はじめに
20 世紀後半、政治・経済・環境等のシステムの中で、グローバル化が急速に進み、
人々は「地球市民」への転換を余儀なくされたきた。しかし、それと同時に 1990 年 代以降、世界各地の先住民や少数民族の間では、伝統文化や言語復興運動が盛んに展 開されてきている。山田(2012:362)は、「グローバル化が進む一方で、人々は民族 的、局所的(ローカル)あるいは小地域的(ミクロ・リージョナル)な価値、考え方、
観念の共有をますます尊重する傾向をもつ」としている。また、「このことは、グロー バルな存在へのアイデンティティ化は必ずしも一本的とはなりえなく、人間はむしろ より狭い範囲の身体的に知覚できる、民族的、ミクロ・リージョン的集団への帰属意 識を求めることー地域性の発露と呼ぶ事もできようーを示しており、その中核として 伝統文化あるいは伝統が位置するといえる。」とも述べている。伝統とモダニティと の共生が意味するところとして多数派への同化が進む一方で、伝統文化の復興や再活 性化をとおして、集団としての独自性の維持・表出を図ろうとしているというのであ る。つまり、グローバル化が進行していく一方で、人々はミクロ・リージョン的集団 への帰属意識を求め、地域性を発露していく傾向が、同時並行で動いているというこ とである。
沖縄県宮古諸島多良間島は文化的・歴史的には決して小さな島という存在ではない が、面積や人口密度の側面からいうと、沖縄県宮古諸島のミクロ・リージョンの中の ミクロ・リージョンであることには違いない。その多良間島に居住する一握りのアジ
マイノリティとマジョリティを結ぶ日本語教育・
日本語教員養成の可能性
ー島のアジア系外国人女性住民達からの示唆ー
Japanese Language Education/Japanese Language teacher Training Courses and the possibility for connecting Majority and Minority Populations: Sugges-
tions from foreign Asian female residents of an Okinawan Island
大 城 朋 子
Tomoko OSHIRO
ア系外国人女性住民達に面談を行った。その理由は、なぜ過疎化に向かっている島に 彼女達はいるのだろうか、島の小さな社会での彼女達の日常はどのようなものなので あろうか、島の人達との折り合いはどうやってつけているのだろうか、日本語教育や 日本語教師養成の立場から何かできることがあるのだろうか、等について考えてみた いという思いからであった。そして、多良間島の社会での彼女達の存在や状況から、
ミクロであるからこそ見えてくる異文化適応や日本語教育の原点のようなものがある のではないか、また、生活日本語への根源的な示唆が得られるのではないかと考えた ことが発端であった。
大きくまとめると、次の①から④の事柄を、地域社会に関わる課題等を交えて考察 したいと考えた。
①グローバル化とミクロ・リージョン的価値観の尊重の機運が同時に流れる中で、
多良間島のマイノリティであるアジア系外国人女性住民達はどのような存在な のであろうか。多数派との関係性や地域性の発露はどのようなものなのであろ うか。
②アジア系外国人女性住民達のカルチャーストレスや異文化適応はどのような過 程を経ているのだろうか。
③生活や日本語学習の環境はどのようなものなのであろうか。
④日本語教育や日本語教員養成へ示唆するものがあるのだろうか。
1. 日本語教育の流れと役割の変化
多様な社会文化を背景とした多様な個人を対象とする日本語教育は、社会の変動の 中で変化し続けてきた。その変化を、細川(2011:21–22)は、日本語教育の大きな 流れを次の⑴から⑹のようにまとめている。⑴戦後の日本語教育は戦前の植民地教育 としての国語教育から離脱をした⑵国語教育における文学鑑賞の世界から実際的な言 語教育へ変化してきた⑶ 60 年代から 70 年代にかけての語彙・文型リストの整備を行っ てきた⑷ 70 年代から 80 年代にかけてコミュニカティブ・アプローチの影響のもとコ ミュニケーション能力育成に力が注がれた⑸文法・語彙・発音・漢字の運用知識を高め、
その用法・機能を教えることが画一的になされた⑹日本語教育の効率的で効果的な教 育方法をめざしてきた。
1990 年の「出入国管理及び難民認定法」改正施行以降は、日系人が流入したことで
地域の外国人住民が着実に増え続け、それに伴い外国人と日本人との直接的な接触も 増加していった。80 年代にはコミュニケーション重視の流れであったが、それに自律 的・協働的に日本語能力が構築されていくことを重視する流れが加わるようになった。
つまり、小さな地域社会であれ、その構成員としての参加が保障されることが重視さ れるようになってきたのである。学習者は「受動的に知識を受け取る人」ではなく、「自 律的/協働的に自身の学習を進める人」と見なされるような、一つの教育理念に新し い流れが加わり多様性が認識されるようになってきたのである。時代の流れと共に、
日本語教育の役割は大きく変化してきたのである。
それが、日本語教育の第2のパラダイム・シフトと言われているもので、それから、
更に 20 年が経過した現在の日本社会のこれからの流れに、佐々木(2013:2)は、「マ イノリティとの連携」という表現を用い、「これからの社会は、ある地域に生まれ育っ た、マジョリティと呼ばれる中核的な人々だけを視野に置く形では成り立たたないか らです。マジョリティとマイノリティの連携、マイノリティ同士の連携があってこそ、
