はじめに 欧米では,18 世紀後半から上流階級を中心に 「清潔な身体」が美徳や礼儀とされてきたが,19 世紀終わりから 20 世紀初頭にかけて「清潔さ」 が持つ意味はより広い範囲で強化されていった。 その背景には同時期に中流階級を中心に進めら れた公衆浴場運動(Public Bath Movement)が あった。これはとくに都市貧民のために公衆浴 場を設置し,彼らの身体を清潔にさせる運動で あるが,同時に清潔さは彼らの道徳性を向上さ せる指標として捉えられていた。つまり,Public Bath Movement において清潔さは,衛生的に良 しとされるだけではなく,道徳性の高さも表し ていた。中流階級がこの運動を進めたこともあ り,清潔さは市民社会成員の条件の指標になっ ていったのである。ヴィガレロやクセルゴンは, 入浴習慣の変容を論じながら,西洋の清潔規範 の成立と当時の人々の心性及び道徳的価値観の 変 遷 を 明 ら か に し た(Vigarello 1985;Csergo 1988)。 一方,日本では,欧米とは異なり入浴習慣が 継続しており,江戸期からは湯屋が隆盛し,都 市住民に利用されていた。明治期になり,医師 や衛生専門家が欧米を視察するなかで日本の入 浴習慣を見直し,欧米と比較して日本人は入浴 を好むということから,清潔な民族・国民であ るという言説を明治 30 年代以降に残していくよ うになる(川端 2016)。すなわち,同じく国民
原著論文
近代日本の国民道徳論における「潔白性」の位置づけ
川 端 美 季
(立命館大学衣笠総合研究機構) 本論文は近代日本における清潔さをめぐる規範の形成について検討するものである。明治 30 年頃 から,欧米を視察した衛生家や医師らはそこで入浴が衛生的な意味を持つことを知り,入浴習慣の 少ない欧米と比較して日本人が「古くから入浴習慣をもつ」,「清潔好き」だとして肯定的に評価す るようになっていた。またほぼ同時期に国文学者や倫理学者によって日本人の国民性の特徴を示す ものとして「潔白性」という語が用いられるようになっていた。清潔な身体と国民性とが関わるも のとして,明治後期から戦前にかけて展開されたのが国民道徳論の「潔白性」である。国民道徳論は, 「教育勅語」を機能させるために,国家の精神的紐帯として位置づけられた日本人特有の道徳である。 国民道徳は,国民性という素地に基づくものだとされ,日本人の国民性のひとつに潔白性が挙げら れた。国民性のなかで潔白性は多くの論者において重要な位置を占めていた。潔白性は身体と精神 を明示的に結びつけるものであり,身体の潔白と精神の潔白との二点があるとされた。身体の潔白 さの例として日本人が入浴を好むことが挙げられており,精神の潔白性として武士道との関わりに ついても言及されていた。本論文が明らかにしたのは,国民道徳論は大正期・戦前期にかけて変化 していくなかで「潔白性」の有り様も変容し,国民性のなかで位置づけを強めていったことである。 キーワード:公衆浴場,清潔,潔白,入浴,国民性 立命館人間科学研究,No.37,75 89,2018.統合を背景としつつも,欧米では「清潔さ」は ブルジョワ的市民性につながったが,その影響 を受けた日本では清潔さと「日本人らしさ」や「国 民性」に結びつけられて語られるようになった。 清潔さは,衛生的とされる入浴習慣がある日本 人は,すでに持っているもので,清潔さにこそ「日 本人らしさ」が,強いては「国民性」があると 論じられていったのである。 そこで本稿は,近代日本における清潔さをめ ぐる国民性の形成について検討する。清潔さを めぐる国民性を検討するうえで注目したいのが, 明治後期に教育勅語のもと形成された「国民道 徳論」である。 「国民道徳論」とは,1890(明治 23)年に教 育勅語が渙発された後,勅語を機能させるため に「国家統合の精神的紐帯となる国民道徳の創 出」を目指してつくられたものである(森川 2003)。「国民道徳」はひとりの人間によって表 明され形作られていったものではない。明治初 期から大正期にかけて,さらには昭和前期にか けて,倫理学者や教育学者をはじめとする多く の研究者を介して形成され,強化されていった。 従来の研究では,国民道徳論の系譜が整理され (估 1995;森川 2003;貝塚 2013),また国民道 徳論の「イデオローグ」であった井上哲次郎を はじめとする国民道徳の形成に関わった各論者 の思想的背景や国民道徳に至る過程などが明ら かにされてきた(江島 2009;瓜谷 2011;髙野 2015)。教育勅語以前の 1887(明治 20)年には 西村茂樹の『日本道徳論』が公刊されていた。 西村は宮中顧問官であり,「国民の心の一致」が 必要だと考え,道徳によって人と人とをつなげ ることが大事だと考えていた(西村 1887)。『日 本道徳論』も国民道徳をめぐる思想史の一部と して多くの先行研究で位置づけられる。ただし, 国民道徳論の端緒は,1912(明治 45)年に東京 帝国大学哲学主任教授の井上哲次郎が著した『国 民道徳概論』とされる。井上哲次郎に関する研 究は非常に多く,その評価は現在も更新され続 けている。井上の『国民道徳概論』の関心は西 村と同様のものであった。教育勅語渙発の後に 井上は文部省大臣である芳川顕正から依頼され, 『勅語衍義』を著しているが,日本人の「精神的 紐帯」を求める思想は,すでに明治初期からあっ たといえる。井上は,国民道徳が形成される下 地に,日本人の「国民性」があると位置付けた。 こうした位置づけは,井上以降の国民道徳論を 論じる倫理学者や教育学者にも引き継がれてい く。 森下(2015:3)は,井上の国民道徳論のイデ オローグの側面を事実であるとしながら,これ までの研究はその側面を強調し,その「背後に ある哲学思想や形而上学に対する無関心」であっ たと指摘する。井上が形成した日本哲学や倫理 学についてはそうした見直しが今後さらに必要 になるだろう。ただし,井上自身が国民道徳論 に為した役割や論じた内容についてもまた見直 しが必要ではないだろうか。先行研究では,国 民道徳論の忠君愛国や家族主義といった側面が 焦点化された傾向がある。近年では国民道徳論 について,ジェンダーという切り口から分析が 重ねられつつある(関口 2012)。また,加藤(2017: 123)は,井上自身の各論考を精査し,井上が国 民道徳において形成したのは「死の倫理学」だ と分析した。 しかし,こうした国民道徳論を分析するなか で,あまり検討対象とされてこなかったものに 「国民性」という問題がある。 国民性に言及する上で看過できない領域とし て,国文学がある。国文学は近代日本の「国民 創出」に関わったと知られており(竹長 2002), 近代日本の新しい学問領域であった。国文学の 成立に尽力した芳賀矢一は 1907(明治 40)年に 『国民性十論』を著した。このなかに「清浄潔白」 という要素が国民性の特徴に挙げられていた。 国民道徳論について分析する際に,国文学の領
