奈良教育大学学術リポジトリNEAR
学級にケアを生み出す教育実践の検討 −授業にお ける「教師‑子ども」間のかかわりをケアの視点で 省察する試み−
著者 山? 秀紀
雑誌名 奈良教育大学教職大学院研究紀要「学校教育実践研
究」
巻 6
ページ 39‑44
発行年 2014‑03‑28
URL http://hdl.handle.net/10105/9876
1. 問題と目的 1.1. 問題の所在
近年の日本の子どもや若者に対し、「規範意識が 希薄である、責任感が乏しい、思いやりに欠ける、対 人関係が苦手である」等を指摘する声は少なくない。
この要因として、「家庭と地域の育ちの環境の大き な変化の中で、これまで生活の中で育まれてきた力 が育たなくなっている」ためであると汐見(
2010
) は言及している。文部科学省生涯学習政策局の報告(
2010
)によれ ば、「かつての日本の社会では、子どもたちは家庭 や地域の生活の中で、あるいは子どもたち自身の社 会集団や遊びの中で、必要な規範や行動能力を身に つけてきた。例えば、買い物や家事の手伝いによっ て、子どもたちは、自然に社会性や粘り強さ、責任 感を身につけたり、外で自在に遊ぶことで、親が知 らない間にも、創造力や自主性、集団規範などの基 本的な力を身につけることができた。しかしながら、現代の家庭の教育は、そうした社会的な支えを失い、
孤立した個々の家庭の中で、親が個別責任において 育てるものとなってしまっている」と述べ、昨今の 家庭や地域における教育の不安定さを指摘した。
このような現状において、家庭・地域の教育力や その役割に代替する子どもとのかかわりを「学校教 育」の枠組みの中で求める声が目立つようになった。
国立教育政策研究所の生徒指導・進路指導センター 総括研究官である滝(
2011
)は、家庭・地域の教 育力の低下をふまえた学校の対応として、「生命の 危機に脅えることなく、安心かつ安全な日々を過ご し、その中で他から愛される、また、他を愛する体 験」を学校で提供することを求めた。児童生徒の自 発的・主体的な成長・発達を促す教育的かかわりを 学校及び全教職員に改めて問いなおしてほしいと訴 えたのである。ここまでは、家庭・地域・学校をとりまく状況に
ついて述べた。次に、教育活動の中心にある「授業」
の場面における近年の動向を見ていく。現行の学校 現場において「協働学習」や「対話的コミュニケー ション」を基軸とした学びの在り方が広く浸透して いると言ってよいだろう。佐伯(
1995
)は「学習 とは基本的に“
自分さがし”
であり、“
アイデンティ ティ形成”
(自分とは何者であるかが自覚的に明確 になること)である」と述べており、そのアイデン ティティ形成には、「自分を受容するセルフ・エス ティーム」と「他者からの承認」が不可欠であると 指摘している。つまり子どもが学びの主体となるそ の土台には、親などの他者(自分以外の人)から全 面的に存在を受けとめられる経験を十分に満たして いることが必要であることは明らかである。逆に述 べると、学校における授業を通して他者から受けと められる経験を蓄積し、学びの主体へと育てていく という観点が、昨今の学びの在り方であると言えよ う。以上のことから、次の2点が重要であると考えら れる。1点目に、家庭や地域で保障されにくくなっ てきている現下の社会情況において、学校教育の中 で子どもが愛情を授受するような経験が必要である こと。2点目に、それを実現する教師の子どもに対 するかかわり方を問いなおし、子どものニーズ(自 己を受容するセルフ・エスティームや他者からの承 認)を満たすものへと質的に高めていくことが求め られていること、である。
ここまで述べてきたような現代の社会情況の中 で、齋藤勉(
2004
)は「現代社会では、他者に全 面的にかかわらなくても生きていくことができるよ うになり、子どもたちは家庭や地域の大人の愛情に よってケアされる経験が保障されなくなった」と指 摘し、「このような高度消費大衆社会、情報社会、少 子社会などが進展するなかで、学校も、授業も、従 来通りではやっていけない。学校観、学校論、学校-授業における「教師 - 子ども」間のかかわりをケアの視点で省察する試み-
