Pakistan,Baltistan州住民の口腔衛生について
佐 藤 敏 彦
岩手医科大学歯学部 薬理学講座米
高 橋 俊 紀
岩手医科大学歯学部 口腔外科学第2講座*
松 田 和 弘
岩手医科大学歯学部 口腔衛生学講座米
〔受付11976年1月9日〕
抄録:私達は,Pakistan国のKarakorum山脈の遠行中, Skardu町とChutran村の口腔診査をWH Oの口腔診査法(1971)に従って行った。あわせて飲料水の採水を行った結果,次のことが判明した。
1.Skardu町では男子2才から52才までの30名, Chutran村では3才から45才までの34名について幽蝕罹 患歯率については有意の差は見られなかった。
2.簡易口腔清掃状態指数(OHI−S)はSkardu町よりChutran村の方が有意の差をもって高かっ
た。
3.エナメル質表層の咬粍は全員にみられた。象牙質におよぶ高度なものはSkardu町で30名中6名,
Chutran村では34名中3名にみられた。
4.Chutran村の温泉水ではpH 8.02,イオン電極法によるフッ素濃度は3,正06ppmあり,斑状歯有所見 者は34名中3名にM3Bが見られたが甲状腺腫所有者(4名)とは重復しなかった。
はじめに
私達(佐藤,高橋)は,日本山岳会岩手支部 KarakorUm遠行隊の医療部門のメンバーとし て,1975年6月から8月にかけて,Pakistan回 教共和国,北西部Baltistan地域のKarakorum 山脈のChogo Lungma氷河を源頭とする
Basha川,Shigar川,Indus河流域の扇状台地の 各集落において,医療奉仕と平行して口腔診査
と飲料水の採取を行ったので報告する。
調査地域概略
Pakistan回教共和国Karakoruln山域は,中 央アジアの陸封された砂漠と山嶺がその大部分
をしめ,東径75°から76°,北緯35°から36°に囲 まれた地域に相当する。丁度,Hilnalaya U」脈 がX字に交わる復活山脈1)で乾燥地帯に属す
る。雨の降り方は年間降水量2)がRawalpindi で821nm, Skarduで74mm,同緯度の東京の1616 mmの%にも満たない。また気温は夏の最高 26.5°C冬の最低0°Cである。国民の85%がイ スラム教徒,80%が農民,人種的にはインドアー
リヤ系とセム系が主である。国勢は回教共和国,
人口5351万人,面積は日本の2.2倍の80万km2,
言語は国語としてはUrdu語, Hindostani語,
政治レベルの公用語としては英語が広範囲に使 用される。Pakistan国内で最も閉鎖された遠 隔地がBaltistan州で,ほとんどの住民はイ
On the oral hyg輌ene of the residents at Baltistan district in Pakistan.
Toshihiko SATo(Department of Pharmacology, Iwate Medical University School of Dentistry,
Morioka O20),Toshinori TAKAHAsHI(Department of Oral Surgery, Iwate Medical University
School of Dentistry, Morioka O20)and Kazuhiro MATsuDA (Department of Oral Hygiene, Iwate Medical Universily School of Dentistry, Morioka O20)米岩手県盛岡市中央通1丁目3−27(〒020) Dθηz.」.1▽りα句M64.σπ加.1;35−41,1976
スラム教を信奉している。Indus河の上流の Shigar川やBasha川流域は氷河期を経た河床 であり,その河岸段丘の扇状台地に集落がひら け,生活は山羊,羊の飼育や農耕を中心とした 農牧で生計をたて,住居は平頭泥屋に保安のた めの高い土塀をめぐらし,ほとんど跣足でくら している。食物は小麦粉を牛の蹄で脱穀させ風 選し,石臼で製粉し,さらに水で練って焼く薮 入りのチャパテーと,それを油であげたデリチ
ュー
を主食としている。副食物には山羊の乳で 醸るヨーグルト,杏,桑の実等を食用として野 菜類はほとんど摂らないようである。かつて Giotto Dainelli3)がこの地で人類学的調査を行
ったことが知られている。
調査対象および方法
調査地域は,Baltistan州のIndus河とShi−
gar川の合流点のSkardu町とShigar川と
Basha川の合流点Chutral1村である(図1)。
