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小泉政治 とは何だったのか - 「政治元理表」で解 く現代 日本政治

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(1)

小泉政治 とは何だったのか

‑ 「 政治元理表」で解 く現代 日本政治

大 森 美紀彦

1.

はじめに

5年5か月にお よんだ小泉純一郎政権が幕 を 閉 じてか ら丸 2年がたった。小泉政治 とは何だっ たのだろ うか。そ うした問いかけは在任 中も、

そ して今 も絶 えず行 われ てい る。新 聞では度々 小泉政治 を分析す る特集 が組 まれてきた し、 こ れまで多 くの本 も出版 されてきた (1)0

本稿 は、そ うした小泉政治 の研究に一石 を投 じよ うとい うものである。私の小泉論 は 「政治 元理表」 とい うものを使 った独特のものである。

「政治元理表」(別表 1) (2) とは、 日本政治 学会理事長 であった故神 島二郎が 自らの政治理 論 を図式化 した ものであ る (3)。 筆者 は神 島 の組織 した研 究会

(

「日本研 究の会か ら 「比 較 日本研究会に至 る) に所属 し、直接教 えを 受 け、 これまで鋭意 この理論 の可能性 を追求 し てきた。今回、本稿 で展 開す る 「政治元理表」 の使 い方が、神 島の意 図に適 った ものであるか どうか 自信 はないが、本稿公刊が著者 自身の神 島政治理論 に対す る理解 を深 め、同時に忌性の ない ご批判 を受 けるきっかけになることを期待 してい る。

2.

「政治元理表」 とは

「政治元理表」は どの よ うに して使 えば良い のであろ うか。私 は表 中の10の元理 を以下の よ

うに4分類 して使 ってい る。

I 「物理的強制力」 を権力 とす る政治元理‑

「支配元理」

Ⅱ 「もの ・こと ・わ ざ」 を権力 とす る政治元

理‑ 「同化元理

「互換元理」

Ⅲ 「言語」 を権力 とす る政治元理

‑ 「法元理

「自治元理」

Ⅳ 「非言語」 を権力 とす る政治元理

‑ 「エ ロス元理

「知 己元理

「カルマ元 理」 「闘争元理

「帰郷元理」

「政治」は 「社会 ・諸集団のま とめ」である。

「ま とめ」 とは 「秩序形成」 の こ とである。 ま とまってい る状態は 「秩序 ある状態」であ り、

ま とまっていない状態は 「無秩序 の状態」であ る。

「権力」はその 「秩序化」 をもた らす一番 の 要因である。 「支配元理」とはその 「権力」‑ すなわち秩序化 をもた らす第一の要因‑ が 「物 理的強制力であるとす る 「政治元理」である。

被治者 は治者の 「物理的強制力」一 個人間では 腕力、国家政治や国際政治では軍隊や警察権カー

に対す る 「恐怖で言 うことを聞 く。

「もの ・こと ・わ ざ」を権力 とす る 「同化元 理」や 「互換元理」においては、被治者 は治者 のもつ 「もの ・こと ・わ ざ」によって言 うこと を聞 く。 「もの」 とはお金や さま ざまな財 であ る。 「こと」 とは文化 ・文明のことである。 「わ ざ」 とは利 用価値 がある技術 を意味す る。 「同 化元理」は上下関係 であ り、一方 の財 ・文化 ・ 技術が他方より圧倒的に高い場合に生 じる治者 ・ 被 治者 関係 であ る。 「互換元理」 はその関係 が 水平的な場合である。理念的に言 えば、例 えば 小集 団の家庭 では、親 と子 は上下関係 で、夫婦 は水平的な関係 である。国際関係 では 「援助」

は上下関係で、貿易や外交交渉は水平的な関係 にな る。 「互換元理」 の発展 した形 が 「市場経 小泉政治とは何だったのか 一「政治元理表」で解く現代 日本政治 135

(2)

済」である。また 「同化元理」が大規模 に行 わ れ た歴 史的事例 が 中国の 「朝貢貿易」 で あ る

(4)0

次に 「言語」を権力 とす る政治元理‑ 「法元 理」「自治元理」で あ るが、 これ は文字 通 り

「言葉」が権力 になる場合 である。被治者 は治 者 の発す る言葉 に従 う。 「法」は部族 の 「捷 」

な どか ら出発 し、近代的な法体系に発展 した。

「自治元理」は ヨー ロッパ世界で発展 した。 ギ リシャ ・ローマの時代 か ら 「説得力

「演説 」

「議論力」 が政治 の中心 になって きたのが この ヨー ロッパ世界である。 その地に近代以降に発 達 したのが 「議会政治」である。 「議場」 とい う公 開の場で、 「言葉」による戦いが行 われ る。

そ して よ り説得力 をもった意見が力 を得て、社 会の指針 になる。

さて、最後 に 「非言語」 を権力 とす る政治元 理‑ 「エ ロス元理

「知 己元理

「カルマ元理」

「闘争 元理」 「帰簡 元理 」 で あるが、 これ らの

「元理」は 「非言語」‑ つま り言葉以外 の要素 が政治のま とめで重要な意味をもつ とい うこと を意味す る。 「政治元理表」 では、 この 「非言 語」 に分類 され る 「政治元理」が半数 を占める のが特徴である。つま り、政治 にお ける 「非言 語」の役割が重視 されてい ると言 えよ う。

「ェ ロス元理」の権力 は 「愛」であるが、家 族や恋人同士の秩序形成 では、言葉以外が重要 な要素にな り、その中で も 「愛」 (‑他者実現) (5)が と りわ け重要である。 この 「愛」 はマ ス コミの発達 によ り、現代では大 きな社会の秩 序形成 にも重要 な働 きをす るよ うになった。例 えば、2005年 に米国の 「反戦ママ」シンデ ィ ・ シーハンさんの運動が話題になった。兵士であっ た息子 を2004年 に失 ったシーハ ンさんの反戦運 動 は大 きく取 り上 げ られ、イ ラク戦争 に対す る アメ リカ国内の反戦世論 を盛 り上げた (6)0 家族愛が社会全体 に大 きな影響 を与 え、人び と を動かす良い例 である。

「知 己元理」の権力 は 「出会い」であるが、

日常的にも複雑 な人間関係 のもつれが当事者 同 士が会 うことによって瞬 く間に解決す ることが 136国際経営論集 No.36 2008

ある。そ こでは、交わ され る言葉 よ りも 「会 っ た」ことそれ 自体が重要 な役割 を果 たすのであ る。 国際関係 において も同様 であ り、現代国際 関係史においてはサダ ト大統領 のエ ジプ ト電撃 訪 問 (7)、米 ソの冷戦 を終わ らせ たマル タ会 読 (8)、小泉首相 の北朝鮮 電撃訪 問な どが良 い例である (9)0

「カルマ元理」は内心の抑 え られない 「倫理 感」・「 隠の情」な どの気持 ちが行動 となって 表れ、ま とめに重要な役割 を果たす場合である。

日常的にも例 えば 「後姿の教育」な どと言われ るよ うに、言葉以上に行動が重要 となる場合が あることは誰 でも認 める ところだろ う。身近な 例では、2004年 のJR新大久保駅でホームか ら落 ちた酔客 を死 を賭 して救 った人の行動な どは良 い例 である (10)。 また、 1965年 か ら73年 まで 続けられた金子徳好 さんのベ トナム反戦の 「ゼ ッ ケン通勤」な ども例 としてあげ られ よ う (ll)0 世界史的な事例 としては、ガンジーの運動が真っ 先にあげ られ る (12)。 ガンジーは 「塩 の行進」

や断食 といった 「非暴力 ・不服従」の運動 を貫 徹 したが、彼 のこ うした行動が多 くの人々の共 感 を呼んで、イ ン ドの独 立に大 きな影響 を与え た。また、彼の死後 もその行動は語 り伝 えられ、

全世界の人々に影響 を与 え続 けている。

次に 「闘争元理」であるが、 この権力は 「真 鋭」である。 これは<究極のファイテ ィングス ピリッ ト>とい うよ うな もので、死 して もなお 前進 しよ うといった類 の闘争 心である。 「支配 元理の 「武力」 が 『孫子』 (13)の兵法の よ うに相手の出方次第で こち らの出方 を変 えるよ うな戦 略的 な戦 い方 を意 味す るな らば、 この

「真鋭 」 は勝 ち負 け抜 きで突 っ込んで行 くよ う な戦い方である。 この良い例が世界各地で繰 り 広 げ られてい る 「自爆テ ロ」である。 「9.11事 件 」 や イ ラクや パ キス タン等 で行 われ てい る

「自爆テ ロ」 は、組織 と して政府 の転覆 な どを 目指 しているものではない。む しろその 「戦 う 気概」 を示す ことを 目的 とす るものである。私 は 「自爆テ ロ」を肯定 しているわけではないが、

なぜ彼 らはこ うした こ とをす るのであろ うか。

(3)

その疑問はこの 「政治元理」を使 わない と解 け ない と私は思 う。

さて最後 に、 「帰簡元理」 であるが、 これ を 説明す るのに良い例 は最近はや りの

「 K. Y.

