学位論 文
ア リー ルGrignard試 薬 を 直 接 求 核 剤 と し た ケ トン の 不 斉1,2‑付 加 反 応 の 開 発
熊 本 大 学 大 学 院薬 学教 育 部
創 薬 ・生命 薬 科 学 専攻 メデ ィ シナル ケ ミス トリー コー ス 分子 薬 化 学 分 野
大坂間 順規
謝辞
本研究を遂行するにあたり、終始御懇篤なる御指導、御鞭撻を賜り、また日々温かく見守 って下さいました熊本大学大学院生命科学研究部 分子薬化学分野 中島 誠教授に深く感 謝致します。
本研究を遂行するにあたり、有益なる御討論ならびに御助言を賜りました熊本大学大学院 生命科学研究部 分子薬化学分野 杉浦 正晴准教授に深く感謝致します。
本研究を遂行するにあたり、有益なる御助言を賜りました熊本大学大学院先導機構 小谷 俊介特任准教授に深く感謝致します。
本論文を審査していただき、有益なる御指導、御助言をいただきました熊本大学大学院生 命科学研究部 生体機能分子合成学分野 大塚 雅己教授に深く感謝致します。
本論文を審査していただき、有益なる御指導、御助言をいただきました熊本大学大学院生 命科学研究部 創薬基盤分子設計学分野 石塚 忠男教授に深く感謝致します。
本論文を審査していただき、有益なる御指導、御助言をいただきました熊本大学大学院生 命科学研究部 生体機能分子合成学分野 藤田 美歌子准教授に深く感謝致します。
本研究を遂行するにあたり、日々切磋琢磨し、苦楽をともにした熊本大学大学院生命科学 研究部 分子薬化学分野の皆様に深く感謝致します。
各種スペクトルデータを測定していただきました熊本大学機器分析センターのオペレータ ーの皆様に深く感謝致します。
長きにわたる学生生活を支え、応援してくださった両親、家族、友人諸氏の皆様に心から 感謝致します。
2016年 春 大坂間 順規
略語表
本論文において、以下の略語を使用した。
Ac acetyl
aq. aqueous
Ar aryl
ATR attenuated total reflection BINOL 2,2’-dihydroxy-1,1’-binaphthyl
Bn benzyl
n
Bu normal-butyl
s
Bu secondary-butyl
t
Bu tertiary-butyl calcd calculated
Cb carbamate
conc. concentrated
DAIB exo-(dimethylamino)isoborneol DCE dicholoroethane
DGDE diethyleneglycol dimethyl ether DME dimethoxyethane
ee enantiomeric excess EI electron ionization equiv equivalent
Et ethyl
h hour
hex hexane
c
Hex cyclohexyl
HPLC high performance liquid chromatography HRMS high resolution mass spectrum
IPA isopropyl alcohol
IR infrared ray
Me methyl
MOM methoxymethyl
Mp melting point
NMR nuclear magnetic resonance
Np naphthyl
Ph phenyl
i
Pr iso-propyl
Re rectus
R
fretention factor
rt room temperature
sat. saturated
Si sinister
TADDOL 2,2-dimethyl-α,α,α’,α’-tetraphenyldioxolan-4,5-dimethanol TBAB tetrabutylammonium bromide
TBME tert-butyl methyl ether temp temperature
THF tetrahydrofuran
TLC thin layer chromatography
TMEDA N,N,N’,N’-tetramethylethylenediamine
t
Rretention time
目次
序論 1
本論
第一節 背景 10
第二節 反応条件の最適化
1. 反応温度および溶媒量の検討 15 2. 最適な不斉配位子の探索 16
3. 溶媒の検討 18
4. ハロゲン原子の検討 19
第三節 各種反応基質における不斉 1,2−付加反応
1. 様々なケトンの反応 20
2. 様々なアリール Grignard 試薬の反応 21
3. その他 Grignard 試薬の反応 22
第四節 反応メカニズムの解明に向けた検討
1. マグネシウム塩に関する考察 23 2. 不斉配位子と生成物の光学純度の相関について 24
3. 溶媒効果について 25
4. 配位子の当量について 27 5. 推定反応メカニズム 29 6. 立体選択性発現機構について 30
第五節 添加剤の検討 32
結語 33
実験の部 34
参考文献 64
序論
1
序論
Grignard試薬
1900 年にフランスの化学者 Victor Grignard によって世紀の発見がなされた。一般式
R−MgXで表す有機マグネシウム化合物、通称 Grignard試薬の誕生である1。この功績によ
り、Grignardは1912年にノーベル化学賞を受賞している。本反応剤は、有機合成化学の黎
明期を支えてきた非常に重要な化学種であり、発見から一世紀以上経った今なお頻繁に利 用されている*。
エーテル溶媒に浸した金属マグネシウムに、様々な有機ハロゲン化合物をゆっくりと滴 下することで、対応するGrignard試薬を比較的容易に調製できる。Grignard試薬の調製は、
有機化学者ならば誰しもが経験する実験であり、取得必須なテクニックと言っても過言で はない。試薬メーカーから数多くのGrignard試薬が市販されるようになった今なお、その 重要性に変わりはない。
Grignard 試薬の特筆すべき点はその汎用性の高さにある。R に当たる置換基としては、
アルキル、アルケニル、アルキニル、アリールなど幅広い範囲の化合物が使用可能である。
また、強い求核性と塩基性を有しているため、様々な求電子剤と容易に反応し、対応する 生成物を与える(Figure 1)。中でも特に利用価値が高いカルボニル化合物、特にケトンとの 反応について以下に述べる。
* 近年では、Post-Grignard 試薬として、カルシウムを利用した研究も盛んに行われており、物性や構造 などが報告されている2。
序論
2
Grignard試薬とケトンとの反応
第三級アルコールは、天然物や医薬品合成において有用な中間体である3。本骨格を最も 簡単に構築する手法として、有機金属試薬のケトンへの1,2−付加反応が挙げられる4。これ までに金属源としてリチウム、ホウ素、アルミニウム、ケイ素、銅、亜鉛、チタンなど様々 なものが利用されているが、高い汎用性、利便性からGrignard試薬が最良の選択と言える。
しかし、Grignard 試薬は強塩基としても作用するため、カルボニル α 水素の脱プロトン化
