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密教研究 Vol. 1926 No. 22 003大山 公淳「入唐以前に於ける空海大師周囲の人々 P30-60」

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  三 〇 入 唐 以 前 に 於 け る

一 空 海 弘 法 大 師 の 傳 記 を 録 す る 文 献 は 古 今 に 亘 り 可 成 り 多 數 に 存 し て ゐ る こ と は 事 實 で あ る が 、 そ れ ら を 通 じ て そ の 一 代 を 大 約 入 唐 以 前 と 入 唐 中 及 び 歸 朝 以 後 の 三 段 に 分 つ て 考 ふ る こ と は 最 も 適 當 な こ と で あ り 、 且 つ 意 味 め る こ と だ と 信 す る 。 今 私 は 大 師 の 入 唐 以 前 の 生 活 に 於 い て 、 そ の 周 園 の 人 々 の こ と を 考 へ 、合 せ て そ れ ら の 人 々 よ り 受 け た る 影 響 を 考 察 し て 見 た い と 思 ふ 。 換 言 せ ば 大 師 は 入 唐 以 前 に 如 何 な る 人 を 師 と し 、 如 何 な る 人 々 と 交 際 を 結 ば れ た で あ ら う か と い ふ こ と で あ る 。 此 は 大 師 が 晩 年 に 大 成 し 、 眞 言 立 教 開 宗 に 到 る ま で の 第 一 階 段 と し て 是 非 考 へ ら 、れ な け れ ば な ら ぬ 、 重 要 問 題 で あ り な が ら 、 古 來 の 大 師 傳 研 究 者 の 十 二 分 な る 注 意 の 拂 は れ て ゐ な い 所 と す 。 私 は 今 此 の 問 題 に 手 を 染 め た の で は あ る け れ ど 、 十 分 の 資 料 を 渉 獵 す る の 閑 暇 を 有 せ ず 、 僅 か 三 四 の 僧 傳 文 學 に 依 り 、 そ の 中 よ り 得 た る 些 細 の 結 果 を 綴 り 合 せ て 見 る に し か 過 ぎ な い こ と を 斷 つ て 置 き た い 、 問 題 は 可 成 り に 重 大 で あ り な が ら 此 處 に 記 す 結 果 は 極 め て 貧 弱 の も の と な る こ と を 白 状 す る 。 願 は く ば 賢 明 な る 多 く の 人

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に よ つ て 更 に こ れ が 是 正 補 足 さ れ . 本 研 究 の 完 成 せ ん こ と を 切 望 す 。 そ の 時 代 の 大 勢 を 考 へ る と い ふ こ と も 重 要 な 問 題 と な る こ と で あ る け れ ど 、 今 は こ れ を も 路 し て 、 先 づ 最 初 に 一 般 大 師 傳 に 録 す る 入 唐 以 前 の 大 師 の 傳 記 を 記 し 、 次 第 に 本 題 に 入 る こ と ゝ す 。 二 一 般 大 師 傳 の 記 す る 所 に よ る と 、 大 師 は 光 仁 天 皇 の 寳 龜 五 年 六 月 十 五 日 に 誕 生 、幼 名 は 眞 魚 、 俗 姓 は 佐 伯 氏 、 母 は 阿 刀 氏 、 讃 岐 國 多 度 郡 屏 風 浦 の 人 、 他 の 高 僧 傳 に も 見 ら る 、 如 く 、 誕 生 の 前 よ り 多 く の 靈 瑞 異 相 が あ つ た と 傳 へ ら れ る 。 初 め 母 懐 胎 の 夕 、 父 母 の 夢 に 天 竺 の 僧 飛 び 來 り て 懐 の 中 に 入 る と 見 た と 。 然 し 不 思 議 に も 眞 言 の 付 法 第 六 祖 不 空 三 藏 入 滅 の 日 と 大 師 誕 生 の 日 と 同 日 で あ つ た こ と は 事 實 で あ る 。 誕 生 以 後 も 靈 瑞 は 絶 え な か つ た け れ ど 今 は そ れ ら に 直 接 の 關 係 が な い の で 全 部 略 す る 。 成 長 と 共 に 求 道 心 は 愈 々 熟 烈 に し て 、 求 學 の 志 止 む べ く も な い 。 十 二 歳 よ り 十 五 歳 頃 に 及 ぶ や 、 外 戚 の 舅 從 五 位 下 伊 豫 親 王 の 學 士 阿 刀 の 宿 禰 大 足 大 夫 よ り 兩 親 へ の 進 言 に よ つ て 、 俗 典 の 少 書 論 語 孝 經 及 び 史 傳 等 を 習 ひ 又 文 翰 を 學 び 給 ふ 。 十 五 歳 の 時 舅 氏 に 隨 ひ 讃 岐 よ り 京 洛 に 出 で 、 初 め て 岩 淵 の 賂 僧 正 な る 三 論 の 明 匠 勤 操 和 尚 に 逢 ひ 、 大 虚 室 藏 菩 薩 能 満 所 願 の 法 を 受 け 、 常 に 心 に こ れ を 念 持 し 給 ふ 本論の第四項 參 照 ) そ の 後 二 九 の 歳 と 記 さ れ て ゐ る が 、 そ の 頃 よ り 大 學 に 聽 講 し て 螢 雪 の 勤 め に 怠 り な く 、 苦 學 勉 勵 も つ て 直 講 味 酒 の 淨 成 に 從 ひ て 毛 詩 左 傳 尚 書 の 類 を 讀 み 、 兼 ね て 左 氏 春 秋 を 岡 田 博 士 に 問 ひ 、 耳 目 の 經 る 空 海 大 師 周 園 の 人 々  三一

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  三 二 ゝ と こ ろ 未 だ 嘗 つ て 窮 め ざ る な し と い ふ 熱 心 な 態 度 を も つ て 諸 書 を 研 究 さ れ る の で あ つ た 。 而 し そ れ ら 研 究 の 中 に あ つ て 最 も 大 師 の 趣 向 に 適 し た も の は 、 出 家 の 道 で あ つ た 。 こ れ に よ っ て ﹁ 經 史 を 博 覧 す れ と も 專 ら 佛 經 を 好 み 、 恒 に 思 ふ 我 が 習 ふ 所 の 外 書 上 古 の 俗 教 は 古 入 の 糟 粕 の み 、 浮 生 の 間 眼 前 尚 す ベ て 利 弼 無 し 、 矧 や 一 期 背 世 の 後 何 の 盆 か あ ら ん 。 眞 の 幅 田 を 仰 が ん に し か ず ﹂ ご 述 懐 を 述 べ て ゐ ら れ る 。 か ゝ る 出 家 求 道 の 心 は 熱 し て 遂 に 有 名 な ﹁ 三 教 指 歸 ﹂ 三 卷 の 著 と な り 、 自 ら は 直 接 佛 道 に 歸 し て 近 士 と な ら 無 空 と 名 を 改 め ら れ た 。 爾 後 專 ら 都 會 生 活 よ り 脱 し て 山 林 を 經 行 し 名 山 絶 獻 の 隈 、 幽 谷 孤 岸 の 奥 に 超 然 と 獨 住 し 苦 修 練 行 以 っ て 心 身 の 練 磨 に 勵 ま れ た 。 當 時 の 實 状 は 三 教 指 歸 の 中 に 十 分 に 述 べ て ゐ ら れ る こ と に よ つ て 、 そ の 事 實 な る を 思 ふ と 共 に そ の 精 進 の 實 際 が し の ば れ 又 感 涙 な き を 得 な い 。 大 師 は 延 暦 十 二 年 癸 酉 二 十 歳 の 時 勤 操 僧 正 に 率 ゐ ら れ て 和 泉 國 槇 尾 山 寺 に 發 向 し 、 此 處 に て 剃 髪 し 沙 彌 十 戒 七 十 二 威 儀 の 法 を 授 か り 、 名 を 改 め て 教 海 と 號 し 、 其 後 又 自 ら 改 め て 如 空 と 稱 し 給 ふ た 。 剃 髪 の 年 號 に 就 い て は 延 暦 十 一 年 と も 云 ひ 、 或 は 二 十 一 歳 得 度 と も 傳 へ 、 一 一十 二 歳 出 家 な ど ゝ い ふ 異 説 も め る け れ ど 、 多 く は 二 十 歳 説 を 用 う る 。 次 い で 延 暦 十 四 乙 亥 歳 四 月 九 日 に 東 大 寺 戒 壇 に 於 い て 具 足 戒 を 受 け 法 の 誰 を 空 海 と 改 め ら れ た 。 時 の 戒 牒 文 を 見 る に 元 興 寺  大 徳 泰 信 律 師  奉 請 爲 和 上 西 大 寺  大 徳 勝 傳 律 師  奉 請 爲 尊 證

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東 大 寺  大 徳 安 禎 律 師  奉 請 爲 尊 證 東 大 寺  大 徳 眞 良 律 師  奉 請 爲 尊 證 東 大 寺  大 徳 安 曁 律 師  奉 請 爲 羯 磨 興 幅 寺  大 徳 信 命 律 師  奉 爲 請 尊 證 東 大 寺  大 徳 藥 上 律 師  奉 請 爲 尊 證 招 大 寺  大 徳 豊 安 律 師  奉 請 爲 教 授 招 大 寺  大 徳 安 琳 律 師  奉 請 為 尊 證 興 福 寺  大 徳 靈 忠 律 師  奉 請 爲 尊 證 西 大 寺  大 徳 平 福 律 師  奉 請 爲 尊 證 と い ふ 奉 請 の 列 名 が あ り 、終 り に は 和 上 傳 燈 大 法 師 泰 信 ・別 當 威 儀 師 修 行 法 師 光 厚 の 名 が 記 さ れ て ゐ る こ れ も 一 説 に は 延 暦 二 十 三 年 或 は 二 十 二 年 と い ふ け れ ど 、 今 の 説 が 正 し い の で は な い か と 思 ふ 。 諸 傳 又 多 く 一 致 す る 所 と な づ て ゐ る 。 大 師 は 又 勤 操 僧 正 に 師 事 し て 法 相 三 論 を 禀 け 、 倶 舍 や 律 の 學 を 護 命 に 習 ひ 、 華 嚴 天 台 等 の 學 又 畢 る 然 も 猶 大 師 の 心 中 に は 何 等 か 満 足 し 得 ざ る も の が 殘 つ て ゐ る の で あ つ た 。 乃 特 に 佛 前 に 起 誓 し て 要 を 求 む る に 、 途 に 大 日 經 の 高 市 郡 久 米 寺 の 道 塲 東 塔 の 下 に 在 る こ と を 感 得 し て 參 籠 、 求 め て 開 く に 意 の 空 海 大 師 周 園 の 人 々  三 三

