著者名(日)
小俣 利男
雑誌名
東洋大学社会学部紀要
巻
39
号
2
ページ
25-53
発行年
2002-02
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002261/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja1990年代のロシアにおける工業再編の地域的側面
Regional Dimensions of the Industrial Restructuring
in Russia during the 1990s
小俣利男
Toshio OMATA
1 はじめに
1990年代のロシアはソ連解体後,体制転換期にあり、経済的には市場経済への移行期にあった。 そのため急激な社会経済的変化が各方面で起こり、例えば生産の激減、企業等の民営化・私有化、 給料の遅配、現物決済の出現、所得格差の拡大、副業の横行、失業問題、金融危機などが注目され てきた。ところで、体制転換を地域的視点から捉えようとする場合、2つの側面が考えられる。そ の1つはソ連時代に形成された経済社会の地域構造がどのように体制転換過程に影響を与えるかで あり、もう1つは体制転換が地域をどのように再編成して新たな地域構造を形成するかである。こ うした体制転換と地域構造ないしは地理の相互関係を解明することは将来的な大きな課題である。 もとよりその体制転換は社会的に深く、広く進展すること、加えて多くの旧東欧諸国と違って、ロ シアはソ連の継承国として広大な国土をもち、かつ社会主義体制を長期にわたって経験しことから も長期化する。そのため、この時点でも上述の将来的な大きな課題を議論するにはやや時期尚早で ある。また、そうした体制転換過程やそれに随伴する諸事象を対象とした場合、その初期には特に 観察期間が限定されてしまうこともあって、それらは事例や実態の把握に主眼が置かれ、体系的な 分析にはなりにくい。しかし現時点では体制転換過程の実態把握を蓄積することが現状の理解だけ でなく、上述の将来的な大きな課題に迫るためにも必要である。 そこで上述のような問題意識をもちつつ、本稿では工業を直接の分析対象として、体制転換過程 とりわけ移行期経済の断面を捉えたい。具体的には、ソ連時代と対比させて再編過程にある工業の 地域的展開を検討する。なぜなら工業はソ連時代に地域経済の構成要素として重要な位置を占め、 工業と関係づけて経済や生産の地域特化が議論されてきたからであるV。さらに比較対象となるソ 連時代末期の工業分布が業種・集落別を含めて明らかにされているからでもある(小俣2001)。 ところで、本稿に関わる、ソ連解体後のロシア工業の地域的動向はこれまでに多くの研究で取り上げられ、ソ連時代には未公表部分の多かった軍産複合体企業についても一定の記述がなされてい る2)。その中ではソ連時代の工業にも言及しながら、その後の変化を明らかにするという形のもの が多い。その例としてNorth and Shaw(1995)、 XpyrueB(1997)、 Shaw(1999)があり、中村 (1995)は、CISを前面に出しながらロシアやロシア各地の1994年頃までの工業の動向をソ連時代の 状況にも触れながら紹介している。なお、XpyureB(1997:131)は業種別に立地条件や主要な立 地都市をあげてまとめているが、多くは工業の実態と変化を東部・西部別や大経済地域別で捉えて おり、経済危機克服プログラムなどでロシア西部が重点的に扱われてることやテクノポリスへの注 目を表明している。一方、小川(1993,1998)は、変化しつつあるロシア経済の諸相を報告する中で 工業にも言及している3)。村上(1997)は企業調査もとり入れて極東地域南部の機械工業について 移行期経済下の実態を明らかにし、その後のあり方を軍産複合体企業の軍民転換とともに触れてい る。Shaw(1999)は内外の多数の研究を集約する形で、工業を含む地域経済の変化をとりあげ、 「古い工業地域」や「ハイテク工業地域」などの地域類型化を紹介している。同時に、地域経済の変 動要因の1つとして市場への近接性やインフラの整った大都市をあげているが、考察の主たる地域 単位は共和国・地方・州以上である。Schroeder(1998)は工業再編の諸側面の1つとして地域的 側面も取り上げ、主に大経済地域別の工業変化を概観している。さらに、TpenBH田(1999)は経 済危機の地理を明らかにする一環として、工業の地域的生産変化を取り上げている。その中で州別 分析に基づいて、ロシアにおける生産比重の東方への移動や「ヤマル・ウラル・ヴォルガ」工業基 幹ベルトの形成などを指摘している。また、軍産複合体企業の民生品生産への転換を扱った報告は 多いが、その中でソ連時代の軍需工業の主要な集中地域が雇用規模によって明らかにされている (Bass and Dienes,1993)。 そこで本稿では従来のロシア工業に関する研究を踏まえて、それらにやや不足していた角度やス ケールからも検討を加える。例えば自動車生産の展開や経済的特別区構想と工業立地を検討したり、 周辺地域のクラスノヤルスク地方・サバ共和国と中核地域のモスクワ市における工業の動向を前者 は地域人口や集落の変化と関連づけて、後者は現地における企業調査の結果の一部を使いながら取 り上げ、工業生産の変化がどのような地域的枠組みの中で進行しているかを把握する。こうして、 本稿では工業分布の変化を中心にして、1990年代における工業再編の地域的側面を明らかにしたい。 なお、本稿における工業は既に前稿で検討したようにソ連およびロシアにおける定義に基づき、 採取工業を含む広義の工業である4)。また、本稿で使用している中核・周辺関係に基づく大地域区 分はソ連時代末期のロシアにおける工業分布に基づいて区分したものであり、以下の通りである。 中核地域は中央・北西両地域、それにニジェゴロド州を加えた合計18州・市である。周辺地域は北 部地域、西シベリア、東シベリア、極東から構成される。残る地域を中間地域としたが、ここに飛 び地・カリーニングラード州も含まれる。なお、都市レベルで中核地域を画定すると、モスクワを 核心としてニージニーノヴゴロド、トヴェーリ、カルーガ、トゥーラ、リャザンを結んだ範囲とサ ンクトペテルブルク(旧レニングラード)である。これは中核地域の中心部であり、州単位に置き
換えると12州・市である。なお、このような区分の基準や方法については稿を改めたい。 I I
工業の構造変化と地域変動
