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Title

カッシーラーにおける文化哲学としての哲学的人間学の理念

: シェーラーの人間学との比較的視点から

Author(s)

齊藤, 伸

Citation 聖学院大学総合研究所紀要, No.58, 2014.11 : 273-300

URL

http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/de

tail.php?item_id=5320

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聖学院学術情報発信システム : SERVE

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カッシーラーにおける文化哲学としての哲学的人間学の理念

シェーラーの人間学との比較的視点から

齊 

藤  

はじめに

本稿の目的とカッシーラーの人間学

ヘ ル ダ ー の 人 間 学   本 稿 の 主 な 関 心 は、 ﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄︵ 一 九 二 三 ︱ 二 九 ︶ の 著 者 と し て 知 ら れ る エ ル ン ス ト・ カ ッ シ ー ラ ー︵ Er nst Cassir er , 1874 ︱ 1945 ︶ 後 期 の 著 作 や 遺 稿 を 基 に し て、 彼 の﹁ 哲 学 的 人 間 学 ﹂ に 関 す る 基 本 思 想 を 明 ら か に す る こ と で あ る。 か つ て ヨ ハ ン・ ゴ ッ ト フ リ ー ト・ ヘ ル ダ ー︵ Johann Gottfried Her der , 1744 ︱ 1803 ︶ は ﹃ 言 語 起 源 論 ﹄︵ 一 七 七 二 ︶ に お い て、 人 間 を﹁ 言 語 の 生 物 ﹂︵ Geschöpf der Sprache ︶ と 呼 ん だ 1 。 ヘ ル ダ ー は 人 間 が 人 間であるためには言語と理性が不可欠であるとして、次のように述べた。すなわち、 ﹁言語なしに人間は理性をもたず、 理性なしには言語をもたない。言語と理性なしには彼は神の教示を受けることができず、神の教示がなければ彼は理性 も言語ももたない 2 ﹂と。それゆえヘルダーにとって言語は、人間自身のうちに最初から備わっていなければならないと された。このように彼が言語を神学的、あるいは形而上学的な対象としてではなく、むしろ人間学的な対象として扱っ た点に彼の大きな功績がある。本稿の主たる関心であるカッシーラーは、彼自身の探求を最初にカントの哲学から出発

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させてはいるが、それはヘルダーの言語哲学の﹁人間学的な問題設定﹂というこの手法を採用することによっていっそ う発展させたのであった。したがって彼の主著である﹃シンボル形式の哲学﹄はその手法からして、ヘルダー的な意味 に お け る﹁ 人 間 学 的 な ﹂ 研 究 で あ る と 言 う こ と が で き る。 し か し な が ら 彼 の 哲 学 は、 そ れ が 後 に 現 代 の 0 0 0 ﹁ 哲 学 的 人 間 学 ﹂︵ philosophische Anthr opologie ︶ と の 遭 遇 に よ っ て、 さ ら に 大 き く 影 響 を 受 け る こ と に な る。 本 稿 が 主 眼 を 置 く の はまさにこの﹁遭遇﹂以降の彼の思想である。 シ ェ ー ラ ー の 人 間 学   現 代 の﹁ 哲 学 的 人 間 学 ﹂ を 創 始 し た の は、 カ ッ シ ー ラ ー と 同 じ 年 に 生 を 受 け た マ ッ ク ス・ シ ェ ー ラ ー ︵ Max Scheler , 1874 ︱ 1928 ︶ で あ っ た。 彼 は 一 九 一 八 年 に﹁ 人 間 の 理 念 に 寄 せ て ﹂︵ Zur Idee des Menschen ︶ に お い て そ の 構 想 を 示 し、 一 九 二 八 年 に 上 梓 さ れ た﹃ 宇 宙 に お け る 人 間 の 地 位 ﹄︵ Die Stellung des Menschen , 以 下﹃ 人 間の地位﹄と略記する︶においてその大綱が示された。またそれと同じ年に、シェーラーの著作ほどただちに大きな反 響 を 呼 ん だ わ け で は な い が、 ケ ル ン 大 学 で 彼 の 同 僚 で あ っ た ヘ ル ム ー ト・ プ レ ス ナ ー︵ Helmuth Plessner , 1892 ︱ 1985 ︶ も ま た、 ﹁ 脱 中 心 性 ﹂︵ Exzentrizität ︶ の 概 念 を 中 核 と し て 論 じ た﹃ 有 機 体 の 諸 段 階 と 人 間 ︱ ︱ 哲 学 的 人 間 学 入 門 ﹄︵ Die Stufen des Or ganischen und der Mensch ︶を著した 3 。それゆえこの年は、名実ともにドイツの思想界において人間学が大 きく採り上げられた年であり、これ以降、現代の学問的状況に即してそれにふさわしい﹁哲学的人間学﹂の必要性が一 般に認められるようになる。本稿は、いわば現代の哲学的人間学のランドマークであるこの一九二八年以降の思想的展 開に着目し、とりわけ一九二九年に主著の第三巻を完成させたカッシーラーが、それに対していかなる関係性をもつの かが、ここでの中心的な問いとなる。 カ ッ シ ー ラ ー の 人 間 学   シ ェ ー ラ ー 以 降 の 哲 学 的 人 間 学 は、 ア ル ノ ル ト・ ゲ ー レ ン︵ Ar nold Gehlen, 1904 ︱ 1976 ︶

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の よ う に 生 物 学 的 な 手 法 を 用 い て そ れ を 推 し 進 め よ う と す る 傾 向 が そ の 本 流 で あ る と 一 般 に 認 め ら れ て い る 4 。 と こ ろ が カ ン ト 哲 学 か ら 出 発 し た カ ッ シ ー ラ ー は、 シ ェ ー ラ ー の 哲 学 的 人 間 学 を そ れ と は 異 な る 方 向 へ、 つ ま り﹁ 人 文 科 学 ﹂ ︵ Kultur wissenschaft ︶ あ る い は 晩 年 の 彼 の 言 葉 で は﹁ 人 間 文 化 の 哲 学 ﹂︵ philosophy of human cultur e ︶ と し て そ れ を 発 展させており、それにもう一つの可能性を与えている。後に詳述することになるが、彼は人間性の﹁本質﹂といったも のがあるとすれば、それは決して実体的な統一としてではなく、機能的な 0 0 0 0 統一としての人間の仕事、つまりそれぞれの 文化現象のうちにのみそれが現れると理解する。それゆえ、 ﹁文化を哲学すること﹂がすなわち彼の人間学となる 5 。 本稿では第一にシェーラーによる﹃人間の地位﹄での問題設定を明確にすることから出発して、それがカッシーラー によっていかに発展させられているのかを明らかにしようとする。そしてカッシーラーにとっての哲学的人間学とはい かなるもので、いかなる思想的価値を有するのかが第二の問いとなる。これらの問いは単に思想史的な探求に留まるも のではなく、現代における哲学的人間学そのものの意義をも再考する契機にもなるであろう。

.シェーラーと現代の哲学的人間学

統一した人間観の要請としての人間学    カッシーラーの人間学について考察を始めるまえに、現代の哲学的人間学 の創始者であるシェーラーの問題意識について触れておきたい。シェーラーは晩年の﹁哲学的世界観﹂という論文にお いて、彼が言うところの﹁哲学的人間学﹂とは何であるかを次のように言明している。 哲学的人間学とは、人間の本質と本質構造 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 に関する基礎学をさしているのであり、具体的には、自然の諸領

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域︵無機物、植物、動物︶と一切の事物の根拠とに対する人間の関係、人間の形而上学的な本質起源や世界 における彼の身体的・心的・精神的な始原、人間を動かすあるいは人間が動かす諸力や権力、人間の生物学 的・心的・精神史的・社会的発展やその発展の本質可能性および現実性の基本方向と基本法則を考究する基 礎学のことである 6 。︵本稿の引用文内での傍点はすべて原文による︶ ここで言われているように、彼にとっての哲学的人間学は特定の学問領域に限定して人間の探求を行うといったもの で は な く、 む し ろ 様 々 な 方 面 か ら 包 括 的 に 行 う こ と が 要 求 さ れ て い る。 そ し て 彼 は﹃ 人 間 の 地 位 ﹄ に お い て、 ﹁ こ れ ま で人間が歴史のどの時代においても現代におけるほどに問題的 0 0 0 となったことは、かつてなかった 7 ﹂と述べている。カッ シーラーによると、シェーラーのこの表現には或る程度の誇張が含まれていると言わざるを得ないが、彼の問題意識に おける最たる鋭さは次の点に、すなわち彼が自分自身の時代状況と、かつての時代状況をはっきりと区別し、現代には 現代にふさわしい手法に従った人間学の必要性を説いた点にあると言えるだろう 8 。 人 間 学 の 類 型   と こ ろ で、 こ れ ま で﹁ 人 間 に つ い て の 学 ﹂︵ Anthr opologie ︶ は、 大 き く 分 け て 次 の 三 つ の 異 な る 分 野を中心に発展してきた 9 。すなわち、 自然人類学、 文化人類学、 そして哲学的人間学である。 ﹃人間の地位﹄でのシェー ラーの意図は、これらのうちでもっとも古くから、つまり古代ギリシアの時代から存在した哲学的人間学を、一つの新 し い 学 問 と し て 問 い 直 す こ と で あ っ た。 既 に よ く 知 ら れ て い る よ う に、 ﹃ 人 間 の 地 位 ﹄ は シ ェ ー ラ ー の 急 逝 に よ っ て 未 刊に終わったそれに続く大著の主要な論点がまとめられたものに過ぎないが、そこから私たちはシェーラーが﹁哲学的 人 間 学 ﹂ と い う 古 く も 新 し い 学 問 の 構 想 に よ っ て 何 を 意 図 し て い た の か を 大 ま か に 知 る こ と は 可 能 で あ る。 ﹁ 哲 学 的 人 間学﹂はその名が示しているとおり、人間とは何かを哲学的に明らかにしようとする学問であるが、シェーラーの目的

