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大都市インナーエリアのコミュニティと震災対応 : 神戸市長田区真野地区の事例

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白鴎大学論集Vo1.10No.1(1995)225−255

論文

大都市インナーエリアの

       コミュニティと震災対応

一神戸市長田区真野地区の事例一

今野裕 昭

1.はじめに  平成7年1月17日未明の兵庫県南部地震による震災は,被災者が30万人と いわれ,倒壊で建替えを必要とする家屋が14万戸といわれているようにその 被害規模が巨大すぎて,被災地では行政機能が完全に麻痺する状況が生み出 された。末端住民は,防火,防犯,水,たべもの,毛布,衣類,住宅をまっ たく手に入れられないという,完全に無防備の状況に置かれたのである。都 市生活者は,生活をしていく上に不可欠な,多くのものやサービスを,共同 の「専門処理システム」である行政のサービスや民間機関に託して生活をし ていく点に,その特徴がある1)。それが,一時的であるとはいえ完全に麻痺 した状態の中に置かれたわけで,いわば危機的な状況の中でこそ,都市生活 者にとっての社会の必要性や,社会にとって何が重要かがよく見えてきたと いうことになる。  我々には普段,都市生活の中で,行政がなんでもできる,何でも行政がサー ビスしてくれるという思いがあるが,実はそうではなかったことがかなりはっ きりしてきた。たとえば,火事への最初の対応に,そのことが端的に現われ 一225一

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今野 裕昭 ている。N H Kテレビは,一面の大火になった神戸市長田区菅原通の出火直 後の映像を放映していたが,地震直後に家を飛び出した住民が近所に火事が 出ているのを見ていても,初期消化をするわけでもなく荘然と立っている画 像が流れていた。幸い住民の手で初期消化に成功し,被害を最小限に食い止 めた長田区真野地区でも,最初の段階で同様の現象が何人かに起こったわけ で,彼らが何を考えていたかを聞くと,大半の人が,いつもの火事のように すぐ消防車が来て消火するだろうと,まず考えていたという。ところが消防 車が来たのは出火後6時間も経ってからであり,神戸の場合それ以前に消火 栓の水圧が上がらず,やがて断水してしまっていた。  倒壊家屋に閉じ込められた人の救出にしても,警察・消防がすぐ来る状況 にはなく,住民は自分たちの手で救出せざるを得なかった。  水・たべものといった基本的な物資をとってみても,地震後,体力がある, 目敏い,頭がある,金があるといったものは,区役所に行けばなにか貰える という形で,区役所での物資の奪い合いをかい潜り,たくましく生きのびる が,そこに行けないものや避難所にいても行列に加われないものは,たくま しいものと知り合いでもない限り,たべもの・水がなかなか手に入らないと いう状況が生み出された。「災害弱者」という言葉で話題になった,高齢者, 障害者などには,とくにつらい状況である。  強いものは強い,弱いものは弱い。これをどうするかという時に,被災地 のあちこちで見られ,報道もされた対応は,①おもに避難所避難者を対象に 学校の先生や行政職員が実務を担当して物資を配布する,②企業が被災社員 に物資を送り込む,というものであった。その結果,いずれの場合も,場所 によってはその近隣も恩恵を受けている。  たとえば,避難所になった西宮市大社中学校の一室につくられたボランティ ア救援本部には,メンバーが書き継いだ『大社中ボランティア日記』(1月 25日∼3月3日)が残されている。そのノートには,学校の先生たちが近辺 住民の一部までも含めて救援物資を配布していた状況が,次のように書き記 されており,試行錯誤の中で配布システムを作り上げていった様子が窺える。 一226一

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大都市インナーエリアのコミュニティと震災対応 1月26日(木)*大社中で余った物資を教諭たちの手で近辺住民へ配る。      *衣料の配布について避難者からクレーム。「物資を置く場所から遠く       にいる人,足腰の弱い人が取りにいっても欲しい物が無くなっている。       一人で多量に取る人もいるので,公平に配って欲しい。…  」と。 1月28日(土)*30日から授業開始。このため避難者関係の機能は体育館へ。      *この移転に際し,常駐ボランティアの帰宅や教諭たちの活動縮小で,       避難者による自主的管理,活動,自治的な組織作りも必要になる。      *今後,物資確保が容易になると付近住民への余剰物資配布が増える。       これまでにも教員たちによって2回の生鮮食品配布を行ったが,       ①事前に配布,日時,品目の連絡がなかったため,もらえなかった住        民からクレーム。       ②救援物資を求める住民(被災者)に感情を刺激せずに正確な答えを        することが大切,と知る。      *よって,何かを配布するときは,付近住民に限らず避難者に対しても,       公平に手元へ渡る手段(システム化の確立)が必要である。… 1月29日(日)*食料品配布(付近住民用)のためのお知らせ用掲示板を作製,ミカン       30kg,バナナ1箱を配る。      *避難者あて掲示板を設置する場所がなくなり,また見にくいため,階       段踊り場に広報,伝言,お知らせの3区分に色分けした掲示板を設置       する。・  また,職場の絆としては,たとえば川崎製鉄芦原社宅の場合,本社からチ ャーター船で救援物資が届けられ,社宅団地自治会が大規模な炊き出しを行 なっている2)。大手の企業に限らず,町工場など自営業主においても,余っ た救援物資を従業員の家までバイクで届けたり,逆に従業員が雇用主のとこ ろまで取りに来たりというケースがかなりみられた。 ﹄いず れの場合も,自宅に残れる程度の被害だった被災者には,救援物資が 十分に回ってこなかったし,大社中避難所の『ボランティア日記』の中にも 出てきているが,避難所でパンが当たらないとかで住民問にトラブルが生じ たり,配布のルールが確立しなかった避難所では力の強いものが物資を取り 込んでしまっている,とかいう話はたくさんある3)。  この問題に対する,もうひとつの対応としてみられたのは,③弱いものを 地域で守る,という選択であった。既成の地域集団である自治会が積極的に 一227一

