子どものカウンセリング補遺(1) : 親へのアプローチについて(1)
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(2) . 子 ども の カ ウ ンセ リ ン グ 補 遺 - 1 - -親へのア プローチについて‐1-. 奥. 村. 晶. 子. 序 子 どもが精神的に健康に育ちにくくなっ ている今日, 子どもの心に起因する種々なる問題は, 専 門機関で扱われるだけでなく, 学校においても, 生徒指導部, 教育相談担当者, 養護教諭のみなら ず, 一般の学級担任もその責任を負うことも多い, 現実に, 学校教師は夫々の立場で, 鋭意教育相談的関わりを果たしているものも多いとは云え, 全体をみまわした時, 一部の熱心な教師, 或は, 問題の子 どもに出会ってよんどころなく必要に迫 ●ている状況であり, 全教師の行う教育 られた教師等が, 教育相談の素養を身につけ子どもに対応し ″ 相談 というには程遠い状況であろう. 教育相談の基本は, 云う迄もなく子 どもに対する, そして時に親に対する-親へは必要を認めな がら学校では余り行なわれているとは云えない状況だろうが-カウ ンセリ ング的ア プローチ であ る. そして今日, カウンセリ ングに関する書籍は巷間に溢れて居り事欠かない, しかし現実に, 子 る時, それは, 子どもひとりひとり相違するものであ どもや親にカウンセリング的ア プローチをす● り現場を戸惑わせていることも事実である. カウンセリ ングは, 本来, 非常に個別的のものであっ てみれば, それは当然であり, 本に書かれていない微妙な展開の中から, セラピスト自らが体験し 理解して行く べきものであろう, 現場の研修においては, 一回の面接の展開の様相を, 或は, 一つの症例の経過の追跡をケースス タディ することを推進させたいもの と考えているが, 一部専門機関で実践されている例 を知るだけ で, 教育の現場でのそれは余り知 らない, 此処に報告するのは, 著者が長年の精神科臨床をふまえてスー パ」 ビジョ ン等に応じる場面にお いて, 多く指摘し或は助言する機会の多い側面に就いてメモ書き しておいたものを纏めようとした ものである, 一般論としてのカウンセリ ングを実施する時に, セラピス トとして一歩突込んだ自覚 に立ち, 深い意味のある展開を期待したい為の著者自身の経験的独白である. 尚, 治療論を問題にする時, セラピス トが如何なる学問的立場から, 対象を理解し治療構造を理 解し, 展開して行っているかが問題になるが, 著者の立場は, 精神分析学を基底にした力動精神医 学的理解に由来している, そして, 精神医療にたずさわるものとして, 広く子どもの心の問題にも 対象を拡大してみる時, 疾病論を超えて力動精神医学的理解が, 広く定着して行くことを期待せず には居れない,. 217.
(3) . 奥 村 晶 子. 親へのア プローチについて-1-. 序 子 ども の心の問題で, 身体症状や行動上 の問題等が出現した時に, その子 ども自身への援助は勿 論であるが, 家族特に親 へのア プローチの必要なことも多い. 今日, 家族精神医学は家族療 法の理 念や技法を発展している訳であるが, 此処では, 日常的援助の中での家族-親一へのア プローチの 場合の留意事項を羅列しよう.. 親に出会う 問題行動や心身症的訴えを持った子 どもに, 継続的にアプローチして行くことの必要を感ずるこ とは多い. 余程, 初心の教師等なら子 ども への一 言の助言や指導 で恢復を期待するのかも知れない が, 多少とも子 どもに関わりを持ってくる時, 継続的に援助して行かねばならな い場合の方が ′も , の問題を持っ た子 どもの場合には圧倒的に多いことを知っ ている筈だ. この場合, セラピストとして留意しな ければならないのは,.クライ エントである子 どもにのみア プ ロ ー チ す る″ と か, 子 どもと一緒に或は平行して親-特に母親-にア プローチする″ とかと ど , ち らか一方を固執し固定的に考えないことである.(多忙のために, 或はセラ ピストの不安や自信欠 乏のために親を避けて, 子 どもとのみ面接するということは, よくあることだが, それはセラピス トの個人的都合であっ て, 正しいカウ ンセリングではないことを自覚していることが必要だろう.) クライ エントである子 どもの援助のために必要なら親に会うことがよい. 子 どものアプローチの ために不必要なら, 別に親に会う必要もない, 子 どもがどんな年齢 であるうと, 子 どもが中心 であ る,. この原則をふまえた上で, 現実的には子 どもが幼い程, 親への援助的アプローチは多くなる 学 . 齢時には大体親と出会う必要のあることの方 が多 いが, 親への援助的アプローチは, 大別して二つ に分けられよう. 一つは, 子 どもに問題が生じたために, 親として混乱や不安や自信喪失や自責感等を生じている 場合である, 面接を希望する場合もあるが, 混乱のために防御的に反応して いることもある. 