踊念仏の現象学的研究 に向けて
宮 嶋 俊 一
1.は じ め に
一遍の踊念仏 については, これ まで仏教学 (時宗教学),歴史学 (日本 中 世史研究),民族学 (仏教民族学)など様 々な分野で数多 くの貴重 な研究が 蓄積 されてお り,それ らは一方で一遍や時宗の深い理解 を促す と同時に,他
1)
方で中世の世界像 ・民衆像 を明 らかに して きた。本稿 もそれ らの先行研究 に 多 くを負 うものではあるが,本稿のね らいのひとつは踊念仏 を宗教現象のひ とつ と捉 え,それをさらに比較宗教的研究へ と開いてい くための足がか りを
2)
つけることにある。その際,踊念仏 を祈祷行為 とい う文脈の中に位置づけ, 考察 を加 えたい。
これまで祈祷行為の多 くは言語行為 とされ,それゆえ祈祷行為の言語 につ いては多 くの分析が重ね られてきた。 しか しその一方で,祈祷行為の身体性 については,あまり論 じられてこなかった。その理由のひとつは,祈祷行為 研究が主にキ リス ト教神学の文脈でなされて きたことと関係 してい よう。例 外はあるものの,キリス ト教の伝統 において激 しい身体所作 をともなった祈 祷行為 はまれであったこと,また現象 としての祈祷行為研究 よりも,む しろ 祈祷の思想研究 にウェ‑ トが置かれて きたことなどが,一種の偏 りを生んで きたように思われる。例 えば,宗教学的な祈祷行為研究の出発点であ り, ま たこの分野での もっとも有名な論考のひとつ としてフリー ドリッヒ ・ハ イラ 215
3)
‑の F祈 り』 を挙 げることがで きる。この大著の中で,ハ イラーは祈祷行為 の身体性 に着 目していないわけではな く,例 えば 「祈 りの身体」 といった分
4)
析 もしている。だが, ここでハ イラーが行 っているのは祈祷行為の姿勢 と, その姿勢で表 される意味の分析,すなわち記号論的な分析 に過 ぎず,表層的 なレベルに止 まっている。 もちろん,ある姿勢や身振 りを宗教文化的な文脈 の中で理解 してい くことは十分 に意味のあることだが,その ような分析が可 能 となるのは型 (パ ター ン) となった姿勢 に限 られることだろう。ハイラー がキ リス ト教 における祈 りを念頭 においていたか らこそ, この ような分析 を 行 ったことは理解で きるのだが,同時に,この ような型 に囚われず,かつ身 体的な動 きを伴 った祈祷行為 も存在するのではないか。その一例 として,本 稿では一遍の踊念仏 を取 り上げ,考察 してみたい。それは,後述するように 踊念仏が きわめて激 しい身体所作 を伴 った祈祷行為であったと考 えられ, ま たその草創期 においてはきわめて自由な動 きを見せていたと推察 されるか ら だ。すなわち,踊念仏の分析 を通 じて,身体行為 としての祈祷行為 について 考察すること,またそれによって上記の ような偏 りを修正 しつつ,祈祷行為 研究 をさらに開かれた もの とすることを本稿でね らいたい。 この ような試み
5)
はこれまで も存在 して きたが,本稿 もそのような意図の下 に,祈祷行為 と身 体のかかわ りを考察するものである。
2.
『一遍聖絵』の二場面(1)「小田切 (伴野)」
周知のごとく
,
F一遍聖絵』 には各地で行 われた踊念仏の模様が描 き出さ 6)れているが,本稿で特 に注 目す るのは 「信州 小 田切の里 (あるいは伴野)」 (以下便宜的に 「小 田切」 と表記) と 「片瀬の浜の地蔵堂」で行われた踊念 仏である。なぜ な ら,以下に見 るよう,他の絵 図に比べ,両者の間で顕著な 変化が見出されるか らだ。
216 国際経営論集 No.24 2002
まず 「小 田切」の場面 を措出 しておこう。画面左手 には,武士の館が措か れ,その縁先 には食器の鉢 と撞木 を手 に した一遍聖が,やや前屈みの姿勢で 立っている。庭 には二人の時衆 をとりまき,鉢や筑 ・ささらなどを手 に持 っ た十人はどの時衆 と,四人の在俗者が輪 にな り踊 っている。 まわ りでは十人 ほどの在俗者が合掌 して見ている。 この状況 を大橋俊雄 は 「踊 っているとい
7)
うよ りも跳 びはねている といったほうがふ さわ しい」と述べ,梅谷 は 「法 8)
悦 と言 うには少 しひっかかるが, ダイナ ミックなお ど り」 と表現す る。踊 念仏 を行 う者たちの中には,口を大 きくあけている者 もいれば,顔 をあおむ き加減に し, 目をつむった りしている者 もある。 これを大橋 は 「あたか も侠
9) 10)
