商品の与える社会的インパクト : 創業時から1980 年代前半におけるソニーの事例
著者 水原 紹
雑誌名 同志社商学
巻 56
号 5‑6
ページ 124‑139
発行年 2005‑03‑15
権利 同志社大学商学会
ドウシシャ ダイガク ショウガッカイ
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000007315
商品の与える社会的インパクト
──創業時から1980年代前半におけるソニーの事例──
水 原 紹
蠢 はじめに 蠡 開発商品の変遷
1.創業期──テープレコーダーの開発──
2.50年代──トランジスタの輸出と海外進出──
3.60年代──テレビとビデオ市場への参入──
4.70年代−80年代前半──ウォークマンの誕生──
蠱 各時代における生活洋式の変化 蠶 おわりに
Ⅰ はじめに
本研究は,1995(平成7)年から2003(平成15)年にかけて同志社大学人文科学研 究所第5研究会において研究がなされてきた「ランドマーク商
1
品」研究の一環として行 ったもので,商品が生活に与えるインパクトの大きさを,一企業の開発商品を例にあげ て検証し,またその企業の位置づけをする事を目的とするものである。ランドマーク商 品の定義については筆者の以前の論文でも述べてきたとおりであ
2
り,詳しくは後述する が,簡単に説明すると,「ある商品の登場によって生活様式を激変させるほどの影響力 のある商品」のことをいい,「ロングセラー商品」や「ヒット商品」とは区別される。
なぜならばロングセラー商品には,長期間にわたり売れ続けているが生活を変えている とは限らない商品も含まれており,またヒット商品はある年に販売量を伸ばすものの一 時的な流行商品であるものも多く,生活を変えるほどのインパクトがないためやがてそ の姿を消すものも多い。そこでランドマーク商品として定義される商品は多々あるが,
ここでは商品が誕生するまでの歴史だけでなく,実際にどの程度既存の生活様式に影響 を与えたのかを見てゆきたいと思う。
その例として本研究ではソニーを例にあげ,ソニーが開発した商品とそれが生活に与 えた影響との関連からランドマーク性を検証していきたい。ソニーといえば今や有名な
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1 ランドマーク商品の詳細については,石川健次郎編『ランドマーク商品の研究』同文館出版,2004年 参照。
2 水原 紹「商品におけるランドマーク性の継続」(『社会科学』第69号,同志社大学人文科学研究所,2002 年)参照。
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企業であり,松下電器などと並ぶ戦後を代表する家電企業である。家電企業の発展は戦 後の日本経済の中で重要な位置を占め,世界に通用する一流企業にまで成長し,日本経 済のリーディング産業のひとつとして今日の日本の競争優位を支えているのは周知の事 実である。ではなぜ松下その他の家電企業でなくソニーを例に挙げるのかというと,そ れはソニーが戦後いち早く独自の技術で独創的な商品を開発し,そのいずれもが他社に は見られないユニークさによって新しい生活スタイルの創造に貢献してきたからであ る。
そこでまず本研究においてはソニーの創業から1970年代末にいたるまでの時期にお いてソニーが開発した代表的商品を時代ごとに列挙し,次にそれが実際に国民の生活に どのように密接に関係しているか検討していきたい。
Ⅱ 開発商品の変遷
1.創業期──テープレコーダーの開発──
日本の戦後の経済成長を牽引してきた企業を大きく分けると,戦前から存在して戦後 急成長した企業と戦後に創業し今日に至る企業の2種類ある。ソニーは後者にあたりそ の歴史は他の家電企業と比べると意外と短いが,戦後急成長し国際企業にまで発展した 企業の典型例である。
ソニーが創業を開始した1945(昭和20)年という時期に注目してみると,日本は第 2次世界大戦における敗戦により焼け野原と化したまさに終戦直後であり,復興がこれ からなされようとしていた時期である。まさにこれからGHQ主導の下,日本経済の民 主化と非軍事化が実行に移される時期であった。軍需から民需への転換が行われたため 戦後の多くの企業は戦前の事業を再開しようとしており,技術面においては新技術の開 発ではなく,戦時中に開発された技術の応用(実用化)がほとんどであったが,空襲に より工場を焼失したケースも多く,再開は容易ではなかった。戦前から創業している多 くの企業がその事業の復興に追われている中で,ソニーは45年10月に東京通信研究所 として日本橋白木屋(現在の東急百貨店)の3階に一室を借りて創業する。ソニーの歴 史の第1歩がここから始まったのであるが,当初はラジオの修理と改造などが主な仕事 であ
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り,何を作るべきか明確な目標が設立当初からあったわけではない。ただ当時ラジ オが国民にとって唯一の情報源であり,需要は決して少なくなかったので,この事業は 成功したのである。
その翌年の46年5月に東京通信工業株式会社(以下東通工)と改称するが,依然と して従業員は20数名程度の零細企業であっ
4
た。当然の事ながらいつまでもラジオの修
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3 ソニー株式会社編『ソニー創立40周年記念誌 源流』ソニー株式会社,1986年,19ページ。
