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「生活」の本義 : 安吾の「日本文化私観」論 利用統計を見る

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「生活」の本義 : 安吾の「日本文化私観」論

著者

小池 陽

雑誌名

東洋大学大学院紀要

51

ページ

127-146

発行年

2014

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00007298/

(2)

  はじめに 坂口安吾の「生活」に焦点を当てた研究は多くない。例えば、芳 野 昇「 安 吾 を 読 む ─ 生 活 者 の 思 想 ─ 」 ( 北 方 文 学、 昭 四 八・ 八 ) 、 山 本 明 「安吾の生活重視思想─戦後体験に お け る太宰治と の ち が い」 (国文学   解 釈 と 教 材 の 研 究、 學 燈 社、 昭 五 四・ 一 二 ) な ど が あ る。 こ れ ら の 論 考 は、 主 に 安 吾 の「 日 本 文 化 私 観 」 ( 現 代 文 学、 昭 一 七・ 二 ) を 読 む こ と で、 彼の「生活」を論じている。 安 吾 の「 生 活 」 論 が 特 に 重 視 す る の が、 「 日 本 文 化 私 観 」 中 の 「 伝 統 の 美 だ の 日 本 本 来 の 姿 な ど と い う も の よ り も、 よ り 便 利 な 生 活が必要 」だという点である。いうまでもなく各論にはそれぞれの 違いがあるが、安吾の「日本文化私観」は、文化重視のブルーノ・ タ ウ ト に 対 す る ア ン チ と し て、 「 生 活 重 視 の 考 え が 大 胆 に う ち だ さ れている 」という構図で論じられている点において、ほぼ共通して いる。ただし、安吾の「生活」とは何かといえば、その具体的な内 容は示されていない。 こうした安吾の「生活」論の中で、最も注目すべきなのが、西川 長夫の論考である。西川は、比較文化論の立場から「文明」や「文 化」が国家イデオロギーの装置であることを立証する。そして、タ ウトと安吾の日本文化論を比較考察しながら、安吾の「日本文化私 観」に「国境」を超える可能性を見出していくのである。 西 川 も ま た、 他 の「 生 活 」 論 と 同 じ よ う に、 タ ウ ト =「 文 化 」、 「 伝 統 」 に 対 し て、 安 吾 =「 生 活 」 と い う 構 図 を 使 っ て い る。 西 川 によれば、安吾が「日本文化論を論じるにあたって、タウトが嫌悪 しもっとも激しく批判した日本と日本人像に自分を近づけ、その地 点 に 身 を 置 い て 反 撃 を 試 み る。 そ の 際、 安 吾 が「 文 化 」 と「 伝 統 」 に 対 し て 取 り あ げ た 武 器 は「 生 活 」 で あ っ た 」。 こ の 構 図 自 体 は、 既 成 の も の で あ り ふ れ て い る。 だ が、 西 川 は タ ウ ト の「 文 化 概 念 」 を明らかにし、コントラストをつけることで、安吾の「生活」を浮 き彫りにしている。 ① ② ③

文学研究科国文学専攻博士後期課程

3年

 

小池

  

「生活」の本義

 

─安吾の「日本文化私観」論

(3)

タウトは文化の探究者として日本を訪れ、そこに、ヨーロッ パの文化に匹敵するきわめて独自であると同時に普遍性をそな えた高度の文化的伝統を発見した。だがタウトの立場はそれを 外から観察しあるいは享受する立場であって、その文化の中で 生活しその文化を現に生きている者の立場ではない。タウトの そうした立場はしかしながらタウトが外国人であるというより は、美や文化を国民性の高度な精神的表現とみなして文化的伝 統や文化遺産を重視するタウトの文化概念に由来すると考えて よいだろう。 坂 口 安 吾 の 主 張 す る 立 場 は そ れ と は 根 本 的 に 異 な っ て い る。 …(中略)…安吾の視点は、その社会と文化のなかで現に生活 している者の側に置かれている。…(中略)…われわれは自分 の必要に従って今ここで生きているのであって、いわゆる日本 文化や日本精神のために生きているのではない。もし文化とい う言葉を使うとすれば、文化とは、その現に行われている生活 自体である 。 タ ウ ト は 外 側 か ら 日 本 文 化 を 眺 め、 そ こ か ら 抽 象 的、 普 遍 的 な 「文化」 (=「伝統」 )を発見した。タウトにとっての「文化」とは、 「 高 度 な 精 神 的 表 現 」 な の で あ る。 そ れ に 対 し て、 安 吾 は 日 本 文 化 の内側にいて、具体的、個別的な「文化」 (=「生活」 )の立場に立 つ。 安 吾 に と っ て の「 文 化 」 と は、 「 現 に 行 わ れ て い る 生 活 自 体 」 なのである。 西川の論は、文化論的にタウトの「文化概念」を明確にすること で、これまでの安吾の「生活」論に比べて、安吾の「社会と文化の なかで現に生活している者」の立場を明らかにすることに成功して いる。だが、西川は、二つの「日本文化私観」をあくまで文化論の 位相で読んでいる、あるいは、タウトと安吾の文化論を比較し論じ ることが目的であって、安吾の他の作品を参照することが必要とさ れない。そのため、西川の論では、安吾の「生活」の内容が十分に 捉えきれていない。 安 吾 の「 生 活 」 に つ い て、 「 文 化 」 /「 生 活 」 と い う 構 図 と は 違 ったアプローチをしているのが、柄谷行人である。柄谷は、安吾の 「文学のふるさと」に注目する。 芥川が、自分はプチブルジョア・知識人で、農民が生きてい る現実にショックを受けたということなら、安吾がこの遺稿に 注目するはずがない。その農民作家が、もしあなたのような書 斎派の作家には何もわかっていないといったところで、とるに も 足 ら な い。 安 吾 は、 「 生 活 」 と い う も の を、 農 民 に あ り 知 識 人にないというような観点からいっているのではない。 「 生 ラ イ フ 活 」 という語は、もともと西欧語においてそうであるように、安吾 に と っ て「 生 ライフ 」 に ほ か な ら な か っ た。 《 生 活 は 個 性 に よ る も の で あ り、 元 来 独 自 な も の で あ る。 一 般 的 な 生 活 は あ り 得 な い。 ④

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めいめいが各自の独自なそして誠実な生活をもとめることが人 生の目的でなくて、他の何物が人生の目的だろうか》 (『デカダ ン文学論 』) 。 柄 谷 は、 安 吾 の「 生 活 」 に は、 「 西 欧 語 」 の「 生 ライフ 」 の 意 味 が あ る という。そして、そのすぐ後に、安吾の「生活は個性によるもので あり、元来独自なもの」という言葉が引かれているが、これはおそ らく、西欧個人主義的な人生観が想定されているのだろう。確かに、 安 吾 の「 生 活 」 に は、 「 生 」 の 意 味 が 含 ま れ て い る、 と 私 は 思 う。 しかし、それが「西欧語」の意味であり、あるいは西欧個人主義的 であるとは思わない。むしろ、安吾の「生活」には、 日 ・ ・ 本語 の 「生 きる」という意味が含まれていると考える。 花田俊典は、西川や柄谷らの論を踏まえて、安吾の文化論を一般 化している。 例えば、花田は次のようにいう。 坂口安吾が「日本文化私観」で「発見」したのは、タウトの 日 本 文 化 論 に は「 人 間 」 が 不 在 で あ る と か、 「 生 活 」 に よ っ て いないとか、自己省察を欠いているとか、他者(現実)性が稀 薄であるとか、エキゾチックな囲い込みにすぎないとか、こん なことどもであったのなら、この程度のことはなにも坂口安吾 をまたずとも、すでに同時代に一般的な言説であった 。 花田は「同時代に一般的な言説」の一例として、歌人で国文学者 の 国 崎 望 久 太 郎 の「 伝 統 と 個 性 に つ い て 」 ( 風 雅 方 寸 ─ 和 歌 俳 諧 の 伝 統、 立 命 館、 昭 一 七 ) を 引 い て く る。 花 田 に よ れ ば、 国 崎 も ま た「 伝 統 観 の 問 題 と し て、 「 生 活 」 に こ だ わ り、 同 時 代 の 一 部 に 顕 著 な フ ァ ナ ティックな伝統論が「著しく自己陶酔的である」ことを批判してい る 」。だが、花田は、国崎の「生活」を、安吾論に見られる「文化」 、 「 伝 統 」 /「 生 活 」 と い う 構 図 で 読 み 換 え、 そ れ を も っ て 一 般 化 し ているに過ぎない。問題なのは、安吾の「生活」同様、国崎の「生 活」の具体的な内容について論じられていないため、比較検討する ことができないという点である。 また、花田は「おそらくは個人・生活・必要・創造といったキー ワードをもって坂口安吾の独創と特記するのは同時代言説のひろが りを視野におさめるかぎり、どうしても無理がある 」というが、私 は「キーワードをもって坂口安吾」を読むのではなく、安吾のキー ワードの内容を読み解く必要があるのではないかと考える。   「苦悩」に満ちた人生観 人生は「苦悩」に満ちている。これは、ある意味で自明なことな のかもしれない。ただし、安吾のいう「苦悩」とは、単なる病苦や 労苦などの意ではない。そうではなく、真に人生を生きようとすれ ば、人間は生きる「苦悩」から逃れることができないということだ。 ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

