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オリッサ州カタック地区の密教美術

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(1)

オリッサ州カタック地区の密教美術

著者 森 雅秀

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 23

号 2

ページ 359‑536

発行年 1998‑12‑21

URL http://doi.org/10.15021/00004123

(2)

森   オ リ ッサ州 カ タ ック地 区 の 密 教 美 術

オ リ ッサ 州 カ タ ッ ク地 区 の 密 教 美 術

森    雅 秀*

Tantric Buddhist Art from Cuttack District, Orissa

Masahide Mori

  オ リ ッサ 州 は パ ー ラ朝 の 版 図 で あ った べ ソ ガル 州,ビ ハ ール 州 とな らん で, イ ン ドに お け る密 教 の 中 心 地 の ひ とつ と して 知 られ る。 本 論 文 は オ リ ッサ 州 の

カ タ ック地 区 の 代 表 的 な 遺 跡 で あ る ラ トナ ギ リ,ウ ダ ヤ ギ リ,ラ リタギ リの三 僧 院 跡 に お け る二 度 の 現 地 調 査 を ふ まえ,各 遺 跡 の 現 状 を 伝 え る と と もに,遺 跡 ご と の出 土 品 の 傾 向 を 明 らか に す る。 さ らに,尊 像 の種 類 に した が って 図 像 学 的 な 特 徴 を 解 明 し,他 地 域 の 密 教 美 術 との 比 較 を 通 して,イ ソ ドの 密 教 美 術 の 総 体 的 な考 察 を す す め た 。 後 半 に は 「オ リ ッサ 州 出 土 仏 教 図 像 作 例 リス ト」

と して,現 存 す る571点 の作 品 に つ い て,図 像 学 的 な 特 徴 を 中心 に網 羅 的 な リ ス トを 作 成 した 。 さ らに 未 公 開 資 料 を 含 む160点 の写 真 図版 を添 付 す る こ とで, 図 像 資 料 集 と して も活 用 され る こ とを 目指 して い る。

Tantric Buddhism flourished in Orissa from the eighth to the tenth centuries. Numerous sculptures representing Buddhist deities have been excavated from this area, especially from Cuttack District, located on the east side of Orissa. Three archaeological sites in Cuttack, i.e. Rat- nagiri, Lalitagiri and Udayagiri, deserve special mention. In the first part of this paper, I report the latest information on these sites based upon a field survey in Cuttack in March, 1995 and January, 1996. I also clarify the iconographic characteristics of the sculptured deities ex- cavated from Cuttack with reference to contemporary Buddhist art in Bengal and Bihar. In the second part, I present a list of the iconographical data of 571 sculptured works from Orissa with 160 plates.

C高 野 山大 学,国 立 民 族 学 博 物 館 共 同 研 究 員

Key Words : Tantric Buddhism art, Cuttack District, Orissa, Pala dynasty キ ー ワ ー ド:密 教 美 術,カ タ ッ ク,オ リ ッ サ,パ ー ラ 朝

359

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国立民族学博物館研究報告  23巻2号

1.  は じ〜わに 2.遺 跡 の 現 状   ラ トナ ギ リ   ラ リタ ギ リ   ウ ダ ヤ ギ リ

3.主 要 な 図 像 上 の 特 徴

  一 般 的 な 特徴   如 来   菩 薩   女 尊

  念 怒尊 ・財宝 神 4.お わ りに

  1.は に.

  イ ン ドの 東 北 部,ベ ソ ガ ル 湾 に 面 した オ リ ッサ 州 は,そ の 北 に 位 置 す る ベ ソ ガ ル ・ ビ ハ ー ル 州 と と も に,イ ン ドに お い て 密 教(仏 教 タ ン ト リズ ム)が 最 も 栄 え た 地 域 で あ る 。 現 在,ナ リ ッサ 州 はll3の 行 政 区 に 分 か れ て い る 。 こ の う ち,州 都 ブ バ ネ シ ュ ワ ル(Bhuvaneswar)や ヒ ン ド ゥ ー 教 の 聖 地 プ リ ー(Puri),太 陽 寺 院 で 名 高 い コ ナ ラ ク(Konarka)な ど を 擁 す る プ リー(Puri)地 区 は,海 岸 線 の ほ ぼ 中 央 に 位 置 し て い る 。 プ リ ー 地 区 の 北 に 隣 接 す る の が カ タ ッ ク(Cuttack)地 区 で あ る 。 西 隣 の マ デ ィ ヤ ・プ ラ デ ー シ ュ州 か ら 流 れ る 大 河 マ ハ ー ナ デ ィ ー(Mahanadi)川 が,こ の 地 区 の 中 央 を つ らぬ い て ベ ン ガ ・ こそ そ い で い る.カ タ 。 ク地 区 の さ ら に 北 に は ・・レ シ ユ ワ ル(Baleshwar)地 区,マiユ ル バ ソ ジ ュ(Mayurbhanj)地 区 が 続 き,ベ ン ガ ル,ビ ハ ー ル 州 へ と 至 る(地 図1)i。

  オ リ ッサ 州 政 府 観 光 局 発 行 の 仏 教 遺 跡 に 関 す る パ ン フ レ ッ,トに は,次 の よ うな 地 名 が 仏 教 遺 跡,あ る い は 遺 品 め 出 土 地 と し て あ げ られ て い る1)0

Cuttack地 区:Ratnagiri,  Udayagiri,  Lalitagiri,  Rameswar,  Banesvaranasi,       Brahmavana,  Choudwar,  Prachi  Valley

Baleshwar地 区:Ayodhya,  Salampur,  Kupari,  Khadipada Phulbani地 区:Bauda,IParagalpur,  Shyamsundarpur Puri地 区:Banpur,  Aragada,  Bhuvaneswar,  Kuruma Sambalpur地 区:Ganiapalli

Mayurbhanj地 区:Khiehing

こ の ほ か,オ リ ッ サ 州 立 博 物 館 に は ナ ラ シ ソ ガ フ.ル(Narasinghapur),ナ ト マ ラ (Nathmara)(以 上 カ タ ッ ク1地 区),カ イ ラ(Khaira)(バ レ シ ュ ワ ル 地 区),マンガ

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森   オ リッサ 州 カ タ ッ ク地 区 の密 教 美 術

地 図1  オ リ ッサ 州行 政 区

地 図2  カ タ ック地 区 主要 仏 教 遺 跡 お よび 出土 地

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国立民族学博物館研究報告  23巻2号 表1  オ リ ッサ 州 の 密 教 図像 の 出土 地 別 作 例 数

如来

ラ トナ ギ リ

          ラ リタギ リ1 ウダ ヤ ギ リ 他 カ タ ッ ク 他 オ リ ッサ 奉献塔 坐像

胎蔵大 日 4 2 2 0 0 0 8

転法輪 印 1 3 2 2 0 4 12

触地 印 35 9 4 2 10 16 76

与願 印 2 1 2 0 0 3 8

定 印 4 5 5 1 0 5 20

施無畏 印 2 8 0 0 0 i ii

印不 明 2 3 0 0 0 0 5

立像

三道宝階降下 1 2 2 0 0 0 5

与願 印 0 5 0 0 0 0 5

施無畏 印 0 11 0 0 0 0 ii

そ の他 1 0 0 0 0 0 1

不 明 1 7 0 0 0 0 8

断片 1 6 0 0 0 0 7

仏頭 13 3 1 0 0 0 17

如来小計 67 65 18 5 10 29 194

菩薩

ラ トナ ギ リ

          ラ リタギ リ1 ウダ ヤ ギ リ 他 カ タ ッ ク 他 オ リ ッサ 奉献塔 観音

二轄坐像 14 1 0 6 0 7 28

二轄立像 2 3 1 0 4 0 io

四腎坐像 9 0 1 1 1 3 15

四皆立像 8 0 5 2 0 0 is

六管立像 0 0 a 1 0 0 1

金剛法 1 0 0 0 0 3 4

六字観音 i 0 0 0 0 1 2

断片 12 2 2 2 1 0 19

文殊

ア ラパ チ ャ ナ 0 0 0 0 1 4 5

マ ン ジ ュ ヴ ァ ラ 3 0 i 0 0 5 9

ス テ ィ ラチ ャ ク ラ 0 1 0 0 0 0 1

遊戯坐 5 2 0 1 0 8 16

輪王坐 i 0 0 0 1 2 4

結珈跣坐 1 0 0 0 0 0 1

立像 3 S 1 1 1 0 11

断片 0 0 1 0 0 0 1

弥勒 5 2 0 0 2 2 ii

金剛手 2 3 1 i 1 1 9

金剛薩遜 1 0 0 0 2 9 12

八大菩薩 0 12 0 0 0 0 12

未比定 22 4 2 1 0 5 34

菩薩小計 90 35 15 16 14 50 azo

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森   オ リッサ 州 カ タ ック地 区 の 密 教 美 術