君」

である。 「空気」が 日常的 な 「秩序形成」 で果 たす役割の大 き さは、 こ うした言葉 の流行 か ら も認 め られ るのではないだろ うか。 「空気

「雰 囲気」は 日常的な身近 な空間ばか りでな く、国 家 レベル の政治で も大 きな役割 を果たす。 ファ シズム期 では 「物理的強制力」 よ りも物の言 え ない 「雰囲気」が恐 ろ しかった ことは、体験談 や書物で知 ることができる。昭和天皇の ご病気 及び逝去の際に、 日本 中に重い 「空気」が立ち 込め、国際会議‑の参加や国内の公式行事、地 域や町内会のお祭 り、運動会が 「自粛」と称 し て取 りや めになった。 この 「自粛」とは誰 に言 われ るわけで もな く、 自然 に 「ムー ド として できあがるものである。 これは一体何 なのであ ろ うか。 こ うした 「空気

「雰囲気

「ムー ド

「ブー ム」 を分析 す る概 念 が 「帰簡 元理」の

「人心」である。

以上10の元理 を4つ に大 き く分類 して、 「政 治元理表」 を解説 した。現実の政治現象 を見て 行 くには、まず大別 した 「物理 的強制力

「も の ・こと ・わ ざ

「言語

「非言語」の割合が ど の よ うになってい るかを分析す る。次にその 4 分類 の中の個々の 「元理」の内容が どうなって いるかを分析 し、全体の構造 を明 らかにす るの が、 「政治元理表」 による政治分析 の手法であ る。

3.

家庭の政治 と国家の政治

政治は二人か ら始ま ると言われてい る。無人 島に一人で住んでい るのな ら、人 との争い も話 し合い も必要ない。『ロビンソン ・クルー ソー』

のクルー ソー もしか し、 フライデー とい う従僕 ができると、そ こには秩序形成行為‑す なわち 政治が始まる (14)0

政治は二人か ら始 まるのであるか ら、 もっ と も最小の単位 である夫婦や家庭 の中にも政治は

ある。 では、家庭 の政治は どのよ うな政治元理 で出来てい るであろ うか。私の考 えを分か りや す くす る為 に円グラフで表現 してみた。 この円 グラフは 日本社会で生きる私の経験 に基づ く家 庭 の政治のイメー ジであるが、諸外 国でも似た よ うな 「元理」的構成 になってい るのではない か と思われ る。

家庭の政治

物理的強制力

グラフ(∋

さて、 この円グラフを説 明 しよ う。 まず 「物 理的強制力」であるが、家庭で もこ うした 「ま とめ」が行 われ ることがある。暴れ る中学生の 息子 を父親 が鉄拳制裁 を加 える。 そ して、息子 は父親 が怖 くて従 うとい う形である。 しか し、

多 くの家庭 では母親 が双方 の間にたって、 「非 言語」の 「エ ロス元理」で家庭の秩序が回復 さ れ る。 そ ういかない場合‑ つ ま りあ くまで も

「支配元理」で家庭 が運営 されれ ば、家庭 内暴 力によって父親が金属バ ッ トで殺 された りす る。

家庭 の秩序 において、 「もの ・こと ・わ ざ

とい うのは、経済的な支 えを意味す る。父親 の 賃金労働等 による家計維持がここで意味す ると ころである。和菓子屋 な どの家業継承では、こ の職人的な 「わ ざ」が大 きな役割 を果たす。

「言語」は、 「家族会議」 な どで、家族 の問 題 を話 し合いで解決す るよ うな場合 に役割 を果 たす。一方、民法な どの 「法」によって、家族 は支 え られている し、隣家 との紛争 な どが起 こ れば、 「法」の出番 である。

「非言語」に分類 され るのは、 「エ ロス元理」

「知己元理

「カルマ元理

「闘争元理

「帰郷元 理」であるが、家族の秩序形成 ・維持はもっぱ らこれ らの元理 によって行 われ る。そ もそ も家 小泉政治 とは何だったのか 一 「政治元理表」で解 く現代 日本政治 137

(4)

族 は 「愛」 (‑他者理解 ・他者 実現) が基本 と なる集団である。 また、子供 に とっては人間 と の最初の 「出会い」の場で もある。母親が子供 の受験の合格や病気 の治癒 を願 い近 くの神社 に

「お百度参 り」をす ることな どが 「カルマ元理」

の具体例である。反抗期の子供 は負 けるのを覚 悟で父親 に 「自爆テ ロ」さなが らの突撃 をす る が、 これ は 「支配元理」の 「武力」ではな く、

「闘争元理」 の 「真鋭」 である。子供 はそれ を 通 じて親 に理解 を求めてい るのである。父親 の 鉄拳は 「愛のムチ」であって、子供 を 「支配」

しよ うとい うものではない。 ここでの暴力はそ の場限 りのもので、そのあ とには穏やかな 「ェ ロス元理がひ ろが るのが一般 の家庭である。

さて 「帰簡元理」であるが、家庭 ほど 「空気」

や 「雰囲気」で動 く集団はない。 よく 「親子の 対話が必要だ」な どとい う教育評論家がいるが、

そ もそ も家庭 は言葉以外の コミュケーシ ョンが 多 くの割合 を占める空間なのである。学校 か ら 帰 った子供 のそぶ りだけで、母親 はその 日学校 で どんな ことがあったのかが分 か る。 「先生 に 誉められた」のか 「友達 とけんかをしたのか」‑

それ を察知す るのが、親 の役割である。逆に子 供 は両親 の不仲 な どをその 「雰囲気」で敏感 に 察知す る。言葉で どんな奇麗事 を言 って も通用 しないのが家庭 なのか もしれ ない。 「言葉信仰」

で家族 のコミュケーシ ョンを論 じるのはそ もそ も間違 っている と思 う。

さて、それでは、家族 か らヨリ大 きな集 団に なるとこの 「政治元理」の構成 は どうなるであ ろ うか。家庭か ら地域集 団、企業組織、市区町 村か ら都道府県 と規模が拡大す ることに応 じて、

「元理的構成 に違 いが出て くる。 ここでは、

紙幅の関係 で国家 レベルの秩序 を論 じる。その 他 の諸集 団は家族 と国家の中間的な構成である

と考 えて よい と思 う。

円グラフ② はそ うした国家の 「元理」的構成 のイメージを、 日本 国家 を素材 に して表現 した ものである (グラフ中 「非言語 (人心)」 につ いては後述)。 これ は 日本 の90年代以降の国家 政治のイ メー ジであるので、後掲のアメ リカの 138国際経営論集 No.36 2008

国家政治 と比較 した円グラフ③ 「日本 の国家政 治」、60年代 の 日本 の政治 と比較 した 円グラフ

⑥ 「90年代以降の 日本の政治」と重なって くる。

現代 国家の政治 (日本 )

物理的強制力

グラフ②

さて上のグラフを家庭 の政治 と比較 してみ る と、一番 の違いは 「物理的強制力」の割合が大 きい とい うことである。 これ は、対外防衛や国 内の反乱に備 えて国家が常備 してい る軍隊 ・警 察力 を意味す る。近代 国家の必須条件 と考 え ら れているが、 コスタ リカの よ うに警察力は持つ が軍隊を持たない国もあ り、近代国家 も多様で ある (15)0

「もの ・こと ・わ ざ」 は国家の経済的な力 を 示す。税金 を徴収 し、 「市場経済」 を運営 し、

対外貿易 を営み国家 を経済的に維持す る。それ を元手に公共事業や福祉 な どの諸施策 を国民に 施す。 「財界

「業界な どが一定の 「権力を もつのはこの 「元理」が働 いているか らである。

「言語」は 「自治元理」と 「法元理」である が、 「自治元理の 中心 は議会政治 である。政 党が生 まれ 、 「世論」 を背景 に さま ざまな意思 決定がなされ る。そ して、そこで生まれた 「法」