ソ連解体後約10年間、ロシアの工業は著しく変化してきた。そこで、 態別構造変化を概観してから工業の地域的変動を捉えたい。 生産動向や業種別・所有形 表1 ロシアにおける工業の部門・業種別構成(1990~1999年) 部門・括口 1990 1991 1993 1995 1997 1999 企菖傲 館庖●口 企怠蝕 賦貢者数 企館但 巳口●蝕 企庖蝕 置口宥但 企田数 ぱ頷●蝕 企皐量 賦蹟宥数 社 1000人 社 1000人 社 1.000人 社 1000人 社 1000人 社 1〔N)0人 賦廟看験蜜化 1990・1999 1,000人 % 宣お1.工.亭ル亨二研,. ●力 但料 うち:石油綴■ 石油鴇田 ガス 石良 頁営 泥良 1.,f.1.P...㌧346. 849 545 570 801 69 137 34 99 27 27 334 4S4 4 7 102 47 ..Lc96. 887 599 75 41 26 334 4 119 〕βz旦.. 563 815 152 97 28 488 7 42 .1.764 _ユ.L5.龍......之」17_. 895 666 1.165 869 886 952 158 182 Z14 122 108 171 46 31 46 381 529 364 6 7 4 156 29 153 ..1)596.、 750 846 213 117 38 4Sl 6 21 1.241 1.078 275 243 67 343 4 146 」,C3.1.、.. 810 821 264 130 47 3S9 6 †5 ,3.“.91←.、.1.ぷ18 1,528 880 1.663 738 431 261 500 113 118 60 430 283 4 6 180 15 272 335 -63 124 14 33 -201 -1 ・32 20.2 61.S ・7.9 90,5 14.1 122.2 -41.5 -14.3 -68.1 冶.◎部門 鉄日 非餓金肩 498 .1..、272 ..『{;8. 216 785 226 192 487 202 .1,2τ4. 772 502 ..!,3.g.5.... 1・.,33ρ、...e. ,1...1.z.. 631 788 904 694 S42 1,333 .1..,?7fi.. 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(1999年)に低下させた。したがって、工業の生産額と就業者数は1999年に1990年水準のそれぞれ 49.7%、62.2%となり(npoMbllllneHHoeTbPoccHM1996,2000)、工業は他産業に比して著し い生産後退を示した。同時に、業種構成も大きく変化した。軽工業、機械・金属加工業は上記9年間 に就業者数でそれぞれ一62.3%、-51.2%を示し、実数で最大の機械・金属加工業は工業就業者数にお ける減少の6096以上を占めた。一方、石油・天然ガス、非鉄金属、食品などを中心に燃料・エネル ギー、冶金、化学・木材各部門、食料品工業、建材工業は構成比あるいは実数で増加した。中分類 でみると、大分類と異なった傾向を示す業種もあり、機械・金属加工業の自動車工業は構成比を増 加させ、燃料工業における石炭工業、木材・紙工業中の木材調達は実数・構成比とも減少させてい る。このように市場経済への移行過程にあって国際競争力の生産物別格差、国内・外国市場の状況 により、全体的傾向としては資源採取・一次加工部門や食品工業への依存度を高めた。しかし、ソ 連時代に機械・金属加工業が異常に肥大化していたため、1990年代の激減後も依然としてその構成 比は最大である。 また体制転換と直接関係する民営化や私有化を工業企業の所有形態からみると、国・公有の比率 は減少し、1999年現在で私有が企業数で88.6%、生産額で29.6%、就業者数で39.9%を占めるまでに なった(npoMLI皿neHHocTbPoccHH 2000)。こうした傾向は1990年代に急増した小企業に私 有が多かったことにも起因している。外国資本の導入も期待されたが、外資系企業は企業数で0.9%、 生産額で9.8%、就業者数で4.7%であり、工業生産力という点で主要な所有形態は、生産額で5LO% を占める混合有である6)。したがって私有化は企業数でみるように1990年代に著しく進展したが、 現時点では生産力等を考慮すると私有化を軸に所有形態の多様化がもたらされたという認識が適切 である。 こうした変化の趨勢を就業者総数・就業構成割合・生産額の推移でみると、ソ連解体後から2000 年までロシアの工業生産は大きく捉えて再編期にあるが、それを2つに区分することができる。ま ず、1991~93年は体制転換直後の混乱ともとれるような時期であり、ロシア国内の生産制度に関す る新旧交代と旧ソ連邦という枠組みでの生産体系の麻痺・解体等が並行してみられた。その後1994 年以降のロシアは、1998年に一時的に金融危機に陥ったが、新しい生産環境の形成とそれに適応し た工業生産の確立に向けて本格的な再編を経験している。 工業の構造変化に伴って地域的変動も起こった。生産額ベースでみて生産シェアを増加させたの は、1つは石油・天然ガスに特化して急成長したチュメニ州などのように資源採取・一次加工部門、 具体的には燃料・エネルギー部門と冶金部門の立地する地域、もう1つはサマーラ州、ニジェゴロ ド州などのように全体の生産後退の中で相対的に好調な自動車生産中心地である(図1)。多くの州 は生産シェアを減少させたが、繊維工業に特化していたイワノヴォ州の減少は顕著である。そのた
め中核・周辺関係でみると、工業生産シェアを増加させた州は、わずかにシェアを増加させたニジ ェゴロド州を除くと、すべて中間・周辺地域にある。この点をTpevaBHUi(1999)はロシアにおけ る生産比重の東方への移動や「ヤマル・ウラル・ヴォルガ」工業基幹ベルトの形成として指摘して いる。しかし、中間・周辺地域、例えば北カフカス、シベリア、極東などでも資源やその加工部門 をもたない州、さらに北カフカスの多くの共和国ではチェチェン問題とその影響も受けてか、1990 年代初めの小さい生産シェアを一層減少させている。一方、ソ連時代の大工業集積地であるモスク ワ市、モスクワ州、サンクトペテルブルク市、特にモスクワ市は生産シェアを低下させたものの、 依然として大きなシェアを維持している。 一〇qoべ柏肝瞭でドペ(承) モ3クワ州 ▲ サンクトペテルヲルク市 ++
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一100 -50 0 50 100 150 200 1991-97年生産シェアの変動率(%) 【凡例】 ◇北部 ■北西部 ▲中部 ×ヴォルガ・ヴャーツカ ◆中央黒土 ●バヴォルジエ +北カフカス Xウラル ム西シベリア O東シベリア ロ極東 注)資料欠落のチェチェン,イングーシ共和国を除いた共和国・地方・州を単位として76地域.ソ連時 代の自治州・自治管区はソ連時代にその管轄下にあった地方・州に含めた. 図1 工業の地域別生産シェアとその変化(生産額ベース) (PervaoH囚 PoccHHl998より作成)州内の工業の地域的変動、特に工業生産額の分布変化を行政中心都市への集中率の変化によって 捉えると、ソ連時代末期の6年間と比べて市場経済移行期の1991~97年の分布変動は著しくなって いる(図2)。全体的には行政中心都市集中率はやや低下したが、ソ連時代末期と市場経済移行期と を対比して中心都市集中率が減少から増加、および増加から減少へと転じた地域が、それぞれ20、 21地域であることからも、中心都市集中率の増加・減少の両方向へ変動幅が大きくなった点を重視 すべきである7)。 (ま)揖S巴ミま一 100 80 60 40 20 0 0 1985-91年 1991-97年 Y=X o ノヴォシビルスク州 ぱ1よ・ 20 o ●● ● ● 一● ●●
