●アジア大会
“金メダル”
の価値
長崎から世界へ。 MHPSが企業として目指していることを、マラソンでも実現させようとし ているのが井上大仁(MHPS 長建設)である。 昨年(2018 年)8 月にインドネシア・ジャカルタで行われたアジア大会で の金メダルは、世界への大きなステップだった。 最後はH・エラバッシ(バーレーン)選手との壮絶なデッドヒートとなった が、フィニッシュ前数十メートルで振り切った。タイムは 2 時間 18 分 22 秒だが、夏場の勝負優先のレースに勝ちきったことに価値があった。 レース前は「金メダルを必ず取る」と、強気の姿勢を貫いていた井上だ が、レース後にはホッとした表情で金メダルの感想を話した。 「32 年ぶり、という数字を聞くと長いな、と思います。偉大な先輩たちの 業績をつなげることはできたのかな」 アジア大会の強敵は、オリンピックや世界陸上に比べれば少ない。それでも日本は、1986 年大会の中山竹通選手が最後 の金メダリストだった。86 年以降の全ての大会でメダルは獲得しているが、90 年以降 5 回優勝の韓国勢や、近年は中東の アフリカ出身選手に金メダルを阻まれ続けた。 日本選手に足りなかったのはハングリー精神(勝負への貪欲さ)なのか、それともラスト勝負におけるスピードや、中盤で のスピードの切り換え能力なのか。その点に対する直接の答えではなかったが、井上は 37km からのエラバッシ選手とのマ ッチレースを次のように話した。 「相手の余力をなくすために自分のダメージにならない程度に揺さぶりをかけた り、引くところは引いたり、駆け引きがそれなりにできるようになりました。 昨年の東京マラソン(5 位。2 時間 06 分 54 秒の日本歴代 5 位)は当たって砕け ろ、というレースの仕方でした。自分が持っている駆け引きの能力を引き出せた のは、アジア大会が初めてでした」 東京マラソンが 42.195km 全体を速く走る力が試されたレースとするなら、アジ ア大会は勝つための力が試されたレースだった。後者は小手先の技術という印 象を与えてしまうかもしれないが、レースのタイプは違っても、どちらも“マラソン の力”である。 両方の力をつけてきたということは、マラソン選手としての完成度が高くなって いることを意味している。世界と戦う準備が進んでいる状況を示したアジア大会 金メダルだった。●松村から井上。MHPSマラソン部の
成長
ジャカルタでの金メダルは、“チームとしての経験”を積み重ねた結果でもあった。 2014 年に韓国仁川で開催されたアジア大会に、MHPS初のマラソン日本代表 (オリンピック、世界陸上、アジア大会の代表)として松村康平(MHI 長崎総務G)が 出場した。 結果は 2 時間 12 分 39 秒で銀メダル。最後のトラック勝負まで粘ったが、A・H・マフ ブーブ(バーレーン)選手に1秒差で敗れた。マフブーブ選手もアフリカからの帰化 選手で、仁川大会 4 年前のアジア大会 10,000mの金メダリストだった。 実はジャカルタで井上が競り合ったエラバッシ選手も、前回の 14 年大会の 10,000m 金メダリスト。 MHPS所属選手が、バーレーンの前回大会 10,000m金メダリストと、 アジア大会の終盤でマッチレースを行う。仁川とまったく同じ状況がジャカルタで再現 されていた。井上はエラバッシ選手と激闘を繰り広げている最中、4 年前の松村を思い出していたという。 「37km 以降の駆け引きでは、かなりの力を出していました。それでも最後に力が出たのは、松村さんには怒られるかもしれ ませんが、4 年前の悔しさがあったからです。あとは自分で勝つ、勝つと大会前に繰り返し言ってきたことも良かったかのか もしれないですね。(金メダルではなく)メダルを取りたいと言っていたら、最後はあきらめていたかもしれません」 井上がMHPS入社を決めたのは、自身の出身地・長崎県のチームであることに加え、大学(山梨学院大)の先輩である 松村がマラソンで活躍していたことが理由だった。 アジア大会で競り合う井上に、4 年前の松村の敗戦シーンが力を与えた。 MHPSチームとしても、夏場の国際大会を戦うノウハウが4年前より蓄積されていた。それは黒木純監督が選手を見てア ドバイスする内容や、練習メニューの組み方などソフトウェア的な部分が大きい。 ハードウェア的な部分でも、給水や暑さ 対策などは間違いなく井上の金メダルに役立った。 例えば陸連科学委員会から氷を握って走ることの有効性を 説明され、活用した。井上は氷よりも握りやすいと判断して保 冷剤を使い、保冷剤、ドリンク、体にかけるための水を、1つの カゴに入れる工夫もした。30~35km しか使用しなかったが、 30km 以降の給水所にはすべて、帽子も用意した。 そして、最後は“気持ち”を重視する井上らしく、沿道の応援 を自身の力とした。 「MHPSの赤い帽子とか、赤いタオルの応援の方たちが応援 してくれて、すごく力になりました。1人では勝ちきれなかった」 アジア大会の金メダルは、MHPSマラソン部の成長の結果であり、チームMHPSとしての勝利であることも示していた。
●ボストンの 12 位は
収穫
があったのか?