によるエノール化の競合が問題となる。また、時としてGrignard試薬からβ水素移動によ ってケトンが第二級アルコールへと還元され得る。これらの副反応が原因となり、所望す る第三級アルコールが収率良く得られない場合が多々ある(Scheme 1)。
Grignard試薬は形式上R−MgXと表しているが、実際の組成は非常に複雑である。Figure
2 の右上に示したSchlenk 平衡を介して様々な複合体を形成する。また、この平衡も溶媒 や反応温度に依存するため、反応挙動を端的に示すことは困難である5。しかし、これま でに数多くの研究者たちの弛まぬ努力によってその一端が明らかにされており、現在では 以下に示す遷移状態が提唱されている5,6。
序論
3
反応機構の考察とともに、第三級アルコールの化学収率改善に向け、古くから数多くの 検討がなされている。古典的には、溶媒を変更する7、有機塩基8や第四級アンモニウム塩9を 添加剤とするなど様々な手法が検討されていたが、一般性に乏しいものが多い。
これらに対し、近年では、金属塩を添加する効果的な手法が数例報告されている。例え ば、今本らによる塩化セリウム(III)10、Knochelらによる塩化ランタン(III)・ビス塩化リチウ ム錯体11などが知られている。また、石原らが Grignard 試薬から調製できるアート錯体が 高効率的なアルキル化試薬として機能することを見出している12。
この他、イッテルビウム13や鉄14などを利用した反応開発も報告されている。しかしこれ らはいずれもGrignard試薬以外に別の金属試薬を加える必要があるため、環境調和の観点か らは、金属を必要としない反応開発が望まれていた。
ごく最近になり、他の金属を必要としない一般性の高い手法がSongらによって確立され た。彼らは第四級アンモニウム塩とジグリム(DGDE)を加えることで、1,2−付加反応の化学 収率改善に成功した(式1)6f。アンモニウム塩のカウンターアニオンがGrignard試薬間の架橋 を促進し、Schlenk平衡を二量体側に偏らせると同時に、ジグリムの配位によってGrignard 試薬の求核性が高まることが成功の要因と述べられている。
このように、ケトンとGrignard試薬から第三級アルコールを構築する手法は興隆の一途を 辿り、もはや信頼性の高い合成法になりつつある。しかし、光学活性な第三級アルコール 合成という観点から考えると、ケトンとGrignard試薬間の反応は驚くほど少なく、有機化学 が大きく発展した現代においても非常に挑戦的な課題である。
序論
4
Grignard試薬とケトン間の反応による光学活性第三級アルコール合成
先述したようにGrignard試薬は、潜在的に非常に高い反応性を有しているため、単にケ トンと混ぜ合わせるだけでは第三級アルコールが収率良く生成しないことが多い。さらに 不斉合成へと発展させ、生成物の立体制御に主点を置いた場合、これは実に難題となる。
未だ十分な解決策は提示されていないが、古くから不斉合成の挑戦は行われており、そ の歴史は1957年に遡る。Wrightらがキラルなエーテル存在下でケトンとGrignard試薬を作 用させると、生成物の旋光度に僅かに偏りが生じることを見出した(式2)15。
また、1969年にInchらによって、1,2:5,6−ジ−O−イソプロピリデン−α−D−グルコフラノー スを不斉配位子とした反応が報告された(式3)16。本反応では、不斉配位子を200 mol %と 過剰に用いることで良好な立体選択性が発現していた。
さらに1988年に野依らは、リチウムとマグネシウムを組み合わせたBINOL由来のバイ メタリックなキラルアルキル化剤を調製し、カルボニル化合物の付加反応に適用している。
アルデヒドを求電子剤とした場合、高いエナンチオ選択性が発現しているが、ケトンの検 討は下の一例のみであり、化学収率、立体選択性ともに中程度に留まっていた(式4)17。
不斉配位子を化学量論量用いて、初めて高い立体選択性にて第三級アルコールを得るこ とに成功したのは Seebach らのグループである。彼らは独自に開発した不斉配位子
TADDOLが効果的に不斉誘起することを見出した(式5)18。しかし、−100℃という極低温条
件下における長時間反応、さらに、ほとんどの基質で化学収率が中程度以下という問題も あり、改善の余地を多く残していた。
序論
5
Grignard 試薬は反応性が高いため、良好な光学純度で目的物を得るためには、一般に不
斉配位子を化学量論量以上必要とする。そのため、近年盛んに研究されている触媒的不斉 合成の観点から、Grignard 試薬を用いたエナンチオ選択的な反応開発は敬遠されるように なった。この Seebach らの報告以降、光学活性第三級アルコール合成には、より反応性の 低い有機亜鉛試薬や有機チタン試薬などが主に利用されるようになり、多数の触媒反応が 開発されるとともに、Grignard試薬は影を潜めることとなる4。そのため、Grignard試薬を 直接求核剤とした第三級アルコールの不斉合成は、上述した数例に限られている。
しかし、調製の簡便さ、低コスト、広範な炭素鎖の適用といったGrignard試薬の有用性 を活かすべく、近年では、Grignard 試薬を反応系中でトランスメタル化することで他の金 属試薬へと変換し、不斉反応へ応用する取り組みがなされている。
例えばGosselinとBrittonらは、化学量論量の(R)-BINOLとジエチル亜鉛、Grignard試薬 からキラルなアート錯体を調製後、トリフルオロピルビン酸エチルと反応させることで、
対応する第三級アルコールを良好な立体選択性で得ることに成功した(式6)19。
さらに近年Minnaard、Harutyunyanらによって初めて不斉配位子ならびに他の金属試薬の 触媒化が達成された(式7)20。彼らはGrignard試薬を有機銅試薬へと変換することで触媒的 不斉反応を成し遂げた。しかし高い立体選択性で目的物を得るためには、嵩高く分岐した
アルキルGrignard試薬を用いる必要があり、直鎖アルキルならびにアリールGrignard試薬
等では低調な立体選択性となっている。
序論
6
これらのように、他の金属と組み合わせることでGrignard試薬による光学活性第三級ア ルコール合成は新たな展開を見せている。しかし、トランスメタル化を経てより反応性の 低い金属試薬を調製することになるため、一般に付加反応完結には長時間が必要となる。
さらに、使用する試薬の増加や、余分な金属廃棄物の生成など好ましくない面も浮き彫り になる。そのため、余分な金属を用いることなく、Grignard 試薬単独で立体選択的に第三 級アルコールを合成する反応は、より簡便かつ環境調和型な化学変換と言えるが、近年で はあまり精力的に研究なされていない*。
* ケトンと有機金属試薬との反応以外にも、光学活性第三級アルコールを得る手法は知られている。例
えば、Aggarwalは、キラルな第二級アルコールを第三級アルコールへと変換する手法を開発した(Scheme
2)21。第二級アルコールをカルバメート保護した後、リチオ化、ホウ素化、酸化と多段階反応を行うこ とで、立体選択性を損なうことなく第三級アルコールを得ることに成功している。用いるホウ素化試薬 によって立体を完全に制御することが可能である。
その他、酵素を用いてキラルな第三級アルコールを得る方法も知られている22。
序論
7
C2−対称配位子 BINOL誘導体
