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(1)

伴う土地利用の変化

著者

山本 正三, 森本 健弘, 石井 英也, 根田 克彦

雑誌名

筑波大学人文地理学研究

13

ページ

147- 189

発行年

1989- 03- 25

(2)

茨城県波崎町における都市化および農業の

近代化に伴う土地利用の変化

山 オ

ζ

正 三 ・ 森 本 {

建 弘 ネ @

石 井 英 也 ・

1

長 田 克 彦 ネ キ

I VャIセ

E 都市イヒの進j良 と 操 業 の 近 代 化 II- 1 人 口 と 就 業 構 造 の 変 化 豆 一2 専 兼 業 別 農 家 数 の 推 移 II-3 農 業 の 近 代 化

I は

E 土 地 利 用 の 変 化 m - l 土 地 利 用 の 集 約 化 亜 ー2 土 地 利 用 の 粗 放 化 m - 3 土 地 利 用 上 の 補 完 関 係

N

おわりに

じめに

茨 城 県 波rfJ奇111日 丸 東 は 太 平 洋 , 四 と 南 は 利 根 川 に 萌 し , い わ ゆ る 鹿 島 半 島 の 先 端 部 に 位 置 す る ( 第

l 図). 鹿島半. 1 誌には砂丘地が広がり,人川まかつては一般に,生産性の低い畑と掘り下げ田で米麦

やせ請を組みをけっせた伝統的農業を営んで、きた. しかし,波崎町は高度経済成長期以降, とくに

1960

N ャセ

多くの労働力子

llJ

易を提供し,都TI1化を推進する一方,農業の近代化の契機をもたらした. その結果,

土地資源を矛

U

有 す る 秩 序 と そ の 方 法 も 著 し く 変 化 し た . こ の 報 告 は , そ の 実 態 を 明 ら か に す る こ と を 目 的 と す る も の で あ る .

ところでづ二j也 利 用 と は , 人 間 社 会 集 団 と 環 境 と の 関 部 の 仕 方 の 一 つ の 表 現 型 で あ る . 地 域 が 変 化 す るということトま,人間社会集団と環境との関係, 換 言 す れ ば , 土 地 資 源 の 利 用 の 秩 序 が 変 化 す る こ と を 意 味 し て し 、 る . そ の た め , 都 市 化 や 観 光 化 し つ つ あ る 地 域 や , 近 郊 農 業 地 域 に 変 貌 し つ つ あ る 地 域 のゴニ地利月

3

はヲミに複雑である. こ れ ら の 地 域 で は , 商j百や高層の建物に混じって空地があったり,集 約 的 な 農 業 に 矛 日 用 さ れ る 土 地 と 併 存 し て 植 林 地 が 存 在 す る と い っ た 具 合 で あ る . つ ま り , 社 会 的 休 閑 地や粗放的矛

U

J

唱 に 供 さ れ て い る 土 地 が 多 く , そ

J

' 1 . . .らは都市的土地利用で、あれ, ,農業的土地利用であ

れ , 集 約i拘な矛

IJ A

に供されている土地と混在してし、るといった特徴を有する. 集約的な土地の利用は

新 し い 地 域 摂 片 生 へ の 土 地 利 用 上 の 対 応 形 態 で あ り , 荒 地 や 粗 放 的 な 利 用 はp 地域特性の変化に伴って

少 な く と も 一l時的に利用価値を減じた土地であることが多いわ. しかし, これはあくまでも一般論で

ある. 土地矛

5

月ヨの変化は,その地域の変化以前のゴ二地利

A

の状態と新しい土地利用技術の相克から生

まれるものであり,そのメカニズムは地域によって異なるものと考えられる. より小さいスケーノレで

見れば,あるこ

E

二地所有者の考え方ゃある農家の労樹j力事情などによっても影響される. また,変化の

過程で、生まオ1る 遊 休 地 も , さ ま ざ ま な 一 時 的 利 用 法 を 模 索 し つ つ , 長 期 的 利 用 に 供 さ れ る よ う に な

る. その複新

u

ミ仁実態を明らかにし,土地利用の変イヒ,ひいては地域変化に関する研究に寄与したいと

筑 波 大t学ブミ学院地球科学研究科

(3)

o 2J,11l

J

土地干JI)lj nlの 純Iffl

(4)

いうのがこの研究の最終的目標である

ー ゥiャ ャ ゥZiセQ N

l埼IHJでも,都ili 化や農業の近代化の実態は; 場所によって異なるからである. そのうえで,土地利用の

集約化と粗放化の傾向,それに余剰刺│ 地の有効利用の試みについて考察する.

E 都 市 化 の 進 展 と 農 業 の 近 代 化

-

1

人 口 と 就 業 構 造 の 変 化

波崎町与における人仁! と就業構造の変化を検討す』るために,

1955

年から

1985

年までの

A

..

口と産業別就 業 者 数 の 推 移 を 第

2

図に示した. ただし

1955

年の値には,波崎町ーへの合併以前だった若松村の佑を合 計してある. この図によれば,波崎町の人口は,

1965

年以降

I

こ減少から増加へと転じ,

1980

年 頃 ま で

Z_セN

1965

年に

2

4

077

人であった人口は,

1980

年には

3

5

111

人となり,

1985

年には

3

6

129

人に達した. この人仁l増加は,就業構造の大きな変化を伴っていた. 二全就業者数に 対 す る 産 業7JU就業者数の割合をみると,

1955

年 に は 第 一 次 産 業 就 業 者 が

6

7

.

8 %

と高く, とくに農業就 業者が

5

0

.

9 %

を占めていた. しかし

1965

年頃以降,第一次産業就業者は大きく減少し, 第 二 次 ・ 第 三 次産業就業者が急増した.

1985

年には,第一次産業

21. 3%

, 第 二 次 産 業

39. 5%

, 第 三 次 産 業

39. 0%

で あり,農業就業者は

15. 5%

に ま で 減 少 し た . こ の 人 口 増 加 と 就 業 時 造 の 変 化 は , 鹿 島 開 発 を 契 機 と し

て生じた. 関連工事の着工や進出企業の操業開始によって,土木・建設業を中心に, ) 羽機会が著し

く増加した一方,多くの農家が農地を提供したこともあって, IIIJ内 の 労 働 力 が 第 二 次 産 業 ・ 第 三 次 産 業 へ 急 速 に 移 行 し た . そ の う え , こ れ ら の 産

(人)

業 の 従 事 者 とそ の 家族が,大 量に転入したか らである3),4)

人iコと就業構造の変化の様相は,場所によ

って異なっていた. まず,人口の変化の地域 :lO,000

差を検討するため,

1980

年の地区別人口分布

と,

1970

年から

1980

年 ま で の 地

i

玄yJIj 人口増加

率とを,第3 民に示した. この図によれば,

1980

年 に 人 口 が 集 中 し て い た 地 区 は , 南 端 部 の波崎市街地とその北西に近接する諸地区で あ っ た . し か し こ の 地 域 の 人 口 の 変 化 を く わしくみると,波崎市街地で人口が減少する

一方,市街地の北西に近接する地区で,

2 0 %

から

4 0 %

以上の増加が起きていたことがわか

る. この変化は,市街地の住民の転出によっ

て生じている. 波1I崎市街地では, 多 数 の 漁 船 員 が 居 住 す る 借 家 も 含 め5), 家 屋 が 密 集 し

20. 000

ゴ1,就業

U

A

U

}

S町、

A

U

l

] 955 ] 9GO1 %5 1970 1975 1980 1985

第2図 波崎町‘ における人口と産業別就業主き- 数の推移

(5)

i 地 区 は , 鹿 島 開 発 に よ っ て 造 成 さ れ た 住

宅 団 地 や 波flr奇工業団地を含む地区と,被

1

I崎工業団地の近接地に

i

浪られる.

地は中音1 ) の土合目jj白地区と新

)1

1

1

j也地

区p お よ び 汲;11/奇 工 業 団 地 の 周 辺 に あ る

6) さらに波崎工業団地周辺では, 幹 線

道 路 の 整 備 と 土 地 区 画 整 理 事 業 が 行 わ

れ,宅地イとが進められている

次 に , 就 業 構 造 の 変 化 の 地 域 差 を 検 討

するため, 1970年と1980年についてp

業 別 就 業 者 数 構 成 比 に よ っ て 地 匿 を 類 型

化 し , 第4図 に 示 し た . 類 型 化 は 次 の 方

) } ) ︽ -t

-一

ι ‘ : } } } ! ︿ 1 { l i J 1 5 1 1 ・ L j l

(

、〆︼

h

U

υ

U } } , ( ( 2 3 J I ( L

人::LJi!t))!JIヂ(%)

U

U

20. 0- : i ! J . CJ

( ) - ] セャNセI@

減 少

第3国波崎町における人口分布 ( 1980i

= !三) と

人口増加率 ( 1970年' "' -' 1980年〉

( 資料: 国勢調査)

て人口が櫛密であった. しかし1965年 頃

から,漁船員の鹿島I 3FJ発 に 関 連 す る 業 種

へ の 業 が 増 加 し た こ とy 家 屋 や 道 路 の

形態、がモータリゼーションへの対応に不

適 当 な こ と , 一 般 に 家 屋 が 手 狭 と 感 じ ら

れるようvこなっずこことなと、がj京区! となっ

て,市街地住民の市住f地 周 辺 へ の 移 転 が

あいついだ.

