《論 説 》
近現代内蒙古地域史の文献研究
森 久 男
鈴 木 立 子
は じめに
日露 戦 争 後 の 関 東 州 租 借 と南 満 州 鉄 道 株 式 会 社 設 立 以 来,日 本 は満 蒙 地 域 へ の 関 与 を 深 め,大 正 期 に は 川 島 浪 速 に よ っ て 二 度 の 満 蒙 独 立 運 動 が 企 図 され た 。 満 州 事 変 後,1932年 に 関 東 軍 は 満 州 国 を 樹 立 して,東 部 内 蒙 古 ・ホ ロ ン バ イ ル に 蒙 古 人 の 特 殊 行 政 区 域 と して 興 安 省 を 設 けた 。1933年 の 熱 河 作 戦 後,関 東 軍 は 内蒙 工 作 を 開 始 し,1936年 に 察 北 を支 配 下 に 置 い て 蒙 古 軍 政 府 を樹 立 した。1937年 に 盧 溝 橋 事 変 が 勃 発 す るや,関 東 軍 東 条 兵 団 は察 南 ・晋 北 ・繧 遠 を 相 次 い で 占領 し,蒙 彊 三 自 治 政 府 お よび 蒙 彊 連 合 委 員 会 が 成 立 した 。1939年 に 蒙 彊 三 自治 政 府 を 合 併 して 蒙彊 連 合 委 員 会 が 成 立 して の ち,1945年 の 敗 戦 に至 る ま で,日 本 は 内 蒙 古 の 大 半 の 地 域 を 支 配 した 。
内 蒙 古 近 現 代 史 は 日本 との 関 係 が き わ め て 密 接 で あ り,日 中 関 係 史 の 重 要 な 研 究 分 野 を 構 成 して い る が,こ れ ま で そ の 重 要 性 が 十 分 に 認 識 され て こ な か った 。 そ の 理 由 と して い くつ か の 要 因が 存 在 して い るが,と りわ け 歴 史 研 究 に 不 可 欠 な 資 料 の 入 手 難 が 決 定 的 な 要 因 と して 指 摘 で き る。 内 蒙 古 を 中心 と した 国 際 関 係 史 は きわ め て 錯 綜 して お り,中 国 語 ・モ ン ゴ ル 語 ・ チ ベ ッ ト語 ・日本 語 ・ロシ ア 語 ・英 語 等 の 文 献 に 精 通 す る 必 要 が あ る が, 語 学 上 の制 約 も あ り,実 際 に は これ らす べ て に 目 を通 す こ とは 困難 で あ る。
日 中 関係 史 と して 内 蒙 古 近 現 代 史 を 研 究 す る 場 合,中 国 語 ・日本 語 の 資 料 が も っ と も豊 富 で あ る。 中国 語 ・日本 語 の 資 料 の うち,戦 前 ・戦 中期 に
南 京 国 民政 府 蒙 蔵 委 員 会 ・満 州 国 蒙 政 部 ・蒙 彊 政 権 等 の 政 府 機 関 に よ っ て 作 成 され た 一 次 資 料 は も っ と も重 要 で あ る 。 そ れ と同 時 に,戦 後 に 歴 史 の 当事 者 が 書 き 残 した 回顧 録 は,上 述 の 一 次 資 料 を解 読 す る 際 に 重 要 な 手 が か りを 与 え て くれ る 。 中 国 で は,各 地 方 の 政 治 協 商 会 議 ・地 方 史 弁 公 室 ・ 中 共 党史 研 究 室 等 が 組 織 的 に歴 史 の 当 事 者 の 回 顧 録 を 収 集 して い る 。 日本 で は,満 州 国興 安 省 ・蒙 彊 地 域 か ら の 引 揚 者 が 個 人 の 立 場 か ら 各 種 の 回 顧 録 を書 き残 して い る 。
本 稿 の課 題 は,内 蒙 古 を 中心 と した 日中 関 係 史 を 本 格 的 に 研 究 す る 予 備 作 業 と して,中 華 人 民 共 和 国 の 内 蒙 古 自 治 区 政 治 協 商 会 議 が 収 集 ・刊 行 し た 『内蒙 古 自 治 区 文 史 資 料 』 を 素 材 と し,満 州 国 勃 発 か ら 日本 の敗 戦 に 至 る 時 期 を 主 要 な 対 象 と して,歴 史 の 当事 者 が 書 き 残 した 史 料 を 系 統 的 に 分 類 ・整 理 し,そ の概 要 を 紹 介 す る こ と に あ る 。
1人 物 伝
一 徳 王
徳 王 は 第 一 級 政 治 犯 と して 長 年 の 間 獄 中 に あ った が,一 九 六 三 年 四 月 の 釈 放 か ら一 九 六 六 年 五 月 の 逝 去 ま で,三 年 間 の 短 い 「自 由 」 を 享 受 した 。 内蒙 古政 治 協 商 会 議 文 史 資 料 研 究 委 員 会 は 内蒙 古 近 現 代 史 の 生 き 証 人 で あ る徳 王 に 回 顧 録 の 執 筆 を 求 め た 。 こ う して,徳 王 は 死 の 直 前 に 『ドム チ ョ ク ドン ロブ 自 述 』 を 口述 して い る。 徳 王 は 内蒙 古 近 現 代 史 で 中心 的 役 割 を 果 た した 人 物 の 一 人 で あ り,こ れ は 彼 の 個 人 史 で あ る と と もに,同 時 代 史 そ の もの の 貴 重 な 証 言 で もあ る。 日中 関 係 史 とい う視 点 か らみ れ ば,今 日 関 東 軍 の 内 蒙 工 作 と蒙 彊 政 権 の 歴 史 は 研 究 史 の 空 白に な っ て い る が,こ の 回 顧 録 は そ の 不 明 部 分 に 多 くの 光 を あ て て い る。 回 顧 録 の 構 成 は 次 の とお
りで あ る 。
第 一 章 百 霊 廟 蒙 古 自 治 運 動 の 回 顧
近 現代 内蒙 古地 域 史の 文献 研 究 第 二 章 蒙 古 軍 政 府 成 立 の前 後
第 三 章 蒙 古 連 盟 自治 政 府 の 顛 末 第 四 章 蒙 古 連 合 自治 政 府 の 成 立 と瓦 解 第 五 章 北 平 三 年
第 六 章 西 蒙 自治 運 動 の 経 緯
第 七 章 モ ン ゴ ル 人 民 共 和 国 へ 赴 い た 経 緯
こ の 回 顧 録 は,徳 王 が み ず か らの 記 憶 を も とに 口 述 し,ト ブ シ ンが 筆 記 ・ 編 集 した もの で,1965年 ま で に 七 編 の 回 顧 録 が 完 成 して い る。1966年2 月,『 内蒙 古 文 史 資料 』(以 下 『内蒙 文 史 』 と略 記 。 第 五 輯)に 第 一 章 「百 霊 廟 内 蒙 自 治 運 動 」 の ご く一 部 分 が 掲 載 され,同 年 中 に 全 文 出 版 の 計 画 で あ っ た が,文 化 大 革 命 に よ って 中断 され た 。文 革 終 了 後,1979年3月 に 再 刊 され た 『内 蒙 文 史 』(第 六 輯)に 第 二 ・三 章 が,1982年10月 出 版 の 『内 蒙 文 史 』(第 七 輯)に 第 四 ・五 ・六 章 が 公 表 され た 。1979年6月 に は 『文 史 資 料 選 輯 』(第 六 十 三 輯)に 第 一 ・二章 の 抄 訳 が 発 表 され た 。1984年12 月,『 内 蒙 文 史』(第 十 三 輯)と して,既 発 表 部 分 と未 発 表 の 第 七 章 を纏 め た 『ドム チ ョク ドン ロブ 自述 』 が 出 版 され て い る。 しか し,残 念 な こ とに 第 一 章 の主 要 部 分 が 欠 落 して お り,そ の 史 料 的 価 値 が 大 き く損 な わ れ て い る。
トブ シ ン が 編 集 した 原 稿 は 内蒙 古 自治 区 文 史 館 に 保 管 され て い た が,文 革 の 混 乱 の な か で 盧 明 輝 氏(内 蒙 古 社 会 科 学 院 元 研 究 員)が 閲 覧 の機 会 を 得 て そ れ ら を筆 写 した 。 森 久 男 は 『徳 王 自伝 』(岩 波 書 店,1994年)を 翻 訳 ・出版 した 際,盧 明 輝 氏 か ら未 発 表 で あ る 第 一 章 の 原 稿 を 譲 り受 け,完 全 な 形 で 翻 訳 ・出版 す る こ とが で き た 。