女尊

ラ トナギ リ ラ リタ ギ リ ウ ダヤ ギ リ 他 カ タ ック 他 オ リッサ 奉献塔

ア パ ラ ー ジ タ ー 1 1 1 0 0 0 3

仏頂尊勝 1 0 0 0 0 0 1

ク ル ク ラ ー 0 a 1 0 0 3 4

ガ ソ ガ ー 0 a 1 0 0 0 1

チ ュ ン ダ ー 3 a 1 a 2 6 14

パ ル ナ シ ャ バ リ ー 0 a 0 0 0 i 1

般若波羅蜜 1 a 0 0 2 0 3

ブ リ ク テ ィ ー 0 1 0 1 0 0 2

マ ー リ ー チ ー 0 0 0 1 8 16 25

ヤ ム ナ ー 1 0 1 0 0 0 2

ヴ ァ ジ 。 ラ ヴ ァー ラー ヒー 0 0 0 1 0 0 1

ヴ ァ ス ダ ー ラ ー 4 a 0 0 0 3 7

サ ッ げ アヴァジ。リー 1 a 0 0 0 0 1

ハ ー リ ー テ ィ ー i 1 0 0 0 0 2

タ ー ラ ー 24 2 0 1 10 15 52

女尊小計 37 5 5 6 22 44 119

急 怒 尊 ・財 宝 神

ラ トナ ギ リ ラ リタ ギ リ ウ ダヤ ギ リ 他 カ タ ッ ク 他 オ リッサ   奉献塔

チ ャ ソ ダ マ ハ ー ロ ー シ ャナ 1 a 0 0 0 1 2

マ ハ ー カ ー ラ 1 a 0 0 0 0 i

ヤ マ ー ン タ カ 2 a 0 0 0 0 2

サ ン ヴ ァラ 2 0 0 0 0 0 2

ハ ヤ グ リ ー ヴ ァ 1 a 0 0 0 0 1

ヘ ー ル カ 1 a 0 0 0 2 3

不明 0 1 1 1 0 0 3

ジ ャ ソ バ ラ 16 2 2 0 2 2 24

念怒尊 等小計 24 3 3 1 2 5 38

総計 ais 108 41 28 48       128 571

(1)尊 格 の順 序 は 後 掲 の作 例 リス トに一 致 す る。

(2)「 他 カ タ ッ ク」 は ラ トナギ リ,ラ リタ ギ リ,ウ ダ ヤ ギ リ以 外 の カ タ ヅク地 区,「 他 オ リッ     サ 」 は カ タ ッ ク地 区以 外 の オ リ ッサ 州 を示 す 。 「他 オ リ ッサ 」 に は 出 土 地 不 明 の作 品 も含     まれ る。

(3)「 奉 献 塔 」 は 奉 献 塔 の 寵 の 中 の 浮彫 を示 す。 これ ら は1例 を 除 きす べ て ラ トナ ギ リか ら 出     土 して い る。

プ ル(Mangarpur)(プ リ ー 地 区)な ど か ら 出 土 した 作 品 も展 示 さ れ て い る 。 ま た, プ リ ー 地 区 の 海 岸 寄 りの ア チsト ラ ジ ュ プ ー ル(Achutrajpur)か ら大 量 の ブ ロ ン ズ 像 が 出 土 し て い る こ とが,Mitra(1978)の 研 究 報 告 に よ っ て 知 られ て い る 。

  こ れ ら の 中 で 最 も 有 名 な 遺 跡 が,カ タ ッ ク 地 区 の ラ トナ ギ リ(Ratnagiri),ラ リ タ

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国立 民族学博物館研究報告  23巻2号

                       

ギ リ(Lalitagiri),ウ ダ ヤ ギ リ(Udayagiri)の3遺 跡 で あ る。 これ ら3遺 跡 を 含 む カ タ ッ ク地 区 か ら は 膨 大 な 数 の 密 教 美 術 が 出 土 し て い る 。 本 稿 で は 写 真 資 料 を 用 い な が ら,そ の 全 体 像 を 明 ら か に した い 。

  オ リ ッサ の 名 が 仏 教 史 上V'は じめ て 登 場 す る の は,お そ ら く マ ウ リヤ 朝 の ア シ ョ ー カ 王 の 故 事 か ら で あ ろ うz>0,し か し,そ の 後,オ リ ッサ の 仏 教 が 文 献 に 現 れ る の は, 7世 紀 の ハ ル シ ャ王 の 時 代 に イ ン ドを 訪 れ た 玄   のr大 唐 西 域 記 』 を 待 た な け れ ば な

ら な い 。 密 教 が こ の 地 に 栄 え た の は,8世 紀 頃 か ら こ の 地 を 支 配 し た バ ウ マ カ ラ (Bhaumakara)朝 の 保   V̀よ る と い わ れ る 。 これ は,ベ ン ガ ル や ビ ハ ー ル 地 方 に お い て パ ー ラ(Pala)朝 が 果 た し た 役 割 に 似 て い る 。 オ リ ッサ は 一 時 パ ー ラ朝 の 支 配 下 に な っ た 時 代 も あ る が,そ の 期 間 は デ ー ヴ ァ パ ー ラ(Devapala)王 や ラ ー マ パ ー ラ (Ramapala)王 の 治 世 な どに 限 ら れ3),こ の 地 の 仏 教 僧 院 と の 関 係 も 明 らか で は な い 。   カ タ ッ ク地 区 の3遺 跡,ラ トナ ギ リ,ラ リタ ギ リ,ウ ダ ヤ ギ リに お い て 仏 教 僧 院 が 最 盛 期 を む か え た の も,8世 紀 か ら10世 紀 頃 と さ れ る4}0こ れ ら の3遺 跡 は カ タ ッ ク 地 区 の ほ ぼ 中 央 に 位 置 し,こ の 地 区 の 中 心 地 カ タ ッ ク 市 か ら約50キ ロ ・メ ーrル,州 都 ブ バ ネ シ ュ ワ ル か ら は 約ilOOキ ロ ・メ ー トル は な れ て い る 。 マ ハ ー ナ デ ィ ー 川 の 支 流 ビ ル パ(Birupa)川 が 近Kを 流 れ,か つ て は こ の 川 が 交 通 を 遮 断 して い た が,現        

で は い ず れ の 遺 跡 に も舗 装 道 路 が 通 じて い る 。3遺 跡 で は ラ トナ ギ リが 最 も 北 東 寄 り,す な わ ち カ タ ッ ク市 か ら遠 い 位 置 に あ り,そ の 西 の 方 角 に ウ ダ ヤ ギ リ,西 南 の 方 角 に ラ リタ ギ リが あ る(地 図2)。

  い ず れ も 「ギ リ」(山)と い う 名 称 が 付 く よ うに,山 頂,あ る い は 山 の 中 腹 に 建 立 さ れ た 僧 院 で あ る 。 た だ し1高 さ は 数 十 メ ー トル に す ぎ ず,「 山 」 よ り も 「丘 」 と よ ん だ 方 が 妥 当 か も しれ な い 。 各 遺 跡 か ら の 建 造 物 と し て は 仏 塔 と僧 院 が そ れ ぞ れ 発 掘