惚状態 にある」 とし,梅谷 はそこに 「忘我の相」を見 ている。二人の時衆 をとりまいて踊念仏 を行 う者たちは円を措いて踊 っていて,みな基本的には 身体の正面 を円の内側 に向けているが,顔は様 々な方向に向いてお り一定 し ていない。姿勢 もば らば らである。 このことか らもわかるように, この時点 での踊念仏 は型に囚われていない。定型祈祷行為ではな く,不定型祈祷行為 とい うことだ。F一遍聖絵』の詞書 によれば,兵部竪者重豪の 「お どりて念 仏 申さる ,事 け しか らず」 とい う嫌疑 に対 して,一遍 は 「はねばはね よをど
らばをどれはるこまの/の りのみちをば しる人ぞ しる」 と答 え, また 「心 こ まの りしづめたるものならば/ さのみはか くやお どりはぬべ き」 とい う見解 に対 して,「ともはべ よか くて もをどれここ 、ろこま/みだのみの りときく
11)
ぞうれ しき」 と答 えた と言 う。 ここか らも,踊念仏が型 に囚われた ものでは 12)
な く,心のままに身体 を動かす ものであったことが窺 えるだろう。
(2)片 瀬
次 に,「小 田切」の踊念仏か ら3年後 に 「相模 の国片瀬の浜の地蔵堂」で 行われた とされる踊念仏 (以下 「片瀬」)の様子 を描 出 しよう。 まず,踊念 仏 を行 うための踊屋が設 けられている。周囲の見物人 よ りも一段高 くつ くら れたこの踊屋の上で,踊念仏 は行われている。その床 の上で,数十人の時衆
踊念仏の現象学的研究 に向けて 217
が胸に鉦鼓をかけ,足をあげ,床を踏みならしている様が描き出される。踊 念仏を行う時衆は右回りに円陣をくみ,ぐるぐるとまわりながら踊っている 。 鉦鼓を手にした時衆は 整然と 一糸乱れず踊っている 。 このような踊念仏が 描かれているのは「片瀬」ばかりではない。近江国大津の関寺,京都四条の 釈迦堂,丹後国の道場をはじめ,その後各地でおこなわれた踊念仏は整然と
踊られ, I 小田切」のものとは一線を画しているように感じられる。「小田切 J
での自然発生的に行われた踊念仏にくらべてみると,三年ばかりのあいだに 踊屋を建て,楽器は鉦鼓に統ーされ,鉦鼓を打ち鳴らすのは一遍聖をはじめ 数名の者,他の時衆は足を踏みならし踊るといった,見せるための踊念仏に 形式が整えられていったことがわかる 。
「片瀬 J では,数十人の踊念仏を行う者たちは踊屋の屋根の下の狭い空間 の中で,すし詰めに近い状態でひしめきあっている。身にまとっている物か ら判断して,踊念仏を行う者たちはみな時衆であり,観衆がそこに飛び込ん でいく様子は描かれていない 。 みなが,同じ方向を向き,同じような姿勢を
とっている 。 まとめるならば,踊念仏の身体所作が様式化してきていること,
そしてまた踊念仏のための「場 j が設けられるようになったこと,さらに一 方で踊念仏を行う者たちが見られることを意識し また観衆が「見る者」の 立場となっていることを読み取ることができる 。
3 .比較による「小田切」の特徴づけ
さて,以上の「小田切」と「片瀬」の描出から両者の違いとして明らかに 指摘できることは ( 1 )踊屋の有無, ( 2) 踊念仏を行う人の属性(時衆だ
けか,俗衆が含まれるか), ( 3 ) 踊念仏の形態( 踊念仏を行う人が輪の内を 向いているのか,それとも円を描いて移動しているのか)といった事柄にな ろう 。 このような両者の相違を踏まえて,まず「小田切」の踊念仏について 考えてみたい 。
218 国際経営論集 N o . 2 4 2 ∞ 2
「/J、田切」 では,一方で踊念仏が 自由な身体の動 きによって行 われている ことを指摘 した。だが,他方で踊念仏 を行 う者たちが勝手 に身体 を動か して, それぞれがば らばらに自分の世界 に浸 っていた とい うわけで もない。それぞ れが 自由な動 きをしなが ら,そこには志向性 を共有 した信仰共同体の萌芽 を 見出す ことがで きよう。 このような踊念仏のあ り様 を集団的沸騰の一穫 と考 えるとすれば,踊念仏 における個 々人の身体の動 きとそれが もたらす集団性 をどの ように説明 していけばいいのだろうか。
(1)身体の共振
ここで,「小 田切」 において時衆 と在俗者が共 に踊念仏 を行 っていること に注 目したい。後の 「片瀬」 と比較すれば明 らかなことだが,「片瀬」 では 踊念仏のためのや ぐら (踊屋)が設け られ,時衆たちだけがそこで踊 ってお り,俗衆が踊 りの輪 に加わることがで きない。つ ま り,踊念仏 を行 う者 と観 衆が分 け隔て られている。それに対 して,「小 田切」では踊念仏 を行 う者 と 観衆が同 じ地平 にお り,踊念仏 を行 っている俗衆の中には,時衆の踊 りにつ
15)
られて踊 り出 した者がいた として も不思議 ではない状況 が描 き出 されてい る。つ ま り,「片瀬」 に比 して 「小 田切」 では,踊念仏 を 「見 る者」 ‑戟 衆/ 「見 られる者」 ‑踊念仏 を行 う者 とい う境界が緩やかであることが分か る。大橋 も指摘 していることだが,「見 る もの」であった在俗者は踊念仏 を 行っている時衆たちを見 なが ら,その踊念仏へ と引 き込 まれていったことも
