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原爆ドーム前史 : 産業振興機関としてのその変遷

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原爆ドーム前史 : 産業振興機関としてのその変遷

著者 越前 俊也

雑誌名 人文學

号 203

ページ 1‑53

発行年 2019‑03‑15

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000603

(2)

原 爆 ド ー ム 前 史

│ 産業 振 興 機関 と し ての そ の 変遷

越 前 俊 也

は じ め に 一

九一 五年

︵大 正四

︶八 月一 五日

︑広 島県 は県 庁所 在地 の街 の中 心部 に県 の地 場産 業を 振興 育成 する ため の施 設を 開館 させ た︒ 以後 一九 四五 年︵ 昭和 二〇

︶八 月六 日の 被爆 まで 三〇 年間 市民 に親 しま れた その 建物 は︑ 二度 の改 名に より

︑三 つの 館名 で呼 ばれ るこ とに なる

︒当 初広 島県 物産 陳列 館︵ 一九 一五

│一 九二

〇年

︶と 命名 され

︑次 に広 島県 商品 陳列 所︵ 一九 二一 一九 三三 年︶ と改 称さ れる

︒そ して

︑被 爆一 年前 まで この 建物 は広 島県 産業 奨励 館︵ 一九 三三

│一 九四 四年

︶と 名付 けら れて いた

︒開 館前 を含 め四 つに 区分 でき るそ れら の時 代は

︑表 1に 示す よう

︑日 本が 対外 戦争 を行 って いた 時期 で区 分で きる 期間 とほ ぼ一 致す る︒ つま り開 館前 に日 清・ 日路 戦争 があ り︑ 物産 陳列 館時 代は 第一 次世 界大 戦が あっ た︒ 戦間 期に は商 品陳 列所 と称 され

︑産 業奨 励館 時代 は十 五年 戦争 期に あた る︒ この 四期 に分 かれ る時 代︑ 広島 はそ れぞ れの 戦争 の影 響を もろ に受 けた 街で あっ た

︒そ し て当 該 施 設 の館 名 変 更は

︑そ れ に 呼応

― 1 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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する もの であ った

︒ 現 在︑ 原爆 ドー ムと 呼ば れる 廃墟 とな った この 施設 が如 何な るも ので あっ たの かと いう 関心 は︑ その 存置 が決 定し てゆ くな かで 高ま りを みせ

︑そ うし た疑 問に 対す る回 答は

︑こ れま で主 に建 築家 と建 築史 家た ちに よっ て寄 せら れて き た︒ そし て こ の 建物 の 構 造と 様 式 ある い は 設 計者 の 経 歴と 業 績 に 関す る 調 査と 研 究 が進 み

︑成 果 が 報告 さ れ て い る

︒ それ に対 し︑ この 施設 の成 立事 情や 開館 後の 業務 内容 に関 して は

︑県 史 や商 工 会 議 所史

︑あ る い は原 爆 ド ーム

表1 広島県立の陳列所と日本の対外戦争対照表

原 爆 ド ー ム 前 史

― 2 ―

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関 連の 企 画 展 図録 等 に 基本 と な る史 料 が 認 めら れ る もの の

︑そ れ ら を 総 括 し た 分 析 や 検 討 は 充 分 に な さ れ て い な い︒ 本 稿は

︑こ れら 建築 に関 する 研究 成果 と館 の成 立と 運営 に関 わる 基本 文献 を踏 まえ

︑同 館の 歴史 を開 館前 と異 なる 館名 の時 代ご とに 紐解 いて いく もの であ る︒ そう する こと によ って

︑先 に述 べた 戦争 期間 に対 応す るそ れぞ れの 時代 に広 島の 資本 家と 地方 官僚 がこ の街 と県 をど のよ うに 舵取 りし

︑そ れに 対し て住 民が どう 反応 した かに 対し スポ ット をあ てる

︒本 稿が 目指 すと ころ は︑ 建物 では なく

︑機 関と して のこ の施 設の 内実 に迫 るこ とに ある

︒ 第 一章 では

︑同 館が 広島 の軍 需産 業化 に歯 止め をか ける ため 企図 され

︑都 市生 活者 の憩 いの 場と して 設計 され たに もか かわ らず

︑そ の最 初の 陳列 は上 意下 達式 であ った こと を指 摘す る︒ 第二 章で は︑ 物産 陳列 館時 代︑ 同館 が広 島の 貿 易振 興 策 と して 玩 具・ 木 竹工 芸

・広 告 図案 に 力 を 注い で い たこ と に 注 目す る

︒ま た︑ 第 一次 大 戦 の 落 と し 子 と し て︑ この 時期 に開 催さ れた 全国 玩具 文具 展と ドイ ツ兵 捕虜 によ る展 覧会 を取 り上 げる

︒第 三章 は︑ 商品 陳列 所時 代の 動向 とし て皮 肉な こと に︑ この 時期 商品 陳列 が減 り︑ 文化 催事 が増 えた こと

︑主 催者 と来 場者 の商 品に 対す る志 向性 に乖 離が 生じ たこ と︑ そし て館 の方 針が 貿易 振興 から 保護 主義 に転 じた こと を取 り上 げる

︒第 四章 の産 業奨 励館 時代 は︑ 大陸 に出 兵︑ 移住 した 日本 人に 向け た県 産品 の販 売が

﹁産 業奨 励﹂ の実 態で あっ たこ と︑ 商品 に代 わり この 施設 を飾 った のは 美術 であ った こと

︑そ して

︑美 術の 内容 が自 発的 なも のか ら戦 争協 力・ 賛美

・陶 酔へ と転 じて いっ たこ とに 注意 を払 う︒ 以 上の こと から

︑機 関と して 同施 設は

︑貿 易に よる 発展 を目 指す 市民 の社 交場 とし て企 図さ れな がら

︑最 終的 には 大陸 侵略 を鼓 舞す る装 置に なっ たこ とが 明ら かと なる

︒そ の過 程で 眺望 がき く館 の窓 はカ ーテ ンで 塞が れ︑ 陳列 品は

― 3 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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工芸 的な モノ から 美術 とい う名 のイ メー ジへ と変 わっ てい った こと に注 意を 喚起 して ゆき たい

︒ 一

開館 前 の 動向

日 清・ 日 露 戦争 期 一│

﹁ 貿易 発展 セシ ムル 最良 手段

﹂と して の発 議 一 八九 一年

︵明 治二 四︶ 一月 二日

︑広 島に 在所 があ る有 力商 人二

〇名 は︑ 時の 農商 務大 臣陸 奥宗 光か ら商 業会 議所 の設 立許 可の 指令 を受 ける

︒前 年九 月一 二日 に施 行の 商業 会議 所条 例に 基づ き政 府が 地方 の資 本家 団体 を公 認す るの は︑ 神戸

︑名 古屋

︑岐 阜に 次ぐ 四番 目で

︑東 京︑ 大阪 と時 を同 じく する 全国 的に みて も早 い認 可で あっ た

︒ 市 域単 位の 商工 業者 の意 思表 示と 利益 擁護 を目 的と す る こ の団 体 は︑ 資 本家 の 立 場か ら 行 政 に対 し て 意見 を 述 べ︑ 建議 を起 こす 組織 であ る︒ そう した 彼ら にと って

︑道 府県 や市 単位 で行 政が 設置 する 物産 陳列 所は

︑商 業会 議所 の公 的意 義を 地域 社会 に示 す格 好の 機関 であ り施 設で あっ た︒ なぜ なら それ は︑ 地方 行政 府が

①商 工業 に関 する 調査 と紹 介を 行い

︑② 同じ くそ の指 導・ 補助

・取 引斡 旋を する と同 時に

︑③ 参考 品や 特産 品の 蒐集 と陳 列︑

④展 覧会 や共 進会 の開 催を 業務 とす る行 政機 関で あっ たか らで ある

︒こ れら の業 務は

︑資 本家 の 考 えを 広 く 地 域住 民 に 浸透 さ せ るこ とに 直結 して いた

︒先 述の とお り全 国で もい ち早 く商 業会 議所 を設 立し た広 島の 有力 商人 たち は︑ その 建設 を早 くか ら 志す が 他 府 県に 遅 れ を と る

︒﹃ 広 島 商 工 会 議 所 九

〇 年 史

﹄は そ の 理 由 を

︑日 清 戦 争 期

︵一 八 九 四│ 一 八 九 五 年︶ の好 景気 とそ の後 の反 動恐 慌が この 街の 経済 を安 定さ せな かっ たた めと して いる

一 九〇 二年

︵明 治三 五︶ 六月 二四 日︑ 広島 商業 会議 所会 頭の 桐原 恒三 郎は 広島 県知 事江 木千 之に

﹁商 品陳 列所 設置

原 爆 ド ー ム 前 史

― 4 ―

(6)