親子 関係や親役割についての親自身の危機であるが, 危機は援助介入の好機でもある. もう一つは, セラ ピストからみて, 親の子 ども への接し方等に問題を感じる場合で, 親の状況が 子 どもに悪影響を与えている場合 である. 子 どもの心の問題を, 親子関係の中で受けとることに失 敗し, 子 どもに批判攻撃的に叱吃激励することのみに走る場合とか, 元来底流して いた親子関係の 情緒的圏酷が, 問題を契機に表面化して, 子 どもの心の成長にマイナス因子に働いている場合で, 親性の変改を期待 しなければならないので,相当困難な作業であることを覚悟しなければならばい. 親 は 親 であ る こ と に 先 づ 尊敬 を 子 どもの問題を介 してセラピス トが親 に出会う時, セラピス トの中にあるのは, 親に対しての批 判とか攻撃の感情だろう. セラピストは, 子 どもの情緒から由来する問題はす ぐれて親子関係の歪 みから由来していることを知っ て居るからであり, 子 どもとの治療関係の中で親の問題性を感じて いる時な ど尚更親 への攻撃的部分は増幅されたりもする. しかし, セラピス トは自分の中にあるそ う した感情に充分目覚めていなければならない, 子 どもの精神健康 のために努力するには, セラピス トとして親との関係も円滑であることが期待 218.
(4) . 子どものカウンセリング補遺-1-. される筈なのに, 出会いの最初からセラピストが親に陰性感情を持っ て接するのであれば, 親から セラピストに返っ てくる感情も決してよいものではないことを覚悟しなければならない筈である, (陰性逆転移は, こち らの心の中の問題である.) どんな親であっ たとしても, 子 どもにとっ ては親なのであり, 今迄, 子 どもを育てるのに何等か の努力は払って来ている筈である, それが, 仮に食べさせたり着せたりすることだけであっ たとし ても, やはり努力は必要だった訳だろうし, セラピストが子どもとの関係を終わらせた後にも, 子 どもと生涯親子であり続ける人達なのである. 親は親であるということだけで, セラピストとして は, 先 づそのことに敬意を沸うべきである, セラピストという 一人の人間と, 親という 一人 (或は 二人) の人間とが, 子 どもの回復を求めて共に努力するのであるとの立場で, 共同して作業に当る という構造の中で, 親に出会うのだと意図することで, 親はセラ ピストとの関わりの中での役割り を自覚して行くだろう. 子 どもにとっ て, セラピストが考えるような理想の親ではないという理由 だけで, 子どもと親の間に割っ て入って, 親以上に子どもに権利があるような錯覚を持つことは, セラピストとしての不遜であり思いあがりであろう. (子どもへの陽性逆転移) , 親を, 先づ, 受入れ, 親の立場からの言い分や主張に耳を傾けることが, セラピストの中立性と いうことであり, そのことが充分になされるとき, 親はセラピス トに対しての防衛を克服して, 正 直に自分自身に注目する準備ができるようになるだろう. 子 どもの 援 助 の た め に 会う カウンセリ ングにお いて親と会う場合, 専門の機関では, 同一治療者がよいか別の治療者がよい か, 同席か平行か, 家族療法か等々, 吟味される必要があるが, 学校等では選択の余地は余りある まい ,. ,. セラピストが子 どもと親と双方に出会う時, 原則として子どもがクライエントであり, 子どもが 援助の中心であるということを, 子 どもにも親にも明確 に-言語的にでも非言語的にでも-伝 達し ておく必要がある, そこからいうと, セラピス トは子 どもの納得なしに親に会うことはできまい. セラピストは, クライ エントである子 どもとの間で充分な信頼関係が形成された時, セラピストが 親に会うことは自分にとっ て有利であろうと子 どもが感じとることができ, 親に会っ てもらうこと に不安や拒否感は持たず, むしろセラピストにまかせる気持になれるだろう. セラピス トが親に出 会うのは, そう した経偉の後であることが最も望ましい. 又, 親の面接において, 親にクライ エントである子 どものために出会うということが自覚される 時, 親は限定的に役割取得的な方向性をもつための出会いと自覚できる だろう. しかし, セラ ピス トが治療的関与をする時, 親面接において, 親自身の持っ ている個人的情緒問 題が露呈されることも意外に多いものであるが-カウンセリ ング的であればある程-, そうなると 学校の場合, セラピストの時間的, 能力的限界を超えることになるだろう, 親役割取得的方向 づ け をもった出会いの方が, 学校のカウンセリング等では, 選び易い方法だし, 親にも安心感を与えよ う. そうであっ ても, 親の情緒性が問題になるよう であれば, 専門家にまかせた方が安全ではない だ ろう か.. 先ず同席面接を 親は子 ども に内密に面接することを希望することも多 い. 親としては, 子 どもの問題の事情や内 容や経過など親として伝達しておき度いことも種々 あるだろう, セラピス トとしても親にゆっ くり 話を聞き度い誘惑にかられる. しかし, 子どもに内密に親に会うことは厳にいましめね ばならない. 219.