仁1=1部 か ら 北 部 の 大 部 分 はj1M;村 地 域 で あ

り,人口は少なく,人口増加率も低い地

区 が 多 い . 人 口 の 集i中と急増がみられる

法 で 行 っ た . す な わ ちp 第 一 次 産 業 就 業

者 が5 0 %以上の地区をA類 型 , 第 二 次 産

業 就 業 者 が5 0 %以上の地区をC煩 型 , 第

三 次 産 業 就 業 者 が5 0 %以上の地区をD類型としたうえで, どの産業の就業者も5 0 %未 満 の 地 区 を , 第

一 次 産 業 就 業 者 が3 0 %以上のB類型と, 30. %未満のE とにわけた.

QYWP ェ iセ

業就業者が最多の! 時期である( 第2図). 第 一 次 産 業 就 業 者 の 多 さ を 反 映 し 合 計- 44地 区 の う ちA類

型 が23区と最も多く B類型がこれについて 8地区であった. IIIJの北端部からIE!波崎町城北部まで,

第 一 次 産 業 就 業 者 が か な り 多 い 状 態 で あ っ た こ と が わ か る. A類型の地匿の広がりは, セi ヲ Zェ ゥ■

の一部を除く,

i

皮lJ!tIl1!

JJ

或 の 大 部 分 を 占 め , そ の 周 囲 に B 類 型 の 地 区 が 点 在 し て い た .

c

型のj並区

は , 土 合 団 地 地 区 , 新

)1

1

団地地区と,南部の一部に存在していた. jjlTj 住宅団地は,そこに居住する就

(6)

(

) 2hn

1970 1980

第4 図 産 業 別 就 業 類 型 の 分 布 と そ の 推 移 ( 資料: 国勢調査)

ていた. E 類 型 の 地 区 は , 波111奇市街地の西部と波11時工業団地にあった.

1980{ j

三 に は , 第 二 次 ・ 第 三 次 産 業 そ れ ぞ れ の 就 業 者 数 が , 第 一 次 産 業 就 業 者 数 を 上 回 っ て い た ( 第

2

図) .

A

類型は

8

地 区 に 減 少 す る 一 方

B

類型は

14

地区,

D

類 型 は

3

地 区

E

類 型 は

15

地 区 へ と 増 加した.

c

類 型 の 地 区 は3 地 区 で あ っ た lllJの 全 域 で 第 二 次 産 業 と 第 三 次 産 業 の 就 業 者 の 割 合 が 増 加 し,就業の多様化が進展したことがわかる. 第一次産業就業者の卓越するA類 型 の 地

i

玄は,

I

日矢田部村 j或とIEl 若松村j或の境界付近に集中している. しかしA類型地区のj苛

I

l

l

i

には,

A

類型からB 類 型 に 変 化 し た 地 区 が ひ ろ く 連 な り , 第 一 次 産 業 就 業 者 が や や 多 い 地 区 の 広 が り は い ま だ に 大 き い . 第 二 次 産 業 な い し 第 三 次 産 業 の 就 業 者 が 卓 越 す る

C

D .

E

類 型 の 広 が り は , 波i崎 市 街 地 と そ の 周 辺 地 区 , 波11時 工 業 団 地 地 区 と そ の 周 辺 地 区 で そ れ ぞ れ 拡 大 し た .

11- 2

専 兼 業 別 農 家 数 の 推 移

(7)

第1 表 Al ャャゥ iijj W} Qェ HQYVP セQYXU I

農 家 数 専業 第一種兼業農家 第二種兼業; 農家

i恒

勤常務! 向

l

!iulJ

IJ m

I

附 ぎ ! 叫 業

l

!忠j豆包引i出引i叩iち:古常1務附芳11布日iキi時J』k={jづ寸J!l巨三 附 さ

l

〆i久 二l 三rr-I

l i

i

l

:

と あJ:;;マ元

1960 ,1 595 1,033 316 74 69 4 169 246 69 53 1 123 1965 ,1527 812 401 130 130 20 121 314 96 71 10 137 1970 ,1417 684 425 177 204 3 41 308 91 82 3 132 1975 L276 159 697 260 395 4 38 420 202 103 2 113

1980 J,242 481 404 309 49 2 34 357 214 46 96

1985 ,1 168 429 386 313 39 34 353 228 34 90

ー一一一一一一一一一一一一一一一

( 資料: 各年次農業センサλ )

( 33. 1%

)

, 第 二 兼 業 農 家 数 は

246

( 15. 4%

)

から

3

5

3

( 30. 2%

)

にそれぞれ増加している.

しかし,専兼業

J

J

I j 農家数や兼業種類別農家数の推移は)

1975

年頃を境に大きく異なっている.

1975

年以前は,

i

皇: 家の減少と兼業化が激しく進行したI l 寺湖といえる. この年までに,総農家数は

1

276

へ , 専 業 農 家 数 は

1

5

9

戸 へ と 減 少 し 逆 に 第 一 種 兼 業 農 家 数 は

697

戸‘ へ,第二

f

I

t

l

兼 業 農 家 数 は

420

戸 へ

と急増しずこ. 家としての主な兼業種類では) iセャ Q ]Q

ャ_ャr[ iャセェZN QYWU [

のである. 家としての主な兼業種類では,

1

:

]

い・

l

即時雇いが減少し,恒常的勤務が増加して,

1985

年 に は 兼 業 農 家 の

73%

を占めるようになった. 不安定兼業の減少と専業農家の増加! は,鹿島開発に関

連する土木・建設工事が一段落したことに関係があると忠、われる.

1985

年 に お い て , 専 業 農 家 と 第 一

d

r

o : 31¥111

1セIWP@ 1975 1980

1985

(8)

経兼業農家を合わせた, Iセ

い る 農 家 は , 全 農 家 の

69. 8%

に 達 す る . 茨 城

県 全 体 の 専 業 農 家 率 は

13. 6%

, 第 一 種 兼 業 農

家 率 は

2

2

.

9 %

で あ る か ら , 波1吋11 11]ーにおけーる農

業 に 依 存 す る 農 家 の 訓 合 は , 非 常 に 高 い と い

える. さ ら に , 業 農 家 の

9 5 .

6 %

にあたる

410戸に男子生産斗三

l

船人口が存在し,

家 の 経 営 の 但 い 手 が 充 実 し て い る と い え る .

セゥj

討 す る た め , 専 兼 業 別 農 家 数 の 構 成 比 に よ っ

て 操 業 集 落 を 類 型 化 し , 第

51

i

に 示 し た . 類

型 化 は 次 の 方 法 で 行 っ た . す な わ ち

家 が

5 0 %

以 上 の 農 業 集 落 をa類 型 , 第 一 種 兼

業 農 家 が

5 0 %

以 上 の 農 業 集 落 を c 第 二

種 兼 業 農 家 が

5 0 %

以 上 の 農 業 集 落 を

d

類型と

したうえで, ど の 種 類 の 農 家 も

5 0 %

未 満 の 農

業 集 落 を , 専 業 農 家 が

3 0 %

以 上 のb類型と,

3 0 %

未満のe類型とに分け寸こ{ ,泣:111奇IIIJの農業

集- 落名称は第61苅 に 示 し た .

1970

年には,

34

集 務 の う ちa類 型 が

1

7

集 落

でb類 型 が10集 落 と , 専 業 農 家 の 比 較 的 多 い

農 業 集 落 が 多 か っ た . 他 の 類 の 集 落 数 はc

11:1入ー111i'f/;什

( ) 2 1、l l J

[ セsGOセ 'N

一一一一一一一111111]+J 涜1

第6函波奇IiI I11Jの農業集落と! 日IIlJ村

( 波崎町役場の資料による)

類 型

3

,cl 類 型

2

, e類 型

2

と 少 数 だ っ た a類型と

b

類型の農業集落の広がりは,

1

1

ヨ矢田部村域中

央 部 や11ヨ波i崎I f l J i 或の海岸沿いの楽器などを除き, 1 HJj ! J ! Z のほぼ全体を占めていた.

1975

年には, a類 型

は0,b類 型 は2 と , 専 業 農 家 の 比 較 的 多 い 農 業 集 落 が 激 減 し た . 一 方 , c類 型 は

1

9

d

類 型 は4,

e類 型 は

9

と , 兼 業 農 家 の 比11史的多い農業集落が増加した.

1970

年 にa類 型 や

b

類 型 で あ っ た 農 業 集

落 の 大 部 分 が , 第 一 種 兼 業 農 家 が 卓 越 す る c類 型 に 変 わ っ た こ と が わ か る .