現 在,『 徳 王 自伝 』 以 外 に 入 手 可 能 な 徳 王 に 関 す る 纏 ま っ た 業 績 と して は,盧 明 輝 氏 とジ ャ クチ ト・ス チ ン氏 の 著 書 が あ る 。 盧 明輝 氏 は,『 蒙 古 自 治 運 動 始 末 』(中 華 書 局,1980年)を 出 版 した が,同 書 は1998年 に遠 方 出 版 社 か ら 『徳 王 其 人 』 と改 題 して 再 刊 され て い る。 ジ ャ ク チ ト ・ス チ ン氏 は,『 我 所 知 道 的 徳 王 和 当 時 的 内 蒙 古 』(私 の 知 って い る 徳 王 と 当時 の 内 蒙 古)の 草 稿 を 脱 稿 して の ち,そ の 前 半 部 分 が1984年 に,後 半 部 分 が1993
年 に 東 京 外 国語 大 学 ア ジ ア ・ア フ リカ 言 語 文 化 研 究 所 か ら 出版 され て い る。
両 者 の観 点 には 大 き な 違 い が あ るが,徳 王 に 関 す る記 述 の 大 半 は い ず れ も,
『ドム チ ョク ドン ロ ブ 自述 』 を 直 接 あ るい は 間 接 に 引用 して い る 。 徳 王 は1933年 に 内 蒙 高 度 自治 運 動 を開 始 し,多 数 の 蒙 古 知 識 青 年 の 支 持 を得 た 。そ の な か の 一 人 で 徳 王 の 側 近 とな った 陳 紹 武 は,「 ドム チ ョク ド ン ロブ と蒋 介 石 との 関 係 」(『内 蒙 文 史 』 第 一 輯,1962年11月)に お い て, 1932年 か ら1949年 に 至 る徳 王 と蒋 介 石 との特 殊 で 複 雑 な 関 係 を,み ず か らの体 験 を 通 して 描 き 出 し て い る 。も う一 人 の 蒙 古 知 識 青 年 ハ ス オ チ ル は,
「ドム チ ョク ドン ロ ブ と 日本 帝 国 主 義 との 結 託 」(『内 蒙 文 史 』第 五 輯,1966 年2月)に お い て,蒙 政 会 か ら 蒙 古 軍 政 府,蒙 彊 政 権 の 各 時 期 に お い て, 徳 王 と 日本 との 関 係 の概 観 を描 き 出 して い る 。 陳 紹 武 とハ ス オ チ ル の 回 顧 録 は,『 徳 王 自伝 』 と重 複 して い る部 分 が 多 い が,第 三 者 の 目 で 見 た 徳 王 評 価 と して 参 考 と な る。
二 李守信
李 守 信 は熱 河 匪 賊 か ら 中小 軍 閥 に 成 り上 が り,1933年 の 熱 河 作 戦 後,関 東 軍 の 支 持 を得 て,察 東 警 備 軍 司 令,蒙 古 軍 副 総 司令 を 歴 任 し,日 中 戦 争 勃 発 後 に蒙 彊 政 権 の 蒙 古 総 軍 総 司 令 を務 め た。 李 守 信 は 徳 王 に 次 ぐ 内 蒙 古 第 二 の 政 治 犯 で,釈 放 後 に1964年 か ら内 蒙 古 自治 区 文 史 館 に 籍 を 置 き,劉 映 元 を助 手 と し て 『李 守 信 自述 』 を 口述 した。 こ の 回顧 録 の 構 成 は,次 の とお りで あ る。
ま えが き
第 一 章 私 が 出 まれ る 前 後 の 熱 河 南 部 蒙 旗 社 会 第 二 章 熱 河 胡 匪 と私 の 胡 匪 と して の 経 歴 第 三 章 蒙 匪 とバ ブ ジ ャ ブ につ い て の 見 聞 第 四 章 日本 の 侵 攻 ・占領 以 前 の 熱 河 地 方 部 隊
第 五 章 奉 天 軍 と国民 軍 と の戦 争 中,私 が 奉 天 軍 と一 緒 に 察 北 へ 進 攻 し
近 現代 内蒙 古地 域 史 の文献 研 究 た 頃 の 回 想
第 六 章 私 が ガ ダ 梅 林 の蜂 起 部 隊 を 鎮 圧 した 経 緯 第 七 章 私 は どの よ うに 「馬 賊 」 か ら漢 好 に な った か 第 八 章 私 が{鬼偲 軍 を率 い て 察 北 で お こ な った 犯 罪 活 動 第 九 章 日本 が 偲 儘 蒙 古 を 支 配 した 策 略
第 十 章{鬼 偶 蒙 古 政 権 の 内 幕 第 十 一 章 蒙 古 軍 成 立 初 期 の 状 況 第 十 二 章 蒙 古 軍 の発 展 と変 遷 第 十 三 章 蒙 古 軍 の 戦 闘 態 度
第 十 四 章 蒙 古 軍 の腐 敗 堕 落 した 状 況
第 十 五 章 私 は ど の よ うに 蒙 古 軍 を掌 握 した か 第 十 六 章 徳 王 は どの よ うに蒙 古 軍 を操 った か 第 十 七 章 日本 が 蒙 古 軍 を支 配 した 方 法
第 十 八 章 徳 王 と一 緒 に 日本 と満 州 国 を 訪 問 した 状 況 第 十 九 章 注 精 衛 が 召 集 した 青 島 会 談 に 参 加 した 経 緯 第 二 十 章 岡村 寧 次 が 召 集 した 第 一 回 河 北{鬼偏 軍 首 脳 会 議 第 二 十 一 章 白 鳳 翔 が 敵 に投 降 した 経 緯
第 二 十 二 章 徳 王 が 呉 相 文 を処 刑 した エ ピ ソ ー ド 第 二 十 三 章 私 と呉 侃 孚 に 関 す るい くつ か の 出来 事 第 二 十 四 章 私 と徳 王 が 張 家 口か ら慌 て て 逃 亡 し た 状 況 付 録 劉 映 元 「李 守 信 の晩 年 」
李 守 信 の 回 顧 録 が 発 表 され た 経 緯 と し て は,1979年3月,『 内 蒙 文 史 』 (第 六 輯)に 第 七 ・八 ・九 章 が 掲 載 され,1982年10月 刊 行 の 『内 蒙 文 史 』 (第 七 輯)に 第 十 ・二 十 四 章 が,1983年8月 刊 行 の 『内 蒙 文 史 』(第 十 輯) に 第 一 ・六 章 が 公 表 され た 。1985年12月 刊 行 の 『内 蒙 文 史 』(第 二 十 輯) で 『李 守 信 自述 』 と題 して,未 発 表 部 分 を 含 ん だ 全 文 が 掲 載 され て い る 。 王 公 出 身 の 徳 王 と異 な っ て,平 民 出 身 で,匪 賊 あ が りの軍 人 で あ る 李 守 信 に は 明 確 な政 治 的 信 念 は存 在 しな いが,自 己保 身 の た め もあ っ て,周 囲
の 政 治 的 ・軍 事 的 状 況 を 克 明 に観 察 し,と くに 人 間 関 係 の 分 析 は 精 密 で あ る 。 李 守 信 の 回 顧 録 の 意 義 は 以 下 の 三 点 に 纏 め る こ とが で き る。 第 一,熱 河 地 方 の 匪 賊 ・自衛 団 ・軍 隊 の 具 体 的 諸 相 を詳 し く解 明 した 。 第 二,蒙 古 人 の 目か ら関 東 軍 の 内蒙 工 作 の 展 開 過 程 を 明 らか に した 。 第 三,蒙 彊 政 権 期 の 蒙 古 軍 の 実 態 や 政 権 内 部 の権 力構 造 を 詳 細 に解 き 明 か した 。 徳 王 と李 守 信 の 回 顧 録 を 比 較 しな が ら併 読 す る こ と に よ っ て,当 時 の 内 蒙 古 の 錯 綜
した 民 族 問 題,政 治 ・軍 事 情 況 を 全 体 的 に 傭 鰍 す る こ とが で き る。
三 王公列伝
辛 亥 革 命 後,1913年 に 衰 世 凱 は 「蒙 古 待 遇 条 例 」 を 制 定 し,蒙 古 王 公 は 清 朝 以 来 の 盟 旗 制 度 に 基 づ く封 建 的 特 権 が 認 め られ た 。 蒋 介 石 の 全 国 統 一 後,南 京 国 民 政 府 は 若 干 の 制 度 改 革 を前 提 と して 盟 旗 と省 県 との 並 存 を認 め た 。 満 州 国 成 立 後,東 部 内 蒙 古 で は 王 公 の 封 建 的 特 権 が 廃 止 され た 。 こ う して,国 民 政 府 の 支 配 下 に 留 ま っ た 西 部 内蒙 古 の み に王 公 制 度 が 残 っ た 。 盟 旗 の 王 公 制 度 は 封 建 制 の 残 津 で あ る が,旗(県 に 相 当)の 牧 畜 民 を 実 質 的 に 支 配 して い る の は 王 公 で あ り,彼 らの 政 治 的 意 向 を 無 視 して,盟 旗 制 度 の変 革 は で き な か っ た 。
『内蒙 古 近 現 代 王 公 録 』(『内 蒙 文 史 』 第 三 十 二 輯,1988年12月)は,第 三 者 に よる 回 想 録 ・研 究 論 文 で あ るが,そ の 構 成 は 次 の とお りで あ る 。
