地理教育者からみた地歴並行学習論(1)
中 川 浩 一
(1985年11月5日受理)
現行の中学校学習指導要領(昭和52年7月23日 文部省告示)は,「指導計画の作成と各分野にわた る内容の取り扱い」において,黙第1学年及び第2学年を通じて地理的分野と歴史的分野を並行して学 習させ,第3学年において公民的分野を学習させることを原則とする。と定めている。第1学年,第
2学年において,それぞれ140単位時間(1単位時間50分)が,教科・社会(社会科)に割り当てら れる年間履習単位時間であるために,前記の指示は,地理的分野,歴史的分野の双方で,各学年70単 位時間ずつの履習を要求するものと,広く受けとられてきたように思われる。さらに加えて「並行」
という用語は,平行と同義語(広辞苑・第2版増訂版 昭和51年)とされ, ならび行われること。で あると理解する立場から,週当たり4単位時間の社会科履習を,地理的分野,歴史的分野各2単位時 間に分割して時聞割編成をなすのが,標準的な手法とされた感がある。
とはいえ,上記の地歴並行学習方式は,中学校教育の現場に定着しているとはいいがたい。その状 況についての詳しい言及をなすのが,本槁の目的ではないことゆえ,具体的な言及は割愛するが,地 理的分野を第1学年,歴史的分野を第2学年でそれぞれ学習する方式(いわゆるザブトン型)になお 依存する事例が,少なからず存在する事実を,たびたび見聞してきたと,最初に書いておこう。
@ 1
@π(パイ)型と俗称される社会科の学習方式が,国家権力によって原則と指定されるに到ったのは 昭和44年4月14日に文部省告示として発表された中学校学習指導要領においてであった。その際,「指 導計画の作成と各分野にわたる内容の取り扱い」が, 地理的分野および歴史的分野の基礎の上に公民 的分野の学習を展開するこの教科の基本的な構造にじゅうぶん留意しなければならない。とし,加え て地理的分野は第2学年で終了と指示したにもかかわらず,歴史的分野の一部を第3学年にも持ちこ んだ(変形パイ型)のは,第2学年に割り当てられた社会科の年間履習単位時間が,140単位時間(週 当たり4時間)になってしまったという奇妙な現象に伴うやむをえぬ措置と解される。
このようにして始った地歴並行学習方式に対しては,多くの地域でアレルギー反応が噴出した。そ うして, 第1学年地理的分野,第2学年歴史的分野,第3学年公民的分野の学習をさせることなど,
学校の実態に即して適切に定めることができる。との指示もあるために,改訂前の中学校学習指導要 領が原則とした上述の方式を踏襲する事例が,少なからず存在したと伝えられてきた。注2もっとも,
この場合にも,第2学年に割り当てられた年間140単位時間という制約から,35単位時間分の歴史的 分野が,第3学年に持ちこまれる(変形ザブトン型)がほとんどの事例となった由である。
地歴並行学習方式は,告示から施行(昭和47年度以降)までの段階で,実にさまざまな論議をよび おこした。拒否闘争さえおこったと,書いておくべきだろう。そうして,π型強制反対のキャンペー
ンを張って,最も強力な運動を組んだのは,歴史教育者協議会(歴教協)であったと思われる。
歴教協が,地歴並行学習方式に反対したのは,日本国民に対する教育権はだれが保持するかという 問題を,この際,明らかにする狙いを持っていたともみてとれる。教育権は,国家権力の手中にある のではなく,国民ひとりひとりの手中にあるべきで,そのことからも,地歴並行学習方式を強制すべ きではないとの主張に,反対闘争は裏付けられてきたとも考えられる芦3こうした論理にたてば,地 理的分野の学習についで歴史的分野を学習する方式(ザブトン型)が強制されても,反対闘争が行わ れるべきであった。けれども,昭和33年10月1日付で告示された中学校学習指導要領が(ザブトン型)
原則の指示をなしたおりには,それを問題視してはいなかったように思われる。そのことに関しては 多くの学校現場で自主的に採用していた(ザブトン型)を,文部省が追認する形で告示し,原則化し たがためであると,本多公栄氏は,当時の教科調査官が,後年になした回想(筑波大学教授として)
を言質にとらえて説明した事実を指摘しておこう。注4
