■弘前大学哲学会 第
33回大会 公開講演
アテナイ民主制の諸成果か ら見たソクラテスの刑死
藤 揮 郁 夫
. 1 は じめに
今回の講演で,私は,現在われわれが知 りうるアテナイ民主制の諸成果か ら見て, ソク ラテスの刑死 とい う歴史的事件はどのよ うに見えて くるのだろ うか,そ ういった課題を設 定してみたい と思います.ただ し正直な ところ,文字通 りまだ試論の城をでない ものであっ て,あるいは議論に無理があった り飛躍があった りと, 当然あ りうるご批判をえて,今後
よすが
ともこの間題を考えてゆ くための縁になれば, これに過ぎる幸いはあ りません. ところで, アテナイ民主制の諸成果 となる と,それはどちらか といえば歴史学の研究分野になるのか もしれません.また,ギ リシアの民主制 とい う遺産は一方で西洋のアイデンティティに関 る問題 として, 当然のことなが ら肯定的に論 じられる事実があ り,他方で しか し,それは 無実のソクラテスを殺 した張本人ではないか とい う議論 もなお行われていることも事実だ と思います. しか し,そ うい う一刀両断の問題処理ではあま り生産的な議論は望めないの ではないで しょうか.そこで, ソクラテスの刑死 とい うものを一つの歴史的事実 としてひ とまず措いて,それをアテナイ民主制の諸成果か ら見直 してみるとい う問題設定で以 下少 しく考えてみたい と思います. もちろん ソクラテスの時代に四百人寡頭政や三十人寡頭政 のような揺 り戻 しもあ りま したが, しか し,大局的には彼は民主制に生きた と言 ってよい わけで,私の問題設定はあ くまで もそ うい う事実を踏 まえてのもので,決 して民主制賛美 を意図 しての ものではあ りません.民主制その ものの価値評価には特にここではコミッ ト する意図はあ りませんので,そのようにご理解いただきたい と思います.
アテナイの民主制の諸成果を肯定的に語 った代表者 といえば国葬演説でのペ リクレスと いうことにな りますが, この演説に嘩べるとプラ トンの 『メネクセノス
』はその執筆年代 を考慮すると,つま り,前
387年のアンタルキダスの和平までのアテナイ民主制の諸成果を 考えると,甚だ不完全なアテナイ讃歌だ とい う印象を うけます1 ) . ここでは適宜同時代か らの証言 も参照いた しますが,今 日の歴史学がわれわれに教えて くれる成果か らも学びつ つ,考察を進めて行きたい と思います.そこでまず ソクラテスの刑死 とい う歴史的事件を 振り返 り,その事件に兄いだ されるい くつかのソクラテス的行動特性ない し行動規範を指 摘し,そ うした行動特性は当時のアテナイ民主制の達成か ら見てどのよ うな解釈の可能性 があるかを考えてみたい と思います.
ソクラテスの刑死 とい う事件は,彼の弟子プラ トンには憤潜やるかたない事件で した.
プラ トンはこの事件によって現実の政治‑の深い失望感を味わい,アテナイの民主制か ら
は一定の距離を とって,あるべき国制 ( 7 T O入
ITEi α)の探求‑ と向かいま した.第七書簡 でプラ トンは
,「 広 く国制について も
(Kαi7 TEPiTi
7V7 T虎c r αV 7 T O入
ITEi αV) ,いった いどうすれば改善 され るだ ろ うか と
(技
FJEIVOVdv )′i)′voITO),考察することは中断 しは しなかったけれ ど, しか し実際行動 ( 7 TPdTT
EIV)に出るについては,いつ も好機を期 して,控えているよ りほかはなかった
」 2)とその当時の心境を語 っています.あの苛烈 を極めた三十人寡頭政を 「 過去の怨恨を持ち越 さず」それを 「 大赦 ( d F J V
T7
CrTi α) 」する とい う収拾策で,つま り 「 忘却の法
(1exoblivionis)」 3) とい う忘れがたきをあえて忘れる よう市民たちに求めることで,なん とか復活に漕ぎ着けた民主制は, しか しプラン トンの 目には,許 しがたい非道を働いたことにな ります.すなわち
,「しか も今度 も,何かのめ ぐり合わせか ら,一部の権力者たちがあのひ とを,われわれの同志のソクラテスを,まっ た く非道きわまる,だれにもましてソクラテスには似つかわ しか らぬ罪状を押 しつけて, 法廷に引っ張 り出 した
」 4)か らに他な りません. これはプラ トンの認識です.プラ トンの 圧倒的権威,佐々木毅氏の表現を援用すれば 「 プラ トンの呪縛」5 )によって, このプラ ト ンの認識は依然 としてある一定の規範性 として生き続けているわけです.
