弘法大師名筆伝説の行方
著者名(日) 渡邉 昭五
雑誌名 大妻国文
巻 27
ページ 59‑81
発行年 1996‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001451/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
弘法大師名筆伝説の行方
渡 遺 昭 五
一︑
はじ
めに
||
名筆
伝説
の内
容
一端に位置するもので︑完成された中世
十三
︑四
世紀
ごろ
に成
立し
た大
師伝
記︿
例え
ば﹃
高野
大師
行状
図画
﹄十
巻本
や﹃
弘法
大師
行状
記﹄
な互
に掲
載さ
れる
約九
百種ほどの大師十1 本稿は︑過去十数年にわたって論じてきた一連の弘法大師伝記伝説の論文の︑
説話の中から︑特に名筆伝説を語る八種の説話を︑抄出して検討を試みてみたい:・︑と考える︒
過去に︑私が記した一連の弘法大師伝記伝説の論文とは︑︵1
︶﹁
弘法
説話
の絵
解き
ハ﹁
芸能
﹂
M13
号・
昭貯
﹀︑
︵
2︶
﹁弘
法絵
伝
の絵
解き
説話
と伝
説﹂
︿ ﹁ 就 実
語 文 ﹂
3号 ・
昭 白 山 ︶
︑
︵3﹀﹁尾道浄土寺の弘法大師絵伝の絵語り的性格﹂
︵﹃
説話
伝承
の日
本ア
ジア
世界
﹄・
昭 印 叩 ﹀
︑ ︵
4︶
﹁弘
法大
師の
伝説
﹂︵
﹁説
話文
学研
究﹂
鈎号
・昭
ω︶ ︑
︵
5︶
﹁絵
解き
と弘
法大
師絵
伝﹂
︵﹃
一冊
の講
座絵
解き
﹄・
昭ω
﹀ ︑
信仰
と弘
法伝
説﹂
︿﹁
朱﹂
初号
・昭
巴︑
︵
7︶
﹁大
師の
伝記
伝説
と民
間口
碑﹂
︵﹃
弘法
大師
信仰
﹄雄
山閣
・昭
臼﹀
︑︵
8︶
﹁伝
説と
文学
﹂︵
﹃日
本伝
説大
︵6︶
﹁稲
荷
系 ﹄
別 巻
1・
みず
うみ
書房
・平
1﹀︑などなどであるが︑名筆伝説について少しばかり触れたのに︑論文︵6︶の第四節一四二ベl
ジが
ある
︒
※
弘法大師伝記の中にある九十1百種ほどの時代とともにその数を増してきた奇瑞説話の中で︑その名筆伝説と誼われる
弘法
大師
名筆
伝説
の行
方
五 九
六O
ものは︑八種ほどあって︑各伝記にそれぞれ出入りがあって︑八種全部を収載する伝記はない︒弘法名筆の話は︑人口に
脂炎されている割には︑説話の中ではさほどの量を占めておらず︑少ないといえば少ない・:といえようか︒
これ
らが
︑
いつ頃から虚構され︑大師の事実謂として伝承され︑拡大され︑やがてコンクリート化されてしまった
か:
・︑
を考
えて
みよ
う︒
大師伝記は︑その全部を収載する﹃弘法大師伝全集﹄︵昭ω・ピタカ︶によれば︑近世末期までに九十三種の多きを数える︒
高野山にあって︑代々の真言僧や蓮華谷聖の手によって書き継がれ︑書き足され︑時とともに奇蹟謂の数を増し︑虚構と
して次々と組みたてられて︑その質も量も増やして︑中近世を通じて平安朝の伝記よりも数倍数十倍の分量に膨みあがっ
たも
ので
ある
︒
その中に︑名筆伝説として挙げられる凡そ八種の内容とは︑次のものである︵各伝記によって異同がある︶0
1︑
五筆
勅号
::
:大
唐の
宮中
の壁
に︑
左右
の手
足と
口に
筆を
挟み
くわ
えて
︑五
行の
文字
を記
す︒
