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第5章 日本自動車産業のアジア戦略-国際分業パターンの特質と1998年以降の状況変化-

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日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ―

第5章

日本自動車産業のアジア戦略

―国際分業パターンの特質と 1998 年以

降の状況変化―

加茂 紀子子

はじめに

ASEAN4(タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン)において、日本自動車企業の主 導による域内分業が実行されてきていることはこれまで多くのインタビュー調査によって明ら かにされてきた1。構想から 10 数年を経て、こうした分業を、「企業の戦略として存在する」 ということを確認するだけにとどまることなく、マクロ的な貿易のレベルで実態を把握し、評 価しうる時期にわれわれは到達しつつある。本章の目的はこのような状況認識にたち、「ASEAN 諸国間」「ASEAN 諸国−中国」およびこれらの諸国と日本の間の自動車・自動車部品分業の現 段階を確認することにある。このような自動車産業における国際分業を検討するという課題を 設定すれば、ただちに以下のような問題を論点として提起しうるであろう。 第一に、歴史的にみれば、アジア諸国に対する自動車産業の直接投資は、現地国政府の輸入 代替化政策に対応するものであった。その点で、1980 年代に同じくアジアに展開した貿易摩 擦回避・迂回輸出のための日本企業の海外進出とは、最終市場をどこに求めているのかという 点が大きく異なっている2。第二に規模の経済がコストを大きく左右する大型の加工組立産業 1 例えば、加茂紀子子「ASEAN 域内ソーシング再考 ( 上 )( 下 ) ――進化論アプローチからみた日系自動車産 業の企業行動――」『商学集志』( 日本大学 )、71(1 ・ 2)、2001 年;下川浩一「アジア地域における日本自 動車産業の直接投資と国際分業の展開」『経営志林』(法政大学)、35(3)、1995 年;ヨッヘン・レゲヴィー 「日本企業の生産戦略――域内生産ネットワークの形成――」『日欧企業のアジア戦略』白桃書房、第8章 所収、2002 年;Legewie, J.,“The Political Economy of Industrial Integration in ASEAN”, Journal of the

Asia Pacific Economy, 5(3), 2000. など。

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であるため、たとえ人件費の低い地域で生産することができたとしても、現地の狭小な市場向 けになされる小規模生産という条件の下では、むしろ高コスト体質を余儀なくされてきたとい う側面もある。以上の二側面を念頭におけば、アジアにおける自動車生産は遠距離にある先進 国市場を最終市場として射程においているのではないし、生産立地の決定にとって他の産業と は異なり、人件費は副次的な要因にすぎないであろう、と推察される。  これらの点に加えて、日本の自動車産業は地域の産業集積に基づく展開を重視してきた。部 品生産が集積していることからもたらされるプラスの外部経済効果は内外のサプライヤー研究 によって、繰り返し確認されてきた問題である3。この問題は、近年ではアーキテクチャの議 論へ引き継がれつつある4。すなわち、部品と部品が製品の統一的な全体性を支えあいながら 「擦り合わせ」られていく自動車工業では、部品から最終組立までの一連の価値連鎖を担う諸 企業が地理的に近接していることに大きなメリットがありうると指摘されるようになってきて いる。そうであるとするならば、自動車産業においてはコスト要因に基づく部品生産の立地分 散とそれらを結びつける国際分業は現れにくいと推察しうる。  それでは、現実にアジア、とくに ASEAN4 において日本自動車産業が展開している相互補 完的な自動車部品の分業はどのように理解されるべきなのであろうか。この分業は以上のよう な理論的な想定を離れ、なぜ、どのような経緯から形成されてきたのか。その構造はどのよう なものであるのか。中国という新興勢力の台頭および AFTA 創設に向けた域内貿易自由化など の近年の国際環境の変化は、この分業にどのような影響を与えつつあるのか。そして、このよ うな分業構造を基礎にした日本自動車企業のアジア戦略はどのような展望を持ちうるのであろ うか。  本章はこれらの諸問題を歴史的に検証しつつ、中国、ASEAN 諸国、およびこれらの諸国と 日本の間の自動車部品分業の現状を確認する。まず第1、2節で中国と ASEAN 諸国での日本 自動車産業の生産状況を述べる。そしてその過程で先に述べた ASEAN 諸国における相互補完 型の自動車部品国際分業の形成過程を把握する。第3節において中国と ASEAN 諸国における 日本自動車産業の 1990 年代半ばまでの現地生産の特徴を整理し、その基本的な特徴を変化さ せつつある近年の競争のフェーズ変化を捉える。第4節では第3節で整理した特徴から離脱し 始めている新しい分業について事例をもとに検討し、第5節では各国の貿易統計を用いて、こ れら諸国間の自動車部品貿易の特徴・規模・趨勢を明らかにする。

3 例えば、M. J. Piore & C. F. Sabel, The Second Industrial Divide, Basic Books Inc., 1984 ( 山之内靖監訳『第

二の産業分水嶺』筑摩書房 );P. R. Krugman, Development, Geography, and Economic Theory, The MIT Press, 1995( 高中公男訳『経済発展と産業立地の理論』文眞堂、1999 年 );藤本隆宏他編『リーディング スサプライヤー・システム』有斐閣、1998 年;浅沼万里『日本の企業組織革新的適応のメカニズム』東洋 経済新報社、1997 年など。

4 藤本隆宏他編『ビジネス・アーキテクチャ』有斐閣、2001 年;青木昌彦他編『モジュール化 新しい産業

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日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ―

第1節 中国における日系自動車企業

1.1980 年代における外資企業の中国参入 自動車産業を育成するにあたり、1960 年代から外資導入してきた ASEAN 諸国と異なり、 中国は 1950 年代から自国内に独自の自動車企業をもっている。広い国土、膨大な人口をもつ ことから、中国における自動車産業の発展の潜在性は高い。しかしながら、1980 年ごろまで の中国自動車産業は中国政府の政策に翻弄されつつ、停滞を余儀なくされる局面が多々見られ た。そのような停滞の要因のひとつとして、1960 年代ごろから目指されてきた「一省一廠(工 場)」体制がある。この掛け声の下、各地域において中小の製造業による自動車組立事業への 参入が相次ぎ、小規模工場が分散した5。中国全土で自動車生産に携わる企業は 100 社以上に および、これにより自動車工業に不可欠な大量生産が妨げられる結果となったのである。 モータリゼーション前夜の狭小な市場に企業が乱立するという条件は ASEAN 諸国の自動車 産業と類似性がある。ASEAN 諸国の政府は、後述するように、これら国内に乱立する企業を 集約する方向は放棄し、国家間の関税障壁をとりのぞくことによって、市場そのものを統合 するという潮流に乗っている。これに対し、中国政府は 80 年代後半以降、1企業あたりの スケールメリット向上のために国内企業のグループ化・集約化を図り、乗用車生産に関して は 1989 年に中国6大企業にのみ乗用車生産で外資企業と提携することを認めた(「三大三小」 プロジェクト)。 このプロジェクトの外資パートナーの地位を獲得しえたのは、VW、PSA、AMC(後にクラ イスラーに買収される)などであった。日本の上位企業のみならず、GM やフォードもプロジ ェクトから漏れている。この時期、日米の自動車企業にとって、中国政府の自動車産業政策に 対する不信感を払拭できなかったことに加えて、実質的に経営資源を中国に振り向けている余 裕がなかったことがこの結果に影響していると思われる。 当時、日本製エコノミーカーが米国市場にむけて「集中豪雨」のごとく輸出され、米国企業 は経営を悪化させていた。また、日本企業は政治問題化してしまっていた日米自動車貿易摩擦 への対応に追われていた。摩擦回避という使命のみならず、先進的な自動車企業でありつづけ るためには、このような競争の激しい北米市場を舞台に現地生産を成功させることが不可避の 課題であるというムードに後押しされて、1978 年から 1985 年にかけて、ホンダ、日産、ト ヨタ、マツダ、三菱が対米進出を実現した。さらには日本の下位企業や新規参入者も北米市場 に固執した。例えば 1987 年にいすゞ・富士重工が合弁により進出し、1989 年にはニューカ 5 趙容「中国自動車産業の史的展開」丸山恵也編『中国自動車産業の発展と技術移転』柘植書房新社、2001 年、第1章所収、46 ∼ 47 ページ;日刊自動車新聞社・( 社 ) 日本自動車会議所『自動車年鑑ハンドブック 2002 ∼ 2003』98 ページ。

