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2011
こべる刊行会NO
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ひろば⑩ アメリカにおける「両側から超えるJ
試み(続き) ー M.O.エマーソンとG.ヤンシーの「相E責任アプローチ」論について一 平 川 茂 部落問題とわたし① 企業内同和研修の担当者として考えたこと 井 村 紘 いのちを生きる@ 四月の東京 長谷川洋子 花とマグマー絵と詩水俣詩篇 絵ー森永都子 | | | 茂 道 の 海 で 森永都子 茂道の海で、ねっころがり お陽さまがまぶしい 浜 の 石 こ ろ は み い ん な 何 千 年 も 波に打たれてみいんなまあるい。 遠くに、水平線と御所の浦が、 うっすらとみえる 水を、すくってのむと ﹁ ま あ 、 お い し い ! ﹂ こんな澄んだ水に 水銀がはいっているとは、誰も思えない。 美 し い 茂 道 の 海 。 夏 で も 冷 え る 足 に 、 陽に焼けた石ころふんで あっ暑ち、あっ暑ち、と遊ぶ。
ひろば⑩ 段階に位置するものと考えることができるのではないか一 と も 述 べ た 。 一 ここで取り上げるエマ
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ソンとヤンシ!というアメリ一 カの二人の社会学者︵ともに白人︶が提示している﹁相一 互責任アプローチ﹂論もまた、③の段階にあるというこ一 とができる。②の段階はといえば、アメリカでは、すで一 にウィルソンという社会学者が到達していた。ウィルソ一 ン は 、 黒 人 貧 困 層 の な か に 見 ら れ る ﹁ 自 己 効 力 感 の な さ ﹂ を、過去の人種差別が黒人貧困層にもたらした帰結とみ一 なしたうえで、それを問題にしていた︵拙稿﹁アメリカ一 ﹁ 両 側 か ら 超 え る ﹂ 試 み | ウ ィ リ ア ム ・ J ・ ウ ィ へ の 遅 れ た 訳 者 解 一アメリカにおける﹁両側から超える﹂試み︵続︶
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ソ ン と G ・ ヤ ン シl
の﹁相互責任アプローチ﹂論について| 平川 十 戊 ︵ 四 天 王 寺 大 学 ・ 奈 良 県 香 芝 市 在 住 ︶ 私は、本誌二O
九 号 ︵ 二O
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年八月︶に掲載された 論稿﹁﹁差別・被差別関係﹂論へl
﹁ 両 側 か ら 超 え る ﹂ 構想の意義﹂で、近年の日本における部落差別およびア メリカ、フランスにおける人種差別をめぐる研究動向に 関して、次のような仮説を提示した。 すなわち、これらの差別問題の議論は、①もつばら差 別する側にのみ焦点を合わせたうえで、それがもっ偏見 や差別意識を問題にする段階から、②被差別側にも、差 別されてきたことによってもたらされる何らかの否定的 な側面が見られるとして、それをも問題にする段階を経 て、③差別側と被差別側がそれぞれの否定面を克服する ことを通して、ともに当事者となったうえで差別をなく すために協力し合う段階に至るというものである。 そして藤田敬一氏の ﹁ 両 側 か ら 超 え る ﹂ 構 想 は 、 ③ の に お け る ル ソ ン ﹃ ア メ リ カ の ア ン ダ ー ク ラ ス ﹄説﹂本誌二
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五 号 、 二O
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年 四 月 ︶ 。 も ち ろ ん 、 だ か ら と い っ て 、エ マ
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ソンとヤンシl
が ウィルソンの議論を踏まえたうえで、自分たちのアプロー チを③の段階に位置づくものとして提示しているわけで はない。彼らは、あくまでも彼ら独自の立場からアメリ カ社会における人種差別と差別理論の分析を行ったうえ で、アメリカの人種差別を解決する最も有効な方法とし て﹁相互責任アプローチ﹂なるものを提示しているので あ る 。 では、彼らはアメリカの人種差別をどのようなものと またそれを説明する種々の理論 考 え て い る の だ ろ う か 。 を ど う 評 価 し て い る の 守 た ろ う か 。 ﹁人種化社会﹂としてのアメリカ 著者たちによれば、アメリカは﹁人種化社会﹂である。 い か ん ﹁人種化社会﹂とは﹁人種の如何によって、経済的・政 治的・社会的、さらには心理的な面での報酬の配分のさ れ方が大きく異なる社会﹂のことである。 このような社会にあって、最も多くの報酬を得ている の は 白 人 で あ る 。 白 人 は ま さ に ﹁ 白 人 で あ る こ と ﹂ に よ っ て、政治的・経済的・文化的に支配的な位置を占めてい る。そして、その結果、彼らの日常的なものの見方から ライフスタイル、世界観までもが﹁標準﹂となっている。 その﹁標準化﹂の程度たるや、当の白人が、自分たちの 今見たような現状自体が、アメリカが﹁人種化社会﹂で あるがゆえに可能になったと意識せずにすむほどに、 な は だ し い も の に な っ て い る 。 ト ま で は 白 人 は 、 うか。