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天災を鎮めるためのルワンダの宮廷儀礼

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全文

(1)

天災を鎮めるためのルワンダの宮廷儀礼

宇 野 公一郎

目次

1

.はじめに

2

.「旱魃の道(

Inzira ya Rukungugu

)」の訳

3

.「蜜蜂の道(

Inzira y

ʼ

Iinzuki

)」の訳

4

.「洪水の道(

Inzira ya Kivu

)」の訳

5

.「牛疫の道(

Inzira ya Muhekenyi

)」の訳

6

.おわりに

1

.はじめに

本稿は、ルワンダ王国の農業・牧畜・養蜂に被害を与え、時には大飢饉を もたらした自然災害を鎮めるための宮廷儀礼を記述した四つの短い秘典:

「旱魃の道」、「蜜蜂の道」、「洪水の道」、「牛疫の道」を訳出する。

これらの道の構造は単純で、穢れを浄めることによって災害をおさめよう とする。浄めの方法は二種類ある。第一は、縁起の良い植物や呪的浄化力の ある植物の茎や小枝を箒状に束ねた浄めの水撒き具

uuhagiro

を使って、清 浄な液体(水源から取った水、儀礼家が調合した呪力のある液体、高位の牛 軍から取り寄せた牛乳、良質の産地の蜂蜜に水を混ぜて発酵させた蜂蜜酒、

蜂蜜入りソルガム・ビールなど)を振りかける方法である。これはこれまで にも「水飼いの道」(宇野

2014: 151, 164–165

)での王権太鼓の製作、「太鼓 に戦利品を飾る道」(宇野

2011: 102

)での睾丸の洗浄、「即位の道」(宇野

2013: 107ff

)での太鼓製作などに出てきたが、今回の四つの道では災害で汚

された国全体を象徴的に浄めるのに使われている。第二のより複雑な方法と して、依り代(黒と呼ばれる雄牛、黒山羊、発達が正常でない

Twa

の女な

(2)

ど)に穢れを集めて辺境に運んで殺し、災難を領外に追い払う方法がある1。 この方法は秘典では「洪水の道」と「牛疫の道」でしか使われていない。

2

.「旱魃の道(

Inzira ya Rukungugu

)」の訳2

[梗概]旱魃が起こると、「旱魃の道」の儀礼を実施するための臨時の都を 作り、王は王権太鼓を連れてそこに移る。

Tege

儀礼王が「損害を蒙らない」

という名の木を切って雨乞い太鼓の胴を作る。都の場所を牛の内臓で占った ときは、その牛の皮を太鼓に張り、他の動物で占ったときは、宮廷の「戦う 牛たち」から無傷の雄牛を選んで皮を取る。

Tsoobe

儀礼王が「掴む」とい う名の木から、太鼓の心臓を作る。王と

Tege

儀礼王が牛乳とビールで太鼓 の中を浄め、心臓を入れ、皮を張る。王が最後の皮紐を締める。「戦う牛た ち」の雄牛の血を塗って太鼓を完成させる。

Tsoobe

儀礼王が太鼓と浄めの 道具と祖先祭祀の道具を持って牛王祠で雨乞いをした後、浄めの道具を持っ て各地を巡って雨を目覚めさせ、都に戻って浄めの道具を王のベッドの上に 置く。すると雨が降り始める。

[旱魃

1–11

: 雨乞い儀礼用の都を占いで決め、王が移る]

「旱魃の道(

Inzira ya Rukungugu

)」が生じたら3

1 第二の方法については「国境の戦乱の道」に関連してやや詳しく論じたことがあ る(宇野

2010: 175–178

)。

2[旱魃

0

テキストは

d

ʼ

Hertefelt & Coupez

1964: 20–25

)のルワンダ語原文と仏 訳を使った。訳文中の[ ]内は私の補足。

3[旱魃

1

「『旱魃の道』が生じたら」:「旱魃の道」の儀礼を実施しなければならな い旱魃が生じたら。

rukungugu

-kungugu 9/11

)は、一般名詞として次行の

-pfa

と同じく旱魃を意味するが、元は固有名詞として

Mibambwe III Mutabazi II Sentabyo

王(

Kagame

によれば

18

世紀中頃、

Vansina

によれば

19

世紀初)の死

Yuhi IV Gahindiro

王の即位の間に起きた大旱魃を指し、その大旱魃の折に

「旱魃の道」の儀礼を行って雨を降らせたと伝えられる(

Kagame 1951: 175;

Kagame 1972: 174–175

)。このことから、

d

ʼ

Hertefelt & Coupez

1964: 280

)はこ の道の完成時期を

Yuhi IV

王の時代と推定している。関連語彙に

-kuungu

9,10

「非常な暑さ」、

-kuungugu

3,4

)「埃」がある(

Coupez et al. 2005: 1418

)。

(3)

つまり、日照り(

aamapfa

4が起きて ソルガムを台無しにし

全ての収穫を台無しにしたら、

5

]占いで都5を選ぶ、

Mujyejuru

Buhimba

6のどちらか一つを。

吉と出た所に区画を定め、

皆で王宮を建てる。

出来上がったら

10

]きまり通り王が行く、

儀式に即し、彼の太鼓たち(

ingoma

)を連れて。

[旱魃

12–20

Tege

の儀礼王が雨太鼓の胴を作り、

Cyirima

祠に入れる]

Nyabirungu

の子孫7

37, 53

)を呼ぶ。

彼はあらかじめ目星をつけている、

4[旱魃

2

「日照り」

-pfa 6

): 飢饉を生じるような大きな旱魃(

Coupez et al. 2005:

1775

)。

d

ʼ

Hertefelt & Coupez

1964: 424

)によれば、

-pfa 6

-phu

(動詞で「死 ぬ」、名詞で「死者、死」)から派生したという。

Coupez et al. 2005

1775

)の辞 書はこの語源を挙げていない。

5[旱魃

5

]「都」(

-rwe

): 特定の「道」の儀礼を王が行うために臨時の王宮を設営 する場所。儀礼のために臨時の都の建設を要求するのは、「旱魃の道」の他に、

「狩の道」、「火の道」(宇野

2015b: 76–77

)、「水飼いの道」(宇野

2014: 130–136

である。狩の場合は指揮する王が猟場へ行く必要があった。火の儀礼と水飼い儀 礼は王権の再生を図る大がかりな儀礼であり、旱魃の克服もそれに匹敵する重要 性を持つと考えられていたのかも知れないし、王を災害の穢れから隔離する意味 もあったかも知れない。

6[旱魃

6

Mujyejuru

Buhimba

」:どちらも

Butare

Busanza

にある丘の名前

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 449, 472

)で、

15

行目では王宮跡とされる。

7[旱魃

12

]「

Nyabirungu

の子孫」(

umuwenenyabirungu

):

Tege

の儀礼王のこと。

宮廷儀礼家の序列第二位で、王と儀礼王の即位を主宰するのが主要な役目(宇野

2013: 95–99

)。

Gitarama

南西部の

Kabagari

Remera

に領地があるので、「

Ka- bagari

の住人」ともいう(

53

行目参照)(

Kagame 1947a: 368–369: d

ʼ

Hertefelt &

Coupez 1964: 480

)。

(4)

太鼓にする

umutaranza

(「損害を蒙らない」)8の原木9について、

15

]どちらか一つの王宮跡(

kigabiro

10で、

上記(

6

)の二つの都のうちの。

彼は鉄器を持って行き、

木を削って太鼓(

ingoma

11にする。

削り終わると、

20

Cyirima

祠に入れる12

[旱魃

21–28

: 太鼓の皮を準備する]