され て い る 。 仏 塔 と 僧 院 か ら な る 寺 院 構 成 は,サ ー ン チ ー や バ ー ル フ ッ トな ど の 初 期 の 仏 教 遺 跡 か ら 知 ら れ,西 北 イ ン ドの ガ ン ダ ー ラ地 方 や 南 イ ン ドの ア ー ン ドラ地 方 で も踏 襲 さ れ た 形 式 で あ る。 伝 統 的 な 仏 教 僧 院 の 構 造 が こ の 地 で も 優 勢 で あ っ た こ とが 知 られ る 。 ま た,こ れ ら の 建 造 物 は い ず れ も か な り小 規 模 で あ る 。 ラ トナ ギ リ遺 跡 の 第1僧 院 は そ の 中 で 最 も規 模 の 大 き な 建 造 物 で あ る が,一 辺 は 約40メ ー トル に す ぎ な い 。 同 時 代 の パ ー ラ朝 の 版 図 に あ っ た ナ ー ラ ソ ダ ー(Nalanda)や ヴ ィ ク ラ マ シ ー ラ

(Vikrama6na)な ど の ビ ハ ー ル 地 方 の 大 僧 院 と は 比 較 に な ら な い ほ ど 小 さ い5)0        

  カ タ ッ ク地 区 の3遺 跡 の 発 掘 は,ラ リ タ ギ リ と ウ ダ ヤ ギ リに 関 して は 前 世 紀 に 部 分 的 に 行 わ れ た ら し い が,よ ←や く1950年 代 に い た っ て,イ ソ ド政 府 考 古 局 に よ る3遺 跡 の 調 査 ・発 掘 が 本 格 化 した(佐 和1982:2)。 と くに ラ トナ ギ リは,発 掘 の 調 査 報

(8)

森   オ リッサ 州 カタ ッ ク地 区 の密 教 美 術

告 が イ ン ド考 古 局 年 報 に発 表 され6),ま たMitraの 手 に な る大 部 の 報 告 書(1981;

1983)が 刊 行 され た こ とで,そ の全 容 が 明 らか に な った 。 わ が 国 で も佐 和 隆 研 氏 が 早 くか ら この地 の密 教 遺 跡 の 重要 性 に注 目 し,氏 を 中 心 と した 調 査 隊 が1980年 に現 地 調 査 を 行 った7)。そ の結 果,胎 蔵 大 日如 来 像 や マ ソ ダ ラ的 な構 成 を と る尊 像 彫 刻 の発 見 な ど注 目す べ き成 果 を 上 げ た。 この とき の調 査 報 告 は 佐 和 編(1982)と して ま とめ ら れ て い る。 そ の後,隊 の 中 心 メ ン・ミーの1人 で あ った 頼 富 本 宏 氏 は,継 続 して カ タ ッ ク地 方 の密 教 図像 の研 究 成 果 を 発表 し,イ ソ ド密 教 史 に お け るオ リ ッサ の重 要 性 を 明 らか に して い る。 密 教 美 術 全 般 を あ つ か った 近 著(頼 富 ・下 泉1994)に お い て も, オ リッサ の 密教 美 術 は大 き く取 り上 げ られ て い る。Mitraに よ る報 告 書 や佐 和 氏 の著 作 とほ ぼ 同 時 期,フ ラ ソス極 東 学 院 のBenistiは 仏塔 の研 究 の一 環 と して,ビ ハ ー ル の ボ ー ドガ ヤ ー とな ら ん で ラ トナ ギ リを あ つ か う(1981)。 また,最 近 では 定 方 晟 氏 が イ ソ ド政 府 観 光 局 の招 聰 に よ り現 地 を 訪 れ,そ の近 況 等 につ い て報 告 して い る8)0 一 方,イ ン ドの 密教 美 術 に関 しては,宮 治 昭 氏 を 中心 と した グル ー プが 尊 像別 の リス トを 作 成 し,現 在 知 られ て い る 出土 品 の デ ー タを集 積 す る こ とに よって,尊 像 ご との 図 像 学 上 の 特 徴 を整 理 す る とい う基 礎 的 な作 業 を行 って きた9)0

  筆 者 は1995年3月 と1996年1月 の2度 に わ た り,カ タ ッ ク地 区 の仏 教 遺 跡 の 現地 調 査 を行 った 。 そ の 結 果,従 来 の報 告 書 等 に 比 べ,い ず れ の地 域 で も発 掘 が 進 み,遺 跡 の全 容 が ほ ぼ 明 らか に され つつ あ る こ とを 知 った。 と くに ラ リタ ギ リと ウ ダヤ ギ リの 2遺 跡 に 関 して は,こ れ まで 発 掘 状 況 す らほ とん ど伝 丁られ て い な か った が,今 回 の 調 査 で,す で に 発 掘 作 業 が 完 了 して い る こ とが 明 らか に な った。 そ して,い ず れ の地 域 か ら も新 た な 出 土 品 が発 見 され て い る こ と も確 認 され た。 また,ラ トナギ リで は遺 跡 に隣 接 して 博 物 館 も建設 され,主 要 な作 品 は 館 内 に移 され,公 開 を 待 つ 状 態 で あ っ た。Mitraや 佐 和 氏 に よる報 告 書 が 発表 され て か らす で に10年 以 上 経 過 し,発 掘 作 業 もほぼ 最 終 段 階 を む か え た 現在,カ タ ッ ク地 区 の密 教 遺 跡,密 教 図像 の全 容 の呈 示 が 可 能 に な りつ つ あ るの で あ る10)0

  一 方,パ ー ラ朝 の密 教 美 術 に つ い て も,こ の10年 あ ま りの 間 にHuntington(1984) や 上記 の宮 治氏 の グル ー プな どに よ って研 究 の進 展 が 著 しい 。 ベ ン ガル ・ビハ ール 地 方 の密 教 美 術 とオ リッサ か ら出 土 した作 例 とを比 較 す る こ とに よ って,イ ン ド密 教 美 術 の地 域 的 な差 異 とい う,こ れ まで ほ とん ど取 り上 げ られ な か った 問題 が 明 らか に な る。 さ らに,カ タ ッ ク地 区 の 内 部 に お い て も,ラ トナ ギ リ以 外 の遺 跡 か らの 出土 数 が 限 られ て い た こ とか ら,遺 跡 ご との特 色 は必 ず し も明瞭 では なか った。 しか し,ラ リ タギ リと ウ ダヤ ギ リか ら の ま と ま った作 例 が知 られ る よ うに な り,各 遺 跡 の独 自性 か

(9)

        国立民族学博物館研究報告  23巻2号 ら,こ の地 の密 教 美 術 を よ り詳 細 に把 握 す る こ とが 可 能 とな った 。

  この よ うな観 点 の も とに,1本 稿 で は 各遺 跡 の現 状 と作 品 の 特 色 を示 した 上 で,パ ー ラ朝 の密 教 美 術 との対 比 を 行 い つ つ,尊 像 の種 類 ご との 図 像上 の特 徴 を 整 理 す る。 さ らに後 半 で は,現 在 知 られ セ い る オ リッサ 州 出 土 の 作 例 を リス ト化 した 。 末 尾 に は未

       

発 表 作 品や 部 分 図 を 中 心 に 写 真 図版 を掲 載 した 。 な お,本 文 中 で[]で 示 され た番 号 は作 例 リス トの 通 し番 号 年,図1,図2等 は 末 尾 の 写真 図版 に対 応 す る。

