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「銀河鉄道の夜」と賢治-自己統一の過程-

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Academic year: 2021

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(1)

を肯定する方向

K

向かって進んでいた。その時代社会の中 で、近松は庶民に慰みを提供する浄瑠璃作者として活躍し て い た の で あ る 。 生活欲旺盛な江戸時代にあって、民衆が待ち受けていた のは悲恰感漂う中世の俊寛ではなく、もっと人間的感情を 激しく極り立ててくれるところの、夫婦愛・親子愛等しみ

と賢治

目 次 一 、 序 論 二、本論 第一章賢治作品の概説 第 一 節 詩 と 童 話 第二節﹁銀河鉄道の夜﹂系列 第二章他著書との比較 第一節﹁太陽の都﹂

l

命名の問題 第二節﹁妙法蓮華経﹂

l

求道性 第三章﹁銀河鉄道の夜﹂とは何か 第 一 節 生 の 軌 跡 第 二 節 内 的 過 程

l

自 己 統 一 じみとした情愛に満ちた人間俊寛であったと思うのである。 そして近松は恋知りという性情を持つ者として、民衆の 要望に応え得る俊寛を﹃平家女護嶋﹄第二段自に於いて見 事に開花させたのである。ここに、観客に慰みを提供して やまなかった近松の浄瑠璃作者としての偉大さと同時

K

、 人間愛に海れた近松の人間性に触れる思いがするのである。

自己統

二十八回生

三、結論 四、注釈 五、参考資料

-30ー 序 論 宮沢賢治の、日本文学史における位置は独自なものであ る。地方の一詩人、一作家として生きた彼の作品は、文壇 の大流に染まりきる事なく、一つの芸術性の溜り場として 純粋貴重なものである。﹁職業芸術家は一度亡びねばなら ぬ﹂︵注1︶と言った彼の精神そのままである。 その賢治作品群の中から、私は未完の長編童話﹁銀河鉄 道の夜﹂を選出し、考察して行こうと思う。賢治独自の芸

(2)

術の中に織りこまれた精神の軌跡をみたいのである。現実・ 宗教・芸術の三者がどのように﹁銀河鉄道の夜﹂に関係し 合っているのか、また、この童話は賢治にとってどのような ものであったのかを読み取りたい。 この童話を選出した理由の第一は、賢治作品群の一頂点 をなすものと思うからである。多くの詩や童話を流れてい るものの集大成とも考えられるのである。第二の理由は、 この童話が、賢治自身愛着のある作品ではなかったかと思 われるからである。死の直前まで枕元に置かれて、推厳が 繰り返されたという。だから、この童話には晩年の賢治の 精神が色濃く宿っていると思う。第三の理由は、この童話 の持つ魅力である。無類の美しい世界が心をひきつけるか ら で あ る 。 ところで、﹁銀河鉄道の夜﹂の複雑に推敵された草稿が、 先年やっと筑摩書房の﹁校本宮沢賢治全集﹂で整理された。 推厳の年代によって第四次稿まで考えられ、第三次稿を初 期形、第四次稿︵推離の最後の形︶を後期形、両者混鴻の もの︵一般

K

今まで読まれていた形︶を流布形と呼んであ る。しかし、この三形は飽くまでも推敵の段階であり、決 定稿ではない。未完に違いないが、その各々の段階にそれ ぞれの価置が見出される。本論では、親しみ深い流布形を 多く用いるが、必要な箇所では、初期形・後期形

K

も触れ て述べて行くこと

K

す る 。 本 論 第一章 第 一 節 詩 と 童 話 賢治の詩の特徴は、心象スケッチという言葉で示される。 視覚・聴覚・喚覚を通して取りこまれた自然は、賢治の内 面と重なり合って詩という形をとり現われてくる。自然の 風景や吹き過ぎる風、青い夕暮れの大気の中

