奈良教育大学学術リポジトリNEAR
民俗文化財と社会科教育 −奈良盆地における「大 和棟」の学習を中心に−
著者 菊地 一郎
雑誌名 古文化財教育研究報告
巻 10
ページ 23‑32
発行年 1981‑03‑20
その他のタイトル On Folk−Lore Cultural Properties for a Teaching Material in the Social Study −
Taking Farm−Houses with the Yamato Ridge of a Roof as an Example−
URL http://hdl.handle.net/10105/331
民俗 文化 財 と社 会 科 教 育
― 奈良盆地 における「大和棟」の学 習を中心に一
菊 地 一 郎
(奈良教 育大学 ・地理学教室)
(昭和56年2月 2日受理)
は し が き
この小論は、社会科教育 の教材 とい う視点か ら、民俗文化財を考察す るために、その一つで奈 良盆地の民家を代表す る「大和棟 」を取 り上げて具体 的に検討を加えた ものであ る。民俗文化財 は、歴 史的・芸術 的に価値 の高 い有形文化 財 とはその性格 を異 に し、た とえ歴史的 ・芸術 的価値 は劣 ると して も、住民 の生活 を知 る上で、生 きた教材、身近 な教材 と してす ぐれた価値 を もって い る。例 えば、民家の場合 、その形態 は歴史的 に各地域の 自然的 。社会的環境の影響を受 け、時 代 的・地域的特性をよ く表わ している。奈良県では、奈良盆地の「大和棟 」や「法蓮造 り」、橿 原 市今井町の「八 ッ棟」、吉野川沿 いの「吉野建」 などが特色 あ る民家 と して知 られてお り、 と
く│こ「大和棟 」は全国的 に有 名である。
1.民俗 文 化 財 と新 学 習 指 導 要 領 にお け る文 化 財 学 習
昭和25年制定の文化 財保護法第2条第1項の3で、「衣 食住、生業 、信仰、年中行事等 に関す る風俗慣習、民俗芸能及 びこれ らに用 い られ る衣服、器具 、家屋 その他 の物件で我が国民の生活 の推移の理解 のために欠 くことので きない もの」を民俗文化財 とよんでお り、 ここでい う民俗文 化財 は、その内容 ・定義に近 い もの とす る。
ところで、小学校新学習指導要領社会 (昭和52年版)(1)の中 で、第3学年 の内容(5)に、「 ……
……地域社会 の文化財、行事な どに関心を もたせ る。」 とあ り、小学校指導書社会編 (昭和53年 版)(2)で、「 また、内容Dの後段 は、地域社会 の文 化 財 や行事 に関心を もたせ ることをね らった もの であ るが、 これ らの文化財や行事 については、自分た ちの市 (町、村)を中心 とす るよ り広 い地域 の中か ら取 り上 げるよ うにす ることが大切で ある。 これ ら自分たちの市 (町、村)の生活 の歴史的背景 に関心を もち、郷土の文化を尊 重す るとと もに郷土 に愛情 を もち、その成員 と して の 自覚 を育 て るよ うに させ ることをね らうもので ある。」と述べている。 同 じく学習指導要領社 会 の第6学年 の 目標(1)には、「国家・社会 の発展 に貢献 した先人の業績 や優れた文化遺産 につい ての関心 と理解 を深め、我が国の歴 史や伝統 を大切 に しよ うとす る態度 を育 て る。」 とあ り、 内 容 の取扱 いの中で「取 り上 げ る歴史 上の人物 や文化遺産 については、児童の興味や関心 を重視 し、
その人物 の働 きや文化遺産 を通 じて、内容 が具体的 に理解 で きるよ うな ものに精選す る必要があ る。」 と述べている。 さらに指導書社会編の歴 史上の人物の働 きや代 表的な文化遺産の中で、「 文
化遺産の取扱 いにつ いては、それを取 り上 げ ることによ って、児童 の興 味、関心 を呼 び起 こし歴 史 を学 習 しよ うとす る動機 付 けに役立 たせ ることがで きる。」 と も言 って いる。