そ の 後 の 専 業 農 家 増 加 を 反 映 し て ,

1980

年 の 類 型 別 農 業 集 落 はa類 型 が

7

b

類 型 が

1

3

,C類 型 が

0

, cl 類 型 が

3

, そ し てe類 型 が

1

1

となった.

1985

年 ま で 、 に は 兼 業 農 家 率 が や や 加 し た た め , 類 型

別 農 業 集 落 数 はa 類 型 が

7

,b類 型 が

9

,C類 型 が

3

d

類 型 が

5

,e類 型 が

1

0

となった.

1975

年 か

1985

年 に か け て は , 専 業 農 家 率 の 高 い 農 業 集 落 と そ う で な い 農 業 集 落 の 場 所iめな分化が,

1970

年 に

比 べ て 明 僚 に な っ て い る . 専 業 農 家 率 の 高 い 農 業 集 落 は , 11ヨ若松村j或南部から

i

日矢田部村域北部にか

け て の , 回 押 揚 ・ 須

1

3

3

1

兵・東須

1

1

1

・-1-lIl

J

歩を中心とする一帯や,

I

日夕ミ出昔日村域南部の仲新l五・抑槌な

どや, I日滋1時1 II/J j或利根川沿し、の別所・高野・木弘前である. 兼業農家の多い; 操業集務は, 11ヨ若松村域北

(9)

あ る . 北 部 に お け る 兼 業 化 の 進 行 は , 鹿 島 開 発 の 用 地 買 収 が こ の 地 域 に 集iやしたこと,波111奇工業団地 や そ の 周 辺 部 へ 企 業 の 立 地 が 進 行 し て き た こ と と 関 係 が あ る .

-

3

農 業 の 近 代 化

1) 農 業 の 変 化

波1[1奇Il l Tに お け る 農 業 の 変 化 を , 経 営 耕 地 面 積 の 推 移 ( 第2 表), 作 物 種 類 別 収 穫 面 積 の 推 移 ( 第3

まりから検討しよう. まず,経営耕地総面積は, 1 9 6 0年の 2,0 8 9 . 3 haから, 1985年 の 1,2 6 8 . 1 haへと

大きく減少している. これに伴って, 7. 長家一戸当たりの平均経営耕地面積は, 1 9 6 0年の1. 3111αから,

1985年の1. 09hα に減少した. し か し 耕 地 面 積 の 減 少 は , 1 9 6 5年 か ら1 9 7 5年の11サに集中して起きてお

り,それ以前と以後の耕地面積の変化はわずかで、ある. 制地面積減少の最大の要因は, 1 9 6 4年 か ら 着

手 さ れ た 鹿 島 開 発 の 用 地 買 収 で あ っ た . 用 地 買 収 は , い わ ゆ る 16

4方 式

J

によって行われた. これ

は, 開 発 匿 域 内 に 土 地 を 所 有 す る 者 の 全 員 が , 所 有

i

面積の4割を提供する方式で、あったり. 波崎町4内

で は 買 収 の 目 標 面 積656hα に対し, 1971年まで、に768hα が 買 収 さ れ , 代 替 地 の 支 給 は あ っ た も の の , 耕

地 面 積 は 大111日に減少した.

1 9 6 0年の耕地面積の内訳は, 1壬1 3 7 .1 %,畑6 0 .4 %, 樹 園 地2 . 5 %であった.

:

v

1 !! 面積の卓越は, [HTJ或

第 2表 波崎町における; 種類別経営i01地面積および耕作放棄j自国績の推移 ( 1960王子' "' - 1985 年)

経営耕地

出 セQ Qャ@ ェセ

101

fF

不H): J 白

一時的休斜地 放 棄 j也

日川州、十11延平岡" 面積三十

I

面 積 計

国 お │

T

:uf 1111 セ jj ェ [ZセZ[

間積率 く、守

ha ha ha

( 一96)

ha ha ヲ4 ha ha ラ6

1960 2,089. 3 774. 4 ,1 262. 3 3ド >.-: 、

52. 6 半 セォ@

1965 2, 085 794 ( ー ) ,1 220 37 ( 3. 0) 71 キ 可1

1970 ,1 737. 7 876. 3 7. 8 ( 0 . 9 ) 827. 4 125. 6 ( 15. 2)

34

セ\、 斗c

1975 ,1 325. 2 680. 5 65. 6 ( 9. 6) 602. 2 117. 4 ( 19. 5) 42. 5 78. 6 (1 9. 2) 1980 ,1360. 5 686. 9 70. 4 ( 10. 2) 659. 7 223. 2 ( 33. 8) 13. 9 140. 9 ( 29. 2) 1985 ,1 268. 1 609. 3 83. 0 ( 13. 8) 655. 1

121

8 ( 18. 6) 3. 7 95. 1

( 22. 1) 資 料 : 各 年 次 農 業 セ ン サ ス

* 統計{直なし.

第 3表 波III奇II!Jにおけ

年 !

f

│ 変 類 │ し 槻 │ 誠 │ 豆 類 │ 叫 │ 普 通

I

I

セシ

ャイ

1960 775 926 812 247 16 174

2 6 29 2

1965 774 360 649 422 6 150 >.三 、:*・

15 70 2

1970 885 12 78 352 40 169 70 0. 5 19 4 5

1975 608 37 177 2 86 140 37 20 6

1980 617 20 93 6 36 244 6 74 12 6

1985 506 3 8 44 2 12 466 11 130 4 10

(10)

の大部分が保水力に乏しい砂質土援に覆われているという自然条件を反映していた. そして,

E

El の大

部分は,砂質土壌を地下水面まで、人力で掘り下げて造成された,掘り下げ

m

であっため. しかし, セQiャ@

面積は,

1965

i

I

'

三から

1975

年の│ 苛に,

1960

年の約

2

分の

l

の 面 積 へ と 大 幅 に 減 少 し た . そ れ 以 後 に は わ

ずかな

1

4

1

加があったに過ぎない. 一方, EEI 前

i

積は,

1970

年 ま で 増 加 し た も の の , そ れ 以 後 は 減 少 傾 向

にある.

1970{ i

三までの EEl面積の増加l は, ビニーノレ水田が盛んに造成されたためである. それt J 、後の減

少は,米の生産調整政策が関係したものである. 樹園地l I

i

i

積は

1975

年以降に急減した.

1985

年 に お け

る耕地商積の内訳をみると, EEI

48. 0

%, セQ Qi@

5

1.

7

% , 樹

i

型地

0 .

3 %

と,

1

1

1

と仰がほぼ等しくなってい

る. すなわち,

:

1

1l I 面積の減少が著しかったのである.

さらに,羽1:)也 荷 積 の 減 少 と 並 行 し て , 一 時 的 休 耕 地 , お よ び 耕 作 放 棄 地 の 割 合 が 非 常 に 高 く な っ て

き た ( 第

2

表). 農 林 業 セ ン サ ス 農 家 調 査 に お い て , 耕 作 さ れ な い 農 地 は ,

r

調 査 日 前 一 年 制 作 付

しなかった

1

1

1

HセイョI@

J

と「耕作放棄地

J

と に 分 け て 調 査 さ れ て い る9) そ し て 耕 作 放 棄 地 は 経 営 耕 地

に含まれていない. 本稿では使宜上, l ' 調査日前一年間作付しなかった

1

1

1

対(

1

1

)

J

を 「 回 (j

1

:

1I) の

一 時 的 休 耕 地

J

と呼び, I一時的体制ー地」と 1-セ QZ h

にする. 第

2

表 の 「 不 耕 作 農 地 率 」 は , 総 経 営 耕 地 面 積 と 耕 作 放 棄 地 部

1

誌の合計に対する,不耕作農

地面積の割合である.

1985

年の茨城県全体では, EEIの 一 時 的 体 耕 地 面 積 の EEI面 積 に 対 す る 割 合 は

4

.

5

%, ェZ QhセQi セェZiセG セiij UNYE UNXE N これに対し

波崎町ーでは,

1

1

1

の 一 時 的 休 耕 地 率 が

13. 8%

, 矧 の 一 時 的 休 耕 地 率 が

18. 6%

, 不 制 作 農 地 率 が

2

2

.

1 %

し 一 時 的 休

M

J

せや不耕作農地の多さは,波

1

1

府IlIJの大きな特徴であるといえる.