彼らは、自分たちが支配的な位置を占め、自分た一 ちの世界観の普遍性が︵﹁標準﹂とさえ意識されないほ一 どに︶自明視されるようになったのは、自分たちが﹁白一 人であること﹂の帰結などではなく、端的に自分たちの一 ﹁ 努 力 ﹂ の 結 果 、 だ と 考 え て い る 。 こ う し て 、 白 人 は 自 分 一 を白人として意識することをやめて、﹁単なる一人の一 ︵ 有 能 な ︶ ア メ リ カ 人 ﹂ と 思 う よ う に な る 。 著 者 た ち は 、 このことを﹁白人の透明化﹂と表現している。 では﹁黒人である﹂とは、どういうことだろうか。著者一 たちによれば、それは﹁アメリカ社会が人種化社会であ一 ることの否定的な影響を最も強く受けているということ一 である﹂。すなわち、アメリカ社会にあって﹁黒人であ一 は、階層構造の﹁最底辺﹂で生きるということ一 る こ と ﹂を 意 味 し て い る 。 それはまた黒人以外のマイノ リテイ︵少数者︶にとっては、自分たちがそのような位 お ち い 置に陥らないために一生懸命努力しなくてはならないと そ し て 、 思わせる﹁最底辺﹂に属することであるみなされている。 こうして、現在のアメリカとは、両極︵階級構造の [ 最 ] 上 部 と [ 最 ] 下 部 ︶ に そ れ ぞ れ 白 人 と 黒 人 が い て 、 両者の問に黒人以外のマイノリティが位置している社会 と い う こ と に な る 。 ﹁ 黒 人 責 任 論 ﹂ と ﹁ 白 人 責 任 論 ﹂ どのようにして人種差別をなくすか。この難題をめぐっ て、これまでさまざまな理論が提示されてきた。著者た ちは、それらを、﹁黒人が差別されるのは、黒人に原因 があるのだから、差別をなくす責任も黒人にある﹂とす る﹁黒人責任論﹂と、﹁黒人が差別されるのは、白人が 差別する︵した︶からであって、したがって差別をなく す責任も白人にある﹂とする﹁白人責任論﹂に分けてい る 。 ﹁ 黒 人 責 任 論 ﹂ と い っ て も 、 そ の 主 張 は 多 様 な の だ が 、 著者たちが典型として挙げているのは﹁人種無効論﹂で あ る 。 こ れ は 、 黒人も含めて、すべてのアメリカ人の生 活のあり方︵社会的・経済的地位︶を決定しているのは、 もはや﹁人種の如何﹂ではなく、﹁個人業績の如何﹂で あるとするものである。したがって、この理論によれば、 している︶不利益を補償しようとする施策︵雇用と教育一 において黒人に特別枠を設定しているアファ l マ テ ィ ヴ ・ アクション・プログラム日積極的差別是正措置が代表的︶ は ﹁ 公 正 で は な い ﹂ こ と に な る 。 この﹁公正ではない﹂という評価・判断は、多くの一 ︵ と り わ け 保 守 的 な ︶ 白 人 に 共 有 さ れ て い る 。 そ の 結 果 、 白人は、アファ l マティヴ・アクションの恩恵を受けて一 いる黒人に強い反感をもつようになる。そして、それが一 ひいては人種対立を深刻なものにしているのである。そ一 れゆえ、﹁人種無効論﹂によれば、アメリカ社会に見ら一 れ る 人 種 を め ぐ る 厳 し い 緊 張 状 態 を 解 消 す る に は 、 ア フ ァ
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マティヴ・アクションを廃止することが必要になる。 これに対して、黒人はといえば、現在の黒人差別につ一 ながる奴隷制度を作ったのは白人なのだから、現在の人一 種対立を解消する責任は白人にあると考えている。これ一 とくに著者たちが典型と一 が ﹁ 白 人 責 任 論 ﹂ の な か で も 、みなしている︵狭義の︶﹁白人責任論﹂である。 よれば、黒人が現在陥っている苦境は、過去の人種差別 と密接に関係しているから、それを解消する手立てもま た 、 ﹁ 人 種 に こ だ わ っ た も の ﹂ に な ら ざ る を え な い 。 そして、この一連のつながり︵過去の人種差別←現在 の黒人の苦境←人種にこだわった施策︶を正当化してい るのが、﹁人種的正義︵黒人はゆえなくして犠牲を強い られてきた人種であるから、黒人という人種は正義を体 現している︶﹂の観念である。この﹁人種的正義﹂とい う観念は、多くの︵とりわけ進歩的な︶黒人に受け入れ られている。これらの黒人によれば、アファ
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マ テ ィ ヴ ・ アクションなどを通して黒人の社会的・経済的地位を向 上させることによって、アメリカ社会の人種対立を解消 する責任は、ひとえに白人にあり、白人がそうすること が﹁人種的正義﹂の実現につながるとされる。 こ れ に 不毛な対立 著者たちによれば、﹁人種無効論﹂を支持する白人は、 人種問題に関して、アメリカはそれをかなりうまく処理 し て き た と 考 え て い る の に 対 し て 、 ︵ 狭 義 の ︶ ﹁ 黒 人 責 任 論﹂を支持する黒人は、人種問題は未解決のままだと考一 えている。前者はその判断の根拠を、オバマ大統領の誕一 生に見られるように、アメリカ社会の﹁業績主義﹂が相一 当進んだことに求め、後者の判断の根拠は、公民権運動一 以後、黒人と白人の社会的・経済的地位の格差が拡大し一 た こ と に 求 め ら れ て い る 。 一 両者は、これまでと同様現在でも自分たちの見方こそ一 が正しいのであって、他方のそれは集団の利害にとらわ一 れている間違った見方であるとして、鋭く対立している。一 ﹁人種無効論﹂を支持する白人はといえば、人種問題の一 完全な解決のためにはアメリカ社会の一層の業績主義化一 が不可欠となるが、それを阻んでいるのが︵狭義の︶ ﹁白人責任論﹂を支持する黒人であるとして、彼らを敵一 視している。