協同組合保険の性格 : 組合員自治制をめぐって
その他のタイトル Democracy in the Co‑operative Insurance
著者 水島 一也
雑誌名 關西大學商學論集
巻 13
号 4‑5
ページ 335‑348
発行年 1968‑12‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00021238
協 同 組 合 保 険 の 性 格
—組合員自治制をめぐって—
水 島 一 也
I.問 題 提 起
わが国の共済事業に関する議論ほ,最近,かつての時期におけるほど盛ん ではない。このことほ,共済事業(特に農協共済)がいまや揺藍期を脱し,
わが国保険経済の一角に確固たる地歩を築いたという事実によるものかもし れない。しかしながら逆に,共済事業のかかる発展段階においてこそ,その 本質・性格に対する考察の意義が一段とたかまっているということができる。
すなわち,共済事業が,いまやまぎれもない協同組合保険として社会経済的 に決して少なからざる機能を遂行しつつあること,さらには事業規模の拡大 発展に対して組織の運営が大きな曲り角にさしかかっており,したがってそ の性格解明の要請が増していること,加えて,農協共済の場合,基盤となる 農村社会の流動化・変貌に照らして,理論的見地に立つ分析の必要が痛感さ れること等のこれらの事実は,協同組合保険の性格に関する理論的考察を迫 るものといわねばならない。
ここに共済とほ,協同組合を基盤として行なわれる保険,すなわち協同組 合保険をいう。そして協同組合保険ほ組合保険の代表的形態である。この立 場において共済事業の性格規定を行なう場合,その前提として協同組合自体 の性格を問題としなければならなくなる。ところでこの点に関しては,わが 国において,農協理論を中心に多くの論者による,注目すべき学説の発表が みられる。きわめて大きく分けてそれは,協同組合主義(あるいは産業組合 主義)とよばれるところの,資本主義経済の止揚という理想の実現を協同組 合運動に期待するいわば浪漫的協同組合論の立場と共に,他方では,こうし
協同組合保険の性格(水島)
た主張につきまとう主観主義を清算することにより,協同組合の本質を資本 主義経済下の合法則的存在として,その機能を客観的に規定することに努め る学説が併存するということができる。この後者の立場—それを科学的協 同組合論とよぶことは妥当なことであるが一ーに拠る場合であっても,協同 組合の発生史的観点というか,いかなる動機からそれが生れてきたかを忘れ ることは許されない。協同組合考察における主体的観点である。すなわち資 本主義経済下における経済的弱者の自主的・防衛的組織としての協同組合と いう性格に他ならない。このような主体的性格により規定される協同組合の 資本制経済における介在の合法則性につき,多くの論者が取組んできたが,
それと同時に,独占段階での協同組合が,組合員の自主的組織という性格か ら離れた機能を客観的に演ずるという点の認識が重要である。すなわち,「構
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成員主体と乖離し,資本のための媒介体として機能する」という性格が,組 織の巨大化あるいは上部組織の形成にともなって,強くあらわれてきている との事実である。客体的機能についての観点である。ところでこうした客体 的機能が,上述の主体的視点においてとらえられた協同組合の目的と大きく 矛盾するものであることは論を侯たない。このような両者の乖離をもたらす 重要な因子として,われわれほ,協同組合における組合員自治,換言すれば 組合デモクラシーの弱体化・形骸化を指摘したい。協同組合の運営を組合員 の意思に沿った線に引戻すことが可能であるか否かの判定は,現代資本主義 下の協同組合の本質解明と性格規定のためには不可欠の手続きであるという べきである。
以上の銀点から,本稿においてはまず次節において,イギリスの消費組合 運動における組合デモクラシーの実態に関する研究G.N.Ostergaard & A. H.