山㟢 秀紀 Hideki Yamazaki
奈良教育大学大学院教育学研究科教職開発専攻
School of Professional Development in Education
、Nara University of Education
の動かし方、授業観、授業の流し方などは再検討し、
再構築する段階に至っている」と述べ、学校教育の 大部分を占める授業において「ケアリング」を問う 必要性を論じている。
また「学びの共同体」を提唱する佐藤学(
1995
) においても、従前よりこの「ケアリング」を基軸と した教育の文化の問いなおしを図ってきた。「生産」と「消費」と「支配」と「競争」に従属してきた学 校の制約を乗り越え、「ケアリング」の原理で構成さ れた新しい学校の構想を試み続けている。
1.2. 研究の目的
日常生活はさまざまな関係に満ちあふれ、またそ れらの関係によって成り立っている。このような多 くの関係から構成されている日常の些細な出来事と 同時に、特定の状況における個別具体的な人間独自 の現実的なあり方を説明するのに最適な概念の一つ が「ケア」の概念である(安井
2012
)。また、この「ケア」の概念を、一人称の行為や志向に留めずに、
二人称の「相手」や三人称の「誰か」「何か」との 関係の中でケアをとらえ、「人と人とのかかわり方」
や「関係性の中の人の在り方」を包含するとらえ方 を特徴とする「ケアリング」という概念がある。本 稿においては、関係性の中でかかわり方をとらえる ため、特に「ケアリング」に焦点を当てて述べる。
この概念を切り口に、
20
世紀半ば頃から現在に至 るまでケアに関する多様な議論がなされている。と りわけ、1980
年代以降においては、医療・看護・福 祉・保育といった「ヒューマン・サービス」と呼ば れる分野を中心に、ケアに対する学際的な先行研究 が見受けられる。そして近年、この「ケアリング」の概念が、教育 学の分野においても取り入れられるようになってき ている。教育の分野におけるケアリングへの言及の 歴史を遡ると、
20
世紀の初頭、ジョン・デューイが、教育と民主主義の協同を主張し、その中で、人間の 根源的なかかわりの概念であるケアリングについて の必要性を述べている。しかし、生きることの本質 的とも言える「ケアリング」の概念の曖昧さ、解釈 可能性の広さからも、現実の教育に具体的に位置づ けたり定義づけたりすることをしなかった。しかし、
時代の変遷とともに教育の現場に「ケアリング」を 必要視する主張が増え始め、その代表格である哲学 者・教育学者のネル・ノディングズは、「私たちは、
すべての子どもたちを有能さ(
competence
)にむけ てだけでなく、ケアすることにむけても教育すべき である。私たちの目的が、すべての子どもたちを有 能で、ケアをし、愛情に満ち、愛される、そうした 人に成長するよう促すことに置かれるべきである」と述べ、ケアリングの視点で教育を問いなおすべき
だと述べている。
そこで、前節までに述べてきたような社会情況 において必要とされる、この「ケアリング」の概念 を主軸とした、教師の「子どもとのかかわり方」と は一体どのようなものなのかについて、検討したい。
その際、ケアの学際的な研究を拠り所とするために、
ヒューマン・サービスの各領域において先行するア プローチの仕方を取り入れた考察を行うこととする。
よって本研究は、教育現場の中に「ケアリング」
の視点を持ち込み、実践する中で、「教師
–
子ども」間における「人とのかかわり方」に新たな示唆を得 ることを目的とする。
2. 文献研究
2.1. ケアリングの基本的概念
プログレッシブ英和辞典[第
5
版]によると、ケ ア(care
)についての日本語訳として、世話、看 護、養護、介護、介助、注意、用心、留意、心づか い、心配、気苦労、気づかい、不安、懸念、気がか り、手入れ、維持管理とされる。また、ケアリング(
caring
)は、形容詞としては同情心のある、人を思 いやる、親切な、世話をするなどの訳が用いられる。名詞としては、いたわること、親切さ、世話などで ある。
