目次 はじめに
1.再帰的近代と消費社会 2.全体化する再帰的消費社会 3.再帰的消費者
4.再帰的消費社会における記号性 おわりに
はじめに
現代社会は消費社会であると言われる。消費 社会という語は非常に多義的であり,その射程 を明確に定めることのできない概念であるが,
「消費」が現代社会全体を覆うような,支配的 な概念となっていることに異論を挟むことはで きないであろう。好むと好まざるに関わらず,
我々は消費社会を生きているのである。
しかし一方で,総務省統計局の「平成21年全 国消費実態調査」によれば,若年勤労単身世帯
(勤労世帯のうち30歳未満の単身世帯)の男性 の平均消費性向は,昭和44年の92
.
3%から平成 16年の77.
2%まで一貫して低下し続け(平成21 年度は84.
1%に上昇),女性も昭和44年の90.
3%から上下動を繰り返すも,平成21年に80%を初 めて割り込む(79
.
9%)(1)など(〈図A
〉を参照)[総務省統計局2010],かつてに比べ,若者が
消費を行わなくなっている傾向が読み取れる。
また,マーケティングの分野においては,そ れなりの所得があるにもかかわらず,所得に見 合った消費をしない若者が増えているというこ とが指摘され,そのような「消費を嫌う人々」
を指すものとして「嫌消費」なる言葉も生まれ た[松田
2011](2)。
われわれの体験を覆うリアリティとしての
「消費社会」と,社会統計としての「消費離れ」
というアンビバレントな関係を,いかに考える
*早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程3年(指導教員 田村正勝)
論 文
現代消費社会における再帰性
― 消費社会理解のための一視角 ―
市 川 慧
*〈図 A〉
若年勤労単身世帯の平均消費性向の推移。[総 務省統計局 2010]をもとに筆者作成。
べきであろうか。本稿はそうした消費社会的現 実に対し,ポスト・モダン社会論以降台頭して きた「再帰性」の社会理論を差し挟むことに よって再帰的近代と消費社会の関係のイメージ を描きだし,現代消費社会の複雑性を理解する 一助となる可能性を探るものである。
1.再帰的近代と消費社会
1970年代以降のポスト・モダン社会論争を経 て,今日の社会とは「再帰的近代」であるとい う議論が台頭した。再帰性の概念は一義的では ないが,ベックによればその基本概念は,行為 主体がみずからの存在の社会的諸条件に省察を 加え,そのことによってその条件を変える能 力を獲得していくことである[
Beck, Giddens, Lash
1994=1997:
318]。また,ギデンズによれ ば,社会についてのメタ言語の中で作られた概 念が,記述対象,説明対象としてきた行為の世 界の中に再参入していくような,「二重の解釈 学」モデルである[Giddens
1990=1993:
29]。そして,ポスト・モダン論をはじめとする一 連の「ポスト」社会論がある社会の「終わり」
を強調している点に対しギデンズは,現代社会 とはモダニティが連続的に徹底化・普遍化した 時代なのであるとする「後期近代論」を唱える
[
Giddens
1990=1993]。ギデンズは,再帰的近代における社会制度 の本質を「ポスト産業社会」とするのみで,そ こにおいて当然考慮に入れられるべきであろう 消費社会について,多くを語っていない。マ ルクスの物神性論を批判的に継承したボード リヤールによるいわゆる記号論的消費社会論
[
Baudrillard
1970=1995]は,一般にポスト・モ ダン論とみなされており,ギデンズの後期近代論と相いれない。しかし,消費社会をポスト・
モダン社会として理解するか否かの議論はさて おき,消費社会がギデンズの言う後期近代を大 きく担っていることは間違いないであろう。
そこで当節は,「消費社会のイメージ」をど のように捉えるか,という点に重きを置き,再 帰的近代と消費社会との接続の契機を探ること を目的として議論を進めていきたい。
英語の“
consumption
”(消費)の語源となっ たラテン語の“consumere
”には,破壊,消耗,腐食などといった否定的なコノテーションの 他に,「使うことによって,完成へといたらし めて終える」といった,人間とモノとの関係 の積極的な評価を示唆する言葉であるという
[
Williams
1982=1996:
12-