Halsey, Power in Co‑Operatives, A・ Study̲ of the Internal Politics of British Retail Societies, Oxford, 1965をとりあげる。そこでの問題点は,組合員自 治を主要な指導原理とするロッチデール組合の直系的存在であるイギリス消 費組合における組合デモクラシーの実態とその規定要因の解明にある。次い で第IlI節においては,これを基礎とした組合保険の性格解明が意図される。
(1) 伊東勇夫「現代日本協同組合論」 132ページ
協同組合保険の性格(水島)
すなわちそこではイギリス消費組合につき明らかにされた諸事実ならびにそ の規定要因の批判的摂取を通じて,協同組合保険へのその適用可能性とその 制約性,したがって組合保険の自治関係に対する本質論的考察が展開される。
]I. イ ギ リ ス 消 費 組 合 に お け る デ モ ク ラ シ ー
19世紀イギリスにおける消費組合は労働者階級を主たる構成員としたが,
それが運営に関してきわめてデモクラティックな性格を呈示した点を強調し て,オスターガードとハルゼーは,それが普通選挙権ならびにその他の国内
(2)
政治への参加手段から排除された人々の憤激を反映するものだとする。この 点の当否は措くとしても,それがロッチデール組合に代表されるごとく,定 款・規約等の制度面ならびにその運営面において,「1人1票」の人的団体の 原理にたつ組合員自治の確立に意を注いだことは,事実として強調されねば ならない。こうした制度面での特色は現在においても変らない。組合員の民 主的権利行使の場としての組合員総会は,基本的には,協同組合の意思決定 の最高機関である。組合の現実的運営が執行機関に委ねられるとしても,依 然としてそれが総会決議に拘束されるものであり,さらには役員の任免権を 通じて,メンバーの意思が協同組合運営に生かされるべきだとする制度的理 念は存在し続ける。すなわち総会が,協同組合運営の中核的存在として,組
. . . . .
合員自治実現のための不可欠の役割を担うものという点が制度的には確認さ れているのである。
しかし問題は,かかる制度の運営面にある。この点に関してわれわれは,
今世紀初頭以降今日に至る数十年間におけるイギリス消費組合の特徴として,
組合員数の目覚ましい増加 (1900年の170万より 1961年の1300万へと約8倍 の増加)と,集中化の進行にともなう組合数の減少 (1900年の1439組合より
(3)
1961年の859組合へと約40%の減少)とに着目する必要があろう。 1925年に おいて総組合員数の4分の1を傘下に擁していた上位25組合は, 1942年まで に,その勢力を,組合員総数の3分の 1以上を収めるまでに拡大した。今日
(2) Ostergaard & Halsey, ibid., p. XV.
(3) Ostergaard & Halsey, ibid., p. 64.
協同組合保険の性格(水島)
では協同組合加入者の半数は, 5万人以上のメンバーをもつ大組合に所属す
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るし,また5分の3ほ, 2万人以上の規模の組合に加盟する。こうした組合 の大規模化の下で,組合デモクラシーを維持するための措置として各種の方 策が考えられるにしても,現実にそのような試ろみがなされた組合の数が決 して多くはないとの事実が看過さるべきではない。たとえば総会開催を地区 別ないし支部別に行ない,これらの統合により総会を構成せしめるという方 式ほ,大組合における自治関係の望ましい状態を維持するために,その導入 を真剣に検討すべき問題であるにもかかわらず,これを採用するのは全体の 25%の組合にすぎないという。しかも組合員数30数万に及ぶバーミンガム消 費組合のごとき巨大組合をもふくむ若干の大組合にあっても,単一総会主義
(5)
がとられている。その他,理事選挙における郵便投票制の採用,支部におけ る投票所の設置,地区別代表制の導入等のイノヴェイションを図る組合は,
一部にとどまる。
組合デモクラシーにとり致命的なのは,一般組合員の無関心の度合の高さ であることほいうまでもない。多くの組合員が組合運営に多大の関心を寄せ,
これに積極的参加の姿勢を示す場合にほ,組合員自治のヨリ良い結果を生ず ることは当然であるし,運営方法における革新も一段と推進されるに違いな い。定款・規約ないしはその運営における組合デモクラシーの輝やかしい伝 統が,大規模化という事実と,これに対応すべ含積極的措置への大組合の消 極的姿勢の前に,その現実性を喪失しつつあるとの上述の指適は,これが生 み出す一般組合員の自治意欲の大幅低下を通じて,事態を著しく悪化させる に至っている。組合デモクラシー実践のための,いかに荘麗な制度にしても,
自治意識を欠く組合員の下では空文に過ぎない。オスターガードとハルゼー が行なった全国調査の結果によると, 1955年における一般組合員の総会出席 率はわずかに0.5%,また理事選挙での投票率1.65%ときわめて低率にとど まっている。しかも理事選挙に関するアンケートに解答を寄せた533組合の うち, 44%に当たる232組合では, 候補者の無投票当選が決まっているとい
(4) Ostergaard & Halsey, ibid., p. 229. (5) Ostergaard & Halsey, ibid., p. 11.