対象者は,乳歯期より混合期および永久歯期の 住民である。Skardu町の男子2才から52才ま での30名,その平均年令は193才Chutran村 では3才から45才までの男子34名でその平均年 令は19.2才であった(表1)。
検診はWHOの口腔診査法(1971)4)にしたが って平面型歯鏡と,ほどよく先の尖った探針を 用いて直射日光をさけて,肉眼的に口腔内を診 査し,現在歯,鶴蝕歯,喪失歯,歯石,歯垢,
歯肉病,斑状歯および口腔内清掃などについて 調査した。
歯肉の炎症状態は上下顎前歯部を中心として 肉眼的にみてその程度により次の4段階に分
類5・6)した。
なし(0):歯肉の炎症が全くみられないも のo
軽度(1):歯肉乳頭部に限局して発赤,腫 張のみられるもの。
中等度(2):辺緑歯肉に部分的に中等度の 発赤,腫張のみられるもの。
高度(3):付着歯肉におよぶ相当強い発 赤,腫張が広範囲にみられるもの。
口腔清掃の状態の診査は簡易口腔清掃状態指 数7)(OHI−S)を用いた。
0:歯苔および外来性付着物を認めない。
1:歯苔が歯面%以下を覆っているか,また は範囲に関係なく,歯苔以外の外来性付 着物が認められる。
2:歯苔が歯面の乃から%の範囲を覆ってい る。
3:歯苔が歯面の%以上を覆っている。
歯の磨耗の診査はMartinの分類法8)に は従わなかったが,肉眼的にエナメル質表 層の生理的咬耗と判断できるものは除外 し,象牙質以上(図2)におよぶ高度なも のを1,2,3と3段階に分けて取扱っ
た。
試水の定量は,あらかじめ用意して行っ た50酩ポリエチレン瓶に入れた水を持ち帰 り,pHはガラス電極法(ベックマン社製 39030複合型),フッ素はイオン電極法
(オリオン社製407A型イオンメーター,
96−09複合型電極)による直接測定法に
よった。
図1
表1 両地区の口腔所見一覧表
SKARDU
翻年令:鍵警麟1撫麟゜HLsi【欝騨
245578900036778890022344860802 11111111112222222234455
0
1234567891
12345678901234567890111111111222222222231
22∩フ7 う﹂ −
062788004421674820002240010161 21
02232828238888888788212222008522222121222222222222333333 311
1
221121 111
3 1
1
000000100000010221121011200000
111
2
3
33P2
P4
CHUTRAN
翻1年令羅麟㍊犠織゜HLs璽螺 斑状歯
004448486884842288822808802881728122222222222222332223323223322323233680002245555668900001122245550255 1111111111111122222222222223344
12345678910111213141516171819202122232425262728293031323334
0080020430241∩UO 1
08000204250201410314
11
1 1 1
−つ2ーコ﹂ 2 2 22
22つ乙2
1ーコ﹂ 11 321
3222 1 勺ム 3 3 12
2
3
1032110132322153020552120222233016
2
22
P2 P2
P2
PP▲
P2
M3B M3B M3B
調査結果 1.現在歯数について
被検老はSkardu町30名の現在歯数は平均 26.8歯。Chutran村34名の現在歯数は30。6歯で あったが有意の差はなかった。 (表1)
2.喪失歯数にっいて
Skardu町では,31才から52才群では喪失歯 は著しく多かったが,Chutran村では特に加令 による変化はみられなかった。 (表1)
3.幽蝕罹患老率について
Skardu町では68.8%で, Chutran村では 55.9%で両群には有意の差は見られなかった。
また,10才ごとの年令区分においても同様に差 はなかった。
4.一人平均齢蝕罹患歯率について
図2 咬粍症の一例
Skardu町では平均鵬蝕罹患歯率は5.5歯で
あったが,21才から30才群では4.6歯,31才か
ら52才群では10.2歯と加令的に増加の傾向にあ
ったが有意の差はなかった。Chutran村では,
逆に加令的に減少の傾向をみせたが,推計学的 には有意の差はなかった(表2)。
5.歯種別鶴蝕罹患老率について