ノ建 議﹂ を提 出す る︒ その 書き 出し は﹁ 実業 経営 ニ資 スル 一方 法ト シテ 県下 ニ物 産陳 列所 ノ建 設ヲ 必要 トス ル一 大事 ハ既 ニ一 般県 民ノ 認知 シテ 而カ モ之 ガ実 施ノ 希望 スル 処﹂ とい うも ので あっ た︒ 発議 のき っか けは

︑同 年春 高松 で開 催 され た 第 八 回関 西 府 県聯 合 共 進会 を 視 察 した 広 島 商業 会 議 所 の所 員 に よる 報 告 にあ っ た と され て い る︒ そこ に は

﹁ 実業 ノ改 善発 達ト 物産 陳列 所若 シク ハ見 本館 トノ 関係 ハ益 々接 ナ ルモ ノ

と 書 か れ てい た

︒こ の 文言 か ら︑ 桐 原が 建議 を起 こし た理 由は

﹁実 業ノ 改善 発達

﹂に より

﹁経 営ニ 資ス ル﹂ ため にあ った こと はわ かる

︒だ が同 時に

︑そ こに 業務 内容 に関 する 言及 がな いこ とか ら︑ 彼は 陳列 所の 実態 を把 握し てい なか った こと も物 語っ てい る︒ そ れに 対し

︑一 九一

〇年

︵明 治四 三︶ 八月 三〇 日︑ すな わち 大日 本帝 国が 大韓 帝国 を併 合し た翌 日︑ 広島 市会 議長

の早 速整 爾が 広 島 県知 事 宗像

政に 提 出 した

﹁物 産 陳 列 所設 立 ニ 関ス ル 意 見書

﹂に は

︑そ の 設 置理 由 が 具体 的 に 示さ れて いた

︒そ こに は﹁ 県下 ノ物 産及 ビ内 外ノ 参考 品ヲ 一堂 ニ蒐 集シ テ之 ヲ秩 序的 方法 ニ依 リ陳 列﹂ する とあ る︒ それ によ り﹁ 物 産ニ 関 ス ル知 識 ヲ 其 公衆 ニ 普 及セ シ メ 以テ 貿 易 産 業ヲ 発 展 セシ ム ル 最良 手 段

と 綴 ら れて い る︒ 八 年前 の桐 原の

﹁建 議﹂ とは 異な り︑ 実業 改善 策を 貿易 発展 に定 め︑ 県産 品と 参考 品の 比較 陳列 によ り物 産知 識を 広め

︑そ の照 準を はっ きり と公 衆に 定め てい る︒ 桐 原恒 三郎 は綿 商と 醤油 醸造 業を 家業 とす る商 人で あっ た︒ 会議 所設 立時 の発 起人 の一 人で あり

︑一 八九 二年

︵明 治二 五︶ から 五期 一〇 年間

︑会 頭を 務め る︒ 一八 九三 年︵ 明治 二六

︶に 広島 電燈 株式 会社

︑九 五年

︵明 治二 八︶ には 広島 貯蓄 銀行 を設 立し て日 清戦 争と その 後の 経済 変動 を乗 り切 ろう とし た︒ しか し︑ 日清 戦後 の紡 績不 振に より

︑広 島の 経済 界に おけ る影 響力 を失 って いく

︒そ の後 を襲 い商 業会 議所 会頭 に 就 いた の が 後 に市 会 議 長︑ 最終 的 に は大 蔵大 臣に まで 上り つめ る早 速整 爾で あっ た︒ 彼は 苦学 して 東京 専門 学校 を卒 業し た後

︑一 八八 九年

︵明 治二 二︶ に芸

― 5 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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備日 日新 聞社 主・ 早速 勝三 の養 子と なり 社長 兼主 筆と して 活躍 して いた

︒一 九〇 二年

︵明 治三 五︶ 三月 二五 日の 商業 会議 所法 公布 によ り権 限を 失っ てい く桐 原ら 維新 以来 の老 舗商 人に 代わ り︑ 納税 額と 資本 金の 多さ

︑ま た営 業規 模の 大き さに よっ て広 島経 済界 の主 導権 を握 る立 場に なっ てい た

︒ 早 速は

︑日 露戦 争後

︑人 口流 入が 激し くな った 広島 の都 市部 に生 まれ た中 間層 のイ ンテ リと 一部 の商 工業 者か らな る政 治団 体を 組織 し︑ 実業 発展 の見 地か ら行 財政 改革 と廃 減税 を訴 える 運動 を起 こす

︒韓 国併 合直 後に

﹁意 見書

﹂を 提出 した 理由 は︑ 早速 らが この 時期

︑軍 拡路 線を 進め る藩 閥勢 力や

︑そ れに 追随 する 立憲 政友 会と の対 決姿 勢を 強め て いた か ら で ある

︒﹁ 意 見 書﹂ 提出 の 背 景に は

︑早 速 ら 広島 の 新 興財 界 人 が︑ 大陸 や 南 洋 との 商 取 引の 増 大 を望 む 一方

︑こ の街 の軍 需産 業化 がこ れ以 上進 展し ない よう 歯止 めを かけ る 意 味合 い が あ った

︒彼 ら が﹁ 物 産陳 列 所 設立 ニ関 スル 意見 書﹂ を提 出し た狙 いは

︑軍 需で はな く貿 易に よっ て広 島が 発展 する こと にあ った

︒ 一│

二 都市 部に 建つ 水辺 の社 交場

││ 設置 者と 設計 者が 求め たも の 一 九一

〇年

︵明 治四 三︶ の﹁ 意見 書﹂ を受 け︑ 広島 県会 なら びに 知事 の宗 像は 次年 度か ら四 ケ年 で物 産陳 列館 を建 設す る 計 画を 予 算 化 する

︒﹃ 広 島 県統 計 書﹄ に 載る そ の 総 額は 一 一 万四

〇 四 円で あ っ た

︒ 宗 像は 郷 里 熊本 で 徳 富蘇 峰と とも に政 治結 社相 愛社 に所 属し

︑自 由民 権運 動を 推進 した 経歴 を持 つ人 物で あっ た︒ 一八 九四 年︵ 明治 二七

︶の 第四 回衆 議院 総選 挙で は熊 本五 区で 立憲 自由 党か ら立 候補 して 当選 する

︒そ の後

︑知 事を 歴任 して いた

︒つ まり

︑早 速整 爾と は政 治信 条が 近い 位置 にあ った

︒宗 像の 迅速 十全 な予 算措 置の 背景 には

︑こ うし た民 権主 義的 共感 があ った とみ ても 良い だろ う︒ しか し︑ 陳列 館建 設計 画初 年度 の終 わり にあ たる 一九 一二 年︵ 大正 元︶ 三月 二八 日︑ 宗像 は熊

原 爆 ド ー ム 前 史

― 6 ―

(8)

本県 知事 へ転 出と なる

︒時 の首 相は 立憲 政友 会総 裁の 西園 寺公 望で あっ た︒

藩 閥派 の知 事中 村純 九郎 の一 年の 在任 をは さみ

︑一 九一 三年

︵大 正二

︶二 月二 七日

︑宮 城県 知事 の寺 田祐 之が 広島 県知 事へ 転任 とな る︒ それ によ り建 設計 画の 具体 化が 進む

︒寺 田は 警察 畑出 身で 行政 手腕 に長 け︑ 外国 人観 光客 誘致 を 目的 と し た 宮城 県 松 島湾 沿 岸 一帯 の 公 園 化構 想 で 実績 を 挙 げ てい た

︒そ の 目玉 と し て建 設 し た 松島 パ ー クホ テ ル

︵ 図1

︶の 開業

︵一 九一 三年 八月 一五 日︶ 前に 転出 を余 儀 な くさ れ た 余勢 を 広 島県 に 持 ち 込む か た ちと な る︒ 同 年七 月 には 同 ホ テ ル設 計 者 のヤ ン