C2−対称性とは、図形を180°回転させた際、同じ状態(等価な形)になるように回転軸を持 つことを表す。キラルな分子がC2−対称性を有している場合、その分子をC2軸と二つの等 しい骨格の重心を結ぶ線を含む面θで区切ると、その面の両側は同じ環境となる(Figure 3)。 また、C2−対称性を有する不斉化合物と対称面 σを持つ化合物が、面σ 内にC2軸が含まれ るように複合体を形成した時、以下のことが言える23。
① C2−対称不斉素子が占有する面 θ の両側に位置するリガンドD、E は、位置を交換して も等価である。すなわち、C2−対称不斉素子と対称面 σを持つ基質、反応剤との複合体 は唯一種しか存在しない。
② 不斉中心を含む二つのリガンド[A、S、M、L]のコンホメーションが唯一種に固定ある いは高い確率で存在する時、複合体の反応場は二つの面θとσにより区切られた四つの 空間に分けることができる。新たな反応剤、基質との反応は、この四つの空間のうち立 体障害ならびに立体電子的要因などの相互作用を含めて、最も都合の良いところで進行 する。
このように C2−対称性を持つ不斉素子を用いた反応は、生成物の立体選択性発現機構を ある程度単純化して考えることができる。また、基本骨格のどの位置に構造修飾すると、
より厳密な不斉空間が構築できるかイメージしやすいため、現在不斉反応に用いられてい る不斉素子の多くは、C2−対称性を有している。
その中でも BINOL(1,1’−ビ−2−ナフトール)は、有機合成において頻繁に利用されている
(Figure 4)。これら両対称体は、2−ナフトール類の不斉カップリング反応24やラセミ体の光
学分割25等によって合成することができるが、現在では試薬会社から市販されており比較 的安価に入手可能である。
序論
8
本化合物は古くから知られていたが、不斉配位子としての大きな可能性が提示されたの は 1979 年のことだった。野依らが、BINOL と水素化アルミニウムリチウム、エタノール からキラルな還元剤(BINAL−H)を調製し、ケトンと反応させることで第二級アルコールを 高立体選択的に得る手法を報告した(式8)26。
この報告を契機として、現在までにBINOL骨格を基盤とした数々の不斉配位子の合成な らびに不斉反応への適用がなされている27。様々な金属原子と組み合わせることで、実に 多様な化学変換が可能となっており、不斉配位子として磐石な地位が築かれている。
ところで、BINOL誘導体を用いた不斉反応において、多くの場合、水酸基近傍である3,3’
位に適切な置換基を導入することで、立体選択性が向上する傾向がある。しかし、これら 誘導体の多くは、芳香環が置換したものであり、アルキル側鎖を有する配位子はほとんど 知られていない。これは、芳香環の平面構造による剛直な不斉空間構築と比較し、アルキ ル鎖は多様なコンホメーションを取り得るため、至適な空間構築が難しいと考えられてい るためである。
アルキル鎖を有する BINOL 誘導体として、Qian らが直鎖エーテル置換体を触媒とした 反応を報告しているが、いずれも生成物の立体選択性は中程度に留まっていた(式9, 10)28。
また、2007年にはChengらによって、ブチル基を導入した配位子を利用したアルデヒド の不斉アルキル化反応が報告されている(式11)29。
序論
9
さらに同年、エチル置換体を用いたケトンの不斉還元反応が Nguyen らによって報告さ れたが、生成物の立体選択性は低調な値となっていた(式12)30。
これらのように、3,3’位にアルキル鎖を有するBINOL誘導体を用いた反応は数例知られ ているが、いずれも大きく改善の余地を残しており、アルキル側鎖による不斉制御が困難 であることが窺える。
以上の背景を基に筆者は、Grignard 試薬を直接求核剤としたケトンの不斉 1,2−付加反応 に関する研究に取り組んだ。また、これまで不斉空間の構築に不向きとされていたアルキ ル側鎖を3,3’位に有するBINOL誘導体が、効果的な不斉配位子として機能することを見出 し、高立体選択的に第三級アルコールを合成することに成功したため、その成果を次節以 降で述べさせていただく。
本論文は「アリールGrignard試薬を直接求核剤としたケトンの不斉1,2−付加反応の開発」
と題し、新規BINOL誘導体存在下、第三級ジアリールアルコールの立体選択的合成ならび に不斉誘起メカニズムについての考察をまとめたものである。
第一節
10
本論
第一節 背景
第三級ジアリールアルコールは、有用な生物活性物質にしばしば見られる重要な骨格で ある31。現在では医薬品として、臨床の現場で使用されているものも多い(Figure 5)。
単一エナンチオマーとして市販されている医薬品もあるため、第三級ジアリールアルコ ールの立体選択的合成は、非常に重要な課題となる。この骨格構築を最も簡単に行う手法 は、以下の 2 通りが考えられる。すなわち、アリールアルキルケトンに対するアリール化 反応、ならびにジアリールケトンに対するアルキル化反応である(Scheme 3)。しかし、後者 は、カルボニル置換基の立体障害の差が小さく、不斉配位子によるエナンチオ面の識別が 困難であるため*、前者の手法が精力的に研究されている。
* ごく最近、Harutyunyan らによってジアリールケトンの触媒的不斉アルキル化反応が報告された(式 13)32。現状では化学収率、立体選択性ともに中程度に留まっているが、更なる改善により本手法の一般 性確立が期待される。
第一節
11
アリールアルキルケトンへの初の触媒的不斉アリール化反応は、1998 年に Fu らのグル ープが報告した(式14)33。彼らは、野依らが開発した3-exo-ジメチルアミノイソボルネオー
ル(DAIB)34存在下、ジフェニル亜鉛を求核剤とすることでこれを達成した。
また、2003年にはYusらによってジフェニル亜鉛と化学量論量のチタンテトライソプロ
ポキシド[Ti(OiPr)4]を組み合わせた不斉アリール化反応が報告された(式 15)35。彼らは、シ
クロヘキサンジアミンとカンファースルホニルクロリドから合成した下図 C2−対称スルホ ンイミド触媒を反応に適用している。
さらに同年、WalshらがYusらと同じ触媒を用いた反応を開発した(式16)36。Yusらのグ ループは、アセトフェノンあるいは芳香環の 4 位に置換基を有する誘導体のみ適用してい たが、Walsh らは芳香環の異なる位置に置換基を導入した基質を用いることで差別化を図 っている。また、本触媒が脂肪族ケトンにも適用可能であることも示されている。
2007年になると石原らが、チタン試薬を必要としない、触媒とアリール亜鉛試薬のみで 良好に進行する不斉反応を開発した(式 17)37。彼らは反応系中で形成される触媒–亜鉛複合 体の亜鉛部位が Lewis酸としてケトンを、ホスホロアミド部位が Lewis 塩基として求核剤 を活性化する二重活性化メカニズムを提唱している。
第一節
12
Fuらの報告を契機として、アリール亜鉛試薬を求核剤とする不斉アリール化反応が数例 報告されているが、そのほとんどがチタンを活性化剤に使用する必要があった38。また、
有機亜鉛試薬は非常に高価である点から、フェニル基以外の求核剤の検討はほとんどなさ れていなかった。