13]。しかし経済学に おいて消費概念は,前者の意味でのみ理解さ れ,伝統的に経済学者は消費行為を,ベンサム 的な効用主義的で数理化されたものとして考察 してしまった。しかし消費という行為概念は,単にモノを消尽するというだけでなく,そこに 新たな何かを作り出していくような,滋味のあ る意味概念なのである。
その滋味の一つは,消費行為における経験と しての「社会」の変数であると言えるだろう。
文化・社会の影響によって主体の消費行為が駆 動される,という理解はボードリヤールの記号 論的消費社会論の登場以降常識となったが,消 費社会とは何かという議論については未ださま ざまな見方が存在する。しかし最大公約数的に 定義するのなら,「消費という行為を結節点と して展開される社会」であると考えることがで きるだろう。
そもそも消費社会とは,アダム・スミスの
『国富論』[
Smith
1776=2000]以降(3),当該社会において大量生産体制が確立されることを 持って初めて成立するものである,とする理解 が一般的であるが,産業革命による大量生産体 制が確立する以前の17世紀イギリスに,当時輸 入を減らすための国策として台頭してきた国内 の新企業によって供給されたモノの売買によ り,局所的ながら消費社会的諸相が存在してい たという研究[
Thirsk
1978=1984]もある点を 踏まえると,消費社会とは必ずしもマクロ社会 的な大量生産体制の成立のみで定義されるもの ではなく,むしろわずかばかりの豊かさであっ ても,消費主体がモノと貨幣の交換を積極的に 行い,さらにそこに積極的にモノの消尽以上の 価値や意味を見出そうとする消費主体の条件が あれば,あらゆる社会で観察される可能性を持 つものである。すなわち消費社会とは生産体制 のみならず,我々の経験のレベルにおける条件 も含めて理解されるべき社会である。例えば,間々田は消費社会を,人々が消費に 対して強い関心を持ち,高い水準の消費が行わ れており,それにともなってさまざまな社会的 変化が生じるような社会である[間々田
2000
:
8]という,主体の経験をも考察にいれた消費 社会の定義を行っている。またさらに,自由裁 量,快楽主義的,欲望,選択の自由といった「消 費者の主体化条件」の普及を条件とし,ほとん どの人がこの主体化条件を備えるようになっ た社会である[田村2011
:
2-
3]というような,「消費経験」の内実を実体化する定義もある。
これらの「消費社会の定義」そのものに関す る考察は本稿の主題ではないため,深く立ち入 らないが,しかしこのことから見えてくること は,消費社会を定義する際の大きな要点は,貨 幣の支払いによってモノや情報を消費すること
で,例えば顕示性のような「社会的ななにか」
が主体によって経験される社会である,という ことである。
経済学の分野においても,長らく消費概念の 理解に「社会」の変数(「対人効果」)を,伝統 的な経済学の理論枠組みに組み込むか否かの長 い学的な議論の歴史があった(4)が,それらの議 論の後ボードリヤールは,記号論的消費社会論 の議論を展開して,他者の眼差しによって駆動 される消費行為によって展開される社会こそ が,消費社会成立の条件であると定義した。
そしてガルブレイスの言う,生産者が消費 者欲求を生み出すという「依存効果」の概念
[
Galbraith
1958=2006]をボードリヤールは,ガルブレイスら経済学者は,テクノストラク チュアによる支配が去ればそこに素朴に消費主 体が現れると想定している,として退け[小林
1999],システムとしての消費社会,そして主 体を喪失したものとしての消費者を徹底して描 いた。
「超成熟消費社会」と呼べるような現代消費 社会は,「効用」すらも記号とされるような,
すべてが差異化によって記号化され,構築主義 的にコミュニケーションが紡がれていく社会 である。それは,「消費というものは,まずは じめに個0人0的0欲求をもった個人を中心に秩序 付けられ,ついでこの欲求が権威ないし順応 の要請に応じて集団の文脈の上に指標化され る,といったものではな」[
Baudrillard
1970=1995
:
119](強調原文)く,「実際には,まず最 初に差異化の構造化理論が存在し,この理論が 諸個人を『個性化された0 0 0 0 0 0』ものとして,つまり 互いにことなるものとして生産」[Baudrillard
1970=1995:
119](強調原文)する,とボードリヤールが定義した社会であり,個人よりも差 異のコードが先行する「差異の体系」としての 社会なのである(5)。
さて,差異化の契機のひとつは自己への省察 である。現代消費社会において人々は,自我を 身体から対峙させ認知的省察を加えることによ り,「他者とは異なった」自分を,消費行為に よって演出する。いわば消費社会におけるわれ われの経験とは,ギデンズの言葉を借りれば,
