顕著 に増大すると報告されている6, 7)。本症例は肩甲骨周囲筋 の筋力低下により棘上筋機能の代償としての肩甲骨上方 回旋運動が困難となり、肩関節屈曲の初動を大胸筋鎖骨 部 ・ 三角筋全線維によって代償し、負荷が増大すること で過剰収縮に伴う疼痛が生じていると考えた。このこと から、僧帽筋中部・下部線維、前鋸筋の筋力低下、大胸筋 鎖骨部・三角筋全線維の過剰収縮による疼痛を問題点と して挙げた。運動療法として僧帽筋中部 ・ 下部線維、前 鋸筋の筋力強化、大胸筋鎖骨部、三角筋全線維のリラク ゼーションを2単位(40分)/日、2日/週の頻度で実施した。 中間評価 2週間後、肩関節自動屈曲は60°まで可能となったが、 それ以上の屈曲運動は困難であり、ニードの達成には至 らなかった。 肩関節屈曲動作の特徴は、初期評価時とは異なり屈曲 早期から鎖骨挙上に伴う肩甲骨の過剰な上方回旋と鎖骨 前方突出に伴う肩甲骨の過剰な外転運動を認めたが、屈 曲60°以上の運動は困難であった。三角筋 ・ 大胸筋鎖骨 部の運動時痛はVAS2 cmに改善した。MMTでは、肩甲 骨外転 ・ 上方回旋2、肩甲骨内転3、肩甲骨内転 ・ 下制3
であり、僧帽筋中部および下部線維に筋力の向上を認め た。肩甲骨外転 ・ 上方回旋筋力については予備的検査の ほか、他動にて肩関節屈曲90°位および130°位で上肢を 空間保持させた状態では肩甲骨の翼状化を認めず、4 レ ベルの抵抗にも抗することが可能であった。 肩関節自動屈曲60°以上の運動が困難な要因について 次のように仮説した。僧帽筋中部および下部線維の筋力 は3レベルに改善した。前鋸筋についてはMMTの規定上、 2レベルであるが他動的に肩関節屈曲90°以上に設定する と肩甲胸郭関節の安定性を認め、4 レベルの抵抗に抗す ることが可能であった。本症例の病態を考慮すると、肩 関節屈曲90° 未満における肩甲骨周囲筋の更なる筋力向 上が必要であるか否かは不明瞭であった。一方、疼痛部 位である大胸筋鎖骨部と三角筋全線維について、大胸筋 鎖骨部は鎖骨内側半分から上腕骨大結節稜に走行し、三 角筋前部線維は鎖骨外側3分の1から、中部線維は肩峰か ら、後部は肩甲棘から上腕骨三角筋粗面に走行する。つ まり、大胸筋鎖骨部、三角筋全線維の過剰収縮は、鎖骨 および肩甲骨運動の制限因子と考えられる。そして僧帽 筋中部および下部線維、前鋸筋の筋力低下があれば、翼 状肩甲を惹起すると考えられる。したがって、大胸筋鎖 骨部、三角筋全線維の肩関節屈曲90° 未満での過剰収縮 が鎖骨運動の制限および肩甲胸郭関節の安定化に対し抑 制的に作用することで、肩甲骨周囲筋の現在有する筋力 が、肩関節屈曲動作時に機能していないことを考えた。 この仮説を検証するために肩関節自動屈曲時の肩甲骨 動態と表面筋電図評価を実施した。 肩甲骨動態と表面筋電図による評価 1.肩甲骨動態 肩甲骨動態は三浦ら8)の座標移動分析法による報告に 準じた。肩甲骨運動の評価として①肩甲骨外側移動距離 と②上方回旋角度を患側と健側で比較した。①肩甲骨外 側移動距離では、肩甲骨の外転 ・ 内転の動態を反映する。 肩関節屈曲0° の肩甲棘内側端を通る垂直線を基準とし、 肩関節屈曲30°、60°の肩甲棘内側端の移動距離を測定し た(図1a)。 ②肩甲骨上方回旋角度では、肩甲棘内側端を通る水平 線と肩甲棘とのなす角度を肩甲骨上方回旋角度とし、肩 関節屈曲0°、30°、60°の肩甲骨上方回旋角度を測定した (図1b)。 