上下顎とも,Skardu町, Chutran村とも第1 大臼歯が最も多く,次いで大2大臼歯,第2小臼 歯,第1小臼歯,第3大臼歯の順であった。両地 区とも最も少なかったのは下顎門歯で,次いで 下顎側切歯の順に鶴歯が見られなかった(図3)。
6.歯石沈着員率について
歯石沈着が認められたのは,Skardu町では
表2 齪}蝕罹患歯率平均値
釆
\ 群ぱ
SKARDU人数
109 6 5
CHUTRAN
1&19。5。4乍数11。90.597
11.90± 3.62 15 8.09土3.09 14.60土 9.76 10 6.44±2.00 36.37土22.86 3 4.60±3.17 一10
11−20 21−30 31−52
平均値土標準誤差
表3 歯石と歯苔のある人数 地区
群(才) \
000
11 22﹂
一 一 一 一
1 11
41
123SKARDU
人数1歯石 歯苔
0∩フ∠U⊂﹂
1
0∠U﹂−⊥−﹂120
CHUTRAN
人数 歯石 歯苔
∠UCJO3
1150λ了2
1 34nU2 1SKARDU CHUTRAN
8
7 65 4
3 2 1158 7 6 5 43 2 1
上顎 10
ll
5 1
≡
z 一≡
≡〃
=.
5 1
下顎 10
|
1 口c・
皿c・
15 昌C,
膠C、
20
25
歯数
図3 歯種別輻蝕歯数と頗蝕の程度分類
30名中12人であった。またChutran村では34 名中18名であったが両群の間にはZ2テストで 有意の差はなかった(表3)。
7.歯苔について
Skardu町では30名中2人, Chutran村では 34名中18名に見られたがFisherの直接確率計 算法では差がみられなかった(表3)。
8.歯周病について
歯肉の炎症例は,Skardu町では30名中2 名,Chutran村では,34名中18名に見られたが 有意の差はなかった。
9.口腔清掃状態について
Skardu町では,歯刷子を使用するものは30 名中9名に見られたがChutran村では対象者 全員が使用せず,軽度の歯苔,食溢の滞留が見 られ刷掃の良いものは見られなかった。簡易口
腔清掃状態指数(OHI−S)はSkardu町で
は051土0.14,Chutran村では2.00土0.26で有 意差(P〈0.01)をもってChutran村の方が 高かった(第1表)。
10.磨耗歯について
エナメル表層の咬耗は,対象者全員にみられ た。また磨耗が象牙質に及ぶものは,Skardu町 では30名中6名,Chutran村では34名中3名にみ られた(図2)。咬耗による歯痛は独自の民族療 法や呪術,噛み煙草によってまぎらわしている。
11.斑状歯について
Chutran村のみにおいて,34名中3名に褐色 性の斑状歯有所見者が観察された(図4,
5)。
12.飲料水のフッ素濃度について Skardu町とChutran村との間で採取し た飲料水は,Chutran村の日常生活に供す る温泉水のフッ素濃度が3ppmと高かっ たが,他地区の飲料水には特記すべきこと はなかった(表4)。
13.その他の全身的にみられた変化に4
名の甲状腺腫があったが(図6,7),従
来,斑状歯発現と甲状腺腫については幾度
か追求され報告9・10)が多いが,この地区に
おける今回の調査においては,斑状歯有所
図4 褐色性斑状歯と思われる一例
図5 褐色性斑状歯と思われる一例 表4 Baltistanの水のpHとフッ素濃度 水 源 地
SKARDU
UNO 雨 水
(Uno附近で採水)
CHUTRAN CHUTRAN SPA
pH≧+ミ1 フッソ濃度
ぴ9/の来2
8.01
8.12
6.84 7.78 8.02
0.106 0.128 0,02
0,135 3.106 米1 イオンメーター:オリオン社801A 電極:ベックマン社製39030 来2 イオンメーター:オリオン社製407A 見者と甲状腺腫については重復が認められなか
った。
考 察
1)資料および調査方法について
図6 鳩卵大から鶏卵大に至る凹凸のあ る腫瘤が見られる一例
図7 著明に腫張した甲状線腫の一例
この様な未開地の調査においては,調査対象 の把握が不完全なこと,稀薄な人口,物見高い 人達のみが集まってきたり,回教上の旧幣から 女性は皆無で,それを強行しようとすれば危険 に遭遇する結果をまねくなどの困難があり,そ れらの調整を如何にとりつけるかが問題とな る。言語の問題,さらに年令の正確さなどで人 数が限定される。従来,Afghanistanでの小 貫U),佐藤12)らの報告にも異民族対象の口腔診 査の困難なことを述べている。
2)調査結果について
文明国の民族は罐蝕感受性がたかく,鶴蝕は 文明病13)であるとされているが,Baltistan州の