中学校新学 習指導要領 (昭和52年版)(3)の第2節社会 、「歴 史的分野 」 の 目標13)に「…………
現在 に伝 わ る文化遺産 をその時代 や地域 との関連 において理解 させ、それを愛護 し尊 重す る態度 を育 て る。」 とあ り、 内容の取扱 いの13)で、「郷土の史跡 その他の文化 財を見学 ・調査 させて、
我 が国 の歴 史の発展 を具体 的 に把握 させ ると ともに」特 に近世以降の内容 の取扱 いにおいては、
「地理 的分野 との関連 を図 り、かつ民俗学 の成果 を活 用す るな ど して、郷土 の生活文化 に触れ さ せ ることが望 ま しい。」 と述べ ている。
学 習指導要領 によれ ば、小学校第3学年 の地域学習、第6学年 の歴史学 習 または中学校社会 の
「歴史的分野」の中の近世以降、地理的分野 との関連 において郷土学習 に民俗文化財が教材 と し て適 してい ることは明 らかで ある。勿論、 その際に程度の高い取扱 いは避 けるよ うにす る必要 が ある。
一般 に、また歴史学習において文化財 とい うと、歴史上 、あるいは芸術上価値の高 い建造物・ 絵画 ・彫刻 。工芸 品 な どが考 え られ勝 ちで あ るが、学 習指導要領 の趣 旨か らみて、民俗 文化財を もう少 し堀 り起 こ し、教材化す る努力が必要 なのではないだろ うか。そ もそ も我 が国の民俗学 は、
民衆 の生活文化 を研究す る学 問で あるとす るのが一 般的 で、民家 ・民具 の研究な どもその学 問領 域 に含 まれ る。 こ こに民家 とは、通常 民話 や民芸 と同 じく、伝統的様式 を もった庶民 のすまい帳 家 と町屋)の意 味 に用 い られて い る。その建築年代 をみ ると、その ほ とん どが近世以 降の もので、
中世 の民家で原形 を よ く現代 に保 って い る もの はまだ発 見 され て いない といわれ る。年代 の確 認 され る民家 の中で最古の もの は慶長年 間 (1596〜 1614)で、桃 山時代 を上限 と し、明治 を下 限 とす るのが 日本民家の年代的範囲 とされてい る。大正初期 の頃か ら生活の近代化 が始 まり、使 用 材料 と様 式の面で急激 にその地方 的特性 を失 ってい ったので ある。 したが つて、現代 によ く伝統 的様式 を伝 え る民家 とい って も、その起源 は新 し く、近世 の庶民生活 を知 り得 る程度 の歴史的価 値 しか持 たな いといえ るか も知れ な い。 また、庶 民の生活文化 の一端 を表現 す るにす ぎな い もの で あ ってみれば、 その芸術 的価値 を云 々す る ことは出来 ないで あろ う。 しか し、 それ は歴史的・ 地域 的風土 の中で、当時 の人 々が社会 とのかか わ りを通 して創 造 した もので あ り、人 々の生活 の 知恵 が具体 化 され 、表現 され た もの といえ る。中学校学習指導要領 の今 回 の改訂 の特色 の一つは、
民俗学 の成果の活 用 を うた った ことで あ るといわれ るが、小学校段 階で 「地域社会 の文化財に関 心 を もたせ る」、 中学校段 階で 「郷土 の生活 文化 に触 れ させ る」ため に、民家 は格好 の教材 の一 つで はないだ ろ うか。
2.奈良 盆 地 の 「 大 和 棟 」
民家、 とくに農家 の場合 は、軸部 をその地域 の専業 の大工が作 り、農民が共同で屋根を葺 くの が 通常で あ った。 このため地域 ごとに風土 や建築技術 に応 じた様式 が形成 され 、それ ら外観 上の 特徴を とらえた特定の名前で呼ばれ ることが多 い。岩手県 の曲家、新潟・山形 ・秋 田県の中間造 り、長 野県松本盆地の本棟造 り、岐阜・富 山県庄川上流地域 の合掌造 り、関東・甲信地域 および 福 島県の兜造 り、鹿兒島・宮崎県の二棟造 りはそれ らの代 表 といえ る。奈良盆地 。河内平野の大