呉 恩 和 ・邪 復 礼 「カ ラチ ン親 王 ゴ ン サ ン ノ ル ブ 」 ボル ジ ジ ト ・ウ ン ドル ネ フ 「ダ ル ハ ン 王 の 生 涯 の 略 述 」 羅 永 寿 ・張 文 第 ・張 世 傑 「ア ラ シ ャ ン 王 ダ リジ ャ ヤ の 生 涯 」
ダ グ ワオ ス ル 「ソ ン ゴ リンチ ンの 後 継 者 一 ボ ヤ ンナ ム フ とそ の 子 孫 」 卓 力 克 「正 婦 人 か ら旗 長 代 理 へ 一 二 番 目の 姉 奇 俊 峰 の 思 い 出 」 ボ ヤ ン マ ン ド 「私 の 知 って い る ビ ン ト王 ゴ ン チ ュガ ス ロ ン」
奇宝 璽[ト ブ シ ン ジ ル ゴ ル の 生 涯 の 略説 」
彰 祝 三 「バ リ ン郡 王 ス ダ ンナ ム ジル ジ ャ ル ワブ の 一 生 」
近現 代内 蒙古 地域 史 の文 献研 究
飽 璽 「ア オ ハ ン親 王 ラ ジ ャ ラ リ ンチ ン ワ ンブ とそ の家 系 の 逸 聞 」 飽 楓 珊 「ア オ ハ ン 貝子 府 と徳 王 」
飽 縄 武 「私 は ど の よ うに して 小 王 子 に な った の か 」 ボ ヤ ンマ ン ド 「コル チ ン右 翼 前 旗 ウ タ イ 王 反 乱 始 末 」 李 景 唐 「ダ ライ 貝 子 と彼 の 息 子 ドル ジ 」
『内 蒙 古 近 現 代 王 公 録 続 編 』(『内 蒙 文 史 』第 三 十 五 輯,1989年12月)は, 同 上 書 の続 編 で,そ の 構 成 は 次 の と お りで あ る。
彰 平 陽 「政 海 風 雲 五 十 年 一 サ ク ドル ジ ャ ブ の 生 涯 の 略 述 」 ス ル ンア ル ブ ・ダ ブ ラバ ヤ ル 「ユ ン タ ン ワ ン チ ュ ク事 略 」 ブ ダ バ ラ 「ア バ ガ 大 王 ヤ ン サ ン事 略 」
ガ リブ ク ド 「オ ジ ナ 郡 王 ダ ワ ン ジ ャ ブ の 一 生 」 注 柄 明 「ス ニ ト右 旗 郡 王 ドム チ ョク ドン ロ ブ の 生 涯 」
ス ホ バ ル 「コ ル ロ ス前 旗 旗 長 チ ム トス ン プ ル 史 略 」
ジ ャ ライ ト旗 政協 文 史 資料 委 員 会 「ジ ャ ラ イ ト旗最 後 の 王 バ トマ ラ プ タ ン 」 ム ス ン 「大 バ リ ン郡 王 ジ ャ ガ ル ドル ジ」
ゴ ル ロ 「オ ル ドニ 郡 王 ソ ン ジ ン ワ ン チ ョク 」
希 儒 博 「ナ イ マ ン旗 郡 王 マ シバ トル と ス ジ ュ ク トバ トル 父子 」 ワ ンチ ン ドル ジ 「ア ル コ ル チ ン郡 王 ワ ン チ ン パ ル ライ 略 伝 」
「ウ ェ ンニ ュ ー ト旗 政 協 文 史 弁 公 室 「ウ ェ ン ニ ュー ト左 旗 最 後 の 王 ラ チ ン ワ ンチ ョク 」
王 哲 ・王 世 民 ・暴 風 雨 「トム ト左 旗 最 後 の 王 ユ ン タ ン ソ ンブ の 生 涯 の 概 述 」 秦 樹 英 ・ゴ ル ジ ャ ブ 「ダ ラ ト旗 最 後 の 旗 長 ハ ンダ ドル ジ 」
李 泉 林 「ドグ シ ン大 王 一 ス ワ ン ノ ル ブ サ ン バ 」
『王 公 補 遺 蒙 俗 風 情 捨 粋 』(『内蒙 文 史 』第 四 十 四 輯,1993年12月)は, 同 上 書 の続 々 編 で,そ の 構 成 は 次 の とお りで あ る 。
奇 忠義 「王 府 春 秋 」 奇 天 祥 「私 の 自述 」
斎 克 斎 「ラマ 旗 旗 長 ロブ ソ ン リン チ ン小 伝 」
李 紫 白 「イ エ シ ハ シ グ ー コル チ ン 右 翼 中旗 最 後 の 旗 長 の 記 事 」 陳 泰 山 「子 豚 の 放 し飼 い,公 爺,旗 長 一 バ ヤ ンナ ム ル 小 伝 」 飽 靖 方 「ジル ム 盟 王 公 会 議 と"蒙 古 平 民 同 志 会"」
トブ シ ン 「ア ラ タ ンオ チ ル 事 略 」(『内蒙 文 史 』第 十 輯,1983年8月)は, イ ク ジ ョウ 盟 副 盟 長 ・ハ ン ギ ン 旗 旗 長 ア ル タ ンオ チ ル(阿 王)が,徳 王 ・ 傅 作 義 ・日本 軍 ・八 路 軍 の 間 で 政 治 的 に 翻 弄 され た 生 涯 を 描 い て い る。 奇 天 祥 「回 憶 阿王 片 断 」(同 上 書)は,阿 王 の部 下 の 回 想 録 で,蒙 彊 政 権 期 か ら 国 共 内 戦 末 期 に 至 る 阿 王 の政 治 的 軌 跡 を描 い て い る。 以 上 の 二 編 の 回 顧 録 は,資 料 が 乏 しい 蒙 彊 政 権 の オ ル ドス 支 配 を知 る 上 で 貴 重 な 史 料 で あ る。
オ リ ンチ ン ダ ラ イ 「私 が モ ー ミン ガ ン旗 を 脱 出 した経 緯 」(同 上 書)は, ウ ラ ン チ ャ ブ 盟 モ ー ミン ガ ン旗 旗 長 チ ム ドス ル ンホ ル ロ の妻 の手 記 で あ る。
徳 王 の 回 顧 録 は,1941年 に 同 旗 長 が 特 務 機 関 の 圧 迫 下 で 自殺 した 事 件 に つ い て ご く簡 単 に 記 して い るが,オ リン チ ン ダ ライ の手 記 は 当時 の モ ー ミン ガ ン 旗 の 情 況 を 具 体 的 に描 き 出 して い る。
西 蒙 ア ラ シ ャ ン 旗 旗 長 ダ リ ジ ャ ヤ は 徳 王 の 内 蒙 高 度 自治 運 動 を 支 持 し, 1936年 に 定 遠 営 に特 務 機 関 の 設 置 を 受 け 入 れ た 。 盧 溝 橋 事 件 後,1938年 に ダ リジ ャヤ は 馬 鴻 逡 に よ って 銀 川 で 一 時 拘 束 され,さ らに 蘭 州 で 十 一 年 間 軟 禁 され た 。 国 共 内 戦 末 期 の1949年 に 釈 放 され,徳 王 と と も に 西 蒙 自 治 運 動 に 参 加 し た 。 ダ リジ ャ ヤ 「馬 鴻 蓬 のア ラ シ ャ ン 旗 に 対 す る残 酷 な 圧 迫 ・搾 取 」(『内 蒙 文 史 』 第 一 輯,1962年11月)は,こ の 間 の ア ラ シ ャ ン 旗 の 悲 惨 な 情 況 を 綴 っ て い る 。 ダ シ フ ン 「私 の 父 親 ダ リ ジ ャ ヤ の 思 い 出 」
(『内 蒙 文 史』 第 十 七 輯,1985年12月)は,娘 の 視 点 か らダ リ ジ ャ ヤ の政 治 的 生 涯 を概 観 して い る。
皿 蒙 古 自治運 動
蒙 古 自治 運 動 に 関 す る一 般 的 認 識 と して は,1933年 の 徳 王 に よ る 内 蒙 高 度 自治 運 動 の 開 始 か ら1934年 の 百 霊 廟 蒙 政 会 の 成 立 に 至 る過 程 の 蒙 古 人
近現 代 内蒙 古地 域 史の 文献研 究
の民 族 主 義 運 動 で あ る と狭 義 に 理 解 され て い る 。 しか し,盟 旗 自治 を 求 め る蒙 古 人 の 民 族 主 義 運 動 の 原 点 は も う少 し遡 る 必 要 が あ る 。 す な わ ち,蒙 古 自治 運 動 は,1928年6月 に 北 伐 軍 が 北 京 を 占領 し,9月 に熱 河 ・チ ャハ
ル ・繧 遠 特 別 区 へ 省 県 制 が 施 行 され る 過 程 で,北 平 で 成 立 した 蒙 古 代 表 団 が 盟 旗 地 帯 へ の 省 県 制 施 行 に反 対 して 南 京 で 展 開 した 請 願 活 動 を 起 点 とす べ き で あ る 。 す な わ ち,蒙 古 自治 運 動 とは,熱 河 ・チ ャ ハ ル ・綴 遠 三 省 の,
新 設 に よ って 法 的 基 礎 を 失 っ た 盟 旗 の 自治 組 織 を 守 る 運 動 と して,広 義 に 理 解 しな け れ ば な らな い 。
張 紹 庭 「呉 鶴 齢 和"蒙 古 各 盟 旗 連 合 連 合 駐 京 弁 事 処"的 活 動 」(『内 蒙 文 史 』 第 六 輯1979年3月)は,呉 鶴 齢 を 中 心 とす る 蒙 古 代 表 団 が1928年 末 に 南 京 で お こな っ た 請 願 活 動,1930年 の 蒙 古 会 議,1931年 の 「蒙 古 盟 部 旗 組 織 法 」公 布,1932年 の 蒙 古 各 盟 旗 連 合 駐 京 弁 事 処 を め ぐる 呉 鶴 齢 と 徳 王 の 確 執,1933年 の 内 蒙 高 度 自治 運 動,1934年 の 百 霊 廟 蒙 政 会 成 立, 1935年 の 徳 王 の 対 日接 近 に つ い て概 観 して い る 。初 期 の蒙 古 自 治 運 動 の 立 役 者 は 呉 鶴 齢 で あ り,彼 と徳 王 と の抗 争 過 程 で 内 蒙 高 度 自治 運 動 が 高 揚 し て い く。 『徳 王 自 伝 』 に は1928年 か ら1931年 に か け て の 蒙 古 自 治 運 動 の 前 史 が 記 され て い な い 。 こ の 意 味 で,張 紹 庭 の 回 顧 録 は 歴 史 の 空 白 を 埋 め る貴 重 な 史 料 で あ る 。