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は﹁植物ならびに動物に対する関係における人間の本質および人間の形而上学的特殊地位 10 ﹂の解明であった。つまり彼 は植物や動物に関する自然科学的な事実を援用しながら、人間のみに固有な領域を解明することによって、上述した三 つの﹁人間についての学﹂を横断する統一的な視点を設定しようと意図していたのである。 また、シェーラーは簡略な歴史的な考察によって、ヨーロッパにおける伝統的な﹁人間観﹂を次の三つに分類して理 解 し て い る。 す な わ ち、 1. ダ ム と イ ヴ。 つ ま り 創 造・ 楽 園・ 堕 落 に 集 約 さ れ る ユ ダ ヤ・ キ リ ス ト 教 的 人 間 観。 2. 人間の自己意識、ロゴス︵理性︶によって人間の特殊地位の概念に到達しようとするギリシア的・古代的人間観。そし て 3. 人 間 を 自 然 界 に お け る 最 終 的 な 進 化 形 態 と 見 な す 近 代 科 学 お よ び 発 生 的 心 理 学 の 人 間 観 で あ る。 こ れ ら の 人 間 観 の 下 で 成 立 す る そ れ ぞ れ の﹁ 人 間 学 ﹂ は、 人 間 に 関 し て お 互 い に な ん ら 統 一 的 な 見 解 を も た な い の で 11 、﹁ わ れ わ れ は 相 互に関係しあうことのない自然科学的人間学、哲学的人間学、神学的人間学を所有してはいる。しかしわれわれは人間 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 に 関 す る 統 一 的 理 念 を 所 有 し て は い な い 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ﹂ 12 と 彼 は 指 摘 し て い る。 ﹁ 人 間 ﹂ を 探 求 す る 特 殊 科 学 も ま た 次 第 に そ の 数 を 増 やしてはいるものの、それらは相互に繋がりをもたないため、人間の本質を解明するどころか、むしろそれをいっそう 理 解 し 難 い も の に さ せ て い る。 カ ッ シ ー ラ ー も ま た、 シ ェ ー ラ ー が 指 摘 す る こ の よ う な 人 間 学 の 現 状 理 解 に 同 調 し て、 そ れ を﹁ 知 的 中 心 ﹂︵ intellectual center ︶ を 失 っ た﹁ 思 想 的 無 政 府 状 態 ﹂ に あ る と 言 う 13 。 し た が っ て シ ェ ー ラ ー 自 身 の 人間学が意図するところは、こうしたまとまりのない人間観を統一すること、つまり﹁人間についての学﹂に知的中心 を与えることであった。この意味において、シェーラーとカッシーラーは現代の 0 0 0 人間学が進むべき方向性に関する考え 方 で は 一 致 し て い る。 続 く 考 察 で は シ ェ ー ラ ー の 哲 学 的 人 間 学 に お い て、 ﹁ 人 間 ﹂ と は い か な る 存 在 と し て 理 解 さ れ て いるのかを明らかにしたい。

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「人間」の多義性とシェーラー人間学の対象    シェーラーは第一に、 ﹁人間﹂を二つの異なる概念に、すなわち﹁自 然 科 学 的 概 念 ﹂ と﹁ 本 質 概 念 ﹂︵ W esensbegrif f ︶ と に 区 別 す る こ と か ら 出 発 す る。 彼 に よ る と 自 然 科 学 的 な 概 念 に お け る 人 間 は﹁ 脊 椎・ 哺 乳 動 物 系 列 の 頂 点 ﹂ で あ る。 そ の な か で の﹁ 人 間 ﹂ は、 ﹁ 動 物 ﹂ と い う 概 念 に 包 摂 さ れ て い て、 動 物の一種に過ぎない。しかしながらそれに対して本質概念におけるそれは、人間以外のすべての生物と決定的に対立す る存在として理解されていて、この第二の概念によれば、人間とチンパンジーの差異は、人間と滴虫類の差異となんら 変わりがない。つまりシェーラーは、本質概念からすればたとえどれほど形態学的、生理学的、心理学的な近接性が人 間とチンパンジーの間に認められるとしても、それは人間と滴虫類が隔てられているのと同程度に隔てられているとい う の で あ る。 こ の よ う に シ ェ ー ラ ー は、 ﹁ 人 間 ﹂ と い う 概 念 を 決 然 と 区 別 し た う え で、 彼 の 人 間 学 が 探 求 す べ き 対 象 を 次のように設定する。 いうまでもなく﹁人間﹂のこの第二の概念は、第一のそれとはまったく異なる意味と起源を有するに違いな い。私はこの第二の概念を、第一の自然科学的概念と対立させて人間の本質概念 0 0 0 0 0 0 0 と名づけよう思う。生物種 族 の 他 の ど の よ う な 特 殊 地 位 と も 比 較 で き な い 一 つ の 特 殊 地 位 0 0 0 0 ︵ Sonderstellung ︶ を 人 間 そ れ 自 身 に 与 え る こうした第二の概念が、一般に正当なものである 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 かどうか、このことがわれわれの主題である 14 。 こうしてシェーラーの人間学は人間と動物の間に﹁本質的な区別﹂を設定し、その根拠を求める学となる。しかしそ の際に彼は、人間と動物の知能における質的な差異を必要以上に強調しすぎることによって他の動物に知的能力を認め ないような手法や、ダーウィニズムに代表される人間と動物の間での究極的差異を否定するような、極端にどちらか一

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方 へ 傾 倒 し た 手 法 の 両 方 を 退 け て い る。 な ぜ な ら 彼 に よ る と、 ﹁ 人 間 の︿ 特 殊 地 位 ﹀ と 称 し う る も の は、 知 能 や 選 択 能 力を超えた高所に位置している 15 ﹂からである。そこで次に、ここで彼が﹁高所に位置する﹂と言う人間の特殊地位とは 何かを明らかにしたい。 「精神」と「世界解放性」    人間の特殊な地位が何によって保証されているのかという問いは古くから存在した。た と え ば 古 代 ギ リ シ ア に お い て そ れ は﹁ 理 性 ﹂︵ ロ ゴ ス ︶ の 概 念 で あ っ た。 人 間 を 理 性 に よ っ て 特 徴 づ け よ う と す る 傾 向 は 長 ら く 一 般 的 で あ っ た よ う に 思 わ れ る。 シ ェ ー ラ ー も ま た、 理 性 が 人 間 に 固 有 な 機 能 で あ る こ と は 認 め つ つ も、 彼 は 理 性 を も 包 含 す る さ ら に 大 き な 概 念 に よ っ て 人 間 の 特 殊 地 位 を 説 明 し よ う と す る。 す な わ ち そ の 概 念 こ そ が﹁ 精 神 ﹂ ︵ Geist ︶ で あ る。 ﹃ 人 間 の 地 位 ﹄ に お け る シ ェ ー ラ ー の 主 張 に よ れ ば、 単 に 技 術 的 な 観 点 か ら 見 る な ら ば、 賢 い チ ン パ ンジーと、技術家としてのエジソンの間には程度の相違があるに過ぎない 16 。しかしながら﹁精神﹂をもつ存在である人 間は、動物とは本質的に異なる存在であり、次のように特徴づけられる。 精神的な存在者の根本的規定とは、たとえこの存在者が心理学的にどのような性質であるにしても、有機的 0 0 0 な も の か ら の 彼 の 実 存 の 面 で の 解 放 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 で あ り、 ﹁ 生 ﹂ と 生 に 属 す る す べ て の も の ︱ ︱ し た が っ て ま た お の れ の 衝動に基づく﹁知能﹂ ︱ ︱ 桎 梏や抑圧や依存から彼が、 ないしは少なくとも彼の現存在の中心が自由になり、 解放されることである 17 。 こ の よ う に シ ェ ー ラ ー の 人 間 学 に お い て は、 人 間 は 有 機 的 な 世 界 と は 一 線 を 画 す 存 在 と し て 理 解 さ れ て お り、 環 境 ︵ Umwelt ︶ に 埋 没 し て﹁ 我 を 忘 れ て ﹂ 生 き る 他 の す べ て の 動 物 に 対 立 し て い る。 人 間 は 衝 動 や 環 境 に 束 縛 さ れ な い た め

