を肯定する方向
K
向かって進んでいた。その時代社会の中 で、近松は庶民に慰みを提供する浄瑠璃作者として活躍し て い た の で あ る 。 生活欲旺盛な江戸時代にあって、民衆が待ち受けていた のは悲恰感漂う中世の俊寛ではなく、もっと人間的感情を 激しく極り立ててくれるところの、夫婦愛・親子愛等しみ﹁
銀
河
鉄
道
の
夜
﹂
と賢治
目 次 一 、 序 論 二、本論 第一章賢治作品の概説 第 一 節 詩 と 童 話 第二節﹁銀河鉄道の夜﹂系列 第二章他著書との比較 第一節﹁太陽の都﹂l
命名の問題 第二節﹁妙法蓮華経﹂l
求道性 第三章﹁銀河鉄道の夜﹂とは何か 第 一 節 生 の 軌 跡 第 二 節 内 的 過 程l
自 己 統 一 じみとした情愛に満ちた人間俊寛であったと思うのである。 そして近松は恋知りという性情を持つ者として、民衆の 要望に応え得る俊寛を﹃平家女護嶋﹄第二段自に於いて見 事に開花させたのである。ここに、観客に慰みを提供して やまなかった近松の浄瑠璃作者としての偉大さと同時K
、 人間愛に海れた近松の人間性に触れる思いがするのである。自己統
の
過
程
二十八回生
三、結論 四、注釈 五、参考資料田
川
涼
子
-30ー 序 論 宮沢賢治の、日本文学史における位置は独自なものであ る。地方の一詩人、一作家として生きた彼の作品は、文壇 の大流に染まりきる事なく、一つの芸術性の溜り場として 純粋貴重なものである。﹁職業芸術家は一度亡びねばなら ぬ﹂︵注1︶と言った彼の精神そのままである。 その賢治作品群の中から、私は未完の長編童話﹁銀河鉄 道の夜﹂を選出し、考察して行こうと思う。賢治独自の芸術の中に織りこまれた精神の軌跡をみたいのである。現実・ 宗教・芸術の三者がどのように﹁銀河鉄道の夜﹂に関係し 合っているのか、また、この童話は賢治にとってどのような ものであったのかを読み取りたい。 この童話を選出した理由の第一は、賢治作品群の一頂点 をなすものと思うからである。多くの詩や童話を流れてい るものの集大成とも考えられるのである。第二の理由は、 この童話が、賢治自身愛着のある作品ではなかったかと思 われるからである。死の直前まで枕元に置かれて、推厳が 繰り返されたという。だから、この童話には晩年の賢治の 精神が色濃く宿っていると思う。第三の理由は、この童話 の持つ魅力である。無類の美しい世界が心をひきつけるか ら で あ る 。 ところで、﹁銀河鉄道の夜﹂の複雑に推敵された草稿が、 先年やっと筑摩書房の﹁校本宮沢賢治全集﹂で整理された。 推厳の年代によって第四次稿まで考えられ、第三次稿を初 期形、第四次稿︵推離の最後の形︶を後期形、両者混鴻の もの︵一般
K
今まで読まれていた形︶を流布形と呼んであ る。しかし、この三形は飽くまでも推敵の段階であり、決 定稿ではない。未完に違いないが、その各々の段階にそれ ぞれの価置が見出される。本論では、親しみ深い流布形を 多く用いるが、必要な箇所では、初期形・後期形K
も触れ て述べて行くことK
す る 。 本 論 第一章 第 一 節 詩 と 童 話 賢治の詩の特徴は、心象スケッチという言葉で示される。 視覚・聴覚・喚覚を通して取りこまれた自然は、賢治の内 面と重なり合って詩という形をとり現われてくる。自然の 風景や吹き過ぎる風、青い夕暮れの大気の中K
、賢治は自 分自身の声を聞く。そよいだ木の葉の輝きや陽の光K
自分 の心を通わせる。賢治の内面は、自然を媒介として認識さ れ、表現される。首に鉛筆をF
げ手帳を常K
持ち歩いて、一 思いついた時K
ふと言葉が湧いてきたその時K
、その場で但 書きつけていたという。自然に誘導されて彼の内部では幾一 層もの声が重左り語り合う。その声が詩念のである。 賢治童話を特徴付ける一言葉としては、イ i ハト l ヴがあ る。それは、外国の童話世界と日本岩手県の土壌を賢治と いう媒介を通じて融合した世界、いわゆるこれも賢治の心 象スケッチなのである。 童話創作の動機は、﹁童話の中にその︵法華経︶信仰を 穆透せしめ、純真なる子供の世界K