2.遺 跡 の現 状

ラ ト ナ ギ リ

  カ タ ッ クの3遺 跡 の 中 で 最 も大 きな規 模 を有 す る のが ラ トナギ リで あ る。Mitraな ど の報 告 書(1981;1983)に よっ て,そ の 全 貌 も よ く知 られ て い る。 南 北 に の び る丘 陵 のほ ぼ 南 半 分 に建 造 物 が あ った ら しい 。 最 も標 高 の高 い南 陵 に 仏 塔 が築 かれ,そ 北 に 僧 院 や 祠 堂 が 集 まる。 仏 塔 は 覆 鉢 が す で に な く,仏 寵 な どに 尊 像 が置 かれ て いた 形 跡 もな い 。 仏塔 の 周 囲 には お び た だ しい数 の奉 献 塔 が林 立 す る。 直径2,3メ ー ト ル の 中 規 模 の仏 塔 も,中 心 茸 な る仏 塔 の まわ りに数 基 あ る。 小 規 模 の奉 献 塔 は仏 塔 の 周 囲 か ら発 掘 され た もの であ ろ うが,そ の 多 くは,現 在,仏 塔 の 南側 の空 き地 に 雑 然 と並 べ られ て い る。 若 干 数 峠 仏 塔 の 北 東 に もま とめ られ て い る。 ほ とん どの奉 献 塔 は 一 面 に寵 を 持 ち,尊 像 の浮 彫 が 認 め られ る。 大 仏 塔 の南 側 に あ る奉 献 塔 は,寵 のあ る 面 を 南 に 向 け て置 か れ て い る。

  僧 院 は 第1僧 院(monastery  1)と 名 付 け られ た最 も規 模 の大 き な建造 物 を 中心 に, そ の 西 側 に や や規 模 の小 さ な第2僧 院,南 東 と南 西 に それ ぞれ3棟 の祠 堂(temple) が あ る(図1)。 た だ し,南 東 の3棟 と南 西 の1棟 の 祠 堂 は 建 造 物 の跡 の み で,祠 堂 の形 が知 られ る のは 南 西 の 客棟 の祠 堂,す なわ ち第4,第5祠 堂 のみ で あ る。

  Mitra(1981;1983)の 写 真 図版 か らは,大 仏 塔,僧 院,祠 堂 の い ず れ も,発 掘 当

       

初 は か ろ う じて プ ラ ンが 確 認 で きる程 度 で あ った こ とが わか る が,現 在 で は 第1僧 院 と第4,第5祠 堂 に は 相 当Q修 復 が施 され て い る。 と くに本 尊 の安 置 され た 第1僧 院 の最 奥 部 は屋 根 が 付 け られ,i第4,第5祠 堂 も レンガ に よ って 全 体 が復 元 され て い る。

そ の た め,発 掘 され た 部 分 とそ の後 復 元 され た 部 分 との境 界 は あ い まい で,現 在 の建 造 物 が 当時 の形 態 を どれ だ け再 現 して い るか は 疑 問 で あ る。 これ は ラ トナ ギ リに 限 ら ず,他 の2遺 跡 に つ い て も同様 で あ る。

        1

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森   オ リッサ州カタ ック地区 の密教美術

  僧 院 の 北 に 少 しは な れ て,作 品 の 保 管 と展 示 を 目 的 と し た 博 物 館 が 近 年 に な っ て 建 設 さ れ た(図3)。 筆 者 の 調 査 時 に は ま だ 一 般 へ 公 開 さ れ て い な か っ た が,特 別 に 入 館 が 認 め ら れ た 。 展 示 ギ ャ ラ リー4室 を そ な え る 大 き な 建 物 で,こ の う ち2室 に は, そ れ ぞ れ20例 あ ま りの 作 品 が 展 示 さ れ て い た 。 い ず れ も保 存 状 態 が 良 好 で,技 術 的 に

も 優 れ た 作 品 が 集 め られ て い る 。 残 る2室 の ギ ャ ラ リー の う ち,1室 は 空 室 で あ っ た が,も う1室 は 比 較 的 小 規 模 の 作 品 が ガ ラ ス ケ ー ス の 中 に 陳 列 さ れ て い た 。頼 富 氏 は,

1980年 の 調 査 時 に お け る 第1僧 院 の 尊 像 配 置 図 を 示 し,56例 の 作 品 が 確 認 さ れ た こ と を 報 告 し て い る が(佐 和1982:170‑185),1996年1月 現 在 そ の 数 は29点 を 数 え る の み で,大 半 が 展 示 ギ ャ ラ リ ー,も し くは 収 蔵 庫 に 移 管 さ れ て い る こ と が わ か っ た 。   現 在,第1僧 院 に 置 か れ て い る 尊 像 は,入 口周 囲,最 奥 部 の 本 堂,回 廊 の 南 西 部 の 3箇 所 に 限 られ る。 こ の うち 入 口 周 囲 と 本 堂 の2箇 所 の 尊 像 は,頼 富 氏 の 報 告 に 比 べ て 大 き な 変 化 は な い 。 僧 院 の 正 面 に つ け ら れ た 階 段 の 左 手 に 観 音 立 像[251](図 86〜89),階 段 を 登 っ て 入 口(図2)に 至 る ま で の ス ペ ー ス に,左 右 に 蓮 華 手[248]

(図80〜82)と 金 剛 手[354](図116〜118)が,ま た,蓮 華 手 の 前 に は 像 高2メ ー ト ル 近 い 観 音 像 が2体 置 か れ て い る[249](図83〜85),[254](図90〜93)。 入 口を く ぐ る と ジ ャ ンバ ラ[550]と ・・一 リ ー テ ィ ー[480]が 左 右 の 籠 の 中 に 安 置 さ れ て い る。

本 堂 の 本 尊 は2メ ー トル 以 上 の 高 さ を もつ 触 地 印 仏 坐 像[53]で あ る 。 そ の 両 側 に は 蓮 華 手[223]と 金 剛 手[348]の2体 の 脇 侍 菩 薩 が,払 子 を 持 っ て 立 っ て い る 。 本 堂 の 手 前 に は,2脇 侍 を と も な っ た 仏 坐 像 が2点[44,45],八 大 菩 薩 を 光 背 の 左 右 に 配 し た 仏 坐 像 が や は り2点[36,37],そ し て,像 高80セ ソ チ ・メ ー トル ほ ど の ヴ ァ ス ダ ー ラ ー 像[472]が あ る。 回 廊 部 分 の 作 品 は,入 口 よ り入 っ て 左 手 か ら 始 ま り, 南 西 の 角 を 曲 が っ て,西 の 部 分 の ほ ぼ 中 央 あ た り ま で な らべ られ て い る 。 こ の 中 に は, 宝 冠 を つ け た 文 殊 立 像[331]や 八 難 救 済 の 場 面 を 左 右 に 表 現 した タ ー ラ ー像[528]

(図138〜146)な ど,よ く知 られ た 大 規 模 な 作 品 も含 まれ る が,大 半 が 新 た に 発 掘 さ れ た 新 出 資 料 で あ る。 原 形 を と ど め た 作 品 は 少 な く,欠 損 の 多 い 作 品 や 断 片 が ほ と ん ど で あ る 。

  こ の ほ か,遺 跡 内 に 置 か れ た 尊 像 に は,第2僧 院 の 本 堂 に あ る 三 道 宝 階 降 下 像 [141],第5祠 堂 の 観 音 立 像[230],そ して,第5祠 堂 の 胎 蔵 大 日 如 来[2],金 剛 法 [264](図106〜110),金 剛 薩 錘[357]の3点 が あ る 。

  遺 跡 と博 物 館 と の 作 品 の 配 置 に つ い て の イ ン ド考 古 局 の 方 針 は 明 ら か で は な い が, 遺 跡 内 に 残 さ れ た 作 品 は ほ ぼ 次 の3つ の グ ル ー プ に 分 け られ る 。