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40 1985/1991年(%) 60 80 注1)中心都市集中率とは州などの単位地域の工業総生産額に占める行政中心都 市における工業生産額の割合である. 2)アドィゲヤ,チェチェン,イングーシ各(自治)共和国,クラスノヤルスク 地方は資料の一部欠落により省略した. 3)モスクワ市とモスクワ州を統合してモスクワ地域とした.レニングラード 地域も同じ. 100 図2 工業生産の中心都市集中率の変動 (PerHoHHPoccHH 1998により作成) 工業の再編成をする上で、設備投資とともにマネジメント・市場開拓などソフト面の改革というレニングラード州 サンクトヘテルブルク市 カレリア共和国 ノヴゴmト洲i l モスクワ市 モスクワ州 2 ロ トウーラ月 3 ゐooogo Ooぺつ o
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プリモルスキ-mUh 1.。。。、m戸 [図中で番号の地域] 1.カリーニングラード州 2.スモレンスク州 3 クラス ノダール地方 4 スタヴロポリ地J)’ 5 ヴ1・ルゴグラー ド州 6 サラト7州 7 ヤロスラヴリ州 8 ニジェゴロ ド州 9 チェリャピンスク州 IO.クルガン州 図3 地域別外資系企業工業生産額とその工業総生産額に占める割合(1999年) (PerHoHblPoccMH1996,2000により作成) 点でも直接的な外国投資が期待されてきた。しかし、期待・予想通りには資本流入がみられなかっ たのは、上述の所有形態別企業数にも表れている8)。確かに外国投資額は1998年の金融危機以降減 少し、1999年には95.6億米ドルで1997年と比べて22.2%の減少であった(PoccHHBuHΦpax 1998,2000)。しかし、工業への投資額は48.8億米ドルと1997年と比べて増加した。工業への投資割 合が44.6%と大幅に増加したためである。業種上では、燃料(1999年全工業中の割合、以下同様 34.9%)は1990年代前半から主要な外資投資先であったが、食品(29.0%)、鉄・非鉄金属(19.1%) が大きく伸びた。外資系企業による工業生産額を地域的にみると、モスクワを中心とした中核地域 が45.0%を占め、残る中間・周辺地域では極東の各州でやや目立つが、多くはチュメニ州以西にみ られる(図3)。これらは基本的にソ連時代の工業分布と対応するものである。生産額が最大のサン クトペテルブルク市の場合は、外資との合弁によって再建された工場におけるビールなど消費財生 産に特徴がある9)。このように多くは既存の工業施設の選択的な再建による操業であると推定され る。その一方でサンクトペテルブルク、レニングラード州、パヴォルジエのヴォルゴグラード、サ ラトフ両州、北カフカスのクラスノダール・スタヴロポリ両地方、カレリア共和国、アルハンゲリ スク州などの工業生産額と域内工業生産における外資系企業への依存度が大きいことから、量的に あるいは業種構成上、従来の分布パターンを変化させる可能性も内包している。外資系企業はその 活動を本格化させて日が浅く、ロシアの工業生産力に占める割合も小さが、こうした外国資本の新しい動向も工業生産の地域的変化を捉える上で、重要な要素となりつつある。また市場経済化の促 進策として奨励された小規模企業の工業部門をみると、合計13.6万企業(1998年)あるが、生産額 では工業全体の3.3%である1°)。その立地ではビジネスチャンスに恵まれたモスクワ、サンクトペテ ルブルクを中心とした中核地域が企業数、工業生産額でそれぞれ42.3%、39.6%を占め、顕著な大都 市指向性を持ち、従来の工業分布パターンを上回る大都市集中型立地を示しているtT)。
III 旧ソ連・ロシアの経済的特別区構想とその現実
経済的特別区は工業を含む経済活動に対して特別の条件を付与された、あるいは付与を目指した 地区であり、その多くが工業立地の促進を設置目的の1つとしていた。そのため、この特別区構想 の帰趨は工業再編や工業分布にとっても大きな意味を持つので、ここで検討することにした。なお、 経済的特別区とは、ソ連時代後半から現在に至るまでに合同事業地区、自由企業活動地区、自由経 済地区、特別経済地区など相互に具体的条件を異にしながら各種の名称で呼ばれてきた一連の地区 を一括した名称とする。 1.旧ソ連・ロシアにおける経済的特別区構想の展開12) 経済的特別区形成のソ連時代前期は、1980年代後半すなわちソ連時代のペレストロイカ期に始ま る.特に1986年のゴルバチョフ書記長(当時)によるウラジオストク演説で、アジア太平洋国家と してのソ連や国内的・国際的両分業における極東地域の位置づけが取り上げられた.この演説はソ 連邦あるいはコメコンの枠内で完結度の高い経済を追求してきた対外・経済方針の変更を具体的に 示すものでもあった。1987年12月に最初の体系的な合弁企業に関する決定が行われ、1988年9月に ゴルバチョフ書記長のクラスノヤルスク演説で合弁企業を集中させた「合同事業地区」構想が初め て公表された。その後、同年12月のソ連邦政府(閣僚会議)決定で、プリモルスキー地方ナホトカ 市やレニングラード州ヴィボルグ市に合同事業地区を設置することが採択された。 経済的特別区形成のソ連時代後期は1990~91年であり、具体的な自由経済地区設置や対外経済関 係についての決定や文書の公布が行われた。1990年7月にロシア共和国最高会議は、「地域的発展の 特性」を考慮し、「市場経済への移行を保障」するために、自由経済地区をプリモルスキー地方(ナ ホトカ市を含む)、サハリン州、チタ州、レニングラード市、カリーニングラード州など6地方・ 州・市に設置する方向を決定し、同年9月に設置地域を追加した(表2)。これらの地区は、東部国 境付近では極東地域南部の4地方・州と隣接するチタ州、西シベリアの2地方・州に及び、西部国 境付近では北西地域の2州2市であり、中部ではモスクワ市北西郊で行政上はモスクワ市に属する表2 ロシア連邦における自由経済地区~経済・法的地位の付与に関する文書1)による (○・一・該当あり,一…該当なし) 設置目的 ・. 一一 (a)域内の (b)商業・ (c)外国の (d)地区・ (e)天然・ 発令年月日 社会経済 貿易・科 資本,技 ロシア連 原料資源 f)その他 NO.指定地域 (創設決定時) 的発展の 学技術上 術,経営 邦の輸出 の総合開 「略称」 早期化 の対外協 法の導入 能力の増 発または ①、②… カの深化 促進 大 利用拡大 ... .i 1. ナホトカ市,パルチ 1990.