(5) . 奥 村 晶 子. そう でないと, クライエ ントである子 どもは, 大人は皆同じように自分を批判 したり攻撃したり叱 陀激励したりするために共 同戦線を張るものだと受けとっ てしまう危険があるし, 更にセラピス ト は巧妙な親の無意識的な術策にひっ かかっ て,知らない間に親陣営に組み込まれてしまったりする. セラピス トは, どんな場合でも, クライエ ントは子 どもで, 子 どもの治療的アプローチにとって 必要があるから親と出会うことを明確に自覚し伝達する, そこで, 原則的には,子 どもが幼少であっ ても先づ子 どもと出会うが, 子 どもから細かい事情が聴取さ れない場合に同席する. 幼い子 どもで も, 障害児であってさへも, 子 どもは自分のことが問題にされていること, しかもどのような受け とり方をさ れているかということ等を敏感に感じとれる し, 理解しているものである. 同席面接の場合, 親が子 どもに受容的で子 どもの問題を親と子の関わり方の問題からみようとし ている時, 親の混乱がいかに大きくとも, 子 どもにとっ てセラピストと親が出会うことは何も不利 益にはならないこと,もしかしたら自分に有利なことに感じられるから子 どもは傷つかないだろう . 子 どもが怠屈 して来たりすると, セラピストに親をまかせてしまう 場合もあるだろう. セラピス トにとって困るのは, 親が同席面接の中で子 どもの事実を供述する 場合に, 親自身の感 想を, 子 どもにおかまいなしに附加してしまう場合である, 特に, 子 どもに対しての批判攻撃的部 分が含まれ, 子 どもの行動のみでなく子 どもの人格までマイ ナスに評価してしまっ たり, 甚だしい 場合には剛笑や罵倒がおこる場合である. その時には, セラピストは親の気持には共感したとして も, 親の言辞が子 どもの心をいかに傷つけているかを親に解説して理解を求めねばならな いし, 場 合によっ ては, 子 どもの問題 がいかなるもの であるか, 或はいかなるメカニズムによるものである かを解説することにおいて, 親の噸笑や罵倒が非合理なものであることを理解してもらう必要があ る.. 親によっ ては, 同席の場面を利用 して, 日頃感じている子 ども への注文を持ち出しセラピス トに 同意を得ることで子 どもを説得しようとする 場合もある. その場合には, 親の気持や主張を受容し ても-親の主張がどんなに正しいようにセラピストとして感じられたにしても-セラピストとして は, 簡単に親の賛同者にならない注意が必要 である. 中立的立場に立っ ているセラピストを介して, 子 どもにその注文された問題について, 子 ども自身が受けて立つ用意がある時, 親と子が話し合い を展開して行く場合もあるし, 子 どもにその心理的用意のない時には, 親の気持はそう であるとい う事実が, 今後の親子相互の中で問題 にされるべき宿題として残されるであろう. セ ラ ピス トは 親の 自責 感, 罪 障 感 の 受容 を 子 どもに情緒的問題が生じた時は, どんな親でも, 自責感, 罪障感を持って しまうのが普通であ る. 親は, 子 どもが何の問題もない時に, 親としての存在が社会的に承認されているような安心感 の中にある, 子 どもにとっ てよい親であるか, よい親子関係が形成されているかの自己吟味よりも, 子 どもを ・よい子″ に育てようとの意向の中で日常が流れて来ていたのに, その目標が挫折したの ではないかとの状況で, 自責的になり親としての自信 が揺らいでいくのだろう. セラピストは, こ の親の不安定な感情の動きを感知しな けれ ばならない, そう であれば, 親との出会にの当初から 育て方が悪かった″ という風な云い方は厳につつしむ べき である. いかに多くの親が, 相談機関の専門相談員や学校の教師に ・育て方が悪かっ た″ と云 われ, 云われた通りだと思いながらも-育て方が良かっ たとしたら問題など起こらなかっ た筈だと 親自身も思っ ているのだから一,云われたことに傷つきうらみの感情を持続させていることだろう. しかも 悪かっ た″ 内容は説明も解説もされず総括的に悪いと云われるだけで, では今の時点でど うすればよいのかの糸口も与えられずに終るとすれば, 親は自責感や罪障感で圧倒され子 どもとの 220.