測定の結果、①外側移動距離は肩関節屈曲30°、60°で 健側0.4 cm、0.6 cmに対して患側1.3 cm、2.8 cmであった。 ②肩甲骨上方回旋角度は肩関節屈曲0°、30°、60°で健側 13°、17°、30°に対して患側17°、28°、43°であった。 このことから、肩関節屈曲動作(60° まで)において、 健側に対して患側の肩甲骨外側移動距離の増大、肩甲骨 上方回旋角度の増大を認めた。 2.表面筋電図 表面筋電図では、肩甲骨動態の変化に対して、肩甲骨 周囲筋、大胸筋鎖骨部 ・ 三角筋全線維の関与を評価し た。検査筋は大胸筋鎖骨部、三角筋前部・中部・後部線維、 前鋸筋、僧帽筋上部 ・ 中部 ・ 下部線維の8筋とした。各 筋について、肩関節屈曲0°、15°、30°、45°での各屈曲角 度保持における筋電図積分値を算出し、0°に対する増加 図 1 肩甲骨外側移動距離と上方回旋角度の評価 a) 実線は肩関節屈曲0°における肩甲棘内側端(黒丸)を通る垂直線であり、点線は屈曲 30°、60°時の肩甲骨内側端(白丸)を通る垂直線である。矢印の長さは外側移動距離 とした。 b) 実線は肩甲棘内側端を通る水平線であり、点線は肩甲棘に沿った線である。実線と 点線のなす角度を肩甲骨上方回旋角度とし、肩関節屈曲0°、30°、60°での肩甲骨上 方回旋角度を測定した。
量を健側と患側で比較した。 測定の結果、大胸筋鎖骨部、三角筋全線維、僧帽筋上 部線維の筋電図積分値は患側に高値を認めた(図2、3)。 前鋸筋、僧帽筋下部線維の筋電図積分値は健側に対し患 側は同程度か若干高値を示した(図3)。しかし、僧帽筋 中部線維の筋電図積分値のみ健側よりも患側の方が低値 を示した(図3)。 中間評価における統合と解釈 肩甲骨動態において、患側の肩関節屈曲60°までにお ける肩甲骨外側移動距離および上方回旋角度は健側よ り増大していた。表面筋電図において患側の僧帽筋中部 線維の筋電図積分値のみが健側より低値を認めた。また、 肩甲骨の外側移動距離の増大、肩甲骨上方回旋角度の増 大と同時期に大胸筋鎖骨部、三角筋全線維、僧帽筋上部 線維の筋電図積分値は高値を認めた。このことから、大 胸筋鎖骨部と三角筋前部線維は鎖骨の前方突出に、三角 筋中部および後部線維は肩甲骨の外転に、僧帽筋上部線 維は鎖骨の挙上に伴う肩甲骨の上方回旋角度の増大に関 与していると考えられた。 本症例の肩関節屈曲動作について、屈曲早期における 肩甲骨上方回旋角度の増大を認めたが、肩関節屈曲60° 以上は困難であった。そこで、肩甲骨の上方回旋運動の 様式について着目した。衛藤ら6)は、腱板断裂患者の肩 甲上腕リズムの特徴を調査したところ,上肢挙上早期に 肩甲骨の大きな上方回旋とともに内側移動が起こること を報告している。本症例の肩甲骨上方回旋は健側と比べ 過剰な外側移動を伴っており、肩甲骨の内側移動に関与 する僧帽筋中部線維の筋電図積分値は健側よりも低値を 示した。このことから、僧帽筋中部線維の筋活動に着目 する必要があると考えた。 つぎに僧帽筋中部線維の筋活動について考える。患側 の僧帽筋中部線維の筋電図積分値は健側よりも低値を示 していた。しかし、肩甲骨内転MMTは3あり、重力に抗 することができる。これは、肩甲骨内転のMMTの検査肢 位は腹臥位であり、かつ肩関節水平外転運動に伴う肩甲 骨内転位保持となる。よって肩関節水平内転運動の主動 作筋である大胸筋鎖骨部や三角筋前部線維は拮抗運動と なることで筋活動が抑制されると考えた。このことから、 図 2 大胸筋鎖骨部、三角筋全線維の筋電図積分値結果 各角度において全筋は共通して健側に対し患側の筋電図積分値の高値を認めた。