ユ0.24. ①高品質の輸入代替品の生 ザン地区ご) (1990.7.14.) 一 ○ ○ ○ ○ ②大陸横断輸送の発展 「ナホトカ」 地方・連邦 極東対象 2. レニングラード市”, 1991.5,12. ヴィポルグ市 (1990.7.14.) ○ ○ ○ ○ 一 一 「 - 」 州を含む 州を含む 3. ゼレノグラード市P 1991.5.21. ①ハイテク製品の生産拡大 (1990.9.13,) ○ ○ ○ ○ 一 「テクノポリス」u 工業面のみ 資本のみ 4. チタ州 1991.5.25. ①消費・生産両財の生産拡大 (1990,7.14.) ○ ○ ○ ○ ○ ②鉱物性原料の利用深化と生 「ダウリア」 資本のみ 利用拡大 産屑の総合的利用 5, アルタイ地方旬 1991,5.25. ①世界市場で競争力のある消 (!990.9.13.) ○ ○ ○ ○ ○ 費・生産両財の生産拡大 「アルタイ」 利用拡大 6, サハリン州 1991.5.27. ①高品質の輪入代替品の生産 (1990,7.14.) ○ ○ ○ ○ ○ ②大陸横断輸送の発展 「サハリン」 ③新事業形態の開発 7、 カリーニングラード 1991,6、3. ①世界市場で競争力のある泊 州丁, (1990,7、14,) ○ ○ ○ ○ . 費・生産両財の生産拡大 「ヤンタリ」 8、 エブレイ自治州 1991.6,3. ①世界市場で競争力のあろ楕 (1990,9,13.) ○ ○ ○ ○ ○ 費・生産両財の生産拡大 「EBA」 利用拡大 9. ケメロボ州 1991.6.7. ①世界市場で競争力のある消 (1990.9.13.) ○ ○ ○ ○ 一 費・生産両財の生産拡大 「クズバス」 10. ノヴゴロド州 1991.6.7. ①世界市場で競争力のある消 (1990,9.13.) ○ 一 ○ ○ 一 費・生産両財の生産拡大 「サトカ」 ②国際観光の発展 注D 「ナホトカ1は閣僚会議決定の「規定」,「サハリン」は最高会議幹部会令、その他は最高会議鍍長令である. 2)創設決定時はナホトカ市を含むブリモルスキー地方が指定されていたが、その後変更されて発令された.たお,パルチザン地区はナホ1・カに隣接し. その中心はウラジーミル・アレクサンドロフスコエ村である. 3)指定後、市名がサンクトペテルブルクに変更された, ・1)モスクワ市の西郊にある.1963年に市となったが,行政上はモスクワ市の管轄下にある, 5)正式名称は「テクノポリス・ゼレノグラード」である. 6)コルノ・アルタイ自治州を含む.なお,この自治州は後に連邦内共和国に昇格している. 7)州内の国防関連地区を除く. 資料:ナホトカの設置目的に闇しては糸賀 了『ソ連投資宴務法令ガイド』1991年,そのthtt BenOHCTH Cbe3na HaponH-x nen y7’a ros pcecp H BepxoeHoro Coeerd PCUCPより作成. (ノ1、俣19931こ一部加筆) ゼレノグラード市である。 自由経済地区の設置目的は、外国の資本・技術・経営法の導入などで共通するが、’西部国境付近 の各地区では輸出指向型生産、東部国境の各地区では天然・経済資源の利用拡大が多い。なお、ナ ホトカ市とサハリン州では、天然資源開発に加えて、輸入代替型生産と大陸横断輸送も地区設置の 目的とされている。こうしてロシア東部、特に極東地域南部、西部では北西地域と飛地のカリーニ ングラード州が自由経済地区政策における東西の窓口として位置づけられた.なおゼレノグラード 市はハイテク製品の生産に特化したテクノポリスとされ、その立地とともに設置目的も他の地区と 大きく異なる。
1990年10月にソ連邦大統領令「ソ連邦外国投資について」が公布され、1991年7月採択のロシア 共和国外国投資法は積極的な外資導入の方針を具体化している13)。この外資法の中で自由経済地区 の外資系企業に対して、減税、土地その他の天然資源の使用料割引、不動産の転借権・賃借権の付 与、少額外資企業の登録手続きの簡素化などが規定された。また1991年にロシア大統領令「対外経 済活動の自由化について」も発布された。 経済的特別区形成のロシア時代第1期は1992~93年であり、自由経済地区をめぐって大きな変化が みられた。まず自由経済地区はナホトカなど若干の地区を除くと活発な外国投資もみられず14)、大 統領選に絡んだ地区指定、国内の財政・資金状態から判断して指定地区数の多さ、かつその面積の 広さ、不十分なインフラなどの問題が指摘さている(Ky3HenoB,1992)。しかも1992年1月に自 由経済地区創設に関する決定のすべてを廃棄することを連邦政府が提案するような状態であった。 しかし、地区の諸問題を分析した国際自由経済地区発展協会15)の働きかけによって、1992年6月の 大統領令「ロシア連邦における自由経済地区の発展に関する若干の方策について」で自由経済地区 政策の継続が確認された。その中で、地区発展のための方策も提示された16)。また同年12月に自由 貿易地区「シェレメーティエヴォ」、1993年6月に自由関税区「モスクワ・フランクーポルト」・自 由経済地区「シェリゾン」(シェレメーティエヴt-2)の創設がそれぞれ大統領令で指示された。 しかし1993年5月のロシア連邦関税法や同年6月の国税局・財務省書簡「自由経済地区に立地する 企業の課税について」によって、国内企業の保護を理由にすべての自由経済地区における税制上の 既得特典が廃止された17)。 経済的特別区形成のロシア時代第2期は1993~95年であり、自由経済地区の実質的な機能停止を受 けて、1980年代末から提起されていた自由経済地区に関する総合的な連邦法の作成に向けた動きも 活発化した。1994年6月のロシア大統領令「ロシア連邦における自由関税区の創設・機能化問題の 解決について」で対外的な通商協力の発展、外資導入促進を目的とした自由関税区「スタヴロポリ 空港」(スタヴロポリ市)とアムール州内の自由関税区の設置とそのための必要な措置を連邦政府に 求めている。同年9月に連邦政府は「自由経済地区ナホトカの発展諸施策について」として、イン フラ整備への財政措置、保税諸区や複数の工業団地の形成に向けた検討、軍用空港の民間との共同 利用などを決定した。これは自由経済地区を小規模な保税区域の集合体として再組織する方向を示 していた。同時に1994年6月に連邦政府は経済特恵地区「イングーシ」を決定した18)。連邦法・自 由経済地区法の成立を見越して、1995年12月に「カバルディノ・バルカル共和国の経済安定・発展 と共和国内における自由経済諸地区創設について」、「地域科学・生産コンプレクス〈テクノポリ ス・ザリェチヌイ〉(スヴェルドロフスク州)創設について」が連邦政府決定として採択された。 経済的特別区形成のロシア時代第3期は1996年から現在に至る時期である。まず1996年1月に「カ リーニングラード州における特別経済区について」という法令が発効し、経済的特別区に関する最 初の連邦法となった。1996年3月に「科学・技術団地創設について」(ノヴォシビルスク)が連邦政 府決定として採択された。