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に、 環境から自由であり、 彼の有名な概念によって表現すれば﹁世界解放的﹂ ︵ weltof fen ︶である。そのため彼は、 ﹁人 0 間とは 0 0 0 、無制限に 0 0 0 0 ︿世界解放的 0 0 0 0 0 ﹀に行動し得るところの 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 Xである 0 0 0 ﹂ 18 と言う。 しかしこの﹁世界解放的﹂という言葉は、単純に人間自身が世界に対して開かれている 0 0 0 0 0 0 という事態だけを意味してい る の で は な い こ と に 留 意 が 必 要 で あ る。 こ の 人 間 に 独 特 な あ り 方 は、 他 の 動 物 と は 異 な り 環 境︵ Umwelt ︶ に 埋 没 す る ことなく、それを超えた次元においてそれを対象化する。そのため金子晴勇によると、シェーラーの言う世界解放的な 人 間 は、 ﹁ 自 己 意 識 の み な ら ず、 自 己 の 身 体 的・ 心 的 性 質 を も 対 象 的 に 把 握 す る こ と が で き ︱ ︱ そ れ ゆ え 人 間 は 世 界 を 超 越 し た と こ ろ に 自 己 の 作 用 中 枢 を も ち、 一 切 の 行 動 に 作 用 統 一 を 与 え る 19 ﹂。 こ の 精 神 の 中 枢 と な る 作 用 が﹁ 人 格 ﹂ で あり、シェーラー中期の思想において醸成されたものである。精神における人格の議論はシェーラーの人間学を考察す る う え で 重 要 な 位 置 を 占 め る も の で は あ る も の の、 そ れ を 詳 細 に 論 じ る 余 裕 は な い の で こ こ ま で 概 観 し て き た シ ェ ー ラーの人間学が、本稿の主な関心であるカッシーラーの人間学といかなる関係にあるのかに眼を転じたい。

.カッシーラーと哲学的人間学

晩 年 の 著 作『 人 間 』 と 哲 学 的 人 間 学   カ ッ シ ー ラ ー は シ ェ ー ラ ー の﹃ 人 間 の 地 位 ﹄ に よ る 問 題 提 起 を 受 け て、 そ の 翌 年 に ハ イ デ ガ ー︵ Mar tin Heidegger , 1889 ︱ 1976 ︶ と の 有 名 な﹁ ダ ヴ ォ ス 討 論 ﹂ に 臨 み、 一 連 の セ ミ ナ ー に お い て シェーラーに対する自らの考えを表明している。その講演内容は最初に﹁シェーラーの哲学における精神と生命﹂とい う 題 で そ の 要 旨 が 発 表 さ れ、 後 に 完 全 な 論 文 と し て は﹁ 現 代 哲 学 に お け る︿ 精 神 ﹀ と︿ 生 命 ﹀﹂ と し て 公 に さ れ た 20 。 そ のなかで彼はシェーラーの主張が有意義であることを認めつつも、それが極端な心身の二元論に陥っていることを指摘 0 0

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し て い る。 そ こ で 彼 は そ う し た シ ェ ー ラ ー の 二 元 論 を 超 克 す べ く 試 み て い て、 た と え 人 間 の 精 神 と 生 命 が 異 な る も の で あ る と し て も 両 者 を ま っ た く 断 絶 し た も の と し て で は な く、 連 続 性 を 認 め る こ と に よ っ て 独 自 の 心 身 論 を 展 開 す る 21 。 カッシーラーによっていっそう踏み込んだかたちで独自の哲学的人間学が論じられ始めるのは彼の晩年に至ってからで はあるが、シェーラーの人間学が提起した問題は当初よりカッシーラー自身の問題ともなっていたことをこの論文が示 し て い る。 そ れ 以 降、 シ ェ ー ラ ー が 現 代 の 自 然 科 学 的 な 成 果 を 採 用 し つ つ、 ﹁ 高 所 に 0 0 0 位 置 す る ﹂ と い う 人 間 の 形 而 上 学 的な基礎づけの問題に取り組んだのとは異なり、カッシーラーはその形而上学的な要素を可能な限り排除したうえで内 0 的な 0 0 精神の機能を問う﹁人間文化の現象学﹂ ︵

phenomenology of human cultur

22 e ︶を確立しようと試みる。 と こ ろ で、 彼 の 遺 稿 集 の 編 纂・ 出 版 が 進 む に つ れ て 次 第 に 明 ら か に な っ て き て い る が、 彼 の﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ 第三巻︵一九二九︶の結論部分として書かれた草稿には、この年代においてはやくも﹁哲学的人間学の根本問題として のシンボルの問題﹂という章が用意されていた 23 。このことは、たとえば一九二七年にフッサールの現象学から出発した ハイデガーの﹃存在と時間﹄が出版され、当時の思想・哲学の世界に大反響を巻き起こしていたにもかかわらず、カッ シーラーがそれを積極的に評価したり、あるいは現象学的手法そのものへの接近を見せたりすることがなかったのとは 対照的だと言えるだろう 24 。 晩年の著作『人間』に与えられた二つの副題    彼が生前に刊行した最後の著作は﹁人間文化の哲学への序論﹂と副 題が付けられた﹃人間﹄ ︵ An Essay on Man: An Intr oduction to a Philosophy of Human Culture ︶であった 25 。それは亡命後 のアメリカで出版された著作であるため、英語圏の読者へ向けられた彼のシンボル哲学全体への入門書的な位置づけと なっている。そのためこの著作はスザンヌ・ K・ランガーによる﹃言語と神話﹄の英訳書と共に、彼の思想を英語圏に 紹 介 す る 役 割 を 果 た し た も の と し て 有 名 で あ る。 こ の 著 作 の 副 題 か ら も う か が わ れ る よ う に、 カ ン ト 哲 学 の 研 究 か ら

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出 発 し た 彼 の 思 想 は、 最 終 的 に は﹁ 人 間 文 化 ﹂ と い う お よ そ 人 間 に 関 す る す べ て の 事 柄 に ま で 拡 大 さ れ る こ と に な っ た。しかしながらここで私たちは、彼が﹁人間文化の哲学﹂という表題によって何を意図していたのかを正しく理解し なければならないだろう。というのは、遺稿として残されたこの著作の当初の原稿を参照すると、そこには異なる表題 が 与 え ら れ て い た か ら で あ る。 す な わ ち、 彼 が 最 初 に し た た め た こ の 著 作 の 原 稿 は﹁ 哲 学 的 人 間 学 ﹂︵ A Philosophical Anthr opology ︶ と 題 さ れ て い た の で あ る。 す る と 彼 が こ こ で 意 図 し て い た こ と は、 彼 自 身 の﹁ 哲 学 的 人 間 学 へ の 序 論 ﹂ だったということになるだろう︵以下、本稿では﹃人間﹄との混同を避けるためにこの草稿を﹃哲学的人間学﹄と呼ぶ こととする 26 ︶。 ﹃ 哲 学 的 人 間 学 ﹄ の 原 稿 を 仕 上 げ た カ ッ シ ー ラ ー は、 そ れ を チ ャ ー ル ズ・ ヘ ン デ ル な ど 彼 の 周 囲 に い た ア メ リ カ 人 研 究者たちと推敲を重ねた。その結果として、著者であるカッシーラーも了承したうえで、それを﹁人間文化の哲学﹂と 改 題 し て、 い っ そ う 明 瞭 で 読 み 易 い 著 作 に す べ く 書 き 換 え ら れ る こ と に な っ た 27 。 両 者 は 多 く の 部 分 で 重 複 し た 内 容 と なっているが、分量という点では細かな引用などを削ぎ落とすなどした結果、重要な論点を浮き彫りにするために必要 最低限の議論のみが収録されることになった。さらに﹃人間﹄では割愛されることになるが、元の﹃哲学的人間学﹄で は現代の哲学的人間学と、彼の﹃シンボル形式の哲学﹄の関係についても言及されており、草稿からは彼の本来の意図 を 読 み と る こ と が で き る。 そ こ で 次 に、 彼 が 出 版 し た﹃ 人 間 ﹄ と、 遺 稿 と し て の﹃ 哲 学 的 人 間 学 ﹄ の 両 方 を 参 照 し つ つ、カッシーラーの﹁人間学﹂とはいかなるものかを明らかにしたい。 『人間』と『哲学的人間学』    周囲のアメリカ人研究者たちから﹃シンボル形式の哲学﹄の英語版を出すように請わ れたカッシーラーは、かつての業績を単純に再生産することよりも、むしろ新たに芸術論や﹃シンボル形式の哲学﹄以 降の研究成果を盛り込んだかたちでのまったく新しい著作を執筆することを選択した。その計画が上述した﹃哲学的人