(1)当 時 の 僧 院 や 祠 堂 の 状 態 を 示 す と考 え られ る 作 品 。 入 口周 囲 の 建 造 物 の 一 部

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国立民族学博物館研究報 告  23巻2号

        に組 み 込 まれ た 作 品 や,本 堂,祠 堂 に安 置 され た 作 品 が これ に相 当 す る。

(2)新 た に発 掘 され た り,保 存 状 態 の 良 くな い作 品 。 お もに 回廊 の作 品 に 相 当 す         る。

(3)2メ ー トル前 後 の末 規模 な作 品。 入 口周 囲 の 観 音 像 な どが相 当す る。

  ラ トナ ギ リの作 例 につ い 七は,ま ず そ の数 の多 さを 指 摘 しな け れ ぽ な ら な い。 今 回 の 調 査 と従 来 の研 究 に も とつ い た後 掲 の リス トでは,カ タ ック地 区か ら出 土 した 作 品 は523例 を 数 え た が,こ の う}ち,346点 は ラ トナ ギ リか ら 出 土 し て い る 。 しか も,奉 塔 の 作 品 は,そ の 一 部 が 発 表 され て い る に す ぎ ず,リ ス トで も127点 に 限 ら れ る 。 し か し,中 村 涼 一 氏 の調 査 に ζれ ば,265点 の奉 献 塔 に尊 像 彫 刻 が確 認 され る とい う。

重 複分 を 除 い て これ を 加 え る と,ラ トナ ギ リ出土 の 作 例数 は483に もの ぼ るtt)。

  奉 献 塔 の作 品 を 除 くラ トォ ギ リ出土 の作 例 の全 体 的 な傾 向 を い くつ か 指 摘 して お こ う。

  如 来 像 に関 しては,触 地 印仏 坐 像 が 圧 倒 的 に 多 い,こ の タイ プの 如 来像 が多 い のは, ラ トナ ギ リに限 らず,オ リ ッサ全 体,ま た パ ー ラ朝 の 如 来像 で も同様 であ る。 ラ トナ ギ リの場 合,仏 頭 を 除 く如 来 像 の 出土 数 全 体 の54例 の うち,35例 は触 地 印 仏 で あ る。

第1僧 院 の本 尊 も触 地 印仏 坐 像 で,僧 院 に大 規 模 な触 地 印像 を 置 くのは カ タ ッ クの3 遺 跡 に共 通 で あ る。 この 本尊 仏 は ラ トナ ギ リか ら出 土 した作 品 の 中 で最 も大 きな 作 品 で あ る が,こ の ほ か に 巨 大 な仏 頭 が3点 出土 して い る[178,179,180]。 頭 部 の み の た め全 体 像 は 不 明で,当 時,1僧 院 の ど こに安 置 され て い た か も明 らか では な い が,本 尊 仏 と同程 度,も し くは それ 以上 の大 き さの 如来 像 が あ った と考 え られ る。こ のほ か, 如 来 像 と して は 菩 薩 形 の胎 歳 大 日如 来 坐 像 が3点 確 認 で き る。 こ の うち の1例[1]

は遺 跡 の 東 側 に あ る小 学 校 の校 庭 に,1例[2]は 先 述 の 第5祠 堂 に,さ らに も う1 例[3]は 第1僧 院 の回 廊 部:に置 か れ て い る。 触 地 印 以 外 の 印相 は きわ め てわ ず か で あ る 。 また,如 来 像 の ほ とん どは 坐 像 で,立 像 は わ ず か に4例 を 数 え るに す ぎ な い

[141,162,163,188]。 立 像 を 置 い た奉 献 塔 の 出土 例 も知 られ て い な い。

  像 高 が2メ ー トル 近 い大 規 模 な菩 薩 や 女 尊 の 像 が 出土 して い る の も,ラ トナ ギ リの 特 徴 であ る。 す で に述 べ た入 口周 辺 の 観 音,蓮 華 手,金 剛 手,ヴ ァス ダ ー ラ ー,回 廊 部 の文 殊 な どで あ る。 いず れ も細 部 まで 入 念 に 仕 上 げ られ た作 品 で,オ リ ヅサ の密 教 美 術 の代 表 例 と して,こ れ ま で に も紹 介 され て きた 。 しば しば,脇 侍 を 足 元 に 小 さ く 表 現 し,光 背 の 上 部 左右 に ば仏 坐 像 や 飛 天 を 配 す る。 中央 の尊 は大 地 か ら伸 び る蓮 華 に立 ち,周 囲 の尊 も同 じ根 か ら伸 び る小 さな 蓮 華 に 位 置 す る。

       

  ラ トナ ギ リか らは後 期 密 教 に属 す る尊 像 が 出 土 して い る点 も注 目され る。 ヘ ー ル カ

368

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森   オ リッサ州 カ タ ック地 区 の 密 教 美 術

が1点[542],サ ン ヴ ァ ラ が2点[539,540]あ り,い ず れ も 規 模 の 大 き な 作 品 で あ る 。 中 村 氏 の 調 査 に よれ ぽ,奉 献 塔 の  y>も ヘ ー ル カ が3例,ダ ー キ ニ ー が1例 あ る とい う。 ま た 密 教 的 色 彩 の 濃 い タ ー ラ ー で あ る,先 述 の 八 難 救 済 の タ ー ラ ー も2例 ら れ て い る[527,528](図138〜146)。 こ れ ら の 作 例 は 数 の 上 で は わ ず か で あ る が, カ タ ッ ク の 他 の2遺 跡 か ら 類 例 の 出 土 は な く,か な り後 の 時 代 ま で ラ トナ ギ リで は 造 像 活 動 が 続 い て い た こ と が 予 想 さ れ る。

ラ リ タ ギ リ

  ラ リタ ギ リ遺 跡 も小 高 い 丘 に 位 置 して い る。 東 西 に長 い丘 陵 で,西 に頂 を持 ち,こ こに仏 塔 が あ っ た。 仏 塔 は 現 在 で は新 し く レ ンガ で復 元 され て い るが,直 径 は5な い し6メ ー トル で そ れ ほ ど規 模 は 大 き くな い(図4)。 自動 車 道 は 山 の 東 側 を 南 北 に 走 り,丘 陵 の東 端 が 遺 跡 へ の 入 口に な る。 こ こか ら,仏 塔 の 置 か れ た頂 の南 斜 面 の収 蔵 庫 の あ た りま で道 が 続 く。 仏塔 以外 の建 造 物 の遺 構 は この 道 の 両 側 に あ る。 遺 跡 の入 口か ら収 蔵 庫 に向 か って進 む と,右 手,す なわ ち道 の 北 側 に 二 つ の僧 院 跡 が あ る(図 7,8)12)。 い ず れ もほ ぼ 同 じ大 き さ を持 ち,東 西 に な らん で 作 られ て い る。 ラ トナ ギ リの第1僧 院 に 比 べ る とひ と まわ り小 さ いが,中 庭 の 左 右 に 房 室 を そ な え,最 奥 部 に 本堂 を持 つ 構 造 は 変 わ りな い。 南 側,す なわ ち道 に 面 して 入 口が 開 き,本 堂 は 北 に な る。 こ こで も新 しい レソ ガで復 元 作 業 が 行 わ れ た よ うで,外 壁 や仕 切 の壁 に 相 当 す る部 分 は 同 じ高 さ まで築 か れ て い る。 東 の僧 院 に は 房 室 が東 西 に5つ ず つ あ り,ラ ナ ギ リの第2僧 院 と同 じ数 で あ る。 規 模 もほ ぼ 同 程 度 で あ ろ う。

  ここか ら さ らに 西 に 向 か って進 む と道 の左 手,す な わ ち南 側 に,馬 蹄 形 を した 建 造 物 の遺 構 が 現 れ る(図5)。 大 小二 つ のU字 型 を 組 み 合 わせ た形 の跡 が 残 り,内 部 は レ ンガが 敷 き詰 め られ て い る。 小 さ い方 のU字 の 奥 ま った部 分 に は 円形 の 建造 物 跡 が残 され て い る(図6)。 房 室 の よ うな 小 さな 部 屋 は 認 め られ な い。 こ の よ うな遺 構 は ラ リタギ リ以 外 の カ タ ッ クの遺 跡 か ら発 掘 され て い な い た め,当 時 の 形 態 や 建物 の 用 途 は 想 像 に た よ る ほ か な い が,お そ ら く,中 央 の 円 形 の 遺 構 に は チ ャイ トヤ (caitya)が 置 か れ,こ れ を お お う よ うな 形 で 建 物 が あ った こ とが 予 想 され,チ ャイ トヤ の礼 拝 を 目的 と した 一 種 の礼 拝 堂 で あ っ た と考 え られ る。 外 側 のU字 型 は縁 石 の よ うに復 元 され,か りに 当時 も同 じで あ った な らぽ,建 物 との間 は 右 邊 道 と して機 能 して い た と考 え られ る。 この よ うな 構造 は,丘 陵地 帯 に窟 を うが って 作 られ た石 窟 寺 院 を 想起 させ る。 早 くは サ ー タ ヴ ァーハ ナ朝 か らお もに西 イ ソ ドで 多 く作 られ,グ プ タ朝 か らポ ス ト ・グプ タ期 に か け て ふ た た び流 行 した石 窟 の 仏 教 寺 院 は,僧 侶 が 住

