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115 年の礎創業者飯野寅吉 現在の福岡県直方市出身である飯野寅吉は 起業家精神に溢れ 大阪市で石炭販売業を営んでいました 1899 年に旧海軍の日本海における拠点であった京都府の舞鶴鎮守府の開庁とともに舞鶴に来住し 飯野商会を創立して港湾荷役業をはじめました この飯野商会が 飯野海運グループの原点

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事 業 概 況 経 営 管 理 体 制 企 業 情 報 特 集 安 全 ・ 環 境 社 会 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 経 営 管 理 体 制 特 集 企 業 情 報 事 業 概 況 安 全 ・ 環 境 社 会 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン

飯野海運株式会社は、2014 年 7 月に創業 115 周年を迎えます。

100 年超企業としての歴史と伝統の原点は、

1899 年に飯野寅吉が京都府舞鶴市に飯野商会株式会社を

設立したことにさかのぼります。

東京、大阪、神戸間に最初の長距離電話開通、東京の水道工事完成など、

近代日本の骨格ができあがりつつあるこの時期に、

石炭運送業と港湾荷役業に着手した、創業者である飯野寅吉の信条は、

飯野海運のグループ経営理念、行動憲章として、今も脈々と受け継がれています。

“ 常 に「 世 の ため 、人 の ため 」を実 践 する”

これからも飯野海運グループは、未来を見据え、時代の要請に先んじて

変わり続けるとともに、変わらない信念を支えに社会へ貢献していきます。

経 営 管 理 体 制 特 集 企 業 情 報 事 業 概 況 安 全 ・ 環 境 社 会 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン

〜変わるもの、変わらないもの〜

特 集

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経 営 管 理 体 制 特 集 企 業 情 報 事 業 概 況 安 全 ・ 環 境 社 会 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン

115 年の礎 創業者 飯野寅吉

 現在の福岡県直方市出身である飯野寅吉は、起業家精 神に溢れ、大阪市で石炭販売業を営んでいました。

1899

年に旧海軍の日本海における拠点であった京都府の舞鶴 鎮守府の開庁とともに舞鶴に来住し、飯野商会を創立し て港湾荷役業をはじめました。この飯野商会が、飯野海 運グループの原点です。  

1918

年、事業が軌道にのったことを受け、飯野商会を 株式会社組織に改め、飯野商事株式会社を発足しました。 続けて、

1922

年には海洋進出を目指し、飯野汽船株式会 社を設立し、飯野商事株式会社請負の海上輸送を分離継 承しました。  

1920

年代から旧海軍は、当時の列強の諸外国に習って 艦船燃料を石炭から石油に切り替えつつあり、それに伴っ て重油の貯蔵を開始していました。その流れのなかで、 旧海軍の要請に応えるために、

1929

年に飯野汽船初のタ ンカー「第一鷹取丸」(

1,226

重量トン)を建造し、タンカー の運航に乗り出しました。  その 後、旧 海 軍 が 優 秀タンカー建 造 保 護 政 策を打ち 出したことに対応し、飯野汽船は大型タンカー導入を決 断、

1931

年わが国初の本格的外航タンカー「富士山丸」 (

13,586

重量トン)を建造しました。   以 降、飯 野 商 事と飯 野 汽 船 は 業 容 を 拡 大して い き、

1941

年に合併、

1944

年には現在の商号である飯野海運 株式会社(以下、当社)に改称しました。その後、当社は 発展をとげていきますが、同時期の日本は諸外国との戦 争状態にあり、その影響は、海運業界にとっても例外では なく、残念ながら、当社の多くの船舶もその船員とともに、 本来は航行するべき大海の底に沈みました。

創業地舞鶴への恩返し

 

1945

年の第二次世界大戦戦争終結直後、わが国の海 運業界は将来の目標を失ったばかりか、企業存続すらも 危ぶまれる状態になりました。当社も同様に困難に直面 しましたが、同年

12

月、舞鶴海軍工廠が民間運営となる 方針が決定し、地元企業である当社に引き受けの白羽の 矢が立ちました。飯野寅吉は創業地である舞鶴発展の熱 意から地元の要望も入れて「当社の今日があるのはひと えに旧海軍と舞鶴市のおかげであり、ご恩返しのつもりで お引き受けするべし」と決断を下し、翌年