和棟 も、その急勾配の屋根の美 しさと囲造 りの華麗 さを もって全国 的 に知 れわた ってい る。
大和棟 に関す る地理学か らの アプ ローチと して、 1958年に早瀬哲恒が「大和棟の分布 とその 系譜」 を学会機関誌「人 文地理 」 に発 表 した。(4)さ らに、1960年と68年にわた って、奈良教育 大学人文地理学研究会 が グル ープ研究でかな り綿密 な実地調査 を行 ってお り(5)最近で は1980 年度 の本学卒業生 、三宅伊津子が「民家 に関す る地理学 的研究 一 大和棟の屋根 を中心 と して一 」 を卒業論文 として残 している。
(6)
大 和棟の一般的形態 は、 勾配50度前 後の草葺の切妻屋根の両端 の妻 を壁土 で塗 り固め、 その 上 を2〜 3列の瓦で葺 きおろ してある。 この瓦葺の部分を高塀 と呼ぶ ところか ら、大和棟 は別 名 を「高塀造 り」 とも云 う。 さらに、片側 の妻 には煙 出 しのや ぐらをのせた勾 配30度前 後 の緩や かな瓦葺 きの落棟がついてお り、全体 の屋根の裾 には瓦葺 きの庇 を もっている。草葺の棟 には、
装飾 をかねた「 カ ラス」 と呼ばれ る奇数 の釘 目覆がの せてあ る。なお、高塀 の頂点 に鳥金 と呼 ば れ る瓦製 の鳩が留蓋瓦 と して置かれて あるの もある。草葺の材料 は小麦 ワ ラまたはカヤで、屋根 の下 は床張 りの座敷 にな っていて、日の字型の間取 りが もっとも多 く、なか には3間取 り、6間 取 り もみ られ る。草葺 の切 妻屋根、落棟 、庇 な ど緩急勾 配の組合 せの妙、 瓦 ・草葺 ・白壁 など材 質 ・色彩の構成 美が大和棟 の特色 をつ くり出 してい る。
大和棟 は奈良盆地を中心 に、東は大和高原、西 は河 内平野、南は吉野川流域、北 は木津川流域 に広が ってい る。奈良盆地 に分布す る大和棟 の正確 な数 は、 現時点でまだ把握 されていな い。た だ1970年発 行の「奈良県文化財調査報 告」の中で、建築年代 の比較的 は っきりしている民家(18
〜19世紀 の もの)のうち、大和棟 とみな され るものは47戸を数 えてい る。それ以後、大和棟 は もちろん、民 家調査 もな されていない。
大和棟 の形態は、各地の民家がそ うで ある様 に決 して一様 ではない。大和棟の基本類型 として、
第 1図にみ られ る高塀 。中高塀 ・歪高塀の3つがあげ られ るっ他 の類型 はそれ らの変化型 とみ ら れ る。高塀 は棟が妻の高塀 よ リー段低 くな っているもの。中高塀 は棟の高 さが妻の高塀 と同一の もの。歪高塀 は棟が妻 の高塀 より高 くなってい るものなどである。それ ら3基本類型 か ら変化 し た もの に、箱棟 ・変 形箱棟 ・台棟 ・置棟 ・腰折型 。両段違 ・片高塀片切妻 ・片高塀片入母屋 。河 内型 などが ある。河内平 野 にみ られ る河 内型 とい うの は、妻の高塀が4列以上 にな ってお り、棟 がやや長 くな るとともに勾配が緩 やかにな ってい る。 また、歪高塀形式の ものが多 くて一層幅広
い感 じを与え る。
最近 で は、 どの型 の大和棟 も原型の もの はまず見 られな くな り、草葺屋根の部分が トタ ンで覆 われて しま っていた り、煙 出 しも現在 では必要 な くな ったので取 りは らわれて しま った ものが多
くな ってい る。
奈良盆 地の大和棟分布を類型別 にみ ると、平担部 、東部山麓地区、西部山麓地区でそれぞれ特 色 が み られ る。奈良市 。大和郡山市な ど海抜50〜80mの平担部 には高塀 。中高塀 が多 く、大和 棟 の ほぼ半数を 占め、奈良盆地 全体 に分布す る歪高塀 は東部 山麓 にと くに多い。西部の生駒山麓、
生 駒谷 、矢 田丘陵などでは、変形箱棟 が もっとも多 く、折衷型 も比較的多 く見受 け られ る。
