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喜界 島を訪ねて 清 田固義

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Academic year: 2021

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喜界 島を訪ねて

清 田固義

「帰郷 のついでに婁界烏の岩倉君を見て来 る様に」 との先生の御言葉だったので八月十九 日宇検 の人々に別 れを告げた私は書界に岩倉 さんを訪問すべ く二十一 日午前十一時名瀬発、五烏丸 (八〇噸)船上の人となる。

同 じ郡内でありながら二十余年間の田舎生活に於て唯の一度 も行 き得なかった憧れの烏 を、か うした機会に見 る事が出来 ると思へば姑 しかった.時化模様の海上に苦 しい船 たびの四五時間が過 ぎて四時半頃婁界島へ着 く

.

船の着いた湾 と岩倉 さんの阿伝 とは三里 も離れて居たが、昨 日の電報で岩倉 さんは助手一名を連れてわざわざ 昨夜泊 りがけで出迎へに来て居 られた。アチックに居 られる頃か ら皆が心配 して居た岩倉 さんの身体は丸で見 過へ るほど健康 になり其黒 に.焼けた皮膚の色など流石 にその活躍振 りが察せ られ、「烏へ来てか らは精力があ

り過 ぎて困る」 との話でも非常な心強 さを覚 えた。

改めて助手の掃嘉一郎君にも紹介 され、五時間半自動串で一路阿伝へ急 ぐ。内地の何処にも見 られない県道 とは名のみの道路に串 を走 らすのは此上ない苦痛であった。それで も県道 もない自動車 もない宇検方面 とすれ ば、どんなに醤界烏が進んで居るかが判 った。途中野飼の馬の数多き事と甘庶籾の多い事、山の形の一寸風変 りな点などは殊に気を引かれたO

阿伝へは夕方の六時半頃、馨界烏一帯に凄い夕立ちの降 りしきる頃ついた。早速、自称 アチックミュゼアム 喜界烏出張所 たる氏の宅へ落ち付 く

夜は静寂なる孤島の地に俊寛僧都初め島流 しにされた古人連の菅を偲びつつ岩倉 さんと積るアチック話 と喜 界烏の話 に花 を咲かせて時の立つのも忘れて語 り合 うた。

いろいろの調査 も予定通 り進行す るし農薬 日記や食物 日記を書いて居 る人々も熱心にやって居るとの事だっ た。この九月からは烏の年中行事 も頻 りに催 されるし叉いよいよ‑ケ年間の締 くくりをする大切な時期にも入 って来 るから有 らん限 りの精力を集中してすべてに大馬力 をかけてやって見 ると云ふことも話 された。翌 日は 朝から阿伝の部落 を見廻 り二十三 日は切なる引止めを断って大畠へ帰って来た。翌二十四 日か ら書界畠は台風 に襲はれたのであった。

(「アチ ックマ ンス リー」 第十五号一 九三六年九 月十五 日刊 所収)

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