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中野秀一郎

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社会構造論への基礎視角

‑体系・機能・構造‑

中野秀一郎

A Preliminary View of Social Structure

‑System, Function, and Structure‑

HIDEICHIRO NAKANO

1問題操起と"社会"の概念化

近年とみに社会科学関係の書物や論文などの標題に, "体系〝 , "構造〝などの言葉をみう けることが多くなった.もっとも,社会科学全体が自然科学の方法論を受け入れ,ある意味で

"自然科学化〝している今日,この現象は少しも不思議なことではないかも知れない.しか

° ° °

し,標題に惹かれて頁をくってみても,問題の"構造〝や"体系〝が決して明確に分析されて もいず,いな概念化されてさえいない場合が少なくない.すなわち,これらの用語は一種のマ ジックタームであって,そうした標題をつけるとその書物や論文の内容がきわめて"科学的n なものであるかのような印象を与えるのではあるが,さて中味はとなると羊頭狗肉もはなはだ

しいというわけである.

「社会構造」 (Social Structure)の概念は,なかんずく社会学にあっては決定的な重要性を もっている基礎概念であり,それは単に一つの社会学理論(あるいはモデル)の性格を決定す るばかりではなく, ̲その理論やモデルの諸命題またその下位モデルのための基礎を提供する.

それは「分析対象の概念化」を通じて対象(問題性をも含めた意味での)を決定し,それ‑のア プロ‑チを特徴付けるのである.しかも,最近盛んになっている多様な諸社会の比較研究やま た単一社会における社会変動の研究("近代化〝,"現代化"などという形で特に問題になってい る)では,社会構造の概念が論理的にもプライオリティをもたざるをえぬことは明らかである.

いうまでもなく,構造(structure)は過程または機能(process or function)に対する概念で あり,これらはさらに一群となって進化あるいは変動(evolution or change)に対している‑・

‑・‑‑‑といえば,既に気付かれると思うが,これらの概念はまず社会有機体説(social organicism theory)にその起源をもっているようであり,それらは生物有機体に関する解剖学(Anatomy),

生理学(Physiology),進化論(Evolutionism)に各々対応している.ところが,社会有機体説

(初期社会学‑コントやスペンサ‑によって代表される)が分解し,今日あるような社会諸

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科学が独立した学問(disciplines)に分化した際,諸々の学問は社会の機能分化した実体的現象 に密着して,みずからの分析対象の決定,方法の開拓,与件の明確化と理論の展開とを図った が,こうした意味での即物的・実体的対象をもたなかった社会学は,その名目上の研究対象と しての権利を主張している"社会〝をどう概念化するかという大問題に直面した.こうして, 社会学の対象と方法に関する長い激しい議論の幕が切って落されることになる.社会有機体説 の崩壊から今日の社会学的機能主義(sociological functionalism)の体系化に至る社会学説史は, このように"社会〝をいかに概念化するかという様々の試みに貫かれており,その各々が独自 の社会学を展開したのである.そして,これら諸々の社会学は,社会構造というタームを直接 使用しない場合もしばしばではあったが,少なくともその"社会〝の概念化を通して「社会の 在り方‑存在態」に関して何らかのアイディアを提供していた.

この点を詳しく論じることは差し控えるが,概括的にいうと,それは次のような「深さのコ ンティニュアム」上での各水準においてみずからの分析対象である"社会〝を概念化してい た,と考えると理解に容易である.

「深さのコンティニュアム」による「社会構造」概念化のレベル

最上層には,いわば人文地理学的・人間生態学的なレベルが存し,物理的・空間的距離(過 婚圏,通勤圏,購買圏,また小集団における座席分布など),交通,通信網などを「社会構造」

とみる考え方がある.人口の地域的分布としての「都市化」やコミュニティの人間生態学的な 構造もそれである.

次いで,例えばマルクスの「生産関係」のように,物を媒介にした人間関係レベルがある.

もちろん,マルクスの考えた「階級関係」は,この関係を土台にして他のあらゆる関係(権利 一義務,生産一分配,権威・支配・服従関係など)が決まるという意味でこれが土台であると いうのであり,人間の社会関係がこれにつきるわけではないが,この側面‑の強調点の置き方 からこれを即物人間関係的レベルでの社会構造の概念化であると考える.