絶え間ない自己の身体への「再モニタリング」
の過程である。再帰性を無意識の帰結のモデル として捉えるベックにとって,省察(自己内省)
とは認知的なものであり,再帰性を構成する一 部であるが[
Beck
1986=1998],まさに消費社 会における差異化と近代社会における省察との「重なり」に,再帰的近代と消費社会の接続の 第一の契機があるのである。
ギデンズにおいて「差異化」は明確に定義さ れていないが,若狭は,差異とは行為概念が必 然的に前提とするものであり,ギデンズにおい ては差異の創出そのものが,行為を産出し社会 を生産するものであると定義している,と考察 している[若狭
1991]。ここにプラクシスの契 機としての近代社会における差異化の概念と,
消費社会における差異化の概念との接続可能性 が示唆されている。今日の消費社会化とは,い わば差異のないところに差異を生み出す,差異 化社会の深化の過程であるが,そのような消費 社会における差異化の眼差しの強化が,近代社 会における再帰性発生の契機としても働くとい う,消費社会と再帰的近代の協働の関係が成り 立っているのである。
2.全体化する再帰的消費社会
しかしそもそも,再帰的眼差しを差し向ける 主体とは一体誰なのであろうか。
菅野は,ギデンズ,ベック,ラッシュらが,
ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行 という典型的な近代的化論をなぞった,主体 の「個人化」論をその理論の中核としているの に対し,ルーマンを「個人化」という現象を近 代化論と切り離し,「社会」をモニタリングの 主体とする論者である(6)とする視点を導入する
[菅野
1999]。
コミュニケーションこそ社会を構成する要素 であるとするラディカルな社会構築主義者の ルーマンによれば,社会とはマクロ社会的に観 察すれば,機能的に分化した経済社会,法社会,
政治社会などの総体である[
Luhmann
1984=1993
/
1995]。それぞれの社会には社会の複雑性 を縮減する固有のコードがあり,ミクロ社会的 に観察されるそのコードの積み重なりこそ,マ クロ社会的に観察されるひとまとまりの部分社 会である。分化した社会システムは,自己の動作を参照 する限りにおいて作動する自己閉鎖したシステ ムであり,そのような反省性の概念はベック やギデンズの言う再帰性と共通するものであ る[菅野
1999]。そしてルーマンによれば消費 社会とは,部分社会である経済社会の参加シス テムである家計による〈支払い
/
不支払い〉の コードによってコミュニケーションが展開され る,ひとまとまりの社会である[春日1982]。
ギデンズやベックらの,個人を出発点とする 視点は,個人による社会変革への可能性を描写 できる一方,ルーマンの社会モデルは,コミュ
ニケーションについてコミュニケーションとい う,社会にとってのメタ理論を扱うことのでき る可能性に開かれるが,このような理論的前提 の是非を決めることは理論内在的には不可能で あり,それは他の理論との接続可能性や,社会 的現象に関する説明能力などといった視点から 判断されるべきである[菅野
1999]と菅野は 述べる。
消費者の主体性を否定するボードリヤール と,消費者の主体性を想定するガルブレイスの 対立点も大まかに,消費社会における主体の社 会
/
個人モデルの対立としてパラフレーズでき ると思われるが,その点を考慮しても消費社会 における再帰化とは,消費社会による消費社会 への再帰化という消費社会にとってメタ・レベ ルの理論であり,ルーマンの社会モデルが消費 社会における主体を描く際,より説得性が高い ように思われる。さて,今日の消費社会のもう一つの特性は,
現代社会が消費社会そのものであるというこ と,すなわち「消費社会が全体社会化」してい るということである。それはルーマンの言葉で 言えば社会におけるあらゆるコミュニケーショ ンのコードに,消費社会的なコミュニケーショ ンのコードが結合するような,「消費」をエー トスとする社会である。
戦後初めて経済成長率がマイナス成長を記 録した1974年あたりから,「いかに生産するか」
よりも「いかに消費するか」が問題となった日 本社会は,消費社会が全体社会にまで拡大した が故に「部分社会としての消費社会」が消滅し てしまった「超成熟消費社会」であり,その成 熟の速度は今日,より早まりつつあると言える。