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理や改造だけで経営を行うには限界があるので,様々な新しい商品開発に着手するので あるが,それらのほとんどは官庁やNHKなどの放送局からの依頼による仕事であっ た。仕事のオファーが来るという意味では東通工にとっては飛躍の足がかりでもあった が,製品がNHKのような「業務用」に限定されてしまうのは良くない。そこで大衆向 けの商品を模索した結果,東通工オリジナルの商品として最初に開発に成功したものが テープレコーダーである。テープレコーダー自体は海外で先に開発されていたので東通
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4 同上書,24ページ参照。
写真1 ソニーのテープレコーダーG型(上)とH型(下)
出所:木原信敏『ソニー技術の秘密』ソニーマガジンズ,1997年,46,96ページ。
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工が世界で最初に作った商品ではない
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が,進駐軍が日本に持ち込んだものを見る機会を 与えられたことが幸いし,「作る物はこれである」と決心したという。ただその前に鋼 線式磁気録音機(「ワイヤーレコーダー」)の開発を行っていたが,これはワイヤーが切 れたときに修理が大変であり,長時間の録音ができないなど将来性に問題があったた
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め あきらめざるを得なかったという経緯がある。テープレコーダーを実際に見た創業者の 井深大の印象からテープの方が性能的にも優れていたため,この商品化に転換した事が ソニーの快進撃を生むことになる。1949(昭和24)年のことである。基本的な構造は 外国製品から学びつつも,機械そのものの仕組みや磁気記録用テープの開発に至るま で,単なる海外品の模倣ではなく,東通工独自の技術が詰まった力作となった。50年 に開発されたテープレコーダーは「G型」と名付けられたが,今日一般的に想像され る簡単に扱えるようなものとはかなりイメージのかけ離れたもので,重さが約45 kg,
価格も16万
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円もする代物で,家庭で使用するにはあまりにも不適切であった。ちなみ に「G」とはGovernmentのGである。その後それを改良した「H型」ではさらに軽量 化・小型化に成功する。価格も8万4000円と約半分におさえることに成功した。これ は新進デザイナーの起用により,G型のような外観的に外国製品に似たデザインでは なく,独自の工芸品のようなデザインを施すことで斬新なトランク型のポータブルレコ ーダーに仕上げることができたのであ
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る。外観については写真の1のとおりである。そ の後もM型,P型と改良を重ね,コンパクトな製品に仕上げていくのである。
2.50年代──トランジスタラジオの輸出と海外進出──
次にソニーの発売した注目商品はトランジスタラジオである。テープレコーダーが成 功したとはいえ,まだ10年も経たない上まだまだ発展途上にある企業がまたしても新 製品で勝負するのである。創業当初ラジオは大手企業が既に製造していたため他の商品 を開発しようと考え,試行錯誤の結果開発に成功した商品がテープレコーダーであった がここにきてラジオの生産に着手する。既成市場への参入のように見えるが,大手と同 じラジオは決して製造しないのがソニーらしい戦略であり,日本初のトランジスタを部 品に使用したラジオの開発に成功するのである。トランジスタラジオを作るきっかけは 井深大が渡米した際にトランジスタの存在を知った事による。もともとテープレコーダ ーの使用状況の調査のための渡米であったが,意外にもテープレコーダーの用途に関し ては本国アメリカより日本の方が多かったのである。そのためテープレコーダーのさら
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5 磁気記録そのものは戦前の日本において「交流バイアス法」(高周波バイアス法)が東北大学永井健三 教授及び五十嵐悌二氏によって発明されており,1940年に特許を取得している。
6 ソニー株式会社編,前掲書,50ページ。
7 同上書,66ページ。ちなみに当時の物価水準で公務員の初任給が約5,500円。
8 木原信敏『ソニー技術の秘密』ソニーマガジンズ,1997年,95ページ。
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なる普及を目指したアメリカでの市場調査は,あまりいい成果を得られなかったのであ る。しかしながらその代わりにトランジスタの存在という大きな収穫を得たのである。
トランジスタは,アメリカのベル研究所が開発し,その親会社であるWE(ウェスタン エレクトリック社)が製造特許を持っており,Texas Instrument(テキサス・インスツ ルメント,以下TI社)社が当時生産数では最大を誇っていた。