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  三 四 通 ぜ ざ る 所 多 く 、 尋 ぬ る に 師 な く 、 此 處 に 入 唐 の 志 を 發 し 、 延 暦 二 十 二 年 三 月 遣 唐 大 使 從 四 位 上 藤 原 朝 臣 葛 野 麻 呂 ・ 副 使 從 五 位 上 石 川 道 盆 等 と 共 に 四 月 十 四 日 難 波 を 進 發 せ し も 風 波 荒 く し て 渡 海 出 來 す 、 翌 年 四 月 に 愈 々 出 發 入 唐 せ ら れ る こ と ゝ な つ た 。 傳 教 大 師 又 同 船 便 に て 入 唐 さ れ る の で あ つ た 。 ( 上 紀 伊 績 風 土 記 卷 四 、 開 山 傳 一 參 照 ) 傳 ふ る 所 に 依 れ ば 御 年 廿 四 の 時 、 前 年 に 草 稿 し 給 ふ 所 の 三 教 指 歸 を 再 治 さ れ た と い ふ 。 け れ ど 今 そ の 述 作 の 年 次 を 考 ふ る に 、 大 師 自 ら そ の 序 文 に ﹁ 二 九 に し て 槐 市 に 遊 聽 す ﹂ と 云 は る ゝ は 、 大 學 に 於 て 專 ら 聽 講 研 鑚 さ る ゝ に 到 つ た 年 次 を 記 さ る ゝ も の で あ り 、 そ の 終 り に ﹁ 勒 し て 三 卷 と 成 し 名 け て 三 教 指 歸 と 日 ふ ( 中 略 ) 時 に 延 暦 十 六 年 臘 月 一 日 な り ﹂ と あ る 。 こ れ を 聾 瞽 指 歸 に 就 い て 見 る に 、 二 九 に し て 椀 市 に 遊 聽 す る の 文 は な い け れ ど 、﹁ 時 に 平 朝 御 守 聖 帝 瑞 號 延 暦 十 六 年 窮 月 始 日 ﹂ と あ り 、 此 の 年 は 下 卷 に ﹁ 未 だ 思 ふ 所 に 就 か す し て 忽 に 三 八 の 春 秋 を 經 た り ﹂ と 述 懐 さ る ゝ 、 そ の 生 年 に 合 致 す る 所 と な る 。 然 ら ば 三 教 指 歸 は 延 暦 十 六 年 、 生 年 二 十 四 の 時 の 作 と し な く て は な ら ぬ 。 假 令 聾 瞽 指 歸 を 三 教 指 歸 に 改 作 さ れ セ に し て も 、 兩 書 そ の 年 次 の 合 す る も の あ る 以 上 、 改 作 は そ れ 以 後 の こ と に し て 、 年 次 を 改 め て は ゐ ら れ な い と い ふ 結 論 に 到 達 せ ざ る を 得 ぬ 。 果 し て 然 ら ば 此 の 書 は 出 家 得 度 受 戒 以 後 の 著 と な る 。 思 ふ に 大 師 出 家 に 到 る ま で の 心 的 過 程 や 周 園 の 入 々 と の 間 に 存 し た る 家 庭 的 事 情 を 手 記 し 論 文 と し て 、﹁ 唯 寫 憤 懣 之 逸 氣 誰 望 二 他 家 之 披 覧 一﹂ と も 述 べ ら れ た の で あ ら う 。 若 し 私 の 所 見 に し て 誤

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り な し と せ ば 、 二 十 四 歳 以 前 に そ の 草 稿 成 り 、 此 の 年 に 再 治 さ れ た と 傳 ふ る 修 行 縁 起 や 眞 言 録 等 の 説 の 文 献 的 根 據 の 薄 弱 な る に 想 倒 せ ざ る を 得 ぬ 。 眞 濟 僧 都 の 室 海 僧 郡 傅 を 始 め 多 .く の 大 師 傳 を 録 す る 書 の 、 一 様 に ﹁ 作 三 教 指 歸 三 卷 成 優 婆 塞 ( 或 近 士 ) ﹂ 等 と い ふ て 、 出 家 の 志 を 述 ぶ る 爲 め に 此 の 書 を 作 ら れ た り と す る 説 に も 、 急 に 讃 成 し 難 い こ と ゝ な る 。 此 の 點 猶 ほ 考 究 を 要 す べ き か 。 大 師 延 暦 十 七 年 に は 阿 波 の 國 大 龍 寺 を 創 建 し 、 自 ら 佛 像 を 彫 刻 し て 所 々 に 安 置 し 給 ふ と 傳 へ 、 同 二 十 一 年 頃 に は 天 照 大 神 宮 に 參 詣 し 、 法 樂 院 常 明 寺 に 住 し、 毎 日 六 時 に 兩 鎭 座 に 參 宮 し 給 ふ と も い ふ 。 三 大 師 入 唐 以 前 に 就 い て の 傳 記 の 大 概 は 前 項 の 如 き で あ る が 、 彼 の 戒 牒 文 に 記 さ れ た 列 名 の 中 、 唐 招 提 寺 豊 安 律 師 以 外 の 諸 師 の 傳 は 共 に 十 分 詳 に す る を 得 な い の は 殘 念 で あ る 。 唯 ﹁ 招 提 千 載 傳 記 ﹂ 卷 中 之 一 (佛 全 三 五 一 ) に ﹁ 律 師 安 琳 不 知 何 許 人 居 于 招 提 盛 唱 毘 尼 延 暦 十 四 年 弘 法 大 師 於 二 東 大 戒 場 受 具 戒 師 爲 尊 勝 也 ﹂ (下 略 ) と あ る は 注 意 す べ き 一 文 と す 。 次 に 豊 安 と は 如 何 な る 人 で あ る か 、 元 享 釋 書 卷 第 十 三 (佛 全一五九 )に は 參 州 の 人 、 招 提 寺 如 賓 の 徒 、 大 同 帝 貴 ん で 師 と 爲 す と 記 す ば か り 、 本 朝 高 僧 傳 に は 稍 々 詳 細 で あ る 。 そ れ に よ る と 、 師 は 參 州 の 人 に し て 如 寳 律 師 に 從 つ て ﹁ 戒 疏 ﹂ を 細 審 研 究 し 、 學 諸 家 を 兼 ね て ゐ た 。 衆 の 請 に 依 り 招 提 寺 に 佳 し 、 持 律 堅 固 に し て 衆 の 悦 服 す る 所 と な つ た 。 平 城 帝 は 其 の 道 心 を 欽 快 と し 宮 中 に 詔 し 菩 薩 の 大 戒 を 受 け 給 ひ 空 海 大 師 周 園 の 人 々  三 五

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  三 六 次 い で 公 卿 妃 績 相 尋 い で 受 戒 勅 あ り て 少 僧 都 に 任 ぜ ら れ た 。 嘗 て 朝 廷 よ り 諸 宗 の 耆 徳 に 勅 し 、 各 宗 一 家 の 奥 義 を 録 し 進 せ し め ら る 。 そ の 時 安 律 師 は ﹁ 戒 律 傳 來 記 三 卷 ﹂ を 作 つ て 上 る 。 帝 は そ の 智 徳 を 賞 し 大 僧 都 に 轉 ぜ し め 給 ふ と 、 弘 仁 三 年 に 勅 あ り 、 沙 門 に し て 法 を 犯 す も の は 僧 律 を も つ て 治 す べ く 、 又 僧 尼 の 新 受 戒 者 は 安 に 從 つ て 律 を 學 べ よ 云 云 、 滅 後 勅 し て 僧 正 位 を 贈 ら れ た 。 律 師 は 五 重 の 寳 塔 を 招 提 寺 に 建 て 、 又 放 生 池 を 諸 所 に 置 い た 。 嗣 法 の 上 足 に は 道 静 律 師 あ り 、 豊 安 は 招 提 第 四 世 に 住 す と 但 し ﹁ 律 苑 僧 寳 傳 ﹂ や ﹁ 招 提 千 載 傳 記 ﹂ 上 之 二 等 に は 安 を 傳 律 第 五 祖 に 列 ね 、 第 四 祖 に は ﹁ 如 寳 少 僧 都 ﹂ を 列 ぬ 。 且 つ 千 歳 記 に は 承 和 七 年 九 月 二 十 入 日 に 勅 あ り て 僧 正 の 綱 位 を 賜 ふ と い ふ ( 々 群 書 類 從 第 十 一 宗 教 部 三 五 一 ) 又 同 書 卷 下 之 一 ・ 殿 堂 篇 地 藏 堂 の 條 に は ﹁ 海 公 與 如 寳 公 友 善 ﹂ 云 云 と 記 し 、 招 提 第 四 祖 如 寳 傳 ( 佛全 三 一 三 ) に は 少 僧 都 誰 如 寳 朝 鮮 國 の 人 、 何 氏 な る を 知 ら ず 、 天 性 異 氣 萬 員 に 秀 で 、 鑑 眞 に 隨 つ て 受 戒 、 弘 仁 六 年 正 月 己 卯 七 日 寂 、 扶 桑 に 居 ず る こ と 六 十 餘 年 齢 入 旬 に 迫 ぶ 、 弘 法 大 師 の 如 き は 魚 水 の 交 を な す と 。 以 つ て 如 寳 ・ 豊 安 ・ 大 師 て ふ 三 者 の 親 交 状 態 知 る べ き で あ る 。 如 寳 師 は 唐 の 人 、 鑑 眞 と 共 に 來 朝 、 戒 行 清 白 に し て 當 代 に 貴 ば る 、 延 暦 二 十 三 年 正 月 に 奏 し て 律 講 を 招 提 寺 に 開 く 、 弘 仁 五 年 五 月 化 (元 享 釋 書 佛 全 、 一 五 九 ) 本 朝 高 俗 傳 に は 次 の 如 く 記 す 釋 如 質 は 唐 土 の 人 ( 朝 鮮 國 の 人 と も いふ ) 高 奇 俊 慧 に し て 早 く よ り 鑑 眞 を 師 と し て 剃 髪 、 眞 に 從 つ て 來 朝 、 戒 壇 創 設 の 業 に 當 り 、 進 退 に 度 あ り 、 具 足 戒 を 受 け 、 諸 部 を 綜 覈 、 下 野 藥 師 寺 に 住 し 、 叉 招 提 に 移 り 律 教 を 闡 揚 す 。 講 演 の 外 に 又 壇

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興 に 力 を つ く し て 効 績 あ り 、 大 殿 を 啓 建 し 丈 六 の 盧 舎 那 佛 を 安 じ 、 桓 武 帝 后 妃 太 子 と 共 に 受 戒 さ る 。 又 諸 公 卿 皆 其 教 を 承 く 。 延 暦 二 十 三 年 に は 招 提 律 講 開 演 の 事 を 奏 し て 制 可 あ り 、 永 代 の 式 と な さ れ た 嵯 峨 天 皇 は 弘 仁 四 年 に 封 五 十 戸 を 賜 ひ 、 又 僧 粮 を 給 ふ 。 そ の 翌 年 某 日 化 、 壽 九 十 餘 、 或 は 弘 仁 六 年 正 月 七 日 化 と も 傳 ふ 。 ( 意 、 佛 全 、 七 五 六 、 律 苑 僧 賓 傳 第 十 参 照 ) 性 靈 集 第 四 に は ﹁ 爲 大 徳 如 寳 奉 謝 恩 賜 招 提, 封 戸 表 ﹂ と い ふ 大 師 の 一 文 が 録 せ ら れ て ゐ る 中 に 如 賓 師 を 賛 じ て ﹁ 人 中 之 抜 楚 法 城 之 葛 亮 ﹂ と 、 寳 師 に 封 す る 大 師 の 意 中 察 す る に 除 り あ る で あ ら う 次 に 注 意 す べ き は 東 大 寺 別 當 次 第 に 出 す ﹁ 和 州 東 大 寺 沙 門 堪 久 傳 ﹂ で あ る 。 傳 に 依 る に 師 は 延 暦 十 四 年 東 大 寺 別 當 に 任 ぜ ら れ 、 三 學 の 席 を 張 り 、 四 來 の 賓 に 接 す 。 是 の 歳 四 月 九 日 空 海 登 壇 、 久 に 就 い て 、 具 足 戒 を 学 と 云 ひ 、 其 の 終 る 所 を 詳 に せ ず と 。 寺 務 に 當 る こ と 四 年佛全、東大寺叢書一之四一六 ) 高 僧 傳 に は 堪 久 君 は 桓 武 帝 の 皇 子 、 東 大 寺 良 慧 僧 都 に 随 つ て 落 飾 、 神 情 朗 爽 、 卓 爾 と し て 群 に 超 え 、 又 學 を 好 み 慧 解 増 す 。 毘 尼 に 從 事 し 、 尤 も 華 嚴 を 究 む と 傳 ふ 。 ﹁ 招 提 千 載 傳 記 ﹂ 巻 中 之 一 明 律 篇 (續々群書類從第十一、宗教部 ) に 思 託 の 傳 を 記 し 、 師 は 唐 國 の 人 、 神 姓 俊 逸 英 辨 快 利 實 に 法 界 の 猛 龍 な り と い び 鑑 眞 國 師 に 從 つ て 台 律 を 習 學 、 國 師 に 同 道 し て 來 朝 、 眞 の 寂 後 有 名 な る 東 征 傳 三 卷 を 著 は す 。 ﹁ 如 弘 法 大 師 随 師 受 菩 薩 戒 矣 ﹂ と 、 南 宗 傳 ・律 苑 僧 寳 傳 亦 そ の 説 を 傳 ふ 、 東 大 寺 宗 性 の ﹁ 日 本 高 僧 傳 要 文 抄 ﹂ 第 三 に は 、 思 詫 天 平 寳 字 七 年 癸 卯 五 月 六 日 寂 春 秋 七 十 七 と 出 し 、 高 僧 空 海 大 師 周 園 の へ人 々  三 七