アジア大会の次のマラソンは、今年(2019 年)4 月のボストンだった。 ワールド・マラソン・メジャース(東京、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨーク シティの6大会と世界陸上、五輪)の1つで、1897 年創設の世界最古と言われ ているマラソン大会だ。 コースの特徴としては坂が多いことが挙げられる。26km までは下りが多いが、 26km から 33km 過ぎまでは心臓破りの丘と言われるアップダウンが続く。 ペースメーカーもつかない大会なので、記録は期待できない。それでも伝統の ボストンには、世界のトップ選手が多数走る。 2 時間 06 分 54 秒の井上は、今年の参加選手中で自己記録が 12 番目だった。 ボストン参戦の理由を、黒木監督は「オリンピックのメダルを取るためのステ ップ」と説明する。 「よりタフな体と走力を作るためです。MGCの 36km 以降の上り坂攻略もシミュレーションできる。海外経験も積み重ねてき ていますが、もっと必要だと判断しました。ロンドン世界陸上、ジャカルタ・アジア大会と走ってきましたが、まだ不慣れという か、ストレスを感じている。どこに行っても平常心で走れるようにしたい」 残念ながら井上は 2 時間 11 分 53 秒で 12 位。30km までは先頭集団で世界のトップ選手たちと走ることができたが、終盤 は「久しぶりに脚が止まった」という。アジア大会後も、昨年 11 月には 10,000mで 27 分 56 秒 27 の自己新、今年元旦のニ ューイヤー駅伝 4 区では初の区間賞と、順調だった。 問題は練習過程だったのか、メンタル面だったのか。レースの分析 と課題の洗い出しはこれから行うが、収穫は十分あった。帰国した成田空港で、井上は次のように話した。 「結果以上に手応えを感じたレースでした。30km までは世界陸上と比べても成長を感じられました。終盤も、もう少しで感覚 をつかめた気がします。こういったレースを繰り返せば世界と勝負できるようになる」 ロンドン世界陸上の頃との違いを、黒木監督は「落ち着きが出てきている」と評価し ている。レースまでの過ごし方にも、レースの走り方にもそれが言える。ロンドンでは 先頭集団の中でも、トップを走る選手のすぐ後ろについた。井上は「行くしかない」とい う気持ちで走ったという。当時の力では、その走り方の方が得るものがあった。 だが、2 時間 6 分台の記録とアジア大会金メダルを経験した今は「走っていて集団 の動きがちょっとずつわかるようになった」と言う。どの選手が余力があり、場合によ ってはどんなスパートをするか、肌で感じ取ることができた。もう少し地力がつけば、 それに反応できるようになる。「一つ越えた先に、もう少し高いハードルがあったとボストンでわかりました。でも、自分はそのパターンを繰り返して強くな ってきたんです」 高校では全国大会に出られず、山梨学院大でも学生トップレベルの選手に最初は太刀打ちできなかったが、学生時代後 半には対等の勝負ができるようになった。実業団駅伝でも、4 年目でエース区間の区間賞を取るまでになった。マラソンを 走り始めてからも、ロンドン世界陸上や今回のボストンで世界の強さを思い知らされた。 だが、そういうケースこそ、井上の強さが発揮される。 「苦しい状況になると、なおさら燃えるタイプです」と黒木監督。「普通は壁を感じるとテンションが下がるものですが、井上は さらに力を発揮する」 井上の成長パターンを考えたとき、ボストンは世界へのステップとなる敗戦だったかもしれない。ボストンの評価は、井上 の今後の戦績で変わってくる。 以上