(6) . 子どものカウンセリング補遺-1-. 関わり方に混乱するだけで悲惨としか云うよう があるまい. セラピストとしては, 先づ親が持っ ている自責感, 罪障感について徹底操作する覚悟が必要であ る, 徹底操作の謂は, 時に親は非常にぐち ・っ ぼくなっ たり, しつこくなったりもするということで あり, 又, 逆に自己弁護的に理屈っ ぽくなったり,子 どもがいかに駄目で苦労したかと攻撃的になっ たり, 種々 な形で反応してくるということである, セラピストとして, 親の表現が理解できない場 合もある だろうが, とに角, 子 どもが問題になって しまった時, 親は決して幸福ではない, 苦しい 立場にある人なのだとのみかたで接して行くことが必要である, 又, セラピストとしては, 今目の前にいる親の育て方が悪かっ たとしても, 世の中には, もっ と 育て方が悪くとも充分健康に問題なしに育っ ている子 どものいること, この親と同じような親が多 勢いる中で, この親の子どもが今問題になっ てしまっ ているという特殊性に注目し, 広い視野の中 でみてあ げれる懐の広さと余裕 が必要だろう. 子どもが問題を生じてしまったのは, この子 どもと の関わりの中で,この親のやり方が成功しなかったという事実を示しているだけということである, 親が悪い″とわれる所からは, 親が親子関係を客観的にみて行く姿勢は生じない, しかし, 関係″ がどうであったかというのであれば,親は子 どもを客観的にみ,自分を客観的にみようと次第になっ て行けるのである. 勿論, この段階で, セラピス トがすぐに総括的な助言をしても, 親は理解できない. むしろ, 親 の感情の徹底操作を中心に据え, もし助言するのであれば, 日常生活の具体的な実行可能なことを 一つだけ実行してもらうように言え ばよ い, 子どもさんに愛情をもっ て接して下さい″と言うより, ・夜ねる前30分は 遊 びの相手をしてお母さん自身が楽しんで下さい″という方が 親は具体的な , , ことと して受けとり易いものであろう, こうした課題を一つ与えられることは, 親の自責感を軽減 し, よい親役割をとっ て行く 一段 階を踏み出したとの安定につながっ て行く可能性がある. 子 どもに つ いて の 秘密 保持 子 どもに面接するとき, 親がカウ ンセリ ングに理解がないと, その都度, 面接の内容について聞 きたがる場合がある, 親の気持としては, 我が子の状況を知りたい, 何が話されたのかを知りたい というのも当然かも知れない. しかし, 親のこの要求に安易に乗ることは, 子 どもとの間の信頼関 係を失う危険があることを, セラピストとしては充分に心していなくてはならない, セラピストに 話したことが, 筒抜けに親に伝わることが判れ ば, 子 どもは用心して親に伝わっ てもよい話題しか 話さなくなるだろう. 治療関係を子 どもと円滑にもっ て行くためには, セラピストは親にといえど も話さないのだ-守秘義務-ということを, 親に最初に伝達しておくことが必須である.(子ど ・もに も, そのことは充分に伝達しておく.) 但し, 面接の詳細は語らなくとも, 親には, 現在の子 どもの精神健康のあり様とか治療進展の大 まかのことについては解説することで, 親の心理的安定化をはかった方が望ましいこともある. セ ラピス トのかたくなな守秘主義が, 親の治療関係への疎外感やセラピストへの不信感につながっ て 行かないように配慮しなけれ ば, 子 どものカウンセリ ング自体失敗する危険がある. セラ ピス トは 親に接する時, クライエントである子 どもの成長の為に, 親と協力 しているのだとの基本姿勢を維 持することで, 子 どもにも親にも信頼される必要があるのだから-, 親 に 会う の は 子 どもに 同 意 を得て か ら カウンセリ ングの経過の中で, 子 ども の話の内容から して, セラピストとしては, 親に会っ て話 し合い度いと考えることも屡々だろう. 親の行動が子 どもを傷つけているとか-大酒家 で家 庭を顧 ′ ,. 221.