求核剤の適用範囲拡大における一つの解決策として、近年では更なるアリール金属試薬 の拡張が行われている。2007年にはGauらによりトリアリールアルミニウム試薬が、光学 活性第三級ジアリールアルコール合成へと応用された39。入手容易な触媒にて高度な立体 制御が可能である反面、過剰量のチタン試薬を要する。その後、更なる条件検討がなされ、
ヘテロ環等の付加反応へと展開されている(式18)40。
さらに、Gauらはアリールチタン試薬も調製し、同様の反応系へと利用した(式19)41。後 にこの反応系においてもチタンテトライソプロポキシドを追加することで、更なる改善が なされている。
広範な求核種の検討が可能であるアリールGrignard試薬を用いた不斉反応は、ごく最近
Maciá、Yus らによって報告された(式 20)42。大過剰量のチタンテトライソプロポキシドを
用い、Grignard 試薬をチタン試薬へとトランスメタル化することで不斉触媒化を行ってい る。しかし、化学収率、立体選択性ともに満足いく基質は限られていた。
この他、遷移金属と不斉触媒存在下、アリールホウ素化合物を利用した第三級ジアリー ルアルコールの合成例などが知られているが、高価な金属を必要とする43。
これらのように、アリールアルキルケトンに対するアリール金属試薬の不斉 1,2−付加反 応は、比較的最近になって活発に研究が進展している領域である。その多くは不斉配位子 が触媒量で良いという半面、複数の金属を用いる必要があり、また、反応完結のために半 日から丸一日以上の長時間を要する。
第一節
13
さらに、対応する求核剤の調製にも欠点を抱えている(Scheme 4)。アリール亜鉛試薬、ア ルミニウム試薬、チタン試薬は、いずれも対応するアリールGrignard試薬から調製する必
要がある38a, 39-41。これら金属試薬の調製においてGrignard試薬が利用されていることから
も、本反応剤の利便性の高さを再確認することができる。しかし、金属試薬の変換工程に 伴い発生する時間、コスト、廃棄物といった問題は避けることができないため、不斉触媒 反応への応用を差し引いても、真に効率的な反応とは言い難い。そのため、アリール
Grignard 試薬を直接求核剤として不斉反応に用いる試みは、既存の例と比較し利便性や環
境調和性を大きく向上させ得る。しかし、Grignard 試薬の有用性の要因である高い反応性 が、不斉反応への展開における大きな障壁となっていることも事実である。有機合成が進 歩した現代においても、アリールGrignard試薬を直接かつ単独で用いた、単純ケトンへの エナンチオ選択的な付加反応は、触媒反応はおろか化学量論反応も報告されていない*。
ところで当研究室では、3,3’位にフェニル基が置換したBINOL誘導体を触媒としたケト ンの不斉アルキニル化反応を報告している(式21)44。本反応では、反応系中で不斉触媒とな
る BINOL 誘導体のリチウム塩ならびに求核剤であるリチウムアセチリドを同時に調製し
ている。この先行研究から筆者は、リチウムと類似の軽金属であるマグネシウムを用いた 場合にも、同様の活性種が生成し、効果的に不斉誘起が可能ではないかと考えた。
第一節
14
そこで BINOL 誘導体存在下、アリール Grignard 試薬を直接求核剤としたケトンの不斉
1,2−付加反応を行うことで、第三級ジアリールアルコールの簡便かつ高立体選択的な構築 法確立を目指し、本研究に着手した。
* 分子内に不斉補助基を有するケトンを基質とした、アリールGrignard試薬によるジアステレオ選択的 な手法は数例報告されている(Scheme 5)。例えば、Mylesらはキラルなα-ケトアセタール(式22)45a、Ready らは o-スルフィニルアセトフェノン(式 23)45b、三浦らは(Z)-β-スルフィニルエノン(式 24)45cを利用した 反応開発を行っている。いずれも非常に高いジアステレオ選択性にて第三級アルコールが得られるが、
各反応基質の合成には数工程を要する。
第二節
15
第二節 反応条件の最適化
1. 反応温度および溶媒量の検討
まず初めに、2’-アセトナフトン(1a)とフェニルマグネシウムブロミド(2a)を用いて検討を 開始した。前節で示した当研究室で報告している不斉アルキニル化反応において最も良い 結果を与えた配位子(3a)存在下で反応温度の検討を行った(Table 1)。各反応は、不斉配位子 のテトラヒドロフラン溶液中に、Grignard 試薬、ケトンを順次加える手順にて行った。本 研究においては、不斉配位子に対して2倍量のGrignard試薬が水酸基の脱プロトン化に消 費され、さらに1当量以上のGrignard試薬がケトンとの反応に必要となるため、3.5当量の
Grignard試薬を用いている。
–78°C にて 1 時間撹拌したところ、中程度の化学収率ながらも良好な立体選択性にて目
的の第三級アルコール4aが得られた(entry 1)。反応時間を延長すると、化学収率が向上し たが、副生成物としてケトンのセルフアルドール体の顕著な増加が見られた(entry 2)。すな わち、低温下長時間の反応はケトンのエノール化の競合が問題になると考えた。そこで、
反応温度を–45°C、–23°Cにそれぞれ昇温し検討を行ったところ、立体選択性は低下したが、
化学収率の大きな改善が見られた(entries 3, 4)。さらに、溶媒量を減らした結果、1時間以 内に反応はほぼ完結し、非常に高い化学収率にて目的物を得ることに成功した(entry 5)。以 降の検討でも、短時間かつ高収率で第三級アルコールが得られる本条件を採用することと した。
第二節
16
2. 最適な不斉配位子の探索
次に、立体選択性改善を目指し、不斉配位子の最適化を行った(Table 2)。(R)-BINOL (3b) を用いた際、生成物の立体選択性は低調な値となったことから、BINOL3,3’位の置換基の構 造が、選択性発現に重要だと考えられる(entry 2)。この位置に2,6-ジメチルフェニル基が置 換した配位子3cにおいては、選択性はほとんど発現しなかった(entry 3)。また、3dのよう にナフチル環に直接、嵩高い置換基を導入すると、低収率、低選択性となった(entry 4)。こ れらの結果から、配位子のナフチル環近傍に大きな置換基がある場合、選択性が低下する 傾向が見られたため、炭素鎖を伸長し、少し離れた位置に嵩高い置換基を導入することと した。
ベンジル基を有する配位子3e存在下においては、生成物はほぼラセミ体だったが、興味 深いことに、3dの炭素鎖を1つ伸長した配位子3fを適用すると、目的物4aの立体選択性
は72% eeとなり、改善することができた(entries 5, 6)。また、3fのメトキシ基をエトキシ基
へと変換した3gを用いたが、結果に差は見られなかった(entry 7)。これらリガンドの検討 段階においては、3,3’位置換基にヘテロ原子を導入すると、マグネシウムへ配位し、Grignard 試薬を効率よく不斉空間の場に引き寄せることができると考えていた。しかし、3f のメト キシ基をメチル基とした3hにおいても同様の立体選択性が発現したため(entry 8)、3,3’位置 換基は立体的な嵩高さに起因した不斉空間の構築に重要だと考えられる。さらに 1 炭素増 炭した配位子3iを用いると、生成物の立体選択性は90%に達した(entry 9)。一方、直鎖ア ルキル基が置換した配位子3j存在下では、生成物の選択性は著しく低下した(entry 10)。よ って、末端部分の嵩高さが、不斉空間構築に寄与している、と考えられる。