K

、賢治は自 分自身の声を聞く。そよいだ木の葉の輝きや陽の光

K

自分 の心を通わせる。賢治の内面は、自然を媒介として認識さ れ、表現される。首に鉛筆を

F

げ手帳を常

K

持ち歩いて、一 思いついた時

K

ふと言葉が湧いてきたその時

K

、その場で但 書きつけていたという。自然に誘導されて彼の内部では幾一 層もの声が重左り語り合う。その声が詩念のである。 賢治童話を特徴付ける一言葉としては、イ i ハト l ヴがあ る。それは、外国の童話世界と日本岩手県の土壌を賢治と いう媒介を通じて融合した世界、いわゆるこれも賢治の心 象スケッチなのである。 童話創作の動機は、﹁童話の中にその︵法華経︶信仰を 穆透せしめ、純真なる子供の世界

K

﹁まことの草の種﹄を 蒔こうとひそかに念願したため﹂︵注 2 ︶といわれている。 しかし、その創作動機は晩年まで保ち続けられただろうか。 私は、﹁まことの草の檀﹂を子供の心に蒔くために書きつ づる童話というもの

K

、次第に賢治は自分自身を投影させ

(3)

ていったのではないかと思うのである。或る目的のために 用いた童話という形式

K

、彼は新しく自分の生き方を関わ らせていったよう

K

思う。童話の中

K

、彼自身が吸いこま れてしまったような気がする。彼本来の詩人性、芸術性と いうものが、当初の目的をしばしば追い越したのではない だろうか。また一方、彼自身の救済が、童話を書くという 行為の中

K

行なわれ見出されたのではないだろうか。この ような意味で、私は賢治

K

適したものは、詩よりも童話形 式であったろうと思う。詩は、夢想家賢治の、現実に感動 し苦悩する際の手っ取り早い吐き出し目だったのであり、 或る思いの一時的控えの役割を持っていたのである。全て の詩がそうとは言いきれないが、詩の内容が童話表現に持 ちとまれて、大成されているものが幾つかある。私が取り 上げる﹁銀河鉄道の夜﹂もその例である。童話表現

K

お い て、賢治の真正な、或いほ賢治らしい世界がのびのびと躍 動しているのである。 第二章 第三節﹁妙法蓮華経﹂ l | | 求 道 性 宮沢賢治は、明治二十九年岩手県花巻町

K

生まれる P 仏 教信仰の篤い家庭環境で育ったため、幼い頃から仏教への 親和感を持っていた。十八歳の時に、﹁漢和対照妙法蓮華 経﹂を読み、震える程の感動を受ける。ここから法華信仰 が始まるのである。賢治にとって座右の書となった﹁妙法 蓮華経﹂︵以後﹁法華経﹂と記す︶であれば、晩年の大作 ﹁銀河鉄道の夜﹂にも影響を留めているはずである。 この﹁法華経﹂の内容は、三つの大きなテ l マ 、 す な わ ち①宇宙の統一的真理、②久遠の人格的生命、③現実の人 間的活動︵菩薩行︶、というよう

K

まとめられるそうであ る。︵注 3 ︶私は、この三大テ l マが﹁銀河鉄道の夜﹂の 中に生かされていると思うのである。 ジ ヨ パ ン ι は、統一的真理の会得を欲していたのではな いか。地上での諸々の煩悩苦痛を踏み台として、ジョパン ニは銀河鉄道の空の旅へと駆けあがる。﹁どこまでも行け る切符﹂を握って、究極の世界への到達を願っていたので ある。様々の煩悩が昇華された﹁煩悩即菩提﹂の絶対安心一 の境地を求めていたと思える。そしで、ジヨパンニの姿は、白 賢治の求道の姿と重念 h y合う。﹁ほんとうのほんとうの神一 さま﹂というのは、まさに pその安心の境地をさし示してい る の で あ る 。 ジョパンニは、﹁ど ζ までも勝手に歩ける通行券﹂を持 ち、久遠の人格的生命を求めて銀河鉄道の旅

K

出た。賢治 は、久速にあり続ける生命を得るため

κ

ひたすら求道した のである。永遠、不滅の真理と自己を統一させたかったの で あ る 。 童話の最後の部分でジヨパンニは、この世での安穏世界 |絶対安心の境地

l

みんなのほんとうの幸福を探すことが、 最も大切であることに気づく。しかし、﹁ほんとうの神さ ま﹂は、銀河鉄道の途中下車で行ける天上

K

はいない。現

(4)