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今野裕昭 動く形で,神戸市の長田区の場合で言うと,真野地区のほかには,野田北部 の自治会や,腕塚・久保町・二葉町にまたがる三つの自治会が,自治会とし て活発に救援活動をしたところとして知られている。いずれも下町のインナー エリアといわれる一帯に位置している。  真野地区の地域住民自身による救援活動は,その立ち上げが早い時期にな され,しかも,その活動が一小学校区という広い範囲を覆い,とくに地域の 高齢者,障害者を徹底して包括的に網羅するシステムを最初から組んだとい う点で,他には例をみないユニークなものであった。  今回,「災害弱者」といわれた高齢者や障害者が,一人暮らし老人も含め て最も網羅的に救援されたのは,これらの人を単に家族・親戚で守るという だけCなく,「地域」で守るという方法を選択した場合であった。この事は, 都市的状況の中で高齢者や障害者が安心して暮らせるためには,地域の絆に 基礎を置く福祉コミュニティの形成が最も緊要であることを示唆している。  本稿では,神戸の住商工混在のインナーエリアである長田区真野地区の事 例を取り上げて,どのようなシステムを組んだのか,何がこれを可能にした のかを検討する。 1)倉沢 進「都市的生活様式論序説」 磯村英一編『現代都市の社会学』鹿島出版会  1977年,同「都市的生活様式」 鈴木 広・倉沢 進編著『都市社会学』アカデミア  出版会1984年。 2)日本経済新聞,平成7年3月2日「サラリーマン(第408話)」欄。 3)たとえば2月17日の朝日新聞は,避難所での食事配給をめぐるトラブルを,震災1ヵ  月特集の「被災一家の避難所日記」という形で紹介している。

2.真野地区の震災への対応

 神戸市長田区真野地区は約40haの一小学校区で,現在,神戸市の中でも 典型的なインナーシティとして位置づけられている。大正年間に長屋建て住 宅が多くつくられ市街地が形成されたが,戦後の復興期に町工場が進出し, 経済の高度成長期には公害が多発する住商工混在の地域になった。低成長期 一228一

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       大都市インナーエリアのコミュニティと震災対応 に入ったこの15年問は,地区人口の激減,高齢化,地場産業の衰退が著し い’)。現在,地区の世帯数,人口は,約2,200世帯,5,700人,うち65歳以上 高齢者人口比率は17%を超え,264人の一人暮らし,寝たきり老人がいる。 震災によって真野地区も,約2,200世帯のうち全倒壊半倒壊の家屋が約6∼ 7割,火災出火による焼失家屋50戸弱,おもに生き埋めによる犠牲者19人と いう被害を生じ,人口5,700人のうち避難所への避難者約1,400人,被災住民 3,000人という被害が出ている。被害状況は今回の震災被害の典型的特徴を 示しており,全壊,半壊の隣になんでもなかった家が混じりあっているとい う,モザイク状の被害を呈している。ここは,小学校区レベルでの災害対策 本部が,いち早く住民の手で組織・運営されたことで知られている2)。 (1)住民からみて,基本的な物資がどう調達されてきたか  真野地区では,地区の大半で電気はその日のうちに復旧した。地震で水道, ガスが一切止まった被災住民にとってまず必要なものは,水,食料と毛布で あった。真野地区では,最初の晩は,潰れた自宅から取り出した毛布だけで 公園に寝るもの,避難所に寝るもの,壊れた自宅で過ごすものなど様々であっ たが,日々お惣菜などで済ますことが多い自営業者にはサラリーマン家庭と 違って多量の食料の買い置きもなく,たとえ家が倒壊しなかったとしても, なによりも炊事ができないという状況が出現した。真野では当初自治会単位 でこの状況に対応したが,とりあえず地域の公共施設の炊事設備で炊き出し をしたところ,にぎり飯,パンを区役所からいち早く運び配布したところな ど,その対応も様々であった。やがて行政やボランティアの支援体制が整う につれて,生活も落ち着きはじめる。ここではまず,震災初期段階に必要な 水,食料,トイレといった基本的なところが,この問に真野ではどのように 調達されたかを簡単に見ておく。  真野の場合幸いなことに,水は,地域の銭湯や寿司屋さんの井戸水や真野 公園にある蛍園の地下水が,飲用水としてとりあえず開放され,とくに行政 からの救援物資が届くまでの2日間はこれが唯一の給水源であった。その後 一229一

