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フランス自動車産業における雇用調整 : 80年代中期のルノー公団の経営危機のもとでの「人員整理」(中嶌太一教授退官記念論文集)

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(1)

フラ ンス 自動車産業 における雇用調

―- 8 0 年 代 中期のルノー公団の経営危機の もとでの

人員整理」――

荒 I `よ じ め に フランス自動車産業 において,戦 後の高度成長期以降,生 産活動の停滞 に起 因す る余剰労働力の調節 という意味での雇用調整が実行 されるのは,石 油危機 後の1980年代 であることは,周 知の ところである。石油危機 を発端 とする特 に ヨーロッパ市場の競争激化に出遅れたフランスの二大メーカー,ル ノーとプジョー が揃 って80年代初頭か ら経営赤字 に陥 り,企 業再建のために実働人員の削減 を 余儀 な くされるのである。ル ノー公団について言 えば,そ れは,80年 代初頭か ら徐 々に赤字幅 を拡大 し,中 期 には膨大 な赤字額 と負債額 を抱 え深刻な経営危 機 に直面 したがゆえに,抜 本的な経営再建策の一環 として,初 めて大規模 な従 業員の集団解雇 を敢行す るのである。 ところで,80年 代 中期の経営危機か らの脱却 を目指すルノー公国の経営再建 策が,石 油危機後の自動車の小型化 ・多品種化 ・短納期化,等 の市場 と需要の 変化 に迅速 に対応 しうる部品メーカー ・下請け企業 をも巻 き込んだ競争戦略ヘ の転換であ り,国 際競争の激化 に対処するための, トヨタ生産方式 =日 本型生 産 システムをモデル とす る構造改革への着手であったことも,よ く知 られてい 1 ) る通 りである。そうであるとすれば,そ うした生産管理方式 または資材調達方 式あるいは生産組織の改革にとつて,フ ランスにおいて しばしば 「減量経営J l)この点については,中央大学経済研究所 『構造転換下のフランス自動車産業』中央大学 出版部, 1 9 9 4 年, 拙 稿 「フランス自動車産業における生産組織 ・労働編成改革 と雇用管理 ( 上) ( 下 ) 」( 『彦根論叢』第3 0 5 号, 第 3 0 8 号, 1 9 9 7 年) 参 照。 夫 〓需 井

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や 「人員整理」 と呼ばれる8 0 年代 中期の大々的な雇用調整は, い かなる意味 を 持 っていたのであろ うか。そ もそ も, そ うした雇用調整は, い かなる方法 とい かなる基準の もとに実現 されたのであろうか。 2 ) こうして本稿は,ル ノー公団における社会 ・生産システムの変容という問題 意識のもとに,80年代中期の経営危機下の 「人員整理」について,特 にそれが 最 も激烈であつた86∼87年のビランクールエ場の事例に限定 して,そ の方法, 基準,意 味を考察 しようとするものである。 正 ル ノーの経営危機 と減量経営 ルノー公団は,1970年代 において,主 として北米 と南欧を拠点 とする生産の 国際化,自 動車生産にかかわる関連企業 ,部 品メーカーの子会社化 と統合,一 般工業用部品 ・工作機械 ・農業機械 ・エ ンジエアリング ・金融サービスそ して 乗用車以外の特殊車両,等 の経営の多角化などによって文字通 り多国籍企業グ ループとしての発展 を遂げるとともに,乗 用車 メーカーとして も特 に72年の大 衆小型車R5の投 入 によって新 たな市場 開拓 に も成功 し,西 欧 トップメーカー 3 ) としての地位 を獲得することになる。 こうした発展 は,一 方において,60年 代以降の関連企業 ・部品メーカーと生 産工程のいわゆる垂直的統合 を体現する企業組織 または生産組織の もとで,戦 前か らの ビランクールに加え,50年 代初頭にフラン,60年代中期 にサ ンドゥヴィ ル,70年 代初頭 に ドウーエ と国内組立工場 を次々 と新設 し,生 産の急速な拡大 と地方分散化 を進めることによって 「規模の経済」 を追求 し,必 要労働力は農 村 出身者 とそ して北 アフリカ等の移民の大量的導入 によって確保 し,こ れを細 分化 された作業部署 とその格付 けにもとづ く労働編成 と賃金支払い方式の もと に配置す るとい う,い わばフォーデ ィズム とい うべ き社会 ・生産システムに立 2)こ の点についてはなお,拙 稿 「日本型生産システムヘのフランスからの一接近」 (R.ボ ワイエ &」 .P.デユラン共著,拙 訳 『アフター ・フォーデイズム』 ミネルヴァ書房,1996 年,所 収)参 照。

3)M.Freyssenet, つ 初 づsをοtt α街 けγαυaづιθけ?物οbづιts筋 ガο物 ?切οけ湖 ぢθ化化θ αθ ↓a?物 αぢ物― 】iOθttυ γθ,CSU,1979, D.Tacet&G.ZenOni, 貴 θttα切枕 sθcγθけ 冴fβけoけ, Aibin ふ江ichel, 1986. 」 .L.Loubet,妃 θtta物材 cσ%け atts diんづsけοづ?んθ,ETAI, 1998.

