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<史料紹介> テオドシウス法典 (Codex Theodosianus)(21)

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(1)

Theodosianus)(21)

著者 テオドシウス法典研究会 代表 後藤篤子

出版者 法政大学史学会

雑誌名 法政史学

巻 78

ページ 56‑74

発行年 2012‑09‑30

URL http://hdl.handle.net/10114/11401

(2)

法政史学 第七十八号五六

〈史料紹介〉 テオドシウス法典 ( Codex Theodosianus ) (二一)

テオドシウス法典研究会 (代表   後   藤   篤   子)  

  一 三 一 三 年( 法 文 ○

1

~ ○

)号[一九九三年九月] 10以上『専修法

論集』第五九(学

  二   三一四年

(法文

11

~ ○

22

(以上同六○号

[一九九四年三

月])

  三   三一五年一月~一○月

(法文

23

~ ○

[一九九四年七月]) 42

(以上同六一号

  四   三 一 五 年 一 一 月 ~ 三 一 六 年

( 法 文 ○

43

~ ○

六三号[一九九五年三月]) 65

(以上同

  五   三一七年~三一九年三月

(法文

66

~ ○

法学』第四三号[一九九六年二月]) 88

(以上『立教

  六   三 一 九 年 四 月 ~ 七 月

( 法 文 ○

89

~ ○

)[一九九六年九月] 103

(以上同四五号

  七   三一九年七月~一○月

(法文

104

~ ○

117

(以上同四七号 [一九九七年七月])

  八   三一九年一一月~三二○年二月

(法文

118

~ ○

同五○号[一九九八年七月]) 131

(以上

  九   三二○年二月~三二一年一月

(法文

132

~ ○   一○ 三二一年二月~八月

五三号[一九九九年七月]) 150

(以上同

(法文

151

~ ○

167

(以上同五六号

[二

○○○年八月])

一一   三二一年八月~三二三年四月

(法文

168

~ ○

186

(以上同 五八号[二○○一年七月])

一 二   三 二 三 年 五 月 ~ 三 二 五 年 六 月

( 法 文 ○

187

~ ○   ○ 六 文 法 月( 三 年 六 二 三 ~ 月 年 五 二 三 三 一

)『法政史学』第五七号[二○○二年三月] 202

上以(

203

~ ○

)同五九号[二○○三年三月] 218

(以上

(3)

テオドシウス法典

(Codex Theodosianus) (二一)(後藤)五七

  一四 三二六年三月~七月

(法文

219

~ ○

238

(以上同六二号

[二

○○四年九月])

一五   三二六年八月~三二七年三月(法文 ○

239

~ ○   ○ ~ 文 法 月( 一 一 年 九 二 三 四 月 年 七 二 三 六 一

)六四号[二○○五年九月] 253

(以上同 254

~ ○

上同六六号 273

(以 [二○○六年九月]

一 七   三 三 ○ 年 二 月 ~ 三 三 一 年 八 月( 法 文 ○

274

~ ○

同六八号 291

(以上 [二○○七年九月]

一 八   三 三 一 年 一 ○ 月 ~ 三 三 三 年 四 月( 法 文 ○

292

~ ○

上同七○号 305

(以 [二○○八年九月]

一 九   三 三 三 年 五 月 ~ 三 三 四 年 一 二 月( 法 文 ○

306

~ ○

上同七二号 322

(以 [二○○九年九月]

二 ○   三 三 五 年 三 月 ~ 三 三 六 年 一 ○ 月( 法 文 ○

323

~ ○

上同七七号 333

(以 [二○一二年三月]

二 一   三 三 七 年 二 月 ~ 八 月・ 発 布 年 不 詳 の 法 文( 法 文 ○

334

343

(以上本誌)

(承前)

三三七年

334

第三巻第一章第二法文   同( = コ ー ン ス タ ン テ ィ ー ヌ ス ) 帝 が グ レ ー ゴ リ ウ ス

に 〈宣示す〉 。

  買 主 は、 購 入 し た 物 の 税

ケンスス

〈 の 負 担 〉 を 引 き 受 け る べ き で あ る。 税

ケンスス

〈 負 担 の 引 き 継 ぎ 〉 な し に 物 を 購 入 し た り 売 却 す る こ と は、 何 ぴ と に も 許 さ れ な い。 さ ら に、 今 後 は 本 法 に 基 づ い て 公 の あ る い は 国 庫 に よ る 調 査 が な さ れ る べ き で あ り、 も し 何 か が 税

ケンスス

〈 負 担 の 引 き 継 ぎ 〉 な し に 売 却 さ れ て そ の こ と が 第 三 者 に よ っ て 告 発 さ れ た と き は、 国 庫 が 没 収 す る こ と で、 売 主 は 地 所 を 失 い 買 主 は 代 金 と し て 与 えたものを失うものとする

  ⑴   さ ら に、 以 下 の こ と が 決 せ ら れ た。 売 主 と 買 主 と の 間 で 正 規 の 手 続 き に 従 っ て

契 約 が 交 わ さ れ る と き に 確 か な 真 の 所 有 権 が 隣 人 た ち に よ っ て 証 明 さ れ な い 場 合 は、 い か な る 物 で あ れ 何 ぴ と も そ れ を 売 却 す る こ と は で き な い。 な お、 本 法 の 規 定 は、 た と え「 腰 掛 け 」 あ る い は 俗 に 言 わ れ る と こ ろ の「 帯 状 地

」 が 売 却 さ れ る 場 合 で あ っ て も 所 有 権 を 示 す 証 明 が な さ れ な け れ ば な ら な い、 と い う と こ ろ に ま で及ぶべし。

  ⑵   買 主 と 売 主 の 間 で 周 到 な 抜 け 道 を 用 い て 正 規 の 手 続

(4)

法政史学 第七十八号五八

き が 行 わ れ て は な ら ず、 欺 罔 的 な 売 却 は 完 全 に 葬 り 去 ら れ て死滅すべきである

  フ ェ ー リ ー キ ア ー ヌ ス と テ ィ テ ィ ア ー ヌ ス が コ ー ン ス ル の年の二月四日コーンスタンティーノポリスで付与す。

(1) Gregorius. この人物については法文○

census. (2)ケンススには、「課税台帳」(法文○ 331註(1)参照。

額」(法文○ 252)、「課税査定 101)、「課税基礎査定」(法文○

90註(

13)、法文○

「財産評価」(法文○ 202)、

172、法文○

47. . 4. ad Krüger cf. CI付加されたとされる一文( 章法二第巻七四第末四文法尾に本』文にもとづいて第纂彙 Heumann/Seckel, Censusv. s. 『勅法も、] [とであるとし、 l. h. ad tributumGothofredus, はここでは「税」のこるが、 191あが味意なまざまさのどな)

2 )の中

のcensusを、「財産に付随する税」と解している。 (3) コーンスタンティーヌス帝は、買主は税を負担しないとの条件で土地が売買された場合でも買主が納税義務を引き継ぐべきであるとし(法文○