域の芳賀については別に論じられる傾向があり, 国民道徳論のなかで関連させて検討されるとい うことは管見の限りなかった。ただし,岩本 (2003)は民俗学の領域で,国文学や芳賀の『国 民性十論』に触れながらこの潔白さと日本人の 心性,日本人らしさとの関連について示唆して いた。 国民道徳論における国民性には,いくつかの 特徴があると当時から分類されていた。論者に よってその特徴の数は微妙に異なる。たとえば, 楽観性や淡泊性などである。そのうちのひとつ に,「潔白性」がある。論者によって挙げる国民 性の性質がやや異なるが,「潔白性」は多くの論 者が挙げる特徴である。ただし,この「潔白性」 はこれまで国民道徳に関する先行研究で,ほと んど注目されてこなかったと言ってよい。冒頭 で述べたように,近代において「清潔さ」が身 体的かつ道徳的規範として形成されていった。 日本においては,身体の清潔さはすでにあるも のとされたが,清潔さをめぐる精神的規範が国 民性における潔白性だったと想定される。 そこで本稿では,国民道徳論および国文学に おける潔白性の概念について注目し,その位置 付けと内容の変遷について検討する。ここでは 「潔白性」に着目するため,それを挙げる議論を 中心に取り扱う。具体的には,井上や芳賀,井 上の門下生であった深作安文などの論者の潔白 性の概念について抽出し,時代を追って整理す る。この作業を通して,国民道徳論を下地にし て形成されたと言われる日本人の「国民性」に 対して潔白性がいかように関わりをもったのか, 国民性における潔白性の概念の内実を明らかに する。 なお,引用に関して,旧字体は新字体に,仮 名遣いは原文のままとする。 Ⅰ 衛生・社会事業における 清潔さをめぐる言説 国民道徳論の「潔白性」を検討する前に,衛 生家たちすなわち国民道徳論の論者ではない, 医師や衛生官僚,衛生に関わる専門家たちの議 論を踏まえておきたい。というのも,明治 40 年 代以降に国民道徳論が盛んに形成されていく以 前に,海外視察をした衛生家たちのなかで,日 本人の特徴として清潔を好むという言説が生ま れていたからである。その記述は,国民道徳論 における潔白性の記述と非常に似通っている(川 端 2016)。こうした点を踏まえ,彼らがどのよ うな文脈で清潔さをとらえていたのか本節で整 理する。 明治期に多くの衛生家が海外に渡航し衛生に 関する施設や行政システムなどを視察した。欧 米では公衆浴場も視察対象の一部であった。た だし欧米の公衆浴場の報告が見られるようにな るのは明治 20 年前後からのことである。明治 30 年以降,欧米との対比で日本の入浴習慣への 再認識が日本の衛生専門家を中心に起こった。 1897(明治 30)年に,『大日本私立衛生会雑誌』 に無署名で「沐浴の沿革及其衛生の必要」とい う題で,次のような記事が掲載された。 我邦は古来沐浴の美風がありて下等社会と雖も概ね 毎月数回入浴せざるなし,之に反して欧州諸国にて は下等社会は勿論上流社会にても日常入浴すること は稀なり(無署名 1897:716) この記事をみると,寄稿者は日本の入浴習慣 について再認識していることがわかる。欧米で は近年入浴することが衛生的に勧められている が,それと比べて,日本では古来入浴の美しい 習慣があり入浴回数も欧米に比べてずっと多い。 こうした記述は日本人は入浴を好む清潔好きな 国 民・ 民 族 だ と い う 認 識 に つ な が る( 川 端
2016)。 このような日本人が入浴を好み清潔であると いう記述は,同じ『大日本私立衛生会雑誌』の なかに度々登場する。1916(大正 5)年の「余 白録」には,「世界で我国民位入浴を好むものは ほかにありませんでせう。」と述べられている (無署名 1916:26)。 明治後期から大正期にかけて衛生家のなかで は,日本人が入浴を好み,清潔好きであるとい う文脈が当たり前のように受容され発信されて いた。この言説は,その後衛生事務が広く社会 事業として行われていった明治期末から大正期 にかけて社会事業の専門家たちに受け継がれて いった。 社会事業家の生江孝之は貧民に関する事業に 尽力し,海外の社会事業施設の視察を積極的に 行った。1921(大正 10)年に,生江が関わった と考えられる『公設浴場に関する調査』が逓信 省簡易保険局積立金運用課から報告された。こ の報告書の冒頭は,「我国人の潔癖は世界周知の 事実にして其の入浴好は夙に国民性を為し」,「外 国人が日本人の入浴好きを見て其の清潔癖を賛 美し」,「日本人が清潔を美徳の一と数へ,毎日 入浴するを其の義務と考へ」という文言から始 まっている。 以上からわかるように,日本人にとって清潔 であることが社会規範として高い位置を占めて いること,また清潔であることが日本人らしさ であると示唆することが,医学・衛生・社会事 業に関する公的な言説となっていた。そしてそ の清潔さを表す指標として入浴を好むというこ とが必ず明言されていた。ただし,ここでは「清 潔」という言葉の使用が最も多く,「潔白」とい う語は使われていない。 では,この清潔さをめぐる国民性について国 民性を前提とする国民道徳論ではどのように論 じられていたのか,次節以降で確認したい。 Ⅱ 国民道徳論の形成過程 ―「潔白性」に着目して 国民道徳論においては,衛生家や社会事業家 たちが用いていた「清潔」といった言葉よりも, 「潔白」という用語が用いられる。「潔白性」に ついてみていく前に,「潔白」という言葉が当時 どのように説明されていたのか,1915(大正 5) 年から上田万年と松井簡治が著した『大日本国 語辞典』から確認しておく1 )。 「潔白」について,1916 年の上田万年と松井 簡治による『大日本国語辞典』には次のように 3 つの意味が記されている。1 点目は「いさぎよ く汚れなきこと。清潔にして純白なること。純潔」 ということ。2 点目は「ましろ。まっしろ。純白」 ということ。3 点目が「心性の高潔にして,不 正の欲望を抱かざること。貪欲ならぬこと。清廉」 ということであった(上田・松井 1916:293)。 つまり「潔白」には,当時,物質的な目に見 える点と内面的な精神的な目に見えない点の 2 つの意味があると,考えられていた。「潔白」は 漢書においても使用され,『拾遺記』での事例が 示されている。また「清潔」という語についても, 「きよくいさぎよきこと。けがれなきこと」と「不 正なる欲望なきこと。性行のいさぎよきこと。 清廉。廉潔」とここでも 2 つの意味が挙げられ ている。事例には漢書が挙げられている。なお, 「清浄」や「清潔」についてはそれぞれ『大日本 国語辞典』に記載されているものの,国文学者 の芳賀矢一が用いた「清浄潔白」という言葉は ここでは掲載されていない。潔白という言葉の 由来及び清潔という言葉の成立や語源について は不明な点が多く,その追求は今後の課題とし たい。 次に,国民道徳論における潔白性について取 1 ) 『大日本国語辞典』第一巻が刊行された際,序文 を寄稿した一人が芳賀矢一であった(上田・松井 1915)。
