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電子顕微鏡による木簡の墨の研究
著者 市川 米太, 萩原 直樹
雑誌名 古文化財教育研究報告
巻 4
ページ 1‑5
発行年 1975‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10105/398
電子顕微鏡による木簡の墨の研究
市 川 米 太・萩 原 直 樹
(奈良教育大学 物理教室)
Ⅰ 緒 青
木簡は昭和30年、平城宮址において始めて発見されたが、その後、藤原宮址その他の遺跡にお いても出土し、現在では重要な考古遺物の一つとなっている。今回の研究は、木簡に書かれた墨の 粒子を走査型電子麒徴鏡によって観察し、重粒子の大きさ、形状を明らかにして、この結果とこれ までなされた墨の理学的研究の結果とを照合して、当時の墨の製造技術の段階を推定しようとする
ものである。
試料は平城宮址出土のものであって、いずれも公用文書として平城宮内で使用された木簡である○
使用した試料は3片で、US−48(750年)は宮内省で使用されたもの、6AAI(765年)
は式部省で使用されたもの、6AAC(725年)は造酒司で使用されたものである。
Ⅱ 墨の製造法
中国において、墨がいっ頃発明されたかは詳らかではないが、始めは石墨で文字を書いていたの が、消えやすいというので漆をこれにまぜて使用したが、漆は中毒の不便があり、石墨は次第に入 手し難くなったので、石墨の代りに松煙、漆の代りに膠を使うようになったのが墨の始まりである といわれている。造墨の創製は周末に始まり、湊時代におよんで次第に製造技術が進歩してきたよ
うである。
わが国の墨の起源については、推古天皇18年に高麗王より僧曇徴の手を通して、製造方法が伝 えられたと日本書紀にある。
造墨は奈良時代から行なわれていたが、実用が目的で、製造技術はその後あまり進歩しなかった らしい。ちなみに、その後の造墨については、延書式(1561〜1582)に油煙を使っての製 法がみられる。中世には藤代墨と呼ばれる松煙墨があり、江戸時代にも始めは紀州熊野の松煙を材
料としたものが作られていたが、その後、今日のように油煙を材料とした墨が珍重されるようにな
った。
墨の製造に関することは「古梅園墨談」に詳わしく述べられているので、ここでは研究上必要な
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範囲で簡単に記す。墨は松煙墨と油煙墨とに大別される。松煙煤の採集方法は、樹齢、樹脂に富ん だものを燃して煤をとるのであるが、炊き口に近い煉を悪いもの、炊き口に遠いものを良いものと している。油煙煤は菜種油、桐油などを火皿に入れ、これに燈心を立てて燃やしその煙を燈心の上 2寸程のところに掩ってある土器に受けて煤をとるのである。その場合、燈心の数の少いものを上 としている。墨の製造は、この煤を密閉した無風の室の中で、細網筋でふるって爽雑物をとり去っ た後、厚板上に均等の厚さに散布しておき、これに熱膠質液をそそいでよくこねる。充分こねた後 に煤団を模型に入れて一定の型を与えた後乾燥して墨ができるのである。
Ⅲ 墨の理学的研究
墨を硯で磨って得られた墨汁はそのまま放置しておいてもなかなか沈澱しない。焦の粒子は異常 に凝集しやすいもので、粒子相互は会合して大きい凍集粒子となって沈澱しやすいものであるが、
膠が薄い膜となって煤粒子を包み保護コロイド作用をするため、安定した水和ゾルとなって沈澱し ないのである。この墨コロイドの生成に与える硯と水の影響に関する研究として、寺田氏による限
外顕微鏡を使っての報告がある1)。媒の炭素粒子の平均粒径は200〜30咽であるので、限
外巌徴鏡ではその存在を認めることはできるが、その形をみるためには電子顕微鏡によらなければ ならない。電子顕微鏡による墨の粒子の大きさ、墨の粒子の分散状態と墨色との関係を考察したも
のとしては能井氏と筆者の研究がある2、3)。この研究で油煙墨の粒子は球状であり、粒子径は
約30−50m〟であり、煤の粒子は墨が硯で磨られた後も大きさ、形に変化のないことが認めら れた。また、墨色の良否は墨粒子の分散度と関係があることが推定された。その後の墨の電子顕徴
鍬こよる研究としては宮坂氏と小口氏の報告がある4、5、6、7)。これらの研究は明や清の時
代に作られた青墨の研究が主で、墨色と墨粒子について松煙墨の墨粒子は一般に大きく、墨色は青
