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公 立 高 等 教 育 の新 たな説 明 責 任

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大学評価  第3号  平成15年9月(論文) 

[大学評価・学位授与機構  研究紀要] 

公 立 高 等 教 育 の新 たな説 明 責 任  

――  規制志向から結果志向への転換  ―― 

The New Accountability for Public Higher Education  From Regulation to Results 

ジョセフ・C・バーク  Joseph C. Burke

Research in University Evaluation, No.3September, 2003[the article]

The Journal of University Evaluation of National Institution for Academic Degrees and University Evaluation

(2)

イントロダクション---91 

パフォーマンスを評価する---92 

高等教育の財政的危機---94 

効力ある説明責任---96 

パフォーマンス指標---102 

パフォーマンス・レポーティング:望ましい説明責任政策---102 

説明責任のギャップをつなぐ---103 

効果的なパフォーマンス・レポートの特徴---104 

致命的欠陥:学部教育の質を評価する---107 

結  論---108 

参考文献---108 

ABSTRACT ---112 

(3)

公立高等教育の新たな説明責任 

規 制 志 向 から結 果 志 向 への転 換*

ジョセフ・C・バーク1

(林  隆之2・訳) 

イントロダクション 

米国では1990年代に公立高等教育の説明責任(アカウンタビリティ)に転換が生じた。そ れは費用に基づく会計から,結果に基づく会計への変化であった。この変化は政府の再創造 や企業の再設計の動きから生じた。Osborne and Gaebler(1992)の『政府の再創造Reinventing

Government』は,その焦点を予算規制ではなくむしろパフォーマンスの結果に当てた。また,

Hammer  and  Champy(1992)は『企業の再設計Reengineering the  Corporation』で製品の質と 顧客へのサービスを強調した。John  Kingdon の「政策スピルオーバー」理論の中に示された 古典的事例では,新たなマネジメントは企業や政府から高等教育へと伝播した(Kingdon 1984) 1990年代半ばに,ある教育の専門家は「今日そして今後のスローガンは,大学やカレッジの

「再創造」である」と述べている(Keller 1995,63)。 

 

新たなマネジメントは企業にとっては新たな福音であり,政府や高等教育機関にとっては 新たな異教を説いた。その教義は,組織はコストを軽減し生産性を高めることによって質を 改善することが可能であるとともに,そうしなければいけないというものであった。それは 組織を行政上の規則で管理するのではなく,組織の結果によってマネジメントすることを支 持した。また提供者志向の活動ではなく顧客を中心とする活動を唱道した。規則への追従で はなくパフォーマンスに焦点を置くことにより,経営者は説明責任と改善という二つの目的 を結合することを目指した。目的の設定と結果の評価を強く結びつけ,目的を達成する手段 は自由にすることにより,権限を分散化しつつ組織がパフォーマンスを改善することが可能 となった。新たな説明責任は分権化と方向付けの双方を要求したのである。情報のような新 分野での成功やイノベーションには,知識労働者の創造性と工夫を助長するために自律性が 要求される。だが同時に組織的な優先事項に関わることも要求される。マネジメント,測定,

結果への報償は新たな三位一体な存在となったのである。この新たな教義は全ての教義と同 様に,言うは易く行うは難しである。また全ての聖戦と同様に,特に学術界において強烈な 推進者と強烈な批判者を生むこととなった。 

これら多くのマネジメント理論は学者らによって発展してきたが,学者らはこれらは企業 には問題なく利用可能であり,政府も受け入れ可能であるが,学術界には嫌われるものと考 えた(Birnbaum  2000)。パフォーマンスを基礎とする新たなマネジメントは,学術界の文化 と高等教育のガバナンス構造の双方と衝突した。学術界の文化は理論的にはBirnbaumの同僚    

2002年9月30日受付 

1 ロックフェラー・インスティチュート  高等教育プログラム  ディレクター  2 大学評価・学位授与機構  評価研究部  助手 

* 本論文は以下の著書を基にした。Burke, J.C. and Minassians, H., Reporting Higher Education Results: Missing  Links in the Performance Chain. New Directions For Institutional Research, Number 116, Winter 2002. San Francisco CA: 

Jossey Bass. 

 

(4)

主義モデルに基づくものである(Ponton1996)。教員の共同体が意思決定過程を支配し,管理 運営者は権威によって行為するのではなく,影響を通じて行為する。大学内部のガバナンス は分権が主流であり,これは「緩やかに結合されたシステム」である(Weick    1976)。この システムでは個人や部局は自律的に意思決定を行う。CohenMarchは同僚主義的なキャン パスの概念を組織的なアナーキーという非論理的な結論へと転換した。これは,目的自体に 問題があり,技術が不確かであり,関与者が流動的であることで特徴づけられる。 

 

アメリカの大学やカレッジは典型的な組織的アナーキーである。自分が何を行っている のかを把握していない。目的は漠然としているか,論争の中にある。技術は知られてはい るが,理解されてはいない。主要な関与者は組織の内外でさまよっている。これらの要素 は大学を悪い組織とするものではないし,組織化されていない組織とするものでもない。

しかし,記述し理解し指導すべき一つの問題とする。 

 

彼らは否定しているが「組織的なアナーキー」とは99%がアナーキーで1%が組織で成り たっているように見える。このようなニヒリズムのモデルではパフォーマンスを基礎とする 機関を運営することはできない。なぜならば,彼らはキャンパスでの行為はしばしば計画さ れるものでも予測できるものでもないと述べているからである。アナーキーモデルは大学の 多くの特徴を示すものであり,それら特徴はキャンパスのガバナンスでは一般的なものであ る。問題なのはCohenMarchおよび彼らの追随者がキャンパスを機能不全と見るのではな く,望まずとも避けられない状態と見たことにある。この概念は1970年代初頭に生まれ,1980 年代半ばまで用いられた(Birnbaum  1984)。組織的なアナーキーは,高等教育の質が問われ なった期間のみで受容可能であった。 