仲島(
2007
)が指摘するように、研究者間で一致 したケアリングの定義は見られない。そこで、主要 な先行研究から、ケアリングについての概念整理を 行っていきたい。ここで参考とする「主要な先行研 究」の判断は、現代教育学事典(2012
)で代表的な ケア研究者として位置づけている、キャロル・ギリ ガン、ミルトン・メイヤロフ、ネル・ノディングズ の3人の哲学者・教育学者による言説を根拠とする。尚、本研究はケアリングの基礎的概念研究を目的と しないため、安井(
2010
、2011
、2012
)によって 整理された概念を中心に、本報告における概念整理 を行っていくこととする。まず、1人目に、フェミニスト倫理学者のギリガ ンにおけるケアリングの概念を安井は以下のように 整理している。彼女によると、ケアリングの倫理と は、「人とのつながりや相互の責任を重視しながら 他者の苦悩に応答していくことである」とし、その 特徴は「人を見捨てず、阻害せず、孤立させないこ と」である。女性の特徴として、道徳的ジレンマに 対して個人的な愛情に応答して、他者を受容すると いう傾向があるという。彼女の言説によって、「理性 的で客観的な正義の倫理」と「関係的で心情的なケ アリングの倫理」が対置されたと言える。
2人目は、メイヤロフを取り上げる。メイヤロフ は、ケアリングを「ケアするひと」の視点から論じ た。彼によれば、「ケアリングは他者の成長や自己実
山㟢 秀紀
現を助けることであり、その行為を通してケアされ る人はもちろん、ケアする人も成長する」と述べた 点に特徴がある。「その人の世界を、あたかもその人 のように理解し、その人にとっての成長を助けると いう「専心」がケアの本質であると主張する。
3人目は、先述するノディングズである。彼女は ケアリングを「関係論的」にとらえ、その特徴を2つ の側面から説明した。1点目は「専心没頭」で、「ケ アするひとが個人的状況において、自己の準拠枠を 超えてケアされる人に全面的に注意を傾け、自分自 身の中に相手を受け入れること」を意味する。2点 目は「動機づけの転移」で、「ケアするひとが、自分 の関心事から離れて相手の身になって相手の問題に かかわること」である。尚、目の前にニーズに心を 奪われるような状態のこのときケアの動機はもはや ケアする側ではなく、ケアされる側にある。つまり
「
I must
」と「I want
」が同義にとらえられる「自 然的なケアリング」である。また、これに対し「倫 理的なケアリング」がある。ケアをしなければなら ないという状況はあってもしたくはないという、「I must
」という応答である。それでもなお、ケアする ことができるのは、これまで「ケアし、ケアされて きた私たちの記憶」が、ケアリングの源泉となって いるためである。すなわち、その人にとっての「今」のケアリング体験は、「未来」に向けてのケアリング の行為者へとその可能性を内包している。
2.2. 本研究におけるケアリングの観点
ここまで整理してきた中で、ケアをとらえるキー ワードとして3つの観点が見えてきた。①応答性、
②専心、③主体が立つ、の3つである。①応答性と は、先述のノディングズのニーズ論にあるように、
存在のニーズに応答するということである。②専心 とは心を空にしてありのままの存在に入り込むこと、
③主体が立つとは、自分の責任と判断とによってか かわることであり、主体としての自分の姿が立ち現 れている状態になっていることである。
3. 実践研究 3.1. 研究仮説
研究仮説として以下を掲げる。
3.2. 方法
授業におけるケアリングを抽出する際に、より その実質的な手がかりを得るため、これまで看護の 領域で先行研究を積み重ねられている手法を援用し、
「プロセスレコード」を用いることとする。これは、
看護の分野で多く用いられているリフレクションの 一方法であり、ケアする人とケアされる人の言語 的・非言語的コミュニケーションを時系列に沿って 記述することによって作成する。その特徴は、記述 者が独自にメタレベルで相互作用を分析するのを避 け、その記述を用いて第三者と共にプロセスを分析 する点にある。そうすることで、客観性を補うとい う利点があるとされる。この方法を用いて、スポッ トを当てた臨床的な場面を描き、省察を行う。