﹁まことの草の種﹄を 蒔こうとひそかに念願したため﹂︵注 2 ︶といわれている。 しかし、その創作動機は晩年まで保ち続けられただろうか。 私は、﹁まことの草の檀﹂を子供の心に蒔くために書きつ づる童話というものK
、次第に賢治は自分自身を投影させていったのではないかと思うのである。或る目的のために 用いた童話という形式
K
、彼は新しく自分の生き方を関わ らせていったようK
思う。童話の中K
、彼自身が吸いこま れてしまったような気がする。彼本来の詩人性、芸術性と いうものが、当初の目的をしばしば追い越したのではない だろうか。また一方、彼自身の救済が、童話を書くという 行為の中K
行なわれ見出されたのではないだろうか。この ような意味で、私は賢治K
適したものは、詩よりも童話形 式であったろうと思う。詩は、夢想家賢治の、現実に感動 し苦悩する際の手っ取り早い吐き出し目だったのであり、 或る思いの一時的控えの役割を持っていたのである。全て の詩がそうとは言いきれないが、詩の内容が童話表現に持 ちとまれて、大成されているものが幾つかある。私が取り 上げる﹁銀河鉄道の夜﹂もその例である。童話表現K
お い て、賢治の真正な、或いほ賢治らしい世界がのびのびと躍 動しているのである。 第二章 第三節﹁妙法蓮華経﹂ l | | 求 道 性 宮沢賢治は、明治二十九年岩手県花巻町K
生まれる P 仏 教信仰の篤い家庭環境で育ったため、幼い頃から仏教への 親和感を持っていた。十八歳の時に、﹁漢和対照妙法蓮華 経﹂を読み、震える程の感動を受ける。ここから法華信仰 が始まるのである。賢治にとって座右の書となった﹁妙法 蓮華経﹂︵以後﹁法華経﹂と記す︶であれば、晩年の大作 ﹁銀河鉄道の夜﹂にも影響を留めているはずである。 この﹁法華経﹂の内容は、三つの大きなテ l マ 、 す な わ ち①宇宙の統一的真理、②久遠の人格的生命、③現実の人 間的活動︵菩薩行︶、というようK
まとめられるそうであ る。︵注 3 ︶私は、この三大テ l マが﹁銀河鉄道の夜﹂の 中に生かされていると思うのである。 ジ ヨ パ ン ι は、統一的真理の会得を欲していたのではな いか。地上での諸々の煩悩苦痛を踏み台として、ジョパン ニは銀河鉄道の空の旅へと駆けあがる。﹁どこまでも行け る切符﹂を握って、究極の世界への到達を願っていたので ある。様々の煩悩が昇華された﹁煩悩即菩提﹂の絶対安心一 の境地を求めていたと思える。そしで、ジヨパンニの姿は、白 賢治の求道の姿と重念 h y合う。﹁ほんとうのほんとうの神一 さま﹂というのは、まさに pその安心の境地をさし示してい る の で あ る 。 ジョパンニは、﹁ど ζ までも勝手に歩ける通行券﹂を持 ち、久遠の人格的生命を求めて銀河鉄道の旅K
出た。賢治 は、久速にあり続ける生命を得るためκ
ひたすら求道した のである。永遠、不滅の真理と自己を統一させたかったの で あ る 。 童話の最後の部分でジヨパンニは、この世での安穏世界 |絶対安心の境地l
みんなのほんとうの幸福を探すことが、 最も大切であることに気づく。しかし、﹁ほんとうの神さ ま﹂は、銀河鉄道の途中下車で行ける天上K
はいない。現実世界にいるのである。銀河鉄道の終着点は、現実であり ﹁真の世界﹂である。﹁真の世界﹂へ到らしめるのは、 ﹁南無妙法蓮華経﹂︵切符︶である。銀河鉄道のレ!ルは、 ﹁法華経﹂そのものであるう。不完全幻想第四次世界を買 いている鉄道は、﹁ほんとうの神さま﹂の御前まで導く一 本 の
l
一乗の法華思想なのである。汽車は、法華一乗の大 きな乗り物︵大乗︶であり、﹁南無妙法蓮華経﹂の切符を 得て乗ることが出来れば、永遠の生命を持って真埠と一体 になることが可能なのである。 第 一 一 一 章 第 二 節 内 的 過 程 自 己 統 一 ﹁銀河鉄道の夜﹂という作品世界は、宮沢賢治の人生の 折々に経験した物事や心情が見事な現象となって、錯綜し ている世界である。そのような過去の陰の体験部分から発 する修羅の相と、求道遭進する相が描き表わされている。 修羅と求道によって、賢治の内面は分裂状態K