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  三 八 傳 に は 延 暦 の 末 に 寂 ・ 年 七 十 餘 こ い ふ 。 天 平 寳 字 な ら ば 空 海 受 戒 の 説 成 立 せ ず 。 猶 研 究 を 要 す べ き 説 と す 。 律 苑 僧 寳 傳 第 十 (佛 、 全 二 四 四 ) を 見 る に ﹁ 讃 州 屋 島 寺 沙 門 慧 雲 傳 ﹂ の 下 に は 、 繹 慧 雲 空 盛 と 號 し 、 唐 國 の 人 早 く よ り 鑑 眞 に 從 つ て 剃 髪 習 學 、 高 才 偉 器 に し て 、 眞 公 と 共 に 來 朝 、 東 大 寺 に 納 具 し 戒 壇 院 に 住 し 、 そ の 第 五 世 と な つ た 。 後 屋 島 寺 に 移 り そ の 第 一 代 と な り 、 講 貫 を 事 と し 爲 に 學 士 欽 屬 、 來 り 學 ぶ も の 席 を 爭 ふ の 有 様 で あ つ た 。 弘 法 大 師 の 如 き は 師 に 随 つ て 毘 尼 を 學 ぶ と い ふ 。 ﹁ 大 師 從 師 學 習 毘 尼 ﹂ の こ と は 招 提 千 載 記 卷 中 之 一 に も 出 す 所 、 こ れ 復 注 意 を 用 す べ き 記 事 と す べ き で あ ら う 。 因 に 鷲 尾 順 敬 氏 ﹁ 日 本 佛 家 人 名 辭 書 ﹂ に 、 大 師 の 出 家 年 次 に 就 い て の 異 説 數 種 を 出 し 、 眞 濟 僧 都 傳 に 依 り 、 ﹁ 延 暦 十 七 年 二 十 五 歳 に し て 優 婆 塞 と な り 、 後 、 延 暦 二 十 二 年 三 十 歳 に し て 始 め て 具 足 戒 を 受 け た る も の な ら ん か ﹂ と い ひ 、 又 ﹁ 三 教 指 歸 等 に 依 れ ば 大 師 が 佛 教 に 歸 し た る は 二 十 五 歳 以 後 な る こ と 事 實 な る べ し ﹂ と 記 し て ゐ ら れ る 。 然 し 予 輩 の 所 見 に 從 へ ば 、 三 教 指 歸 は 前 項 所 述 の 如 く 御 生 年 二 十 四 歳 の 時 の 述 作 に し て 、 そ れ 以 前 に 虚 空 藏 求 聞 持 法 を 傳 法 と し て ゐ ら れ る こ と も そ の 指 歸 の 文 に よ つ て 明 了 で あ る 。 且 つ 延 暦 十 四 年 具 戒 の こ と は 多 く の 大 師 傳 の 共 に 信 用 す る 所 と な つ て を り 、 又 ﹁ 堪 久 ﹂ の 傳 や 、 ﹁ 安 琳 ﹂ の 傳 に も そ の 事 實 を 傳 ふ る も の あ り 、 彼 れ 此 れ 思 ひ 合 は す 時 、 大 師 の 歸 佛 は 、 三 数 指 歸 述 作 以 後 の こ と に 非 ず し て 、 そ れ 以 前 と し な く て は な ら ぬ 。 そ の 年 次 は 京 洛 に 遊 學 す る の 後 と

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見 る が 最 も 妥 當 な り と 信 す る 。 予 は ﹁ 指 歸 ﹂ と ﹁ 眞 濟 ﹂ 記 と の 、 二 本 の 中 に て は 、 ﹁ 指 歸 ﹂ を も つ て 信 用 す べ き も の と す る 。 思 ふ に 眞 濟 師 は ﹁ 三 教 指 歸 ﹂ を も つ て 、 出 家 の 志 を 述 ぶ る の 書 と 解 し て 、 此 の 書 述 作 以 後 に 出 家 さ れ た も の と 記 し た の で あ ら う 。 然 し か く 解 す る こ と の 妥 當 な る か 否 か は 今 一 應 反 省 す べ き 要 な き か 。 尤 も 大 師 御 自 身 に は ﹁ 未 だ 思 ふ 所 に 就 か ず し て 忽 に 三 八 の 春 秋 を 經 た り ﹂ と 記 さ ゐ 。 此 の ﹁ 思 ふ 所 ﹂ と は 軍 に 出 家 の 志 を 果 成 す る こ と を 指 し た と す べ き か 。 私 は 寧 ろ 、 大 師 自 身 の 理 想 要 求 を 満 足 し 得 べ き 何 物 を も 得 ら れ す し て 、 忽 に 三 入 の 春 秋 を 過 ご し た こ と を 謙 遜 的 に 述 懐 さ れ た の で は な い か と 思 ふ 。 こ の こ と は 假 名 乞 士 の 修 行 者 的 生 活 の 全 體 が 物 語 つ て ゐ る か の 如 く に 考 へ ら る ﹁ 余 前 き に は 汝 が 如 く 迷 ひ 疑 ひ き 、 但 し 頃 日 の 間 適 々 良 師 の 教 に 遇 ふ て 既 に 前 生 の 醉 を 醒 せ り ﹂ と 、 こ れ ら は 正 に 當 時 大 師 自 身 の 心 境 を 述 べ ら る ゝ も の で は あ る ま い か 。 私 は 上 述 す る 如 き 文 献 を 本 と し て 、﹁ 指 歸 ﹂ は 出 家 以 後 の 述 作 と し た い の で あ る 。 或 は ﹁ 思 ふ 所 に 就 か ず ﹂ と は 、 入 唐 求 法 の 外 に 往 く べ き 道 の な き を 豫 想 さ る ゝ の で は な い か と さ へ 思 ふ 。 入 唐 求 法 の 直 接 の 動 機 は 大 日 経 披 覧 に あ る べ き も 、 其 の 決 心 は 當 時 既 に 有 し て ゐ ら れ た の で は な か ら う か 。 四 以 上 は 大 師 受 戒 の 事 實 に 件 ふ 諸 師 の 記 録 で あ つ た が 、 次 に 考 へ ら る べ き こ と は 剃 髪 の 師 と し て の 勤 操 大 徳 と 、 そ れ よ り 受 法 せ ら れ た る 求 聞 持 法 傳 來 の こ と ゝ す 。 先 づ 御 遺 告 釋 疑 鈔 ( 頼 瑜 師 記 ) 上 の 終 空 海 大 肺 周 園 の 人 々  三 九

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  四 〇 を 見 る に 、 求 聞 持 法 相 承 の こ と を 記 し て 入 唐 學 法 沙 門 道 慈 律 師-行 表 和 尚-傳 教 大 師 ﹁ 大 安 寺 三 論 名 匠 善 議 大 徳-贈 僧 正 勤 操 -弘 法 大 師 と し 、 道 慈 に 就 い て は 、 興 輻 寺 の 人 、 渡 海 入 唐 し て 一 行 阿 闍 梨 に 謁 し 此 の 法 を 傳 授 す と い ふ 。 然 し 一 行 よ り 傳 授 す と は 、 他 の 僧 傳 に 見 ざ る 所 、 或 は 無 畏 一 行 師 資 の 關 係 を 考 へ 過 ご し た る に 依 る 説 か 。 無 畏 に 就 い て は 、 開 元 四 年 に 長 安 興 福 寺 南 塔 院 に 達 し 、 次 季 開 元 五 年 菩 提 院 に 於 い て 求 聞 持 法 を 譯 す と 出 す 。 道 慈 律 師 は 入 唐 中 無 畏 三 藏 に 謁 し て そ の 法 を 受 け た 。 こ れ に 就 い て 凝 然 大 徳 は 、 そ の 著 三 國 佛 法 傳 通 縁 起 卷 中 (佛 、 全 一 一 〇 ) に 、 道 慈 は 文 武 天 皇 大 寳 元 年 に 入 唐 、 總 じ て 六 宗 を 傳 ふ る 中 三 論 を 本 宗 と し た 在 唐 學 法 十 入 年 、 元 正 天 皇 の 養 老 二 年 歸 朝 、 三 論 を 本 と し 兼 ね て 法 相 眞 言 等 の 宗 を 弘 む 。 善 無 畏 三 藏 は 開 元 四 年 に 來 唐 、 道 慈 の 歸 朝 は 猶 そ れ よ り 三 年 後 の こ と で あ る か ら 、 必 ず 其 間 に 新 來 の 大 善 智 識 た る 無 畏 に 會 ひ 、 眞 言 法 を 習 學 し た も の と 思 は る 。 か く て 慈 は 歸 朝 後 天 平 十 六 年 甲 申 十 月 入 滅 、 年 七 十 餘 と 云 ひ 、 復 同 書 (沸 、 全 一 二九 ) に は 、 道 慈 在 唐 中 六 宗 を 傳 習 す 、 眞 言 は そ の 隨 一 に し て 求 聞 持 法 は 特 に 精 詳 な る 所 、自 行 化 他 菅 此 の 法 を も つ て す 。 或 は 道 慈 ・ 智 鳳 よ り 求 聞 持 法 を 受 く と い ふ 、 年 代 可 考 と 慈 、 姓 は 額 田 氏 和 州 添 下 郡 の 人 、 少 よ り 出 家 天 性 靈 敏 、 三 論 を 法 隆 寺 の 智 藏 に 受 け , 法 相 を 龍 門 寺 義 淵 に 受 け 、 文 才 あ り と 。 或 は 在 唐 十 六 年 と い ふ 説 も あ る が 如 く な れ ど 、 凝 然 大 徳 は 十 入 年 説 を 依 用 す 。 慈 の