牛を使って占った場合は、

その牛の皮を裁断する13。 別の方法で占ったら、

雄牛を連れてくる、

25

]牛軍「戦う者たち」(

Indwanyi

14の、完全な、

無傷の

欠点のない雄牛を。

8[旱魃

14

umutaranza

: 不詳の植物。

Troupin

のルワンダ植物誌

I-IV

には出て来 ない。

d

ʼ

Hertefelt & Coupez

1964: 438

)はキョウチクトウ科の

Acokanthera schimperi

とするが、

Troupin

によれば、

Acokanthera schimperi

umusagwe

ない

umushewe

である(

Troupin 1985: 66

)。

taranza

ta

(否定辞)+

ranz

(損害を 受ける)=「損害を受けない」という意味で、言葉遊びをしている。秘典では他 に「牛疫の道」

4, 39

で牛疫を鎮める太鼓を作るのに使われ、「太鼓に戦利品を飾る 道」

109–110

(宇 野

2011: 107

)と「

7

回 目の装 飾の道」

61–65

d

ʼ

Hertefelt &

Coupez 1964: 182–183

)では「損害を蒙らない」の言葉遊びでこの木が出てくる。

9[旱魃

14

]「原木(

umwari

)」:

-aari 3,4

は、「粗造りの太鼓、まだ皮を張っていな い太鼓」、あるいは「儀礼物、特に太鼓を作るための木」を指す(

Coupez et al.

2005: 76–77

)。

10[旱魃

15

]「王宮跡」:

-gabiro 7,8

は旧王宮または王墓で、

ficus

(イチジク)の木 が目印になる(

Coupez et al. 2005: 505

)。

11[旱魃

18

「太鼓(

ingoma

)」:

77

行で

Mivumbi

(「朝からずっと降る雨」)と呼ば れる雨乞い用の太鼓。

12[旱魃

20

]「

Cyirima

祠に入れる」: 王宮の

Cyirima

祠は王権太鼓を安置する場所。

13[旱魃

22

]「その牛の皮を裁断する」: 太鼓に張るため。

14[旱魃

25

]「戦う者たち」: 宮廷で食用にする肉と王権太鼓に塗る血を取るために 各牛軍が提供した牛の群の名前(

Kagame 1952: 48; Kagame 1961: 9; d

ʼ

Hertefelt &

Coupez 1964: 447

)。

(5)

そしてそれを殺す15

[旱魃

29–31

Tsoobe

の儀礼王が太鼓の心臓を取りに行く]

Tsoobe

16

72, 81, 84, 87

)を派遣する、

30

Kigari

Rutagara

17へ。

Umukore

18の木から太鼓の心臓(

umutima

19を取るために。

[旱魃

32–59

: 王と

Tege

が太鼓を浄め、心臓を入れ、皮を張り、血を塗る]

Igicuba

20を持ってくる。

牛軍「尊敬すべき者たち」(

Nyubahiro

21の牛乳を持ってくる。

王を清めるに値する浄めの水撒き具(

icyuhagiro

22

63, 67, 95, 105

)も。

35

]ビールを持ってくる、

蜂蜜入りのソルガム・ビールと蜂蜜酒を。

Nyabirungu

の子孫(

12, 53

)が来て、

太鼓の底の皮を置き、

内部を清める、

15[旱魃

28

]「それを殺す」: 太鼓の皮を取るため。

16[旱魃

29

Tsoobe

: 宮廷儀礼家の序列第一位の

Tsoobe

の儀礼王のこと。

17[旱魃

30

]「

Kigari

Rutagara

」:

Kigari

山の西の山腹の裂け目の名前。

Rutagara

は「

imitagara

が生えている場所」の意味(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 489

)。

-tagara 3,4

は、キク科の小低木

Crassocephalum multicorymbosum

Coupez et al.

2005: 2399

)。

18[旱魃

31

umukore

-kore 3,4

): <動詞

-kor-

「触れる、取る、つかんで持ち去る」

Coupez et al. 2005: 1363–1364

)。アオイ科の植物

Dombeya goetzenii SCHUMANN

および

Dombeya kirkii MASTRES

。高さは

20

メートルに達する(

Troupin 1983:

405

)。この木は後(

64, 68, 85

)で浄めの水撒き具を作るのに使われる。

19[旱魃

31

]「太鼓の心臓」: 太鼓の中に入れる呪物。宇野

2013: 109–111

; 宇野

2014: 148–157

参照。

20[旱魃

32

igicuba

壺」:(

-cuba 7,8

「牛の水飲み場に水を運ぶ大きな木製壺」「そ れよりは小さいミルク保存用の木製壺」(

Coupez et al. 2005: 324–325

)。「ミルク を入れたり水を汲んだりするための容量数リットルの大型木製壺」(

d

ʼ

Hertefelt &

Coupez 1964: 401

)。

34

行目の浄めの水撒き具を浸す。

21[旱魃

33

]「尊敬すべき者たち」:

Cyirima II Rujugira

が作ったと言われる牛軍。

Heeka

リニジ(

239

280

)が管理し、王権雄牛を育て、「即位」させた(

Kagame 1961: 41–42

)。

22[旱魃

34

「浄めの水撒き具(

-uuhagiro 7,8

)」: 縁起の良い植物の枝や茎を集めて 束にした物で、清めの水を振りかけるのに使う。(

Coupez et al. 2005: 2686

)。

(6)

40

]上記(

33, 36

)の牛乳とビールを撒いて。

王に助けられながら、彼はすべての物に呪文を唱える、

太鼓に皮を張る時にいつもするように23。 彼らは言う:「ここに清浄な物があります、等々」

彼らは言う:「ここに牛乳があります、等々」

45

]彼らは言う:「ここに蜂蜜入りのソルガム・ビールがありま す、等々」

彼らは上記(

31

)の太鼓の心臓を持ってきて中に入れる、

いつものように。

こう言いながら:「ここに心臓があります、

王が常に心臓を持てますように、等々。」

50

]おもてに張る皮を持ってくる。

王が八本の皮紐を付ける、

太鼓の底とおもてに。

王は

Kabagari

の住人24

12, 37

)に、

八本の皮紐を締めさせる、

55

]太鼓の底とおもてに。

誰か皮の張り方を知っている者に、皮を張らせる。

彼は王に最後の紐を締めさせる。

牛軍「戦う者たち」(

25

)の雄牛を連れて来させ、

殺してその血を太鼓に塗る。

[旱魃

60–68

: 雨を目覚めさせる浄化儀礼の道具を集める]

60

]エリスリナ(

umurinzi

25製の

igicuba

壺を二つ持ってこさせる、

23[旱魃

42

「太鼓に皮を張る時にいつもするように」:

43–45

48–49

の呪文は簡 略化されている。省略されていない呪文は、例えば「水飼いの道」(宇野

2014:

152–153

)にある。

24[旱魃

53

]「

Kabagari

の住人」:

Tege

の儀礼王。

25[旱魃

60

「エリスリナ(

umurinzi

)」:

-rinzi

は動詞

-rind-

「防ぐ、妨げる」に由来 し、エリスリナは

Ryangombe

祭祀で守護者の意味を持つ(

Coupez et al. 2005:

(7)