今年(2019 年)9 月 15 日(日)に開催のMGCに、MHPSから井上大仁、木滑良、岩田勇治の 3 人が出場する。 MGCはマラソングランドチャンピオンシップの略称で、2020 年東京五輪のマラソン最重要選考レース。 リオ五輪までは同格の選考レースを 3 大会以上設定していたが、今回はMGCの 1~2 位の選手が自動的に代表に決まる。 残る1枠はMGC後のファイナルチャレンジシリーズからタイムの良い(2 時間 5 分 49 秒以内)選手が選ばれる。 そのMGCへのチーム別の出場人数が、4 人のトヨタ自動車に次いで 2 番目に多い。MHPSが日本のマラソン界の一大 勢力となったことを示す数字だ。 キャプテンの木滑、高卒の無名選手から成長した岩田の特徴を明らかにすることで、MHPSのマラソンへの取り組み方を 紹介する。
●ジョッグのリズムを変えたことで
ブレイク
した岩田
MHPSからマラソンで新たなトップ選手が誕生した。岩田勇治(MHI 特工)が2月 の別大マラソンで 2 時間 09 分 30 秒の 6 位(日本人 3 位)と好走。 別大におけるMGC出場資格(日本人 2~6 位で 2 時間 10 分以内)を満たした。 高卒 13 年目。30 歳も過ぎた選手が約 3 分も自己記録を伸ばし、日本のトップレベ ルに躍進したのである。これもMHPSの育成システムが、幅広く機能していること の証明だろう。 きっかけは昨年 11 月の九州実業団駅伝だった。岩田はMHPSのメンバーに入 ることができず、各チームの補欠選手たちで編成された混成チームで出場した。 黒木純監督は混成チームに推薦した理由を「練習過程を見ていて、遊ばせておく のはもったいないと思ったから。ニューイヤー駅伝本番で走ってもらう可能性もあ った」と説明する。 岩田の九州実業団駅伝の成績は 4 区で区間 7 位。区間賞の選手から、9.5km の距離で 1 分近いタイム差があった。 好結果というわけではないが、岩田は手応えをつかんだ。 「練習がそれほどできていなかったわりには良い動きができました。もっとしっかりやって自分を変えていったら、“走りを変 えられる”とそのときに思ったんです」 岩田が変えたのは「ジョッグのリズム」だという。以前は 1km6~7 分で走っていたペースを、 1km4 分前後に速めた。その分、走ることができる時間は短くなる。以前は 2~3 時間走ってい たが、今は 45~50 分だ。 食生活も「奥さんに頼んで、ショウガを多く摂るようにしました。肉は鶏肉だけに」と改善し、 体が引き締まったという。 ニューイヤー駅伝はアンカーの7区で区間3位。優勝した旭化成と並走していたが、最後で 4 秒引き離された。ニューイヤー駅伝初優勝のチャンスを逃した当事者になったが、並走した相 手は前年の 10,000m日本選手権優勝者の大六野秀畝選手(旭化成)である。 5 年ぶりにニューイヤー駅伝を走った岩田にとっては、好走以外の何ものでもなかった。 そして 1 カ月後の別大マラソンで、MHPS選手としては 4 人目のサブテン(2 時間 10 分切り)ランナーになった。 「これまでも走り込みはしっかりとやっていました。北海道マラソンや別大で、勝負どころの前で先頭から離れてしまっても、 終盤の粘りで入賞ライン(8 位以内)に上がってくることはできたんです。ただ、それでは評価できないと自分では思っていま した。それに対して今回の別大は先頭集団について、最後まで勝負ができた。スピード面など、これまでとは違う自分を出すことができました」 MGCは 9 月開催で、2 時間 10 分を切る展開にはならない可能性が高い(気象状況次第で可能性はあるが)。そうなれば 岩田にも、チャンスがないとは言い切れない。“夏のマラソンの経験”は、MGC出場選手の中では多い方だ。 岩田は「やるからには全員に、五輪代表入りのチャンスがある。粘って粘って苦しんで、その中でも今回の別大のような楽 しさを感じられるレースができたら」と目を輝かせる MHPSの五輪代表第 1 号となるのは、MHPSのトレーニングを最も長く続けて来た岩田なのかもしれない。
●成功への
プロセス
を踏んでいる定方