しか し, ソクラテスを刑死 させたのはアテナイの司法制度です.告訴か ら裁判そ して刑 の執行まで,それ らはすべて広い意味での合法的な政治プ ロセス‑ 今 日の言葉でいえば 適正な司法手続き
(dueprocess)‑ を踏んでいた と考え られます. もちろんそ こには訴 状がそ もそ も何を意味 し,それは適切であったのか,民衆裁判の陪審員をつ とめた民衆の 判断はどのように して行われたか等々,沢山の問題が伏在 しています.そ してそれ ら一々 について種々の解釈があ りえま しょう. とはいえ,それは,いわば一票の格差が どの程度 まで合意であるかについて種々見解が分かれるような もので,司法手続きの適法性そのも のを無効にするものではあ りません.それ らはすべて広い意味での政治的な出来事ない し 政治的な事象 として起 こっています.違法提案の訴訟 ( ypα 4 ) i 77 TαpαVbF J WV)が この 件について提起 されなかったことがその間の事情を物語 っています.す くな くとも再建 さ れた民主制の もとで,最高権力 (
TbKbp10V)を民衆が担保する政治的な文脈か らすれ ば,ポ リスの主権者である市民団の 占有す る領域 として デーモンア
,「 政治的な」 とい う意味での 公的領域 ( Td∂T 7
FJbcr L α)が出来上が っていま した.ですか ら, ソクラテスの刑死 とい う事件はデーモシオスな領域で見るかぎ り,適正な司法手続きを踏んでいると私は考えま す.桜井氏 も 「 デーモシオスとい う語がさし示す公的領域 とは,市民団にかかわる領域, どち らか といえば政治共同体 としてのポ リスをさしている.その意味では民主政以前のポ リスについてもデーモシオス とい う語は使用可能であ り,実際の用例 もある.だが,民主 政の時代になると,デーモシオスの領域は,その輪郭をいっそ う明確に し,ポ リスの主権 者である市民団の占有する領域に相当するもの となった
」 ら)と結論 しています.
ところが ソクラテスの言い分はこうで した
.「 本当に正義のために戦お うとする者は,そ
して少 しの間で も,身を全 うしていようとするな らば,私人 としてある ( L ' ∂l WTE
bEI V)
ことが必要なので して,公人 として行動す ( ∂T 7 F J OC r L Eb
EIV)べきではないのです」7) .っ
ま りソクラテスの個人的認識か らすれば,あるいは彼の行動規範か らすれば,極力政治的
な意味での公的な領域を避けて,私人 ( i ∂L L i ) TT 7 g)として生きるべきだ,とい うわけです.
とすれば,後年プラ トンの達する結論,すなわち 「 正 しい意味において,真実に哲学 して いる部類のひ とたちが,政治上の元首の地位につ くか,それ とも,現に国々において権力 を持っているひ とたちが,天与の配分 ともい うべき条件に恵まれて,真実に哲学するよう になるのか, どちらかが実現 されないかぎ り,人類が,禍か ら免れることはあるまい」"
とい う結論,換言すれば 「 正義」を政治のなかに立ち上げてゆ くとい うプランは, このソ クラテスの生き方か らは少 し距離があることにな ります.つま り, ソクラテスの場合には, さしあたって正義の実現を私的な領域に求めた,ない し,必要の場合には国家を説得する とい うことはあ りえて も, とりあえずの生き方 とい うことになれば,それは政治の世界か らは身を引いて正義を追求するとい う形式をとった. これに対 して,プラ トンはむ しろ政 治的な公的領域に正義を実現 して, しかるのち,その正義を私的領域に浸透 させるとい う プログラムを構想 してい くことになった と思います.
しか し,実際に起 こったことは,私的な交わ りのなかで哲学活動を日々実践 し,正義を 求めていたソクラテスが,政治的な領域に強引に引きだ され,結果的に刑死 しなければな らなかった とい うものです.当時のアテナイにおいて,現実の政治はそ うい う仕方で個人 にコミッ トした とい うことをまず確認 したい と思います.
2
デーモシオン,コイ ノン,イデ イオン,オイケイオン
た しかにソクラテスの政治的な活動ない し公職活動 ( ∂T 7 F J O
OILEbEIV)は公式的には僅かなものに限 られていた と言えます.三度の兵役 と前
406/405年の当番評議員 とい う役職 経験があった ぐらいです し,兵役に して も将軍のよ うな顕職についた形跡はあ りません.
そこでこうした公職活動を見てみると, ソクラテスの武勇はつ とに有名です し,当番評議 員のときに起 ったアルギヌサイ海戦に端を発 した裁判で も,訴訟手続きの不当性に最後ま で抵抗 したことは自他共に認めるところで,彼はアテナイ市民団の義務をよく遂行 してい たし,彼の公的行動に特別の問題があった とは思われません. とい うより,彼がみずか ら 自己規定するよ うに政治の表舞台か らは意識的に身を引いていた とい うのが,真相に近い かと思います.