五筆
和尚
と名
づけ
られ
る︒
2︑
虚空
書字
::
:伊
豆桂
谷の
寺に
おい
て︑
空中
に大
般若
の魔
事品
を書
いて
︑魔
類を
逃散
せし
めた
︒
3︑
大内
書額
::
:弘
法拠
筆︒
応天
門の
額に
名筆
を揮
った
が︑
その
額を
掲げ
てみ
ると
︑点
を書
くの
を忘
れて
いた
こと
に気
付い
て︑
大 師
は筆
を投
げあ
げて
︑そ
の点
を打
ち︑
字を
完成
した
︒
4︑
流水
点字
::
:流
水の
ほと
りで
︑一
人の
童子
の求
めに
応じ
て︑
水に
﹁竜
﹂と
いう
字を
書く
︒そ
の字
に点
を打
つと
︑字
は真
竜と
な
って
︑昇
天を
した
︒
5︑
隔河
書額
::
:清
滝川
の対
岸に
掲げ
た額
に︑
河を
隔て
て字
を書
きあ
げた
︒
6︑
善通
寺額
事:
::
讃岐
国の
善通
寺の
伽監
の額
の字
を書
く︒
7︑
皇嘉
門額
事:
::
門の
額の
字が
崇り
をな
した
ため
に︑
これ
を修
復し
︑大
師が
祈っ
たた
めに
治ま
る︒
8︑
天地
合三
字:
::
大師
が柱
に書
いた
天地
合の
三字
は︑
削っ
ても
消え
ずに
︑そ
れを
呑む
と万
病が
癒っ
た︒
異本
に﹁
宇治
河船
﹂な
る類
話が
あっ
て︑
同じ
く大
師の
字を
削っ
て呑
めば
諸病
癒ゆ
:・
︑と
ある
c
などなどであるが︑説話によっては多少の出入りがある︒
ニ︑空海僧都伝と後世の弘法大師行状記
これらの凡そ八種の名筆説話の内容を鑑みると︑それは︵6︶﹁善通寺額事﹂を除いて︑すべて全く写実性に欠けるも
のばかりであるQ今日の科学性に照応して考える時に︑如何に大師が神仏懸りであろうと︑不可能な奇瑞奇蹟ばかりであ
る︿漢文学研究家の松村茂樹氏によれば︑ーに似た例として︑四本の左右の手足を以て別々の字を書く演技を中国で見た
てら
体験があるとのことであったが︑何れにしてもそれは奇を街う芸能に類するものと︑思う︶︒
すなわち︑名筆伝説は後代の大師伝記において︑歴代の真言僧が宗祖空海を崇敬するのあまりに︑でっち上げられてき
た創
作の
虚構
の積
み重
なり
・:
とい
うべ
きも
ので
あろ
う︒
ゆいどうその証左に︑初期の﹃遺告﹄や﹃空海僧都伝﹄など︵今日では偽書とされ︑十世紀半ごろの成立とされている︶には︑
殆ど名筆伝説は未だ成熟しきっていない説話伝承だった︑とみえて収載されてはいない︒
※
ちな
みに
︑そ
の初
期の
﹃空
海僧
都伝
﹄ハ
﹃全
集﹄
巻一
所収
﹀を
取り
あげ
てみ
て︑
後代
の﹃
弘法
大師
行状
記﹄
2
全集
﹄巻
九所
収﹀
との
︑
説話の幹となっている部分の有無を比較してみると︑前者の﹃空海僧都伝﹄が︑如何に粗いものであるか:・という点︑そ
して︑後世の説話が︑それらの幹に枝葉を繁らせて分量を増やし︑虚構を構察してきたのか:・︑
一目
瞭然
とわ
かる
︒
弘法
大師
名筆
伝説
の行
方
ムノ
、
~ ノ、
空海僧都伝
真 済 記 和 上 故 大 僧 都
︒ 誇 空 海
︒ 濯 頂 号 日 一 一 遍 照 金 剛
\ 俗 姓 佐 伯 直
︒ 讃 岐 国 多 度 郡 人 也
Q
其源出=天尊−︒次祖昔
テ ユ メ ヲ リ テ フ ヲ チ ス ユ イ テ ル ト
