遊牧がモンゴル経済を変える日
著者 小長谷 有紀
発行年 2002‑11‑01
URL http://hdl.handle.net/10502/4581
1 部
市 場 経 済 化 へ の 一 〇 年 の 歩 み
一九八九年︑モンゴルの草原はペレストロイカの波に洗われた︒そして一九九二年から
新しい憲法のもとで民主化を果たし︑市場経済化へ移行を始めた︒ちょうど一〇年を経た
現在︑その道程は歴史として検証されるべきときを迎えている︒
移行経済期に関する検証は︑もちろん多義的になされるべきであるが︑本書では︑主と
してODA(政府開発援助)とFDI(海外直接投資)の二つの切り口に焦点をあてた︒そ
れぞれの果たした役割と今後の見通しが解説されている︒
いずれの部門においても︑貧困削減は経済発展の主要な目標として設定されている︒し
かし︑実際のところ︑この一〇年のあいだに生じた︑草原から都市部へ膨大な人口流入や
マンホールチルドレンの問題は︑これまでにない貧困のかたよりが生まれていることを示
している︒自由の最大化が市場経済の原理なら︑それはまた不自由の最大化をももたらし
たのである︒モンゴルの急速な市場経済化の過程をかいつまんで復習することは︑同時に︑
世界の行く末を見通す拡大鏡をのぞきみることになるだろう︒
第1章
市場経済化移行期におけるODA
永井三岐子
13第1章 市 場経 済化移 行期 におけ るODA
はじめに
すでに歴史の一ページとなりつつある一九八九年から九〇年にかけての社会主義体制の
崩壊は︑モンゴルに政治的にも経済的にも大きな変化をもたらした︒政治的には︑それま
での一党独裁を放棄し︑多党制が導入され︑民主化に向けて大きく方向転換がはかられた︒
経済的には︑中央計画経済から市場経済への移行が始まった︒
しかし︑コメコン体制の実質的な崩壊は︑それまでほとんどの消費財と石油供給をソ連
に依存してきたモンゴルの国民生活に大きな打撃をもたらした︒私がはじあてモンゴルを
訪れた九三年には︑物資の配給制は終わっていたものの︑薄暗い食料品店には肉︑ジャガ
イモ︑小麦粉くらいしかなく︑唯一「西側」を思い起こさせるものといえばドルショップ
に並ぶチョコレートだけだったのを記憶している︒その一方で︑テレビからはアメリカの
MTVが流れ︑子どもたちがヒットチャートの歌をあたりまえのように口ずさむというギャッ
プに驚きもした︒モンゴルの市場経済化への第一歩は︑コメコン体制の崩壊によってもた
らされた経済的ショックからの立ち直りと︑同時に押し寄せる外国からの情報の津波とと
もに始あられなければならなかったのである︒
一九九〇年から十余年のあいだ︑国際社会のなかに組み込まれることで︑モンゴルの経
済︑社会はすさまじい勢いで変化した︒諸外国とのヒト︑モノ︑カネの交流は飛躍的に伸
びた︒そのなかでも政府開発援助(ODA)が交流の中心にあったとするのは言い過ぎだ
ろうか︒モンゴルに投入される資金の大半を政府開発援助が占めており︑政府の開発戦略
はドナーのアドバイスを反映し策定される︒夏場の観光客は圧倒的に増えたものの︑越冬
する在留外国人の多くが援助関係者であることを思えば︑ODAはやはり国際社会とモン
ゴルをつなぐ重要な窓口であると言えるのではないだろうか︒この章では︑その援助を概
観することによって︑計画経済から市場経済への移行期におけるモンゴルの変化にODA
がどうかかわったかを考えてみたい︒
15第 鷹章 市場 経済化 移行 期 にお けるODA
1援助の全体像
モンゴルが市場経済化を宣言して以来︑じつに多くの国や機関が支援している︒とくに
日本︑米国は︑モンゴルにおける改革をほかの旧社会主義国への先例と位置づけ︑積極的
に支援していく立場を明確にしている︒援助額ベースで見てみると︑二国間では日本が最
大の支援国で︑支援額は毎年群を抜いており︑続いてドイツ︑アメリカの順となっている︒