では,彼のい う私的活動 ( i ∂l WTEb
EIV)の実態はどうだ ったので しょうか.彼の活動 とい うのは,哲学サークルでの宴会であった り,街中で青年を呼び止め問答をするとい う ようなもので した.多 くの弟子 ‑ そのなかにはアルキビアデスのような問題児もいた し, ク リテ ィア スの よ うな寡頭 派 の首魁 とな る よ うな人物 もい ま したが‑ との交 わ り
(KOIVW Viα)
のなかに彼の哲学活動があ りました. クセノフォンもソクラテスの交友関 係を 「 ホ ミ‑レーテ‑ス ( dF J l 入T 7 T( i, dF J l 入 T 7 T触 ) 」とい うギ リシア語で表現 していますが。 ) ,
このホ ミ‑ リア‑ ( dF J l
入iα)関係は,ア リス トテ レスによってゲマインシャフ ト的な性
格をもった交わ りとしてその 「 友愛論」のなかで紹介 されています.社会のなかで共同で
行うこうした活動は,公職について行 う公務ではないけれ ど, さりとて他人 との交渉を排
して家のなかです る仕事の類 とも異なっています
.「 また この仕事 ( 世に賢者 といわれて いる者に無知を自覚 させ ること)が忙 しいために,ボ リスのこと
(TITのvT巧く7 Tb入EWE) も家のこと ( TaV
OE'KEiwv)も,これぞ と言 うほどのことを行な う暇がな くて,ひ どい 貧乏を しているのですが」 とい うソクラテス自身の言葉か ら窺えるとお り,彼の主要活動 領域は政治的な公的領域でも家事労働 とい う意味での私的領域で もなかった とい うことで す.つまり,政治的な活動 とい う意味での公的活動にも,家の管理 ・維持や家族の面倒を
い えてき
みるとい うような,そ うい う意味での家的な仕事にもあまり意を用いなかった と彼は言 っ ているのです.そ うすると,先に言われた 「 私人 としてある ( i∂ l WTE
bEI V)ことが必要 だ」 とい う主張は,今風に言っての家事労働に専念することが必要だ とい う主張 とは考え られず,む しろ 「 私的活動」 とは彼の哲学活動そのもの,つま りそ うい う仲間 との共同活 動
(Td 〝OIVdv
,〝OIV(
〃Vi α)を指す と考えられます. この点はソクラテスの 「 私的な交 わ りでは (
i∂iq)そ うい うことを勧告 してまわ り ( uL J
Pβ00 人Ebw 7 T EP l 血 V) ,余計な おせ っかいをやきなが ら
」 1。)とい う語法によく表れています. この発言は哲学的対話 とい う社会的な交わ り (
〝oIV(〃Viα)を前提に しなければ成 り立たない話で しょう. さらにこ うした哲学サークル活動が 「 私的」 と言われる場合の もう一つのニュアンスとして見過 ご せないのは,対話の当事者たちが集団のなかに埋没 して しま うのではなくて,あ くまでも 個人 として振る舞 う,ない し個別の人間 として振る舞 うことが期待 されているとい うこと
おのおの
です
.「 つ ま りわた しは,あなたがたを 目覚め させ るために,各々一人ひ とりに ( E ' Vα
t'Kα
UTOV), どこ‑で もついていって
」l
J)とい うソクラテスの言い方か らも窺える とお り,対話的交わ りにおいては当事者たちの個別性が期待 されていました.
以上を要約すると,ソクラテスにとってデーモシオ ン ( ∂T 7 〃b
u 10V)とは,公職を担 う 活動か ら民会での発言にいたる広義の政治活動を含むよ うな公的領域であ り,それに対 し てイデイオン
(t ∂L OV) は, 仲間 とのあるいは青年 との自由な交わ りの世界( コイノン
KOIVbv)をその主要な指示対象 としなが らも,同時に,家の管理 ・維持にかかわる家事労働の領域
( オイケイオ ン
oL'KE7ov)との両方をカヴァー しうる概念であった と思われ ます 1 2).
ま ち な か
3
街中ない し市域 (
ilcrTU)とい う生活空間 とソクラテス
以上のように, ソクラテスはあるときは私人であ り,またあるときは公人であるわけで
すが, こうしたポ リス内で機能する重層的な帰属領域ない し古義に したがっての重層的な
ペル ソナを整備することにどれだけの意味があるので しょうか.実は,例の三十人寡頭政
の時代に, この重層的な秩序が極めて暖味になる一時期があって, この暖昧 さを際立たせ
るためにも以上のような概念整理は必要な準備作業なのです. この三十人寡頭政について
はここでは詳細に触れるゆ とりはあ りません1 ‑ 1 ) . しか し,状況の特殊性を考える と何 とし
ても我々は,テ ラメネス処刑を画策 した次のク リティアスの演説を取 り上げなければな り
ません
.「 評議員の諸君,諸君の うちでだれかが,処刑 され る者の数が多すぎると思 うと
すれば,国制変革の際には ( b '
7TOU7 T O入
ITETαl〃 EO i oI TαVTαl ) ,いつで も( 7 TαVTα
XOt))こうした ことが起 こるのだ とい うことを理解 してもらいたい. ここ ( アテナイ)では,国 制を寡頭政治に変革 しよ うとしているのだか ら ( TO fEE亘 d
入り′ C U Xi αV
〃EOIUT
虎の) , 敵対するものが多数 となるのは止むを得ないのだ
」14).このクリティアスの主張は何を言 う もので しょうか.国利変革 とい う例外状況では主権は暴力によってその正当性を確保する のであって, このことは変革 とい うものに常についてまわる話なのだ と訴えているように 思われます.普遍性 ( 7 TαVTα
XOt))があるとい う認識です.例外状況では主権は独裁 と い う形式をとる とい うこのク リティアスが我々に投げ掛けた問題は難問です1
5).しか し, 事実においてクリティアスの政治手段はそ うい うものであったことを歴史が証言 していま す.その うえで彼はこう畳みか けます
.「 新 しい法はこ うである.すなわち,登録名簿に 記載 されている三千人の者は,諸君の投票な しに処刑 されることはない.登録名簿に記載 されていない者 ( T
tbv∂'E 吉w TOOKαT ( X入byou) の生殺の権利は三十人にある.そこ で私は諸君の同意を得た うえで, このテラメネ スを登録名簿か ら肖I I 除す る. ( 肖I . I 除 された 以上,生殺の権利はわれわれにあるか ら)我々はこの男を処刑するものである
」 16).独裁 政治 ( TU PαVVETv)がテラメネスを粛清する生々 しい瞬間です.テラメネス亡き後は三 十人は独裁政治 ( TU / フ αVV亡7V)に恐れ ることな く奔走,ついで 「 名簿に登録 されていな い人々には市域‑の立ち入 り ( EL ' 仇 とV
α lEL ' E Tb 良 uTU) を禁止 した
」 F7'とクセノフォ ンは伝えています了これ ら市城‑の立ち入 りを禁止 された者たちは一 旦はペイライエウス に逃れ たが,その多 くは メガ ラ とテ‑バイ に亡命 したため, メガ ラ とテーパイは逃亡 者 ( Ta)
Vi)7 TOXWPObvT
WV)で溢れた 」 1 月) とも彼は伝えています.