1980年代半ばに質に対する挑戦の声が起こった。A Nation At Risk(1983)により始まった

公立学校の改革はすぐにキャンパスの変化への要求と呼応した。アメリカの高等教育や学生 の学習への批判は政治的スペクトルの全ての陣営から生じた。Bloom(1987),Cheney(1988)

Bennett(1986)は右派の側から反対意見を述べ,教育学の主導的なグループはInvolvement in

Learning(1984)やIntegrity of the Curriculum(1985)の中でより自由主義的な要望を行った。

この二つのグループは異なるイデオロギーを述べ異なる解決策を提案したが,両者とも高等 教育の根本的かつで意図的な変化の必要性を述べた。いずれの著書でも学部教育で首尾一貫 したカリキュラムが欠け,学生の学習が低く,教育の質を無視している現状を批判している。

同時にいずれの著者も学部教育の目的を明確にすることを必要視している。前者は学習成果 を規定することに焦点をおき,後者は学習過程を改善することを好むという違いはあるが。

これらの違いはあっても,どの著者もカレッジが「自らが何をしているかを知らない」とい う組織的なアナーキーであることを受け入れはしない(Cohen and March 1974)。1980年代後 半に掲げられた学部教育の質への問いは高等教育の評価(assessment)の動きへとつながって いったのである。 

 

パフォーマンスを評価する 

新たな説明責任として効率性に重点をおくことが,キャンパスから反発を招くことは,外 部の者でも予測できた。しかし評価で質に焦点をおくことが障害になることを予測すること

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はできなかった。カレッジはFord以前から「Quality Job One(質こそが第一の仕事である)」

を主張してきた。しかし残念ながら,アカデミック共同体は学部教育の目的をある程度精密 に定めることも,学生の到達度を評価する体系的な方法を開発することも行ってこなかった。

この欠陥のために,組織的な質の把握は,Astin(1985)が組織的卓越性の資源・評判モデル として示したものを反映した。すなわち,私立・公立にかかわらず大学やカレッジの質はキ ャンパスの資源の量,入学学生の質,教員の研究の評判に基づくものであった。資金,学生,

教員といったインプットを基にしたこのモデルでは,大学から学生,州,社会へ提供される サービスの質と量については何も語らない。Astin(1985)は組織的卓越性の伝統的な資源・

評判モデルを批判し,付加価値の概念によって置き換えようとした。それは学生の入学から 卒業までの知識・感情の発展に焦点を置くモデルである。 

1983年の著作で Ewell は高等教育についての考えの変化と大学のアウトカム評価への新た

な要求を指摘した。 

 

最近まで高等教育コミュニティは学生の成果の評価については,重要ではあるが,わず かながらの批判を受けるのみであった。カレッジから学生への正の効果は,公正に検証さ れることのない仮定,すなわち,高等教育の「偉大なる自明の理」にまかされていた。も ちろん今となっては状況は異なる。組織の資源が厳しくなるにつれ,大学やカレッジの全 レベルの運営者は,自己の教育プログラムが学生にもたらす効果を把握して改善すること への関心を増している。同様の圧力は,高等教育の資源利用をコントロールする側の説明 責任への要求も生んでいる。大学が変化を産んでいることを明確な形で示すことを−いく らか疑いの目を持たれながらも−一層要求されるようになってきている。 

 

学部教育の評価は,高等教育の病気への解毒剤を提供するために現れた。評価により,大 学やカレッジは卒業生が身につけるべき知識や技能を明確にし,その目的を反映した指標を 設計し,達成度を評価し,その結果を組織のパフォーマンスの改善へ使用することを求めら れた。評価は1980年代後半にこの国を席巻した。3分の2の州で州知事,議会,調整委員会 がこれを好み評価の政策を命じた(Boyer 1987)。彼らはキャンパス自らがそれをどうやるか 決めるように求めた。地域アクレディテーション機関は6つ全てが,学生アウトカムの評価 をアクレディテーションの要求事項とした(Nettles  et  al.1997)。アクレディテーション機関 はアクレディテーションの焦点を,入学試験の点数や蔵書数や教員の学位といったインプッ ト,およびキャンパスのガバナンスというプロセスから,学生の学習というアウトカムへ移 した。1994年に「キャンパストレンド Campus  Trends」は94%の大学やカレッジが何らかの 評価の様式を有していることを報告した(El-Khawas 1995)。 

評価は大学やカレッジに広く普及したが,その影響力が大きいことはまれであった。多く の教授はこの作業は不可能であると考えており,必要ないと信じている教授もいた。少数の みが難しいが必要な仕事であると取り組んだ。州の評価プログラムの全てが,外部への説明 責任と組織の改善の二つの目的を掲げた。しかし多くのキャンパスは組織の改善に焦点を置 き,改善された結果についての外部への説明責任の証拠への要求には抵抗した(Burke 1999,

McGuinness 1995)。Lenth(1993)は「内部と外部,改善と説明責任,形成的と総括的,行為

者と行為を知る必要のある者との間の動的な緊張関係」について記述し,はっきりとこの問

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題を指摘している。1991年には8割のキャンパスが評価行為を行っていたが,4年制の公立キ ャンパスの半分では11〜20%の教員が評価業務に参加していたに過ぎない(El-Khawas 1991) 

ほぼ全てのキャンパスは評価と呼ばれるような行為を行っていると主張したが,それは多 くの教授にとっては周辺的な行為に過ぎなかった。ほとんどのキャンパス,特に大きなキャ ンパスでは,教員の大部分は評価を良くても付加的な行為として考え,悪い場合には官僚的 な負担と考えていた(Burke 1999)。残念なことに,評価は多くの改革行為と同様に,キャン パス内部の子会社でしかなかった。面白い試みが様々な場で行われたが,機関は伝統的な道 を進んだ。分散と自律性は個々のイノベーションには微笑みかけるが,組織的な改革はおさ えてしまう。評価はキャンパスの多くのイノベーションと同様に,熱烈な唱道者はいたが,

