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『学び合い』による他者関係の広がり : コミュニ ケーションが苦手な児童に着目して

著者 田嶋 柚里, 遠藤 野ゆり

出版者 法政大学キャリアデザイン学部

雑誌名 法政大学キャリアデザイン学部紀要

巻 17

ページ 5‑29

発行年 2020‑03

URL http://doi.org/10.15002/00023001

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『学び合い』による他者関係の広がり

~コミュニケーションが苦手な児童に着目して~

法政大学キャリアデザイン学部 4 年

田嶋 柚里

法政大学キャリアデザイン学部 准教授

遠藤 野ゆり

序章

第1節 研究の目的と『学び合い』について

本研究は、『学び合い』の考え方を取り入れるクラスにおいて、児童たちの 他者との関わり方がどのように変化するのかを明らかにするものである。特 定のクラスに密着し、児童たちと近い距離で変化を追うことで、『学び合い』

の実態を探ることを目的とする。その際、コミュニケーションが苦手な児童 に着目して、『学び合い』の考え方が児童たちにもたらす、他者関係への影響 について考える。

『学び合い』とは、教育方法学者の西川純が、一人の教師が児童全員にわか らせる限界を指摘し、その解決策として考案したものである(1)。西川は、認知 心理学で言われている、熟達者は課題を達成することはできるが説明はでき ないことを、教師(熟達者)と児童(初心者)にも当てはまると考え、『学び 合い』を構想し(cf. 西川 2002, 1)、「教師は勉強の不得意な子どもがどこに躓 いているかわか」らず、児童が躓く点は、「むしろ子どもの方が知ってい」る と述べている(西川 , 2014, 8)。例えば、専門知識を多く持つ教師の言葉よりも、

クラス内の高学力層の児童の方が、勉強が苦手な児童に近い目線で物事を教 えることができる。つまり、勉強に躓いている児童は、教師が思っているよ りも初歩的なところがわかっていないことが多々あり、それに気づき、より 分かりやすく教えることができるのは、クラス内にいる他の児童だ、という。

『学び合い』の具体的な授業方法としては、ある問いがわからない児童に対

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し他の児童が教える、というように、学習者同士が関わり合って問題を解決 する学習形態のことであり、そこでは、教師はクラス全体のマネジメントを する役割を担う。児童に対して教師が求めるのは、「一人も見捨てない」こと である(西川 , 2014, 16)。つまり、わからない児童やできない児童が一人も生 まれないように、全員がわかることを目標にしている。

以下は、筆者が X 年 9月に対象小学校第3学年の授業を見学した際の事例 である。これを用いて、研究対象校の『学び合い』の授業を説明する。先ほ ど述べたように、本来『学び合い』とは、学級運営の考え方を表すものである。

しかし、対象校において、一人も見捨てないという『学び合い』の考え方を とりいれた授業を『学び合い』と呼んでいるため、本論文でも、『学び合い』

の考え方を取り入れたクラスが授業形態を『学び合い』と表記することにする。

【詩の読み合いっこ】

「じゃあ2人組作ってね、読み合いっこしてね、みんながもっとうまく読め るようにするんだよ? よーい、どん!」と言って、佐藤先生(仮名 以下 同様)はタイマーを7分にセットした。合図と同時に、児童たちは、男女の 区別なくペアを組んでいく。読み合いが終わると次々に別の児童同士でペア を組みなおしては、詩を読む際のアドバイスをしている。7分がたち、佐藤 先生が児童たちに「そろそろ終わったかな? じゃあ、席について、『この人 うまくなったな』って人がいたら教えてくれる?」と声をかけた。すると、

4人ほどの児童が一斉に手を挙げ、3人の児童の名前があがった。推薦され たその3人の児童が、みんなの前で朗読をした。授業の終わりに佐藤先生は、

この時間のクラスの動きがどうだったかを児童に伝え、次回改善できる箇所 を示した。

事例のように、『学び合い』中は、自由に席を立つことが許されており、児童 は誰と学習しても良いことになっている。黒板にはタイマーが設置されており、

児童たちは常に時間を意識しながら、『学び合い』をしている。この事例では使 われていないが、『学び合い』のほとんどの授業で、児童の名前が両面に書かれ たネームプレートが使用されている。これは、表と裏で色が異なっており、そ

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の時に取り組んでいる課題について、未達成は白、達成済みは黄色い面を貼る というように、児童たちの学習状況を可視化するために用いられている。

第2節 本研究の意義と先行研究の検討

授業における教授方法や、学級運営の仕方は、学校教育におけるもっとも重 要な関心ごとの一つとされてきた。特に最近は、アクティブラーニングが注目 されるなど、教師が一方的に話すスタイルではなく、児童が主体的に学ぶこと が重要とされている。『学び合い』はそのようなアクティブラーニングの一つ であるが、アクティブラーニングが提唱されるよりもずっと早い時期から、西 川の指導のもとに、一部の学校教育において実施されてきた。西川の提案に共 感し、西川のもとでその教育方法を学んだ多くの教師たちの手によって、現在 は多くの地域に広がりつつある(2)手法である。しかし、アクティブラーニング という言葉の流行もあって、かえってその正確な手法や効果が理解されていな い現状(3)も否定できない。そのため、『学び合い』を導入することに不安を覚 える教師や保護者もいる。『学び合い』の正確な手法をとるクラスの日常に即 して明らかにすることで、『学び合い』の理解の手助けになる、と考えられる。

『学び合い』の効果についての研究には以下のようなものがある。『学び合い』

の考え方を十分に享受している児童の学びの特徴として、三崎は、『学び合い』

の考えかたによる授業を受けた児童は、「相手の理解の状況に合わせて教える ことができる」と述べている(三崎 , 2013, 118)。その理由として、自ら得た 知識や技能等を単に一方的に伝えるだけの教え方でなく、相手との関わりの 中で、相手に合わせながら理解を促す教え方ができていると考えられるから であることがあげられている。

三崎の研究では、対象児童の学力差には着目せずとも、上記のような結果 が出ているが、一方で、野口によると、『学び合い』をリードする児童の特徴 として、「上位児は学力やコミュニケーション能力を向上させるとともに、ク ラスの協調性を高める役割を果たしていた」という(野口 , 2009, 58)。

以上の研究から、『学び合い』では、相手の理解度に合わせて教えることが できるようになったり、学力上位層がクラスの協調性を高めたりすることが 明らかになっている。しかし、もともと学力は高いものの、他者とうまくコミュ