さて,ここまでの事実を押 さえた うえで,周知の次の事件を考えてみたい と思います
.「と ころが,寡頭政権が樹立 されると,今度はまた三十人の委員会が私 自身 ( つま りソクラテ ス)を他の四人 とともに本部のあった円形堂に ( E亘 T
i7VOb入ov) 呼びだ した」1 。 )とい う事件です.いまはサ ラミス亡命中であ り,おそ らくは民主派の人物 と[ ]星を付けられた レオンなる人物を泣敦の うえ連れ戻せ とい うのが独裁政権の命令で した.命令の内容 もさ ることなが ら,独裁政権によってその本部にやすやす と呼び出された とい う事実は, この ときソクラテスが名簿登録を受け入れた市域居住者であったことを如実に物語 っています.
管見ですが, この点を疑 う歴史家はいない と思います.極めて変則的ないわば例外状況で
すが, しか しこの例外状況を唯 一の正当性の根拠 とする政権のなかで市域居住を許 されて
名簿登録 されているとい うこと,言い換えれば,市域をこの時期に生活空間 として選ぶ と
い うこと自体‑ むろんソクラテスの認識か らいえば, この生活空間は私的なもの と判断
されていたで しょう‑ が,ある意味で極めて政治的な意味を持ちかねない状況だ ったの
ではないで しょうか.加えて, ソクラテスは レオ ン連行命令を拒否 しています. もしソク
ラテスが この政権の正当性を認めていないのであれば,亡命まで視野にいれな くとも少な
くとも市域を逃れて自らの生活空間,すなわち,みずか らの哲学活動であるコイノンなる
生活空間をペイ ライエウスに確保 していたはずではないのか.名簿登録を受け入れ市域を
生活空間 とすることは,依然 として 『 弁明』にあるように,私的な活動 ( i
∂LWTE
bEI V)
の枠内の出来事だ ったのか.あるいは命令拒否 とい う行動は 『ク リトン』の表現を援用す
れば,ボ リス説得の一環だ ったのか,等々.問題はかぎ りな く錯綜 しています.
しか し, こ うした錯綜す る問題を度外視 してもなお指摘できることがあ ります. この政 権によって処刑 された人間は千五百人にのぼると推計 されてお り,政権がペ ロボネソス戦 争の戦後処理 とい う役割 も担 ったために逼迫する財政を凌 ぐために罪のない多 くの在留外 人 ( メ トイコイ)が財産没収の憂き目に遭いました.なかにはあの有名な弁論家 リュシア スの兄のポ レマルコスのよ うに殺 された者 もあ りま した.明確な政権批判の意志表示を し て亡命 した民主派の人々は言 うに及ばず,政権によって名簿登録を拒否 されて市域を追い 出された多 くの市民たち,恐 らくはいわれなき,罪状か らあるいは財産を没収 され,ある いは肉親を殺 された多 くの遺族たちの目か らすれば,その内実 ・真相が どのよ うな もので あった としても,政権の命令に逆 らってもなお生存を確保 しえたソクラテスはなにか特別 な存在 と映 らなかったか どうか,気になるところです.そ して,今 日の話はあ くまで もア テナイ民主制か らソクラテスを見ようとい うのですか ら,市域を追い出された多 くの民主 制支持者たちの目に, ソクラテスが どのように映 ったか も考えてみなければな りません.
名簿登録を受け入れ市域に生活空間を確保するとい う選択は,限 りな く 「 寡頭派的な行動」
と映 ったのではないで しょうか.まさにこの時節に寡頭派的であることは民主派の価値基 準に対立するとい う意味で,民主制支持者にすれば,それはデーモシオ ンとい う領域の存 亡にかかわるとい う意味で政治的に解釈 された可能性があ ります . いずれにせ よ, ここに
なす
は私的領域 と公的領域 との微妙な交錯があ り,互いに境界侵犯を擦 りあ う不幸な行き違い があ りま した.その端的な表現が ソクラテス裁判であ り, ソクラテスの刑死だ ったのでは ないで しょうか.実際, ソクラテス裁判の訴因を伝える系列のなかに, こうしたソクラテ スの交友関係を主要な訴因 として伝える資料があるのも事実であ ります 20).