実世界にいるのである。銀河鉄道の終着点は、現実であり ﹁真の世界﹂である。﹁真の世界﹂へ到らしめるのは、 ﹁南無妙法蓮華経﹂︵切符︶である。銀河鉄道のレ!ルは、 ﹁法華経﹂そのものであるう。不完全幻想第四次世界を買 いている鉄道は、﹁ほんとうの神さま﹂の御前まで導く一 本 の

l

一乗の法華思想なのである。汽車は、法華一乗の大 きな乗り物︵大乗︶であり、﹁南無妙法蓮華経﹂の切符を 得て乗ることが出来れば、永遠の生命を持って真埠と一体 になることが可能なのである。 第 一 一 一 章 第 二 節 内 的 過 程 自 己 統 一 ﹁銀河鉄道の夜﹂という作品世界は、宮沢賢治の人生の 折々に経験した物事や心情が見事な現象となって、錯綜し ている世界である。そのような過去の陰の体験部分から発 する修羅の相と、求道遭進する相が描き表わされている。 修羅と求道によって、賢治の内面は分裂状態

K

あった。そ の分裂の中から、何とか立ち直ろうとする声が時折発せら れた。立ち直り、自己を分裂から救う際の杖は、賢治にお いて﹁文学﹂であったろうと思う。 その第一段階として、妹トシの死の衝撃から自己を回復 させようという試みのために書かれた﹁チュンセとボ l セ の話﹂を載せた手紙がある。︵注 4 ︶ こ の 手 紙 形 式 の お 裏 話 は、少しばかり複雑な構成

K

なっている。この手紙を配布 するよう依頼した人、手紙を実際書いて配布した人、チュ ン セ と ポ l セという兄妹、という三段構えの内容

K

な っ て いる。実は、依頼人も差出し人もチュンセも賢治自身なの である。何故これだけの複雑な構成が必要だったか。それ は、賢治自身の内面が動揺分離して、混沌とした状態にあ っ た か ら で あ る 。 ﹁チュンセがもしポ l セをほんとうにかあいそうに思う なら大きな勇気を出して、すべてのいきもののほんとうの 幸福をきがさなければいけない﹂と、その手紙の依頼人は チュンセに対して言い、また、差出し人

K

対して、﹁さア おまえはチュンセやポ l セみんなのため

K

ポ l セをたずね る手紙を出すがいい﹂と言っている。この依頼人は、賢治一 の内部において、最もまことの道へ高進する力を持つ賢治犯 自身であり、チュンセとはトシの死の衝撃で混乱している一 賢治自身、差出し人とはその両者の間

K

位置し幾分かの客 観性を有してながめる、いわば芸術性を有する賢治自身の 姿なのである。 依頼人は、賢治の体の中心を貫く求道精神、チュンセは 悲しみ

K

咽呼する修羅の心−なのであり、その二つを傍観す る立場

K

差出し人という存在がある。 ζ の差出し人 ζ そ が 、 賢治の作家たる所以である。自己をみつめ、対象としての 自己を書き表わす所に賢治の求道的文学がある。 賢治にとって﹁書くこと﹂は、自己の鎮魂と認識と統一 を図るものであったと思う。少なくとも﹁銀河鉄道の夜﹂ を中心とする一連の文学作品はそうなのである。そして、

(5)

﹁銀河鉄道の夜﹂が、その究極の位置におかれるものなの である。その推磁の推移をみれば、その事が明らか

K

な る のでその点をみてみようと思う。 ﹁校本宮沢賢治全集﹂︵筑摩書房︶第十巻末の校異︵入沢 康夫、天沢退二郎両氏による︶

K

、詳細な推蔽推移が示さ れている。その推敵の細かい説明は省略し、最も主要な ﹁ブルカニロ博士抹消﹂の問題を検討して行くとと

K

す る 。 プルカニロ博士という人物は、ジヨパン−一が夢の銀河鉄 道の旅へ立つ前と終えた後に登場する。そして、ジヨパン ニが空の旅へ向かう機縁と病母の牛乳購入に関わるという 役割を持っていた。しかし、途中五枚分原稿用紙の削除と その他の改訂