1930年 の 蒙 古 会 議 は 南 京 国 民 政 府 の 蒙 古 政 策 を策 定 す る た め の 重 要 会 議 で あ る 。 ボ ヤ ン マ ン ド 「私 が 南 京"蒙 古 会 議"に 参 加 した 思 い 出 」(『内 蒙 文 史 』 第 十 六 輯,1985年12月)は,東 部 内 蒙 古 の 盟 旗 代 表 と して 会 議 に 参 加 した ボ ヤ ン マ ン ドの 回顧 録 で あ る 。 こ の一 文 は,白 雲 梯 一 派(旧 内 蒙 古 国 民 革 命 党),呉 鶴 齢 一 派(改 良 主 義 者),封 建 的 王 公(保 守 派)の 複 雑 な 対 立 関 係 を紹 介 す る と と もに,蒙 古 会 議 にお け る 蒙 古 人 と地 方 政 府 の 対 立,蒙 古 人 内 部 の 共 和 派 と保 守 派 の対 立 関 係 を描 写 し,国 民 政 府 に よ る蒙 古 政 策 の 立 案 過 程 の 混 沌 と した 状 況 を 明 らか に して い る。
1932年 以 降 の 内 蒙 自治 運 動 の経 緯 につ い て は,『 徳 王 自伝 』 第 一 章 に 詳 し く描 か れ て い る 。 同 書 の 編 集 者 トブ シ ン は 「百 霊 廟 内 蒙 自治 運 動 始 末 」
(『内 蒙 文 史 』 第 二 十 九 輯,1987年12月)を 書 い て い る。 トブ シ ンは 南 京 政 治 学 校 蒙 蔵 班 で 学 び,蒙 政 会 教 育 処 で 勤 務 した 経 験 の 持 ち 主 で あ る。 こ の 一 文 は1963年4月5日(徳 王 釈 放 の5日 前)に 書 き 上 げ られ て お り,徳 王 の 回 顧 録 と比 較 ・対 照 す る こ とに よ って,ト ブ シ ン の 知 見 が 後 者 に い か
に 反 映 され て い る か を窺 うこ とが で き る 。 徳 王 の 回 顧 録 は トブ シ ン と の 合 作 と い う側 面 が あ り,こ の 一 文 と徳 王 の 回 顧 録 を 比 較 す る こ と に よ っ て,
両 者 の 相 互 関 係 を 知 る こ とが で き る 。
徳 王 の 内 蒙 高 度 自治 運 動 の 結 果,1934年4.月 に 蒙 古 人 の統 一 自 治 組 織 と して 百 霊 廟 蒙 政 会 が 成 立 す る が,1935年10月 の 第 三 回 蒙 政 会 委 員 会 総 会 で 徳 王 が 対 日協 力 路 線 を 明 確 にす る や,国 民 政 府 は 中 央 恭 順 派 の 盟 旗 を 結 集 して,1936年1月25日 に繧 境 蒙 政 会 の 設 置 を 命 令 し,百 霊 廟 蒙 政 会 の 分 裂 は 必 至 とな っ た 。 経 革 陳 「繧 境 蒙 政 会 始 末 記 」(『内 蒙 文 史 』 第 五 輯, 1966年2月)は,百 霊 廟 蒙 政 会 が 綴 境 蒙 政 会 と察 境 蒙 政 会 に 分 裂 して の ち,1945年 の 抗 日戦 争 勝 利 に 至 る まで の綴 境 蒙 政 会 の 概 況 を 記 して い る 。 1936年2月10日,対 日協 力路 線 を 歩 む 徳 王 が 蒙 古 軍 総 司 令 部 を 設 立 す るや,21日 に 蒙 政 会 内部 の 親 国 民 党 グル ー プ は,百 霊 廟 で 蒙 政 会 保 安 隊 の 暴 動 を 組 織 し,蜂 起 後 に 繧 遠 省 側 に 身 を 寄 せ た 。 しか し,傅 作 義 は 百 霊 廟 か ら脱 走 した 蒙 古 人 を 冷 遇 した た め,再 度 反 乱 を 起 こ した 。 任 乗鈎 「雲 継 先 部 隊 の 百 霊 廟 武 装 暴 動 の 経 緯 」(『内 蒙 文 史 』 第 五 輯,1966年2月)は,
こ の 苦 渋 に 満 ち た 武 装 暴 動 の経 緯 を,反 乱 参 加 者 の 視 点 か ら綴 っ て い る。
内 蒙 古 近 現 代 史 に お い て,内 蒙 自 治 運 動 は きわ め て 重 要 な 位 置 を 占 め て い る が,『内 蒙 文 史 』に 収 録 され て い る 史 料 は あ ま りに も少 な い と言 わ ざ る を え な い 。ま た,『 ドム チ ョク ドン ロブ 自述 』 の 第 一 章 「百 霊廟 蒙 古 自治 運 動 の 回顧 」 が ご く一 部 しか 公 表 され て い な い とい う点 を勘 案 す る 時,内 蒙 自治 運 動 の歴 史 は 新 中 国 の 内蒙 古 近 現 代 史 研 究 に お い て,な お 「禁 区 」(タ ブ ー)で あ る と い う事 情 を 窺 う こ とが で き る 。
近現 代 内蒙古 地域 史 の文献 研 究
皿 内蒙古 をめ ぐる 日中関係史
一 満 州 国 興 安 省
満 州 国 興 安 省 に 関 して は,日 本 人 の 回 顧 録 が 少 な い の で,中 国側 の回 顧 録 に よ っ て 補 う必 要 が あ る。 しか し,政 治 の 実 権 を 日本 人 に 握 られ て い る 状 況 に あ って,漢 族 ・蒙 古 族 の 回 顧 録 の 多 くは 植 民 地 支 配 の 非 人道 性 を暴 露 す る 史 料 と して の 意 義 が 認 め られ るが,被 支 配 者 と して の 見 聞 は考 察 範 囲 が 限 られ て お り,満 州 国 の 蒙 古 政 策 の 立 案 ・実 施 過 程 を 理 解 す る 上で の 史 料 と して は あ ま り役 に 立 た な い 。しか し,興 安 省 成 立 前 に 蒙 古 独 立 軍(の
ち,蒙 古 自治 軍)に 参 加 し,の ち に興 安 省 ・興 安 軍 に 参 加 した 蒙 古 人,お よび 興 安 軍 参 加 者 の 手 記 は,一 次 資 料 の 空 白 を埋 め る もの で あ り,史 料 と して の 価 値 が 高 い 。
『内 蒙 文 史 』に は,興 安 省 と関 連 した 各 種 の 史 料 が 収 録 され て い るが,そ の 多 くは 『偽 蒙 興 安 史 料 』(『内 蒙 文 史 』 第 三 十 四 輯,1989年12月)に 再 録 され て い る。本 書 の 内容 は 玉 石 混 清 で あ る が,興 安 省 成 立 初 期 の回 想 録, 興 安 軍 に 関 連 した い くつ か の 史 料,関 東 軍 第 五 三 部 隊 の 記 録 は 貴 重 で あ る。
本 書 の 構 成 は 次 の とお りで あ る。
ナ ム ハ イ ジ ャ ブ 「"泰来 会 議"の 前 後 」
ナ ム ハ イ ジ ャ ブ ・ダ グ ワオ スル 「"鄭家 屯会 議"の 回 想 」 ナ ム ス ラ イ ジャ ブ 「興 安 省 の 由来,変 遷,お よび そ の 組 織 機 構 」 高 純 徳 「興 安 東 省 概 況 」
ナ ム ス ラ イ ジャ ブ 「興 安 南 省 概 況 」 暴 有 山 「興 安 西 省 概 況 」
阿 必 徳 ・宝 徳 「興 安 北 省 概 況 」
ア ラ タ ・カ ンチ ョグ ス ・シ ャ ワ ン 「偽 満 州 国 協 和 会 」 ジ ョン ジ ュル ジ ャ ブ 「内 蒙 自治 軍 始 末 」
ラ シダ ワ 「興 安 軍 の 建 設 と変 遷 」
シ ャ ワ ン 「偽 鉄 石 部 隊 見 聞 」
ラ シダ ワ 「偽 満 州 国 第 五 三 部 隊 始末 」 張 維 栄 「興 安 南 警 備 軍 概 況 」
包 化 民 「興 安 陸 軍 軍 官 学 校 」
オ ネ ンル ト 「私 が 知 っ て い る偽 満 の 日本 士 官 学 校 へ の 派 遣 生 」