4
アテナイ民主制の諸成果
最近,橋場氏は 「 アテネ民主政発展の機動力 となったモチーフは何であったか.あえて
言えば,それは 「 参加
(participation)」と 「 責任
(accountability)」であったよ うに思われ る
民主政の歩みは, この二つのか らまりあるいは緊張関係によって,ある程度説明すること
ができるものである
」 21)と述べています. さて,アテナイの民主制発展の鼓動力となった
モチーフが このような ものであるとして,私にはその詳細を語る能力も資格 もあ りません
が, ここでは今 日の主題に関係するかぎ りで話を進めたい と思います.そこで とりあえず
話の順序がやや慈意的にな りますが,ペ リクレスが行った一連の改革を挙げたい と思いま
す.なかで もキモンの政治手法,すなわち,パ トロネジ的手法に対 して とられた諸政策を
指摘 しておきます.民衆裁判所の陪審員への 日当の導入,そればか りか,軍船の漕ぎ手や
遠征にでかける市民戦士‑の 日当もペ リクレス時代には実現 しています.キモンの政治手
段 とい うのはパ トロネ ジと呼ぼるものであって,いわば親分子分の関係を利用 して公的領
域を巧みに擦るとい う政治手法だった と言われています
.「 た しかにキモンは民衆の信頼を
えている. しか し, このよ うなや り方が政治の世界に幅を利かせるとい うことは,一人の
親分 とその取 り巻きがやがてはポ リス全体を牛耳ることにつなが りかねない.それは親分 子分 とい う私的な人間関係が政治 とい う公的な領域をじわ じわ と侵食 してゆ くことを意味 する.市民全体が平等に参政権を分かち合い,全員参加でみずか らを支配するとい う民主 政の理想の実現にとって, この親分子分関係は有害であるばか りか,む しろアテネを貴族 制の昔に引き戻 して しまうだ ろ う.ペ リクレスがキモンとの対決を強 く意識 したのは, こ のような考えに基づいてのことだ った 」 22) と橋場氏は述べています.私的な金が公の領域 に流れるのは贈収賄であ り,その反対が公金横領ですが, こうした公私の境界侵犯を防止 するために,公職者は厳格な審査を受けました し, もし違反があれば,= 一般市民は公職者 弾劾制度 ( Ei qα y y E入i ( x)によって訴追できたわけです.つま り,我々がアテナイ民主制 の成果 としてまず第‑に指摘 したいのは,公私の区別を厳格に要求する姿勢 とそれを維持 するために発展 させた公職者弾劾制度です.ペ リクレス自身もこの制度の被害 となったこ
とは周知の事実です.
さて, この第‑の成果ない し精神か ら, とくに三十人寡頭政権の振舞い方に注視 してソ クラテスを見た とき,我々は何か指摘できることがあるで しょうか.我々は先の章で, ソ クラテスにおいて私的領域 と公的領域 との境界侵犯はなか ったか どうかを問題に しました.
そして,まさにこの問題意識はアテナイ民主制の第一の成果に深 く関わると思います.有 罪に投 じようか無罪に投 じようかに悩み抜いた多 くのアテナイ市民の胸 中に, ソクラテス とクリティアスとの関係における公私の区別の唆昧 さ‑の懸念が去来 していなかったどう か,我々は今一度考えてみる必要があるで しょう.
さて,次に我々が指摘 したいのは,公職についた者は執務検査 ( EL )
OLJVα
l)を受ける義 務を負った とい うことです.むろん役人になるときも資格審 査 (
∂oKLF J αの α) とい う開門 を通過する必要があ りますが,む しろ任期を終えてか らが正念場 といえます.役人は二段 の執務検査, すなわち,まず第一段で会計に関する審査があ り,会計検査官 ( 入 o
yHTTαi )と 呼ばれる1 0人の役人に会計報告を して受理 されなければな らなかった し,それが終わると 今度は第二段 として,これまた1 0 人の執務審査官 ( EL I
OLJVOl )に会計以外の執務一般の報告 をして受理 されなければな らなか ったわけです.最近 とみに 日本社会に求め られる「 報告 ・ 説明責任
(accountability)」は,アテナイ民主制の核心であった と思われ ます.か りに役職 が相対的に有力な市民によって占められるよ うな制限民主制であっても
,「 ほかの民衆が執 務報告審査の権限をもつ ことか ら ( ∂‖
丈TbTa)VE
bOLJVa)VEi vα
lKUPioLJEETEpouE), 勝れた人々は正 しい政治をするだろ う (
iip吉ou(rl∂lKαiwE)」2 3 )ア リス トテ レスも指摘
しています.つま り,最終的に民主制を担保する重要な役割であることを彼は強調 している わけです.公的領域においで情報が公開され開示されることが結局は公益にかな うのだ とい う認識は,特にアテナイ型の民主制の理念 としてペ リクレスが強調 した論点でもありました.
「 たとえ外敵にあたる人間であっても, 事柄によってはそれが開示されれば (
FJi7KPU4 )
OEv)その人間 もまた利益を うる
(a)4)E入
T70EiT
7) 」 24) か らだ と説明 されています. もっとも,
これはボ リスの開放性に言及 した発信ですが, しか しその精神において通底 していると思
います.市民たるものは公私を厳格に区別 しなければな らず,一旦公的な領域に足を踏み
入れたな らば,いつで も第三者に対 して報告 ・説明の義務 を負 った とい うこ とです. さて, そ こで, この成果ない し論点か らとくに三 十人寡頭政権時代の振舞い方 に注視 して ソクラ テ スを見た とき,我々は何か指摘できるこ とがあるで しょうか. もちろん問題の趣 旨か ら して, ソクラテ スの市城での行動がすでに一部公的な領域 に踏み込んでいる と解 され うる 場合にのみ,彼に説明責任が生 じてきます. もちろん ソクラテスがその間役職 にあ った と い う意味ではあ りませんが,公的な行動は必要の場合にはそれな りの説 明責任が伴 うとの だ とい うよ うに, この第二のアテナイ民主制の精神を敷延 して考 えてみたい と思 います.
