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真宗研究27号全

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(1)

員宗連合學會研究紀要

一ー第二十七輯—―

暉 和 58 2

颯 索 追 合 囀 會

(2)
(3)

真 宗 研 究

真 宗 連 合 学 会

(4)

第二十七輯

•..••••••••.•..••••...••••.

*1

 

﹃ 往 生 論 註 ﹄ の 思 想 的 肯 景

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⁝ ⁝ 加

ー八番問答︱︱一在釈業の軽重││

道綽禅師における機の本質⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝小

ー禅師の帰浄に関連してーー︑

︵ 続

︶ 愛 と 念

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: 佐 々 木 乾 ︱

︱ ‑

︵ 四

︱ ‑

︶ 法課教学の思想史的意義………··……•平

ー﹃日揆三書﹄を素材としてl

真宗における信の問題⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝栗

称名思想の概念枠について⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝畝 幕末!明治初期の梵暦研究について

研 究

目 次

部 俊

原 廣

田 厚

倉 藤

宏 場 明

道(

‑︱

‑︶

︱ ︱ 求 (

七 ︶ 海 ︵

芸 ︶

英 ︵

九 一

志 ︵

︶ 話

志(‑)

(5)

学 会 彙

今家の﹁大信﹂の立場⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝加

講と茶事考⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝籠谷真智子(‑︱︱︱︱‑︶

報•………••(-―――四)

茂 仰 順

(100

(6)
(7)

幕末

明ー

治初

期の

梵暦

研究

につ

いて

近世に至り︑復古国学・儒教・キリスト教などの各方面よりの諸種の排仏論が盛行し︑それに対する仏教側の護法 論も大いに展開された︒殊に幕末!明治初期にはそれが項点に達し︑西洋天文学の成果流入による仏教須弥山説否定 などは︑仏教思想の存立基盤を揺るがす恐れの多いものであったがために︑仏教側としては︑護国・排耶思想との一 体化のもとに護法論を展開して防禦に努めた︒須弥山説擁護も天文暦法に基づく科学的説明が必要となり︑仏典に根 拠をおいた暦法である梵暦の研究がなされた︒

あった︒真宗からも霊遊・信暁・介石・蓮純などが輩出し︑須弥山説の実証に尽力して書物を遺したことはよく知ら

とこ

ろで

れて

いる

いわば仏教天文学であり︑天台宗円通以下の研究家があらわれたので わが国における天文学の発達の歴史は︑暦の歴史と不離不可分の関係をもっており︑天文学の中心は暦

法をめぐる研究であったと言って過言ではない︒従って暦法研究のためにこそ天文学研究がなされたと言い得るので

幕末ー明治初期の梵暦研究について

木 き

場 ば

明 含

L

(8)

派で異なる日に厳修されていることは衆知の通りである︒ これの刊行された理由は︑その緒言に︑ と記している体裁と対称的になっている︒ ﹁釈迦入減以降1一千八百三十一年本朝明治十七年﹂と記載して︑神宮暦が皇紀何年 あるが︑上述のような梵暦研究の動き︑中にも真宗を中心とする僧侶による護法的立場からの研究については︑天文学史の上においては︑極めて特殊な一時的流行で︑

こう

した

かつ時代錯誤的特異現象とされてきている︒

を加味したところに改めて意味を探ってみようとするのが本稿の意図するところである︒ 日本

ともすれば特異ともされる当時の梵暦研究の動向について︑暦学の発達を中心観点として︑仏教的視野

大谷大学図書館所蔵の一書に﹃和解仏暦一斑﹄という小冊子本がある︒これは明治十七年刊行のもので︑仏教暦と

もいうべき内容を持つ︒仏教各宗派著名寺院の宗教行事と祖師や主だった歴代師僧の忌日を掲げて暦本に仕立てたも

のである︒仏教暦であるので︑

方今仏家修事法営毎二或ハ太陽暦二因テ旧紀ヲ推シ或ハ太陽暦ノ紀日ヲ以テ即チ旧紀日トシ或ハ旧暦二従テ正当

ヲ定ムル等各家区々一定ノ規範アルコトナシ為メニ本編ヲ頒行スル所以ナリ

とある如く︑太陽暦に変って以後は宗教行事の日が旧暦によるもの新暦によるものとまちまちであるので︑判り易い

ように毎日の暦に書込んで出版するというのであった︒現今でも︑例えば真宗報恩講が暦の数え方の違いから東派西

裏表紙には﹁大日本仏暦会社印刷部﹂とあって︑奥附により大阪の藤渓添治郎という人の編纂であると知られる︒

これの校閲は︑仏教宇宙観の中核をなす須弥山説の稿極的擁護のために視実等象説を編みだした︑かの有名な佐田介

幕末

ー明

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研究

につ

いて

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暦梵

研究

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いわゆる梵暦研究家とされる諸師の著述の多くは︑必然的ながら宇宙観を説くものであるだけに数の列挙のみ多く︑

また記述にしても論理にしてもやや難解であることが多いのであるが︑それの講録である本書は︑具体的かく卑近な

事例をとっているのでおもしろい︒例えば︑当時流布の暦本は京都大経師暦であり︑横長の一枚ものの紙面に殆どか ると述べている︒ は注目してよい︒

﹃和解仏暦一斑﹄の刊行は明治十六年から十八年までの一一一年間のみであって︑仏教に よる暦本としては歴史上唯一のものとなっている︒他に幕末期に阿毘曇暦法という一枚のものの暦がありはするが︑

② 

それの場合は︑当時一般的であった暦に単に﹁阿毘曇暦法﹂の文字を刷込んであるに過ぎない︒もっとも︑それが梵 暦研究の流行に影響されているであろうことは言うを侯たないところである︒

③ 

明治十六年以降︑国内の暦本は伊勢神宮司庁からのみ発行されることとなったとされているので︑この仏教暦とも いうべき小冊子本﹃和解仏暦一斑﹄に﹁官許﹂の印判が捺されてあることは後の研究に価するであろう︒佐田介石に よって終焉を迎えるとされる梵暦研究の最終期頃になって︑こうした書が︑

講話筆録の中に︑

しかも官許を得て刊行されている事実に

梵暦研究が須弥山実在論にとどまらず︑暦の問題にも立入っていたことは︑大行寺信暁僧都の東本願寺学寮にての

③ 

﹃頒暦講話井説教﹄というものが遺っていることでも知られる︒最も著名な梵暦研究家であった普 門円通の書である﹃実験須弥界説﹄などを引用してはその解説を進めていく内容であるが︑当時︵幕末期︶使用され

ていた暦法に触れる記述があり︑円通同様に︑要は現在使っている暦法も淵源は仏典に説かれてある所に由来してい 石が行なったといわれている︒

(10)