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間 学 ﹄ で あ っ た が、 討 議 を 重 ね た 結 果、 最 終 的 に そ れ は﹁ 人 間 文 化 の 哲 学 ﹂ と し て 上 梓 さ れ る こ と に な っ た。 こ の 計 画 に お け る 彼 の 意 図 は、 ﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ に お け る 基 本 思 想 を 紹 介 す る こ と と、 一 九 二 八 年 の﹁ 遭 遇 ﹂ 以 降 に 彼 が 温 め て き た 独 自 な 哲 学 的 人 間 学 を 世 に 問 う こ と で あ っ た。 そ こ で 彼 は ヤ ー コ プ・ フ ォ ン・ ユ ク ス キ ュ ル︵ Jakob von Uexküll, 1864 ︱ 1944 ︶ に よ る 生 物 学 的 な 概 念 を、 新 た に 人 間 学 的 な 概 念 へ と 変 形 さ せ つ つ 応 用 す る こ と に よ っ て、 人 間 を新しく現代にふさわしい定義によって理解することを提案している。出版された﹃人間﹄では第二章が彼の人間学的 な成果を集約した結論的な論述となっているが、本来の﹃哲学的人間学﹄ではいっそう詳細に論じられているため、そ ちらを主要なテキストとして彼の主張を考察したい。 哲 学 的 人 間 学 の 対 象 と し て の「 普 遍 的 な 主 観 」   プ ラ ト ン は﹃ 国 家 編 ﹄ に お い て 人 間 の 問 題 を 解 く た め の 鍵 は、 私 た ち﹁ 個 人 ﹂ の 経 験 の う ち に で は な く、 む し ろ そ れ は﹁ 国 家 ﹂ の な か に こ そ 求 め ら れ る べ き で あ る と 説 い た。 な ぜ な ら 彼 に と っ て 人 間 の﹁ 本 性 ﹂ な る も の は、 個 人 の う ち に は 目 に 見 え な い ほ ど に 小 さ い と し て も、 国 家 の な か に﹁ 大 文 字﹂で書かれているからである。しかしながらカッシーラーは、国家あるいは政治的な生活が人間のすべてではないが ゆ え に、 こ う し た プ ラ ト ン の 考 え 方 を 否 定 す る。 人 間 が 国 家 や 政 治 的 な 形 態 を な す 以 前 に も 人 間 に 特 徴 的 な 活 動 そ の も の は 確 か に 存 在 し た の で あ り、 本 当 の 意 味 で 包 括 的 な﹁ 人 間 性 ﹂ を 明 ら か に し よ う と す る な ら ば、 さ ら に そ れ ら の 先 へ と 遡 っ て 考 察 し な け れ ば な ら な い。 カ ッ シ ー ラ ー に と っ て、 ﹁ 人 間 ﹂ が 示 す も っ と も 古 い 固 有 な 特 徴 は 神 話 的 思 考 ︵ mythische Denken ︶ で あ る。 そ の た め 私 た ち は、 一 度 そ の 最 古 の 思 考 形 式 に ま で 遡 っ た う え で、 そ こ か ら 高 度 に 発 達 した人間の文化全体を再度捉え直さねばならない。その際に留意しなければならないことは、これまで﹁人間について の 学 ﹂ が 支 配 さ れ て き た 二 つ の 方 向、 す な わ ち 主 観 的 な 内 観 の 手 法 か 経 験 的 な 自 然 科 学 的 な 手 法 か と い う 二 者 択 一 に よっては、それらを総合したうえでの哲学的人間学を構築することはできないということである。カッシーラーによる

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とそれが対象とすべきものは単に具体的な特定の個人でも、あるいは抽象化されて空間と時間から乖離した人間でもな く、 ﹁普遍的な主観﹂である。この点について彼は、次のように断言する。すなわち、 ﹁もしも︿普遍的な主観﹀を定義 す る こ と に 成 功 し な い な ら ば、 特 定 の、 あ る い は 個 々 の 主 観 を 理 解 す る こ と も で き な い。 ︿ 人 間 性 ﹀ の 一 般 的 な 特 性 を 確定することができないとしたら、人間の世界への入口を見つけることもできない 28 ﹂と。 彼が言うところの﹁普遍的な主観﹂は、単に抽象化された理念や形而上学的な空想によって特徴づけることは許され な い も の で あ る。 そ れ は 人 間 の﹁ 仕 事 ﹂、 す な わ ち 文 化 の う ち に の み 現 れ る 機 能 的 な 統 一 を 示 す 何 か で あ り、 文 化 を 生 み 出 す 精 神 の 能 動 的 な 機 能 で あ る﹁ シ ン ボ ル 形 式 ﹂ の う ち に の み 現 れ る と さ れ る の で あ る。 こ う し て カ ッ シ ー ラ ー に と っ て は、 ﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ で の 探 求 が 必 然 的 に 哲 学 的 人 間 学 の 探 求 へ と 結 び つ く こ と に な る。 そ し て こ こ で も また、彼が﹃シンボル形式の哲学﹄において強調したのと同じ特徴が、すなわち人間の﹁本質﹂なるものがあるとすれ ば、それは決して実体的なものとしてではなく、むしろ機能的な 0 0 0 0 ものでしかあり得ないという主張が繰り返される。こ の点について彼は次のように述べている。 言 語、 芸 術、 宗 教﹁ で あ る ﹂ も の、 あ る い は そ れ ら が﹁ 意 味 す る ﹂ も の は、 言 葉 や 芸 術 作 品、 あ る い は 宗 教 的 儀 式 や 信 条 の 分 析 に よ っ て は 理 解 さ れ 得 な い。 こ れ ら の 言 葉、 作 品、 信 条 は 共 通 の 帯 で 束 ね ら れ て い る。 し か し こ の 帯 は、 そ れ が ス コ ラ の 思 想 に お い て 考 え ら れ て い た よ う な﹁ 実 体 的 な 紐 帯 ﹂︵ vinculum substantiale ︶ではなく、 それはいわば﹁機能的な紐帯﹂ ︵ vinculum functionale ︶である。それは発話、 神話、 芸術、宗教の基礎的な機能 0 0 であり、それを私たちはすべての無数で際限のない形状や発話の背後に探し求め ねばならない 29 。

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こうしてカッシーラーの人間学は﹃シンボル形式の哲学﹄と同じ手法で、人間に特徴的な活動がそこに収斂されるべ き中心点を求めて進んでいく。そしてここで彼が述べているように、それらは精神の機能的な 0 0 0 0 観点から考察されねばな らない。というのは、もしも私たちがこれらの一見すると大きく互いに分岐した文化現象を単に鑑賞することだけで満 足するとしたら、それらを共通した分母に還元することなど到底望み得ないからである。カッシーラーの人間学が探求 す る も の は、 ﹁ 効 果 の 統 一 で は な く 行 為 の 統 一、 つ ま り 産 物 の 統 一 で は な く 創 造 過 程 の 統 一 30 ﹂ で あ る。 続 く 章 で は、 彼 が実際にそうした統一をいかに見出すのかを明らかにしたい。

.新たな人間の定義を求めて

人 間 学 の 問 い と 人 間 の 定 義   ﹁ 人 間 と は 何 か ﹂ と い う 問 い に 答 え る こ と、 つ ま り 人 間 を 定 義 づ け る 試 み の 歴 史 は 人 間 学 そ の も の の 歴 史 で あ り、 ま た シ ェ ー ラ ー に よ る と そ れ は 人 間 学 の み な ら ず、 す べ て の 哲 学 の 中 心 的 な 問 題 で あ り、 そ う あ り 続 け た。 彼 は﹁ 人 間 の 理 念 に 寄 せ て ﹂ の 冒 頭 で、 次 の よ う に 述 べ て い る。 ﹁ あ る 意 味 で は、 哲 学 の す べ て の 中 心問題は次の問いに還元される。すなわち、人間とは何であるか、人間は存在の全体と世界と神の内部で、いかなる形 而 上 学 的 位 置 を 占 め て い る の か、 と い う 問 い で あ る 31 ﹂ と。 西 ヨ ー ロ ッ パ に お い て は、 人 間 を﹁ ホ モ・ サ ピ エ ン ス ﹂︵ 理 性人︶とする理解が長らく支配的であり、それは古代ギリシアのアリストテレスによる﹁理性的な魂﹂から、中世のキ リ ス ト 教 世 界 に も 流 入 し て 恩 寵、 救 済 な ど 聖 な る 装 置 全 体 を 正 当 化 す る た め に 用 い ら れ た と シ ェ ー ラ ー は 言 う。 現 代 に 至 る と そ の ク ラ シ カ ル な 定 義 を い っ そ う 妥 当 な も の と し よ う と す る 試 み が 開 始 さ れ、 た と え ば ア ン リ・ ベ ル ク ソ ン ︵ Henri-Louis Ber gson, 1859 ︱ 1941 ︶ は 人 間 を﹁ ホ モ・ フ ァ ー ベ ル ﹂︵ 工 作 人 ︶ と 理 解 し、 さ ら に は ヨ ハ ン・ ホ イ ジ ン ガ

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︵ Johan Huizinga, 1872 ︱ 1945 ︶は﹁ホモ・ルーデンス﹂ ︵遊戯人︶という概念をもち出した 32 。シェーラーは過去のこうし た定義の試みを概観しつつ、 ﹁人間とは何か﹂という問いに、 ﹁人間は存在の全体と世界と神の内部で、いかなる形而上 学 的 位 置 を 占 め て い る の か ﹂、 す な わ ち﹁ 宇 宙 に お け る 人 間 の 地 位 ﹂ を 探 求 す る こ と に よ っ て そ の 解 答 を 求 め よ う と し たのであった。 文化批判から人間学へ    カッシーラーもまた、シェーラーのこうした問題意識を継承しつつ、独自の人間の定義を 提出することによって、彼自身の人間学の到達点を示している。彼は﹃哲学的人間学﹄において、これまでの哲学の歴 史 に お け る 人 間 学 を、 そ れ ら が 与 え た 解 答 に よ っ て、 大 き く 五 つ に 分 類 し て い る。 す な わ ち、 1. 古 典 的 人 間 学、 2. キ リ ス ト 教 的 人 間 学、 3. 懐 疑 主 義 的 人 間 学、 4. 実 証 主 義 的 人 間 学、 5. 機 械 論 的 人 間 学 で あ る 33 。 こ こ で そ れ ぞ れ の 特質に関する彼の理解を詳細に検討する余裕はないが、それらのすべてに対して彼が認めざるを得ない状況は、共通し た﹁知的中心の喪失﹂である。彼はこれらの人間学を概観した後に次のように述べている。 こうした︹人間学における︺一般的な発展を振り返ってみると、私たちは人間に関する哲学が或る重大な危 機 に 瀕 し て い る よ う に 感 じ ら れ る。 古 典 的 お よ び 中 世 的 な 理 論 は 現 代 の 科 学 に よ っ て 破 壊 さ れ た よ う で あ る。しかし他方で、現代の科学そのものはまったく両立不能で矛盾し合った解答を私たちに与えている。た とえ私たちがまったく同一の思想の流れに従っているようではあっても、それが異なる方向や、あるいは反 対の方向へと進んでいることに気づくのである 34 。 このようなさまざまに入り乱れた思想的な危機という状況下にあって、カッシーラーはシェーラーと同様に、現代に