個人個人も、そして、この社会も成り立っていくからです」としている。「地球的な 規模の移動・通信の時代にあって、いつ、だれがマイノリティになってもおかしくあ りませんし、どの社会もマイノリティの参加なしには成立しません。社会はマイノリ ティを排斥するのではなく、貢献してもらうことで存続するのです」と明言している。
更に、佐々木は、マイノリティ・ネットワークの連携の強さを挙げ、日本語教育の仕 事は、マイノリティとマジョリティとを結ぶコミュニケーション能力を育てるところ にあるのではないかと提言している。佐々木の言う「マイノリティ」の概念は、在日 コリアン、在日ブラジル人という民族的な違いだけでなく、障害、性別、年齢、人種、
宗教、性的指向等にも拡大される。意識しようがしまいが、日本社会も多種多様なマ イノリティの構成員から成る「多文化共生社会」であることは間違いなく、また、そ れぞれのマイノリティの構成員が持つ「多言語社会」でもある。このような社会の現 実を受け止め、多様な個々が自身の声を持ち、それを発しながら協働的な暮らしを営 み幸福を追求していくことができるような社会づくりに向かっていかなければならな い。そのような豊かな社会づくりのために、日本語教育は、マイノリティとマジョリ ティ、そして、マイノリティとマイノリティを結ぶ役割としての可能性を持っている のではないかと考える。その可能性を多良間島の外国人女性住民達を通して考えてみ たい。
2. 本研究の目的
「はじめに」で述べたような見地に立ち、沖縄県宮古諸島多良間島というミクロ・リー ジョン的集団の中で生活するアジア系外国人女性住民達の日常を垣間見、日本語教育・
日本語教員養成への示唆を得たいと考えた。
地域社会に定住していく外国人女性住民達はアジアからの女性が大半であり、マイ ノリティであるため社会的弱者の立場に立たされやすい。そのような女性達が、なぜ 過疎化に向かっている島にいるのだろうか、島社会の日常生活で何か困っていること はないのだろうか、あれば日本語教育・日本語教員養成の立場から何かできることが あるのだろうかということが発端であった。
そして、従来の日本語教育・日本語教員養成の在り方が、多良間島というミクロ的 社会の中のマイノリティの人達に応用できるのかということも考えてみたかったし、
また、マイノリティのアジア系外国人女性住民達の経験が日本語教育に示唆するもの があるのだろうかということも考察したいと考えた。田中(1996:23)は、教える側 と教えられる側、ケアする側とケアされる側という力関係の固定化を懸念し、「自然 習得のかたちで日本語を身につけ、日本人側は教えるのではなく、コミュニケーショ ンに参加することによって支援していくという、新しいかたちの、日本語を教えない 日本語教育を創造していかなければならない」としているが、その意味を調査を通し て考えてみたかった。つまり、日本語教師が適切だと感じる日本語運用の型や日本人 同士のコミュニケーションを手本にして作られた「正しい」コミュニケーションの形 を学習者が効率よく身につけるという、従来型日本語教育の是非をアジア系外国人女 性住民達の生活に問い、そして、ミクロ的リージョンで生きる女性達にとって生きる ための日本語能力やコミュニケーション能力とは何なのか考えてみたい。また、彼女 達の異文化適応の過程はどのようなものなのだったのか、マイノリティ同士の連携や、
マイノリティとマジョリティの人々との連携等について、地域社会に生きるというこ とと「ことばの学び」の視点から考えてみたい。
具体的には以下の内容で聞き取り調査を実施し分析を行った。分析の妥当性につい ては、本研究は量的な広さや統計的な研究ではなく、あくまでも質的な研究であるた め一般的な結論を導くことはできないが、分析や洞察を重視ししたものとなる。
⑴ 島で生活するようになった経緯と日常
⑵ 異文化適応の過程と地域社会での日常生活について
⑶ 地域のマジョリティの人達との連携/マイノリティ同士の連携について
⑷ 日本語能力と日本語学習について
⑸ 要望他
3. 沖縄県全体と多良間島の外国人登録者数
多良間島は沖縄本島から遠く離れた宮古郡多良間村に属する島で、面積約 20㎢、人 口 1,264 人、534 世帯数の小さな島である(平成 25 年7月末現在)。多良間村は多良 間島と水納島の2つの島からなっているが、水納島の人口は2世帯5人という極少人 口であることから本調査は多良間村で行なった。多良間島の主産業は、サトウキビや 葉タバコ栽培、肉用牛の牧畜が中心となっている。このような島でアジア系外国人女 性住民達は暮らしている。
(1)沖縄県全体
日本全体の外国人登録者数の割合を県別に見てみと、東京の 3.19%がトップで、
2%を越えている県は、群馬県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、京都府、大 阪府などであり、首都圏あるいは工場・商業地帯に外国人が多く居住している。
全国に居住する外国人の割合は 1.64%となっているが、沖縄県は 0.65%となって いる。1,422,938 の沖縄県民のうち外国人登録者数は 9,276 人で、九州では福岡に 次いで割合が高い県となっている。沖縄県の国籍(出身地)別外国人登録者を、
全国との比で、「平成 23 年版在留外国人統計」(法務省)に見ると、表1のよう になっている。総じて、アジアからの外国人が多く、次に北米、そして南米となっ ている。沖縄に集中する基地、そして、移民を含めた沖縄の歴史や地理的条件が 深く影響していることが伺える。
アジア系の外国人登録者数の上位 10 ヶ国
(地域)を見てみると図 1 のようになり、中 国人とフィリピン人が突出して多い事が分 かる。以上は、沖縄県全体の統計であるが、
では多良間村の外国人登録者数はどうなの だろうか。