ナ ム ス ラ イ ジ ャ ブ 「興 安 総 省 お よび 王 爺 廟 地 区 の 警 察,憲 兵,特 務 機 構 」 唐 国 棟 「日本 ・偽 満 期 の 林 西 県 の軍 隊,憲 兵,特 務 組 織 の 概 況 」 田 恨 「満 州 里 の 警 察,憲 兵,特 務 機 構 の 概 況 」
内 蒙 政 協 文 史 弁 公 室 「偽 満 蒙 政 部 大 臣 チ ム トス ン プル 」 内 蒙 政 協 文 史 弁 公 室 「偽 満 国 務 院 興 安 局 総 裁 バ トマ ラ プ タ ン」
内 蒙 政 協 文 史 弁 公 室 「偽 満 興 安 総 局 総 裁 ジ ャ ガ ル ドル ジ 」 ジ ョン ジ ュ ル ジ ャ ブ 「"凌陞 通 敵 事 件"の 真 相 」
内 蒙 政 協 文 史 弁 公 室 「偽 興 安 南省 省 長 イ エ シ ハ シ グ免 職 事 件 」 除 波 ・包 彦 「"蒙地 奉 上"と"蒙 民 厚 生 会"」
蒼 書 勲 「日本 ・偽 満 期 の 兵 役 見 聞」
白 広 義 「私 が 知 っ て い る 偽 満 興 農 合 作 社 」 魏 連 雲 「銭 家 店 蒙 古 農 民 道 場 」
張 躍 庭 「興 安 水 産 株 式 会 社 」 王 魁 「満 州 国 の"新 学 制"の 回想 」
ナ ム ハ イ ジ ャ ブ 「偽 満 に 成 立 した ラ マ 宗 団 」 トム バ ラ 「カ ラ チ ン左 翼 後 旗 の ラマ 学 校 」
シャ ワ ン 「日本 侵 略 者 が 葛 根 廟 に伸 ば した 魔 の 手 」 李 志 武 ・周 義 「開 魯 の 阿 片 組 合 」
烏 秀 清 「鉄 蹄 下 の 歳 月 一 日本 侵 略 者 の カ ラチ ン 旗 に お け る 暴 政 の 記 録 」 ダ グ ワ オ ス ル 「カ ラチ ン 左 翼 後 旗 で 一 年 に 一 万 頭 の 牛 を 出 荷 した 記 録 」 呉 慶 麟 「日本 の 突 泉 県 で の"穀 物 出荷"」
谷 濾 浜 「ハ イ ラ ル の 日本 ・偽 満 の地 下 工 事 見 聞」
李 殿 文 「林 西 県 葉 来 蓋 に お け る関 東 軍 の 犯 罪 行 為 」
近現 代 内蒙 古地域 史 の文 献研 究 程 恩 英 「一 家 全 員 で 労 役 に 出 る 」
曹 徳 貴 「労 役 の 苦 難 は 語 り尽 くせ な い 」 ポ ル チ ョル 「日本 に お け る蒙 漢 労 務 者 」 李 万 貴 「偽 満 勤 労 奉 仕 隊 」
王 広 鈎 「開 魯 にお け る 日本 ・偽 満 の経 済 収 奪 」 李 長 春 「日本 侵 略 者 の 鉄 蹄 下 の ダ ラ イ ノ ー ル 炭 坑 」 陳 鐸 ・楊 玉 福 「田宝 屯 の ペ ス トの追 叙 」
醇 双 喜 「日本 ・偽 満 統 治 期 の オ ウ ェ ン コ族 の 苦 難 」
内 蒙 政 協 文 史 弁 公 室 「ノ モ ン ハ ン戦 争 に お け る 日本 軍 の 細 菌 戦 」 バ ト ・シャ ワ ン ・陳 泰 山 「中 村 事 件 一 チ ャ ル セ ン 鎮 の 災 難 」 フ フバ ー トル 「ノ モ ン ハ ン戦 争 臨 場 記 」
ジ ョン ジ ュル ジ ャ ブ 「ノ モ ン ハ ン戦 争 の 回 想 」
ナ ム ス ライ ジ ャ ブ ・トンバ ト 「ウ ラ ン ホ トの ジ ン ギ ス カ ン廟 」 陳 泰 山 「偽 満 興 安 地 区 重 要 人 物 の簡 単 な 紹 介 」
草 原 の牧 畜 民 に は教 育 の 機 会 が な く,政 治 的 観 念 を もち え な か っ た 。 他 方,漢 族 の 入 植 に よ っ て 農 耕 地 化 した 盟 旗 の 蒙 古 人 は,し だ い に 生 活 習 慣 が 漢 族 化 して い っ た が,教 育 の 機 会 に恵 ま れ た 。 内 蒙 古 の 民 族 主 義 運 動 の 原 動 力 とな った の は,農 村 出 身 で 都 市 で 教 育 を 受 け る機 会 を も っ た 蒙 古 知 識 青 年 で あ る 。 東 部 内 蒙 古 の 盟 旗 は か な りの 地 域 で 農 耕 地 化 が す す み,ジ ル ム 盟 ・ジ ョソ ト盟 出 身 者 は,民 国 期 以 降 の 蒙 古 民 族 主 義 運 動 で 大 き な足 跡 を 残 して い る。 徳 王 の 内 蒙 高 度 自治 運 動 を 支 えた 蒙 古 知 識 青 年 の な か に
も東 部 内蒙 古 の 出 身 者 が 多 い 。
ダ グ ワオ ス ル 「私 の 経 歴 と見 聞 」『内蒙 文 史 』第 三 十一 輯(1988年12月) は,ジ ル ム 盟 コル チ ン 左 翼 後 期 出 身 の 蒙 古 知識 青 年 が 辿 っ た 典 型 的 な 生 涯 の 記 録 で あ る 。 ち なみ に,ダ グ ワオ スル の 同 窓 で あ る包 海 明 は 徳 王 が 率 い る 蒙 古 軍 第 九 師 師 長 に な って い る。 ダ グ ワオ ス ル は1929年 に 北 京 大 学 に 入 学 す るが,そ れ ま で に 包 悦 卿 ・郭 道 甫 ・ガ ダ 梅 林 等 の 著 名 人 と交 わ って い る 。 ダ グ ワオ スル は北 京 で 雑 誌 『蒙 古 』 を編 集 し て 蒙 古 自決 の 主 張 を 展
開 した 。 満 州 事変 後,ダ グ ワ オ ス ル は 興 安 南省 で 警 佐 か ら警 務 庁 保 安 科 長 へ と出 世 し,さ ら に民 生 庁 長,コ ル チ ン 左 翼 後 期 旗 長,興 安 総 省 参 事 官 に 抜 擢 され,日 本 敗 戦 の 直 前 に は 大 同 学 院 に 入 学 して い る 。 日本 の 敗 戦 後, ダ グ ワオ スル は 東 蒙 自治 政 府 の樹 立 と解 散,内 蒙 古 自治 政 府 の 成 立 に 関 与 して い る 。
ジ ョ ン ジ ュル ジ ャ ブ 「私 の 半 生 の 回 顧 」(『内 蒙 文 史 』第 四 十 輯,1990年 12月)は,バ ブ ジ ャ ブ の 三 男 が 書 き 残 した 回 想 録 で あ る 。 ジ ョソ ト盟 トム
ト左 旗 出 身 の バ ブ ジ ャ ブ は 川 島 浪 速 の 満 蒙 独 立 運 動 に 協 力 した こ と で 有 名 で あ る 。 ジ ョン ジ ュル ジャ ブ は 若 い 頃 か ら 日本 人 の 庇 護 の も とで 教 育 を 受 け,日 本 の 陸 軍 士 官 学 校 を 卒 業 して の ち,1928年 に 満 鉄 鄭 家 屯 公 署 の 嘱 託 に な っ て い る。 満 州 事 変 が 勃 発 す る や,兄 の カ ン ジ ュ ル ジ ャ ブ と協 力 して 蒙 古 独 立 軍(の ち,蒙 古 自治 軍)を 組 織 し,満 州 国 興 安 省 が 成 立 す る や, 興 安 局 警 務 科 に勤 務 して の ち,治 安 部 警 務 司 検 閲 科 検 閲 股 長,騎 兵 上 校, 興 安 軍 管 区 参 謀 処 長,興 安 師 歩 兵 団 長,第 十 軍 管 区 参 謀 長 を歴 任 し,1945 年8月 に ソ連 軍 が ハ イ ラル に進 撃 す るや,関 東 軍 に 反 乱 を 起 こ して,ソ 連 軍 に 投 降 して い る 。
ワ ン ダ ン 「私 が 歩 ん だ 道 」(『内 蒙 文 史 』第 四 十 一 輯,1990年12月)は, コ ル チ ン左 翼 後 期 の 富 裕 な 家 庭 に 育 った 蒙 古 人 の 手 記 で あ る。 ワ ンダ ン は 満 州 国 警 備 軍 少 年 隊 に 入 隊 して 見 習 い 士官 とな り,ノ モ ンハ ン 事 件 で 九 死 に 一 生 を 得 て の ち,航 空 学 院 第 一 期 生 と して 入 学 し,通 遼 航 空 大 隊 で 操 縦 士 で あ った 時 に 日本 の 敗 戦 を迎 え た 。日本 の 敗 戦 後 は 中 国 共 産 党 に 入 党 し, 遼 藩 戦 役 の 際 に は 東 北 野 戦 軍 の 一 団 長 と して 作 戦 に参 加 して い る 。
二 蒙 古 軍 政 府(チ ャハ ル 盟 公 署)
