研究資料 メトロポリタン本天神縁起絵巻 下(詞 書校刊)
著者 村瀬 実恵子
雑誌名 美術研究
号 248
ページ 28‑42
発行年 1967‑03‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1440/00006659/
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7
し メ ト ロ ポ リタン本天 紳 縁 起 絵 巻
下 (詞 書校 刊) 凡 伊 リ
村
神 実
宙 ω
子改行は原文通りとし︑異鴨文字は現行のものに改めた@各段の標題は︑源盟宗﹁北野天岬縁起繕巻について﹂
(角川版日本給巻物全集八﹀によった︒
前田育徳曾戴荏柄本天岬縁起と校合すると共に︑メトロポリタン本の鈴簡を従原し︑
ほ
︑荏柄本の改行は
﹂を以てこれを示した︒
校合は漢字仮名の相違はあげず︑語句の相違のみ示した︒
荏柄本との校異は右側に(﹀をもって一万めすと共に︑左側に・印を附したの
第一段遺異化現
( ナ シ ) ( 嘗 社 は
王城鎮守に紳々お一同一くましませと北野の
霊験あらたにましますゆへに)利生こそ殊にすくれてあけのたまかきに
(せ
ぬ人
なし
再奔する人は現嘗のねかひあゆみにした
かひてみち一念をいたして擁護をねかふ
ともからは異俗の望お一出同一目したかひてなる
具
﹀
名郁夫域にきこえ道験我朝にひてたふけ一回
( 秋 の
﹀
︿ う
かならすこたえあふけは必悶一そむ・月の水に口
か ふ こ と し
﹀ ( 霜 ) ( ナ シ
﹀
にもことならす暁のかねの風に和するにもに同一
︿り
し
か﹂あれは一人もかふへをかたむげ高民もたな心をるかな故本地を給像に書あらはしまいらせて
あはすめり結縁の諸人の随喜の心をもよをさは一例浄出一
の縁として必天満大自在天神あはれみをた一川一
まし/¥て二世の大願成就せしめ給へこ与に一候
( ナ シ
﹀ ヨ ド
(ナ
シ
) E (
の日﹀(乙の宮に﹀院の御宇寛弘元年間十一月廿一日目・はしめ一間一・
依失部分を補った
(建
久の
) a
行幸なりしより承久元年肥今にいたる一同一一同 一
( 六 ) ( ふ た も
︑ ち の
春秋をへにけり﹀聖主十九代つもる月日二百十六年其間北
︿いつれの世にかは天満大自在天神﹀
( ナ シ ) (
さぬ
野天神をたのみあふきまします人はたれ一州一
(の )
利生をかふらぬ人はなし背をたつぬれは文遺・
︿ ナ シ ) ( の ) ( は )
︿ に
﹀
大組也風月・本主也或・天下の臆栴として帝国
.( 土)
を輔導し或天上回日月として同家をてらし
(あはれめてたくまします槽者の化現﹂かな)たまえり・菅原院と中者菅相公是普家也相公
( の )
平生のそのかみ彼家の南庭に五六成はかりなる
(鉢
貌)
小児の遊給けるを相公み給てょうかん・たtA
人にあらすとおほして中給様きみはいつれの
家の子男そなに
L
よできたりあそひたま(て
の﹀
ふそとのたまふにこの児こ一附一え・たまふやう
指せるさたまれる居所もなし父もなく
母もなし相公を親とせんと思侍とおほせられ
けれは相公返々よろこひてかきいたき給け
二八
りこれを菅贈大相関とは申也と日記には侍り
1 1 4
第二段少時詩作
(荏
柄本
﹀
さる程に生年十一歳になり給ける﹂に相公こLろみ
に詩作り給てんやと﹂のたまひけれは詞もかわかぬ
に
しー
な
月開如附雲栴花似照星﹂
可憐金銭縛庭上玉房馨﹂
とそっくりまし/¥ける十三四になり﹂給ては相公
の才智にも殆すくれたま﹂ひけり天下にならふ人な
くおはし﹂ましけり﹂
(封ヵ﹀氷報水面開無浪雲鮎林頭見有花﹂
これこそ十四歳にてつくらせたまひ﹂ける秀句と承
はり
侍へ
れ﹂
第三段
大戒
論一
以
(前
中
γ
詫柄本﹀停教大師大唐に渡りて閑頓の﹂菩薩の大戒ったへて
叡山に戒壇を﹂立とせしとき諸宗ゆるさtふ
りし
か﹂
は大師剥戒諭三巻をつくりて﹂弘仁天皇にたてまつ
り給しかは﹂諸宗のうれへにもよらすして﹂同十
年六月十一日叡山のうゑに﹂戒熔一を建立すへきよし
宣旨くた﹂されにきされとも論者東西にあひ﹂たか
ひに鉾楯せしかは慈究大師﹂これをいたみて刻扱大
戒論をは﹂ゑらひたまひしか安恵和尚先師の﹂
一ニ
一 一同