Ndoha

(「土砂降り雨」)26から。

Nzaratsi

Kazibaziba

27からは、

浄めの水撒き具を持ってこさせる、

Umukore

の木(

31

)のと、もう一つ、

umugarura

28の草のとを。

65

]太鼓(

ingoma

29には他の演奏用太鼓(

imivugo

)たちが従う。

上記(

60

)の

igicuba

壺を持ってくる、

浄めの水撒き具(

63

)が入っている、

Umukore

の木(

31, 64

)のと

umugarura

の草(

64

)のとが。

[旱魃

69–83

Tsoobe

儀礼王が牛王祠に雨太鼓を奉納して祈願する]

卜占儀礼家(

abaraguza b aabiiru

30たちが

70

]家の中に入る、

1942, 1950

)。

26[旱魃

61

]「

Ndoha

(土砂降り雨)」:

Ndoha

は複数の意味がある。(

1

Mutara II Rwogera

Yuhi III Mazimpaka

の霊を鎮めるために

Rukoma

南部(

Gitarama

県)の

Kamonyi

の丘の頂上に

Yuhi III

の王宮を作った際に創設して王宮に付属

させたと言われる牛軍の名前(

Kagame 1961: 103–104; Pagès 1933: 535

)。この 牛軍は秘典では他に出てこない。(

2

88

行目に出てくるが、雨の名前でもある。

3

また

Nyantango

地方北部(

Kibuye

県の

Birambo

村と

Sanza

村)の

Musangwa

川沿いにある小さな森「

Nzaratsi

Ndoha

でもあり

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964:

476

)、「水飼いの道」

105

474

488

494

行に王権太鼓の

Cyimumugizi

鼓と

Mpatsibihugu

鼓の更新用の原木の産地として出てくる(宇野

2014: 138, 162–163

)。

これら

3

つの意味のうち、

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 23

1

の牛軍と解釈し、

牛軍の牧夫が次行の「

Nzaratsi

Kazibaziba

」に壺を取りに行くと解釈している。

それも可能だが、そうすると水撒き具がどこから来るのか分からなくなるので、

ここでは地名と考え、壺を「

Nzaratsi

Ndoha

」から、水撒き具を「

Nzaratsi

Kazibaziba

」からそれぞれ取り寄せると解釈しておく。いずれにせよ、旱魃を止

める儀礼において重要なのは「土砂降り雨」という名称である。

27[旱魃

62

]「

Nzaratsi

Kazibaziba

」:

Nyantango

地方(

Kibuye

県の

Birambo

村)

の丘の名前(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 466

)。ここにしか出て来ない地名。

28[旱魃

64

umugarura

-garura

は動詞

-garur-

「連れてくる、持ってくる、返す」

に由来する。ミソハギ科

Lythraceae

の高さ

7

70 cm

に直立する草

Ammannia baccifera L.

で、湿った所に生える(

Troupin 1983: 486

)。

29[旱魃

65

「太鼓」

ingoma

)は上で完成したばかりの雨乞い儀礼用の太鼓を指す。

次の「演奏用太鼓たち(

imivugo

)」は普通の太鼓を指す。

30[旱魃

69

]「卜占儀礼家」: 王の代理として占い師に相談に行く任務を与えられた 儀礼家(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 283

)。

(8)

Inkooko

31と飲物を持って。

Tsoobe

ingororero

32を持ち、

Mutara

の所か

Cyirima

の所で33

75

]上記の太鼓に呪文を唱える、

次のように:「お助け下さい、何々様。

ここにあなたの雨太鼓(

Mivumbi

34があります。

これであなたが雨を連れ戻す(

guhabuur imvura

35ことできますよ うに。

ルワンダに雨が降りますように。

80

]ここにエリスリナ(

umurinzi

)製の

igicuba

壺(

60

)があります。

ここに

Tsoobe

クランの者がいます。

彼は雨を目覚めさせ(

kubyuts imvura

36に行きます。

日照りに勝ってください(

tsind amapfa

)。」

31[旱魃

71

inkooko

箕」:(

-kooko 9,10

)穀物を選り分けたり、少量の物を日に干した り、皿の代わりに食べ物を載せたりする。しばしば縁と裏側に牛糞を塗る(

Coupez et al. 2005: 1320

)。箕には王家の祖先(

Mutara

Cyirima

)への供物であるシコク ビエが載せてあり、

75

行以下で祈願するときに火に振りかけて爆ぜさせる。

32[旱魃

72

ingororero

:(

-gororero 9,10

祖先祭祀に用いる道具で、小さな棒の片 方の端を球状に削り、熱した錐でこれに穴を開け、それにヒモを通し、ヒモの両 端を結んだもの。仏訳は

redressoir

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 283–284, 307–

308

)。「洪水の道」

21, 29;

「牛疫の道」

32;

「太鼓に戦利品を飾る道」

138

(宇野

2011: 108

)参照。

33[旱魃

73–74

]「

Mutara

の所か

Cyirima

の所に」:

Mutara

Cyirima

はともに牛 の王で、彼らは宮廷、

Gaseke

の牛王祠、あるいは

Rutare

墓地で祀られている

(宇野

2014, 2015a

を参照)。どちらか占いで吉と出た方に、

60

行以下に挙げた物

を持って行く。

34[旱魃

77

]「雨太鼓(

Mivumbi

)」: 上で作った雨乞い用の太鼓。

-vumbi 3,4

は大 雨期の「朝からずっと降る雨」を指す(

Coupez et al. 2005: 2747; Pagès 1933:

432; Pauwels 1969: 44

)。次の

84

以下で

Tsoobe

が雨を目覚めさせに巡回する間、

この太鼓を

Mutara

祠ないし

Cyirima

祠で鳴らしたのかも知れない。

35[旱魃

78

]「雨を連れ戻す(

guhabuur imvura

)」: 動詞

-habuur-

は「道に迷った人 を正しい道に連れ戻す。その人の家に送って行く」(

Coupez et al. 2005: 708

)。

36[旱魃

85

]「雨を目覚めさせる(

kubyuts imvura

)」: 動詞

-byuuts-

は「横になった もの、倒れたものを起こす。眠っているものを起こす、目覚めさせる」(

Coupez

et al. 2005: 277

)。

(9)

[旱魃

84–93

Tsoobe

儀礼王が雨を目覚めさせに行く]

Tsoobe

igicuba

壺を持って出発する、

85

]上記(

64, 68

)の

umukore

の浄めの水撒き具を入れて37。 雨を目覚めさせに行く。

Tsoobe

Bweramvura

の雨38を目覚めさせる。

Ndoha

の雨39を目覚めさせる。

Nyabuhe

の雨40を目覚めさせる。

90

Zina

の雨41を目覚めさせる。

Nyamvura

の雨42を目覚めさせる。

Rurengampiso

の雨43を目覚めさせる。

37[旱魃

85

]「

umukore

の浄めの水撒き具」:

68

で並記された

umugarura

の水撒き 具も入れると思われる。

38[旱魃

87

]「

Bweramvura

の雨」:

d

ʼ

Hertefelt & Coupez

1964: 452

)によると、

Ndahiro II Cyamatare

王の息子の

Kibogo

王子が大干魃を止めるために解放者と して死んだときに最初に降った雨に儀礼家たちが与えた名前で、

kwer imvura

「与える+雨」という表現に由来するという。

Kibogo

王子の解放者伝承について は宇野

2010: 186

を参照。他方、

Lestrade 1972: 269

によると、

Bweramvura

は後 述の「雨を呼ぶ大壺」リストの四番目の

Rubengera

の壺に水を供給する水源で

39[旱魃ある。

88

Ndoha

の雨」:

61

行で見たように「土砂降り雨」の意味だが、具体的 には、小雨期の最初の

nzeri

月(ルワンダ陰暦一月、西暦の

9

月頃)の終わりに 降る豊かな雨とか、宮廷呪術師

Mpande

Pagès 1933: 129, 239

)が降らせた雨と か、

Yuhi I Musindi

王の息子で降雨師として名高い

Rushara

Pagès 1933: 85, 127, 429–431

)が降らせた雨とか、諸説がある(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964:

476

)。ルワンダの季節と月については宇野

2016a: 208–211

を参照。

40[旱魃

89

Nyabuhe

の雨」: 大乾期の最後の

kaanama

月(ルワンダ陰暦十二月、

西暦

8

月頃)に降る雨に宮廷降雨師

Mpande

が与えたとされる名前(

d

ʼ

Hertefelt

& Coupez 1964: 480

)。

41[旱魃

90

]「

Zina

の雨」:

d

ʼ

Hertefelt & Coupez

1964: 495

)によると、大雨期の

mata

月(ル ワ ン ダ陰 暦 閏 七 月、 西 暦

4

月〜

5

月 頃)に降るの名 前。ま た

Bourgeois

によると、

Cyirima Rujugira

王が雨の壺(

-vubiro 5,6

)を設置した

Nduga

の地名でもある(

Bourgeois 1956: 240

)。さらに

Pagès

によると、

Kivu

の南の

Russizi

川の谷に

Zina

という水源があって、ルワンダ王の即位時にそこ

から水を持ってきて新王に飲ませる旧慣があったという(

Pagès 1933: 429–431

が、秘典の「即位の道」には出てこない。

42[旱魃

91

]「

Nyamvura

の雨」: 大乾期初めの

kamena

月(ルワンダ陰暦九月、西 暦

5

6

月頃)の初めに降る雨(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 482

)。

43[旱魃

92

]「

Rurengampiso

の雨」: 小乾期初めの

mutarama

月(ルワンダ陰暦五

(10)

それらを目覚めさせるにつれ、彼は「私は雨を目覚めさせた」と言う。

[旱魃

94–99

Tsoobe

が都に帰り、道具を王の寝台に戻すと雨が降る]

彼は道を引き返す、

igicuba

壺と

95

]浄めの水撒き具を持って。

それらを使って彼は雨を目覚めさせたのだ。

それらは都に着くと他の[水撒き具]と一緒にされ、

宮廷の王の寝台の上に据えられる。

すると、雨が降る。

[旱魃

100–103

: 儀礼用の都の扱い]

100

]もし王が新しい都を作りたいなら44、 作って上記(

6

)の場所を離れる。

この屋敷には許嫁が住む45、 彼女自身の牛たちと共に。

[旱魃

104–105

igicuba

壺に王権金槌と浄めの水撒き具を入れる]

この

igicuba

壺に

Imiyobora

の金鎚46が入る。

105

]その壺に浄めの水撒き具が入る。(終)

以上の「旱魃の道」で問題なのは、雨を目覚めさせる(

kubyuts imvura

) ために浄めの道具を持って

Tsoobe

が具体的にどこで何をするのか書いてな いことである。これに関して注目されるのは、かつて王宮のあった丘の頂上 などに置かれた「雨を呼ぶ大壺」

intango ya imvura

(「雨の大壺」)が植民地

月、西暦

12

月〜

1

月頃)の初めの通り雨に降雨師

Mpande

がつけた名前(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 489

)。

44[旱魃

100

]「新しい都を作りたい」:「旱魃の道」を実施する前の都に戻るのでな

45[旱魃く。

102

]「この屋敷には許嫁が住む」: 儀礼を実施した王宮には王の妻の一人

46[旱魃が住む。

104

]「

Imiyobora

の金鎚」:(

-yobora 3,4

)王と行動を共にする二個の小さ な金槌。王を悪霊から守ると考えられた。「水飼いの道」

604

:「夜、王を警護す る金鎚は

Imiyobora

(宇野

2014: 169

)。

-yobor

は「祖霊に住まいを指し示す」の 意(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 461

)。

(11)

時代にも残っていたと民族学者の

Lestrade

や行政官の

Bourgeois

が書いて いることである。壺は頸部まで埋めてあり、周囲を簡単な小屋で囲って聖な る降雨管理所

ivubiro

-vubiro 5,6

)を作り、傍らに呪的な護衛としてエリス リナの木(

umuko, umuriinzi

)やイチジクの木(

umuvumu, umutaba

)など が植えられていた。聖なる降雨管理所に依って雨を降らせることを

kubyara imvura

(「雨を産む」)ないし単に

kuvuba

(「雨を降らせる、支配する」47)と 言ったという。

ivubiro

は今日では測候所を意味する(

Coupez et al. 2005:

2736

)。

Bourgeois

1956: 240

)は、

Kayijuka

という歴史学者(不詳)が調べたと いう

14

カ所の雨の壺の所在地と、それらを設置した王のリストを掲げてい る。そのうち

Gasabo

Rubengera

については、

Lestrade

の調査報告があ る。以下、情報をまとめておく。

1. Rukoma

(ルワンダ中西部

Gitarama

県東北部)の

Kamonyi

丘に

Kigeri IV Rwabugiri

王(在位

1867–1895

)の壺が一個ある。

2. Nyanza-Busanza

(ルワンダ中西部

Gitarama

県南部)の

Giseke

Kigeri IV Rwabugiri

王の壺が一個。

3. Bwanacyambwe

Kigari

県南部)の

Gasabo

Kigeri III Ndabarasa

王(

Kagame 1959: 87

によれば

1708–1741

Vansina 2001: 268

によ れば

1786–1796

)の壺が一個と

Kigeri IV Rwabugiri

王の壺が一個。

Kigeri

という王号を持つ王は特に優れた降雨師という評判を持つと

いう(

Bourgeois 1956: 241

)。

Gasabo

はルワンダ王国の発祥の地と 言わ れ(

Kagame 1972: 48

)、 王 宮 址に は

Euphorbia candelabrum

-duha 7, 8

)やドラセナ属

Dracaen

の龍血樹(

-hati 3,4

)の大木が 生えている。その土地は

Zigaba

クランのフツに属し、彼らの中か

47 動詞

-vub-

は、雨(

imvura

)を降らせるだけでなく、止めたりすることも含んで

おり、雨をコントロール、支配する意味を持っている。従って、

umuvubyi

つま

-vub-

する人も、単なる雨乞い師より広い能力を持っていた(

Coupez et al.