消費社会とはかつては「生産」の対立項とし
て理解されることが一般的であったが,成熟消 費社会において消費社会はもはや生産に従属す るものではなく,むしろ生産を従属させるよう な,消費社会そのもので消費社会を自己定義で きる,消費社会自身に自己準拠する社会となっ た。それは「消費に関する唯一の客観的現実は 消費という観念0 0だけであ」[
Baudrillard
1970=1995
:
306](強調原文)り,「この反省的言説的 配置構造が,日常的言説と知的言説によって幾 度となく取り上げられたために常識0 0としての力 をも」[Baudrillard
1970=1995:
306](強調原文)ち,「現代社会が自らについてもつ言パロール葉,われ われの社会が自らを語る語り口」[
Baudrillard
1970=1995:
306](ルビ原文)こそが「消費」となった,ボードリヤールが「消費社会はひと つの神話である」[
Baudrillard
1970=1995:
306]とまとめたような,社会そのものである。
さらに今日では,1980年代に流行したように,
「消費社会論」と銘を打って記号論を振りかざ し,それに過剰に意味を読み込んで正面から消 費社会を語る振る舞いもリアリティを失ってし まった。それは消費社会論によって,消費社会 を飾りたてる記号=意味秩序を確認することな どもはや必要としないほど,現代社会が消費社 会となったことを裏書きしているのであって,
1990年代の終わりごろには消費行為は,哲学的,
意味論的な1980年代的な消費社会論に代わって,
消費行動の社会心理学的分析やマーケティング
/
消費者動向調査といった,「社会(学)モデル」的なものを通じて理解されるようになった[遠 藤
2010]。
はたして消費社会が全面化した現代社会にお いて,「消費」とはありふれた行為概念となり,
今や現代社会は,企業による残り少ない消費者
需要の「分取り合戦場」とでも呼べる様相を見 せ,企業にはより消費の領域を拡大させようと するインセンティブが働いている。それは消費 者の視点から言えば,消費経験における「差異 化のフロンティア」の拡大がひき起こされつつ あるということである。
今日の全体社会に拡大した消費社会による
「差異化のフロンティア」は,開拓する先をほ とんど失っているといえる。そのような言わば 行き場を失った消費社会のフロンティアは,折 り返して全体社会としての消費社会そのものへ 向かい,消費社会にとってメタ・レベルのコ ミュニケーションとして,消費社会自身をコ ミュニケーションするようになった。自らと対 峙して省察を加え,その省察が省察対象そのも のに影響およぼすというその構造は再帰性の原 理と通底するものであり,そしてまさにこのこ とに再帰的近代と消費社会の接合の第二の契機 が存在する。つまり消費社会が消費社会という 構造そのものを再帰的に眼差す社会に至ったの である。このように「再帰的近代社会」と消費 社会は,社会変動のリズムを共にし,再帰的消 費社会を紡いでいるのである。
本節では以上のように,消費社会と再帰的近 代との接続に関するイメージを整理して,次節 では再び再帰的近代の議論に立ち戻って議論を 進めたい。
3.再帰的消費者
ラッシュはギデンズ,ベックらの認知的再 帰性の概念に対し,再帰的近代においては感 覚的,知覚的な美的再帰性こそがたちあらわ れ,理論的理性と実践的理性を掘り崩してい る[
Lash
1990=1997:
124]と言う。それはハーバーマスが,システムによる生活世界の植民地 化によって美的なものが生活世界から独立して しまったと嘆いたのとは裏腹に,美的なものの 生活世界への侵入をもたらしているものである という。ギデンズはそれに対し,そのような美 的感覚といった感覚的なものに再帰性などあり 得るのか,と疑義を唱えるが[
Beck, Giddens,
Lash
1994=1997:
358],多田は,感覚・感情・情念
/
反省・思考・概念という伝統的対立図式 そのものが問題であり,際立った知覚が反省を 促すこともあり,その問題図式は乗り越えられ るものであるとする[多田2000]。
ラッシュの言う「図像的なもの」とは,(1)
文学的感性よりも視覚的な感性,(2)形式主義 を切り捨て,日常生活の陳腐な言葉からとられ たさまざまなシニフィアンを併置し,(3)合理 主義的にそして
/
あるいは「教訓的」に文化を 見ることに抗い,(4)文化テクストが何を「意 味」するかとは問わず,それが何を「する」か と問い,(5)文化領域への一次過程の拡張を擁 護し,(6)文化対象への人々の欲望の直接的な 備給によって作用するものである[Lash