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ニケーションが取れない児童についての研究はなされていない。『学び合い』

では、事例にもあるように、子ども同士の対話を軸として授業が行われる。

そのため、例えば野口の研究でコミュニケーション能力を向上させることの できるとされた児童は、従来のコミュニケーション能力に上積みされること ができた、と考えられる。他方、近年は発達障害など、学力が高いにもかか わらずコミュニケーションに相当の困難を抱える子どもがいる。こうした子 どもの場合は、『学び合い』における子どもどうしの自由な対話そのものが難 しく、『学び合い』に参加できない、といった事態も想定される。つまり、コミュ ニケーション能力を向上させる俎上に載らないのではないか、ということが 懸念されるのである。残念ながら、これまでの先行研究においては、こうし た子どもに対する『学び合い』の効果は明らかにされていない。

ところで、『学び合い』についての研究は、その多くが学習方法や集団を構 成する児童の特徴について調査したものであり、これらは児童の発話をもと に分析がなされた研究(4) である(例えば野口 , 2009、三崎 , 2013、大平 , 2014 など)。しかしながら特定のクラスや児童の変化に密着した研究はなされてお らず、表情や仕草を分析の対象に入れた研究は見つけることができなかった。

児童はそれぞれが思っていること、考えていることを全て言葉にすることは 難しいとされるため、児童の発話以外の表情や仕草を分析せずには、『学び合 い』の実態を探ることは不可能であろう。したがって、本論文では、児童た ちの細かな表情や仕草を分析することで、『学び合い』を取り入れるクラスの 実態を伝えることができると考えられる。

第3節 研究方法と対象校について

『学び合い』を実施しているある公立小学校の5年生の学級において、エス ノグラフィックフィールド調査で事例研究を実施する。エスノグラフィーと は、「現場を内側から理解するための調査・研究の方法」であり、フィールド 調査とは、「五感を総動員して、身をもって体験すること」である(小田 , 2010, 7)。調査期間は X 年6月~ X+1年 10 月までの1年4か月で、3, 4カ 月に1回、1回につき1週間程度行う。本論では主として、X +1年7月8 日~ 18 日、X +1年 10 月4日~ 10 日に行った調査結果を用いる。加えて、

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対象クラスの担任にインタビューを行っている X +1年7月)。

『学び合い』は、原則として校長指導のもと学校全体で行うものである。その ため、対象校は、以前『学び合い』を取り入れていたが、その後、校長の異動に 伴いこの手法での授業は行わなくなった。その 10 年後に『学び合い』を改めて 取り入れ始め、調査時も継続している。研究対象クラスの5年 A 組(児童数 21 人)

が本格的に『学び合い』を始めたのは、本年度からである。5年 A 組の担任は、

星野先生という女性教師であり、『学び合い』の研究主任を務めている。

事例中の児童たちの発話はもともと対象校の所在地の方言が使われている が、子どもたちのプライバシー保護の観点から、地域の特定を避けるため、

標準語に書き換えている。エスノグラフィックフィールド調査を行った結果、

一人の男子児童に着目して考察を行う。

なお、本調査校は筆者の居住地から遠隔地にあるため、継続的な調査が難 しく、当該の児童については、X+1年の7月と 10 月の2回の時期のデータに 限られている。このことをふまえ、本研究では、当該の児童の細かな変化の プロセスやその要因を探るのではなく、7月と 10 月の児童の在り方の比較を 行い、7月、10 月のそれぞれ1週間における児童とその周りの子どもたちの 様子から、その変化をもたらした要因について推測する。またこれらの考察 に基づき、児童たちにとってその変化はどのような意味があったのかを、現 象学的に考察する。

第1章 フィールド調査から明らかになった児童の変化

本論文で取り上げるとしや君は、高学力層の児童ではあるものの、一人で じっくりと考えることが好きな児童であるため、一見すると一斉授業の方が 向いているとされる児童である。授業中だけでなく、休み時間や放課後も一 人でいることが多く、『学び合い』への参加も消極的だ。

7月に行ったインタビューにおいて星野先生は、7月以前にとしや君と二人 で面談をしたということを語っている。その中で、「あなたがすごく頭がいい のはわかっている。でも、この先、研究者になるにしても、他の職に就くにし ても、一人では生きていけないでしょう。『学び合い』で、人としゃべる練習 をしてみようよ」と伝えたと言う。星野先生の言うように、としや君が人と関

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わろうとする様子は極めて少なく、筆者が見る限りでは、コミュニケーション が苦手というよりも、コミュニケーションをとらない児童という印象である。

しかし、そのようなとしや君は、10 月には大きく変化することになる。本 章では、7月と 10 月を比較し、としや君の変化を明らかにする。

第1節 7月の様子

本節では、7月のとしや君の普段の様子や『学び合い』中の様子を考察し、

としや君がどのような特徴をもつ児童であるのかを明らかにする。

としや君は、コミュニケーションが苦手である上に、かなりマイペースな 児童である。例えば、1時間目が始まってもランドセルをロッカーに片づけ ていない、給食を時間内に食べ終えることができない、チャイムが鳴り終わっ てからロッカーに教科書を取りに行く、などが挙げられる。このように、と しや君は一見すると、集団適応ができないわがままな児童だと見受けられて しまう。そしてそのような特徴を持つとしや君に対し、クラスの児童たちは のけ者扱いをするわけではないが、特に関わろうとすることなく、あえてそっ としているようであった。

とはいっても、としや君は決して、嫌われているとか問題児扱いされてい るわけではないようである。その要因の一つに、としや君は、普段からにこ にこしている印象が強いことがあるかもしれない。としや君は、一人で教室 移動の準備をしているときや、給食の配膳をしている時も、にこにこしている。

そのため、としや君が「暗い」といった印象は受けない。ただし、としや君 の笑い方をよくよく注意して観察すると、感情によって変化するということ はなく、いつも同じような角度で口角が上がっているだけであり、本当は、

楽しい、嬉しいといった感情の動きからの笑顔ではないことがうかがえる。

実際、上述したように教室移動の準備などの場面で、特に楽しいことがある とは考えにくい。したがって、としや君は、嬉しいという気持ちから笑顔になっ ているのではなく、単に口角があがっており、普段から笑っているように見 えるのだと考えられる。