組織的な受け入れは弱かった。 

評価の動きは新たな説明責任のニーズを満たすには失敗した。外部への説明責任と組織改 善の二つの目的に取り組んだにもかかわらず,キャンパスのプログラムは改善を強調し,説 明責任を軽んじる傾向があった。各大学の評価報告書には異なった目的が多様なフォーマッ トで示され,州全体にわたる分析や組織間の比較をさまたげた。州知事や議会は組織の結果 を比較できないことを評価報告書の欠点と認識した。キャンパスの達成を比較することは,

パフォーマンスを評価する最適でおそらく唯一の方法であると主張した。 

評価の命令は分散化をより進めるものであったが方向付けは弱かった。キャンパスは説明 責任の責任を軽視しながらも,自律性の提供は受け取った。キャンパスの比較を避け,学部 教育の望まれる結果を評価で定めず,組織のパフォーマンスを評価する受容可能な方法を開 発せず,学生ニーズに公立のキャンパスが適合していることを示すことを行わなかった。

Banta  and  Borden(1995)は,「今日までに組織的説明責任を示すことを目的としてキャンパ

スが行ったアウトカム評価は,外部の意思決定者が有効で十分だと感じるほどの情報を産ん ではいない」(p.96)と書いている。ほとんどのキャンパスは,評価の命令に最小限の外部か らの観察とわずかの事実上の改革で応えた。説明責任はアウトカムや結果の改善に焦点をお いたが,非常に多くの場合に,評価はプロセスの改善に焦点を置いた。 

高等教育の財政的危機 

1990年代初頭の景気悪化によりキャンパスの説明責任への要求が新たに緊急の課題として 生じた。高等教育への州からの支援は,長期間の増加の後に1992-1993会計年度に歴史的な減 少を経験した(Hines 1993)。高等教育への州からの資金が国全体で前年より減少したのは,

データを取り始めてから初めてのことであった。高等教育への年次予算の削減は一般的なこ ととなり,州の収入が予測より下がったときには既に決定された予算が年半ばに撤回される こともあった。この時期が多くの州にとっての財政的危機と表現しうるのであれば,公立大 学やカレッジにとっては惨事であったと言える。Gold(1995)は,州予算の唯一の大きな自 由裁量のある項目であった高等教育を,健康,福祉,景気調整,公立学校との予算競争の「事 実上の敗者」と呼んだ。州の収入が減り高等教育の予算が減っただけでなく,シェアも減少 したのである。1990年代後半の経済成長は州の予算を増大させたが,高等教育が州予算に占 めるシェアは以前のレベルに戻りはしなかった。 

かつてはアンタッチャブルと考えられていた公立高等教育は,1990年代前半には予算削減 を図る人と外部からの批判者にとって容易なターゲットになった。批判者は主には政府と企

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業からであったが,彼らは教員による教育や学生の学習の質,大学院生や研究に没頭して学 部教育を軽視していること,ミッションの過大さとプログラムの拡大,および,経営ポジシ ョンと支援スタッフの急激な増加を非難した。批判の多くは学部教育の結果の問題を中心と した。質の低い学生を過度に多く入学させ,その内のわずかしか卒業せず,学位をとるにも 長期間かかることを許し,知識・情報社会でのキャリアに要求される知識や技能なしに多く の学生を卒業させていることを批判した(Lively 1992)。学部教育の質とパフォーマンスに関 する批判は1980年代から継続したものであったが,生産性と効率性の低下,ならびにコスト と授業料の増大の責任がさらに非難されるようになった。 

高等教育の仲間さえもこの議論に加わった。1993年の高等教育界のリーダーによるウイン グスプレッド会議は強烈な報告書を発表した。そこでは,人口,経済,技術の変化が,多く のアメリカ国民に対する学術界の重要さを増大させてきたにも関わらず,学術界は社会的 ニーズに応えてこなかったと批判した。高等教育はこれらの変化に対応する代わりに,学生 を邪魔者扱いし,学部教育をつまらないものにしていると不平を述べた。これらの反応は高 等教育の危機を示す公的な問題意識であった。大学やカレッジはより多くの市民をより良く 教育する必要があると報告書は主張した。学生が何を学習したかに焦点をおき,学習活動の 中心に学生をおいた厳格な学部教育を要求した。さらには,高等教育は幼稚園から高校まで

K-16,さらには K-20のパートナーシップを結ぶことにより,学習者の共同体を形成する

ことを補助すべきと述べている(Wingspread Group 1993)。 

コストと批判の増加と資源とファンディングの削減が結びついて,大学とカレッジからの 説明責任への新たな要求が1990年代初頭に出された。Chronicle  of  Higher  Educationのある記 事は次のように述べている。 

 

州の予算が縮小し,コスト(特に授業料)の増加や教育の質の減少に納税者が不平を述 べるにつれて,説明責任は再びホットなトピックになっている。「説明責任」という緩や かな標題の下で,州はカレッジに効率性,質,公的資金の健全なる管理を示すことを要求 する新しい法律および政策を制定しつつある(Lively 1992)。 

 

Aims McGuinnessおよびその後には州の教育委員会も,説明責任の初期のイニシアティブと

は異なることを認識した。彼は「説明責任の世界にとって新たなことは,カレッジが仕事を いかに良く行っているかを測定するために用いている全ての時間と資金に対していかなる結 果が現れるかを評価する努力である」と述べた。州にとって公立高等教育は,彼らに計画を 任せておくには重要でコストのかかるものになりすぎた。Keller(1995)は新たな説明責任の 事例について簡潔に述べている。 

 

1990年代には多くの大学やカレッジが主に教員の利益のために行為していたが,次の世 紀には次第に学生の知識,価値,技能の測定可能な進歩を提供することに焦点をおくよう に変わるだろう。質の高い人材は全ての国において経済・文化・政治の強さの鍵となり,

カレッジは,理不尽に教員の望みを提供するよりも,その構造や特権を変えて国の新たな ニーズに役に立つことが組織の評判を引き上げるという事実を認識するだろう。大学やカ レッジの評判は,生産的で研究重視の(教育をめったにしない)学者の名声でなく,卒業

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生の質や学生サービスの質から生じることになるだろう(p.61)。 