以上のように、嵩高い置換基を有するアルキル鎖を導入したことで、生成物の立体選択 性を大きく改善することに成功した。さらに、配位子3i存在下で試薬の添加順序を変更し たところ、更なる改善が見られた。具体的には、ケトン 1a と配位子 3i をテトラヒドロフ ランに溶解し、冷却後、Grignard試薬2aを加える手順にて反応を行ったところ、化学収率
94%、不斉収率 93%にて第三級アルコールを得ることに成功した(entry 11)。Grignard 試薬
を最後に加えることで、配位子非関与における付加反応の競合を極力抑えることができた、
と考えている。以降の検討は、最も良い結果が得られた本条件にて行っている*。なお、本 反応では不斉配位子3iを化学量論量用いているが、反応に使用後、定量的かつ容易に回収、
再利用することが可能である**。
第二節
17
* Grignard試薬2aを3.0当量へと減量しentry 11の手順にて反応を行ったところ、化学収率90%、不斉
収率92%と僅かに化学収率が低下したため、Grignard試薬3.5当量を最適条件とした。
** 最適化した配位子3iは、下記の合成ルートにて市販品から4工程58%の化学収率で合成した(Scheme
6)。また、嵩高いアルキル鎖を導入した副次的な産物として3iは非常に低極性化合物となっている。そ
のため、シリカゲルカラムクロマトグラフィーにて容易に反応生成物と分離できる(Hexane/CH2Cl2 = 1/1 におけるリガンド3iと生成物4aのRf値はそれぞれ0.74、0.15である)。合成における詳細な反応手順な らびに他の配位子の合成法に関しては実験の部に記載している。
第二節
18
3. 溶媒の検討
続いて、溶媒の検討を行った(Table 3)。これまではテトラヒドロフランを反応溶媒として、
Grignard試薬のジエチルエーテル溶液を用いていた(entry 1)。より配位性の強いジメトキシ
エタン中で反応を行うと、溶液中で固体が析出し、低調な結果となった(entry 2)。ジエチル エーテル溶媒中では立体選択性が低下し、またトルエンを溶媒とした場合にも同様の選択 性が観測された(entries 3, 4)。Grignard試薬中に存在するジエチルエーテルが選択性を低下 させている可能性を考え、反応溶媒、Grignard溶液ともにTHFとしたが、結果に差は見ら れなかった(entry 5)。よって、いずれかにTHFが含まれていることが重要だと考え、トル エン溶媒中、Grignard試薬のTHF溶液を用いたところ、期待したとおり、高い立体選択性 が観測された(entry 6)。これらの結果から、本反応の遷移状態において、エーテル系溶媒が 強く関わっていることが示唆される。
第二節
19
4. ハロゲン原子の検討
さらに、Grignard試薬のハロゲン原子の検討を行った(Table 4)。クロロ基 2b、ヨード基
2c それぞれを反応に適用したが、ブロモ基 2a の際と比較して、化学収率、立体選択性と もに低下した(entries 1-3)。ハロゲン原子を変更した際には、ケトンのセルフアルドール体 が多量に生成していたため、Grignard 試薬の求核性、塩基性が大きく変化していると考え ている。また、生成物の立体選択性にも差が見られたことから、ハロゲン原子が反応の遷 移状態に関わっている可能性が考えられる。
以上の結果から、Grignard 試薬のハロゲン原子はブロモ基に限定して以降の検討を行う こととした。
第三節
20
第三節 各種反応基質における不斉 1,2−付加反応
1. 様々なケトンの反応
最適化した反応条件を用いて、種々ケトンの反応を行った結果を示す(Table 5)。1’-アセ トナフトン(1b)を用いると、1a の際と比較して化学収率は低下したが、非常に高い立体選 択性にて第三級アルコール4bが得られた(entry 2)。また、芳香環上に電子供与性置換基を 持つ 4-メトキシアセトフェノン(1c)を適用した際にも、化学収率、立体選択性ともに非常 に高い値で目的物4cを得ることができた(entry 3)。続いて電子求引性置換基を有するケト ンで反応を行った。4-ブロモアセトフェノン(1d)においては、4c とほぼ同様の結果が得ら
れた(entry 4)。4-クロロアセトフェノン(1e)においては僅かに立体選択性が低下したものの
これまでで最高の化学収率で4eが生成した(entry 5)。さらに、R2の置換基をより嵩高くし た2’-ナフチルエチルケトン(1f)を用いた際にも良好な立体選択性にて目的物4fを得ること
ができた(entry 6)。脂肪族ケトンとしてシクロヘキシルメチルケトン(1g)を本反応に適用し
たところ、良好に反応は進行したが、得られた第三級アルコール4gの立体選択性は低調だ
った(entry 7)。また、1,2−ジカルボニル化合物として、イサチン誘導体1hを本反応に適用
した(entry 8)。しかし、得られた生成物の立体選択性は低調であり、また、アミド側のカル
ボニル基にフェニル基が付加した副生成物も確認した。ジカルボニル化合物であるため、
単純ケトンと比較して反応性が高く、配位子非関与の付加反応が競合したことで、エナン チオ選択性が低下したと考えられる。
第三節
21
2. 様々なアリールGrignard 試薬の反応
続いて、様々なアリール Grignard 試薬を用いてアセトフェノン(1i)との反応を行った
(Table 6)。2-ナフチルマグネシウムブロミド(2d)を用いると、僅かに化学収率が低下したが、
生成物の立体選択性は非常に高い値を示した(entry 1)。なお、ここで得られた生成物ent-4a は、2’-アセトナフトンのフェニル化により得られた4aと逆の絶対配置を示した。これは、
ケトンと Griganrd試薬の種類に関わらず、ケトンの Re面から Grignard 試薬の付加反応が
優先することを示唆している。詳細な立体選択性発現機構については次節で考察する。次 に、電子供与性置換基を有するアリールGrignard試薬を本反応に適用した。芳香環の4位 または3位にメトキシ基を持つ2e、2fを用いると、僅かに立体選択性は低下したが、高い 化学収率にて第三級アルコールent-4c、4iを得ることができた(entries 2, 3)。しかし、2-メ トキシフェニルマグネシウムブロミド(2g)においては、劇的に立体選択性が低下した(entry 4)。マグネシウム近傍に酸素原子が存在するため、分子内で配位することで Grignard 試薬 の会合状態や反応性が変化したことが原因と考えている。また、メチル基を導入した 2h、 2iにおいては、ともに良好な結果で第三級アルコール4k、4lをそれぞれ得ることができた
(entries 5, 6)。電子求引性置換基を持つ2j、2kに関しては、ともに化学収率が低下する傾向
が見られたが、非常に高い立体選択性にて第三級アルコールを得ることに成功した(entries 7, 8)。
第三節
22