によって国家 は秩序形成す る。 「法」 は 「物理 的強制力」の後ろ盾になるものである。そ ういっ た意味で 「言語」は 「物理的強制力」 よ りも上 位 の権力である。 「法」 の裏づ けがなけれ ば、

国家 といえ ども 「武力を行使 できない。08年 5月 ミャンマーの憲法改正国民投票 な どはこの 良い例である。 ミャンマー軍事政権 は国内の台 風被害 をもの ともせず、新憲法制定の国民投票 を強行 した。 自らの政権 の存続 のためである。

つま り、軍事政権 といえ ども自らの政権の正 当

(5)

性 を 「言葉」 ‑法で確保 しなければ維持できな い とい うことである (16)0

さて 「非言語」であるが、 これは現代国家 に おいて、マスコミニュケ‑ シ ョンの発達 によっ て非常に重要 となった要素である。 「愛

「カル マ

「真鋭

「出会い」な どの場面がマスコミに よって瞬時に国民の 目の前 に さらされ る。そ し て、それ らによって国民 の間に 「空気」 「雰 囲 気

「ムー ド」が形成 され 国政 に影響す る。

これ らの 「元理」はそ もそ も直接面接 関係 の 社会 (小社会)で機能 していた。それがマス コ ミの発達によ り小社会 を超 えた大規模 な社会 に おいて も機能す るよ うになってきた。 「愛

「カ ルマ

「真鋭

「出会い」が 「人心」 を形成 し、

その 「人心」が大社会の政治 に影響 を与えると い う関係 になるか ら、 「帰襟元理」は 「非言語」 の他の 4つの元理 をま とめるよ うな位置になる。

この意味でグラフの 「非言語」の部分は 「人心」 と書 きかえて も良い と思 うが、誤解 のない よ う に 「非言語 (人心)」 と記載す る。

この 「空気

「雰囲気

「ムー ド」の 「近似値」

は 「世論調査」によって知 ることができる。今、

為政者が最 も恐れ るものは 「支持率」である。

これ は、マス コミの発達に よ り議会の議席数以 上に国政 に影響 を与えるよ うになってきた。単 なる報道機 関の調査 に過 ぎないのだが、支持率 が低下す ると 「解散」や 「総辞職」 を考 えな く てはな らな くなる。為政者 に とってはまことに 恐 ろ しい。

ここで注意 しなけれ ばな らないのは、 こ うし た要素が重要であると言 って も、 これ を過大視

して は な らない とい うこ とで あ る。 「非言 語 (人心)」と 「言語」のバ ランスが大事である。

世論調査でい くら内閣支持率が低 くなって も、

為政者 は 「議席数」をバ ックに頑張 らな くては な らない ときもある。その時々の 「空気

「ムー ド」を反映す る 「内閣支持率」がいつ も正 しい わけではな か らである (17)。反対 に議会 の 横暴 にも注意 しなければな らない。 「世論調査」

を軽視 し、議会内で多数 の横暴で強行採決 した りす るのは許 され ることではない。

4.

日本の政治 ・アメ リカの政治

次に国際的な比較 に話 を移 し、 日本の政治 と アメ リカの政治 を比較 してみ よ う。戦後の 日本 文化論では、ルース ・ベネデ ィク トの 『菊 と刀』

(18)の影響 を受 けて 日本社会 を 「単一民族」

「単一文化

「同質社会」とす る見方が強かった (19)。それ にもとづいて、 日本が 「恥の文化」

で欧米が 「罪の文化」であるとか、 日本が 「タ テ社会」でイ ン ドが 「ヨコ社会」であるとか、

日本が 「集団主義」で 「個が育たない」社会で、

欧米は 「個人主義」で 「強い個があるな どと シンプル に比較 されてきた。 1980年代以降そ う した見方 に対す る批判 も出てきたのだが (20)、 最近でもこ うした思考パ ター ンは根 強い (21)0 政治学の世界で も、欧米 と日本 を単純 に比較 し、 さらに欧米の政治制度や政治理論 をそのま ま 日本 にあてはめよ うとい う明治以来の慣行が なかなかな くな らない。欧米で発達 した民主主 義や議会政治が うま く機能 しない と、 日本社会 の後進性 が指摘 され、 「民度 が低い」、 「もの言 わぬ国民だ」な どと識者 に嘆かれ る。

私は、人間の行いは表面的に違って見えても、

その実はそれ ほ ど違 っていないのではないか と 思っている。世界的にマス コミが発達 し、地球 上の さま ざまな社会 ・文化 を一望に比較できる 今 日において、それがい よい よ実感 できる環境 になっている。

「政治元理表」はそ うした私の思いを見事 に 表現 して くれ る。複数の視点

(

元理」)で見れ

ば、欧米 と日本の違い も相対化 され、大 した違 いでない ことが明 らかにされ る。次の円グラフ は 日本 とアメ リカの国家政治の在 り様の 「イメー ジ」 を表現 した ものである。

小泉政治 とは何だったのか

「政治元理表」で解 く現代 日本政治 139

(6)

日本の国家政治

物理的強制力

アメリカの国家政治

グラフ③

グラフ④

ア メ リカ と 日本 を比較 して 、大 きな違 い は (あ くまで も 「相対的」にではあるが)(∋ 「物 理的強制力」の割合 が 日本 よ りもアメ リカの方 が大 きい とい うことと② 日本 は 「言語」に比べ て 「非言語 (人心)」の割合 が大 き く、反対 に アメ リカは 「非言語 (人心)」に比べて 「言語」

の割合が大きい とい うことである。従来、 日本 と欧米 を比較 し、欧米は言論 ・論理の世界で 日 本 は感情 ・非論理の世界であるな どとい うこと が言われてきたが、 この円グラフか ら私が主張 したい ことは、言語一 非言語 (人心)、論理一 非論理 の彼我 の違いは 「程度の差」であるとい うことである。 「ヒラ リーの涙」(22)にも表れ ているよ うにアメ リカで も 「情緒」で政治が左 右 され ることもある。2001年 の 「米同時多発テ ロ」直後の米議会はブ ッシュ大統領が国際テ ロ に対抗 して武 力行使 す るこ とを認 め る決議 を 420対 1で可決 した。反対 したのはカ リフォル ニア州選 出のバーバ ラ ・リー議員 だけであった (23)。 当時、アメ リカ国内ではアラブ系住民射 殺事件が起 こ り、 「挙国一致現象」が起 こった。

「非 国民」とい う言葉 が飛び交 った こ とも報 じ 140国際経営論集 No.36 2008

二̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲±

られ た (24)。 アメ リカ社会 もこの よ うに 「情 緒」や 「ムー ドで動か され るのである。逆 に 日本社会 は情緒で動 くとされてい るが、論理的 な説得がなければ制度 ・組織 は動かない。

アメ リカはガ ン社会である。 これ は建 国の理 念 に個人の武装権 が掲 げ られてお り、現行憲法 においても保 障 されてい るか らである。 アメ リ カ社会では、警察官が銃 を使 って秩序 を維持す る割合が 日本 よ りもは るかに大 きい。 これ に対 して、 日本 は近代国家 の出発 に 「廃刀令」 を置 いてお り、戦後 は憲法 9条で国家の武装 も禁 じ てい る。 国民の間には武力行使 を嫌悪す るムー

ドがあ り、警察官の発砲 について所轄 の警察署 長がその正 当性 をいちいち弁明す るよ うな国で ある。■

次 に 「言語」 と 「非言語 (人心)」であるが、

アメ リカでは大統領 に当選す るためには、本選 挙以前 に予備選 の長い 「論戦」 を勝 ち抜かねば な らない。 「言葉 の戦 い」 で負 けれ ば、政党の 候補者 にす らなれない。

これ に対 して 日本 の選挙 を見てみ ると、後援 会 ・町内会 ・宗教団体等での 日常的なっ きあい がまず得票の基盤 となる。選挙期間中は選挙カー で 「お願 い します」の連呼 とな り、政策 はあま り聞かれ ない。立会演説会な どは開かれ るが、

アメ リカ大統領選 のデ ィベイ ト等 とは似 て もに つかない。最終的に選挙民は 「人柄がよさそ う」

な どとい う 「情」で投票す る。 だか らと言 って 私 は、 日本が遅れてい るとか 日本人の政治意識 が低いな どと言お うとしてい るのではない。

他方 、 「内閣支持率」によって時の内閣が倒 れ るほ ど、政治 において世論調査が大 きな役割 を果 たす 国が 日本 である。 「世論調査」 とは世 間の 「ムー ド」 「風潮 」 をあ らわす もので、論 理的な世界ではない。つま り、「非言語 (人心)」

が政治の世界で 「相対的」に大 きな役割 を果た してい るのが、 日本だ と思 う (25)0

5.

