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論文の要約
氏名: 奥江 紗知子
博士の専攻分野の名称: 博士(生物資源科学)
論文題名: 魚油の抗肥満作用およびアルツハイマー病予防効果に関する研究
魚油は、イワシ、アジ、サンマ、サバ、マグロなど青魚から採取される食用油脂でサプリメントなど にも広く利用されている。魚油にはn-3系の脂肪酸であるエイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキ サエン酸(DHA)などが豊富に含まれる。n-6系脂肪酸であるアラキドン酸由来の脂質メディエーター は炎症惹起作用を有するが、n-3 系脂肪酸由来のエイコサノイドは抗炎症作用を示す。また、EPA や DHAは心血管疾患の予防効果に加えて、メンタルヘルス、認知機能との関連も疫学研究から明らかに されている。
近年、平均寿命の延伸により、認知症患者の増加が大きな社会問題となっている。我が国の認知症患 者のおよそ60%はアルツハイマー病(Alzheimer's disease, 以下ADと略記)である。ADの発症メカニ ズムは解明されていないが、神経細胞の著しい脱落に加え、アミロイドβ(Aβ)が細胞外に沈着したア ミロイド斑の形成、リン酸化された tau タンパク質が神経細胞内に蓄積した神経原線維変化が認めら れ、認知機能の低下を引き起こす。AD発症時、診断時にはすでに神経細胞が脱落していることから治 療方法の確立は難航している。また、最近、肥満や糖尿病がAD発症のリスクとなること、AD患者の 脳内のDHA量が健常者と比較して減少していることが明らかにされ注目されている。一方、魚油やn- 3系多価不飽和脂肪酸が抗肥満作用を有すること、DHAは血液脳関門を通過して脳内に供給されるこ とが報告されている。これらの知見を基に、本学位論文では魚油の摂取が肥満を予防することでAD病 態の進行を抑制する可能性を考え、研究を立案、実施した。第一章では、魚油の抗肥満作用とそのメカ ニズムについて追究した。さらに第二章では、魚油の抗肥満作用を介した AD の予防効果について解 明しようとした。
第一章 魚油の抗肥満作用メカニズムの解明
魚油含有高脂肪食(FD)をマウスに給餌すると、鼠径部白色脂肪組織において脱共役タンパク質-1
(uncoupling protein-1, UCP-1)発現が誘導され、体熱産生およびエネルギー消費が上昇することが報告 されている。一方、UCP-1欠損マウスにおいてもFDが抗肥満作用を示すことも報告されており、魚油 の抗肥満メカニズムには不明な点が多い。本研究では、魚油の抗肥満作用メカニズムを解明する目的 でC57BL/6Jマウスにラード含有高脂肪食(LD)またはFDを給餌し、1, 4週後に解剖する肥満予防作 用の解明を目的とした実験と、C57BL/6JマウスにLDを8週間給餌することで食餌誘導性肥満(DIO) マウスを作製した後、LDまたはFDを4週間給餌する肥満改善作用の解明を目的とした実験を実施し た。
魚油の肥満予防作用を明らかにする実験においては、LD群と比較してFD群の体重、白色脂肪組織 重量、血中および肝臓のトリグリセリドおよびコレステロール濃度は有意に低値を示した。また、鼠径 部白色脂肪組織の白色脂肪細胞のサイズを測定したところ、LD群の中央値は2084 μm2であったがFD 群では473 μm2であり、魚油の肥満予防作用が確認された。鼠径部白色脂肪組織におけるUCP-1遺伝 子発現はLD群と比較してFD群において有意に増加し、UCP-1タンパク質発現も増加した。白色脂肪
組織のUCP-1発現が増加したことから体温の上昇が推察された。そこで深部体温を測定したところ、
予想に反して非活動期(明期)における体温はLD群と比較してFD群において1℃低かった。さらに LD, FD給餌マウスの摂餌行動について検討した。LDを給餌したマウスでは暗期に70%,明期に30% の摂餌行動が観察されたが、FD給餌マウスでは暗期にのみ摂餌行動が観察された。これらの結果から、
FD給餌マウスでは食餌誘発性熱産生の低下により明期の深部体温が低いこと、鼠径部脂肪組織のUCP- 1発現増加は体温の上昇には寄与しないことが考えられた。さらに、白色脂肪組織においてUCP-1発
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現が消失する30℃の飼育環境においても魚油は抗肥満作用を示したことから、UCP-1非依存的なメカ ニズムにより脂肪組織の肥大化を伴う肥満を予防することが明らかとなった。
魚油の肥満改善効果に関する実験では、DIO マウスにFDを給餌したDIO-FD群の体重や脂肪組織 重量はDIOマウスにLDを継続して給餌したDIO-LD群と比較して有意な差は見られなかったが、体 重増加量および飼料効率はDIO-FD群で有意に低値を示した。さらに、DIO-LD群と比較してDIO-FD 群の肝臓トリグリセリド濃度は低値を示し、ヘマトキシリン&エオジン染色による肝臓の組織像の解 析からも魚油の脂肪肝抑制効果が明らかになった。鼠径部白色脂肪組織の白色脂肪細胞のサイズは、
