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道路法と戦間期日本の道路改良 : 自動車輸送をめ ぐって

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道路法と戦間期日本の道路改良 : 自動車輸送をめ ぐって

その他のタイトル The Road Law and Improvement of Road during the Inter‑war Period of Japan, with Special Reference to the Transport by Trucks

著者 北原 聡

雑誌名 關西大學經済論集

巻 51

号 2

ページ 211‑228

発行年 2001‑09‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/4473

(2)

21 1

道路法と戦間期日本の道路改良*

−自動車輸送をめく錘って一

北 原 聡

1919年に公布された道路法は我国初の体系的道路法規で、道路改良による自動車交通の促進を重 要な目的としていた。自動車の通行と密接に関係する道路の構造は、道路法に付随した道路構造令 で規格カヌ定められ、幹線道路を構成する国道・府県道については、自動車2車線交通に必要な幅員 が確保された。構造令に基づく国道・府県道の改良は、概ね構造令の幅員規格に則って実施され、

戦間期に都市から地方へと広がり、鉄道輸送と競合した貨物自動車輸送の発展に、こうした改良が 貢献した。

キーワード:道路法;道路改良;戦間期;道路構造令;内務省;貨物自動車;道路会議 経済学文献季報分類番号:04‑23;08‑62;08‑65

1・はじめに

第1次世界大戦が終結した1918年に成立した原敬内閣は、大戦による日本経済の構造変化 に対応するため戦後経営を実施した。戦後経営においては、国防の充実、産業奨励、教育の 振興と並んで交通機関の整備が重要な課題となり、原内閣は鉄道敷設法を改正し、国鉄地方 路線の拡充をはかるとともに')、我国初の体系的道路法規である道路法を制定した。そして、

道路法制定と同時に道路改良計画が策定され、自動車交通を想定した道路整備が行われると、

自動車を使った貨物輸送が全国的に展開し、鉄道と競合するにいたった。明治前期に陸上交 通の中心的位置をしめた道路輸送は、明治中期以降の鉄道の発達にともない、鉄道輸送を補 助する小運送の役割を担ったカミ、戦間期の自動車輸送の発展は、道路輸送を鉄道に対抗しう

る輸送手段へと変化させ、鉄道を軸とした交通インフラの体系に動揺を与えたのである。し

*本研究は、平成12年度関西大学経済学部共同研究費による研究成果である。なお、引用部分の[ ]は 筆者注である。

1)原内閣の鉄道政策については、拙稿「近代日本における交通インフラストラクチュアの形成一星亨と 原敬」、 『社会経済史学j第63巻第1号(1997年5月)を参照。

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関西大学「経済論集』第51巻第2号(2001年9月)

たがって、道路法および戦間期における道路改良と自動車輸送の実態を解明することは、近 代日本の交通インフラを理解する上で不可欠の重要性をもつといえよう。

道路法に関する従来の研究では、道路法が道路の経済的役割より軍事・行政的役割を重視 したと指摘され2)、道路法に基づく国道の規格が自動車交通に対応していたか否かについて 評価が分かれている3)。ただ、これらの見解は論拠が明示されているとはいい難く、その妥当 性を確認するには、道路法成立の過程に立ち入って政策策定の意図を明らかにし、道路法と 自動車輸送との関連を具体的に考察することが欠かせない。道路改良に関しては、政策史的 アプローチにより改良計画の検討は行われているものの4)、そうした改良がいかなる効果を あげ、自動車輸送にどのような影響を与えたのかについては、検討の余地が残されている。

自動車貨物輸送については、経済地理学的考察から自動車の地域的伝播の経路が明らかにさ れたが5)、輸送の実態には不明な点が多く、さらに検討を加える必要がある6)。本稿では、自 動車交通との関連に焦点をあてつつ道路法の制定過程に検討を加え、道路改良と自動車貨物 輸送の全体像を明らかにする。そして、道路改良が自動車輸送に及ぼした影響を解明したい。

本稿では主な資料として、 『道路法案委員会議録』、『地方土木主任官会議録』、『道路会議特 別委員会速記録』、 『貨物自動車影響調査』および『新居善太郎文書』 (国立国会図書館憲政資 料室所蔵)を利用した。 『道路法案委員会議録』、 『地方土木主任官会議録』および「道路会議 特別委員会速記録』は、道路法成立の過程で開催された各種会議の議事速記録で、内務官僚 の発言から、道路法に対する内務省の考え方を知ることができる。『貨物自動車影響調査』は、

鉄道省が行った自動車輸送の調査報告書である。 『新居善太郎文書』は、昭和戦前期に内務官 僚として道路行政に携わった新居善太郎の個人文書で、道路に関する公文書や報告書が収め

られている。

2.道路法の成立

(1)道路法の公布

道路法は、第41帝国議会の協賛を経て1919年4月に公布、 1920年4月に施行された。道路

山本弘文「道路法の制定と道路の改修」、同編『交通・運輸の発達と技術革新』 (国際連合大学、 1986 年、所収)。

日本道路協会編『日本道路史』 (同会、 1977年)は肯定的評価を、山本、前掲論文は否定的評価を行っ

ている。

前掲『日本道路史』、および松浦茂樹『戦前の国土整備政策』 (日本経済評論社、2000年)、第II章。

奥井正俊「自動車交通の地域分析』 (大明堂、 1997年)、第3編

老川慶喜「青物市場の展開と交通・運輸」、 『市場史研究』第6号(1989年6月)は、生鮮食品輸送に

自動車が利用されたことを指摘している。

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道路法と戦間期日本の道路改良(北原)

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法の制定は、内務省が道路法規策定の調査を開始した1888年以来の懸案であり、この間、道 路法案は修正を重ねつつ閣議や議会にたびたび提出されたが、いずれも廃案に終わってい る7)。成立まで31年を要した要因として、個々の政治状況があげられることはいうまでもない が、最大の理由は、道路輸送の役割が陸上輸送の中軸から鉄道の補助輸送へと変化し、道路 法規策定の機運が高まらなかった点にあった。しかし、大正期に自動車の利用が都市を中心 に広がると8)、道路状態の悪さが露呈し、道路改良に対する関心が朝野で高まった。そして、

従来の道路法規の大半が1870年代に制定されたもので、その内容も「判明ヲ欠イテ…不備ナ ル点ガ多」かつたため9)、体系的道路法規の制定が求められたのである。

道路法は7章63条と附則5条からなり、道路の種類と認定、管理、費用負担など道路に関す る事項を統一的に規定した'0)。道路の種類は、明治9年太政官達第60号による国道、仮定県道、