一方、ナホトカ自由経済地区では先の発展諸施策を踏まえて1995年から期限付きの免税工場が出 現した。また、インフラ整備などに向けた財務省による融資、日本・韓国・アメリカなどの外国資 本も取り込んで、各種の事業がゆっくりと進捗し始めた。2つの工業団地構想も1995年から動き始 め、1996年3月の大統領令「ナホトカ自由経済地区における投資促進の諸方策について」でも欧亜 大陸横断輸送路によるトランジット貨物量の増大とともにロ・韓の工業団地建設などが指示され、 1999年までに敷地170haの米・ロの地方・民間資本による工業団地は第1期分15haの基礎工事が完 了し、規模330haのロ・韓による工業団地建設に関しては覚書を踏まえて政府間協定が締結された。 1999年5月に連邦法「マガダン州における特別経済区について」が成立し、カリーニングラード 州に次いで2000年初め現在、連邦法で規定された2つ目の特別経済区となった‘9)。また、これまで に地方、すなわち連邦構城主体の決定による経済的特別区も自由経済地区・自由関税地区・経済発 展区などの名称で多数設置されている。しかし連邦法としての自由経済地区法は未だに成立してい ない。 2.経済的特別区をめぐる構想と現実2°)一旧ソ連・ロシアと中国との比較一 経済的特別区はハード・ソフトの両条件が全国的に未整備の状況でも地域限定でハード・ソフト の両条件における特別な空間を隔離できる。この方式は特定の発展段階では韓国や台湾など小地域 でも有効であるが、広大なソ連、ロシアにとってはきわめて有効な空間となる2L)。 しかし指定地区が大きすぎると、州レベルでは連邦内共和国も含まれ、単なる特別区政策の有効 性というよりも中央・地方関係、さらに連邦制という国内行政・政治再編過程における重要な論点 と関係してしまう。特に1990年代前半には連邦制が揺らぎ、加えて税制の確立と現実的な徴税の徹 底という観点からは全国一律の条件下の方が効率的かつ徹底可能性も高まるため、一時的にせよ特 別区政策は後景に退くことになった。 ロシアでは旧ソ連内の経済的連関が断ち切られ、それでいながら自由経済地区の形成初期は旧ソ 連邦内共和国間の国境管理が十分ではなかった。ロシアは、大統領と議会下院との対立によって政 治的な不安定さや連邦制とりわけ独立指向の強い共和国を抱えた国内・連邦内事情を特徴としてい た。一方、中国は現実的判断を優先させ、地方政府に対して強力な権限を握る中央政府・共産党の 指導・支配下にあり、華南地域における華僑としての海外進出と人的ネットワークによる資金循環 を形成しやすい条件をもっていた。また、中国は人口規模の大きさと高密度な農村人口を有し、低 賃金労働力予備軍として、あるいは巨大市場の確保という点で外国資本にとっての利潤源泉に恵ま れていた。しかし旧ソ連・ロシアの場合は、ソ連時代の中央アジアや北カフカス・ザカフカスとい うカフカス地域などを除き、特に自由経済地区の指定地域やその隣接地域は労働力の安定的な供給 を保障するような条件にはなかった。
さらにロシアの経済改革は特にその初期において価格自由化や金融面に重点を置き、国内工業の 発展というような実物経済面の改革は軽視された。すなわち銀行や両替所が急増し、株の取得を通 じて企業の所有・経営権が移転することがあっても、債券・株の売買など金融取引を活発化させる だけで、工業など国内の実物経済の発展と必ずしも対応していなかった。 いずれにせよ国家的な合意形成の過程はともかく、強力な国家政策によって、ソフト・ハード面 で経済活動上恵まれた条件をもつという点で国内の他の部分とは異質な、規模上適度に限定された、 安定的な、空間を経済的特別区として用意できなかったことが、旧ソ連・ロシアと中国の最大の違 いである。 ここでは経済的特別区として現行法上、最も安定的なカリーニングラード・マガダン両州の特別 経済区と紆余曲折はあったが長い歴史を有する自由経済地区ナホトカ、地方レベルの経済的特別区 の例としてゼレノグラード市の工業特別区について、その投資動向から工業変化を明らかにしてお きたい。 カリーニングラード州22>では近年外資が活発化しており、1998年の基本投資では機械・金属加 工、鉄鋼という工業への投資額は商業・飲食など他部門を上回り、1,250万ドルとなっている。こう した投資環境によって石油精製工場計画が実現し、BMWの自動車組立工場創設計画も実施された。 さらに1999年に2つの大規模肉加工工場(うち1つはリトアニア資本も参加)が稼働し、配合飼料 工場・冷凍室付屠殺場が建設され、マカロニ工場において生産ラインが増設された。さらに、特別 経済区の特恵条件によって家具生産が立地し、国内・ヨーロッパ市場へ参入し、その生産は1999年 上半期に前年同期と比べ1.4倍の伸びを示している。他方、マガダン州23)は特別経済区指定が1999 年7月と日が浅いが、2000年7月現在で311の特別経済区登録企業中で商業40%に次いで工業は28% を占め、採金を中心とした非鉄金属工業、漁獲を含む食料品工業が大きな割合を占める。特別経済 区登録企業の生産実績(2000年第1四半期)をみると、非鉄金属69%、食料品21%、発電8%であ り、州全体の工業生産の60%を占め、採金や漁獲・海産物採取ではそれぞれ90%を上回っている。 ナホトカ自由経済地区24>はナホトカ市とパルチザン地区の総面積4,580k㎡であり、整備された港湾、 特にヴォストーチヌイ港に近接して2つの工業団地の整備計画があり、一部は基礎工事を終えてい る。米ロの工業団地では軽工業・組立工業や木材・金属・食品の加工、ロ韓の団地では韓国からの 搬入部品による農業関連機械・家庭用電気器具の組立などが計画されている。外資系企業の主要な 生産分野は漁獲・海産物採取、非アルコール飲料である。外国投資の中心は商業、通信・運輸・ホ テルなどサービス部門であり、工業では魚工業など食料品工業と木材工業である。自由経済地区は プリモルスキー地方における外資系企業による工業生産で45%を占めるが、絶対額は大きくない。 ちなみにナホトカ市工業(1999年第1四半期)においては、軽工業・木材工業の著しい減産の中で、 食料品工業(うち92.5%は魚工業)は生産増加を示し、市内工業生産の94%を占めている。 ゼレノグラード市はモスクワの北西郊でモスクワ環状自動車道から約20km離れたところにある。 この都市はモスクワ市轄の飛地であるが、ナホトカ自由経済地区などとともにテクノポリス・ゼレ
ノグラードとして経済的特別区に指定されたが、実効は認められなかった。しかしモスクワ市政府 による「ゼレノグラード市の電子工業企業を基礎とする特別工業地区」が1997~98年に形成され、 軍産複合体企業としての電子工業の集積地がにわかにハイテク製品の研究開発と製造の集積地とな りつつある25)。この地区に立地する58企業中の38企業は流入企業であり、さらにその32企業はエレ クトロニクス関係のハイテク製品を開発・製造している。開発成果・製品の売上額は1991年と比較 して1998年は36.5%、2000年は123%の増加を示している。地区内企業の投資意欲は旺盛であり、 1998年に636人、1999年に893人の雇用を生み、さらに先行立地企業の敷地内の空き地に立地した流 入企業によって1999年に1,256人の雇用が生まれている。