他方、︵狭義の︶﹁白人責任論﹂を支持する一 黒人は、自分たちと白人との社会的・経済的地位の格差一 が拡大しているのは、白人が黒人の地位向上につながる一 ような施策の遂行に消極的になっているからであるとし一 て 、 白 人 を 非 難 し て い る 。 一 こうした対立のあり方のどこが問題なのだろうか。著一 者たちによれば、これまで﹁両者は、お互いに一方的に一 相手を非難するばかりで、そこに対話の成り立つ余地な一どまったくなかったし、現在もそうである﹂ことが深刻 な 問 題 な の で あ る 。 ﹁ 人 種 問 題 の 解 決 を 阻 ん で という、それぞれの集団が その内部のメンバーに向けて行うだけの、いわば一組の モノローグ︵独自︶があるだけである。そして、白人と 黒人がそれぞれ、こうしたモノローグを繰り返し続ける ことによって、どういう事態が生じるかといえば、それ によって﹁人種問題解決のための提案をすること自体が、 当の解決されるべき人種問題を一層深刻なものにしてし まうという悪循環﹂が見られるようになるのである。 そ こ に は い る の は 誰 だ ? ﹂ ﹁ 奴 ら だ ﹂ では、こうした悪循環に陥ることを防ぐことはできな いのだろうか。できるとすれば、それは白人と黒人の聞 に対話を成立させることによってのみであろう。すなわ ち、両者が人種問題解決の責任を相手にのみ帰すのでは なく、双方が自分たちにも人種問題解決の固有の責任が あるとみなしたうえで、自分たちのやるべきことをやる ようになることによってである。著者たちは、こうした ﹁ 相 互 責 任 ア プ ロ ー チ ﹂ と 方法を人種問題解決のための 呼 ん で い る 。 相互責任アプローチは﹁何が問題であるか﹂を慎重に一 見極めることから始まる︵﹁問題を注意深く定義する﹂ 段階︶。﹁問題﹂の定義づけは、黒人と白人のそれぞれの 立場からなされる。著者たちが例に挙げているアファ
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マティヴ・アクションについて見ると、それは、黒人の一 立場からすれば、職業と教育の面で黒人が安定した仕事一 に就いたり、高等教育を受ける機会を増やしたりするこ とによって、黒人の社会的・経済的地位を向上させる施一 策であり、したがって、黒人が歴史的に余儀なくされた一 犠牲を補償するものということになる。他方、白人の立一 場からすれば、それは黒人が、白人を犠牲にすることに一 よって、そこから最大限の利益を引き出そうとする施策一 ということになる。このようにアファl
マティヴ・アク一 ションを取り上げたとき、その解釈が黒人と白人とでまっ たく正反対のものになっていて、それこそが﹁問題﹂で一 あ る こ と が わ か る 。 では次に、このような解釈上の鋭い対立に対して、相一 互責任アプローチはどのように向き合うのだろうか。 相互責任アプローチ相互責任アプローチは、ここで、黒人と白人が共に肯 定する価値として何があるかを問う︵﹁共通する核心的 価値を見出す﹂段階︶。著者たちは、あくまで暫定的だ と断りながら、黒人と白人の双方が支持する価値として ﹁ 自 由 ﹂ を 挙 げ て い る 。 そ れ か ら 、 こ の ﹁ 自 由 ﹂ と い う 価値とアフア l マティヴ・アクションとの関わりを問題 にする。その結果、黒人からすれば、アファ
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マ テ ィ ヴ ・ アクションは、黒人の社会的・経済的地位を向上させる がゆえに黒人の社会的移動の﹁自由﹂を促進するものと 考えられた。他方、白人からすれば、アファ l マ テ ィ ヴ ・ アクションは、白人の雇用主が持つはずの、適材適所で 人材を採用する権利を侵しているがゆえに白人の選択の ﹁ 自 由 ﹂ を 阻 ん で い る と 考 え ら れ た 。 著 者 た ち に よ れ ば 、 この段階で生まれる﹁黒人と白人のどちらか一方の立場 に立ったうえで、どちらかの解釈に味方したくなる﹂誘 惑に抗して、解釈上の鋭い対立を可能な限り保持し続け ようと努めるのが﹁相互責任アプローチ﹂の特徴である。 第三段階で、まず著者たちは、すでに鮮明になった解 釈上の対立がそもそも何に基づいているかを明らかにす るために、アファl
マティヴ・アクションのなかから ﹁優先契約枠﹂と呼ばれるプログラム︵公共事業の一定 割合を黒人経営企業に配分する︶を取り上げ、それが一 ﹁自由﹂との関係でどう解釈されるかを考える。著者た一 ちによれば、黒人は、このプログラムを、公共事業契約一 から歴史的に排除されてきた黒人企業家に対する補償と一 みなし、それゆえ、このプログラムは黒人の経済活動の一 ﹁ 自 由 ﹂ を 拡 大 す る も の と 考 え る 。 こ れ に 対 し て 白 人 は 、 このプログラムが契約を結ぶ﹁自由﹂を侵害する点で、 不 公 正 極 ま り な い も の と 考 え る 。 一 次に著者たちは、こうした解釈の対立の背後に、黒人一 と白人の価値観︵ないしは思考様式︶の対立があること一 を明らかにする︵﹁価値観の相違を認識する﹂段階︶。す一 なわち、黒人は、黒人であるがゆえに歴史的に不利な処一 遇を受けてきたことが現在の不利な立場につながってい一 るのであれば、現在の境遇を改善するために黒人という一 人種に対して何らかの優遇措置が講じられることは必要一 不可欠なことであると考える。これに対して白人は、黒一 人がその人種のゆえに歴史的に受けてきた不利益を補償一 するために、現在の時点で黒人に何らかの優遇措置を講一 じることは認められないと考える。