・レ ツ ル︵JanLetzel,1880-1925

︶ を物 産 陳 列館 の 設 計 者に 指 名 す る

︒レ ツ ル は 同 年 一

〇 月四 日に その 図面 と仕 様書 一式 を広 島県 庁 に発 送す る︒ 翌一 九一 四年

︵大 正三

︶一 月 には 施工 者が 決ま り︑ 同月 下旬 に着 工と な る︒ 一九 一五 年︵ 大正 四︶ 四月 五日 に広 島 県 物 産 陳 列 館︵ 図2

︶は 落 成 式 を 迎 え た

︒こ うし た経 緯や レツ ルの 日本 にお ける 業 績に 関し ては

︑菊 楽忍 や頴 原澄 子ら の研 究 に 詳 し い た め

︑そ の 詳 細 は そ れ ら に 譲 る

︒こ こ で は︑ 二 名の 別 の 研究 者 に よ る 指 摘に 基づ きな がら

︑こ の建 物創 建時 の特 徴 に注 意を 喚起 して おき たい

図1 松島パークホテル

図2 広島県物産陳列館(左奥に広島商業会議所が 見える)

― 7 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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そ の第 一は 建築 史家

・杉 本俊 多に よる もの であ る

︒ 杉本 によ れば

︑レ ツル が 広 島県 物 産 陳 列館 の 設 計を し て いた 時期

︵一 九一 三年 七月 から 一〇 月初 めま で

︶︑ 彼 の 故国 で は 二つ の

﹁水 辺 の建 築

﹂の 作 例 があ っ た︒ 一 つは レ ツ ルの 母校 プ ラハ 工 芸 美 術学 校 の 師ヤ ン

・コ チ ェラ

︵JanKotěra,1871-1923

︶が 設 計 した チ ェ コ 中北 部 の 都市 フ ラ デツ

・ク ラー ロヴ ェー 市の 市立 博物 館︵ 図3

︶で ある

︒市 街地 を流 れる ラー ベ川 に面 した 敷地 に建 つこ の博 物館 は︑ 広島 の陳 列館 と﹁ 同様 の構 成と ファ サー ド景 観﹂ を持 ち︑

﹁ 水辺 建 築 とし て の デザ イ ン 手法 に つ い て︑ 両者 の 共 通性 は 注 目に 値す る﹂ も ので あっ た︒ もう ひと つは プラ ハの 学校 にお ける コチ ェラ の前 任者 フリ ード リヒ

・オ ーマ ン︵FriedrichOh-

mann,1858-1927

︶が 設 計 した 現 在 はイ タ リ ア領 内 メ ラ ーノ に あ る温 泉 場 保養 施 設

︵図 4︶ であ る

︒こ ち ら は 小 川 沿 いの 散策 路に 面し て造 られ た︒ それ は﹁ 玄関 部に 見ら れる ネオ

・バ ロッ ク様 式の 大げ さな ヴォ リュ ーム 表現

︑そ して 曲面 をな して 張り 出す ファ サー ド︑ 採光 窓を 備え たド ラム とド ーム の構 成な ど﹂ が広 島の 陳列 館と 共通 して いた

︒コ チェ ラの 博物 館は

︑一 九〇 四年 か〇 五年

︑す なわ ちレ ツル が故 国を 離れ 来日 する 一九

〇七 年よ り前 に設 計が 始ま り一 九 一三 年 に 完 成す る

︒オ ー マン の 保 養所 は

︑一 九 一 三年 に 工 事が 始 ま り 同年 末 に 完成 し た 建築 で あ っ た

︒し た が っ て︑ これ らの 設計 と広 島の 陳列 館と の関 係は

︑直 接的 影響 か同 時代 的現 象か 断定 する こと はで きず

︑杉 本も 答え を出 して いな い︒ とは いえ

︑レ ツル の故 国で 彼に 近い 建築 家が 同時 期に

﹁水 辺の 建築

﹂を 手が け同 様の 建築 様式 を示 して いた とい う事 実は 紛れ もな い︒ まし て︑ 松島 パー クホ テル で﹁ 水辺 の建 築﹂ を建 てた ばか りの レツ ルが この 時期

︑広 島に おい ても

﹁水 辺﹂ に正 面を 向け る建 築に 執着 した こと は容 易に 想像 がつ く︒ 広 島県 物産 陳列 館の 建設 にあ たり 敷地 の確 保は 広島 市が 行っ た︒ 確か に広 島市 総務 課土 木係 が相 生橋 と元 安橋 の間 の元 安川 岸の 埋め 立て 工事 を始 めた のは 一九 一三 年︵ 大正 二︶ 一月

︑す なわ ち寺 田が 広島 県知 事に 着任 する ひと 月前

原 爆 ド ー ム 前 史

― 8 ―

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であ る︒ ただ そ れ が陳 列 館 の 敷地 と し て周 辺 民 有地 の 家 屋 解体 工 事 と結 び つ いた の は︑ 同 年 七月 の こ とで あ っ た

︒ こ れは レ ツ ル が陳 列 館 設計 の た め広 島 を 訪 ねた 時 期 に あ た る

︒ し た が っ て︑ 敷 地 内 の 陳 列 館 の 配 置 を 決 定 す る 上 で︑ 寺田 とレ ツル の意 向が 働い た可 能性 は充 分高 い︒ 彼ら には

︑こ れか ら建 てる 陳列 館の 正面 を陸 軍の 練兵 所や 広島 駅が ある 陸側 では なく

︑川 に面 する

﹁水 辺の 建築

﹂と する 理由 があ った

︒設 置者 の寺 田に は松 島パ ーク ホテ ルの 実績 が あり

︑そ の 設 計 者で も あ るレ ツ ル には 故 国 の 建築 家 の 同時 代 の 建 築様 式 に 同調 す る 絶好 の 機 会 であ っ た から で あ る︒ 正面 を﹁ 水辺

﹂に 向け るこ とに よっ て︑ この

﹁陳 列所

﹂に は︑ ホテ ルや 保養 施設 のよ うな

﹁社 交場

﹂と して の要 素が 加え られ たの であ る︒ 第 二の 指摘 は︑ 外地 を含 めた 日本 の陳 列所 を網 羅的 に調 査研 究し た三 宅拓 也に よる もの で ある

︒三 宅 の 分 析に よ れ ば︑ 広島 県 物 産 陳列 館は

︑柵 で囲 って 門を 構え

︑本 館周 囲に 庭 を 設 け る 明 治 期 陳 列 所 の 特 徴

︵図 5︶ と︑ 諸機 能を 一棟 に集 約し て高 層化 する 大正 後期 以 降に 現 わ れ た 都 市 部 陳 列 所 の 特 徴

︵図 6︶ を併 せ持 つ︑ 類ま れな 建造 物で あっ た︒ さら に︑ 地下 に厨 房室 があ り︑ 川に 面し た一 階会 議室 に隣 接し て配 膳場 もあ る会 議場 にお ける

図3 フラデツ・クラーロヴェー市立博物館

図4 メラーノ温泉場の保養施設

― 9 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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会 食 を 前 提 と し た つ く り を し て い た︒ また

︑建 物中 央に 位置 する 楕円 形ド ーム の下 の五 層吹 き抜 けの 螺旋 階段 と︑ 一部 を吹 き抜 けに した 大き な窓 を持 つ陳 列室 など

﹁他 には 例を 見な い豊 な空 間を 有す る﹂ 陳列 所で あっ た︒ 先 に見 たよ う設 置者 の寺 田と 設計 者の レツ ルに は︑ この 時期

﹁水 辺の 建築

﹂に 執着 する 理由 があ った

︒そ の外 観は 柵に 囲わ れた 和洋 二種 の後 庭を 備え る懐 古的 な要 素を 抱え

︑そ の内 観は 五層 吹き 抜け の階 段室 をは じめ とす る複 雑で 豊か な室 内空 間を 特徴 とし た︒ さら に会 議室 で食 事を とる こと もで きる 設計 は︑ 単な る物 産品 を陳 列す る施 設の 域を 越え てい た︒ 寺田 とレ ツル は︑ 和洋 の近 過去 を庭 園で 懐か しみ

︑水 辺の 眺望 と食 事を 楽し みな がら 将来 を語 る社 交場 を広 島の 資本 家と 都市 中間 層の ため に用 意し たの であ る︒

図6 広島県物産陳列館立面図

図5 広島県物産共進会第一会場(広島県物産陳列 館敷地)平面図

原 爆 ド ー ム 前 史

― 10 ―

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一│ 三 最初 の陳 列│

│明 治期 の博 覧会 場を 引き 継ぐ 開場 一 九一 五年

︵大 正四

︶四 月五 日の 落成 式後

︑こ の建 物は 広島 県物 産共 進会 の第 一会 場と して 公開 され る︒ 共進 会と は︑ 農産 物や 手工 業製 品な どを 一堂 に会 して 陳列 し︑ 一般 に公 開す るこ とに よっ てそ の優 劣を 示す 品評 会の こと をい う︒ 明治 時代 初期 から 行政 が主 催し て︑ 各地 の産 業発 展に 貢献 する こと を目 的と した 催し 物で あっ た︒ 道を 挟ん で北 東に 位置 する 陸軍 の西 練兵 場が その 第二 会場 と なっ た