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マーである韓国の現代自動車までもがカナダへ進出したのである。 他方、VW はマルク高に対応するために、日本勢よりも早く 1978 年から米国において現地 生産をおこなっていた。しかし日本製輸入小型車との競争において VW の現地生産車の劣勢 が次第に明らかになるなか、1980 年代後半、VW は米国現地生産を中止することを決定する。 VW は日本の主要企業とは対照的に米国における現地生産からフェードアウトし、かわって次 なる舞台として中国に照準をあわせたのである。米国工場の既存プラントは中国との新しい合 弁事業、すなわち 1991 年設立の一汽 VW の工場に転用された。 「三小」企業と提携を持ちえたダイハツも同様に当時のトレンドからはひとり距離を置いて いた。乗用車生産能力を持つ日本企業としてはダイハツだけが北米での現地生産を見送ったの である。PSA もまた北米での競争に積極的にコミットメントしなかった勢力である。 このように北米市場における競争との相関で中国進出をとらえると 1980 年代の各企業の中 国戦略の偏差は、どの地域に人材・資金等を優先的に投資するかという、世界的な資源配置問 題として説明可能なのではないかと考えうる。つまり具体的には北米での競争に執着しなかっ た企業は将来性ある中国を当初から重要な投資先として位置づけた。結果として現在までのと ころ中国現地経営への浸透が早く、逆に北米での競争に固執した企業こそ、その反作用として 中国進出に遅れたという一般的傾向が認められるといえよう。 2.1990 年末以降における外資企業の中国参入 1989 年に与えられた「三大三小プロジェクト」(後に「二微」追加)によって、中国にお いて生産許可を得られた外資企業の顔ぶれは固定的なものとなり、このプロジェクトから漏れ た日米の上位企業にとって中国進出は絶望的な状況であるかのように見えた。しかしその勢力 分布は 1990 年末期に流動化する。 その第一のきっかけは「三小」企業の広州標到汽車有限公司(広州汽車= PSA(プジョー)合弁) の経営不振をきっかけとして起こった。プロジェクト発足以来一度も黒字を計上することがで きなかった同社から、1997 年、プジョーは外資パートナーの座を降りる決定をした。撤退す るプジョーの株式持分の買い取りをめぐって、ホンダ、現代自動車、アダム・オペル(GM の 独法人)が交渉のテーブルについた。広州汽車は、ホンダと合弁することに決定し、広州本田 汽車有限会社(広州ホンダ)を発足させた。1998 年からまずは年間3万台の生産計画によっ て「アコード」の生産が始まった。 第二のきっかけは 1994 年に発表された上海汽車総公司による新たな合弁計画である。同社 は、すでに「三大」企業である上海 VW で「サンタナ」を生産していたけれども、これに加えて、 新たな合弁事業を「三大三小二微」プロジェクトの枠外で実現する意欲があることを発表した のである。これに対し、GM、フォード、トヨタがその外資パートナーの候補となった。最終 的にこの計画を実現させたのは GM であった。1997 年、両社は上海 GM を発足させ、2000

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日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ― 図1 ASEAN4 と中国における資本国籍マーケットシェア 出所:フォーイン『2002 アジア自動車産業』145、219、244、266-7、283 ページより筆者作成。原資料は中 国汽車工業協会、中国汽車技術研究中心、CATRAC、The Thai Automotive Association、Malaysian Automotive Association、Gabungan Industri Kendaraan Bermotor Indonesia Association of Indonesian Automotive Industries、Chamber of Automotive Manufacturers of The Philippnes。

年に「ビュイック」を3万台生産する計画で事業をスタートさせた。 このプロジェクトからフォードやトヨタは漏れてしまったとはいえ、上海 GM の発足は外資 企業にとって大きな意味があった。それはこの新規合弁を中国政府が認めた時点で事実上「三 大三小二微」プロジェクトは崩壊し、外資企業にとっての中国ビジネスのルールが一新された からである。これにより、1990 年代後半以降、世界の主要自動車企業は中国における生産の 権利(いずれも合弁や技術提携)を次々と取得した。日本企業の中国進出としては、トヨタ、 日産およびホンダの新規合弁事業が注目される。 トヨタは天津汽車と 2000 年に合弁会社を設立し、2002 年から「ヴィオス(プラッツをベ ースとしている)」を生産開始した。前後して合弁相手の天津汽車が第一汽車に買収されると 親会社となった第一汽車とも提携し、「カローラ」「クラウン」「ランドクルーザー」などの合 弁生産を決定している。さらに 2003 年には広州汽車と合弁生産の交渉に入った6  日産は 2002 年に東風汽車と包括提携を結んだ。これまでの合弁事業では一車種ごとに政府 の許可が必要であった。しかし日産と東風汽車の合弁新会社は、商用車も乗用車も政府の許可 なしにフルレンジの車種を自由に生産できる裁量権を得た。「サニー」の生産を皮切りに、エ コノミーカーや多目的車など5車種の生産が計画されている7 6 日刊工業新聞 2003 年7月 17 日。 7 日刊自動車新聞 2002 年9月 21 日。 0% 10% 20% 30% 40% 50% 60% 70% 80% 90% 100% タイ マレーシア インドネシア フィリピン 中国 その他 韓国 アメリカ 中国 ドイツ 日本 マレーシア(三菱 &ダイハツ)

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ホンダはすでに述べたように広州汽車との間で合弁事業をスタートさせているほか、広州汽 車とのもうひとつの合弁プロジェクトについても認可を取り付けている。それは輸出特化企業 「本田汽車有限公司」の設立である。生産開始は 2004 年の予定である。さらに東風汽車と「CR-V」 を生産する新会社を合弁でスタートさせ、2004 年に生産開始させることを 2003 年の夏に発 表した8 以上のように、日本自動車企業の中国進出は 2000 年前後になりようやく本格化した段階で ある。つまり、日本自動車企業の中国における生産の歴史はいまだ浅く、また中国市場に対す るプレゼンスも大きなものではない(図1)。

第2節 ASEAN における日系自動車産業― ASEAN 諸国を舞台とする自動車製品の

分業

1.外資企業の ASEAN 諸国への進出の経緯 中国への進出が遅れた日本自動車産業にとってアジアにおける主たる進出先は ASEAN で あった。日本を含む外資系自動車企業が ASEAN に進出する契機となったのは、1960 年代の ASEAN 政府による完成車輸入禁止措置である。高関税により ASEAN 市場から締め出されてし まった先進国企業は、輸出ではなく現地生産によって ASEAN 諸国の国内市場を確保する行動 に出た。海外完成車の輸出者ではなく、インサイダーとして ASEAN 国内市場にアクセスする 方途を拓いたのである。そのための現地生産は、本国から完成車組立用の KD 部品一式を取り 寄せ、現地ではそれをもっぱら組み立てるだけという軽装な KD 拠点としてスタートした。ま たインサイダーとしての地位を得るにあたり、日本自動車企業を含む外資企業は現地資本との 合弁形態をとった。生産量が少ない場合には出資関係を伴わない委託生産の形をとる企業もあ った。もちろんこれは中国政府と同様に基幹産業にたいする外資出資規制を ASEAN 諸国の政 府が実施したためである。 2.萌芽としての米国企業による分業の構想 1970 年代に早くも米国企業はこれらの諸国間で自動車部品あるいは完成車の分業体制を構 想していた。それは ASEAN 諸国の自動車産業の構造的欠陥を乗り越えるべく模索された。つ まり ASEAN 諸国における自動車製品の分業は、経済発展段階の差や競争力の差を反映しなが ら、自然に形成されたのではなく、生産者自ら生産上の困難を克服するために生産配置の決定 と輸出入の実践を通じて人為的に形成しようとしてきたものである。このような米国企業の構 8 日本経済新聞 2003 年8月8日。