3. その他Grignard 試薬の反応
次に、アリール基以外のGrignard試薬の適用を試みた(Table 7)。アルキルGrignard試薬 としてシクロヘキシルマグネシウムブロミド(2l)を適用したが、著しく低調な化学収率とな り、また立体選択性も中程度だった(entry 1)。アリール Grignard 試薬と比較してアルキル
Grignard 試薬は塩基性が高いため、ケトンのエノール化が副反応として進行したことが原
因と考えている*。また、アリール基と同様に sp2炭素を有するビニル基(2m)、スチリル基 (2n)を用いたが、良好な結果は得られていない(entries 2, 3)。さらに、アルキニル基(2o)の付 加反応も検討したが、ほとんど反応は進行しなかった(entry 4)。
* 対応する炭化水素のpKaは以下の通りである(Figure 6)46。塩基性の強さだけで考えると、ビニルマグ ネシウムブロミド(2m)とフェニルマグネシウムブロミド(2a)は同程度の反応性だと考えられるが、
Grignard試薬における会合状態等が異なり、反応性に差が見られたと考えられる。
第四節
23
第四節 反応メカニズムの解明に向けた検討
1. マグネシウム塩に関する考察
続いて、反応メカニズムの解明に向け、配位子のマグネシウム塩の構造を考察した(Table 8)。まず、3i のモノメチル保護体5 およびジメチル保護体6 をそれぞれ合成し、反応に適 用した。いずれにおいても、生成物のエナンチオ選択性は大きく低下したため、配位子は 2つの水酸基を有していることが重要だと考えられる(entries 2, 3)。
また、Grignard試薬におけるSchlenk平衡を考慮すると、本反応の活性種としてジマグネ
シウム塩7ならびにモノマグネシウム塩8の2種類が考えられる(Scheme 7)。そこで、配位 子3iとジブチルマグネシウムから対応するモノマグネシウム塩8を別途調製し反応に用い たところ、66%収率、26% eeと大きく低下することが明らかとなった(entry 4)。この結果か ら、高い立体選択性が発現するためには、ジマグネシウム塩 7 の形成が重要であると考え ている。また、本反応条件下、臭化マグネシウムを添加して検討を行ったが、結果に差が 見られなかったため、マグネシウム塩7, 8の間には平衡が存在しないと考えている(entry 5)。
さらに、本反応を不斉配位子非存在下で行うと、エノール化の競合が見られ、化学収率が 低下した(entry 6)。すなわち、不斉配位子は、副反応抑制にも寄与していると考えられる。
第四節
24
2. 不斉配位子と生成物の光学純度の相関について
BINOLのマグネシウム塩は、Grignard試薬と同様に、複数の分子間で様々な複合体を形
成し得ると考えられる。本反応の活性種が、マグネシウム塩 7 の単量体か多量体か調査す べく、不斉配位子 3i の光学純度と生成物 4a の立体選択性の相関を調べ、非線形効果の有 無を確認した(Table 9)。光学純度が66%、44%、20%の配位子3iをそれぞれ調製し反応に適 用したところ、対応する生成物のエナンチオ選択性は55%、41%、19%となった(entries 2−4)。
これらの結果をグラフに表すと、配位子と生成物の光学純度には比例関係が観測された
(Figure 7)。よって本反応の遷移状態においては、マグネシウム塩7の単量体が不斉誘起を
担っていると考えている*。
* 不斉源の光学純度(eeaux)と生成物の光学純度(eeproduct)ならびに100% eeの不斉源使用時における生成物 の光学純度(eemax)には、通常以下の式が成り立つ。
eeproduct = (eemax)(eeaux)
すなわち、生成物と不斉源のeeは比例関係となり、Figure 8のAに示 す直線の相関が得られる。しかし、不斉反応の中には、BやCのような 上式に沿わない相関が得られることがある。この現象を非線形効果 (nonlinear effect)と呼び、Kaganらによって提唱された概念である47。非線 形効果が観測された場合、遷移状態において不斉源が相互作用し、単量 体とは活性が異なる多量体が存在していることが示唆される。
第四節
25
3. 溶媒効果について
本反応はエーテル系溶媒の種類によって立体選択性が大きく変化していた(第二節参照)。 これは溶媒によってマグネシウム塩7の単量体構造の取りやすさが異なっているためと考 えている*。先述したように、マグネシウム塩は多量化し得ると予想されるが、エーテル系 溶媒がマグネシウム原子に配位し安定化することで、多量化を抑制する作用があると考え られる(Scheme 8)**。
ジエチルエーテル溶媒の際には、多少この配位が弱く、一部複雑な複合体によって反応 が進行することで選択性が低下する一方、テトラヒドロフラン溶媒中においては、大半が 単量体として存在しており、これが反応を促進することで高い立体選択性が発現したと考 えている。また、配位性の強いジメトキシエタンの場合には、マグネシウム塩・溶媒の錯 体が固体として析出したことで、反応に悪影響を及ぼしたと考えている。
* Grignard 試薬も溶媒の種類によって会合度が異なることが報告されている 5g。ジエチルエーテル中に
おいては、低濃度の際は単量体、高濃度の際は多量体として存在する一方、テトラヒドロフラン中では 濃度に依存することなくほぼ単量体と言われている(Figure 9)。そのため、不斉配位子のマグネシウム塩 7においても同様に、テトラヒドロフラン中で会合が抑制されていると考えている。
第四節
26
** BINOL−チタン複合体のX線結晶構造解析の研究から、BINOL 3,3’位に嵩高い置換基を導入した場合、
その立体障害の影響により多量化が抑制されることが報告されている(Figure 10)48。本反応においても、
3,3’位に嵩高いアルキル鎖を導入しているため、溶媒効果に加え、置換基効果による多量化抑制作用が あると考えている。
第四節
27
4. 配位子の当量について
続いて、不斉配位子の減量を試みた(Table 10)。本論文の17ページにも記載しているが、
配位子100 mol %存在下、Grignard試薬を3.0当量に減量した際にも良好な結果を得ている
ため(entry 2)、配位子の減量に伴いGrignard試薬の当量も適宜変更し検討を行った。
これまでの半分量である50 mol %の3i存在下、2.0当量のフェニルマグネシウムブロミ ド(2a)と 2’-アセトナフトン(1a)との反応を行ったところ、化学収率は僅かに低下したが、
高い立体選択性が維持されることが明らかとなった(entry 3)。Grignard試薬は非常に反応性 が高く、不斉反応に適用するためには、100 mol %以上の配位子が必要とされていたため、
本結果は非常に意義深いものと考えている。しかしながら、30 mol %、20 mol %と配位子 の量を減量するにつれて、化学収率、立体選択性ともに低下した(entries 4, 5)。反応後、生 成物から触媒が解離する段階が遅いため、選択性が低下するのではないかと考え、20 mol % の配位子存在下でGrignard試薬の低速添加を試みたが、改善には至らなかった(entry 6)。