︵図 7︶

︒ 五月 一 四 日ま で の 会期 四

〇 日 間で 約 七 八万 人 が この 催し 物に 来場 する

︒つ まり 一日 平均 二万 人に 迫る 来場 者が 物産 陳列 館と して 開館 する 前の 新築 のこ の建 物に 押し かけ た

︒ この 共進 会に 関し

︑二

〇一 六年 に発 見さ れた 出品 配置 図︵ 図8

︶に よ り︑ 当時 の陳 列状 況の 詳 細 がわ か る よ うに な っ た

︒ それ に よ ると 第 二会 場の 西練 兵場 には 農産 物と 林産 物が 集め られ

︑物 産陳 列館 には 食 品と 手工 業品 がな らべ られ た︒ 館内 の陳 列配 置図 の詳 細を 見て いく と

︑同 館一 階の 左︵ 南側

︶に あり

︑陳 列館 設計 上会 議室 とさ れて いた 部 屋は 審査 室と され

︑応 接室 が隣 接し てい た︒ それ と左 右対 称の 位置 に ある 右︵ 北側

︶の 大部 屋に は農 商務 省商 品陳 列館 から 借用 の参 考品 を 陳列 する ガラ スケ ース 三台 と他 府県 参考 品を 陳列 した ケー ス一 台が 設 置 さ れ て い た

︵図 9︶

︒ 陳 列 館 の 設 計 で は 倉 庫 と さ れ て い た 右 下

︵北 東︶ の 部 屋は 荷 解 場と さ れ︑ そ の他 も 事 務 室な ど バ ック ヤ ー ドと

図7 広島県物産共進会会場図(い=物産陳列館、

ろ=陸軍西練兵場)

― 11 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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され たよ うで ある

︒二 階は

︑楕 円状 の階 段室 に近 い左 右︵ 南北

︶の 陳列 室に 清酒 と食 品が 割当 てら れ︑ それ に隣 接す る大 陳列 室に は︑ 左︵ 南側

︶に 漆器

︑陶 磁器

︑木 竹製 品な ど手 工芸 品が

︑右

︵北 側︶ には 菓子 及飴 包類

︑醤 油︑ 水産 品な どの 食品 類が 陳列 され た︒ 二階 の奥

︵東 側︶ 左右 には 祝祭 具が 大き な場 所を 占め

︑会 場に 華を 添え てい た︒ 祝祭 具の 陳列 に挟 まれ

︑三 階を 吹き 抜け とす る二 階中 央の 最も 見栄 えが する 場に は︑ 県産 品の 地酒 を塔 状に 積み 上げ た舞 台︵ 図儗

︶が 設 置 さ れ︑ 陳列 物 全 体の 花 形 と さ れ て い た︒ 三 階 に 上 が る と

︑左

︵南 側

︶は 足 袋

︑綿 織 物

︑絹 織 物 な ど︑ 右︵ 北側

︶は 花筵

︑茣 蓙畳 表な どの 陳列 が 大き な 場 所 を占 め て いた

︵図 儘︶

︒ これ ら は 総 じて 幕 政 以来 の 商

工業 図8 広島県物産共進会第一会場出品配置図

原 爆 ド ー ム 前 史

― 12 ―

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者に よる 出品 物で ある

︒ 共 進会 写真 帖に 残る 陳列 状況 を写 した 写真 を見 ると

︑こ れら 商品 はほ ぼす べて 木製 のガ ラス ケー スに 収め られ てい る︵ 図9

︑図 儘︶

︒ それ は明 治政 府が 始め た内 国勧 業 博 覧会 の 物 産の 見 せ 方を 踏 襲 す るも の で ある

︒つ ま り﹁ 物 産ニ 関ス ル知 識ヲ 其公 衆ニ 普及 セシ メ﹂ ると は︑ 会議 室に おい て議 論を する こと では なく 審査 をす るこ とで あり

︑審 査員 が下 した 優劣 の結 果を ガラ ス越 しに 来場 者に 伝え るこ とで あっ た︒ 都市 生活 者の ため の民 主的 な社 交場 とし て企 図さ れ︑ 設 計さ れ た 新 築の こ の 建物 は

︑こ の よう な 上 意 下達 の 観 覧形 式 を 取 る施 設 と して 開 場 した の で あ る

︒そ の 一 方 で︑ 同館 竣工 時の 写真 を見 る限 り︑ その 広く とら れた 窓に より

︑こ の建 物自 体が 大き なシ ョウ ケー スの よう な 様 相 を 呈 し て い る

︵図 儙︶

︒ ガ ラ ス ケ ー ス に 収 め られ た参 考品 や県 産品 を観 覧す る来 場者 がシ ョウ ケー スの なか を動 く様 自体 が見 世物 とし て公 衆に アピ ール した こと が想 像で きる

図9 共進会第一会場(物産陳列館)1階農商務省 承認陳列館参考品陳列

図10 共進会第一会場2階中央における広島県地 酒の陳列

― 13 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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この 時︑ 広島 商業 会議 所は

︑共 進会 に 会期 を合 わせ 自ら の所 屋二 階広 間を 会 場 に し て

︑﹁ 国 産 奨 励 品 東 洋 南 洋 市 場 貿易 品展 覧会

﹂を 開催 した

︒一 九〇 七 年に 竣工 して いた 広島 商業 会議 所所 屋 は物 産陳 列館 と道 をは さん で北 向か い に あ り︵ 図2 参 照

︶︑ 共 進 会 第 二 会 場 の西 練兵 場の 西に 位置 して いた

︒つ ま り三 者は 互い に隣 接し てい て︑ 商業 会 議所 で開 催さ れた 貿易 品展 は︑ いわ ば 共進 会の 第三 会場 とし ての 役割 を果 たし たと 伺え る︒ とは いえ

︑入 場者 は六 万六 千人 ほど で共 進会 入場 者 の 十分 の 一 に も満 た な かっ た

︒つ ま り︑ ここ を訪 ねた 客は

︑資 本家 など 一部 の者 に限 られ てい た︒ その 会場 には

︑﹁ 本 邦輸 入品 と之 に対 比す べき 国産 品並 に支 那︑ 南洋 及 印度 市 場 に於 け る 欧 米諸 国 よ りの 輸 入 品見 本 六 百 余点 を 蒐 集し た

﹂ も の が な らん で い だ︒ この 時 期︑ 広 島商 業 会議 所 は

︑第 一 次世 界 大 戦の 開 戦 によ り 輸 出 量が 低 下 した 欧 州 に 代わ り

︑欧 州 製品 代 用 品の 生 産 に 力を 入 れ て い た︒ それ を中 国や 南洋

︑イ ンド をは じめ とす るア ジア

・太 平洋 地域 へ輸 出す るこ とを 目標 に掲 げて いた ので ある

図11 共進会第一会場3階宮島細工陳列

図12 広島県物産陳列館

原 爆 ド ー ム 前 史

― 14 ―

(16)

二 広島 県 物 産陳 列 館 の時 代

第一 次 世 界大 戦 期 二│

一 開館 時の 陳列 状況 と貿 易戦 略 共 進会 閉幕 後︑ 第一 会場 は非 公開 とな る︒ 三ヶ 月の 準備 期間 を経 て同 年八 月一 五日 に迎 えた 広島 県物 産陳 列館 の開 館に あた り︑ 館長 の吉 田壽 信は 以下 のよ うな 式辞 を述 べて いる

︒ 本館

の出 品物 は外 国参 考品 三四 七点

︑他 府県 参考 品四 三〇 点︑ 本県 の出 品六

︑四 二九 点其 陳列 間数 四百 五十 間に 達し 予期 以上 の成 績を 挙ぐ るを 得た り︒

︵文 中の 読点 は引 用者 によ る︶ こ

こで 吉田 がい う︑

﹁ 外国

⁝他 府県 参考 品﹂ の総 数七 七 七 は︑ 前節 最 後 で触 れ た 商業 会 議 所 主催 の 貿 易品 展 出 品数

﹁ 六百 余点

﹂に 一七

〇点 ほど を足 した 数︑ また

﹁本 県 の 出品

﹂数 は

︑共 進 会総 出 品 数か ら 農 産 物な ど 第 二会 場 陳 列品 を引 いた 六︑ 一七 四点

に二 五五 点を 足し た数 とな る︒ これ らを 三ヶ 月の 準 備 期間 中 に 補 った と 考 えれ ば

︑物 産 陳列 館開 館時 の陳 列品 は︑ 共進 会第 一会 場の 出品 物と 商業 会議 所で 開催 され た貿 易品 展出 品物 を基 礎と した と考 える のが 自然 であ ろう