ただ部品としてのトランジスタの応用は当時技術的に困難であった。手本とする先進 技術国であるアメリカでさえ,まだトランジスタは補聴器にしか使用されていないとい う状況であった。残念ながら「世界初」のトランジスタラジオは,54(昭和29)年12 月にTI社から提供されたトランジスタを使用したラジオを米リージェンシー社から発 売されてしまったが,東通工も日本初のトランジスタラジオ「TR-52」の試作に成功
(写真2),55年には日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売,これに「SONY」
というマークを入れることを決定したのが後の社名変更のきっかけとなる。これは海外 で販売した際「東通工」や「東京通信工業」といった名前では英語圏の人が発音しにく いという問題に対応するためでもあっ
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た。ちなみに「TR-52」は,アメリカ大手時計会 社のブローバー社から10万台販売を引き受けるというオファーがあったにもかかわら ず,ソニーブランドが使えない(ブローバー社の名前で販売)との理由で,盛田昭夫が この申し出を断るという経緯があっ
10
た。
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9 橘川武郎「革新的企業者活動の継起−本田技研とソニーの事例−」(由井常彦・橋本寿朗編『革新の経 営史』第9章,有斐閣,1995年),180ページ。
写真2 トランジスタラジオTR-52型(愛称『国連ビル』)
出所:山名一郎『ソニー流商品企画術』こう書房,1992年,27ページ。
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また東通工は創業からわずか10年足らずで,トランジスタラジオを輸出商品として 海外市場へ進出することを決意する。本格的輸出第一
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号となる「TR-63」を57年に発 売,その大きさは以前のトランジスタラジオを「ポータブル」と表現したのに対し,
「ポケッタブル」と表現されたように,世界で一番小さなトランジスタラジオの生産を 実現したのである。価格も1万3,800円とサラリーマンの一ヶ月の平均給与に相当し
12
た。
このことでソニーは,それまでの「安かろう 悪かろう」といった日本製品のマイナ スイメージを見事に払拭することが出来たのである。これを機に,東通工は海外進出を 活発に進めていくのであ
13
る。
3.60年代──テレビ市場への参入──
テープレコーダー,トランジスタラジオと続けて成功したところで,60年代におい てソニーはついにテレビの開発に挑戦する。テレビに関してはすでに大手が量産してい たが,またしてもソニーが考えたのは小型のテレビである。つまり「トランジスタラジ オができたのだから,次は当然テレビ
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だ」というようにトランジスタテレビの開発に着 手するのである。60(昭和35)年5月にポータブルテレビ TV 8-301を完成させ,さら に小型化したマイクロテレビTV 5-303(5インチ)を62年4月に世に送り出した(写 真3)。ただ前者は性能的にまだ不完全と言わざるを得ない製品で,よく故障するなど 問題点は多かった。そういった点をふまえて開発したが,ラジオとテレビでは根本的に 構造が違うため,ラジオ用のトランジスタをテレビに使えるわけではない。つまりテレ ビ用のトランジスタの開発が必要であり,持ち運びに耐える必要があるなど家庭の据え 置き型のテレビとは全く異なった技術が必要となるのである。そういった問題点を解決 した機種が後者(マイクロテレビTV 5-303)であり,世界最小・最軽量のテレビが誕 生したのである。ただこれらの小型テレビは,いずれも白黒テレビであったので,当時 はまだ普及率の低いカラーテレビの発展を目指して「クロマトロン方式」のテレビを開 発する。当時カラーテレビは米RCA社が開発した「シャドウマスク方式」が主流であ ったが画質が悪く,それに比べてクロマトロン方式は6倍も明るいという特徴を持つ。
しかしながら米軍の兵器ディスプレイ用に開発されたこの方式は,テレビに応用されて いなかっただけに,技術的に製品化は困難であった。64年に一度は商品化したもの
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10 ソニー株式会社編,前掲書,142ページ。
11 同上書,329ページ。
12 ソニー広報センター『ソニー自叙伝』ワック出版部,1998年,119ページ。
13 ソニー株式会社編,前掲書,371ページ記載の表(国内:海外売上比率推移)によると60年の時点に おいて国内比率が50% 以上を占めていたがその後徐々に低下,65年前後には国内と海外の売り上げ比 率が逆転,その後一時的に国内が海外を上回るも85年までの期間において国内の比率はほぼ低下傾向 にあった。
14 ソニー広報センター,前掲書,196ページ。
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写真4 トリニトロンカラーテレビ1号機 KV-1310
出所 同上書,219ページ。