味を帯び、油煙墨の墨粒子は一般に小さく、墨色は茶味を帯びていると報告している。
しかし、墨粒子と墨色の関係は簡単でなく、この関係も見かけ上の結果で墨色の主因は外にある ようである。
Ⅳ 木術の重粒子の構造
木簡のセンイの上に定着した墨粒子を観察するには、通常の透過型電子顕微鏡を使用することも できるがレプリカの作製が困難であることが多い。センイに膠によって定着させられた墨粒子のよ うな微細な凹凸のある面を観察するには最近開発された走査型電子顕微鏡が適している。この顕敏
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鏡は電子線を物質に照射したとき発生する二次電子、反射電子を利用して物質の表面の像を描くも のであって、微細構造を持っ面の立体的直接観察ができ、かつ光学的顕微鏡域からきわめて高倍率 までの切替が容易にできる。試料は試料台に接着した後、電子線照射による帯電を防ぐために、試 料にカーボン、金を薄く蒸着し、試料の接着には銀ペーストを使用した。
木簡試料、US−48、6AAIと6AAの墨粒子および参考のための和紙の上に善かれた木炭 粒子の電子顕微鏡写真が鳳1〜肋4に示されている。臓1の宮内省跡出土の木簡の墨粒子の形状は球状で あり、粒子径はほぼ100〜200叫の範囲にあって、墨の材料として非常に揃った煤が使用さ れていることを示している。このことは、煤の採集方法、精選方法にかなりの技術を持っていたこ
とを示している。現在使用されている松煙墨の墨粒子の形状、粒子径もこれと類似しているので、
煤の材料として既に松が使用されていたのではないだろうか。鳳2の式部省跡出土の木簡と、鳳3 の造酒司跡出土の木簡の墨粒子の構造は球状の粒子と無定形の破片状の粒子とからなっている。球 状粒子の粒子径は臓1の試料とほぼ同じであり松煙煤であると思われる。鳳4に示されているよう
に、木炭の炭粒子の形状は無定形の破片状であり、鳳2、鳳3の破片状重粒子と類似している。熱 分解によって生じた不飽和の炭素原子が、自由な空間にて気相状態を経て、縮合してできた媒の粒 子は球状をなし、このような過程を経ない炭粒子は無定形の破片状をなすのであろう。これらのこ とから考えられることは、胸2、鳳3の試料は、墨の材料として煤以外に炭を砕いたものが使用さ れた形跡があるということである。鳳1に比較して、鳳2、鳳3の墨は造墨技術の後進性を示して いると考えられる。試料についての低倍率の全体的観察から鳳3は臓2よりも多くの破片状重粒子 が認められた。木簡に書かれた文字が、約1200年を経過した今日でも消えずに残っているのは、
墨汁の中で墨粒子を包んでいた膠が墨が書かれたとき、墨粒子を木材センイに化学的に接着したた
めである。鳳4にみられるように、木炭で直接紙に善かれた場合の炭粒子は、センイ間に挟みこま れているだけであって、機械的作用によって消えてしまうのである。
Ⅴ 緒
木簡の墨を走査型電子顕微鏡を使って観察することによって、墨粒子の形状、粒径を知ることが でき、このことから墨の製造技術の段階、特に煤の採集方法、精選方法をある程度推定できることが わかった0今回の実験においては、3点の試料について観察し、これを墨粒子の形状から二つに大 別した。今後、更に試料の数を多くすることによって、いくつかの製造技術段階に分簸できる可能 性をもっている。なお、走査型電子顕徴掛こ付属させるⅩ線分析装置を利用すれば微少な部分をみ ながら、その部分の元素を同定できるので更に興味ある結果が得られるであろう。
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なお、終りに当って試料を提供いただいた奈良国立文化財研究所の狩野久氏と沢田正昭氏、また 電子顔徴鏡写真の撮影に援助いただいた奈良教育大学の西田史朗助教授に深く謝意を表する。
献
彦:理研欧文報告 旦旦(1934)
基:科 学
19 (1949)
真 田 井
寺 能
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1 2奈良学芸大学紀要 旦(1955)
共立女子大学紀要 ヱ(1961)
共立女子大学紀要 ] (1964)
東京芸術大学紀要 旦(1969)
共立女子大学紀要 旦旦(1974)
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