戦後 日本の政治‑ マスコミと政治 政治 において 「非言語 (人心)」 の役割 を大

(7)

きくしたのは、戦前においてはラジオ、戦後 に おいてはテ レビの発達である。直接面接 関係 の 集 団一例 えば家族 ・地域社会 な ど‑ は、構成員 の直接参加 によって支 え られ るか ら、 「空気」

「雰囲気」が秩序形成で大 きな役割 を果たすが、

地域 を越 えて大 きな政治社会が形成 されれ ば、

当面その大社会では文書や言葉の 「言語」によっ て秩序 は形成 ・維持 され るであろ う。大社会 に おいて 「空気」や 「雰囲気」が大 きな役割 を果 たす よ うになるには、直接面接 関係 でない構成 員が相互 に気持 ちを知 り合 うとい う条件が必要 である。その媒体 になったのが、戦前ではラジ オであ り、戦後はテ レビである。戦前のラジオ はファシズム体制を支えるに大きな役割を担った。

戦後は、 こ うした大社会 の人々の紐帯はラジ オか らテ レビに移 った。テ レビは視覚 を通 じた 媒体 なのでラジオ以上に人々に大きな影響 を与 える (26)0

このテ レビの普及 とい う点で、戦後 日本 を画 す るのは70年代である。1955年 (昭和30年)に 2.8%だった 白黒テ レビの普及率が、 1968年 (昭和43年) には96.4%の最高の値 に達す る (2 7)。 こ うして普及 したテ レビは当然の ことなが

ら政治にも大 きな影響 を及 ぼす よ うになる。そ の前年 の1967年 (昭和42年) に美濃部亮吉が都 知事選 に初 当選す る。 美濃部 は 日本 にお け る

「イメージ政治の草分 け と言われている (28)0 1971年 に再び都 知事選 を戦 った美濃部 は何 と 360万票 を獲得 した。 現石原都知事 が圧勝 した 前 々回の得票が308万票 であった こ とか らも、

それがいかにす ごい数字 かがわかるであろ う。

美濃部の 「イメージ政治」は、政治家 による テ レビ利用の先駆 け としてあげ られ るが、次の 段階ではジャーナ リス トがテ レビを通 じ政治 を 大 き く左右 す るよ うにな ってい くので あ る。

1987年 に 「朝 まで生テ レビ」の放映が開始 され た。 田原総一朗の絶妙 な司会の下、それ までタ ブーであった天皇制や部落差別等の政治問題が、

各方面の論客による討論 を通 じて、それ までに はないほ どお茶の間に入 って くるよ うになった。

この番組 をきっかけにジャーナ リス トがテ レビ

での知名度 を武器 に政治 を左右す るよ うになっ たのである。

こ うした傾 向を象徴す るのが私 の言 うところ の<「政治改革」政変 > (29)である。

<「政治改革」政変 >とは、細川 内閣による

「選挙制度改革」 を巡 る一連 の政治過程 の こと である。 自民党の金権体質

「リクルー ト事件」

「佐川急便事件 」 で国民の支持 を失 った海部 ・ 宮沢内閣のあ と、1993年7月の総選挙で 自民党 が惨敗。 これ に対 してす で に結成 され ていた

「新生党」「日本新党

「新党 さきがけ」 が飛躍 的に票を伸ば し、共産党以外の政党 と連立 して、

細川護照を首相 とす る非 自民連立政権 を成立 さ せた。細川連立内閣は、73年 「政治改革関連 4 法案」 (「公職選挙法改正案

「衆議院議員選挙 区確 定審議会設置法案」 「政治資金規制法改正 案

「政党助成法案」)を国会 に提 出 した。 当初 の小選挙 区 ・比例 区の配分 は小選挙 区274、比 例 区226で あった。 この政府案 は11月18日の衆 議院本会議では僅差で 自民党案 (小選挙 区300、 比例代表171) を しのぎ可決 され たが、94年 1 月21日の参議院本会議 の採決で、一部の社会党 議員が造反 したため否決 されて しま う。細川首 相 は憲法第59条の規定に従い、両院協議会 を開 催、最終的には細川首相 と河野洋平 自民党総裁 との トップ会談で小選挙 区300、比例 区200、全 国11ブ ロック とい う妥協案 で政治改革 関連 4法 案 を成立 させ た。 これが1993年か ら94年 にかけ て展開 された< 「政治改革」政変 >のおおまか な過程である。

この<「政治改革」政変 >を進 めた細川政権 は 「田原 ‑久米連立政権」 と言 われ た (30)0 つま り、テ レビでの田原のイ ンタ ビューに対す る返答、 「政治改革 を実行す る」 とい う言 わば

「公約」を、宮沢首相 が反故 に した ことを さら にテ レビでつかれ、それ をきっかけに宮沢内閣 は支持率 を落 とし、細川政権 が誕生 したか らで ある。 この よ うな事情か ら細川政権 はテ レビが 作 った ものであると言われ るよ うになった。細 川 内閣の最大の課題 はロッキー ド事件 ・佐川急 便事件 と続いた政治腐敗 を正す 「政治改革」で 小泉政治 とは何だったのか ‑ 「政治元理表」で解 く現代 日本政治 141

(8)

あったが、それ は 「選挙制度改革」 に矯小化 さ れ、現衆議院選挙制度である 「小選挙 区比例代 表並立制」を残 し、 自らも佐川急便疑惑によっ て退陣す るのである。 こ うした 「選挙制度改革」

の政策過程 において もテ レビ、そ してそ こに登 場す る評論家 ・政治学者が大 きな役割 を果た し た。横 田‑は こ うして生まれたテ レビ政治 を著 書の中で 「テ レポ リテ ィクス」とい う言葉 を使 い分析 してい るが (31)、 これ以降マス コ ミの 政治報道で頻繁 に使 われ るよ うになった言葉が ある。それが 「風」である。「風」が登場す るの は1990年代以降である。それまで 「自然」に託 して政治 が語 られ る場合 、頻 出 していたのは

「流れ」とい う言葉である。例 えば、「保守本流」

「組織 の主流」 「主流 ・反主流な どと、80年代 までは 「水」に託 して政治 は語 られていた。そ れまでは組織 と言語 による政治が主流であった。

「風」 の中心 にある浮動票が国政 に大 きな影響 を与 えることはなかったのである。つま り、 こ の浮動票が政治 を大 き く左右す るよ うになった 90年以降、 「風」 とい う言葉 が頻 出す るよ うに なるのである。例 えば、2005年 の 「郵政選挙」

でいかに 「風」 とい う言葉がマス コミで乱舞 し たかを思い出 してほ しい (32)0

では、 「水の時代」 と 「風の時代」、1990年代 とそれ以前の政治の 「元理」的違いは どのよ う なものであろ うか。

60年代の日本の政治 非言語(人心) 物理的強制力

グラフ⑤

142国際経営論集 No.36 2008

ll■‑‑‑‑‑‑

90年代以降の日本の政治

物理的強制力

グラフ⑥

上の二つ グラフは70年 以前 と90年以降の 日本 の政治の 「イメージ」を表 したものである。7・ 80年代 はこの二つのグラフの中間の移行期であ

ると考 えていただきたい。

70年以前 の 日本 の政治 の課題 は、経済復興 と 戦後民主主義の定着 であった。池 田内閣の 「高 度経済成長政策」に象徴 され るよ うに、そ こで は 「もの ・こと ・わ ざ」が政治の中心にあった。

また、 この時代の 「無党派層」は未形成で、政 治的意思は政党や組織 (利益団体 ・組合 ・宗教 団体)のチャンネル を通 して上 に吸い上げ られ ていた。 また、政治 とい うものは 「言葉勝負」 であるとい う観念 に とらわれていた時代で、議 会制民主主義の定着 が課題 とされ る中で、まだ

「風」で政治 を考 えるよ うな発想 はなかった。

この時代は 「もの ・こと ・わ ざの 「政治元理」

が中心になってお り、それ に戦後民主主義の議 会 政 治 が接 合 され て い た ので あ る。 「非言語 (人心)」が国政で影響 を与 えるよ うなことは事 実 としてはあったが、注 目され るに至 らなかっ た。

