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中国詩文論叢第十三集
﹃和 漢 朗 詠 集 ﹄ 所 収 唐 詩 注 樺 補 訂 田
ど●一八六番元損「夜坐す」「蛍火乱飛秋己近'辰星早没夜
初長」
○元和十年(八一五)六月(晩夏)'作者三七歳'通州(四川省
連隊)での作(花房・前川﹃元槙研究﹄「作品綜合表」tiL﹃元槙年
譜﹄)。通州司馬在任。司馬(州の次官)は'中唐以降へ職務権
限のない姪官ポスト.明の曹寧佳﹃萄中名勝記﹄巻二三'菱
川府達州(唐の通州)の侯には'「州は元徴之'司馬に左遷せあらはられLを以て名を著す」という。(‑)元和十年正月へ元損は都長安に召還されることになり'江(2)陵(湖北省)での五年間の左遷生活(江陵府士曹参軍在任)に別
れをつげた。正月の下旬ごろへ都長安に到着し'靖安坊の啓
宅に入り'自店易らと再合して交遊する。その喜びもつかの
聞'三月十五日'通州司馬となり'同二十九日'都長安を離 木久行
れた。元積の「酬契天東南行一百韻」詩(﹃元損集﹄巻12)のヽ自注に'「元和十年間六月'通州に至る」とある。しかし'
元和十年には閏月はない(平岡﹃唐代の暦﹄など)。閏の字は桁
字か'作者の記憶違いであろう。本候の上旬によれば'本詩
は通州に到着直後の六月中の作。
元損は着任後へしばら‑通用牒(通州の治所)の騨館(騨舎)
に住み漬けた。本詩はその騨館‑本詩第三句の「空館」‑で
の作。この空館は'﹃元損集﹄(巻20)のなかで本詩の直前に置
かれた「見禦天詩」詩の「江館」に相普する。白居易の「微ヽ之'通州に到りし日'館を授けられて未だ安んぜず。‑」詩ヽヽはと(巻15)にも'「雨は淋ぐ江館破塔の頭りに」と見える。白
詩の江館に封して'佐久江は「江連の官舎。通州司馬の館を
指す」と説明し'岡村繁﹃白氏文集三﹄(竹村別行執筆)も全
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‑同じである。しかしこの館は、「首都から四方にのびる幹
線道路に面しては三十里ごとに輝を置き、支線や僻遠の地に
は館を置いた」(小野勝年﹃入唐求法巡穫行記の研究﹄第四巻四三l(3)頁)'その「舘」を意味しよう。杜佑﹃通典﹄巻三三、郷官
の候に「三十里に一輝を置‑」とあり、原注に「具の通途・
大路に非ざれば'則ち館と日ふ」とある。つまり'唐代の騨
(4)俸制度にもとづいて設置された騨館を指す。琴参の「銀山墳ヽヽ西舘」「涼州舘中興諸判官夜集」詩などに見える館も同例で
あろう。青山定雄﹃唐宋時代の交通と地誌地園の研究﹄第一
篇第三に、「宿泊飲食の設備を有し、知館人が居て掌ったが、
輝の如き騨馬・輝子の設備はなく、専ら宿屋の任務を果し
た」と説明する(五九頁)0
ちなみに、本詩の作られた通州通用牌の江館は、丁渓館と
も呼ばれたらしい。厳耕望﹃唐代交通圏考﹄第四巻(二七ヽヽヽ一貫)には、元損の「通州丁渓館夜別李景信三首」其二を主
な論接として、前掲の元・自詩の江館を「蓋し即ち丁渓館とのぞ名づくるか?接ずるに'通州は今の達騒、渠江に漬臨むな
り」という(園十四も参照)0こしき通州は、住む人も稀な山あいの遠都な地で、まるで餌の中
にいるような蒸し暑さであった。毒蛇や虎が道をさえぎり'
﹃和漢朗詠集﹄所収唐詩荘樺補訂掲(植木) か'Jlよ夕方になると蚊や嘆が群れをなして襲う。風土病(痔疫)が