(7) . 奥 村 晶 子. みない父親とか, 育児拒否で外の生活が忙がしい母親とか, 挙げればキリがない-, 或は, 家庭内 の人間関係の葛藤が子 どもの 重荷 になっ ているとか-両親の顕在的, 潜在的争いとか, 兄弟間の偏 愛とか, これもキリがない-, 更には, 子 どもが学校生活, 友人関係の上での困難を親に言えない でいる場合とかで, 親に伝達し協力を得るとか, 態度を改めてもらうかした い場合である . 勿論, セラピス トとしては, 親に会うのはよいだろう, しかし, その場合, セラピス トは 子ど , もにセラピストの考えや方針を伝達して子 どもに同意を得てからにする 子 どもの話から, セラピ , ストが独断で親に会うとすると, 子 どもは, その結果が好転したとしても, セラピス トを脅威に感 ずるだろう. 自分の話したことで, セラピス トは, 自分の予期しない行動に出ることもあるのだと いう体験は, クライ エントに不安なものである. まして, セラピストのクライ エ ントに対しての好意から出た介入 は, 必ずしも プラ スに働くわけ でなく, 予期に反してマイ ナスに働く場合もある, 家の中の恥かしいことを外で喋るなと, 子 ども は言われるかも知れない. セラ ピス トは, 子 どもの話から親に出会 い度いと思っ た場合, キチンと整理して子どもに理解を 求め同意を得ることを忘 れてはならない, 何故, セラ ピス トとしては親に面接したいのか 面接に , 際しては, 親に何をどう伝達するつもりであるか, 子 どもが不安なしに, セラピストが親に会って もよいと いう気持になる迄, 解説しなくてはならない その時, 子 どもは, そのことは言ってほし . いとか, そのことには触れないでほしいとかの注文をつけるかも知 れない この子 どもの考えは , , セラピス トに了解できることもあろうが, 子 どもの不合理な恐れでしかない場合もある しかし , . そう した話題を子 どもとの間で展開することは, それ自身, 治療的意味をもっ ていることもあるだ ろう. 何故なら, 子 どもが, 自分の親との関係について, 種々 なる気付きをして行く 発端ともなり , 親との関係の持ち方自体を, 子 どもが主体的に考えて行ける過程に踏み込んだ話題であるのだから 親に会おうとのセラピス トの提言を, 子 どもが拒否 する時には, 会うことを急 いで説得する必要 はない. セラピス トの判断の根源を伝え, 子 どもがそれに反対の根源を伝えれば, 子 どもとセラピ ス トとの関係の中で, 重大な話題 の展開になっ て行くだろうが, クライ エントが望まなければ, セ ラ ピストの意向の伝達に止まっ て, 引込める. そこでは, セラピストが親に介入する援助よりも, 子 どもが自分で, 自分の主体性を主張したという事実を, 価値あるものと認めることの方が 治療 , 的意味は大きいことを, セラピス トは認識することで満足できるだろう . 子 どもに は 親の こ と をオ ー プ ンに伝 達 子 どものカウンセ リング では, 親に対して子 どもの供述のすべてをオープンにはしないことと全 く逆に, 親との面接の中で話さ れたことは, 原則として子 ども にオー プンに伝達することを 親と , の接触の当初から親に伝達しておく方がよい, セラピストは, あく迄も子 どものセラピス トであり, 子 どもとの信頼関係の形成維持が基本にな るから, 親と出会 っ た場合, その内容が子 ども本人の納得できる, 大丈夫なもの であることを, 子 どもに伝達しつ づ ける. もし, 親と出会ったことは知っ ていながら, 何が話されたか, 子 どもが知 らない場合, 子 どもは, セラピス トに対して疑心暗鬼になり, 大人の結託の臭いをかぎとるかも知 れない. セラピストが, 親との面接の内容を子 どもに伝達するか否か暖 昧であると, 親は, 主観的 独断的にセラピス トを親陣営に組み込んでしまったりする誤解も起こり得る セラピストが, 子ど . もの治療のために親に会う のであり, その内容が子 どもに伝達される可能性があると いうことが判 ると, 親は親役割を持 つ中でセラ ピストと会うのであるとの立場を明確にもつことができる筈であ 222.