国際機関ではアジア開発銀行がトップで︑続いて世銀グループ︑IMF︑UNDP︑E
U(ヨーロッパ連合)などがある︒その他︑UK︑韓国︑デンマーク︑フランス︑ロシア︑
オランダ︑中国︑そして間接的な資金貢献も含めると︑もっと大きな国際応援団が控えて
いることになる︒表1は借款を含むODAの総額とモンゴルのGDPを示したものである︒
援助額は九五年まで増え続け︑その後はほぼ一定の水準を保っている︒対GDP割合は平
均二四%で推移しており︑この割合はほかの中央アジアの市場経済移行国と比べても高い
割合である︒これは既述のように︑日米をはじめとする西側諸国がモンゴルの市場経済へ
の移行を国際社会として支援するというコンセンサスのあらわれであるとともに︑モンゴ
ルの援助受け入れに対する努力と援助効果に支援国・機関が一定の評価を与えている証左
と言えるだろう︒
セクター別に整理すると︑最大のドナーである日本の
ODAは︑①産業インフラ整備︑②市場経済移行の知的
支援と人材育成︑③農牧畜業の振興︑④教育医療などの
基礎生活支援︑の四つを現在のモンゴルにおける重要課
題と考え︑重点的に支援している︒二位のドイツは︑イ
ンフラ開発︑人的資源開発︑中小企業振興︑行政制度改
善︑環境保護の五分野を重点とし︑アメリカは︑民間セ
クター主導の市場経済化︑民主化支援を支援の核として
いる︒この三国は︑資金協力や機材の供与︑専門家の派
遣︑プロジェクトタイプなどいろいろなスキームで援助
を行っている︒
国際機関のADB︑IMF︑世銀の三つは︑経済構造
改革︑産業︑社会インフラ整備のための融資を中心とす
る援助だが︑近年は貧困対策を視野に取り入れた援助に
も乗り出している︒UNDPは︑その他の国連機関(U
NICEF[国連児童基金]︑UNFPR[国連人口基金]︑
表1モ ン ゴル へ のODAと 対GDP比
1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 ODA総 額
(百万 ドル) 122.9 126.0 184.1 207.8 202.6 248.2 203.5 218.6 GDP
(10億 トゥ勿 吻 47.3 166.2 283.3 550.3 646.6 832.6 817.4 925.3 対GDP割 合
(%)* 27.3 30.0 26 17.9 21.7 24.2 22.5 25.3
*対 ドル 換 算 レ ー トは 、 当 該 年 度 の もの をKeylndicator2001(ADB)よ り使 用 したn
(出 所)MongolianStatisticalYearbook2000,KeyIndicator2001(ADB)を も と に 筆 者 が 作 成
17第1章 市場 経済化 移行 期 にお けるODA
図1二 国 間 援 助 の セ ク タ ー別 割 合 の 推 移
WHO等)とともに︑貧困や環境︑ガバナンス︑医療︑
教育などの分野を︑EUは︑TASIS(Technical
Assistance for ex‑CISs)プログラムに基づいて︑社会セ
クター︑民間セクター制度改革を中心に援助を実施して
いる︒
図1は二国間援助におけるセクター別の割合を示した
ものである︒九五年を境にエネルギーや運輸・通信など
経済インフラへの支援が下降している一方で︑教育︑保
健・医療などの社会インフラや生産セクターへの支援が
増加しているのが読み取れる︒また︑食糧援助などのプ
ログラム支援も市場経済への移行直後から九三年を経て
減少している︒これらの増減は︑国際社会のモンゴルに
対する支援が︑当初の緊急処置的支援やインフラ復興な
どのハードから︑徐々に産業育成のための人材育成︑社
会セクタi支援などのソフトへ移行していることを反映
するものと言えるだろう︒
2モンゴル支援国会合
国際社会のモンゴル支援の流れを考えるうえで︑モンゴル支援国会合に触れておく必要