3.3. ケアを同定する枠組みについて
本実践報告においてケアを同定する際に、その概 念の解釈可能性の広さ故に、あらゆる角度からの妥 当性を検証するには時間的な制限から難しい。よっ て本報告においては、「ケア」を同定する枠組みを、
「①応答性、②専心、③主体の現れ」とし、そこから 見える現象について考察していくこととする。
3.4. 事例考察
【事例
1
:国語科「海のいのち」第9
時】場面の説明
第9時:(海底で瀬の主に出会った太一がいったん息を 吸いに行くために)「銀色にゆれる水面にうかんでいっ た」という文面から、「銀色」という叙述に着目させ、色 から想起するそのときの時間帯や太一の気持ちを話し 合う場面。授業者の「私」は、「外の世界→晴れている、
太一の気分→うきうきしている気分」という回答を期待 して発問している。
児童の情報 学年:6年生 性別:児童A・B→男 児童の言動 「私」が感じたり、考
えたりしたこと
「私」の言動
①児童A「銀 色って、なん かにごってる 感 じ や か ら、
海から浮かん でいったら外 は夜なんじゃ ないかな。」
⑤児童B「でも 夜やったら海 の中は真っ暗 で何も見えへ んのちゃうん?
昼やと思う。」
②出てきてほしい 回答ではないが、
“銀色がにごってる 色”という、その児 童のとらえ方を根 拠に発言している ので尊重したい。
④この発言に対す る他の児童からの 意見が出てくるの を待ってみよう。
③「なるほど、銀 色はにごってる か ー。 な る ほ ど・・・。」
先行研究より見出されているケアの概念としての
「①応答性、②専心、③主体の現れ」を意識した実 践を行い、「私」のかかわり方や、「私」のかかわり によって起きる状況の変化(例えば子どもの意識 やケアの主体への変化等)を、ケアの枠組みをもっ て省察することによって、ケアを生み出す教育実 践の視点が明らかになるだろう。
⑨児童B「やっ と瀬の主を見 つけた瞬間や から、なんか ワクワクして る感じ。」
⑥期待していた意 見が出てきた。で も反応の態度を変 えないようにしよ う。⑧おそらく児童B は情景を描けてる だろう。⑩期待していた回 答が出てきた。で も、 一 問 一 答 に なってはいけない ので、他にも考え があるか尋ねてみ よう。
⑦「そうなんか なぁ。どうなん やろなぁ。」そ のまま児童Bに 向けて質問する。
「じゃあその時 の太一の気持ち は?」⑪児童Bに対し て反応する「ワ クワクかー。」続 けて全員に向け て尋ねる「他に は?」
【この場面における「私」の反省】
・「私」の発問に対して、児童それぞれ返答してくれる が、なかなか議論が活発にならなかった。児童同士が議 論し合うようにする「私」の返し方がいまいち掴めない。
【この場面における担任教員の指導助言】
・児童の一つ一つの発言に対して、授業者がどう感じて いるのかが見えないので、児童は自分の発言に対する効 力感を感じ取れない。展開していくにしたがって児童達 からの自主的な発言が減っていった。
【場面の考察】
事例1では、教師が「子ども中心に議論していく 授業をするために、教師の反応を見て正解・不正解 を判断させたくない」という考えを意識するあまり、
子どもにとっては教師の感情が掴みとれなかった。
⑦において、求めていた回答が出てきたが、教師 は一問一答形式にならないことを優先し、児童
B
の 回答に対して淡白な返答をしている。そうすると「誰も発言しないなか勇気を出して発言した」こと に対する教師の「承認」を児童
B
は感じ取れず、自 分の発言に対する効力感を得られなかったことがわ かる。さらに⑨において、児童
B
は文脈からして、ほぼ 間違いないだろうという回答をしたが、その発言に 対し教師は⑪で「他には?」と全体に向けて尋ね返 している。機械的に受け流されてしまうと感じ取る 児童もいるかもしれない。そうであれば、自主的な 発言は消えていくのは当然である。ケアリングの視点から考察を行うと、教師の価値 観が見えないことから、児童とのやり取りに教師の