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国立民族学博物館研 究報告  23巻2号 み,修 行 を行 うヴ ィハ ー ラ窟(僧 院 窟)と,仏 塔 を 置 い て 礼拝 や 儀 礼 を行 うチ ャイ ト

        1

ヤ窟(塔 院 窟)と い う二 つ め タ イ プ に分 け られ る(宮 治1981:52‑61,129‑136)。 リタ ギ リの2棟 の 僧 院 や他 ㊥ カタ ッ ク地 区 の 遺 跡 の 僧 院 は,い ず れ も僧 房 を そ な え た 僧 院 で あ る。 そ して,仏 塔 は僧 院 とは 別 に た て られ て い る。 ラ リタ ギ リで も仏 塔 は僧 院 跡 か ら少 しは な れ た 山頂 に あ る が,そ れ とは 別 に,チ ャイ トヤ窟 の よ うな 構造 を持 った 礼 拝 の場 が存 在 した の で は な い か 。 現 在,馬 蹄 形 の 外 側 のU字 型 の 遺 構 の 上 に は奉 献 塔 が多 数 並 べ られ て 吟 る。お そ ら くこの 周 囲か ら発 掘 され た 奉 献 塔 で あ ろ うが, 規 模 の大 き な仏 塔 の周 囲 に奉 献 塔 を置 く形 式 は ラ トナ ギ リで も見 られ た。 また,遺 構 の南 側 に は方 形 の祠 堂 跡 と ξ もに直 径2メ ー トル 程 度 の 円形 の基 壇 が数 基 残 され て い る。 中規 模 の仏 塔 が 建 て られ て い た の で あ ろ う。 い ず れ も建 造 物 の 内部 に仏 塔 が 置 か れ て い た こ とを示 唆 して い る。

  現 地 に おけ る ラ リタ ギ リめ 尊像 の遺 品 は,馬 蹄 形 の 遺 構 の 近 くに頭 部 を欠 く触 地 印 仏 坐 像[26]が 放 置 され て い るの を除 き,す べ て収 蔵 庫 に 保 管 され て い る。 発 掘 の進 展 と と もに相 当数 の作 品 が新 た に こ こに収 め られ た よ うで あ る。 と くに如 来 像 の新 出 作 品 が 多 い.そ の 中 で ・ 離 彫 で ・ 像 高1距 トル 程 度 の立 像 が 注 目 され る(図

58〜73)。 い ず れ も如 来 形 で,か ろ う じて 衣 紋 が 確 認 で き る 他 は め だ っ た 特 徴 は な く, 多 く の 作 品 は 表 面 が 磨 滅 しで い る。 印 を 示 す 右 腕 を 欠 く例 も 少 な くな い が,大 半 が 与 願 印 も し く は 施 無 畏 印 を 示 して い た と考 え られ る 。 脚 部 の み の 断 片 も6例 あ っ た 。 仏 立 像 は ラ トナ ギ リ で は ほ と ん ど な く,ウ ダ ヤ ギ リで も 仏 伝 図 の ひ と つ で あ る 三 道 宝 階 降 下 図 が2例 あ る に す ぎ な い[144,145](図57)。 ラ リ タ ギ リに お け る立 像 の 流 行 は カ タ ッ ク地 区 の 中 で は 異 例 で あ る。 ま た,立 像 と な ら ん で 坐 像 の 新 出 作 品 も20点 程 度 確 認 さ れ た 。 興 味 深 い の は,こ れ ら の 坐 像 の 中 に,法 量 や 様 式 が 共 通 で 印 相 の み が 異 な る 作 例 が あ る 点 で あ る 。 一 般 に こ の 地 区 に 多 く 見 ら れ る 触 地 印 の 他 に,転 法 輪 印 [10‑12](図14,15),与 願 印[99](図31),定 印[109‑113](図38〜42),施 無 畏 印 [127‑134](図49〜55)の 作 例 が 見 られ,四 仏 な い し五 仏 の セ ッ トで あ っ た 可 能 性 も あ る 。 こ の う ち 転 法 輪 印 と 施 無 畏 印 の 作 例 の い くつ か に は,台 座 部 分 に 法 輪 と二 鹿 が 表 現 さ れ て い る[10‑12,127,128,130‑134](図IS,49,51〜54)。 と く に 転 法 輪 印 と の 組 み 合 わ せ は 初 転 法 輪 の 釈 迦 を 連 想 さ せ る が,施 無 畏 印 を 示 す 如 来 像 に も現 れ る こ と か ら,特 定 の 仏 伝 図 に 比 定 で き る か ど うか は 断 定 で き な い 。 法 輪 の モ チ ー フ の み は 定 印 を 示 す 仏 坐 像 の 台 座 蔀 分 に も 登 場 す る[112](図41)。 ま た,定 印 仏 の 光 背 に 蛇(ナ ー ガ)の 姿 が 表 現 さ れ る の も 特 徴 的 で あ る[109‑111](図38〜40)13)0

  ラ リ タ ギ リ収 蔵 庫 の 作 品 で と くに 注 目 さ れ る の は,八 大 菩 薩 の そ れ ぞ れ の 単 独 立 像

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森    オ リ ッサ州 カ タ ック地 区 の 密 教美 術

であ る。 い ず れ も2メ ー トル近 い 大作 で あ る。 これ らの 作 品 に つ い ては,す で に 頼 富 氏 に よ って早 くか ら注 目され,イ ソ ド,チ ベ ッ トの八 大 菩 薩 の 大 きな流 れ の 中 で そ の 意 義 が 明 らか に され て い る(頼 富1990:607‑632)。 作 例 数 と して は20例 程 度 確 認 し た が,法 量 や 様 式 な どか ら,火 炎 の光 背 を そ な え た セ ッ ト(地 蔵 を 除 く7体 現 存),

これ に 比 べ や や細 長 い石 材 を 用 い た セ ッ ト(8例 す べ て 現 存)が 中 心 とな る。 このほ か の 作例 は,明 らか に様 式 の 異 な る二 つ 以上 の グル ー プに 分 か れ る た め,い ず れ も八 大 菩 薩 の セ ッ トと して制 作 され た とす れ ぽ,4つ 以 上 の セ ッ トが存 在 した と考え られ

る14)0

  これ らの如 来 像 と八 大 菩 薩 像 を 除 く と,こ の遺 跡 か ら出 土 した尊 像 の種 類 は きわ め て わ ず か で,出 土 数 自体 も限 られ る。 また密 教 系 の 尊 格,す な わ ち,愈 怒 形 の尊 格 や 変 化 観 音,特 殊 な文 殊 な ど も ま った く見 られ な い こ とも指 摘 して お か な けれ ぽ な らな い 。作 品全 体 の傾 向は 大 乗 仏 教 の 色彩 が きわ め て 濃 い の で あ る。

ウ ダ ヤ ギ リ

  ウ ダヤ ギ リ遺 跡 は これ まで の2遺 跡 と異 な り,比較 的 高 い 山 の 中腹 に 築 か れ て い る。

山 の 東 側 に遺 跡 へ の入 口が あ り,そ こか ら西 に 向か って 参 道 が の び る。 途 中,右 手 に 仏 塔 が 置 かれ,さ らに進 む と僧 院跡 に至 る。