ところが、70年代以降 「非言語 (人心)」 の 割合が増大す る。90年代 にいたってその傾 向が 加速 した。 もちろん従来の言葉 による闘い‑義 会政治 ・世論政治は存続 してい るが、マスコミ の発達によ り、相対的に 「ムー ド

「ブーム

「人心」の政治 が重要 な役割 を果 たす よ うにな り、それ と並行 して 「無党派層」も増大 していっ た (33)。組織人が、一定の組織‑の支持 を通 じて 自らの意見や理想 を実現 しよ うとす るのに 対 して、政党 ・宗教団体 ・労働組 内な どの組織

(9)

に属 さない人々は 「そのつ ど」支持 をかえて、

それが政治に大きな影響 を及 ぼす よ うになった のである (34)。世論調査 が政治 を変 える重要 な要素にな り、プ ロの政治家 もその重要性 に気 づき対策 を練 るよ うになってい く。 内部 に多 く の問題 をかかえなが らも、 この時代 に 「もの ・ こ と ・わ ざ」 「言語

「非言語 (人心)」 の三要 素が均衡 した政治のかた ちが 日本 において形成 されたのである (欧米 はまだ 「言語」部分が大 きい と思 う)。 そ して、小泉政治 とはま さにそ

うした歴史の流れが生んだ ものなのである。

6.

戦後 日本の政治一 内閣の交代 にみる

「世論J

V. S.

「人心」

1972年6月17日午後零時半過 ぎ、佐藤栄作首 相 は記者団をに らみなが ら 「国民に直接話 を し たいんだ。新 聞になると、文字 になると違 うか らね。僕 は、残念 なが ら偏 向的な新 聞、大嫌 い なんだ。 だか ら直接国民 に話 したいんだ。や り 直そ うよ。 帰 って下 さい。」 と大声 をあげた。

退陣発表の記者会見室の ことである。 自民党最 大派閥の長 である佐藤 に してみれ ば、内閣不信 任案が否決 されたばか りであ り、退陣は何 とも 肺 に落 ちない ものであった。そ うした怒 りが新 聞記者 にぶつ け られたのである (35)0

その前年 に、マス コ ミを巧みに利用 した 「イ メー ジ選挙」 に よって美濃部亮吉 は360万票 を 獲得 し東京都知事に再選 された。佐藤は 「栄ちゃ ん とよばれ る政治家 にな りたい」 と大衆 に愛 さ れ ることを一方 で 目指 したが (36)、それ は官 僚出身の 「強面」で 「大衆的人気」 を得 ること な どとはまった く縁遠かった佐藤 の 「見果てぬ 夢」であった。

この記者会見であ らわになったのは、政治の 世界 に浸透 してきたマス コミの脅威 に怒 る政権 与党実力派政治家の姿である。佐藤 は この時代 急速 に進 んでいた政治の大 きな変化 をつかみ取 ることができなかった。 これ とは対照的だった のが、美濃部都知事で、彼 は この時代 のマス コ ミの勢いにあたか もサー ファーが大波 を とらえ

るよ うに、乗 っていったのである。

この佐藤退陣は 「議会の論理 (永 田町の政治 ・ 議場 にお ける数 の論理)」と 「人心 (ムー ド ・ ブーム) として現れ る庶民の思い」 との対立の 始ま りであった。 この 「議会の論理」 と 「人心」 の対立 とい う視点か ら、佐藤 内閣以後 日本 の政 治 は、次の4つの時期 に分れ ると思 う。

(1)佐藤内閣退陣 (1972年)か ら田中一三木一 福 田一 大 平一 鈴 木 一 中 曽根 内 閣退 陣 (1987年) まで。 この時期 は 「議会 の論 理」がまだ 「人心」よりも大きな力をもっ ていた時期である。上記の佐藤退陣記者 会見 「事件」がこの時期の象徴 と言える。

(2)竹下内閣成立 (1987年)か ら宇野一海部一 宮沢内閣退陣 (1993年)まで。 この時期 はい よい よ 「人心」が無視できな くなっ た時期であ り、世論調査 の内閣支持率低 下によって政権が倒れることが現実 となっ た時期 である。竹下内閣崩壊 と土井社会 党ブーム、前章で述べたテ レビをきっか けに した宮沢内閣崩壊が象徴 的事件 であ る。

(3)細川内閣成立 (1993年)か ら村山一橋本一 小淵一森 内閣退陣 (2001)まで。 この時 期は 「人心」に対する政治家側のアプロー チ が始 ま った時期 で あ る。 小淵 首相 の

「プ ッチホ ン」 は1999年度 の流行語大賞 を受賞 したが、小淵 は世論調査での人気 がいかに政治運営に とって大切 であるか を細川か ら学び、その実践を意識的に行っ た政治家 と言 えよ う。

(4)小泉政治 (2001‑2005)は、その 「人心」

の重要性 を認識 し、それ を起 こした り、

それ に乗 った りしよ うとした政治であっ た。 この政治は画期的なものであ り、 こ の期間は独立 させて分析 したい。 もちろ ん、小泉政治は小泉で終わ り、安倍 、福 田首相 には 「人 心」‑ の意識 は薄 く、

(3)の時代 に逆戻 りしてい る。

(1)の時期 を特徴づ けるのは田中角栄の 「数 の論理」である。 田中は 「4分の 1の論理」を 小泉政治 とは何だったのか ‑ 「政治元理表」で解 く現代 日本政治 143

(10)

主張 した。つ ま り、国会 で過 半数 を とりた けれ ば、4分 の1の代議 士 を とれ ばいい。 なぜ な ら 国会 で 自民党が過 半数 を取れ ば、国会 の議決 は 自民党の意 向で決 ま り、その 自民党の意 向は 自 民党員 の過 半数 で制す るこ とができるか らであ る。つ ま り全 国会議員 の半数 の半数 ・4分 の1 を制すれ ば国会 を抑 えることができる とい うわ けである。 田中派 は実際 にこ うした考 えに基づ き派閥運営 を行 った。

中曽根政権成 立時に、その内閣が 「田中曽根 内閣」と邦旅 され た よ うに、 ロッキー ド事件 で 失脚 して以降 も、 田中が 「闇将軍」 として 「数 の論理」で この時期の 日本政治 を動か していた。

一方 で中曽根 は 「人心」の重要性 に気づ きは じ めていた。大衆的人気 を得 よ うとアメ リカ との 対等の立場 を演 出 し、 レーガ ン大統領 と自らを

「ロン‑ヤス」 関係 な どと名 づ け、 また 「国鉄 民営化」政策 では、徹底 した 「官」批判 で国民 の支持 を獲得 し、戦後初 の衆参 同 日選挙 に大勝

した。

(2)の時期 の象徴 的事件 は、第‑ に宇野 内閣 が消費税 を主要争点に した参議院選挙でやぶれ、

かわ りに 「マ ドンナブー ム」で土井社会党が躍 進 した こ とで あ る。 「人心」 が猛威 をふ るい始 めたのである。宇野首相 が女性 スキャンダル と 選挙結果 に責任 を とって退 陣 したのは この 「人 心」の猛威 の‑ コマであった も しれ ない。海部 首相 は世論調査 にお ける高い支持率 を頼み に、

小選挙 区制度 を含む政治改革 をもくろんだが、

自民党 内実力派議員 にはばまれ 、退陣 を余儀 な くされた。小泉 と異 な り、海部 は 「人心」を利 用す る どころか、その力 を認識す ることす らで きなかった。 そ して、宮沢 内閣がマス コ ミでの 発 言 をきっか けに崩壊 し、 「人 心」 の政治 がい

よい よ大 きな力 をもってきたのである。

(3)の時期 は細川首相 の 日本新党ブー ム と小 測 首相 の 「プ ッチホ ン」 に象徴 され る。細川 は 日本で初めてテ レビ映 りを意識 した政治家であっ た。 「ホ ワイ トハ ウス」流 と言 われ た立 ったま まの記者会見。左右 に透 明の演説版 をお き、ペ ンで記者 を指 し、答弁 した。 1993年 のシア トル 144国際経営論集 No.36 2008

での

APEC

首脳会談ではマフラーが話題 になっ た。 「料 亭政治 の廃 止」を唱 えたの も忘れ ては な らない。 国民の 「人気」を獲得 しなけれ ば、

政権 が維持 できない とす る意識 が政治家の間で 定着 してきたのである。小淵 の 「プ ッチホン」

はその象徴 であった。小淵 は栃木県高根沢町を 訪れ た時、野菜直売所 のカブを両手 に 「株価 よ あがれ !」な どい うパ フォーマ ンスを繰 り返 し、

内閣支持率 を高 めてい った (37)0

(4)数 々の失言で 「世論調査」での支持率 を 最低 にまで下げ退 陣 した森首相 に代 わって登場 したのが小泉純一郎で あった。次章で明 らかに す るよ うに、小泉 ほ ど 「風」 (「人心」)を意識 し、それ を操作 しよ うとした政治家 はそれ まで 日本 にいなかった。小泉 を他 の 日本 の政治家 と 分かつ最大 の特徴 は ここにある。 グラフ⑥ で90 年以降の 日本の政治の 「イメージ」を示 したが、

小泉政治 は次の グラフの よ うに描 かれ ると私 は 思 う。特徴 は、 「非言語 (人心)」の割合 が突 出 してい る こ とで あ る。 次 章 で は この 「非言語 (人心)」部分 を詳 しく分析 したい。

小泉政治の全体構造

グラフ⑦

7.