クセ ノフォンが伝 えるよ うに,彼の私的な交わ りか ら生 まれた弟子達の行状たるや, いつ もの ソクラテ スの説教 に よって賛美 された 「 抑制
」「 無知の 自覚
」「 知性 の優位 ( 非暴 力)
」とは全 く対舵的な ものであ って,アルキ ビアデ スにいた っては 「 民主政治の時代 における, 荒 淫 (
dKPαTとuT( XTOE)
,倣 慢 (
i)βpl JTbTαTOE)
,暴 力
(βH
xlbTαTOE)の権 化 だ った」2 5 )と酷評 されています.つま り, ソクラテ スの私的な教育活動の結果責任がすで に当時の民衆の意識において も公的な文脈で取 り沙汰 されていた とい うこ とです. この教 育の責任 とい う問題関心が ソクラテスの死後 も続 いた ことは,ソクラテ ス裁判の訴因を「 ク リテ ィアスを教育 した こと (
∂TLKpITi ( xv7 TE7 TαL ∂
EUKd) E)
」 26)に求めたアイ スキネ ス の弁論か らも明 らかです.いずれ に して も,民主制 のこの第二の成果か らの議論 は第一の 論 点 と密接 に関連 してお り,公私 の境 界侵犯 の有 無の判定 に よって大 き く左右 され るで しょう.見方に よっては, ソクラテ ス裁判 とい う事件はアテナイ民主制 に よって ソクラテ スに突きつ け られた 「 説明責任」の一現象形態であ った とも言 えるか もしれ ません.それ が ヒステ リックであったか不適切であったか, いやむ しろ適正であ ったか,そ うした判断 は この際一切控 えます.
次 に第三 の成果 として,民主制 を支える基本法 ( vb〃PE) を民会決議 ( 少 々4, L 叩 α)
とは厳密に区別 し,そ して法が民会決議 に対 して優位 にあるこ とを明確 に確認 した一連の
改革作業を挙げたい と思います
.「 役人は成文化 され ざる法 にはいかなる場合に も従 っては
な らない.評議会 ない し民会 の決議 ( v J i 7 4) i ( 叩 α)は,演 ( vb〃oE) よ り優位 に立 って
はな らない.六千人の秘密投票によって民会決議 されないかぎ り,同 じ内容が全市民に認
め られ るこ とな しに特定の個人に関す る法 を制定 してはな らない 」 27) この法 の制定 は前
403/402年 と考 え られていますが,実はこの人治主義か ら法治主義‑ の歩み に ソクラテスが
大 き く関 っていることに我々は注 目 したい と思 います.前
406年 のアルギヌサイ海戦の直後,
戦闘の結末 をめ ぐって重大な裁判が もちあが りま した.詳細 を述べ るゆ とりはあ りまんせ
んが,要す るにこの とき戦闘の指揮 を とっていた八人の将軍‑ その うちの二人は逃亡 し
ま したか ら,実際にアテナイで裁判を うけたのは六人ですが‑ が,戦闘のお り軍船船長
であったテ ラメネスの巧妙な術策 にまんま と評議会がのせ られて,全員一括の裁判 とい う
違法な裁判手続 きに よって死刑 になる とい う事件で した. これは違法な裁判手続 きであっ
て,本来民主制 においては, 同一 一の犯罪行為 を犯 した者であ って も被告たちはそれぞれ個
別 に裁判を受けて, めいめいの罪状に応 じて刑が定 まる とい うのが適法な訴訟手続 きだ っ
た ことは言 うまで もあ りません.
この手続 きの過程で,評議会は案件の先議を したのですが, この とき当番評議員だ った ソクラテスが頑強に抵抗 し, この訴訟手続 きを違法 として果敢に反対 したことは, よく知 られている ところです.アルギヌサイ海戦裁判 の訴訟手続 きの違法性 は他 に も細部にわ たって指摘 されていますが,か くも明白な違法な訴訟指揮がいかに して可能であったか と いえば,そ こにはデマゴーグの暗躍 とい うアテナイ民主制の負の側面が一役買 っていた こ とは拒めません. とにか く民会に下ろされた議案は,一部の反対を押 し切 り決議 されて し まいます. この ときテ ラメネス一派が同席 の市民 を桐喝 した文句が伝わ っています チ‑ モス
.「 た とえ何 であれ,民衆が望む こ とを実行す るのを妨 げるのは け しか らぬ こ とだ ( ∂
亡IVdv EtVα1 ,Ei F J i
7 TI E t do
IEITbv ∂
恥 ov7 TPdTT
EIV∂
&V β00人 T 7 T( Xl . ) 」 28) . この違 法裁判をアテナイ民衆がいかに悔やんだかは,その後のこの ときの民会 を扇動 した連中が 逮捕 されていることか らも窺えます. この苦い経験か ら,民会 に集まる民衆の意思に無制 約の権限を与えることは,民主制その ものを根幹か ら揺るが しかねない とい うことをアテ ナイ民主制 は学びま した.橋場氏は次の よ うに解説 しています
.「 近代であれば基本法 に 相当する法が永続的にポ リスの国制の根幹を拘束す るのに対 して,民会決議は,た とえば 宣戦布告や外交政策な ど,ある時点におけるその とき限 りの状況にのみ対応するもの と見 なされたのである 」 29) .っ ま り,我々が最後にアテナイ民主制の成果 として指摘 したいの は,暫定的法秩序か らよ り永続的法秩序‑ と不断に法整備を続 ける とい う,いわば民主制 の内部で回帰的に働きつづける法治の精神です.それはまた政治の世界により普遍的な原 哩,より普遍的な正義を実現 しよ うとする精神の運動で もあった と思われ ます.
