バブル経済崩壊以降の企業改革に関する研究
―法制度・組織改革・人事改革―
同 志 社 大 学 大 学 院 社 会 学 研 究 科 産業関係学専攻 博士課程(後期課程)
中井 正郎
i 目次
Ⅰ.研究の目的と課題 ... 1
1.はじめに:本稿の課題 ... 1
2.研究の全体像 ... 2
2-1.検討時期:バブル経済崩壊以降という時期の研究対象の重要性 ... 2
2-2.検討領域:何を検討対象とするのか ... 3
2-3.検討対象・方法:ルールの検討 ... 8
3.本稿テーマに関わる先行研究の検討 ... 10
3-1.東大社研研究の概要と狙い ... 10
3-2.考察 ... 13
4.本稿の構成 ... 17
Ⅱ.1980年代と 1990年代の産業政策の特徴 ... 18
1.本章の目的と構成 ... 18
2.産業政策に関わる先行研究の検討 ... 20
3.バブル経済崩壊後の経済戦略-政府の政策方向と経済界の方向- ... 22
4.1980年代の産業政策 ... 27
4-1.1980年代の産業政策の方向 ... 27
4-2.1983年制定「特定産業構造改善臨時措置法」の政策方向 ... 29
4-3.1987年制定「産業構造転換円滑化臨時措置法」 の政策方向 ... 31
4-4.80年代の産業政策に関する考察 ... 33
5.1990年代の産業政策:80年代からの政策の転換 ... 35
5-1.1990年代の産業政策の方向 ... 35
5-2.事業の革新による経営改革の実施:1995年制定「特定事業者の事業革新の円 滑化に関する臨時特別措置法」の政策方向 ... 38
5-3.組織構造の改革による経営改革の実施:1999年制定「産業活力再生特別措置 法(産活法)」の政策方向 ... 40
5-4.「産活法」の具体的内容(2003年成立法を中心に) ... 44
5-5.「産活法」の事業再構築における目標の設定の傾向 ... 50
6.小括 ... 51
ii
Ⅲ.企業の組織改革を促す法制の制定と組織再編 ... 56
1.本章の目的と構成 ... 56
2.企業組織の改革に関する先行研究の検討 ... 58
3.バブル経済崩壊以降の企業の組織改革の意味するところ ... 60
3-1.市場と組織の関係 ... 60
3-2.日本の社内カンパニー制と持株会社 ... 64
4.企業組織の改革を促す主な企業法制の整備 ... 67
4-1.商法改正による企業合併の手続きの簡素化 ... 68
4-2.独占禁止法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律)の改正によ る純粋持株会社の解禁 ... 70
4-3.持株会社設立の円滑化のための株式交換・移転制度の創設 ... 73
4-4.商法改正による会社分割制度の創設 ... 76
4-5.連結決算の強化 ... 80
4-6.労働契約承継法(会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律)の制定 ... 82
5.雇用労働分野の法改正・創設 ... 84
5-1.労働時間規制の取り組み ... 86
5-2.非正規社員の活用の拡大 ... 89
6.企業における組織改革の実際 ... 92
6-1.「産業活力再生特別措置法」事業再構築計画認定企業の組織改革 ... 92
6-2.持株会社の事例の検討 ... 93
7.小括 ... 111
Ⅳ.人事改革の展開 ... 115
1.本章の目的と構成 ... 115
2.人員構造の改革 ... 116
2-1.非正規化の現状 ... 116
2-2.非正規化の進展 ... 118
3.経営者団体(日経連)の提言に見る人事制度改革の方向 ... 120
3-1.『新時代の「日本的経営」』(1995年)に見る人事制度改革 ... 121
3-2.『成果主義時代の賃金システムのあり方』(2002 年)に見る人事制度改革 ... 125
iii
3-3.『今後の賃金制度における基本的考え方』(2007年),『仕事・役割・貢献度
を軸とした賃金制度の構築・運用に向けて』(2008年)における人事制度改革 ... 127
3-4.小括 ... 128
4.先行研究に見るバブル経済崩壊以降の企業の人事制度改革 ... 130
4-1.人事制度改革に関わる先行研究の検討 ... 130
4-2.職能資格制度の限界 ... 135
4-3.職能資格等級制度から役割等級制度への改革 ... 138
4-4.小括 ... 142
5.「基本給」の改革-労働政策研究・研修機構『主要企業における賃金制度改革の変 遷に関する調査Ⅰ,Ⅱ』の分析- ... 143
5-1.資格制度の改革 ... 145
5-2.評価制度の改革 ... 149
5-3.賃金制度:「基本給」の改革 ... 152
5-4.小括 ... 155
6.賞与制度の改革 ... 157
6-1.各社の賞与制度改革の時期 ... 157
6-2.賞与制度改革の視点と配分の傾向 ... 158
6-3.賞与制度改革の特徴―労働政策研究・研修機構『主要企業における賃金改革 の変遷に関する調査Ⅰ,Ⅱ』の分析― ... 160
6-4.小括 ... 164
Ⅴ.まとめと今後の課題 ... 165
1.本稿の理論的意義 ... 165
2.今後の研究課題 ... 169
2-1.経営戦略の変化と組織改革・人事改革 ... 169
2-2.「働き方改革」への取り組み ... 171
2-3.産業関係学への期待 ... 173
『労政時報』業績賞与関係掲載記事一覧 ... 176
【参考文献】 ... 182
1
Ⅰ.研究の目的と課題
1.はじめに:本稿の課題
バブル経済崩壊から回復までの約 10 年間は,巷間では「失われた 10 年」と表現されて いる。もっとも経済の回復を確認できるまでには 20 年かかったという事実を踏まえ,「失 われた 20 年」とも言われている。確かに,バブル経済の崩壊により日本経済が停滞し,株 式等の価値が大幅に低下し,経営指標や株価が一定の水準まで回復するには多くの時間が 必要であった。また,その間,金融機関では不良債権の処理が進められた。その意味で上 記の表現は正しい。しかし,この期間,政府や企業は何も対応せずにただ市場環境の回復 を待っていただけではない。政府においては,この状況を回復するため,数々の施策が実 施され,また,多くの企業では生き残りのため様々な経営改革に取り組んで いたと考えら れる。例えば,企業改革においては事業領域では「事業統合」や「赤字事業からの撤退」,
経営組織では「分社化の推進」「持株会社の設立」 ,雇用労働領域では「成果主義人事の 導入」「間接部門の削減」「非正規労働者の比率の拡大」など,各分野にわたり様々な改 革が行われていることが報道されている。ただ,このような各領域の改革は「市場環境の 変化」と「組織改革」,または「市場環境の変化」と「人事制度改革」へというように,