著者たちは、ここに一 過 去 と 現 在 を 不 可 分 の も の と 考 え る ︵ ﹁ 人 種 の 連 続 性 ﹂ ︶ 黒人と、過去と現在を無関係と考える︵﹁個人主義﹂が一前 提 す る ﹁ 個 人 の 非 連 続 性 ﹂ 、 優劣はその個人にのみ起因するとする︶白人の思考様式 の 違 い を 見 る 。 ﹁相互責任アプローチ﹂の第四段階は、黒人と白人が け ね ん ふ っ し ょ く お互いにいだいている懸念を払拭するにはどうすればい つまりある個人の能力の いかを考える段階である︵﹁お互いに相手の懸念を払拭 すべく考えを展開する﹂段階︶。ここでは、黒人と白人 はお互いに相手の懸念を深く理解したうえで、その懸念 をなくすにはどうしたらよいかを真剣に考えなければい けない。その際、第三段階で把握した相手の価値観︵思 考様式︶をも考慮する必要があるのはいうまでもない。 著者たちに従って、先の﹁優先契約枠﹂というプログ ラムを例にとると、白人の場合、このプログラムを廃止 したいのであれば次のようにしなくてはいけない。すな わち、白人の場合、どうするととが、黒人が自らの現在 の不利な立場︵それは過去の人種差別の帰結である︶を 改善する手助けをすることにつながるのか、という具合 に問いを立てなくてはいけないのである。ここで白人は、 黒人の懸念︵﹁優先契約枠﹂の廃止は黒人の状態のさら なる悪化につながるのではないか︶を認めると同時に、 黒人の価値観︵﹁人種の連続性﹂︶をも考慮に入れなくて 黒人はどうしなくてはいけないのだろうか。著一 者たちによれば、黒人の場合、﹁優先契約枠﹂を維持し一 たいのであれば、白人の懸念︵企業の業績こそが最優先一 されるべきとする﹁能力主義﹂の原則が侵害されている一 のではないか︶を、例えば次のようなやり方で払拭しな一 くてはならない。すなわち、﹁優先契約枠﹂プログラム一 のせいで、劣悪な業者が公共事業を受注することがない一 ようにする何らかの手立てを工夫することによって、で一 ある。ここで黒人は、白人の懸念を受け止めるだけでな一 く、白人の価値観︵﹁個人の非連続性﹂︶をも考えに入れ一 な く て は な ら な い 。 ﹁相互責任アプローチ﹂の最後の段階は、これまでに一 得られた、黒人と白人のそれぞれの解決策のどちらが広一 範な支持を集められるかを競う段階である︵﹁多数に支一 持される解決策を求めて競合する﹂段階︶。ここでは、 黒人にせよ白人にせよ、多数の支持を得なくてはいけな一 いのだから、前段階までに到達したそれぞれの解決策に一 さらに手を加えること︵妥協︶もあるだろう。ただし、 その場合でも、当然のことではあるが、それぞれが相手一 の懸念と価値観を考慮するという原則は守られねばなら一 は な ら な い 。 で は 、
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4 0 φ ん ’ ν 相互責任アプローチの意義 アメリカの人種問題解決の鍵となっている、アファl
マティヴ・アクションのなかの﹁優先契約枠﹂プログラ ムを例にとった相互責任アプローチの実践において、白 人は、黒人の懸念︵このプログラムが廃止されると黒人 の状態は一層悪化するのではないか︶を認めるだけでな く、黒人の価値観︵﹁人種の連続性﹂︶をも考慮したうえ で、﹁優先契約枠﹂プログラムの廃止を提案する必要が あることがわかった。他方、黒人は、白人の懸念︵最優 先されるべきは企業の業績であって、﹁優先契約枠﹂プ ログラムは、この﹁能力主義﹂の原則を侵しているので はないか︶を受け止めると同時に、白人の価値観︵﹁個 人の非連続性﹂︶をも考えに入れたうえで、このプログ ラムの改善︵劣悪な業者が受注することがないような手 立て︶を提案する必要があることがわかった。 要するに、相互責任アプローチにおいては、白人にせ よ黒人にせよ、人種問題解決の責任を相手にのみ押しつ けて終わりとするのではなく、自分もまたその責任の一 端を担わなくてはいけないのである。白人の場合、それ一 は、黒人が現在置かれている不利な立場を改善する手立一 てとして、﹁優先契約枠﹂以外の方法を考えて提案する一 ことになるだろうし、黒人の場合、このプログラムの実一 施にあたって、参入企業選定の条件を整備することによっ て、劣悪な業者がプログラムの対象となることがないよ一 う に す る こ と が 考 え ら れ る 。 著者たちによれば、黒人であれ白人であれ、人種問題一 解決の責任の一部を自ら担うべきであるなどということ一 人 種 一 は こ れ ま で 夢 想 だ に さ れ な か っ た 。 黒人と白人は 問題解決の責任をお互いに相手に押しつけるばかりで、 自ら進んでその責任を引き受けようとすることはなかっ た の で あ る 。 なぜなら、著者たちによれば、こうした相互責任アプ ローチは、黒人にとっても、白人にとっても、これまで の自分たちの主張を支えていた基盤を掘り崩す危険があ るからである。黒人の場合、これまで人種問題の解決を 阻んでいるのは白人であるから、責任を白人にのみ押し つけて、白人を責めておればよかったのが、そうはでき なくなって、自らの能力︵業績︶の如何を問題にしなく てはいけなくなるだろう。また、白人の場合、これまで社会構造が人種問題を生み出しているということを認め ることなど考えられなかったので、責任を黒人のみに押 しつけて、黒人を責めておればよかったのに、そうはで きなくなって、人種としての白人の優位性の知何を問題 にしなくてはならなくなるだろう。 著者たちによれば、黒人と白人の双方にある、こうし お か た自らの存立の基盤を掘り崩すような危険など絶対に冒 したくないという思いが、これまでアメリカの人種問題 解決を阻んできたのである。