次 に , 波

1

1

1

奇IllJの 農 業 の 主 要 な 作 物 の 変 濯 を 検 討 し よ う . 第

3

表によれば,

1965

年以降, セih

化が著しかったことがわかる. まず,

1960

年から

1965

年頃までのr -

I

H

作物では, い も 工 芸 作

物鋲が卓越していた. し、も存! の中心は澱粉原料用の

1

=

1

-

藷で、あり10), 工 芸 作 物 到 の 中 心 は 菜 タ パ コ と 落

花生で、あった。 小麦を主とする麦類は,

)

:

1

1

1

の 夏 作 物 の 表 作 と し て 作 付 さ れ て い た11) これらに次く、、露

地 野 菜 類 の う ち で は , ス イ カ が 主 要 な 商 品

f

l

三物で、あり,京浜市場へも

I:U

M

f

されていた. さらに,果樹

栽 培 も 場 所 に よ っ て は 重 要 で あ っ た . 稲 作 の 大 部 分 は 掘 り 下 げ 日 ! で 行 わ れ て お り , 生 皮 性 は 低 か っ

た. このように,

1960

年 代 前 半 ま で の 波 崎 町 域 で は , 砂 質 の 土 壌 に 対 応 し て , 侃 り 下 げ EEI中心の稲作

Q サ ャ セャ ャi ヲャ N

しかし,

1970

年 ま で にy 支 類 と い も 類 の 収 穫 面 積 が 激 減 し た . こ れ は , 小 麦 と ト ウ モ ロ コ シ の 輸 入

自由化により,小麦や澱粉原料FJ :J

-

1

=

1

-

藷の

{

i

l

l

i

格 が 低 落 し た た め で あ る . さ ら に

1975

年前後から,

物 類 と 露 地 野 菜 類 の 収 穫 面 積 が 激 減 し た . イM Q Qi Ei SSセi

た土地利用的な作物の衰退により,

1965

年の約1 ,

6

0

4

h

α

か ら

1975

年 の 約

4

8

7

h

α

へ減少した.

一方,

1970

年以降には,施設野菜類の収穫面積が著しく増加し,

1985

年1[こは対l I

fF

物 総 収 穫 面 積 の 約

6 8 %

を占めている. 施設野菜類に次し、で収穫面積の増加が著しいのは,花丹・花木類である. このよ

シ i ャj j A Q iセij vま,粗放的ないし土地利用的な作物の栽暗から,集約的な

i

i

芸 に 移 行

してきた. 稲の収穫面積はビニーノレ水 EEIの造成‘ によって

1970

年 ま で 桶 加 し た が , そ れ 以 降 に は , 米 の

(11)

家1,

084

戸 の う ち , 施 設 園 芸 部 門 の 販 売 額 を 第 一 位 と す る 農 家 は

747

(6

8

.

9 %

)

に の ぼ り , 施 設 閤 芸

N iセ

の 主 要 な 作 物 は 千 両 と 若 松 で あ る12)

波崎町のピーマン栽培は,

1949

年に導入された露地栽培! 日! 種の栽培に始まるといわれる13) しか

し ピ ー マ ン の 作 付 面 積 の 推 移 ( 第

7

図 ) や 耕 種 作 物 生 産 額 の 椛 成 比 の 推 移 ( 第

8

1

玄l ) によれば, ピ

ーマンの栽培商積は,

1960

年代前半まではさほど伸びず,

1960

年 代 の 後 半 か ら 急 速 に 増 大 し た こ と が

わかる. ピーマン栽培の発展ーには,いくつかの要因や契機、があった,大きな要因の一つは,

1960

年 代

の前半に導入が試みられたさまざまな作物の仁ドで, ピ ー マ ン が 最 も よ い 結 果 を 示 し た こ と で あ っ た .

つ ま り , 温 援 な 気 候 , 水 は け の よ い 砂 質 土 と い っ た こ の 地 域 の 自 然 環 境 が , ピ ー マ ン の 栽 培 に 有 利 で

あ っ た の で あ るl A) この時期以降,

E

!

木 の 所 得 水 準 が 上 昇 し 食 生 活 が 欧 風 化 す る に つ れ て ピ ー マ ン の

需 要 が 増 大 し て き た こ と , 鹿 島 開 発 に 伴 う 交 通 条 件 の 整 備 と 自 動 車 の 普 及 に よ っ て , 首 都 閣 の 外 縁 に

i

宣 す る 本 地 域 か ら も 京 浜 地 域 へ 野 菜 類 を 有 利 に 出 荷 で き る よ う に な っ た こ と が , ピ ー マ ン 栽 培 の 発

展 を 可 能 に し た . ま た , 鹿 島

}

I

自発による用地買収に伴って行二われた農業経営改善対策事業は,

1960

代の後半に,

I

E

l

若 松 村 域 をこ!l二1心に, ピーマンのトンネノレ栽培を普及させる大きな要因であった15) し

か し トンネル栽培への助成

V

X

1985

年 ま で に

266

戸 の 農 家 の

1

3

5

.

87ho

を対象に行- われたがp ビニー

ノレノ¥ウスを対象とする助成は,

1985

年 ま で に

20

戸を対象として行われただけで、ある. ゆえに,農業経

-)

)

(

i

i

H

k

i

t

-i

(

: 30( )

セHIHI@

100

r

J

(

1970 1975 ( 年)

第 7函 波崎町におけるピーマンの作付面積の推移

( 波崎町農協青果物共撰所資料による. )

営改善対策事業は, ビニーノレノ¥ウスによるピー

マ ン 栽 培 の 発 展 の 前 段 階 を 形 成 し た 契 機 と い え

る.

出荷組織の整備が進められたことも, ピーマ

ン 栽 培 発 展 の 大 き な 安IZSIであった.

1967

年 に 組

織された波崎町青果物共同販売連合会は, ピー

マ ン の 共 同 出 荷 の ほ か , 種 子 や 生 産 資 材 の 共 同

購入を行い, ピ ー マ ン 栽 培 の 普 及 に 寄 与 し た .

また,

1970

年に波崎町干土ピーマンについて国の

野 菜 指 定 地 と な り , 価 格 保 証 を 受 け る と と も

に , 国 の 補 助 事 業 な ど に よ っ て 生 産 施 設 ・ 集 出

荷 施 設 の 整 備 が 進 め ら れ る こ と と な っ た . 栽 培

技術の面では, ビニーノレノ、ウスでのピーマン栽

培が,

1963

年 頃 か ら 一 部 導 入 さ れ て い た が ,

1970

年代に一般に普及した. その大部分は, 自

己 資 金 や 農 業 近 代 化 資 金 に よ っ て 建 設 さ れ た も

のであった. ビニーノレを

2

重にし, さ ら に 内 部

にビニーノレと保温マットからなる

2

重 の 小 ト ン

(12)

iセ

1970

年前後に行われた.

1

9

7

0

: (

二│ 三代の後半には,間

1 8 m

の大型のビニールハウスが建てられるよう

に な っ た . 以 上 の よ う な 施 設 の 改 善 は , 作 業 効 率

の向ヒや収穫期の延長を可能にし, ピーマン栽培

の発展の安│ 主! となった.

1970

年代後半には, ピー

マン

1

1

1

1

程の更新とともに,

1

2

作 の 導 入16), 促

成 栽i音の導入が進んだ. これは,生産量の増大と

栽 培

JJJ]

l

i

o

i

J

の延長を可能にするとともに, ピーマン

と 他 の 作 物 と の 組 合 せ を 可 能 に し , 施 設 闘 芸 の 発

展 に 大 き く 寄 与 し た17)

以 上 で み た よ う に , 波1[/奇1I1Jは

1970

年代を通じて

ピ ー マ ン 産 地 と し て 急 速 な 発 展 を 遂 げ て き た .

1

9

8

0

:(:1

三頃以降, こ の 地 域 の ピ ー マ ン 生 産 は 安 定 期

に入ったといわれている. しかし,一方では,

手 県 や 長 野 県 の 産 地 と の 競 合 や , 全 国 的 な 生 産 過

剰に伴う市場{ ilfi格の停 jji;: , 連 作 障 害 の 発 生 と い っ

た問題が明らかになってきている. このような問

題への対応や,労働の逓正化の意味方、ら, ピーマ 1960 65 70 75 80 (年)

ン と 組 み 合 わ せ る ス イ カ と メ ロ ン の 作 付 を 増 や し X QQQ}B セji

推f

t

:

たり, ビニーノレノ、ゥスで花丹やトマトの栽培を始 ( 資 料 農 業 所 得 統 計 )

めたりする農家が増加している. この地域の施設園芸は, ピーマンを中心としながら多様化しつつあ

るとし、えるお)

ピーマン栽培の一方で、,波崎町・ 1土,全国の約

6

割から 7 割を生産する臼木ーの千両産地で、あり,千

両 と 組 み 合 わ せ て 栽 培 さ れ る こ と の 多 い 若 松 に つ い て も , 丹 波 地 方 と 並 ぶ 大 産 地 で あ る . 波 崎 町 に お

ける千両栽培は,

1914

(大正3) 年に南部の本郷集落で、

g

j

家 用 と し て 始 め ら れ た . そ の 後 , 東 京 の 市

場 に 販 路 が ! 清 け る と 急 速 に 普 及 し 昭 和 初 期 に は 栽 培 面 積 が

40

切 に 達 し た と い わ れ て い る . 第 二 次 世

界 大 戦 時 期 に 栽 培 面 積 は 激 減 し た が , 戦 後 の 経 済 復 興 や

1960

年 代 以 降 の 高 度 経 済 成 長 と と も に 再 び 増

加した. 栽培農家は台風や立ち枯れ病などの害を,

I

ガタヤ」とH子ばれる施設の改良や,

I:H

fF

:

1) ・土

壌 改 良 な ど に よ り 克 服 し , 現 在 の 産 地 を 築 い て き た19) .