市場環境の変化と各領域における実施施策とが直接結びつけられて認識されているのでは ないかと考える。例えば,市場の変化がどのような理屈,道筋により人事管理の改革を必 然化させたのか,明らかにした研究は少ない。
筆者の研究課題はバブル経済崩壊後の企業改革について,政府の施策や企業の取り組み など各領域における改革を理解するとともに,各領域がどのような関連性を持っているの かを整理し,当時の企業改革の全体像を一貫した視点から明らかにすることにある。特に,
バブル経済の崩壊以降,日本社会に求められた 市場メカニズムの拡張が政府の政策や企業 組織の各領域においてどのように翻訳され,受容されていったのかを明らかにすることに ある。
このように考えた場合,本研究をどのような視点から取り組んで行くのか,またどのよ うな方法論に依拠するのかなど,本研究における検討枠組みを最初に明確にしておく必要 があろう。
以下では,①検討時期:取り扱う時期,②検討領域,③検討対象・方法について ,研究
2 の全体像を整理しておくこととする。
2.研究の全体像
2-1.検討時期:バブル経済崩壊以降という時期の研究対象の重要性
何故,バブル経済崩壊以降の企業改革について取り上げるのかについて,まず最初に述 べておく。この時期は日本社会にとって大きな転換期であり ,2000 年代以降の政府や企業 の取り組みを理解する場合に,1990 年後半から 2000 年半ばにおけるこの転換期の理解が 必要不可欠であると考えられるからである 。バブル経済崩壊以降という時期は,日本の従 来の各システムの転換期であり,企業における改革もこれまでとは異なった 取り組みが行 われたと考えられるからである。
それゆえ,この時期に関しては,金融分野や雇用・労働分野などを始め,各領域で多く の優れた研究がおこなわれており,バブル経済崩壊後の様相が明らかにされている。
これらの研究の中で優れた研究である東京大学社会科学研究所(2005,2006)において も,『「失われた 10 年」を超えて』をテーマに研究成果が出 されており,バブル経済崩壊 後という「時期」の重要性を以下のとおり指摘している1。
同書においては,バブル経済崩壊により「1990 年代の日本において,グローバライゼー
ション(globalization)が基底的なインパクトをもったという視点に立つ。グローバライ
ゼーションの本質は市場経済の拡張にある。グローバライゼーションが進行する状況下,
1990 年代の日本では,それまで市場原理の作用をある程度抑制し,結果として経済の高成 長をもたらしてきた様々な社会システムが動揺をきたすことになった」2,「1990 年代に日 本が経験した低迷が,歴史的にみてきわめて深刻な意味をもつ点を指摘することができる」
3とバブル経済の崩壊により,これまでの社会システムが大きく変化するこの時期の重要性
1この 研究の他,2011年に 発表された 内閣府経済社 会総合研究所 の「バブル/デフ レ期の日本経済 と経 済政 策」の研究趣 旨には「戦 後 60年の歴史の中で ,第2次石油危機 以降の四半 世紀は,日本にと って,
グロ ーバル化の洗 礼を受ける とともに, 経済社会 の地殻変動を 経験した激 動の時代で あった。 バブルの 発生 と崩壊,その 後のいわゆ る「失われ た 10年」 を脱するまで の期間,日 本経済は, マクロ経 済情 勢・ 経済政策の正 常化に向け た苦闘の歴 史を余儀 なくされた。 この間の日 本のマクロ 経済政策,各種 の 構造 改革などの一 連の経験は ,我が国の 経済史の みならず,諸 外国の歴史 においても 稀な政策 的試行錯 誤の 歴史であった ともいえ, 後世への貴 重な教訓 を含んでいる 」と バブル 経済崩壊後 からの回 復過程を 研究 することの重 要性を指摘 している。 このよう に,同研究で は,日本に おけるこの 時期の重 要性を確 認し ,産業構造, 金融政策, 国際環境と 日本経済 ,不良債権と 金融危機, 財政政策と 社会保障 ,労働市 場と 所得分配,構 造問題と規 制緩和など 幅広い領 域にわたり調 査研究が行 われたが, この期間 ,「日本 経済 は,マクロ経 済情勢・経 済政策の正 常化に向 けた苦闘の歴 史を余儀な くされた」 とあるよ うに,こ れま での延長線上 での対応で は乗り切れ なかった 課題があり,そのた め「苦闘」 が語られている 。
2東京 大学社会科学 研究 所(2005)p.2
3同 上p.4
3 を指摘している。
このように,代表的な研究に限って見ても,バブル経済の崩壊は,高度成長期より続い ていたこれまでの日本のシステムを大きく変えるものであり,その方向は「本稿の課題」
で触れたように,本格的に日本の各システムが「市場」を取り込む方向に進む転機となっ た時期であると認識することができる。このような視点から,「バブル経済崩壊後」の時 期を研究対象時期に設定することには意義があると考える。
また,バブル経済の崩壊後といっても,どの期間をみるかは施策を検討していく上では 重要であると思われるが,本稿では 1990 年代後半から,おおよそリーマンショックが発生 する前の 2000 年代半ば頃までを中心に見ていくこととする。これは,バブル経済の崩壊を 経て,政府機関等で日本経済の再生を検討し,経済再生のための具体的な基本方策が実施 された時期と考えられるからである。
2-2.検討領域:何を検討対象とするのか
この時期の理解は,単に個別企業の改革の記述だけでその内実を明らかにすることが出 来るのであろうか。もちろん具体的な改革は新聞や経済誌などで報道されるように各個別 企業の改革として表出する。研究テーマである「バブル経済崩壊以降の企業改革」という 極めて限定した範囲での課題を検討する場合も,企業改革と関連する政府の取り組みの理 解も一体となって行う必要があることは,先の東京大学社会科学研究所(2005)でも確か められている。企業が自ら改革を行うことは中心的な取り組みであるが,この時期の政府 の政策が果たした役割は重要であると考える。
このように企業改革を捉えると,まず手掛けなければならないことは,企業の取り組み を念頭に置きながら,政府が取り組んだ政策内容を明らかにすることであり,その理解に 立って,企業改革がどのように行われたのかを明らかにすることが必要ではないであろう か。このように考える場合,ここで,政府による施策についてもう少し立ち入って説明す る必要があろう。
政府による法規制,労働組織と経営組織との間で構築された雇用に関する規制に関して 石田教授が整理された J・T・ダンロップの枠組みを示すと図表Ⅰ-1 のようになる。
このダンロップの政府,企業組織,労働組織を関係づけるルールの分析は産業関係学に おいて研究を進めていく重要な視点であること には異論はないであろう。ただ,ここで述 べられている,政府による労働組織と経営組織への規制の部分に関しては,政府による規 制が何であるのかをまず明確にする必要がある。
4
図表Ⅰ-1 政府、労働組織、経営組織の規制
出所:石田(2001)p.84 より抜粋