蔓延して死ぬ者が多‑'夏には日照り'秋には長雨が績‑せいくわう(5)「海内憤怪の地(たえず生命の不安をおぼえる悲惨な土地)」で(6)あった。言葉も通じがたく、元損の詩に「衛に入る官吏聾
は鳥かと疑ふ」という。
元損は着任早々'療病(マラリアの類)を患い、やせ細って
重態に陥った.元損の有名な「聞禦天授江州司馬」詩は'約
二か月後の秋八月、通州の地で危篤状態に陥っていたときの
作である。ちなみに'詩題の「夜坐」は、憂愁などのために(7)寝つけぬ状況を示唆する。自居易の「夜坐す」詩(巻14)にも'
「時に感じて困りて事を憶ひ、寝ねられずして鶏明に到る」
とある。
○︹蛍火︺ホタルの名(﹃爾雅﹄揮轟、晋の崖豹﹃古今注﹄魚島
など)。﹃詩経﹄幽風「東山」の孔疏(﹃毛詩正義﹄巻八)に'「蛍
火は即ち夜飛んで光有る轟なり」と見え'﹃重文類釆﹄巻九
七、蛍火の候に引‑﹃績晋陽秋﹄にも'いわゆる車胤未発のもつ故事を引いて、「夏日、練嚢を用て数十の蛍火を盛る」とい(8)う。川口諸に「蛍のとばす火」、大骨根講に「蛍の火」とあ
るが、二字でホタルそのものを指す用例である。元損「秋相ヽヽ望」詩の「煉蛸(アシナガグモ)低戸網、蛍火度拾陰」や'「景
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中国詩文論叢第十三集ヽヽ中秋八首」其二の「簾断蛍火入'簡明垢幅(コウモリ)飛」な
ども同例。蛍の乱舞は'秋が近づき'しだいに夜長を感じさころせる季節の'しみじみとした哀感を表す。西晋の博威「蛍火ヽヽヽヽヽヽ賦」の序にも'「余曾猫虞'夜不能蘇'顧見蛍火'途有感。かう‑」とあり'「夜は秋秋として蘇ねられず'憂ひは惰情としほたるて情を傷ましむ.・・・‑詩人の悠什作懐に感じへ惜煙を前庭
に覚る」という。貨の季節感等については'一八二番参照。○︹辰星‑︺上旬と同様に'盛夏がすぎて初秋が近づい
たことを歌‑。従来'「辰星」の解樺は'「古来難義也」(﹃江
談抄﹄巻四)と許され'近年なお「水星」(柿村﹃考謹﹄や大曽
根注など)'「北斗星」(川口荘)などと諾されている。しかし'さそりこの辰星は'夏の代表的な星座の一つ'蝦座のなかの'ひと(9)きわ紅‑光る一等星「アンタレス」(和名ナカゴボシ)'漢語たいかでは火・大火'または心宿(二十八宿の一)などと呼ばれる星ヽを指している。﹃爾雅﹄樺天に「大火'これを大辰と謂ふ」
とあり'郭嘆の江に「大火は心なり」という。また﹃左俸﹄あつ'ijvつかさと昭公元年の候に「(后帝は)閑伯を商丘に遷し'辰を圭らしヽヽむ」とあり'杜預の注に「商丘は宋の地'辰星を柁るを圭
る。辰は大火なり」という。アソタレス辰星を歌う著名な用例は'﹃詩経﹄園風「七月」の「七月 流火」である。毛侍に「火は大火なり。流は下るなり」とあしるしちゆうり'鄭峯に「大火とは寒暑の候なり。火の星中(南中'季節(10)まさごとにある星宿が県南に見えること)して'寒暑退‑。故に牌にあらは寒を言はんとして'先づ火の所在を著す」と説明する。つまくだり'「七月火流る」とは'夏の南の夕空に高く輝いていたアソタレス大きな紅い星‑大火の位置が'初秋の七月になると'西の空
の低いところに移動し'気候がしだいに涼しくなることをい(‖)
う。いいかえれば'南の空に高‑輝いていた「大火」が'たそがれ