社会有機体説の崩壊後,社会学理論の中で圧倒的な優位を占めるのが第三の心理学的レベル である(もっとも,有機体理論の影響が一時期生物学的社会学を興隆させたが,一般に有機体

の質が人間社会の場合にはきわめて高度なものとなり,ついには意志的要素が入り込んで生物 的社会学が心理的社会学‑と自己転換してしまう‑エスピナスEspmas,A. ,フイエ Fouiltee, A. J. E. ,ウオルムスWorms, R.らがこの系列に属する).心理学的レベルは,その 内容が感性的なものから意志的なものまでの連続のうちに種々の概念化の型がありうるし,普

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社会構造論‑の基礎視角 ll

° i

たデュルケムの如く集合意識のような心的なものを客体性・外在性において"物化〝する考え 方もある.前者(感性的なもの)は人間関係論や小集団論,グループ・ダイナミックスやソシ オメトリーの中に受け継がれているが,この構造解釈を全体社会レベルへ拡大することには相 当無理がある.後者(意志的なもの)は,さらに発展して「ウェーバー的世界」を構成するわ けであるが,これは深さのレベルをさらに下ることになる.

° ° °

「ウェ‑バー的世界」の上層に,一般に地位‑役割構造として取り扱われるきわめて社会学

°

的な「社会構造」概念がある.通常,われわれが一定の対人関係(社会的状況)の中でどのよ うに行動するかが期待されており,相互に他者の行動を予測することができる時,その状況は 構造化(structured)されているといわれるが,社会構造とはこうした権利と義務,規範と手段

(norms and facilities)の複合体としての地位一役割(status‑role)の分布構造であるというわ けである.これはより組織化されて制度(institutions)と呼ばれる.

しかし,この考え方を一歩進めて,地位一役割構造そのものを可能ならしめている基盤(行為 の様式や規範そのもの)をこそ社会構造であると考えたのがT.パーソンズの立場であり,か れは行為に型(pattern)と一貫性(consistency)とを与える価値基準(形相変数pattern variables) によって社会構造を記述したのである.いうまでもなくこの考え方はマーチンダル(Martindale>

Dつが「象徴的相互作用説」および「社会的行為理論」と名付けた社会学的遺産を継承する ものである(2).

「深さのコンティニュアム」の一番深い所に,やゝ隔絶した形で無意識レベルがある.人間 の概念化においてこのレベルを強調したのは云うまでもなく,かのフロイドであったが,社会 の深層心理学としての位置を占める「構造主義」 (Structuralism)は社会的無意識の世界にそ の構造(‑意味)を探る試みである.フランスの文化人類学者レヴイ‑シュトラウス(C.

Levi‑Strauss)に代表されるこの考え方は, ‑社会は実際に社会を形成している人々によっては 意識されていない「構造」をもっているというのであり,例えば「交換の体系」としての婚姻 関係(あるいは親族組織)がそれで,この構造は単なるみかけ(社会制度)の背後にわれわれ が操作的に発見しうるものであるという.

「社会構造」の概念は,このように,今日までの諸学説の中で,上にみたような異なったレ ベルで理解されてきたようであるが,この点に関する本稿の立場は次のようなものである.

社会構造はそれ自身これらの各レベルを包括する一つの"構造〝をもったダイナミズムであ り(この点については後に詳論する),具体的にどのレベルを強調するかは分析上の便宜の問 題につきる.ただし,各レベル相互間の連関性・独立性についてはわれわれは未だ充分経験狗

・一般的な材料をもち合せていないというのが現実である. M・ウェハーとK.マルクスは各

° ° ° °

々精神と物質を人間の社会的・歴史的存在の規定因として相対的なウェイトを置いた理論構成 を行なった.しかし,諸経験科学の実験的・経験的資料は一元論的決定論をあまり支持しない ようである.例えば,物理的距離(一定の面接的接触交渉が可能なような座席を占め合う)は 確かに社会的相互作用の端緒をつくり,それを継続して行なう可能性を高からしめよう.けれ

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ども,その相互作用は不断の作用‑反作用過程(Performance‑Sanction Process)の中で多様な 外在的・内在的条件に規定されつつ,たとえ一つの変数(物理的距離)がコンスタントであっ ても,その構造を変化させてゆくであろう.従って,われわれ埠「深さのコンティニュアム」

についても,もしその数を分析的に一定の数に決めれば,それに応じた分析的便宜に従ってそ れら相互間およびその一つと全体との関連を状況に応じて考察してゆくことが望ましく,安易 な「法則化」は避けるべきであると考える.こうした考え方は,従来までの社会構造の考え方 を部分的でかつ不適当な規定であるとし,より包括的で分析理論的(体系一機能主義的分析を指 す)な観点からこの概念の再構成を行わんとする本稿の基本的立場を示すものに外ならない.