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入 滅 は 天 平 十 六 甲 申 歳 十 月 某 日 と 。 或 は 南 都 高 僧 傳 の 如 き 天 平 十 五 年 と も 傳 ふ 。 歳 七 十 ( 本 朝 高 僧 傅 参 照 ) 元 亨 釋 書 に は 唯 在 唐 中 密 者 に 逢 ふ て 虚 空 藏 求 聞 持 法 を 得 こ の み 記 ,し て 善 無 畏 と 指 名 せ す 。 而 し 師 が 求 聞 持 法 を 傳 へ た と い ふ こ と に 就 い て の 異 論 は 認 め て ゐ な い 。 道 慈 は 復 大 唐 西 明 寺 を 圖 し て 大 安 寺 を 本 朝 に 建 立 し た 。 こ れ に 就 い て 大 師 の 御 遺 告 と 稱 す る 二 十 五 ヶ 條 文 の 中 、 第 入 に ﹁ 吾 後 生 弟 子 門 徒 等 以 二 大 安 寺 可 爲 二 本 寺 軸縁 起 ﹂ を 出 す 。 曰 く 大 安 寺 是 兜 率 之 構 祇 園 精 舎 業 ⋮ ⋮ ⋮ 初 發 心 本 吾 祖 師 道 慈 律 師 遂 二 為 推 古 天 皇 御 願 者 也 依 之 吾 大 師 石 淵 贈 僧 正 彼 寺 爲 本 寺 而 御 弟 子 等 皆 令 入 住 也 ﹂ と い ひ 、 叉 ﹁ 方 今 案 本 意 吾 先 師 御 寺 大 安 寺 是 勝 地 矣 ﹂ と 。 蓋 し こ れ ら の 語 は 大 師 の 御 遺 告 こ し て 疑 ひ な き も の と 信 す る 。 善 議 大 徳 は 姓 慧 賀 氏 河 州 錦 織 郡 の 人 、 爽 抜 和 潤 に し て 出 家 に 志 厚 く 、 大 安 寺 の 道 慈 に 從 つ て 三 論 の 學 を 受 け 、 そ の 蘊 奥 を 究 め て 尚 意 に 満 た ず と し 、 海 を 渡 り て 唐 に 入 り 遍 く 明 徳 を 尋 ね 、 歸 朝 の 後 大 安 、 寺 に 佳 し 空 宗 を 宣 揚 す 。 弘 仁 三 年 入 月 某 日 、 壽 八 十 四 に し て 寂 、 そ の 神 足 に 安 澄 と 勤 操 と の 二 人 が あ る 。 吾 大 師 は ﹁ 勤 操 大 徳 影 讃 ﹂ の 中 に 、 勤 操 年 甫 め て 十 二 に し て 大 安 寺 の 信 靈 大 徳 に 就 い て 以 つ て 師 ご し 、 具 足 入 壇 の 後 同 寺 三 論 の 名 匠 善 議 大 徳 に 就 い て 、 三 論 の 幽 頤 を 稟 け 、 勤 め て 十 餘 年 を 經 る 、 彼 の 大 徳 は 故 入 唐 學 法 沙 門 道 慈 律 師 の 入 室 で あ る ﹂ と 誌 さ れ た 。 こ れ に よ つ て 道 慈 ・ 善 議 ・勤 操 の 師 資 關 空 海 大 師 周 園 の 人 々  四 一

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  四 二 係 甚 だ 明 了 な り と す べ き で あ ら う 。 安 澄 は 姓 身 人 氏 丹 州 船 井 郡 の 入 、 三 論 を 善 議 に 學 び て そ の 玄 蘊 を 究 め 兼 ね て 密 教 を 學 び 勤 操 と 深 交 あ り 大 安 寺 に 權 し 、 誓 を 發 し 志 を 立 て 弘 法 大 師 を 助 く る を 己 が 任 と し た 。 人 と な り 敏 捷 天 逸 其 右 に 出 つ る も の が な か つ た と い ふ 。 議 論 絶 倫 に し て 西 大 寺 の 泰 演 法 師 は そ の 論 敵 で あ り 、 宮 中 の 講 曾 に 屡 々 空 有 の 論 諍 を し た と 傳 ふ 。 弘 仁 五 年 三 月 一 日 西 大 別 院 に 終 る 春 秋 五 十 二 。 勤 操 は 姓 秦 氏 和 州 高 市 郡 の 人 、 天 平 寳 字 二 年 に 生 れ 、 十 二 歳 に し て 大 安 寺 信 靈 を 禮 し て 師 こ し 、 後 善 議 法 師 に 就 い て 三 論 を 學 び , 神 護 景 雲 四 年 勅 あ り 宮 中 及 び 山 階 寺 に 一 千 僧 を 度 し 、 又 弘 仁 の 初 め に 大 極 殿 に 於 い て 最 勝 王 經 を 講 じ 畢 つ て 紫 宸 殿 に 於 い て 、 諸 宗 の 碩 徳 に 宣 し 各 宗 義 を 立 て し め ら る 。 時 に 勤 操 座 首 た り 、 そ の 時 操 は 三 論 を 尊 ん で 君 父 と し 法 相 を 斥 け て 臣 子 と し た と 傳 ふ 。 時 に 帝 の 推 賞 を 得 て 僧 都 に 任 せ ら れ 、 又 石 淵 寺 を 和 州 に 開 い て 大 い に 空 宗 を 張 り 兼 ね て 密 法 を 授 け 、 當 時 の 學 匠 多 く そ の 座 下 に 歸 す 天 長 三 年 大 僧 都 に 轉 じ 、 そ の 翌 年 西 寺 北 院 に 終 る 壽 七 十 法 臘 四 十 七 、 師 は 淳 和 帝 の 時 既 に 擢 で ら れ て 西 寺 の 主 と な つ て ゐ た の で あ る 。 空 海 大 師 は 實 に 師 の 門 よ り 出 で た る 逸 物 と す 。 大 師 と 勤 操 大 徳 と の 師 資 關 係 を 文 献 の 二 三 に 就 て 見 る に 、 ﹁ 遺 告 住 山 諸 弟 子 等 ﹂ (全 、 集 、 洋 本 二 、 七 七 一 ) の 中 に は 初 逢 石 淵 僧 正 受 虚 空 藏 法 入 心 念 誦 と あ り 、 二 十 五 條 御 遺 告 の 中 に も 同 意 の 文 見 ら れ 前 出 、 大 安 寺 を も つ て 本 寺 と 爲 す べ き 縁 起 文 の 中 に

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も ﹁ 吾 大 師 石 淵 贈 僧 正 ﹂ と 記 し 、 ﹁ 性 靈 集 ﹂ 卷 九 に は ﹁ 故 贈 僧 正 勤 操 大 徳 影 讃 並 序 ﹂ な る 大 師 の 一 文 を 録 す 。 中 に 、 ﹁ 勤 操 俗 姓 は 秦 氏 、 母 は 鳥 の 史 、 大 和 州 高 市 の 人 ﹂ と 云 ひ 、﹁ 吾 師 の 相 貌 は 凡 類 に 等 し け れ と 心 行 は 天 殊 に し て 志 は 神 の 若 し と 述 べ 、 ﹁ 弟 子 僧 等 丁 子 の 孝 感 を 顧 み て 邦 の 檀 木 を 刻 み 曰 月 に 懸 け ん と 欲 し て 詞 を 余 が 翰 に 憑 む ﹂ 。 又 、 ﹁ 貧 道 と 公 と 蘭 膠 な る こ と 春 秋 已 に 久 し ﹂ と 述 懐 し 、 ﹁ 筏 は 能 く 濟 ひ 車 は 能 く 運 ぶ 、 然 も 猶 御 す る 人 な く ん ば 遠 き に 致 す 能 は ず 、 花 師 な く ん ば 深 を 超 ゆ る 能 は す 道 も 亦 如 之 ﹂ と 、 こ れ ら を 通 讀 す る 時 大 徳 と 大 師 ご 、 師 資 の 關 係 あ る べ き こ と 炳 然 た る で あ ら う 。 假 設 、 眞 濟 大 徳 の ﹁ 空 海 僧 都 傳 ﹂ や 、 貞 觀 寺 座 主 の ﹁ 空 海 和 上 傳 記 ﹂ 、 若 し は ﹁ 三 教 指 歸 ﹂ に 、 勤 操 大 徳 の 名 を 幽 さ ず 若 し は 畢 に ﹁.就 於 沙 門 學 虚 空 藏 聞 持 法 ﹂ と の み 記 す と も 、 二 人 の 師 資 關 係 を 否 定 す る こ ご は 出 來 な い で あ ら う 。 そ し て 大 師 に 聞 持 法 を 授 け た 人 は 當 然 勤 操 で あ つ た と 考 へ ざ る を 得 な い 。 以 上 の 眞 言 法 傳 持 の 次 第 に 就 い て 、 凝 然 大 徳 は 、 ﹁ 道 慈 は 眞 言 法 を 善 議 ・慶 俊 に 授 け 、 議 公 こ れ を 勤 操 に 授 け 、 勤 操 こ れ を 弘 法 大 師 に 授 く ﹂ 、 と 、 ( 三 國 佛 法 傳 法 縁 起 卷 中 、 参 照 ) 記 さ れ た 。 蓋 し 古 來 異 論 の な き 所 か 。 慶 俊 律 師 は 、 善 議 大 徳 と 共 に 大 安 寺 に あ り 、 道 慈 に 從 つ て 倶 に 眞 言 を 學 ぶ 。 中 で も 慶 俊 は 專 ら 眞 言 を 宗 と し て 愛 岩 山 の 本 願 と な つ た 。 そ れ に 就 い て 大 師 は ﹁ 以 珍 皇 寺字愛當寺 可 修 治 後 生 弟 子 門 徒 之 中 縁 起 ﹂ と い ふ 文 を 、 二 十 五 條 御 遺 告 の 第 四 に 残 さ れ た 。 そ の 丈 を 見 る に 空 海 大 師 周 園 の 人 々  四 三

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  四 四 右 の 寺 建 立 の 大 師 は 是 れ 吾 祖 師 故 の 慶 俊 僧 都 で あ る 云 云 ( 下 略 ) ご 、 然 ら ば 餘 程 慶 俊 僧 都 に も 師 事 し て ゐ ら れ た も の と 思 は る 。 法 脉 上 の 關 係 よ り 見 て 亦 然 る べ き か 。 勤 操 大 徳 は 三 諭 を 君 父 と し 、 法 相 を 臣 子 ご 譬 説 さ れ た と 云 へ ば 、 法 相 に 就 い て も 相 當 の 研 鑚 あ り し も の と い ふ べ く 、 そ の 思 想 影 響 の 大 帥 の 上 に 存 す べ き こ と 復 當 然 と す べ き で あ ら う 。 (本 論 第 八 項 参 照 ) 因 に 檢 校 保 巳 一 の ﹁ 僧 綱 補 任 抄 出 ﹂ に は 勤 操 を 道 慈 の 弟 子 と 記 す も 、 兩 者 年 代 の 相 違 す る を 思 ふ 時 そ は 何 か の 謬 り と 察 せ ら る 。 當 時 大 師 の 受 法 さ れ た る 求 聞 持 法 と は 如 何 な る も の か 。 二 十 五 條 御 遺 告 に は 、 ﹁ 生 年 十 五 に 及 び て 入 京 し 初 め て 石 淵 の 贈 僧 正 大 師 に 逢 ふ て 、 大 虚 空 藏 等 並 に 能 満 虚 空 藏 の 法 呂 を 受 け 心 に 入 れ て 念 持 す ﹂ と い ふ 。 そ れ に 就 い て 釋 疑 鈔 に 頼 瑜 師 記 し て 、 大 虚 空 藏 と い ふ は 不 室 所 譯 の ﹁ 大 虚 空 藏 菩 薩 念 誦 法 ﹂ で あ り 、 能 満 虚 空 藏 と は 、 善 無 畏 所 譯 の ﹁ 虚 空 藏 菩 薩 能 満 所 願 最 勝 心 陀 羅 尼 求 聞 持 法 ﹂ と す 。 然 ら ば 大 師 は 當 時 既 に 二 つ の 儀 軌 を 勤 操 よ り 受 け 給 ふ か 、 若 し 此 の 説 に 依 れ ば 三 教 指 歸 所 引 の 交 は 善 無 畏 本 に 出 つ る 所 、 こ れ 一 を 學 げ て 他 の 一 を 例 示 す る こ と ゝ な る 。 そ し て 三 教 指 歸 や 御 道 告 等 に 阿 波 の 大 龍 嶽 と 土 州 室 生 門 の 崎 と の 二 庭 に 於 い て 此 の 法 を 修 せ ら る の 記 事 は 、 二 傳 を 各 別 に 行 せ ら れ し 意 と 見 る べ き で あ る 。 然 し 御 請 來 目 録 を 開 く に 不 室 本 は 録 せ ら る ゝ も 無 畏 本 は 掲 出 し て な い 。 こ れ 此 軌 入 唐 以 前 の 受 法 な れ ば 新 に 請 來 さ れ な か つ た が 爲 め で あ ら う 。 か く て 頼 瑜 師 は 勤 操 よ り 傳 受 さ れ た る 求 聞 持 法