あった。そ の分裂の中から、何とか立ち直ろうとする声が時折発せら れた。立ち直り、自己を分裂から救う際の杖は、賢治にお いて﹁文学﹂であったろうと思う。 その第一段階として、妹トシの死の衝撃から自己を回復 させようという試みのために書かれた﹁チュンセとボ l セ の話﹂を載せた手紙がある。︵注 4 ︶ こ の 手 紙 形 式 の お 裏 話 は、少しばかり複雑な構成K
なっている。この手紙を配布 するよう依頼した人、手紙を実際書いて配布した人、チュ ン セ と ポ l セという兄妹、という三段構えの内容K
な っ て いる。実は、依頼人も差出し人もチュンセも賢治自身なの である。何故これだけの複雑な構成が必要だったか。それ は、賢治自身の内面が動揺分離して、混沌とした状態にあ っ た か ら で あ る 。 ﹁チュンセがもしポ l セをほんとうにかあいそうに思う なら大きな勇気を出して、すべてのいきもののほんとうの 幸福をきがさなければいけない﹂と、その手紙の依頼人は チュンセに対して言い、また、差出し人K
対して、﹁さア おまえはチュンセやポ l セみんなのためK
ポ l セをたずね る手紙を出すがいい﹂と言っている。この依頼人は、賢治一 の内部において、最もまことの道へ高進する力を持つ賢治犯 自身であり、チュンセとはトシの死の衝撃で混乱している一 賢治自身、差出し人とはその両者の間K
位置し幾分かの客 観性を有してながめる、いわば芸術性を有する賢治自身の 姿なのである。 依頼人は、賢治の体の中心を貫く求道精神、チュンセは 悲しみK
咽呼する修羅の心−なのであり、その二つを傍観す る立場K
差出し人という存在がある。 ζ の差出し人 ζ そ が 、 賢治の作家たる所以である。自己をみつめ、対象としての 自己を書き表わす所に賢治の求道的文学がある。 賢治にとって﹁書くこと﹂は、自己の鎮魂と認識と統一 を図るものであったと思う。少なくとも﹁銀河鉄道の夜﹂ を中心とする一連の文学作品はそうなのである。そして、﹁銀河鉄道の夜﹂が、その究極の位置におかれるものなの である。その推磁の推移をみれば、その事が明らか
K
な る のでその点をみてみようと思う。 ﹁校本宮沢賢治全集﹂︵筑摩書房︶第十巻末の校異︵入沢 康夫、天沢退二郎両氏による︶K
、詳細な推蔽推移が示さ れている。その推敵の細かい説明は省略し、最も主要な ﹁ブルカニロ博士抹消﹂の問題を検討して行くととK
す る 。 プルカニロ博士という人物は、ジヨパン−一が夢の銀河鉄 道の旅へ立つ前と終えた後に登場する。そして、ジヨパン ニが空の旅へ向かう機縁と病母の牛乳購入に関わるという 役割を持っていた。しかし、途中五枚分原稿用紙の削除と その他の改訂K
よって、後期形においては完全に抹消され ている。その抹消過程を簡単K
一不すと、ジヨパンニ独自部 分の整理のためK
三章を付加しその際先生が現われて天の 川の説明を行なう←これで博士登場の動機が不必要K
な っ た。また、牛乳屋で牛乳が手K
はいるという書きかえを行 なう←博士の金貨が不必要になったというようになる。 しかし、私は、その推敵過程の成行きから博士の抹消を 考えるのではなく、賢治の内面のつながりとして考えてみ たいのである。 ﹁銀河鉄道の夜﹂初期形以前においては、余りにも登場人 物や構成が入り組み、思想が生に近い形で一不されていた。 それが後期形K
移行するK
つれて、銀河鉄道の世界は、ショ パンニ一人の契機K
よって展開するものとなっていく。様 々な伏線が入り乱れ、フルカニロ博士の手を通じてではな く、自己自身の必然性の中で、ジョパンニは夢の世界へと、 銀河鉄道の旅へとはいりこんで行く。 この夢の世界の導入部分における初期形と後期形の大き な相違ば、前者の動機が﹁牛乳を手に入れる事﹂であった のに対して、後者の方は﹁孤独﹂がその重要な要素となっ ていることである。ここでは、前者の貧しさへの悲しみは 直接関係なく、学校仲間との不利・違和感、或いはもっと 漠然とした孤独が夢の世界への案内役として浮かぶのであ る。つまり、初期形の方は外からの働きかけ︵牛乳が手に 入らない事、ブルカニロ博士の実験︶が大きな位置を占め て、夢の世界の旅へと誘われる。