をかんして八巻となしてこれ﹂を三際にったヘ十方
にひろめんと﹂おほしてくひにかけて菅相公の﹂家
にいたりてこの文の序書たま﹂はらんとのたまひし
(以 上荏 柄本 )
( 食
﹀ ( 賓
﹀
相公おほし・けるやうこの文は朝家の楢挺なり
︿ 燈 ) ペ ナ シ
﹀
衆生の依擦なりみつからはえか
L
し我子なりともこの}こ
しー
﹁ き
( 乙 そ
﹀ ( ナ シ ) ( い ) ( せ ) ( 食
﹀ ( 申 )
みに・かtふせたてまつら・めとおほし・てかくときこゑ
﹁給
け
( ナ シ
﹀
︿ 十 一 月 ) ( の )
れは其時貞観八年霜月の事なれは天神は御とし
︿ は )
もわっかに二十二一にて位官もいまたあさく文章の生
( ナ シ
﹀ ( ナ シ )
にしてましノ¥けれとも家君の所命なれはとて
円 ナ シ
かtふせたまひたりける序の文をこそ昨日今日
まても戒の大小の相論宗機質のあらそひあるに
( 第 一 の 費 に て ) ( 御 ) ( ナ シ )
は天台宗の事者は櫨者の製作あら人紳の・筆阿一
(今日いま︑てめでたきふしきに申あひけれなれはとて規模の証撲にはいたし侍なれくはしく
) ( 侍 へ し
﹀
おほえす所々申さん我本朝馳紳員際求法道関一
先請業者偏執律儀後研精者更得圏戒岡一
如前途覆車而未婦晩準指南而必達町殊恨
︿小
﹀
保執者自謂除非少律儀更無大乗戒途毅一国
網納宗以矯沙掛川宗皮三葉教以矯非僧教悲哉
う ( 槽 ) ( 之 )
知其一而未知其二
E
我大師慈費博窺三種・(せ )
膏宵新増一貫之脂粉とこそかtAれたまひたれ口
ン文をみるにそ碩徳口たしたかひ群賢めうつふか
)
︿ に
﹀ ( ナ シ
﹀ ( な る へ し
﹀
めるあはれ・めでたき権者の内外利盆かな
天 神 縁 起
特 槍
下
第四段都邸弓場
︿ の )
︿ ナ シ ) ( か
﹀
貞樹十二年青陽
・
春のころ都良呑の家阿一等( か) 舗
で門生寺の弓遊しけるにゆきあひたまひ
(亭
主﹀
たりけり人々思様このきみはとほそをとち
しきゐをいですして机案にひちをくたし
︿簾の中正かくれゐて)つ
a h
弓のもとすえはしらせたまはしとおもひて・
(ナ シ﹀
心みに御弓いさせたまひてんやと申たまひ給
けれはゅはについたちて弓に箭をさしはけて
( 御
﹀ ( か
﹀
ひきわたしたまひたる・寸がた養由のかいな
(お )
つきまのあたりみつるかなとほのノ¥めもおとろく
( る )
ほとにふたたひはなちたまへは二度あたり
百度はなちたまへはも
th
たひあたるむかしもき
( へ )
かすいまもみすいきをひたいはいたとひんかたお
( ナ
シ)(て射策中鵠之微なりとそ相﹀はしまさす都良香人々おとろきあさみ・申
(ナ シ)
けるや困一同一そのとしの三月廿三日に献策し
( ナ シ
ましノ¥きみやこのうち人々めでたきためし
にそ申あひはへりける
(以 下荏 柄本 )号 一口 遣問 頭の はか せに て二 問﹂
のうち
に句ことに教義を合して微事﹂かきりなかりけりこ
れをこたへ給に﹂文辞甚美にして義理みな通しきさ﹂
れとも凡夫に似同せんかために一事﹂しらさるけし
きにてしはらく思案し﹂ましノ¥き其時橘贋相毛沓
さしはき﹂省門にたちよりこの事をうちみて﹂馬に むちうち嵯峨の院君子の御許﹂にまいりでかくと中けれは院君かむか﹂へあるへき則省門にかへりてひそかに﹂ったへ申けるこそ椎者のふるまひは﹂はかりかたくおほゆれそれよりのち﹂こそ献策の庭には人をもよせぬと﹂うけ給はり侍る
第五段
(荏 柄本 )
五十賀
寛平六年なか月のころ門徒の人々たか﹂きも賎も吉
鮮院にあつまりて五十の﹂御としの悦の曾修せしめ
けるとき法﹂曾の庭のおもをみやれはわらうつは
き﹂したるおきなの願文に砂金をとりそへて﹂漸あ
ゆみよりつ
L
堂の前の案の上にお﹂きていふ事もなくしてにけさりぬあやし﹂と思てひらきみけれは
侍聞菅家門客共賀知命之年弟子錐﹂削跡人間無名世
上市教記淳教之風多﹂改意味之遁古人有言無徳不報
無言不﹂酬深感彼義欲罷不能故福田之地捨此﹂沙金
全以表中誠之不軽沙以祈上書之無﹂涯莫疑其人可求
其志遠居北閥之以北﹂透増南向之和南
とこそか
L
れ侍けれ其時少僧都勝延その曾﹂導師に(嘆ヵ﹀て讃談しきかたしけなくも天子の修﹂する所也希代