いずれにせよ、としや君のこうした顔つきから醸し出される穏やかな雰囲 気もあって、彼は、特に誰の印象にも残りにくいような、存在感の乏しい児

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童として、クラス内では誰からも触れられることのない存在のように見受け られた。7月8日に行ったインタビューにおいて星野先生は、としや君は『学 び合い』では受け身状態であると話していたが、実際の授業を見てみると、

受け身状態というよりも、誰とも関わろうとしていないような印象を受けた。

以下は算数の授業の事例である。

【7月 16 日 火曜日 誰とも関わらないとしや君】

この日は、テストに備えてのプレテストを行った。内容は小数の筆算で、

解き終わったら各自で丸付けをすることになっているが、『学び合い』時のよ うに、自由に教え合うことができるため、終わった児童がまだ途中の児童を 教えるついでに丸付けをするのが恒例になっている。としや君は授業が始まっ ても解こうとせずに、机の上に置いたノートをペラペラめくっている。その ようなとしや君の様子を見ても、周囲の児童は特に違和感を覚えないようで、

時間だけが過ぎていった。残り時間が 10 分になった時、みおちゃんはとしや 君のネームプレートが“未達成”を示していることに加え、まだ1問も解い ていないことに気づき、としや君の席の前にしゃがみ、「ねえ、としやわかっ た? どこがわからないのか教えて」と、大きめの声で話しかけた。としや 君は、話しかけられたことにびっくりした様子で、周囲をキョロキョロ見渡 したものの、みおちゃんと言葉を交わすことはなく、黙ったままである。と しや君が何も言わないため、みおちゃんはしばらくして、気まずそうにその 場を離れた。結局、としや君は、誰の力を借りるわけでもなく、自分の力で 1枚分の問題を解き終え、この時間は終了した。

『学び合い』時のとしや君の様子として、以下の2点が明らかとなる。

まず、としや君は、誰かが様子を見に来ても、誰とも関わろうとしない点 である。授業が残り 10 分になったとき、みおちゃんがとしや君のもとへ近づき、

わからないところを教えてほしいと声をかけたが、としや君の反応はなかっ た。この時のみおちゃんは、大きな声を出しているが、それはとしや君を責 めるような言い方ではなく、他の児童たちの声が大きく、相手の声が聞こえ づらい状況にあったためである。しかし、としや君の様子は、みおちゃんの

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話の内容が聞こえているのかいないのか、そもそも、関わるつもりがなく聞 いていなかったのか、それすら筆者にはわからないものであった。その結果、

みおちゃんは、気まずそうにとしや君の席から離れてしまったと考えられる。

次に、他の児童たちが、としや君をそっとしている点である。としや君がノー トを見ているだけで、問題を解いていなくても、「周囲の児童は特に違和感を 覚えない」ことから、としや君自身がクラスメイトに関心を持たないだけで なく、クラスメイトも、としや君の邪魔をしないように、あえてそっとして いる、ということだ。実際、としや君は、高学力層の児童であり、問題を解 くこと自体には何の困難もなく、この時間も1枚だけであるが、解き終えて いる。『学び合い』のゴールとして、“ 全員がわかる ” ということが挙げられ ている以上、としや君は、“ わかる ” 状態とみなされ、特に教えなければなら ない存在として認識されていないのだと考えられる。

この時のように、『学び合い』中に、高学力層、かつお世話好きな女子児童が、

としや君に近づくことはあっても、としや君はしゃべることもなく、じっと しているのが印象的であった。なぜ、としや君は『学び合い』中に何もしな いのだろうか。

一つ目に挙げられるのは、としや君が自分の世界を生きており、そのこと によってクラスメイトと「没交渉になっている」という事実である。としや 君の様子を見る限り、としや君には、“ 自分の世界 ” があり、その世界の中で のみ生きているように思える。なぜなら、としや君は何をするにしても、自 分のペースで取り組むだけでなく、多くの交流が生まれるであろう『学び合い』

でも、誰とも会話をしないからだ。その際、としや君は周りにいる児童たち を拒否しているわけではないが、没交渉になっている。没交渉とは「交渉が ない」状態である。つまり、本当は関わりたくても恥ずかしさから話せない 状況とは異なり、関わろうという気持ちが一切ないのである。事例【7月 16 日 火曜日 誰とも関わらないとしや君】の中で、としや君はテスト勉強を するという周りの様子を全く気にしていないので一見すると、勉強を拒否し ているようにも見える。しかし、その後としや君が一人で何の困難もなく問 題を解き終える様子を見る限り、としや君には勉強を拒否しているわけでも、

他者と関わることを拒否しているわけでもないことがうかがえる。ただ、と

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しや君には他者と関わること自体が無いのである。

二つ目に、としや君自身に「他者と関わりたいという願いが希薄」である ということが挙げられる。一つ目の特徴で、としや君は自分の世界を生きて いると述べたが、その原因として、そもそもとしや君には、他者と関わりた いという欲求がないのではないか、と考えられる。一般的にコミュニケーショ ンが苦手な児童と聞くと、関わりたいというニーズがあっても、関わること ができない様子が浮かぶだろう。しかし、中にはそもそも関わりたいという ニーズがないために、関わりも無い児童も存在し、としや君もそのうちの一 人であると考えられる。【7月 16 日 火曜日 誰とも関わらないとしや君】

の事例では、としや君は決してみおちゃんを拒否していたのではない。とし や君はその時、周囲を気にすることなく自分の世界に浸っている状態であっ たが、それを「みおちゃんに話しかけられる」ことで急に自分の世界を壊さ れてしまったことに驚き、どうしてよいのかわからない様子を見せていたの ではないだろうか。

三つ目に、としや君は、自分の世界で自己完結しており、「他者との相互性 を生きていない」ため寂しそうではない、ということが指摘できる。上述し たようにとしや君は、クラス全体の世界とは異なる世界を生きている。そして、

そのことで寂しさを覚えている様子ではなく、としや君は自分の世界にいる ことが自然で、周りと仲良くなりたいと思っている様子はないように見える。

つまり、世界が自己完結しているのだ。そう考えると、一見するとわがままで、

何もできない子に見えるマイペースな、荷物を片づけないなどの理由もわか る。おそらくとしや君は教室にいても、教室空間とは違う世界にいるのだろう。

第1節ではとしや君の7月の普段の様子や『学び合い』中の様子から、ど のような特徴を持つ児童であるのかを明らかにした。その結果、としや君は 没交渉の状態であることが判明した。その理由として、そもそも他者と関わ りたいという願いがないことが挙げられる。そのため、他者との相互性を生 きていないため、常に一人でいると考えられる。