写真3 マイクロテレビ TV 5-303
出所:ソニー広報センター『ソニー自叙伝』ワック出版部,201ページ。
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の,「苦労マトロ
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ン」という言葉がそれを物語っているように,決して成功したとは言 えず,しかもシャドウマスク方式の改善により一時はシャドウマスク方式への切り替え も検討するなど,クロマトロンはあきらめざるを得なかった。ただ,クロマトロンの失 敗経験が新たな画質方式での商品化に役立つこととなり,その結果68年に発売された テレビが「トリニトロ
16
ン」方式である(写真4)。その後のトリニトロンシリーズは,
後のソニーが80年代にパソコン市場へ参入する際のディスプレイ用のブラウン管生産 にも役立つこととなる。
4.70年代−80年代前半──ウォークマンの誕生──
ソニーの商品の中でもランドマーク商品性が最も高い商品といえば「ウォークマン
(WALKMAN)」を挙げないわけにはいかない(写真5)。今や世界中にその商品が普及 しているだけでなく,ウォークマン自体がポータブルオーディオ(ヘッドホンステレ オ)の代名詞となっているのは周知の事実である。
井深大が音楽好きで,移動の飛行機の中でもテープレコーダーを持ち込みそれにヘッ ドホンを付けて楽しんでいたことや当時の若手社員がテープレコーダーを改造して個人 で楽しんでいたのが商品化のきっかけとな
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り,企画からわずか半年ほどで店頭に並ぶと いう異例の速さであった。ウォークマンの開発前には発想の元となった「プレスマン」
というテープレコーダーの機種があり,それの録音機能を取り除き,音声をステレオに したものがいわばウォークマンである。もっとも音声のステレオ化及びステレオ音声の 普及に貢献したのもソニーであった。当初は「立体音
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声」などといわれその臨場感から
「音楽ブロに入ったよう
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だ」と表現されたほどである。若干時代が戻るが1952年12月
(昭和27年),立体放送の実験をNHK と共同で行い,その後立体放送の番組が相次い で製作されやがて定時放送となった。その後ステレオのFM放送局が開局し,ステレ オレコードも普及してゆき,今や音響と名の付く物はほとんどがステレオとなってい る。
1979(昭和54)年7月1日,ついに発売されたウォークマンであるが,発売当初1
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15 ソニー株式会社編,前掲書,309ページ。
16 キリスト教のトリニティ(神と子と聖霊の三位一体)とエレクトロン(電子管)の合成語である。
17 ソニー広報センター前掲書によると,井深大が音楽好きで仕事で移動の際持ち運んでいたテープレコー ダーを不便であるとして,コンパクトな物に改造してほしいとの井深自らの依頼により,ウォークマン の原型が出来上がったのに対し,黒木靖夫前掲書によると,ウォークマンの技術を担当した当時の若手 社員の浅井俊男が,個人でテープレコーダーを改造して楽しんでいた物を面白いと判断して,井深大や 盛田昭夫に紹介するという経緯から,ウォークマンの商品化につながったと述べ,経緯の相違が見られ る。
18 ちなみに「ステレオ」と対照的に使われる語句が「モノラル」である。これは音に臨場感が無く,平面 的にしか聞こえない。AM放送の音声はほとんど(AMステレオ放送を除く)がモノラルである。
19 木原信敏,前掲書,125ページ。
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ヶ月は売れなかった。しかし街頭などでの積極的な宣伝活動により売れ始め,8月には 品切れ店が続出する。
当初「ウォークマン」という商品名は国内に限定していた。海外の販売会社ではウォ ークマンと言う商品名への抵抗感から,アメリカでは「SOUND ABOUT」,イギリスで は「STOW AWAY」,スウェーデンでは「FREE STYLE」という商品名で3種類が存在 し,ウォークマンを含めて国内外で4種類の名前で販売していたが,海外でもウォーク マンという名称は一部で知られており,これらの商品名を「ウォークマン」に一本化す る意向を固めたのが発売の翌年の80年4月のことであ
20
る。
写真5 ウォークマン 試作型(上)と初期型(下)
出所:黒木靖夫『大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた』KKベスト セラーズ,1999年,77ページ。
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録音機能のないテープレコーダーでは売れないと周囲からも思われており,発売には 反対者も多かったウォークマンは,今や音楽文化にとっても欠かせない存在となった。
もともと和製英語であり文法的にもおかしいこの言葉が辞書にも掲載されるようにな り,世界で通用する言葉に成長したのである。