(2)多良間島
宮古諸島多良間島の人口(平成 25 年2月末現在)は、1,289(+ 5)人で男 686 人、
女 603 人となっている。かつては約 2000 人もの人口がいたという。その中で外国人 登録数は 20 人と少ない。沖縄県の人口(1,422,938)の 0.001%にも満たないのが多良 間村の人口であり、その多良間村の人口の 1.5%が外国人数なのである。多良間島の 人口からすると外国人居住者が少ないことも不思議ではないが、離島の中の離島とい う多良間島の位置や規模から考えると外国人がそこで生活していることが不思議に思 えるのである。それこそ、ミクロ・リージョン的集団の中のマイノリティとして多良 間の島で生活しているのである。多良間村の人口の推移をみてみると、平成元年には 1,633 人で、その間増減の変動はあるが、平成 25 年には、1,289 人になっている。昭 和 25 年の 3,800 人から、昭和 55 年には 1,667 人となり、30 年間で約 2,100 人も急減 した経緯があるが、近年減少率が低くなり横ばい傾向が見られるという。65 歳以上 人口が約 15%になっていて若年層が少ないのも多良間島の人口の年齢構成の特徴であ る。そのような島に 20 人の外国人登録者が暮らしているのである。
外国人の国籍別登録数を多良間村公式ウェブサイトで見てみると、表 2 のようにフィ リピンとベトナムの2ヶ国からの外国人に絞られている。男女比を見ると、男性に比 べて女性の数が圧倒的に上まわっている。
女性の合計 17 人は、多良間でサトウキビ農業を営む男性達に嫁いできた人とその 娘達の数で、男性3人というのは、来日前の結婚で生まれ、結婚後に呼び寄せた子供 達の数であるということであった。
4. 宮古島市と多良間村のアジア系外国人女性住民達の全体的な特徴
福岡入国管理局那覇支局宮古島出張所の担当者の話しによると、平成 18 年度に興 行ビザが厳しくなってからは、それまで興行ビザで多くが入国していたフィリピン人 にとって厳しくなった現状があるということであった。興行で島に来た女性達は、資 格外労働、つまりスナックなどで働いている間に地元の男性と知り合い結婚するケー スが多く、フィリピン人の定着率は高いということであった。しかし、永住権を取っ たあと離婚するケースも多いということであった。因に永住権は3年で取得できるの で、その間、なんとか凌いで次の道を探すこともあるようだ。全国的に、そういった 女性達にはフィリピンやタイからの女性が多いようだが、宮古島ではタイからの女性 の話しは出て来なかった。宮古島のフィリピン人女性等は、来日前にフィリピンで既 に結婚していた人も多く、フィリピンに残してきた子供達を後から呼び寄せるケース もよくあるということであった。呼び寄せられた子供達は、16 歳ぐらいになると高校 には行かずに、他の地域に働きにでることが多いという。その際には他府県のフィリ ピン人社会が支援をし、工場等での仕事につく事が多いということであった。また、
彼女達は、島での生活に多額のお金が要らないことや多産系ということから、他所へ の移動率は低い傾向にあるということであった。そして、結婚相手との年齢差は 15 〜 30 歳ぐらいで(女性 20 代〜 40 代と男性 40 代〜 60 代の組み合わせが多い)、農業に従 事し家を所有している男性との組み合わせが多いようである。
近年では、上記のようなケースに加えて、いわゆる農村花嫁のケースが増えていて、
若い女性不足に悩む農村地帯では、特に、多良間のような小さな島では、自治体が結 婚の斡旋に音頭を取るというよりも、島外のブローカーの介入で結婚が成立するよう である。ブローカーの中には悪質な結婚斡旋業者もあり、多額の金額を日本人男性側 にも外国人女性側にも要求するケースも多いという。ケースバイケースのようである が、中には 200 万円から 400 万円を日本人男性側が支払い、外国人女性側も 80 万円 程度支払うケースもあるという。また、男性側が多額の金額を払っていることもあり、
お嫁さんを使用人のように扱う傾向もあり、すぐに破綻するケースや失踪するケース
があるのも現状のようである。失踪した女性達は知人を頼り、離婚が成立した場合に は滞在資格がなくなることもあり別の男性との結婚を急ぐケースもあるという。
所得層の高い男性は既に結婚しているので、現在は所得の低い男性との組み合わせ になっているということであった。そのため、国への送金ができない等の不満がお嫁 さん側にはあるようである。また、夫の方に遺産問題がある人は離婚手続きをする人 もいるという。近年では、ベトナムの農村出身の女性が増え、多良間村にも4人のベ トナム人が生活しているということであった。
以上は多良間島を含む宮古島市全体のアジア系外国人女性住民達の傾向であり、そ のほとんどの女性達が学歴は高くない。このようなアジア系外国人女性住民達とは対 照的に、宮古島市在住の欧米系住民(男性が主)の多くが、大学の文系以上の学歴を持っ ている。その多くは他府県人と結婚していて退職後に(特に米軍退職後の人が)移住 してくるということであった。特に、東日本大震災後に、宮古島島に移住して来る人 が増え、建築ラッシュになっている地域もあるということであった。そのような人の 移動の中で、多良間島に住むアジア系外国人女性住民達の日常はどのようなものなの だろうか。自治体の職員や、アジア系女性住民達3人に面談することができたので下 記にまとめてみる。
5. 多良間島のマジョリティ側から見たアジア系外国人女性住民達の事情
多良間村役場の職員によると、多良間村のアジア系外国人女性住民達は、ほとんど が 10 年以上も多良間村に定住している者が多く、その中の1名は離婚をしているが、