加えて、としや君には自分の世界があり、その世界のなかで完結しているた め、教室内にいるとしや君は、決して寂しそうではないことも明らかとなった。

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第2節 10 月の様子

筆者は X +1年の 10 月に3か月ぶりに児童たちに会った。7月の時点で自 分の世界の中で楽しそうに生きていたとしや君は、10 月になっても同じよう に一人で過ごしているのだろうか。本節では、第1章第1節で明らかとなっ たとしや君の3つの特徴が、10 月時点でそれぞれ変化したのかを考察する。

第1項 教師を通じて気持ちを伝えるとしや君

この日、としや君は学校を休んでいたが、としや君が星野先生に伝えたと いう話を、クラスメイトにする場面である。

【10 月4日 金曜日 本当は給食を減らしたかった】

「みんな聞いて」と、星野先生は、ざわざわと落ち着かない児童たちを静か にさせた。その後、「としやが、給食を減らしたいって言ってたの。だから、(と しや君に給食を)減らしてもいいって言ってくれない?」と児童たちに伝えた。

その話に、児童たちは驚き、「減らしていいに決まってるのに」と不思議がる ような様子をみせた。その一方で、「そんなこといつでも言っていいのにな」と、

としや君が給食を減らしたいことを、今まで打ち明けなかったことに対して 心配するような発言をする児童もいた。その様子は、決して深刻なものでは なく、星野先生も、児童たちも、笑いながら和やかに話していた。

はじめに、このクラスにおいての給食の捉え方について説明する。このクラ スでは、給食を完食することを目標にしており、給食の時間の最後の方には、

食缶が空になるように、当番の児童が、みんなについで回る。もちろん、食の 細い子に無理はさせておらず、量が多いようならば、あらかじめ減らす、など は許されている。そのため、いただきますのあいさつの後、おかずやご飯の量 を減らしに行く児童は、毎日のように見られた。量を減らしても食べるのがゆっ くりな児童は、昼休みの時間になっても給食を食べていることもある。

としや君はというと、減らすことは一切していないが、食べるペースがゆっ くりであるので、昼休みになってもずっと食べていることが、毎日のように 見られた。この様子がいつものことだったので、「給食を減らしたかった」と

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いうとしや君のカミングアウトは、クラスに大きな衝撃を与えたに違いない。

星野先生と児童たちは、たわいもないやりとりをしているように見えるが、

この話が出た時、筆者は、としや君本人が 10 月まで言えなかった自分の願望を、

本人が伝えたい、と思えたことに大きな変化を感じた。前節で考察したように、

7月の時点でのとしや君は、他者と関わりたいという願いそのものがほとん どないように見受けられた。給食を減らしたいという自分の気持ちがあって も、それを周りにわかってほしい、受け入れてほしいといった、周囲に向け た願いとしてはもっていなかったように見受けられる。しかしながらこの時 点でとしや君は、先生に、自分は本当は給食を減らしたいのだ、という気持 ちをわかってほしいと訴えている。さらにはここでは明示されていないが、

日ごろの『学び合い』の様子からすれば、この訴えが、先生を介してクラス のみんなに伝えられるであろうことを、高い知能をもっていると推察される としや君ならば、理解していたかもしれない。そうだとしたら、先生を介し てという仕方ではあるが、自分の状況を周りにわかってほしいのだ、と訴え ていると捉えられる。

第2項 一歩動いたとしや君

前項では、7月の時点のとしや君の状況の2つ目の特徴、すなわち「他者 と関わりたいという願いの希薄さ」が変化したことを考察した。順番が逆に なるが、次に、一つ目の特徴「没交渉である」という事態がどう変化したの かを考察したい。ここでは、10 月の『学び合い』中のとしや君の様子を考察 する。7月時点では、全くと言っていいほど、誰とも関わらず、一人の時間 を過ごしていたものの、10 月の国語の授業では、歩いて移動する様子が見ら れた。以下は国語の授業であり、宮沢賢治の『注文の多い料理店』を読み、

作者が用いている技法を学ぶ、という内容である。『学び合い』のミッション として、様子、比喩、色彩の表現が物語中のどこに使われていて、どのよう な効果をもたらしているのかをそれぞれ説明し、3人からサインをもらうこ とになっている。

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【10 月 10 日 木曜日 移動したとしや君】

としや君は、『学び合い』開始直後にたくま君のもとへと一直線に進み、ど うやら2人で話し始めたように見えた。筆者が近づいて様子を見ると、たく ま君は、“色彩表現”という単語が理解できないようである。困っているたく ま君に対して、としや君は、じっと教科書を見ているだけであった。筆者は、

たくま君に対して、「他の人に聞いてみたら?」と、他の児童と関わるように 促してみたが、たくま君は、「うーん。でもなぁ」と言うだけである。一方の としや君は何の反応もしない。しばらくして、みおちゃんが「できた?」と 様子を見に来た。たくま君は「うーん。あのな、ここの、色彩がわからん」

と伝えることができたが、としや君は、みおちゃんの存在を気にすることなく、

教科書をペラペラめくっているだけである。みおちゃんは、たくま君に教え たあと、「としや、やらないの…?」と恐る恐る言ったが、としや君はぼんや りしており、みおちゃんの話は耳に入っていないようだった。

この事例では、「開始直後にたくまくんのもとへと一直線に進」むという、

としやくんの大きな変化が見てとれる。繰り返すが、7月の時点では、自分 の席から一歩も動こうとせず、周りから話しかけられても相手の言葉を聞い て理解しているのかさえわからないとしや君は、周りを積極的に拒否してい ないにもかかわらず「没交渉」になっていた。ところがこの事例においてと しや君は、自らの意志によって、たくま君のもとへと移動している。すなわち、

たくま君という他者に向かいたいという気持ちを抱くだけでなく、実際にそ れを実行している。たくま君との交渉が、ここでは実現しているのだ。

一方で、移動した先で、誰かと何かを考える、ということは、この時はま だできていない。みおちゃんが来た時も無反応であり、筆者が見る限り、た くま君とさえ話している様子は見られなかった。つまり、まだ『学び合い』