︒こ れに より

︑早 速が

﹁意 見書

﹂で 述べ てい た﹁ 県下 ノ物 産及 ビ内 外ノ 参考 品ヲ 一堂 ニ蒐 集﹂ した 陳列 が実 現し た︒ 吉田 は︑ それ らを 畳に 換算 して 四五

〇枚 分の 棚に なら べた こと を誇 って いる

︒陳 列に 関し ても 共進 会第

― 15 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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一会 場で 用い た木 枠ガ ラス ケー スが その まま 用ら れた と考 えら れる

︒館 長吉 田の 式辞 はこ れに とど まら ず︑ 以下 のよ うに も述 べて いる

︒ 物産

陳列 館の 目的 とす る所 は啻 に商 品の 陳列 を為 すに 止ま らず 当業 者を して 自他 製品 の優 劣精 粗を 比較 研究 せし むる と共 に生 産消 費の 関係 嗜好 需要 の変 遷等 内外 経済 事情 を知 悉せ しめ 由て 以っ て産 業の 振興 を図 るに ある

︒ そ

うし た事 業展 開を 進め るこ とを 館の 使命 と宣 して いる

︒そ して

︑こ の式 辞か ら一 年も 経た ず一 九一 六年 七月 二〇 日 に刊 行 さ れ た﹃ 広 島 県 物 産 陳 列 館 報 告

﹄︵ 図儚

︶に は

︑吉 田 の 弁 に 違 わ な い 産 業 振 興 の た め の 具 体 策 が 掲 載 さ れ た

︒ その

﹁緒 言﹂ には

﹁今 や欧 米諸 国は

︑鋭 意戦 時並 に戦 後の 経済 に処 す る の方 策 を 講 じつ ゝ あ るを 以 て︑ 将 来是 等諸 国に 於け る産 業発 達は 測ら さる 可ら さる もの あら むと す﹂ とあ る︒ つま り︑ 欧州 製品 代用 品の 製造 輸出 を推 奨し た一 年前 の商 業会 議所 の方 針と は異 なり

︑戦 争終 結後 の欧 州製 品復 活後 を見 据え た産 業発 展の あり 方を 全体 テー マに 掲 げて い る

︒そ の 内容 は

◉貿 易︑

◉技 術

︑◉ 雑 纂︑

◉本 館 記 事

︑◉ 口 絵 の 五 部 か ら な り

︑そ の う ち

◉貿 易 の 部 で は

﹁ 英領 印度 の外 国貿 易﹂

﹁玩 具貿 易事 情﹂

﹁ 台湾 の 重 要移 出 入 品﹂ の三 項 目 を挙 げ て い る︒ つま り

︑内 外 の動 向 を 調査 研究 した 結果

︑貿 易対 象地 には イン ドと 台湾 を︑ 今後 注目 すべ き輸 出産 業と して 玩具 製造 を想 定し たの が︑ この 時期 の広 島県 物産 陳列 館が 導き 出し た結 論と 考え られ る︒

﹁英 領印 度﹂ に関 する 記事 によ れば

︑こ の地 を貿 易 相 手先 と す る理 由 は︑ 同 地が 世 界 人 口の 五 分 の一

︑す な わ ち約 三億 の住 民を 有し

︑そ の七 割が 農業 従事 者で ある ため

﹁貿 易輸 出 国 とし て

︑最 も 好 適地

﹂だ か ら とし て い る

︒ その

原 爆 ド ー ム 前 史

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上で 綿織 物︑ 綿製 メリ ヤス

︑ガ ラス 製品

︑マ ッチ の四 品目 を﹁ 日印 貿易 上︑ 重要 なる もの

﹂と し︑ いず れも 欧州 製品 に価 格競 争で 勝ち 抜く こと を奨 励し てい る︒ そ れに 対し

﹁玩 具貿 易事 情﹂ の項 目で は︑ 日本 にお ける 四大 産地

︵東 京︑ 大阪

︑京 都︑ 名古 屋︶ の現 状分 析を した 上で

︑そ の需 要国

・地 域︵ イギ リス

︑ア メリ カ︑ カナ ダ︑ イン ド︑ ハワ イ︑ 中国 漢口

︶の 習慣 嗜好 など の市 場調 査を 踏ま え︑ 低廉 安価 であ るよ りも 輸出 相手 先住 民の 好み に合 う質 の高 い 製 品製 造 を 推 奨し て い る

︒ すな わ ち︑ 原 料は 多様 であ るが 少量 で済 む玩 具と いう 製品 に伝 統工 芸の 技を 含む 高い 技術 を注 ぎ付 加価 値を つけ るこ とに よっ て︑ 広島 が既 存の 供給 国︵ ドイ ツ︑ オー スト リア

︑フ ラン ス︶ と国 内四 大産 地に 対抗 でき る産 地と なる こと を志 して いる

︒ 台 湾に 関し ては

︑横 浜や 神戸 に較 べ広 島 に 地 の利 が あ る植 民 地 貿易 の 相 手 先と し て︑

﹁ 輸入

﹂で は な く﹁ 移入

﹂が もた らす 効果 の分 析を 行っ てい る

︒ 要す るに 広島 県物 産陳 列館 が 発 行し た 最 初 の﹃ 報告

﹄は 綿 織 物︑ 綿製 メ リ ヤス など 既存 産業 製品 の輸 出先 を印 度︑ 原材 料の 入手 元を 台湾 とす る貿 易振 興と 世界 市場 に向 けた 将来 性あ る産 業と して 玩具 製造 を推 奨す ると いう 方針 を打 ち出 して いる

︒ ち なみ に︑ 巻末 には 同館 の﹁ 業 務要 項

﹂が 次 の よう に 記 され て い る︒

﹁参 考 品 陳 列︒ 受託 販 売/ 調 査研 究

︒報 告/ 取引 紹介

︒通 信質 疑/ 図書 新聞 雑誌 閲覧

/図 案調 製︒ 巡回 陳列

﹂︵

/ は改 行︶

︒こ こに 館名 にあ る﹁ 物産 陳列

﹂の 文言 はな い︒ つま り館 員の 業務 とし て陳 列す るの は県 産以 外の

﹁参 考品

﹂と

﹁巡 回﹂ 品に 限ら れて いた

︒質 の高 い内 外の 製品 を県 内業 者に 例示 する こと

︒ま た県 産品 の販 売や 取引 を仲 介す るこ と︒ さら には

︑通 信や 図案 の相 談に のり

︑県 外に 県産 品を 広め るこ と︒ 開館 一年 目の 物産 陳列 館は

︑こ うし た業 務を 自ら の職 分と して いた ので ある

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爆 ド ー ム 前 史

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二│ 二 初期 の展 覧会

│玩 具文 具展 と独 逸俘 虜展

﹃報 告﹄ 発行 から 一年 半あ まり が経 過 し た一 九 一 八年

︵大 正 七︶ 三 月二 五 日︑ 同 館 は﹁ 全国 玩 具 文具 展 覧 会﹂ を四 月一

〇日 まで の期 間で 開催 した

︒﹃ 報 告﹄ に掲 げた 世界 市場 に向 け将 来性 ある 産業 を取 り上 げた 企画 展で ある

︒事 実︑ 第 一次 大 戦 に より 世 界 一の 玩 具 輸出 国 ド イ ツの 生 産 が止 ま り︑ 日 本 の玩 具 輸 出額 は 大 戦間 に 三 倍 に跳 ね 上 がっ て い た

︒ 先に 述べ た玩 具の 国内 四大 産地 を含 む三 府一 二県 を招 致し

︑一 万点 に 達 する 出 品 に よっ て

︑広 島 県下 の 玩 具産 業を 活気 付け させ る目 論見 であ った ので あろ う︒ 同展 の模 様を 当時 の新 聞は

︑以 下の よう に報 じて いる

︒ 会場

は三 階全 部を 充て 其の 上り 口に は玩 具の 図 案 を 施し た 大 額を 掲 げ︑ 会 場の 入 口 は︑ 玩 具部 と 文 具部 と 別 ち︑ 其處 には 藤花