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日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ― 想には同地域における自動車・自動車部品の分業形成の原点を見出すことが可能である。そこ で米国企業が構想した ASEAN 自動車分業にここで一瞥を与えておこう。 当時の ASEAN 自動車市場は現在のそれ以上に狭隘かつ不安定であった。また多数の自動車 企業が現地生産を行なっていたので、一工場あたりの生産量が少なく、量産効果を発揮できな かった。その結果、各自動車企業は割高な自動車を供給し続けることになり、購入者を一部の 高所得者層に限定せざるを得なかった。また早晩モータリゼーションが訪れるという見通しも 立っていなかった。 こうした状況を打破するための方策として、当時、有効と目されていたのは次の2つである。 第一は、販売国の所得水準に合わせて、実用性を重視した部品点数の少ない単純な商用車モデ ル AUV(Asian Utility Vehicle)を開発すること。第二は、部品の集中生産である。すなわち、

ASEAN 諸国および台湾・韓国といった国のすべてでマルチドメスティック9に部品生産を丸 抱えするのではなく、特定部品ごとに生産担当国を定め、そこで同地域の需要をすべてひきう けて集中生産するというアイデアである。フォード会長(当時)のヘンリー・フォード2世は、 1972 年にマニラで開かれた ASEAN5 カ国外相会議に出席し、この2つの方向に対応する国 際分業計画を発表した。それは表1に示されたような生産分担計画によって AUV「フィエラ」 をアジアに普及させるという構想であった。 この AUV 生産分担が計画どおり実施された場合、実現するであろう自動車の国際分業の形 態をここで確認しておこう。表1によるとフォードはアジアの各国で生産された自動車部品を マレーシアに集め、マレーシアで組立を完了させる計画であった。そしておそらくはマレーシ アのみが組立工程に特化し、マレーシアから完成車が周辺国へ輸出されるという経路を描いた であろう。つまりそのロジスティクスを跡付けてみるならば、各国が関係を取り結ぶのは部品 納入先としても、完成車の供給元としてもマレーシアだけであり、その点において一元的・集 中的なロジスティクスとなったであろう。そこにおいては、自動車製品のロジスティクスが各 国間で網の目状に展開するということは計画されていなかったといえる。 1980 年代、米国企業はこのような計画の実現を待たずに、ASEAN 市場から次々と撤退し ていった10。結果として、アジア、とくに ASEAN 諸国における自動車生産のメインは日本企 9 多くの国において事業活動を展開しているとはいえ、ある国における事業活動と別の国における事業活動 との間に統合化された何らかの整合性はなく、その国の環境条件に適応するような個別・閉鎖的な事業活 動を行っており、「国内の活動(ドメスティック)が単に多数(マルチ)行われている」という状態を指 す。Porter, M.E. (ed.), Competition in Global Industries, Boston, Massachusetts: Harvard Business School Press, 1986 ( 土岐坤・中辻萬治・小野寺武夫訳『グローバル企業の競争戦略』ダイヤモンド社、1989 年 ). またバートレットとゴシャールの多国籍企業の組織統合についての議論も参考になるであろう。Bartlett, A.C. & Ghoshal, S., Managing Across Borders: The Transnational Solution, Boston, Massachusetts: Harvard Business School Press, 1989(吉原英樹監訳『地球市場時代の企業戦略』日本経済新聞社、1990 年).

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表1 フォード「フィエラ」の生産分担計画 マレーシア 大規模集中組立プラント 韓国 ディーゼルエンジン工場 フィリピン プレス工場 インドネシア 車両およびトランスミッション工場 シンガポール 自動車電装品部品工場 台湾 ディーゼルおよびガソリン・エンジンのアルミニウム工場 タイ 鋳造およびガソリン・エンジンの製造工場 出所:日刊工業新聞 1971 年 10 月 1 日より筆者作成。 業となり、同地域におけるシェアの 80 ∼ 90%を日本車が占めるようになった。それでもな おこのような狭小な市場に多くの日本企業が進出しており11、小さなパイを薄く分け合うよ う状態は継続していた。ASEAN 諸国においては、撤退や M&A がほとんど見られないまま12 40 年来、産業構造が安定しており、上位企業に生産量が集中するという事態が起こらなかっ たのである。そのため、市場規模は拡大傾向にあったものの、あいかわらず一工場あたりの生 産規模は最小最適生産規模を達成できる水準ではなく、いわゆる規模の経済を享受できない状 態に置かれてきた。 3.日本企業の主導による国際分業の形成 以上までに示してきた経緯により、ASEAN 諸国の自動車産業は特殊な産業組織上の特徴を AUV「ベドフォード・ハリマオー」は当初販売国では好評であったが、アジア市場に広く普及はしなかった。 タイにおける「フィエラ」の売れ行き不振が原因でフォードがタイ現地法人をいすゞに売却せざるを得な くなったのは典型的な例である ( 日経産業新聞 1977 年 10 月 21 日 )。現在でも ASEAN 諸国の市場は嗜好 性が異なっている。例えば、タイではピックアップトラック、マレーシアでは乗用車、インドネシアでは AUV(ミニバン)が人気車種である。これらの嗜好性には、例えば商用車は取得・維持のコストが低く抑 えられているなど、自動車所有にかかわる税制や規制が影響していると思われる。 第二に、当時 ASEAN の諸国では外資に対する警戒心が強く、各国政府は実質的に外資優遇になる域内関 税の引き下げには応じなかった。自動車産業において現在の一大潮流である ASEAN 自由貿易圏形成への求 心力が高まってくるのは、1990 年代ちかくになってからのことである。それまでの期間、特に 1980 年代 においては ASEAN 諸国は域内で自動車生産分業を集合的・調和的に形成しようというよりは、個別に国産 化計画を推し進める方向へ動いた。 同計画の顛末および米国企業のアジアからの撤退の詳細は、加茂紀子子「ASEAN における自動車の『国 際部品補完体制』」『情報科学研究』(日本大学)7、1997 年を参照されたい。 11 狭小な市場に参入が相次ぐ理由について加茂紀子子、前掲「ASEAN 域内ソーシング再考(下)」64 ∼ 66 ページ参照。 12 同地域の自動車産業において、撤退や M&A がほとんど見られなかった理由については、池本幸生「産業組 織と開発政策」『アジア経済』33(10)、1992 年;下川浩一前傾論文 1995 年が興味深い分析をしている。