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しかし、その「苦悩」こそ、人間が生きる原動力になっていると安 吾は考えた。 私 達 の 生 き る 道 に は、 逃 れ が た い 苦 悩 が あ り ま す。 正 し く、 誠 実 に 生 き る 人 に、 よ り 大 い な る 苦 悩 が あ り ま す。 そ う し て、 ひとつの苦悩には、ひとつづつのふるさとがあります。苦悩の 大につれて、ふるさとも亦、遠く深くなるでしょう。そのふる さ と が、 私 の 意 図 す る 物 語 の た だ ひ と つ の 鍵 で あ り ま す (『 炉 辺 夜話集』後記、昭一六・四) 。 ま た、 「 風 と 光 と 二 十 の 私 と 」 ( 文 芸   昭 二 二・ 一 ) の 中 で、 「 自 然 と の間から次第に距離が失われ」 、「感官は自然の感触とその生命によ っ て 充 た さ れ 」 た 安 吾 は、 「 言 葉 も 冷 静 で、 や わ ら か 」 な「 自 然 」 か ら、 こ う 話 か け ら れ た。 「 君、 不 幸 に な ら な け れ ば い け な い ぜ。 うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂 の ふ る さ と な の だ か ら、 と 」。 こ の 時、 安 吾 は「 何 事 に よ っ て 苦 し むべきか知らなかった」が、彼の「不幸と苦しみが人間の魂のふる さと」という認識には、人生が「不幸と苦しみ」に満ちているにも かかわらず、それでも人間は生きなければならないという人生観が 根底にあった。だが、人間が生きることに、意味や目的など存在し ないとも安吾は考えていた。しかも、人生における時空間が有限で あるだけでなく、人間は真に生きようとしても、人生が有限である 限り、その意志の通りにはならない。そこで「不幸と苦しみ」が生 じ る の で あ る。 人 間 は 生 き て い る 限 り、 「 不 幸 と 苦 し み 」 か ら 逃 れ る こ と が で き な い。 安 吾 が「 不 幸 と 苦 し み が 人 間 の 魂 の ふ る さ と 」 と考えたのは、こうしたことからである。 人 生 に お け る「 苦 悩 」 の 中 で、 最 も 重 要 な 問 題 が「 死 」 で あ る。 安 吾 は「 新 ら し き 性 格 感 情 」 桜   昭 八・ 五 ) の 中 で、 「 生 活 」( 人 生 ) の 根 底 に は「 死 」 が あ る と 述 べ て い た。 「 私 は、 我 々 の 生 活 に 解 き 難い神秘と超越を与える奇怪な魔物が、全てその不思議な源を遠く 「 死 」 に 発 し て い る よ う に 思 え て な ら な い 」。 「 今、 私 に と っ て、 死 は我々の生活に最大のからくりを生む曲者に見えている」 (「新らしき 性格感情」 ) 。「死」は、人間に「生活」 (人生)における時空間が有限 であることを自覚させる。人はこの時はじめて、真に自己を生きよ う と し、 そ し て「 哲 学 」 す る の で あ る。 安 吾 が「 死 」 を、 「 我 々 の 生活に解き難い神秘と超越を与える奇怪な魔物」 、「我々の生活に最 大 の か ら く り を 生 む 曲 者 」 と 見 て い た の は、 「 死 」 こ そ、 真 に 自 己 を自覚させるものだと考えていたからである。日本で最初に 本 ・ ・ 格的 な ・ 思 ・ 考 を し た 西 田 幾 多 郎 は、 次 の よ う に 述 べ て い る。 「 哲 学 は 我 々 の自己が真に生きんとするより始まる。我々の自己の自覚の仕方で あ り、 生 き 方 で あ る 」。 安 吾 の 場 合、 「 死 」 に よ っ て、 「 自 己 が 真 に 生きんと」し、 「哲学」することをはじめたのである。 安吾は「苦悩」としての「死」を横目で見ながら、あえて「真に 生きんと」し、人生を肯定しようとした。 ⑨

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青春ほど、死の翳を負い、死と背中合せな時期はない。人間 の喜怒哀楽も、舞台裏の演出家はただ一人、それが死だ。人は 必ず死なねばならぬ。この事実ほど我々の生存に決定的な力を 加えるものはなく、或いはむしろ、これのみが力の唯一の源泉 ではないかとすら、私は思わざるを得ぬ。 青春は力の時期であるから、同時に死の激しさと密着してい る時期なのだ。人生の迷路は解きがたい。それは魂の迷路であ るが、その迷路も死が我々に与えたものだ。矛盾撞着、もつれ た糸、すべて死が母胎であり、ふるさとでもある人生の愛すべ く、又、なつかしい綾ではないか (暗い青春、潮流、昭二二・六) 。 「 死 」 に 直 面 す る こ と で、 自 己 に 固 執 す る 人 間 に は「 苦 悩 」 が 生 じ る。 そ れ ゆ え、 人 生 に は「 苦 悩 」 が 満 ち て い る と 考 え る。 だ が、 安 吾 は そ の よ う に 考 え な か っ た。 安 吾 に よ れ ば、 「 死 」 は「 人 間 の 喜 怒 哀 楽 」 の「 舞 台 裏 の 演 出 家 」 で あ り、 「 我 々 の 生 存 に 決 定 的 な 力を加えるもの」であるだけでなく、人間にとっての「力の唯一の 源 泉 」 な の で あ る。 「 死 」 を 直 視 し な が ら、 自 ら「 生 の 迷 路 」、 「 魂 の 迷 路 」 に 迷 い 込 み、 そ れ を「 人 生 の 愛 す べ く、 又、 な つ か し い 綾 」 と し て 受 け 入 れ、 人 生 を 肯 定 し て い く こ と が 重 要 な の で あ る。 そうすることで、人は「苦悩」に満ちた人生を「笑い」ながら、そ れを真に肯定する生き方ができる、と安吾は考えていた。 安吾の「ファルス」には、人生を「笑う」ことで肯定しようとす る 人 生 観 が 反 映 さ れ て い る。 安 吾 は、 「 フ ァ ル ス 」 が 人 間 の 生 命 力 の 強 さ を 表 現 で き る と 考 え て い た。 安 吾 に と っ て、 「 苦 悩 」 に 満 ち た、 「 矛 盾 撞 着、 も つ れ た 糸 」 で あ る 人 生 を「 笑 う 」 こ と は、 人 生 そ の も の を 肯 定 す る こ と と 同 義 で あ っ た。 「 フ ァ ル ス 」 に よ っ て、 「死」をも「笑い」 、そして肯定することこそ、安吾の追い求めてい た姿なのである。 ファルスとは、人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しよ うとするものである。凡そ人間の現実に関する限りは、空想で あれ、夢であれ、死であれ、怒りであれ、矛盾であれ、トンチ ンカンであれ、ムニャムニャであれ、何から何まで肯定しよう とするものである。ファルスとは、否定をも肯定し、肯定をも 肯定し、さらに又肯定し、結局人間に関する限りの全てを永遠 に 永 劫 に 永 久 に 肯 定 肯 定 肯 定 し て 止 む ま い と す る も の で あ る。 諦めを肯定し、溜息を肯定し、何言ってやんでいを肯定し、と 言ったようなもんだよを肯定し──つまり全的に人間存在を肯 定しようとすることは、結局、途方もない混沌を、途方もない 矛盾の玉を、グイとばかりに呑みほすことになるのだが、しか し決して矛盾を解決することにはならない、人間ありのままの 混沌を、永遠に肯定しつづけて止まない所の根気の程を、呆れ 果てたる根気の程を、白熱し、一人熱狂して持ちつづけるだけ