学習指導要領によって原則とされ,そのうえ法的拘束性があると指示された(ザブトン型)は,多く の学校現場が,中学校社会科の内容講成を,地理,歴史,政治・経済・社会的分野の三本立方式とし て示した昭和30年度版の枠ぐみの中から,見かけのうえでは,自主的に選択したものであった。だが そのことが,複合的な要因にもとついて存在するのが一般的な形態である筈の社会事象を単元的に分 解して,地理,歴史………と区分のうえ解明する方式をとった旧教育制度への無批判的にみえる回帰 現象と全く無関係であったと,いいきれるのだろうか。教師自身が,かつて被教育者として存在した 当時,社会事象を,地理,歴史………に分解して学ばされてきた状態に,安易な回帰をはかった結果 にほかならないとみる極論も,存在しうるように思われる。
このように書くと,現場教師のイージー・ゴーイングが,(ザブトン型)定着の主要原因とみられか ねないが,より深い原因は,新教育制度にもとつく新しいタイプの学校教師を養成する責任をになっ た筈の教員養成業務の当事者一その中核は,国立大学学芸学部一が,一般社会科の学習指導を,意欲 的におし進められる人材を,結果的にはほとんど作りだせなかったところに求められよう。
それとは別に,サンフランシスコ平和条約発効後,政局主導のイニシアチブを握った保守党政権の 内部から,社会科解体,地理,歴史の復活を求める意見が,声高に叫ばれた事実とも,(ザブトン型)
の定着は,強くかかわりあっているように思われる。
@ 2
@中学校学習指導要領の告示に伴う地歴並行学習方式の原則化に対して,そのことへの批判をいち早 く発表した教育研究団体は,歴史教育者協議会であったと思われる。r歴史地理教育』が,1983年7月 臨時増刊号として刊行した「総目録」創刊号〜350号によると,π型問題を扱った記事は,1971年11 月号(Nα188)に,原山茂夫,本多公栄の両氏が筆者となる「いわゆるπ型学習について一中学校新 指導要領社会科の一つの問題点」を,初出とするように思われる。
以後,刊行年月別目次,分類目録の双方を資料に,r歴史地理教育』が取り上げたπ型関連記事を列 記すると,下記の通りとなる。注5
尾鍋輝彦:π型学習について一本多・原山論文に関して 1972年2月号(Nα192)
長野県歴教協長水支部:π型学習の問題点とそのたたかい 1972年10月臨時増刊(Nα203)
馬島直樹:π型学習の問題点 1972年11月号(Nα204)
本多公栄:再びいわゆるπ型学習にっいて 1973年2月号(Nα208)
三上満:なぜザブトンでなくてはいけないか 1973年4月号(Nα210)
根岸泉:「π型学習」ありのままの記録一味気ない あまりにも味気ない授業 1973年4月号 長嶋安男:一現場の情況と「π型」への意見 1973年4月号
小島晃:地理の立場からみた「π型」問題 1973年4月号 司会 大江一道:〈座談会〉「π型学習」を斬る 1973年4月号
本林用三:「π型学習」を延期させた長野県歴教協の取り組み 1973年4月号 馬島直樹:全国教研における「π型」問題の動向 1973年4月号
村井暎子(奈良):一年間の「π型学習」を終えるにあたって 1973年5月号(Nα211)
船迫征郎(鹿児島):社会科新学習指導要領の「π型学習」実施の感想 1973年5月号 高橋勝:「π型学習」への神奈川県歴教協のとりくみ 1973年5月号
高知県幡多支部:「π型」学習・郡段階でのとりくみ 1973年5月号 山形洋:福岡市におけるπ・ザブトンの実態と経過 1973年5月号 山口謙次(三重):「π型学習」をめぐる問題 1973年5月号
本多公栄:π型一公民問題は今どこまできているか 1974年3月号(Nα222)
西浦芳郎:中学校社会科はどこへ一π型実施のねらい 1974年3月号 森岡武雄:北海道における π型学習、粉砕の運動 1974年3月号
長野県歴教協:〈社会科の批判と創造〉なぜπ型公民を追求するのか:1974年7月号(Nα226)
歴史教育者協議会常任委員会:全国各地からπ型押しつけ反対の要望書が続々文部省に届く 1977年1月号(Nα259)
本多公栄:それでも地歴並行画一化の強行は可能か 1977年2月号(Nα260)
歴史教育者協議会:「教育課程の基準の改善について」の最終答申に対する声明 1977年2月号
