〔報 告
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尻 八 館 遺 跡 に つ い て
長 谷 川 成 一
昭和52年 か ら同54年 にか けて青森県立郷 土館 の手で発掘調査 された尻 八館遺跡 は,その遺構 の特 殊性 と出土遺物 の質の高 さにおいて県内 は もとよ り全 国か ら注 目 された。
同遺跡 の周囲は後潟川 ・六枚橋川 に囲まれた天然 の濠 をな し,山頂 の館 に至 るまでの要所 には土 塁 ,腰 郭 、縦濠、横濠等が設 け られ ,中世館 の典型 的な形態 を残 してい る。 山頂 は二 ヶ所 が平坦地
とな って , Ⅰの郭 と Ⅰの郭 (主郭 )で構成 されてい る。
また出土遺物 は ,陶磁器 ,金属器 な ど合 わせ て千点以上 におよび , しか も舶 載品が多い。 なかで も中国の青磁 ,白磁 な ど美術 的に も優 れた品が出土 し,特 に青磁の香炉 は ,逸品 といわれてい る。
し り べ し
この度 の調査 において は,後方羊蹄郷土会の万 々の ご案内 によ り尻 八館 遺跡 の踏査 を実施 した。
その中で当遺跡 は陸奥 湾 を航行す る船舶 を一望 に見渡す こ とが可能 な地 に立地 してい ること、津軽 半 島 の西側 ,す なわ ち十三方 面 に も連絡 可能な要衝 の地で あ ること等 を確認 す ることがで きた。安 藤氏 と尻八館 遺跡 との関係 は文献 的 には証 明 されてお らず ,性急 な結論 は差控 えな くて ほな らない が 、尻八館 遺跡 か ら眺望可 能な地 な らびに連絡路 もしくは街道 の在 り方 な どか らして ,当時 の尻八 館主 の勢力範囲 と,正 中2年 (1325) 9月11日の安藤宗季譲状 (新渡戸 文書 ) に見 える当時の安 藤 氏 の支配領域 とが ,あ る程度重 な りあ うことに注 目 したい。
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