肩関節屈曲動作について、大胸筋鎖骨部や三角筋前部線 維が過剰に収縮することで鎖骨の前方突出を、三角筋中 部・後部線維の過剰収縮によって肩甲骨が過剰に外側移 動することで肩甲骨の動的アラインメント不良が引き起 こされると考えられた。この肩甲骨の動的アラインメン ト不良は僧帽筋中部線維にとって伸長位に強いられるこ とから筋活動不全を惹起し肩甲胸郭関節の安定性が低下 することで肩関節屈曲60° 以上の可動域が困難になると 考えた。以上の観点から、運動療法の条件としては、肩 関節屈曲動作時に①大胸筋鎖骨部と三角筋全線維の筋活 動を軽減すること、②腱板機能の破綻を代償する肩甲骨 の上方回旋運動の増大と過剰な外側移動(外転運動)を 抑制すること、の2 点が必要であると考えた。上記の① ②を可能にする方法として、肘屈曲位での上肢挙上運動 を考えた。これは肘関節屈曲位を開始肢位として肩関節 屈曲をおこない、肩関節屈曲角度の増大に伴い徐々に肘 関節を伸展させていく方法である(図4)。この運動を本 症例に試行したところ、肩甲骨の過剰な外転が抑制され 肩関節屈曲角度が170°まで可能であった。肘関節屈曲位 での肩関節屈曲動作は、上肢のレバーアームが減少する ことで、大胸筋鎖骨部と三角筋全線維の筋活動が抑制さ れ、僧帽筋中部線維の筋活動が機能したと考えた。この ことから本症例には腱板機能の代償として肩甲骨の大き な上方回旋運動に加え、過剰な外転運動の抑制を肩関節 屈曲早期より促すことができればニード達成につながる と考えた。したがって、本運動を治療プログラムに追加 し、段階的に肘関節の屈曲角度を減少させながら肩関節 屈曲動作練習を遂行した。2単位(40分)/日、2日/週の 頻度で1カ月半に渡り、運動療法を実施した。 最終評価 肩関節自動屈曲は180° まで改善した(図 5)。また、 大胸筋鎖骨部 ・ 三角筋全線維の運動時痛は消失した。 図 3 僧帽筋全線維と前鋸筋の筋電図積分値結果 各角度において、僧帽筋中部線維のみが健側に対し患側の筋電図積分値の低値を認めた。
図 4 肘関節屈曲位での肩関節屈曲運動の実際と肘関節屈曲・伸展位における大胸筋鎖骨部・三角筋全 線維の筋電図積分値 肩関節屈曲0°において、前腕回外位、肘関節屈曲位とし、肩関節屈曲角度の増加に伴い肘関節を伸展しながら 肩関節屈曲運動をおこなう。 肘関節伸展位と比較して、肘関節屈曲位において大胸筋鎖骨部・三角筋全線維の筋電図積分値は低値を示した。 MMTは肩甲骨外転・上方回旋4、内転4、内転・下制4に 向上した。肩甲骨動態分析において、外側移動距離は肩 関節屈曲30°で1.3 cmから0.3 cm、60°で1.5 cmから0.4 cm に軽減した。肩甲骨上方回旋角度は肩関節屈曲 0° で 17°から21°、肩関節屈曲30°で28°から33°、肩関節屈曲 60° では変化を認めなかったが肩関節屈曲 0° から 30° に おける上方回旋角度が増大した。 考 察 腱板広範囲断裂保存症例への運動療法は、疼痛および 可動域ともに有意に改善が認められる有効な治療法の一