16)
十分 に考 えられるのだ。 この ような踊 り出 しが生 じた理由を,「踊念仏 を行 う者たちと観衆の間で身体の共振が起 こった」と説明す ることも可能だろう。
そ してそのような身体の共振 によって,踊念仏場が形成 されていった とい う ことである。
このような身体の共振の前提 として,私 たちの身体 を閉 じた体系 としてで はな く,む しろ開かれた体系 と見 な してい くことが必要であろう。例 えば, 市川浩の指摘 によれば,「身は,それ 自身, 自然の一部であ りなが ら,動的
踊念仏 の現象学的研究 に向けて 219
均衡を保ちつつ自己組織化する固有のシステム」であり,
r
その限り身は相 対的に〈閉ざされ>,まとまりをもったシステム」だが,r
自己組織化はたえ まのないく外〉との相互作用のなかで,はじめて可能になるJという意味でr <
聞かれた〉システム」であることを指摘してい2
。では,身体をそのような聞かれたシステムとして捉えた上で,どのように して「共振j現象が現れるのだろうか。例えば,
r
一遍聖絵』における「筑 前国の武士の館」に描かれた一遍とこの館の主の様子を見てみよう。この絵 図は,この館の主が一遍の念仏を聴聞し,念仏札を授けられるところを描い たものだが,向かい合う一遍と武士の姿勢がほとんど同じであることが分か る。両者共にやや背を丸め,ひじを曲げて両手を前に突き出しており,さら に一遍の右足と,それと向かい合った主の左足は,ともに腫だけを地に付け つま先が上を向いているように見える。つまり,お互いが相手の姿勢に反応 している状態がここに描き出されている。もちろん,相手の身体とまったく 同じ動きをすることだけが「身体の共振」ということではなく,他者の身体 の動きに自己の身体の動きが反応していくような,そのような身体のあり方 をここでは考えている。そして,このような身体の共振が,やはり「小田切
J
でも生じていたので はないかと考えられるのだ。「小田切Jを見ると,輪の左端を構成する三人 は,いずれも輪の中心にいる念仏坊と尼僧へと視線を向けながら踊っている。 また,右上の端にいる二人も,お互いの方に顔を向けながら踊っていることがわかる。お互いが身体の動きを確認しあいながら踊っているような状況で ある。このように「小田切jでは踊念仏を行う者たちの身体が相互に共振を
している状態が,描き出されていると言えるだろう。
さらに,踊念仏の輪に飛び込んで踊り出した者もいたとすれば,踊念仏を 行う者たちの身体の動きに,観衆であったはずの在俗者たちの身体が「レス ポンス」することで踊念仏の輪は広がっていくということとなるo だが,こ れは一方的な「レスポンス
J
というだけではない。踊念仏を行う者の「呼び220 国際経営論集 NO.24 2
∞
2かけ」に在俗者の身体が「レスポンス」しているというだけではなく,踊念 仏を行う者たちの身体の動きに,在俗者たちの身体が呼応,共振し,またそ れが他の者の身体の動きに影響を与えていくような状態であり,すなわち,
「身体の共鳴」状態というのが適切な表現であろう。踊念仏を行う者たちの お互いの身体が共鳴することによって,集団的沸騰状態が生まれたのであ る。
だが,このような共振が踊念仏を行っている時衆,および俗衆の問で生じ ているのみならず,さらにその周囲で踊念仏を見つめている人々の聞にも生 じていると考えることができる。輪の右下,および中央付近には踊念仏に向 けて合掌する女性の姿が描き出されている。この女性たちにも,広い意味で 共振が生じていると言えるだろう。
( 2 )舞踊論からのアプローチ
ここまで論じてきたことを さらに矢部久英・笹部桂子による舞踊論を 用いながら考察していきたい。矢部・笹部はまず, <舞踊する私〉が「いま この私」としてのモナド的自我であると言う。そして,舞踊の中で, <舞踊
する私〉は「個としての私の深みにおりていく」。そして,この深みにおい
て,舞踊者は,そのまま自分「を包み込む共通の人間としての在り様に導か れ,社会・世界・宇宙の全体的な構造の中で生きていることを認識j し,そ れにより「間主観的交通」を行って,舞踊が「他の人達への深く本質的な呼 びかけとなる」とされる。さらに,矢部・笹野は,ここに く鑑賞者(他者)>
というファクターを入れ, <舞踊する私〉は, <鑑賞者 (他者)>との く役割〉 の互換性を認識することで 鑑賞者の身体がもうひとつの く定位零点〉とな
り,そこから「間身体的空間」が形成されていくと言う。そして,<舞踊す る私〉とく鑑賞者(他者)>は,共にこの「間身体的空間」に帰属すること で, I話し合い,聞き合い,互いに対峠し合うもの」として「ひとつの吾々」