の勝事とそふるなの排説をのへ給ける
第六段任大将奔賀
(荏
柄本
﹀
同七年三月廿六日延喜の御門春宮にて﹂おはしまし
けるに令旨をくたされき我聞大﹂唐闘に一日に百首
の詩を作たる人あり汝﹂か才智ならひなく七歩のあ
二 九
美 術
/¥
研 究
四
とをたつねたり﹂心みに一時のうちに十首討を作て
んや﹂則十事の題目を給て酉刻よりいぬの時﹂にそ
塗春不用動舟車 つくりてたてまつりたまひける
唯別残鷺興落花
若使詔光知我意今夜旋宿在詩家
さて次年かさねて叉令旨を承て二時の﹂うちに廿首
の詩を作てまいらせたまひけ﹂れはむかしもいまも
かtふるふしきなしとその
L
﹂しり給ける又寛平九年六月に中納言より﹂大納言にのほりてやかて其日大
持の宣旨﹁くたりしかは三度まて御辞退ありしかと﹂
ゆるされすしてそのとしの十月に延喜の御﹂門位に
っかせ給て高機を掻録し給けり
第七段家集奏覧
昌泰二年二月にそ右大臣にあからせたまひ
( 昌 泰 ) ( ナ シ
﹀ (
の)ける同三年八月かとよ祖父三位の家・集菅相公
の家の集我文章廿巻もらさす天覧にそな
へたまひしに叡感のあまりに詩をそつくらせ給け悶一
門風自古是儒林
( 知 )
唯詠一聯和気味
球磨寒玉聾々麗
( { 永 )
更有菅・勝白様 今日文花皆悉金連況速三代飽清吟
句故製絵霞勺々侵
塵従該地却遁望派
(以下荏柄本)これこそは延喜の御門の御製にては待
﹁ れ
第八段朱雀院行幸 さて昌泰三年正月三日朱雀院に行幸ならせ
︿を
さし
﹀
給て延喜の御門と寛平法皇と御ひたい・あはせ
て密事ありけり左右大臣のともに天下のま
つり事をする事あしき事也菅丞相は重代に
( て ) ( 風 )
あらすといえとも滑水のなかれをくみ・商山のかけを
( ナ シ )
あふきたまえり賢をえらひ徳をたとふ人なれは
とてこの人にさためられぬ
( 累 ) 夫
胡康黒世之農︒也伯始致位公相黄憲牛皆之胤同一
(重﹀(か︑る)也叔度名動京師・故に法皇とみかと与の御前にめし
( 下 )
いたされて天下のまつり事一人して奏・すへき也と
︿ナ
シ)
おほせくたされぬこの事を菅丞相は頻に御辞退
申給けれともおさまらす左大臣この事をいきと
をりてうらみふかくなりて様々の無貨をかまへて
光卿定関卿菅根朝臣もろともに勅宣と栴して
( の ) ( 官
﹀ ( 皇 城 の 八 方
種々・珍費をあたえて冥衆をまつりしきをふせ
に山野をしめて厭術の維質をうつみ給けるされ﹀(我身も子孫も)しかとも菅丞相はた
L
人にてはおはしまさねは(おふましき衝をほととし給て乙の乙ろ八九代の﹂呪山さらにさらにおはせたまはすしかりといえとも
苗務まて繁昌の門として儒業たう﹂る事なかりけり)
(は
其﹀
延喜のひしりのみかとの御時御とし十六七はかり一回
(と
)
ゃいとけなくおはしますへきほとなれは
(ナ
シ﹀
仁流秋津州之外憲茂筑闘一山之蔭紫宵之上皇
位静蒼海之中浪整和おもはさりき昌泰四年
( 五 )
正月廿九日に左大臣の圏一関一によりて大宰権帥にう
つされて流罪の宣旨くたさるへしとは菅丞相
一 二O
I (
す)(三十一字を連﹀悲のあまりにたえつして此歌をよみて亭子の法皇
にそたてまつりたまひける
ー ( み )
なかれゆくわれはもくつとなりぬとも
きみしからみとなりてととめよ
(あまりに御)
法皇この歌を御質して悲の・涙にむせひて
1 1 6
さりとも御門もわか御子なれは申さむになとか
L
なはさらんとおほしめしつ
L
十善の御足にきたな同一( さ し
﹀ ( ナ シ
泥をふみつけて上西門を・入て豊楽院員言院
) ( て か く ま い り た る よ し お ほ せ ら れ )
うちすきて清涼殿にちかつきましノ¥・けれとも
︿ の
﹀ ( の ) ( の
﹀ ( の
﹀
其時菅根・卿蔵人・頭にて昔殿上の庚申・夜・御
(ナ
シ)
あそひにつらをうたれまいらせたりけるうらみ
ふかくてそうし申たまはさりけれは世の中あ
ちきなくうらめしくおほしめして大庭のむくの(にたちやすらひたまひ)(夕﹀木をうらめしく御質して赤日山の葉にかたふき
( ナ シ ) ( も ) ( も )
て涙に・くれつ
L
還御なりしこそあはれに・あさまし く お ほ (
.し占
・は託
・
ノ¥.れ〉
第九段TZ
母リ
佐
主n・
t T P