4

月、舞鶴海軍 工廠の従業員約

2,500

名を引き継ぎ、飯野産業株式会社 舞鶴造船所を発足させました。

発展と縮小

  そ の 後、当 社 は

1950

年 に 戦 後 わ が 国 初 の 大 型タン カー「隆邦丸」(

14,717

重量トン)を建造したほか、ニュー ヨーク定期航路などを順次開設し、業容を積極的に拡大 しました。  

1950

年代後半には、日本経済が重化学工業を中心と した産業構造への転換によって発展を続けていくなか、

1956

年のエジプト政府によるスエズ運河の国有化は、南 アフリカ共和国の喜望峰経由の航行を余儀なくされ、船 舶不足による運賃が暴騰する「スエズブーム」により海運 会社は好況を迎えましたが、翌年にはスエズ運河の通航 再開に見通しがついたのを機に運賃が暴落し、また、競 争激化の時代に突入し、海運各社の経営は打撃を受け、 苦境に陥ります。 左:創業者 飯野寅吉、右上:第一鷹取丸、右下:富士山丸 1950 年建造の隆邦丸

(3)

経 営 管 理 体 制 特 集 企 業 情 報 事 業 概 況 安 全 ・ 環 境 社 会 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン  この ような 環 境 下 で も、当 社 は

1963

年 に 当 社 初 の 液化石油ガス(以下、

LPG

)キャリアである初代「豊洲丸」 (

22,974

重量トン)を建造するなどの営業を続けました。 しかし、池田勇人内閣が過当競争排除と企業規模適正化 を目指した海運集約化政策を立案して海運二法とよばれ る「海運業の再建整備に関する臨時措置法」と「外航船舶 建造融資利子補給臨時措置法」を制定したことに対応し、

1964

年に定期船部門などの分離を行い、現在の業容を 形作ることになりました。

飯野ビルディングで飛躍

  現 在、当 社 は 海 運 業 の ほ か に不 動 産 業を展 開してい ます。これは創業から連綿と続く海運業とともに、さらに 安定した収益をもたらす事業として、当社の大きな柱と なっています。この原点となったのが、旧飯野ビルディン グ(延床面積

76,808.82m2

)の建設であり、

1953

年に飯 野 不 動 産 株 式 会 社 を 設 立、

1958

12

月に 着 工、

1960

年に開業するとともに、本社を移転しました。  旧飯野ビルディングは東京都千代田区内幸町の交通 アクセスの良い場所に立地し、当時としては最先端のオ フィスとして、そして文化活動を発信した「 イイノホール」 とともに皆さまから親しみをもた れてきました。開 業 後

40

年以上にわたり、東京の、そして日本の移り変わりを 目にしてきましたが、より一層の安全で快適なオフィスや イイノホール、商業施設を提供するために、

2008

年にお しまれつつ、建替え工事に着手しました。  

2011

10

月に 開 業した 飯 野 ビルディング(延 床 面 積

97,918.93 m2

)は、皆さまに親しまれた旧飯野ビルディン グの歴史を「繋ぐ」ために、旧イイノホールの入口に展示 していた現代美術家・村井正誠氏のレリーフ作品を新し いイイノホール

4

階に移設し再展示しています。また、通 路などに使用していた大理石を飯野ビルディング内で再 利用しています。  このように旧飯野ビルディングをはじめとして、不動産 業は海運業と並ぶ柱として飛躍していったのです。

国際化を見据え、自ら変革

  当 社 は、常 に社 会 の 変 化 に合わ せるた め、事 業 構 造 の変革に自ら取り組んできました。  

1970

年代に入るとわが国は自由主義国第

2

位の経済 大国となりましたが、当社を含めて海運業界には逆風が 吹き、試練に直面することになります。  

1971

8

月の ニクソンショックを 契 機 に、

1

ド ル

360

円の体制が崩れ、円切上げを経て、日本を含め主要国の 為替相場は変動相場に移行し、円高が進行していくこと になります。この流れはその後、いわゆるプラザ合意を 経て、