基 本 型
A.高 B.中 高 塀 C.歪 高 塀
その他の類型
I。 河 内
第 1図
大和棟の諸類型
3.西ノ京 (大和郡 山市)・ 藤原 (奈良 市)・ ′Jヽ瀬 (生駒 市)3地区の 大和 棟
大和棟 の多 く分布す る奈良盆地北部地域を平担部一西 ノ京地区、東部山麓一藤原地区、西部山 麓一小瀬地区に分 け、三宅は実地調査を行 った。以下はその概要である。ただ し、ここでい う大
B.変 形 箱 棟
E.腰 折 型
G.片高塀片切妻 H.片高塀 片 入母屋
近 鉄 橿 原 線
西 ノ 京 駐 車 場
金 蔵 院
法 光 院
世 尊 院
﹁⁚︲ ︲!︱ ︱ ︲︲コF︲
・・コ ﹇﹈
一
F
⁚
︱
︱
一 坊 一 本
E三∃切妻
E=コ 入母屋 置≡ヨ片切片入
奮
│〔彫 ζ
]:[棟. 讐出し付
八幡宮
第2図 西 ノ京地区(大和 郡山市)の 屋根形分布 (三宅伊津子原図) 和棟 は、建築年代 の新旧 にかかわ らず、屋根型 か らみた場合 の呼称で あ る。
(1)西 ノ京地区……大和郡山市西 ノ京町の一部であ る。東は秋篠川、西は近鉄橿原線、南は乾川 に限 られ る。第2図に示 され るごとく、 この地区の西半分 は薬師寺境 内、金蔵院、本坊 などによ って占め られてお り、一帯 は県の歴 史的風土特別保存地区に指定 されてい る。薬師寺周辺は、水 田が広が り、農家 が点在す る静かなたたず まいを見せているが、 この地区は もはや純農村ではな
くな ってい る。秋篠川の付近 は分譲住宅や アパー トがた ち並 び、都市通勤者 の住宅地 とな っている。
第1表 西 ノ京地区 の大和棟 類型
調 査 年 総 戸 数 大和棟 戸数 高 塀 中 高 塀 箱 棟 折 衷 型 1959
1979 5 (変2形)
〔注 〕1959年は奈良教育大学人文地理研究会調査、 1979年は三宅伊津子調査 。
第 1表にみ る通 り、 この地 区の民家数 は55戸、その うち大和棟 は11戸で、高塀4、 中高塀
5、
変形箱棟2とな って お り、高塀 ・中高塀 の基本類型が大部分 を 占めて いる。人文地理研究会 が 20 年 前 (1959)に行 った調査結 果 と比較 す ると、総 戸数 は増加 してい るが 、大和棟 は21戸か らH
戸 と半減 してお り、 と くに高塀型の減少が 目立 っている。 しか も、現存す る大和棟の草葺屋根 は、
長持 ちさせ るためにすべて トタ ンで覆 われてい る。
12)藤原 地 区……奈 良市 内の藤原 台 を除 く藤原 町の区域 で あ る。地区内を地蔵 院川 (藤原川)が
流れ、西端 を南北 に県道 高畑 山線 が走 る。バスその他多 くの 自動車が県道 を通 るが、 それ以外 は 静かで落着 いた農村集落 をな して い る。 この地 区 は上藤原 とその西の県道 に近 い下藤原 に分かれ る。上藤原 の方 は古 くか ら住 みついた農家が多 く、下藤 原 の方 は県道 に近 いため、新 しい住宅が 建 ち、戸数 は増加 して い る。
第2表 藤原地区の大和棟類型
調 査 年 総 戸 数 大 和 棟 戸 数
歪 高 棟 箱 棟 折 衷 型 計 ト タ ン ノJヽうそワラ
1959 1 1
1979 86 2 1 1
〔注 〕資料 は第 1表に同 じ。
第2表にみ るごと く、 この地区の戸数 は86戸で 、その うち大和棟 は16戸を 占める。 その類型 内訳 は、歪高塀 が14戸で圧倒 的 に多 くり変形箱棟 と折衷型 (片歪高塀片入母屋)が各1戸とな っ て い る。人文地理研究会 の1959年調査結果で は、70戸の うち23戸が大和棟で あ ったの と較 べ ると、総 戸数 は増加 してい るが、大和棟 は3割ほど減少 して いる。 しか も歪高塀 のみ7戸減で あ る。大和棟 の減少率が比較的小 さいのは、 この地区が奈良 市内で も東端 に位置 し、近鉄奈良駅 や 国鉄駅 か らも遠 く、宅地開発 が遅 れてい るためで あるとみ られ る。 わずか2戸にす ぎないが、 ワ
