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劇映画に登場する炭鉱労働

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Academic year: 2022

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

劇映画に登場する炭鉱労働

榊, 正澄

旧筑豊工業(鉱山)高校所蔵文化財を伝える会

https://doi.org/10.15017/21907

出版情報:エネルギー史研究 : 石炭を中心として. 27, pp.41-48, 2012-03-23. Manuscript Library, Business and Economics Section, Kyushu University

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権利関係:

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はじめに  明治・大正から昭和三十年代まで日本のエネルギーを支えてきた筑豊炭田で働く人々の間には、厳しい労働環境(災害の多い暗黒の坑内での石炭採掘および酷暑酷寒の遠賀川での長時間連続の石炭輸送)により「川筋気質」と呼ばれる独特の気風が生まれ、その荒々しさは「古いタイプの男らしさ」の一つの典型として、たびたび映画化されてきた。

  筆者が保有する(一作品を除く)映像ソフトという極めて限定された範囲であるが、紹介してみたい。もちろんフィクションの世界であって記録映画ではないため、学問上の資料にはならないが、炭鉱労働(採掘および輸送)が大衆文化の代表的存在である劇映画の世界でどのように描かれてきたか、現時点で整理しておくことにそれなりの意味はあるのではないかと考える。

  九作品のうち四作品が明治二十四年一八九一に開業した筑豊興業鉄道の中間鉄橋架設工事をめぐる鉄道工事業者とそれまで石炭輸送を独占し てきた遠賀川の川船頭という新旧勢力の対決を描いている。「川艜(ひらた)」、「五平太舟」と呼ばれた遠賀川の川舟の動く映像は存在しない可能性が高く、こうした劇映画の場面は往時の姿を想像することの一助となろう。また鉄道開業当時の小型の蒸気機関車が登場するが、これも観光用の大型機関車しか動態保存されていない現在では撮影困難で、鉄道史の映像資料としても貴重ではないかと思われる。

一.龍虎傳

昭和二十二年(一九四七)四月大映(京都撮影所)映像ソフトVHSビデオ化(キネマ倶楽部・現在入手不能)七十四分白黒・スタンダード岩下俊作「龍虎傳」森一生片岡千恵蔵、嵐寛壽郎

榊      正   澄 【調査報告】劇映画に登場する炭鉱労働

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・GHQが封建主義追放のためにチャンバラ映画を禁止していた時代であるため、刀ではなく棒を使っての立回り、両雄対決のクライマックスもピストルで、という「時代劇」で、その点でも興味深い作品である。・当時の大映(東映は昭和二十六年一九五一の発足)の二大スターである、片岡千恵蔵と嵐寛壽郎は極端に仲が悪く、森監督はじめスタッフは大変苦労したという。最後の場面でも、走る機関車の先頭に龍虎両雄が並べばよさそうなものだが、片岡千恵蔵がさっそうと立っているのに嵐寛壽郎は後方の車両に座っている。・嵐寛壽郎(元は関東の侠客で今は元士族の炭鉱主の片腕)が鉄道工事への協力依頼のため、他の炭鉱主のところを回るのに乗合馬車を利用しているが、道路に材木を置いて馬車の通行を妨害するなど、この作品での川艜の船頭たちのいやがらせは、なかなかしつこい。

二.空の大怪獣ラドン

  昭和三十一年(一九五六)十二月  東宝映像ソフトDVD化(入手可能)八十二分  カラー・スタンダード  黒沼健  本田猪四郎円谷英二  佐原健二、白川由美・「ゴジラ」(一九五四)、「ゴジラの逆襲」(一九五五)に続く東宝怪 ・解説によると「明治二十(注・原文のまま)年の頃、新興の石炭町直方の祭の夜に現れた関東生まれの流れ者(片岡千恵蔵)は危機を救われた恩人(嵐寛壽郎)が親分の仇であることを知り...」とある。・セリフを確認すると冒頭部分は次の通りで、筑豊・直方の町からストーリーが始まることがわかる。「炭坑の町らしくて」、「この遠賀川の川筋で」、「すぐ直方から逃げなくては」・最初は多賀神社のご神幸(行列や本殿が出てくる)、最後は田川の川渡り神幸祭が登場し、戦後間もない直方ロケには多数の見物人が集まったという。武者人形を飾る筑前の山笠が旧福岡銀行直方南支店(経済産業省認定・近代化産業遺産)や古い民家の前を勢いよく走り、「バレン」を飾る豊前の山笠との民俗文化の違いもよくわかる。・祭の奉納相撲に「大利根」と名乗って(関東出身のためか)土俵に上がる片岡千恵蔵の相手は「福智山」(直方市の東部にある標高九百メートルの山の名)である。・五平太舟(と本作では称している。帆は張っていない小型のもの)や、坑夫が背中に石炭を背負い坑口から出てくる小さな炭坑が登場する。終戦直後にどこでロケしたのであろうか。・鉄道工事の描写もレール敷設で一斉にツルハシを振り下ろす場面など非常にリアルである。・健在な香春岳の一の岳、生きているボタ山など、写真でなく「動く映像」として見ることができるのは今となっては貴重で、娯楽映画といえどもタイムマシンのようなものである。最後に活躍する機関車(国鉄ではなく炭鉱のもの)も牧歌的である。