今年 3 月の東京マラソンで 18 位(2 時間 15 分 53 秒)。残念ながらMGC出場資格を得ることはできなかったが、副キャプ テンの定方俊樹(MHPS 長プ安)がMHPSの成長パターンに乗ろうといる。 東京マラソンは雨の中で超ハイペースの展開になったが、最後まで走りが持ったのは優勝したエチオピア選手1人だけ。 体が冷えたことも影響し、2 位以下の選手は終盤で大きく失速した。日本記録保持者の大迫傑選手が途中棄権し、先頭集 団で走った日本人選手は全員が 2 時間 14 分以上かかった。 定方は第 2 集団で走ったが、30km までは「キツい状態と楽な状態を繰り返しな がら」も、1km3 分 00 秒ペースの流れにしっかり乗っていた。だが、雨で路面が滑り やすく、ふくらはぎに張りが出始めた。3 分 10 秒ペースに落ちても「サブテンは行 ける」と歯を食いしばったが、徐々に 3 分 20 秒、3 分 30 秒と失速していった。 雨と低温という過酷な条件もあって結果を残せなかったが、黒木監督によれば 2 時間 8 分台を期待できる練習ができていた。松村や木滑が強くなったMHPS伝 統の練習に、定方も年々近づいて来ている。走り込む時期の練習はもちろん、 「調整走の 16km も、レースペースで楽に押していた。最後の 3km もすごく良いリ ズムだった」と黒木監督。 雨と寒さ以外に問題があったとすれば、メンタル面だろうか。生真面目なところが練習面ではプラスに働くが、試合に対し ては緊張につながってしまうこともある。「緊張しないように」と考えすぎて、逆に力みにつながってしまう。 「そういう課題があると、自分でもわかっています。駅伝などでは大丈夫になってきていますから、マラソンでも必ず克服で きる。岩田さんの練習も参考になります。昨年の北海道マラソン大会前も、僕の方が順調に走れていたのに、最後の1週間 で岩田さんは劇的に調子を上げていました。僕はまだノビしろが大きい」 黒木監督も定方に、「東京マラソンは失敗じゃない。経験だった」と声をかけた。 定方は学生時代、箱根駅伝でも失敗している。大舞台でいきなり結果を出せる選手ではなく、少しずつ成長するタイプだ ろう。ニューイヤー駅伝で見せているように、結果も徐々に現れてくるはずだ。2021 年の世界陸上(米国ユージーン開催)の 代表入りを、当面の目標としている。●東京マラソンでは失敗したが
功績
の大きい木滑
キャプテンの木滑良(MHPS 燃製造)は昨年(2018 年)の東京マラソンで 2 時間 08 分 08 秒と、松村の自己記録を上回る MHPS歴代 2 位で走った。同じレースで 2 時間 06 分 54 秒の日本歴代 5 位を樹立した井上とともに、MGC出場資格を獲 得した。 だが今年 3 月の東京マラソンでは 2 時間 17 分 19 秒で 26 位と大敗した。定方と同じように 雨と寒さの影響も受けたが、今回は練習自体が十分に積めていなかった。 昨年 10 月のシカゴ・マラソンで左足踵を負傷して途中棄権。本格的な練習を再開できたのは 11 月末だった。「ニューイヤー駅伝に向けての練習も、そこから東京マラソンに向けても、良 い内容の練習ができませんでした。距離だけはなんとか踏んでいたのですが…」 ニューイヤー駅伝の木滑は 6 区で区間 9 位。以前は 1 区や 3 区のスピード区間で区間上位 の走りをしてきた木滑である。スピード練習ができていなかったのは、はた目にもわかった。今年の東京マラソンは失敗に終わったが、MHPSの成長を語る上で木滑は欠かせない存在だ。 最初にマラソンでサブテンを記録し、日本代表入りを達成したのは松村で 14 年のことだった。サブテン&代表入りで続い たのは井上で 17 年。木滑は 18 年の東京マラソンでサブテンを達成したわけだが、入社は松村と同期である(年齢的には大 卒の松村が 4 歳上)。 松村がMHPS伝統のしっかり距離を走るスタイルでマラソンに成功する過程を見て、自身も走る量を徐々に増やしていっ た。