IV 自動車工業の地域的生産動向
乗用車生産は生産台数で1994年に最も大きく落ち込み1990年水準の72.3%(79.8万台)になったが、 工業とりわけ機械・金属加工業における生産の急減の中で他の工業品目に比べ状況はよかった。な ぜなら、同年の全工業は生産額で1990年水準の51%、機械工業のそれは42%と激減していたからで ある。その後、生産台数は増加に転じ、1997年は1990年水準の89.4% (98.6万台)となり、1998年 の金融危機後に若干減少したが、1999年に再び増加して同865% (95.4万台)となった。したがっ て1999年の乗用車生産は、全工業、機械・金属加工業とも生産額で1990年水準の50%未満にすぎな いことを考えるとロシア工業の中で依然として特異な位置にある(rlpoMbl山、戊eHHocTb P〔)c- CHM1996,2000)。こうした乗用車の生産動向の背景には高い関税障壁、財政援助による政府の産 業保護政策、比較的安定した国内市場がある。また、自動車生産には再編過程にある国内自動車メ ーカーを中心にしながらも、市場拡大を目指して外国自動車メーカーも新たに参入してきている。 この間の個別企業の生産・経営・財務状況や連邦・地方政府の対応についてはその変化も激しいが、 すでに坂口(1997.1998,1999)やMa p71{opeTTo H BaplllaBcKafi(2000)など多数の報告があ る。ここでは生産台数の多い乗用車を主に取り上げながら、その地域的展開に絞って検討したい。 旧ソ連およびロシアにおける自動車工業の主要製品は乗用車、トラック、バス、トロリーバスで ある。初期の大規模な自動車工場の立地点は、モスクワ、ヤロスラヴリ、ニージニーノヴゴロド (旧ゴーリキー)であり、ソ連時代にモスクワ地域からパヴォルジエにかけての自動車工業地域が形 成されていた。ソ連時代末期の主要な生産地は次のようになる。乗用車生産地はニージニーノヴゴ ロド、イジェフスク、ウリヤノフスク、モスクワ、トリアッチであった。トラックの生産地はモス クワ市、ニージニーノヴゴロド、ウリヤノフスク、ナベレージヌィエチェルヌィ、ミアスであった。 またモーターやディーゼルエンジンの専門工場がザヴォルジエ、ヤロスラヴリ、モスクワ市、コロ ムナなどにあった。バス生産はクルガン、ウリヤノフスク、パヴロヴォ(ニジェゴロド州)、リキノ ドゥレヴォ(モスクワ州)などで行われていた。国内唯一のトロリーバス工場はエンゲルス(サラ〃り一t’ノソノート川★ セス’1リ州 (・り…グ㌃ロ・1 -v ’aクワ市★ ゜6 000 ゐ・
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(1・ ooo台) ★ 外国自動車メーカーによる投資.( )は予定. レニングラード州は投資先予定地,他は地名の後に表示. 図4 ロシアにおける乗用車生産の地域的変化(1990・1999年) o P ⇔ 9 、o OOooq
(rlpoMH田JI・eHHocTbPoccMH2000,Map>KopeTTo HBap田aBcKa只(2000)により作成) トフ州)にあった。 そこで乗用車を対象に1990~99年の地域的な生産変動をみると、生産台数の増減と工場立地点の 増加が認められる(図4)。地域的変化を乗用車組立を担当するメーカーの性格によって国内メーカ ーと外国メーカーに分け、生産の立地時期によってソ連時代末期までに存在した既存立地点と1992 年以降すなわちソ連解体後の新規立地点に分けて、その組合せによって捉えることができる。既存 立地点における国内メーカーの生産はトリアッチのAvtoVAZ(旧ヴォルガ自動車工場)、セルプホ フ(モスクワ州)のSeAZ(セルプホフ自動車工場)、モスクワ市のMoskvich(モスクヴッチ自動車 工場)、ニージニーノヴゴロドのGAZ(旧ゴーリキー自動車工場)、ナベレージェヌイエチェルヌィ (タタールスタン共和国)のKAMAZ(旧カマ自動車工場)、ウリヤノフスクのUAZ(ウリヤノフス ク自動車工場)、イジェフスク(ウドムルト共和国)のIzhMASH(イジェフスク機械工場)の合計 7地点である。既存立地点における外国メーカーの生産は1例のみであり、正しくは合弁企業 Avtoframos 26)がMoskvich工場の一部を利用したものである。他方、新規立地点については国内メ ーカーが生産展開した例はなく、国内資本あるいは外国メーカーと国内資本との合弁形態ですべて 外国車の生産である。その立地点はカリーニングラード、ロストフ・ナ・ドヌー、タガンログ(2 都市ともロストフ州)、バラコヴォ(サラトフ州)、エラブーガ(タタールスタン共和国)の5地点である。これらの中には1998年の金融危機後販売不振などで生産停止や車種転換をしたとされる立 地点も含まれている(坂口1999)。オレンブルグ州については1995~96年のみ少量の生産がみられた が、詳細は不明である。また、国産車と外国車をともに生産する地域はモスクワ市、タタールスタ ン共和国のみであり27)、これ以外の諸地域はそのどちらか一方の生産に限定されている。 1990年代の乗用車生産の地域的変化をみると、AvtoVAZのあるサマーラ州はソ連時代から現在ま で乗用車生産の中心地として最大の生産台数を維持しており、タタールスタン共和国、ニジェゴロ ド州、モスクワ州は生産台数を著しく増加させている。この期間では1998年の金融危機後のルーブ ル切り下げによって外国車が高騰し、国産車の需要が高まって、国内メーカーの生産が活発化した。 GAZとKAMAZ、特に後者はソ連時代はトラック生産に特化していた工場であり、この間、市場動 向に対応させて乗用車生産の比重を増加させてきた。とりわけKAMAZはSeAZと同様にVAZから部 品供給を受けて軽乗用車オカを生産することにより、増産に成功している。生産台数を減少させた のはモスクワ市とウドムルト共和国であり、前者は上述のように1999年から外国車生産も始まり、 減少幅も比較的小さいが、後者のIzhMASHにおいてはフォルクスワーゲン傘下のチェコ・シュコ ダや韓国・現代との提携交渉も報じられてきたが、現状では生産は激減している28)。一方、新規立 地点における外国車生産は基本的にドライバー組立29)であり、生産台数も多くはないが、いずれ も増加地域である。この新規立地点には2つのタイプがあり、カリーニングラード、ロストフ・ ナ・ドヌー、タガンログのように輸入先や特別経済区を考慮して臨海部あるいは国境地域にある場 合と、エラブーガ、バラコヴォのように自動車工業地域あるいはそれに近接している場合である。 これら2つのタイプについて事例的に立地過程をみることにする。 第1はロストフ州の場合である。ここではソ連時代に乗用車というよりは自動車生産そのものの 基盤がなかった。しかし、1995年に乗用車生産が新規に立地した。