本論に入る前に,社会構造に関する本稿の立場に関してもうー点つけ加えておこう.それ は,本稿が社会構造(従ってまた社会)の概念を人間集団の多様な物理的・空間的規模との関 連でどのように理解せんとしているかということについてである.

本稿を第一論文とするシリーズにおいて筆者が展開せんとする社会構造論は後に詳論するよ うに体系一機能主義(System‑Functionalism)をその骨子とする.その立場から,この問題に ついて一言コメントを加えておけばそれは次のようなものである.

社会体系(social system)の概念は, T.パーソンズが述べているように,小は「二人集団」

から大は「国際社会」にまでも通用可能なものであり,こうした観点に立てば「相対的全体性」

(totalite relative)をもつすべての社会体系について社会構造が考えられるとするのが論理的で ある.この議論では,従って,社会を「全体社会」 (societetotale)と理解し,これを集団 (groupement particulier)と区別することによって,社会構造と集団構造を峻別するというよ うな必要は存在しなくなるのである.しかし,ミクロな社会体系(例えば,家族集団)とマク ロなそれ(例えば,現代日本社会)とでは,構造の内容を形成するものが,一方では「物財の 配分」や「威信の分布」のように両者について比較的パラレルに捉えることのできるものもあ れば,また,他方,血縁関係のように家族集団ではきわめて重要だが,全体社会の構造の中では それ程意味をもたない要素も存在しよう.そこで,社会体系の概念はきわめて抽象度の高い論 理的構成物であり,それに関する一般的命題はこのモデルが各々の集団に通用される際にその 特殊性に合わせて具体化されるべきものであると理解する必要がある.もっとも,これは社会 体系概念の包括性を示唆していると同時に,例えば,パ‑ソンズのAGIL図式に関する多様 な解釈にもみられる通り,いささか混乱の種を播くものではあった.しかし,われわれとして は一応こうした考え方に立つ方が論理的にもまた方法論上もより厳密であると考える.ただ, 問題は,その際,システムの特殊性を決定するものが何かということを明らかにする努力が肝 要であり,それこそが後々説明するように「ダイナミズムを秘めた」 (体系一機能主義分析)

「システム」概念通用の索出的意義なのである.

鍾(1)この論文は, 「体系一機能主義分析」の立場から"社会構造〝の理論枠を提供するために 書かれるであろう三つの論文の第‑番目のものであり,この作業の全体的構成は次の通りで

yE5

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社会構造論への基礎視角 (i)社会構造論への基礎視角‑‑‑本稿 (ii)社会構造概念の検討

(iii)体系一機能主義による社会構造概念 (a)社会構造の概念

(b)社会構造の生成(および類型) (C)社会構造の変動

(2) D. Martindale, The Nature and Types of Sociological Theory. Routledge & Kegan Paul, London 1961

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2体系・橡能・構造について

上に概観したような観点に立って,社会構造概念を再定式化することがここでの中心的な作 業であるが, "社会〝に関しては上に「深さのコンティニュアム」を使って従来までの異なる 考え方を一応整理したので,次に"構造〝の概念について,特に"体系〝や"機能〝の概念と

の関連でこれを検討し,構造の本来的な意味を明確にしておきたいと考える.

「諸構造とは常にある明確な目的のために作られる.この功利的・実利的要素は構造 (Structure)と彫刻(Sculpture)との基本的な相違である.従って,構造のための構造というも のは存在しないのである.」 (1)これは建築学の入門書が建物の構造について述べているところ であるが,構造の概念につきまとうこの「目的性」 (purposiveness)は,われわれが社会構造 を考える場合にも充分留意されてよいと思われる.

しかるに,この「目的性」の概念は一定の「目的主体」 (後に,これは「機能主体」と換言 されて説明されよう)の存在を予想しているが,これがすなわち「全体」 (la totalite)である.