K

よって、後期形においては完全に抹消され ている。その抹消過程を簡単

K

一不すと、ジヨパンニ独自部 分の整理のため

K

三章を付加しその際先生が現われて天の 川の説明を行なう←これで博士登場の動機が不必要

K

な っ た。また、牛乳屋で牛乳が手

K

はいるという書きかえを行 なう←博士の金貨が不必要になったというようになる。 しかし、私は、その推敵過程の成行きから博士の抹消を 考えるのではなく、賢治の内面のつながりとして考えてみ たいのである。 ﹁銀河鉄道の夜﹂初期形以前においては、余りにも登場人 物や構成が入り組み、思想が生に近い形で一不されていた。 それが後期形

K

移行する

K

つれて、銀河鉄道の世界は、ショ パンニ一人の契機

K

よって展開するものとなっていく。様 々な伏線が入り乱れ、フルカニロ博士の手を通じてではな く、自己自身の必然性の中で、ジョパンニは夢の世界へと、 銀河鉄道の旅へとはいりこんで行く。 この夢の世界の導入部分における初期形と後期形の大き な相違ば、前者の動機が﹁牛乳を手に入れる事﹂であった のに対して、後者の方は﹁孤独﹂がその重要な要素となっ ていることである。ここでは、前者の貧しさへの悲しみは 直接関係なく、学校仲間との不利・違和感、或いはもっと 漠然とした孤独が夢の世界への案内役として浮かぶのであ る。つまり、初期形の方は外からの働きかけ︵牛乳が手に 入らない事、ブルカニロ博士の実験︶が大きな位置を占め て、夢の世界の旅へと誘われる。後期形では、ジヨパンニ の周囲状況と内的要因が、夢の世界を導き出すことになっ ている。セロのような戸は全て削除され、よってジヨバン社 エがカト日まパネルラと別れたあとのあの説教も除かれている o 一 賢治の生の思想を述べる部分は削除され、全てがやショパン エと他者との会話或いは内的思考での表明にとどめられて い る 。 この余分な人物や構成を廃したのは何故だろうか。何を 意味するのだろうか。これは、賢治の内面過程を示してい るのだと思う。前述したところの﹁チュンセとポlセの話﹂ を載せた手紙にみられた内面の分離が、この﹁銀河鉄道の 夜﹂の推般に則して統一されていったと思うのである。自 己の鎮魂のために﹁書く﹂という行為の中

K

浸っていた賢 治は、作品の一応の成立において、自分自身の環境・状況 を比較的客観的に認識し得た。そして、その認識の中から

(6)

自己追求が始まり‘分裂していた内面の統一をはかろうと していくのである。ジヨパンニを童話﹁銀河鉄道の夜﹂の 中心にしっかり据え、ジヨパンニ一人に作品の流れを背負 わせていくのである。﹁銀河鉄道の夜﹂後期形において、 自己の統一がほぼ成功する。 ﹁チュンセとポ!セの話﹂の手紙で、依頼人︵求道性︶ 差出

L

人︵芸術性︶チュンセ︵修羅性︶と三様

K

分離して いた内面世界が、﹁銀河鉄道の夜﹂初期形においては、依 頼人と差出し人がプルカニロ博士︵セロの声のやせた大人 と 同 一 ︶

K

、チュンセがジョパンニ一になる。それが後期形

K

おいては、依頼人・差出し人・チュンセが、全てジョパ ン−二人

K

負わされる。ここ

K

、修羅性・求道性・芸術性 の統一がなされたのである。この統一は、晩年改作された 詩や短歌の中から、仏教語が削られ書きかえられている点

K

もうかがえる。もはや賢治

K

は、殊更仏教語を口にする 必要はなかヲた。自己の中

K

三様が融和されたのであるか ら、題目や経文を書き記すこと

K

よる自己啓発は必要でな くなったのである。また、この童話

K

おいてブルカニロ博 士が、ジヨパンニの夢の世界を通じて自分の考えを伝える 実験をするという事は、賢治が﹁銀河鉄道の夜﹂という童 話を書くという行為と同じ事なのである。プルカニロ博士 の立場は、この童話を書いている賢治自身の立場だったの であり、よってプルカユロ博士の消滅はこの作品をより客 観性の高いものとしたといえる。作品は、独立間近となった のである。間近と書いたのは、後期形といえどもまだ未完 成だからである。しかし私は、この後期形の大筋でほぼ決 定稿になったであろうと思う。ここで一応の自己統一が成 し遂げられたと考えるからである。 結 論 序論