里道という分類が、 「行政組織の複雑なる状勢に適合」しないことから'')、国道、府県道、郡 道、市道、町村道に改められ、各種道路の認定者については、これまで明確な規定がなかっ たため、国道は内務大臣、府県道は府県知事、郡道は郡長、市町村道は市町村長と決められ た。国道以下の路線は表,のように定められ、この規定に従い具体的路線が路線認定者によ って認定されることになった。道路の管理者は、国道、府県道が府県知事、郡道が郡長、市 町村道が市町村長と定められ、道路の新設、改築、修繕は管理者が行うものとされた。東京、

大阪など勅令で指定された市内の国府県道については、都市計画の円滑な遂行に配慮して'2)、

当該市長の管理が認められた。道路に関する費用は、明治11年の太政官達(地方税規則)に より基本的に府県の負担となっていたが、その「規定極メテ簡単デ、動モスレバ運用上弊害 モ」生じたことから'3)、道路費用は原則として道路管理者の統轄する行政団体の負担となり、

国道および府県道以下の道路の新設、改築費の一部には国庫補助の制度が設けられた。また、

「主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル国道」'4)と内務大臣が指定する国道の新設、改築費用は、国が 全額負担すると規定された。

従来の研究において、道路法が道路の経済的役割より軍事的・行政的役割を重視したと考

内務省編『道路法ノ施行及道路改良計画』 (同省、 1920年)、 1−2ページ。

奥井、前掲書、第3編第Ⅷ章。

「帝国議会衆議院議事速記録35j (東京大学出版会、1981年)、95ページ。第41帝国議会衆議院の道路法 案第1読会における床次竹二郎内務大臣の答弁。

以下、道路法の条文は、 『大正8年法令全書第4号」によった。

「道路法案委員会議録(速記)」、 「第41回帝国議会衆議院委員会議録下巻』 (1918年、所収)、 3ペー ジ。道路法案委員会審議における堀田貢内務省土木局長の答弁。

同上書、 4ページ。堀田土木局長の答弁。

同上書、 4ページ。堀田土木局長の答弁。

前掲『大正8年法令全書第4号』、76ページ。

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関西大学『経済論集』第51巻第2号(2001年9月)

表1 道路法における国道・府県道・郡道の路線

(注)国道路線の神宮は伊勢神宮をさす。

(出所) 『大正8年法令全書第4号』。

えられた理由は、表1に示された国道、府県道、郡道の経過地に、陸海軍と地方行政機関の 所在地が含まれているためと思われる。国道以下の路線認定について内務省は、「今度ノ道路 法デ…全ク新二道路ヲ造ルト云う訳デハナク、多クハ現在ノ道路二依ツテ認定スル」とした うえで、「国道デモ、府県道デモ、道路法ノ為メニ甚ダシキ変更ヲ致スコトハ無イ積リデアリ マス」と述べており'5)、表1の路線規定は、従来の道路をその経過地によって分類したものと 考えられる。明治初年以来の国県道や里道が地域の生活や経済活動を支えてきたことはいう までもなく、 「道路ハ社会上、経済上必要ナル関係カラ設ケルモノデアリマス」と考える内務 省は16)、 「枢要地」を「其ノ地方二於ケル社会上経済上ノ中心地点ト云フコトニ解釈シ」 】7)、

府県庁や郡役所を通る路線については、「府県庁所在地、郡役所所在地卜云フヤウナ土地ハ…

殆ド経済上社会上其地方ノ中心トナッテ居ルコトハ、ソレハ疑ノナイ事デアリマス」と捉え ていた'8)。表1の路線には、物資輸送の結節点となる「開港」、 「港津」、 「鉄道停車場」が含ま れており、府県道と郡道の第7項、第8項からは、道路整備により地方経済を開発する意図

前掲「道路法案委員会議録(速記)」、 8, 19ページ。堀田土木局長の答弁。

同上書、 16ページ。床次内務大臣の答弁。

内務省土木局編『第3回地方土木主任官会議録上』 (1919年)、69ページ。

前掲「道路法案委員会議録(速記)」、38ページ。堀田土木局長の答弁。

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国道 1.東京市ヨリ神宮、府県庁所在地、師団司令部所在地、鎮守府所在地又ハ枢要ノ開港ニ達スル路

2.主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル路線

府県道

1.府県庁所在地ヨリ隣接府県庁所在地ニ達スル路線 2.府県庁所在地ヨリ府県内郡市役所所在地ニ達スル路線

3.府県庁所在地ヨリ府県内枢要ノ地、港津又ハ鉄道停車場ニ達スル路線

4.府県内枢要ノ地ヨリ之卜密接ノ関係ヲ有スル枢要ノ地、港津又ハ鉄道停車場ニ達スル路線 5.府県内枢要ノ港津ヨリ之ト密接ノ関係ヲ有スル枢要ノ地又ハ鉄道停車場ニ達スル路線 6.府県内枢要ノ鉄道停車場ヨリ之ト密接ノ関係ヲ有スル枢要ノ地又ハ港津二達スル路線

7.数郡市ヲ連結スル幹線ニシテ其ノ沿線地方ト密接ノ関係ヲ有スル枢要ノ地、港津又ハ鉄道停車 場二達スル路線

8.地方開発ノ為必要ニシテ将来前各号ノーニ該当スヘキ路線

郡道

1.郡役所所在地ヨリ隣接郡市役所所在地ニ達スル路線 2.郡役所所在地ヨリ郡内町村役場所在地ニ達スル路線

3.郡役所所在地ヨリ郡内枢要ノ地、港津又ハ鉄道停車場ニ達スル路線

4.郡内枢要ノ地ヨリ之ト密接ノ関係ヲ有スル枢要ノ地、港津又ハ鉄道停車場二達スル路線 5.郡内枢要ノ港津ヨリ之ト密接ノ関係ヲ有スル枢要ノ地又ハ鉄道停車場ニ達スル路線 6.郡内枢要ノ鉄道停車場ヨリ之ト密接ノ関係ヲ有スル枢要ノ地又ハ港津二達スル路線

7.数町村ヲ連結スル幹線ニシテ其ノ沿線地方ト密接ノ関係ヲ有スル枢要ノ地、港津又ハ鉄道停車 場二達スル路線

8.地方開発ノ為必要ニシテ将来前各号ノーニ該当スヘキ路線

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道路法と戦間期日本の道路改良(北原)

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が窺われ、内務省は、「府県道以下ノ道路二付マシテハ…費用ヲ多クシテ地方ノ発展二資スル ヤウニシタイ」と述べている'9)。こうした点をふまえれば、道路法が道路の経済的役割を重視

していたことは明らかであろう。

いつぽう、国道の「主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル路線」について内務省は、 「主ダル目的ハ 軍事デアルガ、一般ノ矢張交通ノ用二供スルト云う意味カラ道路法二掲ゲタノデアリマス」