(8) . 子どものカウンセリング補遺-1- る,. 但し,セラピストは,子どもに丁度よい親役割を持ってもらうことを期待して親に会うのではあっ ても, 親も人間であり, 親自身の問題が語られてはならないとなれ ば困惑することも大いにあるこ とを心得ていなければならない, 親が, 親自身の背負い切れない混乱や苦悩を, セラピス トとの間 で供述してくれることは, 親の安定のために必要であり, そのためにも, 親と出会う時, 親自身が クライエントである 立場も持っていることも必要であるとすれ ば, そこで語られたすべてが子 ども に伝達されることは, 時に子 どもの理解を超えたものであったり, 親も困ることであることもあり 得る. 子 どもに伝達するという原則はあっ ても’ 目から限界があり取捨選択を要することは勿論だ ろう. 子 どもに伝達されるべきことは,セラピストが親に面接した時に,子 どものことについて何を言っ たか, 子 どものために何を注文したか, そして親は子 どもに対して どれ程の理解を示してく れたか, 親として努力することをどういう風に表明したか等々,、子 どもとの関わりの中でのことであり, し かも親子関係の形成-再構成一にプラスになる表現を用いて, 子 どもの理解できる範囲内で, 理解 できる言葉で説明する. 親に理解が得られないときには, 同じことのために続けて親に会うという ことを子 どもに伝達するだけでよく, 子どもに親を批判 したり攻撃したりする言辞を吐くことは, セ ラ ピス ト と して はつ つ し む べ き で あ ろ う,. 親に対しても, 面接の最後に, セラ ピストとしては, 子 どもに伝達する内容を整理し明言するこ とで, 親が親であることの自覚をうながす作用も生じるだろうし, その上で, 親の困るようなこと は, 子どもには当面喋らないことを明確に約束することで, 親は安心してセラピストに心を開いて 自分のことも語り得る. そうして, 親役割取得への努力を, セラピストの援助の中で続けて行ける だろう, 言語化 す ること セラピストは子どもの専門家である. それだから, 現在の子 どもの問題も理解している筈だし, 子 どもの精神発達や心理的動きも理解できるだろうし, 問題が出現するのに親子の情緒的相関の在 り方がどのように関わっ ているかについても理解できるだろう, そこで, セラピストの陥る誤解は, セラピス トとして理解できたことは, 親も同じように理解し 分析しているとの善意からの 思い込みである, しかし, 親は, 我が子の親として最も身近かに居り 体験はしていても, 子 どもの専門家でも心理学者でも教師でもないので, 意外に判断したり理解 し たりはできてはいない, 或は主観的で歪んでいたりということを知らねばならない, 更に, セラピ ストは安定している心理で, 子 どもや親を客観的に, 更に全体的にみることができようが, 親は, 我が子の問題の当事者であり, 不安定で混乱して居れ ば,客観性を失い, どう理解してよいか戸惑っ ていたりもしよう. そこで, セラピストは, 専門家の立場から, 折に触れセラピストの理解や解釈を伝達し, 親教育 をしなくてはならない. これは, セラピストの主観的思いつきで, 専門的裏づけのないものであっ てはならず, 専門家の立場からの理解のしかた, 解釈であって, 親を納得さ せ得るものである こと を要する. セラピストが, 非常に受容的に傾聴 してく れるので, 会っていては気持よいし, 何か深い所で理 解してくれているような感じがするが, 唯聴いていてくれるだけで, 喋っていることが意味のある ことなのか どうかも, 親としては判らない, というのでは困る, カウ ンセリング場面で, 最も肝要 な こ との 一 つ に, のれんに腕押しではなく, 理解したことをお返 しする″ということがある が, 親 223.
(9) . 奥. 村 晶 子. 面接においても同じことで, 親の気持をリフレィ ンすると同時に, 親に, セラピス トとして知っ て もらいたい知識やみかた についても解説することを怠けてはいけない 親は, 納得できる解釈や解 . 説で, 新しい視点を導入され展望が開か れた思いをすることも屡々 あるだろう. ここ で, セラピス トの解釈や解説が専門的知識や経験に裏打ちさ れない, 非常に主観的, 独善的 なものであっ ては, 結局, 素人カウンセラ←となり, 黙っ ているより逆に信用を失うということに も, セラピス トとして自戒を充分に持 っていなくてはならない. 学識や経験に裏打ちされた, 親の 納得できる解釈, 解説は, セラピス トへの信頼感を自然に持たせることになるだろう が, これは, , セラピス ト個人の自己研讃と誠実にかかっ ている問題だろ‘ う. 父 親 は母 親と 同 じ人 間 では な い 父親が在宅する時に家庭訪門するとか, 危機介入時に家族全体 に出会う とかいう特殊な場合を除 いて, 日本では, まだ家族療法が一般的な訳でな いし, 一般にセ ラピストが親に出会うという のは 母親とであることが多い. 