νテ
タ ル
従;
日本
武尊
−征
=毛
人−
有
ν功︒因給=土地−︒便家ν之Q
国史譜牒明著︒相続為二懸令\和上生而聡明︒能識=人
ス ト メ テ ユ メ テ ノ ユ ケ 包 ヲ テ ヒ キ ヲ
事\五六歳後︒隣里間号ニ神童\年始十五︒随ニ外勇二千石阿万大足−︒受=論語孝経及史伝等\兼学=文章−︒
テ ア チ ザ ケ ノ 品 ミ ヲ プ ヲ ノ 一 一 タ テ ヲ ニ ム ヲ ユ
入京時遊=大学\就=直講味酒浄成一︒読=毛詩尚書一︒間ニ左氏春秋於岡田博士一︒博覧ニ経史−殊好=仏経\常
ナ リ ホ シ ヤ ル
︑ ヲ ヤ ノ ユ チ ナ ン ト カ ソ ニ ハ ヲ テ テ ヲ ル
謂 我 之 所
ν習
古 人 糟 粕
︒ 目 前 尚 無
ν益
︒ 況 身 弊 之 後
︒ 此 陰 己 朽
c不ν如ν仰ν
真︒因作ニ三教指帰三巻\成
z優
ト メ イ テ ス ハ リ テ レ
︑
婆塞−︒名山絶獄之処︒石壁孤岸之奥︒超然独往沌留苦練︒或上=阿波大滝峯一修念︒虚空蔵大銅飛来︒標=菩薩
テ ノ ム ロ ノ ユ テ ヲ テ 品 ス ヲ ノ ハ ノ ユ ハ テ ヲ
之霊応−︒或於=土左室生崎−閑ν目観念︒明星入
ν口現=仏力之奇異\其苦節也︒則厳冬大雪著ニ葛納−而顕露
テ ス
γテ
ノ ュ シ テ ヲ テ
Z
テ ク
ν
テ ニ ユ ム
行道︒炎夏極熱絶=穀粒−日夕機悔Q此及コ廿年−︒剃髪受ニ沙弥戒\対ニ仏像主面目︒我入=仏道一毎求ν知ν
要 ︒
テ ダ テ サ ヲ キ タ ハ ジ 玉 へ
三乗五乗十二部経Q
心 裏 有
ν疑未=以為v決︒仰願諸仏示=我至極\一心祈請︒夢有レ人日︒大見虚遮那経
Q是
カ ム ル ト チ メ ス メ テ ヲ イ テ ヲ ク ル ニ リ シ 夕
︑ シ フ ユ シ テ ヲ セ シ ト ス 〆
汝 所
ν求
也
Q
即覚倍歓喜︒求=得一部一披
ν秩
遍 覧
︒ 凡 情 有
ν滞無ν所
=質
問目
︒更
為=
発願
−入
唐学
習︒
天感
=至
情−
︒
ル ノ ノ
γテ
ヲ ス チ テ
去 延 暦 末 年 街
ν命渡海︒即遇=上都長安青龍寺内供奉大徳恵果阿闇梨−︒日派=五部濯頂−︒学=胎蔵金剛界両部秘奥
ヒ モ テ ノ コ ノ ノ ヲ ナ カ ヲ タ リ テ ヲ ル カ ユ
法−︒及賓=見虚遮那金剛頂等二百余巻経︒並諸新訳経論目︒唐党両得︒以=大同二年−帰=我上国ノ白ν弦巳降帝
テ ヲ ユ ノ テ ヲ ス ル
1
ヲ メ ヲ シ ヲ ノ ア り マ テ ニ ル
︑ ヶ ヲ
経ニ
四朝
一︒
奉=
為国
家匂
建
ν壇
修
ν法
五 十 一 度
ω
白山
レ風
降
ν雨霊験其数︒上自ニ一人ヨ下至=四民−︒被レ授ニ濯頂−者︒
MV
テ 一 ノ カ リ ノ ノ ユ メ ァ
νケ1ハ
蓋以数万人也︒濯頂風白=我師日始︒真言教此時而立︒夫師師相授嫡嫡伝来者︒高祖大毘麗遮那如来授=金
モマ品ア
剛薩唾−︒薩虚伝=子龍猛菩薩\龍猛菩薩下至ニ大唐玄宗粛宗代宗三朝濯頂国師特進試鴻瞳卿大輿善寺三蔵大
ル ニ マ テ ユ へ テ
広智不空阿闇梨−六葉君︒恵果則其上足法化也︒凡計付法至−一子和上\相伝八代也
Q
和 上 記 目
︒ 彼 阿 闇 梨
カ マ サ ユ キ ナ γト ッ
1
ヲ ユ シ
J V リ カ セ
γト
ユ
目
︒ 我 命 向
ν尽
︒ 待