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日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ― 持つにいたった。ここでそれについて2つの視角から指摘しよう。 第一は一国レベルでみた不経済である。タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン・・・ といったすべての国で企業が乱立する状況にある。日本企業だけでもトヨタ、日産、ホンダ、 三菱、いすゞといった主要企業がそろって、提供商品のレンジを重複させながら生産・販売活 動を行っている。これら企業間では、日本の国内市場と同様に車種による棲み分けが進んでい ない(表2)。  第二は、企業の立場から見た不経済である。日本自動車企業はタイ、マレーシア、インドネ シア、フィリピン、台湾、ベトナム、パキスタンなど複数の国に生産拠点を持っている。それ らは KD 生産からスタートし、現地国政府の要請により漸進的に国産化を進めてきた。その投 資内容はこれらの生産拠点のすべてにおいて重複しているために非効率である。  このような二重の不経済性に悩まされ続けてきたことこそ、日本自動車企業の ASEAN 諸国 における事業の大きな特徴である。なぜなら、米国企業は ASEAN 諸国のすべてに均等に投資 を行い、その設備内容を類似させてきたというよりは、政治的・経済的・軍事的に関係の強か ったフィリピンへ投資を偏重させ、そしてそれもやがてフェードアウトしていったのであり、 また欧州企業は自ら直接投資に踏み切ることなく委託生産を選択していたために、諸国間での 設備の重複に負担を感じていなかったと思われるからである。  この2つの不経済のうち、前者、すなわち国境によって閉じられた狭小な国内市場に企業が 乱立する状況を企業サイドの戦略のよって改善することは事実上不可能である。むしろ第二の 不経済性を改善すべく、多国籍企業としてその子会社群を見渡したうえで設備重複状況を合理 化するという方向こそが日本企業にとって現実的であった。ここから三菱自工は ASEAN 政府 に対して、ひとつの関税協定を提案するのである13 一方、長らく自動車産業を保護してきた ASEAN 諸国の政府も、産業の自立化が遅々として 進まない原因の一つとしてこのような二重にからみあう産業組織の複雑性と硬直性を十分に 認識していた。また 1980 年代の前半までは民族資本を優遇し、むしろ外資を警戒してきた ASEAN 政府は、1980 年代後半になって逆に外資を積極的に活用する方向へ政策転換していた。 振り返れば、米国企業が ASEAN 諸国を含むアジア地域で自らの生産分担とそれを活用した分 業を提案した時期には、このような機運は ASEAN 諸国間には見られなかった。

ま さ に 時 機 を 得 て、 三 菱 自 動 車 の ASEAN に 対 す る 提 案 は、Brand to Brand Complementation (BBC) スキームという関税同盟として 1988 年に実現した。このスキームの 骨子は、①自動車組立企業が同一企業間でスキーム加盟国から部品を調達する場合、その輸入 関税を 50%減免する、②BBCスキームにしたがって購入した部品を国産部品と見なす、と

13清水一史『ASEAN 域内経済協力の政治経済学』ミネルヴァ書房、1998 年;中村香「技術移転と東アジア」

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表2 日系メーカーの製品ラインナップ(1998 年)   タ イ フ� リ ピ ン イ ン ド ネ シ ア マ レ � シ ア   タ イ フ� リ ピ ン イ ン ド ネ シ ア マ レ � シ ア ホ ン ダ City ● ● ● ● 日 産 AD pick-up ● ●   ● Civic ● ● ● ● Primera ●       Accord ● ● ● ● Infiniti ●       Veretex ● ●     Q45 ●       CR-V ●       Caravan ●       い す ゞ

pick-up truks ● ●   ● Sentra       ● Cab-over truks ● ● ● ● Vanette       ● 4x4RVs       ● Urvan       ● Buses       ● Cabster       ● AUV     ●   Terrano     ● ● 三 菱 Lancer ● ● ●   Serena     ● ● Galant ● ● ●   Cedric     ●   Strada ● ●     ト ヨ タ Corona ● ● ●   Canter ● ●   ● Corolla ● ● ● ● Figter ● ●     Soluna ● ●     Saga       ● Hilux ● ●   ● Wira       ● Dyna ● ● ● ● Satria       ● Camry       ● Putra       ● Hiace       ● Perdana       ● Liteace       ● Pajero     ● ● Land Cruiser     ● ● Delica       ● TUV       ●

Nissan pick-up ● ●     Starlet     ●   Cefilo ● ● ● ● Crown     ●   Sunny ● ● ●   Kijang     ●   出所:JAMA, In Search of Tomorrow, Thailand, Malaysia, Indonesia, Philippines, 1998.

いう2点である14。スキームはタイ、マレーシア、フィリピンの3カ国でスタートし、遅れて

インドネシアも加盟した。

14 ASEAN Secretariat,“Memorandum of Understanding Brand-to-Brand Complementation on the

Automotive Industry under the Basic Agreement on ASEAN Industrial Complementation (BAAIC), Pattaya, Thailand, 18 October 1988”, in ASEAN Document Series1988.

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日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ― 4.BBC スキームに基礎づけられた国際分業のパターン BBC スキームは関税恩典と国産化規制緩和だけのシンプルなスキームのように見える。し かし BBC スキームはこのスキーム自体がもつ限定性や各国自動車産業政策との両立の必要性 から、結果的に特異な分業構造を生み出すに至った。以下、それについて 3 点を指摘してみ よう。 (1) 同一資本内における別アイテムの交換

このスキームの特徴は Brand to Brand Complementation Scheme というその名のとおり、 優遇されるべき輸出入部品をブランド保有者との関係で決定している点にある。これにより、 同一資本間における別種の自動車部品の輸出入、例えばタイ・トヨタ製のエンジンとフィリピ ン・トヨタ製のトランスミッションを交換するケースがスキーム適用の対象となった。 (2) 各国別自動車国産化計画の継続と双方向的貿易連関 BBC スキームが発足し、域内向け自動車部品貿易が可能となった後も、自動車部品生産に のみ特化し、完成車組立を放棄するという選択を行なった国はなかった。逆に言うと、4カ国 のいずれもが、BBC スキームにのっとって輸出されてくる自動車部品の受入国になることと なった。各国は自動車国産化計画を継続したのである。これは ASEAN 諸国においてきわめて 特殊な国際分業のパターンを決定することになった。先のフォードによる「フィエラ」生産分 担計画と比較してみれば、その特徴は明らかである。すなわちフォードの計画によれば、マレ ーシアに一極集中的に部品が集まる分業のパターンが構想されていたのに対し、BBC スキー ムに基礎づけられた日本企業の国際分業は ASEAN の4カ国いずれもが他の3カ国と双方向的 に結びつく互酬的部品輸出入を行なう。ASEAN 域内自動車部品貿易がしばしば「部品相互補 完体制」と呼ばれるのは、このような部品輸出入が双方向的な貿易連関になっている点と上述 の別種のアイテムの交換になっている点を反映してのことである。 (3) 貿易収支均衡に関する要請 BBC スキームに認定されるためには、申請者は ASEAN4 の2つ以上の国に生産拠点を持っ ていることが要件とされた。つまり2カ国間で部品の輸出入を均衡させることをねらった政策 である15。ASEAN 側はそうすることによって域内貿易の収支アンバランスを招かないよう配 慮したのである。当時の ASEAN にはシンガポールとブルネイも加盟していたけれども、BBC 15 清水一史、前掲書、1998 年、135 ページ。2001 年5月 31 日付けの日本経済新聞によれば、AFTA 成立 後も企業には国ごとの輸出入を均衡させる自主的な配慮が求められる可能性がある。また青木健一編『AFTA ∼ ASEAN 経済統合の実情と展望∼』ジェトロ、2001 年、42 ページも参照。

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スキームにおいては適用除外となっている。それは自動車組立拠点を自国に持たないために2 カ国間決済が不可能だったためである。 なお、この2カ国間、ひいては域内自動車貿易の収支均衡についてはスキームが利用される たびに(実際には申請時に生産計画を添付して輸出入予定金額を示す)、企業側が責任を負う ことが慣例となっている16 自動車製品をめぐる ASEAN 域内分業は、以上のような3つの規定的な要因に基礎づけられ て形成されている。ここでそれを図式的に理解するために、典型的なパターンを示すトヨタの 事例を挙げよう。