さて,我々はこの第三の達成が先の二つの成果 とはややその趣を異にす ることに気づき ます.基本法 ( vbL L OE) が民会決議 ( 小 1 4) L O‑ 〃α)ない し評議会決議 に優越す る とい う構造 は,先のアルギヌサイ事件 を例に とれば,評議会決議はそれがた とえ決議であって も違法 なものは違法だ とい うソクラテスの認識に重なっているはずです.そ して,公職にあって このことを頑強に主張することは,危険極ま りないことだ ったろ うけれ ども‑ つま り身
ひる
をまっとうできない危険 もな しとしなかったが‑ ソクラテスは怯む ことな くそ う振 る舞 いました. これはまさに我々が上で述べた暫定的な ものか ら永続的な もの‑,あるいは, 偶 然的な ものか らよ り普遍的な もの‑の努力の生きた実践例である としなければな りません.
もちろん, このよ うな普遍的な法‑の回帰的な運動 とい う原理を政治の世界に立ち上げて
ゆくことを, ソクラテスが方法 として 自覚 していた とは考えられず,む しろ実情は 「 本当
に正義のために戦お うとす る者は,そ して少 しの間で も,身を全 うしていようとす るな らば,
私人 としてある ( i ∂l WTE
bEI V)こ とが必要なので して,公人 として行動 ( ∂T 7 〃0
01LE
bEI V)
すべきではない 」 3( I ) とい う今 日の話の最初に指摘 した彼の生活実感があったわけです. 日
常の友人達 との市民的な交わ り (
KOIVWVi α)において鍛 え上げた正義感覚を政治 とい う
公的領域‑ と持 ち込む とい う様式,コイノンであ り,イデ イオ ンである場所で互いに対話 ・
吟味し砥ぎ澄ま した正義感覚をときにデーモ シオ ンな領域‑ と審級を上げてゆ くスタイル,
それがソクラテスの生き方ではなか ったで しょうか.それが どうい う場合であるかについ
ては,彼は一般化 しうる原則 を語 ってお らず,ダイモニオ ンの声 とい うよ うな我々には到
底規則化できない内的な抑止力に触れているにす ぎません.いずれ にせ よ, この第三の成 果ない し民主制の精神は,少な くともソクラテ スの活動 と矛盾 しない し,む しろある意味 では手を携 えている とも言 える と思 います.
このよ うに見てまい ります と,アテナイ民主制は第一 と第二の成果 において,すなわ ち 公私 の区別 を厳密 に立てて公私 の境界侵犯 を極 力排除す る とい う原則,お よび公的領域で の説明責任 とい う原則 において, いわば ソクラテス裁判 とい う民主制か らの挑戦 を したの だ と見ることはできないで しょうか. もちろん,それが ソクラテスの刑死 とい う仕方でテ ナイ民主制のなかに回収 された ことが適切であ ったか ど うかには議論 の余地があ ります.
しか し,逆に言 って,それが不適切 であ った と断定す る根拠 も我 々は待 ち合わせていない のではないか とい うのが,今 日の私 の唯一の積極的な主張であ ります. もとよ り政治の世 界に よ り普遍的な法 を立 ち上げてゆ くとい うこの最後 の成果 については,む しろその精神 においてアテナイ民主制 とソクラテスは手 を携 えて歩んでいた と私 は考 えたい と思 います この観点か らすれば,アテナイ民主制が ソクラテスを刑死 させ る とい う仕方で彼 を回収 し た ことは悔や まれ る歴史的な事件であ った と言わなければな りません
31 ) . しか し, ソクラ テスは人格 において一人の人間であ った よ うに,その功罪において もー 一人の人間 としてア テナイ民主制に回収 され るよ り他はなか った と思われ ます.
(1998.9.26)
注
1)拙論 「 プラ トンのエビタフイオス・ロゴス」東北大学哲学研究会 『 思索
』第28号
,1995,pp.127‑ 142.を参照していただければ幸いです.
2)pl.EP,325e31326a2.
3)corneliusNepos,LL'beTdeexcelleL7tJ'busducl'busexteTanJmgeL7lJ'um
, Ⅶ
,Thrasybulus,3.4)
p
l.op.Cft.325b5l C 1.
5)
佐々木毅 『プラ トンの呪縛』講談社, 一 九九八年は,プラ トンの権威がその時々の政治状況 によって解釈されてきた ドラマを迫真的に論 じている.