と説明したうえで、「専ラ軍事ノ目的ヲ達スル為メニ必要トスル路線デアリマスレバ、…普通 ノ軍事費ヲ以テ支出スベキモノデアリマシテ、…斯ウ云フモノハ道路法ノ関係スル所デハナ イ」という見解を示した20)。つまり、道路法は「一般交通ノ用二供スル道路」を対象とし21)、

その範囲内で軍事用道路を扱っていたのであり、少なくとも、道路の軍事的役割が経済的役 割より重視されたとはいい難いのである。公共財としての性格を持つ道路の利用を明確に区 分することは難しく、内務省はその点を理解していたといえよう。

(2)道路構造令案と府県土木課長会議

内務省の堀田土木局長が、道路法制定の背景について、「今日ノ如ク快速カノ交通機関ガ発 達シテ来…道路ヲ使用スル機会ガ益々多クナッタニ就キマシテハ、 ドウシテモ今日ノ有様二 放任シテ置クコトハ出来ヌノデアリマス」と述べたように22)、道路法は、自動車が円滑に通行 できる道路の確保を重要な目的としており、道路構造に関する第31条は、「道路ノ構造、維持、

修繕及工事執行方法二関シテハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定された23)。これは、道路の構造を 重視する内務省がとった、 「常二時代ノ進運二伴上適当ナル規定ヲ設」けるための弾力的な措 置であり24)、道路法第31条の命令案(道路構造令案)は、同法に付随するその他の勅令案、命 令案とともに、 1919年6月の府県土木課長会議および同年8月から11月まで開かれた道路会 議に諮問された。府県土木課長会議は、 「直接道路ノ行政二関係シテ」いる地方土木実務担当 者の意見を道路法に反映させるために開かれた25)。道路会議は道路政策に関する内務大臣の 諮問機関として設置され、内務、大蔵、陸軍および海軍の幹部と貴衆両院議員の代表が議員

19) 20) 21)

同上書、 17ページ。堀田土木局長の答弁。

同上書、47ページ。堀田土木局長の答弁。

前掲『大正8年法令全書第4号j、 73ページ。道路法第1章第1条には、 「本法二於テ道路ト称ス ルハー般交通ノ用二供スル道路ニシテ」と規定されている。

前掲『第3回地方土木主任官会議録上』、 13ページ。

前掲、 『大正8年法令全書第4号』、 76ページ。

前掲『道路法ノ施行及道路改良計画』、 10ページ。

前掲『第3回地方土木主任官会議録上』、 4ページ。堀田土木局長の発言。

22)

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関西大学『経済論集』第51巻第2号(2001年9月)

を構成した26)。そこで、道路構造令案のうち自動車交通と密接に関係する幅員の規格が、府県 土木課長会議と道路会議でどのように審議されたのかに焦点をしぼり、検討していこう27)。

表2に示した命令案の幅員規格は、内務省と「陸軍省ト打合セノ結果、陸軍省モ最小限度 卜認メテ、是ダケニハシテ欲シイト云う、サウ云う標準」で28)、幅員は、 「色々ナ軍隊」が道 路を通る際の「縦列」の「間隔」に対応していた。たとえば、 「一等国道二於テハ攻城砲、野 戦重砲ト自動車ノ各々一ツ宛ノ列」と「其ノ左右二各々…半米突ヅツ取ルト云う事デ」幅員 が決められ、府県道以下では「段々ト幅ノ間数ガ狭マッテ」いるが、それも「[陸軍との]折 衝ノ結果」であった29)。こうした規格に対して、各府県の土木課長からは、 「国防ノ為メニ…

地方ノ公共団体ノ県二著シク負担ヲ負ハスト云う事ハ、多少穏当デナイヤウニ存ジマス」な どの批判が相次いだ30)。というのも、今後の道路改良の方針について、堀田土木局長が、「此 構造令二拠ツテ行キタイ、而モ新築改築ハ、県下全体ノ道路二対シテー定ノ計画ヲ立テテ、

其ノ計画二基イテヤルヤウニ御願シタイ」と表明したことから3')、命令案に規定された幅員ど おりに道路を整備することになれば、「地方二於キマシテモ、財政上等ノ難関ノ為メニ悪戦苦 闘ヲ続ケナケレバナラ」ないのである32)。財政的制約のなかで道路整備を進めてきた地方の土 木担当者として、当然の主張といえよう。

地方政府の財政状況は内務省も承知しており、「地方二依リマシテハ、斯カル標準ヲ定メテ ヤラウトシテモ、中々経済上ノ関係カラ容易二実行出来ヌト…云うコトハ、私共認メテ居ル ノデアリマス」と述べているが33)、それは、 「軍事ノ目的ノ為メニエライ地方ヲ苦シメル…サ ウ云う訳デハ」なかった34)。自動車交通の促進をめざす同省としては、 「道路ガ悪イ、或ハ橋 梁ガ弱イト云ウ」理由から自動車の通行を「制限スルコトハ出来ナイ」し、そうした道路や 橋梁を「自動車二対応スルダケノモノニシナケレバナラ」なかった。そして、 「自動車モニ噸

道路会議は、衆議院の道路法案委員会で道路に関する重要事項を審議する機関の設立が提案されたこ とをうけ、 1916年6月に設置された。

勾配、屈曲、路面の種類も道路の重要な構成要素であるが、十分な幅員がなければ自動車は通行でき ず、道路法の審議で中心的位置をしめたのが幅員の規格であったことから、本稿では道路幅員をとり あげる。なお、勾配その他の道路構造に検討を加えた場合でも、本稿の論旨を変更する必要はないと 考えている。

前掲『第3回地方土木主任官会議録上』、381ページ。堀田土木局長の発言。

同上書、 340‑341ページ。内務省土木局近藤技術課長の発言。

同上書、343ページ。静岡県土木課長の発言。

同上書、367ページ。

同上書、382ページ。香川県土木課長の発言。

同上書、381ページ。堀田土木局長の発言。

同上書、 344ページ。近藤技術課長の発言。

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30)

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道路法と戦問期日本の道路改良(北原)

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表2 道路法第31条命令案(道路構造令案)の幅員規格

(注)有効幅員は電信柱、電灯柱などの障害物を除いた幅員。

(出所)内務省土木局編『第3回地方土木主任官会議録上』 (1919年)。

カラ三噸ニナリ、五噸ニナルコトハ極ク近イ事」であるから、 「軍事ノ上カラ」だけでなく、

「一般ノ方カラ」みても、 「之[命令案]ニ近イモノニセネバナラ」ず、 「此案文二書イタ数 字ハ[内務]当局モ同意ヲ表シダ」のである35)。当時、 2車線で自動車が行き違うのに必要な 最小幅員は2間半程であったことから36)、表2に示した道路の最小幅員のうち、幹線道路を構 成する国道と府県道はその基準を満たしていた。自動車が円滑に通行できるよう道路を整備 したい内務省にとって、命令案は十分とはいえないものの、必要最低限の内容は備えていた といえよう。