「主体」が立っていなかったことがわかる。また、教 師が、児童を存在として受けとめていることを児童 が感じ取れないことから、児童のニーズに「応答」
していない。児童の発言の中に、どのような「承認」
されるべき動機が存在しているのか、瞬時に判断し、
「応答」しなければならないことが見出された。
【事例
2
:国語科「海のいのち」第10
時】場面の説明
第10時:「太一は、永遠にここにいられるような気さえ した。」という文面から、クエに会った瞬間の太一の心 境について話し合う場面。授業者の「私」は、物語の山 場であるこのシーンについて担任教員と入念に教材研 究を行い、児童の読み取りについていくつもの反応を想 定していた。予定通りの反応が返ってくれば、「父→家 族→幼い頃の自分→自分の成長」と展開しようと構想し て児童Cに質問した場面。
児童の情報 学年:6年生 性別:児童C→女 児童の言動 「私」が感じたり、
考えたりしたこと
「私」の言動
②児童C「ク エ と 向 き 合ってると きに、お父さ んのこと思 い出して、そ のままお父 さんとずっ と一緒にい たいと思っ たんじゃな いかな。」
⑥ 児 童C
「んー。」
③前日に学級担任がこ の児童はこう答えるん じゃないかと仰ってい たそのままの反応だ。こ の発言を使って「父→家 族→幼い頃の自分→自 分の成長」と展開しよう。
⑤準備していた返しの 言葉を言えた。
⑦私の言葉に対してあ まり腑に落ちてなさそ うだ。「父→家族→幼 い頃の自分→自分の成 長」という展開に話題を 持っていけそうにない。
①「このとき どんな心境な んやろう?」
④「Cさんさ すがやなぁ。
家族を大切に したいという 普段からの気 持ちがあるか ら、そうやっ て 読 み 取 っ た ん や ろ う なぁ。」
【この場面における「私」の反省】
・児童Cの発言を用いて次の展開に繋げることに意識 が奪われてしまった。
【この場面における担任教員の指導助言】
・児童Cに対する「私」の反応が、予定調和のように感 じ取られた。まわりの児童は児童Cの意見についても、
「私」の反応についても印象に残った様子であるが、児 童C自身には響いていない様子が感じ取られた。
【場面の考察】
事例
2
では、教師の反応が事前に用意されていた ものであったため、教師の反応が児童C
に響かな かった様子が読み取れた。担任教員による省察にお いても、「予定調和のように見えた」との指摘があ り、教師自身も児童C
への反応より先に次の展開 が気になっていた自覚があることから、教師の言葉 に感情が乗っていなかったということが推測できる。ケアリングの視点から考察すると、教師が予定して いた言葉で児童に反応したことから、児童の発言 に「応答」した反応ではなかったと言える。子ども の発言に対して、授業の進行のための手立てで「応 答」するのでなく、子どものニーズに対して「応答」
山㟢 秀紀
するために、どのような動機がその発言に込められ ているのかをその場で判断できる必要がある。また、
ニーズに応答することが本来的な「専心」であると、
実践の中で発見することができた。
【事例
3
:国語科「海のいのち」第11
時】場面の説明
第11時:「瀬の主は全く動こうとはせずに太一を見て いた。おだやかな目だった。」の文面から、クエと対面 する太一の心境について話し合う場面。「おだやかな目」
だと捉えているのは誰?という質問を投げかけた時の 児童Dの反応。
児童の情報 学年:6年生 性別:児童C→女 児童の言動 「私」が感じたり、
考えたりしたこと 「私」の言動
②児童D「1場 面のところ見 てほしいんで すけど、お父さ んが殺された 時に、ロープの 先に“光る緑色 の目”をしたク エがいたって 書いてある部 分と、この5場 面の太一がク エと目が合っ た瞬間、“おだ やかな目” っ ていう部分が、
なんか太一が 成長するにつ れておだやか な大人になっ ていったって、
作者は言いた かったんちゃ うんかなぁ。」