トヨタはフィリピンに 1962 年に Toyota Motor Philippines Inc.(TMP) を設立し、「カムリ」、

「カローラ」、AUV「タマラオ」などの組立を行なってきた17。この TMP への出資比率は 34

%である。すなわち、この組立企業は輸入代替型かつ合弁事業という典型的な日本自動車企業 の ASEAN 子会社のスタイルとなっている。これに対し、1992 年トヨタは Toyota Autoparts Philippines Inc.(TAP) の操業を開始した。この新会社はトヨタの出資によるものであるけれど も、自動車組立を行なう企業ではない。TAP はトランスミッションを専業とする部品企業で あり、出資比率は 95%である。このような高い出資比率を認められたのは、この新会社 TAP で生産されるトランスミッションが主に輸出に振り向けられるためである。この点で明らかに TAP は TMP と性格が異なる。すなわち輸出主導型であり、過半数所有会社である。 TAP 製のトランスミッションはもちろん TMP へ納入され、TMP の組立に供される。しか し TAP 製トランスミッションの大部分はタイ、マレーシア、インドネシアへ輸出される。そ の設立時期に注目すれば明らかなように、TAP は明らかに BBC スキームが実効性を持つよう になってから、この関税恩典を利用すべく設立された部品企業である。 こうして ASEAN 諸国の中でトランスミッションを分担する拠点はトヨタにおいては TAP に 定まった。トヨタのタイ、マレーシア、インドネシアの自動車組立企業でもトランスミッショ ンは必要である。しかし、これによりトヨタはタイ、マレーシア、インドネシアではトランス ミッションの生産は行なわないで、TAP から供給させる体制へと向かうことになったのである。

16 ホンダ・フィリピン現地法人 Executive Vice President & Treasurer に対する筆者のインタビュー (2001 年

3月 14 日 ) による。本インタビューおよびトヨタ・シンガポール現地法人 General Manager, Import & Export Department への筆者のインタビュー (2001 年2月 12 日 ) によれば、実際には、貿易収支に関する 要請は行政指導であって、達成できなかった場合の罰則規定はない。しかし他方で、たとえばフィリピン においては輸入部品を決済するための外貨を、企業側の責任において輸出により確保しておかなければな らない(Philippines Export Processing Zone Authority『投資インセンティブと手続き』1991 年およびク ラリオン・フィリピン現地法人 President へのインタビュー (2001 年3月 15 日 ))。(ただしフィリピン政 府は 2003 年に非関税障壁に当たるこの外貨獲得義務を撤廃するとしている。フォーイン『2002 アジア自 動車産業』281 ページ。)

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127 日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ―

同じようにトヨタはマレーシアに自動車組立企業の Assembly Service Sdn. Bhn. (ASSB) を もつ(1986 年生産開始、出資比率 39%)。この組立企業とは別に 1990 年に光洋精工との共 同出資によりステアリング・ギアの専業企業 T&K Autoparts Sdn. Bhn. を設立した。出資比率 はトヨタと光洋精工で 90%であり、やはり輸出主導型の企業である。トヨタはタイ、インド ネシア、フィリピンではステアリング・ギアの生産は行わず、これらの諸国の自社系組立企業 で要するステアリング・ギアは T&K から供給を受ける。 これらの関係を図式的にあらわしたのが(図2)である。 BBC スキームに認可されるのは、完成車ブランドの保有者であったので、このような企業 内分業を ASEAN4 において展開しうるのは自動車組立企業であった。加えて、1996 年にはこ の条件が外された AICO(ASEAN Industrial Cooperation) スキーム(最大関税率5%)が発足し、

部品企業も自動車部品について同様な域内貿易を行なえるようになった18 以上のとおり、日本企業の ASEAN 域内分業は ASEAN 諸国の産業組織および自動車産業政 策に影響されつつ形成されてきた ASEAN 地域固有の歴史的な産物である。その意味では、国 際経営のテキストどおりの企業行動の結果であるともいえないし、広域アジアに対する戦略を 図2 トヨタ自動車の部品相互供給体制

出所:Toyota Motors, Automobile Market In Asia and Oceania,1990.

タイ 電機部品 フィリピン トランスミッション トランスミッション ディーゼル ガソリン エンジン (プレス部品) ステアリング トランス ・エンジン (プレス部品) ステアリング ・ギア ミッション (プレス部品) (電機部品) ・ギア トランスミッション (電機部品) マレーシア ステアリング・ギア インドネシア ステアリング・ギア ガソリン・エンジン (電機部品) ガソリン・エンジン (プレス部品) ディーゼルエンジン (プレス部品) (電機部品)

18 ASEAN Secretariat, “Basic Agreement on the ASEAN Industrial Cooperation Scheme” in ASEAN Document

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切り取ったり、薄めたりしたものでもない。むしろ、これまでのところ、日本自動車企業にと って、たとえ同じアジアでも、中国における生産と ASEAN 諸国における生産は連動する要素 が少なかったし、中国戦略と ASEAN 戦略は別個に策定・展開されてきたとみるのが自然であ ろう。ASEAN 諸国間で観察される BBC スキーム型の分業が、域内関税の引き下げを根拠に成 り立っていることからも、中国がこの分業に積極的にからんでくることは現在までのところ考 えにくい。

第3節 競争のフェーズ変化

1.日系自動車企業のアジア生産の特徴  さて、ここまで概括してきた日本自動車企業の中国および ASEAN4 における現地生産につ いて、ここで再整理をしておこう。その際、日本とそれらの諸国、あるいはそれらの諸国間に、 積極的な分業構造が見られたか否か、見られたとすればそれはどのような構造的な特質を有し ているか、という観点から整理することとしよう。  第一に、中国も ASEAN4 も日本からの部品供給により生産を行なう KD 生産からスタート した。その後、国産部品を利用する努力がなされてきた。 第二に、組立される自動車は自国消費分であり、完成品の輸出志向性が低い。典型的な輸入 代替型生産である。 第三に、各国は高関税により完成車輸入を認めてこなかったので、諸国間で車種別棲み分け はおこらなかった。 第四に、自動車組立事業を放棄し、自動車部品専業拠点として自動車製品の国際分業にコミ ットしていくという国はなかった。 第五に、BBC/AICO スキームの発効により、ASEAN 域内で部品相互補完型の分業が形成さ れてきた。  第六に、ASEAN4 と中国の現地生産に関する戦略は別個に策定・展開されてきた。BBC ス キーム、AICO スキームは ASEAN 域内の関税協定であるため、中国がこの部品相互補完型の 分業へ関与する余地は小さい。 2.競争のフェーズ変化 1990 年代に入り、外国企業は成長著しい中国への投資に熱中しはじめた。この対中投資ブ ームは ASEAN 諸国にとってはひとつの危機と映った。なぜなら、いまや中国へと雪崩を打っ て向かうその海外直接投資は、これまで ASEAN 諸国の成長エンジンでありつづけてきたから

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日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ― である。そのさなか、1997 年夏、ASEAN 諸国をアジア通貨危機が襲った。 ASEAN 諸国は、アジア通貨危機からの回復力を外資活用、規制緩和、競争導入に求め、ま た IMF も金融支援の条件として自動車および自動車部品産業の保護政策の撤廃、早期自由 化を要求した。同時に、外資企業の直接投資を呼び戻すために、域内統一市場 AFTA(ASEAN