たのであるが︑これら三鏡や八将神が元来は仏教のものであると主張している︒このことは円通の﹃仏国暦象編﹄に 述べるところであり︑

できる限り判り易くその説を敷術しようとの信暁による努力がよく表われている︒他にも暦関 係の書物を引用し︑全てその端は梵暦にあると述べているが︑後段になるとさすがに講者も聞者も数字の煩瑣に飽き た如くで︑講者の方からこんな面倒な話は止めにしてと︑梵暦講義から普通説教に移ってしまったりもしている︒こ

④ 

うした点からみると︑幕末期の学林・学寮において梵暦が護法的立場から講ぜられたことは知られているが︑その護 法精神はよく伝えられたものの︑梵暦の理論的あるいは数価的側面は︑今︱つ一般には難解煩瑣として受容れられに くかった一面もあったのではなかったかと思われるのである︒むしろ︑

るかに強く説得性も持ち︑

頒行されている暦本記載の枝葉末節をとらえ︑それが仏教に由来しているなどという程度の論義である実際的側面 を有していたことは︑明治五年十一月九日に至って突然︑中国を介せず純西洋流のグレゴリオ暦に某づく太陽暦が採 用されて暦の体裁も一新され︑最新西洋説の暦となるに加えて一二鏡図も八将神方角記載もなくなったこともあって︑

これが梵暦研究終息への急速な歩みへとつながる底流的素因となっていることは否めないであろう︒

さて︑先にわが国の天文学発達の歴史が暦法の問題と不可分であると述べたが︑平安時代の貞観四年︵八六二︶に採

用された中国製の宣明暦による暦法が︑実に八︱︱︱︱一年もの間使用され続け︑江戸時代の貞享二年︵一六八五︶に保井春 ほ巻首に何の何年と記し︑ な書きで︑毎日の干支や二十四節季そして日の吉凶などをぴっしりと書込んで木版刷にしたものである︒その暦本に

つぎに宝珠型の三鏡と称される図と大将軍などの八将神のその年次における方位が書かれ

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キリスト教邪教観と結びつく法護説の方がは また一般に受容され易い状況にあったであろうと推察するのである︒

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海︵渋川春海・保井算哲︶製るところの貞享暦に変わるまで︑暦法の変更は永く行なわれなかったのであった︒それ では保井春海はどうして新しい暦法を製ることに成功したかというに︑

輸入されたこの﹃天経或問﹄が︑

それは彼が中国天文学の中に西洋天文学の成

果を摂りいれた中国︵明︶の人︑遊芸子六の著した﹃天経或問﹄を読んでいたことによる︒寛永禁書令の網を潜って

日蝕・月蝕の計算法に極めて優れていたことが直接的原因となったのである︒

マサヤス

この書﹃天経或問﹄は天動説をとっており︑享保十四年︵一七二九︶に至って西川正休により訓訳本が出版されるや 識者の眼に触れるところとなり︑これを契機に仏教の説く須弥山世界説への疑問視が始まる︒これがために︑浄土宗 文雄は宝暦四年︵一七五四︶に反駁書﹃非天経或問﹄︑

および﹃九山八海解潮論﹄を著している︒

暦の功積により徳川幕府初代天文方︵暦を司る役職︶となっており︑

また西川正休は長崎の西川如見の子で︑八代将軍

吉宗に登用されて延享四年︵一七四七︶に天文方に任ぜられ︑吉宗の貞享暦更改の意志に沿って活躍した人物である︒

将軍吉宗は西洋科学による天文暦法に強い関心を示し︑天文学者中根元圭の意見を容れて寛永禁書令を緩和し︑西 洋の説を載せた漠訳天文書を輸入しようと考えた︒この施策によって﹃暦算全害﹄や﹃崇禎暦書﹄といった書がもた らされ︑宝暦改暦への準備が進んでいったのであった︒こうした幕府方針と相侯って西川正休による﹃天経或問﹄訓 点本︵すなわち和刻本︶が流布し︑その註釈書も数多く出版されるところとなり︑大阪の中井覆軒やその門下の山片蝠 桃が太陽暦のことを記し︑殊に蝠桃の﹃夢の代﹄などはそれによって排仏書ともなったのであった︒

つまりは暦法の進歩の道程が仏教須弥山説否定論へとつながり︑

ひいては反駁のための梵暦研究の気運を惹起させ

ていくということになるのである︒従って梵暦研究の動きは江戸時代中期以後においてのみ顕著にみられる現象であ り︑これが極まるのが普門円通による護法梵暦研究の起こる文化七年︵一八一

0)

から明治初期頃である︒円通の出る

頃となると地動説もよく知られているが︑この地動説は初め長崎のオランダ通詞本木良永により︑安永三年︵一七七四︶

先掲の保井春海は改

(12)

門徒ノ中二彼ノトモガラニ惑ハサレテ 今日ョリ暦ノコトヲ少シッ︑咄シヲイクス︒近比方角ノ吉凶日ノ善悪ヲ論スルコト多クハヤリテ︑動モスレハ御

に始まり︑諸種の世の風潮に惑わず︑最も勝れている仏教︑なかにも御開山親鸞聖人の教えを守っていけばよいと説 さて講義は四十一席から成っており︑初席の 書館に架蔵している︒ 照寺において門徒衆群参のうちに行なわれた説教を︑﹁哲僧舟六歳﹂と誌した人物が筆録したもので︑大谷大学図 ﹃立世阿毘曇論﹄に中心的典拠をおいての須弥山実在の理論的証明に努め︑仏教者の奮起をうながす研究と唱導

にあたった︒これにより円通門下には︑臨済宗環中︑真宗仏光寺派信暁︑東本願寺派霊遊などの研究者が輩出し︑そ

こうした西洋天文学説普及に端を発する仏教への影響という面を︑極めて如実に示してくれる書として︑大行寺信

暁の説教講録﹃天文起教講義﹄をあげよう︒これほ天保八年︵一八一二七︶の1一月十六日から同月晦日までの間︑金沢永

の環中門下からは西本願寺派佐田介石を生んだのであった︒ し ︑

そこで普門円通は︑ 刊行の﹃天地1一球用法﹄という訳書で紹介されている︒これを一般に広めたのほ司馬江漢を始め︑麻田剛立一派その

他のアマチュア天文学者であり︑蘭学普及の潮流に則ったものであった︒こうした経緯により︑仏教須弥山説否定論

者は漸増し︑加えて儒学者・復古国学者らもこれらの西洋天文学説をうけて仏教批判に回り︑盛んに須弥山非実在︑

地獄極楽否実在を攻撃したのである︒

﹃仏

国暦

象編

﹃梵

暦策

進﹄

幕末l

明治

初期

の梵

暦研

究に

つい

﹃実験須弥界説﹄などを初めとする多くの須弥山説擁護論を著わ

'  

(13)

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徒レベルにおける様子を窺い知るものとして貴重といえよう︒ コト書夕書物力渡ル︒