松村は元からスタミナ型だったが、木滑はどちらかといえばスピード型だった。スピード型の選手でも、距離を走ることと 上手く組み合わせられればマラソンを走れることを示したのだ。 最初は松村と同じ練習ができなかったが、徐々に体力をつけ、入社 3~4 年目から合宿では三部練習(一日に 3 回の練習 を行うこと)を行うようになった。その姿勢は目良隼人(MHPS 幸工)や的野遼大(MHPS 長プス)ら、スピード型の若手選手 にも受け継がれている。現時点で目良や的野がマラソンまで距離を伸ばすということではなく、自身の力を伸ばす有効な方 法の1つとして取り組んでいる。
●
成長パターン
が増えているMHPS
MHPSのマラソンへのアプローチは、全員同じというわけではない。 井上はポイント練習(週に 2~3 回行う負荷の大きい練習)のタイムが速い。ポイント練習 以外の日に各自で行うジョッグは、松村や木滑と比べると距離が少なくなるが、質の高い ポイント練習をつないで良い流れを作り、レースでも高いレベルの走りをする。 井上が長い距離の練習を苦手としているかといえば、40km 走などの距離走も松村と遜 色ないタイムで行う。 初マラソン前、黒木監督はその点を懸念していたが、いざマラソン 練習を行うと井上は距離もしっかりと走ることができた。走る以外のトレーニングやケア、 睡眠や栄養などもしっかりと意識して行っているからだが、スピード要素を強くしたアプロー チにMHPSでは初めて成功した。 黒木監督も自身の現役時代は、練習で走った距離やタイムを自信(根拠)にレースを走った。おそらく松村や木滑もそれ に近い。だが井上は練習のタイムよりも、“本番を走れる感覚”を自信にレースを走る。 2018 年の東京マラソンで 2 時間 6 分台を出したときも、黒木監督は 2 時間 6 分ペースの集団で走るように指示はしたが、実際の走りを見て「あの練習であの ペースで行けるのか」と井上の能力の高さを再認識した。 岩田は松村&木滑とも、井上とも違うスタイルだ。元々スタミナ型だったが、最後の調整 は井上のように感覚を研ぎ澄ます。走り込む時期は松村&木滑のように距離を踏んだ。 タイムは松村&木滑よりかなり遅めだが、最後の1週間でリズムを上げ、感覚を良くする ことでマラソンを走ることができた。 今年の別大に向けてジョッグのリズムを良くしたのは、その応用だったのだろう。 「何かを変えないと殻を破れない。その意識はつねに持っていました」と岩田は振り返る。 「ジョッグを長く行なったり、筋トレを多くしたり、動きづくりを重視したり。色々と試しました が結果につながらなかったのですが、今回ジョッグのリズムを変えたら上手く行きました」 その結果、マラソンに向けて走り込む時期の月間走行距離は、以前より 100km 程度は少なくなったという。 井上はポイント練習の質を上げることで、ジョッグの部分を先輩たちとは違うやり方でも、距離走を同じレベルで行うことを 可能とした。岩田は距離走を同じレベルで行うことはできなかったが、ジョッグのリズムを上げることと最後の調整で感覚を 良くすることで、マラソンをサブテンレベルにもってきた。 井上も岩田も、MHPS伝統のやり方がベースにあったから、それを応用することができたのだ。 木滑は今年の東京マラソン前、距離だけはしっかり積んでいた。松村の練習に追いつくため、その部分を強く意識してき た。だが、元々はスピード型で、距離走以外のメニューではしっかりとスピードも出ていた。「走り込むことで不安要素を解消 してきましたが、ただ走り込むだけではダメだとわかりました。ポイント練習ではスピード感覚が出るようにしないと。重い状 態で走り込んだら疲労がたまっていくだけです。自分は(走り込むこととスピードの)バランス型だと思います」MHPSは高校・大学の全国大会で活躍した選手が、次から次へと入ってくるチームではない。その状況でサブテン選手 が現役で 4 人もそろった。MHPSのマラソン練習の幅が広がり、選手1人ひとりに合わせた育成ができていることを示して いる。