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フランス自動車産業における雇用調整 1 7 3 脚 してい た。 それ は, 他 方 において, ヨ ー ロ ッパの他のメーカーに先駆 けて, す で に6 0 年代 後半 か ら製 品系列 の拡張 ・多様化 に乗 り出 し, 8 種 の基本 モデル を次 々 と投 入す る こ と,特 に大衆小型車 の分野 を開拓 す る こ とに よって,70年 代 初頭 の第一次石油危機 に先取 り的に対応 し,マ ーケ ッ ト・シェアを確保す る とともに,上 記のいわゆるテーラー主義的な労働編成に起因する 「労働の危機」 と紛争誘発的労使関係 に対処するために,移 民の単能工 (OS)に 対する賃金 の月給化や格付けの改善, さらには事業所内部での部分的な労働編成改革の実 験によつて,直 接生産労働者の統合を多少 とも進めるという社会 ・生産システ 4 ) ムの脱 フォーデ イズム的改革 にも立脚 していた と言えよう。 に もかかわ らず,70年 代末か ら80年代初頭 に至るや,以 上の改革の不十分性 が露 にな り,第 二次石油危機の もとでの市場停滞 と国際競争 とくに小型車分野 への他のメーカーの参入 による競争の激化 によって,公 団の経営状況は,一 気 に悪化 してゆ く。すなわち,製 品系列の拡張 ・多様化は,生 産管理 と生産組織 の対応的変化 したが って労働編成の全社的改革 を伴 わなかったがゆえに,在 庫 増加や品質悪化,労 働争議の続発 によるコス ト増大 を結果 し,当 時の国内の金 利上昇,イ ンフレと相侯 って,公 回の利益圧迫 と財務状況の悪化 をもたらした のである。 しか も,公 団は,80年 代 に入って も,国 際競争の焦点 となった小型車分野の モデルチェンジを実現 しない (マイナーチェンジのスュペール 5の 投入は84年) まま,生 産台数の拡大 と製造工程の自動化 ・ロボ ット化 によつて 「規模の経済」 を追求 し続けたがゆえに,一 方では,80年 に念願の200万台突破 と国内市場の40.5% の過去最高のシェアそ してR5の 約67万台の新記録,83年 には生産台数207万台 の新記録 を達成 しつつ,他 方では,81年 以降,毎 年赤字幅 を増大 させ るとい う ア ンバ ランスな結果 をもた らす ことになったのである (第 1表 ,参 照)。 こうして,公 団は,84年 に売上高の 1割 を越 える125億フラン余の赤字額 を

4)帥1.Freyssenet, La け″りθCけοぢγθ dθ ttθtta竹枕 αθ Fθ″ あ ゴ989, rapport pour ler colloque international du GERPISA, 1993.

これ らの点 についてはなお,拙 稿 「フランス 自動車産業 における労働 と雇用 に関する若千 の考察 (1)(2)」 (『彦根論叢』第243号,1987年 ,第 250号,1988年 )参 照。

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第 1 表 ル ノー ・グループの1 9 8 0 年代 の経営状況 1985空F 1986年 1987年 1988fF 1989年 122,138 ∠ヽ 10,925 131,060 ∠ゝ 5,542 147,510 3,689 161,438 8,913 174,477 9,289 1,716,678 196,400 1,815,994 182,400 1,901,298 188,986 1,912,831 181,715 2,003,097 174,573 (出所)日 産自動車 『自動車産業ハンドブック』各年版、紀伊囲屋書店、 」.L.Loubet,妃θ?みattιけcθ協けatts】17じ,sけοケ/θ,ETAI,1998. 売上高 ・純利益の単位は百万フラン。 計 上 す る と と もに, 単 年度負債5 5 億 フラ ン,長 期負債350億フラ ン以上 を抱 え る こ とに よ り,事 実上 の破 産状況 に至 り,ベ ルナール ・アノ ンか らジ ョル ジュ ・ベ スヘ の企業 トップの交替 を強い られる (85年1月 )。 この年 には,従 来か ら赤字 を出 していた貨物 自動車 (RVI)部 P弓そ して農業機械 や工作機械 の よう な副次 的活動部 門だけで な く,乗 用車部 門 も赤字 に陥 ったのであ り,公 団 トッ プはそれゆ え,85年 早 々,売 上高 の80%を 占め る乗用車部 門 と15%を 占め る貨 物 車部 門 との経 費節減 と実働 人員削減, 5%を 占め るにす ぎない副次 的活動 の 不採 算部 門 と しての整理売却 に着手す る ことになる。 とはいえ,経 営赤字 は, 8 5 年 も1 0 9 億フラ ン,86年 も55億 フラ ンと継続す るが ゆ えに,ジ ョル ジュ ・ベ スの不慮 の死後 の レイモ ン ・レヴ ィ体制 (86年11月)の もとで も同 じ経費節減 が継続 され るのであ り,公 団の経営再建策 は,80年 代後半 において,経 営活動 の乗用車部 門へ の再集 中化 と生産台数拡張路線 の放棄 ,生 産能力 と実働 人員の 削減 に よる縮小均 衡 策 を通 じての損益 分 岐点 の引 き下 げ (80年の200万台 か ら 1 2 0 万台へ )と い う 「減量経営」 (dёg r a i s s a g e ) として現 れ ると 1980を再 1981年 1982空F 1983【干 1984年 売上高 純利益 75,075 1,547 87,971 ∠ヽ 690 104,145 ∠ゝ 1,281 110,274 ∠ヽ 1,576 117,584 ∠ゝ12,555 自動車生産台数 従業員総数 2,053,677 221,116 1,811,626 217,431 1,966,709 217,269 2,072,193 219,000 1,772,252 213,725

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公団におけるこうした 「減量経営」言い換 えれば今 日のダウンサイジングは, したが って大規模 で急激 な人員削減すなわち 「人員整理」 (dもgraissage),利 益 の展望がない海外工場か らの級退や副次的活動の整理売却,部 品供給業者の 選別,等 として敢行 される。例 えば,85年 に,電 子部品合弁事業か らの撤退, フォー ミュラ 1の 中止,自 転車事業の売却,南 アフリカからの撤退,86年 に, メキシコか らの撤退,87年 に,工 作機械の売却,等 である。対部品供給業者関 係 について言 えば,85年 初頭の 「下請け基本協定」 に基づ く直接取引業者の選 別,選 別 された業者の品質管理責任 (さらには部品設計への参加),代 償 とし ての長期的取引 とリスク分担 とい う共存共栄的外注管理方式すなわち 「パー ト ナーシップ」 を開始するものであ り,そ れを通 じて,公 回の直接取引業者数 を 85年の1,400社か ら86年の1,250社へ と削減するものであった。そ して,そ れは, 87年にはプジ ョー社 とともに 「サプライヤー品質保証」制度 として具体化 され てゆ くのであ り,生 産管理方式 または資材調達方式 としての 日本的なジャス ト ・イン ・タイム (JAT)の システムの導入であ り,完 成車 メーカーとしての公 6 ) 団 と部品メーカー間の生産組織の改革の出発点 となるのである。 ここでの問題 は,「人員整理」である。それは具体的には,公 団が,国 際競 争の激化の もとで,抜 本的な生産性向上 と利益 を得て経営再建 を果たすために は,す でに80年代初頭か ら実施 して きた高齢者の定年前退職や移民への帰国支 援 の ようなソフ トな雇用調整では追いつかず,従 来の労使関係の一層の険悪化 と りわけ最有力労組CGTと の正面対決の危険 を冒 して も,戦 後の高度成長以