がある︒この会合は︑九一年に第一回が東京で開催されて以来︑年一回のペースで九四年
まで続き︑その後︑第五回が九六年に︑第六回が九七年に開催されるまでのあいだ︑トッ
プドナーである日本が世界銀行とともに共同議長を務めてきた︒その後の第八回会合は九
九年にウランバートルで︑第九回会合はパリで二〇〇一年に︑それぞれ世界銀行の議長の
もと開催されている︒
この会合の目的は︑モンゴル政府の代表と支援国︑国際機関が一堂に会し︑モンゴルの
開発政策︑援助二ーズを協議し︑援助の大きな方向性の確認をするというものである︒こ
こでは︑支援国会合の流れを軸にモンゴル政府の開発政策と援助の質的変化の背景を見て
みたい︒
モンゴル政府は九〇年に市場経済化移行を宣言したのち︑IMF︑世銀のアドバイスを
もとに︑九一年に市場経済化のための﹃経済改革メモランダムと中期政策﹄を策定して
いる︒同計画をもとに︑モンゴル政府は︑価格と商業活動の自由化︑国営財産の民営化︑
金融・財政改革︑移行にともなう社会保障制度の見直しなど大胆な改革に乗り出した︒同
19第1章 市場経 済化移 行 期 にお けるODA
年にはIMF︑世銀︑アジア開発銀行(ADB)へも加盟している︒
九一年の第一回支援国会合では︑モンゴル政府が民主化︑市場経済化をめざす意思表明
を行い︑経済危機の収拾と市民生活の安定のための緊急支援を支援国に求めた︒これを受働けて︑危機的な財政支援のためにIMFのスタンドバイクレジットや世銀の国際収支支援
のたあの融資が実行された︒また︑日本など二国間ドナーの援助も食料援助︑医薬品供与
など比較的短期的︑応急処置的な支援が中心であった︒
九二年の第二回の会合では︑モンゴル政府は改革実行と民営化の促進を強調するととも
に︑援助の優先分野として︑①ソ連の撤退による農業部門の停滞を打破するための機材や
部品調達︑②建設資材の調達︑③電力部門の改善︑④鉱山のリハビリ︑⑤運輸部門のリハ
ビリ︑をあげている︒これは︑ほとんどのセクターが︑それまで依存していたソ連からの
燃料︑部品調達が途絶したことで︑旧来のインフラが壊滅的な打撃を受けたことを意味す
る︒緊急支援によって危機的状況が回避された次の段階として︑当期における重要課題が
経済復興のための旧来のインフラのリハビリにシフトしたのは当然の流れであった︒こう㈲した要請を受けて︑日本は第四火力発電所のリハビリ︑通信網インフラの整備︑鉄道輸送
強化等の支援を行い︑その他アメリカ︑ドイツ︑ADBもエネルギーセクターにおける調
査やプロジェクトに着手している︒
第三回︑第四回会合が開催された九三年と九四年には︑経済が回復基調を見せ始めた︒
九〇年以降マイナスだったGDP成長率も九四年には二%のプラスに転じ︑九三年に三〇
〇%近くまで跳ね上がったインフレ率も九四年には七〇%まで減少した︒モンゴルの主要
輸出品である銅とカシミアの国際価格の上昇も追い風となった︒それらを背景として︑会
合では多くのドナーがモンゴルの経済改革が着実に進行していることを評価している︒こ
のころから中長期的開発の視点が議題となり︑開発政策の策定︑開発セクターの優先順位︑
ドナー調整の必要性が認識されている︒また︑さらなる経済成長のために︑産業育成のた
あのインフラ整備︑モンゴルの比較優位産業である農牧業︑鉱業の復興の重要性も確認さ
れている︒
九三年から九六年にかけては︑国営企業の民営化︑商業銀行システムの確立など︑一定ωの経済改革の政策目標を実行することを条件に与えられるIMFのESAFプログラム(拡大構造調整融資)として五六〇〇万ドルの融資が実施されている(実際の実施は九四年
となった)︒
これらのマクロ経済の安定が評価される一方で︑貧困の問題もはじめて議題にのぼって
いる︒政府の財政緊縮による社会保障システムの崩壊︑供給不足による物価高騰︑国営企
業の民営化などによる失業者の増加で︑貧困層は九二年には一六%だったのが九四年には