となるとされる。
踊念仏の現象学的研究に向けて 221
以上が矢部 ・笹部の舞踊行為論 なのだが, これを踊念仏分析 に援用す るな ら,一方で踊念仏 を行 う者 は 「こ ゝろこま」 に 「はね
」
「を ど」 るこ とで,「個 としての私 の深み」へ と降 り,そこで 「社会 ・世界 ・宇宙 の全体 的な構 造 の中」で生 きる 自分 を確認 してい く。そ して,踊念仏 を 「踊 る もの」‑
(舞踊する私 )と 「見 る もの」‑ (鑑賞者 (他者))との間に 「間身体的空 間」
が形成 され
,
「ひ とつの吾 々」が生 まれる, とい うプロセス を辿 ることにな る。 このような,矢部 ・笹野の分析 によって,踊念仏 を行 う者たちとそれを とりまいて見 ている観衆 との間で間身体的空間が形成 されてい くことは説明 される。だが,矢部 ・笹野の論 に欠けている と思 われるのは,(鑑賞者 (他 者))の分析 である。矢部 ・笹野 は舞踊者 に焦点 を当て,舞踊者が鑑賞者 を 意識す ることで,(役割 )の互換性 を認識す る と述べ ていたが,同 じことが 鑑賞者の側 に起 こることもあるのではないだろうか。そ して,舞踊者のみな らず,鑑賞者の側 に も 「ひ とつの吾々」 とい う意識が生 じるとすれば,その とき (踊 り出す鑑賞者 )とい うのが現れて も不思議 ではないだろう。 もちろ ん,すべ ての鑑賞者が踊 り出す とい うことではない。それは,
「小 田切」 に も現れている。 しか し,踊 り出 した俗衆 たち, さらにはそれを取 り囲んで見 ている者たちの間で,矢部 ・笹野の言 う 「間身体的空間」が形成 されていっ た と考 えることがで きよう。信仰者相互の身体が共振 しているだけであれば,踊念仏 に限 らず集団 によ る宗教行為 に多 く見 られる現象 といえる。例 えば,キ リス ト教 における教会 での共同体 の祈 りや,イスラームにおける集団礼拝 などで も,その ような共 振 が生 じてい るこ とが考 え られ るが,踊念仏 の特徴 のひ とつ はそれが時衆 (信仰者) と俗 衆 との間で生 じていた こ とであ る。 そ して この ような場 を
「踊念仏場 (お ど りねんぶつば)」 と呼ぶ こととしたい。
(3)宗教的空間の開 け
さらにもう一点,踊念仏 に特徴 的な側面 を指摘 してお きたい。それは,上 222 国際経営論集 No.24 2002
述の特徴 と関連 して くるのだが,踊念仏場が公共空間に開けた宗教空間であ ったことだ。
「片瀬」 と比較するなら,「小 田切」では,踊念仏 の 「場」が突如 として開 けたことがわかる。換言すれば,踊 り出 した もの と,それに引 き込 まれた も のたちによって,踊念仏の 「場」が 自然発生的に形成 されてい くとい うこと
21)
である。踊念仏 を行 う者たちは踊念仏のための特別 な場で踊 るのではない。
彼 らが踊 りだ した 「場」こそが宗教的空間として開かれてい く。その空間は, 踊るもの/それを見 るもの とい う境界が判然 としない,アモルファスな 「場」
と言 える。 F聖絵』 において 「小 田切」 の状況 を説明 した 「第四 第五段」
には,空也の 「信 口称三昧市中是道場 (口に信せて称する三昧なれば市 中こ 22)
れ道場)」 とい う詞が引用 されているが,「小 田切」での踊念仏 はまさにこの 空也の詞 に示 されるような空間であった。
さらにこのような空間が,時衆 (‑信仰者)のための場 とい うだけではな く,いわば公共空間である点が重要であろ う。 ここでい う公共空 間 とは,
23)
「他者 と出会 う場」 とい う意味である。つ ま り,信仰者 たちによって閉ざさ れた場ではな く,様 々な他者が出会 う場 としての公共空間に宗教的空間が開 けてい くとい うことだ。 これは,踊念仏の布教的性格 を考 えるならば重要な
24)
意味 を持 っているといえるだろう。
ただ し,注意 したいのは,一遍の布教活動が公共空間において,他者 に対 して自分 (たち)の宗教共同体への加入 を促す とい うよりも,む しろ自らの 25) (救済)思想 を公共空間に広 げてい くとい う側面が強い, とい う点だろう。
4.踊念仏 における名号
ここまで,「小 田切」 における踊念仏か ら 「身体 の共鳴」 と 「宗教空 間の 開け」 とい う二つのポイン トを指摘 し, さらに前者 を舞踊論 によって説明 し てきた。だが ここでさらに, もうひとつ重要なことを考慮 しなければな らな
踊念仏 の現象学的研究 に向けて 223
い。 この踊念仏の集団的沸騰状態の中で
,