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ふ さ わ し い 哲 学 的 人 間 学 の あ り 方 お よ び そ れ の 新 た な 手 法 を 見 出 す 必 要 性 を 主 張 し て い る。 そ れ は 何 か 特 定 の 思 想 潮 流に否定的・敵対的な態度を示すだけの消極的なものではなく、むしろいっそう積極的なもの、つまり人間文化の批判 的分析という手法によって進められるべきであると彼は主張する 35 。したがって、カッシーラーにとっての﹁哲学的人間 学 ﹂ は、 文 化 批 判、 つ ま り﹁ 文 化 を 哲 学 す る こ と ﹂ を 意 味 し て い る。 こ の こ と は、 か つ て 彼 が﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ 第一巻︵一九二三︶の有名な箇所で、次のように自分自身の意図を説明していたものと一致する。 純 粋 な 認 識 機 能 と 並 ん で、 言 語 的 思 考 の 機 能、 神 話 的・ 宗 教 的 思 考 の 機 能、 芸 術 的 直 観 の 機 能 に つ い て も、 い か に し て こ れ ら す べ て に お い て、 ま っ た く 特 定 の 形 態 化 ︱ ︱ 世 界 の︵ der W elt ︶ 形 態 化 と い う よ り は む し ろ 世 界 へ の︵ zur W elt ︶ 形 態 化 ︱ ︱ が 行 わ れ る の か が 明 ら か に な る よ う な 仕 方 で、 そ れ ら を 理 解 す る こ と が 肝要なのである。こうして、理性の批判は文化の批判となる 36 。 ま た、 カ ッ シ ー ラ ー は﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ 第 二 巻︵ 一 九 二 五 ︶ に お い て 次 の よ う 主 張 し て い る。 ﹁︿ シ ン ボ ル 形 式の哲学﹀は批判主義のこの根本思想、カントの︿コペルニクス的転回﹀の拠って立つこの原理を採り上げ、さらに拡 大 し よ う と す る も の に 他 な ら な い 37 ﹂ と。 つ ま り、 一 九 二 三 年 か ら 一 九 二 五 年 に か け て 著 さ れ た﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ は、 カ ン ト の﹃ 純 粋 理 性 批 判 ﹄ を 文 化 批 判 へ と そ の 射 程 を 拡 大 し、 そ れ の 痛 み ど こ ろ を 補 お う と す る 試 み で あ っ た が、 後にそれはさらに大きな展望のもとに、すなわち文化の哲学としての人間学というカッシーラー独自の哲学的人間学と なる。こうした意味では、やはり彼の哲学的な射程に一定の変化が生じたと言うことができ、その転機となったものこ そシェーラーの﹃人間の地位﹄との﹁遭遇﹂であったと言えるだろう。そして既に見たように、彼はシェーラーによる 新たな問題提起を、あくまでも彼自身の研究領域から再構築しようと試みる。そのことが可能であったのは、現代的な

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意味での﹁哲学的人間学﹂を創始したのがシェーラーであったとしても、カッシーラーの理解によるとそもそも﹁人間 学﹂を最初に一つの学問の体系的な問題として提出したのはカントであったことも大きな意味をもっている。カントの 哲学から出発した彼が、シェーラーの哲学的人間学へ接近するとしても、それはカントがかつて提唱した人間学の現代 的なあり方としての﹁哲学的人間学﹂であるとすれば、それはまさにカッシーラーが意図していたカント哲学の批判的 継承に他ならないし、彼が言う人間の﹁世界への形態化﹂を明らかにするために、文化という現前する現象の考察を通 した文化哲学的な人間学へと進んでいったのである。しかしながら他方で、カッシーラーは独自の人間学を構築するに 際して既にカント哲学の枠組みを超え出ていたのであり、人間学の歴史的な考察においてはカントを単に以前の解答の 一 つ と し て 理 解 し て い る に 過 ぎ な い。 彼 は﹃ 哲 学 的 人 間 学 ﹄ で 次 の よ う に 述 べ て い る。 ﹁︿ 人 間 と は 何 か ﹀ と い う 問 い が、ルソーやカントによって新しい問題としての意味をもつわけではないことは明らかである。最初の知的意識の夜明 けから、人は一度たりともこれを問うのを止めたことはない。原始的な人間でさえ、彼の存在と本性を月並みの物質で あるという事実を受け入れてはいない 38 ﹂と。それゆえ彼は﹁哲学的人間学﹂の受容を、人類の歴史、哲学の歴史におい て も 必 然 的 に 継 承 さ れ て き た 人 間 に と っ て 本 質 的 な 問 い で あ る と 理 解 し て い る。 し か し な が ら そ れ は、 上 述 し た よ う に、経験的な事実が豊富に蓄積された現代に至って、なんら統一的な視点をもたないそれぞれ個別の学問へと枝分かれ してしまったのであり、そうした状況下では、哲学が果たすべき役割は次のようであると彼は言う。 私たちはそれゆえ、もはや人間に関する明確で一貫した考えをなにももっていない。人間の研究に携わる特 殊科学はその数を増しているが、それらは私たちの人間の概念を解明するよりもむしろ、混乱させ不明瞭に したのであった。それが私たちの現代世界の哲学がいる奇妙な状況である。私たちがこの迷宮から抜け出す ためのアリアドネの糸を見つけることに成功しないかぎり、私たちはこの不連続でばらばらな多数の事実の

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う ち で 彷 徨 い 続 け る で あ ろ う。 私 が﹁ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ﹂ と 呼 ん だ も の は、 そ う し た 糸 を 見 つ け、 ︱ ︱ 見 かけ上は異種雑多な人間文化の問題がそれへと関係付けられているところの、知的中心を固定しようとする 試みである 39 。 先に述べたように、カッシーラーにとって現代の﹁人間についての学﹂は、知的中心を失った思想的無政府状態であ る。 も は や﹁ 知 恵 あ る 人 ﹂︵ homo sapience ︶ や﹁ 理 性 的 動 物 ﹂︵ animal rationale ︶ と い っ た、 人 間 の 知 的 な 側 面 の 強 調 によってはこうした状況を打開することはできず、むしろその鍵は彼がこれまで研究してきた﹁シンボル形式﹂の延長 線上にあると彼は捉えている。この確信が彼の哲学を哲学的人間学へと推し進めていくのであるが、そしてその最終的 な 結 論 と し て 登 場 す る の が 彼 独 自 の 人 間 の 定 義、 ﹁ シ ン ボ ル 的 動 物 ﹂︵ animal symbolicum ︶ あ る い は﹁ シ ン ボ ル を 操 る 人﹂ ︵ homo symbolicus ︶である。次節では彼に独特なこれらの人間の定義について詳論したい。 機 能 的 な 理 解 に 基 づ く 人 間 の 定 義   ﹃ 哲 学 的 人 間 学 ﹄ の 第 一 部 第 二 章 は、 ﹁ 人 間 の 定 義 を 求 め て ﹂ と 題 さ れ て い る が、これは﹃人間﹄では第二章﹁人間性への鍵﹂に相当する箇所である。後者での記述がもっとも重要だと思われる彼 の主張のみが述べられたわずか数頁の分量であるのに対して、前者はそれに至るまでの詳細なプロセスが述べられてお り、彼の人間の定義を正確に理解するうえで重要な資料となる 40 。 先 に 述 べ た よ う に、 こ れ ま で ヨ ー ロ ッ パ で は 人 間 を﹁ 理 性 ﹂ に よ っ て 特 徴 づ け よ う と す る 考 え 方 が 一 般 的 で あ っ た。 しかしながら人間が理性的な側面からのみ説明し尽くされるほどに単純な存在ではないことは周知の事実である。自然 科 学 の 飛 躍 的 な 進 歩 や 産 業 の 革 命、 そ し て 世 界 大 戦 を 経 験 し た 後 で は、 も は や 啓 蒙 主 義 の 思 想 家 た ち と 同 じ よ う に 理 性 を 無 条 件 的 に 信 頼 す る こ と は で き な か っ た。 人 間 を﹁ 理 性 的 動 物 ﹂ と す る ク ラ シ カ ル な 定 義 は 全 体 の 一 部︵ pars pr o