黒人と白人の双方に対して、 自己の存立基盤をもあえて掘り崩す危険を冒したうえで、 人種問題解決の責任の一端を担うことを迫る、相互責任 アプローチは、それゆえ、人種の枠を超えた広範な支持 を集めることができる可能性をもっている。こうして、 相互責任アプローチはアメリカの人種問題解決にとって きわめて有力なアプローチであることがわかるのである。 相互責任アプローチと﹁両側から超える﹂試み すでに繰り返し述べたように︵前掲拙稿、参照︶、藤 田氏の﹁両側から超える﹂試みとは、部落の人々と部落 外の人々に対して、それぞれがその課題を解決すること それは、部落の人々には、彼らが﹁部落民にとって不一 利益なことはすべて差別である﹂という見解を受け入れ一 た結果、あれこれの﹁不利益﹂を自分の都合に合わせて一 解釈することによって、自己の要求を押し通すことに一 つ う よ う 痛痔を感じないようになってしまった﹁感性﹂のあり方一 を反省し、ありうべき人間性に目覚めることを要請する一 ものであった。また、それは、部落外の人々に対しては、 部落の人々から、自分の特定の言動に関して﹁それは差一 別だ﹂と指摘されたとき自分のなかに生まれる﹁自己責一 任の無限性﹂におののくばかりで、自分の特定の言動の一 どこが差別に当たるのかを突き詰めて考えることなく、 安易に、その指摘を認めてしまう傾向を克服するよう要一 請 す る も の で あ っ た 。 部落の人々と部落外の人々が、それぞれ前述の課題に一 取り組むということは、それぞれが部落差別をなくす責一 任を他方に押しつけて終わりとするのではなく、それぞ⋮ れが、自分のやるべきことをやるということである。 相互責任アプローチには、藤田氏の﹁両側から超える﹂ それぞれが部落差別を克服する当事者として 対等の立場に立ったうえで協力し合うことを要請するも の で あ っ た 。 を 通 し て 、
試みにはない要素がいくつかあるとはいえ、両者の本質 的なあり方を見れば、これらは、差別問題に対する、ほ ぽ同じ種類のアプローチとみなすことができるだろう。 なぜなら、両者とも、差別をなくすためには、差別側と 被差別側がそれぞれ自分の立場を自明視して、相手を責 めてばかりいてはだめなのであって、必要なことは、そ れぞれが自己の存立基盤をもあえて掘り崩す危険を冒す ことを通して、ともに差別をなくす取り組みの当事者に なったうえで協力することであると考えていることに変 わ り は な い か ら で あ る 。 最近出版された﹃近代部落史|明治から現代まで﹄ ︵ 平 凡 社 新 書 、 二
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一一年二月︶のなかで、黒川みどり 氏は、藤田氏の﹁両側から超える﹂という考えに関して 次のような評価を下している。﹁藤田の主張は、彼の意 図とは別に、運動批判の部分だけを取り出すことで、差 別意識を持ち運動に日頃反発を感じている人々の共感を 引き出すという側面をもった。そうしたことへの懸念も あ り 、 部 落 解 放 同 盟 の 側 か ら 反 発 も 生 じ た ﹂ ︵ 捌 頁 ︶ 。 相互責任アプローチが藤田氏の﹁両側から超える﹂試 みと本質的に共通するものであることがわかったこの段 階において、黒川氏の評価が、いかに差別研究の、世界 ﹁ 両 側 か ら 超 え る ﹂ 試 一 みを提唱したのは一九八七年であった。それから二四年、 いまだに黒川氏におけるような評価が見られるというこ一 差別側と被差別側がともに自己の課題を追求する一 的な大きな動向を見ることのない、きわめて視野の狭い、 特定集団の利害にとらわれたものでしかないかは明白で あ ろ う 。 藤田氏が ﹃ 同 和 は こ わ い 考 ﹄ で と は 、 こ と で 、 差別をなくす取り組みの当事者になったうえで 協 力 し 合 う こ と が 、 相変わらず困難な試みであり続けて い る こ と を 示 し て い る 。 し か し 、 そうした困難な状況において、藤田氏の試み ﹁相互責任アプローチ﹂がアメリカで提唱され 一 筋 の 光 明 で あ る だ ろ う 。 に 通 じ る る よ う に な っ た こ と は 、 * γ 入 [ 円 ︵ 一 F m H o−
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﹃ 人 種の障壁を超える相互責任アプローチをめざして|﹄ オ ッ ク ス フ ォ ー ド 大 学 出 版 部 、 二O
一 一 年 [ 未 邦 訳 ] ︶部落問題とわたし①
企業内同和研修の担当
者として考えたこと
ひ ろ む 井 村 紘 ︵ リ バ テ ィ お お さ か ボランティアガイド・貝塚市在住︶ 一九七五年、私が勤めていた会社は法務省から呼び出 しを受けました。﹁部落地名総鑑﹂を購入していたこと が確認されたのです。その後、部落解放同盟︵以下、解 放同盟と略称︶の糾弾を受け、七九年からは役員も含め た全従業員を対象にした同和問題研修を始めました。 初めの約十年は、解放同盟から二度と糾弾を受けない ことを目的とした﹁対策的な研修﹂でした。部落差別の 実態を知るために、企業の担当者たちは、解放同盟が主 催する被差別部落での研修会などに参加し、そこで学ん だことを、企業内の研修で従業員に伝えるという形式が 一般的でしたが、実際は解放同盟の関連機関が製作した ﹁部落差別の実態﹂を描くドキュメンタリー映画︵日ミ リ︶のフィルムと映写機などを、担当者が全国の事業所一 へ 持 参 し 、 全 従 業 員 に 鑑 賞 さ せ 、 感 想 文 を 書 か せ る と い っ た内容で、それを毎年のように行っていました。 