う。しかもこうした傾向は,逐年,かつまた組合規模の巨大化にともない弱 まりつつあることが明らかである。すなわち2万人以上の組合員を擁する消 費組合につき,オスターガードとハルゼーの行なった1960年の同様な調査に よれぼ,総会出席組合員の占率は, 1955年の0.31%, 1960年の0.23%となっ ており,理事選挙での投票率についても, 1955年1.63%, 1960年1.41%と,
(6)
同様の傾向を確認できる。
しかしながら,イギリス消費組合における自治意識の低下のすべてを,組 合規模の拡大のみにより説明することほ,必ずしも当を得ない。ョリ根本的 には消費組合運動の主要な担い手たる労働者階級をとりまく社会的・経済的 ならびに政治的環境の変化に,その理由が求められねばならない。前世紀に おいて政治的には,国政への参加手段をもたず,経済的には真の意味の無産 者として,きわめて低水準の,しかも不安定な所得に依存するという状況,
さらに社会的にみた場合,同様の境遇と地理的隔離(鉱山村にみるごとき)
という条件の下に置かれた労働者仲間の堅い結束を自生的に促がすような生 活環境の存在が,協同組合運動におけるデモクラティックな性格の貫徹を可 能としたのである。換言すればそれは,イギリス産業革命後の産業資本の矛
(7)
盾の「おとし児」であり,資本主義下の貧困に対する労働者の防衛的運動で あった。ロッチデール組合にみるように,それは,第Itこ門戸解放原則,
(principle of open membership)を掲げ,何人に対しても加入・脱退の自由 をみとめる一方,組合の運営については,出資額の多少にかかわらず,各人 一票の議決権平等の原則 (principleof one member one vote)を導入した。
このことは,普通選挙権を賦与されることなく,国政運営の枠外におかれた 労働者階級が,自らの力で結成した組織の運営にあたって,きわめて民主的 な自治制を確立した点として,特に強調される必要がある。かかる自治制の ための強力な精神的支柱として,上記の社会的要因からの仲間意識が大きく 作用したことはいうまでもない。
しかるに前世紀末より今世紀にかけて,特に第二次大戦後において,協同 (6) Ostergaard & Halsey, ibid., pp. 73‑74.
(7) 伊東勇夫,前掲書 16ページ
協同組合保険の性格(水島)
組合運動をとりまく社会経済的条件には,'大きな変化が現われる。労働者階 級社会の孤立化という条件は,民主的改革の進行と共に,徐々に解消してい った。すなわちこれを政治的側面につきみれば, 19世紀末の普通選挙権の獲 得により国政参加の手段を与えられ,その利害を代弁する政党をもつことに よって,自己の主張を政策に幾分なりとも反映させうるという段階を経て,
第二次大戦後に至るや,かつてほ全く異質の世界の政党としての性格しかも たなかった保守党までもが,完全雇用,社会保障,所得水準の上昇等を,重 要施策として前面に打出さざるをえないといった状況の一般化がみられ,こ こに協同組合が伝統的に果してきた政治的機能の意義自体が大幅に縮小され ることとなったのである。同様の変化は,経済的ならぴに社会的条件につい てもいえる。・独占段階の下での大量生産に見合う大量消費の必要から生れた チェーン・ストア,スーパー・マーケット等ほ,消費組合にとり強力な競争 者の出現を意味する。社会的にも,かつてのごとき労働者の仲間意識を自然 発生的に醸成すべき地域社会の同質性は失われてゆく。
このような変化が運動に与えた重要な結果として,組合員自治制維持強化 のポテンシァルの急激な低下をあげうる。それはすでに指摘した協同組合の 大規模化と相侯って,自治意識の急速な低下を導くに至った。組合の運営は,
少数の活動家 (activists)の掌握するところとなり,かれらと一般組合員との 間の意思疎通の欠如,組合役員の一般組合員よりの自立化が生れるかくて消 費組合は消費者自身の組織というより,相対的に低廉な店舗としての性格し かもちえなくなったのである。
「イギリスは,消費組合の古典的な国といえる。だがそれほ,とうの昔に,
(8)
協同組合デモクラシーの模範を示すことをやめてしまった」とは,オスター ガードとハルゼーの歎きであるが,こうした事実が,協同組合運営における 経営者支配体制の確立につながるものたることを理解することほ容易である。
ただわれわれは,それが事業効率向上という経営体としての協同組合の要請 に対応するものであったという側面を見落してはならない。資本制的市場関 係の中にあって,一般企業と競争を展開してゆく協同組合は,協同組合たる
(8) Ostergaard & Halsey, ibid., p. 234.