「南無阿弥陀仏」 という名号が唱 えられていた とい うことだ。ここで名号の思想的意味づけを行 うことは避 け,あ くまで踊念仏 という現 象の中での名号の働 きや意味 について考 えてい きたい。それは二つの側面か ら考 えてい くことがで きるだろう。ひとつは名号 と一遍 ・時衆の一体化 とい う側面,そ して もうひとつは 「間身体的空間」 を満たす名号 という側面であ る。
まず前者か ら見てみ よう。一遍 はこの念仏の意味 について相当の理解 を持 っていたわけである し,また一遍 に同行 した時衆たちも一定の理解 を持 って いたであろうが,そ うではない一般の在俗者の中にはその ような理解 を持 っ ていない もの も少 な くなかったのではないか。そのような一般の在俗者たち は 「踊」 を契機 として集団的沸騰の中に入 り
,
「南無阿弥陀仏」 とい う念仏 を唱え続けたこととなる。そのような状況に入 ることで, この念仏 はまさに 身体的な言葉 となっていった と考 えられ よう。つ ま り,
「南無阿弥陀仏」 と い う念仏 は,踊念仏 を行 う者たち各々の身体‑ と 「吸収」 されていったわけ だ。では,踊念仏 を行 う者たちにおいて
,
「南無阿弥陀仏」 とい う念仏 は, ど のように認識 されていたのだろうか。一方で, この称名が阿弥陀仏‑の 「呼 びかけ」 として認識 されていた と考 えられる。絶対他力の強調 を考 えれば, 念仏往生 を願 う踊念仏 を行 う者たちが阿弥陀仏 の名 を唱え,
「呼びかけ」 るとい う行為 は自然 なことだか らだ。だが,他方で
,
「阿弥陀仏」の名号 を唱 えなが ら忘我状態 に入 り,その名が踊念仏 を行 う者の身体 に 「吸収」 された とすれば,これを踊念仏 を行 う者たちにおける仏 との合一体験 と考 えること26)
も可能だろう。 もちろん
,
F聖絵』 に措 出された絵や詞書か ら,踊念仏 を行 う者たちがその ような合一 を現実 に体験 していたことを実証することは不可 能だが,仏の名 を唱えなが ら忘我状態 に入 っている人々を描 き出 した 『聖絵』作者の意図は,少な くともその ような合一体験 を想起 させる状況が存在 した 224 国際経営論 集 No.24 2002
27) ことを示す ことにあったのではないだろうか。
だが, もう一方で,名号が間身体的空間を満た していた, とい うことを考 慮 しなければならない。先 に引用 した矢部 ・笹野論文では,「個 としての私 の深み」 に入 ることによって,逆説的に間主観的な交通が行 われると述べ ら れていた。 この ように個人の内面 に着 目することで間主観性のあ り方 を説明
28)
してい くことも不可能ではないだろ う が,踊念仏 について考 える場合 はむ しろ (私 )と く他者 )との (間)を満たす ものに着 日すべ きだろう。つ ま り, 踊念仏 を行 う者たちは音や声 によってその (間)を満たされていた というこ
とだ。 とりわけ重要なのは声,すなわち名号である。つま り,共 に名号 を唱 えることによって,間身体的な空間が生 じていたわけで,名号 によって (私 ) と く他者 )はつながれ,「吾 々」が形成 されていったのだ。だか らこそこの ような間主観的空間を宗教的空間 として特徴づ けることがで きる。つ ま り, それによって踊念仏場は世俗的な集団沸騰状態 とは区別 されるような宗教的 空間 となっていったのである。
ここまで,「小 田切」の 『聖絵』か ら,踊念仏 を行 う者 たちの身体が互い に共鳴 し合 っていること,そ してまた名号 を唱えなが ら,阿弥陀仏 と一体化 してい く集団的沸騰状況が生 じていたことを指摘 した。両者 を合わせて考 え れば,そのような身体感覚が互いに共有 されていた と考 えることはで きない だろうか。 もちろん,厳密 に考 えれば,身体感覚 を共有することなど不可能 であ り,その意味で宗教体験 を共有す ることはで きない。だが,「南無阿弥 陀仏」 とい う念仏が,一方で参加者各個人の身体へ と 「吸収」 されてい くと 同時に,他方で他の参加者 との間で身体感覚 を共有 され (ていると感 じられ) るための契機 として働いていたのではないだろうか。
5.「片瀬」の様式化
最後 に, これ まで分析 を加 えて きた 「小 田切」の踊念仏 と比較す る形で,
踊念仏 の現象学的研究 に向けて 225
「片瀬」の踊念仏 について考察 してみ よう。それは, これまでの論考 を裏側 か ら論 じ直 し,補強す る作業 となるであろう。「小 田切」 には, 自然発生的 な集団的沸騰状況が措かれていた。踊念仏 を行 う者たちはそれぞれが比較的 自由で囚われのない身体 の動 きを見せ ていた。 しか し,それか ら3年後 の