り上げるために,国民道徳論の形成過程を簡単 に振り返っておきたい。 1890(明治 23)年に「教育ニ関スル勅語」す なわち「教育勅語」が明治天皇により渙発された。 日本が近代化を進めるなかで,宗教を持たない 日本人にとって,儒教と西洋的近代的思想との 衝突や自由民権運動を背景に,それ以前の封建 体制(儒教)とも違う,さらに西洋思想とも異 なる,国民の「拠り所」となる精神的基盤とな るものが求められていたのである(関口 2012)。 そうした観点を共有していた一人である西村茂 樹は,1887(明治 20)年に『日本道徳論』を著し, そのなかで日本人にとって「道徳学」がいかに 大切かを説いている。ただし,『日本道徳論』に おいて潔白性という言葉は登場していない。 「教育勅語」は全国の小学校へ渙発された。勅 語は学校儀式のなかで奉読され,また権威とし て丁重に扱われることが求められた2 )。1891(明 治 24)年,勅語をさらに理解しやすく広く国民 に啓蒙するために,文部省の芳川顕正の依頼で, 井上哲次郎による『勅語衍義』が公刊された。『勅 語衍義』においても潔白性という言葉は確認で きなかった。 1894(明治 27)年から 1895(明治 28)年に 日清戦争があり,また 1904(明治 37)年に日露 戦争が開戦し翌年終結した。日露戦争を受けて, 1908(明治 41)年に「戊申詔書」が発布された。 これによって地方改良運動が進展する。国民道 徳論の背景にはこの二つの戦争と日本を植民地 にさせないという明治初期からの為政者や知識 人たちの意識,そして明治期半ばから世界で流 行 し た 黄 禍 論 の 影 響 が あ る と さ れ る( 宮 崎 1978)。 1910(明治 43)年に,井上哲次郎,穂積八束, 2 ) 1891 年 1 月に有名な内村鑑三不敬事件が起きた。 この事件を契機に帝国大学の井上哲次郎がキリス ト教は教育勅語の趣旨に反するという談話を雑誌 『教育時事』に発表し,「第一次教育と宗教論争」 に発展した。 吉田熊次により師範学校修身科教員講習会で, 国民道徳論が初めて公に発表されたと言われる (貝塚 2013)。穂積は 1897(明治 30)年に,『愛 国心―国民教育』を著している。このなかで 忠孝や愛国はもちろん論じられたが,潔白性と いう言葉は登場しなかった(穂積 1897)。 前述した『勅語衍義』のなかで井上は国民道 徳について改定を繰り返していかなければなら ないとし(江島 2009),その後,『国民道徳概論』 を著すことになる。井上の議論を検討するに先 立って,その前に公刊された芳賀矢一の『国民 性十論』を確認しておきたい。井上は明言こそ していないが,『国民道徳概論』を見る限り,芳 賀が挙げた国民性に大きく影響を受けていると 考えられるからである。 Ⅲ 『国民性十論』における「清浄潔白」 『国民性十論』が刊行されたのは 1907 年,日 露戦争が終わってから間もない時期である。こ の『国民性十論』は,当時ベストセラーになっ たと言われる(岩本 2003;竹長 2002)。ここでは, 翌 1908 年に刊行された訂正第 3 版を扱う。 芳賀は「国語国文に潜む「国民性」や「国体」 を明らかにしようとする態度・立場」をとり(竹 長 2002),『国民性十論』を論じた。『国民性十論』 で芳賀は国民性すなわち「国民の性質」を「そ の国の文化に影響して,政体,法律,言語,文学, 風俗,習慣等に印象を与へるものであるが,政体, 法律,言語,文学,風俗,習慣等の文化の要素 は亦逆に国民の性質を形造る」と説明した。そ して「一民族」は独立してその文化を発達する のではなく「他の民族の文化と融和し,混合す ることを免れぬ」と述べ(芳賀 1908:2),さら に次のように論じた。 近世の精神科学は常に比較的研究,歴史的研究の方 法により,或は宗教,或は言語,或は美術,或は文
芸,民族の異同を論じ,国民の特性を発揮するに力 めて居る。万般の事情に於て一方には世界をまるめ て一団とする傾向があると同時に一方には益原 文国家分 立主義が行はれる。(中略)太平洋の沿岸には,常 に黄人排斥の声が高い。今の時は我は彼を知らねば ならぬと同時に我は我を知らねばならぬ。(芳賀 1908:3) 上記の「今の時」というのは,日露戦争に勝 利し「我国ばかりが世界強国の班に入った」当 時のことである。さらに芳賀は,太平洋の沿岸 すなわちアメリカ合衆国において黄禍論が隆盛 していることにも触れている。明治 20 年代にア メリカでは日本人移民排斥が行われており,宮 崎は芳賀がそれを知っていたと指摘する(宮崎 1978)。上の引用箇所において,芳賀は日本の文 化がインドや中国に影響されて発展してきたこ とを述べ,そのうえで今の「幸運」を思い「深 く自ら今後を戒めなければならぬ」,「過去を知っ て且つ将来を考えなければならぬ」と記述した。 これだけ読むと,『国民性十論』は,日本人の自 己反省を促すことを目的に記述されているよう にも見える。 竹長は,芳賀の「述べ方」に説法の特色があ るとし,その特色のひとつに「素直な感情告白 が相手を信頼させ,結果として相手の心を自分 に引き寄せることになる」と論じ,芳賀を「説法・ 説得の名手」だと位置付けている(竹長 2002)。 たしかに『国民性十論』全体を通じても,非常 に読みやすい文章で反芻して解釈しなければな らない箇所はあまりみられない。これは芳賀だ けではなく国民道徳論者の語りの大きな特徴で もある。 さて,ではその『国民性十論』の中身を確認 してみよう。 芳賀は日本の国民性には 10 の特性があるとし た。「忠君愛国」,「祖先を崇び家名を重んじる」, 「現世的,実際的」,「楽天洒落」,「淡泊瀟洒」,「繊 麗繊巧」,「清浄潔白」,「礼節作法」,「温和寛如」 である。全体を通じて,芳賀は,「万世一系」と いう国体を維持してきたとしばしば皇室に言及 する。注目したいのは「上代」への言及である。 芳賀は「我は上代の歴史とは言はないで,敢て 神話といふが,其神話の性質を察すれば,この 国民性が最もよくあらはれて居る」と言い,「我 国の神話は外の国のとは違つて我皇室を中心と した神話である。また我国士を中心とした神話 で あ る 」 と 述 べ た( 芳 賀 1908:15)。 そ し て, 基本的に日本の神話を「我太古の国民の心性を 反映したもの」と位置付ける(芳賀 1908:17― 19)。そして,「天孫の」血統が皇室であり,「我 等国民より一段高いもの」としたのである(芳 賀 1908:19)。国民は皇室に対して「マゴコロ」 を持ち,この「マゴコロ」を「大和心」と呼んだ。 「マゴコロ」とは,江戸期に本居宣長ら国学者に よって用いられた「真心」に由来する言葉であ る3 )。国文学は国学と強い結びつきがある。芳賀 も国学の思想を受け継ぎながら,西洋の文献学 の知識や研究方法などを参考に,国民性や国体 をより明確にし,国学者たちの勤王思想,国粋 思想を拡充し国民道徳へと広げていった(竹長 2002:6―8)。『国民性十論』のなかで,皇室に対 する「マゴコロ」が「武家時代」に「主従の関 係の連鎖」になった(芳賀 1908:22―23)こと を指摘し,芳賀はこれを「武士道の精髄」と述 べている(芳賀 1908:24)。 元来日本で君臣といふものは,皇室と国民との関係 の外にはない筈である。それ故「忠臣不事二君」な どゝいふ語は日本には通用せぬ筈であつたが主従の 3 ) 本居宣長が用いた「真心」は,うまれついたまま のもので,善いものも悪いものもある,善悪邪正 で分けられるものではなく,「それらすべての根 源となる心」であった(水野 2015:93―104)。こ うした本居宣長の真心は,「今日でいうところの 神話的世界」と等しい,つまり「日常的な分別で は捉えきれない」世界と指摘されている(菅野 2007:112)。