1990=1997
:
253]。そして,今日の社会はそれらが「言 説的なもの」に優位しており,そのような社会 をラッシュは,「図像的な『意味作用』の体制」と表現する[
Lash
1990=1997:
253]。ラッシュ自身は自らのテーゼをポスト・モ ダン論として読み替えられることを拒否する が,ポスト・モダン論者のフェザーストンは ラッシュの美的再帰化論を引き取り,形象優位 の社会を日常生活の審美化と定義し,インナー シティ地区のジェントリフィケーション,モー ル,ショッピング・センター,テーマ・パー ク,ホテルなどのスペクタクルな情景を用いた
シミュレーション化された消費空間の出現を,
その例として挙げている[
Featherstone
1991=1999
:
104]。しかし,現代消費社会に現出していることは 単に視覚優位,シニフィアン優位の,「消費空間 のスペクタクル化(とそのことによる消費経験 の魔術化)」とでも呼べる事態だけであろうか。
確かにスペクタクルな消費空間は,冒頭で述 べた「我々は消費社会を生きている」という経 験的リアリティの一端を確実に担っている。し かし,そのような消費社会的現実が認められる 一方,「再帰的消費社会」のもうひとつの副産 物として,ギデンズらの言う認知的再帰性に よって,消費社会そのものをメタ・レベルから 観察するような,「賢い消費者」が立ち現われ つつあることも事実であろう。
ギデンズとは異なり,ラッシュは消費社会に ついて饒舌に語っており,再帰的消費社会につ いて次のように述べている。
ラッシュによれば,消費が共同体による誘導 から離れ個人化されると,次のようになる可能 性があるという。
(1)消費は,依然として個人化されたまま になる。(2)消費は,ニッチ市場やライフス タイルの共同体として(情報コミュニケー ション構造という記号の生産配分過程をとお して,たとえばマーケティングや広告活動を とおして)再編成されていく。(3)世間の人 びとに遅れないために絶えず一歩先んじてい くという「位置づけのための消費」となる。
(4)消費は,共同体的規制からの脱埋め込み が白日夢という近現代的現象を可能にして いるように,「空想的イメージ」に創造的に
変化していく。(5)消費は,「しきたり」か ら脱埋め込みを遂げ,「欲求」との関連でい かにも近現代に特有なかたちで理解されてい く。(6)消費は解放され,消費自体がおのず と「見せ物」や「記号価値」と結びついてい く可能性がある。あるいは,(7)消費は,「打 算的な享楽主義」という道具的合理性の一要 素となっていく[
Beck, Giddens, Lash
1994=1997
:
291-
292]。そもそもラッシュは消費社会化を近代化その ものと素朴に結び付けており,またそうである からこそ消費社会について積極的に言及できる のであると思われその点において注意を要する が,しかしラッシュの議論におけるこのような 一見ネガティブなトーンの背景に,一方で消費 による脱埋め込みによる自由獲得,主体性の獲 得といった,認知的再帰性を保持したポジティ ブな消費者像成立の可能性を見ることもできる。
また,ラッシュが現在立ち現れつつあると認 める消費による共同体(「消費共同体」)が形 成されること[
Beck, Giddens, Lash
1994=1997:
292-
298]によって,「欲求といったものと結び つく」とした近代風な消費理解そのものも脱構 築され,消費共同体内における社会的な支えを 持った「欲望」との関係で,消費が理解される 可能性にも開かれるのである。次節ではそのような再帰的消費社会における
「消費記号」の内実について分析を進め,図像 的消費空間における再帰的消費者を描いていき たい。
4.再帰的消費社会における記号性 松井は,構造主義的なボードリヤールの記号
論的消費社会論は,1980年代の記号論的ブーム において,「消費によって自らの欲求やアイデ ンティティに対して主権を獲得していく」とい う,消費社会における消費者主権の獲得といっ たものを全面に押し出すような,進歩史観的な ものとして誤読されてしまった[松井
2001]
とまとめている。
今日においても消費社会のシニフィエと近代 社会が本質主義的に容易に結び付けられること が多いが,しかし注意しなければならないこと は,消費社会のシニフィエとは,消費社会をと りまく全体社会の状況により容易に変化するも のであるということであり,実体的なものでは ないということである。そこにあるのはこれま で近代主義的な記号性が,消費社会の拡大と深 化を駆動させてきたという事実のみであり,近 代主義が消費社会の本質ではないのである。
