Title
ラオス国における医療協力の今後 : セタテイラート病院
改善プロジェクト
Author(s)
山根, 誠久
Citation
琉球医学会誌 = Ryukyu Medical Journal, 19(3): 107-109
Issue Date
1999
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/3295
Ryukyu Med. J., 19(3)107-109, 2000
ラオス国における医療協力の今後
-セタテイラート病院改善プロジェクト
山根誠久 琉球大学医学部臨床検査医学講座 写真1 現在の七夕テイラート病院正面 本学医学部のラオス国での医療技術協力事業として,首都 ビェンチャン市中心部にあるセタテイラート病院の改善プロジェクト(Sethathirath Hospital Improvement Project:
SHIP)が1999年10月より始まった.何故,再びラオス国かと いうと,それは琉球大学医学部が担当した先の公衆衛生プロ ジェクトの成果が内外で高く評価され, "ラオスといえば琉球 大学"という公式が広く認知されたからに外ならない.さら にラオス国民の健康-の貢献を考えると,公衆衛生と医療技 術が両輪となって機能することも必要である.では何故,セ タテイラート病院が選ばれたのですか?その理由は,どんな にその建物が老朽化していようと,どんなに医療器具が欠乏 していようと,このセタテイラート病院がビェンチャン市民 に最も親近感のある,頼れる病院として機能しているからで ある.病めるヒトへの医療サービスを提供する病院として最 も必要な要素をもっているからである. まず現在のセタテイラート病院を簡単に紹介する.同病院 はビエンチャン市立病院で,ラオス国における≡大病院のひ とつに位置付けられる病院である.病床数は200床,医師75名, 看護婦200名を擁し,内科,外科,小児科,産科婦人科,眼科 などを診療科とする総合病院である(写真1 ).患者数はラオ ス国内で2番目に多く,医科大学生の臨床教育(写真2)や 医師の卒後教育も担っている.しかしながら,病院施設は 1959年(実に40年前)にフィリピンとアメリカ合衆国の援助 で建設されたものであり,老朽化がいたるところで著しい. セタテイラート病院改善プロジェクトの立案は, 1997年3月, 先の公衆衛生プロジェクトの評価調査団の派遣時から既に開 始されていた.保健大臣, Dr. Ponmek Daraloyからの医療 技術分野への強い協力依頼を受け,調査団々長の茨木邦夫医 学部長(当時)が現状のセタテイラート病院とビェンチャン 1 (1% 写真2 病院での臨床実習風景 市が新たに計画を進めている病院移転候補地を視察した.衣 いで1997年8月には,平山清武医学部長(当時)を団長とす る事前調査団が派遣され,ラオス国における医療・保健サー ビスの向上をoverall goalとする病院改善プロジェクトを開 始するとの内容のミニツツ(合意文書)が取り交わされた. この調査において,特に双方が共通の認識をもった点は将来 を担う人材育成の重要性とセタテイラート病院のもつgeneral hospital, teaching hospitalとしての機能改善であった. 1998年になると,いくつかの具体的な調査活動が開始される
ようになり, 4月には筆者と草野敏臣助教授(外科学)が短 期調査を実施した.この短期調査では5日間にわたる (Project Cycle Management : PCM)ワークショップから, 現状のセタテイラート病院に必要な改善ポイントの把塩と整 理を行い,本プロジェクトの目標や活動内容を明示したフォー マット, Project Design Matrix (PDM)を完成させた. また,この技術協力プロジェクトと並行して進められる無償 資金協力による新しい病院施設,設備の改善計画についても 協議が進められた. 7月には病院建設に関わる最初の調査団 が派遣され,本学から太田孝男教授(小児科学)がこれに参 加した.さらに11月には佐久本薫講師(産科婦人科学)が参 加した基本設計調査団が派遣され,最終的な病院設備,施設 の概要についてラオス側と意見交換し,基本設計についての 合意がなされた.年末, 12月になると実施協議調査団が柊山 草志郎医学部長を団長として派遣され,ミニツツとともに, 専門家派遣,ラオス国からの研修員受入れ,機材の供与,調査 団の派遣といった内容からなる暫定実施計画が合意され,この 技術協力プロジェクトの最終的なゴーサインとなるR/D (Record of Discussion)に双方がサインした.無償資金協 力についても閣議決定の後,官報に入札公示され, 1999年11月