関係が君臣の関係になつてからは,これが初めて適 用されることになつた。(芳賀 1908:25) 武士の主従の関係に触れながら,芳賀は現在 は皇室,さらには天皇を主君として,忠心を持 つべきだとした。では,この点に潔白さがどの ように関わるのか,「清浄潔白」について芳賀が どのように論じているのか詳しくみていきたい。 芳賀は「清浄潔白」の節の冒頭から,「小ざつ ぱりとした木綿物は気持ちがよい,新しい青畳 は居心地がよいといふ我国民は清潔を愛する民 族である。隣国の支那人などゝ比べては大きな 相違である」と日本人は清潔を好むと断言して いる(芳賀 1908:183)。注目したいのは「小ざ つぱりとした木綿物」や「新しい青畳は居心地 がよい」のように,読み手がすぐに想像がつく 例を出している点,すなわち読み手の感覚に訴 えている点である。さらに中国と比較して,こ れらが日本独自であるということを述べている。 日清戦争後であることを踏まえると,そこに優 劣の価値を置こうとしているように見える。さ らに記述は続く。 日本人の様に盛に全身浴をする国民は他にはある まい。東京市の湯屋は八百余件以上もあり,其外中 流以上の家には各湯殿があつて,百三十万の住民の 中凡そ三分の一づゝは毎日入浴する割合だというこ とである。ベルツ氏は日本の気候家屋の割合にリウ マチスの少いのは,全く日本人が銭湯を好む結果だ らうといつて居る。銭湯の起源は新しいにしても, 湯あみ,水あみの習慣は太古からあつたのである。 (中略)独逸人のケーニグスマークといふ人の書い た,「日本及日本人」といふ書の中には日本人の入 浴の事を称揚してこれだけは大に真似すべき事と書 いてある。伯林市などでは公衆衛生の必要から,至 る処に浴場を公設して労働者等の入浴を奨励して居 る。(芳賀 1908:183―184) 芳賀が清浄潔白の例で挙げたものは,木綿な どの生地の衣服,青畳といった住居に関わるも の,そして入浴習慣であった。なかでももっと も紙幅を割いたのが入浴習慣であった。ここで 挙げられている事例は,いずれも多くの日本人 が経験したことがある生活に密着した,生活に 欠かせないものである。「木綿物」や「青畳」は 物理的なモノであるのに対し,入浴習慣につい ては公衆浴場などの施設も挙げられているもの の,論点はモノではなく習慣という行いにある。 モノを通じて得る感覚と,習慣という行いによっ て得る感覚との違いがここにある。明治初期に, 『民間雑誌』や『家庭叢談』ではトクヴィルへの 注 目 度 が 高 い こ と が 指 摘 さ れ て い る( 関 口 2012:66)。トクヴィルは民主共和制に「習俗」 が必要だと説いたが,この習俗は,「一国の人民 の道徳的・知的状態の総体」を含むとされた(関 口 2012:67)。「清浄潔白」の冒頭で芳賀は生活 に欠かせないモノを挙げ,モノによる人の感覚 を呼び起こすような記述をした後に,入浴習慣 の説明に入る。習慣は習俗と通じる。それはいっ そう国民性と結びつけて捉えられるものとして 考えられうる。さらに芳賀は東京市の銭湯の数 や入浴する人の割合を出し,信憑性を持たせて いる。加えて自身のドイツ留学経験を挙げ,欧 州と比較しながら日本人は入浴を好むことを繰 り返し述べて,日本人の入浴習慣に大きな意味 を持たせている。このような,入浴を日本独自 の習慣と見なし,そこに日本人らしさを見出す のは,明治 30 年代の衛生家の記述と類似してい る。ただし,芳賀が衛生家の言説をどこまで知っ ていたのかは管見の限り分からない点が多く, その関連性については今後も検討する必要があ る。さらに芳賀は入浴を通じた記述を行う。 とにかく日本人は身体をきれいに洗つてサッパリと することが好である。ザウベルカイト(清浄)は日 本の特性であるとは西洋人の日本に関した記事には
必ず書いてある。チャンバレン氏は日本は多くの事 柄を支那から輸入したが,これだけは日本特有だと いつて居る。(芳賀 1908:185―186) 芳賀は,序で日本文化はインドや中国から影 響を受けてきたと述べていた。しかし,ここに おいて入浴習慣が日本独自のものだと,チェン バレン4 )の言葉を引きながら述べている。つま り,芳賀は「清浄潔白」を他の国より日本特有 だと見なし,その点を強く打ち出そうとしてい るのがうかがえる。 では芳賀が提示した「清浄潔白」は国民道徳 論においてどのように展開していくのか,次節 以降で検討していきたい。 Ⅳ 井上哲次郎が論じた国民性と「潔白性」 1912 年に,井上哲次郎の『国民道徳概論』が 出版された。このなかで井上は,「国民性批判」 という章を設け,冒頭で国民性は「国民道徳と 密着なる関係」があるとして,「国民道徳と云ふ ものは,つまり国民性の如何に依つて,次第に 形成せられて来た点が多大である」と説明して いる(井上 1912:355)。要するに,国民道徳は 国民性によって形成されてきた,国民性という 土台の上に国民道徳が成立すると述べているの である。そのうえで,井上は,国民性について こう論じた。 我が日本の国民性を研究して見まするといふと,な かなか良い側もあれば,又いけない側もありますか ら,その良い側は次第に発展させて行かんければな らぬ。然うすることは,矢張り国民道徳を発展させ るのと相伴つて行くことになるのであります。さう して,そのいけない側は言ふ もなく,矯正して行 4 ) バ ジ ル・ ホ ー ル・ チ ェ ン バ レ ン(Chamberlain, Basil Hall)。イギリス人の日本研究家であり,帝 国大学文学部で教佃をとった。1873 年から 1911 年に日本に滞在した。 かなければならぬ。(井上 1912:355) 国民性には良い面と悪い面とがあり,良い面 はより発展させ,悪い面は矯正しなくてはなら ない。そうすることで国民道徳は「進歩」する と井上は言う。 『国民道徳概論』で挙げられた「国民性」は全 部で 14 項目ある。「潔白性」はそのなかで,5 つ目に挙げられた。