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は 無 畏 所 譯 の 本 と す べ く 、 文 に ﹁ 大 虚 空 藏 ﹂ 等 と い ふ は 本 尊 の 別 號 を 學 ぐ る の み と せ ら れ た 。 蓋 し 無 畏 本 の 傳 持 と す る が 、 上 述 す る 如 き 諸 種 文 献 に 照 ら し て 妥 當 な る 如 く に 思 は 身 若 し 兩 本 に 顯 は る ゝ 種 子 尊 形 の 相 違 等 に 就 い て は 、 直 接 釋 疑 鈔 ( 上 卷 十 丁 右 以 下 ) を 見 る が 便 宜 で あ ら う 。 大 師 は 何 歳 の 頃 、 此 の 法 を 受 け ら れ た か と い ふ に 就 い て 、﹁ 三 教 指 歸 ﹂ や 、 藤 原 良 房 の ﹁ 大 僧 都 空 海 傳 ﹂ 、 貞 觀 寺 座 主 と 銘 す る ﹁ 贈 大 信 正 空 海 和 上 傳 記 ﹂ 等 を 檢 す る に 、 前 第 二 項 に 記 す る 所 よ り は 梢 々 そ の 趣 を 異 に す る も の あ る を 發 見 す る 。 即 十 入 歳 大 學 に 聴 講 す る の 後 ﹁ 三 教 指 歸 し 述 作 の 以 前 、 恐 ら く は 受 具 の 年 に 至 る ま で の 四 ヶ 年 に 於 け る こ と ゝ 思 は る 。 山 林 を 經 行 し 幽 谷 、 孤 岸 の 奥 に 超 然 と し て 獨 住 し 、 苦 修 練 行 さ れ た る 事 跡 を 思 ふ 時 、 そ の 四 年 間 に 於 い て も 後 期 に 非 す し て 、 或 は 二 十 歳 出 家 の 前 後 に 、 身 心 修 練 の 爲 め に 特 に 此 の 法 を 受 け 給 ふ か 。 又 元 興 寺 の 沙 門 神 睿 は 唐 國 の 人 、 師 承 を 詳 に せ ざ る も 義 淵 の 徒 か と あ る 。 天 資 爽 抜 に し て 義 解 絶 倫 博 く 法 相 を 究 め 兼 ね て 華 嚴 三 論 に 善 く 、 元 興 寺 に 住 す 。 世 人 言 ふ 、 睿 は 虚 空 藏 菩 薩 の 靈 感 を 得 と 。 天 平 九 年 寂 、 然 ら ば 道 慈 以 外 に も こ れ を 傳 へ て ゐ た 人 あ り と い ふ べ き か 。 五 大 師 傳 を 見 る に 、 大 師 二 歳 の 頃 よ り そ の 弧 々 の 聲 、 自 然 に 經 陀 羅 尼 を 誦 ず る 如 く に 聞 ね た と 記 す る こ れ に 就 い て 和 州 招 提 寺 沙 門 法 進 の 傳 を 見 る に 、 嘗 っ て 讃 州 を 遊 化 し 多 度 郡 に 至 り 一 民 家 に 宿 す る に 空 海 大 師 周 園 の 人 々  四 五

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  四 六 夜 間 隣 舎 に 嬰 兒 の 佛 頂 呪 を 誦 ず る 聲 が す る 。 誰 八 も そ の 然 る を 解 す る も の が な い 、 唯 呱 々 の 聲 と の み い ふ 、 法 進 意 に こ れ を 異 と し 、 翌 朝 そ の 家 に 到 り 、 見 て 、 此 兒 凡 流 に 非 ず 、 他 日 大 法 を 弘 め ん 善 く 育 て よ と 。 果 し て 此 の 兜 は 後 の 弘 法 大 師 と な つ た と 傳 ふ 。 法 進 の 示 寂 は 寳 龜 九 年 九 月 二 十 九 日 春 秋 七 十 と あ る か ら 、 全 く 虚 構 の 話 こ の み 見 る こ と の 出 來 な い も の が あ る こ と に 注 意 し な く て は な ら ぬ 。 こ の 事 は 本 朝 高 僧 傳 五 七 (佛、全七五五)、律苑 僧 寳 傳 卷 十 (佛、全二四二 ) 、 招 提 千 歳 記 卷 中 之 一 明 律 編 等 に 出 す 所 と す 。 法 進 大 僧 郡 は 唐 國 の 入 、 姓 は 王 氏 、 鑑 眞 の 高 弟 に し て 、 天 資 俊 敏 神 智 並 ぶ も の な し と 。 天 平 勝 寳 五 年 鑑 眞 と 共 に 來 遊 (或は天平六年と ) 、 聖 武 天 皇 よ り 師 鑑 眞 と 共 に 厚 き 遇 を 受 け 、 同 七 年 東 大 寺 の 築 壇 成 り 、 國 の 為 め に 受 戒 の 莚 を 設 く 。 時 に 鑑 眞 は 戒 師 と な り 、 法 進 は 和 上 と な つ た 。 天 平 寳 字 十 一 年 に は 少 僧 都 に 任 ぜ ら れ 、 寳 竈 二 年 に は 大 僧 都 に 任 せ ら れ て ゐ る 。 六 次 に 問 題 こ な る は 大 師 入 唐 以 前 の 時 代 に 於 け る 教 界 の 先 輩 に し て 、 大 師 が 示 教 指 導 を 求 め ら れ た で あ ら う と 思 は れ る 人 々 の こ と で あ る 。 こ れ に は 先 づ 東 大 寺 の 鏡 忍 が あ る 。 師 性 英 悟 、 天 平 甲 申 の 歳 詔 を 奉 じ て 慈 訓 ・圓 證 等 と 共 に 華 嚴 を 金 鐘 道 場 に 講 じ 三 年 に し て 八 十 卷 を 終 る と い ふ 。 寳 亀 五 年 に 東 大 寺 を 董 し 律 師 よ り 昇 進 し て 僧 都 と な り 延 暦 三 年 に 寂 。

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子 島 寺 の 報 恩 は 備 前 津 高 縣 の 人 、 天 性 梵 行 を 好 み 、 十 五 歳 に し て 出 家 、 三 十 歳 の 時 吉 野 山 に 入 り 觀 世 音 の 呪 を 持 す る こ と 四 五 ヶ 年 靈 感 あ り 、 加 持 力 を も つ て 時 の 帝 の 不 豫 を 慰 す と い ふ 。 天 平 寳 字 四 年 三 月 和 州 高 市 郡 子 島 神 祠 畔 に 伽 藍 を 建 て 二 丈 八 尺 の 觀 自 在 菩 薩 像 及 び 四 大 天 王 像 を 安 じ 子 島 寺 と 號 す .延 暦 十 四 年 六 月 寂 。 東 大 寺 の 仁 耀 、 姓 は 石 寸 氏 和 州 葛 木 上 郡 の 人 、 幼 に し て 東 大 寺 に 入 り 剃 染 得 度 、 よ く 戒 檢 を 守 り 、 性 慈 愍 に し て 蚤 風 蚊 蝨 の 爲 め に も 忍 苦 し 、 而 も 心 は 眞 乗 に 遊 ぶ と 。 延 暦 十 五 年 二 月 卒 、 歳 七 十 五 。 秋 篠 寺 の 善 珠 は 姓 阿 刀 氏 或 は 安 部 氏 と も い ふ 。 京 兆 の 人 、 太 皇 后 藤 宮 子 の 藁 子 と 傳 ふ 。 釋 書 の 傳 に よ る に 少 魯 鈍 な る を 自 ら 恥 と し 唯 識 宗 を 學 び 因 明 論 を 習 ふ 云 云 延 暦 十 六 年 四 月 化 歳 七 十 五 、 こ れ を 高 僧 傳 に 就 い て 見 る に 、 艸 歳 興 福 寺 に 入 り 玄 肪 に 從 つ て 法 相 を 習 ふ 天 性 神 悟 、 勉 學 不 綴 、 博 く 三 藏 を 該 ね 唯 識 に 通 貫 し 尤 も 因 明 に 精 し い 云 云 。 常 に 彌 勒 を 念 じ て ゐ た の で 時 人 そ の 寂 す る や 兜 率 に 上 生 す と 唱 ふ 。 選 述 の 著 多 し 。 今 二 本 の 傳 彼 此 全 く の 別 人 な る か の 感 を 懐 か し め る 。 そ の 何 れ が 是 な る か を 知 ら な い 。 大 安 寺 の 行 表 は 和 州 葛 上 郡 の 人 氏 姓 を 詳 に せ す 、 博 く 經 律 を 綜 べ 、 江 州 の 講 師 と な つ て を つ た 。 天 平 十 五 年 興 幅 寺 北 倉 院 に 於 い て 唐 の 道 瑠 に 就 い て 重 ね て 戒 法 を 受 け た 時 に 歳 七 十 三 臘 五 十 三 と 。 大 安 寺 に 住 し て 熾 に 教 觀 を 弘 め 、 そ の 心 法 を 上 足 の 最 澄 に 付 す 。 延 暦 十 六 年 化 、 春 秋 百 四 十 歳 と 。 空 海 大 師 周 園 の 人 々  四 七