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今野 裕昭 10日目頃から,生活水としてではあるが,地域の町工場が工業用に汲み上げ ている水を開放してくれるようになる。また,新湊川の水をポンプアップし て,生活水に利用する工夫もなされた。  食料は,学区の16の自治会が連合する形で真野小学校災害対策本部がつく られ3),区からの救援物資を確保し,朝夕2食,避難所だけでなく地区全戸 に,自治会役員と民生委員がこれを配布するという形がとられた。このシス テムが,弱いものを「地域」で守ってきた。このほかに,県外からくる炊き 出しが,ほぼ毎日昼に500食∼1,000食,地区内でおこなわれている。  神戸市では水道が止まったことでトイレが使えず,全国から仮設トイレが 大量に集められ各避難所に設置されたが,真野では下水道が地震で破壊され なかったことと,上述のように生活水が得られたことで,公園テント村など 一部を除いては,トイレは深刻な問題にはならなかった。衣類についても, 真野小学校災害対策本部によって救援物資の計画配分がなされたために,大 きな困難は生じなかった。  震災で家を失った住民は,小学校や学区内の公共施設を避難場所にしてい るが,真野ではこのほかに,地元の大企業がその体育館を避難所に開放して くれている。しかし,住宅をまったく失った罹災住民にとって,住宅を早期 に確保することは難しい。倒壊家屋の除去費用を行政が負担する方針が10日 目に打ち出されたが,除去には権利者全員の同意が必要なため,権利関係が 複雑な密集地区にあってはなかなかまとまらず,手つかずのまま残っている ところが多々ある。とりあえず行政による応急仮設住宅の建設が進められて いるものの供給が追いつかず,避難所住民は明日にでも避難所を出たいと思っ ているが,仮設住宅も当たらない状況に置かれている。しかも,避難住民は できるだけ真野や長田区を離れたくないと思っているにもかかわらず,仮設 住宅は北区や西区,ポートアイランド,六甲アイランドといった遠く離れた 場所に集中している4)。そこで真野では,まちづくり推進会5)の相談役(ま ちづくりプランナー)を中心に,とりあえず手を入れれば住める家屋を早急 に修復し,また,自分たちで真野の中に第2次避難所(仮設住宅)を建てよ 一230一

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       大都市インナー』エリアのコミュニティと震災対応 うとする動きがある。  このように水,下水,住宅などの面で真野は,ことさら被害が大きかった 長田区の中でもまだ恵まれた条件の中にあった。とはいえ,行政の手が届か ない中で自分の生活は自分で守らなければならない状況に置かれた時,とく に食料・物資についての条件は他地区と同じで,この面で災害対策本部が果 たした役割は非常に大きかった点を,まず指摘しておきたい。 (2)震災対応の経過  震災後約2ヵ月の間に,真野が震災にどう対応したかの経過をまとめたの が,表1である。この表から, ①真野小学校災害対策本部が真野地区16ヵ町の自治会の連合体として組織さ  れ,毎晩開いてきた町会長会議を意思決定機関として動いてきた。 ②災害対策本部の仕事は基本的には緊急救援活動に限定されたものであった  が,その最大の課題は食料を避難所だけでなく全地区の末端まで公平に分  配することにあった。 ③40日目頃から対策本部の活動が全面的に縮小の方向に向かう。その背景に  は,商店が正常に動きだして多くの人が自立して生活できるようになった  こともあるが,対策本部自体,運営にあたってきた人員の体力的限界や事  業を再開したり勤めに出だしたことによる人員的限界があった。 ④水道の復旧が本部体制縮小のひとつのメドになった。 ⑤45日目頃から,近県建築士の支援ネットワークによる家屋の安全相談や,  地震後の部屋の後片付けや屋根のシート掛けをする高齢者世帯向け建物レ  スキュー隊の活動,自治会長による避難所住民の帰宅意向調査というデリ  ケートな作業へと,対策本部の活動はそれまでの単なる食料・物資の救援  活動から,徐々に比重を移しはじめる。これは,避難所住民を自宅に帰し  避難所を縮小すると同時に,地域の復興まちづくりへの橋渡し的性格をも  つ活動になると見られる。 などなど興味深い点をいくつか指摘することができる。しかし,ここではもっ 一231一

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(14)