ノ説

﹂と

称し

く︒暦が仏典に根拠をおくと述べているのはいうまでもないが︑当時使用の寛政暦が百年も経てばズレが生じて使え

なくなるとも承知していて研究のあとが窺われる︒当時世間に普及の天球地球説を﹁ハヤリ天文﹂または﹁世間天文

︵ 経

世間天文ノ説ハ古ヒコトテハナヒ︒二百年斗サキニ唐カラ天慶或問卜云書物ガ渡リタ︒

本卜和蘭カラ出タコト也。ソノ天慶或問ノ中二云テアルノカ•…••世間天文ノ説日本デノ初リヂヤ。処カコノ七十

年斗前二水戸二不染居士卜云学者カアリテ︑ソノ人カコノ天慶或問ヲチラリト見ルト︑仏法ノ大難ハコレカラオ

コルト護法資治論卜云モノニ書テオヒタ。…•••サテ夫カラト云モノハクルトモ/\唐カラ便リタビコトニソンナ

刊行

であ

り︑

と﹃天経或問﹄の輸入に始まる経緯を︑仏教側から記している︒ここに出る﹃護法資治論﹄は宝永四年︵一七0

七︶

⑤ 不染居士は森尚謙のことである︒そしてこの風潮の甚しくなったについては︑

寛政年中已来種々ノ邪説カオコリテ盛二仏法ヲ謗ルモノデキルユヘ·…••

と寛政年間︵一七八九i

0 一 八

1)

以来のことであるとする︒また︑文化年問刊(‑八0四ー一八一八︶の天文書﹃観象図

説﹄の引用もみられる︒総じて当然のことながら強い護法意識に支えられており︑眼前に門徒多数をおいての天球地

球説排除の説教講義として︑先掲の学寮にての講義﹃頒暦講話井説教﹄と共に︑注目に値する内容を含んでいる︒門

その後幕末の開国が行なわれ︑否応なくキリスト教が入ってくるようになり︑キリスト教側から宜教使エドキンス コノ中二書テアルコトガ

(14)

とあり︑全てを時流のなせる運動ということに帰し︑幕末!明治初期における特殊事象であったと結論づけている︒

これに対して第二にとりあげるべきは︑板沢武雄氏による﹁近世於ける地動説の展開とその反動﹂︵﹃史学雑誌﹄五 続けるばかりであった︒ ⑦ による﹃釈教正謬﹄の如く︑直接に須弥山説批判を受けるに至る︒このため︑暦学などに併せてキリスト教書物を︑的要素を強め︑ 破邪学の形で学林・学寮で研究することもなされた︒しかし︑これらは所詮は激動的な時代の潮流の中で︑時代錯誤

⑧ ついには浄土観念論などにとってかわられることとなるのである︒

﹁須弥説研究の必要を論ず﹂との一文を載せ︑今度は純学問的見地から︑

ともインドバラモンの説であるのかを明かすために︑

ならないと述べている︒ また︱つには古代の宇宙観研究材料として︑研究を終らせてほ

しかし︑明治十年代までの形とは全く違った動機であることを知るのである︒

さて︑そこでこれら梵暦研究運動の評価であるが︑これを扱った論文の主たるものは一二つである︒

郎氏の﹁近世に於ける科学的宇宙観の発達に対する反動に就いて1特に僧侶の運動についてー﹂︵﹃宗教研究﹄新編

西洋の新しい科学は仏教界にも浸潤し︑時勢の駁々として文明開化へ向って行ったので︑天文学と耶蘇教とが無

関係であることも知られ︑又最早須弥山説が到底持ち応えられるものでもないことが自然に了解されるようにな

f かくて新進気鋭の仏教徒は︑従来の耶蘇教に対する偏見を捨て︑西洋哲学の立場から理論的に彼我の優劣こ ︒

を定めんと試みるようになった︒ただ佐田介石のみが︑依然として須弥山説の為めに奮闘を続け︑盛に文明開化

思想に反抗したことが異彩を放っているが︑時勢はこの保守主義者の力味かへった姿を後に残して︑遠くへ歩み 十一巻二号︶であり︑そこでは こうした一時期におわった梵暦研究ではあったが︑

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︱つは伊東多 ︱つには須弥山説が仏教固有のものかそれ ⑨ 明治二十九年四月の雑誌﹃東洋哲学﹄において井上円了氏は

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評価している︒ と述べ︑運動それ自体の意味は見出し得ないが︑近代科学と仏教が接触するという意味において︑近代以降の科学的あるいは哲学的な︑学問としての仏教の研究理解の傾向に照らしてみれば︑先駆的必然的な意味を大いに認め得ると

筆者は以上の三氏のように正面からこの問題にとりくんだ形ではなく︑暦や天文学の発達史の流れに沿った側面に

観点を据えると︑どのように考えられるかを試みているのであるが︑参考に純天文学的見地からの評価について一っ

だけ紹介しておこう︒天文学者新城新蔵氏の﹃こよみと天文﹄という単行本では

︵梵暦研究は︶全く古き仏経に見えたる須弥山説を祖述せるもので︑要するに時代錯誤︑到底発達せる西洋天文 近代科学との接触のもつ意味は︑甚だ大きかったのである︒

須弥山天文説が理論において地動説に太刀打ち出来なかったことは︑科学の勝利であったといわなければならな

い︒⁝⁝然しながら梵暦運動が単なる護法運動ではなく︑幕末における国民の日本人としての自覚の運動であり︑

西洋文化に対する対抗運動であったところに︑更に思想史上注意すべき点の存することを看過してはならない︒

そしてその一︱ーに︑柏原祐泉氏は﹁護法思想と庶民教化﹂︵岩波日本思想大系五七﹃近世仏教の思想﹄解説論文︶において︑

須弥山説の実証的・実験的説明は︑その研究者たちの異常なまでの熱意にかかわらず︑その内容自体は陳腐なも

のでしかなかった︒それは︑危機惑のなかで︑強い護法意識をかきたてることに役立っただけに終わった︒しか

し一面において︑それは日本仏教がはじめて近代科学と接触したことを意味した︒以後の仏教が︑科学的精神や

哲学的思考を無視してありえず︑とくに浄土教が来世観の近代的な再確立を要請されたことをおもえば︑以上の と︑自覚的な思想論争であったとする積極評価をなしている︒ 1一巻一号︶であり︑そこには

(16)

③  ②  ① 註

⑥  ⑤  ④ 

︵円通︑佐田介石の︶此両者の如きは若し始めより西洋天文学を学ばしめたならば︑其造詣蓋 し大き見るべきものがあったらうと思はれる︒好漠可惜といはなければならぬ︒

筆者がったない研究のうちから思うには︑梵暦研究は決して暦や天文学の発達の歴史と無縁でなかったことであり︑

暦とか天文というのは多く為政者がそれを司らんがために腐心するものであるから︑単に宗教史や思想史上の問題以 上に︑政治史とも多分に関連するところがあったと推されること︒梵暦研究が護法運動の一っというだけにとどまる こととなったのは︑元来仏教須弥山説が近代西洋天文学に対抗できない非科学的内容性をもつものであった点に根本 問題があったのであり︑必ずしも梵暦研究者の時代錯誤を責めるべきではないこと︒従って護法運動としては必然的 であり︑仏教者の一つの姿として是認し得るものであろうと思う︒殊に科学思想に対抗したということでは︑柏原氏 が述べられているように︑近代仏教に脱皮するための必要通過点であったと考えられる︒