換言すると,構造概念の第二の特性は,単なる構成要素の集合ではない統一的な諸部分(単位) の関係が存し,それは部分の単なる総和ではない一つの「全体性」を生起させているという点 である. J・ピアジェは述べている, 「もし諸要素が結合して全体として一定の特性を示すよう なそうした全体が存し,諸要素の性格が,総体的にであれ部分的にであれ,その全体の特性に 依存しているとき,われわれは(その最も一般的な側面において)そこに構造があるという.」 (2) しかし,こうした一般的原則の確認だけでは,即物的な対象を政かうのではない人文・社会 科学の場合,いくつかの困難な問題が生じてくるのを避けることができない.既に,われわれ は社会構造を概念化する際のレベルについて述べ,そのことが惹起するであろう問題の所在に ついて示唆しておいた.同様に,処理の難しい問題点は別の角度からも生じてくる.例えば, 構造というのは,虚構か実在か,事実を説明するための一種の抽象図式かそれとも諸事実その

ものの自己現出(revelation)か,客体の内在的特性かそれとも主体の構成物か,さらに静的か

動的かまた同時間的(synchronique)かそれとも異時間的(diachronique)かなど・(3)これらの点に

関連して,バステイド(Roger IIastide)がこの語の用法について若干の歴史的整理を試みてい

るが,それは既に筆者の示した社会構造の概念化レベルの発想とやゝ類似した結論を導くこと

になっているようである.かれによると, 17世紀までは,構造という言葉には"語源的な〝

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(etimological)においがあり, 「それによって一つの構築物が建てられる仕方」という葛味が あったという. 19世紀になると,これがいくつかの方向に展開してゆくことになるのだが,そ の‑は,スペンサーにみられるような「生物学から社会学‑」の移行であり,ここでは社会構 造が有機体的構造とのアナロジーで捉えられることになる.その二はL. H.モルガンからマ ルクス・エンゲルスを通して,さらにはレゲイ‑シュトラウスにまでつながっている系譜であ

° t

り,ここでは主観の側の意味理解として客体の中に構造をみる傾向が強い.その三は,地理学 に発し,人文地理学を通って社会学に到る系列で,いうまでもなく即物・生態学的傾向であ る.その四は,ドイツのテンニエスに始まり, M.ウェ‑バ‑からH.フライヤ‑に到るもの で,客体の中の主観的要素が強調される.(4).しかし,こうした考え方の諸系列が「構造主義 的発想」を共有しているとしても,その概念化の多様性は決して問題の整理として「構造」と いうマジックタームを置いて片付くという性質のものとは思えない.それに,既に「構造」と

° °

いう言葉自体が,レヴイ‑シュトラウスも示唆している通り,一つの構造を有する‑そして この点は社会構造という概念が少なくとも「深さ」の軸を座標として一つの構造を示す可能性 については既に示唆した通りだが‑のであれば,当然,抽象的・一般的・無目的的な形でこ のタ‑ムの規定をすること自体が虚しい努力である.従って,われわれの作業もまた現実理解 のための戦略としての観点からなさるべきであることを確認しておきたい.

本稿において「構造」 (なかんずく「社会構造」)を考える場合の基本的姿勢は,従って次の 如くである.すなわち,既にみたような「構造」概念の, (i)目的論的性格, (ii)部分‑部分, 部分‑全体の機能連関(ill)全体性などこれに個有の普遍的・論理的性格を強調しておくこ

とに加えて,われわれはこうした仕方で認識客体を対象化すること自体が一つの「方法」 (la methodologie epistemologiqe)なのであり,一つの「分析枠組」の選択であると考える立場を

とる.換言すると,個々の対象(もちろん,われわれの場合は「社会」であるが)に対して具 体的に全体を確定したり,その単位を決定することは,研究者の操作的・方法的便宜によるの であり,その意味で, 「構造」概念の定式化は「認識の過程」 (客体の定義とそれに関するモ デル化を含む(5)yなのである.

さて, 「構造」概念を考える場合無視できぬ作業に,この概念に類似するいくつかの述語と これとの関係を明らかにするということがある.ここでは,特に重要と恩われる二,三の類似 概念との差異あるいは関係を指摘し, 「構造」概念の明確化およびその特殊な論理的性格の確 定化に資したい.

「体系」 (System)は, 「構造」と同義に使われたり,また組合せて使われたり(例・Struc‑

tural System A. R. Radcliff‑Brown)としている.しかもこの概念はいわゆる構造一機能 分析と不可分の関係にあり,独立して「体系論」 (System Theory)と呼ばれる今日の代表的 科学的分析枠組をさえ形成するきわめて重要な概念である.そこで,われわれはまず,この

「体系」 (system)と「構造」 (structure)との差異と関係から明らかにしてゆくことにしよ

う.結論を先取りしていえば,体系は構造より論理的に上位にある概念である.すなわち,構

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社会構造論への基礎視角

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造一機能分析は体系論を前提にしてはじめて成立可能であるとするのがわれわれの考え方であ る・もっとも,体系の一般理論ということになれば,悲観論と楽観論が極端であり,例えば, 心理学者のG. W.オルポートが引用している批判はこれを強く弾劾して, 「一般体系理論な