来初めて, い わばハー ドな雇用調整である 「

経済的解雇」( l i c さ

n c i e m e n t p o u r

m o t F ё

c o n o m i q u e ) としての大規模な 「

集団解雇」を敢行せざるをえない,

という点にあった。

そこでまず,80年代前半の公団におけるソフトな雇用調整の特徴について,

5)G.Le Gall&」 ,卜7【ellhaud,Renault:six dossiers pour を,θJιθ,31 janvier 1985,G.Le Gall,Renault:la missiOn 1986.」.L.Loubet, οp.cづと.

なお, 居 城克治 「ルノー公団」 ( 『シリーズ世界の企業 年, 所 収) 参 照。

6 ) この点は,注 1)の文献,参 照。

Georges Bess, inと 'しIsを%σ tto初― de L6vy, づbどα. 18-25 d6cembre ・自動車』 日本経済新 聞社 ,1986

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衛潔 に確 認 してお こ う。 公 団 は, 石 油危機 の影響下 にあ る7 0 年代後半 か ら8 0 年代 初頭 まで, そ れ以前 の継 続 的雇 用 増 加 政 策 を改 め , 「雇 用 の 自然 的漂 流 」 ( d ёr i v e n a t u r e l l e d e s e m p l o i s ) 政策 を採 用 す る。 その政策 は, 3 人 が離職 した場合 に 1 名 を採用 す る とい う点 に眼 目が あ る。それ は明 らか に, 一 方 では, 移 民 。中高年単能工 の 退職や辞職 とい う形での 「自発的離職」 (dёpart v01ontaire)を勧 めつつ,他 方では,一 定の技能資格 をもった若年者 に限定 して採用するのを可能にする。 それは したが って,労 働力の代替 ・編成替 えとともに実働人員の緩慢 な減少 を 帰結す る政策である。 とはいえ,新 モデルの投入の際に生産 を急増 させ る必要 が生 じた場合,そ れにかかわる工場の経営陣は,派 遣労働者 に依拠する。派遣 労働者 は,そ れのみならず,無 断欠勤やヴァカンス期 間の穴埋め として,生 産 の不測の事態への従順 な予備労働力 として利用 され,70年 代末の公団において 実働人員の 3%か ら4%に 達す る。 その後,81年 の左翼新政権の もとで,特 に若年者のための雇用奨励策が前面 に押 し出され,公 回は,国 有企業 としていち早 く国 と 「連帯契約」 (contrat de solldarite)(82年6月 ∼83年 6月 )を 締結 し,公 的資金 に依拠 した若年者雇用 促進 ・中高年者離職支援 の雇用調整措置 を実行す る。それは具体的には,従 業 員3,500人(58歳以上の幹部職員57人,57歳 以上の技術職員 。中間役職者609人, 55歳以上 の生産労働者2,834人)に 対 して,引 退離職手当 とそ して最近 1年 間 の平均賃金の70%の 所得のUNEDIC(全 国商工業雇用連合)と FNE(国 家雇 用基金)の 負担 による60歳までの保証 を条件 として,早 期退職 を促 し,そ の代 わ りに同 じ数だけの若年者 (26歳未満)・ 女性 ・失業者 を採用するのである。 こうして,公 回は,経 営赤字 を計上 しているにもかかわ らず,80年 代前半 まで 7 ) ソフ トな雇用調整 を続 けたのであ る。 赤字幅 の急速 な増大 に直面 して, 8 4 年 1 0 月に公 団経営 陣 は, 大 規模 な 「雇用 調 整計 画」 ( p l a n s o c i a l ) を練 り上 げ, 雇 用基本協 定 と して成立 させ るため に

7)Ch.Du Tertre, Tθ cん竹οιOgづθ メθ〃じbづιうど彦 θ?竹pιοぢ, L'Harrllattan, 1989. Contrat de solidaritё Etat―Renault, in五 けaガsο,3s soC'αιθs:L彦 _4/づsιaむ,οtt sοc,aιθ, No.5190, 1982. この点 につ い て は なお, 拙 稿 「最 近 の フラ ンス 自動 車 産業 にお け る労働 と雇用 の変容」 /

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フランス自動車産業における雇用調整 1 7 7 労組 に提 起 す る。 それ は通 常 ,「 ア ノ ン計 画」 と呼 ばれ る もので あ るが ,そ の 前提 には,公 団 における従業員 1人 当た りの年間車両台数 をフィア ッ トや フォー ドな どの先進西欧 メー カー にお ける よ り高 い数字 と比較 し逆算す るこ とに よっ て害Jり出 され る 「余 剰 人員」 (surettectifs)の確 認 が あ る。 「ア ノ ン計 画」 は, この 「余剰人員」 とい う用語 を労組対策上,提 起 しない とはいえ,事 実上,そ れを労使協定の基礎上での従業員の 「自発的離職」 によって解消することを目 指す ものである。その基本内容 は,85年 について,ま ず公団独 自の 「訓練 ・求

