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(1)

砂川事件「伊達判決」と田中耕太郎最高裁長官関連 資料 : 米国務省最新開示公文書(2013.1.16開示)の 翻訳と解説 (岡田万嗣志村欣一布川玲子十菱駿武教 授退職記念号)

著者名(日) 布川 玲子, 新原 昭治

雑誌名 山梨学院大学法学論集

巻 71

ページ 220‑211

発行年 2013‑03‑30

URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000511/

(2)

砂川事件「伊達判決」と田中耕太郎最高裁長官関連資料

――米国務省最新開示公文書(2013.1.16開示)の翻訳と解説――

布川玲子・新原昭治

目次

文書入手の経緯(布川玲子)

文書コピー

翻訳

新文書の意義と背景(新原昭治)

文書入手の経緯

布川玲子

以下本稿にて紹介する米国務省開示公文書は、在日米大使館マッカーサ ー大使が、1959年月日に米国務長官に宛てて出した航空書簡(G73)

である。砂川事件「伊達判決」

1)

関連米国務省公文書については、国際問 題研究者新原昭治が入手した「砂川ファイル」として纏っていた14点(新 原資料)を山梨学院大学『法学論集』(第64号)において、新原、布川両 名にて年前に紹介したところであるが、今回紹介するのは、2013年月、

布川が、米国立公文書館(NARA)

2)

に対し同国の『情報自由法』

3)

に基づ いて、日本から航空便で開示請求した結果、2013年月末に入手できた資 料である。

布川が、本文書に関心を持ったのは、2012年月フリージャーナリスト

末浪靖司氏より同氏が、NARA で入手した上記新原資料を補充する点

の米国務省開示公文書(末浪資料)の情報提供を受けたことに発する。そ

(3)

こには、田中長官が、自らが裁判長を務めている大法廷裁判にかかる審議 情報を、米国側に伝えていたことが記されている。これを受け、かねてよ り砂川事件関連の日本側公文書開示請求に取り組んでいる「伊達判決を生 かす会」

4)

が、最高裁判所に司法行政文書開示申出

5)

を行うことになった。

布川は、その際、申出書に資料として付す末浪資料の翻訳を担当した。

その翻訳過程で、田中長官が、法廷で当事者に通知する前に米国に裁判 日程を洩らしていることが推測される、G73書簡の存在を知った。しかし これは、安全保障上の理由から NARA 所有国務省開示文書のファイルか ら抜き取られていた。しかし、いったん開示されたものであるなら、誰か 抜き取り前に見た研究者がいるのでは、といろいろ手を尽くしたが見るこ とはできなかった。その後、どうやら NARA での開示作業中に当初から 抜き取られていた可能性が高いことが判明した。

そこで探索を諦めていたところ、本学名誉教授我部政男先生より、上述 の「開示請求」という方法を教示いただき、試みてみた。その結果、専門 の研究者の方々の経験では、開示してもらえることは稀とのことであるが、

各方面の方々のお力添えにより

6)

、今回幸運なことに NARA より開示の 上、コピーを送付していただけた次第である。

(注)

1) 砂川刑事特別法事件第審(裁判長伊達秋雄)判決(東京地判1959年月30日判 例タイムズ89号79頁)

2) National Archives and Records Administration(NARA)

3) Freedom of Information Act(FOIA)

4) この取り組みについては、布川玲子・吉永満夫・吉沢弘久「安保条約改定交渉関 連外交文書にみる砂川事件『伊達判決』」山梨学院大学『法学論集』第66号

(2011年月)参照。

5) 申し出人名、代理人弁護士吉永満夫により2013年月30日申出書提出。

6) 『アメリカ国立公文書館徹底ガイド』凱風社 2008の著者、仲本和彦氏(沖縄県文 16 法学論集

71

〔山梨学院大学〕

― 219 ―

(4)

化振興会公文書主任専門員)には新原先生を通じ種々ご教示いただいた。

(5)

文書コピー

18 法学論集

71

〔 山梨学院大学 〕 ―2 17 ―

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(7)

翻訳

大使館 東京発(発信日1959.8.3 国務省受領日 1959.8.5)