にはいたっていないものの、自分の席を立ち、友達のところに行こうと思え たことは、としや君にとって、大きな第一歩だと考えても良いだろう。

第3項 放課後の様子

最後に、としや君の三つ目の特徴、すなわち、「他者との相互性を生きてい

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ない」という状態について、10 月には変化が生じているかどうかを検討したい。

そこで、ここでは、授業中以外の様子を考察する。7月の時は、給食の時間も、

休み時間も一人でいる場面しか見ることができなかったが、『学び合い』の考 え方によって、としや君の他者関係に変化はあったのだろうか。以下は、放課 後に、筆者がしょう君の宿題を手伝う場面である。同じ時間、としや君とたく ま君も教室に残っていたので、この空間には、筆者のほかに、3人の児童がいる。

【10 月8日 火曜日 放課後】

しょう君は、分数の計算を面倒くさそうに解いている。たくま君はその様 子を見て、「はい、がんばって。あと少し!」と、しょう君を励ましている。

この時筆者はたくま君と一緒に、しょう君の席の横にしゃがんでいる状態で ある。一方で、としや君は、教室内をフラフラと歩き回っていて、ときどき、しょ う君の席に近づいては、また離れていく、という様子である。特にしょう君 に何かを教えたり、声をかけたりはせず、動き回っている。突然、としや君は、

ニヤリと笑みを浮かべて、教室の後方にある、CD デッキに近づき、音楽をか けた。歌に反応したしょう君が、「お! としやナイス~ この曲好き」とノ リノリで歌い出した。何秒かして、としや君は、CD デッキをいじって、曲の スピードを速くしたり、遅くしたりと、いたずらをし始めた。しょう君は、

としや君に対して、「普通に流してよ」と強めの口調で言い、たくま君は「音 楽なんか気にしなくていいから早く(宿題を)やりな」と困惑しながらもしょ う君に宿題をさせよう試みている。としや君は教室の後方で、とても和やか な表情でそのような二人のやり取りを見ていた。

しょう君とたくま君は、人懐っこい性格のため、筆者とも関わることが多 かったのだが、としや君と筆者は、直接話したこともなければ、としや君が 遊んでいる姿を見るのも初めてである。また、これまで、としや君が、しょ う君やたくま君と比較的一緒にいる時間はあったものの、筆者の知る限り、

としや君が笑顔になったり、ふざけ合ったりすることはなかった。

この事例は、としや君がふざけて CD デッキを操作し、それにしょう君が反 応する、という何気ないやり取りだが、としや君の表情は、無意識のうちに

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口角が上がったものではなくて、楽しいという感情からくる笑顔だった。本 章第1節で述べたように、としや君は、口角をあげた状態を維持するという、

見かけ上の笑顔を浮かべていることが多い。しかしこの場面でのとしや君は、

いたずらっぽい表情になったり、たくま君としょう君のやり取りを和やかな 様子で見ていたりと、表情をくるくると変化させている。このことからは、

この場面のとしや君は、楽しい、嬉しいという気持ちが表情に表れるという 形で笑顔になっていることがわかる。7月の時点では誰とも関わらず、いわ ば能面のような笑顔を貼りつかせていたとしや君が、楽しさからくる笑顔を クラスメイトに見せるまでになったのだ。

この時、としや君はすごく自然な形でくつろいでおり、楽しそうに CD デッ キを操作している。するとすぐにしょう君が笑顔で答え、としや君は嬉しそ うな表情を浮かべた。しょう君は、とても素直に感情が出る児童なので、こ の時も、「お! としやナイス~ この曲好き」とノリノリで反応している。

その後も何秒かして、としや君は、CD デッキをいじって、いたずらをし始め たように、としや君は、しょう君のノリノリな気持ちに対応するように、CD デッキを操作している。ということは、この場面を切り取ると、としや君は、

しょう君と双方向的なやり取りができていると解釈できる。なぜなら、【7月 16 日 火曜日 誰とも関わらないとしや君】の事例では、みおちゃんの声掛 けに無反応だったが、【10 月8日 火曜日 放課後】の事例では、としや君は しょう君の声に反応し、双方向的なやりとりを実現させているからだ。この 時としや君は、しょう君と直接話すことはなかったが、彼の行動はしょう君 の言葉に対応しているため、相手の反応に呼応するという意味で真のコミュ ニケーションをとっているといえる。また、しょう君のノリノリな様子が、

としや君のふざけを助長していることもうかがえる。したがって、この事例 からは、二人がお互いの気持ちを感じとり、その気持ちが自分の感情の変化 をもたらしていることが明らかになる。すなわち、ここでとしや君は、他者 との相互性を生きられるようになっている、といえる。

このような状態を、大塚は「浸透的で双方向的な感情移入」という言葉で説 明している(大塚 , 2014, 98)。双方向的で浸透的な感情移入とは、「私が何か を考えたり想像したりするまえに、他者の感覚や思いや場の雰囲気が私に自然

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と入りこんでくるこうした感情移入」のことである(大塚 , 2014, 98)。つまり、

相手の状況や感情について「何を考えているのだろう」「もしも私が相手の立 場だったらこう考える」といった思考をめぐらすことがなくても、その場や相 手の雰囲気から、相手の気持ちが自然と沁みとおるように伝わってくることが ある、というのである。しかもこうした雰囲気を通した感情の伝わり合いは、

相互的に起こるため、事例の場面のように、しょう君の気持ちがとしや君に伝 わるだけでなく、としや君の気持ちがまたしょう君に伝わってふざける気持ち が強まり、さらにその強まったしょう君の気持ちを感じ取ることでとしや君の 楽しさが増幅されるという事態が生じている、と考えられる。

7月のとしや君が他者の気持ちや雰囲気をどのように感じ取っていたのか、

筆者は当時の彼の様子を詳細に記録しておらず、明確なことはいえない。し かし、少なくとも【7月 16 日】の事例において、他の子どもたちが熱心に『学 び合い』をするなかでその活気ある雰囲気に全く気付いていなかったり、み おちゃんに話しかけられても相手の言葉を聞いていないように見えたりする としや君の様子からは、当時の彼が、他者から自然に伝わってくる気持ちが わからない、感知できないことにより、他者との双方向的なやり取りがなかっ たのだろうことが推測される。だが、【10 月8日 火曜日 放課後】の事例で は、としや君もしょう君もお互いに、楽しい感情や雰囲気を捉えることがで きているので、としや君が、事例のように振る舞うことができたのである。