つである2)。一方、保存療法では断裂した腱板の自然治癒 は期待されない3)と言われており、上肢挙上動作が可能 となる要因として疼痛コントロール、肩甲上腕関節およ び肩甲胸郭関節の可動域の改善、残存腱板を含めた肩関 節周囲筋や肩甲帯運動による代償、適応が考えられてい る。しかし、闇雲に肩関節可動域の拡大や筋力強化をお こなうことは病態の悪化や新たな障害を招く危険性があ る。そのため、急性期は損傷部への刺激を防ぎ、炎症反 応を抑えることが重要である。慢性期に入り運動時痛や 拘縮などの二次的障害の予防、挙上障害に対する積極的 な運動療法を開始するといったように、病態の変化に応 じて対応する必要がある3)。本症例においては、受傷後 1 カ月半の間、右肩の疼痛緩和を目的に自宅安静をおこ なったことで急性期の炎症症状は改善されていた。しか し、安静に伴う肩甲骨周囲筋の廃用が起こり、筋力低下 が生じたと考える。初期評価時における本症例の機能障 害は、肩甲骨周囲筋の僧帽筋中部 ・ 下部線維、前鋸筋の 著明な筋力低下、大胸筋鎖骨部と三角筋全線維の運動時 痛であると判断し、理学療法を実施した。中間評価時に おいては、僧帽筋中部・下部線維を反映するMMTは3に 向上、肩関節屈曲30°から60°まで可動域は改善し、運動 時痛は軽減した。更なる可動域の改善には、腱板広範囲 断裂保存療法における上肢挙上可能な症例のメカニズム について再考する必要があった。 本症例は、棘上筋完全断裂により肩関節屈曲早期にお ける上腕骨頭を関節窩へ求心的に引き付け、三角筋とと もに肩関節屈曲時の初動を担う働きは破綻している。加 えて、棘下筋 ・ 肩甲下筋の上部線維の断裂および上腕二 頭筋長頭腱断裂により、骨頭の上方化を抑制する機能は 破綻している。Campbellら9)は、腱板広範囲断裂例にお いて大胸筋と広背筋が上腕骨頭の上方化を抑制し、三角 筋と同様に上腕骨頭の安定化に関与することを報告して いる。しかし、本症例では大胸筋鎖骨部と三角筋全線維 の運動時痛を認めていたことから、これらの筋群への過 剰な負荷が示唆された。一方、腱板断裂症例における肩 甲胸郭関節機能として、衛藤6)は上肢挙上早期に肩甲骨 の大きな上方回旋とともに内側移動が起こることを報告 している。そして内側移動に関しては肩峰下でのインピ ンジメントを回避する目的であることを述べている。本 症例の肩関節屈曲動作の特徴として、肩関節屈曲早期に 鎖骨の挙上・前方突出を伴う過剰な上方回旋と外転を認 めた。また、僧帽筋中部線維の筋活動不全を認めた。こ れらのことから、肩甲骨の過剰な外転は肩甲胸郭関節に よる代償機能の低下を招き、大胸筋鎖骨部と三角筋全線 維に更なる過剰収縮と運動時痛を生じさせていると考え た。本症例では肩峰下でのImpingement Testは陰性である ことを考慮し、肩関節屈曲動作時における僧帽筋中部線 維の筋活動不全と肩甲骨の過剰な外転が生じることに着 目し、本症例の機能障害と運動療法を再考した。運動療 法として、大胸筋鎖骨部と三角筋全線維の筋活動軽減と 僧帽筋中部線維の筋活動促通を目的に、肘関節屈曲位で の肩関節屈曲動作を考えた。 肘関節屈曲することで上肢のレバーアームが短縮し大 胸筋鎖骨部と三角筋全線維の筋電図積分値は肘伸展位で の肩関節屈曲と比較して低値となることを確認した(図 4)。更に肘関節屈曲運動は、肘関節の生理的外反と上腕 骨の後捻角の影響により肩関節外旋を伴うとされてい る10)。このことより本症例の残存腱板(棘下筋中部 ・ 下 部線維、小円筋)にも促通効果が波及され肩関節屈曲早 期より上腕骨頭を下方へ誘導する作用が関与したのでは ないかと考える。肘関節を屈曲することで、肩関節屈曲 早期における大胸筋鎖骨部と三角筋全線維の過剰収縮に 図 5 初期評価、中間評価、最終評価における右肩関節屈曲動作 初期評価では屈曲30°、中間評価では屈曲60°、最終評価では180°に改善した。