「片瀬」の踊念仏 では,その動 きが統制の取れた ものへ と変化 してい く。つ ま り,株式化が進 んでいる。「小 田切」か ら 「片瀬」 に至 って生 じたこの株 式化 を硬直化 ・形骸化 とい う側面だけか ら捉 えるのは一面的であろう。たと え様式化 した として も,この ような密集状態で共に同 じ身体所作 を繰 り返す な ら,やは り集団的沸騰状態が生 じうる と考 え られるか らである。それは,
「小 田切」 に見 られたような, 自由で突発的な集団的沸騰 とは異 なる ものだ が,やは り踊念仏 を行 う者たちの間では, 日常 とは異なる特殊 な状況が生み
29) 出されていたことは想像 に難 くない。
この株式化 を型への収束,お よび硬直化 ・形骸化 と考 えるよ りはむ しろ, 共振が もた らした相同化 と理解 した方が 自然であろう。「小 田切」か ら,「片 瀬」 にいたって,踊念仏 をする時衆の数は増加 している。一遍の遊行 に長い 間付 き従 って きた時衆 も増 えて きただろう。彼 らは共に行動 し,そ して共 に 踊念仏 を行 って きた。 さらに,その踊 り方は円を措いて,右回 りに回転する ようになっていったが,結果的に自分の前の人の動 きに合わせ るようになっ てい くことが推測 される。 これは,同 じ円の形 をとりなが らも,円の中心 に 身体 を向けなが らお互いを見 ることがで きた 「小 田切」のス タイルとは対照 的であ り,踊 り方の変化が相 同化の原因のひとつ と考 えられる。時衆の長期 にわたる同行 と,踊 り方の変化の結果,徐 々に身体の動 きが同 じような もの となっていったとい う推測は十分 に可能だろう。
では,そのような相同化 は踊念仏 にどの ような変化 をもた らしたのだろう か。 ここで,観衆の成立 とい う問題 をあ らためて指摘 してお きたい。大橋 も 指摘 していた ように,「片瀬」では 「見 るもの」 と 「見 られる もの」が判然 と分かたれてお り,時衆たちだけが踊屋の上で踊 り,それを周囲で在俗者た
226 国際経営論集 No.24 2002
ちが見上げている様が描 き出 されている。確 か に,「片瀬」 では,観衆 は踊 念仏 を冷ややかに見つめているとい う様子ではな く,みな興味深そ うに踊屋 を兄上ている し,中には合掌 を して踊 っている人たちを拝 んでいる者 もいる。
観衆 は,やは り踊念仏 に惹 きつけ られているようだ。 この ように見 れば,踊 念仏 を踊 ってい る時衆 と観衆 の間で身体 の共振 が生 じていた と言 えるだろ う。だが 「片瀬」では 「小 田切」 に見 られた ように,周囲の者たちが踊 り出 して しまうような状況 は存在せず,その レベルでの共鳴は起 こ りえない。踊 屋が高床 の上 に組 まれているために,そ こに飛 び込 むことは不可能であ り, その意味では踊念仏 を行 う者/観衆の区別 は 「小 田切」 に比べ判然 としてい るのである。つ ま り,共振 は生 じているが,あ くまで踊念仏 は崇拝の対象で あ り,踊念仏 を行 う者 と観衆 は分かたれているのだ。
この絵 図 を見 る限 り,相 同化 は一方で集団の結束 を強めてい くと同時 に, 他方で踊念仏 を行 う者/観衆 の区別 を明確化 してい ったので はないだろ う か。そ して さらに, この問題 とつ なが るのは,踊念仏 のための 「場」,す な わち踊屋が設 け られた とい うことだ。踊 るための 「場」 が作 られた ことで, 踊 りの内部 と外部 に境界が生 まれる。 もちろん,境界 の外部 にいる観衆 も興 奮状態 にあったことが うかがえるが,その ような観衆が内部へ と飛 び込 んで い くような場面 は措かれていない。
この傾 向は, さらに阿波 国での踊念仏 (以下 「阿波」)になる とます ます 顕著 な ものになって くる。屋根 の下で数十人の踊念仏 を行 う者たちが整然 と 踊 っているが,それを周 囲で見つめる観衆 は,みな地面 に座 っている。そ し て僧侶が手 を合 わせ て拝 んでいる姿が描 かれている。 この絵 図か らは,「小 田切」で描かれていた ような,踊 りの中へ と人々を引 き込 むエネルギーを感 じ取 ることはで きない。そ してそれは,教 団の大規模化 にとっては阻害要因 となって しまう。そ して, これは踊念仏 とい う布教形態の限界 を示 している と言 えるだろう。
踊念仏の現象学的研究 に向けて 227
6.ま と め
本稿 で は踊念仏 を広 義 の祈祷行為 と考 え,その特徴 につい て考察 を重 ねて きた。そ して,踊念仏 の現象学 的研 究 に有効 と思 われ る 「身体 の共振」
,