ν汝巳久︒今果来︒吾道東失︒故呉殿纂云︒今有=日本沙門一︒来求=聖教−︒皆所
ν学如=
ト リ ノ ヲ テ ノ ヲ テ ル
潟瓶二五一戸又去弘仁七年Q表=請紀国南山一Q殊為コ入定処\作ザ一一両草庵−︒去ニ高雄旧居\移入=南山\其
峰絶遠壷隔=人煙−︒和上住時Q頻有=明神衛護一︒常語ニ門人−︒吾性狩二山水\疎ニ人事\亦是浮雲之人︒送ν
年 待
ν終Q必為=此窟東−︒太上皇有ν勅請下︒安=置中務一供養月余︒亦居ニ高雄\天長皇帝即位任一一少僧都−︒
再三辞譲︒不ν免在ν公︒雄ν云
ニ世
事無
v隙︒春秋之間必一往看一−其山中一︒路辺有=女神一︒名目=丹生津援−︒其
ル ユ タ テ ユ ム
1
ヲ シ ル
社迦有二十頃計沢一︒若人到突即時傷害︒和上登日︒託宣目︒妾在=神道一望ニ威福−久失︒菩薩到=此山由︒
ユ ハ カ リ ル ト キ ハ ノ ト
弟子之幸也︒糞献=己私苑\表以ニ信情一︒今見開田二三町許Q名一一常庄一是也︒惟有ν始有ν終故c古来賢智皆
テ ス タ テ ヲ ニ ム ヲ
y
テ グ ハ ス レ ハ 品
従零落︒大師自−一天長九年十二月十二日\深厭ニ世味−常務=坐禅−︒弟子進目︒老者唯飲食Q非ν此
亦 穏 眠
Q今
ヲ ン ノ ク ヤ リ テ ム ツ ノ ミ ユ ナ ム ヲ ジ ラ ハ ノ ル ヲ テ キ 品 ラ ム ト 一 一
巳 不
ν然
︒ 何 事 有
ν之
︒ 報 日
6
命 也 有
ν涯︒不ν可コ強留一︒唯待=尽期\若知=時至−在ν先
入
ν山︒承和元年五月
晦日︒召=諸弟子等−語︒生期今不レ幾︒汝等好住慎ニ守仏法\五
テ ヲ タ ノ
ν
チ
− 一
γト テ グ サ キ ヲ 恥
. ユ ネ
−
− ム ヤ ミ ネ ノ
︑
︑
却=絶水衆\或人諌
ν之
目
︒ 此 身 易
ν腐︒更可=以ν
自死
為 v養Q
天 厨 前 列 甘 露 日 進
Q
止 乎 止 乎 不
ν用
=人
間味
−︒
ル ナ ル
1ヲ
テ ル
至一子一一一月二十一日後夜\右脇唱ν滅︒諸弟子等︒一二者悟=揺病\依=遺教↓︒奉ν欽一−東峰\生年六十二Q
夏 臓
テ ツ カ ラ ス ノ ヲ ツ ヲ ナ テ ユ ヒ ヅ ス ヒ ヲ ソ ノ
γテ
ル ユ ナ ラ
四十一︒其間勅使手詔ニ諸佐異\弟子行ニ左右−相持︒賦者書=作事及遺記一︒即間哀送︒行状更不二二\亡 名 僧
承和二年十月二日 述
この初期の﹃空海僧都伝﹄本文が︑後世十四世紀ごろの﹃弘法大師行状記﹄十二巻の︑長い伝記に膨張し変質したもの
と︑如何に連なっているか・:︒それらの説話の幹となる箇条書き的な簡単な説明の﹃空海僧都伝﹄の中にあって︑
﹃弘法大師行状記﹄その他の伝記の説話が︑どの程度に萌芽しか与っていたが:・︑などを見るために︑比較した説話の対
後 代
照表を作成してみる︵﹃弘法大師行状記﹄の説話については︑一つ一つの本文が長文であるために省略して︑その四字題
弘法
大師
名筆
伝説
の行
方
ム/'
名の説記タイトルのみに留める︶
※
。
。
0 0 0 0出自序 話 幹の と
2 『
弘法ヌ師ミ伝 語
』 都僧有無説なる』の 載にる
; 霊 n
湧現迦u
体定額剛n U
学家法n n
衛異瑞霊妻r
懐5
詑話序η 2
番 名 に 『主訴義され 主大並野
1台 言 』
量豊 魔富降 滝大
話 記 い 記 『 に 、 』 弘
答問入口 飛
記主そ自に議謀高法
前J!