後期形では、ジヨパンニ の周囲状況と内的要因が、夢の世界を導き出すことになっ ている。セロのような戸は全て削除され、よってジヨバン社 エがカト日まパネルラと別れたあとのあの説教も除かれている o 一 賢治の生の思想を述べる部分は削除され、全てがやショパン エと他者との会話或いは内的思考での表明にとどめられて い る 。 この余分な人物や構成を廃したのは何故だろうか。何を 意味するのだろうか。これは、賢治の内面過程を示してい るのだと思う。前述したところの﹁チュンセとポlセの話﹂ を載せた手紙にみられた内面の分離が、この﹁銀河鉄道の 夜﹂の推般に則して統一されていったと思うのである。自 己の鎮魂のために﹁書く﹂という行為の中K
浸っていた賢 治は、作品の一応の成立において、自分自身の環境・状況 を比較的客観的に認識し得た。そして、その認識の中から自己追求が始まり‘分裂していた内面の統一をはかろうと していくのである。ジヨパンニを童話﹁銀河鉄道の夜﹂の 中心にしっかり据え、ジヨパンニ一人に作品の流れを背負 わせていくのである。﹁銀河鉄道の夜﹂後期形において、 自己の統一がほぼ成功する。 ﹁チュンセとポ!セの話﹂の手紙で、依頼人︵求道性︶ 差出
L
人︵芸術性︶チュンセ︵修羅性︶と三様K
分離して いた内面世界が、﹁銀河鉄道の夜﹂初期形においては、依 頼人と差出し人がプルカニロ博士︵セロの声のやせた大人 と 同 一 ︶K
、チュンセがジョパンニ一になる。それが後期形K
おいては、依頼人・差出し人・チュンセが、全てジョパ ン−二人K
負わされる。ここK
、修羅性・求道性・芸術性 の統一がなされたのである。この統一は、晩年改作された 詩や短歌の中から、仏教語が削られ書きかえられている点K
もうかがえる。もはや賢治K
は、殊更仏教語を口にする 必要はなかヲた。自己の中K
三様が融和されたのであるか ら、題目や経文を書き記すことK
よる自己啓発は必要でな くなったのである。また、この童話K
おいてブルカニロ博 士が、ジヨパンニの夢の世界を通じて自分の考えを伝える 実験をするという事は、賢治が﹁銀河鉄道の夜﹂という童 話を書くという行為と同じ事なのである。プルカニロ博士 の立場は、この童話を書いている賢治自身の立場だったの であり、よってプルカユロ博士の消滅はこの作品をより客 観性の高いものとしたといえる。作品は、独立間近となった のである。間近と書いたのは、後期形といえどもまだ未完 成だからである。しかし私は、この後期形の大筋でほぼ決 定稿になったであろうと思う。ここで一応の自己統一が成 し遂げられたと考えるからである。 結 論 序論K
提示したようK
、﹁銀河鉄道の夜﹂の中K
賢 治 の 精神の軌跡をみてきたつもりである。ジヨパンニ、ヵムパ ネルラといろ二人の少年の身の上K
は、もっと様々の賢治の 経験の影が重なり合っているのであろうが、その研究はこれ からの事としよう。長編の大作﹁銀河鉄道の夜﹂は、その 未完の故であろうか、読みこみの回数K
比例して深度を増 すようK
思 わ れ る 。 この論文の結果から言えば、この童話は、その早い死へ一 と近づく晩年の年月の中で、過去を振り返りつつなおも法部 華信仰へと対面していた賢治の姿勢から生まれたものであ− る。よって、生の軌跡が主となり影となり、微妙にからま って描き出されているのである。賢治自身の人生の縮図と 信仰の成立、自己の成立を托したものが、﹁銀河鉄道の夜﹂ で あ る 。 法華経を全体に貫徹させ、過去の諸々の現象を散りばめ・ てひとつの童話を書くという行為の中で、賢治自身の自己 統一がなされていった。分離した自巳の内面を救済し、法 華経のま乙との道へと向かう事を目ざした。﹁銀河鉄道の 夜﹂の推融過程は、自己の変遷過程なのであった。この長 編童話を書く事によって、賢治の魂の浄化と確認がなされ たと思うのである。推厳の果て、ム 7 私達が知る事の出来るその変遷の最後の 形において、﹁銀河鉄道の夜﹂は客観性を有し、自己統一 の一応の成呆によって作品は、賢治から離れかけているの である。ここ