○(法文課していたと解されるが し合意を無効と買てう主に税負担をなよその間主売主・の 101勅照)、他の参法においも買て II echtPrivatr○(法文 M. Kaser, Das römische 厳しい制裁を科している。ただし、 国ういとるす収没に庫も無売代も所地てしと効金を体自買 252、本勅法では、参照)(3)註

15, p. 277, n. 27註(2)所引)は、法文

101に一一第典法本るいてしと課人受譲を務義担負税の様同 文法(6)○ 3, 1890, p. 27)を参照。 , tomus orvm Collectio scholarvmvsvm in anteivstiniani ivris libr( Mommsenscamna三五節第四法文中のに対するの註第 Fragmenta VaticanaSubsellium』[片断カチァヴび『よお]ン Heumann/Seckel, s. v. ま勅法にえてし加っる。とさたれ subsellium言て(腰掛け)というと葉専門用語して本を 本纂編の文法きた理解でが、な者か誤った解釈っっよに いいれてらたが、それ用をしてとの土地を示す専門用語   scamnum.scamnum(5)状本い来はことのう言葉が帯 前提とされていた「証書の作成」を意味する。 き地土は、と明続手の規正買売にの際にらかその必要性が 6n. によれば、本法文では土地の売買が問題になっており、  Kaser, M. sollemniter. 77, p. p. n. 277; p. 385, 29; op. cit.,(4) は厳格には解されていなかったらしいとしている。 のおに務実とちのに、もをいてはさ本制たれ裁定規で文法 巻や第三章文(三六三年)法同第五法文(三九一年)第三

とを伝える。 い状態それらを所有する、とでうて条こるい」し入購で件 付国随する〉滞納分を税庫に納めず、を免れた所に地の〈 た乗じ、肥沃な選び抜かれに状所を、自分たちはそれら地 101窮ち「少なからぬ者たがた他の人々の差し迫っは、

(5)

テオドシウス法典

(Codex Theodosianus) (二一)(後藤)五九

335

第一二巻第五章第二法文   同( = コ ー ン ス タ ン テ ィ ー ヌ ス ) 帝 が ア ー フ リ カ 州 会 議

に〈宣示す〉 。

  祭 司 や 祭 司 を 務 め た 者 お よ び 終 身 神 官

、 さ ら に は 二 人 官 職 を 務 め た 者

さ え も、 食 糧 供 給 役 や 下 級 の 負

担 か ら 免 除 さ れ る よ う 我 等 は 命 じ る。 こ の こ と が 永 遠 の 遵 守 に よ っ て 確 か な も の と さ れ る よ う に、 本 法 が 青 銅 板 に 刻 み 込 ま れ た う えで公にされることを我等は命じた。

  フ ェ ー リ ー キ ア ー ヌ ス と テ ィ テ ィ ア ー ヌ ス が コ ー ン ス ル の年の五月二一日カルターゴーで掲示す。

(1) concilium provinciae Africae. 州会議については、法文○

77

註(2)におけるconcilia provinciarumに関する説明を参照。なお、アーフリカ州会議は、法文○

flamensacerdos司と神官については、法文○ sacerdotales et flamines perpetui. (2)アーフリカにおける祭 269の受取り手でもある。

○ては、法文 duumvirduumvirales. についアーフリカにおける二人官(3) 者も含むものと解釈した。 sacerdosだため、現職のそけでなく、いの経験るてれわ使 sacerdotalesう本法文ではとい容形な詞が名詞としてお、 325を参照。註(2)

325 註(2)

、法文○

238も参照。

336

第一三巻第四章第二法文   同( = コ ー ン ス タ ン テ ィ ー ヌ ス ) 帝 が

道 長 官 マ ー ク シ ム ス

に〈宣示す〉 。

  各 都 市 に 滞 在 し て い る、 後 掲 の 一 覧 に 収 録 さ れ て い る 技 術 の 職 人 た ち

が す べ て の 負

担 か ら 免 除 さ れ る よ う 我 等 は 命 ず る。 な ぜ な ら、 自 由 な 時 間 が そ れ ら の 技 術 習 得 に 向 け ら れ る べ き な の だ か ら。 こ う す る こ と で、 職 人 た ち は 自 ら を さ ら に 熟 達 さ せ、 自 ら の 子 息 た ち に〈 技 術 を 〉 教 え る こ と を一層望むであろう。

  フ ェ ー リ ー キ ア ー ヌ ス と テ ィ テ ィ ア ー ヌ ス が コ ー ン ス ル の年の八月二日に付与す。

  技 師 architecti 、 格 間 職 人 laquearii 、 左 官 albarii 、 大 工 tignarii 、 医 師 medici 、 石 工 lapidarii 、 銀 細 工 師 argentarii 、 建 築 師 structores 、 獣 医 mulomedici 、 石 切 工 quadratarii 、 金 刺 繍 細 工 師 barbaricarii 、 床 職 人

scansore

s 、 pictores sculptores 絵 師 、 彫 師 、 真 珠 細 工 師

diatretar

marmorarii deauratores 鍍 大 理 石 工 、 師 金 職 人 、 鋳 物 aerarii ferrarii musivarii 、 師 冶 鍛 、 師 細 銅 、 人 職 ク イ ザ 工 ii 、 statuarii intestinarii 、 物 師 指 彫 像 職 人 モ 、

(6)

法政史学 第七十八号六〇

fusores 、 紫 染 色 工 blattiarii 、 舗 石 職 人 tessellarii 、 金 細 工 師 aurifices 、 鏡 職 人 specularii 、 車 駕 大 工 carpentarii 、 水 測 量 士 aquae libratores 、 ガ ラ ス 職 人 vitriarii 、 象 牙 細 工 師 eburarii 、 縮 絨 工 fullones 、 焼 物 師 figuli 、 鉛 細 工 師 plumbarii 、毛皮職人 pelliones 。

(1) コーンスタンティーヌス帝が死去したのは三三七年五月二二日なので、八月二日に付与され、死亡した皇帝を発布人とする本法文は一見すると問題があるように見える。しかし、Mommsen, ad h. l.は、コーンスタンティーヌスの死後も後継帝が宣言されるまで(コーンスタンティーヌスを継いだコーンスタンティーヌス二世、コーンスタンティウス二世、コーンスターンスが正帝として宣言されたのは三三七年九月九日)は彼の死が秘され、司法・行政措置もコーンスタンティーヌスが生きているかのようにして出されたというエウセビオス『コーンスタンティーヌスの生涯』第四巻第六七章の記述を重視する。そのため、本法文もそのような事例に該当するのであり、inscriptio、subscriptioともに問題はなかろうとする。(2) Maximus. 三二七~三二八年(法文○

251、○

259、○

265、○ 三三二~三三三年(法文○ 266)、

49Maximus Valerius は、本法文の時期にマークシムス) ( 590f. pp. i, . PLRE道長官を務めたことが知られる。なお、 308)、三の)文法本年(七三三度、 だし写本間での異読は多い。 法術では次のような形で技者たちが列挙されている。た文 (3)一法同じ勅法を収録する『勅彙第纂』第一〇巻第六六章 が副帝ダルマティウスの道長官であったと推測する。