腱板広範囲断裂保存症例に対する運動療法について、 Levy ら11)は背臥位での上肢挙上運動による三角筋前部 線維の筋力強化を推奨している。しかし、本症例のよう に大胸筋鎖骨部や三角筋全線維の運動時痛が生じる場合、 上腕骨頭の安定化に対する代償機能獲得に向けた運動 療法の遂行には難渋する。三浦ら12)は残存する腱板およ び肩甲骨周囲筋による代償の重要性について述べている。 本症例においては肩甲骨の過剰な外転運動を伴うことで 肩甲胸郭関節による代償機能も低下していた。このこと から腱板断裂という器質的変性に対する代償運動獲得に 向けた運動療法では、肩甲骨の動的なアラインメントに 配慮することが重要である。ただし、今回立案した肘関 節屈曲位での肩関節屈曲動作がすべての腱板広範囲断裂 保存症例に適応するとは言い難い。各症例において断裂 筋、残存機能そして骨形態の変化は多様であるため各症 例に応じた運動療法を段階的に考慮する必要がある。 まとめ 1. 大胸筋鎖骨部と三角筋全線維の過剰収縮による運動 時痛を呈し、肩関節屈曲動作が困難となった右肩腱 板広範囲断裂保存症例の理学療法を実施した。 2. 大胸筋鎖骨部および三角筋全線維の筋活動抑制と、 肩甲骨の動的アラインメントに配慮すべく僧帽筋中 2) 谷口大吾・他:肩腱板完全断裂に対する保存療法の効果. 中部整災誌47: 753–754, 2004. 3) 千葉真一・他:腱板断裂に対する保存療法としての理学療法. 整・災外50: 1069–1075, 2007.
4) Ludewig PM, et al.: Relative balance of serratus anterior and upper trapezius muscle activity during push-up exercises. Am J Sports Med 32: 484–493, 2004. 5) 朝長 匡・他:肩関節挙上運動の筋電図学的検索.日整会 誌 62: 617–626, 1988. 6) 衛藤正雄:肩関節周囲炎における scapulo-humeral rhythm の 分析.日整会誌65: 693–707, 1991. 7) 唐沢達典・他:肩腱板断裂患者の健側の scapulohumeral rhythm について.運動・物理療法 14: 135–138, 2003. 8) 三浦雄一郎・他:肩関節屈曲と外転における鎖骨・肩甲骨 の運動― 座標分析を用いた検討 ―.総合リハ 36: 877–884, 2008.
9) Campbell ST, et al.: The role of pectoralis major and latissimus dorsimuscles in a biomechanical model of massive rotator cuff tear. J Shoulder Elbow Surg 23: 1136–1142, 2014.
10) 早田 荘・他:肘関節肢位が肩関節外旋に及ぼす影響.理 学療法科学28: 731–734, 2013.
11) Levy O, et al.: The role of anterior deltoid reeducation in patients with massive irreparable degenerative rotator cuff tears. J Shoulder Elbow Surg 17: 863–870, 2008.
12) 三浦雄一郎・他:腱板広範囲断裂の保存療法.J MIOS 63: 9–23, 2012.