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ポーツセンター」(大相撲九州場所を開催)を破壊する。「東中洲」(ミニチュア)や「大濠公園・新天町商店街」(実写)も登場する。九州各地の名所が登場するため、九州の映画館主から歓迎されたという。

三.女侠一代

  昭和三十三年(一九五八)十月  松竹(京都撮影所)

映像ソフト VHSビデオ、DVDとも市販されていないが、不明百六分  白黒・スタンダード  火野葦平「女侠一代」  内川清一郎 清川虹子(島村ギン)、三國連太郎(吉田磯吉)・「どてら婆さん」と呼ばれた若松の工事請負業の島村ギンの生涯を描いた作品である。「龍虎傳」と同じく鉄道工事業者と川船頭の対立が描かれているが、こちらは前半部で終わる。・同一の原作を用いながら東映の「緋牡丹博徒  二代目襲名」(後述)は立回りが見せ場の任侠映画、松竹の「女侠一代」は女の一代記のメロドラマになっており、映画会社の個性があらわれていて興味深い。・山田五十鈴、近衛十四郎、森繁久弥など共演者もなかなか豪華だが、白黒の地味な映画で有名監督の作品でもないため、今後松竹が 獣映画で初のカラー作品。・前半部はラドンが登場せず、すべて阿蘇山に隣接する炭鉱でストーリーが展開する。古代の巨大トンボの幼虫メガヌロンが坑内(炭鉱夫・警官)や炭鉱住宅(家族)を襲う場面はホラー映画のようである。実際には盛んに噴火している火山のすぐ近くに炭鉱があることは落盤の危険が高いため、ありえない。・本作品の舞台は筑豊ではなく、川筋気質を描いているわけではないが、当時まだ現役で稼動していた九州の炭鉱をカラー動画で見ることができる点で、極めて貴重な作品である。・炭鉱のロケ地は長崎県北松浦郡鹿町町の「日鉄鉱業加勢炭鉱」(北松炭田)で、生きているボタ山、坑外を走行中の炭車、坑口、事務所、病院、炭住など、撮影用のオープンセットや最近流行のCGではなく、現実に稼働している炭鉱施設が次々に登場する。坑内の場面は撮影所内のセットであろうが、これもていねいに作られていて迫力がある。日本映画の全盛時代で多額の製作予算が投入されており、後の子供向けのチープな特撮作品とは出来が異なる。・施設だけでなく、エキストラとして撮影に協力し事務所前に集合しているのは本物の炭鉱夫たちであり、これまたカラー動画で見ることができるのは貴重。・後半部は炭鉱から離れ、「阿蘇山」から現れた怪獣ラドンが佐世保市上空から「針尾無線塔」(真珠湾攻撃のニイタカヤマノボレの命令を発信したことで有名な国指定重要文化財)の上を通過し、前年完成したばかりの「西海橋」を破壊、福岡市に飛来して天神の「岩田屋百貨店」、「西鉄福岡駅」(まだ高架でなく地上駅の時代)や「ス

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車で、現在のように蒸気機関車が登場する場面は大井川鉄道でのロケに頼らざるを得ない、ではないところに実物が使えた古い映画の価値がある。・炭鉱とは関係のない余談であるが、島村ギンが施工した中間鉄橋(中間~筑前埴生間)は平成十七年二〇〇五公開の「ALWAYS  三丁目の夕日」の冒頭シーンに登場する。昭和三十三年一九五八、集団就職で青森から上京する少女(堀北真希)が乗車する列車が日本最大の旅客用蒸気機関車C六二型に牽引されて鉄橋を渡る。鉄橋は実写、列車は模型、煙はCGで合成され、本物に見える。