︑櫻 花︑ 虞美 人草 の図 案を 施し た本 邦貿 易玩 具の 生産 額と 輸出 額︑ 鉛筆

︑イ ンキ の輸 出額 など の統

図13 『広島県物産陳列館報告』表 紙(上)と 奥 付(下)、1916 年(大正5)発行

原 爆 ド ー ム 前 史

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計図 表を 掲げ

︑大 円筒 の下 には 同館 の看 守連 が隙 隙に 作っ た大 櫻樹 を飾 り︑ また 酒造 組合 の広 告塔 には 四本 の小 櫻を 配し てあ る︒ こ

こか ら読 み取 れる こと は︑

①館 三階 が今 日で いう 企画 展示 室と して 使わ れた

︒②

﹁大 円筒

﹂と 呼ば れて いた 五層 吹き 抜け の階 段室 が企 画展 への 導入 の役 割を 果た した

︒③ 生産 額や 輸出 額の 統計 図表 を示 すな ど玩 具と 文具 を輸 出産 業と して 捉え てい たこ とな どで ある

︒﹁ 酒 造組 合 の 広告 塔

﹂と は︑ 同 館が 開 館 前に 共 進 会 第一 会 場 とな っ た 際︑ 二階 中央 吹き 抜け に設 置さ れた もの

︵図 儗︶ であ ろう

︒こ こに

﹁小 櫻﹂ など 季節 の花 をあ しら うこ とに よっ て折 々の 会場 演出 が試 みら れて いた こと も窺 い知 れる

︒同 じ紙 面に は﹁ 余興 的設 備﹂ とし て次 のよ うな 記述 もあ る︒ 背景

には 元手 拭組 合の 山水 を応 用し て隧 道を 造り 鉄橋 を架 して 玩具 電車 を運 転さ せた り電 力で 各種 の動 物玩 具を グラ ウン ド内 へ循 環的 に動 かす 装置

︑風 車に 風を 送れ ばそ の回 転に 依っ て家 屋内 に点 灯す る装 置な どを なし 又全 国の 伝説 的玩 具を 線條 で地 図と 連絡 して 陳列 し両 者の 関係 を示 すな ど︒ 斬新 な趣 向を 凝ら し尚 ほ米 国製 家庭 用宝 物幻 灯器

︑凹 凸面 鏡の 応用 など 児童 の趣 味を 感ず る物 があ る︒ 同

年八 月に 同館 が発 行し た﹃ 内 外商 工 彙 報﹄ に は︑ 同展 出 品 の﹁ 動力 に 依 り玩 具 電 車 を運 転 の 光景

﹂︵ 図 儛︶ が唯 一の 写真 図版 とし て掲 載さ れて いる

︒三 年前 の共 進会 では

︑出 品物 が明 治以 来の 木製 ガラ スケ ース に収 めら れた だけ であ った のに 対し

︑こ の度 の出 品物 は動 いた り︑ 点灯 した りす るこ とに 加え

︑ジ オラ マ風 背景 や地 図を 用い た立 体展

― 19 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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示 など 企画 者で ある 同館 が随 所に 来場 者の 目を 楽し ませ る工 夫を 凝ら し たこ とが 伺え る︒ そし て何 より こう した 会場 演出 を記 者は 好意 的に 受 けと めて いる

︒同 展に は会 期一 七日 間で 約七 万人 が来 場し た︒ それ から ほぼ 一年 後︑ 玩具 文具 展の 会期 は半 分で 来場 者は 二倍 を上 回 る一 六 万 人 を記 録 し た展 覧 会 が同 館 で 開 催さ れ た︒

﹁ 似島 獨 逸 俘虜 技 術 工 芸 品展 覧 会﹂

︵ 一九 一 九 年三 月 四 日 から 三 月 一二 日 ま で︶ がそ れ であ る︒ 出品 者は

︑第 一次 大戦 中︑ 中国 青島 に駐 留し てい たド イツ 兵 であ った

︒捕 虜と なり 日本 に連 行さ れた 四︑ 七〇

〇名 のう ち五 四五 名 が広 島湾 沖合 の似 島に ある 検疫 所収 容所 に収 監さ れて いた

︒似 島郷 土 史 家・ 宮 崎 佳 都 夫 に よ れ ば︑ 彼 ら の 行 動 は 朝 晩 の 点 呼 以 外 は 自 由 で

︑広 島市 内な ど地 域住 民と の交 流も 盛ん であ った

︒展 覧会 に関 して は︑ 本 文三 四 頁 に およ ぶ 目 録︵ 図儜

︶が 現 存し て お り︑ そ こか ら 三 二六 点 の 出品 物 の 詳 細 が 確 認 で き る

︒そ れ ら は

﹁ 芸術

﹂﹁ 手工 芸﹂

﹁ 技術

﹂﹁ 教育 活動

﹂の 四分 野に 分け られ

︑そ の中 身は 絵画 や写 真か ら旋 盤を 使わ ずに 作っ たチ ェス 駒や ハン モッ ク︑ 蒸気 機関 車や 蒸気 船の 模型 や建 築設 計図 など 多岐 に及 んで いた

︒加 えて 捕虜 中四 六名 もい た教 師た ち が普 段 広 島 近隣 で 開 講し て い た授 業 プ ロ グラ ム も 出展 さ れ て いた

︒さ ら に は︑ 展覧 会 場 の軽 食 堂 で はシ ュ ナ ッ プ ス︑ リ キュ ー ル

︑香 水︑ 薬 品が 陳 列 即売 さ れ てい た

︵図 儝︶

︒ 明治 期 の 博覧 会 然 とし た ガ ラ スケ ー ス の陳 列 で 商 品 に手 を触 れる こと さえ でき なか った 従来 の広 島県 物産 陳列 館の 来場 者に とっ て︑ その 後時 折同 館で 物産 即売 会は 開催

図14 玩具文具展覧会場における電車模型の陳列 光景(線路の背景は山間のジオラマとなっ ている)

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され たも のの

︑そ こに ある もの を食 し︑ 味見 した 上で 購入 でき るシ ステ ムは 画期 的で あり

︑衝 撃的 でさ えあ った と想 像さ れる

︒ 明 治以 来来 日し てき た限 られ た数 の技 術官 僚や 教師 では なく

︑数 百人 規模 の市 井の 欧州 人の 長期 にわ たる 滞在 は︑ 彼ら の文 化を 広島 市民 に身 近 なも の に 感 じ さ せ た に 違 い な い︒ その さら なる 窓口 とし て本 展の 果た した 役割 は大 きい

︒さ らに 即売 や食 堂の 開設 が従 来の 陳列 室に ない 身近 さを 来場 者の 記憶 に刷 り込 んだ こと も重 要で あろ う︒ 一日 平均 にす れば 開館 前の 同館 で開 催さ れた 共進 会の それ に匹 敵す る一 万九 千人 に迫 る入 場者 数が その 反響 の大 きさ を物 語っ てい る︒ 二│

三 玩具

・木 竹工 芸・ 広告 図案

││ 物産 陳列 館時 代に 推奨 され た産 業 表 2に 掲げ る一 覧は

︑二

〇一

〇年 に広 島県 立美 術館 で開 催さ れた 展覧 会﹁ 廣島 から 広島

│ ドー ムが 見つ め続 けた 街展

﹂に 際し 発行 され た図 録に 掲載 され た菊 楽忍 編﹁ 広島 県物 産陳 列館 年表

﹂か ら同 館が 物産 陳列 館と 名乗 って いた

図15 「似島獨逸俘虜技術工芸品展覧会」出品目録 表紙

図16 似島獨逸俘虜技術工芸品展覧会即売会場

― 21 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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表2 広島県物産陳列館で開催された共進会・品評会・展覧会(1915. 4. 5.-1920.

12. 31)

原 爆 ド ー ム 前 史

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(24)

時代 に開 催さ れた 共進 会︑ 品評 会︑ 展覧 会を 抽出 した もの であ る︒ それ によ ると 同館 開館 の一 九一 五年 八月 一五 日か ら改 称前 の一 九二

〇年 一二 月三 一日 まで の五 年三 ヶ月 あま りの 間に

︑四 八回 この 種の 催し が開 催さ れた

︒つ まり 物産 陳列 館時 代︑ 年平 均ほ ぼ九 回の 企画 陳列 が行 われ てい たこ とに なる

︒ こ のう ち広 島県 美術 展覧 会な ど直 接産 業振 興と 関わ りを 持た ない 文化 催事 が九 回︑ 年平 均に する と一

・七 回開 催さ れ︑ やは り産 業振 興と 直接 関わ らな い国 策展

︵生 活改 造展 覧会

︶が 一回 開催 され

︑そ れら を差 し引 いた 三八 回が 産業 振興 に関 わる 催事 であ った こと にな る︒ こ うし た結 果は

︑後 述す る改 称後 の事 業内 容︵ 表3

︑4

︶と 比較 して はじ めて

︑そ の特 徴を 指摘 する こと がで きる が︑ この 時点 でい える こと は︑ 物産 陳列 館時 代︑ 同館 は県 産品 によ る企 画陳 列を 主と し︑ それ に時 折︑ 全国 学用 品展 覧会