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のことである ( F A R C E に就て、青い馬、昭七・三) 。 安吾の「ファルス」とは、人生の「苦悩」を和らげるための、単 なる鎮静剤ではない。安吾は、 「ファルス」によって、 「苦悩」に満 ち た、 「 矛 盾 」、 「 混 沌 」 と し た 人 生 の 一 切 を「 永 遠 に 」 肯 定 し よ う とした。 と こ ろ が、 安 吾 に と っ て、 「 フ ァ ル ス 」 を 書 く こ と は、 当 時 の 文 学の主流から外れることを意味していた。そのことについて、安吾 は こ う 回 想 し て い る。 「 と て も 一 人 前 の 作 家 な ど に は な れ な い と 思 っていたから、始めから落伍者の文学をもって認じていた」 。「人生 を茶化したような作品が好きで、私自身もファルス作家になろうか と 考 え 」 て い た ( 処 女 作 前 後 の 思 い 出、 早 稲 田 文 学、 昭 二 一・ 三 ) 。 安 吾 は、 自嘲気味に「私はとても一流の才能なし」と自認していたが、彼は 「 一 流 」 に な ろ う と し た の で は な い。 む し ろ、 意 図 的 に「 落 伍 者 」 になろうとしていたのである。ただし、安吾は決してニヒリスティ ッ ク な「 落 伍 者 」 に 甘 ん じ て い た の で は な く、 「 一 流 の 才 能 」 が な いことや「落伍者」であることを、自己の「哲学」的独自性にまで 転化していった。例えば、後の「日本文化私観」や「堕落論」で見 られるように、安吾は「落伍者」であることを、日本文学の枠を越 えた、日本哲学の伝統に対抗するためのイデオロギーにまで発展さ せることに成功させたのである。 安吾が本格的に文学活動を始めた(あるいは「ファルス」を書き はじめた)時、日本文学の状況は、到底彼の受け入れられるもので は な か っ た。 安 吾 に よ れ ば、 「 文 字 を 知 っ て も 小 説 は 出 来 な い。 … ( 中 略 ) … し か る に 日 本 の 小 説 は、 概 し て 軽 薄 な る 文 章 が あ る ば か りである。詩の伝統はあったが、人性観察に伝統を持たない日本は、 そもそも文学の勉強法を根本から改める必要がある」 (文章その他、鷭、 昭 九・ 四 ) 。 文 学 は、 「 人 性 観 察 」 か ら 始 め な け れ ば な ら な い。 そ う す る こ と で、 「 文 章 も 生 育 す る 」。 し か し、 日 本 文 学 の 伝 統 は、 「 人 性観察」を欠いていた。それゆえ、日本文学は主体的な批判精神を 欠いた伝統を形成してきた。このような日本文学の状況を、安吾は 見ていたのである。 安 吾 は 日 本 文 学 の 伝 統 を 否 定 し な が ら、 自 覚 的 に「 新 ら し き 文 学」をつくり上げようとした。 私の考えによれば、芸術は反撥精神のあらわれであり、時代 創造的な激しい意志によって為さるべきものであると思われる に拘らず、最近日本文学の新らしい傾向は、老人の趣味に一致 することを最も純粋と見做し、最も無気力な、自慰的な人間探 究に過った亢奮を感じている。不動のもの永遠のものは已に亡 びている。われわれは変化の中に、発展の一過程の中に、反撥 から創造へ向う人間を探究し創りつづけてゆかなければならな い (新らしき文学、時事新報、昭八・五) 。

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安 吾 は「 日 本 文 学 の 新 ら し い 傾 向 」 を、 「 老 人 の 趣 味 」、 「 最 も 無 気力」 、「自慰的な人間探究」と批判しているが、彼が批判したのは それだけではない。安吾は「従来の末梢的な新興文学と称するもの を否定し、プロレタリア文学を否定し無気力な老人趣味的文学を否 定 」 し て い る。 安 吾 は、 「 人 性 観 察 に 伝 統 を 持 た な い 」 日 本 文 学 の 硬直化した精神を受け入れることができなかっただけでなく、最新 の日本文学の「新らしさ」が、 「「新らしさ」を誤らしめ、同時に文 学を過らしめ」るという点において、それらを受け入れることがで きなかった。日本文学の伝統には、ある種の新しさがなかっただけ で な く、 芸 術 に 必 要 な「 反 撥 精 神 」 や「 時 代 創 造 的 な 激 し い 意 志 」 もなかったのである。安吾はそのような日本文学の伝統を批判しな が ら、 新 た な 文 学 の 枠 組 み を つ く り 出 そ う と し て い た。 「 反 撥 か ら 創造へ向う人間を探究し創」ることとは、そういうことである。安 吾がここで問題にしたのは、文学に「反撥精神」 、「時代創造的な激 しい意志」が備わっているか否かという点である。この点において、 安吾が目指した「新らしき文学」と、彼が否定した日本文学の伝統 の間には、必然的に対立が生じていったのである。 こうして安吾と日本文学の伝統との間には、明確なコントラスト が生じていた。それゆえ、安吾は日本文学史上において、特異な存 在になっている。安吾は生涯を通して、日本文学の枠を越えて、日 本 哲 学 の 問 題 に 対 し て も「 反 撥 精 神 」、 「 時 代 創 造 的 な 激 し い 意 志 」 を持ち続けた。安吾は、 「新らしき文学」だけでなく、 「人間の感情 に対する新らしい批判の確立、憎しみや愛や悲しみ怒りを最も厳格 に追求」し、 「神によって許されじとも我によっては許さるる底の、 生命の道徳を確立」 (無題、紀元、昭九・九) しようとしたのである。 一方で、日本人は、道徳の中で思考することを好む。安吾はそれ を 批 判 し た。 「 日 本 人 の 如 く、 軽 々 し く 他 人 の 立 場 を 計 量 し 思 惑 を 働かせて、同情し、寛大となり、諦らめ、いい加減のところでヒラ リと利他的な安手な悟りへ身を飜すべき不誠実さは許さるべきであ り ま す ま い 」 ( 同 右 ) 。 日 本 人 は、 自 己 の「 真 剣 な 情 熱 」 を 隠 し、 「 い い 加 減 の と こ ろ で ヒ ラ リ と 利 他 的 な 安 手 な 悟 り へ 身 を 飜 す 」。 日 本 人が真に生きるために必要なのは、自己に「不誠実」な日本の道徳 な の で は な く、 「 利 己 一 点 ば り に 追 求 の 極 地 へ ま で 追 い つ め、 そ の 底 に 行 き ど ま っ た 」 ( 同 右 ) と こ ろ に あ る、 新 し い 価 値 観( 「 生 命 の 道徳」 )なのである。 ただし、安吾の批判の矛先は、日本道徳そのものに向けられたの で は な い。 「 枯 淡 の 風 格 」 や「 さ び 」 と い う よ う な、 道 徳 に 寄 り か かる観照的な日本人の人生態度に対して向けられたのである。観照 的な人生態度は、日本の道徳を、疑うことのできない絶対的な前提 と見なすだけでなく、また自ら道徳的な「健全」を装うことによっ て、自己の人生に対する認識をも絶対化する。 「 枯 淡 の 風 格 」 と か「 さ び 」 と い う も の を 私 は 認 め る こ と が できない。これは要するに全く逃避的な態度であって、この態