親から子 どもの現在の状況とか生活史や家族歴を聴取する時, 或は, 種々 親に助言をする時, セ ラピス トは母親とのみの作業を進めるだけで, 父親も母親と同じと思い込んでしまい勝ちである . しかし, 母親は父親とは違う個体であり, 家族の中でも立場や位 置 づ け, 役割りの違う人なのであ る, セラ・ピス トが, このことに気づくのは, 母親との面接で, 父親の横暴や無理解が問題にされ, セラピス トとして介入しなければならないと思った時や, 母親が理解力が乏しかったり主観的だっ たり, 拒否的だったりして, 母親とのみ面接することに, セ ラピス トとして無力感に陥った時, 更 らなる展開を期待して 父親を思い浮かべる時等である. そうしたニーズがセラピストの方に生じない限り, セラピス トは母とのみ面接することで父親も 同じだと簡単に決めて しまい勝ちである. 所謂 一心同体, 夫婦の間に何の問題もない両親の場合は, セラピス トのこう したみかたも充分通用するだろう. しかし, 現実には, そう したみかた では通用 ・ しない場合の方が多 い, セラピス トとしては, 今, 母と面接し母を理解し, 母に助言しているだけで, 父は又違うかも知 れないと留意 していなければならない. こう したみかたが念頭にさ へあれ ば, 母に, 時折確かめて みればすむことである. 父が子 どもの問題を どのようにみているのかとか, 母が努力することに協 力的なのか否かとか, 或は母は父に子 どものことについて‘ どう説明し, どう助力を要請している の か等々 ……. その視点さへ失なわなければ, 父親に直接会わなくとも, 父母の協力を得て行くこと が, 母とのみの面接で母を介し ・て可能になることも多い. が, セラピス トにその視点がないと, セ ラピス トは母と面接し両親の変容を期待していた筈なのに, 母のみが孤軍奮闘して いたり, 母がセ ラピストの前でみせ● る顔と家庭で夫との相関の中でみせる顔が全く相違していたことに, 後になっ てから鰐然とすると いうような誤りも起きたりする, 尚, 比較的子 どもに誠実で, 夫婦の関係が良 い場合などは, 父親がセラピス トに面接を希望して 来たりすることもあるし, 夫婦の間で母の方が相対的に強い時には, 母親が父親を同伴してくるこ ともあり, セラピストは無理なく自然に父とも母とも会う ことが可能になり, 家族療法的ア プロー チに展開することも 可能で, 治療関係は大きく進展することになる .. 親の生活に介入しない 子 ども のカウンセリ ングの途上において, 親の生き方, 生活のしかたを改めてほしいと, セラピ ス トとして感 じる場面も多い, 224.
(10) . 子どものカウンセリング補遺-1-. 情緒的交流の問題などで は, セラピス トは助言し易いだろう. この年代の男の子は, お母さんと 外出するのは嫌がるのが普通の発達ですよ″ 等という解説は, 幼少時からデパートめぐりを一緒に していた母親の意識を変えるだけで解決できる, 夫婦喧嘩とか兄弟の偏愛とか 深く情緒に関わる , ことでも介入可能だろう, しかし, セラピス トとしては, 介入したい基本的な所でも, 介入してはいけない限界も心得てい な く て は な ら な い,. 母親の稼働による子 どもへの保護の欠如が問題だとしても, セラピストとしては, 子 どもにもっ と手をかけてほしいとは言えるが, そのことに母親 (父親も) が気づき, 何等かの対応を考えてく れるのであればよいが, セラピス トの側が, お母さんが仕事をやめて家に居てあげるべきです″と いう風に, 家庭の経済生活に関する親の生活に迄介入し変革を要求する権利はない, 親の保護の欠 如をどのように解決して行くか, 親が主体的に考える場を提供しつ づ けるのがセラピストである , 非行の子 どもの問題が, 父親の酒乱に大きく関わ っている時, 親がそのことに気づき 酒乱をど , う解決して行くかについて相談し, その経過の中で, その気になってくれたら断酒会に紹介する等 もよいだろうが, 最初からアルコールはやめるべきです等と断言することはできない , 非行の子 どもの親が, 常習の犯罪行為をしているとか, 稼働せず遊んでくらして いるとか等々 で , そのことが子 どもの問題に深く関わ っている場合, セラピストとしてどうすればよいか セラピス . トは警察でもないし行政機能をもっ ている訳でもない. 親に真面目に働けと指示することも できな いだろう, 親が生活を改める必要を認識してくれればよいと思っても指摘や指示はできない . セラピストは, 子どもの心の健康のために親に出会っ ているだけであり, 親の プライ ベー トな生 活の変改者ではないのだ. その出会いの中で, セラピストは出会いによる人 間の成長や自己主張を 信じて仕事をしている のだから, 仮に親が同じ生活を続けても, 子 どもを信じ成長 を見守る立場を 堅持する,. 