〃 :π型学習押しつけ反対の要望書 1977年2月号
中川浩一:本多公栄さんに反論する一「地歴並行画一化の強行は可能か」を読んで 1977年6月号
(Nα264)
本多公栄:中川さんへのお礼と若干の問題点の指摘 1977年6月号
尾河直太郎:π型画一化をめぐって佐藤照雄教科調査官と激論 1977年9月号(Nα267)
高橋勝:新指導要領告示以後のπ型問題 1978年10月号(Nα282)
(編集部):π型の押しつけ一目にあまる不当な行政指導 1979年1月号(Nα287)
( 〃 ):〈π型情報〉三重・長野両県教委の見解 1979年2月号(Nα288)
梅津通郎:π型画一化への動きと私たちの自主編成一不当な行政圧力に反撃を 1979年3月号
(Nα289)
石井郁男:〈π型情報〉北九州市からの報告 1979年4月号(Nα290)
原山茂夫:π型・現代社会にどう対処するか 1979年10月臨時増刊(Nα297)
高橋勝:〈π型情報〉神奈川から 1980年1月号(Nα301) 一 安井郁夫:π型に子どもの立場から反論を 1980年7月号(Nα308)
(編集部):〈中学校の新教育課程・π型情報〉π型画一化の挫折と変型π型での抵抗 1981年3 月号(Nα318)
原忠彦:時間削減と教科書一週4時間で教える歴史の授業 1981年3月臨時増刊(Nα319)
坂田正博:中学1年生の最初に世界と出会う子どもたち 1981年3月臨時増刊 臼井嘉一:π型学習とはなにか 1981年3月臨時増刊
(編集部):「ザブトン型」をまもるたたかい一北海道の通信から 1981年3月臨時増刊 川崎兼孝:鹿児島でのπ型強制の実情 1982年4月号(No 335)
本多公栄:π型問題81年度全国情報 1982年4月号
川崎兼孝:鹿児島での π型、強制の実情に)1982年9月号(Nα340)
@ 3
苧 史地理教育』に掲載された地歴並行学習方式にかかわる論説を通観すると,いくつかの特色が 浮かびでる。まず第1に,地歴並行学習方式を肯定ないしは許容する立場で書かれたものが,ほとん ど見当たらない事実を指摘できる。そうした事実の中で,192号(1972年2月)に掲載された尾鍋輝 彦の論説が,いわゆるπ型を中学校社会科の学習構造の原則として文部大臣あてに答申した中学校教 育課程の改訂にかかわる調査研究協力者会議の社会科担当者の一員であったという立場をふまえたも のであった点にも,注意を払う必要があるだろう。尾鍋論説を介して明らかになった事実は,「調査協 力者会議」の中で,地歴並行の学習方式を強硬に主張したのが,地理教育関係者であったこと,公民 教育関係者がそうした主張に同調的であったという経過であろう。尾鍋輝彦もその一員であった歴史 教育関係者は,委員会の中で少数派たらざるを得ず,結果として地歴並行学習が原則となることを,
是認せざるを得なかったとみられよう。
地理教育者の立場からと明記して書かれた論説は,小島晃が執筆した1篇(210号,1973年4月)
のみといえるだろう。小島論説は,中学校社会科においては,(ザブトン型)が最良であるとは思われ ず,これまでにも,地理教育者の中から,地歴並行ないしは地歴併行の主張がいく度もなされてきた という事実を確認した後に, ザブトン型にしろ,π型,変型π型にしろ,指導要領で「原則とする」
とか「望ましい」という形で拘束することに問題がある、と指摘する点に,著しい特色を有していた。注6 筆者が執筆した1篇は,地歴並行ないしは地歴併行方式の支持者に加えられた誹諦中傷あるいは明 白な事実の誤認ないしは歪曲に反論したもので,ことの詳細は後記する。
ところで,r歴史地理教育」は,いわゆるπ型にかかわる掲載記事を,分類目録(創刊号〜350号)
に収載するに当たって,「社会科の内容と全体像」「学習指導要領と社会科」のいずれかに区分した。そ のうえ,前者に269号(1977年10月)まで,後者は282号(1978年10月)以降という明瞭な区分をな した事実が,注意をひきたてる。この2項目への分載は,編集者の側での意識によるものかどうかは 不明ながら,歴史教育者協議会が,いわゆるπ型と取り組む基本姿勢に,いみじくも反映するもので あった。昭和44年告示にもとつく学習方式に対してなされた取り組みは,画一化ないしは強制に対す る反対に加えて,第1学年と第2学年で地理,歴史の両分野を並行した学習のうえに公民的分野を積 みあげるのは,社会科を解体し,社会道徳科を新設するための布石であるがゆえにザブトン型を堅持 しようとするものであった。そのことは,r歴史地理教育』が,「社会科の自主編成と「π型」・公民間 題」と題する特集(Nα222 1974年3月)を組んだ事実,260号(1977年2月)に掲載された本多論 説が, 中学社会を位置づけてみると,中学3年の 公民、の機能を果たすために,地歴をπの柱と