\、J
説る の の
伝 な
。
。
。
。
③⑫渡海入唐
②大師替書
③長安奏聞
⑧存問勅使③青竜受法
⑧珍賀餓謝②修円護法
⑧図像写経
⑧恵果付嘱
@恵果入滅⑧石碑建立②多生誓約
③宮中壁字⑧流水点字⑧党僧授経
⑧一
二鈷
投所
⑨帰朝奏表⑧灘水生樹
⑧久米講経
@大内書額1←⑪清涼宗論 一
⑫ 東 大 寺 蜂 一
⑬ 高 雄 練 行
︵恵
果対
面︶
︵守
敏護
法︶
恵果影現︵
五筆
勅号
︶
唐帝賜珠︵
賀春
生木
︶
︵青
竜救
災﹀
六回
。
。
O丹生津媛 ⑭⑮伝教濯頂⑩円堂鎮壇⑫濁水手水⑬南山表家⑮明神衛護
ー+ ー+
ゆ高野結界
@堂塔草創@心経講讃
⑬東寺勅給
@八幡鎮座
@稲荷来影
弘法大師名筆伝説の行方
︵高
野尋
入︶
八幡約諾室生山福岡大峰修行
天王寺日想観
小児蘇生天地合三字
宇治河船禅僧与泊恵日寺草創
加将霊水
讃州剣山善通寺額事
土川朽橋秘鍵開題死人蘇生帝御受法 一一←⑧神泉所雨
︒四
民纏
頂←
一 一
@ 講 堂 起 立
一|←@舎利潜浴
@室生練行
。
@正
月修
法
⑧門人遺誠@真影図画@南山入定
@東寺濯頂
。
⑧官位追贈
⑬大師誼号
@博陸参詣@仙院臨幸 守敏呪法守敏中傷守敏栗加持守敏調伏良
一房
一救
疫
恵果救療
皇嘉門額事
嵯峨帝崩御
慈覚霊夢観賢髭を剃る
淳佑手匂ふ
幡慶夢想
遺影影向︵
道長
参廟
︶
頼通夢想︵
高野
臨幸
︶
大塔修造
六五
一 一 弘 法 高 野 一
※O印の中の数字は︑便宜上﹃弘法大師行状記﹄の説話に付した
もので︑収載順となっている︒
※﹃空海僧都伝﹄に付されたO印は︑他の弘法大師の伝記に収載
されている説話に類似する︒それを要約したものである︒
※その﹁四民漕頂﹂は︑本文を対照しての如く︑﹃弘法大師行状
記﹄の@⑧⑧を混滑したような︑箇条書である︒
六六
逆にいえば@@@の説話は︑﹁四民濯頂﹂から派生した説話の
如くみえる︒もちろん四民潜頂の語は︑使宜上私が創った四字
熟語
であ
る︒
※﹁明星入口﹂は︑﹃弘法大師行状記﹄になく︑﹃空海僧都伝﹄
に︿
・:
土左
ノ室
生崎
ニ於
テ︑
目ヲ
閉ジ
観念
見︑
明星
口同
一入
ル・
:﹀
の本文を記載する唯一の説話である︒
この二者である十世紀ごろ成立の︑伝記草創期の﹃空海僧都伝﹄と︑それから約四百年を経た後の﹃弘法大師行状記﹄
十二巻とを︑比較してみる時に︑如聞に真言開祖の大師が神格化され︑その説話の内容の詳述化もさりながら︑説話の数
量自体が数倍に拡がってその数を増やしていることが理会できるであろう︒
より虚構性も濃く非科学性に乏閉じ虚構性があっても︑後に添加された説話の方が︑その内容に詳細を極めるために︑
しく奇蹟奇瑞詳が︑極端に化している︒その凡てが︑後代の書承者伝承者の創作であることを考えれば︑名筆伝説もその
添加された中に入るものであって︑伝承者のでっち上げ話ということになる︒すなわち︑弘法大師が書道を能くし︑暖峨