職休暇」 (cong6s formation―recherche dtmploi)一-85年 8月 に制度化 され る 「職業転換休暇」 (cong6s de conversion)の先取 リーー とい う12ケ月間, 労働契約 を維持 した まま,FNEか らの手 当金 を保証 しつつ職業訓練のための 休暇 を与 える方式 を通 じて,6,500人の離職 を促す とともに,連 帯契約 と同 じ82 年 に制度化 され利用 されて きた,国 との協定 に基づ くFNEの 特別手当金が離 職後,年 金受給資格 を得る年齢 まで支払われる 「FNE方 式早期退職」 (prёretraite FNE)を 制度上の56歳 2ヶ 月以上ではな く,55歳 以上の従業員4,500人に適用 し,さ らに,こ の年の 4月 に制度化 されたばか りの移民労働者 に対 して旅費 と 帰国後の職業訓練費用 を補助す る 「ONI(国 立移民局)協 定」 にもとづ く 「帰 国援助」 (aides au retour)を1,000人に適用 し,全 体 で12,000人の 自発 的離 職 を実現 しようとす る ものであった。だが,こ の提案は,経 営再建が雇用調整 よ りもまず新たな産業戦略 (海外の生産活動のフランスヘの再集中,モ デルチェ ンジの推進,等 )に よるべ きである とい う立場か ら拒否 したCGTと 事実上そ れ に追随する他の諸労組の姿勢 によって, 日の目を見ず,提 案者のアノン社長 8 ) 自身の辞職 とい う結果 に終わる。 ジ ョルジュ ・ベス を トップとする公国の新体制は, 以 上の結果 を受 けて, 前 \ ( 『彦根論叢』第2 6 8 号, 1 9 9 1 号) , 福 原宏幸 「フランス自動車工業の外 国人労働者 とM E 化」 ( 『経済学雑誌』第9 1 巻2 号 , 1 9 9 0 年) 参 照。 ミッテ ラン政権 の雇用政策 については, 三富紀敬 『フランスの不安定労働改革』 ミネルヴア書房, 1 9 8 6 年, 葉 山滉 『現代 フランス 経済論』 日本評論社, 1 9 9 1 年, 等 参照。

8)Ph.Eliakim,Renault fait ses comptes,in五 1しrsを竹θ tt。切伊θιJθ,4 oct.1984.Ph.Eliakim, Renault:la CGT ne signe pas,どbづd.13d6cembre 1984.G.Huttchmitt,θ んθγ cο冴彦θttθs, Edition La Brёche, 1992.

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体 制 の もとで の労使 対 話 の経過 十- 8 3 年 2 月 に始 ま り8 4 年 5 月 に職務格付 け の 表の改革 に関す る労使協定 として結実 一― に背 を向け,雇 用調整 に関 しては, 労使 間の一切の交渉 と協議 を排除 して,純 粋 に法的制度的手続 きとして一方的 に 「経済的解雇」 としての 「集田解雇」 を敢行する。新経営陣はその際,労 組 と りわけCGTに おける雇用問題解決のための 「付加価値」 の増大 とい う考 え 方 に対置 して,「企業のパ フォーマ ンス」す なわち従業員一人当た りの年間生 産車両台数 を目標 として掲げ,前 年秋 に検討 されていた 「余剰人員」の公然た る提起 と一方的処理 を明確 にする (特に,85年 12月初めの中央企業委員会)10と その結果,公 団の レベルに限定すれば,実 働人員数は,84年 末の約98,000人 か ら87年末の約76,000人へ と変化 し, 3年 間で約22,000人の人員削減が実現 さ れるのである。 この間,ル ノー ・グループ全体 として も,実 働人員は,約 214, 000人か ら約189,000人へ と変化 し,約 25,000人の減少 を記録 し,87年 には経営 赤字 を解消す るに至 る (第1表 ,参 照)。 そ こで次 に,こ れ らの数字の変化 に含 まれているはずのハー ドな雇用調整の プロセス,そ の方法 と基準 を明 らかにす るために,公 団において最 も厳 しい 「人員整理」の対象になったビランクールエ場の事例 に目を転 じることに した い。最 も古い歴史 をもつ本社工場であるビランクールエ場は,い ち早 く移民労 働者 を導入 しその比率が最 も高い (84年初頭,生 産労働者の58%)大 衆車組立 工場であ り,こ の 3年 間の人員削減数 を公団全体お よび高級車の組立工場サ ン ドゥヴィルのそれ と比較すれば,そ の削減比率の大 きさが際立 っているか らで ある (第2表 ,参 照)。 第 2表 公 団全体、ビランクール、サンドゥヴィル の84年末から87年末までの従業員数の推移 84年末 85年末 86年末 87年末 結果 (減少率) 公 団全 体 ビラ ンクール サ ン ドゥヴ ィル 98,100 10,112 9,619 86,100 8,175 不 明 79,100 7,158 8,483 75,911 5,800 8,374 △22,189(23%) △ 4,312(43%) △ 1,245(13%) (出所)L'Usine nouvelle誌 の関連論文 よ り作成。

9)MI.Freyssnet,0ク .cづけ。rapport pour ie GERPISA.

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フランス自動車産業における雇用調整 1 7 9 配 ビ ランクールエ場の雇用調整過程 と人員整理基準 第 2表 に示 されるようなビランクールエ場の実働人員の急激な減少は,85年 の移民労働者 に対する 「帰国援助」措置 による数百人に上 る離職の後,86年 か ら87年にかけて実現 される。その急減は,一 方では,い くつかの生産活動が停 止 されるか らであ り,他 方では,大 々的な 「人員整理」の手続 きが実行 される か らである。 ビランクールエ場 は,最 盛期の1970年には,敷 地内の本社事務管理従業員 を 含めて約39,000人を抱 え,生 産活動 としては,機 械装置製造 と車体製造そ して 大衆車R4とR6の組立 を担当 していた (R6は79年に停止)が ,特 に機械装置裂 造 は,公 団全体の生産の拡張 と地方分散化 に応 じて,移 転の対象 にな り,80年 の 「ビランクール組織改革計画」 (5∼ 10年間に5,000人の削減)以 降,計 画初 年度 に機械装置部品の移転, 2年 後 には鋳造の移転 と加速 される。85年初頭の 時点 において残 っている活動 と従業員数は,本 社事務管理機能 とその従業員約 6,500人,工 具製作 と購買 ・生産技術,等 の間接業務 とその従業員約6,500人, そ してR4の組立 とエ ンジン製造の従業員約10,000人であ り,こ こで問題 になる のは,ビ ランクール内のセガン島にある組立 と製造の従業員であると そ こで, 生 産活動の停止 について言えば, ま ず86年 2月 末の事業所委員会 において, エ ンジン製造の停止 とそ して1,300人余 りの年間人員削減予定数 (8,682→7,330)が発表 される。エ ンジン製造の停止 は,400人 分の 「雇用廃 止」 (suppression diemplois)を決定づ けるだけでな く,ビ ランクールにおけ る機械装置製造 を終結 させ ることになる。次いで,87年 3月 には,R4の 組立 が停止 され,数 百人分の雇用廃止 を引 き起 こすが,こ の事態は,ビ ランクール にある二つの組立 ラインの うちの一方 を停止 させ ることになる。 もう一つの組 立 ラインは,85年 11月に,68年 のR6以 来,17年振 りに新モデルの小型営業用車 エ クスプ レスの投入によって維持 されているものの,販 売不振 もあって生産台 数が停滞するのであ り,そ れゆえ,こ れ らの活動停止 は,89年 11月の レイモ ン