他に挙げられた国民性は, 順どおり挙げると,「現実性」,「楽天性」,「単純 性」,「淡泊性」,「感激性」,「応化性」,「統一性」, 「短気性」,「依頼性」,「浅薄性」,「鋭敏性」,「狭 小性」,「虚栄性」であった。このうち,悪い面 と良い面の両方が指摘される性質,あるいは悪 い面のみが指摘される性質と分類している。悪 い面のみとして挙げられたのは「短気性」,「依 頼性」,「浅薄性」,「狭小性」,「虚栄性」であり, 悪い面も良い面もあるとされたのは「現実性」, 「感激性」,良い面のみは「楽天性」,「単純性」,「淡 泊性」,「統一性」,「応化性」,「鋭敏性」,そして 「潔白性」であった。井上は潔白性を「無論国民 性の良い側であります」と捉えている(井上 1912:360)。 井上が潔白性をどのように記述していたのか 確認してみよう。まず井上は「この潔白を尚ぶ と云ふことは,物質上に於ても,精神上に於て もあること」として,潔白性には「物質上」と「精 神上」の 2 つがあるとした。それらは古くから あり,「土地の関係から来て居るであらうと思ふ」 と そ の 起 源 を「 土 地 」 に 求 め て い る( 井 上 1912:359)。そして以下のように続けた。 日本では誠に清潔な水が山の伱間から流れて来るや うな訳で,その潔白な水に慣れて居るもんですから, もう不潔なものには何うしてしても堪へきらないと 云ふやうになつて了つた。(井上 1912:359) 上記からわかるように,土地とは環境に類す
るものだと井上は捉えているのであり,日本人 が潔白である,潔白性を尚ぶのは,日本には古 くから「清潔な水」があるのが当たり前で,そ れに慣れていることにより「不潔」なことに耐 えられないと述べている(井上 1912:359)。こ の記述でも,読者は山の伱間を流れる水や川を 容易く想起するだろう。民俗学の領域で,波平 (2009:232)は「川や海は清浄な空間とされ, 神社の祭礼の時に御輿洗いなどと称して水中に 入り,また神事に携わる者は水中で禊をする。 水がケガレを祓う霊力を持つことは記紀神話に おいて,イザナギが黄泉国から帰って来て身を 清めることにも示されている。」5 )と述べる。 井上も「水」について中心的に説明しており, 波平が述べるような水が穢れを祓うような潔白 性の由来を「水」に求めていたと考えられる。 井上はさらに,「水」を軸に潔白性について次の ように述べた。 もう神話時代からして非常に潔白を尚ぶ兆候が見え て居ります。すべて穢ないものと云へば非常に嫌ふ。 その代りに,又それと同時に身體を浄めて,少しの 不浄もないやうに力めると云ふ風習が存して居りま す。神社などに参りますると,必ず手を洗ふ所があ る。 ま た 砂 を 撒 く。 清 潔 な 砂 は 清 浄 の シ ン ボ ル (Symbol) と 謂 ふ べ き で あ り ま す。( 井 上 1912: 359) 上記の神話時代とは芳賀も『国民性十論』で「清 浄潔白」で上代を説明した際に「神話」という 5 ) 波平はこの後に,「川原や海岸はまたケガレの空 間でもあり,平安時代京都において死体は山へも 運ばれたが,鴨川の河原にも運ばれたのである。 人が居住し,生活を営む空間には中心としての空 間があり,そこから見て周辺となるであろう山の 麓や河原あるいは未開墾地は,また,所有も区画 も明確でない漠然とした空間である。」と,周縁 的な空間は穢れの側面があったとしている。この ことは,身をすすぐ場が穢れを捨てる場であり, 「清浄な空間ともなればケガレの空間」となる, 両義性を示している(波平 2009:232―233)。 言葉で表現していた。これは近代以前からの国 学の影響でもある6 )。続けて井上は,手水の例を 挙げて,水で洗浄することによって身が清めら れるということを挙げている。そして砂を撒く ことが挙げられ,清潔な砂が清浄のシンボルだ と述べている7 )。ここで述べた砂の清潔について は,おそらく神社に絞ってのことだと思われる。 なぜならば,さらに井上は次のように続けるか らである。 西洋などでも,決して日本の如くに屢,湯に 入る やうなことはない。中以下の者などは,年中湯に 入らぬと云ふやうなことも随分ある位であります。 中流以上でも毎日湯に 入るなんと云ふことはない ので,月に二三回位のものである。(中略)併ながら, 支那,印度といふやうな他の東洋諸国などに較べる と,日本国民の潔白性と云ふものが非常に顕著であ ることは疑ひないのであります。(井上 1912:359― 360) 神社から一転,日本の入浴習慣に話題を変え る。ここでも潔白性の証左として提示されたの が,入浴である。これは先に挙げた神社の手水 などとは違って,より日常的で,さらに身体の 感覚に訴えるものであるともいえる。読み手が 想起しやすいだけではなく,読み手の実感に迫 る記述を,国民道徳論の端緒とされる井上自身 も行っていたことがわかる。 なお,井上は「潔白」,「清潔」,「清浄」など 言葉を混在して使用しているが,そこに明確な 定義の違いなどはみられない。文脈に応じて, 言葉や概念の振れ幅を上手く利用しながら,読 者が読みやすく受け取れるようにしているよう 6 ) 本居宣長は上代の神話伝説を,「神に随順する, 真心のまま」受け入れているありようを伝えてい る(菅野 2007:113)。 7 ) 現在も神社などで「清め砂」など祈祷された砂が ある。清潔さをめぐる砂の位置づけについては土 地の要素があると推測されるが,検討は今後の課 題としたい。
にもうかがえる。 Ⅴ 大正期から昭和期にかけての国民道徳 井上哲次郎が『国民道徳概論』を公刊した後, 井上だけでなく他の論者によって国民道徳に関 する著作が出版されていった。 ここでは,井上以降の論者による国民道徳と そのなかでの国民性,潔白性についての記述を 検討したい。 1914(大正 3)年に刊行された野田義夫の『日 本国民性の研究』は,国民性のひとつに潔白性 を挙げている。野田自身は師範学校で教佃をと り教育実践に関わってきた人物である。野田は, 本書の目的を以下のように記している。 今特に斯かる問題(筆者 :国民性)を選んで論述 を試みんとするのは自分は国民教育に於ては一日も 捨て置く可らざる重大の問題であつて多くの人が多 くの方面より意見を述ぶべきものであると信ずるか らである。既に恩師井上博士は其著国民道徳概論の 中に『国民性批判』の一章を設けられ芳賀博士は『国 民性十論』を著はされ三澤糾氏は『国民性と教育方 針』を公にせられ其他該問題に関連書籍を挙ぐれば 其数は決して少く無い。(野田 1914:32) 野田は,今こそ国民道徳について多面的に論 じることが大事だとし,井上哲次郎の『国民道 徳概論』,芳賀矢一の『国民性十論』,そして三 澤糾8 )の『国民性と教育方針』を挙げ,この一連 の著作のなかに自著『日本国民性の研究』も位 置付けられると示唆している。つまり,野田自 身がこの三作の影響を受けているともいえる。 また国民性の説明として,「国民性と言ふ語は 近年になつて広く用ひられて居るが比較的に新 8 ) 教育学者。