どというものは出来の悪い類推であり,これを数学的モデルで表現してもせいぜい最も不明確

° ° ° i ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° °

な一般性が残るだけだ」(6)とするが,他方, 「系として対象を分析するアプロ‑チは, 20世紀

° Ⅰ ° ° ° ° ° ° ▼ ° ° ° ° ° ° ° ° t ° °

中期の科学の基本的特質の一つに数えられる」(7) (傍点原著者)とするヴエ・エヌ・サドフスキ

‑は「体系研究」の方法論および論理学を構築する必要性を説くのである.サドフスキ‑は体 系の概念を次の三つの属性において捉える,すなわち, (i)要素の集合(ll)要素間の諸連関の 存在,および(ill)その編成の成全的性格.これらの属性は既に述べた「構造」の一般的性格と 重なっている.しかし,大切な点は, 「構造」概念はこうした「体系」のある時空間点におけ

る諸要素の組織化(the way they are organized)そのもの,換言すると, 「体系」の一定の

° ° °

目的性によって規定されている諸要素のある連関態のことである.W.バックレイ(W. Buckley) がいみじくも指摘している通り, 「連続的で,境界維持的でかつ多様に連関した諸部分の集合

° ° ° °一° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° °

である体系と,それらの構成要素がある特定の時点でとる構造あるいは組織とを混同してはな らない」(8)のである(傍点は原文のイタリックを示す).この区別は特に「社会構造」をダイナ

ミックに理解するための基本的な立場を明確にしてくれるが,さらに付け加えておけば,物理 的体系(均衡志向)や有機体的体系(ホメオスタシス志向)とは異なる心理学的・社会文化的 体系はそれ自身の属性として構造生成的(morphogenic)な性質を秘めており,この種の体系 においてはじめて「構造」が創られ,洗練されまた変化するものとして重要な意味をもつに至 るのである.

「構造」はまた「モデル」 (model)とも深くつながっている.既にわれわれはサドフスキ ーの立場に立って, 「客体系」 , 「対象系」 , 「知識系」という体系の三つの基本型式を区別 する(9)かわりに,レゲイ‑シュトラウスと共に「構造」を「方法」として考えてきたのである から, 「構造」は正しく「モデル」そのものであるというべきであ声(「社会構造」というタ

‑ムは経験的現実とは何の関係もない.それは経験的現実に従って作り上げられたモデルとつ ながっている‑レヴィ‑シュトラウス)&。).確かに, 「モデルとは,実践的経験を抽象的に一 般化した結果でこそあれ,当該実験の直接的な結果ではない.それは演樺法から生まれ,実践 的予想にいたる段階の‑段目なのである」帆われわれは,モデル構成によって思考が直面する 課題を解くいくつかの可能な途を研究するのである.この意味で, 「構造」が一つのモデルで あることは明白である.しかし, 「構造」というモデルにはいくつかの要件が必要である.レ ゲイ‑シュトラウスの「構造」概念を理解する上でも役立つと思われるので,以下にかれの考 えている四つの要件を示しておけば:

(i)構造は,システムという諸特徴を現わす.それは,いくつかの要素によって成り立ってお り,そのどれもが他の要素に変化を与えることなしには変化する.ことができない.

(")いかなるモデルについても,それと同型の一群のモデルに結果する一連の変化を秩序付け

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る可能性が存在しなければならない.

(Hi)上記の属性は,もしその要素の一つあるいはそれ以上がある変化をこうむった場合,モ デルがどのように反応するかを予測することを可能にする.

(iv)このモデルは,すべての観察された事実をたちどころに明らかにするよう構築されなけ ればならない帆

繰り返しておけば,社会関係(relations sociales)と社会構造(structure sociale)後者は 前者を素材にして構成される‑とを区別するレゲイ‑シュトラウスの立場では(そして,認 識論という点ではわれわれの立場もこれに近い),サドフスキーの「知識系」のレベルで「構 造」概念が展開されているのであり,従ってそれは理論的構成物であるという点で正しく「モ デル」なのである.しかし,この点に関して,レゲイ‑シュトラウスと全く同じ立場に立つこ とにいさゝかの危悦を感ずるわれわれの立場について付言しておきたい.