雇用をめぐり,労使の取引に関して政府は各種の規制を行う 。技術や市場,社会関係の 影響を受けた政府の規制という制約の中で企業は経営を行い利益を生み出していかなけれ ばならない。この政府による規制で典型的なものは雇用労働に関する法規制である。日本 においては労働組合法,労働関係調整法など集団的労使関係を 規制する各法律とともに,
労働基準法や短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律 (いわゆるパート労働法)等 の個別労使関係を規制する法律である。このような労使関係を規制する労働立法を中心と する「労働政策」とともに,企業の事業運営や業界の在り方について,その方向を直接・
間接的に誘導する規制がある。具体的には,企業の設備の導入や改廃など,企業の競争力 の維持・強化などを支援する立法などから成り立つ「産業政策」である。
政府が労働組織や経営組織への規制に関しては ,産業関係学においては雇用労働に直接 かかわるルールである労働法の分析が主であり,産業政策に係わる立法や施策についての 研究は手薄となってきたと考えられる。当然,労働関係に係わる領域の研究が重要である ことは改めて指摘するまでもないが,この領域の研究にとどまっていることについては,
企業経営という視点から労働関係を観察し解釈する ことが必要であるという視点に立てば,
労働関係法や関係するルールの観察のみでは研究領域が限定されすぎているように見える。
労働政策に関わる立法とともに,設備の導入や改廃,企業組織再編など企業のあり方自体 を規制する立法やそれにまつわるルールについても範囲を広げ研究する必要があるのでは ないかと考える。
5
次に,企業自身の改革をどのようなプロセスで理解するのか,特に「労働力の取引」の ルール設定である人事管理までの検討のプロセスについて述べておく。
労働力の取引は「労働力の支出」と,その労働力を購入し支払われる「賃金」によって 形成されるが,「経営戦略」から「人事管理」へ至るプロセスのもとで,どのような仕組 みで労働力が支出され,購入されるのか,その仕組みを確認しておきたい。
まず,企業においては市場に対応した経営を行うため,その指針となる「経営戦略」を 策定する。「経営戦略」にいついては様々な定義があるが,「環境適応のパターンを将来 志向的に示す構想であり,企業内の人々の意思決定の指針となるもの」4と定義づけられる。
そして,この戦略の内容を明確化するためには「ドメインの定義」「資源展開の決定」「競 争戦略の決定」「事業システムの決定」が行われる5。このように経営戦略が決定されれば,
戦略を実行していくための「組織」が構築される6。そして,次のプロセスとしてこの経営 戦略に基づき中長期の経営計画,単年度の経営計画が立案される。年度経営計画において は,利益,売上目標をはじめとする経営目標が設定される こととなる。神谷(1997)によ れば,年度の経営目標には「定量的目標」と「定性的目標」があり,「定量的目標」には,
例えば「業績目標」として,「総資本売上利 益目標」,「売上高目標」など,また「定性 的目標」には例えば「経営革新目標」として「新市場開拓目標」などが挙げられている(図 表Ⅰ-2)。全社的な目標は,例えば,部門,課・係,そして各個人レベルまで,具体的 に実行される単位毎に管理目標が設定され展開されることになる(図表Ⅰ-3)。
この従業員各人への業務の配分は,実務的には最小単位のマネージャーが行うことにな る。実際には配分された業務=「課業」は日常的に上司・部下間で進捗管理が行われるこ とになる。人事管理の制度上では,形式的には「課業」は,各人の担当に関する 合意と進 捗管理をチェックする目標面接で設定される。各人に割り振られた目標はその達成度に応
4石井 ・奥村・加護 野・野中(1996)p.7
5同 上p.9。「ドメイン の定義」と は「現在から将来 にわたって, 「自社の事 業はいかに あるべき か」を
決定 すること」で あり,「企 業が事業活 動を行う 事業分野のリ スト」とし て示される 。「資源 展開」と は「 競争に必要な 「経営資源 の蓄積と配 分にかか わる戦略」で あり,「ヒ ト,モノ, カネをど のように 蓄積 し配分してい くのか」と いうことで ある。「 競争戦略」は 「蓄積・配 分された資 源をもと に,いか にし て競争優位を 確立してい くのかの決 定」であ る。「事業シ ステム」と は「企業間 にまたが る事業活 動を 組織化し,持 続的な競争 優位をどの ようにし て構築するか を決 定する こと」であ る。
6アル フレッド D.チャンド ラー.Jr の研究 (1962)では「 組織は戦略に 従う」とい う命題を導き出 し,
この プロセスが実 証されてい る。一方, 「相互浸 透モデル」と してチャン ドラーの「 伝統的な 戦略と組 織構 造という2分 法的な概念 ではなく, 両者をも っと包括的な もので相互 作用的なも のとして とらえよ うと する」研究に ついての指 摘もある( 石井・奥 村・加護野・ 野中(1996)p.128)。ただ,これ らの研 究で も経営戦略と 組織は緊密 な関係があ ることを 示しており, 経営戦略と 組織構造に は優位な 関連性が 存在 することが理 解できる。
6
じて,例えば昇給や賞与額等の評価に活用されることとなる。
図表Ⅰ-2 経営目標項目例
業績 目標 総資 本利益率目標
売上 高目標
定量 目標 経常 利益目標
経 営 目 標
成果 配分目標 成果 配分賞与目標
配当 率目標
内部 留保目標
経営 革新目標 新市 場開拓目標
新製 品開発目標
定性 目標 制度 改善目標
経営 資源目標 物的 資源確保目標 人材 確保・育成目 標
資金 調達運用目標 出所:神谷(1997)p.84 より抜粋
以上のように,全社の目標は構成員一人ひとりの業務に落とし込まれることとなり,こ の展開を遡ると,個人の目標,業績の総和が企業の業績となる7。企業が事業改革を実施し,
業績を上げようとすれば,職場の従業員一人ひとりの 業績向上とその達成が重要になる。
このような過程は,石田が指摘するように【市場】→【経営戦略】→【組織再編】→【仕 事管理】→【人事・賃金管理】という繋がりになる8。
これは「「市場を取りに行ける」=「もうかる」という目的を達成するためには ,賃金 論を起点に発想していても達成できない。そのためにはビジネスモデルを明確にして ,企 業が市場で支持され評価される経営戦略とそれに応じた仕事管理の仕組みを作り ,その上 で賃金論をビジネスモデルに適合的に構想せざるをえない」9という論理であり,その論理 は説得的である。
ただし,大きな市場の変化の場合は,まず特定の産業や不況 業種という集団での対応が 政府によって行われる。いわゆる競争政策のもとに展開される産業政策である。 そして,
政府の政策においてはその実行を担保するため法律が制定され ,それを梃として改革がお