今野裕昭 ぱら住民による組織形成の観点から,とくに対策本部体制が立ち上がった時 期で,行政の手が回らなかった,最初の1週間に注目したい。  地震直後,倒壊家屋から自力で這い出したり近所の人に救け出された被災 者は,余震が続く中,地区内の公共施設や公園などに避難した6)。当初,お もな避難所8ヵ所を中心に,1,350人が避難したという。地震直後に東尻池 7丁目で火災が発生し約10時間燃え続けたが,地元企業の自衛消防団からの 消火ポンプ,人員の出動,消火栓の開放という協力もあり7),住民の消火活 動による初期消火が効を奏し,50戸弱の焼失にくい止めた。消防車は,火災 発生の6時間後に1台到着した。人的犠牲が大きかったのは,苅藻通二丁目 のマンションビルの倒壊で,19人が生き埋めになった。自治会長が地元業者 に重機を頼み終日の救出活動で17日に7人救出,18日にさらに2人を救出, 3日目に機動隊が到着したがすぐ移動,その後1人が救出された。水道,ガ スが一切止まったその晩の対応は,自治会によって様々だった。学校,集会 所8〉,三ッ星ベルト(地元企業)の体育館などの避難所を抱えた自治会では, 地元業者から米を調達して真夜中まで自主的に炊き出しをした。また,ある 自治会は区役所から,にぎり飯,パン,水,毛布を運び込んだ。  2日目には,各自治会がそれぞれに物資を区役所に取りに行っていたが, 区役所では個人的に取りにくるものも混ざっての物資の取り合いの状態が生 じ,町会単位としては十分な量の食料,物資を確保できなかった。その夜, 小学校避難所に集まっていた4人の自治会長(まちづくり推進会の中心的メ ンバー)と若干の有志5∼6人,それに,駆けつけた真野まちづくりの相談 役は,物資を確保し末端まで平等に回す方法をめぐって議論をした。この10 数人がのちに,災害対策本部を担う中心的なメンバーになるが,対策本部の 責任者になったB氏はつぎのように語っている。  2日目に町内の若いものを物資を取りに区役所にやったら,トラック1台もっていって  毛布8枚しかもってこれなかった。物資を取りにきている個人が多く混ざっており,ひ  とりで大量にもっていってしまう。うちは町会できていますといっても,町会分貰えな  い。様子を聞いて,町会としていってもこんな状態なら,真野の町全体として対応すべ  きだと思った。3日目の朝いった時も,パンでも10ケース貰えるのがやっとだった。 一238一

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大都市インナーエリアのコミュニティと震災対応  3日目,「真野は個人としては物資を取りにこない,学区一本でまとめて 取りにくるので必要量の確保をお願いしたい」旨,区と協議し,真野小学校 の職員室に対策本部を設置して救援物資到着の受け入れ体制をつくることに なった。その結果,各県からの救援物資も区に寄らずに直接真野に入りはじ めるようになった。3日目の晩,町会町会議の召集を呼びかけた。16ヵ町す べての自治会長が集まり,避難住民だけでなく必要とする全戸に末端まで平 等に回すことが討議された。その結果,物資を本部一本で受け取り,自治会 単位に分配し,自治会長が各戸配布に責任をもつことが合意された。各戸へ の配布方法は各自治会に任されたが,自治会長あるいはその代理は台車をもっ て毎日2回本部まで出向き,仕分けされた食事,物資を受け取り,これを自 分の町内まで運搬する方法がとられた。それまでは最初の3日ほど,個人で 物資を貰いにくるものに学校施設開放運営委員会責任者が物資を渡していた が,以後個人には渡さず,避難所と自治会単位に渡すことになる。物資も緊 急のものを除いては,全戸に配布できる量が貯まるまで本部にストックする という形で,計画配分がなされた。その晩から毎晩,定例で町会長会議が開 かれ,諸連絡とその都度の問題が協議されてきた。  こうしてスタートした本部体制は,4日目にひとつの危機を迎えた。ふた つの町会で,直接町に入った救援物資を,本部に上げずに自分の町内で配布 するということが起こった。本部はこの町会と議論の末,物資の本部への一 元化を再確認した。対策本部を中心に食料・物資を配布するしくみは,これ を機にして4日目くらいまでに確立し,1週間目くらいで地域がひとつのシ ステムとして固まった。  学区の中に,町会長会議をコアにする災害対策本部を置き,そのもとに自 治会長一班長一住民というピラミッド型の流れをつくり,物資が公平に行き 届く構造をつくったわけで,後日1ヵ月ほどあとに,民間団体による被災高 齢者の在宅調査の申し入れが地区にきた時,一町会の副会長は,「ここはピ ラミッドになっているので,本部をとおして了承とってくれな。ピラミッド が崩れるで」という対応をしている。 一239一