1933年 以 降 の 関 東 軍 の 内蒙 工 作,察 東 特 別 自 治 区 ・チ ャ ハル 盟 公 署 ・蒙 古 軍 政 府 の 樹 立 過 程 に つ い て は,『 ドム チ ョク ドン ロブ 自述 』『李 守 信 自述 』 に か な り詳 しい記 述 が あ る。 前 者 は,蒙 古 民族 運 動 の リー ダ ー と して,百
近現 代 内蒙 古地 域史 の文 献研 究
霊 廟 蒙 政 会 が 関 東 軍 に 接 近 して い く過 程 を,お も に 政 治 的 側 面 か ら体 系 的 に叙 述 して い る 。 後 者 は,軍 事 問 題 の記 述 に 重 点 が 置 か れ,歴 史 の 推 移 を 論 理 的 に説 明 す る とい うよ り,錯 綜 した 人 間 関係 の 具 体 的 な 様 相 を 克 明 に 分 析 して お り,前 後 の 脈 絡 の 把 握 に難 が あ るが,そ の 緻 密 な 記 憶 力 は 驚 嘆 す べ き もの が あ る。
『偽 蒙 古 軍 史 料 』(『内蒙 文 史 』 第 三 十 八 輯,1990年8月)は,内 蒙 古 自 治 区 公 安 庁 か ら提 供 され た 資 料 に 基 づ い て 編 集 され て お り,チ ャ ハ ル 盟 公 署 設 立 か ら蒙 古 軍 政 府 樹 立 に 至 る 時 期 の 蒙 古 軍 成 立 の 経 緯,蒙 彊 政 権 期 の 蒙 古 軍,お よ び 抗 日戦 争 勝 利 後 の 蒙 古 軍 の変 遷 が 系 統 的 に説 明 され て い る。
本 書 は,通 常 は表 に 出 な い 公 安 史 料 を 用 い て お り,利 用 資 料 の 価 値 が きわ め て 高 い が,整 理 方 法 が 不 適 切 な た め,資 料 の 価 値 を 大 き く損 な っ て い る。
チ ャ ハ ル 盟 公 署 の 樹 立 に あ た って,国 民 党 系 蒙 古 人 呉 鶴 齢 ・白雲 梯 ・尼 冠 洲 が 参 加 した 。 しか し,尼 冠 洲 は 蒙 政 会 の 対 日協 力 と政 府 の 許 可 が ない チ ャ ハ ル 盟 公 署 の 樹 立 に 反 対 した ので,張 北 か ら の 帰 途 関 東 軍 特 務 機 関 に よ っ て 暗 殺 され た 。 ハ ス オ チ ル 「尼 冠 洲 の死 」(『内 蒙 文 史 』 第 六 輯,1979 年3月),焦 月 岩 「尼 冠 洲 被 害 の経 緯 」(『内 蒙 文 史 』 第 二 十 九 輯,(1987年 12月)は,尼 冠 洲 暗 殺 前 後 の 状 況 を記 して い る 。 前 者 は,蒙 政 会 に お け る 尼 冠 洲 の 立 場 を 明確 に 説 明 し,後 者 は,尼 冠 洲 殺 害 の現 場 の 状 況 を 具 体的 に 描 写 して い る。
王 英 は後 套 の水 利 開 発 を 推 進 した王 道 春 の 息 子 で,繧 西 の 秘 密 結 社 の ボ ス と して 有 名 で あ る。1936年11月 の 綬 遠 事 件 の 際,王 英 は 田 中隆 吉 参 謀 が 作 っ た 漢 族 謀 略 部 隊 で あ る 大 漢 義 軍 の 司 令 とな っ た 。1940年 初 頭 に駐 蒙 軍 が 五 原 作 戦 を実 施 した 際,王 英 は繧 西 聯 軍 を 率 い て 従 軍 して い る。 韓 祥 符 「王 英 一 生 の 罪 悪 活 動 」(『内蒙 文 史 』第 六輯,1979年3月)は,西 部 内 蒙 古 で悪 名 を轟 か せ た 王 英 の 数 奇 な生 涯 を 簡 潔 に記 して い る 。
綴 遠 事 件 で 大 漢 義 軍 が 察 北 か ら繧 東へ 進 出 す るや,傅 作 義 軍 は 蒙 政 会 の 本 拠 地 百 霊 廟 を急 襲 して 陥 落 させ た 。 当時,百 霊 廟 を 守 備 して い た の は, チ ャ ハル 出 身 者 で 組 織 した 蒙 古 軍 第 七 師(師 長 ム ク ドンボ)で あ る 。 ハ ス
オ チ ル 「ム ク ドン ボ の 軍 隊 編 成 と百 霊 廟 か らの 放 逐 の概 要 」(『内 蒙 文 史 』 第 二 十 九 輯,1987年12月)は,第 七 師 編 成 の 経 緯 か ら百 霊 廟 で の 敗 戦,
シャ ラ ム リン で 同 師 が 反 乱 軍 に よ っ て 武 装 解 除 さ れ た 経 緯 を 記 して い る。
三 蒙彊政権
1政 権 機 構
蒙 彊 政 権 は 蒙 彊 三 自治 政 府 の 時 期 と蒙 古 連 合 自 治 政 府 の 時 期 に 区 分 で き る。 『ドム チ ョク ドン ロブ 自述 』 『李 守 信 自述 』 は,蒙 彊 政 権 の 全 時 期 に つ い て 詳 細 な 記 述 を お こな っ て い る。 前 者 は,蒙 古 の 独 立 ・建 国 問 題 を縦 糸 と して,徳 王 が 蒙 彊 政 権 の な か で 果 た した 役 割 を,お もに 政 治 的 側 面 か ら 体 系 的 に論 じ て い る 。 後 者 は,政 治 的 理 念 が ま った く欠 落 して い る が,軍 事 問 題 を 中 心 と して,蒙 彊 政 権 を 支 え た 周 辺 の 人 び との 動 き を詳 細 に 分 析
して い る。
奇 天 祥 「蒙 彊 政 府 時 代 の 回 想 」(『内 蒙 文 史 』 第 五 輯,1966年2月)は, 蒙 古 連 盟 自治 政 府 の 成 立 後,イ ク ジ ョウ 盟 の 一 部(ジ ュ ン ガ ル 旗 ・ダ ラ ト 旗 ・ハ ン ギ ン 旗)が 蒙 彊 政 権 の 影 響 下 に 入 っ て か ら,1945年8月 に 同 政 権 が 崩 壊 す る ま で の オ ル ドス地 域 の 軍 事 ・政 治 機 構 の 変 遷 を 概 観 して い る 。 白 光 遠 「偽 蒙 古 連 盟 自治 政 府 の 拾 遺 」(『内 蒙 文 史 』第 二 十 九 輯,1987年12 月)は,蒙 古 連 盟 自治 政 府 成 立 直後 の 行 政 機 構 ・主 要 人 事 を 簡 単 に紹 介 し て い る 。張 永 昌 「偽 蒙 彊 政 府 政 務 院 雑 記 」(同 上 書)は,蒙 古 連 盟 自 治政 府 政 務 院 長 呉 鶴 齢 の 秘 書 の 回 顧 録 で,日 本 人 に よ っ て 実 権 が 握 られ て い る 状 況 下 で,政 務 院 の 執 務 が ど の よ うにすす め られ て い た か に つ い て述 べ て い る。
2憲 兵 ・特 務 ・警 察
張 問 之 「日本 侵 略 者,お よび 偽 蒙 彊 政 府 の 特 務,警 察 機 関 」(『内 蒙 文 史 』 第 十 五 輯,1984年12月)は,関 東 軍 の 内 蒙 工 作 か ら蒙 彊 政 権 期 に い た る 日本 の特 務 機 関 ・憲 兵 隊 ・警 察 の機 構 を 概 観 して い る。 李 士栄 「日本 侵 略
近 現代 内蒙 古地 域 史の 文献 研究
者 の 殺 人 の 魔 の 手 一 包 頭 日本 憲 兵 分 隊 」(『内 蒙 文 史 』 第 二 十 六 輯,1987年 12月)は,包 頭 憲 兵 分 隊 の 内部 機 構 を詳 し く説 明 す る と と もに,抗 日活 動 摘 発 の事 例 を い くつ か 紹 介 して い る。 李 士 栄 「貿 易 活 動 に よ って 仮 装 した 日本 特 務 組 織 一 束 公 記 貨 行 」(『内蒙 文 史 』第 二 十 九 輯,1987年12月)は, 1940年 に 国 民 政 府 統 治 下 の 西 北 地 域 に 対 す る 諜 報 活 動 の た め に包 頭 で 設 立 され た 貿 易 会 社 の 機 構 と活 動 の 概 況 を 紹 介 して い る 。
3蒙 古 軍
李 守 信 は 蒙 彊 政 権 の 蒙 古 軍 総 司 令 で,彼 の 回 顧 録 は そ の 内実 を詳 し く描 き 出 して い る 。 蒙 古 軍 の ナ ンバ ー2は 烏 古 廷 で あ り,注 龍 田 ・呉 紫 雲 「烏 古 廷 が 日本 偲 儲 に 身 を 投 じ た 前 後 」(『内蒙 文 史 』 第 二 十 九 輯,1987年12 .月)は,1933年 の熱 河 作 戦 後 に 李 守 信 軍 に 身 を 投 じ て か ら1945年 の 蒙 彊 政 権 崩 壊 ま で の鳥 古 廷 の事 跡 を概 観 して い る。 ボ ヤ ンマ ン ド 「偽 蒙 彊 の 軍 事 幼 年 学 校 」(同 上 書)は,1940年 に 西 ス ニ ト旗 に 設 け られ た 蒙 古 軍 幼 年 学 校 の 設 立 か ら,1945年8月 の ソ蒙 軍 の 対 日参 戦 直 後 の幼 年学 校 生 徒 蜂 起 に い た る 経 緯 を論 じて い る。 胡 ・バ ジ ル 「偽 蒙 古 軍 自 動 車 隊 史 の 断 片 」(同 上 書)は,1938年 に設 立 され た 蒙 古 軍 自動 車 隊(厚 和 総 隊 ・平 地 泉 分 隊 ・ 包 頭 分 隊)の 組 織 の 概 略 と1945年 に お け る 解 体 ま で の 活 動 に つ い て 述 べ て い る 。