確かに今日においても,消費社会拡大の戦略 において,人間中心主義的で,成長や成功と いった概念をコノテーションとする進歩史観的 消費記号は,その残滓として残り,強度を持っ ている。しかし一方で,今日の再帰的な超成熟 消費社会においては,進歩史観的消費記号はそ のまま消費を駆動させる記号として働くわけで はなく,「前時代の消費社会を駆動させてきた 色あせた記号」として脱色され,消費社会のフ ロンティア拡大のための「カウンター(対抗)
記号」として,すなわち差異化の対象として利 用されつつあるのである。それは,かつての消 費社会をあざ笑うかのような,再帰的な視点の 現れであると言える。
冒頭に示した「嫌消費」の研究において,現 代の若者は,環境に悪くてたまにしか乗らない のに,駐車場代などの維持費が高く,燃費の悪
い自動車をもっている人の気が知れないと考 え,自動車を購入しなくなっている,というエ ピソード[松田
2009
:
12-
13]が紹介されてい る。「クルマ買うなんてバカじゃないの?」と いう若者の言葉でまとめられたこの挿話は,か つて「先進性」や「富の象徴」といった進歩史 観的記号性を持っていた自動車が,いまや時代 遅れなものとして文字通り消費されてしまった ということを表している。一方でこのエピソー ドは,そのような進歩史観的記号を対抗記号と して,「自然環境問題」や「賢い消費者」といっ た概念が差異化され,消費記号として生産され 機能する可能性があることを示しているとも言 えるのである。そしてここでは,このような消費社会が全体 社会化した社会における「カウンター記号」を 利用して生産される消費記号を,「反転化した 消費記号」と名付けたい。
例えばルーマンの社会理論で言えば,消費社 会的コミュニケーションにとって外部の「環 境」に属すると考えられていた「自然」の概念 が近年,人々の消費行為を駆動させる強い記号 性を帯び,消費のフロンティアを開拓しつつあ ることは周知のことであろう。
それはショッピング・モールなどの流通消 費の現場にも顕著に表れつつある。数多くの 例のうち一例を挙げれば,2008年に越谷に新し くオープンした,2013年現在ショッピングセン ター(
SC
)としては日本最大の床面積を誇る「イオンレイクタウン」は,「エコ・タウン」を うたい文句に,自然との共生を目指している。
店舗面積22万㎡の巨大ショッピングセンターは 主に大きく二つの街区に分かれているが,それ ぞれの街区に付けられた“
mori
”,“kaze
”といった名前は,「自然」のコノテーションを含んで いるものである。店舗入口上のワイヤーにツタ を這わせ,コケタイルを使って壁面緑化を施 し,店舗屋上にも4
,
000㎡もの面積の太陽光パ ネルを配している。SC
開業当時の紹介記事で はこれらは主に「省エネルギーの環境にやさし いショッピングセンター」という文脈で紹介さ れているが[日経アーキテクチャー2009],こ のことは「入口のツタ」や「太陽光パネル」と いった概念が,「自然」という今日強力になっ た消費記号のシニフィアンとして働いている,
ということであると言える(7)。
中西は,近年現れてきた「再帰的マーケティ ング」として,効率化,便利さといった価値観 ではなく,時間の消費や,話題性,ストーリー 性,消費者自ら参加をすること,癒し,ヘルス ケア,遊びや余暇といったことがクローズアッ プされつつあるとしている[中西
1999]が,
中西の指摘通り「自然」のほかにも,消費社会 化による「時間の短縮化」に対し「ゆっくりと した時間」が,消費社会化による「環境破壊」
に対して「環境保護」が,不必要なものまで購 入させる「消費主義」に対し熟考して本当に必 要な消費かどうかを見極める「賢い消費」と いった概念が,かつての進歩史観的消費記号を 陳腐化しする,反転的な消費記号として現れて いる。つまり「反転化した消費記号」は,再帰 的に消費社会そのものを差異化の対象とし,一 見「非-消費社会的」な記号を,「消費記号」
として生産しているのである。
反転化した消費記号は,消費者の〈支払い
/
不支払い〉にも影響を及ぼしている。貨幣の支 払い額が少額であり,一見消費社会的な諸相と みなすことができないような〈支払い/