クラーク大学を卒業後,広島師範高等 師範学校教授や大阪府立第十一中学校校長などを 務め,台北高等学校校長として台湾に赴任した。 しい熟語である。常識に通用する所では国民の 特性と言ふ意義が最も穏当であらうと思ふ」と したうえで(野田 1914:33),「人は一面に於て 一人一人異なり一面に於いて万人皆同様である が又国民として之を見民族として之を見れば各 其特色がある。(中略)国民とし又民族としての 共通の特色を持つて居る。是れが即ち吾人の謂 ふ所の国民性である」とした(野田 1914:34)。 野田は第二章を「日本国民性の長所」と題して, その第二節を「潔白」にあてている。このほか に長所として挙げられたのは,「忠誠」,「武勇」, 「名誉心」,「現実性」,「快活淡泊」,「鋭敏」,「優 美」,「同化」,「慇懃」であった。では「潔白」 としてどのような内容が論じられているだろう か。冒頭は次のように始まっている。 日本人は清潔を好む国民であることは広く世界に知 られて居る。殊に入浴を好むことは世界孰れの民族 も日本人に及ぶものはあるまい。入浴は言ふまでも 無く身体の汚れた垢を洗ひ流して清潔にせんとする のである。日本人の清潔を好むのは只身体のみに止 まらぬ。衣食住孰れの上に就いても同様である。衣 類も食物もよく洗ひ住居はよく掃除をする。(野田 1914:88―89) このように,日本人が清潔を好むということ は疑いのない事実だとされている。そして,清 潔を好む国民性として一番に挙げられるのが入 浴を好むということなのである。野田は日本人 が清潔を好むという点を次のように論じる。 日本人は何故に斯の如く清潔を好むかと言へば自分 は之を国民性の然るらしむる所であると言はねばな らぬと思ふ。(中略)日本人の清潔を好むのは唯に 有形の事物の上に止まらず又清潔に伴ふ心地に止ま らず次第に進んで高尚に赴きやがて此汚れなく濁り なく薄暗らからぬ清く,すがすがしく,はれやかな る心其物を尊ぶようになつた。即ち純潔,潔白の心
を理想とするのである。 潔白の心とは道徳上より之を見ればあらゆる邪念, 妄想,罪悪,不義,不徳を洗ひ清めた装である。是 は(中略)潔白の心は即ち大和民族の心の本領と言 はねばならぬ。(野田 1914:89―90) 野田は,日本人が清潔を好むのには「潔白の心」 があるからだと断定している。そしてその「潔 白の心」は「大和民族の心の本領」だと言うの である。野田は潔白の心についてさらに次のよ うに敷衍している。 換言すれば,大和心の本色は潔白によりて其真面目 を表はし来るものである。さて真面目の大和心と言 へば国民精神の本体で最も適切の古語を用ふれば即 ちまごころである。まごころは最も広義に解すれば 良心と言ふと同じく其本質に於ては民族の区別を超 越した人道の根本と言はねばならぬ。即ちあらゆる 道徳を生み出す人間の本心である。(中略)我日本 人は潔白であればそれが同時に忠誠の本領を表し来 るものであると思ふ。切言すれば,日本人に取りて は潔白であると無いとは道徳的である不道徳である と同義になるのである。日本人が潔白を好むは即ち 道徳を好むと言ふと同義である。(野田 1914:90― 91) 野田は「大和心」を国民精神の本体であり,「ま ごころ」だと述べている。まごころというのは, 芳賀の『国民性十論』でも挙げられた「マゴコロ」 に通じるものであり,国学に通じている。さら に野田は「潔白の心」がすなわち道徳を意味す るものだと論じた。国民道徳は国民性の上に成 り立つとされるが,野田は潔白という国民性が 道徳に近い規範を持つものだと捉えていたこと がわかる。 次に,井上哲次郎の弟子であった深作安文の 1916 年の著作である『国民道徳要義』を取り上 げたい。深作はこの第六章を「我国民性と国民 道徳」と題し,その第一節において国民性の意 義を述べた。深作はまず冒頭で国民性について 「(前略)共同生活が国民に依つて,一定の土地 の上に,一定の制度の下に成し遂げられ,而し て歴史的進行を る時は,其間に自ら一種特有 の国民的性格を形造るやうになるのであります。 之を名づけて国民性といふのであります。個人 には一廉の違いがあるやうに,国民にも亦一廉 の 性 格 が あ る の で あ り ま す。」 と し た( 深 作 1916:249)。そして潔白性を次のように記した。 我国民性として第一に挙ぐべきものは潔白性であり ます。潔白性とは清潔を愛して不浄を忌む所の国民 性でもありまして,(中略)是は神代の古へから今 日に至るまで,依然として我国民に存する国民性で あります。(深作 1916:252) 深作は,国民性の第一に挙げるべき要素とし て潔白性を位置付けた。国民性の特徴の第一に 潔白性を挙げるということはそれまでの論者に は見られなかった点である。深作は,日本人が いかに昔から「潔癖」であったかを説明しなが ら「禊」につなげていく。 建国当初の我祖先は目に不浄不潔の者を見まする時 は,身体も亦汚れ,身体が汚れますれば精神も亦汚 ると考へ,清い流れを選んで,身体を清めたのであ ります。斯くして彼の禊といふことが起こつたので あります。伊弉諾尊が黄泉国に御出でになつて,伊 弉冉尊の御屍を御覧になつたが為めに筑紫の日向の 橘の小門の檍原の流れで御身体を御洗になつたのが 禊の濫觴であります。(深作 1916:252―253) ここで深作が引いているのはイザナギ・イザ ナミ神話だが,注目したいのは,「身体が汚れる と精神も汚れる」と述べている点である。ここ において,身体と精神の汚れ,すなわち穢れが 結びつく。深作はその後の日本の歴史における
穢れを紹介しながら,さらに身体と精神の不潔 と清潔とを関連させるように,以下のように論 じた。 斯くて我国民は頗る潔癖となつたのでありまして, 世界に我国民ほど沐浴を好むものは他に存しないの であります。我国で諸方に温泉並海水浴が開けまし たのは,無論,衛生上の理由もありませうけれども, 一つには是が為めであると思われるのであります。 而して肉体上の潔癖は何時しか内面化して精神上の それとなり,神道にては正直,誠実,簡素等の徳目 が成立つことになりました。彼の「正直の頭に神宿 る」といふ も此際,忘るまじきものである。(深 作 1916:253) 深作もまた,潔白性の例として,「潔癖」とい う語を用いながら沐浴を挙げている。さらには, 温泉や海水浴が日本でできたのも衛生的な理由 のみならず,この日本人がもっている国民性に よるものだと位置づけていることがみてとれる。 そして,肉体上の「潔癖」すなわち入浴を好む ことが精神の「潔癖」につながり,神道の「正直, 誠実,簡素」といった徳目につながったと結論 づけている。 この精神の潔白は正直といった内面性だけに 留まるものではなかった。この後に深作は「精 神の潔白」を証明する記述を挙げている。 又武士は一たび人の疑ふ所になりますや,自ら我が 腹を つて,己が精神の潔白を表明することとなり, 終に切腹といふ世界稀有の風習が我国に成立つたの であります。