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今野裕昭  対策本部設置の基本的理念は,地域のすべての家族に,物資を末端まで平 等に配布することにあった。のちに対策本部貢任者をB氏から引き継いだC 氏は,つぎのように語っている。 救援対策の話し合いで区役所にいった時に,物資配布の混乱した中でお婆さんが若者 に弾き飛ばされるのを見た。個人で動いてはいかん,今こそ町がひとつにならねばと 思った。 真野地区では高齢者,障害者など,弱いものを地域で守る,という選択をし た。毎日自治会から食事がちゃんと届けられる状況は,「皆から忘れられて へんということが,何より心の支えですわ」という声があるように,在宅の お年寄りにとっては心強い限りである。  一方,本部に集積された物資の管理はなかなかたいへんで,管理体制が軌 道にのるまでに10日間くらいかかっている。8日目に校庭に物資庫用テント を3棟設置するまでは,昼夜どんどん入ってくる救援物資を校舎の狭い廊下 に山積みにせざるをえず,混乱が続いた9〉。3日目の晩に本部が設置される と,各自治会から一人ずつ出て本部の夜警体制がスタートするが,最初の4 ∼5日は真夜中に直接県外から物資が何度も入ってくるので,その受け入れ に寝る間がなかったという。1週間目くらいから通いのボランティアが入り はじめたこともあって町会ごとの仕分け作業も楽になり,夜間の物資搬入も 少なくなったことから,17日目からは夜問警備も,自発的に参加してきた地 元の若いもの4人と各町輪番の自治会長3人の分担で実施される形に縮小す る,という経過をたどっている。 (3)真野地区内の避難所とその運営  真野地区にある長田区の指定避難所は,真野小学校と西神戸朝鮮初中級学 校の2ヵ所になっているが,両指定避難所の問に関係はなく,真野16ヶ町も 西神戸朝鮮初中級学校とは関係を持っていない。真野校区の中には真野小学 校災害対策本部公認の避難所が8ヵ所あるが,その避難者数は表2のように なっている。また,炊き出し場所として,真野公園,三ッ星体育館,東尻池 一240一

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大都市インナーエリアのコミュニティと震災対応 表2.真野地区の避難所と責任者,避難者数 責任者 避   難 者 数 1月18日   2月19日 2月21日 3月1日 3月12日 真野小学校 三ッ星体育館 市営住宅集会所 コミュニティホール 真野保育所 老人憩いの家 東尻池7集会所 東尻池公園 南尻池公園 苅藻6公園 民間駐車場のテント 選  出 選  出 選  出 自治会長 神戸市 自治会長 自治会長 自治会長 約300      約130 糸勺200(3日目400) 250∼270   120∼170   約40    70    約40       20       12    12。コ約3・・          約60 123 170 27 26 17  5 一一48︸一 114 162 25 19 16  5  3 −23 9一 118(21) 101(24) 25(5) 14(7)  02(2) 一一23︵ 2) 9(2) 一 約1,350人   約900人 416人 376人292人(63)        ( )は内数で,65才以上高齢者数。        (1月18日,2月19日は推計数で真野小学校災害対策本部からの聞き取り。        2月21日,3月1日,3月12日は「町会長会議の記録」) 公園,南尻池公園,そして工場街区で初のまちづくり用地10)である伊原鉄工 跡地の6ヵ所が,順次使われている。  当初は学区全体で約1,400人くらいの避難者がいたが,5日目くらいから 日中自宅の片付けに帰り出し,10日目くらいから自宅に帰るものが出はじめ た。三ッ星体育館では一時400人近くいた避難者が,10日∼2週問目後に200 人強に減った。自宅に戻ったもの以外の大半は,親戚や知合いを頼っていっ た。小学校は1月30日に再開されたが,教室を空けるために小学校避難所で は200人ほどに自宅に帰ってもらう措置をとった。こうして1ヵ月後には避 難者は学区全体で500人弱にまで減っている。2月24日に水道が復旧したが, これに伴い非難者の数はさらに減っている。しかし,家が潰れ,身寄りも薄 く頼っても1週間くらいしかいられないとかの理由で,応急仮設住宅が当た るまで避難所にいるしかないというものが,最終的には200人くらい出るで あろうことが見込まれ,避難所生活は長期化することが予測されている。  避難所の運営には,避難者の中から選出された責任者と避難所がある自治 会とであたっている。避難所の中に班組織がつくられているのは小学校避難 一241一

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今野 裕昭 所だけで,教室ごとに班長が置かれ,不定期ではあるが班長会議がもたれて いる。共同でする当番作業になっている炊き出しの手伝いと1日2回のトイ レ掃除,そして,2台ある洗濯機の利用可能日が,教室単位のローテーショ ンで組まれている。三ッ星ベルト体育館には真野地区内のあちこちの町から 避難者が入っているが,体育館がある町内や避難者の中から自発的に出てき た若者10人くらいが,4人の常駐県外者ボランティアと一緒に物資を本部か ら受け取り,仕分けにあたってきた。この10人のうち6人は,以前から宗教 団体での仲問関係にあった。避難所責任者もこの中から出,ひとりが会社に 出はじめると次のものがなるという形でリレーされてきた。水道が復旧する までの間,生活水,トイレ用水は,地元自治会が新湊川からポンプアップし た水を使っていたが,水運び,地元町会と共同でおこなうポンプの見廻りも, 避難住民とともにこの6人がもっぱらあたった。公園テント村は,避難者の 全員がそこの町内の住民であり,地元自治会長がほとんどつきっきりで,県 外からの滞在ボランティアとともに避難者の世話をしてきている。 (4)対策本部の構成と業務  真野小学校災害対策本部の構成は,図1のようになっている。町会長会議 図1.真野小学校災害対策本部の構成