1986

年には

1

ドル

150

円前後と、さらに円高が進 んでいきました。  ドル 収 入 が 多 い 海 運 会 社 にとって、円 高 の 進 行 は 経 営に重大な影響をおよぼします。このような状況のなか で、当社は自ら事業構造の変革に取り組みます。   当 時、日本 の 船 舶 は日本 人 船 員 によって運 航されて いましたが、円高によるコスト競争力低下のため、外国 人船員が船舶に乗船することを検討しました。当社では 村井正誠氏のレリーフ作品 1960 年開業の旧飯野ビルディング

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経 営 管 理 体 制 特 集 企 業 情 報 事 業 概 況 安 全 ・ 環 境 社 会 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン いち早く

1974

年に外国人船員を雇用、育成するために イイノマリンサービス株式会社を設立し、翌年には、日 本 人 船員に加え、外 国 人 船員が 乗 船 する混 乗 船 化 の 運 航を開始しました。この混乗船は、わが国では当社が初 めて実現し、他社が実現したのは数年後のことです。

多国籍化する船員

 船舶には多くの船員が乗船しています。   か つて日本 人 だ けが 乗 船してい た 時 代 に は、船員は 船内で時間をともに過ごす仲間として、将棋やキャッチ ボールを行うことでお互いのコミュニケーションを図りま した。また当時は、日本人のコックが乗船し、野菜を船内 で栽培するなどして美味しい食事を提供しました。他社 の船員には「飯野海運の船の食事は美味しい」と評判に なったほどです。  現在では、外国人船員との混乗が進み、異文化交流が 盛んになりました。当社の船舶に乗船する外国人船員の 国籍は、主に韓国やフィリピン、ミャンマーなどです。彼ら といかにコミュニケーションをとって船舶の安全運航を果 たしていくかが、今後は重要なテーマとなっています。

タンカーの飯野

 当社はエネルギー輸送に強みを持ちます。原油を輸送 する大型オイルタンカーである

VLCC

Very Large Crude

Oil Carrier

)、

LPG

や液化天然ガス(以下、

LNG

)を輸送す るガスキャリア、石油化学製品を輸送するケミカルタン カー、また、発電用の石炭船などは当社のエネルギー輸 送の礎となっています。  前述の「隆邦丸」は

1950

年に戦後わが国初の大型タン カーとして登場しましたが、半世紀後の

1999

年には当社 では初の二重船殻構造(ダブルハル)の

VLCC

として再び 登場し、海上を航行しました。現在では

2

隻の

VLCC

が主 に中東から日本へ原油の輸送に従事しています。  また、

1963

年建造の

LPG

キャリア「豊洲丸」は東京湾の 豊洲埠頭にあった

LPG

基地向けに輸送していたことから 命名されました。現在では

1997

年に建造した三代目「豊 洲丸」が、中東諸国から日本への輸送を中心に世界各国 で

LPG

の輸送に従事しています。  

1991

年からはインドネシア、カタールの

LNG

プロジェ クトにも参画し、ほかの海運会社と共同で

LNG

キャリアを 保有する形態の、共有船主となりました。

2003

年には「

SK

SUNRISE

」を建造し、待ち望んだ当社単独での

LNG

輸送 事業を開始しました。  一方、当社の海運業の柱となっているケミカルタンカー による石油化学製品の輸送は

1979

年に取り組みを開始 しました。一隻に多数のタンクがあり、多種多様な製品を 輸送できますが、異物の混入を防ぐなど高度な積荷の品 質管理が求められています。難しい条件でも安全輸送を 積み重ねてきた結果、現在、世界最大規模の船隊を擁し、 1999 年建造の二代目隆邦丸 SK SUNRISE(LNG キャリア)