3人の子供がいるため島に残っているということであった。役場の人によると、アジ ア系外国人女性住民達のほとんどが読み書きはできないということであったが、村や 部落の行事等の集まりにはよく参加し、ダンスサークルなどでも普通に村民と接して いるということであった。また、夫の親戚が隣に住んでいたりするので、関係が緊密 で必要な時には援助があるため、「日本語教室の開催」や「行政の案内」等の外国人 に特化した支援は、行政側では行なっていないということであった。
多良間村の小学校には 105 人の児童、中学校には 59 人の児童がいるが、外国籍の子 供は1名のみで母親は外国人であっても子供達は日本国籍を持っているということで あった。そして、日本語教育の必要のない子供達であるという。つまり、多良間島で 生まれ育った子供がほとんどで、後に呼び寄せた子供も日本語の問題はないというこ
とであった。また、中学校までしか島にはないので、高校へ行くには、近くても宮古 島へ渡るしかなく、親の負担が大変なものになるということであった。
6. 定住の過程と日々の暮らし
3人のアジア系外国人女性住民達へのインタビューで、彼女達の「生の声」を直接 聞く事ができたが、調査者と対面している状況にあったことから「調査者の影響」が 全くないとは言えない。そのような状況の中での面談調査から、本稿では彼女たちの コメントから重要な要因を抽出した上で、その要因について異文化適応や日本語教育、
そして、マイノリティ同士、そして、マイノリティとマジョリティの関係を考察して いった。3人のインタビューの結果から一般的な結論を導くことはできないが、分析 や洞察を重視ししたものとなる。
(1) A さんと B さんの場合
Aさんも B さんもフィリピン出身で、島のある施設で仕事をしている。客用テーブ ルを挟んで、調査者二人とAさんと B さんの四人がグループ会話に近い状況の中で話 しをする事ができた。一対一の面談ではないということ、また、いつもの仲間と一緒 であるという状況が緊張度の低い状況を生み出し、比較的自然な談話が行なわれた。
二人は時にはお互いの顔を見ながら確認をしたり、話しをお互いにふったりしながら 会話が進んでいった。二人は元来親和的性格であったかも知れないが、調査者の二人 が女性であったことも加味してか話しは途切れる事なく続いた。二人のおおまかな背 景は以下の通りであった。
Aさんは、フィリピンの地方出身で 30 代中盤である。他のアジア系外国人女性住民 達とその配偶者との年齢差と比較すると、A さん夫婦の年齢差は小さい。子供は小学 校低学年の児童一人のみで、3年前から現在の職場で働いているということであった。
それ以前は、子育てに専念していたという。
B さんは 40 代前半で、小学校低学年の女児が一人いる。現職についてから5年にな るが、日本語は3年間製糖工場で仕事をしながら覚えたということであった。
二人は、多良間島に来た時には島があまりに小さいので驚いたが、子供がいるため、
今日まで我慢してきたという。配偶者が暴力をふるう相手ではないので大丈夫だが、
寂しい気持ちは拭えないと断言していたのが印象的であった。フィリピンに5年の間
に一回だけ帰国した。しかし、国へ帰るのに、飛行機を4回〜5回も乗り換え降りた 後も乗り継ぎあり、また、おみやげも準備しなければならず、大金が必要になるので 厳しいということであった。農繁期の時に製糖工場で仕事をすればいい給料がもらえ るが、農繁期は一年に3ヶ月しかないため、給料は少ないけれど今の職場で仕事をし ているということであった。他のアジア系外国人女性住民達(ベトナム人女性達)と 話しをするかどうかと問うたところ、ほとんどしないということであった。しかし、
地元の人達にはフィリピンの事を少しだけ教えることもあるということであった。
彼女達の希望を聞いたところ、多良間島に高校が欲しいということであった。そう すれば、子供達は中学を卒業したら宮古島に行く必要もなくなり、また送金をしなく ても良くなるからということであった。この事は、何もアジア系外国人女性住民達の 希望だけではなく、島全体の希望でもある。また、AUとかファミリーマートなどの 店が欲しい、車の免許も取りたい、日本語、特に漢字をもっと勉強したいという要望 も挙がった。
Aさんと B さんは、2人の子供を持つ友人が離婚し別の人と結婚したという話しを し始め、自分達が離婚した場合、生活保護が受けられるのか、また、このまま島に残っ たとしても、配偶者が先に逝った場合に、その財産(畑等)を分けてもらえるのかど うか等の質問を調査者達に投げてきた。このことからも、外国人女性の立場の危うさ や、見通しの不確実性からくる不安が大きいことが推察された。
(2) C さんの場合
C さんはベトナム出身で、30 代中盤である。10 歳以下の子供が複数人いて4年前に 多良間島に移住したということである。C さんは、半年程前から島のある機関で働い ているが、その前には他府県で仕事をした経験も持っている。現在は、週の半分はそ の機関で働き、残りは家業である農業の手伝いをしているということであった。
C さんには、ベトナム人の友人がいるが、その3人とはいつもベトナム語で話して いるが、同じ島のアジア系外国人女性住民達であるフィリピンの人達とはつき合わな いということであった。C さんは、N2に近いレベルの日本語を習得していて、更に 日本語を勉強したいと意欲的であった。日本語だけでなく、パソコンも習いたいとい う。C さんは、A さんや B さんのような明るく話し好きな雰囲気とは異なり、物静か な印象であったが、学びたいという気持ちが伝わってきた。
(3)日本語習得と地域社会との繋がり