蕪………町会長会葉離瓢一班長(教室毎)

小学校対策本部 本部長  =まちづくり推進会代表 責任者(事務長)  =推進会幹部 三ツ星体育館避難所i 責任者(選出)  : 同志会若手のサポート (平成7年2月17日現在)   本部夜警(3町ずつ交替)。   自町内夜警(火事と泥棒)。 ボランティア(通い,東京からの常駐) 到着物資の搬入,仕分け。水汲み。風呂炊き。 一242一

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      大都市インナーエリアのコミュニティと震災対応 には,これに避難所責任者と学校施設開放責任者および小学校長が加わって いる。入れ替わり立ち替わり本部をサポートしているものは20名弱おり,こ れらは大半が同志会(壮年会=後述)のメンバーである。また,対策本部室 の事務には市職員3名が常駐派遣されており,市,区との連絡業務を中心に サポートしている。  地震後1ヵ月たった時点での災害対策本部の仕事は,内部(校内)業務と 対外業務に大きく分けることができる。内部業務は, ①物資搬入  ボランティアを中心に,30人くらいで手渡しリレーをする。       1日2回のたべもの以外にも,夜中に突然救援物資が屈くこ       とが多かった。 ②物資の仕分け  弁当,物品を町丁目ごとに分けて行く。人手がいる。朝         9時と夕方3時の2回,各町と避難所から取りにくる。 ③物品配布の引換券づくり一町会長会議ごとに自治会長に渡す。 ④その日の在庫調整。 ⑤水汲み・風呂炊き  隣接のゴム工場から工業用の井戸水を朝7時と夕方

         6時に分けて貰っている。校内トイレ2ヵ所の水の

         用意と,真野公園に設置されている仮設風呂の用意。 ⑥小学校の夜警  夜11時で小学校の玄関を閉める(施錠はせず)。物資があ        るので,夜中の2時までは地元の20歳前後の若い者(会        社員)4人(メンバー固定)が自発的に立ち番をしてく

       れ,2時から朝8時までは自治会長が16ヵ町輪番で3人

        きている。 ⑦避難者への電話の呼び出し。 また,対外業務としては, ①通い,滞在ボランティア11)の受け入れ ②県外からの炊き出しボランティアの受け入れ一日程調整,準備の算段。 ③不足品の確保一不足品を区に申し入れる。 ④市への諸々の申し入れ一住民からの要望を市に申し入れる。 一243一

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今野裕昭 といった活動がある。  住民の要望は自治会長を通して自治会長会議の場で本部に,また,小学校 避難所の場合は班長・副班長を通して本部に吸い上げられる。小学校避難所 では,不定期ではあるが,班長会がもたれている。住民の要望は,最初水, おにぎりからはじまり,毛布,パン・弁当,赤ちゃんのミルク・おむつ,暖 かい食事,衣類・下着,風呂,日用品の順で刻々と変化してきているが,要 望したものがすぐこなくて1ヵ月くらいかかっている。行政への要望は,公 園テント村への仮設トイレ,現在の避難所にいつまでいられるか,そして2 月に入ると,道路上のガレキの撤去,水道の早期復旧,危険家屋判定の安全 度調査,罹災証明の際の判定が不正確だとする罹災状況再調査の要望,倒壊 家屋解体除去への助成や権利者の同意についての法律相談,警察の夜警巡回 強化,粗ゴミの収集,(集会所が避難所になっているため)地域での葬式の 場の確保,真野に近い応急仮設住宅,家屋解体にともなう家財道具一時保存 場所の確保,避難所の光熱費への助成,配給食事の地元業者からの調達, (高齢者用に)避難所トイレの洋式化,というように変化してきだ2)。  45日目頃から会計が置かれ,対策本部のそれまでの運営経費の清算がはじ まった。3月16日までのところ,労力を提供した自治会長や本部要員には謝 金は出ない方針なので,最も大きい支出は震災当初の炊き出し用の米代金, ついで県外ボランティア送別会の経費,湊川からの水ポンプアップに使った 機械のリース代,そして,若干の本部事務用品代となっている。こうした経 費の資金源に,自治会連合が50万円,婦人会が50万円,同志会が30万円の寄 付をしている。 (5)災害対策本部を動かす人々  真野小学校災害対策本部の本部長はまちづくり推進会の代表A氏(自治会 長)で,責任者は最初の立ち上がり2週間は推進会事務局の事務長B氏(自 治会長)が,その後を推進会庶務部長のC氏が引き継ぎ,さらに4週間目く らいから「八九会」という1町会内の野球チームの監督をしてきたD氏,元 一244一