︵表 2四 番目

︶︑ 第 3回 国産 巡 回 展 覧会

︵表 2一 六 番 目︶

︑全 国 特 産品 展 覧 会︵ 表2 一 九番 目

︶な ど を織 り 交 ぜ︑ 他府 県の 動向 を示 すこ とに よっ て︑ 県内 商工 業者 や県 民に 対す る啓 発を 心が けて いた こと がわ かる

︒ そ う し た 意味 で は︑ 前 節で 取 り 上げ た

﹁全 国 玩 具文 具 展 覧会

﹂︵ 表 2二 三 番 目

︶同 様

︑﹁ 全 国 林 産 工 芸 参 考 品 展 覧 会﹂

︵ 表2 二五 番目

︶は 業種 とし て特 化し た全 国展 であ り︑ しか もそ れに 続け て﹁ 広島 県林 産工 芸参 品品 評会

﹂︵ 表2 二六 番目

︶を 開催 する こと によ って

︑こ の業 種の 啓発 が計 画的 に行 われ てい たこ とも 浮き 彫り にな って くる

︒ さ らに は︑ 表2 一番 に登 場す る﹁ 広告 資料 展覧 会﹂ をは じめ

︑﹁ 図 案応 用作 品展 覧会

﹂︵ 表2 九番 目︶

︑﹁ 広 告絵 札展 覧会

﹂︵ 表 2一 一番 目︶

︑﹁ 商 品包 装紙 レッ テル 展覧 会﹂

︵表 2二 八番 目︶ など 紙媒 体に 印刷 する 広告 図案 に関 する 展覧 会を 頻繁 に開 催し てい るこ とが 目を 引く

︒ こ の期 間︑ 同館 に対 する 国の 介入 は少 なく

︑広 島県 は玩 具︑ 文具

︑木 竹工 業の 育成 を心 がけ てい た︒ そし て︑ 他府

― 23 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

(25)

県や 海外 の貿 易相 手国 に商 品を 売り 込む ため 紙媒 体の 広告 と包 装紙 など の改 良開 発に 力を 入れ てい た︒ こう した こと が︑ 物産 陳列 館で 開催 され た催 し物 によ って 浮き 彫り にな って くる

︒そ うし た意 味に おい ても

︑前 節で 触れ た﹁ 似島 獨逸 俘虜 製作 品展 覧会

﹂︵ 表 2三

〇番 目︶ は︑ 玩具 先進 国 で あり

︑ポ ス タ ーな ど 広 告デ ザ イ ン の分 野 で も蓄 積 と 先進 性を 兼ね 備え たド イツ 人に よる 展覧 会 と し て見 本 と なっ た

︒ま た︑ 半 年後 に 開 催 され た

﹁商 品 陳列 会

﹂︵ 表2 三 六番 目︶ で﹁ 百貨 店式 に販 売﹂ が採 用さ れた よう に︑ 同展 は来 場者 のみ なら ず館 員な ど主 催者 側に も影 響を 及ぼ した 展覧 会で あっ たこ とが 伺え る︒ 三

広島 県 商 品陳 列 所 の時 代

戦間 期 三│

一 改称 後の 催事 の特 徴│

│文 化催 事の 増加 と多 様化 一 九二 一年

︵大 正一

〇︶ 一月 一日

︑広 島県 物産 陳列 館は 広島 県商 品陳 列所 と改 称さ れる

︒前 年四 月二 二日 に農 商務 省か ら通 達さ れた 省令 第四 号﹁ 道府 県市 立商 品陳 列所 規定

﹂に した がっ た措 置で あっ た︒ 先に も名 を挙 げた 三宅 拓也 によ れば

︑明 治期 から 全国 各地 の中 核都 市で 設立 され た物 産陳 列場 もし くは 商品 陳列 所の 運営 実態 は︑ 地域 ごと の固 有性 に委 ねら れて いた

︒し かし 概ね

︑﹁ 国 内 的・ 地 方的 で あ り地 方 物 産の 陳 列・ 販 売 を主 と す る﹂ 前者 と

﹁国 際 的で あり

︑調 査・ 研究 的事 業も 行う

﹂後 者に 大別 でき るも ので あ っ た

︒ 農商 務 省 令﹁ 商 品陳 列 所 規定

﹂の 意 図 は︑ これ ら すべ て を﹁ 貿 易を 主 眼 に 置い た 活 動を 中 心 に据 え る

﹂ 機 関 へ と指 導 す るこ と に あ った

︒そ の た め︑ 職員 の 職 制整 備を 行い

︑農 商務 大臣 へ年 度こ との 予算 と業 務成 績の 報告 を義 務づ ける

︒ひ いて は︑ 一八 九七 年に 設立 され た農 商務

原 爆 ド ー ム 前 史

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省商 品陳 列館 を頂 点と する 陳列 所の 全国 組織 化を はか るた めの 通達 であ った

︒ し か し な がら

︑そ の 試 みは 挫 折 する

︒関 東 大 震 災に よ る 農商 務 省 商品 陳 列 館 焼失 に と もな う 活 動 停 止

︵一 九 二 三 年︶

︑ 農商 務 省 の 商工 省 と 農 林 省 へ の 分 離 解 体

︵一 九 二 五 年︶ な ど が そ の 要 因 と さ れ て い る

︒名 称 だ け は 全 国 的 に

﹁ 商品 陳列 所﹂ もし くは

﹁商 品陳 列館

﹂に 統一 され たも のの

︑各 地陳 列所 の質 的状 況は

︑﹁ 規定

﹂制 定前 と大 きく 変わ るこ とは なか った とい う

︒ こ の件 に関 し︑ 広島 にお ける 状況 はど のよ うな もの であ った か︒ 表2 と同 様の 方法 で抽 出し た表 3│ 1と 表3

│2 に掲 げる 広島 県商 品陳 列所 時代 の催 事一 覧を 表2 と比 較す るこ とに よっ て︑ その 実態 が見 えて くる

︒ ま ず︑ 期間 と事 業頻 度に つい て︑ 商品 陳列 所時 代は 一九 二一 年一 月一 日か ら一 九三 三年 一〇 月三 一日 まで の一 一年 一〇 ヶ月 間で 八六 回の 催事 が開 催さ れた

︒平 均す ると 年に 約 七 回 のペ ー ス で物 産 陳 列館 時 代 に 較べ 二 回 減っ て い る︒ この 間︑ 文化 に関 わる 展覧 会は 三九 回︑ 年平 均に する と三

・三 回開 催さ れ︑ こち らは 物産 陳列 館時 代に 較べ

︑ほ ぼ倍 増し てい る︒ また 文化 展は 昭和

︵一 九二 六年

︶以 降︑ 目に 見え 頻度 を増 して いる

︒国 策展 には 戦争 や産 業に 関わ れる もの が含 まれ るよ うに なり 全一 二回

︑年 一回 を上 回る ペー スで 実施 され た︒ これ は五 年三 ヶ月 で一 回の みの 開催 であ った 物産 陳列 館時 代と 較べ 六倍 に迫 る頻 度で ある

︒ 産 業︑ 文化

︑国 策と 分け るこ とが でき るこ れら 催事 を個 々に 見て いく と︑ まず 産業 に関 して は︑ 物産 陳列 館時 代に は三 八回 のう ち五 回が

﹁全 国玩 具文 具展

﹂な ど県 産品 を他 府県 品と 比較 する 催し であ った

︒そ れに 対し

︑商 品陳 列所 時代 には 三五 回の うち 一〇 回が 他府 県品 と比 較す る全 国展 であ る︒ つま り物 産陳 列館 時代 は県 産品 のみ を紹 介す る機 会 が多 か っ た のに 対 し︑ 商 品陳 列 所 に改 称 後

︑国 産 品を 広 く 紹介 す る 陳 列が 頻 度 でい え ば 倍以 上 に 増 え た

︒と は い

― 25 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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え︑ それ は﹁ 貿易 を中 心に 据え た活 動﹂ では ない

︒ま た︑ 時代 が下 がる ほど 後述 する よう 商工 省の 指導 によ る国 内産 業を 保護 する 展覧 会も 増え てく る︒ 産業 に関 する 催事 に関 し︑ 総じ てい えば