府県の土木課長も自動車交通に対応した道路整備の必要性は認めており、たとえば香川県 の土木課長は、県道の幅員について、「殊二平坦部二於キマシテハ、段々自動車等ノ運転モ烈 シクナッテ来マシタカラ、 ドウシテモ幅ガ三間以上ナケレバ、交通ガ十分安全ト云う事ハ出 来ヌノデアリマス」と述べている37)。ただ、土木課長の問では、山間部を含めたすべての国道 と府県道を、命令案の幅員規格どおり整備することは財政的に難しく、かえって道路整備全 体に遅れが生じるのではないかという危倶が根強く、愛知県の土木課長は、「余り利用ノ少イ 県道二対シテ、偉大ナル要求ヲ致シテ見マシタ所ガ実益ガナイ、其ノ為メニエ費ヲ過分二要 スル結果改修ガドウシテモ遅レ…全般ノ改良ガ後レルヤウニナッテハ面白クナイ」と発言

35)同上書、344ページ。近藤技術課長の発言。

36)三浦七郎「道路幅員に就いて」、 『道路の改良j第5巻第3号(1923年12月)、 49ページ。三浦は内務 技師o 2間半という数値は、自動車が低速で走行する場合の最小幅員である。

37)前掲、 『第3回地方土木主任官会議録上』、384ページ。

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最小幅員 第1条

第第 12 項項

国道ノ有効幅員ハ四間以上卜為スヘシ有効幅員六間以上ノ区間ハー等区、

五間以上ノ区間ハニ等区、五間未満ノ区間ハ三等区トス

山地其ノ他特ニエ費多大ナル箇所ニ限り前項幅員ヲ各区一間以内縮小スル コトヲ得

三問

第2条

第第 12 項項

府県道ノ有効幅員ハ三間以上卜為スヘシ有効幅員五間以上ノ区間ハー等 区、四間以上ノ区間ハニ等区、四間未満ノ区間ハ三等区トス

山地其ノ他特ニエ費多大ナル箇所ニ限り前項幅員ヲ−等区二在リテハー間 以内、二等区及三等区二在リテハ各区三尺以内縮小スルコトヲ得

二間半

第3条 第第 12 項項

主要ナル郡道及市道ノ有効幅員ハ三間以上卜為スヘシ

山地其ノ他特ニエ費多大ナル箇所ニ限り前項幅員ヲ−間以内縮小スルコト ヲ得

二間

第4条 第第 12 項項

主要ナル町村道ノ有効幅員ハニ間以上卜為スヘシ

山地其ノ他特ニエ費多大ナル箇所ニ限り前項幅員ヲ三尺以内縮小スルコト ヲ得

一間半

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関西大学「経済論集』第51巻第2号(2001年9月)

表3 道路法第31条命令案(道路構造令案)原案の幅員規格

(出所)内務省土木局編「道路会議特別委員会速記録第3号』 (1921年)。

し38)、愛媛県の土木課長も、道路構造令が制定されたら「県経済二相応スルヤウナ方法デ、多 少理想ニハ合ハナイニシテモ、実行上左程ノ困難ヲ感ジナイ位ノ程度マデ制限ヲ縮小シテ、

其最小限度デ実効ヲ収メタイ」と述べている39)。そのため、土木課長会議は命令案の幅員規定 の修正を決議し、第1条から第4条の第2項にある、「山地其ノ他特ニエ費多大ナル箇所ニ限 り」という文言を、 「山地其ノ他特殊ノ事由アル場合ニ限り」と改めた40)。この変更は、幅員 の適用除外例の範囲を拡大し、命令案の運用に弾力性をもたせる措置であり、 「特殊ノ事由」

に「府県ノ財政上ノ都合」を含めるねらいがあった41)。また、第2条第2項の、 「一等区二在 リテハー間以内、二等区及三等区二在リテハ各区三尺以内縮小スルコトヲ得」という文言が、

「各区一間以内縮小スルヲ得」と改められ42)、府県道の幅員規定が緩和された。

こうした修正に対して土木局の近藤技術課長は、「此ノ修正案ノ通リニ道路構造令ガ出ルモ ノトデアラウト云フコトハ、無論予期シテ居ラレヌダラウト思上マス」と断ったうえで、 「是

[命令案]ハ陸軍トノ折衝ノ結果デアリマシテ、中々同意ヲ得ルー困難ナ箇条ガアルノデア リマス」と悲観的な見通しを表明した43)。しかし、佐上道路課長は、「構造令二付キマシテハ、

地方ノ負担二耐ヘズシテ、空文バカリ存シテ事実ガ之二伴ハスト云フヤウナ規則ヲ作ルコト ハ、立法上甚ダ慎ムベキコトデアリマスカラ、能ク内務省デ研究シテ、各省トノ折衝ヲ保チ ツツ、道路会議等デ相当詮議シテ貰う積リデアリマス」と述べており44)、道路構造令案の内容 は、道路会議の審議に委ねられることになった。

38)

39)

40) 41)

42)

43)

44)

同上書、

同上書、

同上書、

同上書、

同上書、

同上書、

同上書、

483ページ。

379ページ。

518‑519ページ。

488ページ。

518‑519ページ。

497ページ。

500ページ。

90

最小幅員 第1条 第第 12 項項

国道ノ有効幅員ハ四間以上ト為スヘシ

山地其ノ他特殊ノ箇所ニ限り前項幅員ヲ−間以内縮小スルコトヲ得 三間 第2条 第第 12 項項

府県道ノ有効幅員ハ三間以上卜為スヘシ

山地其ノ他特殊ノ箇所ニ限り前項幅員ヲ三尺以内縮小スルコトヲ得 二間半 第3条 第第 12 項項

主要ナル郡道及市道ノ有効幅員ハ三間以上ト為スヘシ

山地其ノ他特殊ノ箇所ニ限り前項幅員ヲ−間以内縮小スルコトヲ得 二間 第4条 第第 12 項項

主要ナル町村道ノ有効幅員ハニ間以上ト為スヘシ

山地其ノ他特殊ノ箇所ニ限り前項幅員ヲ三尺以内縮小スルコトヲ得 一間半 第5条 第1項 前各条第二項ノ場合二於テハ相当距離毎二待避所ヲ設クヘシ

(10)

道路法と戦間期日本の道路改良(北原)

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(3)道路会議と道路構造令の成立

道路法第31条の命令案は、道路法に付随するその他の勅令案、命令案とともに道路会議に 諮問され、道路会議は特別委員会を設けて審議にあたった45)。内務省は、命令案に対する府県 土木課長会議の修正案と、特別委員から事前に提出された修正意見を参考に命令案を練り直 し、委員会はこの案を「原案」として審議をおこなった46)。表3に示した原案の幅員規格をみ ると、命令案から国道と府県道の等区が削除され、それに伴い府県道の幅員縮小幅が3尺と なり、新たに待避所の設置規定が設けられている。道路等区の廃止は、「構造令ノ中デ等区ト 云フコトノ現ハレテ居ルノハ第1条及第2条…ダケデ、左程ノ効力ガアル訳デモナカラウ」