ことのゆえのみをもって,資本制経済法則の外に生存の場を見出すものでは ない。さらにまたそれは協同組合の制度的特質の下では,事業効率の増大が 組合員の物質的利益につながるという意味で,それなりに十分の意義をもつ。
このことは,組合デモクラシーと事業効率増大という現代資本主義下の協同 組合のもつ2つの課題相互間の緊張関係を示唆する。組合員自治強化のため の視点のみが極端に強調されることによってほ,いたずらな摩擦と事業効率 低下を招くおそれがあるし,他方,円滑な事業運営のみを目的として,専門 的経営者に過大な権限委譲を行なうときほ,組合員の意思を組合の運営に反 映せしめえないという事態を招来するからである。後者の場合,協同組合は,
出資ないし利益配分に関する特徴以外には,一般企業と変わるところのない ものとなる。
こうした二律背反的課題を解決するために,換言すれば,デモクラシーの 完全な遂行という基礎の上に,能率的な事業活動を推進することを可能にす るべく,オスクーガードとハルゼーは,イギリス協同組合運動の現状認識と その改革のために設置された特別委員会の勧告書(Co‑operativeIndependent Commission Report, 1958)や,この問題をめぐる経営学的立場からの議論を,
かなり詳細に検討した上で,結論として一つの改革案を提唱する。それによ ると,一組合のカバーする地域をいくつかの地区支部に分け,各支部毎に年 次総会を開催し,理事会報告書の検討を行なう一方,地区支部単位に当該支 部店舗の監督に責任を負う委員会メンバーの選挙を,郵便投票により実施す る。この支部委員会は, 1名ないし若干名の委員を,中央総会への代表として 派遣する。このようにして50 100名の代議員で構成される中央総会は,最 高議決機関として半年毎に開催される。そこでほ理事会の報告書に対する最 終的審議と剰余金処分についての決定,さらには地区支部総会においてなさ れた決議に関する討議・決定が行なわれる。さらに中央総会では,理事なら びに監事の選任がなされる。理事会の主要任務の一つは,常任の管理機関の 任免にある。後者は,.generalmanager を議長とし,主要部門管理者 (depart—
ment managers)を構成員とする執行機関である6理事会と常任執行部との 間の権限委譲ほ,明確に規定される必要があるが,概略的にいえば,後者は,
協同組合保険の性格(水島)
職員の任免をふくむ日常業務の遂行を,一定の制限の下にではあるがかなり 大幅に委ねられ,他方,理事会は月例に会合を持ち,重要な政策事項につい ての決定と執行機関に対する監督を行なうこととが望ましいとされる。
この考え方は,協同組合運営において,制度的にはともかく,実質的な意 義をもついわゆる経営者支配の事実を,制度的に認知する点において,今後 の運動の展開に大きな意味をもつものといえる。上記特別委員会の1958年の 勧告書が,経営者支配にネガティプな結論を打出していることを考えると,
この点は特に強調されるべきだろう。オスクーガードとハルゼーは,この提 案が協同組合の主体的性格を犠牲にして事業効率上の利点を強調しすぎると の反対論を予期したためであろうが,上記提案と同時に,予想される欠陥克 服のための監査制度を提唱する。すなわち,総会選任の組合員監事の他に,
イギリス協同組合のすべてが加盟する連合的諮問機関 Co‑operativeUnion により選任される専門の監査人による監査を, 2 3年毎に実施すること,