効力ある説明責任 

キャンパス間で結果を比較できないような,評価命令への生ぬるい反応は収入を減少させ,

またコストの増加はキャンパスの結果を評価するためのより指導的な方法に州を導いた。

1990年代初頭に説明責任への要求が増したことで,パフォーマンスを基盤にしたイニシアテ ィブが一つではなく三つ生まれた。それは,パフォーマンス・レポーティング(実績の報告),

パフォーマンス・バジェッティング(実績による予算形成),パフォーマンス・ファンディン グ(実績による資金配分)である。1980年代末までは州政府や高等教育の調整委員会は公立 大学やカレッジの説明責任の2つの強力なてこである「情報」と「予算」をほとんど無視し てきた。測定されるものは価値あるものという自明の理は半分しか正しくない。測定からは,

結果の報告や結果へのファンディングからと同様には,価値は生まれない。個人や組織は,

彼らの結果が公になりファンディングに影響を与えることを知るとより良く行為するように なる。 

共通のプログラム目的 

三つのプログラムとも三つの明白な目的,および一つの暗黙的な目的を共有している。明 白な目的とは,外部への説明責任の明示,組織のパフォーマンスの改善,州のニーズへの応 答である。全てのパフォーマンス・プログラムが陰に陽に外部への説明責任と組織的改善の 二つの目的を支持している。多くはさらに州のニーズ,特に経済発展,にも合致している。

説明責任は,昔ながらの支出への説明責任を超えるものである。パフォーマンス・プログラ ムは,公立高等教育および大学・カレッジに指標で示された優先分野のパフォーマンスを改 善することに責任を持つこと,州の教育・経済・社会のニーズに対応する事に責任をもつこ とを要求した。加えて,州職員以外の調整委員会や大学システムやキャンパスのリーダーら はパフォーマンス・プログラムを受け入れることで,州からの資金を増加させることを暗黙 の目的として有していた。 

プログラムを開始する方法 

いずれのパフォーマンス・プログラムを開始するにも3つの方法がある。 

1.命令/規定 

議会がプログラムを命令し指標も規定する。州知事や議員がこのプログラムを先導す る。 

2.命令/非規定 

議会がプログラムを命令するが,州の調整機関がキャンパスのリーダーとともに指標 を提案することを可能にする。調整委員会や大学システムの役員,知事,議員がこれら プログラムを先導できる。 

3.非命令 

調整委員会や大学システムがキャンパスの職員と共同で議会とは関係なく計画を先導 し採用する。明らかに調整委員会や大学システムがこのイニシアティブを始める。 

命令/規定イニシアティブは明らかにプログラムの安定性を害する。なぜなら州政府はプ ログラムを強いるだけでなく,指標をも規定するからである。このアプローチでは調整委員 会,大学システム,キャンパスの職員との協議の重要性は無視される。公共の問題,特に高

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等教育では,協議を行わないことは同意が存在しないことを意味する。命令/規定政策は,

新たな説明責任に規定された組織的な分権化と専門的な参加の二つの方向に逆行している。

新たなマネジメント理論では,政府高官や企業社長は政策の方向を決め,その結果を評価す べきであり,詳細は実務のマネージャーや専門スタッフにまかすべきである。命令/規定プ ログラムは指標をも法律で固定し,変化やフレキシビリティを阻んでしまう。 

命令や規定はパフォーマンス・レポーティング,バジェッティング,ファンディングの初 期のプログラムの特徴を示すものであった。次第に指標を規定することは顕著な事ではなく なり,調整・システム委員会が三つのプログラムのいずれかを州からの命令なしにはじめた。

時には,命令でないプログラムはボランタリー以下のものに見えた。それはしばしば,州か らの命令を避け,キャンパスに受け入れられなくともキャンパスの黙認を得られる計画を採 択する先制攻撃であった。アーカンソー州の高等教育局の職員は命令でないファンディン グ・プログラムについてオフレコで語った。「彼らが我々に対して行うよりも前に,我々は自 分に対して行った」。命令でない取り組みは,細かい点まで命令する州の規制よりも,インプ ットの多くを許容する自己規制を好んだ。ボランタリーな採用は,ファンディングの増加を 勝ち取りはしないものの,アカデミック共同体への州からの信頼を得るものである。他方で 指標を規定しない州の命令はアカデミック共同体の注意を,外部への説明責任を増加し,組 織的パフォーマンスを改善し,州のニーズを満たすことへ集めるための唯一の方法に見える。 

協議することはパフォーマンス・プログラムの成功の鍵である。これは多くの試みで成功 が多様なグループの協力にかかっているのと同じである。明らかに命令・規定プログラムは パフォーマンス指標を規定することで,州とキャンパスのリーダーがパフォーマンス・プロ グラムの最も重要な選択肢について協議することを避けている(Serban  1997  21)。命令・非 規定プログラムでは州の職員と教育界のリーダーの参加が保証される。州政府はプログラム を命令するが,調整委員会・大学システム・キャンパスのリーダーが指標を提案することに 参加する。命令・非規定プログラムは教育者の参加を保証するが,しばしば管理運営者や教 授の利害を強調し,政府や議会の利害を軽んじる。命令・非規定イニシアティブは,良い意 思決定のために必要な要素を二つ有している。一つはそれが避けられないと感じさせること であり,特に重大な変化には不可欠なものである。もう一つは選択の提供であり,同意や少 なくとも黙認を得るには重要である。 

パフォーマンス・レポーティング,バジェッティング,ファンディングは似た目的や開始 の方法を有しているが,パフォーマンスに異なるてこを用いており,明らかに異なる反応を キャンパスのリーダーから引き起こしている。3つのプログラムのいずれも,ギリシャの数 学者アルキメデスの説諭をなぞらえるものであり,彼は十分長いてこを正しい場所におけば 山を(そして,おそらく高等教育をも)動かすことができると信じていた。3つのプログラ ムは,キャンパスを基盤とする評価とは違い,McKeown-Moat(1996)が効力あり結果をとも なう説明責任メカニズムと呼んだものを約束する。 