    「そして、一覧は以下のごとくである。技師architecti、医師medici、獣医mulomedici、絵師pictores、彫像職人statuarii、大理石工marmorarii、ベッド職人lectariiあるいはラッカーリウスlaccarius、錠前師clavicarii、四頭立て戦車職人quadrigarii、石切工quadratariiすなわちギリシア語で言うところのリトテークタイ、建築師structoresすなわち建物の職人aedificatores、木彫り細工師sculptores ligni、モザイク職人musarii、鍍金職人deauratores、漆喰職人albiniすなわちギリシア人が言うところのコニアータイ、銀細工師argentarii、金刺繍細工師barbaricarii、真珠細工師diatretarii、銅細工師aerarii、鋳物師fusores、彫刻家signarii、ズボン職人fabri bracarii、水測量士aquae libratores、焼物師figuliすなわちギリシア語でケラメイスと言われる者たち、金細工師aurifices、ガラス職人

vitrearii、鉛細工師plumarii、鏡職人specularii、象牙細工師eborarii、毛皮職人pelliones、縮絨工fullones、車駕大工

carpentarii、彫師sculptores、左官dealbatores、宝石加工職人clusores(註:P. Krügerは造幣工cusoresの読みを取る)、亜麻布職人linarii、大工tignarii、金箔職人blatteariiすなわちペタルールゴイ。」

(7)

テオドシウス法典

(Codex Theodosianus) (二一)(後藤)六一 あにる l.Glossaeh. ad Gothofredus, 』は『語彙集が不明である。 scasoresscansores. 写義(4)り、語本おてれ記表とはで上さ

“scansor,

καταστρώτης

καταστρώτηςが、リうろあで測推のらか語アシギくらそお いで、上たし摘指を目項う ” と scansoresが床の舗装に関わる職人と考える。そして、「舗装する」「(床石を)敷く」という意味の動詞sternoからできたstratoresというラテン語を読むべきかもしれないと疑問符付きで提案している。またGothofredusはscansorという読みを採用した上で、この語をscando「昇る」と関連させ、昇降用の階段scalariaに関わる職人かもしれないという推測も併せて提示している。

   Mommsen, ad h. l.は、この箇所でGothofredusに特別な言及はしていないが、彼と同じく『語彙集』を参照させながら、scansorの読みを採用しており、翻訳にあたっては上記Gothofredusの考察を参考に、『語彙集』のギリシア語を重んじて「床職人」とした。(5) diatretarii. Ch. T. Lewis & Ch. Short, A Latin Dictionary: founded on Andrews’ edition of Freund’s Latin dictionary(Oxford, 1879), s. v. [diatretarius]; K. E. Georges,Ausführliches lateinisch-deutsches Handwörterbuch

ad Gothofredus, l.h. は、この釈を提示する。これに対し、 職え、「透かし彫り細工「人」、線条細工師」という解考のと διάτρητος」語の「突き通され人たと来職いする由に語う名 diatretariusHannover, 1913ギリシア]はいずれも、[), s. v. (8. Aufl., 』纂彙法勅る『え伝でア語シリギをトスリ人職の

B写本に τιτρῶντες τοὺς μαργαρίταςという記載があることから、真珠に穴を開けて加工する職人とする。翻訳はGothofredusの解釈に従った。

発布年不詳

337

第一巻第二七章第一法文

  コーンスタンティーヌス帝が〈宣示す〉 。

  裁 判 官 は こ の 先、 自 ら の 責 務 に 従 っ て 以 下 の こ と を 守 ら な け れ ば な ら な い。 す な わ ち、 も し 司 教 の 法 廷 に 訴 え が 持 ち 込 ま れ る な ら ば、 〈 裁 判 官 の 〉 沈 黙 が 与 え ら れ る べ き で あ り、 ま た、 も し 何 ぴ と か が 事 案 を キ リ ス ト 教 の 法 に 移 し て そ の 裁 き に 従 う こ と を 欲 し た な ら ば、 た と え 訴 訟 が 裁 判 官 の も と で 開 始 さ れ て い た と し て も、 そ の 者〈 の 要 求 〉 は 聞 か れ る べ き で あ り、 か つ、 彼 ら( = 司 教 た ち ) に よ り 裁 か れ た こ と は

、 何 で あ れ す べ て 神 聖 と 見 な さ れ る べ し、 と いうことである。ただしそれは、 訴訟当事者の一方〈のみ〉 が 上 述 の 聴 聞 の 場( = 司 教 の 法 廷 ) に 赴 き、 そ こ で の 裁 定

(8)

法政史学 第七十八号六二

を 報 告 す る よ う な 場 合 に は、 適 用 さ れ て は な ら な い。 何 と な れ ば、 裁 判 官 は 現 前 の 訴 訟 に 関 し て 全 き 裁 判 権 を 有 す る べ き で あ り、 そ れ ゆ え す べ て が 報 告 さ れ 受 け 入 れ ら れ た の ちに〈自らが〉判決を申し渡すべきであるから

  正 帝 …… と 副 帝 ク リ ー ス プ ス が コ ー ン ス ル の 年 の 六 月 二三日コーンスタンティーノポリスで付与す

(1) ab his fuerit iudicatum. この箇所に先立つ文中には「司教の法廷episcopale iudicium」、「キリスト教の法lex Christiana」があるのみで、この箇所のhisに対応する複数形の名詞はないが、意味を取って「彼ら(=司教たち)」とした。(2) ita tamen, ne usurpetur in eo, ut unus ex litigantibus pergat ad supra dictum auditorium et arbitrium suum enuntiet. Iudex enim praesentis causae integre habere debet arbitrium, ut omnibus accepto latis pronuntiet. 『テオドシウス法典』の第一~五巻については極めて不完全な二写本があるのみで、他の法史料から復元しなければならない部分が大きい。本法文が収録されている第一巻第二七章については、Mommsenは『シルモン勅法集Constitutiones Sirmondianae』の後に収録されていて「『テオドシウス法典』二七章 De eposcopali definitioneからの法」という前書きを持つ二法文を、Krügerはそれらに『勅法 彙纂』第一巻第四章第七法文を加えた三法文を、復元している(cf. John F. Matthews, Laying Down the Law: A Study of the Theodosian Code

初の勅法だからである。 iudicium episcopale 」に言及する最本法文が「司教の法廷 あについては長い研史が究る。るそでり限はす現は、れ存 ろするとこめ、を含本法文意味のそれ、わ思とるあが落欠 124et 法)。いずれにせよ、本半キ文後のテストについては London Haven & New 2000pp. 94f. [],

  一方には、本法文が惹起した問題に関する請訓への回答と思われる『シルモン勅法集』第一法文(三三三年五月五日、道長官Ablabius宛)や五世紀半ばの教会史家ソーゾメノスの著述(Historia Ecclesiastica, I,

9 )等も考え合わせ、

コーンスタンティーヌスは司教に民事裁判権を与えたとする見解がある。たとえば弓削達は、同帝は「宗教以外の俗事にかんしても、民事裁判権を司教に与えた」、「原・被告いずれの側も先方の意思に反して、民事訴訟を司教の前に提起することが出来、またかりに訴訟手続きが総督の前で始められていても司教法廷(episcopale iudicium, audientia episcopalis)にこれを移すことができた」と述べる(「後期ローマ帝国における都市の構造的変質」、『古代史講座