親に会う時に子どもと対決を要する時 カウンセリ ングの原則から言うと, セラピストの中心はクライ エントである子 どもであるが セ , ラピストがどうしても親に会わねばならない場合もある, クライ エントが成人である場合には 本 , 人の社会的責 任があるから, セラピス トにそうした配慮は無用だろうが, 子 どもの場 合 どう して , も親に伝達して社会的責任を明確 にしなければならない場合である 学校では少い局面だろうが . , 一般の相談機関では, 時に相遇しセラピストは秘密保持との関係の中で 大いに迷 いも生 じよう , . それは, セラピストとの信頼関係ができた上でのことであるが, セラピス トを信頼 したから打明 けるが等と言っ て, 誰にもみつかっ ていないが万引をしているとか, 家の金品を特出しているとか, その他非行や犯罪につな がる行為を打 明けられた場合などである. 子 どもが, セラピス トに打明け ることで, 今迄秘密にしていたそうしたこと を苦悩として話題にし, カウ ンセリングの中で成長し 克服して行こうとして努力, 格闘して来て, その作業の大略を終了 した所で, 自己の恥を言語化す ることで, ひとつ脱出しようとしている場合もあるだろう. その場合には, クライ エ ントの克服過 程を確認し保証し, クライ エントの決心を支持して後, しかし親に赦罪し相談して社会的責任をど うするか話し合 って行くことが必要になる. そうすることで, 子どもは親との相関の中で, 社会規 範を身につけて行く作業をすることになるだろうから-. セラピス トは, 子 どもに 親に対して , , 行ったよくない行動自体の告白と同時に, 子 どもが自分の気持-赦罪であり決心であろう-を 判 , 然言語化できるよう に励まさねばなるまい, 場合によっ ては, それを補っ てやることも必要だろう . そうすることで, クライ エントである子どもは唯セラピストに打明けるよりも, 明確に問題の重要 225.
(11) . 奥 村 晶 子. さを認識し, 意志を固める作業を強固にできる. 親が事実に圧倒され混乱している場合には, 判然, 事実を事実として受止められるようにする作業と, そこから親としてはどう社会的責任を果すかを 判断し実行できるようにする作業が, セラピストとの間で行なわれなけれ ばならな い (例え ば, 万 引の品物を持っ て子 どもをつれてスーパ ーに赦罪に行く等-) 他方, 子 どもが, セラ ピス トに打明けることで自分の贈罪をすましてしまおうという安易な気持 の場合もある. 金品持出しで遊んでいる方が楽しいが, 誰にも秘密にしておくのは苦しいから, 信 頼できるセラ ピス トにだけ打明けて共犯者を作り, 重荷をセラピストに肩代わりさせようという心 理の働いている時, セラピストの秘密保持の原則は, カウンセリングを非常に甘いものにしてしま う (そうした心理自体にセラ ピストが対決して行けば別だが-) . セラピストにだけ言っ ておけば, 何 を して も よ い,仮 に 親 に み つ か っ て も セ ラ ピ ス ト は 知 っ て い る の だ か ら 一 と い う 具 合 に な っ て は,. 治療は子 どもの土俵に引ずり込まれた形になり, セラピストは子 どもになめられ利用されるだけに なっ てしまうだろう. そう した時, セラピストは, 秘密保持の原則を曲 げてでも, 社会的責任で親 と相談する必要のあることを, 子 どもに理解させねばならない. 場合によっ ては, 子 どもが心から 納得していなくとも, 同席 して親に事実を伝達しなけれ ばならないこともあろう.(学校教育相談で は, スー パーからの通報で, 教師が先に知り, 親がその後で学校に来て校長室で皆が顔を合わせる といった場面が, 類似のことだろう) . セラピス トは, 子 どもの行った事実については親に伝達し, 子 どもと一緒に社会的責任をもつこ とについて考慮してもらうように励ます が, この場面で, 親の陣営に組み込まれる誤り を犯かさな い注意が必要である. 批判攻撃や叱責は, 親が行なえ ば充分である, セラピストはクライ エントが 打明けてくれた信頼感を大切にし, 子 どもの側に立つ. そして, 子 どもとの関係の中で, この問題 どもがのりこえて行ける筈であろうことを期待 していること, そのために援助をして行くこ は, ,子 と, の 二点を, 子 どもと親の両方に伝達する. こうすることで, カウンセリングは, 非常に厳しい 対決もあることを, 子 どもは体験的に知るだろう し, セラピストが, 唯何でも受入れてくれるだけ ではなく, 社会の中で一つのルールをもった人であることも知るだろう. 信頼関係が充分であれば, 子 どもはそこで自分自身を厳 しくみつめることを要求さ れることになる. 信頼関係の形成が暖昧だ と, セラピストに裏切られたとうつり傷つけられたと感 じることになるかも知れない, 何れにしても, こうした厳しい対決は, カウンセリ ングの基底をなす信頼 が, 子 どもとの間でキ チンとされているかどうかが鍵である. (つ づく) (本 学 教授. 226. 札 幌 分校).
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