  近 年 復 元 され た 仏 塔(図10)は,四 方 に寵 を 持 ち,寵 の 中 に 阿 閥(図24〜26),宝 生(図32〜34),阿 弥 陀(図43〜45),胎 蔵 大 日(図11〜13)が 東 か ら順 に右 回 りに安 置 され て い る15)0い ず れ も仏 塔 周 囲か ら出土 し,当 時 の配 置 も現 在 と同 じであ った と 考 え られ る。4体 の如 来 像 の左 右 に は八 大 菩 薩 が2尊 ず つ 脇 侍 と して立 って い る。 各 尊 固 有 の持 物 を左 右 いず れ か の 手 に持 ち,明 白 に八 大 菩 薩 を 意 識 した作 例 で あ る。 台 座 に2匹 の竜 王 を配 して,光 背 の上 部 左 右 に飛 天 を 置 く形 式 は い ず れ も共 通 で,そ の 他 の様 式 もほ ぼ一 致 す る こ とか ら,同 じ時 期 に一 具 の もの と して制 作 され た も の で あ ろ う。 た だ し,光 背 の表 現 は 阿 弥 陀 の み独 特 で,周 囲 に 蓮 華 の文 様 を連 ね た 形 式 を と る。

  僧 院(図9)は1996年1月 の 段 階 で,す で に発 掘 ・復 元 作業 が終 了 して いた 。 形 式 は これ まで 見 て き た2遺 跡 と同 じで,規 模 の点 では ラ リタギ リと ラ トナ ギ リ第1僧 院 との 中 間 程 度 で あ る。 本 尊 は や は り触 地 印仏 坐 像 で,約1.5メ ー トル の 像 高 を もつ [30](図22)。 金 剛 手 坐 像[353](図115)が 本 尊 の 右手 に,八 大 菩 薩 を 光 背 の左 右 に 配 した 転 法輪 印仏 坐 像[19](図19)が 左 手 に,お 互 い に 向か い あ って 置 か れ て い る。

1995年3月 の調 査 時 には 僧 院,仏 塔 と もに修 復 中 で あ った た め,本 堂 内 に も 自 由に は

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国立民族学博物館研究報告  23巻2号 い る こ とが で きたが,約1  後 に は 本 堂 $'屋根 が作 られ,入 口に は鉄 製 の柵 が つ け ら れ 施錠 され て いた 。1995年8月 に 本 尊 脇 の転 法 輪 印仏 坐 像 の 頭部 が盗 難 に あ った こ と が 厳 重 な警 戒 の理 由 と され る16)。この 作 品 の奥 に ジ ャ ソバ ラ像[568](図160)も 置 され て い るが,こ れ も第11回 の 調 査 で は僧 院 の外 に置 か れ て い た もの で あ る。

  本 堂 周辺 の尊 像 と しては,こ の ほ か 本堂 入 口の手 前 に 置 かれ た金 剛 界 大 日如 来[13]

(図16〜18)を あげ なけ れ ば な らな い 。 円筒 形 の宝 冠 を か ぶ って智 拳 印(あ る いは 転 法輪 印)を 結 ぶ大 日如 来 を1央 に 大 き く表 し,周 囲 の4箇 所,す なわ ち台 座 と光 背 の 左 右 に供 養 女 尊 を置 く。 これ らの 女 尊 は左 上 か ら右 回 りに 金 剛 華(図17),金 剛 燈(図 18),金 剛塗 香,金 剛 香 に 比 定 され,金 剛 界マンダラ に含 まれ る外 の 四 供 養 菩 薩 と考

        1

え られ る17)0

  ウ ダヤ ギ リ遺 跡 の現 地 にあ る作 品 と して は,こ のほ か に4体 の観 音 立 像 が あげ られ

        1

る。 か つ て,僧 院 の 前 の 土 中 に 下 半 身 が 埋 もれ て い た 観 音 像 は,掘 り起 こ さ れ,足 に タ ー ラ ー と ハ ヤ グ リ ー ヴ ブ の 脇 侍 が 現 れ た[259](図102〜104)is)0ま た,こ こ か ら 少 し は な れ て,像 高2メ ー トル 以 上 あ る 観 音 立 像 の 石 版 が 仰 向 け に 倒 れ て い る [261](図105)。 仏 塔 の 前 で 参 道 を 左 に 折 れ,50メ ー トル ほ ど進 む と,や は り大 規 模 な 観 音 像 が あ る[258](図97〜101)。 光 背 に 多 数 の 尊 像 や 人 物 を 配 し,補 陀 洛 山 の 情 景 を 表 し た 興 味 深 い 作 品 で あ る 。 さ ら に,遺 跡 の 入 口に は コ ソ ク リー トの 台 に 観 音 像        

が 立 て ら れ て い る[227](" ,76〜78)。 こ の 作 品 の 出 土 地 点 は 不 明 で,お そ ら く考 古 局 の 手 で 現 在 の 位 置 に 置 か 況 た の で あ ろ う。 バ トナ 博 物 館 に は ウ ダ ヤ ギ リ出 土 の 四 轄 観 音 立 像 が も う1例 あ る[257](図94〜96)。 蛇 の か ら み つ い た 三 叉 戟 を 手 に す る,        

オ リ ッサ で は 他 に 類 を 見 な し!作例 で あ る。

  こ の ほ か,新 た な 出 土 品 が 入 口 近 くの 空 き 地 に 集 め ら れ,や は り コ ン ク リー トの 台 に 固 定 さ れ て い る 。 こ れ ら は 断 片 が 多 い が,脇 侍 を と も な った 与 願 印 仏 坐 像[101](図 35〜37),三 道 宝 階 降 下 図[:【44](図57),文 殊[302](図ll1)な ど は 比 較 的 保 存 状 態 が 良 好 で あ る 。 ま た,仏 教 美 術 に 混 じ っ て マ ヒ シ ャ ー ス ラ マ ル デ ィ ニ ー        

(Mahisasuramardini)像 が 安 置 さ れ て い る 。

  参 道 か ら 左 に の び る 脇 道 り 途 中 に ヒ ソ ド ゥ ー教 の 小 さ な 祠 堂 が あ り,中 に 尊 像 が3 体 置 か れ て い る。 表 面 は は げ し く磨 滅 して い る 上 に オ レ ン ジ 色 の 塗 料 が 一 部 塗 り付 け

ら れ,原 型 は 判 然 と し な い が,チ ュ ン ダ ー[428](図120),ヤ ム ナ ー[470](図131), マ ハ ー カ ー ラ[548](図158)1の3尊 と考 え ら れ る19)0

  現 地 に あ る お も な 遺 品 は ほ ぼ 上 記 の も の に 限 られ る が,遺 跡 近 く の 小 学 校 の 校 庭 に 仏 頭[194],観 音 の 上 半 身[287],そ して 文 殊 立 像[334](図112〜114)が 放 置 さ れ

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森   オ リ ッサ 州 カタ ッ ク地 区 の 密教 美 術

て い た20)0い ず れ も こ れ ま で 知 ら れ て い な か っ た 作 品 で あ る 。 こ の うち 文 殊 は 全 体 が 三 つ の 部 分 に 分 か れ て い る が,ほ ぼ 原 形 を と どめ て い る 。 興 味 深 い こ と に こ の 文 殊 の 足 元 に 水 牛 に 乗 っ た ヤ マ ー ン タ カ が 小 さ く表 現 さ れ て い る 。 文 殊 の 脇 侍 に ヤ マ ー ソ タ カ が 置 か れ る 作 例 は オ リ ッサ で は こ の ほ か は1例 に 限 ら れ る が[327],パ ー ラ 朝 か ら は 多 数 出 土 して い る(森1996:57‑58)。 し か し,い ず れ も 水 牛 を と も な わ ず,坐 像,