本章では、7月と 10 月のとしや君の変化を、としや君自身に着目して考察 した。では、としや君にこうした変化をもたらしたのは何だったのか。この ことを明らかにする鍵は、本章最後に出てきた、雰囲気であろう。次に、と しや君に生じた変化の要因を、雰囲気の観点から読み解きたい。

第2章 児童と雰囲気の関係

本章では、雰囲気をキーワードに、としや君の他者関係の広がりを考察する。

第1章第2節第3項で、としや君がクラスメイトと楽しそうに過ごす様子を 考察した。その結果、感情や雰囲気の変化が、としや君とクラスメイトに大 きな影響を与えていることが明らかになった。

(17)

第1節 クラスの雰囲気

ここでは、周囲の児童たちに焦点を当てて考察する。なぜなら、第1章第 2節第1項の給食のエピソードの後、としやくんとクラスメイトの関わり方 が変化していたからだ。『学び合い』での「一人も見捨てない」学級づくりは、

クラスの雰囲気とどのような関係があるのだろうか。以下の事例は、4時間 目の開始直後の様子である。児童たちは全員自分の席についている時に、星 野先生が児童に向けてお土産の話をしている。

【10 月9日 水曜日 としや君への関心】

この日、クラスの男子児童が、家族旅行のお土産を買ってきたため、児童 たちはうれしさのあまり、手をたたく子、立ち上がる子、男子児童に大きな 声でお礼を言う子、など様々に反応をしていた。その結果、教室内は大騒ぎ であった。

突然、あんなちゃんが大きな声で「しっ」とみんなを静かにさせた。今ま で騒いでいた教室が、一気に静まり返った。「どしたの」と不思議がる先生に、

「としやがなんか喋ってる!」とあんなちゃんが付け加えた。みんなが一斉に としや君に注目したため、困惑したのか、としや君はにこにこ笑うだけで、

特に何も発言しなかったが、クラスのみんなが、としや君に対して関心を持 ち始めているのは明らかであった。

この事例からは、あんなちゃんだけでなく、クラスの児童たちが、としや 君に関心を持ち始めたことがわかる。特に「としやがなんか喋ってる!」と いうあんなちゃんの発言に、みんなが反応し、注目している点が印象的だ。

つまり、これまでとしや君はあまりしゃべらない存在であると認識されてい たのだ。そのようなとしや君が、何かしゃべろうとしたわずかな仕草に、あ んなちゃんが気づいたのであれば、としや君とクラスメイトとの関係性は確 かに変化したのだといえる。ちなみに、この時のとしや君の笑顔は、いつも 通りのニコニコのそれとは異なり、きちんと、“ 笑っている ” と他者に認識さ れるものであった。

この日は、あんなちゃんと関わっていることが印象的であったが、次の日は

(18)

さらに別の児童との関わりが見られた。以下の事例では、クラスの多くの児童 が、としや君の変化に気づき、関心を持ちだす様子が見られたので考察する。

【10 月 10 日 木曜日 帰りの会】

次の日が社会見学ということで、教室内は落ち着かず、ざわざわしている。

そんな中、としや君(5)は、帰りの準備を終えると、椅子のうしろに体重をかけ、

椅子を傾けたり戻したりして遊んでいる。時折、右後ろの席のあんなちゃん と顔を見合わせ、変顔などもしている。あんなちゃんも面白がり、一緒になっ てふざけている。ゆいちゃんが、それを見て、「先生、最近、としや、なんか 違うよね?」と不思議そうに言った。星野先生は、としや君を見ながら、「ほ んとだね~ どしたの? めっちゃ笑顔だし!」とびっくりしながらも、嬉 しそうである。他の児童たちは、としや君の方向を向き、興味深そうに、ど んな様子なのか覗き込もうとしている。「ほんとや! なんか違う!」と口々 に言うクラスメイトを、としや君はキョロキョロ見ている。この時のとしや 君は、特別何かを言うわけではなかったものの、ずっと、嬉しそうにニコニ コし、教室を見渡していた。

この事例が、【10 月9日 水曜日 としや君への関心】と異なるのは、2点 ある。まず、としや君がクラスメイトと遊んでいる様子に、別の児童が気づ いて指摘している点である。教室の真ん中の席にいるゆいちゃんがとしや君 の変化に気づくほどであったため、としや君とあんなちゃんがふざけ合って いたのは、わずかな時間の小さな出来事ではなかったことを示している。

次に、としや君の変化は一過性のものではないことが判明した点である。ゆ いちゃんは「最近、としや、なんか違うよね?」と発言しており、「最近」と いう言葉選びから、としや君の変化がこの場限りのものではないことがわかる。

また、ここでは、としや君はあんなちゃんと変顔をしあって遊んでいる。他の 児童とふざけ合う様子を見せる場面は、【10 月8日 火曜日 放課後】の事例 でも見られた。確かに、7月では見られなかった変化であり、放課後の事例か ら合わせて考えても、としや君の変化が一過性のものではないと思われる。

この時、筆者は、としや君を中心としてクラス中が和やかな空気に包まれ

(19)

る感覚に気づいた。ゆいちゃんの発言は、としや君の変化に気づいているも のの、具体的にとしや君をどう思っているのか(楽しそうにしている姿を見 ることができてうれしい、関わることができてうれしいなど)を口にはして いない。だが、ゆいちゃんの発言をきっかけに、クラス中からとしや君の変 化を指摘する声が次々と上がり、みんながうれしそうに笑いあっている姿を 見る限り、あたたかな雰囲気がそこにあることがわかる。

大塚は、「感情が雰囲気であり、個々の感情が集まって場の雰囲気が作られ る」(大塚 , 2014, 85)と述べている。私たちは、人の感情とは個人の内面であ り、いわば個々人の内側にあるように捉えがちであるが、大塚によれば、感 情は雰囲気として個人の外側に存在しているというのである。そして、個人 の感情が集まることによって、その場の雰囲気そのものがつくりだされ、感 情は個人のものというよりもその場にいる皆で共有されるようなものになる、

というのである。

実際、としや君とあんなちゃんの、楽しい、うれしいという感情や、ゆいちゃ んをはじめクラスみんなが、驚き、うれしいという感情が集まって、教室内 のあたたかな雰囲気を作り出している。では、これらの変化は、としや君自 身の意識によるものなのだろうか。