7この ような展開に 関しては自 動車産業で は石田 ・藤村 ・久本 ・松村 (1997),門田 (1991)が,小売 業では 小野 (2001)が詳 しい。
8石田(2006b)p.47
9同 上p.48
7
こなわれる。本稿での検討対象となる政府の政策は,産業政策自体の法律(特別措置法が 多い)とともに,商法・会社法や独占禁止法の改正など企業運営に関わる法 制である。こ れらにより企業改革が実行されていく。このように考えると,先ほどの流れは,【市場】
→【産業政策,各分野の法律の改正・創設】→【経営戦略】 →【組織再編】→【仕事管理
=業績管理】→【人事・賃金管理】という繋がりになる。
図表Ⅰ-3 工場での目標展開例 展 開 概 要
決定者
フォロー 会議体
(議長)
開催頻度
(出席者)
専務会 生 産 機 能会議
歩合会議 原価会議
〔副 社長〕
月1 回
副社長、生産部門 関連取締役、
部次長 生産部
門担当 副社長
工場 原価会議
〔工 場長〕
月1 回
〔部次長〕
工場長 部 原価会議
〔部 長〕
月1 回
次・課長、工長 議 題 に 応 じ 技 術 員
部 長 課 原価会議
〔課 長〕
月1 回
〔工長、組長〕
課 長 課 原価会議
〔課 長〕
月1 回
〔工長、組長〕
工 長 課 原価会議
〔課 長〕
月1 回
〔工長、組長〕
出所:門田安弘著(1991)p.20より転載
これまでの議論を整理すると,本稿で明らかにしなければならない領域は① 政府の政策,
②それを支える立法,③そして経営戦略の具体的な現れ方としての企業の組織改革の取り 生産能率
原価低減 品質向上 会社方針
全工場目標
B工場目標 C 工場目標 A工場目標
重点展開(項目・施策)
B部 目標 C 部 目標 A部 目標
重点展開(項目・施策)
B課 目標 C 課 目標 A課 目標
重点展開(項目・施策)
B係 目標 C 係 目標 A係 目標
重点展開(項目・施策)
B組 目標 C 組 目標 A組 目標
8
組み,④雇用・人事賃金制度改革,以上4領域となる。
なお,本稿で取り上げる各領域はそれぞれの分野でこれまでに優れた研究が多く蓄積さ れていることから,本研究においてはこれまでの成果を整理したに過ぎないとも言える。
その上で,改めてこのような領域を取り上げるのは,各研究領域の細部は重要であるが,
それとともに全体を見渡すという視点が何よりも重要であると考えるからである。
2-3.検討対象・方法:ルールの検討
以上のように「市場」から「人事管理」へのプロセスを検討していくことは確かに重要 であるものの,それは常識的な視点であり,どのような意義があるのかということが問わ れる。このような問いに関しては,このプロセスにおいて,どのような点を中心に見てい くのかということが重要となる。つまり,「市場」から「人事管理」のプロセスにおいて 何を分析し,どのような点を明らかにするのかを明示する必要がある。この点に関しては 冒頭の目的で述べたように,バブル経済の崩壊以降に求められた「市場化」の拡張による 改革の潮流が,政府の政策や,企業のガバナンスに受容され るために,どのように翻訳さ れて行ったのかという視点が必要である。市場を表現する記号である「価格」10を,政府の 政策や組織,そして人事管理はどのような記号=規則として翻訳したのか,そのためには どのような施策が必要であったのかを明らかにする ことが重要である。
石田は『仕事の社会科学』のなかで下記のごとくルール分析の重要性について記述して いる。
「経済活動一般は,企業や家計という実態的組織が市場によって連結されている世界に おけるサービスや商品の生産と交換,分配の行為だと直感的にイメージすることができる。
常識的に考えて,その連結部たる市場の作動だけで経済活動全体の機能や構造が見えてく るはずがない」11とし,「見えてくるためには,市場によって繋がれてはいるけれど,市場 には解消しきれない企業組織それ自体のあり方をクリアカットに描くことである」12。そ のためには「市場における価格という記号的存在に比肩するにたる組織における 記号的存 在は何か,という風に課題はくっきり立てられるべき」13であり,それはダンロップの労使 関係研究で指摘されている「規則=ルール」という視点である 。市場における物品やサー ビスの交換は価格により調整されるが,市場が存在しない企業組織内における取引は規則
10石田(2003)p.3
11同 上p.3
12同 上p.3
13同 上p.3
9
=制度を通して行われ,その規則は取引者間で合意された「集約」点として捉える事が出 来る。
他方,立法というルールはどのように考えることが出来るのであろうか 。これも先ほど の「集約」点と同じ考え方である。立法は企業労使の交渉の結果成立するものではないが,
成立過程においては利害関係者(組織)による調整が行われる。現在の日本においては,
法律を策定するためには,その法律の管轄省庁の審議会におてまず審議され,そこで調整 が行われた段階で国会に上程され,審議,成立というプロセスを歩む。雇用労働分野 につ いて見て行くと,厚生労働大臣より審議事項に対して,まず労働政策審議会において新た に創設,または改正される立法(ガイドラインも含む)について,現在では連合と経団連 という労使の組織および学識者の代表により審議される。この 過程では,労働政策審議会 本審だけではなく専門の分科会においても本審と同様の委員構成により審議される。この 審議過程では実質的に労働組合代表と使用者代表との間で政策に関する意見の調整が行わ れ,労使代表によりルール設定に関し「合意」が行われることになる。 合意されれば,政 府原案として国会に上程され,専門の委員会において審議され ,本会議の採決により法の 成立となる14。このような一連のプロセスにおいて利害関係者の調整が行われ,合意=「集 約点」としての法律が成立することになると考えられる。 産業政策における立法も同様で あり,産業界や関係組織と政府の調整の集約点として捉える事が出来るのではないであろ うか。
「ルールこそが当事者相互の社会関係の凝結=暫定的均衡点の表示」であるとつかまえ ると,「分析は(ア)ルール自体を詳細に記述すること,(イ)ルールを実効あらしめる 機構・制度を記述すること,この機構・制度はサンクション(sanction)とインセンティ
ブ(incentive)の機構・を制度化したものとして記述すること,(ウ)そうしたルールと
機構の前提になっている理念を把握すること ,(エ)この理念が変転きわまりない現実と の間に醸成される軋轢を発見すること」15と,分析対象と方法は確定される。次節ではこれ までの議論を踏まえ,代表的な先行研究について検討することとする。
14労働 政策審議会に 関しては神 林・大内(2008)が詳 しい。
15石田(2003)p.78
10 3.本稿テーマに関わる先行研究の検討
3-1.東大社研研究の概要と狙い
バブル経済崩壊以降の企業改革や政府の政策・取り組みを明らかにした研究は多くの 機関で行われているが,ここでは東京大学社会科学研究所編(2005,以下,東大社研研究 という)について,その内容を整理・検討することとする 。同研究を取り上げた理由は,