以上の結果から、次のように考えている。反応初期段階では、配位子のジマグネシウム 塩 7 が形成される。その後、反応の進行とともに生成する目的物のアルコキシドが、マグ ネシウムを介して配位子と安定な複合体を形成することで、ほとんど解離できていないと 考えられる*。BINOL誘導体は、C2−対称配位子で2つの酸素原子を有しているため、それ ぞれが独立して不斉誘起を担い、1分子で2回分働いたと考えると、50 mol %までの減量に 耐えることができる**。
* 序論の5ページに記したSeebachのTADDOLを用いたアルキルGrignard試薬の不斉1,2−付加反応18 においても、配位子の減量がなされていた。その際、化学量論量の配位子使用時と比較し、反応速度が 低下することが記述されていた。さらに、具体的な値に関する記述はないものの、反応初期段階では生 成物の立体選択性は高く、反応終盤では低下することが述べられている。これは、配位子のマグネシウ ム塩は反応を加速させるが、生成物の増加に伴い不活性化されるということを示しており、マグネシウ ムを介した配位子−生成物複合体の存在が示唆される。
第四節
28
** entry 2の配位子100 mol %使用時における90% yield、92% eeというデータを基に考えると、30 mol % の際は27% yield分が92% ee、20 mol %の際は18% yield分が92% eeとみなすことができる。1分子で 最大2回触媒するという前提においては、それぞれこの2倍量の54% yield、36% yield分が92% eeとな る。entries 4, 5で得られた化学収率のうち、残り全て配位子非関与でラセミ体が生成したと考え、以下 の表から理論eeの値を計算すると、30 mol %の際は71% ee、20 mol %の際は49% eeとなる(Figure 11)。
これらの値は、実際に得られたエナンチオ選択性と近似していた。これは、1分子でほぼ2回まで活性 が可能という仮説を支持するものであり、生成物が配位子から解離できていないと考えると、2 回以上 触媒できない理由を説明することができる。
第四節
29
5. 推定反応メカニズム
以上の結果を総合し、本反応の推定メカニズムを下に記す(Scheme 9)。溶媒である THF が全てのマグネシウム原子に配位していると考えられるが、本論文においては省略して記 載する。まず、配位子3iの2つの水酸基がGrignard試薬により脱プロトン化されジマグネ シウム塩7が生成する。その後、THFとケトンが入れ替わり、マグネシウム原子にケトン が配位する。さらに、Grignard試薬がブロモ基に配位しながら接近し、下図に示すような6 員環遷移状態を経由し付加反応が進行するとともに、臭化マグネシウムが脱離することで、
マグネシウムを介した配位子−生成物複合体9が生成する。再度対称面にて類似の遷移状態 を経て反応が進行することで、最終的にC2−対称化合物10が生成すると考えると、配位子
が50 mol %の場合でも、高い立体選択性を維持することができる。しかし、配位子50 mol %
の際には、100 mol %の時と比較して化学収率が若干低下していたため、複合体9からの2 回目の反応は、1段階目と比較して遅いと考えている。
本反応は、配位子の有無によって、副反応であるエノール化の競合度合いが異なってい た。配位子存在下においては、安定な無機塩である臭化マグネシウムの生成が駆動力とな ることで、エノール化よりも付加反応が圧倒的に早く進行したと考えている。
第四節
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6. 立体選択性発現機構について
本反応でR体の配位子3i使用時に、例外なくケトンのRe面からGrignard試薬の付加が 優先していた(Scheme 10)。そのため、マグネシウム塩7に対してケトンが接近する段階で 面選択性が発現すると考えている。
今回開発した配位子3iは多様なコンホメーションを取り得るアルキル鎖を有しているに も関わらず、ある程度適切な不斉空間が構築できている。この要因として、分子内での立 体反発、すなわちアリルひずみの影響を考えている。嵩高いアルキル鎖は、BINOL 4,4’位 の水素原子との立体反発を避けるようにして、ナフチル環に対し同一平面上ではなく、直 交した配座が優先すると考えられる(Figure 12)*。これにより、BINOL 3,3’位に導入したア ルキル鎖は、コンホメーションの多様性が比較的限られていると予想している。
* 配位子3iの分子力場計算を行い、安定配座を算出したところ、以下の2つの配座がほぼ半々を占める 結果となった(Figure 13)。いずれもアルキル鎖はナフチル環に対し直交した配座を取っていた。これは、
アリルひずみの影響を示唆するものだと考えている。
第四節
31
さらに、水酸基が脱プロトン化され、ジマグネシウム塩 7 となると、サイズが大きい臭 素原子との立体反発が新たに生じる。これを避けるようにして、アルキル鎖と臭素原子は、
ナフチル環に対し反対方向に位置すると考えると、アルキル鎖の向きが固定化され、不斉 空間が構築される(Figure 14)。このような配座を取っている状態でケトンが接近する際、嵩 高いアルキル鎖とのぶつかりを避けるように接近すると考えると、Re面からの付加が優先 するため、生成物の立体配置を説明することができる*。
また、配位子が50 mol%の際には、対称面にてもう一度反応が進行すると考えている。
反応後、軸に対して 180°回転させると、反応点近傍に関しては、1 段階目と類似の配座を 取ることができるため、2 段階目においても同じ立体配置の生成物が優先することで、高 い立体選択性を維持することができる。しかし、配位子が50 mol %の際には、僅かに化学 収率が低下していたため、生成物との立体反発によって、9 からの 2 段階目の反応はより 遅くなっていると考えている。
* BINOL誘導体は2つの水酸基を有しているため、分子内での配位により、マグネシウム塩7は、7’の
配座も取り得る(Figure 15)。しかし、より立体的に込み合っていないマグネシウム原子が選択的にケト ンを活性化することで、生成物の絶対配置に影響はないと考えている。また、9からの2段階目におい ては、生成物由来の置換基の影響で、分子内での配位が阻害されていると考えている。
第五節
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第五節 添加剤の検討
本反応において、マグネシウム塩 7 のハロゲン原子が臭化マグネシウムとして脱離する ことが、触媒化の妨げになっていると考えている。そこで、臭化物塩を加えることでハロ ゲン原子が再生され、触媒化が実現できるのではないか、と考えた(Scheme 11)。
この考えの基、添加剤の検討を行った(Table 11)。20 mol %の配位子3i存在下で、臭化リ チウム、臭化マグネシウム・ジエチルエーテル錯体、テトラブチルアンモニウムブロミド をそれぞれ加えて反応を行ったが、改善は見られなかった(entries 2-4)。全体的にエノール 化が競合し、化学収率が低下する傾向が見られたため、無機塩の添加には限界があると考 えている。