日本語の勉強について、A さんや B さんは、学校へ通い始めた子供達に、特に読み 書き(ひらがな/カタカナ/少々の漢字)を教えてもらいながら一緒に勉強している ということであった。子供が小さいうちはいいが、大きくなり学校の勉強も複雑になっ ていくと、母親はどうなるのだろうか。A さんも B さんも日常生活でのコミュニケー ションには大きな問題はないとしているが、日本語の読み書きを習得したいと望んで いる。C さんは、他府県にいる時に日本語を学校で少し学んだため、A さんや B さん よりは、日本語教師が適切だと感じる日本語運用を行っていた。
しかし、総体的に3人の彼女たちの日本語能力は化石化を起こしており、日本人同 士のコミュニケーションを手本にして作られたいわゆる「正しい」日本語、あるいは 日本語教師が適切だと感じる日本語運用からは離れたものになっている。かといって 意思の疎通が難しいかというと、島で現在の生活をする上において成り立っているの である。つまり、彼女等マイノリティと島のマジョリティを結ぶコミュニケーション は、必要生活範囲内で成り立っているようであり、本人達も意思の疎通に問題がない と言っているのである。ただ、読み書き能力をつけたいという要望があるのである。
彼女達の生活環境は、夫と子供達や近くの親戚、そして、子供達の友人達とその家 族や近所の人々、学校関係者や地域の人々などに囲まれて生活をしている。個人差は あるようであるが、地域の行事等へも参加しているようであり、彼女達マイノリティ のそれぞれが「自分の声」で、現実の毎日を生きているのである。「日本語の学び」
の機会が島にないことで、特に困っているというわけではないが、読み書きが学べる 機会が欲しいと思っていることから、自分たちの日本語能力は十分ではないと感じて いることが伺えた。
役場の職員が「特に英語が話せるフィリピンの女性達は地域でも重宝されていて、
積極的に彼女達も島の人達と交わっているし、親戚達も皆で助けているので、特に役 場で手当をしていなくても大丈夫だと思う」というコメントにもあったように、フィ リピン人女性達は、ベトナム人女性達に比べて恵まれているようである。つまり、フィ リピン人女性達は、日本語の母語話者である島のマジョリティに英語を教えるという ケアする側にも立っているということもあり、多少の力を持っているが、ベトナム人 女性達は、関係性構築の茅の外に置かれてしてしまってようでもあり、フィリピン人 女性達の立場とは多少異なっているようであった。このように異なる出身国によって
も地域のマジョリティの人たちとの関係性のあり方やコミュニケーションの取り方に 異なりがあり、また、マイノリティという互いの間でも、関係性の構築やコミュニケー ションが十分取れていない側面もあるようであった。
7. 従来の日本語教育とコニュニケーション能力
多良間島のアジア人女性住民達のように、小さな島社会に定住していく生活者に とって、従来の日本語教育は適切な学習法なのだろうか。コミュニケーションの形 を学習者が効率よく身につけるという従来型教育の是非を問いたい気持を否めなかっ た。人口約 1,200 人の島に彼女達のための日本語を効率的に学習する場がまずは皆無 であり、これからもそのような場が設置されることは、そう簡単には望めない状況に あるのがその理由の一つである。そのような状況の中で、言語活動を通して自分と他 者をどのように結びつけていくのが良い方法なのだろうか。言語活動というのはこの 場合、日本語ということになるが、そのために、どのように日本語を学びエンパワー メントしていくことが望ましいのだろうか。彼女達の立場からすると、悠長に「望ま しいとか望ましくない」とか言っている状況ではなく、毎日を生きることと日本語の 学びとが同時平行で進行しているのである。そのような状況を垣間みることによって、
従来の日本語教育(言語学の分類である「文法・語彙・音韻・文字」の観点からの日 本語教育の方法や、コミュニケーションという観点からの「聞く・話す・読む・書く」
の日本語教育)が、はたしてどのように有効に働くのだろうかと改めて考えさせられ たのである。
別の見方をすると、教室における日本語教育、つまり、日本語教師が効率的に教え ていく場が存在する見通しもない状況だということは、日本人が常に優位に立った、
つまりケアする側としての日本語教育、田中のいう「抑圧者の言語」としての日本語 教育の現場が存在しないということでもある。そのような状況の中にいるのであるが、
本人達は力不足という気持ちや子供のように扱われているという気持ちを持ったり、
また、疎外感や無力感 ( リチャード・スミス :114) を抱いてはいないのだろうか。また、
そのような感情から島のマジョリティを回避する傾向にある人もいるのではないだろ うか。つまり、島のマジョリティと必要以上には交わらない、他のグループとも必要 以上には交わらないという回避の状況にある者もいるのではないだろうか。今の状況 は、言語的な能力を越えたところに彼女達の生活が流れている日常があり、言語的な
能力がなくても様々な方法で「声」を持っている / 持たざるを得ない女性達であるが、
そのような疑問が湧いてくるのを禁じ得なかった。
本人達は、特に漢字学習であるが、日本語を学ぶ場が欲しいと言っている。あれば 日本語能力が向上するばかりでなく、そこにくるマイノリティ同士の横の連携の強化 にも繋がっていく可能性もあろう。マジョリティとの繋がりも言語を通して強化され る可能性もあろう。しかし、方法によっては日本語を教える側の日本人との力関係が 生じる可能性もあろう。