③なるほど、もしか すると確かにそう かもしれない。それ よりも、しばらく 触れていなかった 1場面まで文章を 遡って言葉に着目 している視点が珍 しくて斬新だ。
⑥言う予定をして いなかったことま で自然に言ってし まった。みんなにも Dくんの発言の何 がすごいのか分か るように全体の前 で褒めておこう。
⑧「私」が言った 後の児童Dの顔が パッと明るい表情 になったように見 える。
①「「おだやかな 目」って、これ は誰が「おだや か」だと思って るんやろう?」
④「え、すごい なぁ。1場面の 書き方と、なん か対照的な感じ するなぁ。」
⑤「それ、この あいだ国語専門 のK先生に“国 語は叙述に基 づいて読むって ことを教えなさ い” って言われ たばっかりやっ てん。」
⑦「すごいな、
Dくん本文から 引っ張って、作 者の表現した かったこと考え てるなぁ。」
【この場面における「私」の反省】
・児童Dの発言の瞬間に褒めないといけない気持ちが 起こった。
【この場面における担任教員の指導助言】
・児童Dの意見に対する「私」の反応が、児童D自身に も、他の児童にも強く印象に残すものだった。
【場面の考察】
ここでは、教師の反応が教師自身の感じたそのま まの感情を表出したため、児童
D
にとって教師がそ の発言を「どう受けとめたか」を感じ取れたことが 推測される。ケアリングの視点で見ると、教師は感情を表出し、「国語の授業をすることを教わってい る実習生」という自身の立ち位置を表していること から、「主体」が立ち上がっている状態であると言え る。
また、児童
D
の発言②に引き寄せられて、予定し ていなかった⑤まで発言した。これをケアリングの 視点で分析すると、「専心」と「応答」のどちらをも 同定できると言える。すなわち、教師は、児童D
は 国語の授業が好きなこと、また国語アンケートにも「自分の考えを他の人に伝えたいという気持ちが強 い」「記述するのが好きで、山﨑先生の授業は深読 みで自分の考えを言えるので好き」とに書いていた こと(図
1
)を記憶していた。そして発言②の中に「国語が得意」「深読みできる」「本文に基づいて読 みとることを知っている」などといった、児童
D
の アイデンティティが込められていることを感じとっ た。そのため教師には、④において瞬間的に「褒めな ければいけない」という動機が生まれている。これ は、アイデンティティを投げ入れて発言した児童
D
のニーズ(「自分を受容するセルフ・エスティーム」や「他者からの承認」)に「応答」することによって 自然にわき上がってきた動機であると言えよう。さ らに④と⑤が同時に、瞬間的に「褒める」という行 為に結びついていて、一旦立ち止まって判断すると いう意思が立ち現れていない。ノディングズの定義 に沿うと、「発言を取り上げて褒めなければならな い(
I must
)」と「発言を取り上げて褒めたい(I want
)」が同時に起きる自然なケアリングであると 言える。教師の反応を通して、⑧に見られるように児童
D
に変化があった。教師から立ち現れる主体を拠り所 に児童D
自身が価値判断をし、自己を受容する心理 が生まれたと想定される。図 1 児童 D の国語アンケート記述 4. 成果と課題
ここまで、授業における「教師
-
子ども」間のか かわりをケアの視点で省察し、現象の分析を行って きた。あくまで「ケアリング」の概念の性質上、一 定の原因・結果を固定的・普遍的なものとして明ら かにすることは難しく、基本的には人と人との関係 性の上に立ち現れてくるものである。しかし、事例 を取り上げ、比較し、共通点や相違点を整理する中で、「学級にケアを生み出す」具体的な指導行動を2 点見出すことができた。
1点目に、子ども主体の授業にしようと教師が黒 子のように価値観や感情を見せない状況に陥らない ことである。事例
1
と事例3