すなわち、ロストフ・ナ・ドヌ ーの株式会社Krasnyy Aksay(KpaeHbi Pt AKcan)・トラクター用耕転機工場で韓国・大宇の 輸入部品のドライバー組立による自動車生産が始まり、同様にその生産は同州タガンログ市内のコ ンバイン工場へも拡大した(RoCHKoB HKOCMKOBa 1ggg)。いずれもドンインベストという地 域投資会社が関係しており、農業機械工場の遊休生産能力を利用する形で自動車生産が始まってお り、ソ連時代の農業機械工業が先行産業となっている。なお、後者のコンバイン工場における TagAz(タガンログ自動車工場)については「自由関税倉庫」(1997年連邦政府決定)すなわち保税 倉庫として経済的特別区の認定を受けていた。 第2はタタールスタン共和国の場合である。ここはソ連時代からの自動車工業地域内であった。 KAMAZのあるナベレージェヌイエチェルヌィに近いエラブーガ郊外18kmに1985年から建設中のト ラクター総合工場を1988年に乗用車工場に変更して建設されるエラブーガ自動車工場の一部を利用 して、1995年にEIAZ(タタールスタン共和国政府・連邦政府)とGM(ゼネラルモータース)との 合弁企業EIAZ-GM(∂JIA3一卿を設立した3°)。この企業は1996年から輸入部品のドライバー組 立によってシボレー・ブレイザーなどの自動車生産を始めた。5年程をめどに部品の60%をタター
ルスタンやその他のロシア国内から調達する予定である。この場合もエラブーガ自動車工場の敷地 のうち合弁企業部分165k㎡が、合弁企業活動開始後の1998年4月タタールスタン共和国法・同国閣 僚会議決定によってタタールスタン共和国レベルの自由経済地区の条件を付与された。 上記の事例地域以外でも新規立地点は機械工業の既存建物・施設の一部を利用している。すなわ ち、カリーニングラード(KIAやBMW)では造船所・製紙機械工場、バラコヴォ(現代)では農… 機部品工場であり、フォードの工場建設予定地はレニングラード州フセヴォロジスクにおけるディ ーゼル工場の用地と報じられている。 自動車工業の新規立地展開はその緒についたばかりであり、バラコヴォのように1年間で生産中 止になるなど不安定な側面も認められる。しかし、その展開地域をみると、多くの場合、特区的な 性格を持ち、トラクター工業などの機械工業を先行産業としている一11)。 以上のように1990年代の乗用車生産の地域的変化をみると、生産台数を規定したのは国産車生産 であり、立地点の増加に寄与したのは外国車生産である。しかも、地域的拡大を伴いながらも、そ の生産量や生産内容上、主にドライバー組立であることを考えると、2大国内メーカーVAZとGAZ、 すなわちトリアッチとニージニーノヴゴロドへ生産の地域的集中が進行した。これを中核・周辺関 係でみるとロシアの乗用車生産は周辺地域にはまったくみられず、80%以上を中間地域が占めてい る。そのなかで1990年と比べて中核地域がシェアを若干伸ばしている。しかも、そうした中核地域 へのシフトは現在表明されている外国自動車メーカーによる合弁や単独での組立工場立地計画が予 定通り実現すれば、さらに進行することになる。
V 中核・周辺両地域における工業
1.周辺地域における採取工業と人ロークラスノヤルスク地方ノリリスクとサバ共和国を例に一 ソ連時代の周辺地域、とりわけ厳しい気候条件下の極北地域における工業立地の典型は、採取工 業を中心とした資源開発であった。他方、1990年代のロシア工業の構造変化において採取工業やそ の一次加工部門の比重が増加した。そこで周辺地域の採取工業の動向を人口変化と関係づけて集 落・地区、州(共和国)の両レベルで捉えたい32)。 まず集落・地区レベルではノリリスク工業地区を取り上げる。この工業地区は採鉱・金属コンビ ナートをもつ中心都市・地方管轄都市ノリリスク、その衛星都市で非鉄金属鉱の産出と選鉱工場を もつタルナフ市、同じく石炭採掘と非鉄金属工場を有するカイエルカン市、水力発電の町スネジノ ゴルスクの以上4市町を中心に形成されている33)。この地区は東シベリアのクラスノヤルスク地方 北部にあり、地図上ではタイムィル自治管区内にあるが、ソ連時代から行政上の所属関係からみる1,200 1,000 800 人 口 数 600?
5
400 200 0 サバ共和国 クラスノヤルスク ヤクーツク ノリリスク 1975 79 85 89 91 92 93 94 95 96 97 98 99年 2000年 図5 サバ共和国、ノリリスク市、クラスノヤルスク市の人ロ推移 (PoccHncKHM cTaTMcTPIqec[{HHe・>KeronHHK2000により作成) とクラスノヤルスク地方に直属している。このことは、この地区の資源供給や極北地域開発の記念 碑としての重要性とともに、自治管区が民族原理に基づく区分だけに連邦中央・モスクワと先住民 族との微妙な関係も表現している。 ところで、ノリリスクは北緯69度の極北にあり、その近くのニッケル・銅・コバルトなどの鉱石 採掘、選鉱、ニッケルをはじめとする非鉄金属精錬が行われ、資源の採取・一次加工を中心とする 工業地区である。ノリリスクあるいはそれを含む工業地区は、大企業ノリリスク・ニッケル傘下の 有力企業ノリリスク・コンビナートの「企業城下町」である。このコンビナートの経営状態やリス トラ等は、工業地区の人口に直接的に影響する。ソ連解体後も操業しているこのコンビナートは 1997年現在で10万2,㎜人を雇用し、この数はノリリスク工業地区総人口25万2,000人の40%にあたる。 さらに地区人口のうち残る60%も、その多くの生活がこのコンビナートに依存している34)。しかし、 この地域の最近の状況は次のように報告されている(KyqePH八pr.1997)。価格自由化や激しい インフレは極北住民の生活にも影響し、この地域で保障されてきた各種手当てや割増賃金なども魅 力的なものではなくなっている。そして、ノリリスク工業地区への流入人口が減少し、高水準の流 出が続いている。中核的な労働力年齢層は多く流出し、地域人口の高齢化が進行している。1991~96年にこの工業地区における年金受領者は2倍に増え、1997年初めには4万人となり、その半分は 就業していない。 ここの都市別人口変化をみると、1991~2000年にノリリスクとカイエルカンはそれぞれ一16.7%、 -10.7%であった。しかし、地区内のスネジノゴルスク町(2,000人、1991年)は9年間に一40%を記 録したが、タルナフ(6万6,000人、1991年)は一4.1%に止まっている。このように地区内でも都 市・町ごとに減少率に差があるが、この9年間に工業地区全体では約3万5,000人、13.1%の減少を 示している。中心都市ノリリスクの長期的な人口推移をみると、1970年代をピークに、その後ゆる やかな減少に転じた。この場合、ノリリスクと周辺の衛星都市との居住・生産機能等の分担も考え られる。しかし、ノリリスク単独でも、あるいは都市圏全体としても、ソ連時代に比較的安定した 人口推移を示してきた。