という、古市公威委員の意見を採り入れたもので47)、府県道の幅員縮小幅は最小幅員を2間半 に維持するために変更された。自動車の通行を重視する内務当局が、府県道の最小幅員を2 間とする土木課長会議の修正案を退け、すべての府県道で自動車2車線交通に必要な2間半 の幅員確保をめざしたことが窺えよう。ただし、幅員の適用除外例は土木課長会議の修正案 をほぼ踏襲しており、内務当局は地方政府の財政負担に対しても配慮を忘れなかった。

待避所の規定は陸軍の要望をもとに設けられた。陸軍は、主要な郡道と市道の最小幅員が 2間で、2車線の幅員に足りないことから、「路幅二間半以下ノ道路梢長キトキハ所要ノ待避 所ヲ設クベシ」という但書きを第3条第2項にもとめ、これをうけた内務省は、 「[待避所の 設置は]、必シモ路幅二間半以下ノ場合ノミニ限ツタコトデハナク、其ノ他ト錐モ山地ノ所々 二之ヲ設ケル方ガ宜カラウ」と判断、全ての道路に待避所が設置できるよう第5条を原案に 加えたのである48)。内務省のこうした対応は、陸軍の要求を抑制してきたこれまでの姿勢と矛 盾するように思われる。しかし、郡道、市町村道を含むすべての道路を2車線以上に拡幅す れば、待避所の設置費用を上回る経費が必要になり、かえって道路改良全体に遅れが生じか ねない。待避所をおくことで、陸軍がこれ以上の幅員拡大要求を自制してくれるなら、内務 省としてはむしろ都合が良かったのである。待避所には、自動車交通に必要な道幅を補う機 能に加え、道路整備に伴う地方財政の負担増を出来るだけ回避したい、内務省の思惑が込め

られていたといえよう。

幅員規格に関する特別委員会の審議では、主要な郡道と市道の幅員を定めた第3条の修正 が争点となった。修正を求めたのは退役陸軍少将・貴族院議員の山根武亮で、 「郡道及市道ナ

45)

46)

47)

前掲「道路法ノ施行及道路改良計画』、27‑30ページ。

内務省土木局編『道路会議特別委員会速記録第3号j (1921年)、 242ページ。

同上書、 15ページ。古市公威は日本初の工学博士で貴族院議員。内務省土木局長や工科大学長をつと め、近代土木技術および土木行政の権威であった。

同上書、244ページ。牧内務技師の発言。

48)

91

(11)

220

関西大学『経済論集』第51巻第2号(2001年9月)

ルモノハ総テ三間以上ニスルガ宜カラウ」という理由から、第3条第1項の「「主要ナル」 ト 云う文字ヲ削」ることを提案した49)。 「郡道市道トナレバ概ネ主要ナラザルモノナカルベシ」

と考える山根は、郡道と市道が「「主要ナラザル」ノ名ノ下二無制限二縮小セラルルコト」を 危倶しており50)、この提案には、財政負担の増加を恐れて必要以上の幅員拡大に反対する内務 省を牽制するねらいがあった。これに対して堀田土木局長は、「理想トシテハ如何ニモ御尤モ デアリマスガ」、 「[郡道市道]全部ヲ三間以上ニナスベシト云フコトハ、少シク酷カト思上マ ス」と述べ、 「陸軍ノ方ノ御希望二依テ、狭クシタ場合ニハ待避所ヲ設ケルヤウニト云フコト ニナッテ居りマスカラ、秀々原案位ノ程度ニサレタナラ如何デアリマセウカ」と再考を求め た51)。しかし山根は、ヨーロッパでは「主要ノ道路ハ少クモ五六間ハアル」ので、 「日本デ郡 道市道ヲ三間ニスル位ノコトハ決シテ不当デハナカラウ」と譲らず52)、さらに、山根の発言に 呼応した現役の陸軍少将岸本鹿太郎が、第3条第2項の幅員縮小幅を1間から3尺へ修正す

ることを求めたのである。

岸本によれば、軍隊の「行動ヲ敏速ナラシムル」には、 「従来ノ轄重ノ如キモノヲ使ツテ居 ツテハ間二合」わず、「自動車ノカ」が欠かせない。そのためには、 「道路ガ広クナケレバ」

ならないが、 「二間ノ道路」では「自動車ノ行違ヒガ出来」ないから、 「主要ナル郡道市道二 於テハ、是非自動車ノ自由二行違上居ル幅ヲ持タシムルコトガ必要」なのである53)。待避所を 設置することで陸軍の幅員拡大要求を抑えたい内務当局は、何としてもこの事態を打開しな ければならず、佐上道路課長は、「最小ノ幅員ハニ間トシテモ、待避所…ヲ設ケルノデスカラ、

ソレデ宜クハアリマセヌカ」、また「下級ノ道路二余り重イ標準ヲ課スルコトニスルト、結局 財政ノ関係デ出来ナイコトニナル…郡全般ノ交通二供スルヤウナ道路ハ、郡ノ負担二堪へ得 ル位ノ幅員ニシテヤル方ガ、道路全体ノ管理トカ維持トカ築造トカ云フコトヲスルニ便宜ジ ャナイカト思上マス」などと翻意を促したが54)、岸本は、 「山根サンノ意見ノ如ク主要ナルト 云フコトヲ除イテ戴クコトガ出来ナケレバ、私ハ三尺説ヲ飽マデ維持致シマス」と述べ、山 根の修正案か自分の修正案のいずれかを採用するよう迫った55)。そのため堀田局長は、「道路 ノ良クナルト云フコトハ素ヨリ望マシイコトデアルガ、又地方ノ財政二就テモ考ヘナケレバ ナリマセヌカラ」と地方財政に余裕がないことを強調し、佐上課長が、 「余り厳重ニナルト此

49)

50) 51)

52)

53)

54)

55)

同上書、246ページ。山根武亮の発言。

「道路構造令二対スル山根議員ノ意見要領」、同上書、 16ページ。

同上書、248ページ。

同上書、 249ページ。

同上害、 250‑251ページ。

同上書、252‑253ページ。

同上書、255ページ。

92

(12)

道路法と戦間期日本の道路改良(北原)

221

ノ構造令ガ実際二行ハレナクナル心配ガアルノデス」とたたみかけると56)、岩本もようやく譲 歩し、幅員を縮小できる「特殊ノ箇所」を地方政府が決定する際、内務省がその内容を監督、