注目すべきは,ウォークマンに関しては,それまでのソニーの開発してきた商品のよ うな画期的な独自の技術によるものではなく,技術そのものは,既存のものの組み合わ せによって新しい商品が誕生したことにある。つまり技術は新しいものでなくともアイ デアで新しい商品を作ることが可能であるということも示している。
Ⅲ 各時代における生活スタイルの変化
このようにソニーが開発してきた商品は,独創的なアイデアに溢れたユニークな商品 であることはこれまでも頻繁に語られてきたところである。しかしこれらが実際に普及 していく過程で注目すべきはいずれも既存商品とは異なる「新商品」であるというこ と,したがってそれが普及していく過程で生活スタイルを大きく変化させていることで ある。ランドマーク商品という観点から分析する前に,ここでこれまで研究されてきた 過程で検討されてきたランドマーク商品の定義をあらためて提示すると,ランドマーク 商品の意味・効用・負性は以下のとおりである。
漓その出現によって,それ以前の生活スタイルを大きく変えた商品。生活変化のラン ドマークとなる商品。
滷生活の利便化,効率化,安楽化,安直化,簡明化−労働の軽減と自由時間の増大−
多様な生活スタイルの実現
澆生活への負性:想像力の萎縮,家庭秩序の動揺,依存性の増大,自律性の衰弱,社 会への負性:公害,市場中心社会,企業による欲望の創出と成果の管
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理
つまりこれら全てではなくてもいずれかの条件を満たす場合にランドマーク商品と言 えるため,このような観点から前述の各製品について検討したい。
まずテープレコーダーのケースについて見てみよう。すでに述べたとおりテープレコ ーダーそのものはソニーが世界最初に開発した商品ではないが,それを日常生活に普及 させたという意味では実は本家のアメリカよりも生活への貢献度は高い。ただし当初か
────────────
20 黒木靖夫,『大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた』KKベストセラーズ,1999年,88ページ。
21 石川健次郎「ランドマーク商品の疲労漓」(同志社大学人文科学研究所研究会報告,1997年4月2日報 告レジュメ)。
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ら順調に普及したわけではない。なぜなら当初会社近くの東京八重洲のおでんの屋台で 採用され,その次は裁判所の記録用に数台販売されただけにとどまったからである。つ まりテープレコーダー自体は目新しい商品なのでソニーとしてもこれは絶対売れるに違 いないと確信していたのだが,実際消費者がその有効な使い方を知らないため,商品の 持つ魅力が消費者に十分伝わらなかったのである。独創的な新しい商品を作れば必ず自 然と売れるわけではないということを当時のソニーは痛感したのである。この時点にお いてこの商品におけるランドマーク性はないと言わざるを得ない。もしこのまま売れな かったらソニーにとってはこれも失敗作になってしまうところであったであろう。実際 発売から1ヶ月,2ヶ月経っても売れる気配がなく,最初の購入者は意外にも東京・八 重洲のおでん屋のみであった。その後は速記者の不足していた最高裁判所の記録用に24 台販売することに成功す
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るが販売台数としてはまだ十分とはいえなかった。当時はまだ 国民の大半が生活に追われていた貧しい時代であり,自転車ですら8千円だったので,
テープレコーダーは一般庶民にとっては高嶺の花であったのは当然であ
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る。
しかしテープレコーダーをランドマーク商品にすることに成功した要因は,新たな使 い道として「視聴覚教育への利用」を主眼とした普及活動を行った点にある。つまり普 段の生活ではないとはいえ「学校生活」におけるスタイルの劇的な変化を生み出したの である。当時GHQとしても視聴覚教育の重要性を訴えていた頃であり,東通工の活動 とGHQの政策とが一致した形であるとはいえ,学校教育の変化という意味において東 通工の果たした役割は大きかったのである。テープレコーダーの魅力は音を記録できる ことにあり,それまでラジオの定時放送という形で,不特定多数の人しか聴くことの出 来なかった音を,いわば「音の缶詰」として繰り返し自由に使用できるのであ
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る。テー プレコーダーは前述のように初期においてはサイズが大きい物であったが,徐々に小型 化することで家庭にも普及していくのである。
次にトランジスタラジオであるが,当初トランジスタの特許を購入するために渡米 し,その時WE社に「補聴器を作ったらいい」などと言われたように,ラジオに使用 するにはまだ難しい段階であったにもかかわらず見事に製品化に成功したわけである。
トランジスタ自体の用途を拡大させることに成功したという意味ではソニーの貢献は相 当大きい。OECD(経済協力開発機構)が,68(昭和43)年に発表した「世界の技術革 新の非常に際だった物139件」の中にトランジスタラジオも入っており,日本の有効だ った技術革新のプロダクトとして記述され