10 世界帝国の諸問題』[學生社、一九六四年]、三一四~三一五頁)。Jones, LRE, p. 480は、「コーンスタンティーヌスは司教に裁判権を付与することで、もう一つの地方法廷を創出した」と述べる。そして、本法文は「たとえ訴訟が

(9)

テオドシウス法典

(Codex Theodosianus) (二一)(後藤)六三 Constantine and Eusebius Barnes, D. T. をるくべき回答」得ことになったとする。 り、るならさいあできべ訴上う「は認められな」とい驚 きをとた求裁判教司てさでめえ、案司くを件裁のそは教 ウスのがこ点を問い、「一方の当意事し反に思の方他が者 かめたたってなし記明は三に、道三ブビー三ラア官長に年 す意を必要と両るのかについの合者教当事が管移のへ廷法 分ねか聞を事い言の者当なばらい」ことを定めたが、な司 とる」きべよれさ行遂りこにを定し、さらに「司教は両規 定終最ではな決の教司き、的べもであるきで、民政当局の い該当もてどおに点時のの訴を訟移司とこすがにともの教 廷しで開始されていたと法ても、判決が下されるまで通常

の司方的は、世俗の裁判官が、一教ての当の事いつに定裁 ない、とする。そして本法文にのつるた主目そは、てい「 場方がキリスト教徒である合たにれもかのしれの用適みさ いないてこはとるけこが、しれ双らの者事当訟訴は則規の ヌーィテーンタスンはスに司教の裁判権明な限界を設コ確 定に移せるということを立法化した(と思われる)」と述べ、 官をの場合ですら、その訴訟か世司俗廷政ら法教裁行のの 階キリスト教徒は、の段どで意いも、なが同の方手相たま 他リキのトは帝スヌィテー教な徒るいてっスに訴事民訟と 推るす定のを在究」法研存者ーはタスンンコで、)い多「 法らか文』一第集法のそ推存勅の「こ在法(るきで測が勅 51p. 1981は、現存はしないものの本法文と『シルモン勅), (Cambridge, London & Mass. C. John Lamoreaux, える。近年では、 づあることを防ぐことでっ行たと思われる」と考す動てい な者にった報告や不正確告報偏を受け入れ、それに基よる

“Episcopal

Courts in Late Antiquity,

, 3: 41995Journal of Early Christian Studies(), ”

pp. 146-148 が、コーンスタンティーヌス帝は司教に民事裁判権を付与したという立場で、本法文と『シルモン勅法集』第一法文(および両者の間に出された現存しない勅法)について論じている。

  他方、コーンスタンティーヌス帝が司教に認めたのは厳密に言えば仲裁裁判権であったとする見解も、長く主張されている。たとえばF.ティンネフェルトは、「エピスコパーリス=アウディエンティアの正しい理解のために次の三点が強調されねばならない。(一)それは、自発的に依頼することができる仲裁裁判権であること、(二)それは決して正規の裁判権の代用となろうとするものではないこと、(三)それは、国家の裁判権と並んで、道徳的・宗教的に根拠づけられた調整器として存在したこと、である」と言う(『初期ビザンツ社会』[弓削達訳、岩波書店、一九八四年]、三一一頁)。

  このような研究史の伝統に対し、Jill Harries, The Law and Empire in Late Antiquity

audientiaを取り上げた第 (Cambridge 1999epscopalis )は、

10章 (

pp. 191-211)で、キリスト教に関わるコーンスタンティーヌスの立法すべてに特別の重要性を認めようとする傾向を戒める。そして、episcopalis

(10)

法政史学 第七十八号六四

audientiaに関するコーンスタンティーヌスの法は、司教の裁決からの上訴を認めない点で司教に世俗裁判官に勝る権限を与えているように見えるが、司教はキリスト教共同体内で、ローマ法に則って裁こうとする点で世俗裁判官に似た裁判官であったのみならず、長く仲裁者・調停者の機能も果たしてきた点を強調する。そして、そのような現実に疎かったコーンスタンティーヌスの立法は、四世紀前半のキリスト教共同体内で司教裁判が日常的に果たしていた機能にそぐわなかったがゆえに、限定的な影響力しか持たなかったとする(p. 191)。彼女は、本法文の後半については「司教の裁決は拘束力を持つべきものであったが、(見るところ)いずれかの当事者が一方的に許可を受けないまま司教のもとに行ったり、世俗の裁判官が主宰する訴訟手続きを妨害したりすることは許されなかった」という趣旨だと考える。さらに、本法文の起草者が司教裁判と世俗裁判の両方を指してiudicium、それぞれの決定を指してarbitriumと言い、これら二つの語を互換可能なものとして用いていること、つまり、法体系の枠内の法廷裁判iudiciumと、より非公式な仲裁arbitrationの区別がなされていないこと、そしてこの曖昧さがソーゾメノスから今日にいたるまで繰り返されてきたと指摘する(pp. 195f.)。彼女は、コーンスタンティーヌスが司教裁判を世俗の裁判と融合させようとした可能性は否定しない。ただし、帝国のキリスト教化の早期におけるそのような試みは多くの問題を惹起したであろうと述べ、 『シルモン勅法集』第一法文の規定をローマ法に照らした際の多くの問題点を指摘して、コーンスタンティーヌスのこれらの法は「無視された」と結論づける(p. 199)。そして、四世紀末までには司教裁判は「仲裁裁判」に収斂されていくと考える。 これに対し、Olivier Huck,

par episcopalisConstantin créationde l ’audientia 《》 ‘La

et V sièclese in: Empire chrétien et église au IVe ’, て、の関する仲裁裁を得た。そ決のにち、てっ戻き廷法の元 も訴訟が未決の間に司教のらと当に案事該に教司き、赴か で判もの官世裁の俗は、部と開訴始訟かてしら、をき続手 するものがないという問題点が当あ一の者事でこそた。っ 認リカるめマに教司が者ス保的実証を性効権の外、以威そ とつローマ法の仲裁手続き比に当両は、事定決の教司べ、 compromissum裁仲裁契約により仲の人定が拘束力を持決 持よむ込ち教にともの司うにな当っ者事の両し、かした。 自を案事争紛のちた分が、)に初うちは主のキスト教徒リ 人ざら頼には停調いるをるか得ななもとく最少人たっ々( 広め、始りがのが噂策政来従異は官、人裁仲あ判の徒教裁 コタスンー測る。す推にテンィ遇リー優教トスキの帝スヌ 年文法本にが八一三て、しそ布を発以よの下うさ経たれ緯 ル法勅ンモ文シと『法本』集第る。法文を仔細に検討す一 上常非過で重るえ考を程にと要あるこを改めて主張し、で 末おに期の代古は置措るけ的司教の社会影響力の形成ヌス Paris 2008 (ーィテンタスンー、コは), pp. 295-315

(11)