力由丙(荏
柄本
)
ついに勅宣おもくして男女の御子廿﹂三人の中に男
子四人はおなしく四方に﹂なかされきおとなしくお
はしましける﹂ひめきみはみやこのうちにと
L
められて﹂いとけなき君達はくしまいらせていて﹂させ
給ける事のあはれさこそたとへん﹂かたもなかりけ
れさて紅梅にあひせさ﹂せ給ける梅を御覧してこtA
ろなき草﹂木にもちきりをそむすひ給ける
こちふかはにほひおこせよむめのはな﹂あるしな
しとではるをわするな
さくら花ぬしをわすれぬものならは﹂吹こん風に
ことってはせよ
さて此御うたのゆえにつくしへはこの﹂むめはとひ
てまいりたりと申はへるめ﹂りこのあひたのあはれ
さかきつくすへか﹂らす
第十段
自 己 流
(牛
車﹀
おもはさりき大臣の大将より大宰の椴帥にうつされて(輔弼阿衡の貴名をあらためて配流左遷)流罪のったなき名をつくへしとは朝のつゆをは
袖のうへにうちはらひょふことりのこゑこそまくらの
(と
﹀( れ)
うへにとも・なへ承和四年にむまれて仁明文徳の御よ
観 ( っ か へ て )
にはいとけなくましノ¥き貞寛より・五代の帝王のみ
ゆきに一度もはつれすっかまつりしにあらぬすかた
にて西海におもむく事いかにすへしともおほえす生死
( ナ シ
﹀
︿ に ) ( に )
の無常まのあたり・きたりておつる換をともとしてあ
﹁ 同 一 ( を
﹀ ( ナ シ
﹀
わけ・ふねにのりゐて浪にた
L
よひて心ならすこかれ(とそ)﹁ゆ
く
・むかしのつみのむくひはつかしくてこ
L
ろにまかせぬ(き )
命のうらめしさよ風にまかせて羊の歩ちかつくも持
沼築巌遁桶川化舟湖上篇我身いかなる宿業にひかれて
(を
﹀
放のそらにた
L
よひて三峡五湖の暁の波に涙・もなか(し
﹁ れ )
( へ )
そひ呉坂楚嶺のよなノ¥のあらしにめのみさましつ
L
天 神
下 縁 起 縞 巻
都をいてL後月日かさなれともねふる事なけれはゆめ
﹁にみること
(身
)
なしいまはたLたな心をあはせて罪業のふかき・を織
﹁ 悔
( に ) ( へ )
して極紫へまい覧とおもえともやすからぬおもひむね
﹁ に
(ら
﹀
みちてかなはすこれらをおほしめしてつくらせ給たる
︿ か
﹀ ( と
﹀ ( ぬ )
廿八韻の詩をきくこそなみたもと・
まらねところノ¥
﹁申
侍へ
し
去自従勅使駈勝云父子一時五廃離口不能言眼中血
怖仰天神輿地紙
東行西行雲砂々
一一
月三
月日
遅々
重閥警固知間断
川早
寝辛
酸夢
見稀
摘
平到諸所誰輿食
山河遡突随行隔
風景暗然在路移生及秋風定無衣
(以下荏柄本)古之三友一生柴今之三友一生悲
第十一段
自 己 流 舟 出
(荏
柄本
)
みちのとおくなりけれは御心ほそく﹂おほしてきた
のかたへたてまつらせ給ける﹂御寄をきくこそあは
れには侍れみや﹂こには此御菩を御らんして紅のな
みた﹂なかさせ給けるもまことにいかはかり﹂の事
をおほしけん
君かすむやとの梢をゆくノ¥と
かくる
t A
までにかへりみしかなあききりのうへにかりかねのきこへけ﹂れはつくら
せたまひける
我白
川窪
客汝
来賓
共是粛々族深身 敬枕思量掛去日我知何歳汝明春
叉御心のうちにおもはせ給ける
離家三四月落涙百千行寓事皆如
夢時々仰彼蒼
此詩をは御心のうちにこめおきて﹂くちのほかへも
いたし給はさりけれと﹂も大唐閥に人々あまた詠し
ける﹂こそおそろしけれみちノ¥つくしに﹂なか
年おはしましけるおりノ¥に﹂つけてものによそへ
てあはれなる﹂事のみありけれは
ゆふされは野にもやまにもたつ煙
なけきよりこそもゑまさりけれ
叉あめのふりけるに
あめのしたかくるふ人もなけれはや
きてしぬれきぬひるよしもなき
第十二段恩賜御衣
( ナ シ
これらをきく人なみたをなかさぬはなかりき
r
( ナ シ ) ( の )
昌泰三年なか月の十日宴には正三位・右大臣の大
将にて柴花はきくと共にひらけたり叡感は
しくれとをなしくLたりき其九日の後朝そかし
( 運﹀ 君 富 春 秋 臣 漸 老 思 無 涯 岸 報 猶 漣
( に ) ( 叡 感 )
とつくらせたまひたりし・よろこひのあま
︿ そ ) ( ひ
﹀ ( 比 御 衣 )
りに御衣をぬきて・かつけたまはりたりし・を
(つ く)
筑紫まてもちて宮古のかたみには御覧しけり