不支払い〉の二値コードで紡がれるコミュニケーショ ンも,「少ない金額で消費を行う賢い消費者」な どといった再帰的消費記号が付与されることに よって,消費社会的な振る舞いとして理解され る可能性に開かれる。また一方で,そもそも所 得が少なく,少ない支払いしかできない消費者 にとってもそのような再帰的消費記号は,自身 の消費行為を彩る「消費の物語」として作用し,
「所得・貯蓄の寡少」という宿命論的なものを 中和化する役割を果たすこともあるだろう。
このことは冒頭で述べた,消費性向が低下し ていると言われる現代の若者の消費行為を理解 するための説明の一つとなるかもしれない。現 代の消費行為の複雑さ,理解のしにくさは,一 義的に消費支出金額でその動態を計ることがで きないということである。つまり高額な消費を 行っていなくても,一見それとはわからない
「非-消費社会」的な記号性が付与された「再 帰的消費」を,現代の若者は行っていると考え られるのである。またそのような「反転化した 記号」は,企業における経費削減を理由とした 物的な消費者サービスの低下を,例えば「地球 環境への配慮のため」という記号性で装飾する こともできる,生産の側にとって「都合のよい」
ものとなることもあろう。
ともあれ現代の消費主体とは,スペクタクル 化された魔術的消費空間の中で主体性喪失の危 機に晒されながら,一方で認知的再帰性によっ て主体性を保って消費社会を泳ぐ,アンビバレ ントな存在なのである。
また再帰的近代化論を素朴に消費社会論に 適応することが許されるのなら,ギデンズの 再帰性の議論に則って言えば,消費社会が全 体化した社会に生きる我々にとって,日々の消
費行為こそが我々の存在の自明性の地平を支え る「日常」として機能していると言える。す なわち,物語的に構成される「自己の再帰的 プロジェクト」[
Giddens
1991=2006]におけ る,主体のアイデンティティ構築の要求に対 し,「ライフスタイル」が消費的パッケージと して提供され(8),消費社会的に我々の存在論的安心[
Giddens
1990=1993]が担保されるのである。また現代の消費社会における商品とは,
「消費社会」という集合的な「専門化システム」
[
Giddens
1991=2006]の審査を経たものとして,その安全性,利便性が担保され,消費者に 商品の安心,安全,選択に関する情報の複雑性 を縮減するものとして働き,我々の消費生活を 快適なものにしている。
さらに,社会におけるリスク意識の高まりを 企業が消費の機会として利用するという現象
(例えば,農薬を使わずに栽培された有機野菜 の販売など)(9)も,リスク社会化に順じた消費 社会的記号の発生として考えることができる。
おわりに
前述の通りギデンズは,ポスト・モダン論と の関連性故に消費社会と再帰性の関連について の言及を控えたと考えることもできるが,モダ ン的側面も,ポスト・モダン的側面も,消費社 会の諸相の一側面を映し出しているにすぎず,
消費社会論においてそのような論争をすること はあまり生産的ではないように思われる。それ よりも,重要なことはその点を一度ブラック ボックスに入れて消費社会を考察するというこ とであろう。
本稿では,再帰的近代と消費社会が,「差異 化」概念をキーワードとして重なり合うという
イメージを描きだし,お互いの社会が持つ再帰 性がそれぞれの社会における再帰性をより強め あうことにより,そこから魔術的なスペクタク ルな消費空間と,再帰的眼差しを保持した賢い 消費者という,位相の異なる二つの消費社会的 現実が現れつつあることを描いた。そして,後 期近代社会の再帰性が消費社会拡大の推進力と なる一方,ベックが,再帰性の帰結である「伝 統社会からの脱埋め込み」の要因を大量消費 社会に求めている[
Beck
1986=1998:
261]よ うに,今や再帰的消費社会は,再帰的近代その ものにも再帰的眼差しを差し向けて影響を及ぼ し,後期近代をさらに推進するという,再帰的 近代と再帰的関係にあることも確認した。当然のことながら「再帰的消費社会」は現代 消費社会の一側面であり,そのすべてを説明す るものではない。確かに松田が指摘するよう に,現代の若者があまり消費をしないというこ との背景には,将来への不安意識の高まりが横 たわっている[松田
2009]。しかし一方で,現 代の若者は不安によって単に消費を切り詰めて いるというだけではなく,それを消費社会的な コミュニケーションで彩った「新しい消費」を 行ってもいる。そして「再帰的消費」の概念は,
その「新しい消費」を読み解くためのひとつの 変数となる,と考えるのである。