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たほどである。したがって技術面における革
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22 ソニー株式会社編,前掲書,76ページ。
23 井深大(井深 亮 序)『「ソニー」創造への旅−ものづくり人づくり』グラフ社,2003年,137ペー ジ。
24 ソニー株式会社編,前掲書,83ページ。
25 井深精神継承研究会編著『天衣無縫の創造家 井深大語録』ソニーマガジンズ,1994年,74ページ。
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新性は言うまでもないが,その技術ゆえ,見た目の革新性からもたらされる生活面への 影響を無視してはならない。つまりここでの成功のポイントは,「ポケッタブル」とい う和製英語まで生み出したとおり,ポケットにはいるほどの小型化に成功したことにあ る。技術力の高さもさることながら,それが使用者の観点から考えたとき,「一家に一 台」から「一人に一台」というパーソナル・ユースへの転換をもたらしたという意味で はランドマーク性は大きいのである。ソニーがアメリカへ進出した際トランジスタラジ オの宣伝で使ったキャッチフレーズは,「これさえあれば家のラジオにしばられてるあ なたの暮らしは変わりま
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す」というものであった。
マイクロテレビのケースも同様である。マイクロテレビが開発された頃日本は高度成 長期であり,白黒テレビからカラーテレビに移行しようとしている時期である。据え置 き型のテレビが,まだ普及段階にある日本よりもアメリカで人気を獲得したのは当然の 結果である。
これはソニーの初期の戦略に多くみられたことであるが,多くの商品に共通して指摘 できることは,「小型化・軽量化」を業界に先駆けて徹底して追及してきたということ である。これはトランジスタという半導体の使用にいち早く目を付けたことも幸いして おり,前述のとおり,ソニーの技術が日本の電子産業の発展に果たした役割は相当大き
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いという証明でもある。生活の観点からみればこれはそれまでの家電製品,音響製品な どが大きい物であるために,家庭に1台という「家族の所有物」という価値観から1人 に1台という家族の中でさえ「一個人の所有」という生活スタイルの変化をもたらすこ とに貢献しているといえよう。いわば「個」という生活スタイルの確立である。
次にその顕著な例がウォークマンである。第1図のようにその後もウォークマンは確 実に小型化・軽量化を実現していくこととなった。この商品の画期的なところは,場所 をとらないため何処にでも持ち運びが自由なのは勿論のこと,ラジオやテレビといった 決まりきったソフトの選択しかできない物に対し,自分だけのソフトを楽しむことが出 来るため,ヘッドホンステレオという名前のとおり,部屋にあるステレオセットを自室 で聴くというオーディオ空間の自由な移動をも意味するのである。つまり「ウォークマ ン」という名前通り,歩きながら音楽を聴くことができると言うことは,それまでは考 えられなかった風景に音が加わることで,それまで体験したことのない空間を創造する ことが出来るのが最大の魅力なのである。しかしながらウォークマンは1人しか聴くこ とが出来ない。ステレオのように複数の人数が音楽を楽しむことは出来ない。そのため
「個」という空間が出来上がるのもまた事実である。
────────────
26 NHK「町工場世界へ翔ぶ〜トランジスタラジオ・営業マンの闘い」(『プロジェクトX−挑戦者たち
(DVD)』NHKソフトウェア,2001年参照。
27 井深 大『井深大の世界』毎日新聞社,1993年,60ページ参照。井深のコメントで「もしソニーがト ランジスタを手がけていなかったら,日本の電子産業は今とは違う姿になっていた」と述べている。
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100
80
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40
20
0
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57 56
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0 20 40 60
容 量
80 100
重 量
また前述のように,ウォークマンは既存の技術の組み合わせにより新しい物が作れる 典型例であることは述べたが,これはテープレコーダーという既存商品を改造すること で生まれたランドマーク商品であり,つまりは既存商品のランドマーク化でもあ
28
る。
そしてウォークマンの場合はまた若者文化とも密接に関連している。結果としてウォ ークマンがヒットしたのは若者に支持された点が大きい。勿論若者の支持を得るための 宣伝が重要であり,町で試しに聴いてもらうという宣伝活動も行い,最初は嫌がってい た若者もその音を聴いたとたんにその魅力にとりつかれたのである。その後雑誌などで 取り上げられ,有名タレントがウォークマンを聴く広告宣伝に若者が敏感に反応した事 などがきっかけとなって,当初の予想を大きく上回る売り上げにより売り切れが続出す る結果となったのである。