こ う い う 研 修 は 、 ﹁ 部 落 の 悲 惨 な 状 況 ﹂ を 見 せ ら れ て 、 ﹁自分は部落に生まれなくて良かった﹂という感想を抱一 かせたり、﹁私は差別をしないから毎年研修を受ける必一 要はない﹂といった反感を持たせることも少なくなかっ た よ う に 思 い ま す 。 一 何よりも、企業内における人権問題を放置したまま、 部落差別の問題だけを取り上げる研修を続けることは、 かえって部落問題の﹁理解と認識﹂を浅く狭いものにし一 かねませんでした。例えば男性が基幹的業務を担当し、 女性は補助的な業務を担当するといった、女性を﹁職場一 の花﹂的存在として考える意識や、﹁肩書きや地位﹂を一 身分的な序列のようにとらえる職場風土、あるいは障害一 者に向ける眼差しなど課題は山積していました。こんな一 状態で部落問題にきちんと向き合えるはずがありません。 こうして一九九O
年頃から、従業員の同和研修に対す↑ る不満を無視してこれまでと同じ研修を続けることに疑一 問を感じ、改善を考える担当者たちが少数ではあります一が現われ、議論を重ねるようになりました。 当時は、解放同盟に毎年の研修実施状況を報告してい ました。その中身は、企業内同和研修の年間実施回数と 参加人数、また解放同盟の主催する集会や研修会への担 当者の参加実績、更には企業内で実施された研修会に解 放同盟の幹部を講師に招いた実績などを仰々しく書き連 ね た も の で し た 。 解放同盟に対して毎年﹁研修実施報告書﹂を提出しな ければならないということは、つまり会社として研修を 必ずやらなければならないということです。もしそうで あるなら、研修内容を職場内の人権課題をも考えるもの に変えることによって、部落差別の問題も含めて、あら ゆる人権問題への関心・意識の向上に繋ながるような、 従業員の心に届くものに変化させたらどうかと、担当者 たちが考えて、徐々に内容と形式を変えて行く企業が少 し ず つ 増 え る よ う に な り ま し た 。 私は、糾弾を受けた企業が﹁同和教育から人権教育へ﹂ と取り組みの枠組みを変え始めることによって、企業内 の民主化や人権意識の改革に繋ながり、その試みが多く の企業へ広がったと考えています。それまでは封建的な 意識が強く残り、一人ひとりの能力が生かされる雰囲気 私は一九八九年から、企業の同和教育推進委員会︵九一
O
年、人権教育推進委員会と名称変更︶の事務局を担当一 して十年余り人権の仕事に関わったのですが、私はもち一 ろん﹁会社人間﹂と言われる一人でした。自分自身の業一 い そ 績やチi
ムの業績を上げて地位の向上に勤しむ、﹁知識一 が乏しく、意識の低い人間﹂の一人でした。しかし、こ一 の企業内の研修変革期に人権問題を担当したことで、大一 きく変わらざるをえませんでした。 最初は、﹁部落問題の正しい知識を教え、指導する﹂ 講師という意識が強く、受講者から反発されました。悩⋮ みながら研修を行ううちに、﹁私の役割は人権問題に関一 わる話題を提供し、受講者に気づいてもらえるようにす⋮ ることだ﹂と自分自身の意識を変えることで、少しは従一 業員に受け入れてもらえるようになりました。 おかげで人生観が変わり、定年退職後の二OO
二 年 六 一 月から、そうした体験を生かしたいと﹁リパティおおさ一 か﹂のボランティアガイドになったのです。 八五年十二月、大阪府・大一 で は な か っ た と 思 い ま す 。 ﹁ リ パ テ ィ お お さ か ﹂ は 、阪市のほか多くの団体や個人の協力で、被差別部落の生 活資料などを収集・保存・展示して、後世に伝える﹁大 阪人権歴史資料館﹂として開館しました。その後、九五 年、第一回目のリニュ
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アルオープンでは日本で唯一の 人権の総合博物館を目指して﹁大阪人権博物館﹂となり、 更 に 二OO
五年、第二回目のリニュl
アルオープンでは 日本だけでなく世界へ人権メッセージを発信するように なり、外国人の来館者も増えました。来館者数の累計は 九七年十月に五O
万人を超え、二OO
四年二月に百万人 を超えましたが、年間の来館者数は九六年度の九万三千 人余がピi
クで、最近の年間来館者は、五万人余り。半 数が小・中学生の団体見学です。北海道と東北を除く全 国︵関東・東海・北陸は少なく、九州・四国・中国が多 い︶から修学旅行で、近畿圏の学校からは校外学習など で、小・中学生が訪れてくれます。 この博物館では九五年度から世界の博物館などでは珍 しい、ボランティアガイドの制度を設けています。その 役割は、来館者の観覧支援や障害者の介助支援、展示室 の資料保全などですが、学芸員が行う小・中学校の団体 見学の教育支援事業のサポートもしています。 私は、連れ合いと一緒に、年一、二回ツアl
に 参 加 し 一 て、主にヨーロッパの中世の町並みの残る都市を訪ね散一 策するのが好きです。その際、フリl
タ イ ム を 利 用 し て 、 二人で美術館や博物館を見学するのも楽しみの一つ。 ノルウェーのベルゲン︵首都オスロに次ぐ二番目の都一 市。中世のハンザ商人が活躍して繁栄した港町︶では、 ハンセン病博物館︵らい病が細菌による感染病であるこ⋮ とを発見したハンセン医師が勤務していた教会付属病院一 跡の建物が保存されている博物館。正式名称は下品店 冨5
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︶を見学したこともあります。これまで訪れ一 た博物館や美術館では、必ずこどもたち十五人くらいが一 展示物の前で学芸員を囲んで車座で座り、学芸員と楽し一 そうに会話し、眼を輝かせて学芸員の話を聞いたりして一 いる光景を見ます。大きな館では二、三ヵ所でそんなグ一 ルl