6)
桜井万里子 『ソクラテスの隣人たち』山川出版社,‑・ 九九七年
,244頁 7)pl.4p.31e4‑32a3.8)pl.Ep.326a71b4.
9)xenophon,MemolabL'I
L
'a,
1,
2,12.10)pl.Ap.31C4‑5.
ll)Ibl'd.,30e7.
12)
コイノンの用法については,ここではソクラテスの用法について一応の整理をしたのであっ て,例えばペ リクレスの国葬演説などを見ても,む しろデーモシオンと重なると見るべき用 法もあるなど,注意が必要だ. しか し,我々の整理の趣旨によく合致する指摘もある.例え
か まど
ば
,「 コイノスの領域はどうであろうか.家の中心が竃であるように,ポ リスの中心もプリュ
タネイオンと呼ばれる公館の竃 ( へステイア)であった.そ してこのポ リスの竃は前古典期
にも古典期にもコイネ一・ へステイア と呼ばれていたのである」と桜井氏は指摘する( 桜井, 前
揚書,24
4頁) .氏 によれば,それは生活共同体 とい うボ リス表象なのであって,政治的 レヴェ ルの表象なのではない.氏の言葉を援用すれば, ソクラテスに とってデーモシオンは政治的 共同体であった とすれば, コイノンは生活共同体であった と言えよ うか.そ して, このコイ ノンをイデ イオ ンと呼ぶのが ソクラテスの語法なのである.
13)筆者は この政権の成立か ら崩壊 までを辿 ったことがある.参照 していただ ければ幸いである.
cf.
「 覚 え書 き,危機 にお ける人間像」『 上越教育大学研究紀要』第1
3巻第
2号,Mar.1994,
pp.377‑390, 「 続覚え書き,危機における人間像」同第1
4巻第
1号,se
pt.1994,pp.201‑214.14)xenophon,IIeJJeL7ica,2.3.24.
15)カール ・シュ ミッ ト(carlSchmitt)の一連の論考が この古来の難題を扱 っているのは周知の
とお りである.
16)xenophon,op,cJ'(.2.3.51. 17)JbJ'd.,2.4.1.
18)R)]'d.
19)pl.Ap.32C4‑5.
20)いわゆるソクラテスの裁判の訴因は,プラ トンの 『
弁明 』 ,クセノフォンの 『ソクラテスの思 い出 』 ,やや時代が くだ ってデ イオゲネス・ ラエルテイオスの 『ギ リシア哲学者列伝』 とい う 系列で指摘 され る 「 国家の認 める神々を信ぜず新 しい神格 を輸入 して,なおかつ青年 を堕 落 させた」 とす る,いわゆる清神行為 ( doI Eβ
亡Lα)訴因説が もっと,知 られた ものである.
しか し,今 日の話の筋でいけば,む しろ も う一つの有力な訴関が指摘 された ことに我々は 注意す る必要がある.第一系列の訴関を伝 えた同 じクセ ノフォンが同書で 「ソクラテスの 告発者は, ソクラテスの弟子
(dFJL 入
T7Td,dF
JL 入
T7T触 )の うちにあった ク リティアス とアルキ ビアデスの二人は国家に無限の害悪 を及ぼ した と言 う. ク リティアスは寡頭政治の 時代における強欲
,圧政,残忍の首魁であ り,アルキ ビアデスはまた民主制の時代にお け る(
Ev T戸∂T7FJOKPαT岬 )
荒淫(
dKPαTEoITαTOE
),倣慢 ( d
βpLOI,bTαTOE
),圧政の (
βlαlbTαTOE)権化であったか らである」(
Xenophon,MemolabI'lia,
1,
2,12)とも伝えている し, ソクラテス死後に活躍 した弁論家アイスキネス も同 じ趣 旨の訴L メ ]をその第一一 弁論で次 のよ うに述べている . 「 アテナイ人諸君,諸君はソフィス トのソクラテスを ( Z
w KPdTrlVF J
iv(rod)HTTi7V)処刑 した.民主制を倒 した三十人僧主の
一一 人のクリテ ィアスを教育 した の が 明 らか に な っ た か らだ (
bTLKpLTiαV
と4)LivT7TTETTαl∂EUKd)E)」 (Aeschines,
AgaL'DSlTJ'maTCuS
,173).従 って,現代の解釈者たちはこれ ら二つの系列の訴卿 こ対 して どのような評価を与えるかによってその立場を分けているのである.
21)橋場弦 『丘の うえの民主政』東京大学出版会,一一
九九七年,1
0頁.
22)橋場,前掲書,68
頁.なお
,同氏著 『 アテナイ公職者弾劾制度の研究』東京大学出版会,一一 九九三年, も参照 されたい.
23)Aris
t
.,PolJ'lJ'ca,6.4,1318b36138.24)TTrucydides
,
HL'stoTL'ae,2.39.1
.なお拙論 「 デーモクラテ ィアの理念 と生活習慣‑ ペ リクレス の場合
,mucydidisHistoriae,H.35‑46」『 上越教育大学研究紀要」 】第1
5巻第1 号,1
995,pp.175‑188
, を参照 していただ ければ幸いである.
25)xenophon,Me
n,
1,
2,12,
26)Aesch.,op.cJ'(.173,27)An docides,oDtJZeMysterJ'es,87.
28)xenophon,Hellet7J'ca
,
1.7.12.29)橋場弦,前掲書,152‑153
月.
3 0) 注 4を参照.
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