波崎町における千両栽培は,産地としての歴史が古く, し か も 栽 培 規 模 が 大 き い こ と か ら , 生 産 か

ら販売まで、すべて細人生産者によって行われ,さまざまな特徴を持っている. 栽培農家は,現在,

170

から

180

戸にのぼるが,経営形態から, HQI iセャ (2) iセャ

のほかに,イ告の農家が栽培した千両も買い取って販売する農家, (3)自 家 で 栽 培 し た 千 両 の 収 穫 ・ 調 整

(13)

セAゥェ N ャゥェ ャo ィ

QP N HSI セャャェ

行 い , 収 穫 ・ 調 整 ・ 出 荷 の 作 業 を(2)の農家に任せて,却! ごと青日日

t

;

りする農家である. この形態の農

家は

1

0

aから

3

0

。 ᅫェセ RP SP N

多数の農家は, 1自

E

主! 家で

代に,現在の鹿島町j或 で 栽 培 さ れ る よ う に な っ た と さ れ て い る . そ の 後 , 鹿 島 か ら 行 方 郡 に か

けて広範凶に普及した. 波11/奇IllJにおける若松栽培は, セャゥェ

f

Jil

i

格がイ111び悩んだ

1

9

7

5

年頃から,急速に発展した. 若松は, j也 味 の よ い 土 よ り も , 波 崎 町1或をjよく覆う砂質土壌のよ

うなやせ地に適した作物であるので,波崎町喝の若松は市場評

f

iJJiが 高 い と い わ れ る . 千 両 栽 培 農 家 の ほ

ぼ3分 のl は,

l

安松栽培も兼ねている20)

セii iht

1986

年 茨 t s 県 農 業 基 本 調 査 の 調 査 裂 を

J

I

礼 、 て , 収 穫 作 物 お よ び 飼 養 家 斎 の 組 み 合 わ せ を 類 型 化 し た ( 第 4表) . 施 設 野 菜 を 経 営 に 取 り 入 れ

て い る 農 家 は , 全 農 家 の 約

69%

を占める. 施 設 野 菜 の 作 物 で は ピ ー マ ン が 最 も 普 及 し

7

7

0

戸 の 農 家

が 栽 培 を 行 っ て い る し か し 施 設 野 菜 部 門 で ピ ー マ ン を 栽 培 し な い 農 家 も

3

6

戸 存 在 し そ の1=1=1ではト

マ ト を 栽 培 す る 農 家 が

2

4

戸と,最も多かった.

農家数が最も多い? をj型は, 施設野菜+稲で、

603

戸 , 全 農 家 の

52%

にのぼる. これに次ぐのは, 稲

1

2

1

戸( 1

0. 4%

)

, 施 設 野 菜 の

1

0

8

( 9. 2%

)

, Z セih K Y WI HXNSEI , 千111れー稲の

3

8

( 3. 3%

)

, 施 設 野 菜 + 千Fiij十稲の

2

6

] 5

( 2. 2%

)

,千河ート普通畑作物十稲の

2

6

( 2. 2%

)

, 施 設

i

l

l

f ' 菜十

切花十

f

i'J3の

2

6

(2

.

2%

)

などである. 知型によって専兼業日jf農 家 数 の 構 成 に 差 が み ら れ , 施 設 野 菜 を

含 む 先 で は , 専 業 農 家 お よ び 第 一 種 兼 業 農 家 の 割 合 が 大 き く , 第 二 種 兼 業 農 家 の 合 はζ く小さ

い 一 方 , 稲 作 が 経 営 の 中 心 と 忠 わ れ る 類 型 で は , 兼 業 農 家 の 割 合 が 大 き い . 例 え ば 施 設 野 菜 + 稲 の

場合,ヰ

i

業 農 家

46. 4%

, 第 一 種 兼 業 農 家

40. 3%

, 第 二 種 兼 業 農 家

1

3

.

3 %

で あ る . こ れ に 対 し , 稲 , 普

通1:111作物ート稲を合わせた合計

218

戸のうち,

91. 3%

が第二種兼業農家である.

施設野菜均三を栽培する類型の農家の中で、は,施設野菜としてピーマンだけを栽培する農家が多い.

例 え ば 施 設 野 菜 + 稲 の 類 型 に 属 す る

6

5

3

戸の場合, ピーマ、ノのみを栽培する J畏家が

59. 4%

と 設 も 多

く, ピーマンにスイカ, メロン¥ ト マ ト な ど を 組 み 合 わ せ て い る 農 家 は

234

戸,

38. 8%

である. しか

し , 専 業 農 家 や 第 一 種 兼 業 農 家 は , 複 数 の 野 菜 を 組 み 合 わ せ て 栽j脅している; 農家に多い. 複数の施設

m

f

莱 を 栽 し て い る 農 家 は

244

戸 あ っ て , そ の う ち 専 業 農 家 は

1

3

7

( 56. 1%

)

, 第 一 種 兼 業 農 家 は

9

9

( 40. 6%

)

で , 第 二 種 兼 業 農 家 は

8) 5

( 3

. 3

% ) のみであった. こ れ に 対 し 施 設 野 菜 が ピ ー マ ン の

みの農家では,ヰ. j 1 業農家が

39. 9%

, 第 一 種 兼 業 農 家 が

40. 2%

, 第 二 種 兼 業 農 家 が

19. 9%

であった.

2) 農 業 近 代 化 の 地 域 的 差 異

波/11奇Il l

J

に お け る 近 年 の

i

長 業 の 変 化 の 地 域 差 を 検 討 す る た め , 農 業 集 落 ご と の 耕 地 面 積 の 推 移 を 第

9

l

';g

l

に , 農 産 物 販 売 金 額 第 一 位 部

r

lI

J)J

i J 農家数からみた農業集落類型の推移を,第

1

0

1

玄! に示した.

91

l

によれば,北部の話集落で、耕地面積の減少が著しいことが自立つ. こ れ は , 鹿 島 開 発 に 農 地

(14)

第4 表波IIJ&fIlI

J

に お け る 農 業 経 営 の 諸

r

Ji

担 ( 1986年)

農 巧Jシヒ、'

数 :

*1': j iセセ セN 0 ) 類 'JJ;!J

合 計 I専 業 I第兼一業種 I兼第二業種

P jセ@ 358 143 144 71

pwjセ@ 118 59 55 4

P M R 63 35 26 2

PM W R 24 20 4 G

Ptiセ@ 9 6 3

M W Iミ 8 6 2

P1くR 5 3 2

PK W R 4 3 1

P M T R 3 2 1

施 設 野 菜 十 稲

P T W R 2 1

P K T R つ

2

P M KR I

1

P N R 1

l

PM T W R 1 l

O R

l

五tIT W R 1

T R

1

T KN W R

1

280 243 80

P 70 24 25 21

Pへ¥i 1 16 4 12

P M 11 7 3 l

P M W 6 3 2 l

P IくT

1

施 設 野 菜

P 1 l 1

P K W I

P Iく 1

1

MW

セャ

I 1081 41 44 23

f話 3 4 114

施 設 野 菜 ÷ 普 通

:

1

1l l 作物 2

施 設 野 菜 ÷普 通 知II作 物 ÷ 稲 9 9 7

施 設 野 菜 十 支

I

p

施 設 野 菜 + 麦 → 稲

IP

M

麦R

普通知11作 物 + 稲 11 85

普通知! 作物

15

タノくコ+ 稲 │タバコR 6 8

(15)

農 セN⦅ , 数

農 業経営 の類 型

ム 引

j

.

l

1;寸lア 殺?に

1

兼第一業種

I

兼第二業種 千両+栴松

I

S松 (

千両+ 稲 14 14 10

千jI l( j+ 若松十稲 f S松R 11

若松十稲

l

松R

2

K セih 2 2

千円十普j也知!l作物+ 稲 3 13 10

千jllij十若松+普通知作物十稲

I

S松H R

2

施設野菜+千日IIT 2

PS R 20 9 11

PW S R 5 3 2

施設野菜+千間十稲

PK TS R 1

26 13 13

P松R 2 2

P

st

公R

施設野菜十千両+ 松十指

P T松R

PM¥'VS 松R

5 3 2

千時十タパコ十目指 Sタノ〈コR

養IIま 4 3

s

f3鶏 l

畜産 ブ ロ イ ラ ー l

6 3 3

│有よ│二十R 2

2

乳牛ートR

1

畜産十稲

採D!3鶏十R 1 1

養)J ま+ R 1

1

5 l 4

施設野菜+ 斎産

lp

刻家

施設野菜+ 畜産十稲

Ip

併 R

千両+畜産十稲

I

S桝 R

施設野菜十千両十畜産ート稲

I

P S桝 R G

切花

切花十稲 4

施設野菜+ 切花十稲

16 7

(16)

j

f差 '気ミ 数

J

J

乏11 業 J セ ,ヨ【t一ムご二

t

7

涜 [イイ ゥセ@

合 計十

I

専 業

I

第兼一種業

I

兼第一種業

19 7

施設腎菜十千同十切1'

E + :

f

i

l

l

施 設 野 菜 哨li

i?