(中略)而して正直,廉恥,廉潔,質 素等の武士道の徳目は此れ精神的潔癖と密接なる関 係のあるものであります。(深作 1916:253―254) 深作は武士の例を出し,精神の潔白を証明す るために「切腹」という風習が日本に成立した と説明した。武士道と国民性については従来の 研究でも指摘されてきた点である。深作の師で ある井上は日本人の特質に武士道があると,『国 民道徳概論』を著す以前,1908 年の『倫理と教育』 から強調していた。『倫理と教育』は日露戦争後 すぐに記述されたこともあり,日露戦争を意識 しているのがわかる。井上は日露戦争の勝利に は,日本人の武士道によるところも大きく,「我 が国が維新以来国威を発揚して来たといふのは, 此の武士道の精神に依ることが多いのでありま す。(中略)古今二千五百年を 見するに,武士 道は日本国民をして日本国民たらしめた所の大 精神大骨頭であります」(井上 1908:459)とした。 井上は日本人の国民性は武士道に求められると して熱く記述している。 深作は武士道という例を挙げながら,潔白と 切腹を結びつけた。切腹というのは行為である。 精神的潔白という内面性が切腹という行為に よって証明されると,深作はつなげようとして いるのである。 関連して,ほかの論者による国民道徳論も取 り上げる。1925(大正 14)年に,三浦藤作が『国 民道徳要領講義』を著した。三浦は倫理学者で あり,小学校教育に携わった人物である。この なかの第十章「国民性と国民道徳」で,第三節「国 民性の長短」に,国民性の長所と短所について まとめられている。三浦は国民性を論じるにあ たり,これまでの論者の国民道徳論を参照しな がら本書を記述していることがうかがえる。三 浦は,「我が国民性とは如何なるものを指すか。 これに対する学者の解釈は一定しない」として (三浦 1925:161),井上,深作,野田といった 論者が挙げた国民性の特徴を列挙しながら整理 している。三浦は,「其の分類には多少の相違が あつても,内容に於ては一致する点の少なから ぬことを認める」としたうえで,「これ等の諸説 を参照して,我が国民性の長所及び短所を明か にする。」とした(三浦 1925:161)。 三浦が挙げた国民性の長所は次のようなもの
であった。 我が国民性の長所として,吾人は(一)潔白性,(二) 快活性(楽天性),(三)統一性(同化性),(四)応 化性,(五)淡泊性,(六)現実性,(七)感激性,(八) 鋭敏性,(九)有礼性,(一〇)節度性,(一一)進 取性を挙げたい。(三浦 1925:161) ここにおいても,潔白性が第一に挙げられて いる。三浦は,潔白性を国民性の長所として第 一のものに挙げるべきと位置づけ,次のように 述べた。 我が国民性の長所として第一に挙ぐべきものは潔白 性である,潔白性とは清潔を愛し,不浄を忌む所の 性質を云ふ。日本人は精神的にも物質的にも最も潔 白を貴ぶ国民である。日本人の如く入浴を好むもの は,世界各国に稀であると云はれて居る。これ日本 人が身体的潔白を尚ぶ一例である。(三浦 1925: 161―162) 三浦もまた,身体的潔白の例として,入浴を 挙げている。明治期の終わりから大正期にかけ て日本人の身体的潔白さとして入浴は第一に想 起されるものになっていたといえる。そして, 三浦もまた身体だけではなく精神の潔白もある と述べた。 また日本人は最も恥辱を知る国民である。古の武士 は一度び不浄の汚名を受けて其の身の一分が立たな い時には,切腹して己の潔白を表明することとした。 切腹はただ我が国にのみ存在する風習で,我が国民 の精神的潔白を尚ぶ最もよい一例である。(三浦 1925:162) ここでも精神的潔白の例として,深作と同様 に切腹が挙げられている。1910 年代後半から 1920 年代にかけて,精神的潔白の例示は単に心 持ちのあり方を示すにとどまらず,表明する実 際の行為にまで広がっていたのである。 おわりに 本稿においては,国民道徳論における国民性 のなかで,潔白性に着目して論を進めてきた。 まず国民道徳が盛んに述べられる以前に,すで に衛生家のなかで日本人は清潔好きであるとい う言説があった点,そしてその具体例として日 本人が入浴を好むという例が出されていたこと を確認した。 国民道徳論の嚆矢とされる井上哲次郎の『国 民道徳概論』以前の芳賀矢一による『国民性十 論』において,国民性の特徴として 8 番目に「清 浄潔白」が挙げられていた。このなかでも日本 人の清潔さを好む例として挙げられたのが入浴 習慣であった。さらに国民道徳がいよいよ本格 的に形成されていくなかで,国民道徳とは国民 性の下に形成されるということが井上によって 明言され,その国民性の 5 つ目の特徴として潔 白性が挙げられていた。ここでも入浴習慣が具 体例として出され,潔白性を読み手に理解させ るために,身体の実感を伴う説得的事例として 用いられていたことが推測される。 深作安文や三浦藤作は,国民性の第一の特徴 として潔白性を挙げるに至った。国民性におけ る潔白性の位置づけが,芳賀の『国民性十論』 よりも,井上の『国民道徳概論』よりも,上がっ ているのがわかる。潔白性は日本人らしさをもっ とも表すものであり,さらにその潔白性にはふ たつの種類があるとされていた。身体的潔白と 精神的潔白である。身体的潔白を説明する際に は,入浴の例が使用され,読み手が想像しやす い実感を伴うという演出が続けられていたこと がうかがえる。こうした身体的と精神的とに分 かれていた潔白性が,時代を経るごとにつながっ ていく。井上は『倫理と教育』のなかで国民性
と武士道を結びつけ,深作や三浦の記述でみら れたように,精神の潔白性で武士道が挙げられ 切腹が精神的潔白の例として出された。こうし て身体的潔白性と精神的潔白性の関連性を強め ていくことが明らかになった。 このことは国民道徳によって,天皇を頂点と する「忠君愛国」が勧められるなかで,天皇や 国のために「潔く」死ぬということの暗喩であり, 日本人の「潔さ」,「潔く死を選ぶ」といった戦 時体制の民衆の心性の礎になったと考えられる。 ただし,この点について考察を深めるのは今後 の課題としたい。この課題のなかで,井上が熱 く弁をふるい説得していた武士道が,潔白性と いう国民性の長所によって国民道徳の忠君愛国 が強化され,戦時に向かう過程を丁寧に分析し たいと考えている。 またさらに,今後,和 哲郎や福沢諭吉など の風土論や日本文化論等と関連させ思想背景を 掘り下げ検討していきたい。 引用文献 Csergo, J.(1988) Paris: Editions Albin Michel. 鹿島茂(訳)(1992)自由・ 平等・清潔─入浴の社会史.河出書房新社. 江島顕一(2009)明治期における井上哲次郎の「国民 道徳論」の形成過程に関する一考察.慶應義塾大 学大学院社会学研究科紀要,67,15―29. 深作安文(1916)国民道徳要義.弘道館. 穂積八束(1897)愛国心―国民教育.