それは会計面にとどまらず,協同組合執行部の財務ならびに営業政策全般に およぶこと等がその内容である。その趣旨ほ,組合の事業運営につき,専門 家たる第三者の公平な評価を通じて,役員に対する組合員の判定評価の基準 を提供することにある。
以上によって,オスクーガードとハルゼーの研究を,われわれなりの視角 より紹介したが,それがイギリスの協同組合運動の現状と問題点を浮彫りに している点で,貴重な資料としての性格をもつことを,みとめることができ る。しかし研究の基礎とされている方法論および改革のための提案について ほ,問題がないではない。その提案は,組合員自治を基礎とする協同組合の 本質的性格と事業効率的観点よりの経営者支配という相互に矛盾する要素の 両立を意図するものだが,その具体策が制度面の改革にとどまっていること をまず指摘する必要がある。いかに満足すべき制度でも自治意識の裏付けを もたないところでは,「画かれた餅」にすぎない。根本的問題は,何故に自治 意識が大幅に低下したかである。両著者が,さきに社会経済的諸条件の変化 をその要因として掲げながら,それについての分析ーーそれ自体,社会経済 理論的基礎付けを欠く点で不十分ではあるが一ーを,改革提案に結びつけよ
うとする姿勢がみられないように思える。たしかにそれは大規模化がもたら す弊害の克服には,ある程度有効であろう。しかし現代資本主義下の協同組 合の性格と機能に対する本質論的究明をふまえた場合,提案の意義と実効に ついての評価は自ら明らかといわざるをえない。すなわち,独占段階におけ る多くの協同組合における経営者ないし理事者支配確立の主因は,協同組合 が一般の個別資本との間に市場で展開する競争に求められる。したがってそ れは資本制経済法則の結果以外の何物でもない。しかして一般組合員の意思 と隔絶した経営者と独占資本との結びつきは容易であり,そのことは同時に,
自らの流通機構の一環として協同組合をその体系下に包摂しようとする独占 資本にとり歓迎すべき事態である。こうした体制がいわゆる事業効率の向上 により,組合員に相対的利益一~他の商業資本の場合に比して一をともな うとしても,究極的にはそれは,独占資本側の実現過程における困難を軽減 するところの市場の維持・拡大につながるものであることを忘れてはならな ぃ。このように,協同組合における組合員自治制形骸化の傾向は,いわぱ法 則的必然性をもって,進行するのであって組合運営の制度面の改革のみによ って阻止することは困難といわねばならない。協同組合の民主化のための運 動として,下からの力を強めてゆく過程を無視しては,根本的解決は得られ ない。とはいえ,その運動が実り多いものとなるべき条件が,現在十分に与 えられていないことも,上述のところから明らかであろう。
皿 協 同 組 合 保 険 に お け る 自 治 制
資本主義経済下における経済的弱者の自主的・防衛的組織という主体的観 点からの協同組合性格論は,組合保険についても,それが協同組合を基盤と して展開されるものたる以上,基本的には同様に適用される。ただ次の点の 差異は見逃すことはできない。すなわち,それが組合員の経済生活遂行にお ける直接的必要に対し,相対的な間接性・潜在性をもって特徴づけられる将 来への保障に関わるところから,協同組合運動による保険のとりあげほ,原 則として,購買・販売・信用などの事業の展開後であるという点である。加 えて社会経済史的観点よりの近代保険の確立を考え併せるならば,協同組合
32 (344) 協同組合保険の性格(水島)
保険ほ,協同組合の信・購・販事業が当初もっていたところの前期的資本への
. . . .