レヴイ‑シュトラウスは, 「構造」は具体的なイメージや現象でないことはもちろん,現実 の抽象化されたエッセンスでもなく,正に数学的な意味での"理念型〝であるとするが,この 見解は後にもみるように,一種の「社会に関する深層心理学」になって,より日常的だがしか しより具体的で重要な社会学的「社会構造」の分析とはひどく垂離してしまうことになる.こ れと正反対の立場として, 「社会人類学」を自然科学の一分野であるとするA. R.ラドクリフ

‑ブラウンの考え方がある.かれは, 「文化」というのは観察によって捉えることのできない一 つの「抽象」であるとしたのち, 「しかし,人間たちが社会関係の複合的な網の目によってつな がっていることは直接の観察によって明らかである.この実際に現存する関係のネットワーク

を指して,私は"社会構造〝というタームを使うのだ」という帆しかし,このようにして複数 の人間たちを結びつけているある一定の時空間において存在する関係の胸の目(‑社会構造) は不断に変化せざるをえないものであるから,そうした変化を通じて比較的変化しない諸相を

「一般的な構造形態」 (the general structural form)として捉え(これが一定の地域性と結び ついているとき, 「構造体系(the structural system) 」と呼ばれる),これを比較研究するこ

とが社会人類学の一つの重要な仕事であると考えられている.

この両者の「現実」と「モデル」に対する考え方はいずれもやゝ極端に過ぎる.二者の"調 停〝ほギルピッチなどによって試みられているが04),要するに,不断に流動する現実とこれを 定形化したモデルとの問は,レヴイ‑シュトラウスやラドクリフ‑ブラウンが考えた程断絶し てはいないのである.確かに,理論的構成物としてのモデルは,何らかの仕方で「自然」を把 握・理解しようとする際の主体の「認識論的方法」ではある.しかし,こうして構成された

「知識系」は,既に流動する現実の中から結晶化し,それ自身一つの現実となっている「文化 的所産」 (‑記号,象徴,社会的・宗教的・慣習的役割,価値・観念‑ギルピッチ)と深く

° °

つながっており,単なる「虚構」であるとは云い難いのである.それは,現実(自然)そのも

のではないとしても, 「現実的虚構」であるというべきであり,これが「社会構造論」を展開

するに際してのわれわれの認識論的立場なのである.

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社会構造論‑の基礎視角

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「構造」の概念を,さらに哲学的な議論の中で「意味」や・「弁証法」との関連から検討する ことも可能であるが,ここでは割愛して,最後に「構造」と「機能」との関係に一言触れてお きたい.もちろん,こゝでこの両概念の関係を取り上げるのは,二者が通常混同されて使用さ れているからという理由ではなく,われわれの「体系一機能主義分析」の立場ではこれらをど のように関係付けているかを明確にしておくためなのである.

われわれの「構造」概念が何よりもまず「目的性」という特性をもつという主張は, 「機能」

概念が論理的に「構造」概念に優先することを示唆している.しかも, 「機能」の定義は「体 系」の概念をもって初めて可能になるものである.今日の社会学的機能主義は既に蓄積された 内外からの批判を充分受け入れることによって,その理論的性格を完成の方向‑一歩推し進め

たが,その際,次の三点が確認されている.すなわち, (i)分析対象を「社会体系」として概 念化すること, (") 「社会体系」との由達でその諸要素の諸活動(要素一要素,要素一全体), すなわち「機能」が定義可能であり,かつまたその結果としての「構造」が生起すること, (iii)しかるに,こうした「体系」 ・ 「機能」 ・ 「構造」をつなぎ合わせるメカニズムはきわめて 複雑であり,要素の単一的性格や体系の均衡化への傾性などという単純な「機械論的発想」は 既に止揚されていること,である.われわれの考え方が,こうした最近の理論的成果を充分に

吸収する立場にあることは云うまでもなく,従ってその理論的構成も当然「機能」優位の立場

° t ° ° ° °

(新明正道はこの立場を従来の構造的機能分析に対して,機能的構造分析として特徴付けるべ きであるとする的) ‑<体系一機能主義的アプロ‑チ>‑に立つものである.もっとも,

「機能」概念の多義性は多くの論者によって指摘され,いくつかの整理も試みられている.例 えば,竹内郁郎はこれを, (0函数的意味としての機能(")必要一充足関係としての機能, (iii)作用としての機能, (iv)活動としての機能,に分類し, (0を「函数」. (I")を「メカニズム」

(作用または過程), (iv)を「活動」と呼ぶことによって(")の意味における機能を本来の意味 での「機能」と限定しようとしているが帆ただ問題になるのは,かれの強調するのがマ‑ト

ン型のいわば「項目中心」の「機能」概念であって, 「体系」の重要性が少しも考慮されてい ないことである.体系一機能主義の立場は, 「機能」概念をこの竹内の(")の意味で理解しよう とすることには全面的に同意する(学説史的にみても, 「機能」概念のこの使用法は今日の

「機能主義」 ・ 「構造主義」の主流をなすものである)が,しかし,一定の項目(生物学的要 求,全体社会の統合,適応行動,生活行動遂行,経済発展など)に対してそれ‑の貢献という 角度から一定の現象(文化,意識,社会化,住居様式,政治的安定など)を説明することが仮

りに「機能的分析」と呼びうるとしても,この「体系」概念を欠いた「機能分析」はまさしく かれ自身が指摘する通り「目的論的陥穿」に落ちいちてしまうものである.