4抗 日救 国 運 動 と民 衆 弾圧
最 徳 俊 「偽 蒙 彊 時 期 の 一 大 流 血 事 件 」(『内蒙 文 史 』 第 七 輯1982年10 月)は,1940・1943年 に 厚 和 憲 兵 隊 が 抗 日救 国 会 関 係 者 に 加 え た 大 弾 圧 事 件 を 詳 し く回 顧 して い る 。 彰 謙 「偽 蒙 彊 時 期 に 日本 侵 略 者 が 大 同 知 識 界 に 加 え た残 酷 な迫 害 」(『内 蒙 文 史 』 第 二 十 六 輯,1987年12月)は,1941・
1942年 に 大 同 憲 兵 隊 が 教 育 関係 者 に 対 して お こ な っ た 迫 害 事 件 の生 還 者 に よ る 回 想 で あ る。 齊 寿 康 「血 と泪 の思 い 出 一 日本 侵 略 者 に よる 包 頭 抗 日救 国 会 の 逮 捕 ・殺 害 事 件 」(同 上 書)は,1939年 末 の 傅 作 義 軍 の包 頭 城 内 進
入 事 件 後,1940年 に 包 頭 憲 兵 隊 に よ って 抗 日救 国 会 メ ン バ ー に 加 え られ た 大 規 模 な摘 発 事 件 を 回 想 して い る 。閻 継 激 「繧 遠 抗 日救 国 会 の 活 動 」(同 上 書)は,1939年 秋 に 中共 繧 遠 省 委 員 会 に よ っ て 組 織 され た 繧 遠 抗 日救 国会 の発 展 状 況,お よび1940年 の厚 和 憲 兵 隊 に よ る 弾 圧 に つ い て 回想 して い る。
5教 育
トブ シン 「偽 蒙 彊 教 育 の 回 想 」(『内 蒙 文 史 』 第 七 輯1982年10月)は, 蒙 彊 政 権 の教 育 責 任 者 に よ る 回 顧 録 で あ り,そ の 教 育 行 政 ・教 育 方 針 ・学 制 ・教 科書 編 纂 ・蒙 古 留 学 生 派 遣 ・日本 の 教 育 政 策 等 につ い て 論 じ て い る 。 徐 志 明 「蒙彊 学 院 略 述 」(『内蒙 文 史 』 第 二 十 九 輯,1987年12月)は,蒙 彊 政 権 の官 吏 養 成 の た め の高 等 教 育 機 関 で あ る蒙 彊 学 院 につ い て,そ の 設 立 の経 緯,教 職 員 の 構 成,授 業 内 容 等 に つ い て 論 じて い る。 こ の 回 顧 録 は, 同 学 院 の 教 育 方 針 に は 「親 日防 共 」 「日蒙 親 善 」 「民 族 協 和 」 が 貫 徹 され,
「皇 軍 」 の 赫 々 た る 戦 功 の 発 揚 が 目的 で あ る と位 置 づ け て い る 。
6ラ マ 教
内蒙 古 の各 盟 旗 で は,ラ マ 教 が 広 く信 じ られ て お り,駐 蒙 軍 は ラマ 教 を 利 用 して 蒙 古 人 を て な ず け よ う と した 。 巴靖 秀 「五 当 召 の 仮 装 した 日本 の
ラマ が チ ベ ッ トへ 赴 こ う と して捕 ま った 経 緯 」(『内蒙 文 史 』第 十 五 輯1984 年12月)は,繧 西 に 駐 屯す る 国 民 党軍 将 校 に よ る 当 時 の 風 聞 の 回 想 で,二 人 の 日本 人(木 村 肥 佐 生 ・西 川 一 三)の チベ ッ ト行 き の 消 息 を伝 え て い る 。 雲 昌秀 「五 当 召 の"日 本 ラマ"」(同 上 書)は,同 じ内 容 を 別 の 角 度 か ら紹 介 して い る 。 ボ ヤ ン ク 「日 本 ・偽 蒙 期 の 徳 化"ラ マ 訓 練 所"」 『内 蒙 文 史 』 第 二 十 九 輯(1987年12月)は,1942年 か ら1944年 に か け て,徳 化 特 務 機 関 が 対 モ ン ゴ ル 情 報 工 作 の た め に 設 けた 青 年 ラ マ の 教 育 訓 練 機 関 に つ い て 紹 介 して い る 。
近 現 代内 蒙古地 域 史の文 献研 究 7公 営 賭 場
蒙 彊 政 権 の 各 市 ・県 で は,財 政 収 入 をふ や す 手 段 と して,公 営 賭 場 が お お っぴ らに 開 設 され て い た 。 徳 王 と李 守 信 の 回顧 録 は い ず れ も 公 営 賭 場 に つ い て 論 及 して お り,李 守 信 は 自分 の 部 下 が これ に 深 く 関 与 して い た 状 況 を 証 言 して い る。 韓 相 符 「罪 悪 の 深 淵 一 日本 ・偽 蒙 が 包 頭 で 開 設 した 東西 ク ラブ 」(『内 蒙 文 史 』 第 二 十 六 輯,1987年12月)は,1938年 に 包 頭 で 蒙 古 軍 が 作 った 東 ク ラブ と寄 老 会 が 作 った 西 ク ラ ブ に つ い て,そ の 経 営 内 容 を 具 体 的 に 紹 介 して い て 興 味 深 い 。 張 漢 臣 「日本 ・偽 蒙 期 の"ク ラ ブ"一 公 営 賭 場 の 見 聞」(同 上 書)は,関 東 軍 の集 寧 占領 後 に 同 地 で 公 然 と看板 を 掛 け て 営 業 を開 始 した ク ラ ブ につ い て 紹 介 して い る 。
N内 蒙軍事史
一 綴 遠 抗 戦
1936年11月 に 田 中 隆 吉 参 謀 と徳 王 が 引 き 起 こ し た+..遠事 件 は,中 国 で は 繧 遠 抗 戦 と呼 ば れ て い る。1935年6月 の 土 肥 原 ・秦 徳 純 協 定 の締 結 後, ほ とん ど抵 抗 もな く察 北 を 支 配 下 に収 め た 田 中 参 謀 は,関 東 軍 の 精 神 的 支 援 の も とで,大 漢 義 軍(漢 族 謀 略 部 隊)と 蒙 古 軍 の 力 で 繧 遠 を 容 易 に 奪 取 で き る と夢 想 した が,繧 遠 省 政 府 主 席 傅 作 義 は 優 勢 な 兵 力 を集 中 して 大 漢 義 軍 の ホ ン ゴル ト攻 撃 を 撃 退 し,さ ら に蒙 政 会 の 本 拠 地 百 霊 廟 を 陥 落 させ た。 傅 作 義 軍 は 容 易 に 察 北 を 回 復 で き る軍 事 力 を 保 持 して い た が,蒋 介 石 の強 力 な 指 導 に 従 っ て,土 肥 原 ・秦 徳 純 協 定 を遵 守 し,蒙 古 軍 政 府 の 支 配 地 域 に 進 攻 しな か っ た 。
繧 遠 抗 戦 に つ い て は,『 内蒙 文 史 』第 六 輯(1979年3月),第 十 四 輯(1984 年12月)に 数 編 の 回 想 記 が 掲 載 され て い る が,『 綴 遠 抗 戦 』(『内 蒙 文 史 』 第 二 十 五 号,1986年12月)に そ の大 半 が 再 録 され て い る。 本 書 の 構 成 は 次 の とお りで あ る 。
傅 作 義 「繧 遠 抗 戦 の 経 過 の 詳 しい記 録 」 董 其 武 ・孫 蘭 峰 「一 九 三 六 年 繧 遠 抗 戦 始 末 」 王 雷 震 「三 十 五 軍 繧 遠 抗 戦 」
張 培 勲 「ホ ン ゴ ル ト防 衛 戦 」 郭 根 深 「繧 東 ホ ン ゴ ル ト戦 役 紀 実 」 韓 春 生 「ホ ン ゴ ル ト戦 役 中 の 騎 兵 第 一 軍 」 郭 喩 「ホ ン ゴ ル ト防 衛 戦 簡 況 」
富 廷 璽 「二 回 の ホ ン ゴ ル ト防 衛 戦 の 見 聞 」
武 殿 林 「ホ ン ゴ ル ト戦 役 で 活 躍 した 蒙 古 族 騎 兵 部 隊 」 王 謙 「軍 民 共 同 で ホ ン ゴ ル トを守 る 」
李 忠 孚 「ホ ン ゴ ル ト戦 役 前 後 」 孫 長 勝 「百 霊 廟 戦 役 親 歴 記 」 劉 数 曽 「百 霊 廟 戦 役 の 回 想 」 孟 昭 第 「百 霊 廟 の 大勝 利 」