研究が︑仏教側の意地などという世俗的理由や︑檀徒確保などの経済的理由に支配されていた場合︑その際には評価 を少々減ずる要があろうかと思われ︑個々の人物︑個々の場合について︑

考え

る︒

渡辺敏夫﹃日本の暦﹄四八二頁︒

註①

に同

じ︒

大谷大学図書館所蔵︒

と︑手厳しく︑しかも他人事のように評価しているのである︒

学の敵ではない︒

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梵暦

研究

につ

いて

しかしながら︑これら梵暦

より一層研究を深めて結論を得るべきかと

﹃本願寺派学事史﹄および﹃大谷派学事史﹄参照︒

宝永四年刊本は大谷大学図書館所蔵︒

︱︱

一巻

一二

冊︒

吉雄

南皐

授︑

草野

買記

︒刊

本は

立国

公文

書館

内閣

庫文

所蔵

10

 

大︵

谷大

学︶

(17)

⑧  ⑦ 

幕末!明治初期の梵暦研究について 二巻二冊︒清朝同治六年(‑八六七︶イギリス人エドキ

柏原祐泉﹃日本近世近代仏教史の研究﹄所収﹁近代仏教

⑩  ⑨ 

の自律的発展﹂参照︒

﹃こよみと天文﹄三二二頁︒

(18)

れは︑決して看過できない由々しき問題である︒ 逆罪をなした者は︑

は じ め に

四=一—

︱︱︱在釈

ー八番問答一二在釈

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

﹃ 往 生 論 註 ﹄

七 六 五

在 在

め 定 縁

の思想的背景

業の軽重ー│̲

仏教一般で説く因果律からすれば︑悪業をなした者は必ずその果を受ける︑というのが一応の原則であるので︑

その果としての地獄の果報を受けるはずである︒しかし︑浄士教では︑

五 五逆罪をなした者でさえ も︑その罪業を転じて︑その果報を受けないままで︑浄土に往生することができる︑と説き︑仏教一般の因果律から は一見︑逸れたかの如き因果律になっている︒浄土教の真骨頂は︑

五逆罪や誹謗正法をなした悪人でさえも浄土往生 が可能である︑と説くところにあるから︑浄土教のそういう因果律が仏教一般の因果律から逸脱しているならば︑こ

加 か

藤 ぢ

宏 t

道 t

(19)

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

﹃業

道経

﹄に

は︑

問 答

についてみてみたい︒ いる︑という点である︒ 主

に日

常生

活︑

の 緒

いわゆる思想的背景 ① ﹃論註﹄に説かれる八番問答の第六番である︒そこでは︑

とのもつ因としての招果力と︑具足十念のもつ因としての招果力との強弱が︑ 五逆罪をなしたこ

の招果力のほうが強いから︑そのまま浄土に往生することができる︑と示されている︒前者の仏教一般の因果律は︑

いわゆる有漏の世界の事象を説明する因果論であるから︑これを﹁世俗的因果律﹂と名づけるならば︑

後者の悪業を転じて浄土に往生するという因果論は︑超世俗の﹁勝義的因果律﹂と名づけられるであろう︒そういう

意味からすれば︑この第六問答は︑世俗的因果律が勝義的因果律の前では何ら力をもたない無力なものであることの︑

理論的根拠を示している︑

没入するという︑この転回はいずれの宗教であっても説くところであり︑逆に︑この転回を説かないものは宗教と言

えな

い︑

とも言うことができる︒世俗的因果の絆を断ち切って︑勝義的因果の支配する聖の世界へ

とも換言しうる︒したがって︑

からも窺える︒それは︑第六問答が︑ そういう点からしても︑

問答は︑浄土教を支える根幹・理論的根拠を示すものである︑と言えるであろう︒このことは︑八番問答の構成の上

八番問答の核になっている︑すなわち︑世俗的因果律の果である衆生を明かす

前五問答と︑勝義的因果律に基く﹁具足十念﹂を明かす後二問答という︑両者を繋ぐものとして第六問答が説かれて

そこで︑本稿では︑第六問答は﹃論註﹄以前のいかなる経論に依り所を持つか︑ということ︑ この問題に対して解答を与えるのが︑

﹁具足十念﹂という形でその転回点を示すこの第六 ﹁業の軽重﹂として説かれ︑具足十念

(20)

﹃蘇婆呼童子請問経﹄巻上

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

えら

れて

﹃観

経﹄

では

五逆・十悪をなした者でも︑臨終時︑善知識に遇って﹁南無無量寿仏﹂と称することを教

至心・不断に十念を具足すれば︑安楽浄土に往生することができる︑と説かれている︒然らば︑

は︑五逆・十悪などの業の繋縛が︑下下品の十念よりも重いと考えられるのに︑この場合︑十念を具足することによ

って往生するならば︑これは﹃業道経﹄の所説と違順することになる︒とすれば︑﹃業遥経﹄の﹁先牽﹂の意味はど

のように理解すべきであるのか︑と尋ねる形で︑第六問答が始まっている︒これは︑世俗的因果律の立場に基く問者

の︑勝義的因果律を説く﹃観経﹄の所説に対する︑疑問である︒次いで︑職劫以来︑有瀾の諸業を造ることによって

三界に繋属されていた衆生が︑十念を具足することによって一二界から出離するならば︑有漏業の繋縛はどうなるのか︑

と問うている︒それに対して︑汝は︑五逆・十悪業の繋縛が下下品の人の十念よりも重い︑と考えているが︑その軽

重の基準は︑在心・在縁・在決定の三によって判断すべきであるから︑五逆・十悪業の繋縛よりも︑十念の方が重い

﹃業道経﹄所説の文に契合する経典が見あたらず︑諸末註はそれに種々の経典をあてている︒次に︑

﹃業道経﹄という名称から︑実叉難陀訳﹃十善業道経﹄をあてるものがあな︒この経典については︑名称の一致と

いう点では首肯しうるが︑これには︑業道云々の文は説かれていない︒同様な点から︑馬鳴菩薩集︑

③ 善業道経﹄をあてるものもあるが︑これにも所掲の文は説かれていない︒

次に︑所掲の文と内容的に近いものとしては︑次の経典が挙げられる︒ それについて考えてみよう︒

この

なか

で︑

ということがいえる︑と答えている︒

と説

かれ

業道

如レ

秤︑

重者

先牽

︒︵

業道

秤は

の如

し︑

重き

もの

先ず

牽く

︒︶

日称等訳﹃十不

一般

的に

(21)