108 ラオス国における医療協力の今後 写真3 新病院建設の起工式 ラオスでは仮に組み立てられた鉄骨枠のなかに関係者が小 石,砂を入れて起工を祝う. より工事が開始された(写夷S ).新病院の建設は2000年末の 完成を目指して目下順調に進んでいる(写真4). 1999年10月,いよいよプロジェクト方式技術協力が始動し, まずチーフアドバイザーとして野崎宏幸助教授(本学附属沖 縄アジア医学研究センター),業務調整として大槻和弘氏が赴 任し, 11月には病院管理を担当する畦西繁夫氏,年があけて 2000年1月には産科婦人科より宮城博子助手, 3月になると 看護部より上聞千代美氏,検査部より又吉和哉氏がそれぞれ 長期専門家として赴任した.また短期専門家として小児科よ り武富博寿助手が2000年1月から2ケ月間派遣されている. ラオス国からの研修員としては,ビェンチャン市保健局長 Dr. Chanphomma Vongsamphanh,セタテイラート病院院 長Dr. Bouaphanh Phanhthavadyの両氏が11月に琉球大学 を訪問し, Dr. Vackhaly Boudtavongが放射線科にて3ケ 月の研修を実施した.先の国内委員会で承認された2000年度 の計画では, 6名の長期専門家がさらに継続して活動し,短 期専門家としては薬剤管理,病院管理,看護業務の分野から の派遣が計画されている.ラオス国からの研修貝も,医療現 場の実務担当者が派遣されるようになり,小児科,産科婦人 料,看護部門での研修貞受け入れが予定されている.プロジェ クト開始当初から6名もの長期専門家を常駐させるのは異例 のことであり,本プロジェクトが内外から熱い注E]を浴びて いる表われである.また,無償資金協力と技術協力を同時期 にドッキングさせていく方法も異例のことであり,特に医療 分野での国際協力の進め方として一層高い成果が期待される 所以でもある. 今後進められるセタテイラート病院改善プロジェクトの初 期の基本的なデザインは,以下の3点にまとめることができる. (1)病院管理能力の向上:これまでの多くの技術協力は,プロ ジェクトの期間中は高い活動レベルを示すものの,プロジェ クトが終了するとすべての活動が停止し,後に何も残らない ことも多いと指摘されてきた.このような背景から,ラオス 国との話し合いでしばしば口にされた言葉が"sustainability (持続できる能力)"であった.技術協力が終了した後も,セ タテイラート病院が自らの手で管理,運営,維持できるよう, 病院管理能力を向上させることがまず重要となる.機器,設 備の恒常的な保守管理,患者診療記録の管理,患者との円滑 写真4 新病院建殴現場(1999年12月) 写真5 新セタテイラート病院完成模型 なコミュニケーション,病院組織の管理,経理あるいは人事 管理など,幅広い管理能力の育成が技術協力の早期の段階か ら必要であると認識されている. (2)診断能力の向上:ラオス国に提供するわれわれの西洋医学 は一次的に正確な診断能力に支えられている.このアプロー チは昨今ロにされるevidence-based medicine (EBM)にも 通じるところがある.医療技術の改善の第一歩は,正確で, より詳細な診断を可能にし,技術協力のなかで最新の医学知 識の修得と診断技術の向上を図る点にある.プロジェクトで は医療関係者への教育,研修とともに,最低限の診断機器, 設備を充足していく計画である.また外部,特に諸外国から の最新の医療情報が乏しいという現状の認識から,病院内に 新たにMedical Research and Information部が設立され, 情報収集と情報交換の窓口としての機能を開始した. (3胎療成績の向上: 40年前に設立された現在の病院設備,施 設では,派遣された専門家が直接患者治療にあたるのは困難 と考え,この分野の活動は2001年以降,新しい病院施設へ移 転してから開始する計画である.ただ技術協力の成果を早い 段階で内外に示すことも必要であり,特定の領域に限って, 治療成績の向上を図ることも計画されている.選ばれた領域 が小児科と産科婦人科で,特に妊婦と周産期の小児の死亡率 を減少させることに焦点を絞る計画である.ラオス国側から
山 根 誠 久 は,集中治療部(ICU),新生児集中治療部(NICU),救急部 の改善が望まれているが,これらの分野はいずれも即高額医 痩-つながるものであり,経済の発展をみながら今後の討議 事項となっている. 最後に,いよいよ2000年末には新しい病院が完成し(写真 5) .技術協力も本格的に稼動し始める. 2001年の初め(4 月頃)に計画されている新しい病院の開院式典にあわせ.そ 109 の正面玄関に沖縄の"シーサー"を贈ろうという動きも進め られている.公衆衛生プロジェクトを成功させた琉球大学医 学部が新しく始まったこの医療協力プロジェクトで再びその 力量が試されている. "南に開かれた琉球大学"のモットーが 単なるお題目に終わらないよう,医学部関係者の大いなる御 協力をお願いする次第である.