パフォーマンス・レポーティング 

パフォーマンス・レポーティングは,パフォーマンスへのてことして公表を強いるもので ある。優先指標についての,高等教育の結果や大学・カレッジの結果を集めたものを公表す ることにより,パフォーマンスが改善するという原理に単純に則っている。レポーティング の命令は,評価の命令からの変化をもたらした。評価の命令は方向付けをほとんど伴わない

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分権化を提供した。一方のパフォーマンス・レポーティングは分権化を犠牲にして方向付け を加えた。評価の命令と比べて,パフォーマンス・レポーティングは一般的にキャンパス間 の比較を要求する(レポート自体は同じタイプの組織の間でのみ比較ができると主張するの であるが)。州のプログラムの多くは,キャンパスの財政的自律性の拡大と,パフォーマンス 結果の説明責任とを交換条件にした(Blumenstyk  1991)。州議会や州の高等教育エージェン シーあるいは大学・カレッジシステムは,全ての公立大学・カレッジに使用可能な州全体に 共通する指標の一覧を求めた (Ruppert 1998)。レポーティング・プログラムの数が増加する ことにより,キャンパスがミッションに特化した指標を一つ以上選択することも可能となり,

それは組織の多様性を助長するとともに,全てのタイプの組織に適した一サイズの計画を適 用しようとする共通の責任を逃れるものであった。 

パフォーマンス・レポーティングの流行は,パフォーマンス・バジェッティングやファン ディングに先立つものであった。1990年以前にはメリーランド州にプログラムが一つあるだ けであった。1996年までにこれは23州に跳ね上がり,南部の3つの州から国全体へと拡大し た(Christal  1998)。パフォーマンス・レポーティングの成長は,1990年代半ばから末にかけ てパフォーマンス・バジェッティングやファンディングの流行が拡大するとともに減速した。

しかし21世紀の初頭に再び拡大に転じた。2000年11月末に国立公共政策・高等教育センター による高等教育に関する州ごとのレポートカード「Measuring Up 2000」が発行される前後に 公表が増え,パフォーマンス・レポーティングの最近2年間の増加に拍車をかけた。 

1999年に著者らが行った州の高等教育財務局(SHEFO)への調査によれば,パフォーマン ス・レポーティングを行っている州は28州のみであった。2001年までにこの数は40州までに 増加した(Burke and Modarresi 1999; Burke and Minassians 2001)。2000年に南部地域教育委員 会(SREB)の会長であるMark Musick氏は次のように驚きを述べている。「10年前には,SREB のどの州も,州の高等教育の目的に直接関連する情報を提供してはいなかった。今日,SREB のほとんどの州がこれを行っている」(Southern Regional Education Board 2000,  5)。10年ほ どで,パフォーマンス・レポーティングは1州から40州へと広がった。最近のサーベイでは,

ここにきてパフォーマンス・レポーティングの拡大は止まっている。高等教育財務局はプロ グラムのうち38が継続する方向であり,さらに4州が5年以内にパフォーマンス・レポーテ ィングを導入する方向にあると回答している。明らかに,パフォーマンス・レポーティング は,説明責任を示し,パフォーマンスを改善し,州のニーズに合致するために好まれるプロ グラムになってきた。 

パフォーマンス・レポーティングを実施中の州 

2001年  40州 

アラバマ,アラスカ,アリゾナ,カリフォルニア,コロラド,コネチカット,フロリダ,

ジョージア,ハワイ,アイダホ,イリノイ,カンザス,ケンタッキー,ルイジアナ,メイ ン,メリーランド,マサチューセッツ,ミシガン,ミネソタ,ミシシッピー,ミズーリ,

ニュージャージー,ニューメキシコ,ノースカロライナ,ノースダコタ,オハイオ,オク ラホマ,オレゴン,ペンシルベニア,ロードアイランド,サウスカロライナ,サウスダコ タ,テネシー,テキサス,ユタ,バージニア,ワシントン,ウェストバージニア,ウィス コンシン,ワイオミング 

しばしば,州とキャンパスの政策決定者はパフォーマンス・レポートを無視する。なぜな ら,レポートには財務上の結論が無いからである。金銭的事項は民間産業だけでなく,州政 府や高等教育についても重要事である。公表されるものは価値あるものとしても,資金を得 るものは,より貴重なものである。パフォーマンス・レポーティングはパフォーマンス・バ

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ジェッティングに移行する土台を作っているように見える。州や大学システムの職員が大学 やカレッジの業績レポートを得ながら,それを無視して全体的に乏しい資源を配分すること は頭に描きにくい。論理的には,パフォーマンス・レポーティングはパフォーマンス・ファ ンディングやバジェッティングへの最初の一歩に見える。パフォーマンス・ファンディング を行っている州の72%,および,パフォーマンス・バジェッティングを行っている州の69%

がパフォーマンス・レポーティングも行っている。どちらも行っていない州の内,ちょうど 半数がパフォーマンス・レポーティングを行っている。1990年代半ばまで,パフォーマンス・

レポーティングは,パフォーマンス・バジェッティングやファンディングに続く道の中間地 点に思えた。 

パフォーマンス・バジェッティングとパフォーマンス・ファンディング 

レポーティングからファンディングへの展開は,州の政策決定者には短い一歩としか見え ないだろうが,キャンパスのリーダーにとっては重大な動きを意味する。実際,キャンパス にとって,パフォーマンス・プログラムの魅力はファンディングからの距離と直接的に比例 しているように見える。他方で,州レベルでのパフォーマンスの最大の主唱者は,ファンデ ィングと結果の結合は説明責任を示し,パフォーマンスを改善し,州のニーズに応える最良 の方法と見る。驚くことではなく,企業の会議室や州都では,好ましい結果へ資金増加によ り報償することは米国的やり方であるように見える。 

パフォーマンス・ファンディングとバジェッティングは,コストや学生数,インフレ割合 といった伝統的な予算考慮に組織的なパフォーマンスを追加した。州は以前には,教育や研 究やサービスの新プログラムといった好ましいキャンパスの行為を助長するために,初期段 階のファンディングを提供した。パフォーマンス・ファンディングやバジェッティングは,