指導することを条件に、原案を了承した57)。

岩本の譲歩に山根も同調したため第3条は可決され、その他の条項も原案通りに可決され たことから、道路構造令の幅員規格は確定した58)。なお、幅員規格の審議終了後、条文の意味 を明確にするため字句の修正が行われ、第1条から第4条の第2項にある「前項幅員」が「其 ノ幅員」に、第5条の前半「前各条第二項ノ場合二於テハ」が「前各条第二項ノ規定ニ依り 前各条第一項二規定スル最小幅員ヲ縮小スルトキハ」に変更された59)。道路構造令の定める最 小幅員は国道3間、府県道2間半、主要な郡道と市道2間、主要な町村道1問半であり、少 なくとも幹線道路を構成する国道と府県道の幅員規定は、自動車2車線交通に対応する内容 を備えていた60)。そこで次章では、構造令に基づいていかなる道路改良がおこなわれ、それが 自動車貨物輸送にどのような影響を及ぼしたのか検討していこう。

3.道路改良と自動車貨物輸送

(1 )道路改良の計画と実績

道路法の成立をうけた内務省は、道路構造令に基づく道路整備をおこなうため、全国的道 路改良計画を策定した61)。計画は、道路公債募集金2億8280万円を財源に、国道1811里(7063 伽)、 「主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル」国道72里(281kln)、主要府県道400里(1560k111)および 6大都市の街路の改良費を国が補助するという内容で、完了まで30年を予定した。内務省に とって、「道路ヲ改良シ交通ノ容易ト安全トヲ図リ」、「自動車ノ機能ヲ発揚セシムル」ことは、

「産業ヲ振興スル」うえで必須の課題であったが、 「総テノ道路ヲ今俄二改良スルコトハ財政 上殆卜不可能」であったため、 「重要ナルモノヨリ漸次改良スルノ方針ヲ採」ったのである。

道路改良は1920年度に開始され、 22年度まで予定通り行われたが、関東大震災が発生した23 年度以降、財政緊縮の一環として道路予算が削減され、計画に遅れが生じた62)。そのため内務

56)

57)

58)

59)

同上書、256ページ。

同上害、256‑258ページ。

道路構造令は、道路法施行と同時に施行された。

前掲「道路会議特別委員会速記録第3号」、264‑268ページ。国道を例に修正理由を説明すると、第 1の修正は、 4間から3間への幅員縮小以外に、 5間から4間あるいは6間から5間への縮小も可能 なことを明確にするために行われ、第2の修正は、幅員3間未満の場合にのみ待避所を設置することを 明示するため行われた。

郡道は、 1923年の郡制廃止に伴い府県道などに振り替えられた。

計画策定の過程は資料の制約から不明である。

内務省土木局編『道路改良計画ノ概要』 (1933年) (『新居善太郎文書j219、国立国会図書館憲政資料 室所蔵)、 1−5、附録21ページ。

60) 61)

62)

93

(13)

222

関西大学「経済論集』第51巻第2号(2001年9月)

省は、都市と農村における失業・不況救済策として道路を整備する方針を打ち出し、31年度 に失業救済道路改良事業、32年度に産業振興.農村振興道路改良事業、 33.34年度に時局匡 救道路改良事業を実施、国府県道の改良にあたった63)。さらに、34年度には従来の道路改良計 画が改訂され、道路公債募集金など6億2666万円を財源に、国道と府県道の未改良部分を20 年で改良することになった。この計画は第2次道路改良計画と呼ばれ、 1937年以降の戦時体 制期においても続行された64)o

こうした道路改良の成果について、国道.府県道の改良実績を示した表4をみると、 1920 年から43年までの国道改良延長は3413伽であった65)。 1920年の道路改良計画は国道7063kmの 改良に30年を予定しており、 4分の3の期間で目標の半分を達成した計算になる。若干の遅 れを伴いつつも、ほぼ当初の計画に沿って改良が進められたといえよう。府県道について、

1920年の計画は1560伽という改良目標を掲げたが、それは、国が改良費を補助する工事延長 を示したもので、府県単独で行う改良は含まれていない。そのため、43年の改良延長は3万 8839伽に達している。府県道の改良率34%は国道の改良率より低い値になっているが、府県 道の総延長は国道の14倍に及ぶことから、府県道の改良も国道の改良に見合う実績をあげた

と思われる。

戦時体制下でも道路改良が進められたことは先述したが、日中戦争が始まった1937年の前 後で、改良の進度に変化はみられたのだろうか。改良延長と改良費の年平均値を示した表5

表4 1943年の道路改良実績

(1920年からの累計)

(伽、%)(百万円)

(注)改良費は1934‑36年価格で、中央および地方 政府の合計。

(出所)道路延長は内務省国土局編『道路現況調』

(1944年)。改良費は建設大臣官房調査統 計課編『明治以降土木事業統計抄録』

(1957年)、内務省土木局編『道路現況調」

(1938年)および内務省国土局編『道路 現況調』 (1944年)。

63)内務省国土局編「道路改良事業概要」 (1944年) (『新居善太郎文書』592、国立国会図書館憲政資料室 所蔵)、4−9ページ。産業振興道路改良事業は1932年度から5ヵ年計画で実施された。救済型公共土木 事業の詳細は、加瀬和俊『戦前日本の失業対策』 (日本経済評論社、 1998年)を参照。

64)前掲『道路改良事業概要」、 10‑29ページ。

65) 1944,45年の統計が得られないため、本稿では、43年時点の改良延長を戦前の到達水準とみなす。

94

総延長 改良延長 改良費

国道 府県道

8,348(100) 114,229(100)

3,413(41)

38,839(34)

1

226

113

(14)

道路法と戦間期日本の道路改良(北原)

223

表5 道路改良延長と道路改良費(1934‑36年価格)の年平均値

(伽) (千円) (円)

(注)表4に同じ。

(出所)表4に同じ。

をみると、改良のペースは1937‑43年が1920‑36年を上回り、国道の改良は4割もペース・ア ップしている。これに対して、37‑43年の改良費は国道・府県道とも20‑36年を下回り、 1 伽当たりの改良費の減少は、道路改良の品質低下を示唆している。 とくに、改良がペース・

アップした国道は、 1キロ当たりの改良費が4割以下に落ち込んでおり、軍事・国防の観点 から迅速な道路改良が要請された戦時期には、道路の質より量が優先されたと推察できよう。

国道と府県道の単位当たり改良費の差は、道路構造の規格の違いから生じたと思われるが、

37‑43年にはその差が2.7倍から1.4倍に縮小し、この点からも、道路改良の質の低下がみて とれる。

表6 幅員別道路延長(1943年)