小泉政治における 「人心の形成

小泉政治 の特徴 は、 「非言語 (人心)」部分の 突 出である。先述 した よ うに 「非言語」を構成 す る 「闘争」「エ ロス

「カル マ」「知 己の諸

「元理」は、大社会で機能す るときには、「帰簡」

の 「人心」の構成要素 とな る。 それ らを統合 し た 「人心」が国政 に大 きな影響 を与 えるよ うに なる。 それ が明瞭 となったのは、 日本 では1990

.‑

(11)

年代以降である。小泉はそれ を敏感 に察知 し、

逆 に 「人心」(‑世論調査 の高支持率 ・人気) を操作 して成功 した。戦後の首相では佐藤 ・吉 田に続 く3位 、5年5月の長期政権 を維持 した 小泉は、 どのよ うに して 「国民の支持」 とい う

「人心」を 「獲得」 したのであろ うか。 「政治元 理表」で分析 してみ よ う。

(1)「闘争

小泉の 「人心」形成 (支持獲得)の最大の手 法は 「政治元理表」の 「闘争元理」で分析でき る。その 「闘争」は、<判官最屈戦略 >とも言 うべきものであった。つま り自らを 「少数者」 ・

「弱者」 と位置づ け、 「多数者」 ・ 「強者」に立 ち向か うとい う 「闘争」スタイルである。

2001年 の 自民党総裁選挙 とい う出発点か ら、

小泉の 「闘争」はそ うい う形 を とった。他 に総 裁 に立候補 したのは橋本龍太郎 ・麻生太郎 ・亀 井静香で、一番 の強敵は橋本であった。 自民党 国会議員の3 を占める派閥の長である最有力 候補であった橋本 を小泉 は破 り、 自民党総裁 に 選 ばれた。小泉の手法は、派閥か ら離脱 し、首 相公選制 を唱え、一般 自民党員や一般 国民に直 接支持 を呼びかけるとい うものであった。 この

「派閥か らの離脱」ほ ど彼 を 「少数者」「弱者」 として国民に印象づ けた ものはなかった。その

「少数者」 「弱者」が 「守 旧派」の巨大な壁 に立 ち向かい 「構造改革」を行 う。 このスタイルが、

これ以降の小泉の 「闘争」戦略であった。

4月26日に内閣の発足以降 も、小泉はこ うし た 「闘争スタイル を保持 してい く。5月の参 議院予算委員会では、 「嫌 な ことがある と、特 攻隊の気持 ちになれ と自分 に言い聞かせ る」と 述べた とい う (38)0 「守 旧派」 と戦 う決意 をこ めた この言葉 はマスコ ミを通 じて国民に大いに 喧伝 された。

7月8日の街頭演説 では、 「自民党内に 『抵 抗勢力』が台頭 した場合には小泉が 自民党をぶっ つぶ します」 と演説 し (39)、常に 自民党内で

「孤軍奮闘」してい る姿 を見せ付 けてい くので ある。それは、国民の間に根強い 「判官最属」

に訴 えるところ大であった。 しか し実際には、

小泉はその 自民党 を壊す ことはなかった。小泉 の絶叫は 自民党 を延命 させ ることはあって も、

壊す ことは最後までなかったのである。

そ して、 この小泉的 「闘争」手法が遺憾 な く 発揮 されたのが、言 うまでもな く 「郵政選挙」 である。

2005年8月6日夜 、森前首相 は小泉に対 し、

郵政民営化法案が参院で否決 され ても衆議院 を 解散 しない よ うに説得 を試みた。話 し合いを終 えた森 は、記者団に小泉の決意 の固い ことを確 認 した と述べた。小泉 は 「殺 されて もいい。そ れ ぐらいの気構 えでや っているのだ」 と言 った とい う。有名 な 「干か らびたチーズ」会談であ る (40)0 「殺 されてもいい」とい う戦 う気概は、

国民に大いにア ピール した。

こ うして始 まった第44回衆議院選挙、いわゆ る 「郵政選挙では、今までの常識 が通用 しな い状況が展開 された。小泉 は郵政民営化 に賛成 しない候補者 の選挙 区に次々に 「刺客」 を送 っ た。その代表格 は東京10区 ・小林興起 にあてた 小池百合子、岐阜一 区 ・野 田聖子 にあてた佐藤 ゆか り、広島6区 ・亀井静香 にあてたライブ ド ア社長 の堀江貴文である。小泉の 「闘争」手法 は国民にア ピール した。小池や佐藤 、そ して堀 江等 も 「単独 で敵地 に乗 り込む ヒー ロー」 「強 い ものに立ち向か う少数者 ・弱者 ・改革者」を 演 じたゆえに国民の 「判官県展」 による支持 を 獲得 していったのである。

異様 な熱気 の中、 9月11日の投票で 自民は改 選前 を84も上回 る296議席 で圧勝。小泉チル ド

レンと言 われ る一年生議員 も84名 にのぼった。

郵政選挙後の有権者 の発言の中に、次のよ う のものがある。

‑ 「小泉 さんがいい と思 ったのは、おれは死ん で もいい と言 った こと。格好いいな と思っ た」

‑ 「いっその言葉 を聞いたのかは忘れたけ ど‑

命がけでやっているとい うのが顔か ら伝わっ てきた。だか ら入れた

‑ 「亀井 さん とか 自民党の中の悪いのを敵 に し 小泉政治とは何だったのか ‑「政治元理表」で解 く現代 日本政治 145

(12)

てや ったんで しょ、今回は。そ うい うのを ズバ ッと切 ったんで しょ。 なんかクール っ てい うか格好いい じやない」

‑ 「小泉 さんは負 けた ら政権 を投 げ出す覚悟で 選挙 に臨んでいた。 岡田さん も口では 『政 権 を取れ なけれ ば党首を辞任す る』 と言 っ ていたが、小泉 さんに比べて本気度が足 り ないことが透 けてみ えて しまった。手法は 強引でも、やっぱ り小泉 さんの方が リーダー

として頼 りがいがある」 (41)。

これ ら有権者 の声か ら、まず小泉の政治手法 に 「闘争」があ り、それ は<判官最属戦略 >と も言 うべ き、 自らを 「少数者 ・弱者」として、

それが 「多数者 ・強者」の 「悪」 と闘 う、 とい うイ メー ジ作 りだったことがわか る。

(2) 「知 己」

次 に、 「知 己元理」か ら小泉 の 「人心」形成 の手法 を見 て い こ う。 「知 己元 理」の権 力 は

「出会い」であ る。 この 「出会 い」 の一番 の好 例 は、言 うまで もな く日朝首脳会談であるが、

2001年10月8日の江沢民国家主席 との会談、お よび10月15日の金大 中大統領 との会談 も注 目に 値す る 「出会 い」のシー ンであった。小泉 はあ る意味で<出会いの達人 >ともいえる才能をもっ ていた。

そ うした小泉政治 の一番 の見せ場は前述の北 朝鮮訪問である。2002年 と2004年の二回にわたっ た 日朝首脳会談 は、その外交的成果以上に、 日 本 と北朝鮮 の距離 を縮 めた点 と国民の支持 を集 めた点で注 目すべきものである。特 に金正 日と 握手 している写真 は歴史の大 きな一ページ とな るだろ う。