Skardu町とChutran村では差がなかったが これは同一民族間でも文明化の程度によって差 が生じるといったRussell14)らの報告や, Russ15)
の平野部より山岳部の住民が頗蝕にかかりにく いと言った報告とは異った結果であった。砂糖 を消費するSkardu町とほとんど砂糖なしの Chutran村とでは鶴蝕に関しては何ら差がみら れなかったのは興味深い。
またChutran村では温泉水の利用は,浴用 のみの人と,飲用,炊飯もかねる人にもあるよ うに見受けられた。歯石や歯垢については,刷 掃しないことのほかにさらに食生活もその大き な要因となっており,毅入りの粗製の小麦粉で
酵ったチャパテー,油であげたデリチューの他 に山羊の乳で酪ったチーズ,ヨーグルトを常食 としていることも関係があるかもしれない。ま た咬耗症は日常の砂嵐のためにも進行するもの と考えられる。
ま と め
われわれは,Pakistan国のIndus河上流の 流域のSkardu町とChutran村の口腔診査を行 いその結果,次のことが判明した。
1.この地域はPakistanで最も遠隔の文化 果つる地域で医療に恵まれず,民度が低い。口 腔および全身の健康についても知識がほどんと なく,甲状腺腫などは病気とは考えていない。
2.文化の進行と頗蝕との関係は判然としな かった。簡易口腔清掃状態指数では文化の低い Chutran村の方が有意に高い値を示した。
3.全員に咬耗がみられ,歯痛は独自の民族 医療や呪術,噛み煙草によってまぎらわしてい
る。
4.Chutran村では,飲用に供している温泉 水に3ppmのフッ素を含有しているため斑状歯 がみられたが,斑状歯患者と甲状腺腫との重復
した人は見られなかった。
稿を終るにあたり,斉藤泰一教授,高江州義矩教 授に御指導御校閲いただき,さらに遠行隊全員の御 協力をいただき感謝申し上げます。
Ab8tract:We have surveyed the oral health of the residents at Skardu town and Chutran
hamlet in Baltistan area of Karakorum range, Pakistan, according to the survey methods recom−mended by WHO,1971. Fluoride contents of drinking water of these districts were determined by ion electrode method.1)No significant difference of the percentages of caries experienced teeth was found between Skardu(30 males, aged from 2 to 52)and Chutran (34 males, aged from 3 to 45).2)Simplified oral hygiene index of Chutran group was significantly higher than that of Skardu group. 3)Attrition of surface enamel was noted in all subjects. Severe attrition including dentine was noted in 6 subjects in Skardu and 3 in Chutran. 4)Hot spring water of Chutran had pH 8.02 and contained fluoride as much as 3.106 ppm. Three subjects in Chutran had mottled teeth(M3B),but 4 subjects with goiter showed no mottled teeth.
文 献
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科学42:337−347,1972.
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Caracor6m,1959,河島英昭訳,カラコルムの探
検家と登山家たち,第11章,バルチスタン地方に
おける活動,202−241ページ.第12章,冬のバル
トロ氷河とチョゴルンマ氷河,225−241ページ,
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