︑商 品陳 列所 時代 は貿 易に 対し 消極 的で あっ た︒ 農商 務省 が改 称通 達に 込め た思 いを 裏切 る皮 肉な 結果 とな って いる

︒ し かし

︑そ れに も増 して 商品 陳列 所時 代で 注目 され るの は︑ 文化 に関 わる 催事 の多 さと 多様 性で ある

︒物 産陳 列館 時代 には

︑そ の大 半が 広島 県美 術展 関連 の催 しに とど まっ てい たの に対 し︑ 商品 陳列 所時 代に は︑ 写真

︑手 工芸

︑書 道等 個別 ジャ ンル に別 れた 展覧 会が 開か れる

︒ま た︑ その 出品 者も 教員 や広 島美 術院 など 職種 や会 派に 属す る者 ごと に細 分化 され てい く︒ 一九

〇二 年︵ 明治 三五

︶に 設置 され た広 島高 等師 範学 校は

︑一 九二

〇年

︵大 正九

︶か ら生 徒数 を七

〇〇 名に 増や し︑ それ にと もな う教 員の 増員 を行 って いた

︒必 然的 に 高 等教 育 を 受 けた 市 内 人口 が 増 え︑ この 街の 市民 の文 化に 対す る価 値観 が多 様化 して いく

︒文 化に 関す る展 覧会 の多 様化 の理 由は

︑そ の結 果と もい える

︒一 九二 九年

︵昭 和四

︶の 広島 文理 科大 学の 設立 は︑ この 流れ を決 定的 なも のに した と思 われ る︒

﹁ ドイ ツ人 制作 肉筆 ポス ター 展覧 会

﹂︵ 一 九 二四 年 五 月︑ 表3 一九 番 目︶ や﹁ 高 級佛 蘭 西 刺 繍展 覧 会﹂

︵ 一九 二 六 年八 月︑ 表3 三五 番目

︶な ど産 業展 に数 えた もの のな かに は︑ 欧州 文化 と深 く関 わる もの も含 まれ てい る︒ また

︑国 策展 のな かに も﹁ アメ リカ から 来た お人 形 の 展 覧会

﹂︵ 一 九 二七 年 四 月︑ 表3 三九 番 目︶ と そ の返 礼 展︵ 一 九二 七 年 一〇 月︑ 表3 四 四番 目

︶の よ う に米 国 と の友 好 関 係を 維 持 し よう と し たも の も あ った

︒国 家 が 貿易 保 護 主 義 に 向 か う な か︑ 同館 は︑ 少な くと も一 九二 七年 まで は欧 米文 化を 積極 的に 紹介 する 姿勢 を崩 して いな かっ た︒

原 爆 ド ー ム 前 史

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表3-1 広島県商品陳列所で開催された共進会・品評会・展覧会(1921. 1. 1.- 1927. 11. 7)

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爆 ド ー ム 前 史

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表3-2 広島県商品陳列所で開催された共進会・品評会・展覧会(1928. 2. 1.- 1933. 10. 31)

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三│ 二 主催 者と 受容 者の 意識 の乖 離│

│第 四回 全国 菓子 飴大 品評 会 前 節で 述べ たよ うに 農商 務省 の通 達に より 名称 変更 をし た広 島県 商品 陳列 所は

︑一 九二

〇年 代後 半か ら商 工省 の指 導に した がい 催事 を内 向化 させ てい く︒ しか し︑ そう した 兆し を示 した 催事 が︑ 早く も改 称か ら三 ヶ月 後に 開催 され てい る︒ 一九 二一 年四 月一 日か ら四 月一 五 日 ま で開 か れ た﹁ 第四 回 全 国菓 子 飴 大 品評 会

﹂︵ 表3 二 番目

︶が そ れ であ る︒ 前章 二節 で触 れた 玩具 文具 展は

︑﹁ 全 国﹂ と謳 いな が ら も出 品 地 域は 三 府 一二 県 に と どま り

︑来 場 者も 県 民 のみ を想 定し た広 島県 の主 催事 業で あっ た︒ それ に対 し︑ この 会は 業界 主催 で︑ 出品 者に は北 海道 から 台湾

︑朝 鮮︑ 満州 の 業者 も 含 ま れて い た︒ ま た︑ 広島 駅 と 己斐 駅 に 歓 迎ア ー チ を設 け る な ど他 府 県 から の 来 場者 を 見 込 む催 事 で あ っ た︒ さら に︑ 会場 も三 階の みの 使用 であ った 玩具 文具 展に 対し

︑こ の度 は︑ 二︑ 三階 両階 を使 用し た大 規模 な陳 列が 行わ れた

︒ し かし なが ら︑ 規模 の大 きさ や歓 迎ム ード の華 やか さと は裏 腹に

︑こ の催 事に 対す る評 価は 芳し いも ので はな かっ た︒

﹃ 中国 新聞

﹄が 四回 にわ たっ て連 載し た﹁ 菓子 飴品 評会 瞥見 記﹂ は︑

﹁会 場全 体が

︑桜 と藤 で飾 った のが まず けば けば しい

⁝⁝ 並べ られ たせ っか くの 菓 子が 映 え な い目 立 た ない

﹂︵ 図 儞︑ 償︶ と評 し て い る︒ 先に 挙 げ た玩 具 文 具展 に寄 せた 好意 的な 記事 とは 対照 的で ある

︒ そ うし たな か︑

﹁ 瞥見 記﹂ の記 者は 個々 の店 舗装 飾や 包装 デザ イン に寸 評を 加え なが ら︑

﹁ぴ か一 は︑ ココ アを 無料 配 布し た か ら では な い が︑ 森永 製 菓 の出 店 レ イ アウ ト が 最高 だ っ た﹂ と し てい る

︒一 八 九九 年

︵明 治 三四

︶の 創 業 後︑ ミル クキ ャラ メル の販 売と エン ゼル マー クの 商標 登録 で成 功を 収め た森 永製 菓は

︑輸 出専 用ビ スケ ット の生 産や 輸入 した 原料 カカ オ豆 から 国内 初の チョ コレ ート 製造 を実 現す るな ど︑ 加工 貿易 で利 益を あげ る菓 子業 界の トッ プ企

― 29 ― 原

爆 ド ー ム 前 史

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業に 成長 して いた

︒一 九一 九年

︵大 正八

︶八 月に はミ ルク ココ アの 発売 を開 始し

︑一 九二

〇年

︵大 正九

︶三 月の 福岡 工業 博覧 会で は﹁ 森永 ココ アホ ール

﹂と 名付 けた 売店 を特 設し て好 評を 博 し てい た

︒そ の 余 勢を 駆 っ て広 島 の 品評 会会 場で は五 万杯 のコ コア の無 料配 布を 行い

︑注 目を 集め る︒ し かし

︑広 島で 開催 され た菓 子飴 品評 会が 名誉 賞金 牌を 授け たの は尾 道芳 選堂 カス テー ラと 広島 製飴 会社 の澱 粉飴 で あっ た

︒こ れ は 主催 者 に よる

︑﹁ 地 方 物産 の 陳 列・ 販 売﹂ を推 進 す る﹁ 物産 陳 列 場﹂ 的裁 定 に 他 な ら な い

︒森 永 製菓 のよ うに

﹁国 際的 であ り︑ 調査

・研 究的 事業 も行 う﹂

﹁ 商品 陳列 所﹂ 的企 業の 商品 は評 価さ れな かっ た︒ 本 展の 三ヶ 月前 に広 島県 物産 陳列 館の 名称 は︑ 貿易 重視 を意 味す る﹁ 商品 陳列 所﹂ に変 わっ てい た︒ また 広島 市民 は二 年前 の獨 逸俘 虜技 術工 芸品 展で

︑ド イツ の味 と文 化に 親し みを 覚え てい た︒ そう した 彼ら にと って

︑洗 練さ れた 店舗 や包 装︑ また 国際 的な 商品 を支 持す るこ とは 自然 の流 れで あっ たは ずで ある

︒に もか かわ らず

︑主 催者 など 資本 図17 第四回全国菓子飴大品 評 会

(1921年4月)陳列風景

図18 第四回全国菓子飴大品 評 会

(1921年4月)陳列風景

原 爆 ド ー ム 前 史

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表 2 広島県物産陳列館で開催された共進会・品評会・展覧会(1915. 4. 5.-1920. 12. 31) 原 爆 ド ー ム 前 史 ― 22 ―
表 3-1 広島県商品陳列所で開催された共進会・品評会・展覧会(1921. 1. 1.- 1.-1927. 11. 7) ― 27 ―原爆ドーム前史
表 3-2 広島県商品陳列所で開催された共進会・品評会・展覧会(1928. 2. 1.- 1.-1933. 10. 31) 原 爆 ド ー ム 前 史 ― 28 ―
表 4 広島県産業奨励館で開催された共進会・品評会・展覧会(1933. 11. 1.- 1.-1944. 3. 31) ― 39 ―原爆ドーム前史

参照

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