2005: 2735, 2737

)。

(12)

ら上記の壺を代々守る儀礼家(

umwiru

)が出た。彼は先祖代々の 太鼓を持っていたが、

Mutara III Rudahigwa

王(

1931–1957

)に取 りあげられて、今は王家の宝庫に入っている。首まで埋められたこ れらの壺は、神

Imana

から授けられた水を乾期にも保っており、

雨を招くと信じられた。

Kigeri III Ndabarasa

王のものとされる古 い方の壺は、王が住んでいた所に近い

Gasabo

の丘の頂上に埋めら れて、呪術的な植物、特に白い花の咲く

ikiziranyeenzi

(クマツヅ ラ科の

Clerodendrum rotundifolium

)や

ikibonobono

(トウダイグ サ科のトウゴマ

Ricinus communis

)に守られていた。もう一つの、

Kigeri IV Rwabugiri

王のとされる壺は、

Nyanza

近くの

Rushoka

(牛に水を飲ませる水飼い場)産の大きな土器で、

Rwabugiri

王の時 に降雨を促すためにそこに埋められたとされる。その場所には、悪 霊を寄せ付けないリュウゼツラン科チトセラン属の植物が沢山植えら れている。二つの壺には、雹を押し返すという水晶片が入っており、

さらにストローと女性器の形をした小型の土器

urwabya

<kubyara

「産む」)も入っていた(

Bourgeois 1956: 240–241; Lestrade 1972:

270

)。

4. Bwishaza

(ルワンダ西部、キヴ湖の東岸、

Kibuye

県北西部)の

Rubengera

Kigeri IV Rwabugiri

王の壺が二 個。

Rubengera

Rwabugiri

王の都の一つで、

Lestrade

によると、

Rwabugiri

王の息 子の

Yuhi V Musinga

王はここで生まれた。

1929

年に

Lestrade

Musinga

王を現地に連れて行き、雨の壺を見せたという。壺に

入っている水は

Bweramvura

kwera

「熟す」+

imvura

「雨」)の儀 礼用水源(

la source rituelle

)から来ていると言われたが、偉大な フツの降雨師

Ndagano

の住む

Bukunzi

Cyangugu

、現ルワンダ西

南部)の

Ndendezi

から来ている可能性もあるとされた。大きい方

の壺は胴径

60 cm

、高さ

84 cm

、口径

50 cm

で、頸部の四方に把 手があった。原料の陶土は

Nyanza

近くの

Rushoka

の水飼い場の

(13)

沼沢から取った。壺の中には豊穣の(

Bourgeois

によれば女性器形 の)鉢(

nkurubindi

ないし

urwabya

)、角錐状の紫水晶で蓋をされ 中に正体不明の物が入った魔法の牛角(

ihembe rya imvura

「雨の 角」、

cf. Lestrade 1972: 271

)、完全に透明な高さ約

10 cm

、厚さ

2 cm

の六角柱形の水晶、雹の雲を遠ざけるための

48

個の水晶のか けら、および一本のストローがあった。

Musinga

は鉢を取り出さ せて

Nyanza

に持ち帰った。近くに別の胴径

60 cm

、高さ

60 cm

の 壺があったが、よその国々のための大壺(

intango y

ʼ

amahanga

)な ので、中には約

10

個の水晶片しか入っていなかった。農業暦の始 まる雨期の初め(西暦

9

月〜

10

月)に精霊祭祀(

Ryangombe

)の 信者たちが壺を覆う葉叢の下で神

Imana

に加護を祈り、

Tege

クラ ンの雲の呪術師が壺に水を注いで溢れさせ、新しいめぐみの雨の到 来を促し、種まきが始まった(

Bourgeois 1956: 241–242; Lestrade 1972: 269–271, fig. 1, 2

)。

5. Cyesha

(ルワンダ西南部、

Cyangugu

県東北部)の

Nyamasheke

Kigeri IV Rwabugiri

王の壺が一 個。こ こ に は王 宮が あ っ た

Kagame 1975: 97

)。

6. Buberuka

(ル ワ ン ダ東 北 部の

Byumba

県 西 部)の

Muyumbo

Kigeri IV Rwabugiri

王の壺が一個。

7. Mutara

(ル ワ ン ダ東 北 部の

Byumba

県 東 北 部)の

Gatsibu

Kigeri IV Rwabugiri

王の壺が一個。

8. Nduga

(ルワンダ中部)の

Zina

([旱魃

90

]の注を参照)に

Cyirima II Rujugira

王(

Kagame 1959

によれば

1675–1708

Vansina 2001

に よれば

1770–1786

)の壺が一個。

9. Kabagali

(ルワンダ中部)の

Bweramvura

([旱魃

87

]の注を参照)に

Yuhi III Mazimpaka

王(

Kagame 1959

によれば

1642–1675

Vansina 2001

によれば

c.1735-?

)の壺が一個。

10. Nyantango

(ルワンダ西部、

Kibuye

県東南部)の

Nzaratsi

Yuhi

(14)

II Gahima II

王(

Kagame 1959

によれば

1444–1477

Vansina

によ れば

1576

±

16

)の壺が一個。

Yuhi II

王は

Nyabarongo

川の最上流 を西に渡って

Nyantango

地方の

Nzaratsi

に都を置いて、キヴ湖東 岸まで制圧した(

Kagame 1972: 83;

宇野

2011: 120

)。

11. Buhoma

(ルワンダ北部、

Ruhengeri

県西南部)の

Buhanga

にルワ ンダ王国の神話的創始者の

Gihanga

王の壺が一個。

Gihanga

王が ここに住み、その王宮跡には非常に神聖な森があったという。ここ で彼は最初の王権太鼓

Rwoga

鼓を得て即位し、滅びかけた

Aba-

renge

王国の秘典の最初の歌を

Rubunga

から示されたとされる。

Rubunga

Tege

の儀礼王の先祖で、「偉大なる国王擁立者」と呼

ばれる。

Yuhi II Gahima II

王以降、

Gihanga

王のために牧畜祭祀 を行う世襲の祭官が置かれて、雄牛

Rugira

とその雌牛群

Ingizi

管理し、また

Gihanga

が作った

Gakondo

軍の一部が配置された

Kagame 1972: 39–40, 43

)。秘典では「火の道」

103

、「初穂の道」

185

、「水飼いの道」

193

414

Buhanga

産の

intango

壺を使って 水を沸かすが、雨との関連は出てこない(宇野

2014: 145, 159;

宇野

2016b: 343;

宇野

2015b: 84

)。

12. Mayaga

Nduga

の東南)の

Gitovu

Kigeri Rwabugiri

王の壺が 一個。

13. Rukiga

(ルワンダ東北部の

Byumba

県南西部)の

Busigi

の降雨師

Minyaruko

の壺が一 個。

Munyaruko

Busigi

の王・ 降 雨 師の

Nyamikenke

の子で、

Nyiginya

家の

Ruganzu II Ndori

の即位を助 けた。ルワンダ王国の王権太鼓

Karinga

Munyaruko

の家で作ら れたと伝えられ、彼の子孫は

20

世紀まで宮廷で太鼓の管理をして きた(宇野

2011: 97, 103

35

)。

14. Bukunzi

(ルワンダ西南部、

Cyangugu

県中部)の

Nyamubembe

地元のフツ王で降雨師の

Ndagano

の壺が複数。

(15)

この「雨の大壺」のリストと「旱魃の道」

87–92

Tsoobe

が目覚めさせ た雨の名前を比べると、前者には所在地しかなく、壺が関係したかも知れな い雨の種類は分からないのに対し、後者は雨の種類に関わる名前が多く、地 名はほとんどないので、両者に共通する名前が多くないのは仕方なかろう。

しかし、それでも、

Bweramvura

Zina

が共通している。しかも、これら 壺は

Yuhi III Mazimpaka

王時代と

Cyirima II Rujugira

王時代の壺であり、

「雨の大壺」リストに多い

Kigeri Rwabugiri

王時代の壺より古い。

これらのことから、

Tsoobe

の儀礼王が雨を目覚めさせて回るというのは

「雨の大壺」の聖域を浄めて回るということだったと推測されるが、「旱魃の 道」で巡る地点は植民地時代に調査された「雨の大壺」のリストとは多かれ 少なかれ違っていたと思われる。