して, 公民、に直結させること,そのために地歴並行の画一化を強行したいのであり,その結果,中 学3年の公民の学習効果を高め,全体として, 社会道徳科、として機能を高めたい,これこそ,星村 氏も語らない文部省側の本音であると私は推定している、 歴史教育も地理教育も,社会道徳科に奉仕
させようとしているものであることを私たちは知っておく必要があろう。と書いた事実によって,具 体的に証明しうるように思われる。
これに対して,282号以降では,π型イコール社会道徳科であるがゆえに阻止という立場は,表面 化してこない。π型への画一化に反対が表面化し,教育課程の自主編成権確立が究極の狙いであると する方向へ,主張ないしは連動が傾斜するに至った。そうであるために,分類目録での区分が異った とみるのは,うがちすぎた解釈であるだろうか。
r歴史地理教育」351号(1983年5月)以降に掲載された論説では,本多公栄氏による「中学社会 の教育課程の研究」1984年10月号(Nα372)から連載が,最も注目に値する成果である。それまで,
地歴並行ないしは地歴併行の学習方式を,学習指導要領が示す原則と混同し,前者の主張者あるいは 実践者を一率に文部省の犬,立身出世主義者よばわりした態度を,本多公栄氏が改めた事実が,注目 に値する。そうして,画一化反対,すなわちザブトン型至上論注7ではなく,中学校社会科において は,地域,教師,生徒の実態に対応して,多様な学習方式がありえてよいとする立場に転換した事実 が,新しい局面を開くかに思われる。
@ 4
@筆者はかつて,本多公栄氏によって「ひらめ型教師」に類別され,罵倒された史実を背に負ってい る。「ひらめ型」とは,子どもにとってより良い教育とはなにかを考えず,立身出世に眼がくらんで,
文部省や教育委員会に迎合するとの意味である。眼が上にだけ向いていると考え,「ひらめ型」と名付 けた由であった。注8
そうして, 文部省の内部に食い込んで,現行学習指導要領のπ型づくりを推進した有力なメンバー。
と断定され,論功行賞として 大学の教官に栄進している。Nα260(1977年2月)と書きたてられた。
だがそのことが,誹諺中傷,事実誤認の極致であるとの筆者による反論を,r歴史地理教育』は,寛大 にもNα264(1979年6月)に掲載したから,本槁ではこれ以上は書きたてない。筆者が,中学校学習 指導要領作成にかかわる調査協力者(文部大臣任命)であった事実は,皆無である。
筆者が,地歴並行学習方式の支持者である事実は,昭和30年代半ば以降,終始一貫している。そう して,東京教育大学附属中学校に在職当時,同僚一正確には先輩の教官であった梶哲夫,横山十四男 の両教官(ともに現在は筑波大学教育学系)と度重なる討論を行った後,世界史・日本地理先習を核 にした地歴並行学習の実践を,昭和38年度から実施した。注9地理的分野と歴史的分野の並行という事 実だけをとらえるならば,昭和33年度から,東京教育大学附属中学校はなしていたと書いておかねば ならない。注10
筆者らがなした実践に,π型,そうして昭和33年告示の学習指導要領が原則とした方式に,ザブト ン型の名称を付与したのは,その当時,教頭の職にあった谷口五男教官であった。このように,π型 という用語は,もともとは,地歴並行学習方式のニックネームであったのだが,そのことが昭和44年 告示の中学校学習指導要領をめぐる論議の中で,歴史教育者協議会によって一方的に社会道徳科の代 名詞として用いられるようになり,さらには学習方式画一化の代名詞と化したわけである。それとは 別に,文部省関係者も,学習指導要領が示す原則に対して,π型の名称を用いたことが,事態をます
ます混乱させる原因のひとつとなってきた。