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  四 八 東 大 寺 の 明 ﹁ は 姓 和 仁 氏 、 東 大 寺 に 居 し 眞 教 を 宣 揚 す 。 性 頴 利 、 辯 論 秀 抜 、 學 者 の こ れ に 歸 す る も の 多 し と 。 延 暦 十 七 年 卒 、 壽 七 十 一 、 數 種 の 法 華 最 勝 王 に 關 す る 著 述 も 残 さ れ て ゐ る ら し い 。 河 州 西 林 寺 の 等 定 は 金 鐘 寺 實 忠 に 從 つ て 華 嚴 の 旨 を 傳 へ 、 河 州 西 林 寺 に 住 し て 寺 の 復 興 事 業 に 當 る 延 暦 二 年 東 大 寺 の 主 と な り 、 延 暦 十 九 年 七 月 寂 、 そ の 法 を 受 く る も の に は 桓 武 天 皇 、藥 師 寺 勝 長 僧 都 . 東 大 寺 禪 雲 律 師 ・ 東 大 寺 正 進 律 師 等 が あ る 。 興 福 寺 の 行 賀 は 姓 上 毛 氏 、 和 州 廣 瀬 郡 の 人 、 十 五 出 家 二 十 受 具 、 二 十 五 才 に し て 勅 を 奉 じ て 入 唐 留 學 、 唯 識 台 教 の 兩 宗 を 學 び 、 在 唐 七 年 傳 來 の 經 疏 五 百 餘 卷 、 延 暦 二 十 三 年 二 月 卒 歳 七 十 五 、 師 は 元 興 寺 平 備 巳 講 に 就 い て 唯 識 を 學 ん だ 人 で あ つ て 、 著 述 又 存 す る ら し い 。 和 州 梵 福 山 の 善 謝 は 姓 不 破 氏 濃 州 不 破 郡 の 人 、 理 教 法 師 に 從 つ て 法 相 を 稟 け 、 識 度 純 粋 に し て 困 學 に 弛 ま す 、 遂 に 六 宗 に 通 す 。 安 養 業 を 修 し 延 暦 二 十 三 年 五 月 滅 す 。 壽 八 十 と 云 ひ 或 は 入 十 一 と い ふ 。 江 州 普 光 寺 の 沙 門 慈 雲 は 姓 長 尾 氏 牛 安 城 の 人 、 景 雲 四 年 試 業 得 度 才 力 勇 膽 華 嚴 に 精 し く 、 又 東 大 寺 に 無 性 撮 論 等 を 講 じ 、 江 州 普 光 寺 の 講 師 と な つ た 。 大 同 二 年 寂 歳 四 十 九 。 釋 勝 悟 は 姓 凡 直 氏 阿 州 板 野 郡 の 人 、 業 を 神 睿 の 高 弟 尊 應 に 受 け 、 道 業 清 高 に し て 、 そ の 門 よ り は 護 命 ・ 慈 寳 ・ 泰 演 な ど と い ふ 人 が 出 で た 。 弘 仁 二 年 六 月 卒 、 年 八 十 。 阿 州 弘 川 寺 沙 門 光 意 、 姓 河 内 氏 、 河 州 石 川 郡 の 入 、 容 姿 閑 雅 音 韻 清 亮 講 席 に 臨 む 毎 に 道 俗 傾 聴 す と

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大 同 年 中 最 勝 會 の 座 首 と な り 、 詰 問 鋒 起 對 辨 無 礙 。 弘 仁 五 年 三 月 四 日 卒 、 壽 七 十 八 。 秋 篠 寺 沙 門 常 楼 、 姓 奏 氏 、 洛 京 の 人 、 幼 よ り 善 珠 に 隨 つ て 出 家 、 天 資 聰 明 、 慈 恩 の 宗 を 學 び 、 兼 ね て 外 學 有 り 年 二 十 に し て 登 壇 受 戒 、 志 行 清 潔 、 延 暦 の 末 勅 を 奉 じ て 秋 篠 に 住 寺 し 眞 教 を 宣 揚 し 四 衆 を 利 導 す 。 發 願 し て 法 華 を 轉 す る こ と 四 十 年 間 、 復 日 に 般 若 心 經 を 誦 す る こ と 一 百 八 遍 , 弘 仁 五 年 十 月 (或 は 三 月 ) 某 日 化 壽 七 十 八 、 ( 或 は 七 十 四 )。 大 安 寺 常 縢 は 姓 高 橋 氏 、 京 兆 の 人 、 法 相 を 慈 訓 の 高 弟 教 (永 力 ) 嚴 大 法 師 に 稟 け 唯 識 に 精 し か つ た 著 述 亦 多 し 。 大 同 元 年 少 僧 都 に 任 じ 、 弘 仁 六 年 ( 或 は 七 年 ) 寂 、 春 秋 七 十 六 。 梵 釋 守 の 永 忠 は 京 兆 の 人 秋 篠 氏 、 寳 龜 の 初 め に 入 唐 留 學 、 延 暦 の 末 に 歸 朝 、 經 論 に 渉 り 音 律 を 解 し 威 儀 整 調 齊 戒 無 缺 、 桓 武 帝 勅 し て 梵 釋 寺 に 住 せ し め ら る 。 弘 仁 七 年 四 月 滅 歳 七 十 四 〇 筑 前 觀 音 寺 沙 門 道 證 、 姓 は 百 濟 氏 阿 州 の 人 、 學 業 精 粹 に し て 性 相 を 研 究 し 、 持 戒 維 持 、 弘 仁 の 初 め 太 宰 府 の 講 師 に 任 せ ら れ 、 任 中 供 奉 專 ら 佛 事 を 給 ふ 。 同 七 年 十 一 月 卒 、 壽 六 十 一 歳 。 備 中 湯 川 寺 玄 賓 、 姓 は 弓 削 氏 河 州 の 人 、 唯 識 を 興 輻 寺 宣 教 に 稟 け 、 性 俗 塵 を 厭 ふ こ と 甚 し く 、 族 人 道 鏡 稱 徳 帝 に 媚 ぶ る を 悪 み 伯 州 の 山 に 入 る 。 大 同 帝 の 時 召 さ れ て 賛 下 に 返 り し も 、 僧 官 勅 下 の こ と あ る を 聞 い て 叉 遁 去 備 中 の 湯 川 寺 に 往 く と 。 弘 仁 九 年 六 月 入 十 餘 歳 に し て 寂 。 釋 慈 寳 は 姓 朝 戸 氏 、 和 州 平 郡 の 人 、 元 興 寺 勝 悟 に 從 つ て 法 相 宗 を 學 ぶ 、 弘 仁 十 年 十 一 月 卒 、 壽 六 十 空 海 大 師 周 園 の 人 々  四 九

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  五 ○ 二 大 安 寺 の 奉 實 は 尾 州 の 人 姓 荒 田 氏 、 天 性 疎 通 、 大 安 寺 に 居 し 性 相 を 學 ぶ 、 弘 仁 十 一 年 入 十 四 歳 寂 、 師 年 入 十 に し て 始 め て 密 宗 を 學 び 耽 味 し て 寝 食 を 忘 れ . 之 れ を 得 る 晩 な る を 恨 み と せ し と 。 元 興 寺 の 勝 虞 は 姓 凡 直 氏 、 阿 州 板 野 郡 の 人 、 初 め 行 基 を 師 と し て 法 相 を 受 け 、 後 尊 應 に 從 つ て そ の 深 底 に 達 し た 。 尊 應 は 神 睿 の 高 弟 に し て 一 世 の 俊 才 と す 。 戒 行 節 檢 凛 と し て 雪 箱 の 如 し と い ふ 。 弘 仁 二 年 六 月 寂 、 年 八 十 、 護 命 、 守 印 、 慈 寳 ・ 泰 演 等 は そ の 門 よ り 出 づ 。 大 安 寺 の 慈 恒 、 山 城 の 人 姓 茨 田 氏 、 興 福 寺 に 掛 籍 、 唯 識 を 習 學 し 因 明 に 通 ず 、 才 多 に し て 行 ひ 少 く 世 人 之 を 憾 と す と 、 天 長 四 年 二 月 卒 、 年 六 十 五 。 大 安 寺 の 澄 睿 姓 は 商 屋 氏 、 經 論 を 綜 貫 す る こ と 廣 く 、 名 刹 に 住 せ ず 專 ら 後 學 を 警 策 す 、 弘 仁 八 年 三 月 某 日 寂 、 京 兆 の 人 。 興 福 寺 の 品 慧 姓 は 大 原 氏 、 平 安 城 の 人 、 十 四 歳 に し て 興 福 寺 に 入 り 出 家 、 性 篤 學 強 學 早 成 、 深 く 法 義 に 達 す 。 六 十 八 歳 維 摩 會 の 講 師 に 推 さ れ 、 衆 堂 外 に 溢 る と 、 弘 仁 九 年 寂 、 壽 七 十 五 。 江 州 梵 釋 寺 の 施 曉 は 學 内 外 に 渉 り 、 延 暦 五 年 春 桓 武 帝 梵 釋 寺 を 江 州 に 創 め ら る ゝ や 、 曉 に 勅 し て 住 持 せ し め ら る と 、 寂 .年 等 明 な ら ず 。

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元 興 寺 の 護 命 、 傳 に よ る に 大 師 は 護 命 に 就 い て 倶 舎 や 律 を 學 ぶ と 。 姓 は 秦 氏 濃 州 各 務 郡 の 入 、 十 歳 に し て 州 の 金 光 寺 に 入 り 業 を 道 興 法 師 に 受 け 、 一 兩 年 に し て 法 華 最 勝 王 の 二 經 の 音 訓 に 通 渉 、 百 論 等 の 疏 を 諸 誦 す と 、 十 五 南 京 に 遊 學 、 元 興 寺 満 耀 法 師 に 依 り 專 精 勤 策 、 十 九 歳 に し で 法 進 に 隨 つ て 沙 彌 戒 を 受 け 翌 年 進 具 、 吉 野 に 入 り て 結 茅 宴 坐 修 脱 坐 禪 苦 行 精 進 、 延 暦 二 十 四 年 正 月 最 勝 王 經 を 大 極 殿 に 講 じ 、 大 同 三 年 山 階 寺 に 維 摩 經 を 講 じ 弘 仁 二 年 に は 和 州 壼 坂 に 止 ま り 、 同 六 年 少 僧 都 に 任 せ ら れ 翌 年 に は 大 僧 都 を 授 け ら る 。 同 十 四 年 研 心 章 を 作 つ て 相 宗 を 推 學 し 、 承 和 元 年 九 月 十 一 日 元 興 寺 に 終 る 面 壽 八 十 五 、 臘 六 十 五 と 、 師 亦 虚 空 藏 法 を 修 す と も 傳 ふ 。 事 跡 の 多 く が 傳 へ ら れ て ゐ る け れ ど 今 は 略 す る 。 修 圓 大 僧 都 は 承 和 元 年 に 卒 す と も 傳 へ ら れ 、 賢 憬 大 僧 都 の 資 、 又 宣 教 大 徳 の 資 、 小 谷 氏 大 和 國 の 人 或 は 承 和 二 年 六 月 十 三 日 早 伏 北 首 の 床 に し て 忽 現 右 脇 相 と 傳 ふ 。 東 大 寺 の 實 忠 は 良 辨 の 徒 に し て 嘗 て 都 傘 の 内 宮 に 神 遊 し 、 四 十 九 重 の 摩 尼 殿 を 見 た と い ふ 、 師 に 就 い て は 多 く の 神 秘 的 な 事 件 が 傳 へ ら れ て ゐ る 。 密 教 行 者 で あ つ た の で あ ら う 。 東 大 寺 に 修 二 會 を 始 め 又 涅 槃 會 を 起 し た 。 弘 仁 年 中 少恙 を 得 て 安 坐 吉 群 順 世 す と 。 東 大 寺 要 録 に よ る に 一 獻 上 薪 三 百 荷 事 ( 前 略 ) 法 師 實 忠 生 年 既 入 三 九 十 員 先 待 之 猶 如 秋 葉 待 風 云 云 空 海 大 師 周 園 の 人 々  五 一