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大都市インナーエリァのコミュニティと震災対応 推進会広報部長E氏と引き継いできた。内部業務,外部業務両面にわたって 責任者を補佐してきたのが,最初の2週間はC氏で,その後をD氏が引き継 いできている。また,ボランティアを指揮しての内部業務の中心的なリーダー の役割を担ってきたのは,同志会O Bで推進会委員のF氏,自治会長で同志 会副会長のG氏で,4週間目くらいから,今まで自治会や各種団体とまった く関わってこなかったH氏が徐々にF氏に代わりはじめている。責任者,責 任者補佐,内務業務リーダーという中心的なこの3者を,同志会若手会員が 入れ替わり立ち替わりサポートしているという体制が組まれている。この間, 本部にほぼ常駐してきたもの15名の集団属性は表3のようになっているが, まちづくり推進会,同志会関係が多い。これら本部要員のうち,小学校避難 所生活者はふたりで,残りのものは自宅から通ってくる。  一方各自治会レベルでは,町会長,副会長をはじめ,自治会役員が町内の 若いものを使って夜警番の体制をつくり,また,物資の本部からの搬入,配 表3.真野小学校災害対策本部常駐者の所属集団属性 年齢層 職  業 町会長 町会役員

推進会

同志会 学校開放

A

80代

商業自営

O

O

B

50代

工業自営

O

O

O

C

50代

会社員

O

O

D

50代

会社員

E

50代

会社員 O元

O

F

40代

工業自営

O

O

G

40代

会社員

O

O

O

H

40代

会社員

1

50代

会社員 ○

O

J

60代

商業自営 O前

O

K

50代

工業自営

O

O

O

L

50代

工業自営

O

O元

M

30代

会社員 ○

N

30代

商業自営

O

O

50代

商業自営

O

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今野裕昭 布をおこなってきた。夜警番は各町とも2日目か3日目からはじめ,水道が 出るまで6∼7週間ほど続けている。役員だけでやる町,全戸の当番制でや る町と様々だが,全戸の当番制でやっている町の自治会長は,「毎年,年末 警戒をやっとるが,去年の暮れで5日間で延べて95人の夜警が出とる。こう いう普段の積み重ねが,今回出てきとんですわ」と述べている。  こういった対策本部の役割分担は,はじめからデザインしたものではなく, 対策本部の仕事に合わせてその場その場で,そこにはまっていたものの中か らリーダーが出るという形で固まってきたという。「当初から持ち場に誰と いう形ではなく,必要に迫られて現在のしくみになってきた」と,B氏は懐 述している。B氏とC氏の交替,E氏のC氏への肩代わり,そしてF氏,g 氏,H氏へのリレーには,その経営する工場が全壊して家族の状態も不安定 だったとか,会社員で出社しはじめたといった事情がある。仕事に出はじめ たものも,夕方会社からまっすぐ対策本部に駆けつけてくる。時間の経過と 状況の変化につれて,今までまちづくり関係の団体と無関係できた人材が, 迫られて表に登場し能力を発揮していることは,今後の地域の復興に大きな 意味をもってくると思われる。 1) この問の経緯については,今野裕昭「大都市インナーエリアまちづくりの社会経済  的背景」『白鴎大学論集』9−2(1995年a)を参照されたい。 2) たとえば,朝日新聞(平成7年1月28日の「窓」,2月4日の「文化」,2月11日  の「主張・解説」,2月16日「変わる暮らし」欄)などで,真野の震災対応の様子が  いち早く紹介された。また,西堀喜久夫「コミュニティの復興こそ神戸の再生」(『住  民と自治』1995年4月号)は,真野地区の対応の中で見られたコミュニティが震災復  興に重要である点を,いち早く論じている。 3) 神戸市の場合は各町に災害委員(自治会長が兼職している町もある)が置かれてい  たが,真野においてこの災害委員のシステムは機能せず,災害対策本部として自治会  の連合組織が立ち上げられた。 4) 神戸市が建設予定の応急仮設住宅25,000戸のうち,真野の中にはゼロ,長田区内で  さえわずかに460戸しかつくられないという。3月末現在で,真野の避難所住民で応  急仮設住宅に当たった世帯は,わずか17世帯しかない。 5) 真野地区では昭和57年以来神戸市との協定に基づいて「まちづくり」が進められて 一246一