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・レヴ ィによる工場 閉鎖発表 に向けての決定的 な跳躍台 となる (最終的工場 閉 鎖 , 9 2 年 3 月 ) 。 なお , エ ンジ ン製造 はスペ イ ン子 会社 , R 4 組 立 は ク レオ ンエ 場へ とそれぞれ移転 され, 公 団の全体 的 な稼働率 の向上 に寄与す ることになる。

大々的な 「

人員整理」の手続きについては, 8 6 年から8 7 年にかけて, 以 下の

1 2 ) ようなプロセスを通 じて敢行 される。 86年2月 末の事業所委員会の発表を受けて,工 場経営陣は,停 止が決まった エンジン製造部門を中心に,従 来通 り離職についての個別的合意を獲得すべ く, 職制による関係従業員,特 に病気がちの者や欠勤常習者に対する 「呼び出し」 と 「面談」を組織するのであるが,そ こで強調 されるのは,自 発的離職を受け 入れる場合には,50,000フランの 「転職手当」 (a10cadOn reconversion)が通 常の解雇の諸権利 (解雇手当,解 雇予告期間,有 給休暇)に 付加されるという 公団独 自の 「解雇付随措置」である。だが勿論,自 発的離職の受け入れ者は, 到底,目 標には届かない。 そこで経営陣は, 6月 25日,「経済的解雇」 としての 「集団解雇」について の情報提供 と協議を行 うために,事 業所委員会を招集する。ビランクールの圧 倒的多数派労組 (従業員代表選挙において依然 として70%以 上の得票率)で あ るCGTは ,会 議出席は解雇 を承認することであると表明 し,労 働者側委員 ・ 従業員代表は誰 も招集に応 じない。だが 7月 末に,解 雇の対象者の選別の基準 とそれによる解雇予定者のリス トについての情報が労組に知らされる。それは, いわば 「人員整理」の実行計画に他ならない。 1 3 ) フランスの法律 (82年8月 4日 法)上 は解雇順位 を決定するための基準であ る人員整理基準ちゞ,今 回のビランクールのケースにおいては,「提供 された労 12)D.Labbё &F.P6rin,cttθ γθSけσ―け―づJ ttθ』ウιιαttcOttγけ?Hachette,1990.

1 3 ) フラ ンスの 「経済的解雇」 と 「雇用調整計画」 をめ ぐる法制度 については, F . T a o u e t , P/οctt αttγθ ttθ ιOcθ%cうθttθ陀けpοttγ ttοけゲ 彦COttο物じ?切θ,Liaisons Sociales,numё ro spёcial,24 decembre 1990. 帥I.Silnonneau, あθ ιOcθ?ocぢθ??をθ?をけ ιcO?●09%を?物θ, Liaisons Sociales,num6ro spёcial, 31 mars 1993.

邦語文献 については,野 田進 「フランスにおける経済的事 由による解雇 (一)(二 )(三 )」 (『法政研 究』第59巻 2号 ・第60巻 2号 。第61巻 2号 ,1993∼ 1994年),松 村文人 「雇用調 整 と解雇」(名古屋市立大学経 済学部 ワー クシ ヨップ編 『メイ ド・イ ン・ジャパ ンの21世紀 像』 ミネル ヴ ァ書房,1998年 ,所 収)等,参 照。

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フランス自動車産業における雇用調整 1 8 1 働 の質 と量」 ( q u a l i t ё e t q u a n t i t ё d u t r a v a l l f o u r n i ) とい うただ一つ の基準 に局 限 されてい るこ とが明 らか になる。 ここで は, 法 律 が定 めている 「家族責 任 と りわけ単独親 の責任 , 事 業所 または企業 での勤続年数, 職 業 的資 質 を考慮 す る」 とい う基準が曖味にされ,特 に怠業者,仕 事で負傷 した者,子 沢山が解 雇の対象 にされることになる。 とはいえタルノー公団は, 人 員整理基準 に関す る労使協定 を欠いているがゆえに,基 準の妥当性 は,二 回目の事業所委員会の 終了後 に通知 される解雇予定者 リス トの行政官庁 (オー ・ドウ ・セーヌ県労働 雇用部局長) に よる 「審査」 によってのみ問われることになる。 同時に,解 雇予定者 リス トには,600人 も掲載 されてお り,し か もそのなかに は26人の従業員代表が含 まれていることが明 らかになる。のみならず,26人 の 従業員代表の うち23人がCGT所 属であ り,他 の労組関係者はいないことも明 ら か になる。従業員代表の解雇対象外 とい う法律的特権が,こ こでは公然 と無視 される。これ らの情報 は,従 業員 における欠勤常習者 などの解雇やむを得ずの 雰囲気 とそ して逆 にC G T ! 舌動家 における憤激 と職場放棄の提起 を呼 び起 こす。 7 月 3 0 日,再 び事業所委員会が招集 されるが,当 然 なが ら成立 しない。CGT は,翌 日か ら直ちに,工 場経営陣に対する抗議行動 とデモを組織 し,ヴ アカン ス初 日には,活 動家 グループによる人事部局事務室への侵入 とそこからの書類 強奪お よび工場人事責任者 と補佐への脅追 と工場内引 き回 しにまで至 る。 この 事件が,後 のいわゆる 「ビランクールの10人」問題の発端 となる。 以上の状況 によ り,事 業所委員会 における情報提供 ・協議が公式 には行われ ない まま,経 営陣は,ヴ ァカンス中の 8月 12日に,解 雇計画書 と解雇予定者 リ ス トを県当局 に届 け出る。85年10月前半 における生産活動移転反対 に向けた C G T 主 導の 1週 間の尻つぼみス トライキ以来,そ れ と一線 を画 し,86年 6月 に労組問連合の共同行動 に乗 り出 したCFDTを 始め とするビランクールの少数 派四労組 は,経 営陣による今 回の解雇手続 きの制度的不備 とそ して人員整理基 準 の不当性 を県当局 に訴 え続 ける。県労働雇用部局長は, 9 月 に入 つてか ら, 14)雇 用調整 における人員整理基準 の重要性 については,野 村正賃 『終身雇用』岩波書店, 1994年,参 照。