も し く は 立 像 で 表 さ れ,こ の よ うに 水 牛 に 乗 る 作 例 は こ れ ま で 知 られ て い な い 。 水 牛 の 背 に 立 つ ヤ マ ー ン タ カ の 単 独 像 は,ナ ー ラ ン ダ ー か ら1例 出 土 し て い る が,そ の 場 合,ヤ マ ー ソ タ カ は 水 牛 に ま た が る の で は な く,水 牛 の 背 に 立 っ て 表 現 さ れ る21}0こ の 形 式 は チ ベ ッ トの ヤ マ ー ン タ カ に も受 け 継 が れ て い る 。 これ に 対 し,日 本 の 遺 例 で は ヤ マ ー ソ タ カ(大 威 徳 明 王)は 水 牛 に ま た が る 姿 で 現 さ れ る こ と が 圧 倒 的 に 多 く, 文 献 の 記 述 の 多 く も坐 像 を 支 持 し て い る(佐 和1962:110‑111)。 脇 侍 で は あ る が, イ ソ ドに お け る 坐 像 の ヤ マ ー ソ タ カ の 唯 一 の 作 例 と して 注 目 さ れ る 作 品 で あ る 。   主 要 な 作 品 の 紹 介 を 含 め,ウ ダ ヤ ギ リの 遺 跡 を 概 観 した 。 こ の 遺 跡 か ら の 出 土 品 は 現 地 の 他 に バ トナ 博 物 館 と オ リ ッサ 州 立 博 物 館 に 数 点 あ る 。 出 土 品 の 総 数 は こ れ ま で の 遺 跡 に 比 べ る と か な り小 さ い が,優 れ た 作 品 が 多 く,八 大 菩 薩 を 配 した 四 仏 の パ ネ ル や 金 剛 界 大 日,観 音 立 像,そ し て 最 後 に ふ れ た 文 殊 像 な ど,他 に 類 を 見 な い 特 色 あ

る作 例 も多 く含 ま れ て い る 。

3.主 要 な 図像 上 の特 徴 一 般 的 な 特 徴

  カ タ ッ ク地 区 か ら 出土 した作 品 の ほ とん どは,コ ンダ ライ トと呼 ぽれ る石 材 を 用 い て い る。 コ ソダ ライ ト石 は 薄茶 色 の砂 岩 で あ るが,色 は 赤 褐 色 か ら灰 色 まで さ ま ざ ま で あ る。 硬 度 に欠 け るた め 加工 は 容 易 で あ るが,逆 に 風 化 しや す く,長 期 間 風 雨 に さ らされ る と表 面 は 黒 く変 色 す る。 保 存 の 良 い もの は な め らか な表 面 を も ち,細 部 の表 現 も よ く残 る。そ の一 方 で,遺 跡 に放 置 され た 作 品 の 多 くが,風 化 に 悩 ま され て い る。

ウ ダヤ ギ リの 観 音 立 像[259]に は,土 中 に 埋 ま って いた た め 保 存 状 態 の 良好 な下 半 身 と,磨 滅 の進 ん だ 上 半 身 との違 い が よ く示 され て い る(図102〜104)。 ベ ソ ガル ・

ビハ ー ル地 区 の パ ー ラ朝 の 仏教 彫 刻 の ほ とん どが,硬 度 の 高 い黒 玄 武 岩 の石 像 で,現 在 で も光 沢 が 失 わ れ て い な い こ と とは対 照 的 で あ る。

  作 品 の大 半 は 高 浮 彫 で表 現 され,像 高 は10セ ソチ ・メ ー トル に満 た ない もの か ら,

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国立民族学博物館研究報告  23巻2号

2メ ー トル 以 上 の も の ま で ざ ま ざ ま で あ る 。 カ タ ッ ク地 区 出 土 の 作 品 は,オ リ ッサ の そ の 他 の地 区 に比 べ る と洗 練 され た ス タイ ル を も ち,人 体表 現 も適 格 で あ る。 と くに 大 規模 な作 品 は重 量 感 のあ る堂 々 と した体 躯 を も ち,プ ロポ ー シ ョ ンに も優 れ て い る。

      ヨ

た だ し,如 来 像 に多 く見 られ る大 規模 な触 地 印仏 坐 像 は,薄 い胸 板 や 長 い手 足 な どが 形 式 化 され,平 板 な 印象 を 与 え る。 顔 の表 情 は伏 し 目が ち の 目,や や 肉厚 な唇,高 い 鼻 梁,横 に広 が っ た あ ご な どの 特 徴 が しぼ しば認 め られ るが(図89,151),地 域 や 尊 像 の 種 類 に よ って変 化 に富 む 。

  髪 型 も尊 像 の種 類 に よ って 異 な るが,如 来 像 の場 合,螺 髪 は 比較 的大 き く表 現 され る。 菩薩 は しぼ しぼ 髪 を 結 い,髪 の房 を肩 ま で垂 らす 。 女 尊 の髪 型 の 多 くは,髪 全 体 を 大 き くひ とつ に ま とめ,卑 み を 帯 び た形 で表 現 され る。頭 飾 を つ け る菩 薩 や 女 尊 も 多 く・ 正面 と左 右 に 山形 の 飾 りを つ け た三 山形 式 の頭 飾 が 多 い。 円筒 形 の宝 冠 も ウ ダ ヤ ギ リや ラ トナ ギ リで散 見 され る。 装 身 具 に は耳 飾 り,首 飾 り,聖 紐,腎 釧,腕 釧 な どが 菩 薩 や女 尊 に広 く見 ら出しる。 衣服 は僧 衣 を ま と う如 来 を 別 に すれ ば,ド ー テ ィの み の 作 品 が大 半 を 占め る。 豪 華 な 腰飾 りを しめ る こと も多 い 。 た だ し,こ れ らの 装 身 具 や 衣 装 が は っ き り表 現 され て い るの は大 規 模 な作 品 に 限 られ,小 品 の多 くは よ り簡 略 な もの にか わ るか,あ るい は 省 略 され る。

  規 模 の 大 小 にか か わ らず,ほ とん どの 尊像 は上 下 に花 弁 を 開 い た蓮 台 を座 とす る。

しぼ しぼ蓮 台 の下 に大 地 か ら伸 び る蓮 華 の茎 も表 現 され,同 じ根 か ら出 た茎 や 葉 が さ らに そ の 左右 に広 が る場 合 もあ る。 脇 侍 の尊 格 も蓮 台),T置か れ るが,こ の蓮 華 も中 央 の 尊 格 の蓮 台 と同 じ茎 か ら伸 び て い る。台 座 部 分 に は,し ぼ しば 帰依 者(多 くの場 合, ひ ざ まず き合 掌 して い る),台 に 置 か れ た 供 物,さ らに ほ ら貝 な どの 浮 彫 が あ る。 ま れ に転 輪 聖 王 の七 宝 が 表 現 され る作 例 もあ る が,こ れ は ベ ン ガル地 方 で も見 られ る装 飾 モ チ ー フで あ る。 台 座 の左 右 に 動 物 を 置 く作 例 も散 見 され る。 動物 は ほ とん ど獅 子 で あ るが,象 の場 合 も あ る。

  光 背 に は特 別 の装 飾 が 現 れ る こ とは まれ で あ る が,如 来 像 に 限 り,獅 子,有 翼 の グ リフ ォソを左 右 に飾 る玉 座 を 浅 い 浮彫 で表 現 した作 例 が 何 点 か あ る[33,47,56,60, 62]。 また 多 くの 作 品 で,光 背 の 上 部 左 右 に飛 天 が現 れ る。 メ ダイ オ ソの 中 に 浮 彫 で 表 現 され,花 綱 を もつ 。 これ は 尊 像 の種 類 に 関係 な く,ひ ろ く見 られ る装 飾 モ チ ー フ で あ る。

  ラ トナ ギ リか らは寵 の 中 に尊 像 の 浮 彫 を置 い た奉 献 塔 が 多 数 出 土 して い る。 ラ リタ ギ リに も馬蹄 形 の遺 構 の周 暉 にか な りの 数 の奉 献 塔 が 置 か れ て い た が,寵 に尊 像 の浮 彫 の あ る作 品 は ほ とん ど なか った 。 また,ウ ダヤ ギ リか らは,奉 献 塔 の 出土 自体 が 現

参照

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