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度が成り立つ反面には人間の本道が肉や慾や死生の葛藤の中に あり、人は常住この葛藤にまきこまれて悩み苦しんでいること を示している。ところが「枯淡なる風格」とか「さび」とかの 人生に向う態度は、この肉や慾の葛藤をそのまま肯定し、ちっ とも作為は加えずに、しかも自身はそこから傷や痛みを受けな い、ということをもって至上の境地とするのである。虫がいい、 という言種も、このへんのところへ来ると荘厳にさえ見えるか ら愉快である (枯淡の風格を排す、作品、昭一〇・五) 。 真の人生( 「人間の本道」 )には、 「肉や慾や死生の葛藤」がある。 人 間 は、 真 に 生 き よ う と す れ ば、 「 こ の 葛 藤 に ま き こ ま れ て 悩 み 苦 し」む。だが、 「「枯淡なる風格」とか「さび」とかの人生に向う態 度 」 は、 「 肉 や 慾 や 死 生 の 葛 藤 」 に「 苦 悩 」 す る こ と が な い。 む し ろ、 「 苦 悩 」 し な い こ と を「 至 上 の 境 地 」 と す る。 「 枯 淡 な る 風 格 」 と か「 さ び 」 と か の 人 生 に 向 う 態 度 」 か ら 見 れ ば、 「 年 を と る と 物 分 り が 良 く な 」 り、 「 他 人 の こ と を 考 へ、 慾 が な く な る 」 こ と は、 道 徳 的 に「 健 全 」 で あ る が、 一 方 で、 「 肉 や 慾 や 死 生 の 葛 藤 」 に 「 苦 悩 」 す る こ と は、 道 徳 的 に「 不 健 全 」 で あ っ た。 こ う し た 人 生 観 か ら、 「 肉 や 慾 や 死 生 の 葛 藤 」 で 生 じ る「 苦 悩 」 に、 正 面 か ら 向 き合うことは、必然的に不可能である。安吾は、人間が真に生きる こ と に よ っ て 生 じ る、 「 肉 や 慾 や 死 生 の 葛 藤 」 に よ る「 苦 悩 」 に 対 して、いかに正面から向き合うかということを考えていた。その安 吾にとって、 「枯淡なる風格」とか「さび」とかの人生に向う態度」 は、人生を真に生きようとする意志の喪失を意味した。それは、人 生の「苦悩」からは逃避する態度であり、また、人生から距離を置 き、安全なところから観照する態度であった。 そのような人生態度に対して、安吾は「時々日本人であることに ウンザリ」していた。というのも、安吾でさえ、日本の道徳の「愚 かしいことに重々気付き、又憎んでいても、長い習慣から脱けでる こ と が で き 」 な か っ た か ら で あ る ( 日 本人 に 就 て 、 作 品 、 昭 一 〇 ・ 七 ) 。 安 吾が「ウンザリ」するという時、それは、彼が日本道徳の「愚かし い」 、「長い習慣」から抜け出したいということを強調している。そ うした「長い習慣」から抜け出せないもどかしさは、安吾に一生つ き纏った。 もし自己の外側の価値(道徳)を承認したとしても、人間とその 人生がすぐさま自己の外側の価値体系に回収されることを意味しな い。しかし、その自己の外側の価値に寄りかかり、そこに安住すれ ば、 「肉や慾や死生の葛藤」で生じる「苦悩」を苦悩することなく、 むしろそれを隠蔽してしまう。そのことによって、人間と人生との 関係は切断されてしまうのだ。人間と人生との真の関係は、自己の 人生における「肉や慾や死生の葛藤」で生じる「苦悩」を正しく苦 悩 し、 「 人 間 生 き る か ら 死 ぬ ま で 持 っ て 生 れ た 身 体 が 一 つ で あ る 以 上 は、 せ い ぜ い 自 分 一 人 の た め に の み、 慾 ば っ た 生 き 方 を す べ き 」 (「 枯 淡 の 風 格 を 排 す 」) と い う 緊 張 関 係 に よ っ て は じ め て 生 ま れ る の で

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あ る。 そ の 緊 張 関 係 を つ く り 出 す こ と が で き る の が、 安 吾 の い う 「毒々しいまでの徹底したエゴイズム」である。 日本人は自己の人生を真に生きたいとしても、実際には他者と同 調しようとする。そうした「愚かしい」 、「長い習慣」から抜け出さ なければならない。このことが、安吾の人生観の在り方を決定して い る の で あ る。 「 本 音 を 割 り だ せ ば 誰 だ っ て 自 分 一 人 だ、 自 分 一 人 の声を空虚な理想や社会的関心なぞというものに先廻りの邪魔をさ れることなく耳を澄して正しく聞きわけるべきである。自分の本音 を雑音なしに聞きだすことさえ、今日の我々には甚だ至難な業だと 思 う 」 ( 同 右 ) 。 人 生 は、 「 本 音 を 割 り だ せ ば 誰 だ っ て 自 分 一 人 」 だ と いう事実にもかかわらず、われわれ日本人は「自分の本音を雑音な しに聞きだすことさえ」困難であるという逆説的な問題を、安吾は われわれに示しているのだ。   「生活」という視座 人 間 が「 生 活 」 を 通 じ て 見 え る「 世 界 」 と は、 い か な る も の か。 例えば、ある者は、自己の「生活」から世界を眺めている。また別 のある者は、その「生活」から「世界」を眺めている。その人が生 きている「生活」によって、見える「世界」はそれぞれ異なってい る。 人 間 の 認 識 は 生 き て い る「 生 活 」 に よ っ て 変 化 す る。 安 吾 は、 そういう視座を「日本文化私観」の中で提示している。 例えば、安吾は「日本文化私観」の冒頭で、次のようにいってい る。 僕は日本の古代文化に就て殆んど知識を持っていない。ブル ーノ・タウトが絶讃する桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅 堂も竹田も鉄斎も知らないのである。況んや、秦蔵六だの竹源 斎師など名前すら聞いたことがなく、第一、めったに旅行する ことがないので、祖国のあの町この村も、風俗も、山河も知ら ないのだ。タウトによれば日本に於ける最も俗悪な都市だとい う新潟市に僕は生れ、彼の蔑み嫌うところの上野から銀座への 街、ネオン・サインを僕は愛す。茶の湯の方式など全然知らな い代りには、猥りに酔い痴れることをのみ知り、孤独の家居に いて、床の間などというものに一顧を与えたこともない。 けれども、そのような僕の生活が、祖国の光輝ある古代文化 の伝統を見失ったという理由で、貧困なものだとは考えていな い(然し、ほかの理由で、貧困だという内省には悩まされてい るのだが─) (「日本文化私観」 ) 。 安 吾 の「 生 活 」 は、 「 上 野 か ら 銀 座 へ の 街、 ネ オ ン・ サ イ ン 」 を 愛 し、 「 茶 の 湯 の 方 式 な ど 全 然 知 ら な い 」、 「 床 の 間 な ど と い う も の に一顧を与えたこともない」という世俗的なものであった。安吾の 「 生 活 」 と い う 視 座 か ら 見 れ ば、 タ ウ ト の い う 日 本 の「 古 代 文 化 の 伝統」は、現実の「生活」から遊離した、自己の外側の価値に過ぎ