これまでの代表的な研究成果の評価を行い,その評価を踏まえたうえで,同研究が実施さ れているからである。
本節ではまず東大社研研究により何が明らかにされ,何が課題として残されているのか について,本稿の研究目的との関係で確認する。
同研究の目的は「1990 年代以降の日本社会の変容・不変容を実証的に分析し,そこで 行われた対応行動・制度変更を論理一貫性ある視座から評価して,ありうべき選択肢と改 革の道筋を改めて提示しようとするものである」16としている。つまり,「1990 年代以降 の日本で,現実的に何が変わり,何が変わらなかったのか,変化への対応が適切だったの か」17の問いに答えを導きだそうとするものである。そして,この分析過程で重要なのは
「論理一貫性ある視座からの評価」としている。
同書では以上のような問題意識,視点を持ち,バブル経済崩壊以降の日本社会の状況 について観察,検討することとしているが, 同研究の研究視点がより明確に示されている 第 1 章「経済危機の本質」を少し詳しく追ってみる18。
同書第 1 章では,今後の取り組むべき処方箋を提示するに当たり, 日本経済の「成 功」と「失敗」を説明している既存研究を検討し,「成功」を説明している研究19に対し ては,「主として企業統治の観点から日本経済の「成功」の局面を説明しようとし た……
理論モデルは,1990 年代以降に生じた日本経済の「失敗」の局面を説明することに成功 していない」20と評価し,そのうえで 2000 年代に出された日本経済の「失敗」を論じた 研究書について吟味している。
「失敗」を論じた各研究の評価は図表Ⅰ-4のとおりであり,「「失われた 10 年」を
16東京 大学社会科学 研究所(2005)pp.1-2
17同上(2005)p.2
18第1章の執 筆は同研究 プロジェク ト研究運営委員 長の橘川武郎 氏であり, 同書終章で 研究のと りまと めも 行っている。
19森川 英正(1981) (1991),青木昌 彦(1993)(1996),伊 丹敬之(1987)(2000), 馬場宏二(1991)の4氏 の各 研究 者の実績を評 価している 。
20東京 大学社会科学 研究所(2005)p.24
11
経て,今日,日本の経済システムや企業システムが直面する 問題の全体像が必ずしも明確 に把握されていない。したがって,その問題を解決する道筋も明示されていない」21と指 摘している。これらの既存研究の評価は,2つの視点による。つまり,1点目は,「興味 深い多数の事実を発見,提示しているものの,全体像を明らかにすることには成功してい ない」「研究書としての体系性の欠如」22という点,そしてもう1点は「企業活動の 分析 は,日本型経済システムを論じる際に避けて通ることができない重要な課題である」 「企 業行動の等閑視」23という点である。「体系性」と「企業行動の等閑視」が 既存研究では 十分ではないという評価である。
図表Ⅰ-4 日本経済の「失敗」を説明した諸研究
研究 評価
貝塚 ・財務省財務 総合研究所 編 (2002)『再訪日 本型経済シ ステ ム』
「網 羅性と論理一 貫性を追求 の姿勢」が あるが, 体系性の欠如 お よび 企業行動分析 の不十分性 という課題 がある
伊藤 秀史編( 2003)『日本企 業変 革期の選択』
体系 性の欠如が貝 塚・財務省 財務総合研 究所編 (2002)の場合よ り も, さらに著しい 。歴史的視 点の欠落。
大阪 市立大学経済 研究所・植 田編 (2003)『日本 企業システ ムの 再編』
実証 性の高さと歴 史的視点の 導入が特徴 。日本企 業システムと は 何か を明示してい ない。体系 性の欠如 。
寺西 重郎( 2003)『日本 の経 済シ ステム』
極め て体系的な議 論を展開。 企業行動に 十分な光 を当てなかっ た ため に,高度成長 期経済シス テムに関し て政府介 入を過大評価 す る特 徴づけが行わ れる結果と なった。
出所:東大社研研究(2005)pp.24-28 より抜粋し作成
そして,この検討を踏まえ,「日本経済再生の方策を明示するためには,日本企業が 採用すべき事業戦略,遂行すべき投資プランを明らかにする必要」があり24,それを示す ためには「日本経済の成功の局面と失敗の局面とを一貫した論理で説明することが重要で ある」25とし,図表Ⅰ-5のとおり各領域の分析が行われた。
21東京 大学社会科学 研究所(2005) p.27
22同 上p.27
23同 上p.28
24同 上p.33
25同 上p.33
12 図表Ⅰ-5 東大社研研究各章の分析結果の概要
章: テーマ 結論 :明らかとな った点
第 1 章「経済危機 の本質」 ・ 1973 年の石油 危機以来 の 30 年 間にわたる日 本経済 の局面 変化 について,生 産システム は一貫して 頑強だっ た反面,
金融 システムは一 貫して脆弱 であったと する説明 モデルを 提示
・ 1990 年代に顕 在化した日 本 経済の危機 の本質は金 融危機 第2 章「経済危機 を生んだ構 造」 ・ 効果 的なコーポレ ート・ガバ ナンスの欠 如が金融 システム
危機 の大きな要因 第3 章「「産業空 洞化」・サ ービ
ス経 済化と中小企 業問題 」
・ 国際 分業の深化, 開業率の低 迷,信用力 の後退と いう中小 企業 の 3 つの構造 的問題を指 摘
・ 市場 と産業集積を つなぐリン ケージ機能 の更新, 操業に不 可欠 な経営資源の 不足を補う ネットワー クの構築 ,地方版 メイ ンバンクシス テムの形成 が,それぞ れの問題 解決にな りう る
第4 章「規制改革 の成果と そ の課 題」
・ 公益 企業の自由化 や特区制度 の導入など のプロセ スや成果 を検 証したうえで ,この領域 に関してみ れば, 1990 年代は 改革 が着実に進み 始めた「成 長への助走 期間」と 評価
・ 問題 の焦点が「規 制緩和」で はなく,よ り良い規 制への組 替え ,「規制改革 」になる
第5 章「雇用シス テムの継続 と変 化」
・ 人事 管理は生産性 や業績に直 接の影響を 及ぼさず ,ブルー カラ ーについては 生産管理, ホワイトカ ラーにつ いては仕 事管 理のあり様が 生産性を決 める
・ 知的 熟練と生産シ ステムに関 しては 1990 年代を通 じて大 きな 変化が生じず ,むしろ一 部では生産 システム の変化が みら れた
・ ホワ イトカラーに 導入された 成果主義的 報酬制度 は,人事 管理 のあり方を変 えた
第6 章「逆機能に 陥った日本 型生 活保 障システム」
・ 「男 性稼ぎ主」型 の家族と企 業という2 つのサブ システム に支 えられてきた 従来の日本 の生活保障 システム が, 1990 年代 以降逆機能に 陥り,「 少 子高齢化の スパイラ ル」 を引 き起 こしたメカニ ズムを析出
第7 章「「アジア 化」する日 本経 済」