八尾新助. 井上哲次郎(1908)倫理と教育.弘道館. 井上哲次郎(1912)国民道徳概論.三省堂. 岩本通弥(2003)装い―穢れと清潔.新谷尚紀・波 平恵美子・湯川洋司(編)暮らしの中の民俗学① 一日.吉川弘文館,65―99. 姜華(2012)大正デモクラシー期の修身教科書に見る 良妻賢母教育―井上哲次郎編『女子修身教科書』 を中心にして.アジア文化研究,19,5―22. 貝塚茂樹(2013)旧憲法下の教育制度と内容―道徳 教育の歴史的変遷を中心に.憲法研究,45,1― 21. 菅野覚明(2007)神話的世界と菩 ―本居宣長の「真 心」論を手がかりに.宗教研究,81(Ⅱ),99― 122. 加藤恒男(2017)井上哲次郎の哲学・宗教・倫理学 ―〈 人 文 知 〉 に 背 施 す る. 哲 学 と 現 代,32, 114―160. 川端美季(2016)近代日本の公衆浴場運動.法政大学 出版局. 估康弘(1995)国民道徳論の系譜.名城商学,44,1― 35. 三浦藤作(1925)国民道徳要領講義.大同館書店. 水野雄司(2015)本居宣長の思想構造―その変質の 諸相.東北大学出版会. 宮崎道生(1978)芳賀矢一と黄禍論.國學院雑誌,79 (8),1―18. 森川輝紀(2003)国民道徳論の道.三元社. 森下直貴(2015)井上哲次郎の<同=情>の形而上学 ―近代「日本哲学」のパラダイム.浜松医科大 学紀要,29,1―43. 無署名(1897)沐浴の沿革及其衞生の必要.大日本私 立衛生会雑誌,172,716―717. 無署名(1916)余白録.大日本私立衛生会雑誌,402, 26. 波平恵美子(2009)ケガレ.講談社学術文庫. 野田義夫(1914)日本国民性の研究.教育新潮研究会. 関口すみ子(2012)国民道徳とジェンダー.東京大学 出版会. 髙野裕基(2015)国民道徳論における祖先崇拝の宗教 性―河野昭三の敬神観念からの一考察.國学院 大學研究開発推進機構紀要,7,131―153. 竹長吉正(2002)上田万年・芳賀矢一・橋本進吉― 日本近代の国語国文学研究者(その 2).埼玉大学 紀要教育学部,51(1),1―23. 瓜谷直樹(2011)井上哲次郎の儒学研究の再検討― 陽明学を中心に.教育文化,20,25―51. Vigarello, G.(1985) Paris: Seuil. 見市 雅俊(監訳)(1994)清潔になる〈私〉 ―身体 管理の文化誌.同文館出版. (受稿日:2017. 6. 1) (受理日[査読実施後]:2017. 9. 20)
Original Article
Purity in the Concept of National Morality
in Modern Japan
KAWABATA Miki
(Kinugasa Research Organization, Ritsumeikan University)
This paper examines how norms concerning cleanliness were formed in the Modern Period of Japan focusing on Purity in the concept of National Morality. In 1897, hygienists and doctors who visited Western countries began to notice that bathing was an important part of sanitary self-care in the West. They claimed that comparing with Westerners, Japanese were clean because they had had the custom of bathing from ancient times. Around this time, ethicists and scholars of Japanese literature and ethicists began to use the word purity to describe the national character of Japanese people. From the late Meiji era to leading up to WWⅡ, the concept of National Morality was developed, and the relationship between bodily cleanliness and national character was considered as the essential component of the concept of purity. The concept of National Morality was developed to specifically show Japanese moralities, which were positioned as the core of the national spirit, facilitating the implementation of the Imperial Rescript on Education(
). According to that concept, purity was part of the Japanese characters, and many scholars put an outstanding stress on purity. It was regarded as a link connecting body and spirit. Two types of purity, i.e., the purity of the body and that of the spirit, were included in the concept. The preference for bathing in Japan was seen as an example of the purity of the body, and Bushido was seen as having the purity of spirit. This paper shows that the meaning and usage of the term "purity" changed as the concept of National Morality changed in the Taisho era and before the WWⅡ, and finding that its position in the national character became more significant.
Key Words : public bath, cleanliness, purity, bathing, nationality