不失法者

⑦ 

而受

レ報

︵不

失法

とは

﹃中論﹄巻三︑観業品

生ずること︺有り︒替へば︑秤の一︹方︺上がれば

⑥ 

即 時 身 精 識 減 中 便 有 レ 陰

︒ 臀 如

1一秤一上一下↓如レ是捨レ死受

‑ 1

生種

④ 

喩 如

1一秤物随レ重頭下︑其物若軽少便即頭高物若均乎其秤亦平↓念誦人亦復如レ是゜

頭下り︑其の物︑若し軽少なれば︑すなわち頭高く︑物若し均乎ならば︑其の秤も亦︑平なるが如く︑念誦の人も亦︑復︑是<

の如

きな

り︒

﹃惟日雑難経﹄

要為孟腔多得ら之意︒在レ仏多得レ仏︑在

1

辟支

仏一

多得

1

1

支仏

︵要ず多に随って之れを得ると為す意なり︒仏の在すこと多ければ仏を得︑辟支仏の在すこと多ければ︑辟支仏を得︑阿羅漠の 在すこと多ければ︑阿羅漠を得ること︑秤の重き者に随って之れを得るが如きなり︒︶

﹃道

地経

於二界︱

意したものであり︑

︹方

︺の

下が

るが

如し

︒是

くの

く如

死を

捨し

て生

種を

受く

るな

り︒

諸業相似不相似︒初受レ身時

に業を生ず︒是の業に

1

種有

︑り

重き

に随

って

報を

受く

るな

り︒

内容的に近いものとしては︑以上の諸文が挙げられる︒

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

﹃観経﹄の下下品についての文を取

︵即

時に

精身

識減

する

中に

︑便

ち︑

1

阿羅

漠一

多得

1

阿羅

漠︱

一 五

︹五

陰︺

︹の

果報独生︑於

1一現在身盃炉業更生レ業︒是業有三一種

1

一界に於いて諸業相似し不相似す︒初めて身を受くる時︑果報独り生じ︑現在の身に於いて業より更

したがって︑﹃業道経﹄云々の文は︑これら諸文から取意し

⑧ 

た︑と考えるべきであろう︒諸末註もほぽ︑そのように結論している︒

このことは︑次の﹃観経﹄云々の文についてもいえる︒すなわち︑この文は︑

⑨ 

﹃観経﹄の所説をそのまま引いているのではない︑と︒

随レ

⑤ 

如下秤随

1

重者

1d

之 ゜

︵喩へば︑秤は物の重きに随って

(22)

1

加行

一者

︑謂

1

1彼業

この意楽は﹁在心﹂に相当する︒

殷重所作

﹃往生論註﹄の思想的背景 次に︑業の軽重の基準である在心・在縁・在決定の﹁︱︱一在﹂の依拠する諸文について考察してみよう︒

1 ‑

︱一

因縁

一令

1

業成

品旱

に由

りて

業を

して

重き

こと

を成

しぜ

む︒

一由

1

1

楽一

﹃喩伽論﹄巻九十︑摂事分中契経事処択摂の次の文が挙げられる︒

⑩ 

︱︱

面ピ

田故

一に

は意

楽に

由る

が故

なり

︑二

には

加行

由に

るが

故な

り︑

三に

は田

に由

るが

故な

り︒

︵意

楽に

由る

とは

︑謂

はく

︑猛

利な

る繹

等の

所作

由に

りて

又即於レ彼称揚讃歎

如レ

︵当

に知

るべ

し︑

此の

中︑

三因

1

意楽

一者

謂︑

1一猛利纏等所作

f

1ー同法者一見已歓喜︑於

1一彼随法ー多随尋思︑多随伺察︑如是名為下由

t

i

楽一

⑩ 

令中

業成

重ニ

゜ の︺随へる法に於いて︑多く随ひて尋思し︑多く随ひて伺察す︒是くの如きを名づけて︑意楽に由るが故に業をして重きことを

成ぜ

しむ

と︑

為す

なり

︒︶

すなわち︑意楽とは︑猛利な纏などのはたらきによって悪業がなされる︑そういう猛利な纏や純浄な善心などである︒

こと

を成

ぜし

む︑

と為

すな

り︒

同法者︵賛同者︶を見已りて歓喜し︑彼の︹同法者

長時積集︑又於

1

其中

砿炉

他令

レ作

無間所作

⑩ 

名為

下由

一ー

加行

1故令中業成>重︒︵加行に由るとは︑謂はく︑彼の業に於いて無問に所作し︑股重に所作し︑長時に積集し︑又︑

其の中に於いて他に勧めて作さしめ︑又︑即ち彼に於いて称揚讃歎す︑是くの如きを名づけて︑

すなわち︑加行とは︑或る業を絶え間なく為したり︑あるいは︑他人にそれをさせたり︑ ここでは︑更に一二因縁の一々を次のように説明している︒

当 レ 知 此 中

二 車

1加行

1Jの三在釈に相当するものとしては︑

在 釈

加行に由るが故に業をして重き

また︑その業を称揚讃歎す

一 六

(23)

﹃喩伽論記﹄巻二十三上は︑

るなどの行為である︒

間︑連続して絶え問のない所作であるという加行の一部と看なせるであろう︒このことを︑

一 七

一々

をみ

﹁決定﹂は︑最後心であるが︑同時に︑最後心以降のすべての所作をも含んでいるから︑長時 加行に由るとは︑即ち︑是れ在決定なり︒無間に所作し︑長時に積集するは皆︑時節に約す︒彼は乎生に通ず︑

⑪ 

此れ︑臨終無間の所作を取る︑則ち︑時節決定し︑所作も亦︑殷重なり︵原漢文︶︒

1己有面心若住︱︱正行及正行果一於レ彼発

1一起善作悪作ー当レ知此業説名為レ重与レ彼相違

︵田

に由

るが

故に

とは

︑謂

はく

︑諸

<の

有情

ヽ己

に恩

有る

もの

に於

いて

︑若

Vし

は正

行︑

及び

正行

果の

に住

する

︹敬

な田

る︺

彼に

於い

て︑

菩作

・悪

作を

発起

す︑

当に

る知

べし

︑此

の業

を説

いて

名け

て重

と為

し︑

彼れ

相と

違す

るを

説い

て名

て軽

と為

すな

り︒

︶ 田とは︑業を起こす︑その対象であり︑対象によって軽重の別が生じる︒したがって︑有徳者に対する善業・悪業ほ

ど重

くな

る︒

預流などの四果︑及び仏などの敬田である︑

﹁住正行﹂を預流などの四向︑

﹁有恩﹂を父母などの恩田︑

⑫ 

と釈している︒蓋し︑恩田・敬田に対する業は︑善悪いずれを問わず︑

﹁正行果﹂を

重業である︒それらに対する重悪業が無問業とされているのも︑その一端を示している︒これは﹁在縁﹂に相当する︒

『倶舎論』巻十八、業品第百十九侮で、業の軽重は、業の後起(P~ta)•(k~etra)・根本(傷adhi~thana,長行karma­

⑬ 

pa

th

a)