Free Trade Area) の早期実現が待たれている19。このような二重、三重の衝撃を経て、国内産

業保護を 40 年来基本としてきた ASEAN 自動車産業は、いよいよ完成車に対する輸入関税の 引き下げへと踏み出す。1999 年以降は AICO スキームの運用緩和によって20、また 2002 年 以降は CEPT スキームの利用によって21、域内自動車貿易にかかる関税は5%以下となった。 域内分業との関係でいえば、「BBC/AICO スキーム時代」と「完成車輸入自由化時代」では 分業形成の条件が大きく異なる。なぜならこれまで繰り返し述べてきたように、BBC 型の分 業が ASEAN4 において成立しえたのは、一方で域内自動車部品輸出入を促進しつつも他方で 完成車の輸入については高い関税によってそれを阻害してきたという「自由化と規制」の過 渡的な並列に他ならないからである。ASEAN 諸国において「部品貿易は緩和」、「完成車貿易は 規制」という条件が同時に成立していた時代が終わりつつあるのであるから、自動車産業の戦 略が一新されることはむしろ当然である。その新しい方向とは、例えば、ASEAN4 に均等的に 分散投資を行なう、という従来型の投資・生産計画を中止し、代わって、生産量や部品産業の 集積などを勘案して大型投資をある国へ集中させ、域内の完成車需要にはそこから輸出してい く、という方向である。 しかし日本自動車企業の戦略が、これまで蓄積してきた在 ASEAN の既存資産と切り離され た、まったく新しい方向を示すかどうかは、現時点では判断が難しい。ただ 40 年来の現地生 産からもたらされる歴史的慣性が今後の戦略策定にまったく影響しないということは考えにく い、とはいえるであろう。 その点、既存設備や雇用などからの「しがらみ」がない新規参入者は、日本自動車企業とは 明らかに異なる ASEAN 戦略を展開している。それはフォードや GM といった再参入企業が、 自らのサプライヤーとともにタイに集中投資を行い、ほかの3カ国との間で生産量が分散し ないよう配慮していることにうかがえる。いわば、米国企業は BBC 型の域内部品補完を前提 19 例えば、青木健一編、前掲書、2001 年;苅込俊二「AFTA の進展と日本企業に与える影響」『富士総研論集』 46、2001 年 10 月などを参照されたい。

20 1999 年、2000 年には AICO 登録基準が緩和された。例えば、AICO に申請する企業は、ASEAN 側との合

弁企業で現地側の出資が 30%を超えていなければならなかった。しかし、この2年間はこの出資に関わる 条件が撤廃された。さらに部品の相互補完だけでなく、最終製品の相互補完にも AICO を活用できることと なった(日本経済新聞 2000 年 10 月 30 日)。

21 2002 年からインドネシアが、2003 年からタイとフィリピンが域内製完成車に対する最大関税率5%を実

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とした分散型の生産戦略ではなく、産業集積と規模の経済を利用した地域集中的な生産戦略22 を選択している、といえるのである。 次節以降では、このような米国企業型の ASEAN 戦略が有効性を発揮する可能性を念頭に置 きつつ、日本企業にも新しい分業を目指した動きが見られるのか否か、実証的に検討していこ う。

第4節 日系自動車企業によるアジア分業の変化

1.完成車輸出の開始  ASEAN 自動車産業は輸入代替を基本としてきた。しかしアジア通貨危機による国内市場の 縮小に直面して、自国内需要の外に市場を求める企業が現れてきた23。またフォードと GM が タイにおける生産のそれぞれ 50%、80%を輸出する計画で参入してきた。そのため、ASEAN 製自動車は、1997 年以後一転、輸出比率を 25 ∼ 45%にまで高めた(図3)。 とくに輸出への転換にスムーズであったのはタイ自動車産業である。タイの主力車種である 商用車(1トンピックアップトラック)は、マレーシアの主力の乗用車よりも、インドネシア の主力の AUV よりも、国際競争へ舞台を移すことが比較的に容易であったためである。それ はピックアップトラックの生産国が少数であったことと関係している。ピックアップトラック は、世界中に需要がある一方で、生産国は、米国、日本、タイぐらいしかない。さらに日本に はほとんどこの車種に対する需要がない。そこで、日本企業は 1990 年代後半以降、次々と日 本におけるピックアップトラックの生産をタイへと移管してきた。すでに 1995 ∼ 1996 年に かけて、三菱とマツダが全量をタイへ移管しており、2003 年にはいすゞが移管する。トヨタ は 2004 年に移管予定であり、日産も検討中である。 各社のタイからの輸出状況はこの移管の時期を反映していると思われる(図4)。いすゞや 日産は生産量全体に占める商用車の割合は高いものの、ようやく日本からの生産移管が始まり つつあるところであり、両者にとってタイがピックアップトラックの輸出拠点として本格的に 22 三菱総合研究所の山本肇氏は日米自動車産業の ASEAN 戦略の差異を、「複数拠点間の相互補完」と「ハブ 拠点集中・生産集約化」という表現で特徴付けている。青木健編、前掲書、2001 年、121 ページ、注(2)。 23 この変化はアジア自動車研究者の間ではもはや共通の認識になっているようである。例えば、折橋伸哉「国 内専従拠点から輸出拠点への脱皮」『アジア経営研究』6、2000 年;山浦雄三「アジア通貨危機下のアセア ン自動車産業の発展と競争構造の変化」『立命館経済学』47(6)、1999 年;風間信隆「東アジア自動車産業 の発展と変容」『明大商学論叢』83(3)、2001 年;風間信隆「アジア経済危機と東アジア自動車産業の構造転換」 堀中浩編『グローバリゼーションと東アジア経済』大月書店、2001 年、第4章所収;竹野忠弘「アジア通 貨・経済危機への日系自動車製造企業の対応」『名古屋工業大学紀要』52、2000 年;高安健一・森美奈子「東 アジアの自動車産業の展望と課題」『Japan Research Review』12(2)、2002 年2月。

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日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ― 図3 ASEAN4 と中国の自動車輸出比率 (単位:%) 出所:フォーイン『2002 アジア自動車産業』9ページより筆者作成。原資料は各国自動車工業会。 図4 タイの自動車輸出台数(メーカー別) (単位:万台) 出 所: フ ォ ー イ ン『2002 ア ジ ア 自 動 車 産 業 』227 ペ ー ジ よ り 筆 者 作 成。 原 資 料 は The Thai Automotive Industry Association。

0 5 10 15 20 25 30 35 40 45 50 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 タイ マレーシア インドネシア フィリピン 中国 三菱 GM マツダ フォード トヨタ ホンダ いすゞ 日産 0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年

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機能しはじめるのはこれからであろうと思われる。他方、三菱、マツダ / フォードは、同車種 の日本からの生産移管の時期が早かった上に、もともと生産車種をほとんど商用車に集中させ てきた。これを反映して、輸出も伸ばしている。 2.車種別棲み分け形成 ASEAN4 の各国は輸入自動車に対して、高関税をかけてきていたため、A 国はピックアップ トラックを専門に生産し、周辺国へも供給していく、かわりに B 国は乗用車を専門に生産し A 国ほか、周辺国へ輸出する、といった車種別の棲み分けは形成されてこなかった。  しかし、完成車貿易の自由化を受けて、ASEAN 諸国においては得意とする車種へと生産品 目を集中させる事例が現れはじめている。そうした車種別の棲み分けは、生産量を確保しスケ ールメリットを享受するために有効な生産計画であろう。そのような努力を通じて、中国製品 に対する関税引き下げが実施される 2010 年までの間に、中国製自動車との競争に対する耐性 をつけ、逆に中国市場へ輸出できる競争力をつけるという目標のもと推進されている方向であ ると考えられる。  そのような例を列挙してみよう。まず、日系自動車企業の事例である。ホンダはインドネ シアとフィリピンにおける乗用車「シティ」の生産を中止し、タイからの供給に切り替えて いる24。またインドネシア製ミニバン「ストリーム」をタイへ輸出し、タイ製「アコード」を インドネシアへ輸出する。この「ストリーム」と「アコード」の相互補完のために、ホンダは AICO 認可を取得している25。また日産は「サニー」「セフィーロ」「セントラ」およびピック アップトラックをタイからインドネシアへ輸出開始した26。三菱は「ランサー」をタイからイ ンドネシアとフィリピンへ輸出する。これに伴いフィリピンでの「ランサー」の生産が中止さ れる27 欧米企業では、フォードが 2003 年からフィリピンを乗用車生産拠点に、タイを1トンピッ クアップトラック生産拠点に定め、それぞれ域内輸出を行う28。フォードはフィリピンからタ イへの乗用車輸出については AICO を利用する。BMW も生産拠点としてタイを選択し、最高 級モデル「7シリーズ」を生産し、ここからインドネシアへ輸出する方針である29 このような生産配置変更により、はやくも勢力分布が一部流動化している。例えば域内で生 産された自動車がインドネシアに流入し、ダイハツの同国におけるシェアは2位から5位に後 24 日経産業新聞 2003 年2月7日。 25 日本工業新聞 2002 年8月 14 日。 26 日本工業新聞 2002 年3月 25 日;日経産業新聞 2002 年4月 26 日。 27 日刊工業新聞 2002 年3月 25 日。 28 日経産業新聞 2002 年 10 月 23 日。 29 日本工業新聞 2002 年8月 14 日;日経産業新聞 2002 年7月 30 日。