期待される結果よりも達成された結果へ資金を配分することにおいて,これら初期の試みか らは区分される。 

この行為は,予算の問いを「キャンパスのために州は何をすべきか」から「州や学生のた めにキャンパスは何をすべきか」に幾分シフトさせた。実際には,多くの州ではシフトは少 ない。それは一般的に,パフォーマンス・バジェッティングとパフォーマンス・ファンディ ングがともに比較的少額しか組み入れていないからである。州では依然として公立大学・カ レッジの予算はコスト,学生数,インフレーションといった伝統的な要素を基礎にしている

(Burke and Associates 2002; Burke and Serban 1998)。 

パフォーマンス・ファンディングは特定の州予算と個々の指標で示された公立キャンパス のパフォーマンスを直接的に堅く結びつける。ここでは予算プロセスの準備や提示のフェー ズではなく,配分のフェーズに焦点が置かれる。一方,パフォーマンス・バジェッティング は州知事,議会,調整・システム委員会がキャンパスへの資金配分を決定する上で,単なる 一要素としてパフォーマンス指標で示されたキャンパスの達成度を考慮する。パフォーマン ス・バジェッティングは,予算の準備や提示に集中し,しばしば配分フェーズを見過ごした り軽視したりする。パフォーマンス・ファンディングでは,ファンディングとパフォーマン スの関係は堅く機械的で定式的なものである。キャンパスが規定されたターゲットを達成し たり,定められた指標の改善レベルを達成したりすれば,州の資金の定められた額や割合を 受け取る。パフォーマン・バジェッティングでは,パフォーマンスが良いあるいは改善され たことにより資金が追加される可能性は,単に州や調整委員会・システムの職員の判断によ

(12)

る。パフォーマンス・バジェッティングはフレキシブルで不確定である。パフォーマンス・

ファンディングは確定的でフレキシブルでない(Burke and Serban 1998)。 

パフォーマンス・バジェッティングは政策決定者に政治的な有利性を与える。そのため,

州ではパフォーマンス・ファンディングよりも好まれると説明できる。パフォーマンス・フ ァンディングは,キャンパスでの論争を犠牲にして,財政上の結論を得る。公立大学やカレ ッジのリーダーは,キャンパスのパフォーマンスを基にした資金配分には常に反対する。彼 らは基盤的予算の安定とインフレ・学生数・新たなイニシアティブによる資金の増加を望む。

理論的には州の議会がチャンピオンであり,組織的なパフォーマンスを基にキャンパスの予 算を変えることができる。しかし,実際には議員の出身地域の大学やカレッジの予算の減少 につながるプログラムには彼らはしばしば反対する。パフォーマンス・バジェッティングは この問題多いジレンマについて政治的解決を提供する。政策決定者は,キャンパスの配分を 実際に変えることで議論を引き起こすことをせずに,パフォーマンスを予算で考慮するとい う手柄を得ることができる。 

2000年に行った我々の調査に対する州の高等教育財務局(SHEFOs)の応答では,パフォー マンス・バジェッティングは州の予算配分に限られた効果しか持っていないことを示してい る。当時実施されていた28のプログラムの中で,州のファンディングに「かなり多くの効果 を持つ」と応えたSHEFOは1州のみで,「多くの効果をもつ」と応えたのは5州のみであった。

15州が「少ない効果」であり,4州が「効果なし」であった。3州の財務局は効果を判断でき なかった(Burke,Rosen,Minassians,and Lessard 2000)。パフォーマンス・ファンディング と異なり,パフォーマンス・バジェッティングは議員の価値ある財産である州予算のコント ロールと裁量を維持している。パフォーマンス・バジェッティング,および,パフォーマン ス・ファンディングは特に,収入が減少し予算がタイトになると州の政策決定者には受け入 れがたくなる傾向をもつ。 

パフォーマンス・バジェッティング 

パフォーマンス・バジェッティングは1997年から2001年に急激に増加した(表参照)。プロ グラムを持つ州の数は16州から27州となり,5年間で41%増加した(一つの州は1年前にプ ログラムを止めている)。年を追うごとに,州のエージェンシーの全てあるいは幾つかに対す るパフォーマンス・バジェッティングの命令の動きが拡大し,それが高等教育に対するパフ ォーマンス・バジェッティングの増加をも刺激した。今や半分の州で,州のエージェンシー や州が予算提供するプログラムの幾つかあるいは全てに対して,パフォーマンス・バジェッ ティングを行っている。高等教育に対するパフォーマンス・バジェッティングの70%以上は,

政府エージェンシーに対してこの政策を有している州で行われている。2001年には,州のエー ジェンシーに対してパフォーマンス・バジェッティングを行う州の中で6州のみが高等教育 に対してはこのプログラムを有していない。そのため,この説明責任のアプローチの今後の 成長は限られている。州の高等教育財務局では,1州が将来にプログラムを採用する可能性 が「極めて高く」,2州が「高い」と応えており,この結果はここ5年間の調査の中で最も低 い。逆に,4州がイニシアティブを始める可能性が「極めて低く」,4州が「低い」と考えて いる。 

(13)

パフォーマンス・バジェッティングを行っている州 

調査  州の数(割合)  州 

第1回 

1997年  16州(32%) 

コロラド,フロリダ,ジョージア,ハワイ,アイダホ,イリノイ,インディア ナ,アイオワ,カンザス,ミシシッピー,ネブラスカ,ノースカロライナ, 

オクラホマ,ロードアイランド,テキサス,ウェストバージニア 

第5回 

2001年  27州(54%) 

アラバマ,カリフォルニア,コネチカット,フロリダ,ジョージア,ハワイ, 

アイダホ,イリノイ*,アイオワ,カンザス,ルイジアナ,メイン, 

メリーランド,ミシガン,ミシシッピー,ミズーリ,ネブラスカ,ネバダ, 

ニューメキシコ,ノースカロライナ,オクラホマ,オレゴン,テキサス,ユタ,

バージニア,ワシントン,ウィスコンシン 

パフォーマンス・ファンディング 

パフォーマンス・ファンディングは流行と不安定性の両方の特徴を示している。始めるこ とは維持することよりも明らかに簡単である。1997年以来5年間で,プログラムの数は倍増 し,10州から19州になった。他方で,アーカンソー,コロラド,ケンタッキー,ミネソタ,