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経 営 管 理 体 制 特 集 企 業 情 報 事 業 概 況 安 全 ・ 環 境 社 会 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 中東からアジアでの輸送ではトップシェアを誇っています。  これらの 海 外 から日本 へ の 輸 送 は、天 然 資 源 の 乏し い日本にとって、経済活動、日々のくらしの生命線です。 また、当社は、日本に留まらず世界各国で、エネルギー 輸送に従事しています。「 タンカーの飯野」と呼ばれてき たのは、創業時から社会のニーズを読み取り、常に社会 に満足される輸送とは何かを考え、エネルギー輸送に従 事してきた歴史の証明でもあります。  加えて、当社はタンカーのみならず他の船種による輸 送も提供しています。発電用の石炭、紙の原料となる木材 チップの輸送にあたっては専用船を、また、穀物、鋼材の 輸送にはばら積み貨物船を揃え、安定輸送体制を求める お客さまのニーズに対応しています。  さらに当社が強みを持つタンカーでのエネルギー輸送 は、海外だけではなく、日本国内でも存在感を示します。

2007

年に、国内輸送に特化したイイノガストランスポー ト株式会社が誕生しました。

LPG

、石油化学ガスに特化し た専航会社として、よりお客さまの要望に沿った輸送サー ビスを提供し、また、現在では日本国内のみならず、アジ ア諸国間でも輸送に従事しています。  このように当社はグループ会社を含めて、世界で、日本 で海上輸送の一翼を担っています。

海外で活躍する社員

  当 社 は、グル ープ 会 社を含 めて海 外 に拠 点を設 けて います。   海 運 国 家 とし て 有 名 な シ ン ガ ポ ー ル で は、

I I N O

SINGAPORE PTE. LTD.

2006

年 からケミカルタンカー の 運 航 業 務 を 開 始しています。また、

2008

年 に は

IINO

SHIPPING ASIA PTE. LTD.

を設立し、両社では日本人社員 に加え、シンガポール現地社員あわせて

30

名ほどが勤務し ています。  また、シンガポールのみならず、アラブ首長国連邦のド バイと中国の大連に駐在事務所、ロンドンには現地法人で ある

IINO UK LTD.

、米国では合弁会社に当社の社員が勤務 しています。特に海運業では、海外の企業との取引が多く、 当社の社員が現地で取引先との関係強化を図っています。  このように当社では海外でのネットワークをもち、社員が 日々活躍し、実績に甘んじることなく、未来への展望を見据 えています。 CHEMROUTE PEGASUS(ケミカルタンカー) JP CORAL(石炭船) 瑞邦丸(小型 LPG キャリア)

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経 営 管 理 体 制 特 集 企 業 情 報 事 業 概 況 安 全 ・ 環 境 社 会 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン

不動産業の躍進

 

1997

年、飯野海運株式会社と飯野不動産株式会社は 海運業、不動産業それぞれの未来を見据え、合併しまし た。飯野不動産は、旧飯野ビルディングをはじめ、東京 都心に

4

つのビルを開業し、不動産業界での地位を固め てきました。  また、同年には貸フォトスタジオ運営会社である株式 会社イイノ・メディアプロを設立し、広尾スタジオの運営 を開始し、現在では南青山スタジオの運営も行なってお ります。スタジオで 積 み 重 ね た 信 頼をもとに、お 客さま である日本 のフォトグラファーがヨーロッパで 撮 影を行 う際の手配を担う役割として、

2006

年にロンドンオフィ スを開設し、海外での業務展開を開始しました。  

2006

年には、地上

21

階、地下

3

階の当社では初めて の超高層ビルである汐留芝離宮ビルディング(延床面積

32,702.37m2

)を 開 業し、さらに

2011

10

月に は 飯 野 ビルディングを開業しています。当社の不動産業はオフィ スや商業施設に対する社会のニーズを取り入れ、安定収 益をあげる事業として躍進しています。

100年先にも愛される飯野ビルディング

 「荘重なモダン」という理念のもと、皆さまから親しみを もたれた旧飯野ビルディング。利便性の高さを求められ た開業当時とは異なり、セキュリティの強化、環境意識の 高まり、緊急事態への対応といったニーズが変化していく なか、未来を見据えた変革が求められているとの判断に 至り、旧飯野ビルディングの建替えを決断しました。  この建替えにあたって、前述のとおり、旧飯野ビルディ ングで使用していたレリーフ作品を移設して再展示し、ま た、大理石を再利用して新旧の飯野ビルディングを「繋ぐ」 ことを実現しました。  