四.竜虎一代

昭和三十九年(一九六四)九月東映(東京撮影所)映像ソフトVHSビデオ、DVDとも市販されていない百分白黒・シネマスコープ岩下俊作「龍虎傳」小林恒夫鶴田浩二、佐久間良子・「女侠一代」と同じく、ビデオ・DVDはない。緋牡丹博徒や網走番外地などのシリーズものでもない地味な作品のため、東映が今後DVDを発売するとは思えない幻の作品であり、筆者は封切当時見ておらず、映像ソフトも存在しないため、参考資料の紹介に留める。・大映の「龍虎傳」と同じ原作で、鉄道工事業者と川船頭の対立する DVDを発売するとも思えないのが残念である。・鉄道工事を妨害する木屋瀬の川艜の船頭の親分(近衛十四郎、山田五十鈴の夫妻)のところに乗込みタンカをきる名場面は原作には出てこない。彼女は炭鉱夫でも川船頭でもないが、これも「川筋気質」としてよいであろう。・ヒロインのモデルになった西村ノブさんは、明治四十四年一九一一に五十歳で亡くなっており鉄道が開通した当時は三十歳だったわけで「婆さん」はいささか可哀そうであるが、その服装と気っぷのよさから畏敬の念を込めた愛称だった。原作の島村ギンも『明治十二年一八七九に十八歳で嫁入りした』となっており、年齢設定はモデルと合わせてある。・原作者の火野葦平が開通式で鉄道院総裁の祝辞の代読をする福岡県知事の役で登場している。・吉田磯吉(この映画では島村ギンを襲撃から救う川船頭として登場し、のち大侠客として再登場する)と島村ギンは当時の若松の有名人で、たびたび映画化された「花と龍」でも重要な役で登場している。・白帆を張った川艜など当時の遠賀川の風景がうまく再現されていた。鉄橋架設工事はどこでロケしたのかわからないが実物の鉄橋を使っていて迫力があった。・ラストの場面(大正七年一九一八)は本物の中間鉄橋でロケしており、今では下り線だけになっている線路上のトラスが両方にある。上り線をシベリア出兵に向かう兵士を乗せた列車を牽引するのは、現在JR九州肥薩線の観光列車と同じ大正生まれの八六二〇型。撮影当時は若松機関区所属で香月線や室木線を走っていた現役の機関

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持って川艜の船頭の赤不動組の親分(石山健二郎)のところに乗込みタンカを切るシーンは松竹の「女侠一代」を踏襲しているが、やはり東映作品のほうがぴたりと決まっている。なお後の方で出て来る看板には「遠賀川石炭運搬取扱業  赤不動組」と書いてある。・「龍虎傳」の主役の嵐寛壽郎(川艜の船頭の妨害で負傷し、工事を矢野組に譲る川辺組長)、「任侠一代」の主役の清川虹子(島村ギンではなく大阪の女侠客で登場)、「竜虎一代」の娘役の藤純子が堂々の主役、と勢揃いしている。・晩年の嵐寛壽郎は東映の任侠映画で「悪い親分に殺される良い親分」の役を何度も演じたがこの作品でも貫禄十分。古い任侠道を守ろうとする主役が新興勢力の悪玉の悪業に耐えるが最後に大立回りの後に倒し、観客はカタルシスを得る、というのがこの時代の仁侠映画のパターンでいわば歌舞伎のようなものであり、その後の東映の「仁義なき闘い」などの実録映画とは全く異なる。・映画の途中で時代背景を説明する場面があり、字幕が出る。

  『幕末から明治にかけて日本有数の炭田が九州筑豊地方に開発され、

遠賀川流域は異様な活況を呈していた。』

  (ボタ山の空撮)

(坑内で刺青を入れた坑夫がツルハシをふるって石炭を掘っている)

  (坑内の炭車を馬が牽引している)