プに出会ったこともあります。 一方、私がボランティアガイドをしている﹁リパテイ一 おおさか﹂では、こどもたちがワl
ク シl
トの答え探し⋮ に右往左往して解説資料しか見ていないとか、気の弱そ⋮ うなこどもに答えを写させろと強制しているこどもがい一 る と か 、 出 口 で ワl
ク シl
ト が 完 成 し て い る か ど う か チ エ ツ クしている引率教員の姿を見ると悲しい思いがします。ほとんど﹁博物館の展示物﹂と向き合うことなく、展 示物が語りかけていることに気がつくこともなく、﹁博 物館の中﹂を通り過ぎるだけのこのこどもたち。旅行会 社添乗員の指示で、アルバム用の写真撮影とトイレ休憩 を取り、残りの三十分くらい、ただ館内を通り過ぎて行 く 修 学 旅 行 の こ ど も た ち 。 私は、引率の先生と添乗員に相談し、了解が得られた ら、見学時間三十分間でも、館内を案内し、二、三ヶ所 の展示物の前でこどもたちと会話し、展示物と向き合っ て、展示物が語りかけているものを感じてもらう試みも します。出口で別れ際に、﹁博物館の展示物のほんの一 部しか見てもらえなかったけれど、関西に進学や就職を したら、休みの日にまた来てね﹂と小学校六年生や中学 二年生に声をかけると、﹁おっちゃん、ありがとう。ま た来るね﹂と答える子や目を輝かせて﹁ありがとう﹂と 言う子もいます。引率の先生から﹁これまで、この博物 館は難しいと誤解していました。来年は時間を充分取り 見学したいので、ガイドをお願いします﹂と言われたこ ともあり、翌年に来館した時に、事前に先生から打合せ があり、希望する展示物について説明して、こどもたち との会話を楽しみ、先生からお礼を言われたこともあり アメリカで博物館・美術館・図書館と学校教育の連携一 について取り組んでいる人々のについて書かれている論一 文を読む機会がありました。そこには、 こどものための美術館・博物館教育に取り組んでいる一 人たちは、分野や形態や方法は違っても、同じような一 目標が基盤として存在する。それは、こどもたちが自一 分の周りを取り囲む世界に目を向け、興味を持つこと一 の手助けをする、また、こどもの成長や自主的な学び一 の手助けをする、などといった目標です。多くの博物一 館や美術館や図書館で、日々こどものための活動が行一 わ れ て い ま す 。 一 とありました。私も、目を輝かせて聴いてくれるこども一 たちと一緒に展示物と向き合い、会話することを楽しみ一 ま す 。 に、﹁リパティおおさか﹂のボランティアガイドをこれ か ら も 続 け る つ も り で す 。
い の ち を 生 き る @ 三 島 郡 島 本 町 在 住 ︶
四月の東京
長谷川洋子︵大阪府小学校教員 がんの定期検診のために東京に行く。東京は一年ぶり だ。新横浜で降りて、東横線で六本木の新国立美術館に 寄 っ て か ら 、 四ツ谷に向かうことにした。 新国立美術館ではシユルレアリスム展をやっていた。 フランスの国立ポンピドゥi
センターのコレクションで、 私が絵に興味を持ち始めてから、 このような展覧会が催 されるのは初めてかもしれない。 マグリットやダリの作品を関西で観る機会はあっても、 た い て い 単 品 か 、 二、三作が展示され、それぞれをいい なあと眺める程度だ。また、ブルトンやタンギーなど、 めったに観る機会がなかったので、今回とても楽しみだっ た 彼の持一 彼が死ん一 画面の中から飛び出しそうな勢いだ。 同時に日本のアニメに共通する部分があるのが面白かっ た 。 一 私が一番印象深かったのは、ナチスが台頭する戦前の一 彼らの作品だった。暗くて狭い世界に押し込められたよ一 その閉塞感や閉じ込められたエネルギーを別一 会場では、年代ごとに彼らの活動や写真、作品が並べ られていて、期待どおりとてもわくわくして観ることが できた。私の勉強不足で、 ピカソやジャコメツティが ﹁ い る ﹂ のにはびっくりした。 か シュルレアリスムは、 って大きな影響力を持った芸術運動だったのだ。 この展覧会で初めて知った作家も多かった。ヴィクト jレ
フ ロ ネ jレ
︵ 一 九O
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一九六六︶もその一人。こ ひ 彼の青年時代の不安定な作品に惹かれた。 つ不安が不透明な漆黒の世界に描かれていて、 と に 、 だ今でも躍動し、 う な 感 じ 。 の世界で表現したくてたまらない感じ。これらの作品の 緊迫感が現在の私の気持ちと似ているのだろうか。 かれらが士命してからの作品や戦後の作品は、技法も 熟して華やかだが、どこか光をなくしているような気が した。芸術運動にも ﹁命と死﹂があるのだろうか。 そ れぞれの時代展示の最初に、彼らが若い時分に集まった写 真、油が乗り切った時の集合写真、初老になって久しぶ りに集まった写真が大きく引き延ばして飾つであった。 最後の写真はおじさん、おばさんが同窓会に集まったみ た い で 、 一 番 気 に 入 っ た 。 人 が せ 歴 史 と 芸 術 運 動 と 、 いいっぱい生き、老いて死んでいくこととを重ね合わせ た 、 と て も い い 展 覧 会 だ っ た 。 み 地下鉄の間引き運転ため移動に時間がかかり、赤坂見 附から弁慶橋を渡り、紀尾井町の坂を一気に走って、し だれ桜の下のクリニックにたどり着く。 H 先生はお元気だった。四月初めに神戸の先進医療セ ン タ