( ナ シ ) ( の )
つくしにて次年の九月十日こそ・今日おほしめし
美
術
/ ¥
け 乃
研 究
四
いて
t A
つくらせたまひけんこそあはれにはおほゆれ秋田
山詩
篇猫
断腸
去年今夜侍清涼
( 此
)
恩賜御衣今在是捧持毎日奔徐香
( ナ シ ) 菅 作 ( 草
﹀ ( き に
﹀
まことに蒙家の御化は心もおよふへくも
( 侍
﹀
あらすとそはかせたちは申あひける
都府楼議看瓦色観音寺只聞鎧聾
( の )
といふ詩をは白居易・遺愛寺銭歌枕聞
( り
た り
﹀
香櫨峰雲按簾看といふ詩にはまされり
(ナシ)とそはかせたちは申侍ける
第十三段塗詩長谷雄
( 三
)
固泰四年八月より後西府にしてつくらせ
( り け る )
たまひたる詩をあつめて後集となっけ
( の ) ( 給
﹀
て延喜三年正月・ころ心紳漸く例にたかひ・
(の
﹀
しに箱のうちにおさめて中納言長谷雄・卿
( 紀
)
のもとへおくりつかはしき・納言
これ
をひ
同一
回
(ナ シ﹀
て天にあふき地にふ悶一てなけきかなし肉一
︿ナ シ﹀
たまひけりこの後集の中にあはれに園町一
+ A F
ゆるに九月十三日夜の帖月に心をすまさせ
たま
ひけ
ると
きつ
くら
せ同
一同
一ひ
ける
( 莱
﹀ 囚
今潟庇諦草来因
風気如万不破愁 昔被柴花響組縛
月光似鏡無明罪
障見随聞皆惨傑
此秋濁作我身秋
第十四段天奔山
市 街 去
鎮西におはしましけるあひた御身につみ
( 高 山 )
なきよしの祭文をつくりてたかきゃまに
のほりて七ケ日の程天道にうたヘ申させ
(ひけるとき﹀たまふ祭文ゃうノ¥とひのほりて雲をわけ
で入にけり上焚天まてもいたりぬらんと
そおほえし稗迦菩薩同一往劫に底沙仰の
みもとにて七日七夜足のゆひをつまたて
t A
室 ( 山 首
﹀
天地此界多聞至逝空天地十方無
等地山林遍無等
丈夫牛王大沙門
と讃歎せしかは九劫をこへで嫡勅にさきたち
て備にはなり給しそかし菅丞相は現身に
七日七夜蒼天にあふきて身をくたき心を
つくしてあなおそろし天満大自在天紳と
( げ ) 主
︑ ( ナ シ )
そならせたまひ化る延喜三年拶二丹市
ff
︿を
﹀
にそ十二縁にやとされたる五陰のすかた・すてつ
(ナシ)とはしめし給ける背稗尊入滅の二月十五日の
(ナ シ﹀
かなしみには五十二類ちの涙をなかしいまの大
(ナ シ﹀
宰府の二月廿五日のわかれには六十徐州の身の
( 乙 )
︿ れ )
毛・そょたちける
(以下荏柄本﹀十放の世尊も﹂非減現減には閤維の煙に
むせふ事な﹂れはおさめまいらせん事をさためける
第十五段安祭寺埋葬
さて筑前国四堂のほとりに御墓所を鮎
( ナ シ ) ( ナ シ )
しておさめをきたてまつらん之しけるに
︿ て )
御車たちまちに路中にと
L
まり牛はたらかすそのところをはしめて御はかところと
118
さためていまの安楽寺と中也
(以下荏柄本﹀菅丞相の﹂亮御は一天に雨の
﹂とくふり四海に浪の撃かくれなし
第十六段柘楢天紳
(を
﹀
其後いくはくもへすして延暦寺の第回目一
( ナ シ ) ( ナ シ
﹀
座主法性房尊意贈僧正は其時御年は四十
許にやおはしけむ月日はたしかにおほえす三岡一
( さ る
﹀
︿ の
﹀
の夏夜五更いまたいたらす人しっかなるに四明・一川一
のうへ九識のまとのうち十乗のゆかのほとりに智困
おた
t A
へ三密の壇の前に観月をすましておはし( 坊
﹀ ( の )
ましけるにおもひかけす房のつまと・ほとノ¥とな同一
( て ) ( て
﹀
けれはをしあけ・みたまふに菅永一相の化来し・
おはしましける也うやまひかしこまりたてまつ
(以下荏柄本﹀りて持仰堂へいれまいらせてありけれ
は替
己
丞相おほせられける様我は党天帝稗﹂のゆるされを
蒙り紳紙のいさめも﹂あるまし花の宮こにいたりつ
L
龍顔に
﹂
ちかっきうれへをものへあたをも報せ﹂
んとおもふに輝室はかりこそ法験をも﹂ほと乙しお
さえ給へきにたとひ宣旨なりと﹂いふともあなかし
こうけ申させ給事あ﹂るへからす年来の師壇のちき
りはこれに﹂ありとおほせられけるに法性房申させ﹂
給ける様師壇のむつひは一世のちきりに﹂あらす眼
をぬくともなにかはいたからん但﹂天下は背王土也
此地にすみなから宣旨﹂三度にいたらはいかthと申