・ 1997 年の通貨 危機後の時 期に日本が「 地域アジア 」への関 与を 本格化したに もかかわら ず,その主 導権は後 退した こ とを 明らかにした
出所:東大社研研究(2005)pp.241-242 より抜粋し作成 *終章除く
東大社研研究では以上のような各領域での分析結果を踏まえ「①改革が進展していな い領域としては金融システムと生活保障システムを,②改革が進展しているが社会的認知 が十分ではない領域としては規制改革を,それぞれ挙げることができる」26とし,「雇用 システムについては,必要とされる改革(ホワイトカラーを対象にした仕事管理の充実)
が端緒についたという意味で②の領域に含めることができるが,成果主義的報酬制度が生 産性向上に直結しなかった点に注目すれば適切でない改革が現実によってチェックされた 側面を強調すべきかもしれない」27と分析している。一方,「知的熟練や生産管理のあり 方が 1990 年代を通じて変化しなかったことは,企業体制のうちの生産システムが,基本
26東京 大学社会科学 研究所(2005)p.243
27同 上p.243
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的には頑強さを維持し,抜本的な改革策を必要としなかったことに通じる」28と分析して いる。そして,これらの分析により「教訓」を以下のとおり導き出している。
第1の教訓としては「企業と市場をめぐる制度設計や日本企業の統治構造のあり方が 的確な競争戦略の展開を妨げている側面があり,経済再生や企業再生の前提として,企業 間競争を促進する制度改革や統治構造を改革する必要がある」29という点,そして第2の 教訓としては「日本経済と日本企業の再生を実現するためには企業自身が適切な経営戦略 を展開することが十分条件となる」30,「企業のパフォーマンスに直接的な影響を及ぼす のは,雇用慣行や人事管理システムではなく,当該企業が採用する経 営戦略である」31と いう点である。特に第1の教訓においては「 1990 年代の日本においては,市場原理の拡 張を本質とするグローバライゼーションが基底的なインパクトを与えた。グローバライゼ ーションの進行によって日本経済は,市場原理の作用をある程度抑制する従来型の方式に よってではなく,市場原理の作用を前提とし,それをむしろ活用する方式によって,成長 を実現する道を歩むこととなった」32と説明している。
3-2.考察
前節のような手続きを経て,同書ではバブル経済崩壊以降の日本経済および企業の 実 情の把握と分析が行われるとともに,解決のための処方箋を提示している。ここでは,東 大社研研究の研究成果について検討することとする。
まず,既存研究の批判点についてである。
特に,日本の「失敗」を説明した諸研究において明確に指摘されている 既存研究の批 判の視点は先ほども指摘したように①「興味深い多数の事実を発見,提示しているもの の」「体系性の欠如」33,②「日本型経済システムを論じる際に避けて通ることができな い重要な課題である」「企業行動の等閑視」34の2点である。この指摘での「体系性」の 欠如とは具体的にどのような点を指しているのか,また「企業行動の等閑視」が何を指し ているのか既存の各研究の評価において具体的な指摘はないので明らかでない。よって,
以下は,あくまでも筆者の解釈である。
28東京 大学社会科学 研究所(2005) p.243
29同 上p.243
30同 上p.244
31同 上p.244
32同 上p.244
33同 上p.27
34同 上p.28
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東大社研研究で検討の対象となった各研究(特に,日本の「失敗」を説明した研究)
を見ると各研究者が各研究領域において,それぞれの視点から現状を明らかにし,分析し ていることが特徴となっている。統一的な視点からの研究ではない。 その点が東大社研研 究からの批判点となっているのではないか。バブル経済崩壊以降の現状を明らかにする場 合,分析する各領域は異なっていることは当然としても,その領域を分析する視点は共通 であるべきとの指摘である。
また,「企業行動の等閑視」に関しては, 90 年代まで,そして 90 年代以降の日本経済 の成長と停滞は,マクロ的な経済政策の分析は有効であるものの,日本経済の成長と停滞 の根源である企業活動そのものの分析が重要である。そう考えると,マクロ政策である経 済政策とともに,ミクロの要因である企業の行動がどのようなものであるのかは解明され る必要がある。その際,ミクロの企業行動の分析はどのような視点から行われるべきかと いう点が重要となる。
「企業行動」は様々な形で現れる。この現れた「行動」を 整理,分類し,一定の類型 を導き出すことが「企業行動」の分析と考えることもできるが,それでは 「企業行動」が
「わかった」ということにはならないのではないか。 つまり,「企業行動」をどのように 捉えるのか,その「方法論」の提示が行われ る必要がある。例えば,市場の変化を受け構 築された「経営戦略」及びその達成に向けた「業績管理」により規定される ことから,企 業内の「業績管理」のあり方を示す「ルール」を描くことにより「企業行動」は明確にな る。このような視点から企業のガバナンスについての記述が必要となる。
次に,東大社研研究で示されている「教訓」に関してである。
「教訓」として記述されている,1 つ目の教訓である「企業と市場をめぐる制度設計や 日本企業の統治構造のあり方が的確な競争戦略の展開を妨げている側面があり,経済再生 や企業再生の前提として,企業間競争の展開を妨げている規制改革や統治構造 の改革を進 める必要がある」という指摘は重要な視点である。企業間競争を行うため,各種の規制緩 和をはじめ,規制のあり方を改革することは 本研究を始め,従来から多くの研究でも指摘 されており,その改革を行うことにより「市場原理」の浸透が可能となる。そして同時 に,規制改革・規制緩和の成果を受け止める企業のガバナンスの改革が必要となる 。つま り,企業組織においては「市場」は存在しないことから,もっぱら「管理」または「統 治」という働きにより,企業外の「市場原理」 を受容することとなる。そのように考える と,企業内でどのような管理・統治がおこなわれてきたのか を明らかにすることが重要と
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なる。そして,このことは「企業行動」を明らかにすることと重なる。