面接を行なった3人は、大方、自然習得によって日本語を習得していった事例といっ ても良いだろう。3人の日本語によるコミュニケーションが成立しているのは、日本 語環境、教室型の環境とは異なる学習環境が保障されていたことによる。つまり、さ まざまな人々の日本語を聞き、反応する機会を通して一定程度の日本語を習得してき たことは間違いない。配偶者の親類縁者、子供達の学校関係者、近所の人々、パート 先の同僚達との日常の中での自然習得である。
自然習得は、教室で体系的に学ぶ学習に比べて時間がかかり、たとえ意思疎通は可 能でも稚拙な印象を与えたり、奇妙な反応をされたり、ひいては「弱い存在」などの 印象をもたれる可能性もあることから、非効率的な面もあるかも知れない。しかし、
効率性のみが非常に重要なのだろうか。それよりもコミュニティにとけ込んで、地域 の人たちと共に育児を行い、地域の活動に参加し、地域で少しでも豊かに暮らす知恵 を得、経験を重ねることのほうがより重要な事なのかも知れない。かといって、それ をしていくには、日本語の力があるに越した事はないのも事実である。しかし、それは、
日本人がケアする側にたった力関係のある環境の下でではなく、1 人の島民として対 等な生活者として暮らしていける環境である事が望ましい事は、言うまでもない。
そのような状況の中で、「ことばを学ぶ」教室のような場や機会が一つでもあると、
彼女達をホリステイックに支えていくことにも繋がる可能性もあろう。それが、マリ ノリティ同士の人間関係、また、マジョリティと彼女達の人間関係を紡ぐ環境や場と もなり得よう。「ことばを学ぶ」教室は、生き生きとした生活に繋がることが望まし いだろう。つまり、分化した一つ一つの能力の育成というよりもホリスティックで全 人的な生活者としての能力の支援を「ことばを学ぶ」活動を通してできるような支援 ができることが望ましいのではないだろうか。
8. コミュニティの中での「ことばの学び」
7. の項で述べたような「ことばを学ぶ」という日本語教育の可能性は、日本語教育 関係者だけで可能になるものではないことは言うまでもない。障害をもった人々や高 齢者、外国人住民等島の全ての人々が、豊かに暮らしていけるような社会のコミュニ ケーションスペース作りには、島に適した方法で努力を重ねていくことが鍵となろう。
アジア系外国人女性住民達にとっては「言語に依存しないスペース作り」( 田中 :34) がまず重要な場となろう。言語に依存しないからと言っても、日本語を全く使わない 環境もあり得ないので、田中が述べるように自然な形で日本語を使うことが大切だと いうことになろう。自然な形というのは、ことばとして理解しなければコミュニケー ションが成り立たないような使い方ではなく、見えるようなコミュニケーションとい うことである。田中は、アメリカの黒人女性のパッチワーク・キルト作りを例として あげている。体を動かして、一緒に作業をしながら何かを作り上げていくことを通し て、コミュニティへ自然にとけ込むことが用意になり、言語習得の自然な積み重ねの 入り口にもなり得ると述べている。多良間のアジア系外国人女性住民達にとっては、
一つの例として、多良間に色濃く受け継がれている伝統行事への参加が、米国のキル ト作りのように、コミュニテイへの入口にもなる得るのではないだろうか。山田(前掲)
のいう「より狭い範囲の身体的に知覚できる、民族的、ミクロ・リージョン的集団へ の帰属意識」の誘いにもなり、「地域性の発露」を喚起するきっかけにもなり得るの ではないだろうか。一つのコミュニティ・スペースとして、多良間島では、伝統文化 が位置していると言えるのではないだろうか。しかし、インタビューで答えていたよ うに、そのような場に参加しないグループもいるようなので、その人達のニーズも汲 み取り、必要があれば、別のコミュニケーション・スペースの創造、あるいは、既存 のものへの新たな取り組みを考えてみるのも一考であろう。
ここで言いたいことは、多良間島のような地縁血縁社会に、上述してきたようなア ジア系外国人女性住民達の支援がある程度できているという社会的文脈があっても、
マジョリティ側の意識的な施策があれば尚一層エンパワーメントされるであろうとい うことである。アジア系外国人女性住民達の全人格をそのまま受け入れることで、彼 女達の異文化適応を円滑にし、日本語習得を促し、ひいては、彼女達のエンパワーメ ントにも繋がっていくことになろう。そして、結果的には、それが、過疎化の波に飲 まれ込まれそうな島の豊かさにも繋がっていくことになろう。多良間島のように歴史
や伝統、そして重要文化遺産を大切に守りながらも過疎化に悩む地域は、日本の他の 地域にも多々存在するのだろう。しかし、社会文脈はそれぞれの地域において異なる ため、それぞれの地域に合ったコミュニティスペースの創造、地域の人々の思いに適 した自主的な試みが重要であろう。広い意味での日本語教室を含めた日本語学習環境 の創造も例外ではなく、個々のコミュニテイの中で考えていかなければならないこと は言うまでもない。
9. 地域の文脈の中での日本語能力
多良間島のアジア系外国人女性住民達は、日本語能力の中でも特に漢字学習を望ん でいるようである。彼女達が望んでいる日本語能力は子供達の学校からの連絡や指示 を直接理解し子供を支える能力、そしてコミュニティーとの文字を介した意思疎通も はかれる能力であることが推測される。そのような彼女達のニーズに、応える方法が あるのだろうか。
2010 年、文化庁審議会国語分科会の日本語教育小委員会は「生活者としての外国人 に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について」をまとめている。これまで の日本語教育の内容や方法は、各地域に委ねられ、主として自主的なボランティア活 動に支えられてきたが、指針となるような標準的なカリキュラム案を示したのである。