テオドシウス法典

Codex Theodosianus () (二一)(後藤)六五 inter nolentes裁い()真正のに判権変わるというのなが、 法方た現存しない勅により、双の当しと要必を意合の者事 法ル勅ンモの『シ年三三三』集さ第法文までの間一に出れ pp. 297-301(であると結論づける)。しかしこれは、裁裁判」 inter volentes」のもの、つまり「仲意している者たちの間 なるのだから、本法文で題に問っのては「聞聴合教司るい usurpation決すを民裁判官に報告事ると)をと言っていこ た教司にめもる得を決裁の裁としのそて、にそこく行と( Huckる方一は、解す釈にう当の事のみが好意的な仲裁者 らけいばれよなし意注う、な法な本文の趣旨をこのよい。 よるすとうりせされ入い取といっになれさた騙略策のぐた 司決教の裁不を最判決に得た終にかを司教解ら得し、正獲 的の教司にに方一しなと意もに見き、自分に都合のよい赴 事は、官判裁ず民てっがしいたれ相か同の方手が者事当の うなるめ求をよむ込りば、ら取そを拒んではならない。れ て分自て、きのっ戻にとも分が下す終判決に司教の決定最 移とこす司妨にともの教をまげはならず、た、彼らが自て 訟た者事当の訴は官判裁がちに既訴き続手訟をたさ始開れ か、回るす対う訓請いとが答に本法文であった。民事訴訟 こた。め求取よるれ入りよのうう場合にどう行動すべきな のの決判世官判裁の俗に中裁司教による決そのまま内を容

Huckの考えである。

  しかし、以上のような長い研究史の伝統に対し、Caroline Humfress, Orthodoxy and the Courts in Late Antiquity

(Oxford は危険、「一般化」からのという趣旨の指摘は重要であろう。 法纂ものであり、本典や『勅彙法』に法勅るいてれさ録抄 応解として理問されるべきへ対の題体個別具は的な状況・ 分い析する際に繰り返して摘、る個法勅指々のち、わなす episcopalis 156-166audientiapp. 2007に関する勅法を), が

Humfressは本法文もまた、司教裁判権の性質を定義しようとするものではなく、むしろローマ法のもとにおける個別具体的な「手続き」問題に向けられたものであると強調する。そして、本法文の趣旨は、(一)行政官のもとで訴訟手続きを始めた一部の訴訟当事者が、のちにその案件を司教の「法廷」に移すことを決めた場合、その行政官は訴訟手続きを停止し、その事案のChristiana lexへの移送を許可しなければならない(訴訟当事者の側も、かかる手続きを踏むことなしに司教のもとに移ってはならない)、(二)司教によりひとたび裁決が下されたならば、それは神聖なものとして扱われるべきであるが、その訴訟当事者はなおも、元の行政官の法廷に戻り、自分が司教から得た決定を開示することを求められ、このようにして司教の決定は、その訴訟のそもそもの提起先である行政官によって正式に宣告される、ということだと考える(pp. 156-158)。このように本勅法が発布された経緯やその趣旨についてはHumfressもHuckに近い考えであるが、本勅法は司教に民事裁判権を授与するものでもなければ、司教の裁決を「仲裁」のそれに限定するものでもなかったとする点で、Huckとは大きく異なって

(12)

法政史学 第七十八号六六

いる。

   いずれにせよ、本法文の後半を「ただしそれは、…」のように訳出したのは、この二人の解釈を踏まえてのことである。(3) DATA VIIII KAL. IVLIAS CONSTANTINOPOLI……A. ET CRISPO CAES. CONSS.

クリースプスは三一八年と 三二一年にコーンスルとなっているが、Mommsen, ad h. l. が指摘するように、副帝クリースプスが次位の位置でコーンスル年に登場するのは、五度目のコーンスルであった正帝リキニウスと共にコーンスルとなった、三一八年のみである。一方、ビューザンティウムがコーンスタンティーノポリスと改名されるのは三三○年である。したがって、このsubscriptioのコーンスル年と付与地は矛盾している。これに関し、Seeck, Regesten, p. 57は、欠けている正帝名の部分はおそらくipso A.(正帝自身と)とのみ記されていたのだが、後にコーンスタンティーヌスの名が付加されて

Constantinoipso A. となり、それがConstantinopoli A.と誤写されたのであろうと推測し、本法文は三一八年六月に付与されたと考える(p. 166)。以来、大方の研究者が三一八年を本法文の発布年として受け入れている。cf. Jill Harries, op. cit., p. 195, n. 18 (ただし、「三二六年のクリースプスの処刑以前で、おそらくperhaps三一八年」としている); Caroline Humfress, loc. cit.; Olivier Huck, op. cit., p. 297.   その中でFergus Millarは、本法文のsubscriptioに関し て唯一可能な復元は三一八年六月を示しているとした上で、

Byzantiumが後にConstantinopolisに代えられることが時々あり、三一八年六月にはコーンスタンティーヌス帝はアクィレーイアにいたことを指摘して、本法文の発布者がリキニウスであった可能性を示唆した

World The Emperor in the Roman

312p. 80 n. ])[ London ., Barnes [T. 7.n. 591, , p. 1977D. loc. cit)。(]

も、伝えられている

subscriptioは本法文が三一八年にリキニウスによって発布されたことを暗示しているとするが、ただし、そうであったとしてもリキニウスはおそらく、それ以前のコーンスタンティーヌスによる立法を繰り返しているにすぎないと述べる。

  これに対し、Simon Corcoran, The Empire of the Tetrarchs: Imperial Pronouncements and Government AD 284-324

1996pp. 284-286. Idem, ), ( (Oxford

‘Hidden

from History: The Legislation of Licinius

Theodosian Code in: Harries and Wood eds.The (), ’, する記述を微修正して再録) [London 1993pp. 111-113], の本法文に関

は、

発布者がリキニウスであった可能性を仔細に検討した上で、本法文をリキニウスに帰す必要はないと結論づけ、三一八年六月に発布された本法文の付与地がConstantinopolisとなった経緯に関しては

Seeckの推論の方が可能性が高いとしている。

(13)

テオドシウス法典

(Codex Theodosianus) (二一)(後藤)六七

338

第二巻第五章第一法文   コーンスタンティーヌス帝が〈……に宣示す

〉。

  原 告 は、 共 同 保 有 者

の う ち〈 自 ら が 〉 望 ん だ 者 を 訴 え る こ と が で き る。 ま た〈 自 ら が 〉 望 む 者 を、 自 ら の 意 思 に し たがって 〈訴えから〉 除外することができる。 ただしそれは、 訴 え ら れ な か っ た 者 た ち が、 判 決 と し て 下 さ れ る で あ ろ う こ と に つ い て 何 ら 不 利 益

を 蒙 る こ と な く、 望 ん だ と き に は 自 ら の 訴 訟 を 起 こ す こ と が で き る、 と い う 条 件 に お い て で ある。

(1) 法文○

も、い元に頼らなければらなな部文て分つにい法本い。多が は、復のらか料史法の他て典スつに巻五第~巻一第』い法 3372)でいも説明されて註(るように、『テオシウド