社会学的機能主義が「構造」よりも「機能」を優位させる立場に立つべきであるという正鵠 をえた指摘を行なった新明正道は,同時に, 「機能的分析をデュルケム的意味において考える かぎり,それは部分的構造を越えこれらを全体として包括する社会体系との関連において遂行 されなければならないはずのものであって,この意味において概能的分析は社会体系を前提と

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し,これと不即不離的に結びつかざるを得ない制約の下に置かれている」的と書いている. 「体 系」の概念を導入することによって「機能主義」が包括的でかつ動的な分析枠組となりうると いうことの具体的な証明は本シリ‑ズ全体が「社会構造」に関して行なう作業であるからここ では詳論を避けるが,この理論的定式化は既にパーソンズにおいても立派に完成しており(も っとも,パ‑ソンズは,新明の指摘する通り, "秩序0 ‑の志向に貫かれていて,結果的にはみ ずからの理論展開を裏切ってしまった),われわれはただこれを素直に発展させさえすればよ いのである咽.

・最後に,われわれの立場から,いわゆるこうした理論枠組に固有の「目的論的性格」が認識 論的にどのように理解されているかについて付言しておこう.

° ° °

既にわれわれは「構造」概念が目的的であるという点を強調した.そしてまた, 「構造」とい う枠組が客体の対象化・概念化であり,認識的工夫であることも述べた.すなわち,こうした

° ° ° ° °

枠組によって,われわれは分析対象を意味的に理解せんとしているのであり,それは因果論や 因素論と同じような一種のロジックである.ところで,この理論枠のもつ欠点として指摘され てきたものは, (0 「構造」偏重による「過程ないしは活動」としての「機能」の意味の抹殺, (ii) 「体系均衡」偏重による動学の抹殺, (iii)諸要素の活動をあるものの「目的達成」や「要求 充足」への手段としてのみ把握して,それらのもっているであろう他の多くの関係や意味を見 落してしまうこと,などがあげられている.特に,このうちの第5番目のものが,広く「目的 論的発想」の欠点として批判や改良(例R. K. Mertonの諸修正)の対象とされてきたもので ある. (0および(")については,既に明らかにした通り,われわれの立場が「機能」優位のそ れであり,かつまたわれわれが社会体系を単なる機械論的均衡や生物有機体的ホメオスタシス

° °

への志向によってのみ特徴付けられるような体系として捉えていないことによって充分乗り越 えられるものと考えているが,さらに(hi)の点についていえば,ここで「体系一機能主義分析」

に関する若干の方法的準則を示しておく必要があろう.

われわれは「社会体系」を構成する諸要素の多様性(それが全体に対して依存する程度,ま たそれが全体決定的な力をもつ程度などが各々異なること)に気付いており,またそれらの問 の関係が体系全体にとってpositiveであったりnegativeであったり,また活動主体によって 意図されていたり意図されていなかったりすることが可能であることを知っている.そこで, われわれが理論枠組構築に際して行なうべき一連の作業は次のような手順になるわけである.

まず,われわれは(便宜的に)分析のレベル(守備範囲)を確定して,これを体系として概念 化し,その構成要素と体系の機能要件を定式化するのである(もちろん,これには分析対象に 関する過去のあらゆる実証的データや理論化の試みがすべて考慮に入れられる).構成要素と 体系の機能要件の決定は,まったく仮説的なものとはいえ,中心的な重要性をもつ作業であっ て,これによって「体系一機能主義分析」の骨子が決まる.留意を促しておくなら,この際, 例えば,体系の概念‑これは株能要件の多様性とその一定時空間における階統性を導き出す

‑を無視して,特定のある文化項目(例えば,学術の発展と研究者相互の学問的知識の交流

(11)

社会構造論への基礎視角 19

や向上を目的として生れた学会)の名目的な目的を中心にしてのみある現象(例えば,会員 間の学問以外の人間的交友関係の誕生)を説明しようとすれば,そこに「潜在的・無意図的」

機能というような範噂をもち出さねばならなくなる.社会体系として捉えられた学会が,例え ばこうした機能要件をもつものとして最初から問題にされておれば‑もっとも,この当該楓 能要件がその体系内でどれだけの重みをもっているかは無前提的に決められない‑, 「潜在 的」機能という特殊なタームは不必要になるだろう.