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日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ― 退した30 3.同一資本内別アイテムの交換  上述のとおり、BBC/AICO スキームに基礎づけられた ASEAN 諸国の自動車部品貿易は、 ASEAN4 の2カ国間で異なるアイテムを交換するという相互補完型になっている。この姿をも っとも図式的に表現するならば、相手国からなんらかのアイテムを輸入する際、自国から提供 できるアイテムがなければならない。これを反映して、これらのスキームを利用することを前 提に日系の自動車企業や一部の自動車部品企業は、ASEAN4 に、基幹的な自動車部品を別々に 分担させる計画を実施してきた。各種報道などからまとめたその分担計画は表3のようになっ ている。  ある生産品目について担当国をどこにするかという決定には、各国が 1990 年代まで実施し てきた国産化規制が影響している。例えば、ディーゼルエンジンは、とくにタイにおいて国産 化要求の厳しかった部品である。同様に、インドネシア政府はガソリン・エンジンの国産化に 積極的であった。しかし当時のトヨタ・モーター・マネジメント・サービス・シンガポールの社長 が「域内のバランスを考えて、まず投資額の大きいものをちりばめた」とコメントしているよ うに31、その決定過程は、地場の部品集積やコストなどを背景にボトムアップに決まってきた というよりは、むしろ同程度の付加価値の基幹部品をトップダウンに振り分けたという側面が 強いように思われる。先に述べたように、域内で部品を交易する場合、スキームによって収支 を均衡させることが企業に要請されてきたという点も大きい。 このようにトップダウンに決定されてきたとしても、これまでの生産活動を通じて、各担当 国は生産分担品目の競争力を向上させてきている可能性がある。この点に関し、各企業の担当 国の選択パターンが収斂している例を見出すことができる。例えば、トヨタ、三菱、日産がマ レーシアをステアリング関連の拠点として選択し、トヨタ、三菱、ホンダ、いすゞがフィリピ ンをトランスミッション関連の拠点として選択している。このように、いくつかの完成車企業 の専門工場が特定の一国に集中することによって、その国に関連部品の集積が進んでいく可能 性がある。トランスミッション用の鍛造を行なう愛知製鋼が、これら納入先の存在を前提に、 1995 年フィリピンへ進出したことからも、その方向性を確認できるであろう。 しかし、他方で、国産化規制が撤廃され32、域内貿易が自由化の方向にある現在、部品調達の 決定要因がコストや為替レート水準を利用する方向へ向かうことはありうるシナリオである。 30 日本工業新聞 2003 年8月8日。 31 日経産業新聞 1995 年2月 23 日。 32 1999 年、インドネシアが部品国産化率による部品輸入関税インセンティヴ制度撤廃、2000 年、タイが部 品の国産化規制を撤廃、2002 年、マレーシアが現地調達義務部品の一部を除外し、実質的に国産化規制を 撤廃、2003 年、フィリピンが部品の国産化規制を撤廃した(フォーイン『2002 アジア自動車産業』)。

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これにより、これまでに決定されてきた均整のとれた生産分担が崩れ、例えば部品産業の集積 が相対的にすすんでいるタイが、より多くの品目の生産を担うようになる可能性がある。  このように、これまでに形成されてきた均整のとれた生産分担計画とそれに基づく相互補 完型の域内分業は、競争力を反映するほどに定着してきているのか、あるいは貿易自由化を 背景に変化してきているのか。この問題は検証されるべきひとつの重要な課題となりうるので ある。そこで次節では、この問題に焦点をあてるために実際の貿易通関統計を利用して、相互 貿易連関に関するデータを作成しそれに基づき分析をすすめる。その際、「ASEAN4 の諸国間」 だけでなく「ASEAN4 −中国」「日本−日本以外のアジア諸国」という視角も導入することに したい。  次節における分析では、表3で示した生産分担表に散見される①ディーゼルエンジン、②ス テアリング、③ガソリン・エンジン、④トランスミッション(ギアボックス)、⑤車体部品、 ⑥スターターを分析対象品目とした。またこれら「相互補完」型分業から相対的に独立して いる⑦カーステレオとカーラジオも取り上げた。その意図は、カーオーディオは一種のグロー バル製品として位置づけうると考えたからである。すなわちこれらの製品は、電源や電圧など が使用地によって異なるということがないため、生産立地を選ばない。このような製品特性に よってカーオーディオは当初から輸出主導型製品としてアジアに生産移管されてきた。この点 で、カーオーディオのアジア間貿易実績は、自動車部品のそれよりはエレクトロニクス製品の 海外展開に近い性格を反映していると推察される。このことから自動車部品の貿易構造を相対 化する有意義なサンプルとなりうる可能性があるといえよう。

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日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ― 表3 日系自動車・自動車部品企業による部品の集中生産のための分担   タイ マレーシア インドネシア フィリピン 中国 ベトナム ト ヨ タ 車 体 部 品、 樹 脂 部品、ゴム部品、 ランプ部品 マ ニ ュ ア ル ス テ アリング・ギア 5 K エ ン ジ ン ブロック A U V 用 プ レ ス部品 5Aエンジン   2 リットル エ ン ジ ン、 5 リットル エ ン ジ ン 部 品 パ ワ ー ス テ ア リ ング・ギア 7Kエンジン サイドメンバー 等速ジョイント   カ ム 粗 材、 ブ ロ ック粗材 サ ス ペ ン シ ョ ンボ ー ル ジ ョ イ ン ト A U V 用 C K D 部品 マ ニ ュ ア ル ト ランスミッション 鍛造粗形材         等速ジョイント           変 速 機 ケ ー ス 用 アルミ粗材     三 菱 エ ン ジ ン・ エ ン ジン部品 ギア ブレーキ ト ラ ン ス ミ ッ ション プレス部品     パワステ プレス部品 軸プレス部品         燃料タンク ロッカーカバー           マニフォールド     日 産 ツールセット プレス加工部品 メーター プレス加工部品     高圧ケーブル サ ポ ー ト ス プ リ ン グ サ ス ペ ン ダ ー   ベンチレーター     プレス加工部品 ス テ ア リ ン グ・ ギア   ペ ダ ル ウ ェ イ スト     イ ン テ リ ア ト リ ム       リ ア コ ン ビ ネ ー ションランブ       カムシャフト       ウ ォ ー タ ー ポ ン プ       オイルポンプ       ラジエーター       ホ ン ダ プ ラ ス チ ッ ク 部 品 プ ラ ス チ ッ ク 部品 エンジン部品 鋳造部品       等速ジョイント オ ー ト マ チ ッ ク ト ラ ン ス ミ ッ シ ョン マ ニ ュ ア ル ト ラ ンスミッション         無段変速機       い す ゞ デ ィ ー ゼ ル エ ン ジン   ブレーキ部品 マ ニ ュ ア ル ト ランスミッション     プレス加工部品       エンジン部品       デ ン ソ � M S エ バ ポ レ ー タ MFコンデンサ コンプレッサ メーター   エアフロメータ ス タ ー タ、 オ ル タネータ エンジンECU スパークプラグ 燃料ポンプ   SCV ア ク チ ュ エーター デ ィ ー ゼ ル エ ン ジ ン 用 コ モ ン レ ー ル 式 噴 射 ポ ン プ リレー ISCV     デ ィ ー ゼ ル エ ン ジン用機能部品   フラッシャー O2センサー         A/ Cアンプ         出所:フォーイン『2002 アジア自動車産業』、フォーイン『1999 アジア自動車産業』、日刊工業新聞 2002 年 7月 11 日およびインタビューにより筆者作成。