Mommsen, ad h. l. によれば、五〇〇年頃に編纂された『ブルグンドのローマ法典Lex Romana Burgundionum』第四七章をもとに構成されている。また、もとになった法史料にコーンスタンティーヌス帝の名が無いにもかかわらず、本法文の付与者がコーンスタンティーヌス帝とされているのは、本法文の次に採録されている本法典第二巻第五章第二法文に基づくとされている。同法文の付与者はユーリアーヌス帝だが、同法文に「コーンスタンティーヌスの勅法 constitutio Constantini」が言及されているためだと考えられる。(2) consors. 「共同保有者」については、法文○

た。いが「不利益」や「損」と害うよっ意にうなつ持も味 praeiudicium事益や損をもたらす害態う葉言がいとじ、生 の訟果、「予備訴訟」が本結訴に事お利不に者当訟訴てい 訟す重尊でよ訴本を決判るもうでた。し制強そ法方の種各 る発でとこ承す認に別し達たの法務官は「予備訴訟」が、 的に念概な作般一ていつがにらるは至らず、法務官が個れ 訟れそがす訴なうよるあに典た備」る。訴訟予は「に期古 に定確てっ立先訟生でるいは来自由人あるか否かを、本訴 方てっよが手相物人の放解にさるれか、否かああ物人たで をたし有す務義為をす養り決るか否かを定するために、そ るす張とるあで長家はに者主対供扶り、たしし提務労てを るのことである。例えあば、人が、その保護者、あるい物 事の認確実たて、っ立先に訟行めなわれる予備的な訴訟に は「訴認確訴いるあ」訟」訟れと多訴訳い。本がとこるさ praeiudiciumpraeiudicium. (3)「予備は、「不利益」と訳した 27を参照。(3)註

cf. 船田享二『ローマ法』、第五巻(岩波書店、一九七二年)、二一五~二二二頁; 原田慶吉『ローマ法』(法文○

; Berger, Encyclopedic Dictionary(2)所引)、三八七頁 122

(法

文○

22, s. v. PraeiudicarePraeiudicium註(3)所引)[]; [];

Heumann/Seckel, s. v. [praeiudicium].

(14)

法政史学 第七十八号六八

339

第二巻第二五章第一法文   コ ー ン ス タ ン テ ィ ー ヌ ス 帝 が 三 州

帝 室 財 産 管 理 官

ゲ ル ル ス

に〈宣示す〉 。

  サ ル デ ィ ニ ア に お い て 最 近 御 料 地 ま た は 永 借 地

が 別 々 の 所 有 権 者 に 分 割 さ れ た 際、 奴 隷 の 家 族

全 体 が 誰 で あ れ 同 一 の 所 有 者 の と こ ろ に 残 る よ う に、 財 産

の 分 割 が な さ れ る べ きであった。というのも、 子が両親から、 兄弟から姉妹が、 夫から妻が離されることに誰が堪えられようか。 それゆえ、 奴 隷 た ち を 別 々 の 権 利 の 下 に 分 か ち 連 れ 去 っ た 者 た ち は、 そ の 奴 隷 た ち を ひ と つ の 権 利 の 下 に 戻 す こ と を 強 制 さ れ る べ し。 そ し て〈 奴 隷 の 〉 家 族

の 回 復 に よ っ て 誰 か の 下 か ら 奴 隷 が 欠 け た と き は、 当 該 奴 隷 を 受 け 取 っ た 者 に よ り そ の 者 に 対 し 代 わ り の 奴 隷 が 補 わ れ、 分 か た れ た 奴 隷 の 家 族

に つ い て こ の 後 何 ら か の 不 平 が 州 内 に 残 存 し な い よ う に 注 意 せよ。

  プ ロ ー ク ル ス と パ ウ リ ー ヌ ス が コ ー ン ス ル の 年

の 四 月 二九日に付与す。

(1) tres provinciae. Sicilia, Sardinia, Corsicaを指す。cf. Gothofredus, ad h. l. (2) rationalis. 帝室財産管理官については法文○

び法文○ 28註(1)およ

○典文法はのるす場登に』 velよわ続詞にる組み合せ等で『テオドシウス法接のがと enfyteuticarii. vel patrimoniales fundi (4)御料地と永借地 GERVLVS(). Gerulus. 394 p. i, . PLREcf. 詳(3)は細な知られていい。 85註(1)を参照。

○である。御料地については法文(四三四年)三法文 二登場するのが第五巻第一同章)第第びよお年五一四二( 種せの組み合わ者によらずに両がこのり、で)年四六三(あ よ月お)三二一年七同び一第五巻第文(五章第一七法文三 188法四第章一第巻一一第同他、の

○借文法はていつに者権永人・借永はたま地借永 109註(2)、

○地文法は地借永や料御た、ま照。参を 91註(3)

128や法文○

agnatio. (5)法文○ されている。 305でも言及

○文 原族」関係を指し(慶田「吉『ローマ法』[法宗るで族親あ 160典(3)参照。古註期のーマ法では男系ロ Dictionary Berger, Encyclopedic 122)所引] 二八註~二八五頁、2(四

[法文○

s. 22註(3)所引],

v. [

Agnatio] 参照)、本法典の法文○

89・○

160・○ れ隷訳した。なお、出の奴後の語「れそはぞ原」族家の 宗いと」族隷「の奴も表うか現、「はと」家族でのいしお 対親子や兄弟姉妹を、象としておりそもそ隷の奴文法は 家般づく制度の後退とう一い的た本、現ま。たれ見が象ら て。るいいれら用でか味し期し、帝政後には宗族に基の意 214族宗はいるあ係関族宗、もていおに

(15)

テオドシウス法典

(Codex Theodosianus) (二一)(後藤)六九 possesiones. 語本用とは、たえば法文(6)○ 家い。cf. Gothofredus, ad h. l.たし統で語訳う一」と、「し解理族 necessitudinesaffectus、、であるが容同内を指るといして