そして,第2の教訓として示されている, 「日本経済と日本企業の再生を実現するた めには企業自身が適切な経営戦略を展開することが十分条件となる」35,「企業のパフォ ーマンスに直接的な影響を及ぼすのは,雇用慣行や人事管理システムではなく,当該企業 が採用する経営戦略である」36という指摘である。この指摘には異論はない。しかし,経 営戦略のみが適切に設定されれば企業の収益は向上するのかという疑問が残る。企業戦略 は市場環境や消費者のニーズに対応し,適切に設定される必要があることは当然である が,その戦略を展開していくために適合的な組織はどのような組織なのか, その組織にお ける構成員をどのように管理していくのか,企業のパフォーマンスに直接的影響を及ぼす ことのないと指摘されている人事制度や雇用 の領域の改革は必要でないのか,必要である とすればどのような改革が必要なのか等の分析が重要ではないであろうか。つまり,1つ 目の教訓と同じく,市場に対応した経営戦略を達成していくためにどのような仕掛けが企 業内部で構築されているのか,この点を確認する必要があると考える。
東大社研研究で指摘されている分析の視点や処方箋に関しては重要であるが,本稿の課 題に引き付けて東大社研研究での指摘を検討すると以上のような論点が浮かび上がる。
このような視点で東大社研研究の内容を検討すると以下のとおりである。
同書の第1章では,既存の研究を批判的に検討し,同書の研究視点を明らかにしており,
特に日本経済の「失敗」を説明した諸研究の検討では「企業行動の等閑視」「体系性の欠 如」の2点が既存の研究には欠いていることが指摘されている。ここで提示された視点が 第2章以下で,どのように展開されているのかという点が重要である。
第2章では,金融機関のコーポレートガバナンスについて議論されている。そのガバナ ンスを担う役割として,大株主である保険会社,非金融法人,銀行,行員持株会が効果的 にモニタリングをしていない点が指摘されている が37,直接,銀行などの金融機関個々の ガバナンス構造については触れられていない 。第3章の中小企業問題では 1990 年代に生 じた3つの構造的問題(産業空洞化,開業率低迷,信用力後退 )に対しては,国際分業の深 化に対応したリンケージ機能の強化38,開業に不可欠な資源補完ネットワークの構築39,地
35東京 大学社会科学 研究所(2005)p.244
36同 上p.244
37同 上p.69
38同 上p.93
39同 上p.94
16
方版メインバンクシステムの形成40の必要性が指摘されているが,構造的問題に対する中 小企業の取り組むべき方向は描かれているが ,その問題に対応するための中小企業自体の 改革については触れられていない。第4章の規制改革については,自然独占市場を占めて いた公共事業分野での規制改革が取り上げられている。例えば,電気通信産業においては 規制改革により,それまで NTT 独占であった分野に新規に企業が参入し,通信料金の低 下などの成果があった。通信市場の自由化では競争企業の育成による競争促進に重点を置 いた自由化政策が成功した事例であるが,その過程で,NTTの「持株会社化」41や「経営 自由度は以前にも増した」42との記述はあるものの,NTTや参入企業が当時の競争条件に 対応するために,どのような企業のガバナンスを構築していったの かについては言及され ていない。ただ,第5章の雇用システムでは,バブル経済崩壊以降の企業においては,人 件費総額の抑制に伴う請負労働者の増加43,そして特にホワイトカラー層の成果主義的報 酬制度44の導入を,仕事管理=部門業績管理の展開という視点から分析し,「正しい経営 戦略と効率的な仕事管理,これこそが企業の業績に直接影響を及ぼす。人事管理はそれら をサポートする役割を担う。」45と企業のガバナンス構造に言及している点は重要である。
第 6章の生活保障システムでは,日本型雇用慣行の変容について,例えば,変容の一部で ある非正規の増加という現象面がどのようなメカニズムにより生じたのかまでは研究の射 程に入っていないとみられる。そして第7章のアジアでの経済的役割では,バブル経済崩 壊以降日本企業は東アジア向け直接投資の増加を機に,日本,中国,タイの間で有機的な 貿易の結合が生じ,新たな「成長のトライアング構造」を作り出しているという実態に触 れられ,日本企業の新たな役割の方向を浮かび上がらせる分析にとどまっている
このように見ると,同書ではバブル経済の崩壊以降の政府や企業の取り組み課題や日 本企業の新たな活動について分析されている が,その企業行動を表出させる企業のガバナ ンス構造について十分に踏み込んだ分析が行われていないのではないか。この様に,既存 研究の評価を踏まえ提示された「体系性の欠如」「企業行動の等閑視」という課題に関し ては,東大社研研究において十分に達成できているのか,本稿の問題意識からするといさ さか疑問である。本稿では,上記の視点を踏まえ研究対象の領域についてを整理・分析す
40東京 大学社会科学 研究所(2005)p.95
41同 上p.131
42同 上p.131
43同 上pp.159-160
44同 上pp.163-168
45同 上p.168
17 ることとする。
4.本稿の構成
本研究のテーマであるバブル経済崩壊後の企業改革に関する本稿の構成は以下の とおり である。
第Ⅱ章では 1980 年代の産業政策立法の概要の理解を踏まえ,90 年代末から 2000 年代に かけて最も活用された産業政策立法である「産業活力再生特別措置法」について,その特 徴を明らかにする(改正時に名称が変更されているが,ここでは「産活法」と略して記述 する)。第Ⅲ章では,市場と組織の関係について R.H.Coase と O.E.Willamsonの研究に 依拠し,これまでの議論を振り返り整理するとともに,組織再編に関する法制について,
その内容を明らかにする。加えて,第Ⅱ章で検討した「産活法」の適用企業における 事業 改革と組織の再編について,その実態を中心に見ていくこととする。そして,第Ⅳ章では,
バブル経済崩壊以降の人事管理の実情について整理する。ここでは,経営戦略の達成と人 事管理がどのように関連しているのか,そして,そのためにどのようなルールが構築され ているのかを明らかにする。
これらの検討により,バブル経済崩壊以降の企業改革は, 【市場】→【産業政策,各分 野の法律の改正・創設】→【経営戦略】→【組織再編】→【仕事管理=業績管理】→【人 事管理】という改革のプロセスにより全体像を理解することが重要であること,この時期 の政府の政策が経営改革,特に事業改革・組織再編に大きく関与したこと, そして何より も企業組織においては市場メカニズムを受容するための制度(ルール)構築が行われ,これ ら一連の施策の展開には企業における「部門業績管理」が核となっている ことが明らかと なる。
18
Ⅱ.1980年代と 1990年代の産業政策の特徴
1.本章の目的と構成
前章での議論で整理したとおり,バブル経済崩壊後の日本における改革を理解する場合 は,企業の取り組みとともに政府の政策を観察する必要がある。ここでは個別の分野を検 討していくよりも,総体的に最も改革の意図と特徴を表出していると思われる政府の「産 業政策」について観察する。具体的には,「産業政策」を実行するために制定された法(特 別措置法)=ルールを検討していくこととする。