DIO-LD群の中央値2768 μm2と比較してDIO-FD群では1595 μm2であり、魚油により小型化する傾向 を示した。これらの結果から、魚油は肝臓や脂肪組織への脂質の蓄積を阻害することでDIOマウスの 体重増加を抑制するが、体重の減少等の肥満改善効果は示さないことが明らかとなった。
第二章 魚油のAD予防効果の解明
ADのモデルマウスとしてAβ前駆体タンパク質(APP)を過剰発現させた遺伝子改変マウスが一般 的に利用されている。しかし、このADモデルマウスではAβの蓄積よりも認知機能低下が先行するこ と、脳内炎症や神経細胞の脱落が観察されないなど、ヒトの AD 病態とは大きく異なる点が指摘され ている。そこで本研究では、ヒトの家族性ADで観察される3種類の変異(APP KM670/671NL (Swedish), APP I716F (Iberian), APP E693G (Arctic))を有するAPP遺伝子をマウスにノックインしたAppNL-G-Fノッ クインマウスを用いて、魚油がADを予防できるか検討した。
AppNL-G-Fノックインマウスに普通食(ND)あるいはLD,FDを給餌した。25週齢時に新奇物体認識
試験により認知機能を評価し、26週齢時に解剖した。体重ならびに白色組織重量はLD群と比較して FD群で低値を示した。血中トリグリセリド濃度は群間に差はなかったが、血中コレステロール濃度お よび肝臓トリグリセリド、コレステロール量はLD群と比較してFD群で低値を示した。これらの結果 から、魚油はAppNL-G-Fノックインマウスにおいても肥満を予防することが明らかになった。
新奇物体認識試験は、マウスが新奇物質に興味を示す特性を利用した試験である。すなわち、最初に 同一の2つの物体を観察箱に入れ、マウスに記憶させる(獲得試行)。その翌日に2つのうちの1つを 新奇の物体と交換し、新奇物体に対する探索時間を測定する(テスト試行)。獲得試行の記憶が形成さ れていれば、テスト試行において長時間の探索行動を示す。新奇物体認識試験において、ND群と比較 してLD群では新奇物体を探索する時間が短縮したことから、肥満はADを悪化させることが明らか となった。また、FD群ではLD群よりも新奇物体認識試験の成績が有意に改善したことから、魚油は AD病態を改善することが示唆された。
26週齢時の脳組織におけるAβの沈着量および脳内炎症について免疫染色法により解析した結果、
海馬におけるAβの蓄積量及びGFAP陽性アストロサイト、Iba1陽性ミクログリアの発現は、ND群と 比較してLD群では増加し、FD群ではND群と同レベルであった。海馬のCA1領域における錐体細胞 の機能障害はADにおける認知機能の低下に関与する。そこでGolgi染色法によりCA1領域の錐体細 胞の樹状突起を観察した。樹状突起上のスパインの量は、ND群と比較してLD群で減少した。一方、
FD群のスパインの量はND群と同程度に維持されていた。以上の結果から、海馬におけるAD病態、
脳内炎症は肥満により促進され、魚油により抑制されることが示唆された。
さらに、海馬におけるAD病態について海馬から全RNAを抽出し、次世代シーケンサーにより遺伝 子発現を網羅的に解析した。KEGGのGene setの一つである、KEGG_ALZHEIMERS_DISEASEに含ま れる遺伝子群について比較した結果、ミトコンドリアの電子伝達系酵素複合体Ⅰ~Ⅴに関連する遺伝 子(主にNdufs, Sdhd, Uqcr, Cox, Atp)がND群よりもLD群で低下し、FD群では発現が維持される傾向 を示した。
これらの結果から、肥満はAPPノックインマウスの海馬でのAβ蓄積、脳内炎症、CA1領域の錐体 細胞の樹状突起量、神経細胞におけるミトコンドリア障害などを悪化させること、魚油はその抗肥満 作用により肥満によるADの悪化を抑制することをはじめて明らかにした。
3 総括
本学位論文では、魚油によるAD 予防効果とその作用メカニズムを明らかにすることを目的として 研究を実施し、以下の知見を得た。
第1章では、魚油の肥満予防効果に加えて、肥満に対する改善効果について検討した。
魚油はラードと比較して肥満の発症を強力に予防すること、その作用メカニズムにUCP-1依存性の 体熱産生は関与しないことを明らかにした。一方、魚油は食事誘導性肥満モデルマウスの脂肪肝を改 善したが、体重を減少させることはなく、魚油は肥満を改善しないことをはじめて明らかにした。
第2章では、ADモデルマウスを用いて、魚油がADに及ぼす影響について検討した。肥満がADの リスクを高めること、魚油は抗肥満作用を介してADの悪化を抑制することをはじめて明らかにした。
以上のように本研究では、ADの予防法の確立のみならず、基礎的な病態、発症メカニズムの解明や 治療法、創薬などへの応用が可能な新知見を提供することができた。