ワシントンの各州は1996年以降に行っていたプログラムを廃止した。不安定性と述べたとお り,アーカンソーとコロラドではパフォーマンス・ファンディングを再び採用しており,ケ ンタッキー州の中等後教育委員会は新たな試みを実施することを検討している。理論的には,

パフォーマンス・ファンディングの好ましさは,実施の困難さと一致する。ファンディング との直接で機械的な連結は,教育界やキャンパスでパフォーマンス・ファンディングを論争 の的にする。2001年の調査では,パフォーマンス・ファンディングは過去よりは安定したも のになったことが示されている。SHEFOは1州を除いて全ての州がプログラムを継続すると 述べている。また,3州が将来採用する可能性が「極めて高く」,4州が「高い」と考えている

(Burke and Minassians 2001)。他方で,最近の国の不景気は州の予算を制限し減少させ,それ が通常,追加的な割当金を提供するパフォーマンス・ファンディングに圧力を与えている。

なぜなら自由裁量の項目は予算の厳しい時期には最初になくなるものだからである。 

最新の調査の結果ではパフォーマンス・ファンディングの復興が明らかになったが,新し いイニシアティブではパフォーマンス・ファンディングへの期待が減少している。最近の試 みは,初期のプログラムで見られた高等教育の改革という根本的な目的からは後退している。

その代わりに,学生のアクセスや卒業率,就職率,委託研究の拡大などの特定分野の組織的 パフォーマンスの改善といった,より小さい目的を追求している。これらプログラムはファ ンディングが少なく,目的が小さく,少ない指標で行われ,キャンパスの多様性を促進する 組織的な選択が多い。キャンパスの抵抗に反応する中で大望は縮小したものの,いまだパフ ォーマンス・ファンディングは3つのパフォーマンスプログラムの中で最も議論の多い所で ある。キャンパスの望みと不安をともに刺激するのはファンディング以外にないことは明ら かである。 

パフォーマンス・ファンディングを実施している州 

調査  州の数(割合)  州 

第1回 

1997年  10州(20%)  コロラド,コネチカット,フロリダ,ケンタッキー,ミネソタ,ミズーリ,オ

ハイオ,サウスカロライナ,テネシー,ワシントン 

第5回 

2001年  19州(38%) 

アーカンソー,カリフォルニア*,コロラド,コネチカット,フロリダ,アイ ダホ,イリノイ*,カンザス,ルイジアナ,ミズーリ,ニュージャージー,ニ ューヨーク**,オハイオ,オレゴン,ペンシルベニア***,サウスカロライナ,

サウスダコタ,テネシー,テキサス 

*2年制カレッジのみ  **ニューヨーク州立大学システムのみ  ***ペンシルバニア公立・私立 

(14)

パフォーマンス指標 

パフォーマンス・レポーティングとパフォーマンス・ファンディングの各州のプログラム はわずかの指標を共通に有しているのみである。29のパフォーマンス・レポートを我々が調 査した所では,半分以上のレポートに現れた指標は9つに過ぎなかった(Burke and Minassians 

forthcoming)。また,11州のパフォーマンス・ファンディングを調査した所では,4プログラ

ム以上に共通に現れるのは7つの指標だけであった。高等教育の専門家は共通に現れた指標を ほとんど予想できるであろう。両方のプログラムで最も一般的な指標は卒業/留年率,2年 制から4年制キャンパスへの学生の転学,就職,免許試験のテストスコアであった。パフォー マンス・レポーティングはアクセス,経済的な参加しやすさ(affordability),学位達成度を,

授業料,経済支援,学位授与数,入学レベルの測定により焦点を置いている。パフォーマン ス・ファンディングは教員の仕事量や学位取得までの時間などの生産性の指標を多く有して いる。 

パフォーマンス・レポーティング:望ましい説明責任政策 

パフォーマンス・レポーティングは説明責任には望ましいアプローチになった。今や40州 がパフォーマンス・レポーティングを行っている。ほぼ全てのカレッジ・大学システムがパ フォーマンス・レポートを公表している。個々の機関もほぼ全てがレポートを公刊している。

2000年11月に国立公共政策・高等教育センターが「Measuring Up 2000」を発表したが,これ は州ごとのレポートの最初の集大成である。「Measuring Up」では50州を次のパフォーマンス・

カテゴリ毎に評点付けした。「高等教育進学への準備(Preparation)」,「高等教育への参加

(Participation)」,「経済的な参加しやすさ(Affordability)」,「修了(Completion)」,「利益

(Benefits)」。「学生の学習(Learning)」のカテゴリもあったが,カレッジの卒業生が得た知識 や技能について州を比較できるデータが存在しないため,評点は全ての州に付けられていな い。付けられた評点も多くの地域や州で悪く,DCばかりである。 

「Measuring Up 2000」の評点は興味深い問いを提供する。州やシステムや各機関のレベルで これほど多くのレポートが行われているのに,なぜ限定された効果しか生まないのか?  答 えは驚くほど単純である。第一の欠点は,全レベルのパフォーマンス・レポートは分離され た行為として扱われていることであり,相乗効果に必要な体系的な試みが欠けている。州,

システム,キャンパスのレベルでのパフォーマンス・レポートは,政策決定者がパフォーマ ンスの連鎖(州からシステム,キャンパスへのパフォーマンス測定の垂直的統合)を測定で きる「失われたリンク」を提供する共通の指標の限られた数のセットが欠けている。これら 共通の測定は,アクセス,達成,その他の高等教育の政策的目的について成功や欠点の原因 を州のリーダーが見つけ出すことを可能とするものである。 

著者らはパフォーマンス・レポーティングを行っている州と,行っていない州とで

「Measuring Up」のスコアを比較した。驚いたことに,レポーティングを行っている州のスコ アは行っていない州のスコアよりも良いわけではなかった。レポートとレポートカードは共 通の指標のセットを欠いていることが理由である。レポートはそのような共通の測定なしで,