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toto ︶ を 捉 え て い る に 過 ぎ な い と カ ッ シ ー ラ ー は 言 う。 彼 に よ る と、 ﹁︿ 理 性 ﹀ は そ れ ゆ え、 私 た ち の 文 化 的 な 生 命 の す べての形式をその豊かさと多様性において捉えようとするならば、はなはだ不完全な用語である。むしろ、それらのす べ て は︿ シ ン ボ ル 形 式 ﹀ で あ る。 そ れ ら の す べ て は 感 性 的 な 形 式 の な か に、 ︿ 理 念 的 な ﹀ 意 味 を 含 ん で い る 41 ﹂ と。 先 に 述べたように哲学的人間学は抽象化されたり理想化されたりした人間の﹁像﹂をではなく、実際の人間の仕事をその対 象 と し な け れ ば な ら な い。 ﹁ 理 性 ﹂ だ け に よ っ て は 言 語、 神 話、 宗 教、 芸 術 と い っ た 主 観 的・ 創 造 的 な 文 化 現 象 を 説 明 することができないのは明らかなので、彼によるとそれはさらに広い基礎のうえに立たねばならない。 人間精神は上述の文化現象に加えて、さらに科学や政治など、彼を取り巻く文化的な宇宙を作り出し、自らをそこへ 織 り 込 む こ と が で き る 機 能 を も つ と い う の が カ ッ シ ー ラ ー の﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ を 通 し て の 主 張 で あ っ た。 彼 に とってそれは、まさに人間独自の世界を形成する人間学的な機能、つまり人間を他の動物から根本的に区別する第一要 素である 42 。﹁シンボル形式﹂こそが、カッシーラーにとっての人間の定義、 ﹁人間とは何か﹂という問いへの答えの根幹 をなすものであり、彼の人間学は次のように結論づけられる。 人 間 を﹁ 理 性 的 動 物 ﹂ と 定 義 す る 代 わ り に、 そ れ ゆ え 私 た ち は 彼 を シ ン ボ ル 的 動 物︵ animal symbolicum ︶ と 定 義 す べ き で あ ろ う。 私 た ち が 人 間 の 特 殊 な 相 違 を 指 摘 す る こ と が で き、 彼 に 対 し て 開 か れ た 新 し い 道、 すなわち﹁文明﹂への道を理解することができるのは、まさにこの特徴によってなのである 43 。 こ う し て カ ッ シ ー ラ ー の 人 間 学 は、 そ れ が 探 求 す べ き 知 的 中 心 を 人 間 の﹁ シ ン ボ ル 機 能 ﹂ に 定 め る こ と を 提 案 す る が、 こ の 考 え か た を 理 解 す る た め に は、 そ れ と 同 時 に こ こ で 彼 が 導 入 す る﹁ シ ン ボ ル 系 ﹂︵ symbolic system ︶ と い う 新 たな人間学的な概念が重要な意味をもっている。

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シンボル的動物とシンボル系    一九二三年に主著の第一巻を著して以降、カッシーラーが長らく主要な研究テーマ としてきた﹁シンボル形式﹂は、人間学的な概念へと応用されることによって、新たに文化哲学としての人間学の可能 性が示されるに至った。そして﹁シンボル的動物﹂という人間の定義の提出と同時に彼が導入するもう一つの重要な概 念は、生物学者ユクスキュルの環境理論を人間学的に応用した﹁シンボル系﹂という概念である。ユクスキュルによる と す べ て の 生 物 は﹁ 感 受 系 ﹂︵ Merknetz ︶ と﹁ 反 応 系 ﹂︵ W irknetz ︶ と い う 二 次 元 的 な﹁ 機 能 的 円 環 ﹂ に 囚 わ れ て い る。 そしてその円環は生物の種によってそれぞれ独自なものであり、そうした意味ではすべての生物はもっとも下等なもの ですら、その環境に順応しているだけでなく、まったく適合している。このようなユクスキュルの環境理論は、すでに シェーラーの人間学がそれを採用しているし、また一九二八年にカッシーラーが執筆した﹁哲学的人間学の根本問題と してのシンボルの問題﹂でも議論されている。しかしながら﹃哲学的人間学﹄に至って彼は、この生物学的な環境理論 を、 人 間 学 的 に 応 用 し、 二 次 元 的 な 感 受 ︱ 反 応 の 連 鎖 の 間 に、 新 た な 概 念 と し て の﹁ シ ン ボ ル 系 ﹂ の 存 在 を 主 張 す る。 ﹁ シ ン ボ ル 系 ﹂ の 作 用 に よ っ て 人 間 は 外 界 か ら の 刺 激 に 対 し て 直 接 的 に 反 応 す る こ と は で き ず、 そ れ は 常 に 遅 延 せ ざ る を得ない。言うまでもなく、それは生物としての人間の欠陥ではあるが、それはまた同時に有機的な生命に対する﹁革 命﹂の証でもある。この﹁シンボル系﹂は彼の人間学における﹁シンボル的動物﹂という定義の中心概念であり、生物 学的な事実を人間学へと援用するための一つの重要な方法論的なモデルを示していると言えるだろう 44 。 確かにここで新たに導入された二つのカッシーラー独自の概念は、それほど詳細な考察がなされているわけではない と言わねばならない。それは﹃人間﹄が出版された翌年に訪れる彼の急逝がこうした事態に少なからず影響しているこ とは間違いないが、それは奇しくもシェーラーが﹃人間の地位﹄で自身の哲学的人間学の素描を与えたのに留まったの と似た事態である。私たちはカッシーラーが残した﹁シンボル的動物﹂という人間の定義と、彼の学説とをいかに理解

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すべきであるかを最後に考察するとしたい。

おわりに

文化の哲学としての哲学的人間学

カ ッ シ ー ラ ー の 生 前 最 後 の 著 作 と な っ た﹃ 人 間 ︱ ︱ 人 間 文 化 の 哲 学 へ の 序 論 ﹄ は、 当 初 そ れ に 与 え ら れ て い た 副 題 が ﹁ 哲 学 的 人 間 学 ﹂ で あ っ た こ と は 既 に 述 べ た と お り で あ る。 し か し こ れ ら 二 つ の 著 作 の 間 に は、 純 粋 な 改 題 と 同 時 に、 彼の語法にも明確な変化が生じている。というのは、 ﹃哲学的人間学﹄では彼が頻繁に用いていた二つの用語が﹃人間﹄ で は す っ か り 影 を 潜 め て い る の で あ る。 す な わ ち﹁ 哲 学 的 人 間 学 ﹂︵ philosophical anthr opology ︶ と﹁ シ ン ボ ル 形 式 ﹂ ︵ symbolic for ms ︶ が そ れ で あ る。 こ れ ら の 用 語 を 彼 が あ え て﹃ 人 間 ﹄ に お い て 使 用 し な か っ た と い う 事 実 は、 何 を 意 味しているのだろうか。 「哲学的人間学」    ﹃人間﹄において﹁哲学的人間学﹂が、 ﹁人間文化の哲学﹂と言い換えられている点は、第一に彼 にとって両者が同じ学問領域を指示していることが挙げられるだろう。このことはこれまで考察してきたことによって 既 に 明 ら か で あ る。 そ し て 第 二 に、 ﹁ ア ン ソ ロ ポ ロ ジ ー﹂ と い う 学 問 は イ ギ リ ス や ア メ リ カ の 英 語 圏 で は ジ ェ ー ム ズ・ フレーザー︵ Sir James Geor ge Frazer , 1854 ︱ 1941 ︶やフランツ・ボアズ︵ Franz Boas, 1858 ︱ 1942 ︶そしてルース・ベネ デ ィ ク ト︵ Ruth Benedict, 1887 ︱ 1948 ︶ な ど に 代 表 さ れ る﹁ 人 類 学 ﹂ と い う 哲 学 的 人 間 学 と は 似 て 非 な る 学 問 分 野 を 意 味することが多いことが挙げられる。たしかにカッシーラーはこれらの﹁人類学﹂にも強い関心をもち、ときにそれら を 援 用 し て さ え い る。 し か し な が ら カ ッ シ ー ラ ー の 意 図 は 人 類 学 的 な 成 果 を 用 い つ つ、 哲 学 的 に 探 求 す る﹁ 人 間 学 ﹂、

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つまりカントやシェーラーが言うところのドイツ語での﹁アントロポロギー﹂であった。彼はこれら両者に不可避な混 同を避けるために、あえて﹁人間文化の哲学﹂という研究の手法 0 0 0 0 0 をその名称としたものと考えられる。この置き換えは か な り 徹 底 さ れ て い て、 ﹃ 人 間 ﹄ に お い て 現 代 ド イ ツ の ア ン ト ロ ポ ロ ギ ー は、 あ え て﹁ 人 間 学 的 哲 学 ﹂︵ anthr opological philosophy ︶ な ど と 呼 ば れ て い る ほ ど で あ る。 そ れ は ま さ に、 彼 の 意 図 は 決 し て﹁ 哲 学 的 人 類 学 ﹂ に あ る の で は な く、 アンソロポロジカルな﹁哲学﹂であることを示していると言えるだろう。 「 シ ン ボ ル 形 式 」   ﹁ シ ン ボ ル 形 式 ﹂ は 哲 学 者 エ ル ン ス ト・ カ ッ シ ー ラ ー を 象 徴 す る 術 語 で あ る こ と に 疑 い の 余 地 は な い の で、 そ れ を 抜 き に し て 彼 の 哲 学 を 語 る こ と は で き な い の は 当 然 で あ る。 し か し な が ら﹃ 人 間 ﹄ に お い て、 ﹁ シ ン ボ ル 形 式 ﹂ と い う 術 語 は ほ と ん ど 用 い ら れ て い な い。 ﹃ 哲 学 的 人 間 学 ﹄ に お い て は、 哲 学 的 人 間 学 と﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲学﹄の関係が一つの節を割いて論じられ、また著作全体の後半部分を成す文化の諸論は﹁シンボル形式﹂という題で ま と め ら れ て い た。 ﹃ 人 間 ﹄ に お い て そ れ ら の ほ と ん ど は﹁ シ ン ボ リ ズ ム ﹂︵ symbolism ︶ と い う 用 語 に 置 き 換 え ら れ て いる。この置き換えもまた、英語圏の読者にとって﹁シンボル形式﹂という言葉はまだ馴染みないものであり、それを 用 い る こ と に よ る 概 念 的 な 混 乱 を 避 け よ う と す る 意 図 が 考 え ら れ る。 ﹃ 人 間 ﹄ の 冒 頭 で 述 べ ら れ て い る よ う に、 こ の 新 しい著作は﹃シンボル形式の哲学﹄よりも小さく、まとまりをもったものにしなければならないと彼は感じていた。か つての彼は、自らの問題意識に没頭するあまり文体上での配慮に欠けていたことを認めている 45 。すると、多くの紙幅を 割いて彼の術語である﹁シンボル形式﹂という概念を繰り返して説明しつつ用いることよりも他のいっそう一般的な用 語 を 用 い て、 い っ そ う 重 要 だ と 思 わ れ た 事 柄 へ と 探 求 を 集 中 さ せ る こ と の ほ う が 得 策 で あ る と 彼 に は 思 わ れ た の だ ろ う。 彼 は 委 細 な 議 論 は 過 去 の 成 果 へ 参 照 す る こ と に よ っ て、 ﹃ 人 間 ﹄ で 新 た に 論 じ ら れ る 彼 独 自 の 人 間 学 の 議 論 を 直 接 に そ れ だ け に よ っ て 理 解 可 能 な も の と し て い る。 確 か に こ の 置 換 は、 ﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ か ら 彼 の 哲 学 的 人 間 学 へ