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な い。 タ ウ ト の「 古 代 文 化 の 伝 統 」 は、 「 桂 離 宮 」 や「 玉 泉 」 な ど に象徴されるように、客観的に存在しているものとして信じられて いる。だが、個々の「生活」を規定するような、一元的で客観的な 価値( 「古代文化の伝統」 )など存在しないはずだ。 ま た、 安 吾 は 次 の よ う な 例 も 挙 げ て い る。 ジ ャ ン・ コ ク ト ー ( J e a n C o c t e a u ) が 来 日 し た 際、 多 く の 日 本 人 は 和 服 を 着 て い な か っ た。 そ の こ と に つ い て、 コ ク ト ー は「 日 本 が 母 国 の 伝 統 を 忘 れ、 欧 米 化 に 汲 々 た る 有 様 を 嘆 い た 」 ( 同 右 ) 。 そ の コ ク ト ー に 対 し て、 安吾はこう批判する。フランス人は「伝統の遺産を受継いできたが、 祖国の伝統を生むべきものが、又、彼等自身に外ならぬことを全然 知らない」 。「伝統とは何か?   国民性とは何か?   日本人には必然 の性格があって、どうしても和服を発明し、それを着なければなら ないような決定的な素因があるのだろうか」 (同右) と。 確かに、われわれは「伝統」が客観的に存在すると考えることが ある。しかし、それらは、後付けの「説明」でしかない。客観的に 「 伝 統 」 が 存 在 し、 「 説 明 」 が あ る の で は な く、 「 伝 統 」 と い う「 説 明 」 が 存 在 す る だ け で あ る。 安 吾 が い う よ う に、 「 伝 統 と か、 国 民 性とよばれるもの」には、そのような「欺瞞」が隠されている。と い う の も、 本 来「 祖 国 の 伝 統 を 生 む べ き も の 」 は、 そ の 国 で「 生 活」する人間自身に他ならないからである。そのような視座から安 吾は、日本で議論されている「伝統」の「欺瞞」性に鋭く切り込ん で い く。 「 説 明 づ け ら れ た 精 神 か ら 日 本 が 生 れ る 筈 も な く、 又、 日 本精神というものが説明づけられる筈もない。日本人の生活が健康 でありさえすれば、日本そのものが健康だ」 (同右) 。 安 吾 は「 日 本 文 化 私 観 」 の 中 で、 「 伝 統 」 が「 全 滅 」 し て も 構 わ な い と い う 激 し い 内 容 を 繰 り 返 し て い る。 例 え ば、 「 伝 統 の 貫 禄 だ けでは、永遠の生命を維持することはできない」 。「貫禄を維持する だ け の 実 質 が な け れ ば、 や が て は 亡 び る 外 に 仕 方 が な い。 問 題 は、 伝 統 や 貫 禄 で は な く、 実 質 だ 」 ( 同 右 ) な ど。 「 伝 統 」 は、 自 己 の 外 側の価値である。それゆえ、たとえそれらが「全滅」したとしても、 われわれの「生活」は滅びることはない。自己の外側の価値に拠っ た「 生 活 」 に は、 「 必 要 」 に 基 づ い た 内 側 か ら の 欲 求 が な い。 そ の ような欲求がない「生活」は、脆弱である。そうではなく、むしろ、 自 己 の「 必 要 」 に 従 っ た、 「 生 活 」 上 の 自 己 更 新 を す る こ と こ そ 重 要 な の だ。 安 吾 が 強 調 し た か っ た の は、 そ の こ と で あ る。 「 我 々 に 大切なのは「生活の必要」だけで、古代文化が全滅しても、生活は 亡びず、生活自体が亡びない限り、我々の独自性は健康なのである。 なぜなら、我々自体の必要と、必要に応じた欲求を失わないからで あ る 」 ( 同 右 ) 。 安 吾 が「 生 活 の 必 要 」 と い う 時、 そ れ は、 人 間 が 「伝統」に拠って生きるのではなく、 「生活の必要」に基づいて自己 更新すべきだ、ということをいっているのである。 安吾が「日本文化私観」を書いた頃、彼は自己の「生活」 (人生) を弱くする思考様式と闘っていた。それは、安吾が二〇代後半から 三 〇 代 に か け て、 日 本 の 各 地 に「 放 浪 」 し て い た 時 の こ と で あ る。

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安吾が「放浪」していたのは、蒲田、伏見、取手、そして小田原な ど。 「放浪」中の安吾の生活は、 「細く長く生きることは性来私のに くむところで、私は浪費のあげくに三日間ぐらい水を飲んで暮さね ばならなかったり下宿や食堂の借金の催促で夜逃げに及ばねばなら な か っ た り 」 ( い づ こ へ、 新 小 説、 昭 二 一・ 十 ) す る よ う な「 苦 痛 」 を 伴 った「生活」だった。だが、安吾にとって、この「放浪」自体は重 要なことではない。重要なのは、それが「精神の放浪」であったこ と で あ る。 そ の 時 の こ と を、 安 吾 は こ う 書 い て い る。 「 私 は 友 達 か ら放浪児と言われる。なるほどこのところ数年は定まる家もなく旅 やら食客やら転々としたが、関東をめぐる狭小な地域で、放浪なぞ と言うほどのものではない。地上の放浪に比べたなら私の精神の放 浪の方が余程ひどくもあり苦痛でもあった」 (流浪の追憶、都新聞、昭一 一・ 三 ) 。 安 吾 は「 苦 痛 」 な「 精 神 の 放 浪 」 状 態 に あ っ て、 と い う よ り、むしろ「精神の放浪」状態であればあるほど、自己の内に「生 活」する力(生きる力)を見出していく。半ば意図的に「三日間ぐ ら い 水 を 飲 ん で 暮 」 し、 「 借 金 の 催 促 で 夜 逃 げ 」 し な け れ ば な ら な い よ う な「 生 活 」 を 送 り、 「 苦 痛 」 な「 精 神 の 放 浪 」 状 態 の 中 に あ っても、自己の内にある「生活」する力を見出す、こうした安吾の 精神力は並ではない。しかし、これは、単に安吾に根性があるとか いうことではなく、安吾は彼独自の思考によって、人生上のマイナ スを 「 プ ラ ス 生活」する 力に転じる法を会得していたのである。 人生上のマイナスを「生活」する力(生きる力)に変える。安吾 は、いかにしてそのような思考をし得たのか。それは「生活」との 対決によってである。今日においてもなお、日本の知識界では「生 活の必要」から遊離した「哲学」 (思想)の問題が議論されている。 こ の 問 題 に つ い て、 例 え ば、 務 台 理 作 は 次 の よ う に 説 明 し て い る。 「 思 想 は 元 来 生 き も の で あ っ て つ ね に 一 般 民 衆 の 生 活 意 識 の 中 に そ の根を下ろし、その思想のたたかいと成長のために必要なエネルギ ーをそこからつねに供給するべきものである。このエネルギーの汲 み上げがなければ思想は枯渇して、たんなる知識─肉体のない知識 になってしまう 」。務台が指摘しているように、日本の「哲学」 (思 想)は、ほ と ん ど「生活の必要」か ら生じ て い な い。そ れ ゆ え、 「哲 学 」 を 持 た な い 日 本 人 は 自 己 の 外 側 に 存 在 す る、 「 た ん な る 知 識 」、 「 肉 体 の な い 知 識 」 に 頼 る こ と に な る。 し か し、 そ れ で は 真 に 自 己 の「 生 活 」 を 追 求 す る こ と は で き な い。 真 に「 生 活 」 す る た め に、 日本人は自己の「生活」と「哲学」との関係を考えなければならな いのである。なぜなら、務台もいうように「思想のたたかいと成長 のために必要なエネルギーをそこからつねに供給するべきもの」だ からである。 ただ、安吾も日本における「生活」と「哲学」の問題を論理的に 理解していたわけではない。安吾はそれを直感的に感じ取っていた に過ぎない。それは「日本文化私観」の、寺が先にあって、坊主が 後にあるという思考様式への批判の中にも表れている。 ⑩

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俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまま小なるままの 各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい。芸術も亦そ うである。まっとうでなければならぬ。寺があって、後に、坊 主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなく とも、良寛は存在する。若し、我々に仏教が必要ならば、それ は 坊 主 が 必 要 な の で、 寺 が 必 要 な の で は な い の で あ る (「 日 本 文 化私観」 ) 。 仏教にとって、坊主が「必要」なのであって、寺が「必要」なの ではない。だが、日本においては、寺が先で、坊主が後になる。こ うした逆転した思考は、これまでの「生活」と対決をすることなく、 自己の「生活の必要」を自己の内に問うことのない思考様式から生 み出される。要するに「生活の必要」を自己に問うことのない日本 人は、 「た ん な る知識」 、「肉体の な い知識」に拠る ほ か な い の で あ る。 しかし、これは、自己の「生活」する力を弱めてしまう思考様式 で あ る。 安 吾 は「 文 学 の ふ る さ と 」 ( 現 代 文 学、 昭 一 六・ 八 ) の 中 で、 芥川龍之介とある農民作家とのエピソードを例に挙げている。ある 農民作家が生活苦から産まれたわが子を殺して、埋めてしまったと い う 話 を、 芥 川 の も と へ 持 っ て き た。 芥 川 は こ の 話 を 読 み、 「 あ ま り暗くて、やりきれない気持」になり、このような話が本当にある のか、農民作家に尋ねた。すると、農民作家は、これは自分の話だ と い い、 こ の こ と が 悪 い こ と か と 芥 川 に 尋 ね た。 「 何 事 に ま れ 言 葉 が用意されているような多才」な芥川であったが、この質問に答え ることができなかった。安吾はこのエピソードについて次のように 書 い て い る。 「 芥 川 が 突 き 放 さ れ た も の は、 や っ ぱ り、 モ ラ ル を 超 えたものであります」 。「芥川の想像もできないような、事実でもあ り、大地に根の下りた生活でもあった。芥川はその根の下りた生活 に、突き放されたのでしょう」 (「文学のふるさと」 ) 。 エ ピ ソ ー ド 中 の 芥 川 は 農 民 作 家 の 問 い に 対 し て、 道 徳 的 な「 生 活」について考えた。だが、安吾はそれを否定する。ここで安吾の いう「突き放された」とは、道徳的に正しい「生活」などどこにも な い、 た だ そ れ を 求 め て い る 人 間 が 存 在 す る だ け だ と い う こ と だ。 わ れ わ れ が「 生 活 」 と 対 決 し、 真 に 自 己 の「 生 活 」( 人 生 ) を 追 求 するためには、まずここから思考を始めなければならない。とすれ ば、芥川は、農民作家の善いか悪いかという問いに対して、それに 答えようとするのではなく、むしろそのような問いと答えを求めさ せるものが何かを、自己に問うべきだったのである。芥川は自己の 外側の価値(道徳)に求めようとするのではなく、いかにして真に 自己の「生活」を生きられるのかを、自分自身で考えなければなら なかった。 芥 川 が 求 め た よ う に、 「 モ ラ ル 」 や「 社 会 性 」 に 従 え ば、 人 は 正 しい「生活」をすることができるのだろうか、あるいは、自己を守 るものとして「モラル」や「社会性」を利用しているだけではない の か。 安 吾 は「 モ ラ ル が な い こ と、 突 き 放 す こ と 」 を「 ふ る さ と 」