黄昏どきに西の地平線近くに低‑見える天象の変化に'初秋
の訪れを察知したわけである(仲秋八月の黄昏時には'すでに見(12)えない)O新城所蔵著﹃こよみと天文﹄「二天の龍」の候
こま、
大火といふのは'夏の夕方に南中する赤色の一等星で'
今日の名稀は'さそり座アルファ(一つの星座のなかで最も
代表的な明るい星)と栴するものである。目立って赤いの
で'火又は大火と稀へられ'それが日没直後に南中するの(13)を以て夏の虞中'五月の標準として居ったものである。此
星は長き腰の時代を通じて標準の辰(季節を判定する基準と
なる星'時節を示す星座)として用ひられて居ったがため
に'蓬に辰の名を猫占Lt辰といへば直ちに大火を指す程
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になったものと見える。
と説明し'さらに「大火は五月夕方に南中する星なので'春
分頃から見え始め'秋分には太陽に近づいて見えな‑なる」(14)と指摘する。
従来'この大火説に近いものとしては'﹃抄注﹄の「戎人
云'辰星ハ主夏之星也。仇'秋ハ早信也」をあげることがで
きよう。また'若干誤解を含みながらも'﹃和漢朗詠集和談
妙(詩注)﹄の説‑‑「晩夏ノ心也。辰星ハ'廿八宿ノ中二'房(15)宿卜尾宿卜心宿‑ノ三ノ星也土石へリ.彼ノ星ハ'夏ノ末二
早ク没テ'秋無キ星ナレハ'夜初長卜云ル也」も'参考にな(16)る。﹃中国文学歳時記秋︹上︺﹄「秋の夜」(近藤光男執筆)の
候には'本句をも採りあげて'次のごと‑いう'たそがれアソ]^レス「七月流火」'初秋七月の黄昏時に大火が西空低‑輝‑'ぴと(17)というのは﹃詩経﹄人の見た天象で'歳差のため唐の詩人
たちがそれを見たのは'ひと月近‑も遅れて奮暦八月の黄
昏であった.「辰星早‑浸して夜初めて長し」(元槙「夜坐」'
﹃和漢朗詠集﹄賛)、この辰星は大火である。
この指摘は'古来の難義をみごとに解決したものとして高
く許償できる。ただ本句は'歳差にともなう唐代の賓際の天
象を直接歌うものではな‑'﹃詩経﹄歯風「七月」の詩を踏
﹃和漢朗詠集﹄所収唐詩注樺補訂氾(植木) まえた古典的な表現、と考えるべきであろう。
西空低‑輝‑大火によって秋の到来を知るtという登想
は'六朝以降散見する。西晋の播岳「秋興の賦」(﹃文選﹄巻
13)には「流火の飴景を望む」とあり'唐の李周翰ほ、「流
火は心星なり。秋には心星西に下りて格に没せんとす。故
に除景有るなり」と注する。このほか'
火逝首秋節ヽヽ薮辰戒流火
歳落衆芳歓
普君相思夜
山雲行絶塞ヽヽ夜涼金気癒ヽヽヽヽヽ大火政残暑 新明弦月夕ヽヽ商魂早己驚ヽヽヽ時普大火流ヽヽヽヽヽ火落金風高ヽヽヽヽ大火復西流ヽヽヽ天静火星流 ヽヽ(謝震達「七夕詠牛女」)ヽヽ(陳の周弘議「立秋」)ヽヽ(李白「大原早秋」)(李白「酬張卿夜宿南陵見滑」)ヽヽ(杜甫「立秋雨'院中有作」)ヽヽ(劉南錫「新秋封月寄禦天」)
清光漸惹襟(毒荘「同奮韻」)
などがあり(商魂・金風は秋風'金気は秋気)'いずれも秋の訪
れと関連づけた表現である。
ところで'明の楊循吉の影宋抄本を底本とした実動鮎校
﹃元損集﹄巻二十には、「辰星」を「星辰」に作り(校語はな
い)'明の張之象撰﹃唐詩類苑﹄巻十六㌧歳時部・夜の僕に
も「星辰」に作る(﹃全唐詩﹄巻四一五も同じ)。また四部叢刊
本に附す張元済「元氏長慶集校文」にも'この言葉に関する