させ給しに御﹂気色すこしかはらせ給て御のとかは
か﹂せ給らんとです
t A
めまいらせたりける桁﹂楠をつま戸にはきかけていてさせ給﹂にその楠柘ほむら
にあかりでつま戸に﹂もえつきたりけれは贈僧正瀬
水の印を﹂結てかけられたりけれはその火はきゑに﹂
けりこかれたりけるつま一
ρ
はいまた木﹂一肘にあり世のすゑの不思議也
第十七段清涼殿孫雷
(世
)
宜ハ時おそろしき雷電しきりにしてよ一凶
中くれふたかりていかっちのこゑにおほくの人きも
( ナ シ ﹀
心もくたけてしにまとひけり清涼殿のうちに
は本院のおとL一人たちをぬきて朝につかへ給しにも
ハ ナ シ ) ( り と
我次にこそおはせしかはいま神となりたまひたらん
も )
﹁からにわ
れに所を
t A
かておもふかことくにはさすかにいかてか( ナ シ
﹀
﹁ と て ひ か
同一
阿南
一回
一同
一回困やりてそたちたまひたりし
( ナ シ ﹀
又けいしゃうこのなんをのかれたまひけるゆへは
むかしおとLょにましはりたまひけるとき物
をかEみせたまひけるにくつといふもんしをわすれさ
せたまひたりけるをしかノ¥と申たりけるに
よておもひいてL一字千金と申ためしも侍そ
かしむかしおほしめしわするLやとてとき給け
天
縁
下 檎
I
市容 起
れは即このけいしゃうものかれたまひにけり
第十八段
鴨
)
1 1
洪 水
さてみかとおそれさはきて法性
一 民
の賂僧固
のもとへ宣旨三度まてなされしかは僧正
(ナシ)まいり給き鴨河の洪水七尺さりのきて
(りけりさて)陸地になしてとをりたまひしそ法験も
めでたく皇戚もおそろしかりし
第十九段時平病患
(ナ
シ)
さてやうノ¥にこしらえてたいらけたてま
(ナシ)つりでそしはしはなため申たりしかとつひ一阿一
(さりけり)はかなはて延喜八年十月の比すかね卿はあら
(ぬ
)
たにけころされ・同九年の三月に木院のおと自主
(ナ
なやみ給にさま/¥の御祈りもしるしなく春日
シ )
大明紳もすて給かとおほえて菅丞相の鑑気回
(そ
)
は心のうちにさとりにしを法験はかりやたす
( 清
涼
房の ) ( 岡 山 ﹀
け給とて・玄昭作師の弟子善相公の胤子浄賊貴
(はたらは﹀(ナシ﹀所こそとしいまたはたちにたらねとも験徳もい
たりてたうとく種々の才誌ならひなしとて
四月四日請しょせ給ていのらせ給けり其日午
刻はかりに善相公訪にまいりたまひたりけれはお
と
e Lの左右の耳よりあをきくちなはの頭をさし
( い ひ )
いたして善相公につけて示ける様我申文を つくりて焚天帝稗に訴申によりて早怨敵をほろほせと事はりをかふれり汝か子の浄減我を降伏せむとすせいせられよとくちなはしたをひろ/¥とす善相公をそれをの
t A
きかしこまりて浄繭一につけてやかていてにけり其時本院のおと
L
はや( 莞 給 ぬ )
かてけころされ給にけり御年品川九とそ承侍る叉
(東
)
御むすめの女御御孫の春宮も又一男八傑大将保忠
( ナ シ
﹀ ( う せ 給 に )
男敦忠中納言もいつれも/¥のこらすけころされ
けり右大臣あきた
t A
のみこそ二位の大臣まてなら一回給たれ其は菅丞相の御事をふかく恐給て大臣一同一
て六年まておはしましけれとも御ありきには御前
︿ に )
をたにもくし給はすよろつにおそれて童夜・菅丞相を(ナシ﹀公然の人)祈念しまいらせてそおはしけるたLしこの御すへな
(にいりたる君達のみそ僧都法印﹂僧正にもなり給ける
( も )
﹁ 三 井 寺 の 心 理 興 一 帽 寺 扶
﹂
れと・例道志をはこふ僧達はかりそ位っかさもまさ
公石積の文慶也御すゑのいみしかりげる﹂は敦忠の三男兵衛佐佐﹁理一家の有様を﹂おもひっりてたいらかにおはしける
らねて世中あちきなしとて出家入選﹂して往生したるのみ乙そか
﹁ し
ζ くは費れ
第二十段
公忠奏聞
小松天皇の御孫延喜の御門にはいとこにて右大耕一凶一回
( の
﹀ ( 雨 )
と申人おはしけり延喜廿三年卯月・比頓死して・回一回
(
々 ﹀
( い ひ
き)といふによみかえり給て家の人・につけて申けり我
( る へ し
﹀ (
これ をき く﹀をくして内裏へまいれと申けれは人々物にくるふと申
(そ の詞 )
あひけりされともこの事はねんころにてあなか
美 術
四 研
,ヂ
v
・ ノ」l¥.