:l

l 作 物 +f 切 花 十 稲

I

P1-1FR

l

果 樹 + 稲

果 樹 + 普

J

i

l

l

畑 作 物

果樹十普通知i作 物 十 稲

施 設 野 菜 + 果 樹

I

P Wブ ド ウ

庭 木 │庭木

G

鉢 物 十 稲 │鉢物十稲

合 420 386 359

p : ピ ー マ ン W ス イ カ M : メ ロ ン T : トマト K: キ ュ ウ リ N ブース

1 イ チ ゴ ナ シ : 日 本 ナ シ R : 稲 H : 普 通 畑 作 物 S: 千 両 松 : 若 松

F : 切花 ( 茨城県農業基本調査から集計)

伴う1 5 %の減歩や, ) ] 基地の都市的用途への転用の多さである. 中央部から南部では,一部の農業集落

を 除 い て , 耕 地 面 積 の 減 少 の 少 な い 農 業 集 務 が 卓 越 し て い る . 特 に 変 化 の 少 な さ が 目 立 つ の は , ヰ1央

部の利根)11沿いの集落である これらの集落は利根川の沖積地に商しており,旧面積が丈! 日面積を大き

く 上 回 っ て い る こ と が 特 徴 で あ る . 中 央 部 に お い て 耕 地 面 積 が 大 き く 減 少 し て い る 農 業 集 落 は , 南 よ

りに位置する東松下・抑植・仲新EHで あ る . こ れ は , 土 合 ケ 原 住 宅 団 地 の 造 成 に よ る 用 地 買 収 が 原 因

で あ る . 南 部 に お い て 耕 地 面 積 が 大 き く 減 少 し て い る の は , 南 端 部 の , 波11崎市街地に近接する諸集落

で あ る . と れ ら の 集 落 は 市 街 化 区 域 に 含 ま れ , 盛 ん な 住 宅 建 設 や , 幹 線 道 路 沿 い へ の 荷 応 ・ 事 業 所 の

あいつぐ立地など,都市化の影響を強く受けている.

こ の よ う に 波 崎 町 を 耕 地 面 積 の 推 移 か ら み る と , 鹿 島 開 発 の 影 響 を 強 く 受 け て 耕 地 面 積 が 大 き く 減

少 し た 北 部 , 一 部 を 除 い て 減 少 の 少 な い 中 央 部 か ら 南 部 、 そ し て 都 市 化 の 影 響 を 受 け て 耕 地 面 積 の 大

きく減少した南端部とにわけることができる.

つ ぎ に , 農 業 集 落 ご と に 主 要 な 経 営 部 門 の 推 移 を み よ う ( 第

1

0

密) . 農 業 集 落 の 類 型 は , 農 産 物 販

売 金 額 第 一 位 部 門 別 農 家 数 に , 土 井

( 1

9

7

0

)

の 修 正 ウ ィ ー バ 一 法 を 適 用 し て 求 め た , 第 一 位 部 門 の 結

合型である. この区

i

によれば,

1970

年 に は , 施 設 園 芸 を 結 合 型 に 含 む 集 落 が 北

t1

1

)-

帯 に 存 在 し て お

り , 施 設 函 芸 の 普 及 が 北 部 の 集 落 か ら 始 ま っ た こ と が わ か る . こ れ ら の 集 落 は , 波 崎 町 の 中 で 鹿 島 開

発 の 影 響 を 最 も 強 く 受 け た 集 落 で あ る . 南 下 す る に し た が っ て 稲 , 露 地 野 菜 , あ る い は 工 芸 作 物 の 順

位 が 高 く な る . 中 央 部 利 根 川 沿 い の 集 落 は , 稲 の み の 結 合 型 を 示 す . 南 部 の 太 平 洋 側 の 集 落 は , 工 芸

作 物 と 雑 穀 ・ い も 類 ・ 豆 類 の 結 合 型 を 示 し 南 部 の そ の 他 の 集 落 は , 稲 , 工 芸 作 物 , 雑 穀 ・ い も 類 ・

(17)

(11ι 1)

111

!;;j t:;1:::i1ヨ詰:1111

o

2kln

第9 図 セiェ itゥ○ HQYVP セQYXU

〈資料: 農業センサス集務カート‘ および農業センサス農家調査農業集落別一覧表)

千両や若松の栽培がそこに集中していることがわかる.

1970

年 以 降 に は , 施 設

I

s

l

芸を含む結合型を示す集落が,中部から南部においても増加し,同! ! 寺に,

Wセ uN N

f

m

の地位低下と施

ieセ N

1985

年には,施設閤芸部1'11]のみで代表される集落が,北部一帯か

ら中央部の太平洋側の集務まで速なるとともに,南部にも点在している. 一方,中央部の利根川沿い

(18)

j

x

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J

f

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1

1

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:3km

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そ の 他 のVIl0)J

F 県 出 掛

Z¥ii:位. ¥、{; J : ((. . : ; _J ' i (

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し 市1;(

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ω

1985 1980

農産物販売金額第一位部門の結合型の分布とその推移

( 資料: 農業センサース農家調査農業集務7]1 j一覧表)

IセIWU@

IQ7 0

第10図

た だ し 近 年 の 「 そ の 他 の 作 物j 部

施 設 閤 芸 と 並 ん で 「 そ の 他 の 作 物 」 が 結 合 型 に 含 ま れ て い る . ?土,

も ; 増 加 し て い る . 農 産 物 販 売 金 額 第 一 位 部 門 の 結 合 型 か ら 波 崎 町

キ ク な ど の 花 升 栽 培

I

I

I

J

では,

稲作の地位が比較的高し、中央部利根川沿い,

施設! 翠芸に持イとしたゴヒ吉Is から中東部,

を区分すると,

千示IU・ 若 松 や そ の 他 の 花 井 類 の 栽 培 が 盛 ん で あ る 南 部 の3j也域に分けるこ

施設闘芸と並んで,

して,

とができょう.

土 地 利 用 の 変 化 E

土 地 利 用 の 集 約 化

二j也利J'

I

= J の都市化

1)

住宅 工業用地, 中 央 部 か ら 北 部 に 存 在 し た 広 大 な 砂 丘 地 域 が ,

鹿 島 開 発 に よ っ て , 波l埼IllJj或では,

19

土 地 利 用 の 変 化 を 概 観 す る た め に 地 目 別 面 積 の 変 化 を み る と ,

用 地 , 農 業j古代替地などとなった.

そ の 他 の

雑 種 地

2

3

2

h

α

) 京野

150ha

ij Miセ[[ェ|@ ,1

7

8

9

h

α

宅 地

218ha

H

I

1

5

5

7

h

α

60

年 に は 田

813ha

J-I材

c

,1

4

1

1

h

α

宅 地

817ha

j:f[j

1

1

6

2

h

α

744ha

1983

年には,

セi

2

188ha

で、あったのに対し

その他1 ,

9

2

9

h

α

となっている21) 農 地 の 減 少 と 宅 地 の 増 加 が 明 ら か で あ

雑 種

Jili

6

2

1

h

α

) 京野

140ha

Biャャ

ェ セOGj

土地利用の都市化を; 農地転用の状況からみてみよう.

められたと考えられる. 次に,

1973

この│ 玄Ilrこよれば,

1972

年 以 降 の 波 崎 町 ー に お け る 農 地 転 用 件 数 の 推 移 を 第

1

1

図に示した.

まず,

この年に,都子15計

画法に基づく

H

l

途地域区分が行われたため, , 農 地 転 用 の 申 請 が , 線 引 の 決 定 直 前 に 集 中 的 に 行 わ れ た

5

条 転 用 が

133

件 に の ぼ っ て い る .

4

条 転 用 が

123

件,

(19)

ヰtiJIJ件数 ((' 1)

)

(

i

]

のである.

1974

年以降,

4

条 転

m

の 件 数 は

1

5

件 か ら

2

0

ftl

二の

l

'I

N

j

であり, U ャi| セュ Q QN Q UP

件 前 後 で や や

j

J

付11気味ーである.