ラ葺 の大和棟が残 ってい る。
13)小瀬地 区 ……生駒 市小 瀬町の区域 に含 まれ、分譲住宅地 を除 く近鉄 生駒線 以東で 、北 は観音 寺地 区 と境 を接 す る。生駒線 に沿 って西側 に竜 田川 (生駒 川)が南流 し、その以西 は水 田が展 開 す る。生駒線以東 は休耕 田が 目立 ち、一般 に傾斜 が急 で矢 田丘陵 に続 いて い る。当地 区、 と くに 生駒谷 か ら矢 田丘陵 にか けて住宅開発 が盛 んで 、陸続 と分譲住宅 がた ち並 び、古 い集 落 内に も現 代風 に改築 された民家 や アパ ー トが増加 して い る。
第3表にみ るごと く、当地区内の戸数 は83で、その うち大和棟 は11戸で ある。類型別 には生 駒谷 の特色 をなす変形箱棟 が7戸で圧倒的 に多 く、折衷型2戸 (片高塀 片入母屋 と片中高塀片入
第3表 小瀬地区の大和棟 類型
調 査 年 総 戸数
大 和 棟 戸 数
中高塀 歪高塀 箱 塀 台 棟 折 哀 型 計 トタ ン
カ ヤ
鋼 板1958
1979 83 11 2 1 1 0 7
(変形
)
1〔注〕1958年は奈良教育大学 人文地理研究会調査 、 1979年は第 1表に同 じ。
母屋
)、
中高塀 と台棟各1戸とな ってい る。 11戸の大和棟 の うち、8戸は トタ ンで覆 われ、 1戸は銅板葺 であ るが、2戸はカヤ葺 であ る。変形箱棟の カヤ葺2戸の うち1戸は、 もと庄屋 を して いた家で、他 は宝永元年 (1704)に酒屋 を始 めたとい う旧家である。 人文地理研究会 の1958年 調 査では、 総 戸数67戸で大和棟 は30戸で あ ったか ら、 戸数 は16戸増 え たが、大 和棟は約3分 の 1に 減 じて いる。類型別 内訳 は中高塀4、 歪高塀3、 箱棟10、 台棟6、 折衷型7であ ったか
ら、各類型 とも減少 してお り、 とくに歪高塀 はな くな り、台棟 ・折衷型の減少率 が大 きい。
4.大和 棟 の 発 生 と 発 展 の 時 期
大和棟 の発生および発展期 について、江戸中期 (18世紀 中葉)に発生 し、最 も華やかに流行 し たのは江戸末期で あ る。その背景 と して江戸中期以降の封建社会 の安定 と身分制 の確立 によ って、
農 家経済の困窮 に もかかわ らず、庄屋や組頭な どの家格 がで き、その家格 の表現形式 として発生 し、発展 した ものであ るとす る松 田敏 行の見解 は説得力 に富む もの といえ よう。(7)な お、杉本尚 次 「 この様 な家屋構造 は、閉鎖式建物配置 とともに直感的 に大陸の影響 を思 わせ るが、大和盆地 は典型的な集落密集形態を とってお り、妻を塗 り込め、京阪の町屋 にみ られ る卯 立 と同性格の高 塀 (防火壁)を有す るよ うにな り、永年の火災 による苦 しい生活経験的構成 とみ られ る点が多分 にある。」181と述べ てお り、朝倉弘は「古代 において大陸か ら伝来 した もの とす る説 もあ るが、
古 く奈良 の町屋 に発達 した土壁の防火壁 にその起源が あるとす るのがよ り適 当であろ う。」(9)と 述 べ てい る。残念なが ら、科学的実証 を
=、
まえた大和棟発生 に関す る定説 は存在 しない。第一 、 大和棟 には多 くの類型が あり、 どれが もっと古 く、原型 であるか もは っきり判 っていない状態で ある。歴 史学 ・民俗学 ・建築学 などの側か らの科学 的 アプ ローチが強 く望 まれ るところで ある。5。 「 大 和 棟 」 学 習 の 展 開
既 に述べ たごと く、新学習指導要領 によれば、「大和棟」学 習は、小学校社会で は第3学年の 地域学習、第6学年 の歴史学習の導入部 または江戸幕府の成立以降、中学校社会 の歴史的分野 、 江戸幕府 と鎖国以降 に位置づ けることがで きよ う。 その うちで も、教材 と しての「大和棟」の性 格 ・内容か ら形態か ら入れ る ことおよびわか り易 く、逆進的学習が可能であることなどの点で、