号
(ナシ﹀(子息)ちに中けれはその君達信明信孝二人にたすけ
(乙のよしを奏申ひかれて内裏へまいりて瀧口のとのかたより事由
)
︿ れ は ) ( の 御 門
﹀ ( さ わ き で 出 )
を奏︑建し給けり延喜聖主おとろき
・
むか
ひ給
し阿
一
( ナ シ ) ( 侍 )
奏申給様こそはおそろしくはおほゆ回公忠頓死し
︿ に﹀
て炎魔王宮へまいりて門の前にてしはしみるほとにた
(ナ シ﹀
け一丈あまりなる人の身にはそくたいをうるはし
( く﹀
うして手に金のふはさみに文をさしはさみでさし
あけて訴申たまふを耳をそはたて
L
承しかは( の ) ( も
﹀
延喜・御門のしはさ・ともやすからすとやう/¥にこ
﹁と
はを
( う れ へ )
︿ は
﹀
つくしてうたへられしに菅丞相と・さとりぬそのとき
あけやむらさきまとひたる冥官三十絵人ならひ
(ナ シ﹀
いたりしか第二の座にゐたる人すこしあさわらひて
延喜の帝こそ頗くわうりやうなれもし改元もあ一回同一
いか
L
と申されし也と奏申てかへり給にき御門これ一回間食て恐思食ことかきりなしさて四月廿一日菅丞
相をはもとのことく右大臣として一階をくはえて正二
﹁位
をそ
( ナ シ ) ( ナ シ
﹀
おくり給けるやかて昌泰四年の二月廿五日の宣旨をは
﹁や
き
(ナ シ﹀
すてられ一回けり五月廿五日延喜の年披をあらため一回
延長となされし事はこのゆえ也又菅丞相の清涼殿一凶
化現しましノ¥て龍顔にまみえたてまつりであや図
たさりしことをのへ申給ける時御門をそれたまひて
(ナ シ)
としらえ申給事もありけり 第二十一段清涼殿落雷
延長八年六月廿六日に清涼殿のひっしさるのはしら一間一
うゑに雷火いてきて大納言きょっらの卿のうゑの
きぬに火っきてふしまろひをめけともきえさり
き右中耕まれよの朝臣かぼやけてはしらのもとに
たふれふしこれもちの朝臣は弓をとりてむかへはた一同一
所にけころされ近衛のなかかぬ紀のかけつらほのほに
むせひて悶絶すこれ天満大自在天神の十六万
八千の替属の中の第三の使者火雷火気毒王のし
わさ也
第二十二段延喜帝沼飾
︿ 御 門 ) 上 ( ナ シ )
其日毒の気はしめて延喜の聖主の御身のうち一回
( た え か た く お は し ま し け れ は ぱ
入つ
t A
玉佐野ゃうやく例にそむきましノ¥も九月
( の
﹀ ( ナ シ
﹀ ( ら せ
﹀
廿二日に御位を第十一
・
皇子朱雀の天皇に譲まい一山て九月廿九日にそ御とし四十六にて御出家しおは
(崩御なりにけりしましけれともついにはかなくならせおはし
‑ま
・し
・け
・る)
第二十三段日蕪六道巡歴
(目減金峰山で金剛蹴王に遇う﹀
延喜の比道賢上人一出回ふ人おはしきのちには
目減上人と申年来天下関土に災難ひとつ固
あらするうへ私のために物権夢想紛然とし
四
てやます天文陰陽頻に不詳をつけ口口
1 2 0
ゆえに一政験のたすけをかふらんかゆえ一回高
事をなけすて
L
金峰山によちのほり深より深に入て勧修精進してまつは天下
をいのり後には自身をいのる仰経を荷捨
しひとり笠の窟にこもりぬ承平四年四
(一一ヵ﹀月十六日より安居苦行して三時に法華経
泥繋経を講し三時に異言大法を修す其
年の七月にいたて安居すでに満したれとも
風雨にさはてかへりさるにあたはす又同行の
沙禰巌よりおちて高死一生にして起居を
あたはすこれらのさはりあるによて更三七日
無言断食して観念しき八月一日午時四
かり壇に居して行法せしあひた枯熱
たちまちにおこりて唯舌枯燥し気息通
せすしていつるいきたえぬすなはち魂口て口
窟のほかに経教を負てたでりゃまにいりし
ときのことし眼を四方に見めくらしてゆくへ
きかたをみるほとに窟の内より濁の鵡僧出
来て手に金の瓶をとりて水をもり弟子に
あたへて服せしむそのあちはひ骨髄にい
( 甘 ヵ )