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で撮ったペット C T のたくさんの写真を見せなが ら 画 像 診 断 を し て く だ さ っ た 。 神戸では撮影が二回あった。この検査では、撮影の前 め ぐ に ブ ド ウ 糖 の よ う な 放 射 性 物 質 を 注 射 し 全 身 に 巡 ら せ る 。 体 内 に 潜 む が ん が ブ ド ウ 糖 に 食 い つ く と 、 その集まりが ピカピカ光って写り、悪性腫療がわかるしくみだが、脳 や肝臓、勝脱には成分が貯まってしまい、がんがいても いなくてもピカピカ光ることになる。神戸の病院では、 は い せ つ 時差を作り放射性物質をなるべく排池してから、 も う 一 度撮影した。その結果、腎臓からの尿管が一部狭くなっ て い る こ と が わ か っ た 。 ﹁流れにくくなっている可能性として、腫療ができた とも考えられますが、今、マーカ 1 が安定しているので 性が大きい。画像診断では、尿管の光っている箇所は放一 射性物質の流れが写っている可能性もあると書いてあり一 ます﹂ということだった。先生は、私の質問にもていね一 い に 答 え た 。 ﹁ 大 丈 夫 で す ﹂ と 言 わ れ 、 安 心 し た 。 待合室に戻ると、小さな娘をつれた若い夫婦が来てい た。男性が患者さんだろう。不安を隠してこわい顔をし一 ている。話しかけようと思ったが、黙っていた。女の子一 はとても元気で待合室を走り回ろうとしていたので、相一 手をする。受付の K さんが﹁よかったですね﹂と言って一 くれたので、彼を励ます意味をこめて、﹁私、限りなく一 ははは!﹂と町々大笑した。夫婦一 生き続けるかもね1
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の 緊 張 が ち ょ っ と 和 ら い だ よ う な 気 が し た 。濃水飛山記 マ一九五八︵昭和三十三︶年に部落 問題を学びはじめて五十三年。ここ ろ に 刻 ん で き た 言 葉 が あ り ま す 。 ﹁部落問題を勉強するには、本を 読むことも大切やけど、ともかく未 解放部落にお行き。そこで人びとの 暮らしぶりを見て、人びとの思いと 願いを聞かしてもらうことが肝心や よ J 部落問題研究所の木村京太郎 さんからいただいたアドバイス。生 き 方 の 基 本 に し て き た つ も り で す 。 ﹁足を踏んでいる者には踏まれて いる者の痛さが分からんところがあ るとことろして生きよ。﹂ここには ﹁ 差 別 ・ 被 差 別 ﹂ の 二 項 対 立 で は な い 、 厳 し い 自 省 の 視 点 が あ り ま す 。 ﹁ た っ た 一 人 の 言 動 が 六 千 部 落 一 二 百万人の評価にかかわるとところし て生きよ。﹂人聞はすべて偏見の持 ち主です。個人で集団を、集団で個 人を決めつけるのが人問。偏見に満 ちる世の中で部落解放運動を進める 人びとの自戒の言葉として聞きまし た 。 ﹁人聞にとって何が大切か考えな アカン。﹂学歴や学校歴、職種・職 業・肩書き、お金や資産が大切な のか。つまり生き方︵人生に対す る態度︶が問われ続けてきたよう に 思 い ま す 。 ﹁人の不幸はいくらでも辛抱でき るのが人間だ。﹂思い上がりへの警 告 と し て わ た し に 語 ら れ た 言 葉 で す 。 共感と連帯を語るのはやさしい。 し か し 、 そ の 持 続 は む つ か し い 。 これらの言葉の数々が、わたし しった を い ま も 叱 略 し て や み ま せ ん 。 マ来年三月三日で全国水平社創立 九十周年を迎えます。この国の伝 統なのでしょうか、部落解放運動 も同和行政も同和教育も、自らを 検証しないままに日々を過ごして いるように見えます。そこで、﹃こ ぺる﹄が二 O 一三年三月号で終刊 を 迎 え る こ と も あ り 、 今 月 号 か ら ﹁ 部 落問題とわたし﹂と題する特集を 始めます。ぜひ原稿をお寄せくだ さ い 。 マ﹁二十年ほど前、好奇心から東 海村の原発を見学に行った。もら ったパンフレットには、勾読点ま で含めて百六十字ほどの短い文章 の 中 に 、 ﹁ 固 い ﹂ 、 ﹁ 丈 夫 な ﹂ 、 ﹁ 密 封 ﹂ 、 ﹁ が ん じ よ う な ﹂ 、 ﹁ 気 密 性 の 高 い ﹂ 、 ﹁厚い﹂と、いくつもの形容調句が 並んでいた。/これは論証の文体で はなくセールスの文体、広告のコピ ーの文体である。原発の安全性は自 明ではなかった。原発とはこのよう な文体で売り込まなければならない 代物だった﹂︵池津夏樹﹁終わりと 始まり|イデオロギーを捨てよう a × b を再考する﹂。朝日新聞日 ・ 5 ・ ロ M ︶ 。 東 日 本 大 震 災 後 、 ﹁ な じらない﹂と﹁あおらない﹂を当面 の方針とした池津さん︵作家︶の言 葉が、なぜかこころになじみます。 マ今月の読書から|長谷川擢﹃震 災歌集﹄︵中央公論新社、日・ 5 第 2 刷 ︶ 。 ﹁ か り そ め に 死 者 二 万 人 な ど といふなかれ親あり子ありはらから あ り ﹂ 。 ﹁数えきれない無念の死がありま した。彼らを再生できるのは詩心だ けです。死者の声に形を与えるのが 詩の第一の仕事でしょう。彼らの声 に耳を傾けるのが想像力﹂という長 谷川さんの発言︵毎日新聞日・ 5 ・ 叩 M ︶に、たぶんそうだろうなと同 意 す る 。 ︵ 藤 田 敬 一 ︶ 発行者 こべる刊行会(代表藤岡敬一) 発行所岐阜市西改田字川向187 4 藤田敬一方 〒5011161 Tel.&F田至。58239 5348 E mail k fujita由h6dion.ne.Jp - A o T第220号