・坑内のシーンはおそらく撮影所のセット撮影であろうが、坑内で働く馬が劇映画に登場するのは極めて珍しく、貴重である。

  『掘り出された石炭は、川舟によって遠賀川を下った。だが』

  (複数の川舟を棹であやつる船頭と岸から綱を引く人夫。小型の舟 藤純子(緋牡丹のお竜)、高倉健 小沢茂弘 火野葦平「女侠一代」より(タイトルの表示) カラー・ワイド 九十五分 映像ソフトDVD化(入手可能) 東映(京都撮影所) 昭和四十四年(一九六九)四月 五.緋牡丹博徒・二代目襲名 形龍之介であった。 車角とおとよを演じたコンビ。ちなみに宮川は高倉健、吉良常は月   演の鶴田浩二と佐久間良子は前年の名作「人生劇場飛車角」で飛 ・東映が時代劇映画から任侠映画に路線を変更した初期の作品で、主 葉真一、天知茂など。 代を反映して内容は変わり、チャンバラもある。共演は藤純子、千 り脚色されている。文芸映画ではなく娯楽映画なので製作された時 主題は同じだが題名が変えられ、資料のあらすじを読む限り、かな

・わざわざ「より」と強調している通り、全国各地を旅する緋牡丹博徒シリーズ(全八作)の一本(四作目)として「川艜の船頭の妨害を克服し鉄道工事を完成させた女親分」という設定を原作から借りただけで、当然一代記ではなく、見せ場は緋牡丹のお竜さんの熊本弁(人吉出身の設定)のタンカと、ラストの大立回りのチャンバラである。・矢野組の法被を着たお竜さん(本名は矢野竜子)がダイナマイトを

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作。・炭鉱は登場しないが、筑豊炭田の石炭を全国に搬出していた若松での人力による石炭荷役の利権争いが舞台で、これも「川筋気質」の流れをくむものであろう。炭鉱と同じく全く姿を消してしまった石炭積込みの沖仲仕「ごんぞう」の作業風景をカラー動画で見ることができる点で貴重な作品である。・実在の人物では、作者の両親の玉井金五郎・マン夫妻、若松の大親分吉田磯吉(若山富三郎)、筑豊興業鉄道の建設工事を請負い女侠一代の主役となった島村ギン(小津安二郎映画の常連の高橋とよ)が登場する。・玉井金五郎の出身地は愛媛県の松山で、石炭景気にわく筑豊とその周辺に各地から人々が集まってきた様子がわかる。

七.青春の門(東宝版)

  昭和五十年(一九七五)二月  東宝映像ソフトDVD化(入手可能)百八十三分  カラー・ワイド  五木寛之「青春の門」第一部・筑豊篇  浦山桐郎

  健()、矢()、合(吹タエ)、小林旭(塙竜五郎)、大竹しのぶ(牧織江) で帆は張っていない)  『

急速な時代の流れと共に、石炭の運搬は川舟から鉄道にとって代ろうとしていた。』

師と打合せている。「筑豊本線工事川辺組」の看板が見える)   (鉄道工事の現場。川辺組の親分(嵐寛壽郎)が図面を見ながら技

ある。 を牽引して走る。会場の木造駅舎も、いかにもそれらしい雰囲気が 会社専用線の所有であろうか、小型の蒸気機関車が数両の旧型客車 ・映画の終盤で「筑豊本線開通」の記念式典の場面となる。どこかの 連・天津敏)である。 いの相手は鉄道工事の受注に汚い手を使った荒木田親分(悪役の常 ・赤不動組と矢野組は途中で和解し、最後の中間鉄橋の下での果し合 は生命を賭して鉄道建設に反対し、必死の抵抗を繰り返した。』   『鉄道の出現は川船頭にとって生活権に拘わる大問題であり、彼等

六.日本侠客伝・花と龍

  昭和四十四年(一九六九)五月  東映(東京撮影所)映像ソフトDVD化(入手可能)上映時間百十二分  カラー・ワイド  火野葦平「花と龍」  マキノ雅弘 高倉健(玉井金五郎)、星由里子(玉井マン・東宝)

・東映の任侠映画全盛時代の日本侠客伝シリーズ全十一作中の第九

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画であるため、映像資料としての価値は低い。・「川筋気質」の代表として登場するのは炭鉱夫の伊吹重蔵、労働者のスト破りも行う侠客の塙竜五郎のほか、若い頃には遠賀川の川船頭であった老侠客で筑後出身の矢部虎(東宝版は藤田進、東映版は鶴田浩二)の三人である。

九.三たびの海峡

  平成七年(一九九五)十一月  製作・「三たびの海峡」製作委員会、配給・松竹映像ソフトVHSビデオ化(中古品市場で入手可能)百二十三分  カラー・ワイド  箒木蓬生「三たびの海峡」  神山征二郎  三國連太郎