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  五 二 弘 仁 六 年 四 月 二 十 五 日 修 理 別 當 傳 燈 大 法 師 實 忠 と 、 然 ら ば 當 時 在 世 に し て 、 年 九 十 に 及 ん で ゐ ら れ だ も の と す べ く 、 可 成 り に 長 壽 を 保 つ て ゐ ら れ る 大 安 寺 の 戒 明 は 讃 州 の 人 、 俗 姓 凡 直 氏 、 弱 冠 に し て 出 家 、 大 安 寺 の 慶 俊 法 師 を 師 主 と し 、 久 し く 華 嚴 を 學 び 、 そ の 奥 旨 を 窮 む 。 兼 ね て 異 聞 を 探 り 、 遠 近 の 總 流 そ の 日 月 を 蒙 る と 。 賓 龜 十 年 城 中 の 諸 僧 都 、 大 安 寺 に 集 ま り 、 連 署 し て 奏 し 、 大 佛 頂 經 を 偽 經 と し こ れ を 廢 せ ん と し た 。 時 に 戒 明 に も 連 署 せ し め 、 大 佛 頂 を 收 取 し 焚 焼 せ し め ん と し た る も 戒 明 は 敢 て せ ず 、 大 乗 を 殿 滅 せ ば 、 身 壊 し 命 終 の 一 念 の 間 に 十 方 無 間 地 獄 に 遍 歴 し 窮 盡 す る な し と 。 西 大 寺 の 泰 演 は 氏 姓 生 虜 を 詳 に せ ざ れ ど 、 性 氣 英 邁 に し て 、 學 大 小 乗 を 兼 ね 、 特 に 唯 識 を も つ て 心 を 瑩 き 談 論 に 勝 れ 、 天 下 義 學 敢 て こ れ に 敵 す る も の が な い 。 唯 獨 り 安 澄 あ り 、 空 有 の 抗 論 す と 。 大 同 の 末 西 大 寺 に 住 し 大 い に 相 宗 を 唱 ふ 。 以 上 高 僧 傳 や 元 享 釋 書 の 中 よ り 、 大 約 當 時 の 大 師 に と つ て 先 輩 と 思 は る ゝ 人 々 の 名 を 摘 出 し た る の み 、 勿 論 こ れ は 文 字 通 り に 大 略 の も の で 、 そ の 僧 傳 の 中 に て も 、 詳 細 に 貼 見 せ ば 、 猶 よ り 以 上 に 見 ら る べ き も の も あ る べ く 、 又 諸 他 の 僧 傳 文 學 書 の 類 を 開 く 時 は 、 隨 分 有 力 な 、 多 く の 人 を 求 め 得 ら る ゞ で あ ら う 。 今 出 し た 人 の 中 に も 實 際 に 大 師 の 師 事 せ ら れ た こ と の あ る 、 若 し は 聴 法 せ ら れ た こ と の あ る 人 も あ る で あ ら う し 、 又 餘 り 關 係 の な い 人 も あ る こ と ゝ 思 ふ 。 け れ ど そ れ ら に 就 い て の 精 細 な 研 究 は 更

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に 後 日 を 期 し て 完 成 し た い と 思 ふ 。 思 ふ に 上 記 す る 諸 徳 の 中 に も 特 に 入 唐 留 學 し て 歸 朝 し た 人 々 に は 大 師 薗 身 に 入 唐 せ ん と す る 意 志 の 萌 す と 共 に 求 め て そ の 室 を 訪 は れ た で あ ら う こ と は 極 め て 自 然 的 の 考 へ 方 と 信 す る 。 相 當 に そ れ ら の 入 に 就 い て は 彼 の 地 の 事 情 を 聴 き 、 生 活 の 實 際 な ど を 尋 ね ら れ た に 違 い な い 。 又 鑑 眞 國 師 に 隨 伴 し て 來 た 大 陸 の 人 々 に し て 猶 生 存 し て ゐ る も の も あ つ た に 相 違 な い 。 大 師 は そ れ ら の 人 々 よ り は 好 ん で 聞 法 せ ら れ て ゐ た も の と 考 へ る 。 け れ ど そ れ が 何 人 で あ つ た か は 今 明 了 に し 難 い こ と を 殘 念 に 思 ふ 。 七 次 に 大 師 と 殆 ん ど 同 輩 と 思 は る ゝ 人 を 見 る に 元 興 寺 沙 門 願 曉 が あ る 。 師 は 藥 寳 。 勤 操 の 二 先 徳 に 從 つ て 三 論 を 研 習 し 、 兼 ね て 唯 識 及 び 密 教 に 通 じ 官 位 は 僧 都 に 昇 り 元 興 寺 に 主 と な り 、 醍 醐 寺 聖 寳 ・ 元 興 寺 隆 海 は そ の 資 で あ る 。 因 明 論 義 骨 三 卷 、 瑜 伽 論 音 義 四 卷 等 の 著 述 さ へ 残 さ れ て ゐ る 。 和 州 元 興 寺 沙 門 施 平 は 才 氣 淑 明 、 審 に 法 相 に 通 じ 元 興 寺 に 住 し 天 長 四 年 淳 和 帝 藥 師 佛 像 を 造 り 、 蓮 華 法 曼 茶 羅 を 全 書 し 、 宮 中 に 會 を 設 け て 供 養 慶 讃 さ れ た 。 そ の 時 空 海 ・ 豊 安 ・ 載 榮 ・ 明 福 等 を 召 し て 法 義 を 敷 設 さ れ 、 施 平 を も つ て 講 首 と し 深 法 を 演 論 せ し め ら れ た と 傳 ふ 。 或 は 此 の 施 平 は 大 師 よ り 少 し 先 輩 と す る が 妥 當 で あ る か も 知 れ な い 。 空 海 大 師 周 園 の 人 々  五 三

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  五 四 西 大 寺 の 壽 遠 は 武 州 の 人 姓 橘 氏 三 論 を 安 澄 法 師 に 學 び 又 因 明 に 通 ず 。 承 和 五 年 十 二 月 逝 く 年 六 十 八 師 は 少 に し て 聰 敏 延 暦 年 中 南 都 東 大 寺 に 出 家 し 、 性 相 の 法 を 學 ぶ と 。 同 西 大 寺 玄 睿 は 安 澄 に 隨 つ て 大 安 寺 に あ り 、 空 論 に 通 達 し 、 後 西 大 寺 を 補 ふ 。 英 博 名 顯 、 天 長 四 年 九 月 禁 中 に 藥 師 佛 像 を 慶 讃 さ る ゝ や 四 日 八 座 に 亘 り 教 義 を 講 演 す 。 豊 安 ・載 榮 ・ 空 海 ・ 泰 演 ・ 明 編 及 び 玄 睿 等 講 主 に 列 り 、 中 繼 ・ 壽 遠 ・實 敏 ・ 眞 圓 ・ 道 雄 等 の 二 十 員 聴 法 衆 と な り 、 公 卿 百 僚 列 座 す 。 そ の 時 睿 の 辭 義 豊 に し て 天 聴 に 允 當 す と 嵯 峨 帝 の 代 に 勅 を 奉 じ 三 論 大 義 鈔 三 卷 を 撰 し て 呈 進 す と 。 元 興 寺 の 守 寵 は 護 命 に 從 つ て 法 相 を 受 け 元 興 寺 に 住 し て 常 に 經 論 を 講 す 。 才 博 辯 富 衆 心 を 悦 可 せ し む と 。 承 和 八 年 臘 月 寂 、 或 は 年 五 十 入 と も い ふ 。 筑 波 山 の 徳 一 は 慧 美 大 臣 仲 麻 呂 の 子 と 傳 へ ら れ 、 興 福 寺 の 修 圓 僧 都 に 隨 つ て 法 相 を 稟 け 、 才 解 俊 逸 更 に 東 大 寺 に 住 し て 專 ら 相 宗 に 任 す 。 法 華 の 新 疏 を 作 つ て は 傳 教 を 難 じ 、 そ の 性 眞 率 、 常 州 築 波 の 開 山 と な つ た 。 門 弟 繁 興 し 近 傍 の 數 州 之 れ を 仰 い で 止 ま ず と 。 南 都 傳 に は 天 長 元 年 七 月 廿 七 日 恵 日 寺 よ り 常 陸 に 下 り 看 る の 時 年 七 十 六 で あ つ た と い ふ 。 華 移 を 厭 ひ 常 に 杜 多 を 修 し 麻 衣 蘆 食 悟 然 自 居 、 某 日 恵 目 寺 に 寂 す 。 全 身 不 壊 時 人 或 は 呼 ん で 大 師 と す と 。 著 述 も 亦 殘 し た ら し い 。 和 州 傳 法 院 壽 廣 は 徳 一 と 同 じ く 修 圓 の 門 に 掴 衣 し 、 法 相 を 學 ぶ 、 承 和 九 年 衆 の 爲 め に 推 さ れ て 維 摩 會 の 講 と な る 。 流 答 迅 駿 問 者 屈 退 す と 。 是 歳 某 日 寂 、 年 六 十 二 。

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興 福 寺 の 修 圓 、 氏 族 を 詳 に せ す 、 和 州 北 谷 の 人 、 賢 幢 僧 都 に 就 い て 法 相 を 學 び 、 博 く 大 小 乗 に 通 す 弱 冠 を 過 ぎ て 興 福 寺 に 往 し 、 少 僧 都 に 任 せ ら れ 、 傳 法 院 を 開 い て 第 一 世 と な る 。 神 異 甚 多 。 初 め 傳 教 大 師 の 密 灌 を 受 け 、 又 義 眞 に 就 い て 顯 教 を 學 び 、 義 眞 寂 後 延 暦 寺 の 總 事 と な り し も 衆 徒 に 肯 せ ら れ す 退 い て 和 州 室 生 山 に 移 り 、 承 和 二 年 六 月 十 五 日 寂 、 年 六 十 五 著 述 も あ り 。 藥 師 寺 の 仲 繼 又 姓 所 を 詳 に せ す 、 元 興 寺 護 命 に 師 事 す る こ と 三 十 餘 年 、 有 空 の 妙 理 を 盡 く す 。 後 藥 師 寺 を 主 領 し 大 い に 相 宗 を 弘 め た 。 承 和 十 年 寂 、 明 詮 ・眞 慧 ・隆 光 等 は そ の 高 弟 と す 。 此 の 人 に 就 い て は 弘 法 大 師 性 靈 集 の 中 に 極 め て そ の 徳 を 讃 す る も の あ る を も つ て 見 れ ば 、 相 當 に 深 き 親 交 あ つ た も の と 思 は れ る 。 元 興 寺 の 守 印 は 姓 土 師 氏 泉 州 の 人 、 早 く よ り 勝 虞 を 師 と し 勤 め て 經 論 を 誦 ず 。 延 暦 二 十 四 年 得 度 、 性 器 聰 敏 心 神 爽 明 、 法 相 を 精 練 し 兼 ね て 倶 舎 に 通 す 。 承 和 十 年 十 二 月 二 十 入 日 卒 、 年 六 十 一 。 京 兆 西 寺 の 守 敏 、 そ の 姓 里 を 詳 に せ ざ れ ど 、 少 よ り 南 京 に 出 で 勤 操 等 の 諸 師 に 隨 ひ 空 有 の 法 を 學 び 兼 ね て 密 教 に 通 じ 、 空 海 と 聲 價 竝 馳 す 。 江 州 比 良 山 の 静 安 は 常 騰 僧 都 に 從 つ て 注 相 宗 を 承 け 、 元 興 寺 に 居 し 後 江 州 に 移 る 。 佛 名 經 を 讀 ん で 禮 拜 修 懺 す る に 、 其 聲 空 に 響 き 、 諸 州 よ り 往 い て 之 れ を 聞 く も の あ り 、 遂 に 朝 に 達 し 中 使 そ の 聲 を し た つ τ 比 良 山 に 登 り 安 を 見 て 歸 奏 、 依 つ て 律 師 に 任 せ ら る と 、 承 和 五 年 朝 庭 に 詣 し 、 季 冬 佛 名 經 讀 誦 空 海 大 師 周 園 の 人 々  五 五