「公 共空 間にお ける宗教 空 間の開け」 とい った視座 を指摘 した。 そ して,前者 を 舞踊論 の視座 か ら説 明 し, それ を踏 まえて踊念仏 におい て (私 ) と く他 者 )をつ な ぐとい う名号 の働 きを指摘 した。 これ らの分析 ・考察 が連 関す る こ と に よって,踊念仏 の現象学 的分析 を可能 にす る ように思 われ る。また さらに, 踊念仏 の様 式化 の問題 を補足 的 に取 り上 げた。 もちろん, ここまでの論考 は あ くまで研 究 をさ らに進 めてい くための見取 り図 に過 ぎない。本稿 は踊念仏 の現象学 的研 究 に向 けての試論 に過 ぎず,それぞれの論点 については さ らに 論考 を詰 めていかねばな らない。例 えば,本稿 で は融通念仏 か ら踊念仏へ の 移行 につ いて触 れ る こ とがで きなか った。融通念仏 (歌 う念仏 ) も広 義 の身 体行為 だが,それが激 しい身体所作 を伴 った踊念仏へ と変化 す るこ とに よっ て何 が変化 したのか, とい った問題 について さ らに考 えてい く必要が あ るだ ろ う。 また,扱 った資料 において もまだ不十分 な点が あ る。本稿作 成 のため に F一遍聖絵 』 を参 照 したが
,
F一遍上人絵 詞伝 』 を も踏 まえて さ らに研 究 を進 め るこ とが必 要であ ろ う。 だが,個 々の論 点 につ いて詳細 な研 究 に踏み 込 む以前 に,現象学 的研 究 のための全体像 ,お よびそれぞれの論点 の関わ りを示す こ とは,本稿 において達成 で きただろ う。
注
1) F一遍聖絵』の研究史 としては,砂川博
「
F一遍聖絵」の論点一研究史を 辿 る‑」(
F中世遊行僧 の図像学j岩田書店,1999年,9‑95頁),お よび長 島尚道「
『一遍聖絵」研究の回顧 と展望 (上)」(
F時宗教学年報l 第14韓, 228 国際経営論集 No.24 20021986年,40‑48頁),「同 (下)」 (F時宗数学年報第15韓,1987年,15‑24頁) を参照o また,踊念仏 に限れば,大橋俊雄 F踊 り念仏l (大蔵出版,1974年), 五来重 F踊 り念仏j (平凡社,1998年)0
2) 祈祷行為 とは一般 に 「祈 り」 と呼 ばれる現象 を指すが,「祈 り」 とい う語 がキ リス ト教的,あるいは一神教的な宗教伝統 における宗教行為 としてのニ ュアンスが強 く,踊念仏 を 「祈 り」 と見 なす ことに抵抗があるため,本稿で は便宜的に祈祷行為 とい う語 を用いることとしたい。
3) Friedlich Heiler,DasGebet:E)'nez.el)'gL'onsgeschJ'chtlL'cheund z・ell'g
l
On S
PSyChologl'scheUntersuchung,2.Aufl.MOnchen1920.4)A.a.0.,S.98‑109.
5) 「一遍の念仏」 を 「祈 り」 とい う文脈 に位置づけ,宗教現象学的に考察 し た好例 として,棚次正和 F宗教 の根源 祈 りの人 間論序説j (世界思想社 ,
1998年) を挙 げることがで きる。級密 な論考ではあるが,言語行為 としての 祈 りに考察の ウェ‑ トが置かれてお り,身体性 とい う側面への着 目がやや弱 い ように感 じられる。 また,踊念仏 を身体論の視座か ら捉 えようとした もの として,黒 田 日出男 「踊 り念仏の画像 身体論 の視座か ら」 (F週刊朝 日百科 日本の歴史 別冊 歴史の読み方 1絵画資料 の読み方」朝 日新聞社,1988年) がある。
6) 1.信州小 田切 の里,2.片瀬の浜の地蔵堂, 3.近江 関寺, 4.市屋 道場, 5.丹後久美の浜, 6.淀 上野, 7.淡路 二宮。なお,本稿の作 成 に当たっては,小松茂美編 F日本の絵巻20 一遍上人絵伝j (中央公論社,
1988年),お よび聖戒編,大橋俊雄校注 F一遍聖絵i (岩波文庫,2000年) を 参照 した。 また,それぞれの場面描写 において大橋俊雄 F一遍聖j (講談社 学術文庫,2001年) を参考 とした。
7) 大橋前掲書51頁。
8)梅谷繁樹 F捨聖 ・一遍上人j (講談社現代新書,1995年)68頁。
9)大橋前掲書51頁
10)梅谷前掲書68頁
ll) 岩波文庫版 F一遍聖絵j45頁。
12)この ような踊念仏 その ものが突発的, 自然発生的な ものか どうかについて は,研究者の間で も見解が微妙 に分かれている。砂 川前掲論文,62‑67頁。
本稿ではあえてこの間題 に踏み込むつ もりはないが,後で取 り上げる 「片瀬」
に見 られるような踊屋が形成 されぬ まま,武士の館 の庭先で踊念仏が行 われ
踊念仏の現象学的研究 に向けて 229