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第5節 貿易統計からみる日系自動車産業のアジア分業

1.ASEAN 4の域内における自動車部品貿易 (1) ギアボックス 表 4 によるとフィリピンからタイ、マレーシア、インドネシアへのギアボックスの輸出は 増加傾向にある。とくにフィリピンからタイへの輸出は金額規模で群を抜いており(2002 年 実績 8335 万ドル)、マレーシア向け輸出(同 744 万ドル)のおよそ 11 倍、インドネシア向 け輸出(同 1217 万ドル)のおよそ7倍の規模となっている。逆にタイ、マレーシア、インド ネシアには目立った輸出実績がない。このことから、フィリピンは ASEAN4 内でギアボック スの生産拠点としての地位を固めていると評価して差し支えないであろう。 域外への輸出として、フィリピンはインドネシア向け輸出とほぼ同規模の日本向け輸出を行 なっている。しかし、対日輸出で実績のあるフィリピンでさえ、日本からのギアボックスの輸 入は継続しており、しかも入超である。フィリピンから日本へのギアボックスの輸出は 2002 年で 1156 万ドルであったのに対して、日本からフィリピンへの輸出は同 2928 万ドルであっ た。フィリピンと日本のギアボックスをめぐる貿易特化係数33を日本側から示すと 0.434(こ の数字がプラスならば日本の輸出超過)である34。同様に他の3カ国にとって日本は重要なギ アボックスの供給元である。 (2) ステアリング ステアリングの ASEAN4 における主要な供給元は、表3に示された生産分担計画によると マレーシアになるであろうと推察される。しかし、表5により域内供給をみると、マレーシア だけでなく、タイも重要な生産拠点となっているようである。 ステアリングを輸入する立場からみると供給元は一極に集中しておらず、タイ、マレーシア、 日本から輸入しており、そのウエイトもどこかの国へ極端に偏っているということはないよう である。ステアリングに関してはこれら3カ国が競合関係にあるか、あるいはステアリングの 中の付加価値の異なるグレードや部分品によって棲み分けているのかもしれない。すなわち、 2002 年実績で [ マレーシア→タイ ]:[ 日本→タイ ] = 579 万ドル:1174 万ドル≒1:2であり、 33 (輸出−輸入)/(輸出+輸入)によって示され− 1.0 から+ 1.0 までの値をとる。この数字がマイナスなら ば日本の輸入超過、プラスならば輸出超過であり、+ 1.0 の場合にはこの2国間貿易において当該品目の 輸入は0(相手国に対してまったく輸入依存していない)であることを示す。 34 この数字は、フィリピンの対日輸出額(これを日本の対フィリピン輸入額とみなし)と日本の対フィリピン 輸出額で算出した。各国の通関統計は若干ズレが認められる。例えば日本の通関統計によれば、日本の「ギ アボックス」の対フィリピン輸入額は 51.9 万ドルである。おなじ計算を日本の通関統計に基づき日本の対 フィリピン輸入額と日本の対フィリピン輸出額で行なった場合、2003 年の貿易特化係数は 0.97 である。

(23)

日本自動車産業のアジア戦略 ― 国際分業パターンの特質と 1998 年以降の状況変化 ― 表4  ギアボックス(HS870840)の各国間貿易 (単位:100 万ドル)   輸出先 年 タイ マレーシア インドネシア フィリピン 中国 日本 輸出主体   タイ 1998   0.03 0 0.003 0 0.06 1999   0.01 0.0004 0.002 0 0.08 2000   0.04 0 0 0 0.54 2001   0.01 0.01 0.0002 0.003 0.60 2002   0.01 0.02 0 0.001 0.48 マレーシア 1998 0.11   0.003 0.10 0 0.03 1999 0.45   0.01 0.28 0 0.01 2000 1.22   0.09 0.25 0.09 0.03 2001 0.47   0.08 0.23 0.02 0.00 2002 0.25   0.02 0.30 0 0.17 インドネシア 1998 0 0   0 0 0 1999 0 0   0 0 0 2000 0 0.08   0.0001 0 0.001 2001 0.04 0   0.10 0 0.07 2002 0.02 0.04   0.08 0 0.36 フィリピン 1998 30.17 2.74 1.44   0 8.39 1999 58.76 6.98 6.82   0 15.26 2000 77.48 9.98 19.10   0 10.37 2001 66.44 6.35 12.12   0 8.69 2002 83.35 7.44 12.17   0 11.56 中国 1998 0.10 0.14 0.01 0   0.04 1999 0.0002 0.001 0.13 0   0.44 2000 0.0001 0.02 0.25 0.03   0.50 2001 0.003 0.01 0.27 0.05   1.76 2002 0.02 0.01 0.31 0.02   4.84 日本 1998 41.41 5.59 3.77 25.76 25.87   1999 104.35 22.70 9.10 26.61 19.86   2000 136.55 45.18 39.56 29.74 67.81   2001 147.10 64.54 24.45 24.59 127.56   2002 254.49 106.20 20.97 29.28 104.62  

出所:World Trade Atlas(Source of Data: Thai Customs Department、Department of Statistics Malaysia、Statistics Indonesia、 Philippines National Statistics Office、China Customs、Japan Customs) により筆者作成。

表5 ハンドル、ステアリングコラム並びにステアリングボックス(HS870894)の各国間貿易 (単位:100 万ドル)   輸出先 タイ マレーシア インドネシア フィリピン 中国 日本 輸出主体   タイ 1998   0.28 0.28 0.40 0.0001 3.81 1999   1.23 0.57 1.43 0.00005 4.55 2000   2.53 2.87 1.92 0 4.07 2001   3.06 2.75 1.17 0.002 2.80 2002   3.41 2.82 0.72 0.14 2.74 マレーシア 1998 0.68   0.21 0.57 0.01 0.07 1999 2.95   1.94 1.22 0 0.01 2000 2.73   8.46 2.27 0.03 0.11 2001 1.35   7.05 3.64 0.03 0.30 2002 5.79   8.36 3.61 1.52 0.51 インドネシア 1998 0 0.09   0 0 0.31 1999 0 0.03   0.01 0 3.29 2000 0.21 0.50   0.26 0.42 5.55 2001 0.36 0.46   0.19 0 4.55 2002 0.63 0.31   0.05 0 6.88 フィリピン 1998 0 0 0   0 3.89 1999 0 0 0   0 7.58 2000 0 0.0002 0.01   0 9.27 2001 0 0 0.02   0 5.53 2002 0 0.02 0.03   0 6.29 中国 1998 0.01 0 0.07 0.02   0.12 1999 0.11 0.08 0.44 0   0.52 2000 0.09 0.08 1.83 0.09   1.19 2001 0.05 0.16 1.64 0.09   0.53 2002 0.04 0.39 1.33 0.14   0.39 日本 1998 3.88 3.89 2.53 1.24 12.37   1999 5.27 6.31 6.46 2.37 18.03   2000 6.72 5.16 27.13 3.23 21.74   2001 6.96 4.14 23.69 4.19 26.29   2002 11.74 3.25 18.33 5.54 28.44   出所:表4に同じ。

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