K

提示したよう

K

、﹁銀河鉄道の夜﹂の中

K

賢 治 の 精神の軌跡をみてきたつもりである。ジヨパンニ、ヵムパ ネルラといろ二人の少年の身の上

K

は、もっと様々の賢治の 経験の影が重なり合っているのであろうが、その研究はこれ からの事としよう。長編の大作﹁銀河鉄道の夜﹂は、その 未完の故であろうか、読みこみの回数

K

比例して深度を増 すよう

K

思 わ れ る 。 この論文の結果から言えば、この童話は、その早い死へ一 と近づく晩年の年月の中で、過去を振り返りつつなおも法部 華信仰へと対面していた賢治の姿勢から生まれたものであ− る。よって、生の軌跡が主となり影となり、微妙にからま って描き出されているのである。賢治自身の人生の縮図と 信仰の成立、自己の成立を托したものが、﹁銀河鉄道の夜﹂ で あ る 。 法華経を全体に貫徹させ、過去の諸々の現象を散りばめ・ てひとつの童話を書くという行為の中で、賢治自身の自己 統一がなされていった。分離した自巳の内面を救済し、法 華経のま乙との道へと向かう事を目ざした。﹁銀河鉄道の 夜﹂の推融過程は、自己の変遷過程なのであった。この長 編童話を書く事によって、賢治の魂の浄化と確認がなされ たと思うのである。

(7)

推厳の果て、ム 7 私達が知る事の出来るその変遷の最後の 形において、﹁銀河鉄道の夜﹂は客観性を有し、自己統一 の一応の成呆によって作品は、賢治から離れかけているの である。ここ

K

おいては、もはや作品中の賢治の生涯・思 想の影は賢治固有の経験ではなく、客観的経験となる。賢 治個人の遍歴が、一般的人聞の普遍的生涯の一部を示して いるのである。﹁銀河鉄道の夜﹂は、その宇宙的広がりの よ う

K

、いよいよ無限の魅力を湛えていくのである。

注 釈 注 1 ﹁農民芸術概論綱要﹂・農民芸術の産者より 注 2 ﹁注文の多い料理店﹂角川文庫︵昭日・ 1 ・ m 山 ︶ 中 ﹁新しい古典復刻の弁﹂︵小倉豊文氏︶より 田村芳朗著﹁法華経1真理・生命・実践﹂中公新書 問︵昭臼・ 8 ・ 5 ︶ よ り 妹トシの死︵大正日年︶の後、知人等に名無しで配 布された手紙。兄のチュンセが死んだ妹のポ|セを 探し求めるという、賢治とトシを思わせる兄妹の話 が書かれてある。 注 3 注 4

についての考察

源氏物語を中心として

次 口 一 口 序 本論 第一章﹁あいなし﹂

κ

ついての概説 第1節古辞書、古注における﹁あいなし﹂ 第2節﹁あいなし﹂の語源 第二章源氏物語における﹁あいなし﹂ 第 1 節﹃源氏物語﹄の﹁あいなし﹂と他作品の﹁あい なし﹂について ﹁あいなし﹂の意味 第

2

-36-二十八回生

I

項﹁あいな頼み﹂ 第

E

項心情語としての﹁あいなし﹂ 第

E

項心情語以外の﹁あいなし﹂ 第3節﹁あいなし﹂と﹁あぢきなし﹂ 結び 補注 参考文献 ︵但し、本稿では、第一章を、一﹁あいなし﹂の語源など としてまとめた。第二章では、第 2 節第

E

項、第

E

項を中 心 に 論 じ た 。 ︶

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