自らの主張を正当化する手段として,異った意見の持主を誹諦中傷する方式を,歴史教育者協議会 がr歴史地理教育』を介してなしたのは,きわめて遺憾であったと書いておかなくてはならない。直
接的な責任は,論説の執筆者である本多公栄氏が負うべきかもしれないが,機関誌に掲載した責任は まぬがれないように思われる。
筆者らが実践した世界史・日本地理先習方式に対しても,本多公栄氏は,加藤文三氏が「サンドウ イッチよさようなら」と題して『歴史地理教育』74〜76・89号(1962年6〜8月,1963年9月)に連 載した論説の下手なサルマネとでもいいたい論評を,いち早くなしている葺11それが全く事実無根の 中傷であることについては,筆者は先に言及した「反論」の中でなしておいた。
ところで筆者が,地歴並行学習方式の採用を,公刊物を介してなした最初は,三省堂が教科書刊行 へのPRを目的にして編集したr中学資料』ユの2(1963年12月)においてであった。「社会科教育の 再検討」と題したこの論説で,筆者は,犠指導要領の規制力の過大評価はやめよう詳地・歴並行学習を 提案する。 世界史先行学習が必要である。 地理と政・経・社との指導計画も組みかえてよい。 地理的 分野で地域区分は再検討の要がある、とした五つの柱を建てて,意見を開陳した。それが先に言及し
た梶哲夫,横山十四男両教官との討議をふまえたものであったとも,書いておかねばならない。
@ 5
「界史・日本地理先習にもとつく地歴並行学習は,今日でもその妥当性を筆者が主張する方式と,
まず書いておこう。学習指導要領が原則とする地歴並行学習には反対である。とくにその中で,地歴 融合を適宜にはからせようとする立場は,社会科学習のあり方をゆがめ,無理なこじつけを学習の中
に持ちこむ危険をはらんでいると考えている。
昭和44年告示の学習指導要領体制において,文部省関係者は,地歴併行(アワセオコナウ)をなす のではなく,地歴並行(ナラビユク)のが望しい方式と強調した。地歴併行(今日いうところの地歴 融合)を, 両分野もしくはいずれかの分野の内容の構成や学習順序に大幅な操作を加えることが必要、
であるがゆえに,そのことは 学習指導要領の精神からすれば,このような操作は好しいものではな い、と警告した。注12にもかかわら劣昭和52年告示の学習指導要領体制で,なぜ地歴融合が要請さ れたかについては,本多公栄氏が前述した論説(Nα372 1984年10月以降)の中で,具体的な分析を なしている事実が,注目に値しよう。
同じ論説の中で,本多公栄氏は,筆者を「ひらめ型」教師,文部省にとり入って栄進と椰愉した事 実には全くほほかぶりして,東京教育大学附属中学校の地歴並行学習は,教育課程自主編成にかかわ るひとつの成果であったと認めている。筆者らの実践が,学習指導要領体制への先導的試行であった と評価されるのは,全くもって迷惑至極であった。そうした事実を明らかにするためにも,先に言及 した「社会科教育の再検討」の中から,地歴並行学習への言及部分を,次にあえて再掲してみよう。
地・歴並行学習を提案する
すでに記したように,地理的分野を第1学年で学習させることには,非常な無理が伴っている。
とくに世界の諸地域について学習するためには,世界史の流れをふまえたあとでなくては,正しい 理解が得られるはずがない。たとえば,工960年以降,アフリカで雨後のたけのこのように多数の国 が独立し,またそれらの間では,コンゴ(旧ベルギー領)に見られるように,分裂と抗争をくり返
してきたことは,列強によるアフリカ大陸の分割とそれに続く分割統治政策を考え,さらに,第2 次世界大戦後におこった植民地解放が,世界史の必然的な流れだったことを理解することなしに,
正しく説明することは困難ではなかろうか。
こう考えてくると,地理的分野と歴史的分野は並行して学習することが望ましいという論が,当 然の帰結として現われてくることになるわけである。
このように述べてくると,では,日本の諸地域を学習する際に必要な歴史的な見方・考え方はど うするっもり鵡といわれる方が出てくることだろう。だが,幸いに,日本史の流れの荒筋は小学 校ですでに学習しているのである。また,第1学年という段階を考えれば,生徒にそう高度なもの を要求することは過酷ではなかろうか。