・原作は箒木蓬生(九州大学医学部卒、福岡県中間市で精神科医院を開業)の大河小説。玄界灘を渡り(最初の海峡)筑豊の炭鉱で働かされ、逃走して日本女性と結婚して現在の韓国へ帰った(二度目の海峡)主人公が数十年後に日本へ戻って(三度目の海峡)

・・・

と展開する。・舞台となる炭鉱は「長峰市の高辻炭鉱」と架空のものになっているが、香月線(昭和六十年一九八五廃線)の終点にあった大辻炭鉱(貝島鉱業)がモデルではないかと思われる。・主人公(三國連太郎)がかつて働いていた高辻炭鉱を訪ねていく途中で著名な炭鉱史跡が次々に登場する。地理的には全く脈絡がない 八.青春の門(東映版)昭和五十六年(一九八一)一月東映(東京撮影所)映像ソフトDVD化(入手可能)百四十分カラー・ワイド五木寛之「青春の門」第一部・筑豊篇蔵原惟繕・深作欣二

市()、太()、子(吹タエ)、若山富三郎(塙竜五郎)、杉田かおる(牧織江)

・原作は五木寛之の大河小説「青春の門」の第一部・筑豊篇で東宝・東映とも映画化は第二部・自立篇まで。以下第三部・放浪篇、第四部・堕落篇、第五部・望郷篇、第六部・再起篇、第七部・挑戦篇までが「新装決定版」として講談社文庫から出版されている。第八部・風雲篇の週刊現代への連載は終了したが単行本として出版されていない。・第一部・筑豊篇はテレビドラマとして一九七六年・一九九一年・二〇〇五年の三回放送されたが、第二部・自立篇まで制作したのは一九七六年版のみ。・軍隊が鎮圧のため出動した米騒動、坑内災害の発生、朝鮮人坑夫の存在、女性の職場としての選炭作業、終戦を迎えた際の混乱、など炭鉱の歴史が伊吹家の年代記として描かれる。主人公の伊吹信介は田川地区の炭鉱で育ち、義母タエの発病により塙竜五郎の住む飯塚市に移住し、早稲田大学進学のため上京するまですべて筑豊でドラマが進行する(若松も舞台となる)が、炭鉱が終末を迎えた後の映

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が炭鉱の跡地の雰囲気を出すための映画のウソ、と割り切れば、映像としてまとめて見ることができるのは便利である。①住友忠隈炭砿のボタ山(飯塚市忠隈、昭和四十年一九六五閉山)折尾駅で筑豊本線に乗換えた主人公が長峰駅のホームで下車(実際は飯塚駅の上りホームで進行方向が逆だが、地元の人間しかわからない)したとき背後に見える。②三菱飯塚炭礦巻上機台座(飯塚市平恒、経済産業省認定・近代化産業遺産、昭和三十六年一九六一閉山)主人公がタクシーで通り過ぎる。この道路は昭和六十三年一九八八に廃線となった上山田線の跡地。③旧海軍志免炭鉱の竪坑櫓跡(糟屋郡志免町、国指定重要文化財、昭和三十九年一九六四閉山)主人公の重要な目的地である高辻炭鉱の朝鮮人墓地のそばにある(ことになっている)。・主人公が序盤と終盤に通る「長峰駅」は平成二十三年二〇一一の十月に解体された旧直方駅舎の駅名看板を換えて撮影された。駅前ロータリーの坑夫像(平成八年一九九六に遠賀川河川敷に移転)も写っているが、どちらも今は見ることのできない貴重な映像である。

まとめ  とりとめのない紹介となったが、炭鉱史研究の参考資料の一助となれば幸いである。

参照

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たとえば 1875 (明治 8 ) 年の石炭輸出の約 7 割は高島炭だった (Commercial Reports 1875) 。この傾向は 明治

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経営者団体は、八月二○日の代表団の帰国後、二七日には炭労に会見を申し入れ、「手続き問題」については謝意を表し、「実質的出稼ぎ」については、ドイツ側と再度労使代表による再交渉を行うことを提起した

Kwansei Gakuin University..

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そして、現場管理面での困難を解消するうえで求められたのが、労働者の「自律」であっ

G・Adelmann, ibid,S、 96, 203 Ibid.,S.. 了一一.