現段階では触媒化は達成できていないが、適切なフェノール系化合物を加えることで、
配位子量の低減が可能になるのではないか、と期待している(Scheme 12)。
結語
33
結語
以上筆者は、新規BINOL誘導体を不斉配位子として利用することで、アリールGrignard 試薬を直接求核剤としたケトンの不斉1,2−付加反応を開発した。以下にその成果を述べる。
1. 3,3’位に様々なアルキル鎖を有する新規 BINOL 誘導体を合成し、これらをアリール
Grignard試薬とアリールアルキルケトン間の付加反応に適用することで、効果的に不斉
誘起を促す新規配位子を見出すことに成功した。本反応は、アリールGrignard試薬を直 接求核剤とした初の不斉反応であり、単純ケトンとGrignard試薬という入手容易な原料 から、非常に簡便かつ迅速に多様な光学活性第三級ジアリールアルコールを合成するこ とができる。反応に使用した配位子は、定量的かつ容易に回収、再利用することが可能 である。
2. これまで不斉空間の構築に不向きとされていたアルキル鎖によって立体を制御した珍 しい反応系である。本研究から、不斉配位子設計における新たな方向性として、嵩高い アルキル鎖を提示することができたと考えている。今後、アルキル鎖を有する不斉配位 子の更なるライブラリー構築、ならびにその他の不斉反応への応用が期待できる。
3. 不斉誘起メカニズムの解明に向けた検討の過程で、効果的な不斉誘起にはジマグネシウ ム塩の形成が不可欠であること、また、配位子は50 mol %まで減量できることを明らか にした。現在のところ、反応後に配位子が生成物から解離することができず、複合体を 形成していると考えている。添加剤等加えることで、この解離を促進することが可能と なれば、不斉触媒反応への展開が期待できる。
本反応系は、既存のアリール金属試薬を用いた反応と比較し、より調製が容易なGrignard 試薬のみ用いていることが特徴であり、低コスト化、余分な金属廃棄物の低減等につなが る。配位子量の更なる低減化を達成することによって、他の追随を許さない画期的な触媒 的不斉合成法となり得る。今後より詳細なメカニズムの解明とともに、不斉触媒化、生物 活性物質の合成等に応用されることを期待する。
実験の部
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Experimental section
General Methods
Melting points (Mp) are uncorrected. 1H and 13C NMR spectra were measured in CDCl3 with JEOL JNM-ECX400 spectrometer. Tetramethylsilane (TMS) (δ = 0 ppm) and CDCl3 (δ = 77.0 ppm) served as internal standards for 1H and 13C NMR, respectively. Infrared spectra were recorded on JEOL JIR 6500-W. Mass spectra were measured with JEOL JMS-DX303HF mass spectrometer.
Optical rotations were recorded on JASCO P-1010 polarimeter. High-pressure liquid chromatography (HPLC) was performed on JASCO P-980 and UV-1575. Thin-layer chromatography (TLC) analysis was carried out using Merck silica gel plates. Visualization was accomplished with UV light and anisaldehyde. Column chromatography was performed using Kanto Chemical Silica Gel 60N (spherical, neutral, 63-210 μm). All reactions were performed under argon atmosphere using glassware equipped with a rubber septum and a magnetic stirring bar.
Solvents and Chemicals
Dry tetrahydrofuran (dehydrated) and phenylmagnesium chloride (2b) was purchased from Kanto Chemical. All other Grignard reagents were prepared under typical procedure. Ligands 3b was purchased as a (R)-isomer and used without purification. Ligands 3a49, 3c50 and ketone 1f51, 1h52 and styryl bromide53 were prepared by the literature methods. All other chemicals were purified based on standard procedures or used as received otherwise noted.
Typical Procedure for Preparation of Grignard Reagent (2a) in Et2O
Bromobenzene (0.5 mL, 4.75 mmol, 1.0 equiv.) was added dropwise to the mixture of Mg (127 mg, 5.2 mmol, 1.1 equiv.) and Et2O (2.7 mL) under argon atmosphere at room temperature. The reaction was exothermic and maintained at reflux. After the reaction mixture was stirred for 1 h at rt, Ph-MgBr (2a) was generated as approximately 1.48 M Et2O solution. The concentration was determined by neutralization titrated with I2 and Na2S2O3.
All other Grignard reagents 2c-2n were prepared from the corresponding aryl or alkyl bromide and Mg as approximately 1.5 M THF solution. 2o was prepared from nBu-MgBr and phenylacetylene. These reagents were used without titration.