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と 呼 ん だ。 「 モ ラ ル が な い こ と、 突 き 放 す こ と、 私 は こ れ を 文 学 の 否定的な態度だとは思いません。むしろ、文学の建設的なもの、モ ラルとか社会性というようなものは、この「ふるさと」の上に立た な け れ ば な ら な い も の だ と 思 う も の で す 」 ( 同 右 ) 。「 モ ラ ル 」 や「 社 会性」は自己の外側の価値でしかない。そのようなものが、自己の 「生活」 (人生)に、真の納得を与えてくれることはない。やはりそ れ ら を「 突 き 放 」 し、 自 己 の 内 に 問 う て い く し か な い。 「 モ ラ ル 」 や「社会性」が自己の「生活」を決めるのではなく、自分自身で自 己の「生活」を考え決めていかなければならない。 実際、安吾はそのように生きようとしていた。 「私は差引計算や、 バ ラ ン ス を と る 心 掛 が 好 き で は な い。 自 分 自 身 を 潔 く 投 げ だ し て、 それ自体の中に救いの路をもとめる以外に正しさはないではないか。 そ れ は と も か く 私 自 身 の た っ た 一 つ の 確 信 だ っ た 」 (「 い づ こ へ 」) 。 安 吾 は「 苦 痛 」 に 直 面 し た 時、 「 自 分 自 身 を 潔 く 投 げ だ し 」、 「 そ れ 自 体の中に救いの路をもとめ」ようと「まっとう」に生きなければな らないと考えていたのである。 安吾のように「まっとう」に生きているならば、一生のうち一度 は 自 己 が 何 の た め に 生 き る の か を、 「 哲 学 」 的 に 考 え た こ と が あ る か も し れ な い。 そ の 過 程 で、 「 生 活 」 の 意 義 を 見 出 せ た と し て も、 人は最終的に「死」という運命から逃れることはできない。すでに 見てきたように、安吾は「死」を自己の「哲学」の前提としていた。 安吾は「死」について、 「日本文化私観」の中で、こういっていた。 「 人 は 必 ず 死 ぬ。 死 あ る が た め に、 喜 怒 哀 楽 も あ る の だ ろ う が、 い つまでたっても死なないと極ったら、退屈千万な話である。生きて い る こ と に、 特 別 の 意 義 が な い 」 (「 日 本 文 化 私 観 」) 。「 有 」 が「 無 」 に 帰 す、 こ の「 死 」 に 対 す る 認 識 こ そ が、 「 生 き て い る こ と に、 特 別 の意義」があることへの自覚につながっている。しかし、仕方なく 「 生 活 」 し て い る だ け で は、 自 己 の「 生 活 」 か ら「 特 別 の 意 義 」 を 見出すことはできない。自己の「生活」に「特別の意義」を見出す た め に は、 自 己 が「 生 活 」 の 中 で「 あ せ り ぬ 」 く こ と で、 「 自 分 の 生命力」に気づく必要がある。 安吾が、ドストエフスキーを愛したのも、そうしたことがドスト エ フ ス キ ー 作 品 に 書 か れ て い た か ら で あ る。 「 私 が ド ス ト エ フ ス キ ーを愛するのは彼の作中人物がみんな自分の生命力を感じたいため に あ せ り ぬ い て い る、 そ れ が 甚 だ な つ か し い の も 一 因 で あ る 」 (「 流 浪 の 追 憶 」) 。 眼 の 前 に あ る「 生 活 」 を 仕 方 な く 生 き る の で は な く、 「 あ せ り ぬ 」 き な が ら「 ま っ と う 」 に 生 き る。 ド ス ト エ フ ス キ ー の 「 作 中 人 物 」 が、 そ の よ う に 自 己 の「 生 活 」 を 生 き て い る 点 に、 安 吾は「甚だなつか」さを感じていたのである。 「 あ せ り ぬ 」 き、 「 ま っ と う 」 に 生 き て い る 人 は、 自 己 へ「 帰 る 」 時、何のために生き、そしてどこへ向かって生きているのかを考え ざるを得なくなる。その時、 「必ず、ふりかえる魔物がいる」 。安吾 は こ う い っ て い る。 「「 帰 る 」 と い う こ と は、 不 思 議 な 魔 物 だ。 「 帰 ら 」 な け れ ば、 悔 い も 悲 し さ も な い の で あ る。 「 帰 る 」 以 上、 女 房

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も子供も、母もなくとも、どうしても、悔いと悲しさから逃げるこ とが出来ないのだ。帰るということの中には、必ず、ふりかえる魔 物 が い る 」 (「 日 本 文 化 私 観 」) 。 自 分 は 何 の た め に 生 き、 そ し て ど こ へ 向かって生きているのかと考える時、人は自己に「帰ら」なければ ならない。自己に「帰る」と、これまでの人生における「悔いと悲 しさ」と向き合わざるを得なくなる。というのも、どのような人生 であれ、まったく「悔いと悲しさ」のない人生などないからである。 人 は 自 己 に「 帰 る 」 こ と で、 「 悔 い と 悲 し さ 」 と 向 き 合 い、 そ れ を 克服していかなければならない。だが、ただ克服するだけでは足り ない。人間は最終的に「死」ぬにもかかわらず、自己の「悔いと悲 しさ」と向き合い、そして、その中から新たな「生活」の「特別な 意義」を見出さなければならないからだ。 自己の「悔いと悲しさ」と向き合い、その中から新しい「特別な 意義」を見出す安吾の「生活」のやり方は、次のようなものである。 そ れ は、 「 魔 術 の カ ラ ク リ 」 な し に、 自 分 で「 生 命 の 火 」 を 灯 す こ とができるか否かという自己との闘いである。例えば、安吾が三〇 歳 の 時、 五 年 間 の 恋 人 で あ っ た 矢 田 津 世 子 へ 絶 交 の 手 紙 を 送 っ た。 この時も、安吾は自己に「帰」った。 その矢田津世子は、私のあみだした生存の原理、魔術のカラ クリであったのだろう。世に容れられず、といえば大きすぎる が、世に拗ね、人に隠れ、希望を失い、自信を失い、何がため に生きるか目安を失い果てている私は、私の生命の火となるも のを魔術のカラクリに托す以外に仕方がなかったであろう。 それがカラクリであるにしても、ともかく、その二年間、私 は矢田津世子によって生きていた。それを生命の火としていた。 そのバカらしさを知りながら、その夢に寄生していたのである (三十歳、文学界、昭二三・五) 。 安 吾 も「 世 に 容 れ ら れ ず 」、 「 世 に 拗 ね、 人 に 隠 れ、 希 望 を 失 い、 自信を失い、何がために生きるか目安を失い果てている」場合、そ れ が 真 に「 生 命 の 火 」 と な ら な い と 理 解 し て い た と し て も、 「 魔 術 のカラクリ」という自己の外側の価値に拠ってしまう。これは、人 間であるならば無理からぬことだ。しかし、安吾は「そのバカらし さを知りながら、その夢に寄生していた」自己を自覚していた。わ れわれは真に「生活」をするために、いかにして「夢に寄生」する ことなしに、自己の力によって「生命の火」を灯すことができるか が試されている。実際には、多くの人が「魔術のカラクリ」に拠っ て、 「夢に寄生」して生きている。安吾のように、 「そのバカらしさ を知りながら、その夢に寄生」する自己を自覚し、自己の力によっ て「 生 命 の 火 」 を 灯 す こ と が で き れ ば、 わ れ わ れ は 自 己 の「 生 活 」 の中から、新たな「特別な意義」を見出せるのかもしれない。 ただ、この「世界」のどこかに予め「特別な意義」があるわけで はない。われわれが生きる「世界」とは「むごたらしく、救いのな