次 に 転 用 さ れ た 農 地 の

JT

l

途を

6

に 分 類

し,第5 しずこ. ただし市街化区ji或内の

---ー

1' 条li去 用 の 件 数

U ゥi セjョ サGi

80

60

10

20

0

1972 ' 73 '7,1' 73 ' 7G' 77 ' 78 ' 79 ' 80 ' 81' 82 ' 83 ' 8・t' 83 (11三}

第 11 函 波111な1I1Jにおける農地転用判二数の推移

( 波111奇IllJ農業委員会の資料ーから集計)

¥

1日 地 に つ い て は ,

r

目途の) !irけ

I

J

'

,義務がな

い た め , 件 数 の 合 計 の み を 示 し で あ る . 市 街

化 調 整 区 域 内 の11去府県

J

也のFFJ途 で は , 住 宅 地

への転用件数が,

389

件 で 最 も 多 か っ た . そ

の う ち

157

件 が 分 家 用 在 宅 で あ る . しかし,

1972

年と

1973

年 に だ け は , 貸 家 ・ ア パ ー ト 用

地 へ の 転 用 が 目 立 ち , そ の 件 数 は , 住 宅 地 へ

4

条 転 用

8

6

件のうち,

2

1

件 を 占 め て い た

22) 貸 家 ・ ア パ ー ト 用 地 へ の 転 用 の 多 く は ,

北 部 の 波11時工業団地に近接する地区で、行われ

ていた.

住 宅 地 へ の 転 用 に 次 い で 多 い の は , 砂 利 採

取 用 地 へ の 一 時 的 な 転 用 で

120

件であった.

7こ だ し こ れ は , 都 市 的 利 用 と い う よ り 余 剰 農

地 の 有 効 利 用 と 考 え ら れ る . 砂 利 採 取 用 地 へ

の 転 用 は , 農 家 が 農 地 を 砂 利 採 取 業 者 に 貸 す

形で、行われる. 転用される農j出/土,休訓j也で

あ る こ と が 多 い . 砂 利 採 取 業 者 は 地 表 の 砂 層

QQ iセ ャ QQB[[H N エュ [

返し, ,農家は民j告 と し て 再 び こ れ を 利 用 す る . 埋 め 戻 し に 探 し てp 業者が, ) 潟値を多く含むlコーム土

を客ことする土壌改良を行うことが多い. このとき,

I

司31寺に[ 窪田を造成する例もかなり多くみられる.

土 地 所 有 者 へ の 謝 礼 は , 神 栖 町 の 例 で は

1

0 a

当たり

8

0

万 円---130万 円 で あ っ た23) こ の よ う に , 休 耕

地 の 有 効 羽 用 と 土 壌 改 良 を │ 司 時 に 行 え る の で , 砂 利 採 取 用 地 へ の 転 用 は 農 家 に と っ て 有 利 と い え る .

そ の た め , 砂 利 採 取 用 地 へ の 転 用 件 数 は

1980

年代に増加して,

1984

年 以 昨 に は 住 宅 地 へ の 転 用 件 数 を

上 回 っ て い る .

¥

!G

用はl H

T

の北西部, と り わ け 利 根 川 沿 い の 集 落 に 集 中 し て い る . 東 抑 揚 ・ 揚 ・ 東

宝 i上1•

i

i 9 宝山の

4

集 落 に お け る 砂 利 採 取 用 地 へ の 転 用 件 数 だ け で , 砂 利 採 取 用 地 へ の 転 用 の 合 計 の ,

約6 4 %にあたっている.

次 い でp 商 応 用 地 へ の1¥日羽は

8

7

件 , 工 場 ・ 倉 庫 ・ 駐 車 場 ・ 作 業 所 ( 農 業 関 係 施 設 を 除 く 〉 へ の 転 用

9

5

件 で あ る . 両 者 の 件 数 は1980年 代 に 入 っ て か ら 増 加 傾 向 に あ る . こ れ ら の 転 用 は t HJの 北 部 に 集 中

(20)

第5表 波 崎 町 に お け る 用 途 別 農 地 転 用 件 数 の 推 移 ( 1972年- 1 9 8 5年) ( 単位: 件)

市区の街域み計化内

ュ HQYWTセQ I

{

!三 メiごL1 三

[i"-I-合

│住

[ 商

│量

l

t

│ 叶

1972 59 59 40 11 5 、つJ

1973 256 256 151 35 40 4 10 16

1974 77 31 46 27 3 3 4 6 3

1975 48 19 29 11 3 3 5 2 5

1976 42 21 21 8 1 1 5 3 3

1977 64 47 17 5 7 2 2

1978 69 33 36 22 2 3 7 2

1979 45 17 28 12 3 4 6 1 2

1980 64 18 46 21 l 16 4 3

1981 60 13 47 24 5 6 8 3 1

1982 63 23 40 19 6 7 2 5

1983 90 37 53 19 8 6 16 2 2

1984 80 15 65 19 8 7 20 5 6

1985 65 19 46 11 6 9 15 1 4

( 波崎IBJ農 業 委 員 会 の 資 料 か ら 集 計 ). 注 : 1)工 場 ・ 倉 庫 ・ 駐 車 場 ・ 作 業 所 ( 農 業 関 係 施 設 を 除 く )

ili

H l は,比較的少ない24)

市 街 化 区 域 に お け る 農 地 転 用 件 数 は , 所 有 権 の 移 転 す る 5 条 転 用 が ほ と ん ど で あ る . 転

H

J

農地は, 波i崎 市 街 地 の 北 西 に 近 接 す る 地 区 に 集 中 し て お り , 市 街 地 内 部 で の 転 用 は 少 な い . 転 用 農 地 の 取 得 者 の在住地は,波崎町内が最も多いが, 1970年 代 後 半 か ら , 銚 子 市 や 東 京 都 な ど の 割 合 が 高 ま り つ つ あ

る. 取得者は個人が多数で、あるが,不動産業者なと、の法人もみられる. 転用が集中している,波11崎市

街 地 の 北 西 に 近 接 す る 地

i

玄では,市街化

i

玄 域 に 指 定 さ れ る 前 後 か ら 住 宅 地 の 造 成 が 活 発 に 行 わ れ た ほ か , 国 道

124

号沿し、に, ! . 百二車場を備えた郊外形小売業応舗がいくつか進出しており,都市化が急速に 進行している.

農 地 転 用 の 状 況 か ら 波 崎 町 の 都 市 化 の 状 況 を み る と , 以 下 の よ う な 地 域 的 特 徴 が 明 ら か と な る . す な わ ち , 鹿 島 開 発 の イ ン パ ク ト を 強 く 受 け たIlI

J

の北端部の諸集落で、は, 1970年 代 の 初 め 頃 に 貸 家 ・ ア パート建設が自立って行われた後, 臨

Jt

i

や 各 種 の 事 業 所 が 立 地 す る よ う に な っ た . 北 部 の 諸 集 落 で は , 砂 利 採 取 用 地 へ の 転 用 も 多 か っ た . 一 方 , 南 部 の 波i崎 市 街 地 周 辺 で は , 住 宅 地 の 造 成 と , 幹 線 道 路 沿 い へ の 商 業 施 設 進 出 と い う 形 で 都 市 化 が 進 ん で い る .

都 市 化 の 進 行 が 著 し い 地 域 の 仰 と し て , 波i崎市街地の北西に隣接する地域の土地利用をみてみよう

( 第

1

2

図) N iセャ N iii iiャ j

役 場 の 西 側 を 南 北 に 通 る 道 路 の 東 側 で , か つ

l

;ffi道

124

号の北側の一帯である. そ こ に は , 完 成 し た 住

宅とともに,住宅建設中の土地,建設待ちの空き地,農地を創作放棄した荒れ地が多い. それらは,

(21)

ちで¥

ヤプ

農 地 ( 水 日1)

白普通相

臼肝白

回 ビ ニ ー ル 日

臼 沼 下 呂 ー 制

(先ilJ世) 齢 制

図 午 前

果 樹 ( ブ シ )

図開設

図 ィ モ 筑 区 ! 日 航

F丈:;'i工芸作物 じ込!(タバコ・:喜l E生) 図{乍{寸前後j也

露盤苅

そ の 他 明 日 ( そ の 他 )

図窓会

日焼畑幸

日 間

(滋主主的荒廃i也)

空き地

士也

日 宅 地 造 成 中 商業用地

図}A{?ZI}型 紳 j議 事 務 所

I nl 酌 ト 利 用 地 義 援 綴 帯 同 市 仲 ーνゥ世

[_::_ゴ架設怒物(下紀以外)滋臨時間間 ソ 」 ハm

's

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がら<tこ資料i霊場 滋滋台こを{封筒I務・γーピス業

E

コ 隠 鏡 場 住宅地

レ ク 山 一 シ ヨ ン 地 顔 滋 鰐

沢 一 ツ グ ラ ウ ン ド 協 一 般 住 宅

協 一 戸 漆 資 家

下 宿 ・ ア パ ー ト

廃 屋

民 登 年 月 日 1986年 5 月つら巴 調査三者氏名 l心不正三・主

同a . さE月

;

1よ主景山ir:3{草A a s

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を 鰐 い て 事J @し た も の て あ る の

3

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(22)

I

:

l

m出したのを契機として, 1980年代にあいついで、行われた25) 大 部 分 の

J

;

g

-

舗が来客用駐車場を持ち,

モ ー タ リ ゼ ー シ ョ ン に 対-Ft-; している.