次いで,要素一要素,要素一全体の関係が,こうした機能要件充足との関連でモデル化され なければならない.そして,このモデルを媒介にして個々の要素の活動の意味,要素一要素, 要素一全体の関係の意味が理解されるのである.強調しておかねばならないことは,機能モデ

ルによる意味の理解は,活動の主体者の動機や意図とは何の関係もなく,モデルを構築しそれ によって一定の対象を分析・理解しようとしている観察者の「認識」であるという点である.

「構造主義」に個有な「意味」の理解は,このような意味で,究極的には新カント派的な認識 論を下敷きにしており,またそのことのために,モデルがより精巧で普遍性が高ければ,それ

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だけより多くの理解が可能になるはずなのである.従って,多くの論者が非難するような「目 的論的陥穿」はしばしば理論枠組の不完全さ(例えば,きわめて重要な構成要素や機能要件を モデル構成の段階で欠落させるなど)を反映する以外の何物でもない場合が多い.

機能主義分析は,また,与えられた目的(機能要件)そのものに盲目であるという点でも倫 理的批判を受けているが,この点蛇足を承知で付け加えておくなら,人間生活の最終的・究極 的目標の設定は「科学」そのものからは導き出せぬのであって,それは人間の「意志」 ・ 「価 値判断」の問題である.ただ,その場合でも,この機能主義的分析が「先取りされた原因」と しての「目的」達成と関連して「条件整備」の思考レベルで重要な働きをなし,これが「計画 的思考」と深くつながってゆく可能性が存在する.このことは飛的躍な技術的進歩を背景とし て,人間がみずからの社会を計画的に設計し創造してゆくという傾向(例えば,社会主義経済 体制を想起せよ)がますます顕著になっている人類史の今日的段階において,きわめて重要な 意味をもつものである.

(1) Mario Salvadori, Structure in Architecture. Prentice‑Hall, Inc., 1963 p.12

(2) Jean Viet, Les Methodes Structuralistes dans les Sciences Sociales. Mouton & C0., 1965 p.1 (3) op. cit., p.2

(4) op. cit., pp.2‑3 (5) op. cit., p.4

(6) G. W. Allport, ′The Open System in Personality Theory′ in Journal of Abnormal and

Social Psychology 1960, Vol. 61 No.3 pp.301‑310

オルポート自身は,いわゆる「Open system」論をとることで,システム論を救おうとしている.

かれの警告は,要するに,一般体系論というような形で科学を統一化しようとすれば,どうしても

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"下から′すなわち物理学や生物学のレベルからのアプローチが不可避となるが,ここにはわれわれ が「閉鎖的なシステム」だけをシステムだと考えてしまう危険がある,というのである.

(7)ゲ・ヴェ・オシーポフ編田中清助訳rソヴエト社会学」第1分冊青木書店1967 145頁 (8) W. Buckley, Sociology and Modern Systems Theory. Prentice‑Hall, Inc., 1967 p.5 (9)ゲ・ヴェ・オシーポフ編前掲訳書162真

鯛C. L6vi一strauss, structural Anthropology. Basic Books, Inc., 1963 p.279

ul)ゲ・ヴェ・オシーポフ編前掲訳書174貢

u功C. Levi‑Strauss, op. cipt., pp. 279‑280

(13) A. R. Radcliffe‑Brown, Structure and Function in Primitive Society. Cohen & West Ltd.

1952p.190

8曲G. Gurvitch, La Vocation Actuelle de la Soiologie. Presses Universitaires de France, deuxiとme edition, vol. 1, 1957 pp. 400‑442

G. Gurvitch, Traite de Sociologie. Tome Premier. Presses Universitaires de France, 1962 PP. 205‑215

u5)新明正道r社会学的機能主義.t誠信書房昭和42年155頁

uG)竹内郁郎「マスコミュニケーションの機能」 , r社会的コミュニケーション』今日の社会心理学4

培風館昭和42年391‑416貢

u7)新明正道前掲書58真

鯛新明正道前掲書「社会学的橡能主義における機能分析の概念」 79‑139真参凧

(昭和45年9月24日受理)

参照

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