ること甚月美なり諦借のいはく我はこれ
執金剛紳也つねにこの窟に住して稗迦如
来の違法を守護す我上人の年来の法
施を感してたちまちに雪山にゆきて
この水をとりて汝に施興す須央の間に西の
巌上より濁の宿徳の和向来下して却左の手を
のへて直に巌上に数千丈よちのほりてそのいたL
きに
いたて四方をみれは一切世界は皆悉く下地也このやま
﹁ 極
て回収勝也此地平正にしてもはら黄金也光明照焼
して樹も菓も悉く七賓也金樹には銀の花さき
銀樹には金菓なり雑色荘厳はなはた微妙なり
北方に一の金山ありそのやまのしたに窟あ
りその窟のうち蹟大にして種々荘巌みな
これ七費也その中に七賓の高座あり和上
その座に坐す左右に十二枝の瑠璃の床あり
一百廿口の僧その座の上に坐して羅漢の
ことし南面には雑賓のかきそのかす百千
あり三百人許の人そのかきの上に侍をみれ口
かたち舞童のことし又西方に無数の坊合あ
り皆これ雑費にしててらしかLやくこと
ならひなしはるかにみれは無数の人宛
満けり四方の荘厳いひっくすへからす法花
経花巌経に花減世界貿報浄土を説かこ
とし大和上の云仰子汝我をしるやいなやこた
樟 迦
えて云しらすと和尚云我はこれ︒牟尼化身減
主菩薩なりこの土はこれ金峰山の浄土也繭時左右
の大衆手ことに香笛花はこをとて香をたき
花を散すその香色人間の香色にあらす香を
かき色をみるに身心甚快繁なり悌子すなはち
起して合掌してとなへて云南無牟尼化身
天
縁
下 柿
繕
f
管 起大蔵王︒菩薩と叉菩薩の給はく悌子あきらかにきけ
我汝の宿世の事をとかむ汝久々悪趣の中に
輪廻して最後に畜生の身孔雀鳥となりて
摩詞戸那園に生たりき琴をならす音にふけ
りひとりの鵡僧にちかっきて法花経浬喋
経をき
t A
て感悦して則死しぬ経を聞くちか(大政威徳天の出現)
より千世内の人きたれり宛大王の即位行幸
の儀式のことし大政天輿よりおりて菩薩の前に詣
して稽首頂麓して南無牟尼化身減王
大菩院との給えり則南方北面について長脆して
その容儀をみれはかたちはこ王のことしあひし
たかひたてまつれる異類雑形のたくひか
すをしらす或金剛力士のことし或雷神王夜叉
紳等のことくして甚怖畏すへしおの/¥弓箭
鉾鞘無量の剣杖をもてり大政天親王室口雌密にむかひたてまつりて察言そのことはいまた
つはひらかならす一時はかりをへて太政天退
(は 脱カ
﹀
出せんとし給とき悌子をみ給てのたまくこ
の悌子にわか所住の大威徳城をあひしめして
かへしっかはさんは如何菩薩これをゆるしたまひ
つ則大政天とともに一の白馬にのりて数百
里をゆくに
(大
威徳
城
巡歴)
一のおほきなる池あり康大なる事 漣際なし宛大海のことし微妙蓮花あり異類鳥交遊し池の漫はみな金色なり光明照燃して無数の龍あり池の中に一のおほきなる嶋ありひろさ百里はかりなり白瑞璃を地とし玉樹行列して無量無遅の雑費花菓ありその香嶋の中に遍満す嶋の中に入峰七賓の宮殿あり入面に戸をひらく無数の花霊憧幡かLれりそのうちに
八川許の方壇あり壇の中に一の蓮花あり
その蓮花の上に賓塔あり賓塔の内に妙法
園花経を安置したてまつる金色玉軸な
奈之
り東西に両部の大目安
︒羅
をかけたてまつる
微妙の荘巌いひっくすへからす衆人ある
事なし寂静無潟なり又北方をみれは一里
はかりあひさりて大城の靖壁ありこれ大政
天宮の城也無数の替属みなかの城にいる大天
の
t A
たまはくこの嶋はわか作意持念の所なり我はこれ上人の本閣の菅丞相也われつみなく
してたちまちに朝勘をかふりたりきさ
れは日本国はわかために怨閑なり我人民
口口傷し園土を滅亡せむとおもふわれはしめ
にはおもひき我なかすところの涙かならすかの
闘をほろほしついに海となし八十四年をへて
又閑土をたて
L
わか住所とせんとしかあれともかの閑に普賢龍猫天台侍教等の法花異言
の大正法流布せるゆえにわれもとこの教を愛重
一 五