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いもの」である。 「生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、 このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、 いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思いま す 」 (「 文 学 の ふ る さ と 」) 。 安 吾 は 日 本 の「 伝 統 」 を 含 め て、 あ ら ゆ る 現実の「生活」から遊離した価値を信じなかった。なぜ安吾は、そ のような価値を信じなかったのか。それは、人間の認識が個々人の 「 生 活 」 の 視 座 を 通 過 し て い る 以 上、 そ れ を 越 え た 客 観 的 で、 一 元 的な価値など存在しないからである。ある人間の「生活」の視座を 通過すれば、いかなる価値も主観的に処理されたものになる。それ らの価値に「説明」が施され、あたかも自然に存在していたかのよ うに固定化され、いつしか「信仰 」の対象になってしまうのである。 そうした思考が生み出す価値の発生源を、安吾は「生活」の視座か ら辿っていく。この「世界」が、結局「むごたらしく、救いのない もの」だとすれば、人間が「信仰」している価値も「むごたらしく、 救いのないもの」でしかない。それらによって、人間が真に救われ ることはない。安吾による「生活」の視座というアプローチをすれ ば、このような「世界」観が得られるのだ。一見すれば、これはニ ヒ リ ス テ ッ ク な「 世 界 」 観 で あ る が、 安 吾 は「 ま っ と う 」 に「 生 活 」 す る た め に、 「 魔 術 の カ ラ ク リ 」 と い う 自 己 の 外 側 の 価 値 に 拠 らない、真の「生活」を追求するのである。 し か し、 神 の い な い 日 本 で、 「 魔 術 の カ ラ ク リ 」 に 拠 ら ず に「 生 活」しようとすれば、例えば、ある種の「日本の現代思想 」が示し た よ う に、 本 来「 生 活 」 す る こ と に 意 味 や 目 的 は な い、 あ る い は、 そのようなことを考えても仕方ないと考えるだろう。これが、自己 の「生活」の根幹に関わることだとすれば、生きること自体に意味 がないという思考に陥る。確かに考えても仕方のないことを、考え ることは苦痛でしかない。人間は無意味なことに耐えることができ ない。そのような意味や目的のない「生活」について考えることに 対しては、 「シラケつつノリ、ノリつつシラケる 」か、 「ふみとどま ったりせず、とにかく逃げる 」という態度をとる方が楽なのかもし れ な い。 し か し、 一 端 こ の よ う な 思 考 に 陥 れ ば、 「 生 活 」 は 無 意 味 な も の に な り、 人 は 虚 し さ の 中 で 生 き な け れ ば な ら な く な る。 「 生 活」に対する気力も失ってしまう。その場合、人間は自ら「死」を 選ぶ場合さえあり得る。こうした思考を破壊するために、自らが真 に何を欲するのか、その「生活の必要」を徹底的に追求する必要が あるのだ。たとえ「生活」が「むごたらしく、救いのないもの」で あ っ て も、 「 生 活 の 必 要 」 を 徹 底 す る こ と で、 真 に 自 己 が 欲 す る も の が 出 現 し て く る は ず だ。 だ が、 こ こ で、 「 シ ラ ケ つ つ ノ リ、 ノ リ つ つ シ ラ ケ る 」 か、 「 ふ み と ど ま っ た り せ ず、 と に か く 逃 げ 」 た り すれば、耐え難い状態になる。そうではなく、安吾はこれを克服し た先に、真の新たな「生活」を予感する。 漠然とした哀愁は畢竟するにその漠然とした形のまま死か生 かの分岐点まで押しつめ突きつめて行くよりほかに仕方がない ⑪ ⑫ ⑬ ⑭

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悲しさなのだ。その極まった分岐点で死を選ぶなら、それはそ れ で 仕 方 が な い。 併 し も し 生 き る こ と を 選 ぶ な ら、 ( 選 ぶ と い うよりもそのときには生きる力と化するのであろうが)まこと に生き生きとした文学はそこから出発するのだと私は考えてい る。ドストエフスキーがそうだったのだ。彼の文学は悲願それ 自体ではなく、それが極点に於て生きることに向き直ったとこ ろから出発したものであった。生き生きとした真に新らたな倫 理はそこから誕生してくるに違いない。従而、私は悲願そのも のには余り多くを期待しない。我々の時代の多くの若者がこの 悲願に追われはじめている。併しその多くの人が途中で誤魔化 す、極めて安易な習慣的な考察法へその人生観の方向を逃がし て了う、又ある人はその極点へ押しつめぬうちに極めてこれも 習慣的な自殺を企ててしまったりする。この悲願を真に正しく 押しつめることは甚だ難いのだ。併しやがてこの悲願を正しく 渡りきった向う側から新らしい文学が生まれてくるだろうと私 は確信している (悲願に就て、作品、昭一〇・三) 。 「 生 活 」 上 の「 漠 然 と し た 哀 愁 」 は、 真 に 深 く 大 き い。 そ れ は 人 を「漠然とした形のまま死か生かの分岐点」にまで追い詰めるほど の も の だ。 だ が、 安 吾 は い う。 「 も し 生 き る こ と を 選 ぶ な ら 」、 「 ま こ と に 生 き 生 き と し た 文 学 は そ こ か ら 出 発 す る の だ 」 と。 自 己 の 「 生 活 」 の 中 に は、 「 漠 然 と し た 哀 愁 」 が あ る が、 「 生 き る こ と に 向 き直ったところ」に真の「生活」がある。 安 吾 に と っ て、 「 生 活 」( 人 生 ) と は あ る 種 の 闘 い で あ っ た。 「 生 活」する過程で、自ら「死」を選ぶほどの「漠然とした哀愁」を感 じることもあるだろう。安吾がいうように、これを「途中で誤魔化 す、 極 め て 安 易 な 習 慣 的 な 考 察 法 」 を し た り、 「 習 慣 的 な 自 殺 を 企 ててしまった」りすれば、われわれは、短い人生で何も得ることが で き な い だ ろ う。 今、 自 己 の「 生 活 」 に 対 し て「 漠 然 と し た 哀 愁 」 を感じたとしても、それを「極点へ押しつめ」 、「この悲願を正しく 渡りきった向う側」に真の「生活」があるのである。 安吾の「生活」という視座は、ニヒリステックであるにもかかわ ら ず、 「 日 本 の 現 代 思 想 」 と は 異 な る。 安 吾 の そ れ は、 単 に 近 代 的 主 体 を「 脱 構 築 」 す る と い う の と は 異 な る。 む ろ ん、 「 脱 構 築 」 の 有効性を否定はしない。だが、いかにして真に「生活」し、自己の 人生を肯定す る こ と が で き る の か と問う時、 「脱構築」す る だ け で は、 「 生 活 」 の「 特 別 な 意 義 」 を 見 出 す こ と が で き ず、 そ れ ゆ え 自 己 の 人 生 を 肯 定 す る こ と が で き な い。 再 び 自 己 に「 帰 」 り、 「 漠 然 と し た哀愁」と闘い、それを克服しなければ、真に「生活」することは で き な い。 安 吾 を 読 む こ と は「 シ ラ ケ つ つ ノ リ、 ノ リ つ つ シ ラ ケ る」 、「ふ み と ど まった り せ ず、と に か く逃げ る」 、そ の よ う な人々に、 正解とはいえないが、自己の「生活」を見つめ直す機会を与えてく れる。安吾の「生活」という視座とは、そのような「哲学」なのだ と私は思う。