本稿は再帰的消費社会から派生すると思われ る消費社会的諸相を示唆的に描写した端緒的考 察であり,再帰的消費社会研究のごく一部を描 いたにすぎない。そもそも再帰的近代と消費社 会との関連に関する研究は,その関連性が自明 であるが故に見過ごされ,一般的に多く研究さ れているとは言い難い。しかし再帰的消費社会 に関する研究は,現代消費社会の全体像を理解
するために考慮されるべき一視角として,より 詳細な考察が求められていると思われる。
〔投稿受理日2013. 5. 25 /掲載決定日2013. 6. 27〕
注
⑴ 報告によれば,若年勤労単身者世帯について平 成21年度は,平成16年度比で実収入は男性で実質 5.8パーセント減,女性で10.1パーセントの増加が 見られ,実収入については男性が低下,女性は増 加するとする傾向が見られる。それは可処分所得 においても同様である[総務省統計局 2010]。
⑵ 松田は「世代」を,消費行為を決定づける重要 な要素とし,1980年近辺生まれの,2009年時点で年 齢が20代後半の「バブル後世代」の若者は,「他世 代とは異なる同時代体験」を持つ,ユニークなマ インドを持ち,収入に見合った消費を行わないと いう。彼らはアンケートでは61%が「買い物好き」
と答えるが,低収入者よりも年収300万円から400 万円のそれなりの年収を得ている若者こそ,収入 の増加に対し消費が増加しないという傾向を読み 取り,このような当該世代の特殊性を「ライフサ イクル賃金仮説」を用いて説明し,将来不安のた めに消費を控えているという議論を展開している
[松田 2009]。
⑶ 「消費」(consumption)という概念は,スミスが 初めて『国富論』[Smith 1776=2000]で言説化し たと言われる。そこでは消費とは,「あらゆる生産 の目的である」と言及されているが,「必需」を超 えた今日的な意味でいう消費についての考察は加 えられていない。阿部によれば,スミスは社会哲 学的観点からのみ消費に関心を寄せていたのであ る[阿部 2002]。
⑷ ヴェブレン,リースマン,ガルブレイス,ボー ドリヤールを代表として,経済-社会学から社会 学へ向かう学的な流れを軸として消費社会論の歴 史を解説した吉見論文[吉見 1996]が,それに関 する一般的見解を端的に解説していると思われる。
またメイソンによれば,経済学における消費と消 費社会をめぐる考察の歴史は,ヴェブレンの『有 閑階級の理論』における誇示的消費の理論[Veblen 1899=1961]登場以降の,経済学における消費概 念の「対人効果」の考察の歴史であった[Mason 1998=2000]。それは「対人効果」を経済学の本流
の議論に組み込むか,外部経済として排除して,
経済学の正統な学的伝統を守るかの戦いであった が,僅かな異端の経済学者の挑戦にも関わらず,
正統派の経済学は「対人効果」を外部経済として 据え置くことを選んだ[Mason 1998=2000]。
⑸ 岩井は「差異」こそが,産業資本主義時代,現 代のポスト産業資本主義時代,またマルクスの言 う「ノアの洪水以前」の商業資本主義時代でさえ,
利潤を生みだす重要な原理として存在していた,
と指摘する[岩井 1994]。
⑹ ルーマンにおいては再帰的社会によって起こる リスクの問題は,部分社会に回収され得ない「複 雑な」社会領域において発生するものであり,リ スクの発生によって反省性が促され,部分社会の コミュニケーションとして回収される契機となる
[菅野 1999]。
⑺ イオンレイクタウンと同時期の2008年11月26日 に阪急電鉄西宮北口駅前の阪急西宮スタジアム跡 に開業した関西圏を代表するショッピングセン ター「阪急西宮ガーデンズ」も,「緑の丘を作ろう」
を合言葉に,自然との共生を標榜している。店舗 内にはふんだんに植栽が施され,壁面も木目調の ナチュラルなデザインで,「自然を感じさせる」つ くりであるという[日経アーキテクチャー 2009]。
⑻ ギデンズ自身,後期近代は消費を形作り,現代 社会においてライフスタイルの選択が商品の形 をとって行われることに言及している[Giddens 1991=2006: 224]。
⑼ ベックは,「お金のぎっしり詰まった財布を持 てば」,「よい鶏」の卵や「よいレタス」を買い,
工業地域を避けて居住地を選択したりすることに よってリスクを回避できる,と示唆している[Beck 1986=1998: 49-51]。また今日,リスク・メッセー ジをテレビCMが利用し,購買意欲を高めている とする研究[福田他 2005]がある。
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