小学校社会第6学年 の歴 史学 習の導入部 が もっとも適 してぃると思われ る。小学校指導書社会編③ の 第7節第6学年 の 目標 及 び 内容の ところに、 「文化遺産の取扱 いについては、それを取 り上 げ ることによ って、 児童の興味、関心 を呼び起 こし歴 史を学習 しよ うとす る動機付けに役立たせ
ることがで きる。」とある通 りである。 勿論、 ここで「奈良盆地の大和棟」 は一つの事例 にす ぎ ず 、全国各地 で身近 な地域 に残存 す る民俗 文化 財一般 に あてはま る ことを意 味 してい る。次 に具 体 的な展開例 を試案 と して提示す る。
単 元 歴史を考え る
小単元 奈良盆地 の大 和棟 (酉己当時間5時間
)
目 標 い ろいろな民俗文化財が身近 な地域 に残存 していること、それ らの文化 財 は当時の人 々の生活の知恵 が具体化 した もので あ り、生活上 の必要 か ら産み出 された もので あるこ と、それ らを通 して生活の歴 史的背景 を知 ることが出来 ることなどに気 付か せ、歴史学 習 をす ることの意義 と喜 びを味 あわせ ることが 目標 で ある。 さらに、それ らの文化財は 時代 とと もに変化 し、消 えてい くこ とに も気 付かせ愛護す る気持 を起 こさせ る。
学 習 内 容 学 習 活 動 と 留 意 点
(1)民家 の屋 根 の形 曖)大和棟 の形態
13)高塀 、煙 出 し、落棟の機能
(4)大和棟 の美 しさ
(51大和棟 の建築技術 と材料
(6)大和棟 の発生 と衰 退
。屋根の基本形、切妻 ・寄棟 ・入母屋を簡単 に説明 し、屋根 の形 に関心を もたせ る。
。大和棟 の3基本類型 をス ライ ドでみせ、説 明す る。
。大和棟 を機能面か ら説明す る。
。大和棟の美 しさに気 付かせ、富農層 に多 いことを知 らせ る。
O屋根職 人 につ いて説 明す る。
。草葺屋根の材料 は小麦 ワラやカヤで ある こと、それ らは農 家 が 自給 で きた ことを知 らせ る(1
。大和棟の発生 は大体江戸期 にさかのぼ ること、最近 はめ っ き り大和棟 が少 な くな り、 トタ ン屋根や瓦葺 に変 っている ことに気付かせ る。
〔留意点〕 歴 史学習への導入部 なのであま り難 しくな らな いよ うにす る。実地見学 または聞 き取 り調査 を工夫す る。
引 用 お よ び 参 考 文 献
(1)文 部 省 (1977):小学校学 習指導要領
(2) ″ (1978):小学 校指導書 社会編
(3) ″ :中 学校学習指導要領
(4)早 瀬哲恒 (1958):大和棟 の分布 とその系譜 、人 文地理、 10巻 4号、 15〜29頁. (5)人 文地理研 究会 (1958,60,68):地 理集団 、L4、
NcL 5、
NQ 6.(6)三 宅伊津子 (1980):民家 に関す る地理学 的研 究 ―一 大和棟 の屋根 を中心 と して 一 奈良教育大学 卒業論 文 。
(7)松 田敏行 (1979):国中の農家 、民俗博物館 だ よ り、9巻 3号、5〜6頁.
(8) 杉本尚次 (1958):西日本 における民家の地理学 的考察 、人文地理、9巻 6号、
50〜
51頁
(9) 朝倉 弘 (1958):大和の民家 、「新 しい大 和の歴 史」309〜 313頁.
‑30‑
(10) 前掲0
(11)菊地一郎 (1979):社会科 におけ る文化 財教育 、古文化財教育研 究報告、第8号、45〜
52頁.
(12)堀井甚 一郎 (1961):奈良 県地誌、大和史蹟研究会、 7〜 11頁、382〜 385頁.
(13)千田正美 (1978):奈良盆地の景観 と変遷 、柳原書店、21〜 32頁.
(14)奈良地理学会 (1979):奈良 県の地理 、奈良新聞社、67〜85頁.