国務長官宛 書簡番号 G-73

情報提供 太平洋軍司令部 G-26 フェルト長官と政治顧問限定 在日米軍司令部 バーンズ将軍限定 G-22

共通の友人宅での会話の中で、田中耕太郎裁判長

1)

は、在日米大使館主 席公使

2)

に対し砂川事件の判決は、おそらく12月であろうと今考えている と語った。弁護団は、裁判所の結審を遅らせるべくあらゆる可能な法的手 段を試みているが、裁判長は、争点を事実問題ではなく法的問題に閉じ込 める決心を固めていると語った。こうした考えの上に立ち、彼は、口頭弁 論は、月初旬に始まる週の週につき回、いずれも午前と午後に開廷 すれば、およそ週間で終えることができると確信している。問題は、そ の後で、生じるかもしれない。というのも彼の14人の同僚裁判官たちの多 くが、それぞれの見解を長々と弁じたがるからである。裁判長は、結審後 の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を¥揺さぶる¨素になる少 数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っていると付言した。

コメント:大使館は、最近外務省と自民党の情報源より、日本政府が新 日米安全保障条約の提出を12月開始の通常国会まで遅らせる決定をしたの は、砂川事件判決を最高裁が、当初目論んでいた(G-81)、晩夏ないし初 秋までに出すことが不可能だということに影響されたものであるとの複数 の示唆を得た。これらの情報源は、砂川事件の位置は、新条約の国会提出

20 法学論集

71

〔山梨学院大学〕

― 215 ―

(8)

を延期した決定的要因ではないが、砂川事件が係属中であることは、社会 主義者

3)

やそのほかの反対勢力に対し、そうでなければ避けられたような 論点をあげつらう機会を与えかねないのは事実だと認めている。加えて、

社会主義者たちは、地裁法廷の米軍の日本駐留は憲法違反であるとの決定 に強くコミットしている。もし、最高裁が、地裁判決を覆し、政府側に立 った判決を出すならば、新条約支持の世論の空気は、決定的に支持され、

社会主義者たちは、政治的柔道の型で言えば、自分たちの攻め技が祟って 投げ飛ばされることになろう。

マッカーサー ウイリアム K. レンハート 1959.7.31

4)

訳者注

1) 当時第代最高裁長官(1950年月―1960年10月)。

2) William K. Leonhart(1919-1997)公使・参事官として在日米大使館勤務(1958 年12月―1962年月)。

3) 実質的には社会党を指す。

4) レンハートの起案日を示すと思われる。ということは、田中長官とレンハートの

会話日は、月30日か29日あたりと考えられる。これにより、最高裁大法廷での

公判期日決定(1959.8.3)の、日前に米国側にその情報が伝えられていたこ

とが分かる。この点の証明に本資料は、重要な意味を持つ。

(9)

新文書の意義と背景

新 原 昭治

日米安保条約改定のための両国間の交渉は、東京で1958年10月以来おこ なわれた。そのありのままの経過を見る上で、米国の国立公文書館に保管 されている関連の米外交文書が最有力資料であることは広く知られている。

だがその開示文書群にも、しばしば空白がある。

今回、布川玲子の開示請求に応えて開示された東京・米大使館の秘密書 簡は、その歴史の空白を埋める貴重な外交文書だが、ここで「空白」と言 うのは、もう一つ別の意味である。

日米安保条約改定の交渉が条約や関連諸取り決めの形をとって、両国代 表による調印により両国間の公式の外交文書となったのは、交渉開始から 15ヵ月後の1960年月であった。今回の「発見」で、未だ少なくない非開 示の日米交渉文書の一つが明るみに出たのだが、それの持つ意味はそれだ けにとどまらない。実はあの日米交渉そのものを途切らせるかのような

「空白」が、年余の長い時間の流れの途中にポッカリと穴をあけていた のだが、その空白の持つ意味が、今回初めて判明したのである。

交渉そのものになぜ空白が生じたのか。それは、長いこと謎だった。

よく知られている例で説明しておこう。「核密約」として有名な事前協 議の運用法を秘密裏に生々しく取り決めた¥裏協定¨である秘密「討論記 録」は、1959年月に完全に仕上がっていた。それなのに半年間は、放置 されたままだった。それがマッカーサー駐日米大使と藤山外相により東京 でイニシャル調印されたのは、半年後の翌1960年月日のこと。ワシン トンでの改定安保条約調印の13日前である。