対抗関係よりもむしろ,主として,近代的保険資本へのそれを中心的課題と していたということができる。すなわち保険資本との関係において,保険技 術上ならびに保険料負担能力に関し,不利な条件下におかれた小生産者・農 民・労働者が,その経済生活ー~主として家計ー_を将来の偶然事実(危険)
の結果より保全するべく,自主的な組織としての組合保険を発足せしめたと いうことである。それは,いわば相互扶助意識ともいうべき組合員相互間の 精神的結合を基礎にもち,その共通の目的意識ほ,保険資本に対する防衛的 性格により,特徴づけられる。この基本的性格は,組合の運営に関して,組合 デモクラシー(組合員自治)の貫徹をもたらす。この段階での組合保険がもっ 具体的利点としてほ,保険資本の提供する保険保護に比較して低廉な保障と,
その過程で形成された資金の組合員に対する還元融資をあげることができる。
産業資本段階でのこうした展開は,総資本の利益に合致するものといえる。
けだし,「安い保険」によって組合員が一般の保険企業と同様の保障をうるこ とができれば,それは間接的ながら,資本制再生産における実現過程の困難 を軽減するための,非資本家的部面での市場の開拓・維持の要請に貢献する。
さらにまた組合保険の存在が,一般の保険資本に対するアウトサイダー的機 能を演ずることにより,組合員以外の大衆に対するヨリ低廉な保障の提供を も可能にする。しかし保険資本の側からは,こうした協同組合資本による保 険事業の普及伸長は,自己の活動領域をせぱめるものとして,決して好まし い事態とはいえない。かくて組合保険の成長は,必然的に,一般の保険資本 との間の競争激化をもたらす。前者の側で競争力強化のためにまずとられる ペき経営合理化措置は,保険団体規模の拡大への努力であろう。協同組合保 険といえども,技術的基礎を大数法則に求める以上,大量性要件をみたすこ とをもって経営合理化を図るのは当然というぺきである。経営規模拡大は,
(9)
事業費面ならびに資金運用面における好結果をもたらすための条件を作るし,
しかしてその結果が,協同組合の制度的利点として,組合員の保険料負担軽 減につながり,これが保険企業との競争条件を有利にする。このことは,収
(9) 事業費面については,水島「保険の競争理論」第2章参照。
支相等をもって事足れりとする従来の指導原理に対する反省を迫るものでも ある。また資本主義下の経済主体が,将来時における危険の現実化による多 額の経済的必要発生の可能性を,現在時での少額の確定支出をもって除去す べく保険を要求するという観点からすれば,一部の共済にみられた追補義務 のごとき責任関係の不確定化ほ適当とほいえない。ョリ広い基盤の上に強大 な競争力を具えた組合保険を実現しようとする協同組合が,近代保険資本の それにならって,前払・確定保険料主義を採用するに至るのほ当然である。
このような経営合理化への努力が,組合員自治に対し,好ましからぬ結果 をもたらすことを理解するのほ易い。イギリス消費組合の実際例にも明らか なように,組合規模の拡大と組合員の自治意識低下との間の相関関係ないし は事業効率と組合デモクラシーとの矛盾の存在ほ否定しえない。ただここで 力説さるべきほ,組合保険の場合,規模拡大が,保険に内在する要因の作用 結果として,いわば必然的要求としてあらわれるという点である。組合デモ
クラシー形骸化の可能性ほヨリ大というべきである。
組合保険を協同組合の他の事業分野との対比で考察する場合,力説さるべ きもう一つの視点がある。すなわち,保険ほ将来時における偶然事実の発生 に対する保障の約束に関わるものであり,これを比喩的にいえば,それが抽 象的な無形財(保障効用)の取扱いを行なう点において,その運営に対する 一般組合員の関心度合は,生産・販売・購買・信用等の協同組合の他の事業 における場合に比して,低くあらわれるのが常だという点である。このこと ほ,一般にいわれる保険需要の間接性・潜在性に照らして容認されるところ であり,これが協同組合保険の主体的条件にマイナスの作用をもつことほ明
らかというべきである。
協同組合保険が,協同組合の他の事業の場合に比し,組合の主体的性格を 弱体化させる要因を本質的に内包するものであることを上に指摘したが,さ ればといって,これら一般組合員の自治意識低下が,組合保険,ヨリ一般的 には協同組合運動をとりまく社会経済的諸条件によってほ,克服されうるも のであることを,一概に否定するのは正しくない。とはいえ,そうしたこと がいかなる条件の下で可能なのかにつき,一般理論的演繹を行なうことはで
協同組合保険の性格(水島)