本主! 日地! 玄では,都市化の進行により,人口が急速に増加してきた. 住民基本台帳による本郷地区の

人仁iは, 1976住 に は686人で、あったが, 毎 年20人 か ら8 0人の増加が続き, 1985年には1 ,135人 に 達 し

た. 本主!II地 区 へ のilir ; 入・出の特徴を1980年をがIJに と っ て 検 討 し て み よ う _ 11去入は51件 , 転 出 は40件

で, lj去入がi伝1= 1 = ¥を上回っていた. まず,波Ii 時1 !

1

T

内 の 他Jt 主区と本 *llll 地 区 の

i

喝 の 転 入 ・ 転 出 を み よ う . 木

fJ!11地 区 へ の 転 入19件のうち, 9件が波│ 崎市街地からのI 去 入 で あ っ た .I こ れ に 対 し て , 本 郷 地 区 か ら の

転出12件 の う ち , 波111崎 市 街 地 を 転 出 先 と す る も の は4件 に 過 ぎ な か っ た . ま た , 本 郷 地 区 へ の11去入の

うち7 fWJの13件 が 家 族 移 動 で あ っ た の に 対 し , 本 郷 か ら の 転 出 の う ち 家 族 移 動 は3割弱の

11

件 で あ っ

た . こ の よ う に IIIJ内 移 動 を み る と , 波 l崎 市 街 地 か ら 本 郷 地 区 へ の 転 入 が 自 立 ち , ま た , 転 入 の 多 く は

家 族 移 動 で あ っ た . こ の こ と は , 本 郷 地 区 で 一 戸 建 て 住 宅 建 設 が 盛 ん な こ と と 関 係 し て い る と 忠 わ れ

る.

次に波111な111]"外と本郷地区の! 慢の転入・転出をみよう. 本恕1¥地 区 へ の 転 入 は32科二あり,その前住i色で、

設も多かったのは銚子市で, 16件 で あ っ た . 転 入 の う ち 家 族 移 動 は

1

1

件 で あ っ た . 本 郷 地 区 か ら の 転

出28件 の 先 を み て も , 最 も 多 い の は お 件 の 銚 子 市 で あ っ た . 転 出 の う ち 家 族 移 動 は5件 だ け で あ

った. 銚子市との関係が大きく26),また, 11去 入 の 場 合 に 家 族 移 動 が や や 多 い 傾 向 が み ら れ る .

2) 操 業 的 土 地 利 用 の 集 約 化

a ) 施 設 閤 芸 中 心 の 土 地 利 用 の 弓i>(:月ーに│

コ須田柴務-iJj(1崎Hl

J

に お け る 商 業 的 な 農 業 の 発 展 や , 農 業fjヲ 土 地 利 用 の 集 約 化 は , 脆 設 野 菜 栽 培 と 千 両 栽 培 の 発

展によって代表される. 本節では, そ れ ら が 特 に 盛 ん な 地 域 の 土 地 利 用 と 農 業 経 営 の 実 態 を 検 討 す

ピ ー マ ン 栽 培 を 主 要 な 経 営 部 門 と す る 農 家 が 卓 越 す る 集 落 の 例 と し て , 波 崎 町 北 東 部 の 中 須 田 集 落

を取り上げる. 仁jコ須 EEI集 落 は1820 H SI jセュ eei

明治仁│二IJDJ までは j也 引 き 網 漁 業 と 米 , 安 , 大 豆 , そ ば な と の 栽 培 が 主 な 生 業 で あ っ た . 明 治 中 期 以

降,地引き網漁業の衰退に伴って,さまざまな潟! 日I杓三物栽培が導入され,甘藷,落花生,タバコ,

桑 , ス イ カ な ど が 主 要 な 作 物 と な っ た . ピーマンを主とする施設園芸が発達したのは, 1960年 代 の 鹿

島 臨 海 工 業 地 帯 の 開 発 以 降 で あ っ た27)

ェ eei QYXV セH V I , 総 農 家 数32戸のう

ち , 専 業 農 家 は17戸 , 第 一 種 兼 業 農 家 は10戸 , 第 二 兼 業 農 家 は5戸 で あ っ た . 作 物 の 組 合 せ を み る

と,全ての農家がピーマンの施設園芸を行い, ビニーノレハウスの商積合計は13. 911α で、あった. し寸よれ

の農家でも l 年

2

作のビニーノレノ、ゥス利用を行っていた. ピニーノレハウスでピーマンとスイカを栽培

し, これに水稲栽培を組み合わせる類型が, 16戸 と 最 も 多 い . こ の 類 型 を は じ め , 複 数 の 施 設 野 菜 を

栽 培 す る 農 家 は23戸あって, 2人 か ら5人の; 農業専従者をもち, 35

a

から98

a

のビニーノレハウスを経

し て い る . そ れ ら の う ち , 専 業 農 家 は14戸 , 第 一 種 穀 業 農 家 は 8戸 , 第 二 種 兼 業 農 家 はl 戸 で あ

(23)

第6表 中須田における農家の経堂類型 ( 1986年)

作 物 の 組 み 合 わ せ メ込 号一

l二,' 1 専業

第一

f

ill

セゥエ

4

/

k

d

メ: ",. i二1

3

l

10 5 1

3 2 2

1 2

32 17 10 5

( 茨域県農業基本調査から集計)• ピーマン十スイカ十メロン十水稲

ピーマン十スイカ十メロン

ピーマン+スイカ十水稲

ピーマン十メ! コン十水稲

ピーマン十水稲

どーマン

者を持ち,

20 a

から

45 a

と比較的小規模のビニーノレノ、ウスで栽培を行っている. ピーマン栽培のみを

行 う 農 家 は , 農 業 専 従 者 が

1

人 か ら

2

人の兼業農家で, ビニーノレノ、ウスの規模は

18

a

'^

'-'2

5

a

と 小 さ

し、.

1976

年の農業基本調査によると, EI 3には

3

4

戸 の 農 家 が あ っ た が , 専 業 農 家 は わ ず か

2

戸 に 過 ぎ

な か っ た . 世 帯 主 お よ び そ の 後 継 者 が 季 節 的 労 務 に 就 き , 世 帯 主 の 孫 に あ た る 世 代 が 垣 常 的 勤 務 に 就

く例が多かった28) 施設園芸の内容をみると,

28

戸ーの農家がピーマンとスイカの栽培を組み合わせる

かそれぞれ単独に行っていたが, ビニーノレノ¥ウスの利用は

1

1

作であった.

1976

年から

1986

年 ま で

に,専業農家が急増している. それは, ビニーノレハウス面積の増加, メロンの導入,

1

2

作 の 普 及

と い う , 施 設 園 芸 の よ り 一 層 の 労 働 集 約 化 , 資 本 集 約 化 を と も な っ て い た .

現在のl中 須 田 の 景 観 は , か つ て の 掘 り 下 げ 田 と そ れ を 間 む 松 林 に 代 わ っ て , 整 然 と 区 画 さ れ た 耕 地

と,そこに立ち並ぶビニーノレノ、ウスによって特徴づけられる( 第

13

国). 現 在 の 景 観 の 形 成 に は , 鹿

島開発とならんで、圃場整備事業の影響が大きい. 波111奇│可における国場整備事業は,

1972

年 か ら 工 事 が

開 始 さ れ た . こ れ は 県 営 の 園 場 整 備 事 業 と 濯 淑 排 水 事 業 , そ れ に 国 営 の 農 業 水 利 事 業 を 含 ん で い る .

工事費の受益者負担分は,

5

%

の 土 地 提 供 に よ っ て 代 替 さ れ た . つ ま り , 提 供 さ れ た 土 地 を 住 宅 用 地

と し て 売 却 し そ の 代 金 に よ っ て 工 事 費 を 捻 出 し よ う と す る 計 酷 で あ っ た . 道 路 ・ 水 路 等 の 公 共 施 設

用地のための減歩四% を加え, ,農家は所有地の

1 5 %

を 減 歩 し た .

I

苗場整備は! Il J j 或 の 北 部 か ら 進 め ら

れ , 西 須

E

B

. 須田浜・に

i

コ須i五では

1975

年から

1978

年にかけて j車場整備事業が実施された. しかし, こ

れより南部では,農家の反対にあって工事が着手されていなし、.

l

習場整備事業の結果,仁│ コ須! 丑集落の景観は一変し,従来からの景観と著しい対照を示すようになっ

た . 小 区 画 で 不 規 則 な 形 態 の , 掘 り 下 げ 回 , 畑 , 林 地 が 複 雑 に 混 在 し た 景 観 は , 規 則 的 で 大 き な 区 画

の 耕 地 か ら な る , 開 放 的 な 景 観 へ 変 化 し た . 新 し い 耕 地 区 割 は , 長 辺

8 0 m

, 短 辺

5 0 m

の,

40

a

区西│ を

基本として造成された. 国場整備による,道路の整備,

I

習 場 形 態 の 大 型 化 と 規 格 化 , 換 地 に よ る 耕 地

(24)

V

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