そして,本稿で議論する「市場」から「経営戦略」へというプロセスにおいては,「産 業政策」を介さない企業がほとんどであるものの,「産業政策」は政府がグローバル競争 の影響を受け苦闘している日本企業の実情を踏まえ策定されており,特に「市場」から「経 営戦略」へ展開するための理屈や,その展開のための方向性は政府による「産業政策」に 表現されていると言って良い。そのような観点からも「産業政策」を検討することは意味 のある作業である。
「産業政策」を検討する意義は以上のとおりであるが,今後の議論の展開のために,こ こで企業のガバナンスとの関係で「産業政策」の位置づけに関して若干説明を加えておき たい。
企業のガバナンス研究の第一人者である O.E.Williamsonは,著書『ガバナンスの機構』
(The Mechanisms of Governance 1996)の中で,法や体政に関して「制度的環境」とい う概念を示し,次のように記述している。
「 制度的環 境とガ バナン スの制度 の顕著 な相違 の第一は ,前者 が後者 の環境を 規定す る―後 者の制約 と なると考 えても よい― という点 である 。私が ガバナン スの制 度に焦 点を当て る際に は,私 は制度的 環 境 を概ね与 件とし て考え る。 第二 の相違 は,分 析の次元 が非常 に異な っている 点であ る。ガ バナンス の 制度 が個々の取引 の次元で作 動するのに 対して ,制度的環 境は,諸 活動の総合的 次元に関係して いる(自 動 車製造で ひとつ の部品 を内製す べきか 外注す べきか, とか, 病院が 外来患者 の診察 や在宅 サービス に 拡 張すべき かとい う日常 的問題は ガバナ ン スの 次元で起 きる問 題であ る。これ に対し て,全 体として の 経 済成長や 所得分 配は, より制度 的環境 の研究 での関心 事項に なるだ ろう)。 第三の 相違は ,意図性 と
19 の関 係で両者が異 なることで ある。」46
同書では,「制度的環境」は企業内のガバナンスを展開するうえでの制約となる要因で あり,企業内ガバナンスの「与件」であることが指摘されている。「制度的環境」を与件 として位置づけ,それを前提に「目的意識的に節約を達成しようとして取引をガバナンス 構 造 に 調 合 す る 」 と い う よ う に 企 業 の ガ バ ナ ン ス は 構 築 さ れ る 。 こ の よ う に
O.E.Williamson は「制度的環境」を企業ガバナンスとの関係でその重要性を示している
が,「制度的環境」が,どのような「ルール」に表現されているのかは示していない。第
Ⅰ章の「2-3.検討対象・方法:ルールの検討」で述べたように,産業関係学にお ける 研究の対象は「ルール」であることから, 本稿で検討を進めていくためには,「制度的環 境」が表現されている「ルール」が何であるのかを明確にする必要がある。
バブル経済崩壊以降の企業改革を考察する場合,【市場】→【産業政策,各分野の法律 の改正・創設】→【経営戦略】→【組織再編】→【仕事管理=業績管理】→【人事管理】
というプロセスで捉えることが重要ではないかということを先に指摘した。このプロセス で企業のガバナンスの与件となるプロセスは【産業政策,各分野の法律の改正・創設】 と なる。日本の産業全体の運営をつかさどる政府は,「市場」の変化を受け止め, 国内産業 の国際競争力を高めるために,具体的支援施策として「産業政策」を展開しているが,こ の「産業政策」が O.E.Williamson の指す「制度的環境」を表現していると考えることが できる。本稿ではこのような視点に立って議論を進めていくこととする。
本章の構成は,第2節ではまず産業政策に係る先行研究を検討する。ここでは,「市場」
と「政府」の関係に的を絞り「産業政策」の役割について明らかにすることとする。第3 節では,第2節の議論を踏まえ,バブル経済崩壊以降,特に 1990 年代の政府の経済政策及 び経済界の代表である経団連の政策方向について概観する。政府・財界が当時どのような 考えのもと政策に取り組んだのかを明らかにするためである。そして第4節では 1980 年 代の産業政策の特徴を明らかにし,第5節では 1980 年代の産業政策と対比することによ り,1990 年代の産業政策の特徴を明らかにすることとする。 特に 1990 年代後半に策定さ れた産業政策立法においては,政策意図と政策手段を明らかにするため,企業が施策の適 用を申請する「申請書」まで遡り検討する。
46O.E.Williamson(1996)pp.4-5( 邦訳(2017)p.3)
20 2.産業政策に関わる先行研究の検討
本節では政府が実施する「産業政策」と「市場」との関係について どのように捉えられ ているのか確認することとする。
この関係を考察した研究として青木・奥野・岡崎(1999)がある。産業政策は国家が市 場に介入し,市場の失敗を補正する行為であると言えるが,この補正自体,市場主義と相 反することではないかという疑問に対する考察である。
市場に関する認識として「経済学は,市場における需要と供給によって決定される価 格シグナルとして,民間経済主体が利潤動機にもとづき競争を通じた自由な経済活動を行 うことで希少な資源を効率的に使うことができるという市場メカニズム ,あるいは価格メ カニズムを重視してきた」47。その後の経済学の発展の中で明らかにされてきた点は「市 場の失敗」である48。これは「市場が存在しない,あるいは存在しても価格メカニズムが 十分に機能しないため,市場に任せておいたのでは最適な資源配分を期待できない」49と いうものである。そしてこの「市場の失敗」に関しては「政府の介入により資源配分の効 率性を高められる可能性があることを経済理論は支持しており」「市場の失敗 の補正を根 拠とする経済政策が多かれ少なかれ講じられている」50としている。市場機能を尊重しつ つも,市場に政府が介入する理屈としては上記のとおりである 。
伊藤・清野・奥野・鈴村(1988)によれば,「産業政策」とは「競争的な市場機構の 持つ欠陥のために,自由競争によって資源配分あるいは所得分配上で何らかの問題が発生 するときに,当該経済の厚生水準を高めるために実施される政策である。しかも,そのよ うな政策目的を産業ないし部門間の資源配分または個別産業の産業組織に介入することに よって達成しようとする政策の総体」51と定義されており,経済・産業活動の広範な領域 に係わっていることが指摘されている。日本の産業政策について分析した 1992 年の『経 済白書』においては,「産業政策」に関し,「「産業政策」について確立した定義は存在 しないが,一般的に,次のように説明できる。すなわち,産業活動はもとより自由競争が 基本であるが,市場メカニズムに任せたままで政策的に望ましい状況に到達できない場合 や,産業の活力を積極的に引き出す必要がある場合に,望ましい方向に誘導するために,
47青木 ・奥野・岡崎 (1999)p.107
48同 上p.108
49同 上 p.109
50同 上p.108
51伊藤 ・清野・奥野 ・鈴村(1988)p.8