両国政府が全力投球で推進していた安保条約改定交渉の途中で、日本側 22 法学論集

71

〔山梨学院大学〕

― 213 ―

(10)

は突然1959年月から月にかけての調印というそれまでの計画に待った をかけたのだった。(2010年月開示外務省極秘文書「日米相互協力及び 安全保障条約交渉経緯」1960年作成参照。)従来、安保条約改定問題の研 究家らは、その理由を「自民党の党内事情」に求めた。しかし実は、それ を越える大きな原因があったのだ。東京地裁での伊達秋雄裁判長による

「米軍駐留は憲法違反」の判決(1959年月30日)の跳躍上告を受けた最 高裁が、当初の目論見通りに審議をすすめられなかったことが、予定の時 間表を大きく遅らせた主因であるとした日本側の外務省筋、自民党筋の示 唆を、米大使館もその通りと受け止めていたのである。

その目で、当時の国内報道や開示済みの米解禁文書を読み返すと、興味 深い。

伊達判決からヵ月後の1959年月29日、マッカーサー大使は本国政府 に対し重要な報告電報を送る。月日投票の参院選挙を前にして、もし 日米両政府が安保条約改定で「合意」に達すれば、選挙で「有利な効果を もたらしうる」と岸首相と藤山外相が主張しており、その実現を望んでい ると報告したのだ。米政府の最高意志決定機関「国家安全保障会議」では 翌30日、日米両政府が来たる月20日に改定安保条約の調印をおこなうこ とで合意に達したという事実が報告された。

それから間もない参院選挙直後の月30日、藤山外相が近くみずからワ シントンに出かけて、改定安保条約の調印をおこなうこともあると東京で 公言した。これは、岸首相が月11日からヵ月間、欧州と中南米諸国訪 問への出発が準備されている直前のことで、同外相は「岸首相の外遊中、

ワシントンで調印ということもありうる」と記者会見で述べた(「朝日」

月30日付夕刊)。

しかし月に入ったとたん、安保条約調印に関する見込み発言はにわか

に大きく修正された。月日、政府は、「改定安保条約の調印および国

(11)

会提出の時期については、急がないことに意見が一致した」と公表したの だ(「朝日」月日付夕刊)。それから流れは、1960年月の岸首相訪米 による改定条約調印を事実上待つ形となっていった。

当時、国民の運動と世論が新しい動きを見せていた。社会党、共産党な どの諸政党、労働組合、民主団体等々を結集した「安保条約改定阻止国民 会議」の行動が発展しつつあった。また、戦後日本における最大の冤罪事 件となった松川事件の公正裁判を求める大運動も盛り上がり、砂川事件の 伊達判決支持をも掲げた運動へと進みつつあった。

そのほぼ年前、警察官の権限の大幅強化を狙った警察官職務執行法

「改正」案は、人権侵害との国民的な批判が短時間のうちに全国にひろが って、岸内閣のくわだては孤立し失敗に終わった。それを想起させる事態 の再来が予感された状況だったのである。

そしてなによりも、伊達判決が日本国民の心の中に生き続けていた状況 をアメリカ自身が鋭く敵視していた。元駐日大使特別補佐官の経歴を持つ ジョージ・パッカードが回顧した通り、東京地裁における伊達判決は、

「日米安保条約の正当性に対し深刻な疑念を投げかけただけでなく、1951 年の対日平和条約以来の歴代日本政府の外交的業績のすべてを台無しにし た」(George Packard, PROTEST IN TOKYO:THE SECURITY TREATY CRISIS OF 1960, Princeton University Press)が故に、¥伊達 判決を生かせ¨の国民世論とそれに対立するアメリカ政府の対抗関係は、

安保条約交渉に大きな影を投げかけざるを得なかったのだった。

24 法学論集

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〔山梨学院大学〕

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