きない。組合保険運動をめぐる社会経済的諸条件のきびしさの中で,組合員 の生活防衛意識のたかまりがみられるところでは,組合デモクラシー回復の ための自治意識の自生がみられるであろうことを,抽象的に指摘しうるにと どまる。この場合われわれが特に強調したいのは,社会経済理論的視角の重 要性である。ョリ具体的にほ,独占段階の組合保険運動における組合員自治 の成否についてである。さきにわれわれは,独占段階における協同組合自体
(10)
の性格変化に関連させつつ,この点につき否定的見解を明らかにした。すな わち,組合員自治より理事者支配への移行,保険組合の相互会社化の主張であ る。その基本的妥当性については疑いないところではあるが,ただこの場合 上述したごときある種の留保なしに,独占段階での協同組合保険に関する一 般的規規定であるとしてこれを説いたのは適当でなかった。この点を鋭くつ
(11)
かれ,拙論の方法論的再検討の機会を与えられた三輪教授に敬意を表したい。
独占段階において,組合保険の母胎である協同組合が,独占資本体制の不 可欠の一環として,換言すればその再生産体系に非資本家的階層を結びつけ る手段として,その流通機構に編入•利用されるという事実は,組合理事者 と一般組合員との隔絶をもたらす強力な要因となりうることは容易に理解で きる。しかもそこでは上に指摘した保険に内在する要因が促進的に働らく。
もっとも独占段階における矛盾の激化が組合員の生活防衛意識の強化を,生 み出すとの側面を無視することも適当ではない。問題は,かかる意識が組合 デモクラシーの確立を通じて,組合保険の現実の運動に反映してゆくだけの
「下からの」力となりうるか否かであり,さらには,こうした動きを可能に する組織上の体制,なかんづく上部組織への意思疎通)レートが整えられてい るかどうかの点である。しかし上記の内在的要因,特に保険需要の間接性・
潜在性が生む組合員の関心の低さに照らして,独占資本体制の一環としての 協同組合の客体的機能を克服するだけの主体的条件を,それが生み出してゆ く可能性は決して大きいとはいえない。むしろきわめて小さいというべきだ
(10) 水島「近代保険論」第10章参照。
(11) 三輪昌男「協同組合保険論の若千の問題点」(印南博士還暦記念「現代資本主義 と保険」所収) 131ページ以下。
協同組合保険の性格(水島)
ろう。いずれにせよ,それぞれの組合の史的展開過程と社会経済的環境,さ らには個々の国における資本主義経済の特質,保険市場の構造・性格ならび に金融市場における保険資金の位置づけ等々の諸要素との関連において,具 体的かつ個別的に検討する作業が必要になる。わが国の場合,農協共済と生 協共済とでは事情は同ーではないし,また労働者共済の場合,労働運動を背 景にもっという意味で,それをとりまく歴史的社会的状況は,他の共済事業 と大きく相異するかもしれない。これらの点に関する具体的分析は,別の機
(12)
会に譲りたい。
IV.結 語
以上われわれは,オスターガードとハルゼーによる,イギリス消費組合運 動における組合デモクラシー形骸化に関する分析を手がかりとして,その紹 介と検討を行ない,次いでそれを基礎として,協同組合保険における組合員 自治ないし組合保険の性格解明に努めてきた。基本的視角として強調された のは,協同組合保険が,資本制経済下の存在として,その経済法則の下にあ るとの点である。それがもつ主体的側面において,保険資本との対抗関係が いかに強調され,資金還元についての特性がどのように力説されるにしても,
その結果が,究極的に,資本の論理を否定するものではありえないことは明 らかである。それは,協同組合一般がそうであるように,性格において特殊 性を具えるものであれ,客観的にほ資本として機能する。問題ほ,組合保険 の主体的性格を,組合員自治の確立を通じていかに守りうるかにある。本稿 でのわれわれの検討が明らかにした範囲内でいえることは,保険の場合,信 用・購買・販売等の他の事業に比して,組合デモクラシーの退潮にみちびく 要因が一段と強く働らくという点である。かくてそこでの組合員自治制形骸 化の可能性はきわめて大きいというべきである。協同組合資本による保険事 業という性格上,一般の保険資本による場合に比して,組合員の利益獲得が 相対的に大であることは事実である。しかしながら,それが究極的には独占 (12) わが国の農協共済に関しては,水島「農協共済事業の性格」(国民経済雑誌 118
巻2号1ページ以下)参照。
体制の維持・強化に作用するとの面を認識することなく,この相対的利点の みを称揚するときは,事態の本質を見誤まることとなるであろう。