をケアの視点で省察す ることによって、授業中に教師がその指導行動や反 応の中に「主体」が現れていること、すなわち「自 分は何者でありどのような価値観を持っている」と いうことを子どもに分かるようにハッキリとさせて いることで、子どもは安心して教師を価値判断の拠 り所にするということを発見できた。2点目は、子どもが発言した際に、その発言に込 められた動機を瞬時にリスト化できる情報を蓄積し ていくことである。子どもの発言に込められる承認 すべき動機については、直接的なコミュニケーショ ンを行うことが最も多くを獲得していく手段ではあ るが、本実践のようにアンケート等で獲得していく 手段も有効であることがわかった。これは、事例
2
と事例3
において「応答性」「専心」に問いを発して 省察したことによってわかったことである。以上、「教師
-
子ども」間のかかわりをケアの視 点で省察した際に、ケアが成立していると同定でき たときに初めて、子どもはニーズを充足されている(他者からの承認感を得られている、自己を受容す ることができている)ということを確かめることが できた。また同時に、子どものケアの主体性に変容 が見られた。ここでいう「主体性」とは、「ケアされ る人」であった子どもが、教師から十分にケアされ ることによって、自然に「ケアする人」としての主 体が行為に現れている状況を指す。この変容の広が りが、家庭や地域による教育力が低下する昨今の社 会情況の中で、学級にケアを生み出す教師の教育的 かかわりであるという確かな手応えを得ることがで きた。
最後に課題点として、ここまで考察してきた作業 についての妥当性をより厳しく追究していくことを 挙げる。本研究においては、教育現場の中に「ケア リング」の視点を持ち込み、実践する中で、「教師
–
子ども」間における「人とのかかわり方」に新た な示唆を得ることを目的としてきた。しかし、ケア を同定する枠組みや、その分析方法、また自身の省 察(自己評価)についてのメタ評価を仰ぐために専 門用語をより一般的な表現へと置き換えて記述する 難しさ等が、本実践報告の実証に向けた取組に大き な支障をもたらしたのは事実である。これらをふま え、「ケアリング」の視点を汎用可能なものにするた めのさらなる概念整理や媒介言語の精緻化が必要で ある。5. 謝辞
本研究においては、本教職大学院の担当教員であ る粕谷貴志先生、学校教育講座の亀口まか先生、そ して連携協力校の岸下哲史先生をはじめ、先生方に は懇切丁寧なご指導をいただきました。
多くの方々のおかげで貴重な経験や学びができた ことに改めて深く感謝しております。厚くお礼申し 上げます。
参考文献木村優(
2013
)「教育におけるアクション・リサー チのための実践コミュニティの創造と展開」福 井大学紀要『教師教育研究』齋藤勉(
2004
)『これからの教育に必要なこと—人 と人との関係性—』ブックレット新潟編集委 員会佐伯胖(
1995
)『「学ぶ」ということの意味』岩波 書店佐藤学(
1995
)『学び その生と死』太郎次郎社 汐見稔幸(2010
)「子どもの生活経験の現状:地域、社会の変容と子どもの発達に関する検討」日本 学校教育学会編『学校教育研究』
滝充(
2011
)「小学校からの生徒指導 ~『生徒指 導提要』を読み進めるために~」『国立教育政 策研究所紀要』仲島愛子(
2007
)「『ケアリング』をめぐる今日の 状況についての考察」『つくば国際短期大学紀 要』ネル・ノディングズ(
1997
)『ケアリング—倫理と 道徳の教育—女性の観点から』晃洋書房 ネル・ノディングズ(2007
)『学校におけるケアの挑戦』ゆみる出版
文部科学省(
2010
)「家庭教育支援の取組について」生涯学習政策局編『子どもたちの未来をはぐく む家庭育』
ミルトン・メイヤロフ(
1987
)『ケアの本質—生き ることの意味—』ゆみる出版安井絢子(
2012
)「ケアの倫理の倫理的規準 —Noddings
のケアリング理論における倫理的理 想をめぐって」京都倫理学会編『実践哲学研究』安井絢子(
2011
)「ケアの倫理における人間像— ノディングスのニーズ論をめぐって」『哲学論 叢』安井絢子(
2010
)「ケアとは何か —メイヤロフ、ギリガン、ノディングスにとっての『ケア』」『哲 学論叢』
山口美和(
2004
)「教師の自己リフレクションの一 方法としてのプロセスレコード —看護教育お よび看護理論との関連から—」『信州大学教育 学部紀要』山㟢 秀紀