場の雰囲気は、「ひとりひとりがかもしだす雰囲気が混じり合って」作られ るという(大塚 , 2014, 85)。つまり、としや君からかもしだされた、“ 楽しい ” 雰囲気が、クラス内に感情伝播 し、他の児童も同じ感情を抱いた結果、教室 内のあのような雰囲気が作られたのだろう。

それにしても、としや君の感情が周りの変化を引き起こすというようなこ とは、なぜ生じるのだろうか。

第2節 雰囲気とは何か

第1節で筆者は、あたたかな雰囲気が教室に満ちていた、と記述した。し かし、この雰囲気とは、主観的に捉えられるあいまいなものにすぎないよう に思われがちである。そこで、現象学者小川の「雰囲気論」を手がかりに、

雰囲気とはどのようなものなのかを捉えることで、このクラスで起きている ことを明らかにしたい。

(20)

第1項 小川の雰囲気論

小川は、雰囲気とはあいまいで主観的な捉えどころのないものではない、

という。そうではなく、「雰囲気は、いっさいに先んじて世界開示を開いている」

(小川 , 2001, 44)という。つまり、雰囲気こそが、世界がどのようなものであ るかを私たちに明らかにしてくれるものだ、ということだ。このことからし ても、教室内のあたたかな雰囲気とは何だったのかを考察することの価値が うかがえる。

さて、小川は「雰囲気は感情と密接にかかわっており、場合によっては感 情そのものの性格であり、身体的に感知される」と述べている(小川 , 2001, 58)。つまり、私たちが何かを捉えるとき、何よりもはじめに雰囲気が伝わっ てくるのであり、雰囲気なしには、私たちは何事も捉えることはできないの である。それと同時に、これらの雰囲気は、感情であり、身体的に感じられ るということである。

例えば、小川は「馴染みのなさ」という言葉を出発点とし、異他性、すな わち異質な性質が雰囲気としてどのように現れてくるかを考察している。そ の中で、何かが何かに「合わない」こと、すなわち異他なるものであることを、

「馴染みがない」と表現しており、これは知的レベルとは別のレベルの身体的 経験であると考えている。頭ではわかっていてもどうも受け入れることがで きないという経験は、多くの人が持っているだろう。この時の「馴染みのなさ」

は、身体が「違和感」として感じとっているため、この違和感を知的理解で 解消することは困難だとされている。とりわけ、最も強烈な異他性は「不気 味さ」として現われてくる、という(cf. 小川 , 2001, 59-60)。

このような馴染みのなさは、上述したように知的な思考をめぐらせて感知 されるものではなく、雰囲気としてそれとなく感じられるものである。不気 味さや違和感として感じられるその場の雰囲気こそが、その世界に対して私 は何どうとらえているのかという世界の開示をしているのである。

第2項 クラスの一員としてのとしや君

第1項では、小川の雰囲気論を述べた。雰囲気は何よりも先に身体的に感 じとられること、「馴染みのなさ」を知的に理解することは困難であることの

(21)

2点が明らかとなった。このことを、【10 月 10 日 木曜日 帰りの会】の事 例に当てはめて、としや君とクラスメイトの関わりについて考察を深める。

まず、あんなちゃんがとしや君と一緒になって変顔をしている様子がある。

雰囲気は何よりも身体的に感じとられるので、この時のあんなちゃんは、と しや君の楽しそうな雰囲気を身体的に感じとり、としや君もまた、あんなちゃ んの雰囲気を感じとっていると考えられる。第1章第2節第3項において考 察したように、この時点であんなちゃんととしや君は、相互性を生きている と考えられる。その相互性ゆえに、あんなちゃんの身体は、としや君の雰囲 気に触発されて自然にゆるみ、まさにとしや君の身体と一体となって、お互 いに笑い合うという共同作業に開かれている、といえる。

次に、ゆいちゃんをきっかけに児童たちが、としや君の変化に気づく場面 では、としや君が「馴染みのない」存在から「馴染みのある」存在へと変化 したことが言える。このことは、7月時点での様子と比較するとわかりやす いだろう。第1章第1節において、7月のとしや君は自分の世界の中でのみ 生きており、クラスメイトは、そのようなとしや君をそっとしているようだ、

と述べた。おそらく、その時のとしや君は「馴染みのない」不気味な存在と して認識されており、クラスメイトたちは無意識のうちに関わりを減らそう としていたのではないだろうか。確かに、としや君はその特性から異質で不 気味な存在だと認識されるのも無理はない。しかし、児童たちは優しいので、

からかったりのけ者にしたりすることはなく、『学び合い』の約束事である「一 人も見捨てない」を守ろうとしていたのだ。しかしながら、小川が言うように、

「馴染みのなさ」を知的に理解することは難しいので、児童たちは、頭では「一 人も見捨てない」とわかっていても、としや君に対する「馴染みのない」雰 囲気は身体的に感じられ、うまく振る舞うことができなかったのだと考えら れる。

他方、10 月の時点でとしや君は、クラスメイトたちにとって、異質さを異 様に示してくる「不気味」な存在ではなくなっている。そのことが典型的に 示されるのが、としや君の変化に皆が自然と気づく、ということである。こ の時点で児童たちは、としや君も自分たちと同じようにふざけたり、笑いあっ たりするのだと確認し、としや君を、彼の内面が雰囲気として伝わってくる

(22)

存在、すなわち自分と相互的な関係にある他者だと感じている。相互的な存 在となっているとしや君は、あらゆるクラスメイトと没交渉で、他者と関わ りたいという願いもほとんどなかった7月の彼とは異なり、まさにクラスと いう共同体の一員なっている、といえるだろう。

終章 結論

本研究は、コミュニケーションが苦手な児童に着目しながら、7月と 10 月 の様子を比較し、児童たちの他者関係の広がりを考察した。その結果、7月 時点では、クラスメイトと関わりを持とうとしなかったものの、10 月には、『学 び合い』時に、自分の席から移動し、誰かと一緒に『学び合』おうとする変 化が見られた。さらに、としや君と周囲の児童との関わり方に焦点を当てると、

大きな変化を見ることができた。これまでより多少ではあるものの、感情が 外に出たり、他者とコミュニケーションをとったりする様子が見られるよう になった。

その際、雰囲気が大きな影響を与えていることが明らかとなった。『学び合 い』の「一人も見捨てない」というクラス作りが、としや君と関わろうとす る他の児童の雰囲気を作り出し、その雰囲気をとしや君も身体的に感じとっ たため、10 月の事例のような変化が見られたのだろう。