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1 8 2 中 昌太一教授退官記念論文集 (第315号) 「50歳以上の高齢労働者,少 な くとも6人 の未成年の子供 を持つ父親,少 な く とも25%の 傷害年金の資格者」の雇用 は維持 されるべ きであるとい う審査の基 準 によ り,要 求 された600人の うち170人の許可 を拒否する。 工場経営陣は,第 一波の集団解雇の許可 を獲得 したのを受けて,解 雇手続 き 上,順 不同なが ら, 9月 19日に,改 めて 「雇用調整計画」 についての情報提供 ・協議 のための事業所委員会 を招集するが,ま たまたCGTの 拒否 と妨害 に出 会 う。 とはいえ,そ の基本内容 は,「ONI協 定」への加入による 「帰国援助」 措置,FNEと の協定への加入 によ り労働契約維持の まま 5ケ 月間の手当金 と 「職業転換休暇」 を与 える措置,そ して従来通 りの同 じくFNEと の協定へ の 加入により特別手当金 を与える 「早期退職Jの 措置,さ らには, しば しば 「スー ツケース小切手」 (chёque―valise)と鋼F輪される公団独 自の 「転職手当」か ら 成 ることがすでに明 らかになっていると また,経 営陣はこの時期,従 業員代表26人の解雇 については,事 業所委員会 の同意 を得 ていないがゆえに,独 自の手続 きとして,労 働監査官への解雇許可 申請 を行 う。その結果,申 請 された26人の うち,解 雇が許可 されるのは, 8月 1日 の人事部局事務室への侵入 と書類強奪そ して人事責任者 ・補佐への脅迫 と 工場内引 き回 しに直接関与 したCGTの 指導的活動家の10人だけである。 その後,集 団解雇の手続 きの第二波が開始 されるのは,翌 87年の 3月 である。 それは,R4の 組立停止の直後 に行 われる。 だが,こ の時点では,解 雇手続 きに関する86年の一連の法制改革 (86年7月 3日 法 。12月30日法)に よって,解 雇の行政的許可制が廃止 され,手 続 きが簡 略化 されている。企業は,解 雇内容 について,行 政官庁 に対 して 「通知」 また は 「届出」すればよいのであ り,も はや 「審査」 を受ける必要はない。それは, 企業の競争力強化のためには,解 雇手続 きの軽減化が必要であるとい うフラン ス経団連 (CNPF)の 要求 に添 った雇用の弾力化措置の一つに他 ならないよ5) その影響 は,解 雇手続 きの第二波 において,次 の二点 に現れる。第一点は直

15)P.lvlo即11le, Flexibilit6!le CNPF siexplique,in Li〔ノrSを切θ tt。倣伊θιιθ,13 decembre 1984, S.BonlIIlel, Procёdure de licenciement ce qui a changё, in LIこえsど'7みθ ,3o切υθ[ιθ, 19 juin 1986. F.Taouet夕 θp.cぢよ.

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フランス自動車産業における雇用調整 1 8 3 接 的影響 であ って,解 雇予定者の数 の増加 であ る。87年 3月 30日に,新 たな集 団解雇 の情報提 供 ・協議 のため に,事 業所委員会が招 集 され るが,そ こでは, 前 年 の倍 以上 の1 , 3 0 0 人が解雇 予定 者 に数 え られ てい る こ とが 明 らか になる。 行政官庁 に対する解雇予定者の 「通知」″であって 「審査」でない以上,人 員整 理基準 によっては恣意的な人数増加 を結果 しうる。実際,第 二点 として,人 員 整理基準 もまた,解 雇予定者の 「通知」 に伴 う事後報告で済む以上,従 業員代 表へ の情報提供 ・協議の対象になるとはいえ,解 雇手続 きの度 に経営陣が 自己 裁量で決定で きるもの となるのであ り,事 実,ビ ランクールエ場経営陣は,前 年の基準 とは異 なるよ り細かい基準 に変更する。 l,300人もの解雇予定者 を導 き出す基準 とは,「実現 された労働」 と 「職務遂 行能力」 (comptttence)すなわち 「新 しい組織 に適応 し,多 能的にな り,変 革 に積極的に反応する個人の能力」 とい う点 に求め られる。 したがってまた,品 質向上や高い生産 目標,労 働編成改革に直面 しての従業員の 「態度」や 「行動」 が基準 に含 まれることになる。前年の基準 と比較すれば,こ こには,解 雇の対 象 となるべ き 「余剰人員」の量のみならず,質 の転換 も見い出 され うる。すな わち,移 民の欠勤常習者や頻繁な怠業者 さらには経営幹部を脅迫する労組活動 家 といつた 「企業 に最 も忠実でない人々」 を排除 した後,人 員整理基準 とそれ による解雇予定者数への行政的規制の事実上の廃止 を媒介として,今 度は,作 業能率や経営 目標貢献度の面か ら 「最 も業績の低い賃労働者」 を排除 しようと す る工場経営陣の意図が看取 され うるのであると その後,こ の間における集団解雇手続 きの最後の第三波は,87年 9月 に開始 され,こ こで も数百人が解雇予定者 として挙げ られる。 ここでの人員整理基準 は, さらに変更 され,「作業部署の廃止」 (suppresslon du poste de travail) とい う一点に絞 られる。すなわち,こ の場合に解雇が行われるのは,従 業員の 働 きぶ りや能力 によるのではな く,生 産活動の停止 に伴 う作業部署の廃止によ るのである。

ビランクールエ場 における以上のような86∼87年の人員整理基準の特徴 を一 16)F.P6rin,D.Labb6,E.Froissart,La γ ttcんθ θけιθ sabιぢθγ,Editions Liaisons,1993.