ただ,今でこそ町中や電車の中でヘッドホンを頭に着け,音楽に没頭している若者も 珍しくないが,当時の大人の目には奇妙な光景に写ったのは確かで,その分大人の抵抗
────────────
28 詳しくは,安岡重明「既存商品のランドマーク商品化」(石川編,前掲書,第7章,207−222ページ)
参照。
第1図 ヘッドホンステレオの重量・容量の推移
(備考)1.ソニー株式会社資料により作成
2.製品の登場時点(昭和54年)を100とした指数である。
3.図中の添字は発売年(昭和)を表す。
出所:『国民生活白書(平成2年度)』経済企画庁
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は大きく,それが結果として「ウォークマンで難聴になる」などといった批判につなが ることにもなった。しかし根本的な批判は,外界を拒絶する自己陶酔の道具となり孤独 な若者が増えるという危機感からくる考えであっ
29
た。したがってウォークマンは若者文 化の象徴でもあり,若者文化となることに見事に成功したがゆえに,若者文化の「象 徴」としてその様な批判を浴びることにもなったのであるが,そのような社会問題にな るほどインパクトも大きく,そのインパクトはランドマーク性の「負の効
30
用」に該当す ることも確かであったが,それ以上に以前にはなかった若者文化の創造,そして若者の 生活スタイルを変容させるだけの強烈なランドマーク性を持ったということが出来るの である。
ソニーが発展できた背景としては,ソニーの戦略として,「他人のやらないことをや れ」という他社の作らない商品を開発する商品戦略によるところが大きいのはこれまで も語られてきたことであるが,それを受け入れる消費者側の生活水準も重要なのはいう までもないことである。当初は国民の生活も苦しかったこともあり,容易に販売は出来 なかったが,高度成長期を経て日本の社会は非常に豊かになり生活水準が上昇したこ と,そういった条件の下だからこそソニーに限らず多くの企業は繁栄できたわけであ り,三種の神器に代表される家電製品の普及していく過程で,ソニーが白モノ家電でな く映像・音響関係に特化し,その中でもあえて人の作らない物を作ることで新市場を開 拓することができた。その結果として高度成長期から70年代における生活の変化にさ らに拍車をかける結果となったといえよう。白モノ家電など総合的に商品を生産し,量 販・量産体制により顧客を獲得してきた大手家電企業とは実に対照的な戦略である。
したがってテープレコーダーを発売したときからそれ以降に発売した商品全般に言え ることであるが,独自の商品を発売しただけでは必ずしも売れるとは限らないと言うこ とであり,ランドマーク商品にも普及活動が必要なのである。むしろランドマーク商品 だからこそマーケティング活動が必要なのである。つまり生活を変える商品だけに既存 の商品で満足している人の抵抗感も見逃してはならないからであり,そのためランドマ ーク商品登場前の段階で満足している消費者にも受け入れてもらうためにも普通の商品 以上により積極的な販売促進活動が必要であると言えよう。そのためには消費者に商品 の魅力を出来るだけ正確に伝えなくてはならない。
実際ウォークマンの場合,技術的にはソニー以外のメーカーでも容易に生産すること は出来たが,他のメーカーでそれを最初に商品化したメーカーはなかった。だれも考え もしなかった商品であるがゆえに新たな需要を喚起するための戦略が必要となってくる
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29 島田裕巳『個室−引きこもりの時代』日本評論社,1997年,25ページ。
30 ランドマーク商品の負の効用については,瀬岡誠「負の商品史−消費社会における自動車と人間」(石 川編,前掲書,第5章,125−159ページ)参照。
商品の与える社会的インパクト(水原) (657)137
のは必至である。そういったいわばマーケティング面に関して,テープレコーダーの例 で過去に学んだからこそソニーは成功したと言える。ただこれまで述べてきた商品は独 自のものが多いが,一見他社製品と同じように見える商品もソニーは作っている。しか しながら同じ商品でも価値観が異なると全く別の商品に見えてくるのであり,そういっ た価値観の転換を消費者に提供できたこともソニーの成功の秘訣であ
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る。そういった価 値観の転換が生活の変化となって表れるわけであり,ランドマーク性があるということ は「価値観の転換」そのものなのである。ウォークマンの文化及び社会的意味を分析し た著
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書などもあるがもちろんソニー自身が最初から生活を変える,さらには「新しい文 化」を創造するという大きな事を考えていたかというと,実際はこれほどまでの「文 化」となる事は予想していなかったようであ
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るが,いずれにせよ結果として価値観の変 化が生活の変化をもたらし,ランドマーク商品を生み出したと言えよう。かつてアダム スミスも「食欲を満たした後に生まれる楽しみとしては,音楽とダンスが人間にとって は,何よりの自然の恵みであったというべきで,他にはないようにも思われ