・加

(p

ra

yo

ga

)

(c

et

an

a)

・意

(a

sa

ya

)

の六因による︑と説かれるものと比較すると︑意楽と思とは﹁意

楽﹂に︑加行・根本・後起は﹁加行﹂に︑

﹃往

生論

註﹂

の思

想的

背景

由レ田故者︑謂諸有情

⑩ 

説名

為レ

軽゜

﹁田﹂は次のように説明されている︒

と釈している︒

田は﹁田﹂に相当し︑基本的には︑

﹃倶舎論﹄の所説と一致する︒他にも︑

﹃大智度論﹄巻七十五・ニ十四などの文もあるが︑それらは一一一因縁をまとめて説いていないので︑三在釈︑

﹃顕

深義

﹄巻

五は

(24)

虚は

実に

対す

るこ

と能

はず

︒是

の故

に︑

︹信

楽は

悪業

を︺

破壊

する

なり

︒︶

このなか︑悪業や信楽が﹁非理﹂や﹁是理﹂によって生起するということも在心を示している︒

この

よう

に︑

心の如何によって業の軽重が決まるという考えは︑動機を重視する仏教の業の立場とも合致する︒

に依

りて

起こ

り︑

信楽

は是

理よ

り生

ず︒

悪業依

111非理起信楽従一

是理

1

︹悪

業は

︺非

理に

依り

て起

こる

が故

に虚

なり

︒︹

信楽

は︺

是理

より

生ず

るが

故に

実な

︒り

11非理起故虚 真諦訳﹃摂大乗論釈﹄世親釈巻十二︑釈依慧学差別勝相︑

昼日

の微

弱心

すら

尚︑

集成

する

とこ

能は

ず︑

何に

況ん

や︑

夢中

をや

すなわち︑夢中の所作業の招果を云々する際の︑夢心は微弱であるから招果できない︑

微弱なものは招果できない︑と説く箇処の﹁心﹂が在心に相当する︒

1

是理

1生故実 ⑭ 是夢心微弱故不レ能=集成↓昼日微弱心尚不レ能孟采成f

何況

夢中

﹃大智度論﹄巻七十五︑釈夢中入三昧品︑ が相当する︒他にほ次の文がある︒ る時に検討してみよう︒

﹁在心﹂とは︑罪人が虚妄顛倒の見によって罪業を造る︑あるいは︑人が善知識の設けた方便や安慰によって実相

法を聞き︑その心によって十念を具足する︑等の場合の心の在り方である︒すなわち︑業の軽重はいかなる心に依止

して起こされたかにかかっている︑ということである︒これは︑前掲︵一六頁︶の﹃喩伽論﹄巻九十の文では﹁意楽﹂

四 在

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

虚不

レ能

レ対

レ実

⑮ 

是故

破壊

また︑覚醒時の心であっても︑

︵是

れ夢

心は

微弱

なる

が故

に集

成す

るこ

と能

はず

︵悪

業は

非理

(25)

レ雖

好必

因︱

︱舎

1

人を

して

供養

せし

むる

や︒

答へ

て日

く︒

信浄

心は

二因

縁よ

り生

ず︑

一に

は内

に正

憶念

︑し

1

には

外に

良き

福田

有り

︒臀

へば

︑好

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

答曰

信浄

心従

己一

因縁

一生

一者内正憶念︑二者外有=良福田

⑰ 然後得1

大果

報↓

臀如

下有

ー一

好穀

1田又良美

一 九

問日︑若福徳在二仏心↓仏何用レ砕n

身如

二芥

子云

里人

供養

f

所収必多上

︵問

ふて

日く

︑若

し福

徳︑

仏心

に在

らば

︑仏

︑何

ぞ身

を芥

子の

如く

砕く

こと

を用

ひて

﹃大智度論﹄巻五十九︑釈校量舎利品︑ 十九・巻六十の次の文にも窺われる︒ 決まる︑ということである︒これと同様の考え方は︑

五 在

不能対実是故破壊﹂の文も示している︒また︑﹃論註﹄は︑千歳の閤室を破る光の替えで示している︒

是故心 かし︑虚妄顕倒見によるよりも実相法を聞く心による方が︑また︑非理によるよりも是理による方が︑所起の業ほ重いとする判断基準ほ︑前のことばでいえば︑世俗的因果律の支配する世界と︑勝義的因果律の支配する世界の対立の上で考えられたものであり︑そこでは︑勝義的因果律が優先している︒そのことを︑前所引の﹃摂大乗論釈﹄の﹁虚

造罪人が妄想心に依止して煩悩虚妄の果報である衆生を所縁として罪業をなす︑あるいほ︑十念が︑無上の信心に

依止して︑阿弥陀如来方便荘厳真実清浄無量功徳の名号を所縁として生じる︒これらの場合の所縁の在り方︑これが

⑯ 

在縁である︒﹃論註﹄では︑菩薩摩阿薩の名を聞けば︑貪.膜.擬の一二毒の箭が抜ける︑という﹃首拐厳三昧経﹄巻上 の喩を出している︒この湯合︑菩薩摩阿薩の名が所縁である︒前掲︵一六頁︶の﹃喩伽論﹄巻九十の文では﹁田﹂がこ

れに相当する︒これは︑善業・悪業が凡夫・有徳者・聖者などに向かってなされる時︑その対象に応じて業の軽重が

﹃大智度論﹄の︑福田が大であれば福徳が大きい︑と説く巻五

(26)

﹃大智度論﹄巻七十五︑釈夢中入三昧品︑ 次の文は在心・在縁の両者を説いている︒ に挙げる諸文は所縁そのものを指している︒

き穀

子有

りて

田も

又︑

良美

なれ

ば︑

所収

必ず

多き

が如

し︒

是の

故に

︑心

︑好

しと

雖も

︑必

ず舎

利に

因り

て︑

なる

り︒

︶ 教是人般若波羅蜜正義

1者其福最多︒何以故︒福田大故

に至る中問の︺是の人に般若波羅蜜の正義を教ふる者は︑其の福︑最も多し︒何を以っての故なるや︒福田大なるが故なり︒福

﹁福田﹂が在縁に相当する︒また︑前掲︵一八頁︶の﹃摂大乗論釈﹄巻十二の直前に説かれる次の文も︑在縁で

従レ

1一正

説︱

に於

いて

信楽

を生

ず︒

の此

信楽

に由

りて

四悪

道業

を破

壊す

るな

り︒

︶ 人が正説を聞くことによって無分別智に対する信楽が生じる︒この場合の﹁正説﹂はまさしく所縁である︒

これら諸文は︑行為の対象そのものを指しているが︑しかし︑行為の対象とても︑

になり︑然るのちに行為が起こされるから︑行為の対象とても﹁所縁﹂と解することができる︒これらに対して︑次

若人 ⑮ 

1

分 別 聟 生

1 1一信楽一由

此信

楽一

破︱

︱壊

四悪

道業

真諦訳﹃摂大乗論釈﹄世親釈巻十二︑釈依慧学差別勝相︑ あることを示している︒ 文

中︑

徳も

亦︑

大な

れば

なり

︒︶

﹃大智度論﹄巻六十︑釈校量法施品︑ こ

なの

か︑

﹁内正憶念﹂は在心︑

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

⑱ 

福徳

亦大

﹁外有良福田﹂は在縁に相当する︒

一度︑思の対象︑すなわち所縁

︵若

し人

︑正

説を

く聞

こと

より

︑無

分別

然る後に大果報を得

︵︹

阿鞘

跛致

に至

り︑

阿鞘

跛致

より

己上

の仏

0

(27)