今後の課題

本調査はあくまで、7月と 10 月の様子を比較し、考察したものである。そ のため、変化のきっかけとなった出来事や、変化の過程を観察することがで きなかったことが悔やまれる。加えて、本研究は研究対象校のあるクラスの 中でのみ行ったものである。そのため、他の集団で同じような結果が出ると は断定できない。さらに、本論文で取り上げた事例は、筆者が、『学び合い』

の授業を観察し、その場でメモを取り、改めて書き起こしたものである。し たがって、児童の発言を全て書き出せたわけでないだけでなく、筆者の見て いないところで、より大きな変化があったかもしれない。

今回は、年度をまたぐ調査であったため、5年 A 組の様子は、7月と 10 月

(23)

しか見ることができなかった。より長期的な目で見ると、『学び合い』の更な る成果が期待されると筆者は考えるため、今後の課題とする。

[参考文献]

大塚類 . 2014「浸透的で双方向的な感情移入」遠藤野ゆり・大塚類 . 『あたり前を疑え!

臨床教育学入門』. 新曜社

大平千裕・西川純 . 014. 「『学び合い』の授業における女子児童の人間関係に関する研 究」. 『上越教育大学教職大学院研究紀要』. 1. 95-107

小川侃 . 2001. 『雰囲気と集合心性』. 京都大学学術出版会

小田博志 . 2010. 『エスノグラフィー入門〈現場〉を質的研究する』. 株式会社春秋社 佐藤学 . 2012. 『学校を改革する 学びの共同体の構想と実践』. 株式会社岩波書店 西川純 . 2002. 『学び合いの仕組みと不思議 ちょっとのことでクラスは変わる!』.

東洋館出版社

西川純 . 2014. 『クラスと学校が幸せになる『学び合い』入門会話形式でわかる『学び 合い』テクニック』. 明治図書

野口雄一 . 2009. 「『学び合い』をリードする学習者に関する研究」. 『臨床教育学会誌』.

9. ⑴ . 67-75

三崎隆・西川純・桐生徹・川上早苗・水落芳明 , 2013. 「クラス替えに伴う新集団にお ける『学び合い』の考え方による授業を受けた児童と受けていない児童との学 びの特徴」. 『臨床教科教育学会誌』. 13 ⑴ . 111-119

[注]

(1) 似たような学習方法に、 教育学者の佐藤学の「学び合い」があり、こちら も児童同士で主体的に学ぶことをすすめている。佐藤による学び合いでは、

「子どもの学びの権利を実現し、教師の専門家としての成長を保障し、地域 の大多数の保護者の信頼を形成する」(佐藤 , 2012, 23)というヴィジョン を掲げている。

 西川の『学び合い』では児童たちは自由にペアやグループを作るのに対 して、佐藤の学び合いでは、「男女混合の四人グループによる協同的学びを 中心に授業を組織」(佐藤 , 2012, 25)する点で異なっている。一方で、佐 藤も西川と同様に、「一人残らずに子どもの学びの権利を実現するためには、

協同的学びによって子ども同士が学び合うより他に方法はない」(佐藤 , 2012, 25)と述べており、全員がわかるための授業方法である点は西川と似

(24)

ている。どちらも似たような手法をとるが、佐藤と西川に交流関係はなく、

全く別のものである。ここでは西川の手法を扱うため、『学び合い』と表記 し、他の学習方法と区別している。

(2) 詳しい実施校の数は不明であるが、西川のホームページ上には 18 校が研究 紀要を掲載している。(西川純の部屋 , https://jun24kawa.jimdo.com, 2019 年 12 月1日閲覧)

(3) 西川は「学び合う教室」が、「学級崩壊か、自由と放任を取り違えた教師の クラスのように見える」ことを否定していない(西川 , 2002, 82)。

(4) 西川は児童に IC レコーダーを付けて発話を記録、分析することで『学び合 い』の研究を進めたという。そのため、『学び合い』の研究の多くは、これ らの手法で研究がされている。

(5) としや君は教室の右後方に座っており、ゆいちゃんの席からは多少の距離が ある。

(謝辞・付記)

本研究は、対象校の学校長、および多くの先生方の協力のおかげで終えるこ とができました。貴重な学校現場を公開してくださっただけでなく、研究の許 可を出していただいたことに深く感謝申し上げます。特に、毎回快く授業を見 せてくださった5年 A 組の担任の先生、熱心に『学び合う』姿を見せてくれた 5年 A 組の皆様、本当にありがとうございました。大学での学びの集大成として、

このような論文を書き上げることができたのも、皆様のおかげです。なお、本 稿は、法政大学キャリアデザイン学部に 2019 年度卒業論文として提出された

「『学び合い』による児童の他者関係の広がり~学力や特性に着目したフィール ド調査に基づいて~」(田嶋柚里 2019)の一部を、共著者と共に、大幅に加筆、

修正したものです。本研究は、JSPS 科研費 18KT0032 の助成を受けています。

(25)

ABSTRACT

Enriching relationships with others through

"Manabi-ai"

-A case study focused on a child who is not good at communication-

Yuri TAJIMA Noyuri ENDO

This paper aims to clarify how a child who is not good at communicating can enrich his relationships with others through "Manabi-ai”, based on a case study at an elementary school.

"Manabi-ai”, it means “Learning each other", is the concept that Nishikawa suggests, "Do not forsake all children." It is realized in the class style where children teach and learn each other. Because of this style, the authors can’t deny that the risk of having difficulty participating in classes for children who are not good at communication. This study verifies this point by comparing a boy in July and October.

As of July, the boy saw 1) dead talks with others, 2) a diminished desire to engage with others, and 3) lack of reciprocity with others. In October, however, 1) he started walking to get involved with others, 2) expressed his desire to be understood himself, and 3) had fun while interacting with other children. This shows that, for the boy, with the proper support of teachers,

"Manabi-ai" can expand and enrich the relationships between others.

In this class, not only the boy but also the surrounding children and the atmosphere of the place have changed. Phenomenologically speaking, emotions are not confined to the individual's inner sphere, but rather spread

(26)

around as an atmosphere and shared with others. Therefore, these changes in atmosphere indicate that the children around him have also changed in a way that is in line with the boy's wishes.

From the above, it can be concluded that “Manabi-ai” can enrich the relationships of others who is not good at communication and the children around him by changing the whole atmosphere of the classroom.

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