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層 ,明 らか にす るため に,そ れ を示 した第 1図 と,88年 の全 国調査 (労働省 と 雇用研 究 セ ンターの合 同実施 ) の 際 の企 業 グルー プ所属 の従 業員5 0 人以上 の工 業事業所 にお ける経 済 的解雇 実施 時 の人員整理基準 の採 用 の序列 を示す第 2 図 とを比較 してみ よう。一見 して明白であるのは,前 者の最初の基準である 「提 供 された労働 の質 と量」力S , 後 者の基準 の序列 には含 まれていない とい う点で ある。それは,86年 7月 の600人に及が大量の解雇者の選別 に適用 された とは いえ,あ くまで も従業員個人の働 きぶ りを評価するものであ り,そ の意味では 個別的視点に立 った選別基準である。8 7 年3 月 の基準 もまた,前 年の倍以上の 大量解雇者の選別に適用 されたとはいえ,一 層個別化 された視点に立 っている。 その意味では,ビ ランクールエ場の人員整理基準 は,第 2図 に示 される中小事 業所 も含 んだ平均 的な基準設定 とは異 な り,従 業員の働 きが り ・能力 ・態度 ・ 行動 を評価す る個別的視点 に立 って大量的選別 を行 って きた と言 えよう。そ し て,そ うした大量的選別の後,初 めて,生 産活動の停止 に伴 う作業部署廃止 と い う自動的客観的な選別基準 を適用 した と言えよう。工場経営陣にとっては, 「余剰人員」 は基本的に従業員の 一一 第 2図 の序列の最低位 の表現 を援用す れば一一 個人的資質 ・適性 によって選別すべ きものであったのである。 それは,細 分化 された作業部署の受容,仕 事 とその結果への無関心,時 折の 怠業や無断欠勤,そ れを補 う派遣工や手直 し要員の配置,と い うテーラー主義 的な労働編成 とそれにもとづ く行動規範 を否定 し,す でに同 じ時期 (85年10月 以降),高 級車組立工場サ ン ドゥヴィルの全工場 レベルで開始 された,新 車 R21 の投入を契機 とする,生 産労働者 における複数部署の担当 と職務転換の受容, チーム制作業の 日常化,仕 事 とその結果への積極関与,製 品の品質向上 と改善 活動への参画,等 の脱テーラー主義的な柔軟労働編成 と新 しい行動規範の確立 1 8 ) キャンペー ンと同 じ観点 に立 とうとするビランクールエ場経営陣の断回たる意 思 を表現 していると言 えよう。

17)R.Ardenti & Ph.Vrain, Licenciements 6conorniques plans sociaux et politiques de gestion de la main―dioeuvre, in TγαυaづJ θけJg?竹pι。づ, No.50, 1991.

18)D.Fauconnier, Mlobilisation gёnёrale autour de la R21, in Li5isづ陀θ?みοttllθttθ, 30 jan―vier 1986. 0.Ortsman,9切θιけ?んaυaガι pοttγ ttθP/2aを物 ?Dunud,1994.

(15)

フランス自動車産業における雇用調整 1 8 5 第 1 図 8 6 ∼ 8 7 年の ビラ ンクールエ場 における人員整理基準の変遷 86年 7月 提供 された労働 の質 と量 (家族責任 ・勤続年数 ・職業的資質の全体的考慮、曖昧) ↓ 解雇予定者600人 審査 要請→県労働雇用部局長430人 のみ許可 解雇 の行政的許可制の廃止 (86年 7月 3日 法 ・12月30日 法) 87年 3月 実現 された労働 Ⅲ職務遂行能力 ・態度 ・行動 ↓ 解雇予定者1,300人通知 87年 9月 作 業 部 署 の 廃 止 ↓ 解雇予定者数百人通知

(出所)D.Lよ)b6&F,P6rin,cttθ ?セSけθ―け―づι αθ βウιιαttcOttγむ?HaChette,1990

第 2 図 グ ルー プ所属 の従 業員5 0 人以上 の工業事 業所 にお い て採用 され た人員整理基準 の序列 順 位 人 員 整 理 基 準 選 別 視 点 1 2 3 4 5 年齢 ( 高齢者) 職場の人員過剰 の状況 技能資格 勤続年数の少 な さ 個 人的資質 ・適性 集団的視″点 集団的視″点 個別的視″点 個別的視点 個別的視点

(出彫千)R.Ardenti&Ph.Vrain,Licenciements ё conomiques plans sociaux et politiques de gestion de la main―dioeuvre des entreprises, in T?んoυaケ↓ 例 βt t ο づ,N o . 5 0 , 1 9 9 1 . よ り作成。