そ もそ も小泉 には、国民に直接話 しかけると い う戦略があった。歴代の 自民党政治家では、

小淵 も試みてい るが稚拙であ り、小泉の方がは るかに役者 が上であった。 この方面で注 目すべ き手法は①直接電話②メールマガジン③タウン ・

ミーテ ィングである。

小泉の直接電話作戦はその効果 を十分意識 し てのものであった。2004年8月15日には宿泊先 146国際経営論集 No.36 2008

の新高輪プ リンスホテル にわ ざわ ざ報道陣を集 めた うえで、アテネ五輪で金 メダル をとった谷 亮子 ・野村 忠宏選手 に電話 を した (42)。 時の 首相か ら直通電話 をも らって、悪い気がす る人 はいない。小泉は こ うした ことの意味‑ つま り 直接対話 の意味の大 き さを良 く知 った人であっ た。

「メールマガジン」は福 田政権 にも継承 され ているが、福 田には小泉 にあった 「国民に直接 語 りかける」ムー ドはない。小泉のメルマガは、

筆者 も何回か見たが、「ライオンハー ト」のニ ッ クネームで語 られ るその語 り口は、本 当に直接 話 しているよ うな気持 ちにさせて巧みであった。

現在 においては 「や らせ」が露呈 し、地 に落 ち た感 がす る 「タウン ・ミーテ ィング」であるが (43)、 これ も小泉の 「直接対話路線」の 目玉で あった。

「友達のよ うに話 しかける」‑ 「政治元理表」

の 「知己元理」で解釈 され る政治手法であるが、

「政治元理 と しては知 らず とも、小泉 はその 効果 を しっか りと意識 してや っていたよ うに思

う。

( 3) 「 カルマ」

次 に、 「カルマ元理」 で分析 され る 「人心」

形成手法 を見てい こ う。 「カルマ元理」とは政 治 において 「行動」が人々に訴 えかける側面 を 表 してい る。その 「行動」は人々の心の奥底 に ある倫理的 ・道徳的な琴線 に触れ るものでなけ れ ばな らない。小泉の行動 には、 こ うした国民 の琴線 に触れ るものがあった。それ は①ハ ンセ ン病国家賠償訴訟の熊本地裁判決 にたいす る控 訴断念の決断②徒党を くまない潔 さ③ 「スタイ リス ト」がついているのではないか と思わせ る ほ どの清潔感 ・質素感 の演 出である。

熊本地裁 の判決 を受 けて小泉は 「去 る5月11 日の熊本地方裁判所 にお けるハ ンセ ン病国家賠 償 について、私 は、ハ ンセ ン病対策の歴史 と、

患者 ・元患者 の皆 さんが強い られてきた幾多の 苦痛 と苦難 に思いを致 し、極 めて異例の判断で はあ りますが、敢 えて控訴 を行わない旨の決定

(13)

をいた しま した。」 (44)とい う談話 を発表 した。

‑ 「ハ ンセ ン病控訴断念」 は、小泉のや った業 績で、 もっ とも評価すべ きものであるか もしれ ない。事実、それはその後 のハ ンセ ン病対策 と 国民の意識 に大 きな前進 をもた らした。

「徒党を組 まない潔 さ」 も小泉の資質の特徴 である。 「仲 間 と群れず 、子分 をつ くらない小 泉氏は、その しが らみのな さか ら、派閥政治や 特定の支持団体 に頼 る自民党の構造 を壊 した」 (45)と言われている。 「お金 と宴会の匂いが し ない」‑私のイ ンタ ビュー に答 えた若 い女性や 女子学生か ら発せ られた小泉の印象である (46)0 細身のか らだを 「吊る しの背広」で包み (47)、 在任 中は大好 きだった ゴル フもや め (48)、海 外出張のお付 きを十分の一 に した (49)ことは、

「清潔感 ・質素感」 を国民に印象付 けた。

(4)

「 エロス」

最後 に、 「エ ロス元理」 で分析 され る小泉 の

「人心」形成手法 を見てい こ う。 これが独身 で あった小泉に一番欠 けていた ことか もしれ ない が、この点についても抜 け 目なかった。 2001年 2月、鹿児島県知覧町の知覧特攻平和会館 を訪 れた際、語 り部の松元淳郎 さん (77歳)が、石 川県出身の20歳の青年の遺書を 「おかあー さん、

おかあ さ‑んと読み上 げた時、ぼたぼた とガ ラスケースの上 に涙 をこぼ した とい う (50)0 こ うしたエ ピソー ドは首相在任 中に度々喧伝 さ れた。子 を思 う母 に涙す る小泉のイメージが流 布 された。

また、印象 的なのは、2001年の夏休みに箱根 のホテルで行 った実の息子 とのキャッチボールで ある。 離婚経験のある小泉 のマイナスイメージ はこうした 「演出」によってかき消 されていった。

8.

小泉政治における 「人心」の掌握

「人心」 を媒介 にす る 「治者一被治者」関係 は どの よ うな ものであろ うか。 それ は、 「暴力 による強制や 「多数決」や 「判決」 とい う明 確 な形 を持 たない。 「ムー ド」 に よる漠然 とし

た支持である。 しか し、 これが 日常身近な秩序 形成で重要な役割 を果た していることは、誰で も感 じてい ることであろ う。 国政 レベル におい ては、社会全体の 「ムー ド」のあ り様 は 「世論 調査」な どで知 ることができる。為政者 の発言 や施策が、国民に投 げかけ られ、国民は世論調 査や選挙でそれに対す る返答 を行 う。そ うい う 政治が着実に現代政治の中で育っている。

「帰簡元理」においてはその よ うな 「治者一 被治者」関係 が理論化 されてい る。 それが 「ま つ ろ う‑ しらす」 とい う関係 であ る。 「まつ ろ う‑ しらす」では、 「しらす」が先 に来 る。 「被 治者 の気持 ちを くむ」 とい う意 味である。 「被 治者 の気持 ち」 をくんだ為政者 が 「下か らまつ りあげ られ る」、す なわち下か ら支持 され る と い う政治 のあ り方 である (51)。 これ は江戸以 前の 日本の伝統的な政治の形態であることに留 意す る必要がある。

小泉が国民 に投 げかけた ものは、 「政治元理 表」の 「非言語」 グループに属す るもので、い ずれ も 「理性」 よ りも 「情」に訴 えたものであ る。人間の精神活動の中の 「非言語」的部分は、

政治の世界においては 「理性

「エ トス

「討論」

に対 して、 「情動」「パ トス

「感情 的」 な どと い う言葉で表現 され、 「劣 った もの

「克服すべ きもの と位置づ け られてきた。ノJ、泉政治 を総 括す る際の 「ポ ピュ リズム」 とい う非難 にもこ

うした傾 向が多 く見 られ る (52)0

私 は 日常の社会生活 と同様 に国家 レベルの政 治 の世界 において も、 「感情」や 「情動」は軽 蔑 ・軽視すべ き もので はない と考 えてい る。

「直感」や 「好悪」が時 として現実 を的確 に と らえることも多いか らであ り、何 よ りも 日常生 活ではそれ らが 「ま とめ」の 「決 め手になる ことが多いか らである。 もちろん、前述 したよ うに、 「情動」や 「パ トス」に偏 向 し、 「理性」

や 「ェ トス

「討論」 を軽ん じてはいけないが、

政治の世界で果たすそれ らの役割 を正 当に評価 し、適切 に対応 していかなければな らない と私 は思 う。

「人心」を媒介 に した 「まつ ろ う‑ しらす」

小泉政治 とは何だったのか ‑ 「政治元理表」で解 く現代 日本政治 147

(14)

とい う治者一被治者 関係 を小泉純一郎は感覚的 に身 につ けていた。その ことを知 るためのキー ワー ドが、彼の好 きな言葉である 「風」である。

小泉純一郎 の辞書 には 「風」 とい う言葉があ る。例 えば郵政選挙のあ との05年参議院神奈川 補選 に際 しての コメン トであるが、 「風 は ど う かね」と余裕 の問いか けを してい る (53)。 こ の言葉 を私流 に 「翻訳」すれば 「自民党候補者 (喰 えていえば 「帆」)に風

