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満洲観光の大衆化

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Academic year: 2021

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― 59 ― 修士論文要約

満洲観光の大衆化

―内地と大陸を媒介したジャパン・ツーリスト・ビューローに着目して―

Popularization of Manchuria Tourism

Focusing on Japan Tourist Bureau, which Connected Japan Island and Mainland China

山口 耀平

YAMAGUCHI Yohei

キーワード:旅行の大衆化,満洲観光,ジャパン・ツーリスト・ビューロー Keywords: Popularization of Travel, Manchuria Tourism, Japan Tourist Bureau,

1.研究の背景と目的

 本研究は,日本統治下の植民地観光に関する歴 史学的研究の文脈に位置付けることができる.同 分野の研究においては,主にナショナリズムや天 皇制に関係する研究の蓄積が多く見られる.なか でも,戦跡のような観光地や,朝鮮総督府や南満 洲鉄道株式会社などの統治機構,修学旅行のよう な学校関係者による旅行を研究対象したものが見 られる.

 しかし,こうした植民地観光の研究において,

日本内地との関係性に関する分析はこれまでなさ れてこなかった.特に大正期以降におこった日本 内地における旅行の大衆化と植民地の関係性は見 過ごされてきた.

 こうした背景もあり,旅行の大衆化の影響を多 く受けている旅客斡旋機関ジャパン・ツーリス ト・ビューロー(以下,JTB)と植民地の関係性 の分析を正面から行った研究はあまり見られない.

 こうした問題意識のもと本論文では JTB が内 地発の満洲旅行者に対して果たした役割に着目す ることで,旅行の大衆化が満洲観光に与えた影響 を明らかにする.

2.研究の方法と手続き

 本研究は歴史学を方法論とする.史料としては  JTB 関係の社史,旅行者の手記,旅行雑誌を使

用した.JTB の分析に関しては社史である『五十 年史:1912‑1962』と,当時従業員に配布したと 考えられる『ビューロー読本』や旅行案内書『旅 程と費用概算』を使用した.また,JTB 大連支 部の分析には,社史である『東亜旅行社満洲支部 十五年誌』を使用する.JTB を利用した旅行者 の分析には,旅行雑誌『旅行満洲』や国会図書館 に所蔵された手記を使用する.

3.研究の概要

 本研究は 7 章で構成されている.

 第 1 章では,研究の背景,研究目的と研究方法 を示した.

 第 2 章では,先行研究をもとに戦前期における 日本国内の観光の概要を論じた.特に本章では,

日本内地における旅行の大衆化に関して詳細を論 じた.

 第 3 章では先行研究をもとに満洲観光の概要に ついて論じた.「帝国の輪郭」を確認する旅行と しての性質が強く見られる満洲観光の性質を南満 洲鉄道株式会社,戦跡などの観光地を中心に論じ た.

 第 4 章では JTB の概要について論じた.外客 誘致機関として「産声」をあげた JTB は,昭和 期における旅行の大衆化のなかで日本人を対象と した業務を開始した.

 こうした中で,JTB は内地から満洲への旅客

立教観光学研究紀要   第 22 号  2020 年 3 月 St. Paulʼs Annals of Tourism Research No.22 March ʼ20 pp.59-60.

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St. Paul’s Annals of Tourism Research (SAT) No.22

斡旋も開始する.そして,1925(大正 15)年に,

鮮満案内所内に JTB 管轄の案内所を設置する.

これにより,満鉄の旅客斡旋業務を JTB が代行 することになった.現地の JTB 大連支部も,昭 和初期には日本人を対象とした業務を開始し,案 内所を満鉄沿線に張り巡らした.こうして,内地 と満洲の両方に日本人を対象とした斡旋網が構築 されることになる.

 こうした動向は,「満洲国」建国とともに旅行 者が増加することで更に拡大する.案内所は地理 的に拡大し,内地人への宣伝業務の強化をおこな い『旅行満洲』などの雑誌を発行するようになっ た.

 第 5 章では,1918(大正 7)年から 1925(大正 15)年までの期間に満鉄によっておこなわれた旅 客斡旋と,その状況下での旅行を分析した.

 1918(大正 7)年に満鉄によって鮮満案内所が 設置される.これにより満洲への窓口が一般に開 かれることになる.業務内容としては,情報提供 や切符販売などであった.

 そこで,満鉄による旅客斡旋が行われていた時 期における旅行の状況を分析した.私的な旅行と 公的な旅行,満鉄社員の旅行の 3 つの手記から,

宿泊施設や観光地における案内役の確保をどのよ うにして行なっていたのかを分析した.

 結果,三つの旅行記から旅行者は現地に存在す る 「コネクション」を利用しながら旅行をしてい たことが判明した.  しかし,そうしたなかでも 旅行者は宿泊施設や観光地の案内役を獲得する過 程で様々な困難に巻き込まれていることが判明し た.そのため,満鉄による斡旋下での旅行者への 便宜という点では十分と言える状況ではなかっ た.そのため,満洲に「コネクション」のない旅 行者とって旅行は厳しいものであったと考えられ る.

 第 6 章では,大衆化のなかで日本人に対して業 務を開始した JTB が満洲観光に対して果たした 役割を分析した.まず,満洲への旅客斡旋を担う 機関のスタンスに変化が見られるようになる.そ れは JTB が「旅客第一」という「サービス業」

の性質を持っていたことである.それ以前は,満 鉄による「満蒙開発」を目的とした旅客斡旋であっ た.それが,「旅客第一」の斡旋になった.こう

した意識は JTB のサービス拡充に反映されてい ると考えて良いであろう.

 1925(大正 15)年には,鮮満案内所内出張所 を設立したことで,満鉄の業務を JTB 本部が代 行することになる.そして,これまで業務になかっ た添乗員付きでの団体旅行の組織化が始まる.こ れにより,新中間階層や女性などにも満洲旅行に 参加可能な条件が生み出される.

 さらに,「満洲国」建国以後は,国内での「満 洲熱」の高まりとあいまって旅客へのサービスを 拡大していく.そして,旅行者に提供する旅行可 能範囲を拡大させていく中で,宿泊施設と観光地 の案内役の点で利便性を高めていく.

 宿泊施設の確保の点では,「東亜遊覧券」や「旅 館券」により利便性を高めた.しかし,それでも 宿泊施設に対しては批判が存在したのも事実で あった.

 また,観光地における案内役の確保の面では,

現地の JTB 大連支部が案内所を全満洲に張り巡 らし旅客の便宜を図った.特に北満地域など満洲 事変以後拡大した鉄道網に沿うかたちで案内所網 を拡大させていった.

 こうした中で,「コネクション」を持たない一 般旅行者に対しても満洲への旅行が可能な条件が 整備されていった.

4.結論

 本研究によってこれまで,「コネクション」を 有する旅行者にのみ開かれていた満洲観光は,旅 行の大衆化ともに日本人に業務を開始した JTB を媒介にして大衆にも開かれるようになったこと を明らかにした.

 当初は,学校関係者や農商業関係者に限定され てきた満洲観光は,旅行の大衆化とともに  JTB が業務を開始することで新中間階層と呼ばれるよ うな「コネクション」のないような人々にも開か れていった.さらに,満洲旅行は,JTB  による 便宜の拡大と 1930 年代以降の帝国の拡大と連動 しながら「コネクション」 のない日本人にも門戸 を開くことになるのであった.■

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