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いずれにせよ,以 上のような経過を辿って集回解雇に追い込まれた従業員は, 2年 間で2,000人以上に上ったのであ り,そ のほとんどは,労 組側の見方によ れば 「強制的解雇」 (licenciement autoritaire)として実現 されたのである。 最後に,こ の大量的な集回解雇が,い かなる方法によって実現 されたのかに ついて簡潔に言及 しておこう。 それは,ビ ランクールエ場独自の 「過剰経費センター」への関係従業員の配 置転換 とそ して公団独自の解雇付随措置である 「スーツケース小切手」の彼 ら 1 9 ) へ の給付 との結合に大部分,依 拠 していると言える。 解雇予定者 リス トに掲載 された従業員は,87年 になるや,職 制 によって 「余 剰人員」であることを告げられた後,工 場近 くの 「過剰経費センター」 (centres de fraisごexc6dentaires)と呼ばれる 「壁 な し,機 械 な し,製 造 な しの幽霊作 業場」への配置転換 を命 じられる。そこで関係従業員 に与えられるのは,壁 塗 装や通路掃除の ような無意味 な作業にす ぎない。経営陣は,こ うして 「余剰人 員」であることを強制的に認識 させた後,関 係従業員 を書留郵便で個別的に呼 び出 し,面 談 を行い,解 雇理由 ・基準 と解雇付随措置の説明を行い,Vヽずれか の措置 を選択するように促す。彼 らの大部分は,ほ とんど文盲でいかなる技能 資格 も持 たない移民労働者である以上,帰 国を望 まない場合には,職 業訓練 に よる転職の見通 しもない彼 らにとって,自 ず と選択 は 「スーツケース小切手」 の受領 に限 られることになる。 こうして,「単純解雇」 (licenciement sec)を 免れる形の公団 とビランクールエ場独 自の方法 によって,大 量の 「余剰人員」 2 0 ) の迅速 で平穏 な排 除が実現 され たのであ る。 1 9 ) D . L a b b ё& F . P O r i n , o p . c 力. 20)因 み に,ビ ランクールエ場の この主要な解雇付随措置が,83∼ 84年に先行 したプジ ョー ・タルボのケースと比較すれば,後 者での 6ケ 月か ら9ヶ 月までの訓練の権利の付与 とい う点 において,見 劣 りすることは明 らかである。 この点 については,野 寺康幸 「フランス における最近の労働争議 (上)」(『日本労働協会雑誌』第306号,1984年 )参 照。

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フランス自動車産業における雇用調整 187 Ⅳ お わ けブ に 以上 に見たように,86年 か ら87年にかけての ビランクールエ場 における雇用 調整 は,文 字通 り 「人員整理」であ り,「強制的解雇」の連鎖 と言 うべ きであ り,事 業所委員会の招集,従 業員代表への情報提供 と協議,行 政官庁への許可 申請 ・審査 ,さ らには関係者個人への事前通告 ・呼び出 し ・面談 ・解雇付随措 置説明, といったフランス独 自の解雇制限法制は,ち ょうど86年に行政的規制 の廃止 とい う雇用弾力化措置が実行 されたこともあって,そ の 2年 間だけで2, 000人以上の人員削減 とい う事実の前 に,影 が薄い ように見 える。80年代末以 降の 「職業転換協定」 (89年8月 2日 法)や 「転職斡旋のための計画」 (93年1 月27日法)と いったより充実 した解雇制限法制が未整備であった時期だけにま す ますそ うである。 とはいえ逆 に,ル ノー公団が,経 営危機 を克服 し,国 際競争の激化 に対応 し うる新 しい生産管理方式や対部品メーカー関係,新 しい労働編成や行動規範 を 確立す るために,い かなる雇用調整 を必要 としたのか,と い う観点か らみれば, 一連の解雇手続 き, とりわけ人員整理基準の変遷は,別 の意義を持っているよ うに思 われる。 要す るに,以 上の ようなビランクールエ場の人員整理基準の変遷の意図は, 「賃労働者の技能資格の欠如,年 齢,勤 続年数,彼 らが非常 に長 く閉 じ込め ら れて きた細分化 された労働編成 によつて,変 化するのに最 も適 さな くなってい た」 「テーラー主義の象徴」あ るいは高度成長期以来の 「労働者の砦」あ一挙 の 「変身」 に他 ならない。すなわち,目 前の経営危機 を克服 し,80年 代後半の 国際競争の激化 に対応す るために,公 団は,製 品の多品種化 に資する生産設備 の 自動化,製 品の高品質 ・低 コス ト・短納期 に向けた対部品メーカー関係の改 革,そ れにかかわる在庫削減 ・迅速工具変換 などの生産管理方式の改革,そ し てそれ らに適応的な労働編成の柔軟化,従 業員の多能工化 を進めるためには,

21)F.Pёrin, D.Labbё, E.Froissart,οp.c冴 .

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1 8 8 中 阜太一教授退官記念論文集 (第315号) その前提 として,時 代遅 れのテー ラー主義 的労働編成 の もとに大量 に配置 され, しば しば無 断欠勤 と怠業 を行 い,高 コス ト ・低 品質生産 を企業 に もた ら して き た移民単能工 を一挙 に排 除 し,残 りの従業員の行動規範 と態度 を是非 とも転換 2 3 ) させ る必 要があ ったのであ り, 雇 用弾力化法制 を も利用 した ビランクールエ場 の強制 的大量 的解雇 は, 公 団 におけるダウンサ イジ ングを通 じての社会 ・生産 シス テムの脱 フ ォーデ ィズム化 とそれ に適合的な企業内訓練 と内部昇進昇格制 度 を前提 す る 「予測 に もとづ く雇用 管理」k の 移行 の必然 的 な通過点 しか も象 徴 的 な通 過点 であ った と言 え よう。

23)G.Le Gall,POurquol les OS sOnt cOndamn6s 1984.G.Hufschmitt,op.cケ .

24)Ch.Du Tertre,ο p.cづけ.

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D6graissage'' et critёres de sllection des licenci6s

chez Renault a Billancourt au milieu des ann6es 80

Hisao Arai

Au moment de la crise financiё re chez Renault au nlllieu des annё es 80, on a osё faire une “ dもgraissage" accompagnant d!une liquidation des activit6s non rentables et des fermetures de certains unites de production a liёtranger, en vue diun redressement fondamental de l'exploitationo Pour l'essentiel, cette grande opも ration a eu pour but de rё duire massivement les OS ayant も tも composも des ilnrnigr6s en grande partie qui causaient une d6tёrioration de la compOtivit6 de l'entreprise en effectuant souvent un travail dёfectueux et l'absenteisme dans l'organisation taylorienne du travall. La “degraissage" ,c'est―a一dire, le licenciement collectif de grande envergure siest faite a liusine Billancourt de 1986 a 1987 de facon la plus nombreuse et brutale, soit plus de 2000 personnes, a partir des critё res de s61ection des licenci6s qui passaient des “ qualitё et quantitё du travail fourni" Gulllet 86)aux“ compё tence,attitude,comportement,etc."(mars 87),voire a ``la suppression du poste de travall"(septembre 87)en passant par la suppression de l'autorisation adHlinistrative prёalable de licencer a la fin de 1986.

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