しかし,これだけでまだ問題は片づいてはいない。地理的分野と歴史的分野の学習を並行させた としても,世界の諸地域の理解のために必要な世界史の流れに関する理解は,おもに 地理上の発 見、時代以後の範囲である。ところが,現在,歴史的分野の学習は,日本史の流れの中に,世界史 をこまぎれにして突っこんだいわゆる サンドウィッチ方式。でしかない。このような学習では,
世界の諸地域の学習と歴史学習は,うまくかみあうはずがないではないか。
世界史先行学習が必要である
地理的分野の学習の効果を高めようとすれば, サンドウィッチ方式。は当然すてさらなければなら ない。歴史的分野の学習は,世界史・日本史に組立て直し,世界史が日本史に先行するのが望まし いと筆者は考えている。
また,このことは,地理的分野の学習にプラスするだけではない。歴史的分野だけをとってみて も,世界史の流れの中で日本史がどのように位置づけられるかを見ておくことは,今日の日本とそ の国際的な地位を理解するためには,決してむだなことではあるまい。
さて,このような世界史先行の学習を実施する場合,これに充当すべき時間はどれほどになるで あろうか。
学習指導要領は,「日本史と世界史との内容の比率は,およそ7:3ぐらいにするのが適当と考え られる」と記している。そこで,年間の学習時間が最低175時間となっていることから考えて,お よそ50〜55時間ということになるであろう。
しかし,世界史先行の学習実施上で抵抗になるのは,同じ学習指導要領の中に,「特に中学校の生 徒の発達段階においては,日本史と世界史とを完全に分離して学習させることは,目標の達成上望
ましくない」と記していることである。この問題については,今後の研究課題としておきたい。
注1 筆者自身は,NHK学校放送中学校社会地理番組編成委員会での席上,西日本での実施状況を いく度か知らされてきた。東日本でも,例えば神奈川県では,ザブトン型が一般的であるという。
全国レベルでの状況については,日本社会科教育学会第35回全国研究大会(1985年10月)におい て,本多公栄氏(宮城教育大学)が,通信教育教材販売で大きなシェアを持つ福武書店のデーター にもとついて提示した詳細な資料が存在する。π型67.6%,ザブトン型303%が全国レベルでの数 値だが,近畿地方の場合には,ザブトン型が66.5%を占めるという。
注2 そうした状況の一面は,r歴史地理教育』に掲載された一連のπ型問題記事からも読みとれる。
注3 けれども,こうした性格を正面に押しだすと,組織外の中学校教師(大半はいわゆるノンポリ)
の同調がえにくいとの判断があったためか,π型に対する反対理由を,地歴の内容が混乱しておぼ えにくい,教科がひとつふえて生徒の負担がます,教科書がザブトン型のままでむずかしすぎる。
評価が困難,教師がつかれて手ぬき授業になる,平板的な授業となり生徒の学習意欲をそぐなどと した。しかしこれらの反対は,文部省関係者から次元の低い論拠と決めつけられ,いいだしがたく
なってゆく状況を,本多公栄氏が指摘している(歴史地理教育Nα260)。
注4 本多公栄「融合社会科から分野制社会科へ」歴史地理教育Nα374(1984年11月)P83。
注5 r歴史地理教育』が1983年7月臨時増刊(Nα354)として刊行した総目録を基本的な資料とす る。多少の集計もれがあった部分を,刊行誌の現物に即して補正した。
注6 ザブトン型が最良とは思えない理由として,小島晃は, 成長期にある中学の1年よりは2年,
2年より3年のほうが,一般的に社会について認識が深まることを経験してきた、と述べている。
注7 ザブトン型至上論の典型は,三上満「なぜザブトンでなくてはいけないか」歴史地理教育,No 210(1973年4月)P4〜10。
注8 かかる侮蔑的言辞を最初に筆にしたのは,いわゆるπ型学習について(Nα188)が最初であり,
Nα210掲載の座談会で馬島直樹氏がそれに悪のりしている。
注9 詳細は,東京教育大学付属中学校r中学校社会科地歴並行学習11年間の実践報告』昭和44年2 月 P27参照。
注10同上P15参照。
注11本多公栄「再びいわゆるπ型学習について」歴史地理教育Nα208(1973年2月)
注12 文部省r中学校指導書」社会編(昭和45年)P81。