2

.「蜜蜂の道(

Inzira y

ʼ

Iinzuki

)」の訳48

蜂蜜が旱魃、洪水、牛疫と並ぶのは奇異に感じるが、ルワンダの日常生活 や儀礼では蜂蜜を使ったアルコール飲料が不可欠であった(

Lestrade 1972:

209–216, 262–267; Taylor 1992: 36–37

)。

[梗概]蜜蜂が反乱すると、つまり新しい女王蜂が生まれて前の女王蜂が 飛び去る分封(ぶんぽう)が起き、働き蜂が半減して巣箱の蜜の生産が落ち ると、事態を納めることができる王家の直系祖先は誰かを占う。祖先が選ば れると、

Tege

儀礼王が西北山地に赴き、「勝つ」木で太鼓の胴と浄めに使う 壺を作って持ち帰る。ビールと「尊敬すべき者たち」の牛乳で太鼓を浄め、

「欲する」の木で作った心臓を入れ、「茶褐色の者たち」の雄牛の皮を張る。

最後の革紐は

Tege

の儀礼王が締める。「戦う者たち」の雄牛の血を太鼓に塗

る。王と

Tsoobe

の儀礼王が主殿に入り、

Gihanga

祠と蜜蜂岩で捧げる供物

を、先に占いで選ばれた祖先(

Mirembe

)の霊に披露する。

Tsoobe

が供物、

48[蜜蜂

0

d

ʼ

Hertefelt & Coupez

1964: 32–37

)のルワンダ語原文と仏訳による。

[ ]内は私の補足。

(16)

Tege

が太鼓を持って

Gihanga

祠に行って祈願し、雄牛と不妊の雌牛を供犠 する。次いで

Tsoobe

は蜜蜂岩に行き、

Tege

は都に帰る。

Tsoobe

Mirem- be

の子孫夫婦と共に

Mirembe

にビールと雄牛を捧げ、牛乳で蜜蜂岩を浄め

る。

Tsoobe

は都に帰り、浄めの道具を全国の首長たちに配り、全国の巣箱

を浄めさせる。

[蜜蜂

1–5

: 蜜蜂の分封を制御できる王家の祖先を占う]

蜜蜂(

iinzuki

)が反乱(

urugomo

49を起こすと、

蜜房を作ら(

zifubika

)なくなり、

巣箱(

imizing

)は不毛になる。

卜占儀礼家を呼び、

5

]事態を完全に制御できる祖先50は誰なのかを占い師に相談に行 かせる。

[蜜蜂

6–12

Tege

の儀礼王が太鼓の胴と

igicuba

壺を作る]

祖先が占いで指定されたら、

Nyabirungu

の子孫51を呼ぶ。

彼は

Mugamba

52に行く、

Nyarutagara

Muganza

53の。

49[蜜蜂

1

]「反乱(

-gomo 11

)」:

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964

は「反乱」が何か説明 していないが、

Lestrade

1972: 210

)が言うように、蜜蜂の分封(ぶんぽう)を 指すらしい。つまり、巣の個体が過剰になると、新しい女王蜂が生まれ、旧女王 蜂は巣を新女王蜂に譲って働き蜂の半数ほどを連れて出ていき、もとの巣箱では 蜂蜜の生産性が落ちる。

50[蜜蜂

5

]「祖先」:(

-kuraambere 1, 2

)二代、三代、四代、あるいはそれ以上の父 方の直系祖先、またはその霊(

Coupez et al. 2005: 1426

)。ここでは王の祖先。

51[蜜蜂

7

]「

Nyabirungu

の子孫」:

Tege

の儀礼王。

52

では「

Kabagari

の住人」と 呼ばれる。[旱魃

12

]の訳注を参照。

52

8

Mugamba

: 中部のルワンダ人が西部や北部の山地を呼ぶ名前。良質の蜂蜜

が取れることで知られる(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 470; Pagès 1933: 563

)。

53[蜜蜂

9

]「

Nyarutagara

Muganza

」: 不明の地名。次行の木の名前

umuganza

とかけている。

(17)

10

]彼はそこで

umuganza

(「勝つ」)の木54から太鼓を粗造りする。

そして

umuganza

(「勝つ」)の木で

igicuba

55

63

)を作る。

彼は太鼓(

10

)[と壺(

11

)]を持ちかえる。

[蜜蜂

13–34

: 太鼓に心臓を入れ、浄め、皮を張り、血を塗る]

牛軍「茶褐色の者たち」(

Ingina

56の雄牛を一頭連れてこさせ、

来たら、殺す57

15

]太鼓を組み立てる:

Umwifuuzo

(「欲する」)の木で作った心臓58を持ってくる。

牛軍「尊敬すべき者たち」(

Inyubahiro

59の牛乳を運んでこさせる。

美しい浄めの水撒き具(

61, 81, 89, 94

60も、

王の清めに使えるものを。

20

]そして蜂蜜入りソルガム・ビールと蜂蜜酒も。

太鼓の中を水撒き具で浄める。

こう言いながら:「ここに清浄な物があります。

ルワンダの王は清浄です。

ルワンダの太鼓は清浄です。

25

]ルワンダの男は清浄です。

ルワンダの女は清浄です。

54[蜜蜂

10

]「

umuganza

の木」:クスノキ科の植物

Ocotea michelsonii Robyns et Wilczek

Troupin 1978: 265

)。「勝つ」を意味する動詞

-ganz-

とかけている。

55[蜜蜂

11

]「

igicuba

壺」:[旱魃

32

]の注を参照。

63

行目で浄めの水撒き具を浸す。

56[蜜蜂

13

]「茶褐色の者たち」:

Ruganzu II Ndori

が作り、

Singa

クランの

Tukura

リニジの名祖の

Gutukura

に与えられたと言われる牛軍。現実の牛の集団として は存在せず、秘典の観点から

Tukura

リニジに属する全ての牛がこれに属し、

Kono

クランの儀礼王が管理し、宮廷儀礼で使うマイナーな太鼓の皮を替える必 要が生じたときに雄牛を差し出した(

Kagame 1961: 19–20

)。

57[蜜蜂

14

]「雄牛を殺す」: 太鼓に張る皮を取るため。

58[蜜蜂

16

]「

umwifuuzo

の木で作った心臓」:

umwifuuzo-

ifuuzo 3,4 < -ifuuz-

「欲する」)はウルシ科(

Anacardiaceae

)の喬木

Pseudospondias microcarpa

A.

Rich

Engl.