2008

年から建替え工事に着手し、約

3

年を費やして飯 野ビルディングは

2011

10

月に開業しました。  開業後約

2

年半が経過した

2014

2

月には、建築物と して優れた作品であると同時に省エネルギー、環境負荷 低減に顕著な成果を出したビルを表彰する「 サステナブ ル建築賞 一般財団法人建築環境・省エネルギー機構理 事長賞」を受賞、また、同機構の建築物環境総合性能評価 システム「

CASBEE

」にて、国内の賃貸ビルで最高点となる

S

ランクを獲得しました。  さらに公益社団法人空気調和・衛生工学会が特に優秀 な設備技術などに対して顕彰する、空気調和・衛生工学 会賞技術賞を受賞しました。  

2014

11

月には

160

本余りの中高木などで造られる森に アート作品を設置し、周辺の緑と「繋ぐ」空間である「イイノの 森」が誕生します。植樹する樹木のなかには、岐阜県高山市よ り県の天然記念物である「荘川桜」の成木と国の天然記念物で ある「臥龍(がりゅう)桜」の苗木を提供いただきました。多く の関係者の好意、協力を得て、都会のオフィスに緑あふれる憩 いの場が登場します。  このように飯野ビルディングはいつの時代にも社会が求め るニーズへ対応し、「

100

年先にも愛されるビル」を提供して いきます。

常に「世のため、人のため」を実践する

 

115

年にわたる歴史の積み重ね。創業者 飯野寅吉が 語り続けた言葉「世のため、人のため」を、変わることの ない礎として、これからも社会が求めるニーズに対応し、 未来を見据え、一日一日を着実に歩み、歴史を刻んでい きます。 空気調和・衛生工学会賞の授賞式

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経 営 管 理 体 制 特 集 企 業 情 報 事 業 概 況 安 全 ・ 環 境 社 会 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン

1899

年 (明治 32 年)

1929

年 (昭和 4 年)

1931

年 (昭和 6 年)

1944

年 (昭和19 年)

1949

年 (昭和 24 年)

1960

年 (昭和 35 年)

1964

年 (昭和 39 年)

1970

年 (昭和 45年)

1974

年 (昭和 49 年)

1991

年 (平成 3 年)

1997

年 (平成 9 年)

1999

年 (平成 11 年)

2001

年 (平成 13 年)

2003

年 (平成 15 年)

2004

年 (平成 16 年)

2006

年 (平成18 年)

2007

年 (平成 19 年)

2011

年 (平成 23 年)

飯野海運グループの沿革

飯野寅吉、京都府舞鶴市に「飯野商会」を創立 (曳船による石炭運送業および港湾荷役業に着手) 当社グループ初のタンカー「第一鷹取丸」竣工 わが国初の本格的外航タンカー「富士山丸」竣工 社名を現在の商号である「飯野海運株式会社」と改称 東京証券取引所に上場 旧「飯野ビルディング」竣工(同ビルに本社移転、イイノホール営業開始) 海運集約に際し、定期航路部門を分離し、新たに設立した 「飯野汽船株式会社」に譲渡 (同社は川崎汽船株式会社と合併。以来当社グループはタンカー、不定期貨物船経営を主力とする) 当社グループ初のパナマックス型ドライバルクキャリア「第五全購連丸」竣工 イイノマリンサービス株式会社設立、船舶管理業務を行う 翌年、わが国初の仕組船混乗化を実現する インドネシア産 LNGプロジェクトに参画、LNG 輸送に進出 (翌年、当社グループ初のLNG キャリア「エルエヌジー ヴェスタ」の共有船主となる) 貸フォトスタジオ運営会社「株式会社イイノ・メディアプロ」設立 当社グループ初のダブルハルタンカー「隆邦丸」竣工 世界最大級のサウジアラビアメタノール製造プロジェクトに参画 (2004 年操業開始) 当社グループ初の自主運航 LNG キャリア「SK SUNRISE」竣工 海上運送業において ISO9001、14001 同時認証を取得 (翌年、ビル賃貸業においても同認証を取得)

Iino Singapore Pte. Ltd. にて運航業務開始 小型ガスキャリア部門を

イイノガストランスポート株式会社に統合 新「飯野ビルディング」開業

参照

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