MHPSマラソン部は、マラソンと同時に駅伝も強くなっている。ニューイヤー駅伝は 2017 年大会で4位に初入賞すると、18 年は8位、そして今年は2位に躍進した。 井上大仁の活躍が駅伝でも顕著だった。最長区間の4区(22.4km)に出場し、9位でタスキを受けると先行する選手全員 を抜き去った。1時間 04 分 37 秒で自身初の区間賞も獲得。5区の定方俊樹も区間3位で首位をキープしたが、6区の木滑 良が旭化成に2秒逆転されてしまった。7区の岩田勇治が旭化成と並走したが、最後は4秒差で頂点に届かなかった。 10 年前には九州予選で2年連続落ちたこともあった。松村康平と木滑良の同期2人が入社後に主要区間で活躍し、徐々 に順位が上がってきた。そして井上が最長区間の4区を走るようになったのが 16 年大会。4年連続区間3位以内を続け、 定方や目良隼人、的野遼大も主要区間を任せられるまでに成長してきた。 MHPSの駅伝強化がマラソンとどう関連しているのか。そして今後、ニューイヤー駅伝優勝の可能性はあるのだろうか。
●ニューイヤー駅伝
2位
の価値
“その②”でも言及したがMHPSは、大学のトップ選手が次々に加入するチームではない。 それでも黒木監督は選手たちの意識を、18 年シーズンを通じてニューイヤー駅伝優勝に向けてきた。今のチームならその 可能性もあるし、優勝を目指すことでメリットもある。 ある意味、今年はチャンスだった。他の優勝候補チームの4区選手が2人、区間 15~ 16 位の走りだった。MHPSも3区まで、予定を下回る走りだったが、4区の井上でトップ に立つことができたのである。 レース後の選手たちは一様に、悔しい表情を見せた。 6区の木滑は「負けた原因は自分にある」と責任を大きく受け止めていた。アンカーの 岩田は涙を浮かべた。区間賞でトップに立った井上でさえ、「優勝を狙っていましたから、 過去最高順位でも喜べません」と、憮然とした表情で話した。 井上以外の選手は、エース頼みのレースだったことを課題に挙げた。 3区の目良は旭化成に1分近く差を広げられてしまった。 「これまで1区では区間5位(17 年)で走りましたが、1人で突っ込まないといけ ない区間で力不足がはっきりしました。 それに井上が4区を走れなくなったらウチのチームは弱い。そこが旭化成との 違いです。優勝を本気で狙うには力不足」 5区の定方は区間3位と好走したが、4区では通用しないと自覚している。 「井上に故障や体調不良があったら、自分が4区を走らないといけない。その覚悟で練習はしています。今日の井上のよう に、どんな状況でも流れを作るのがエースですが、今の自分にその力はありません。彼が欠けたら入賞も危ないでしょう。 優勝を目指すなら、誰もが4区に行けるようにならないといけません」 黒木監督は1区の的野の区間 11 位(トップと8秒差)にも合格点を出していないし、3区の目良にも「離されすぎた。旭化成 の鎧坂哲哉選手(10,000m日本歴代2位)に付いてリラックスした走りができたら違ったと思うが、気負っていた」と手厳しい。 ただ、選手個々よりもチーム全体の課題であることを強調した。 「木滑と岩田が責任を感じているようでしたが、あそこは限界でした。木滑は故障明けだったし、岩田は5km 通過がほぼ 5,000mの自己記録でした。旭化成には常勝チームとしての伝統や意地があります。その意識の差がウチとの違い。今回の 敗戦で、絶対勝ちたい気持ちを持てればチームは変わる」 黒木監督が優勝を目標としたのは、負けたときに「やっぱり負けたか」で終わらせないためだ。定方や目良が話したように、本気で井上と同等の力をつける意気込みを全選手が持たなければ、井上に近づく選手も現れないだろう。 そういった選手が2人、3人と増えれば主要区間の1・3・5区でも区間賞争いができる。そのとき初めて、MHPSはニュー イヤー駅伝優勝を達成できる。