(knl、%) 府県道の2問半は、

(注)国道の4間、府県道の3間は道路構造令の規格幅員。国道の3間、

道路構造令の規格幅員の適用が除外される場合の最小幅員。

(出所)内務省国土局編『道路現況調! (1944年)。

つづいて、表6により1943年の幅員別道路延長をみていこう。道路構造令の幅員規格を満 たした4間以上の国道と3間以上の府県道の延長は、それぞれ表4に示した改良延長を下回 り、これは、構造令の幅員適用除外例に基づく改良が行われたことを示している。いつぽう、

構造令の最小幅員を満たす延長は、国道の場合、改良延長を上回っており、国道の改良は概 ね構造令に則って実施されたとみてよかろう。しかし、府県道では、最小幅員を満たす延長 が改良延長をやや下回っており、部分的にせよ、最小幅員以下の改良が行われたことが判明 する。前章でふれた、構造令に基づく道路改良に対する地方土木担当者の懸念が、現実のも のになったといえよう。なお、 1920年の時点で、既に道路構造令の幅員規格を満たしている 国道や府県道が存在したと考えられるため、表6に示した4間以上の国道延長と3間以上の 府県道延長のすべてを、道路改良の成果とみなすことには無理がある。したがって、構造令 の幅員適用除外例に基づく改良延長は、表4の改良延長と表6の規格幅員延長の差より大き

くなる可能性が高い。幅員適用除外例がすべて財政的理由に基づくとは考えにくいが、地方

95

1920‑36年

改良延長(A) 改良費(B) B/A

1937‑43年

改良延長(A) 改良費(B) B/A 国道

府県道

1

128 593

10,979

49.706

85,773

31.203 1

177 679

5 38

669 345

32,028 22,838

府県道

4間以上 3間以上 総延長 3間以上 2間半以上 総延長

1,974(24) 4,344(52) 8,348(100) 15,850(14) 35,641(31) 114,229(100)

(15)

224

関西大学『経済論集』第51巻第2号(2001年9月)

政府にとって、構造令の幅員規格どおりに道路を整備することが財政的に難しかったことは 確かであろう。以上の考察をふまえ、次節では、道路改良と自動車輸送との関連を検討する。

(2)貨物自動車輸送の展開

明治30年代に海外から導入された貨物自動車は、当初、企業や商店の宣伝広告に使われる など使用が限られていたが66)、関東大震災後の輸送難の時期に鉄道貨物の集配に貢献し、輸送 力を評価されたことを契機に、京浜、京阪神など大都市圏から地方へと普及した67)。貨物自動 車台数の推移を示した表7をみると、戦間期に急増したことが判明しよう。当時、貨物輸送 には主に1トン積車両が使用され、車種はフォードとゼネラル.モータースのシポレーが一 般的であった。たとえば、 1926年の関東地方では、貨物自動車6103台にしめる1トン積車の 割合は78%にのぼり68)、1929年の中部地方では、貨物自動車5504台中フオードが44%、シポレ ーが25%をしめた69)。

表7 貨物自動車台数の推移

(台)

(注) 1933年以降は小型トラックを 含む。

(出所)近代日本輸送史研究会編

『近代日本輸送史」(運輸経 済研究センター、 1979年)、

466‑467ページ。

貨物自動車は、機動性・積替えの少なさ・一貫した輸送。短い輸送時間など鉄道には無い 輸送上の特色を備えていたため、鉄道の補助輸送のほか、鉄道と並行する輸送にも進出し、

66)尾崎正久『日本自動車史』 (自研社、 1942年)、89ページ。

67)府県別人口1万人あたりの自動車保有台数の変動係数は、1915年2.51,1920年1.25,1925年0.77,1930 年0.53, 1935年0.45と減少している(奥井、前掲書、230ページ)。

68)東京鉄道局運輸課編「貨物自動車運輸に関する調査』 (1927年)、41ページ。この数値には、関東地方 1府6県のほか、静岡県および福島県の一部地域の車両が含まれている。

69)名古屋鉄道局編『中部日本の自動車運輸』 (1930年)、322‑323ページ。この数値には、愛知、静岡、

岐阜、長野、山梨、福井、石川、冨山、新潟の各県のほか、三重県と滋賀県の一部地域の車両が含ま

れている。

96

1915 1917 1919 1921 1923 1925 1927 1929

24 42 444 383 058 884 467 700

︐︐91︐137

14 25

1931 1933 1935 1937 1939 1941 1943 1945

34,837 38,501 47,939 61,132 71,262

71,721

76,721

72,908

(16)

道路法と戦間期日本の道路改良(北原)

225

鉄道輸送と競合する貨物輸送量は、1926年の73万トンから1930年の356万トンへ、 5年間で5 倍近く増加した70)。1930年の鉄道貨物輸送量5593万トンに対する自動車輸送量の割合は6.4%

にとどまり、鉄道と自動車の競合は部分的なものであったが、貨物自動車輸送は主に近距離 区間で利用され、1930年の場合、50キロ以内の輸送が全体の73%、100キロ以内では92%をし めたことから71)、近距離輸送における貨物自動車と鉄道の競合の度合いは、6.4%という数字 以上に高かったと思われる。 1930年の自動車輸送量のうち291万トン(82%)について品目を 調査した結果によると、最も大きな割合をしめたのが雑貨(32万トン)の10.9%で、これに、

野菜・果物類(23万トン)7.9%、魚介類(20万トン)7.2%、米(16万トン)5.6%、肥料(11 万トン) 3.8%、薪炭類(11万トン) 3.8%、石炭類(10万トン) 3.7%が続いている72)。ここ で注目されるのは野菜・果物類と魚介類で、鮮度の維持が欠かせない生鮮食料品の輸送に、

自動車が利用されたことが判明する73)。雑貨は多様な商品を含むと予想されるが、その内容は 不明である。つづいて、表8から、 1930年における貨物自動車の輸送量と台数の地方別分布 をみると、両者は同様の分布を示しており、貨物自動車の輸送量は台数に比例していたこと が判明しよう。輸送量と台数ともに南関東、近畿、東海地方が上位に位置し、 3地域で輸送 量の59%、車両数の64%をしめた。これらの地域は、 6大都市および京浜、阪神、中京工業 地帯74)を擁しており、経済活動の活発さが貨物自動車の利用に反映したと考えられよう。中位 地域は九州、東北、北関東、山陽地方で、北海道、東山、北陸、山陰、四国地方は低位にと

どまっている。

それでは、道路改良は貨物自動車輸送にいかなる影響を及ぼしたのであろうか。表9に示 した1936年の地方別国道・府県道改良実績を、表8の地方別貨物自動車輸送量と照らし合わ せてみよう。本来なら1930年の改良実績を利用すべきだが、資料の制約から36年の数値しか 得られない。ただし、表8にあげた1930年と36年の貨物自動車数を比べると地域的分布に大 きな変化はなく、36年の自動車輸送量は30年と同様の地域分布をもつと予想されることから、