65・○

160・○

244・○ みられる「占有(権)」の他、法文○ 28032の「土地」、法文○

有地」、法文○ 275の「所 305の「(永借)地」、「財産」、法文○

subscriptio章五第六巻第二一第一法文のを挙げ、その発布 えしそる。例とたし加そて、考の法具纂彙』勅て『しと体 ず、編の代後てらお伝っわ纂者がス誤付を名ルンーコたっ ウスヌーリいパは来が、だと本うスか単名ルしンーコの独 Gothofredusべクルスの方を修正すときする点ではと同様 Seeckしと能不年与確はいて定る。れに対しは、プローこ l. ad Gothofredush. はの三三四年説を紹介しながらも、付 Mommsen, て、には難がある年しと③付与年を考える。の 一章○第第巻○一五第づ法文に基き①の付与法典に言及するにすぎない。本え伝る Callepiusーるあでのもの下帝スヌンィテとタスンーコが法本びこ勅名官のスウピレッカてしと理管産財室帝州三のを ad l. Gothofredus, h. と、ンパは、三四○年ウリーヌスがコースよルであった可能性がある。年」は存在しないこおの Seeckcit. 説ル付が年四三三たっあでンスとーコがスヌーリウパと与ルス掲は、の三二五年を年げつつ、「プロークス , pp. loc. . i, 174f.pp. 88f.; PLRERegestenあったと考える(③オプタートゥリアーヌスがコーンスルであった三二五年、)。 が○ンスルであった三四パ年、②スウーヌスとユースーリルのたであコり、実際発さ布年は三二五年れの加で付名が Acindynusるスのルクープととーヌえュンキ独ア①と、考デンコ」に「プロークルスとルいう誤ったコーン名スーロ Seeck単も、は本法文についてパうリーヌスる。すといウなりど年は知られてい誤い。ちスらかのコーンスル名がル (7)でリアーヌスがコーンスルあユった三二五年であったとー合ンみーコるよにせわプロークルスとパウリーヌスの組 「財産」と訳した。して問題が生じていると理解し、スとデたーメコーニィーアいにこパがヌ確実で、ーリとウ は、続相てい財ー際産の分割ににおる。文年テンタスンーコヌ日五二月七は、与法付の際実スが多様に訳し得ィ本に 179り、コの「保持」と、あトゥス」という誤ったーでスル名が付加されたンの スル名しか伝わっていなかったところに、のちに「オプター ウ諸州)の矛盾から、本とはいンパーコう来とスヌーウリ と、三三四年夏のコースンタティース帝の所在地(ドナヌ 発布地(ニーコメーディア)・年月日(三三四年八月一一日)

340

第五巻第二〇章第一法文

  コーンスタンティーヌス帝がマークシムス

に〈宣示す〉 。

  古 く か ら の 慣 習 を 堅 持 す る こ と は、 こ れ か ら の 時 代 に と っ て の 指 針 で あ る。 そ れ ゆ え、 公 共 の 利 益 を 理 由 と す る

(16)

法政史学 第七十八号七〇

妨 げ が 何 も な い 場 合 に は、 長 く 遵 守 さ れ て き た こ と が こ の 先も存続すべきである

  正 帝 ユ ー リ ア ー ヌ ス が 四 度 目 に し て サ ッ ル ス テ ィ ウ ス が コ ー ン ス ル の 年 の 二 月 二 六 日 コ ー ン ス タ ン テ ィ ー ノ ポ リ ス で付与す

(1) Maximus. PLRE. i, p. 581 (Maximus

8 )は、

subscriptioのコーンスル年(三六三年)にはコーンスタンティーヌスであれコーンスタンティウスであれ存命しておらず、ユーリアーヌスが同年にコーンスタンティーノポリスに滞在することも不可能であるので、コーンスル年は編纂者によって誤って挿入されたと考えるのがもっとも簡明であるとし、本勅法はおそらくは三三二年か三三三年に道長官マークシムス(PLRE. i, pp. 590f. [Valerius Maximus 49], 法文○

よ定所び有者の税負義務を担め三二た三六年文(法四第同 法典第一一巻第三章第三文(六)、六三年二月一三日付与お 担なを負の税が人受き引こ受けるべきとを定めた本法ど譲 ad 1 Gothofredus, 5. 12. (2)によれば、本法文は、土地の買主 あったと考える。 ーコはスムススシクーマのンータティノポリで官長都首ン ユアリーにに年三六三ヌーよスれしにとた解さ与付てって、 112. 5. ad Gothofredus, は、本勅法がコーンスル年通りる。 259註(布す1)参照)にてて発宛さあれ推とる測でのもた い参を1)註(文法本は、て照。つに年与付の法勅本(3) 月二七日付与)と一体を成していたとされる。

Seeck, Regesten, p. 429は、subscriptioのコーンスル年通りに三六三年を付与年と解する。

341

第六巻第三八章第一法文   正 帝 コ ー ン ス タ ン テ ィ ー ヌ ス が パ テ ル ヌ ス = ウ ァ レ リ アーヌス

に〈宣示す〉 。

  ペ ル フ ェ ク テ ィ ッ シ ミ ー 級 の 親 任 状

を 求 め し 者 は、 以 下 の 場 合 に そ れ を 享 受 す べ し。 す な わ ち、 そ の 者 が 奴 隷 の 境 遇から程遠く、 国庫や都市参事会に責を負っておらず、 「パ ン 製 造 業 者

」 で な く、 ま た、 な に が し か の ……

で な い か ぎ りにおいてである。……

(1) Paternus Valerianus. 本法文以外では知られていない。PLRE. i, p. 939 (Paternus Valerianus 15) は、法文○

○法文 Gothofredus, ad h. l. は、これに対しある可能性を示唆する。 アで物人一同とスヌーリのさァウ官代区管レ年〇三三るれ 276で確認

て製れらべ述ていつに」者業造ンパる「す連関に給供糧食 inscriptio276の本法文中でローマ市のの記載に加えて、

(17)

テオドシウス法典

(Codex Theodosianus) (二一)(後藤)七一 いること、そして、法文○

codicilli perfectissimatus. ○親任状については法文(2) 人を在ローマ管区代官であろうと考える。 いれる旨が述べられてかること行ら、本法文の名宛わでと 審ィッシミー級の者たちの査クが在ローマ管区代官のもテ 155で年齢特権取得に関してペルフェ

参照。ペルフェクティッシミー級については、法文○ 291註(6)

pistores. (3)「パン製造業者」については法文○ 参照。 4註(1)

○」文法は、ていつに担負の者業造製ンパ「た、ま 106註参照。(2)

51や○

○文法たれさ示掲に日 p. Seeck, , 165Regestenは、三一七年一月一九ない。なお、 subscriptio発(5)が欠損しており、な布どの情報は得られ年 である」となっている。 産し理管をの財のかれだいてなるりのいおにてぎいでもか 薦っよに得推たで収そ買てをので他く、名もなのたっ購誉 てば、れけないもっわがなく、また、なにでしの商売に携か 「パン製造業者」国庫や都市参事会に責を負っておらず、く、 の残が分部一こはに文法し存奴てお遠程らか遇の隷「り、境 い彙法勅る『三てし録収』纂)第章(一章三第二第巻三二 のが分部でこは本写落欠だしている。たし、同じ勅法を(4) 考となろう。 108参も

拠は明示していない。 あうるに由来するものでとい可て根が、能いるし唆示を性 法勅の一単じ同とも宛ウィアーヌス)と本法文とは、もと 66(諸ヒスパーニア州ーの総監オクタ

342

第八巻第一五章第一法文   ………

。 ア グ リ ッ ピ ー ナ が 発 言 し た。 「 彼 は そ の 土 地 の 地 区 長

で は あ り ま せ ん。 」 正 帝 コ ー ン ス タ ン テ ィ ー ヌ ス が 発 言 し た。 「 し か し、 行 政 職 に 就 い て い る 者 が 何 か を 購 入 す る こ と は 法 で 禁 止 さ れ て い る。 そ れ ゆ え、 彼 が 購 入 し た の が 彼 の 地 区 に お い て で あ れ、 そ れ 以 外 の 地 区 に お い て で あ れ、 実 の と こ ろ 何 の 違 い も な い。 彼 が 購 入 し た こ と が 法 に 反 し て い る の は 明 ら か な の だ か ら。 」 さ ら に 帝 は 付 言 し た。 「 行 政 職 に 就 い て い る 者 が 購 入 し た も の は 何 で あ れ す べて国庫のものとなること