(

「人心」)が吹いて い るかね とい うことになる。

最近では、08年4月7日の 自民党神奈川県連 パーテ ィで挨拶 し、小泉は 「そろそろ大事 な、

何 とか とい う 『風』が吹 き出 した気がす る」と 述べている (54)。 この時の 「風」は 「解散風」

を意味 してい るが、彼 の現状把握 に際 しての思 考パ ター ンに 「風」 とい う言葉 は しっか りと定 着 してい る。

小泉の言 う 「風」 とは何 なのだろ うか。それ は、政治の世界 にただ よ う 「ムー ド」

(

「人心」) である。一 日分がたちあげた政策 は国民の支持

とい う 「ムー ド」 をつ くることができたであろ うか。 も しできていれ ば、選挙な どに打って出 る。 まだな らば、再度 マス コ ミな どを通 じて

「ムー ド」

(

「風」)を起 こす、そ うすれば選挙な どに勝つ ことができる‑小泉が考 えていた こと はこ うい うことではないだろ うか (55)0

「ムー ド」 (「風」)をつかむ‑彼 の こ うした 手法は、前述 したよ うに、出発点の 自民党総裁 選挙ですでに示 されていた。そ こで小泉は 「派 閥解 消」「解 党的出直 しとしての首相公選制」 を主張 した。前者 の 「派閥解消」では実際に森 派 を離脱 した上で、次の よ うに理 由を述べてい る

「私 はもっ とも派閥を愛す る人間だ。長 く 非主流の派閥で生きてきた。その私が派閥をや めるんだ。 国民はもはや派閥を必要 としていな い」 (56)。後者 の 「首相公選制」を提案 した公 約 では次のよ うに記載 されていた

「政党が一 部の団体ではな く、国民全体の声 を聴 くよ うに

なる最 も効果的な方法」であると (57)0 この二つの記述で注 目すべ きは 「国民」 とい う言葉である。小泉は、 自民党の派閥の多数派 148国際経営論集 No.36 2008

で もな く、議会 の多数派で もな く、 「国民の 方 に歩 を進 め、 「国民」に直接話 しかけた。 そ して、 「国民」 の間にある 「ムー ド」が 自分 の 支持 に傾 いてい ることを知 るや否や、一気 に勝 負 に出たのである。

一一国の トップである首相 の 目がわれわれ庶 民に向け られてい る‑ そ う感 じた人々は瞬 く間 に小泉の 「虜」になった。78%の高支持率を記 録 した2001年 の4月 に行われた朝 日新 聞の世論 調査 には、次の よ うな項 目がある

「小泉 さん は、国民の感覚 に近い政治家だ と思いますか」。 これに対す る回答 の何 と71%が 「国民の感覚に 近い」 と答 えてい るのである (58)。 国民は小 泉 を、 自分たちのための政治 をや って くれ る、

自分たちの気持 ちを代弁 して くれ る政治家 とし て見たのである。

これ以降 も小泉は支持率 を横 目でみなが ら、

下降す ると支持率 を上 げるべ く国民受 けす る施 策 を打ち出 した。02年 9月の北朝鮮訪 問、03年 9月の安倍幹事長起用、04年5月の北朝鮮再訪 等々である。逆 に支持率 を落 としたのは02年 1 月の 田中外相更迭 と、03年12月 自衛隊のイ ラク 派遣決定時等である。

そ して、 「国民の声 を聞 く」 とい うことを最 高度 にア ピール したのが、言 うまで もな く05年 の郵政選挙である。8月8日、衆議院 を解散 し た小泉 は次の よ うな記者会見 を行 った。

「一 首相 本 日衆議院 を解散 した。 国会は郵政 民営化 が必要ない とい う判断を下 した。杢豊 に国民の皆 さんが この郵政民営化が必要ない のか、 聞いてみ たい。 いわば今 回の解 散 は

「郵政解散」だ。一 中略一 自民党は郵政民営 化 に賛成す る候補者 しか公認 しない。郵政民 営化 に賛成す る自民党、公明党が過半数 の勢 力 を得 ることができれ ば、選挙終了後の国会 で、成立す るよ うに努力 したい。

(記者 法案否決の率直 な感想 は。参院否決で 衆院 を解散す るのはなぜ か。)

‑ 首相 (可決の)可能性 はあるとい うことで 参院の採決をかたず を飲んで見守っていたが、

残念 なが ら否決 された。今までの改革路線 に

(15)

国民はノー とい うのか、イエス とい うのか聞 いてみたい。」 (59)

私はこの発言 中の 「国民の皆 さんに聞いてみ

と 「国民はノー とい うのか、イエス とい うのか聞いてみたい」の 「聞いてみたい」 とい う言葉 に注 目したい。つ ま り、小泉は国民に呼 びかけ、その声 を聞きたい と言 っているのであ る。私 はこの 「郵政選挙」での最大の勝因一 国 民が小泉の解散総選挙 を支持 した理 由は、 この 二回でて くるフ レーズが国民の琴線 に響いたか

らであると考 えてい る。

前章で小泉政治 の 「非言語 (人心)」部分 を 形成す るものを 「闘争

「知 己

「カ ル マ」「エ ロス」な どで分析 したが、 この 「人心」 を 自ら の支持 につなげるのには も うーっ操作 を重ねな ければな らない。 それが 「国民の声 を聞 く」 と い うことだったのである。誓 えて言 えば前章の

「人心の形成」 が 田植 えであるな らば、本 章の

「人心の掌握」は 「稲刈 り」 にあた る。 そ うし たことを小泉は直感的につかんでいたのである。

9.

小泉政治 とは何 だ ったのか‑偽装 と しての 「しらす

第6章において、 「世論」V. S.「人心」 と い う枠組 み を提示 し、1972年 の佐藤 退 陣か ら 2005年 の小泉政治 の終蔦 まで、 「人心」 の動 き が政治 を左右す るよ うになった歴史 を顧みた。

この間に何度 か、 「人心」の政治 が 目覚 ま しく 発現 した現象が見 られ る。 それが 「大勝選挙」 である。

この間の 「大勝選挙」で筆者が注 目す るのは

①美濃部都知事再選選挙 (1971年)② 中曽根 自 民党300議席獲得 同 日選 挙 (1986年)③土井社 会党ブーム参議院選で圧勝 (1989年)④ 「二都 異変」 (青島幸男 ・横 山ノック知事 当選)(1995 午)⑤石原都知事圧勝 (1999年)⑥小泉 自民党 圧勝 (2005年)⑦民主党参議院で圧勝 (2007年) である。そ こでは どのよ うなメ ッセー ジが候補 者 か ら国民に投 げかけ られたであろ うか。簡単 に振 り返 ってみ よ う。

①美濃部再選選挙 (1971年)‑ 「対話路線」

は美濃部都政の代名詞である。 1971年6月 の議会では有名な 「橋の哲学」が語 られた‑

「た とえ橋ひ とつつ くるに して も、その橋 の建設 がそ こに住む多 くの人 々の合意でつ くられ ないな らば、橋 の建設 は され ない方 が よい。人々は今 まで どお り泳 ぐか、渡 し 船で川 を渡ればよい・‑この考 え方 には明 ら かに住民 自治の理念 と住民参加 の姿勢のあ り方が述べ られてお ります」‑この美濃部 の演説 は 「参加 民主主義」の勝利 と評 され たが (60)、美濃部政治 の最大のア ピール ポイ ン トは 「対話」であった。

② 中曽根300議席獲得 同 日選挙 (1986年) ‑ 1986年7月6日の衆参 同 日選挙 では、 「国 鉄民営化」路線 が唱 え られ 自民党は衆議院 300議席 を獲得 した。 これ に対 し社会党は 24減 の85議席 に低落 した。 1986年7月7日 の朝 日新聞は 「われわれの多 くが今 の生活 は昔に比べればよくなった と思い、それが 大 き く変化す ることを望まない、いわゆる

『生活保守主義』 が 自民党支持 の根 っこに ある」 と論 じてい るが、そ うした 「生活保 守主義」 をベースに して 「国鉄民営化」 と い う 「官」批判 が国民の心をつかんだ と思 われ る。 まった く背景が違 うが、小泉郵政 選挙 の 「郵政」批判 と同様 に、 この時 の

「国鉄」批判 に国民の支持 が集 まった と思 う。

③土井社会党ブーム参議院選で圧勝 (1989年) この選挙 では 「消費税」「リクルー ト事 件 と政治改革

「農政が争点であったが、

国民 の関心 は公約 に違反 して導入 され た

「消費税」に集 中 した。社会党のポス ター には 「消費税 をやめさせます」 と書かれた。

ある社会党女性 当選者 は 「庶 民の台所の声 が政治 に届 くよ うに したい」 と述 べ たが (61)、国民の声 を政治 に反映 させ よ うとす る社会党の姿勢が勝利 を呼び込んだ最大の 理 由であった と思われ る。

④ 「二都 異変」 (青 島幸男 ・横 山ノ ック知事 小泉政治とは何だったのか ‑「政治元理表」で解く現代 日本政治 149

参照

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