全体的傾向を判断する限り、36年の数値を用いることは有効といえよう。そこで、表9の改

1926年は鉄道省運輸局編「自動車に関する調査報告(第2輯)』 (1928年)、 113ページ、 1930年は鉄道 省運輸局編『貨物自動車影響調査(昭和5年中)』 (1932年)、2ページ。全国レベルの貨物自動車輸送 量が判明するのは1926年と30年のみで、鉄道と競合する輸送以外の貨物自動車輸送量は、 1926年の75 万トンという数値しか得られない。

前掲『貨物自動車影響調査(昭和5年中)」 (1932年)、4−5ページ。

同上書、40‑43ページ。輸送量10万トン以上の品目をあげた。

生鮮食料品の自動車輸送については別稿を準備しており、鉄道輸送との比較を含め、貨物自動車経営 の詳細を検討する予定である。

工業地帯の形成については、天野雅敏「産業構造と地域経済」、西川俊作・尾高煙之助・斎藤修編著「日 本経済の200年』 (日本評論社、 1996年、所収)を参照。

70)

71)

72)

73)

74)

97

(17)

226

関西大学『経済論集』第51巻第2号(2001年9月)

表8 貨物自動車の輸送量と台数(地方別)

(トン、%) (台、%)

(注)輸送量は鉄道輸送と競合する貨物の値。沖縄の輸送量は 不明。東北は青森、秋田、岩手、山形、宮城、福島、新 潟、北関東は茨城、栃木、群馬、南関東は千葉、埼玉、

東京、神奈川、東山は長野、山梨、東海は静岡、愛知、

岐阜、三重、北陸は富山、石川、福井、山陽は岡山、広 島、山口、山陰は鳥取、島根。

(出所)輸送量は鉄道省運輸局編『貨物自動車影響調査(昭和 5年中)』 (1932年)。台数は『第51回日本帝国統計年鑑j および『第57回日本帝国統計年鑑』。

表9 1936年の地方別道路改良実績(国道と府県道、1920年からの累計)

(km) (%) (千円)

(注)数値は国道と府県道の合計。改良費は当年価格。網かけ部分は1930年 の貨物自動車輸送量と台数の上位、中位地域。

(出所)内務省土木局編『道路現況調』 (1938年)。

陽一

98

1930年

輸送量 台数

1936年 台数 北海道

東北 北関東 南関東 東山 東海 北陸 近畿 山陽 山陰 四国 九州

50,161( 1) 326,732( 9)

271,827( 8) 953,652(27)

79,519( 2)

463,789( 13)

99,700( 3) 687,285( 19)

209,365( 6)

34,562( 1)

95,313( 3)

284,323( 8)

11

10

749( 2)

640( 5) 612( 5)

675(35)

968( 3)

3,889( 13)

41

2

793( 3)

861( 16)

521( 5)

379( 1)

808( 3) 309( 7)

1,594( 3)

2,756( 5)

2,613( 5)

15,924(31)

1,279( 3)

6,384( 12)

1,801( 4) 10,492(20) 2,730( 5)

634( 1)

1,588( 3) 3,225( 6)

合計 3,556,228(100) 30,807(100) 51,310(100)

(18)

道路法と戦間期日本の道路改良(北原)

227

良延長、改良率(B/A)および改良費の上位・中位地域をみると、表8の貨物輸送量で上中 位をしめた地域とほぼ重なっており、道路改良が貨物自動車輸送にプラスの効果を与えた可 能性は高いと思われる。ただし、改良率の平均が25%にとどまっていることを踏まえれば、

道路改良が貨物自動車輸送の展開に追いつかなかったとも推測され、改良の効果を過大視す ることはできないが、改良された道路が自動車交通を促したことは確かであろう。たとえば、

1929年に岐阜市が行った貨物自動車運送業者への聞き取りによると、道路改良前の1922年に 比べて、岐阜・高山間133klnの輸送時間は1時間半乃至2時間短縮され、同区間における荷物 1貫目の運賃は50銭から13‑15銭に低下した。また、輸送中の荷物の損傷もほとんど無くな り、タイヤの耐久距離は4000kmから9600kmに向上、車両の耐久年数も2.2倍に延びたという75)。

こうした指摘が一般性をもつか否かは、今後、事例を積み重ねて判断する他ないが、岐阜県 のケースが道路改良の効果を示す証左になることは間違いなかろう。

4.むすび

以上の考察から、道路法と戦間期の道路改良について、次のようにまとめることができる。

道路の経済的役割を重視する道路法は、道路改良による自動車交通の促進を重要な目的とし ており、自動車の通行と密接に関係する道路の構造は、道路構造令により規格が定められた。

構造令の策定にあたり、内務省は自動車が円滑に通行できる幅員の確保をめざしたが、陸軍 が軍事車両の通行を想定して幅員の拡大を要求し、道路費用を負担する地方政府の土木担当 者からは、道路改良に伴う財政負担の増加を避けるため、過度の幅員拡大に反対する意見が 相次いだ。そのため、内務省は、両者の要望を調整しつつ幅員規定を作成し、幹線道路を構 成する国道・府県道については、最低でも自動車2車線交通可能な幅員規格が定められた。

構造令に基づく国道・府県道の改良は、概ね構造令の幅員規格に則って実施されたが、幅員 適用除外例による改良、および府県道では最小幅員以下の改良もみられ、道路改良が地方政 府にとって財政的負担となったことが推測された。そして、戦間期に都市から地方へと広が り、鉄道輸送と競合した貨物自動車輸送の発展に、こうした改良が貢献したことが示唆され た。

本稿では、道路法が道路の軍事的役割より経済的役割を重視したことを明らかにしたが、

両者は対立関係にあった訳ではない。内務省が、陸軍の幅員拡大要求に難色を示したのは事 実だが、それは、道路費用を負担する地方政府の財政的制約に配慮したためであり、幅員が

75)松尾国松「土木行政の維新たる道路法の成績」、 『道路の改良』第12巻第1号(1930年1月)、 261"、<

ージ。松尾は岐阜市長。

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(19)

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関西大学「経済論集」第51巻第2号(2001年9月)

広い道ほど自動車交通に適することは、内務省も承知していた。軍事上必要な道路の幅員は、

一般の自動車交通にとって十分な広さを有しており、自動車交通の普及をめざす同省にとっ て、陸軍が求める幅員はむしろ望ましく、出来ることなら道路構造令の幅員として採用した かったと推察される。実際には、財政的問題から陸軍の要求は抑制せざるを得ず、陸軍には 不満が残ったかもしれないが、自動車交通の促進という点では、道路の軍事的役割は経済的 役割を妨げるものではなかった。道路法に関する従来の研究は、道路の軍事面と経済面を対 立的に捉えてきたが、両者の関係を的確に評価するには、その内容を見極めた上で判断する

ことが欠かせないといえよう。

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参照

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