それは、日本語を母語としない住民が、地域社会の一員として社会に参加するために 必要な日本語教育の内容や体制整備の改善への取り組みであった。その総体的な目的 として、「言語・文化の相互尊重を前提としながら『生活者としての外国人』が日本 語で意思疎通を図り生活できるようになること」 (文化庁審議会国語分科会 : 2)を掲 げている。内容に関しては、最低必要とされる生活上の行為や場面の整理・選択を行 い、会話や談話例を取り上げ、学習項目の要素や到達目標や社会・文化的情報等を示し、
目標として以下の 4 点を挙げている。
①日本語を使って、健康かつ安全に生活を送ることができるようにすること
②日本語を使って、自立した生活を送ることができるようにすること
③日本語を使って、相互理解を図り、社会の一員として生活を送ることができる ようにすること
④日本語を使って、文化的な生活を送ることができるようにすること
上記①〜④のキーワードは、「健康・安全」「自立」「相互理解」「社会の一員」「文 化的な生活」であり、マズロー(1943)の「人間は自己実現に向かって絶えず成長す る生き物である」として示した「生理的欲求(Physiological needs)」「安全の欲求(Safety needs)」「所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)」「承認(尊重)の欲求
(Esteem)」「自己実現の欲求(Self-actualization)」の 5 つの欲求の段階が内包された内 容となっていると言っても良いだろう。
多良間のアジア系外国人女性住民達は、個人差はあろうが、日本語を使っての「健康・
安全な生活」という①の目標は、まずは達成しているようであるが、②の「自立した 生活」においては個人差があり、③の「相互理解」「社会の一員としての生活」とい う面では、異なる出身国のメンバー同士の意思疎通や島のマジョリティの人々と共に 紡げる活動がまだ十分ではないかもしれないという疑問が残る。④の「文化的な生活」
という面では、漢字が読めない書けない等のリタラシーの課題、情報機器リタラシー の課題が残っている。つまり、①以外の目標を十分に満たしていない状況にあるとい うことが言えよう。
池上 (: 87) は、「『生活者としての外国人』に対して育成しようとしている『日本語能力』
は、いわゆる個体主義的な能力観によって規定されるものではなく、社会の多様な状 況において他者との関係性の中で発現する能力であると捉えることができる」として いる。そして、「生活者としての外国人」の目標となる日本語能力は「専門家・地域 住民との協働や学習者・支援者の主体性を重視」し、「地域の学習者の実情に応じた 教育内容の選択と工夫」を行い、「対話による相互理解の送信、体験・行動中心の教 室活動を推奨」などの理念から、多様な学習者や地域の実情に合わせて適用されるも のであるとまとめている。つまり、地域の日本語学習者が目指す日本語能力は、一様 ではないということであり、実態の把握とそれぞれの地域の創意工夫が重要となると いうことである。多良間島のように豊かな文化が溢れる島ではあっても、過疎化の波 が寄せているような島で生活するアジア系外国人女性住民達(つまり、「生活者とし ての外国人」)に対して育成する「日本語能力」は、その土地での生活や地域社会の 実情において、考えられるべきであるということである。
文化庁は、「生活者としての外国人に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案」
において、体制の整備に関して「国、都道府県及び市町村がそれぞれ担うべき役割」「各 機関の連携協力の在り方」「並びに地域における日本語教育で必要とされる機関・人
材とその役割」についての考え方も示している。しかし、多良間島のような自主的な ボランティアさえいないような島においては、どのように体制を整理していくことが できるのだろうか。彼女達はまとまった学習時間を確保することはもちろん、通うこ とができる日本語学習教室もないのである。彼女達の学習ニーズに十分に答えていく ことが果たして可能なのであろうか。また、アジア系外国人女性住民達の支援だけで はなく、島には過疎化の問題、島の人口の老齢化の問題、次世代を担うはずの若者達 が島を出ていかなければならい教育の問題、職や収入源の問題等、島に生きる全ての 人達の根源的な問題が大きく横たわっている現実があるのである。しかし、厳しい課 題があるにしても島には毎日の生活がありより住みやすく活気溢れる島づくりに島民 が日夜励んでいるのは間違いのない事実である。このような多良間島の現状から筆者 等が関わる日本語教育への示唆を次節で考えてみたい。
10. アジア系外国人女性住民達から日本語教育・日本語教員養成への示唆
アジア系外国人女性住民達の島社会 / 文化への適応や広い意味での日本語の学習は、
アジア系外国人女性住民達と島のマジョリティの全住民の主体性が鍵であることは言 うまでもない。そして、島内外の人とも協力しながら、協働的に作られていくもので あるという理解の共有が基盤となろう。
ささやかでも良いが、「ことばを学ぶ」(広い意味での日本語教室)場が設けられる のであれば、その機能は、自立していくための場、お互いに支え合いもたれあう場、
その他多様な役割を担う重要な場所になることであろう。そのためにも、アジア系外 国人女性住民達やコミュニティーの期待やニーズ等を具体的に把握することがまず重 要となろう。
「ことばを学ぶ」広い意味での日本語教室には、日本語教育の専門家の中でも地域 日本語教育を専門分野としている専門家がいることが望ましい。しかし、多良間のよ うな離れ島で、専門家の存在を期待するのは、現実的に非常に厳しいものがある。