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

真業

業者身口業

⑳ 

因此四輝則心生︒

業とは身業

︹ 即

ち ︺

︵是

くの

如く

︑業

は因

︿釈

﹀如

レ是

業有

=因

縁元

'‑

1

因縁

示レ

思是

次のように釈されている︒

ざる

なり

︒︶

舎利弗︑有レ縁故業生︑不

1盈炉無レ縁生ー有レ縁故

︿経

﹀・

舎利

弗︑

如レ

是如

レ是

無レ

縁業

不レ

生︑

不乙

従下

1

見聞

覚知

一法

中上

心生

i是中心有レ浄有レ垢︒以レ是故

⑲ 思生︑不1

従レ

無レ

縁生

︵舎

利弗

ょ︑

是く

の如

く是

くの

如く

︑縁

無け

れば

業生

.せ

ず︑

縁無

けれ

ば思

生ぜ

ず︑

縁有

れば

業生

じ︑

縁有れば思生ず︒見聞覚知の法中に於いて心生じ︑見聞覚知せざる法中より心生ぜざるなり︒是の中︑心には浄有り︑垢有り︒

是れを以っての故に︑舎利弗ょ︑縁有るが故に業生じ︑縁無きより︹業︺生ぜず︑縁有るが故に思生じ︑縁無きより︹思︺生ぜ

この中︑前半の﹁於見聞覚知法中﹂は在縁を示し︑後半の﹁心有浄有垢﹂が在心を示している︒

身口業為レ思故名為レ業

無一

一因

1

無レ

縁思

不レ

生︑

思有

1

1

縁一

生 是三業因

1

四種

有レ

縁業

生︑

若見若聞若覚若知︱

有レ

縁思

生︒

ひき続いて︑これは

思者但意業

縁有れば生じ︑因縁無ければ生ぜざるなり︒思は因縁有れば生じ︑因縁無ければ生ぜざるなり︒業とは身口業なり︒思とは但だ

意業なり︒思は是れ真の業なり︒身口業は︹真の業たる︺思の為の故に名づけて業となすなり︒是の三業は四種の法︑

若し

くは

見︑

若し

くは

聞︑

若し

くは

覚︑

若し

くは

知に

因る

︒此

の四

種に

因り

て則

ち︑

心生

ずれ

ばな

り︒

これによれば︑業は因縁︵因・所縁︶によって生じ︑思も因縁︵因・所縁︶によって生じる︒

口業であり︑思とは意業であるが︑真の業は思であり︑身業・ロ業は︑それの生起するもとになっている思が業であ

る辺より︑業と称されるのである︒そして︑

この

うち

心︑すなわち思は所見・所聞・所覚・所知の四法によって生じるので︑

身業・ロ業も所見・所聞・所覚・所知の四法によって生じる︒このなか︑所見・所聞・所覚・所知は︑心にとっては

所緑であるから︑業も所縁によって生じるといえる︒これ︑所縁←思←身口業と図式化することができ︑また︑それ 於

t

1見聞覚知法中心 i

生︑

(28)

︿釈

﹀諸

法雖

ーニ

空遠

=離

⑳ 

取レ

相因

1生 ︒

而凡夫取レ相有1一因絋故業生

若不

レ取

レ相

1

因縁

1

︵諸

法は

空に

して

相を

遠離

すと

雖も

︑而

も凡

夫は

相を

取り

︑因

縁有

るが

故に

業生

ず︒

若し

相を

取ら

ず因

縁無

れば

︑則

ち生

ぜず

︒是

の故

に︑

一切

の業

は皆

︑相

を取

りて

因縁

より

生ず

るな

り︒

則不

レ生

是故一切業皆従

1 ‑

り ︒ ︶ れ

ば業

生じ

︑︹

所︺

縁無

きよ

り︹

業︺

生ぜ

ず︒

相を

取る

が故

︿経

﹀取

レ相

︹所

︺縁

有る

より

思生

じ︑

︹所

︺縁

無き

より

︹思

︺生

ぜざ

るな

⑲ 有レ縁業生︑不1

従レ

無レ

縁生

↓取

レ相

故有

レ縁

思生

︑不

ー盈

炉無

レ縁

生↓

︵相

を取

るが

故に

えられている︒

るか

ら︑

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

を所縁←身口業と簡略化することも可能になる︒したがって︑身口意の一一︳業は所見などの四種の法︑すなわち所縁に

よって生じるのである︒この湯合︑眼識などの所縁である色などの六境を所縁にする︑と説かないで︑見聞覚知の四

法と説くのは︑随念分別・計度分別などの記憶・判断の作用をもつ第六識︑すなわち思に対する所縁の意味を示すた

めであろうか︒したがって︑前所引の文中の﹁因縁﹂を因・所縁の意味に解することができる︒ーー'業の生起にほ︑

所縁のみでなく︑諸因が必要であるから︑因が含まれることは勿論である︒もっとも広義に解すれば︑所縁も因であ

﹁因縁﹂を因

(h

et

u)

・所

(a

la

mb

an

a)

1 1 解さないで︑因縁

(h

et

u,

pr

at

ya

ya

)と解することも可能である︒し

かし︑今ほ所縁を明示することが必要であるから︑因・所縁と解するのが妥当であろう︒ーー'心が所縁によって生じ

る︑即ち有所縁であることは﹃倶舎論﹄根品第三十四頌などにも説かれており︑心が何らかの所縁を持つことほ仏教

一般の考え方である︒したがって︑そういう有所縁の心︑すなわち︑思によって一二業が起こされる︑という点からみ

れば︑業が所縁によって生起するということほ︑当然の帰結としていいうる︒このことは︑更に次のようにも言い換

﹃大智度論﹄巻七十五︑釈夢中入三昧品︑

︹所

︺縁

(29)