アクセスや経済的な参加のしやすさや学位達成度の問題を識別している。しかし責任は州や システムやキャンパスのレベルにある。 

第二の欠点は,パフォーマンス・レポーティングは,いずれも結果をそれが実際に重要で

(15)

ある学科レベルで測定することを行っていないことである。著者らのパフォーマンス・レポー ティングとパフォーマンス・ファンディングの調査では,説明責任政策は学部長レベルや学 科長レベルでは次第に見えなくなることを示している。また,5州の2年制および4年制キ ャンパスに対する最近の調査では,回答した45%の機関の調査部署の長はキャンパスの学部 長はパフォーマンス・レポーティングにほとんど詳しくないと述べている。不安にすること に,70%以上が自己の機関の学科長がレポートに詳しくないとも述べている(Burke  and  Associates 2002; Burke and Minassians forthcoming)。 

説明責任のギャップをつなぐ 

説明責任のギャップをつなぐには,限られた数の共通指標のリストを開発することが必要 となる。さらに,高等教育のパフォーマンスの重要な部分について責任を持つ学科に共通指 標のレポーティングをおろすような,内部の組織的パフォーマンス・プログラムも要求する。

次に示すものは共通のコア指標の暫定リストである。 

ファンディング 

1.州から公立高等教育やシステムや公立キャンパスへの資金額の FTE(フルタイム換算 の人数)当たりの値(インプット) 

経済的な参加しやすさ 

2.州,システム,2年制・4年制の公立キャンパスの授業料から資金助成を引いた額を,

平均的な家族収入の割合で示したもの(インプット) 

参  加 

3.高校卒業者のうちの高等教育への進学率,あるいはシステムや機関への入学割合 

(インプット) 

4.18-24歳のうちの高等教育(あるいはシステムや機関)への参加者の割合 

(インプット) 

5.25-44歳のうちの中等後教育やシステムや機関へのパートタイム入学割合 

(インプット) 

連  結(articulation) 

6.州やシステムやキャンパスレベルでの2年制と4年制の機関の間の転学割合 

(アウトプット/インプット) 

卒  業 

7.州やシステムやキャンパスレベルでの2年制のカレッジの3年以内,4年制のカレッ ジ・大学の6年以内の卒業割合(アウトプット) 

学  位 

8.システムやキャンパスの学位授与数あるいは学生数当たりの学位獲得割合(準学士,

学士,大学院)(アウトプット) 

9.重要分野(たとえば理学,工学,情報技術,教員養成の不足分野)でのシステムやキ ャンパスでの学位獲得や学位授与数(アウトプット) 

就  職 

10.カレッジ・大学の卒業生の就職割合(アウトカム) 

カレッジ/スクールの共同 

11.教員資格試験の合格割合(アウトカム) 

12.高校におけるカレッジの予備カリキュラムをとった学士1年生の割合(インプット) 

委託研究 

13.外部スポンサーによる研究の資金額(アウトプット) 

(16)

学生の発展 

14.カレッジで修得した知識・スキルの卒業生サーベイ(アウトカム) 

データが利用可能な場合には,これら共通の指標によって,州,システム,キャンパスレ ベルのレポートは時間的なパフォーマンス変化を追跡できるだろう。このトレンドは,同等 でない対象の間で競争を行うのではない方法で,全てのレベルで改善を強調するだろう。 

この限られたリストは,全ての状況や顧客に適合する測定を追加せよという,学術界に共 通の圧力に抵抗するものである。パフォーマンス指標を選択する中で得られた教訓は,多す ぎる測定は実は優先事項が存在しないことを意味するということである。全ての興味深い データが指標になる権限を持つわけではない。 

効果的なパフォーマンス・レポートの特徴 

著者らの調査に対する州やキャンパスの反応のほとんどは,パフォーマンス・レポーティ ングは継続しそうであるということである。この予測にもかかわらず,パフォーマンス・レ ポーティングはその問題点を把握せずには,見込まれる可能性を達成することができない。

29のパフォーマンス・レポートの詳細な研究を基にして,効果的なパフォーマンス・レポー ティングの特徴を以下に示す。 

1.命令/規定プログラムを避ける 

効果的なパフォーマンス・レポートでは,議会が政策を命令するだけでなく実際の指標 をも規定するという命令・規定プログラムを避けている。公立高等教育政策は州知事,議 会,調整・システムの役員,キャンパスリーダーから認可,あるいは少なくとも容認を受 けなければいけない。調整委員会,システム,キャンパスのリーダーとの協議なしに指標 を法律で規定するような命令プログラムは,アカデミック共同体からの支持を得られそう もない。 

2.多すぎず少なすぎないパフォーマンス・ターゲットを採用する 

指標が多すぎることは優先事項が多すぎることになり,焦点がぼけることにつながる。

他方で,少なすぎる指標は高等教育が学生,州,社会へもたらす貢献の多くを除いてしま う。州やその高等教育システムは多様であるが,指標の適切な数は10以上25以下であるべ きである。パフォーマンス・レポーティングは,パフォーマンス・ファンディングよりは 多くの指標を含むことができる。それはファンディング・プログラムでは各指標に沿って 資金を配分する必要があるからである。29のレポートに含まれていた一般的な指標によれ ば,指標が多すぎることは少なすぎることよりも問題である。半分以上のレポートが25 以上の指標を含んでおり,他方で10以下の指標であったのは1レポートのみであった。 

3.ミッションに特有の指標をキャンパスが選択することを可能にする 

批判を述べる人は,指標のシステムはしばしば堅い指標セットを用い,それは高等教育 を一枚岩のシステムとして扱い,2年制の技術カレッジ,コミュニティカレッジ,総合大 学,専門カレッジ,研究大学院といった異なる組織のタイプや目的が混合的に存在するの を止めさせる方向につながると言う。レポーティング・プログラムはカレッジや大学に2

〜3の組織特有の指標を選択することを可能にすべきであり,それがキャンパスのミッシ ョンを示し,強調することを支援する。それは研究の専門性でも,技術的なトレーニング

参照

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