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  おわりに 安 吾 に お け る「 生 活 」 の 本 義 は、 「 文 化 」、 「 伝 統 」 /「 生 活 」 と いう文化論的な枠組みだけでは捉えきれない。安吾のそれは、むし ろ哲学論的なのである。安吾が「生活」という時、彼が重視したの は、人が「生活」する過程で遭遇する「苦悩」を、いかにして 克服 し て い く か、と い う こ と で あ る。い い換え れ ば、自己の「生活」 (人 生)を再構築していくことである。そのために、自己の「生活の必 要」を、自己の内に問い、真の自己と真の「生活」を発見していく ことが重要になる。 安吾の場合、 「書く」という行為が特に重要であった。 「書いたと き、 書 く こ と が 生 活 で あ っ た。 こ の こ と は 疑 え な い 」、 「 私 は 然 し、 生きているから、書くだけで、私は、とにかく、生きており、生き つづけるつもりでいるのだ」 (私は誰?、新生、昭二二 ・ 三) 。安吾は「書 く 」 こ と で、 真 の 自 己 と 真 の「 生 活 」 を 形 成 し よ う し た。 安 吾 が 「書く」時に追求したのが「必要」だった。 「美しく見せるための一 行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生 れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、 ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなけれ ばならぬ」 。「そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所 の 独 自 の 形 態 が、 美 を 生 む の だ 」 (「 日 本 文 化 私 観 」) 。「 必 要 」 こ そ が、 「美」を生み出す。このような思考は重要である。というのも、 「必 要 」 か ら 離 れ た 言 葉 は、 や が て「 た ん な る 知 識 」、 「 肉 体 の な い 知 識」に化してしまうからだ。 ところが、安吾には「生活」上のあらゆる「苦悩」を、自力で克 服しなければならないという主張がある。安吾の思考には、他者理 解の不可能性が根底にあるからだ。例えば、安吾はこういっている。 「 世 に 理 解 せ ら れ ざ る こ と は、 文 学 の み な ら ん や、 人 す べ て の 宿 命 ではないか。人はすべて理解せられることを欲し、そして理解され て は い な い の だ 」 (「 私 は 誰?」 ) 。 だ が、 自 己 の「 生 活 」 を 再 構 築 す る 時、安易に他力を求めることがなければ、他者に助力を求めること があっても良いのでないだろうか。 人間が「人間」たり得る条件は、各個人が還元不可能な価値を有 しているということである。還元不可能な人間存在である自己と他 者の関係は、相衝突するものではなく、むしろ相互補完的になって い る。 そ の こ と に つ い て、 そ の 分 析 方 法 や 認 識 の 仕 方 は、 哲 学 者 ( 思 想 家 ) に よ っ て 異 な る が、 他 者 と の 何 ら か の 関 係 に お い て、 自 己という存在が成立していると考える点では、ほとんどの哲学者の 間 で 共 通 し て い る。 例 え ば、 イ マ ヌ エ ル・ カ ン ト( I m m a n u e l K a n t ) は『 人 倫 の 形 而 上 学 の 基 礎 づ け 』 の 中 で、 次 の よ う に い っ て い る。 「 汝 の 人 格 な ら び に 他 の あ ら ゆ る 人 の 人 格 に お け る 人 間 性 を常に同時に目的として取り扱い、決して単に手段としてのみ取り 扱 わ な い よ う に 行 為 せ よ 」。 カ ン ト は、 「 人 間 」 が 皆 理 性 的 で あ り、 各個人の自由と意志が平等に認められるべきと考える。理性的な意 志を有し自由である自己は、他者の自由や意志をも認めなければな ⑮

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らないという観念を有する。それにより、人間の平等という観念も 有するのである。各個人は「人間自体がもつ目的性」ゆえに、たと え 自 己 が 他 者 の「 目 的 」 と な っ た と し て も、 「 目 的 」 と し て の 人 間 は、皆平等にその自由と意志が認められる。したがって、そのよう な意味で、自己と他者との相互補完的関係(人間の平等)が保たれ ているのである。こうした考えは、自己が還元不可能な至上の存在 であるという認識と自己以外の他者の存在に対する認識なしには成 立し得ない。 確 か に、 自 己 の「 生 活 」( 人 生 ) を い か に 生 き る か は、 自 分 自 身 で決めることだ。だが、そこに到達するための、還元不可能な存在 である自己の「生活」の再構築には、自己と相互補完的関係にある 他者の存在も必要である。しかし、安吾は、他者理解が不可能だと 考えていたため、他者に助力を求めることを嫌った。この他者理解 というものが、安吾の「哲学」には欠如している。この点に注意す れば、安吾の「哲学」は、多くの日本人にとって必要な思考の資源 になり得るのである。 ① 安 吾 の 著 作 か ら の 引 用 は、 『 坂 口 安 吾 全 集 』 全 一 八 巻( ち く ま 文 庫 版、平元─平三)に拠った。 ② 山 本 明「 安 吾 の 生 活 重 視 思 想 ─ 戦 後 体 験 に お け る 太 宰 治 と の ち が い 」( 「 国 文 学   解 釈 と 教 材 の 研 究 」、 學 燈 社、 昭 五 四 に 所 収 ) 二 九 頁 ③ 西川長夫の「二つの『日本文化私観』─ブルーノ・タウトと坂口安 吾 」( 『 増 補   国 境 の 越 え 方 ─ 国 民 国 家 論 序 説 』、 平 凡 社 ラ イ ブ ラ リ ー、平一三に収録)三一六頁 ④ 同右   三二五頁 ⑤ 柄 谷 行 人『 坂 口 安 吾 と 中 上 健 次 』、 講 談 社 文 芸 文 庫、 平 一 八、 二 七 頁 ⑥ 花田俊典「悲願について─坂口安吾「日本文化私観」再考」 (「九大 日文」 、九州大学日本語文学会、平一五に所収) ⑦ 同右 ⑧ 花田   前掲論文 ⑨ 西 田 幾 多 郎「 知 識 の 客 観 性 に つ い て 」( 『 西 田 幾 多 郎 全 集 』 第 九 巻、 岩波書店、平一四に収録)四六一頁 ⑩ 務台理作「学究時代の思い出」 (『務台理作著作集』第五巻、こぶし 書房、平一三に収録) 、三〇〇頁 ⑪ 丸 山 真 男『 日 本 の 思 想 』( 岩 波 新 書、 昭 三 六 ) の 中 で、 「 理 論 信 仰 」 に つ い て 次 の よ う に 説 明 し て い る。 「 自 由 な 主 体 が 厳 密 な 方 法 的 自 覚にたって、対象を概念的に整序し、不断の検証を通じてこれを再 構 成 し て ゆ く 精 神 」 が、 「 日 本 の 思 想 」 に は 欠 如 し て い る。 そ の た め、 「 現 実 か ら の 抽 象 化 作 用 よ り も、 抽 象 化 さ れ た 結 果 が 重 視 さ れ る。それによって理論や概念はフィクションとしての意味を失って かえって一種の現実に転化されてしまう」 (五八頁) 。

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⑫ 仲 正 昌 樹『 日 本 の 現 代 思 想 』( NHK ブ ッ ク ス、 平 一 八 ) を 参 照。 本論での「日本の現代思想」とは、仲正が説明するような、一九八 〇年代に注目された思想のことを指す。これらの思想は、突然八〇 年代に現れたのではなく、それ以前の日本式「マルクス主義の代替 と し て の意味合い が ふ く ま れ て い」る(二三頁) 。「日本の現代思想」 を体現するのは、 『なんとなく、クリスタル』の正隆のような「 「バ カみたいになって一つのことに熱中」して物事を考えたりしないけ れ ど、 「頭の中は空っぽ」で は な く、 「醒め切って い る わ け で も な い」 というような中途半端な若者である」 (一五八頁) 。 ⑬ 浅田彰『構造と力─記号論を超えて』 、勁草書房、昭五八、六頁 ⑭ 浅 田 彰『 逃 走 論 ─ ス キ ゾ・ キ ッ ズ の 冒 険 』、 ち く ま 文 庫、 昭 六 一、 一一頁 ⑮ カ ン ト 著 / 深 作 守 文 訳『 人 倫 の 形 而 上 学 の 基 礎 づ け 』( 『 カ ン ト 全 集』第七巻、理想社、昭四〇に収録)七五頁

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The philosophical meaning of “Life”

KOIKE, Akira

Generally, We have considered Ango’s “Nihon Bunka Shikan(日本文化私観)" as the work of anti-traditionalism. Can we understand it as anti-traditionalism? It isn’t the right solution. How should we understand it? Generally speaking, we read his works from the point of view of "corruption(堕落)". However, it is his thought of medium-term. It isn’t through his life.

What is his consistent philosophical thinking? This is thinking about living “Life”. A thorough philosophical thinking about “Life” is the role of philosophy. Japanese philosophy has aimed for understanding Japanese’ “Life”. Through this work, he didn’t take a defiant attitude toward Japanese tradition. He tried to make it clear where Real life is different from Japanese tradition praised by “Bruno Taut”. And he thought about the Japanese “Life”.

参照

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