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の直接的な思想的展開を見えにくくするものであるかもしれない。しかしながら彼にとってそれは、単なる表現上の置 換 に 過 ぎ ず、 ﹁ シ ン ボ ル 的 動 物 ﹂ と﹁ シ ン ボ ル 系 ﹂ と い う 二 つ の 主 要 な 概 念 を 用 い た 彼 の 哲 学 的 人 間 学 を 世 に 問 う た め には、そこにあえて﹁シンボル形式﹂というかつての術語は必ずしも不可欠なものではなかったと言えるだろう。なぜ な ら 既 に み た よ う に、 ﹁ 人 間 文 化 の 哲 学 ﹂ と い う 手 法 そ の も の の が、 既 に 彼 の﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ か ら の 直 接 的 な 発展的展開を意味していたからである 46 。 カッシーラーの哲学的人間学において﹁人間とは何か﹂という問いは、一見するとさまざまに分岐している文化現象 の機能的な統一、すなわち﹁普遍的な主観﹂の探求であった。そして彼のその問いに対する解答は、人間は文化として のシンボルを生み出し、それを操る存在であるということであった。つまりそれらが彼にとっての﹁知的中心﹂となっ ている。彼が言うところのシンボルとは、精神の機能によって生み出された文化であり、彼はこの文化︵仕事︶のうち に、 ﹁ シ ン ボ ル 的 動 物 ﹂ の 機 能 的﹁ 本 質 ﹂ を 追 求 す る。 そ れ ゆ え 彼 が 言 う﹁ シ ン ボ ル 的 動 物 ﹂ は、 言 語、 神 話、 宗 教、 芸術、科学、政治など、それぞれの文化を哲学することによってのみ接近することができるものであって、彼のこの定 義が示していることは、彼の哲学的人間学の手法そのものに他ならないと言えるだろう。     注 ︵ 1︶ H er de r, A bh an dlu ng ü be r d en U rs pr un g d er S pr ac he , in : S pr ac hp hil oso ph isc he S ch rift en , F eli x M ein er V er lag , H am bu rg , 1 96 4, S . 56. ︵﹃ 言 語 起 源 論 ﹄ 木 村 直 司 訳、 大 修 館 書 店、 一 九 七 七 年、 一 一 六 頁 ︶ 以 下、 引 用 に 際 し て 邦 訳 書 を 参 照 し た 場 合 は そ の 頁 番号を括弧内に示す。

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︵ 2︶ Her der , op. cit., S.28. ︵四九頁︶ ︵ 3︶ ェ ー ラ ー と プ レ ス ナ ー の 関 係 に つ い て は、 奥 谷 浩 一﹃ 哲 学 的 人 間 学 の 系 譜 ︱ ︱ シ ェ ー ラ ー、 プ レ ス ナ ー、 ゲ ー レ ン の 人 間 論 ﹄ 梓 出 版 社、 二 〇 〇 四 年、 九 七 頁 以 下 で 詳 述 さ れ て い る。 そ れ に よ る と プ レ ス ナ ー の 人 間 学 は 次 の よ う な 特 質 を も つ。 す な わ ち、 ﹁ プ レ ス ナ ー の 人 間 学 は、 シ ェ ー ラ ー の 記 念 碑 的 な 著 作 と 同 時 期 に 仕 上 げ ら れ た だ け で は な く て、 こ れ と は 相 対 的 に 独 自 の 道 を た ど っ て、 し か も そ の 理 論 の 内 容 が シ ェ ー ラ ー に 触 発 さ れ な が ら も、 彼 の き わ め て 形 而 上 学 的 な 色 彩 の 強 い人間学を最初から超え出て、とりわけ生物学に内在して人間学を展開しようとした﹂ 。︵同書九九頁︶ ︵ 4︶ の﹁ 哲 学 的 人 間 学 ﹂ の 本 流 を 包 括 的 に 概 説 し た も の が 前 掲 の 奥 谷 浩 一 に よ る 研 究 書 で あ る。 ま た、 金 子 晴 勇﹃ 現 代 ヨ ー ロッパの人間学 ︱ ︱ 精神と生命の問題をめぐって﹄知泉書館、二〇一〇年は、さらに広い視点からこの本流を歴史的に叙述 しており、生物学的な哲学的人間学の問題点が鋭く指摘されている。 ︵ 5︶ ッ シ ー ラ ー 哲 学 の 研 究 者 で あ る ク リ ス テ ィ ア ン・ メ ッ ケ ル は、 カ ッ シ ー ラ ー が 既 に 一 九 二 八 年 に し た た め た﹁ 哲 学 的 人 間 学 の 根 本 問 題 に お け る シ ン ボ ル の 問 題 ﹂ と い う 遺 稿 に お い て、 ﹁ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹂ と 哲 学 的 人 間 学 と を 結 び つ け よ う と 試 み て い る こ と が、 彼 の 思 想 的 変 遷 に お い て そ れ と の 遭 遇 が い か に 重 要 な も の で あ っ た か の 証 し で あ る と 指 摘 し て い る。 Christian Möckel, Kultuelle Existenz und anthr opologische Konstanten ︱ Zur philosophischen Anthr opologie Er nst Cassir ers, in: Zeitschrift für Kulturphilosophie , herausgegeben von Ralf Konersmann, John Michael Kr ois, Dirk W esterkamp, Felix Meiner Verlag, Hambur g, 2009, S.212 ︱ 213. ︵ 6︶ Max Scheler , Philosophische W eltanschauung, in: Max Scheler , Gesammelte W erk e ︵ 以 下、 G.W . と 略 記 す る。 Bd. 9, Heraus-gegeben von Manfr ed S. Frings, Francke Verlag, Ber n und München, 1976, S. 120. ︵﹁哲学的世界観﹂ ﹃シェーラー著作集 13﹄ 亀井裕、安西和博訳、白水社、一九七七年、一二八頁︶ ︵ 7︶ Max Scheler , Die Stellung des Menschen im Kosmos, in: G.W . Bd. 9, 1976, S. 11. ︵﹁宇宙における人間の地位﹂ ﹃シェーラー著 作集 13﹄一六頁︶ ︵ 8︶ C as sir er, S em in ar o n S ym bo lis m a nd P hil os op hy o f L an gu ag e, Vo rle su ng N ew H av en 1 94 1 42 , in : N ac hg ela sse ne M an us kr ip te und Texte , Bd. 6, Herausgegeben von Klaus Christian Köhnke John Michael Kr ois, Oswald Schwemmer , V elix Meiner Verlag, Hambur g, 2005, S. 236 参照。 ︵以下、本遺稿集は ECN 6 と略記する︶

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︵ 9︶ ﹁ 人 間 に つ い て の 学 ﹂︵ Anthr opologie ︶ の 類 型 と 発 生 に つ い て は、 ミ ヒ ャ エ ル・ ラ ン ト マ ン﹃ 哲 学 的 人 間 学 ﹄ 谷 口 茂 訳、 思 索社、一九九一年、一一頁以下を参照。 ︵ 10︶ Max Scheler , op. cit., S. 7. ︵一六頁︶ ︵ 11︶ Max Scheler , op. cit., S. 11. ︵一五︱一六頁︶参照。 ︵ 12︶ Max Scheler , op. cit., S. 11. ︵一六頁︶ ︵ 13︶ Cassir er , An Essay on Man , An Intr

oduction to a Philosophy of Human Cultur

e, Y

ale University Pr

ess, New Haven, 1944, p. 21.