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  五 六 の こ と を 奏 す る に 聴 許 あ り 、 永 く 恒 式 と せ ら れ た 。 又 七 年 に は 安 を 請 じ て 宮 中 に 灌 佛 會 を 修 せ ら る ゝ 等 。 此 處 に 出 し た の は 大 體 奈 良 を 中 心 と し て 同 年 輩 と 思 は れ る 人 々 の 二 三 で あ つ て 、 必 す し も そ れ ら の 誰 に も 交 は ら れ た と い ふ の で は な い 。 此 の 中 に は 入 唐 以 前 に 於 い て 相 當 に 親 交 さ れ て ゐ た 人 も あ る で あ ら う し 、 歸 朝 以 後 の 交 際 に 始 ま る も の も あ る こ と で あ ら う 。 又 此 の 外 に も 相 當 に 有 力 な 人 も あ る で あ ら う と 思 ふ 。 唯 、 今 は そ れ ら を 調 査 研 究 す る 為 め の 第 三 階 段 と し て 如 上 記 せ し の み 。 傳 教 大 師 と は 後 年 相 當 に 深 き 關 係 の あ る こ と は 事 實 な る も 、 そ れ を 入 唐 以 前 に ま で 及 ぼ し て 考 ふ る こ と を 許 さ る ゝ か 。 入 唐 は 二 人 同 時 で あ つ た の で あ る か ら 相 當 に 交 際 さ れ て ゐ た と 見 る べ き で あ ら う 。 八 上 述 す る も の ゝ 外 に 、 現 存 弘 法 大 師 の 著 述 の 上 に 如 何 な る 人 々 が 表 は る ゝ か 。 先 づ 三 教 指 歸 に は 、 前 出 傳 記 に 見 る 如 き 漢 學 先 生 の 外 に そ の 人 名 を 見 出 す こ と が 出 來 な い 。 次 に 諸 經 講 讃 の 席 は し ば く 開 か れ て ゐ る 。 そ れ ら の 中 に は 俗 縁 法 縁 の 深 き 關 係 に あ る べ き 人 々 の 爲 め に 特 別 に 開 か れ た も の も あ ら う 。 け れ ど 、 全 集 一 の 七 二 二 頁 に ﹁ 為 忠 延 師 先 妣 講 讀 理 趣 經 文 の 外 に 著 し き も の と し て 擧 げ 得 ら る ゝ を 見 な い 。 大 師 の 文 集 た る 性 靈 集 第 二 に は 、 ﹁ 沙 門 勝 道 歴 山 水 瑩 玄 珠 碑 井 序 ﹂ あ る も こ は 大 師 在 世 當 寺 の 人 に あ ら ず 。

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  五 八 爲 忠 延 師 先 妣 講 理 趣 經 表 白 文 爲 先 師 講 釋 梵 綱 經 表 白 ( 天 長 五 年 孟 夏 十 五 日 云 云 ) 卷 九 に は 贈 玄 賓 法 師 勅 書 永 忠 和 省 辭 少 僧 都 表 ( 弘 仁 年 中 ) 故 贈 僧 正 勤 操 大 徳 影 讃 井 序 ( 天 長 五 年 四 月 十 三 日 ) 暮 秋 賀 元 興 僧 正 大 徳 八 十 詩 井 序 ( 天 長 六 年 九 月 二 十 三 日 ) 次 に ﹁ 高 野 雑 筆 ﹂ 春 上 に は 陸 州 の 徳 一 菩 薩 に 與 ふ る 書 、 藤 中 納 言 宛 八 月 二 十 一 日 付 の 書 状 等 あ り 、 其 他 管 符 に 出 さ る る も の も 多 少 見 ら る 。 然 し そ れ ら の 中 、 何 れ だ け が 入 唐 以 前 に 交 際 さ れ た る 人 々 な る か 、 今 こ れ を 詳 に し 得 ら れ な い こ と を 殘 念 に 思 ふ 。 御 遺 告 類 に は 特 別 な 人 々 の 列 名 が 見 ら れ な い や う で あ る 。 け れ ど 當 時 の 大 師 を 考 ふ る に 積 極 的 に 法 を 説 く と い ふ こ と よ り も 、 所 有 の 人 々 に 接 し て 智 識 を 吸 收 し 、 そ れ ら を 總 合 し て 自 身 の 修 養 を 積 み 、 精 神 生 活 の 向 上 と 、 求 道 心 の 満 足 の 爲 め に 餘 念 な か つ た 時 代 と す べ き で 、 そ れ だ け 、 多 方 面 の 人 に 接 し ら れ た 二 と ゝ 思 は る 。 後 年 の 大 師 は か く し て 完 成 さ る べ き で あ る 。 勿 論 そ の 時 代 は 後 世 に 謂 ふ 如 き 宗 派 的 の 對 立 な く 、 自 己 の 好 み に 應 じ 自 由 な 諸 宗 學 の 比 較 研 究 が 大 膽 に 行 は れ た 時 代 で あ る 。 從 つ て 大 師 の 頭 腦 中 に は 、 所 有 の 學 が 自 由 に 取 り 入 れ ら れ

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て ゐ た に 相 違 な い 。 そ の こ と は 當 時 に 於 け る 唯 一 の 述 作 な る ﹁ 三 教 指 歸 ﹂ に よ つ て 見 ら る ゝ 。 該 書 の 中 に は 、﹁ 虚 空 藏 求 聞 持 の 眞 言 一 百 萬 遍 を 誦 ず れ ば 即 一 切 の 教 法 の 文 義 を 暗 記 す る を 得 る ﹂ と い ふ 經 文 を 出 し 、 次 に ﹁ 阿 國 大 瀧 嶽 や 、 土 州 室 戸 の 崎 に 勤 念 す る に 谷 響 を 惜 ま す 明 星 來 影 す ﹂ と い ひ 、 卷 下 假 名 乞 士 論 の 中 に は 、 假 名 乞 士 が 如 來 の 如 き 大 雄 辨 を も つ て 佛 教 に 於 け る 世 界 觀 や 人 生 觀 を 論 ず る に 同 座 す る 龜 毛 公 等 、 更 に 云 ふ べ き 語 な く 、 な す べ き 所 作 を 知 ら ず 、 地 に 倒 れ 、 魂 を 失 ひ 、 哀 み を 含 ん で 悶 絶 し た 。 そ こ で 暇 名 は ﹁ 瓶 を 採 り 水 を 呪 じ 普 く 面 上 に 灑 ぐ 云 云 ﹂ と い ふ 如 き 密 教 思 想 の 片 影 も 現 は る れ ば 、 又 ﹁ 馬 に 秣 か ひ 車 に 脂 さ し て 装 束 し 道 を 取 る に 陰 陽 を 論 ぜ す 都 史 の 京 に 向 ふ 經 途 多 難 に し て 人 煙 絶 わ た り ﹂ と い ふ 如 き 都 率 往 生 の 思 想 も 出 で 龜 毛 先 生 や 兎 角 公 蛭 牙 公 子 な ど と い ふ 如 き 相 宗 依 用 の 譬 喩 説 も 表 は れ 、 假 名 乞 士 の 戒 律 的 修 行 者 の 生 活 も 見 ら れ 、﹁ 五 蘊 虚 亡 に し て 水 兎 の 僞 借 に 均 し ﹂ と か ﹁ 天 魔 外 道 百 非 を 騁 る も 殿 る 所 に 非 ず ﹂ と い ふ 如 き 三 論 流 の 考 へ 方 も あ り 又 倶 舎 流 の 世 界 觀 人 世 觀 も 見 ら れ 、 ﹁ 有 縁 の 衆 は 龍 神 を も 簡 ば ず 、 甘 露 の 雨 に 沐 し て 枯 れ 萎 め る 枝 を 榮 か し 、 結 菓 の 期 を 授 く ﹂ と い ひ 、﹁ 蕩 々 た る の 法 身 に 昇 ら ん ﹂ と か ﹁ 金 仙 一 乗 の 法 義 盆 々 最 も 幽 深 自 他 兼 ね て 利 濟 す 誰 れ か 獸 と 禽 と を 忘 れ ん ﹂ と い ふ 如 き 華 天 三 乗 の 思 想 も 見 ら る ゝ 。 か く 觀 じ 來 る 時 、 大 師 の 多 方 面 に 亘 る 修 學 の 成 果 が 此 の 一 部 の 書 の 上 に 縦 横 に 論 述 さ れ て あ る こ と に 深 く 注 意 さ せ ら る ゝ 。 そ の 一 部 の 始 中 終 を 一 貫 し て 流 る ゝ 根 本 思 想 は 儒 道 二 教 に 對 す る 佛 教 の 大 孝 主 義 と す 。 表 現 の 方 法 に は 儒 教 の 語 句 譬 喩 が 自 在 に 用 空 海 大 師 周 園 の 人 々  五 九

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空 海 大 師 周 園 の 人 々  六 〇 ゐ ら れ て ゐ る 。 博 學 廣 才 非 凡 の 思 索 と 、 優 麗 深 慮 秀 抜 な る 文 才 と が 、 全 面 に 躍 動 し 、 到 底 二 十 四 歳 の 青 年 の 著 述 と は 思 は れ な い 程 の も の で あ る 。 唯 此 の 書 の 中 に 見 ら れ ざ る は 西 方 往 生 淨 土 の 思 想 と す 。 或 は こ れ 大 師 の 特 異 な 識 見 の 存 す る 所 か 。 上 述 す る 所 を も つ て 、 今 一 度 大 師 傳 を 考 ふ る に︱ 但 し 第 六 ・ 七 項 は 單 な る 参 考 の み に し て 今 の 立 論 の 基 礎 と な ら ず︱ 大 師 の 教 養 は 、 興 福 寺 よ り も 大 安 寺 と 共 に 東 大 寺 を も つ て 主 た る 中 心 と さ れ て ゐ る こ ご を 考 へ な く て は な ら ぬ 。 こ の こ と が や が て 大 師 後 年 の 完 成 さ れ た る 。 教 學 の 上 に 大 な る 影 響 を 及 ぼ し た こ と は 看 過 し 得 ら れ な い 。 以 上 甚 だ 粗 雑 に 過 ぐ る の 觀 は あ れ ど 、 大 概 入 唐 以 前 に 於 け る 大 師 周 園 の 人 々 を 概 見 し そ の 影 響 よ り 生 す る 成 果 を ﹁ 三 教 指 歸 ﹂ に よ つ て 管 見 し 得 た と 信 ず る 。 尤 も 何 れ の 部 分 が 、 誰 人 の 教 導 に 出 づ る か を 判 定 す る こ と は 恐 ら く 不 可 能 に 屬 す る で あ ら う 。 そ の こ と の 不 可 能 な る 以 上 、 今 述 ぶ る 所 を も つ て 満 足 し な く て は な ら ぬ 。 此 の 書 に 就 い て も 今 少 し 精 細 に 鮎 見 し 、 そ の 内 容 を 分 折 す べ き な れ ど 、 今 は そ れ が 主 要 目 的 で な い の で 略 す る こ と ゝ し 、 こ れ を も つ て 今 の 論 を 擱 筆 す 。 (完 )

参照

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