はゃなり天皇・橘逸勢と並んで︑日本三筆の一人である:・とした固定観念も︑これらの伝説の中で︑作りあげられてきたものであ
ることもわかる︒大師は名筆家ではなかった:・︑ということである︵日本三筆については︑後述第四節参照﹀︒
三︑弘法名筆説話の萌芽
それでは︑大師の名筆に関係する伝説説話の幹は︑
これらの話を︑伝記初期の作品へ辿ってみると︑その一つである﹁虚空書字﹂に該当する説明が︑同じく十世紀ごろに いつごろから生まれてきたものであろうか︒
記され︑偽書とされている︑大師入定前の遺筆という﹃太政官符案弁遺告﹄︵伝では承和二年|八三五の成立﹀やもう一つ
ゆいごう
の﹃
遺告
﹄に
︑
伊豆
国桂
谷ノ
山寺
ニ往
テ︑
大般
若ノ
魔事
品ヲ
虚空
ノ中
−昌
一一
回ク
ニ︑
六書
八体
文ノ
文ノ
点画
︑字
ヲ為
スヲ
見ル
︵原
漢女
V
と簡単に記されている︒﹁桂谷降魔﹂とも題された説話の幹であって︑後代の﹃弘法大師行状記﹄の巻こでは︑
字﹂
のタ
イト
ルを
与え
られ
て︑
﹁虚空書
ご う り ん と は イ
伊豆国桂谷の修禅寺は大師経行の勝地︑呆隣修練の霊跡なり︑このところ魔障のおほかりければ︑大師虚空に向ひて
大般若の魔事品をかLせ給ひけるに︑経の文字忽に顕現して︑六書八体の点画みだれざりき︒其後は魔緑ながく絶て
ごうりん仏法梢ひろまれり︒大師此所にましましLとき果隣大徳と相共につくり給へる尊像︑今の世に伝はりて霊験あらたに
侍となむ︒
ごうりんとある部分であって︑わずか一行余の説明が約四百年の間に︑約四倍の文章に増えているQ新しく登場している呆隣なる
僧︵生没年不詳︶は︑︿・:天長十年︵八三一ニ︶空海と共に高野山にて修禅す︒空海の寂後京都にて修学寺︑伊豆に修禅寺
を建
て︑
それ
ぞれ
の第
一世
とな
る︵
大野
達之
助﹃
仏教
史辞
母・
昭一
凶・
東京
き﹀
とあ
って
︑元
慶二
年︵
八七
八︶
に真
雅上
人が
空海
の十
大弟子としたらしいのだが︑﹃弘法大師行状記﹄では︑修禅寺における空海の先輩の如く記される︒︿伊豆の山寺﹀が︑
ごうりん︿修禅寺﹀となって呆隣に結びついたのであろうが︑このあたりの事情も後代真言僧の虚構性が見えてくる︒
ゃく
しかも︑この説話は奇瑞が発想の端緒であって︑説話説明発生当初は恐らくは︿大般若ノ魔事品﹀が大師に御利益をも
たらす奇蹟として成りたってきたのであろうが︑時を経るに伴って︑他の名筆説話とともにそちらの範轄に類する話に移
行してきた︑と考えるQ当初は宗祖宗教家の空海を脳裡にすえて伝承された虚構が︑時を逐って名筆家空海への讃仰に寄
って
きた
説話
の如
くに
思わ
れる
︒
つまり︑﹁桂谷降魔﹂の主題が︑同じ話でありながら﹁虚空書字﹂にタイトルが移った
わけ
であ
ろう
︒
弘法
大師
名筆
伝説
の行
方
六七
六八
そのほか︑大師伝記では十四番目の古さに位置する﹃金剛峯寺建立修行縁起﹄では︑伝承では康保五年︵九六八
l l