韓 天 春 「女 児 山 を 攻 略 し,百 霊 廟 を 回 復 」 張 振 耀 「百 霊 廟 と大 廟 を 回 復 した 経 緯 」 令 孤 理 「百 霊 廟 回復 の 回 想 」
陳 済 徳 「北 国 の 戦 場 で 招 聰 に 応 じ る 」 勒 書 科 「百 霊 廟 抗 日戦 役 前 後 」
劉 春 方 「繧 遠 抗 戦 中 の 傅 作 義 将 軍 と 日本 特 務 との 闘争,お よび{鬼儲 軍 を 寝 返 らせ た 経 緯 」
百 霊 廟 攻 略 作 戦 に 参 加 した 主 力 は,第 三 十 五 軍 の騎 二 旅(旅 長 孫 長 勝) お よび ニ ー 一 旅(旅 長 孫 蘭 峰)で あ る。 山 東 省 縢 州 政 治協 商 会 議 文 史 資 料 委 員 会 が 編 集 した 『愛 国 将 軍 孫 蘭 峰 』(中 国 文 史 出 版 社,1993年10月)は, 孫 蘭 峰 本 人 お よ び 彼 の 部 下 達 の 回 想 録40編 を 収 録 して い る。 同 書 は,繧 遠 事 件,盧 溝 橋 事 件 後 の抗 日戦 争,全 国解 放 戦 争 に お い て,孫 蘭 峰 が 綴 遠 地 域 で 果 た した 軍 事 的 役割 に つ い て,多 角 的 に論 じて い る。
近現 代 内蒙古 地域 史 の文 献研 究 二 国民党の抗 日戦争
1抗 戦 初 期
盧 溝 橋 事 件 後,戦 火 が 華 北 全 域 に 及 び つ つ あ っ た 頃,傅 作義 の 第 三 十 五 軍 主 力 は,南 口か らチ ャ ハ ル ・晋 北 へ と転 戦 して お り,本 来 の 駐 屯 地 域 で あ る 繧 東 の 守 備 は 手 薄 で あ っ た 。 韓 伯 琴 「抗 戦 期 傅 作 義 部 隊 の 繧 遠 撤 退 と 太 原 で の 敗 北 」(『内 蒙 文 史 』 第 六 輯,1979年3月)は,当 時 の 傅 作 義 軍 の 困 難 な状 況 を 回想 して い る 。韓 伯 琴 「繧 東 抗 戦 の 回 想 の 断 片 」(『内 蒙 文 史 』 第 十 六 輯,1985年12月)は,関 東 軍 蒙 彊 兵 団 に 攻 略 され た 豊 鎮 ・集 寧 の 傅 作 義 軍 の 内情 を 伝 え て い る。 干 鶴 齢 「劉 桂 五 将 軍 殉 国 記 」(同 上 書)は, 安 北 付 近 で 戦 死 した 騎 六 師 師 長 劉 桂 五 の 戦 死 状 況 を 記 して い る。王 雷 震 「三 十 五 軍 四 二 二 団 抗 日戦 士 英 名 録 」(同 上 書)は,太 原 陥 落 後,繧 遠 南 部 に 挺 身 した 第 三 十 五 軍 が1938年4・5月 に 第 二 十 六 師 団 と交 戦 した 模 様 を 記 し て い る。
馬 占 山 は 満 州 事 変 後 の 反 満 抗 日運 動 で 有 名 で あ り,何 度 も戦 死 が 報 じ ら れ た が,盧 溝 橋 事 件 後 に綴 東 抗 戦 に 参 加 して そ の 健 在 ぶ りを示 した 。 奇 天 祥 「八 年 抗 戦 中の 東 北 挺 身 軍 」(『内蒙 文 史 』第 二 十 二 輯(1987年1月)は, 繧 東 か ら黄 河 南岸 へ と転 戦 して の ち,1945年 ま で の 馬 占山 と東 北 挺 身 軍 の 顛 末 を 紹 介 し て い る。 杜 海 栄 「馬 占 山 将 軍 が 繧 遠 で 抗 戦 した 経 緯 」(同 上 書)は,馬 占山 の 東 北 挺 身 軍 が 繧 遠 で お こ な っ た 各 戦 闘 を簡 単 に 纏 め て い る。
宋 幸 修 「抗 戦 初 期 察 繧 転 戦 の 経 緯 」(『内 蒙 文 史 』 第 二 十 六 輯,1987年12 月)は,趙 承 綬 騎 兵 第 七 師(中 央 軍)の 参 謀 長 の 手 記 で あ る。 盧 溝 橋 事 件 後,騎 七 師 は 蒙 古 軍 政 府 が 支 配 す る徳 化 ・商 都 ・張 北 へ 侵 攻 した が,関 東 軍 東 条 兵 団 ・蒙 古 軍 に逐 わ れ て 繧 西 に退 却 し,1938年 春 に 繧 遠 南 部 で 第 二 十 六 師 団 と交 戦 し た。 この 回 顧 録 は こ れ らの 交 戦 記 録 で あ る 。 郭 夢 龍 「二 十 九 軍 と宋 哲 元 将 軍 の 回 想 」(『内 蒙 文 史 』第 三 十 三 輯,1988年12月)は,
1931年 の 第 二 十 九 軍 建 軍 以 来 の 同 軍 と宋 哲 元 の 動 向 を 時 系列 的 に考 察 して お り,そ の 末 尾 で 盧 溝 橋 事 件 後 の 同 軍 の 作 戦 の概 要 を 説 明 して い る。
2r,.南 ・包 頭 ・五 原 戦 役
1938年4・5月,晋 西 北 か ら出 撃 した傅 作 義 軍 ・騎 七 師 は 繧 遠 南 部 の 第 二 十 六 師 団 守 備 地 域 へ の 攻 勢 を開 始 し,同 師 団 捜 索 隊 の 騎 兵 中 隊 は 壊 滅 的 打 撃 を被 っ た 。 王 雷 震 「三 十 五 軍 が 繧 南 へ 挺 身 した 戦 役 」(『内 蒙 文 史 』 第 十 六 輯,1985年12月),張 進 修 「回 憶 繧 南 抗 戦 」(同 上 書),孫 蘭 峰 「一 九 三 八 年繧 南戦 役 概 述 」(『内 蒙 文 史 』第 二 十 二 輯,1987年1月),杜 柄 文 「r 南 戦 役 後 の 日本 ・偽 蒙 軍 の 暴 行 」(同 上 書)は,こ の 繧 南 戦 役 を 回 想 して い る。 孫 蘭 峰 は 第 ニ ー 一 旅 旅 長 と して 作 戦 に 参 加 して お り,同 戦 役 を 要 領 よ く纏 め て い る が,そ の 戦 果 の 評 価 は 過 大 で あ る。
1939年12月,第 八 戦 区 副 司 令 長 官 傅 作 義 は 国 民 党 軍 の 冬 季 攻 勢 の 一 環 と して 包 頭 攻 略 を 計 画 し,陽 動 部 隊 を使 って 騎 兵 集 団 主 力 の 装 甲部 隊 を 他 地 域 へ 誘 き 出 して の ち,包 頭 市 内 へ 部 隊 を 突 入 さ せ,数 日間 同 市 の 半 分 を 占拠 した 。 こ の 作 戦 で 面 子 を 失 っ た 駐 蒙 軍 は,1940年 初 春 に 二 回 の 五 原 作 戦 を 実 施 して 五 原 を 占拠 した 。 五 原 か ら計 画 的 に 撤 退 した 傅 作義 軍 は,駐 蒙 軍 が 撤 退 して の ち,蒙 彊 政 権 の 警 察 隊 ・蒙 古 軍 の 弱 体 な 兵 力 が 守 備 す る 五 原 を 急 襲 した 。 この 知 らせ を 受 け た 駐 蒙 軍 は 再 度 主 力 部 隊 を動 員 して 五 原 を 占領 した が,短 期 間 で 同 地 か ら撤 退 した。 こ の五 原 作 戦 は 無 益 な 作 戦 で,傅 作 義 側 ・日 本 側 と も に大 き な 打 撃 を 被 り,こ れ 以 後1945年 に 至 る ま で,傅 作 義 軍 と 駐 蒙 軍 との 間 で は 実 質 的 な 停 戦 状 態 が 続 い た 。 包 頭 ・五 原 作 戦 に つ い て は,以 下 の 回 想 録 が あ る 。
安 春 山 ・宋 海 潮 「抗 日戦 争 中 の包 頭,纏 西,五 原 三 戦 役 後 の 回 想 」(『内 蒙 文 史 』第 七 輯,1982年10月)。 張 漢 三 「水 川 伊 夫 中 将 射 殺 の 目撃 記 」(同 上 書)。 董 其 武 「包 頭 ・繧 西 ・五 原 の抗 日三 戦 役 の 回 想 」(『内 蒙 文 史 』 第 十 六 輯,1985年12月)。 衰 慶 栄 「傅 作 義 将 軍 の繧 西 整 軍 と抗 戦 の 若 干 の 回 想 」(同 上 書)。 斬 書 科 「傅 作 義 部 隊 の 包 頭 攻 略,緩 西 会 戦,五 原 で の敵'c 滅 の経 緯 」(同 上 書),魯 楽 山 「私 が 体 験 した 包 頭 進 攻 戦 役 」(同 上 書)。 孫 英 年 「我 が経 験 し た 包 頭,五 原 戦 役 」(同 上 書)。 王 五 典 「繧 西 抗 戦 の 回 想 」
(同 上 書)。 孫 蘭 峰 「五 原 戦 役 の 回 想 」(『内 蒙 文 史 』第 二 十 六 輯,1987年12