Troupin 1983: 295; Coupez et al. 2005: 1001

)。心臓は[旱魃

31

]の 注を参照。

59[蜜蜂

17

]「尊敬すべき者たち」:[旱魃

33

]の注を参照。

60[蜜蜂

18

]「浄めの水撒き具」(

-uhagiro 7,8

):[旱魃

34

]の注を参照。

(18)

ルワンダの牛は清浄です。

王のルワンダは清浄です。」

Nyabirungu

の子孫(

7, 32

)が皮紐を固定する

30

]四本。

作り方を知っている儀礼家の誰かにやらせ、

仕上げの革紐は

Nyabirungu

の子孫(

7, 29

)が締める。

「戦う者たち」(

Indwanyi

61から雄牛を連れてこさせ、

[殺して血を]上記の太鼓に塗る。

[蜜蜂

35–40

: 儀礼の材料を集める]

35

]「うめく者たち」(

Ibiniha

62から不妊の雌牛(

46, 57, 68

)、

「戦う者たち」(

33

)から雄牛(

46

)、

そして牛軍「垣根の横材」(

Imbariro

63の雄牛(

49, 59, 73, 81, 84

) を連れてこさせる。

Kigombi

64の水(

62

)を運ばせる。

そしてまた

Buhanga

65

53

)の

Nyamvura

66の水(

62

)も。

61[蜜蜂

33

「戦う者たち」:[旱魃

25

]の注参照。他の「道」では、不妊の雌牛と対 の雄牛がどこの群に所属するかは明記されていない。次注参照。雄牛は不妊の雌 牛とともに

69

で殺される。

62[蜜蜂

35

「うめく者たち」: 各牛軍から宮廷に供出された不妊の雌牛(

-guumba

の群(

Kagame 1961: 9

)。秘典でここにしか出てこない。他の「道」で不妊の雌

牛が出てくるときは、どこの群から取るか明記されていない(「洪水の道」

11

「水飼いの道」

734

[宇野

2015a: 116

]、「不敬の道」

145

[宇野

2012: 80

]、「即位の 道」

1095

[宇野

2013: 127

])。

63[蜜蜂

37

「垣根の横材」:

Cyirima II Rujugira

王が作り、王女

Mutinga

Ega

ランの

Banyaga

の息子

Seruhuga

と結婚するときに、娘の子孫のために、婿に与

えたとされる牛軍。ここしか出てこない。ここの雄牛は後で

Mirembe

の雄牛と 呼ばれ(

49, 59, 73, 81

)、

84

で殺される。「垣根の横材」(

-ba

)は、柵杭の間に立 てた葦とソルガムの茎が倒れないように、葦を束ねて縛って水平に渡した補強材

Kagame 1961: 51–52; Delmas 1950: 119–120

)。

64[蜜蜂

38

Kigombi

: 不明の地名。

Gihanga

王ゆかりの地か。

65[蜜蜂

39

Buhanga

: 今のルワンダ北部、

Ruhengeri

県の平野で、

Mukungwa

の西、

Nyamutera

の北にあり、

Gihanga

王が住んだことがあるとされる(

d

ʼ

Her- tefelt & Coupez 1964: 449; Coupez et Kamanzi 1962: carte

)。

66[蜜蜂

39

Nyamvura

: 不明の地名。

(19)

40

]これらの品々を取りまとめる。

[蜜蜂

41–49

: 王が主殿で祖先に供物を披露する]

王が主殿67に行く。

Tsoobe

68が種子と

ingororero

69を持ってくる。

彼は主殿に入り、何某70にお供えし、

こう言う:「ここに

Gihanga

71

55

)のビールがあります。

45

]ここに彼の太鼓(

34

)があります。

ここに雄牛(

36

)がおり、不妊の雌牛(

35

)がいます。

ここに蜂蜜酒と蜂蜜入りソルガム・ビールがあります。

ここに

Mirembe

72

58, 73, 77, 78

)のビールがあります。

ここに

Mirembe

の雄牛(

37, 59, 73, 81, 84

)がいます。」

[蜜蜂

50–71

Gihanga

祠での祈願]

50

Tsoobe

が出発する、

これらのビールとこれらの牛たちと。

Kabagari

の住人(

7, 29, 32

)が太鼓(

34

)を持って出発する。

彼らは

Buhanga

39

)に行き、

完成した屋敷を見いだす73

55

]彼らは言う:「

Gihanga

王(

44

)よ、お願いします。

67[蜜蜂

41

「主殿(

-ambere 9

): 王宮の正門の内側に建てられた大きな建物で、祖 先を祀ったり、王や王母の睡眠、高官の謁見に使ったりした。

68[蜜蜂

42

Tsoobe

Tsoobe

の儀礼王。

69[蜜蜂

42

]「種子と

ingororero

」:どちらも祖先祭祀に用いる。種子の使い方は

[洪水

30

]の訳注を参照。

ingororero

は[旱魃

72

]の注を参照。

70[蜜蜂

43

]「何某」(

kaanaaka 1

):

5

6

行で選ばれた祖先霊。

71[蜜蜂

44

]「

Gihanga

王」:ルワンダ王国の神話的始祖で、ルワンダ王は全て彼の

直系子孫とされる。秘典に

Gihanga

が出てくるのは珍しく、「蜜蜂の道」

44

55

と「火の道」

160

(宇野

2015b: 88

)だけである。

72[蜜蜂

48

Mirembe

: 蜜蜂の生産力を確保する能力をもつ祖先霊として「蜜蜂の

道」のみに出てくるが、詳細は不明(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964: 470

)。

73[蜜蜂

54

]「完成した屋敷を見いだす」:

d

ʼ

Hertefelt & Coupez

によれば、この屋 敷は、

Buhanga

Gipfuna

にあった

Gihanga

王祠で、ここで

Gihanga

王は最初 の王権太鼓の

Rwoga

鼓を即位させたといわれる(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964:

290, 457;

宇野

2014: 139

)。

(20)

ここに蜂蜜入りソルガム・ビールと蜂蜜酒があります。

ここに雄牛(

36–37, 46, 68

)がおり、不妊の雌牛(

35, 46, 68

)がい ます。

ここに

Mirembe

のビール(

48

)があります。

ここに

Mirembe

の雄牛(

37, 49

)がいます。

60

]ここに

umuganza

の木(

10

)でできた太鼓があります。

ここに水に浸した浄めの水撒き具(

18, 81, 89, 94

)があります、

Kigombi

の水(

38

)と

Nyamvura

の水(

39

)を、

Umuganza

の木でできた

igicuba

壺(

11

)に入れて浸し、

巣箱を浄めるためです。

65

]蜜蜂の反乱に勝って下さい。

蜜蜂のために勝って下さい。蜜蜂を創ったのはあなた自身です。」

太鼓(

52

)が起床の合図をそこで鳴らし、就寝の合図をそこで鳴 らす74

上記(

35, 36, 46, 57

)の雄牛と不妊の雌牛を連れてきて、

それらを殺し、雌牛たちを厳かに[

Gihanga

王に]差し出して搾乳 する。

70

]そこで楽器に合わせて踊り、武勲を朗誦する75。 一日中踊って過ごす。

[蜜蜂

72–90

: 蜜蜂岩を浄める]

Tsoobe

が出発する、

Mirembe

の上記(

48, 58

)のビールと上記(

37, 49, 59

)の雄牛と共 に。

Nyabirungu

の子孫(

7

)が宮廷に戻る。

74[蜜蜂

67

]「起床の合図、就寝の合図」:

Gihanga

王の王宮での生活を再現してい るらしい。

85

行でも同じ動作が繰り返される。

75[蜜蜂

70

]「武勲を朗誦」: 娯楽の一種。宇野

2016a: 222

33

参照。

(21)

75

Tsoobe

が蜜蜂岩(

Rutare rw iinzuki

76に行く。

そこには屋敷が完成している。

Mirembe

の子孫が妻を連れて到着する。

彼らは言う:「

Mirembe

よ、お願いします。

ここに蜂蜜酒(

73

)があります、

80

]王から贈られた。

ここに雄牛(

37, 49, 59, 73, 84

)がいます。ここに浄めの水撒き具

18, 61, 89, 94

)があります、

蜜蜂を清めに行くための。」

翌朝

上記(

37, 49, 59, 73, 81

)の雄牛を殺す。

85

]太鼓が起床の合図と就寝の合図を鳴らす。

女たちが来て踊る。

Mwijuka

の雌牛たち77、すなわち

「太鼓の撥たち」(

Imirishyo

78の雌牛たちが厳かに差し出され搾乳 される。

浄めの水撒き具(

18, 61, 81, 94

)で

76[蜜蜂

75

]「蜜蜂岩(

urutare rw iinzuki

)」:

Ruhengeri

県東南部の

Buberuka

地方

Kabuye

山(標高

2647m

)のどこかを指すらしい(

d

ʼ

Hertefelt & Coupez 1964:

290

)。この山の一帯は古くから

Mwijuka

というフツの王が支配し、ルワンダ王 の権力は及ばなかったが、そこに

Kabuye

という名の水源があって、その水は蜜 蜂を生産的にするといわれた(

Historique et chronologie du Ruanda. 1956: 157

)。

この山には

Gihanga

王の王宮があったとも伝えられ、王が山頂に掘らせた井戸

は代々

Mwijuka

一族が管理し、ルワンダ王の即位式でその水が用いられた

Kagame 1972: 43;

宇野

2013: 103

51

)。

77[蜜蜂

87

]「

Mwijuka

の雌牛たち」:

Mwijuka

は、上記

75

の蜜蜂岩の訳注で触れ たフツ王。秘典ではここにしか出てこない。その雌牛たちと次行の「太鼓の撥た ち」のつながりは不明。

78[蜜蜂

88

]「太鼓の撥たち」:この牛軍は秘典では他に「即位の道」

412, 497

に出 てくる。その創設は

Gihanga

王に遡るとされ、

1896

年まで

Tege

の儀礼王の指 揮下に置かれた(

Kagame1961: 13–14

)。「即位の道」

415–416

で雌牛たちから 搾ったミルクに浄めの水撒き具を浸した(

d

ʼ

Hertefelt et Coupez 1964: 242–243

のと同じように、ここでも水撒き具をミルクに浸して次の

89–90

で蜜蜂の岩を 浄めるのであろう。

(22)

90

]蜜蜂岩を浄める。

[蜜蜂

91–95

: 浄め具を各地の首長に配り巣箱を浄めさせる]

浄めの水撒き具は宮廷に戻り、そこの浄めの水撒き具と一緒になる。

それらをすべての首長に分かつ。

彼らが蜜蜂を清めに行けるように。

巣箱の所有者たちが浄めの水撒き具(

18, 61, 81, 94

)を持つように。

95

]蜜蜂は生産を高め、蜂蜜の収穫が豊かになる(終)

3

.「洪水の道(

Inzira ya Kivu

)」の訳79

[梗概]洪水が起きたら、過去の

Kono

儀礼王の誰が起こしたのかを占う。

それが分かったら、

Nyira-bwanacyambwe

に屋敷を作る。雄牛と不妊の雌 牛、ビール、

Rembo

の呪詛専門家たち、

Twa

の乳房のない女か子供を産ま ずに置いた女、

Rembo

の黒い山羊を王宮前広場に立たせる。王が

Tsoobe

と牛王祠にシコクビエの種子とビールを献じて洪水の鎮圧を祈願し、洪水の 責任者とされた過去の

Kono

の儀礼王への供え物、および辺境に

Rembo

た ちが連れて行く者たちを紹介する。次いで

Tsoobe

がそれらを連れて出発 し、

Kono

の儀礼王の領地の

Nyamuweru

丘に寄って「煤けた者たち」の

「黒」という名の雄牛を受け取り、

Kono

の儀礼王とその許嫁とともに

Ny-

ira-bwanacyambwe

の屋敷に行き、洪水の責任者の霊に洪水の鎮圧を祈願す

る。その夜、

Kono

は許嫁と性交する。翌朝、雄牛と不妊の雌牛を供犠し、

雄牛「黒」に凶作の作物を食べさせ、責任者の霊に祈願する。

Cumbi

が、

Rembo

Twa

の女、黒い山羊、雄牛「黒」を辺境の

Gishamba

に連れ て 行って殺す。

Kono

の祖先霊の屋敷に戻り、

Roha

の儀礼家たちに清めの水 を調合させ、王宮前広場に集まった人々を浄める。首長たちと宮廷の耕作管 理官が浄め具を持って畑と穀倉を浄めに行く。こうして洪水が鎮められる。

79[洪水

0

d

ʼ

Hertefelt & Coupez

1964: 26–31

)のルワンダ語原文と仏訳を使った。

[ ]内は私の補足。

(23)

[洪水

1–8

: 洪水の原因となった

Kono

の儀礼王の祖先を占う]

洪水(

kivu

)が起きたら、

つまり、大雨(

iimvura ya kivu

)が降ったら、

収穫が台無しになる。

ソルガムが台無しになる。

5

]シコクビエとインゲンマメも80

卜占儀礼家(

abaraguza b aabiiru

)たちが占いをさせに行く、

Nkima

Cyabakanga

Butare

について81

彼らのうちの誰が原因となった(

uwateey

)のか82を知るために。

[洪水

9–10

Kono

の祖先の屋敷を作る]

占った動物の兆しが白かったら83、屋敷を作りに行く84

10

Nyira-bwanacyambwe

85

45, 89

)に。

80[洪水

4–5

]「ソルガム、シコクビエ、インゲンマメ」: 主要作物を挙げている。

81[洪水

7

Nkima

Cyabakanga

Butare

」:各代の

Kono

クランの儀礼王が順に 名乗った王号。

Kono

の儀礼王は、どのクラン出身の王妃が産んだ王子が次の王 になるかを定めた極秘の遺言を保管した。

Kono

の儀礼王は

Bumbogo

南部の

Nyamweru

の丘に本拠を構え、独自の王権太鼓

Nkurunziza

をもち、上記の三つ

の王号を順に使い、宮廷儀礼家の序列第五位の地位を代々継承した(

Kagame 1947a: 370; 1972: 62–63; Delmas 1950: 138–141; Nyagahene 1997: 551–567

)。

Kono

の儀礼王は、ルワンダ王と同様、王号と個人名を組み合わせて呼ばれたと 思われるが、ここでの占いではそれらの王号を持った過去の王を特定したのかも 知れないし、過去の儀礼王たちは個人名を忘れられて王号に集約されて、王号の みを占ったのかも知れない。

82[洪水

8

]「原因となった(

-teer-

)」:

Kono

の祖先霊に対する儀礼家の態度から察 するに、悪意で洪水を起こしたというのではなく、怠慢ないしうっかりして洪水 が起こるのを許してしまったと考えられていたように見える。

83[洪水

9

]「占った動物の兆しが白かったら(

imaana yeera

)」: 占いに使う動物は 明記されていないが、宮廷の占いで最も普通に使われたのは雄の子牛で、占い師 はその内蔵を観察して占いの答を得る。「白かったら(

-eer-

)」は「兆しが好まし ければ、肯定的であれば」、ここでは「原因が明らかになれば」。白色については

[洪水

18

]の注を参照。

84[洪水

9

]「屋敷(

urugo

)を作りに行く」: 占いで洪水を起こした

Kono

の祖先霊 がわかったら、その霊のために屋敷を作る。

45

以下で、

Tsoobe

儀礼王と

Kono

の儀礼王が霊をこの屋敷に導いて、凶作と洪水に勝つよう祈願する。

85[洪水

10

Nyira-bwanacyambwe

Bwanacyambwe

(現

Kigari

)の

Kibagabaga

の南斜面にある小円丘の名前。秘典では 「洪水の道」

10, 45, 89

にしか出てこな い が、

Kono

儀 礼 王と は縁深い場 所だ っ た ら し い。

Kagame

に よ る と、

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