︵ 14︶ Max Scheler , op. cit., S. 12. ︵一七頁︶ ︵ 15︶ Max Scheler , op. cit., S. 28. ︵四六︱四七頁︶ ︵ 16︶ Max Scheler , op. cit., S. 27. ︵四七頁︶参照。 ︵ 17︶ Max Scheler , op. cit., S. 28. ︵四八頁︶ ︵ 18︶ Max Scheler , op. cit., S. 29. ︵五一頁︶ ︵ 19︶ 金子晴勇、前掲書、三八頁。 ︵ 20︶ こ の 論 文 の 邦 訳 は 前 掲 し た 金 子 晴 勇 の﹃ 現 代 ヨ ー ロ ッ パ の 人 間 学 ﹄ に 付 録 と し て 所 収 さ れ て お り、 金 子 は こ の 論 文 を 次 の よ う に 評 価 し て い る。 す な わ ち、 ﹁ こ の 論 文 は シ ェ ー ラ ー の 意 味 す る と こ ろ を 充 分 に く み 取 り な が ら、 ﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ 全 三 巻 を 完 成 さ せ た カ ッ シ ー ラ ー が、 そ の 哲 学 の 根 本 思 想 に 立 ち な が ら 彼 自 身 の 人 間 学 を 創 始 す る と い う き わ め て 注 目に値するものである﹂と。金子晴勇、前掲書、五一頁。 ︵ 21︶ こ こ で の カ ッ シ ー ラ ー の 主 張 は、 人 間 の 精 神 と 生 命 を 対 極 的︵ Polarität ︶ な 構 図 に お い て 捉 え て い て、 彼 独 自 の ゆ る や か な 二元論が展開されている。この議論に関するいっそうの詳細は金子晴勇、前掲書、六一頁以下参照。 ︵ 22︶ Cassir er , An Essay on Man , An Intr oduction to a Philosophy of Human Cultur e, p. 52. こ こ で 言 わ れ て い る﹁ 現 象 学 ﹂ と は、 フッサールの超越論的現象学を意味するのではなく、 ヘーゲルの弁証法的現象学を意味しているものと考えられる。 ﹃人間﹄ に お け る 人 間 学 は、 ﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ で の 議 論 を 前 提 し た も の で あ る た め、 そ こ で は 用 語 の 定 義 に つ い て の 言 及 は さ れていない。 ︵ 23︶ この草稿は C as sir er, N ac hg ela sse ne M an us kr ip te un d T ex te, B d. 1, H er au sg eg eb en v on Jo hn M ic ha el K ro is un d O sw ald

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Schwemmer , Felix Meiner V erlag, Hambur g, 1995, S. 32 ︱ 109 に所収されている。 ︵ 24︶ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ 第 三 巻 は 一 九 二 九 年 に 出 版 さ れ、 そ の 副 題 は﹁ 認 識 の 現 象 学 ﹂ と さ れ て い た。 こ こ で 彼 が﹁ 現 象 学 ﹂ と 言 う 際 に は、 そ れ は 現 代 の 現 象 学 で は な く、 ﹁ ヘ ー ゲ ル が 確 立 し、 体 系 的 に 基 礎 づ け 主 張 し た あ の︿ 現 象 学 ﹀ の 原 義 に 立 ち 戻 っ て い る ﹂ と 冒 頭 で あ え て 念 を 押 し て 述 べ て い る。 当 然 の こ と な が ら、 カ ッ シ ー ラ ー は ハ イ デ ガ ー の﹃ 存 在 と 時 間 ﹄ に お け る 心 身 論 の 問 題︵ 遺 稿 集 第 一 巻 ︶ や、 フ ッ サ ー ル の 現 象 学 に お け る ノ エ シ ス・ ノ エ マ の 問 題 を 考 察 し て い る ︵﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ 第 三 巻 ︶ よ う に、 そ れ ら を ま っ た く 無 視 し て い る わ け で は な い が、 彼 が シ ェ ー ラ ー の 人 間 学 を 積 極 的 に 採 り 入 れ て﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ を 発 展 さ せ よ う と し た の と は、 や は り 対 照 的 で あ る と 言 え る だ ろ う。 Cassir er , Ph ilo so ph ie de r s ym bo lis ch en F or m en , T eil 3 , P hä no m en olo gie d er E rk en ntn is ︵ 19 29 ︶, W iss en sc ha ftli ch e B uc hg es ell sc ha ft, Dar mstadt, 1977, VI. ︵ 25︶ 彼 が 最 後 に 著 し た 著 作 は﹃ 国 家 と 神 話 ﹄︵ 1946 ︶ で あ る が、 こ の 著 作 は 彼 が 急 逝 す る 数 日 前 に よ う や く 脱 稿 し た ば か り の も のであったため、彼がこの著作が世に出る姿を見届けることはなかった。 ︵ 26︶ こ の 草 稿 は、 イ ェ ー ル 大 学 に お い て 一 九 四 一 年 か ら 四 二 年 に か け て 行 わ れ た 同 題 の ゼ ミ ナ ー ル で の 講 義 録 S.191 ︱ 304 を 土 台 としていて、それもまた遺稿集第六巻に収められている。 ︵ 27︶ カ ッ シ ー ラ ー と イ ェ ー ル 大 学 の 関 係 者 ら に よ る﹃ 哲 学 的 人 間 学 ﹄ の 推 敲 と 改 題 に 関 す る 経 緯 は、 Cassir er , ECN 6, S.670 ︱ 673 を参照。 ︵ 28︶ Cassir er

, An Essay on Man, A Philosophical Anthr

opology , in: ECN6, S. 399. ︵ 29︶ Cassir er , op. cit., S. 399. ︵ 30︶ Cassir er , op. cit., S. 403. ︵ 31︶ Scheler

, Zur Idee des Menschen, in:

G.W . Bd. 3, S. 173. ︵﹃シェーラー著作集 4﹄白水社、一九七七年、二六五︱二六六頁︶ ︵ 32︶ ホ イ ジ ン ガ の 主 張 に よ る と、 ﹁ 遊 戯 ﹂ は 人 間 と 動 物 の 両 方 の 領 域 に ま た が っ て は い る も の の、 し か し 両 者 に お け る そ れ は 次 の 点 に 相 違 が 認 め ら れ る。 す な わ ち、 ﹁ 動 物 は 遊 戯 す る こ と が で き る。 だ か ら こ そ、 動 物 は も は や 単 な る 機 械 的 な も の 以 上 の 存 在 で あ る。 わ れ わ れ は 遊 戯 も す る し、 そ れ と 同 時 に、 自 分 が 遊 戯 し て い る こ と を 知 っ て も い る。 だ か ら こ そ、 わ れ わ れ は 単 に 理 性 を 行 使 す る だ け の 存 在 以 上 の も の で あ る ﹂ と。 ヨ ハ ン・ ホ イ ジ ン ガ﹃ ホ モ・ ル ー デ ン ス ︱ ︱ 人 類 文 化 と 遊 戯 ﹄

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高橋英夫訳、中央公論社、一九六三年、一六頁。 ︵ 33︶ 哲 学 的 人 間 学 ﹄ に お け る 人 間 学 の 歴 史 に 関 す る 議 論 は、 ﹃ 人 間 ﹄ に お い て は﹁ 人 間 の 自 己 認 識 に お け る 危 機 ﹂ と い う 観 点 からその主要な部分のみが論じられている。 ︵ 34︶ Cassir er , op. cit., S.392. ︵ 35︶ Cassir er , op. cit., S.392 参照。 ︵ 36︶ Cassir er , Philosophie der Symbolischen For men , T eil 1, Die Sprache, W issenschaftliche Buchgesellschaft, Dar mstadt, 1977, S.11. ︵﹃シンボル形式の哲学﹄第一巻﹁言語﹂生松敬三、木田元訳、岩波書店、一九八九年、三一頁︶   ︵ 37︶ Cassir er , Philosophie der symbolischen For men , T eil 2, Das Mythische Denken, W issenschaftliche Buchgesellschaft, Dar mstadt, 1977, S.39. ︵﹃シンボル形式の哲学﹄第二巻﹁神話的思考﹂木田元訳、岩波書店、一九九一年、七五頁︶ ︵ 38︶ Cassir er

, An Essay on Man, A Philosophical Anthr

opology , S.348. ︵ 39︶ Cassir er , op. cit., S.392. ︵ 40︶ 人 間 ﹄ に お け る 人 間 の 定 義 に つ い て は、 こ こ で 述 べ た よ う に 第 二 章﹁ 人 間 性 へ の 鍵 ﹂ に 凝 縮 し た 形 で 要 点 が 述 べ ら れ て い る が、 同 書 に は さ ら に 第 六 章﹁ 人 間 文 化 に よ る 人 間 の 定 義 ﹂ と し て 別 の 論 考 が 与 え ら れ て い る。 そ こ に は﹃ 哲 学 的 人 間 学 ﹄ で 本 来 同 じ 箇 所 で 述 べ ら れ て い た も の が 分 け て 論 じ ら れ て い る。 恐 ら く こ れ は﹃ 人 間 ﹄ に お け る も っ と も 重 要 な 章 で あ る 第二章を印象的に描くために、必要最低限の叙述のみによって際立たせる意図があったものと考えられる。 ︵ 41︶ Cassir er , op. cit., S. 411. ︵ 42︶ ヘ ル ダ ー は 言 語 が 人 間 学 的 な 機 能 で あ る と 主 張 し た が、 カ ッ シ ー ラ ー は そ れ を 言 語 の み な ら ず、 他 の シ ン ボ ル 形 式 へ も 拡 大することによって、いっそう包括的な人間学的文化理解に至っている。 ︵ 43︶ Cassir er , op. cit., S. 411. ︵ 44︶ この概念についての詳細は、拙著﹃カッシーラーのシンボル哲学﹄知泉書館、二〇一一年、一六八頁以下を参照。 ︵ 45︶ カ ッ シ ー ラ ー は 次 の よ う に 述 べ て い る。 ﹁ 本 書 は 以 前 の も の よ り も、 は る か に 短 く な す べ き で あ っ た。 ︿ 大 著 は 大 悪 で あ る ﹀ と レ ッ シ ン グ は 言 っ た。 私 は﹃ シ ン ボ ル 形 式 の 哲 学 ﹄ を 書 い た 際、 問 題 そ れ 自 体 に は な は だ 熱 中 し て い た の で、 こ の 文 体 上のマキシムを忘れていたか、怠っていたのだ﹂と。 Cassir er , An Essay on Man , An Intr oduction to a Philosophy of Human

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