このような状況を把握した上で、大学や民間の日本語教員養成コースにおいて、地 域の日本語教育の専門家の育成を考えていくことは可能なのではないだろうか。また、
従来型の日本語教育とは異なる島社会の文脈の中での「ことばを学ぶ」活動、つまり 生活者のための日本語教育のあり方とはどのようようなものなのか等を見極めていく ことは可能なのではないだろうか。地域の詳細な実情把握やニーズ把握を基に島の行
政関係者の協力を得ながら、また、大学や専門学校の教育実習の一貫としての取り組 みを検討していくことなどに、まず現実性があるのではないだろうか。
そして「生活者としての外国人=マイノリティ」と「生活者としての島人=マジョ リティ」が「生活」という共通項の下で協働的活動をおこなっていくためには、制度 的な裏付けや支援も欠かせないであろう。そして、ファシリテーターやメディエー ター、あるいはコーディネーターのような役割の人材の育成も望まれるところであろ う。そのような人材を育成していくのも、沖縄県に存在する大学の日本語教育や日本 語教員養成課程ができることの一つではないかと考える。
最後に
沖縄県は 160 以上の島(内 39 の有人島)から成っている。宮古島、石垣島、大東島、
伊是名島、伊平屋島など本島以外の島に暮す外国人住民達は、自然習得以外に日本語 を学習する機会がほとんどないのが現実である。このような地域の一つである多良間 島に居住するアジア系外国人女性住民達との面談調査から、「ことばを学ぶ」という ことが外国人住民達の一つの自己実現のきっかけになりうるのではないかという示唆 が得られた。ひいては、日本語教育や日本語教員養成が、このような地域に貢献でき ることがあるのではないかということである。
また、従来の日本語教育や日本語教員養成は、留学生や就学生、そして、技術研修 生等のための「準備的教育」として位置づけられ ( 池上 : 88) 積み上げられてきた側面 が大きいことも改めて認識した。留学生対象の日本語教育や日本語教員養成は、国内 の日本語教育機関や海外の日本語教育への視点が中心であり、国内のミクロリージョ ン的な地域へは目が向いていなかったのである。ミクロリージョンの日本語という視 点が加わることで日本語教育や日本語教員養成が更に豊かなものになり得るのではな いだろうか。そして、それが社会貢献にも繋がっていくのではないだろうか。このよ うな示唆が調査から得られたのである。
地域の人々を支えることができる専門家の養成をも視野に入れた日本語教育・日本 語教員養成や「生活者としての外国人」に対する言語学習観を捉え直したいと考える。
そして、学習機会のない生活者としての外国人に求められる能力や、社会において他 者やコミュニティとの関係性の中で発露される能力を引き出す支援の方法を考えてみ たい。生活者のための地域の「ことばを学ぶ」場は、外国人のためだけに行うもので
はなく、生活者として地域に生きる全ての人たちが共に多文化共生社会を創り上げて いく場ともなり得、ひいては、それが島を更に豊かにしていく可能性にも繋がってい くと考えるからである。
最後に、「ことばを学ぶ」ということは、細川が「ことばの活動をとおして、自らのテー マを発見するととともに、それを個人の利害だけに収束させず、社会への参加の実現 に向けて、自らを更新させていくことである」(2011:25)と述べているように、ま さしく、島での「ことばの学び」は、外国人住民達にとって、自律的・協働的に自身 の学習を進められるようなエンパワーメントに繋がり、また、島社会の公共的教養に 繋がるような「ことばの学び」にもなろう。多良間島での「ことばの学び」は、多良 間というコミュニティでの「コミュニケーション行動」や「日本語活動」、そして「社 会文化行動」を作り出し、その活動を通して、外国人生活者の生涯に亘ってその全人 的でホリスティックなことばの力、ひいては生きる力を助長する可能性をも持つもの になり得るのではないだろうか。ミクロ・リージョン的集団社会である島での「こと ばの学び」(広い意味での日本語教育)はマイノリティ同士、また、マイノリティと マジョリティを結び、グローバル化の波の中でのミクロ・リージョン的集団への帰属 意識を高め、自己実現を支援していくことに価値が発揮されるのではないかと考える のである。
参考文献
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文化庁文化審議会国語分科会(2010)『「生活者としての外国人」に対する日本語教育 の標準的なカリキュラム案について』
文化庁文化審議会国語分科会(2011)『「生活者としての外国人」に対する日本語教育 の標準的なカリキュラム案 活用のためのガイドブック』
細川英雄(2011)「日本語教育は日本語能力を育成するためにあるのかーアイデンティ
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山崎亮(2013)「地域日本語教育と住民の社会参加ー地域における日本語教室の在り方 を考えるー」『平成 25 年「文化庁日本語教育大会」発表骨子』
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リチャード・スミス(1996)「学習者からみた日本語学習ー日本語独習者の学習自叙伝 に見られる社会的及び情緒的要因の分析を中心にー」『日本語教育・異文化間コミュ ニケーション教室・ホームスティ・地域を結ぶものー』凡人社、pp.105-125
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