を汝らは知らぬのか。 」 アグリッ ピ ー ナ が 発 言 し た。 「 彼 は そ の 土 地 の 長

で は あ り ま せ ん で し た。 私 は 彼 の 弟 か ら 買 い 取 っ た の で す。 御 覧 く だ さ い、 こ れ が 取 引 の 証 書 で す。 」 正 帝 コ ー ン ス タ ン テ ィ ー ヌ ス が 発 言 し た。 「 コ ー デ ィ ア と ア グ リ ッ ピ ー ナ は 売 主 か ら 相 応 の金銭を受け取るべし。

(1) この法文は、アグリッピーナとコーディアという二人の女性が提起した訴えに対する皇帝の裁定を記録したものである。訳文には十分反映させられなかったが、アグリッピーナの発言にはギリシア語が用いられているのに対し、コー

(18)

法政史学 第七十八号七二

ンスタンティーヌス帝の言葉と、発言者を示す部分にはラテン語が用いられている。

    皇帝顧問会議consistoriumにおける審理記録を抜粋・収録している法文としては、本法文以外にも、本法典第一巻第二二章第四法文、第四巻第二〇章第三法文、第一一巻第三九章第五法文、同第八法文、『勅法彙纂』第九巻第四七章第一二法文、第一〇巻第四八章(四七章)第二法文などがある。Gothofredus, ad h. l. およびMommsen, ad h. l. は、第一一巻第三九章第五法文のように審理記録には年月日情報が冒頭部に記載されていたはずだと考え、本法文冒頭に欠落を想定している。本法文の正確な年代は不明であるが、本法典で次に収録されている第八巻第一五章第二法文(法文○

316)は三三四年五月一九日に付与されたものである。

    なお、J. N. Adams, Bilingualism and the Latin Language(Cambridge, 2003), pp. 383-390は、本法文や、エジプトのパピルス史料から知られる審理記録の分析から、審理における裁判官のラテン語使用が帝国の権威を示す役割を果たしたという興味深い指摘をしている。コーンスタンティーヌス帝のギリシア語とラテン語の使い分けについては、S. Corcoran, The Empire of the Tetrarchs. Imperial Pronouncements and Government AD 284-324

ἐπαγάρχει. πραιπόσιτος(2) も参照。 (2nd ed. Oxford, 2007), pp. 259f.

. 「pagus地区」および「地区長」

praepositus pagiについては法文○

212註(2)参照。 および審理の経緯を次のように再構成している。 l. h. ad Gothofredus, は本法文で問題となっている事案、(4) cf. Jones, , pp. 399f.LRE第五法文などから確認される。 いは、とこたらてれめ求法本第典章文・三第法五第巻八一 似が定規のま類た、る。代れ後すで守うもるよ遵し返り繰 法一文、同巻第一六章第六三法文などから知ら第二節四第 説第『学彙纂』第一八第一章巻六巻章二一第四九第文、法四 ののそ入購の地土で地を他禁のじられるという原則は、勤務 (3)行総督やその下僚などの政そ職に就く者および兵士が州

    まず、地区長であった人物がその在職期間中に、自分の担当地区でないところの地所を購入し、まもなく死亡した。そして相続人として残された彼の弟からアグリッピーナとコーディアは上述の地所を善意で購入した。ところが、この地所は地区長によって法に反して購入されたものだという密告が国庫になされた。その結果、不当に得た占有の瑕疵は常に物に付随するために、その地所はアグリッピーナとコーディアから取り上げられ、国庫に没収されてしまった。

   アグリッピーナはまず問題の地区長が管轄していた地区と、地所があった地区とは別だという事実を根拠に救済措置を求めたが、それはコーンスタンティーヌス帝によって斥けられた。そこで、第二の論拠として自分たちの地所購入は善意のものであったという点を持ち出し、これに説得された帝は、地所は依然として国庫のものとされるものの、

(19)

テオドシウス法典

(Codex Theodosianus) (二一)(後藤)七三 のである。 る旨銭を返却してもらえというの判決を帝は出したとする 売地所のコ主から、金アはィえ、デーとナーピッリグアゆ 失もでまの銭金が主べ買う考きではないとえた。それ善意

343

第一五巻第一章第一法文   コ ー ン ス タ ン テ ィ ー ヌ ス 帝 が ア ー フ リ カ 州 総 督 フ ラ ー ウィアーヌス

に〈宣示す〉 。

  都 市 が そ の 固 有 の 装 飾 を 奪 わ れ て よ い と は 誰 も 考 え て は な ら な い。 都 市 が そ の 輝 き を、 た と え ば 他 の 都 市 の 城 壁

に 移 す と い う 名 目 で 失 う こ と は、 い み じ く も 古 人

に よ り 道 に 適ったこととは受け取られていないからである。

  正 帝 コ ー ン ス タ ン テ ィ ー ヌ ス と 副 帝 が コ ー ン ス ル の 年 の 二 月 二 日 に メ デ ィ オ ー ラ ー ヌ ム で 付 与 し、 七 月 八 日 に 受 領 す

(1) Flavianus.  三五七年のアーフリカ州総督。cf. PLRE i, p. 344 (…LIVS FLAVIANVS 11).(2) moenia. Gothofredus, ad h. l. は、opera publica seu aedificiaすなわち公共建造物と解する。 (3) veteres.  建造物の装飾を保護する法としては、古くはハドリアーヌス帝治下のアキーリウス元老院決議(一二二年)があげられる。同決議は、相続や売却によって建造物の装飾が失われることを禁じた。cf. Gothofredus, ad h. l.; Berger, Encyclopedic Dictionary

(法文

22註(3)所引), s. v. [Senatusconsultum Acilianum].(4) Gothofredus, ad h. l. は、コーンスタンティーヌス帝治下にフラーウィアーヌスという名のアーフリカ州総督の存在が知られていないこと、本法典第八巻第五章第一〇法文(写本では三五八年一〇月二七日の付与)および第一一巻第三六章第一四法文(写本では三六一年八月三日の付与)にアーフリカ州総督フラーウィアーヌスが名宛人として登場することから、本法文の付与者はコーンスタンティーヌスではなくコーンスタンティウスであり、subscriptioは CONSTANTIO A. VIIII ET IVLIANO CAES. II COSS.(三五七年)に修正されるべきとしている。Mommsen, ad h. l. もGothofredusに従い、フラーウィアーヌスが三五八年頃と三六一年にアーフリカ州総督であったこと、三五六/三五七年の冬にコーンスタンティウスがメディオーラーヌムを離れたことから、本法文の付与年を三五七年とする。

Seeck, Regesten, pp. 37, 203; PLRE i, loc. cit.

も同様に、本法

文の付与年を三五七年としている。

(未完)

(20)

法政史学 第七十八号七四

( 附 記 ) 今 回 の 担 当 者 は、 大 清 水 裕、 後 藤 篤 子、 芹 澤 悟、 田中創、 林信夫、 樋脇博敏である。なお今回で、 コー ン ス タ ン テ ィ ー ヌ ス 帝 が 発 布 者 と さ れ る 勅 法 は 全 て 訳了した。

参照

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