大
師入定後二ニ四年︶の作者不詳の成立となっているが︑後代の﹁五筆勅号︵宮中壁字︶﹂と﹁流水点字﹂の二説話の最初
というべき︑その幹となる説明が簡略になされている︒それは︑
〆 ヲ ノ ユ ム へ
ν
ト カ テ
唐宮内一有一三間壁−︒義之手跡ω破損以後修二郎士二間J
︑無
二人
下−
ν筆︒唐帝下
ν勅
日 本 和 尚 令
ν書
︒大
師執
=
モ テ
V
ル ヲ
ν
ユ キ
筆五処−五行同時書口井両手両足主上臣下感嘆無ν極︒今一間不審腸千廻目不z暫捨−︒則大師以=磨墨目入ν盟漉=
玉 へ ハ ノ ユ ニ ル ル ユ ノ ム テ ヲ
J
ジ ト 〆 ノ ヲ ス ヲ
懸 壁 面
\ 自 然 作
= 満
ν間樹字−︒唐帝低ν首
勅号
=五
筆和
尚−
︒奉
ニ施
菩提
実念
珠−
表−
−仰
信−
︒
玉 フ ノ 〆 テ
或城中巡遊之問︑臨ν水踊立︒即蓬頭鶏衣弊童現前市問日︑和尚是日本五筆聖人欺︑答日爾也︑童云︑若然
シ ト ス ニ ツ 玉 フ フ ル ヲ ヲ ト 〆 ル テ ヲ ミ ヲ リ
者 其 流 水 可
ν書 −
2 0
大師
随=
彼言
−童
日下
讃ニ
流水
一詩
上︒
文点
宛然
則流
下︒
童見
ν之
含
ν笑有=感嘆気色目︒則云︑弊
そ セ シ ヲ ジ ト 王 フ ユ ク ノ ヲ シ ケ ノ ヲ ヒ テ
ν
テ ス ル ノ ヲ シ ヲ
童書レ之和尚可
ν見︑則水上童日ニ竜文字−︒但不ν付
=右
小点
−
Q
文 字 浮 漂 不
ν流︒則次付=件小点−時︑発ν響
テ ヲ テ ト ノ ル ユ
放ν光而作=竜王\此字昇ν空︒則童者文殊是也︑鶏衣者理務也︑唐土不思議事不=具記−︒
と︑記されるものであるQこ与では五筆和尚の名声によって流れに点字したという︑一連の一説話として記されている︒
このあたりを鴨矢として︑伝記の上での名筆伝説は︑伝承の枝葉を拡げ︑その数を増やしはじめてゆくようだ︒
さらに︑伝承による長保四年︵一OO二ーーー大師入定後一六八年﹀となる伝記十六番目の古きである﹃弘法大師伝﹄
︵清寿僧都著述という︶では︑﹁大内書額﹂﹁五筆勅号﹂﹁流氷点字﹂の三説話を一つにまとめた形式で一続きにして︑
ユ テ ス ノ ノ ユ ノ ヲ テ ス
又神筆之功無ν比二天下\妥有
ν勅書ニ宮城南方三門井応天門額一︒忘失=落応天門之応字寂初円点\付レ額
ル エ ヲ ニ テ ス テ テ ヲ タ ヲ ム ヲ ハ テ ヲ ニ シ ヲ ハ ク ニ ユ
ν品之後見ν之 己 以 失 落
︒ 驚 描
ν筆付ニ点画V上下位ν之
︒或
用ニ
五筆
一一
度成
二五
行一
︒或
書=
水上
一不
レ乱
ニ字
点−
︒筆
ル1
ヲ テ フ
得=
自在
−不
レ可
=勝
計−
之︒
と︑非常に簡単に記しているQ三十四年前の﹃金剛峯寺建立修行縁起﹄より短かいが︑新しく﹁大内書額﹂が加わって︑伝
記中のこの説話の濫腸となっている︒そして︑二十四番目の﹃大師御行状集記﹄︵伝承では寛治三年l一O
八九
|の
成立
︶