た とい う意味で, この 「小 田切」の踊念仏 を 「自然発生的」 と見なす ことは 可能だろう。
13)大橋 は, この様子か ら,時衆が 「見 られることを意識 している」 と指摘 し ている。大橋前掲書,52頁。
14)黒田 日出男 は 「小 田切」お よび,「信濃国佐久郡,大井太郎の館」 の場面 を草創期 とし,それ以降の踊念仏 と区別 している。黒田前掲論文35頁。
15)大橋前掲書,52頁。
16)現代的な例 を出せ ば,ス トリー ト・パ フォーマーのパ フォーマ ンスやス ト リー ト・ミュージシャンの演奏 に観衆 ・聴衆が引 き込 まれ,演者 と観衆 ・聴 衆の区別が判然 としな くなった状況 とい うことだ。
17)市川浩 「身体の現象論」 (r岩波講座現代社会学4 身体 と間身体の社会学1 岩波書店,1996年,1‑22頁)0
18)例 えば,斉藤孝 はこの ような身体 を 「レスポ ンスす る身体」 と名付 けてい る。斎藤孝 F子 どもに伝 えたい<三つの力>」 (NHKブ ックス,2001年)172
‑191頁 を参照。
19)ここで注意 したいのは,一遍の位置である。一遍 は,踊 りの輪の外 で踊念 仏 を行 う者たち よりも少 し高い位置,す なわち武家の屋敷の縁側 にいる。だ が,輪の中心 にいる念仏坊 と尼僧はこの一遍の方向へ と身体 を向け,その視 線 も一遍 に注がれているようだ。このことか ら,一遍か ら念仏坊や尼僧へ と,
さらにその念仏坊や尼僧か らその周囲の踊念仏 を行 う者たちへ と共振 の輪が 広が っている様が描 き出 されている と考 えてい くことがで きよう。そ して こ のような,一遍一念仏坊 ・尼僧一周囲の踊念仏 を行 う者の関係 を,オーケス トラにおけるコンダクター, コンサー トマス ター,演奏者 たちと考 えること がで きるだろう。 なお,「片瀬」移行の踊念仏 には, コンダクターや コンサ ー トマス ターの役割 を司 る人はお らず,共 に息 を合わせ ることで成立す るア ンサ ンブルの様相 を呈 して くる。 この ような音楽 を素材 とした志向性分析 に ついては,木村敏 Fあいだj (弘文堂,1988年) を参照。
20)以下の記述 は,矢部久英 ・笹部桂子 「舞踊行為の間主観的構造‑ 舞踊教 育 をめ ぐって‑ 」 (F東京学芸大学紀要15部 門33,1981年,237‑247頁) を参照。
21)「自然発生的」の意味 については,本稿,注12を参照。
22)岩波文庫版 r一遍聖絵j41頁.
23)これは,ハーバーマスー ア‑ レン ト的な公共空間を意味 している。 この よ
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」
うな意味での公共性 については斎藤純一 r公共性」 (岩波書店,2000年) を 参照。
24) この ような公共性 は,「京都」 において さらに顕著 な もの となってい く。
「京都」 で は,「市」 において踊念仏が行 われた。 しか し,公共性が高 まる (‑時衆以外 の人々の数が増 えてい く)のに反比例す るかの ように,宗教的 な凝集力 は弱 まっていったようだ。 この問題 については稿 を改めて論 じる予 定である。
25) これは賦算 とい う行為 に強 く現れていると思われるが,賦算の問題 につい ては稿 を改めて論 じたい。
26)F一遍聖絵』 には 「とことはに南無阿弥陀仏 ととなふれば/ な もあみたぶ にむ まれ こそすれ」 とい う歌が収め られてい る (岩波文庫版 F一遍聖絵』,
34頁)0「いつ まで も変わ らず南無阿弥陀仏 ととなえっづければ,そなた もき っと南無阿弥陀仏 にな りきって,浄土 に往生で きるで しょう」 (大橋前掲書, 137頁) とい うこの歌 は,阿弥陀仏 と念仏者の合一 を歌 った もの と言 えるだ
ろう。
27)「名号帰入」 については,梅谷前掲書,172頁参照。
28) この ような説明は,周知のごとく精神分析学 などによく見 られる。ユ ング の共時的無意識 などが この説明に当たるだろう。
29)「小 田切」 と 「片瀬」の間に位置す る 「第五」の冒頭部分 (弘安二年 佐 久郡) には,次の ような記述がある。「数百人 をど りまは りけるほ どに,板 敷ふみお としな どした りけるを・‑。」 この記述か ら,乱舞 の状態 を想起す る ことは十分 に可能だろう。なお, この 「板ふみお とし」 た後の状況 は聖絵巻 五 に措かれてお り,踊念仏 を終 えて 「日常」へ と戻 った人 目の姿 も措かれて いる。 なお,既述の ように黒 田 日出男 はこの場面 も踊念仏の草創期 と位置づ けている。
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