これは︑前掲︵一六頁︶の﹃喩伽論﹄巻九十の文では︑

決定猛健故︑勝

1百歳行力↓是後心名為

1 1

﹁加行﹂に相当する︒また︑

在 決 定

ギ く

~ー と釈している︒これは浄心・不浄心によって福業・罪業の別が生じる︑

このように︑業ほ所縁によって生起するから︑業の軽重ほ所縁によって左右される︑というのが在縁である︒

前述︵一七頁︶した如く︑阿毘達磨仏教などでも︑業の軽重は﹁田﹂によって左右されると説くが︑いずれかと言え

﹁田﹂ほ心を離れた外的のものである︒それを心に密着した所縁によって左右されると説くところに︑称名・念

仏という内観の世界が窺われ︑在縁の特色がよくでている︒

在決定は次のように説かれている︒造罪人は︑最終的な決断をせず︑

な心によって罪業をなすが︑具足十念者は︑最終的に決断し︑他を振り向かずそれに傾注し︑

断に続けるという心によって十念する︒このような︑決断する心の在り方︑これを問うのが在決定である︒

﹃大智度論﹄巻二十四︑初品十力釈︑

是 心 雖 蒔 頃 少

1而心力猛利︒如レ火如レ毒雖レ少能成

1

大事

↓是

垂レ

死時

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

浄︹

心に

よる

︺は

罪業

なり

︒浄

︹心

によ

る︺

は福

業な

り︒

﹃大智度論﹄巻七五︑釈夢中入三昧品︑

ひたすらそれのみを不 一途にそれに向かわず︑途中で放棄するよう ここでほ︑相を取る︑すなわち対象を把握すると明言されている︒この﹁相﹂ほ︑

また︑前掲︵ニ︱頁︶の経文﹁心有浄有垢﹂は次のように釈されている︒ まさしく所縁に他ならない︒

⑳ ︿釈﹀是心随忌盆笠生︑或浄或不浄︒不浄罪業︑浄福業︒︵是の心は因縁に随って生ず︑或いは浄︑或いは不浄なり︒不

と説いているから︑これは在心に相当する︒

(30)

決定はそのなかのひとつを受けている︒

ら過

去の

業は

熟し

て則

ち報

を受

くる

も︑ ⑲ 

大心f

以下

1 1

及諸

根ー

事急

上故

なんな

と雖

も能

く大

を事

成す

︒是

の死

に垂

むと

する

時の

心は

︑決

定し

猛て

健な

るが

故に

︑百

歳の

行力

に勝

る︒

是の

後心

を名

︑︑

つけ

て大

と為

す︑

身︑

及び

諸根

を捨

つる

事︑

急な

るを

以っ

ての

故な

り︒

︶ と説かれるなかの︑臨終時の心の在り方は︑在決定に相当する︒ここでは︑臨終時の心が︑

行力に勝ることが示されている︒それは︑火や毒の如くわずかであっても︑威力は絶大である︒あたかも︑血まなこ

になり︑汗水たらし長年月をかけて累々と築きあげた宮殿が︑

九初の功を一簑に栃くが如きさまを呈する︒そういう火の威力を︑この火喩は示している︒臨終時の心は︑終身︑燃

やし続けた熾烈な煩悩の炎を︑

を開くのである︒

また︑前掲(‑五頁︶の﹃中論﹄の﹁随重而受報﹂を釈する吉蔵﹃中観論疏﹄巻八本は重業の果を先に受ける︑と説

一生業無

1 11軽重

而一生業不泣入レ報︒又自有下過去業熟則受レ報︑

⑬ 

1一現行滑利業涵合報也︒

て︑

現行

する

滑利

の業

に従

って

報を

く受

るも

の有

る也

︒︶

と説いている︒この﹁臨終猛利業受報﹂は在決定の事実を示している︒総じて︑この疏は︑

しながらも︑様々な受報の仕方があり︑それをひとつの型で押し通すことはできない︑と説いている︒

有︱

︱臨

終猛

利業

受レ

いた

あと

で︑ ﹃

往生

論註

﹄の

想思

的背

一生

の業

を用

ひず

︑亦

臨︑

終の

業を

用ひ

ざる

もの

有り

︒又

︵臨

終の

猛利

の業

は報

を受

くる

も︑

﹃論註﹄の在 一応は﹁随重前受報﹂と 一

生の

業に

は︑

軽重

無く

一生

の業

は報

を受

けざ

るも

の有

り︒

︑又

︵是

の︹

死に

臨む

時の

︺心

は時

頃︑

少し

と雖

も心

力猛

利な

り︒

火の

如く

︑毒

の如

く︑

少し

それ以前になした終身の

たばこの火のような細火がもとで灰儘に帰し︑

まさ

に︑

たちどころに鎮静させるほどの威力をもち︑悪業の報いを転化させ︑往生浄土への道

不レ

‑ 1

一生業一亦不中レ用臨終業i

又自

有下

(31)

②  ① 註

る︑そのように思えてならない︒

︱︱一在釈を纏めて説くのほ︑三︑所掲の﹃喩伽論﹄巻九十の文であるが︑三在の個々を散説した形で︑﹃大智度論﹄

﹃中論﹄﹃摂大乗論﹄なども一二在を説いている︒

れらを踏まえて論を進めている︑と言える︒そして︑三在釈では︑世俗的因果律を重視し︑それに沿いながら︑最終 的にはそれを超えた世界が展開される︑という手法が用いられている︒

正法を聞くことによって無分別智に対する信楽が生じ︑この信楽によって四悪業が破壊される︑

界で

ある

︒ いかなるものをも切断破壊する金剛剣が存在するのに︑それを信じられず︑

のに拘泥し︑それのみに頼っている︒この一二在釈は︑そういう凡夫の愚を誡め︑それの非を諄々と理論的に示してい

﹃論

註﹄

巻上

︑真

聖全

一・

︱︱

1 0

i ‑

1

︱ ︱

0

﹃十

善業

道経

﹄一

巻︑

大正

一五

・一

五七

ー一

五九

中︒

明﹃

往生

論註

聞書

﹄︵

以下

﹃聞

書﹄

︶巻

四︑

真全

書︱

‑.

一五八︒恵然﹃浄土論註顕深義﹄︵以下﹃顕深義﹄︶巻

﹃往

生論

註﹄

の思

想的

背景

七 ま

③ 

一巻

二五

大正一七•四五七下1四五八 前所引︵二

0

頁︶

このように︑臨終時や信の一念にその人の総てが覆され︑新たな世界が開けるということは︑世俗的因果律の支配 する世界では到底︑考えられない事象である︒これ︑それを超えた勝義的因果律の支配する世界の所論である︒

したがって﹃論註﹄の一二在釈は︑中観・喩伽︑両派に某盤を置き︑そ

﹃摂大乗論釈﹄巻十二に︑

と説かれるが如き世 五十歩百歩の相違しかないも

︵昭

和五

十七

年九

月十

二日

︵龍

谷大

学︶

五、真大系七•四一四。慧雲『往生論註服宗記』(以下

﹃服

宗記

﹄︶

巻一

︱‑

︑真

全書

一 O ・

七六上︑深励﹃浄土論

註講

義﹄

巻六

︵以

下﹃

講義

﹄︶

︵法

蔵館

︑昭

和四

九年

︶︱

︱︱

五七

頁下

﹃十

不善

業道

経﹄

参照

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