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る。」と述 べているように「ソフト」としての音楽は,古来から人間の娯楽として楽しまれて来た 文化であるが,ソニーはそのソフトの楽しみ方を新たな「ハード」機器の提供で大きく 変えたとも言えよう。
Ⅳ おわりに
これまで検討してきたようにソニーは独自の技術を開発したケースも多いが,既存の 技術も見事に自分の物とすることで次々と斬新な発想で新商品を開発し,そのつど市場 を「開拓」及び「教育」してきたことは周知の事実である。しかしながら失敗が全くな いわけではなく,創業当初に炊飯器の開発を行ったものの,実際に商品として市場に出 回ることは決してなかった。また既存の商品市場への参入のケースで,電卓の場合,1973
(昭和48)年には市場から撤
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退しており,必ずしもその開発商品全てが成功したわけで はないということを端的に物語っている。ただその際生活への貢献度という観点から見 たときソニーの開発した商品は,戦後ならではの商品が多く,戦前には考えられなかっ
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31 鵜飼明夫『ソニー流商品企画』H & I社,2003年,60−64ページ参照。
32 例えばポール・ドゥ・ゲイ著暮沢剛巳訳『実践カルチュラル・スタディーズ−ソニー・ウォークマンの 戦略』大修館書店,2000年,がある。
33 黒木靖夫・野村正樹『盛田昭夫 佐治敬三 本当はどこが凄いのか!!』三推社・講談社,2000年,232 ページ参照。
34 後藤和子編『文化政策学 法・経済・マネジメント』有斐閣コンパクト,2001年,50ページ。
35 沼上 幹『液晶ディスプレイの技術革新史』白桃書房,1999年,223−224ページ。
ちなみに同時期には内田洋行,セイコーも撤退し,75年にはリコー,日立などが相次いで電卓市場か ら撤退しており,それまでのその他,シャープ,カシオと言う占有率からカシオ,シャープ,その他と いう順へと立場が逆転している。
同志社商学 第56巻 第5・6号(2005年3月)
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たような新しい生活様式の創造に貢献した商品が実に多かった事は確かである。そうい った意味ではまさにこの期間におけるソニーは「ランドマーク商品製造企業」といえ る。戦後の日本産業の歴史自体が「重厚長大」から「軽薄短小」への移行の歴史であっ たが,ソニーはまさにその典型例であり,とりわけ小型化商品が多い。このことが「一 家に1台」から「1人に1台」というライフスタイルの変容をもたらしたのである。そ れは家族としての生活スタイルから,1人という一個人の生活スタイルの創造への変化 でもある。
ウォークマンの現在までの生産台数は全世界で累計3億台を突破している。2004(平
成16)年には初代誕生から25周年を迎え,東京では記念イベントも開催された。また
近年においてはミニディスク(MD)の開発や「プレーステーション」発売によるゲー ム市場への参入,犬型ロボット「AIBO」の開発などソニー独自のスタンスで商品を開 発し続けているが,ソニーはいずれもその商品コンセプトが非常にユニークで面白い。
ソニーは「ネーミングがうま
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い」と言われるように単に技術力だけでなく,デザイン 面,マーケティング面など多くの側面において成功してきたということに注意する必要 がある。
ただこれまでオーディオ関係に強かったソニーであるが,2004年度の4−6月の第一 四半期において初めての赤字を計上,これまで強かったMD(ミニディスク)・CD(コ ンパクトディスク)市場が,次世代のHDD音楽プレーヤーなどネットワークオーディ オという新市場に奪われてしまったのであ
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る。米アップル社から発売された「iPod」で あ
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る。しかもこのi-podは発売当初のウォークマンと非常によく似た戦略で成功してい るのはまさにお株を取られたといったところであろうか。これに対しソニーは「HDD ウォークマン」を市場に投入して巻き返しを図るが,今後もランドマーク商品製造企業 としてソニーが勝ち残るにはまさに今が正念場であろう。
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36 黒木靖夫,前掲書,192ページ。
37 「【決算】ソニーの第1四半期決算,半導体は増収増益,オーディオ製品は赤字に転落」(『nikkeibp.jp』
(2004年7月28日),日経BP社)。
38 「 AV製品のソニー が窮地に」(『ITmedia ライフスタイル』(2004年7月28日),ソフトバンク・ア イティーメディア株式会社)。
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