これは厳しい自然条件を考慮すると、この都市の戦略的な産業・都市基盤 形成が明らかになる。こうした地区の人口も1990年代を通じて減少傾向を強めていることになる。 これと対照的にクラスノヤルスク地方の行政中心都市かつ東シベリアの中心都市でもあるクラスノ ヤルスクは多様な都市機能を有し、1990年代初めにやや人口を減少させたが、1995年以降は微増や 横這いを維持している(図5)。 次にサハ共和国(ヤクーチャ)を取り上げる[5)。この共和国は金・ダイヤモンド・錫などの非鉄 金属鉱、石炭・原油などの採掘を中心にした採取工業地域である。共和国北部で北極圏内にあって かつて安定していた錫採掘企業・デプタタツキー選鉱コンビナートも海外市場での価格低迷で減産 し、就業者数は約3分の1に減少した。また同じ地区のクウラル鉱区の金採掘も減産し、この鉱区 での金採掘は金採掘業者の同業組合の形で続けられている。住民は共和国外や共和国内の他地域へ 流出している。こうして錫・金の採取量の減少は立地集落の人口に影響を与える。すなわち、ウス チヤンスキー地区の主要中心地・デプタツキー町の場合、人口は1万3,500人(1991年)から4,000人 (2㎜年)に激減した。このように町は都市ほどの人口規模を持たず、大都市郊外の居住機能が卓越 した衛星町を除くと産業上は非農業分野の特定業種に依存しているものが多い。そのため町は基盤 としている産業に変動があると、それが集落そのものの変化につながりやすい。サバ共和国におい て1990年代後半に集落として急変した町は多数存在する(表3)。このうちニュルバ、ボクロフスク は基盤産業も比較的多く、都市への昇格であり、クイルバスタフも後者に編入されるかたちの廃止 である。しかしそれら3町を除く10町は廃止すなわち閉鎖、農村への降格、あるいは100人未満の小 規模集落化を経験しているが、それらの産業基盤をみると採取工業が多い。しかも町の廃止は共和 国内北部の高緯度地域で先行している。なお表中の集落を含めて1999~2000年に12の採金労働者集 落の閉鎖が見込まれている。一方、共和国中・南部では工業の新しい動きもみられる。農業地域に おいては農業経営組織の再編によって生じた余剰労働力を基に19のダイヤモンド原石研磨工場が設 立され、韓国製テレビの小規模組立工場もいくつか設立された。ネリュングリ市では大型土堀機修 理工場で韓国メーカーの自動車組立が行われている(ΦeAopoBa1998:150)。ただし、第IV章で 自動車工業を検討した際には、この地域における乗用車組立は認められなかった。上記の報告では
表3 サバ共和国における町の再緬あるいは小規模化1)とその産業基盤 町 名 再編・小規模化年/内容 1991年人口 (1,000人) 主な産業基盤 緯度 ニュノレノミ クイルバスタフ ボクロフスク ヴラソヴォ クウラル テンケリ ブイコフスキー ベスティヤフ オリチヤン ラゾ ニェリカン エリギンスキー カンクンスキー 1997年/共和国轄都市 1997年/廃止後ボク・フスク町に編入 1997年/共和国轄都市 1998年/廃止 1998年/廃止 1998年/廃止 1999年/農村 1999年/農村 1998年/小規模集落化 1999年/小規模集落化 1999年/小規模集落化 2000年/小規模集落化 2000年/小規模集落化 12.4 _2) 9.6 1.8 4.6 2.8 0.6 2.7 0.9 2.2 1.6 1.4 0.9 研磨・食品工場llレ レンガ・鉄筋コンクリ・アスファルトlng 1) 鉱石採掘 金採掘 錫採掘 魚工場,河川・海港 建材生産・木材加工 金採掘 錫採掘? 金採掘 金採掘 雲母・金雲母採掘 63°N 61°N 61°N 71°N 71°N 70°N 72°N 61°N 65°N 66°N
64eN
65°N 58°N 注D人口100人未満の町を小規模集落とした. 2)一 は1991年時点では町でなかったことを示す. 3)周辺に農業,ダイヤ・石炭産地 4)周辺に農林業 (CTaT[ICTMgeCKHell3ユaHH只、50,1buJaflCoBeTC]、asl 3HUM E〈 ,1 One.ユ Lt ”. 「a3eTa‘‘HKXT Pi ””により作成) 乗用車か否かは特定されていないが、小規模で、一時的なものであった可能性もある。いずれにせ よ、関税の軽減を直接の目的としたドライバー組立であろう。 1991~92年の共和国外流出者の大部分はCISの新独立国における国籍取得希望者であり36)、その 後1994年の流出増は主に金・錫の採掘企業における減産によるものであるが、1991~98年に30万人 以上が共和国外へ流出し、2000年までに採算の取れない企業・生産の廃止によってさらに数万人の 流出が予想されている(Bac”nbeB 2000:81)。他方共和国への労働力流入も急減している。その 理由の1つは労働力需要の減少であるが37>、もう1つは、北方の厳しい自然環境下へ労働力を吸引 していた高所得すなわち高賃金と諸手当が、物価上昇によって高くなった生活費を完全には補償し ていないからである。そうした高所得は新たな経済条件下では極北地域でなくても可能になった。 また現金収入が少なくても食糧の確保ができる点で、個人副業経営、自己保有の屋敷などが重要に なっており、気候上、恵まれた諸地域における生活が魅力的なものになってきている(BacmbeB 2000・:・78)。1緒は他地域への労働力の流出要因{こもなる。共和酬への人口流出は失業問題をある 程度、緩和する。しかし、人口移動が活発なのは労働可能年齢層であるから、将来的には人口の高 齢化と派生する諸問題が考えられる。こうした状況は共和国人口の変化にも示されており、1991年 以降人口減少傾向を強めている。対照的に行政中心都市ヤクーツクはより多くの都市機能を有し、 人口は横這いで推移しており、クラスノヤルスクと同様である(図5)。 サバ共和国の工業は1990年代にロシア全国に占めるシェアを増大させた。この工業生産シェアの増大は、資源の採取・一次加工部門、特に非鉄金属工業への依存度を高めながら実現した。ちなみ に生産額ベースの業種別構成で1991~99年に非鉄金属工業は63.2%から74.4%にシェアを増大さてい る。しかし、非鉄金属工業でも市場条件に対応して北部の錫や金の採掘のように減産もみられ、共 和国内では北部と中・南部という地域差を伴いながら工業生産の縮小・再編が進行している。 ソ連時代には周辺地域でも北方性の強い極北地域の採取工業地域は高流動性を示しながらも人口 流入超過を経験してきた。しかし、この地域でも1990年代は流出超過に転じ、この傾向はその後も 続いている。ノリリスクやサバ共和国の事例のように、生産後退を示す工業全体にあってその比重 を増してきた採取・一次加工部門も、市場動向、採取資源の種類、採取効率・企業形態による採算 性などによって立地が規定されるようになってきた。また初期的な段階で小規模であり、今後につ いても不透明であるが、農村余剰労働力の発生による工業立地、韓国資本の参入という動きもみら れる。