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大都市インナーエリアのコミュニティと震災対応   おり,その中心的役割を担う「まちづくり推進会」が非営利団体として組織されてい   る。「真野地区まちづくり推進会」の構成,性格,活動については,今野裕昭「大都   市衰退地区のコミュニティ形成一真野まちづくり運動の組織論的考察一」『宇都宮大   学教育学部紀要』43−1(1993年),同「まちづくりにおける住民主体と行政主導一   神戸市真野と東京京島の対比一」『宇都宮大学教育学部紀要』45−1(1995年b)を   参照されたい。 6) 神戸市では市役所,区役所はじめ,あらゆる公共施設に避難住民が入り込んだ。わ   ずかに一部だけ開放した裁判所と検察庁が,開放されなかったという。 7) 避難所としての体育館の開放や初期消火への協力など,地元企業の地域への協力が   真野ではみられたが,普段体育館を地域の子ども剣道クラブに開放してきたなど,地   域と企業の連携があったことによってこれが可能になっている。真野の地域のひとつ   の特徴であるが,たとえば西堀1995は,地域の企業との連携を危機管理の観点から高   く評価している。 8) 神戸市では昭和40年から学校開放をやっており,学校施設開放運営委員会の地元管   理責任者が校舎の鍵を持っている。また,真野地区では「まちづくり」でまちづくり   推進会が自主管理している地域の集会所が2ヵ所ある。 9) 真野小学校は改装工事中で校庭は狭く,体育館はない。避難者は各教室,講堂に分   散している。 10) 「神戸市まちづくり協定」(昭和57年)に基づいて市がまちづくり用に確保してい   る用地で,真野地区の中にこれまで10ヵ所,11,079.63㎡の土地が取得されている。 11) 今回の震災で新しい現象ともいえることのひとつは,多くのボランティアが救援活   動に携わった点で,「ボランティァ元年」ともいわれたが,こうした自発的活動に行   政がアクセスするシステムの欠如,ボランティアの活動相互をコーディネイトするノ   ウハウの蓄積といった課題を残している。真野では,対策本部を支えた人々,各自治   会で救援や自警にあたった人々,小学校の先生たちが,地元ボランティアであるが,   地区外からのボランティアの助力も大きかった。対策本部には,1週間目くらいから   三田市などの隣接市町村から通勤ボランティアが入りはじめ,1ヶ月目くらいからは   東京の学生が約20名ずつ1週間交代で2ヶ月にわたって滞在した。この他,個人での   飛び込みの滞在ボランティアも含めて,1日平均30人近くのボランティアが救援活動   を支えてきている。この他に,5日目くらいから炊き出しボランティアがあちこちか   ら入っており,また,専門家ボランティアとして,近畿の建築士会の支援ネットワー   クが1戸1戸の建物調査に入るとか,東京を中心に結成された真野支援ネットワーク   の工芸家たちが硬質段ボールを使って避難所用の家具,間仕切りをつくる工房を真野   に設営するなどの動きが,地区の再建が日程に上ってきた1ヵ月目くらいからはじま   っているQ 12) 「町会長会議の記録」,および,神戸市都市計画局・市民局「事務引継ノート」。 一247一

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今野裕昭

3.真野の地域構造

 真野地区で住民がいち早く災害対策本部を構成した時,対策本部を構成し た要員のほとんどは,自治会長のほか真野まちづくり推進会の幹部,同志会 の若手であった。災害対策本部と既成地域集団との関係を考察するために, まずここでは,震災以前に真野の地域構造がどのようになっていたのかを, 明らかにしておく。  この地区では,校区規模での地域独自の行事が非常に豊かである。寝たき り老人,一人暮らし老人に配布する「チャリティー寒餅つき」,「花祭り」, 「上郷町との交歓会」,「駒栄橋精霊流し」,「納涼盆踊り大会」, 「長田 神社秋祭り」,「敬老会」,「子ども会連合運動会」,各種「スポーッ大会」, 各団体の「チャリティバザー」,「一人暮らし老人の給食サービス」(月2 回),「寝たきり老人の入浴サービス」などなど,地域独自の行事の主要な ものを挙げただけでも,これだけあがってくるが,これらの行事がそれぞれ 関連するいくつかの各種団体の連合によっておこなわれているところに特徴 がある。  震災前の真野の地域構造は図2のようであり,この構造は震災後の現在も 基本的には変っていない。地域集団として,自治会,婦人会,民生委員協議 図2.真野地区の地域構造

    /㊥

      神戸市都市計画局

㊥.ム.面郵

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大都市インナーエリアのコミュニティと震災対応 会,子ども会,P T A,小学校同窓会,老人会が主要な集団としてあるとい う,集団構成からいえば他地区と変わらないごく普通の地区である。真野独 自の地域集団といえば,20歳から50歳までのおもに壮年層が集まり校区全域 での様々な地域行事のお手伝いを活動内容にする同志会があり,その活動が 活発なことである。集団の種類はさほど変わらないが,真野が他地区と大き く異なるのは,これら諸集団の運営が民主化されており,集団相互の関係と いう面でも,自治会も他の集団と同じ地域の中の集団のひとつという位置づ けが確立していることである。真野は,下町的おつきあいが濃厚に見られる ところから,その地域構造を指して「都市の中のムラ」といういい方がよく なされるが,階層性が地域集団間の序列を強く律し,地域集団への帰属が成 員の行動パターンを規定するという,共同体的ムラでは決してない。むしろ, 諸団体が対等という,すぐれて都市的な社会構造をもった地区といえる1〉。  こういった地域の構造は,高度成長期,昭和40年頃からの住民運動の中で つくりあげられてきた。真野地区では,昭和40年代はじめに公害問題の住民 運動が自然発生的におこり,住環境水準の整備への要求が緑化運動へと拡大 してきた。昭和50年代に入ると,寝たきり老人の入浴サービス,一人暮らし 老人の給食サービスを内容にする高齢者地域福祉活動がはじまり,同時に昭 和53年から修復型の地区再開発をめざす「まちづくり」へと発展し,現在 「まちづくり」の手法をとる地区では全国でも先進的な地区のひとつとして 知られている。この問,経済の高度成長期から低成長期を通じて一貫して住 民運動が展開してきたユニークな地区で,1町内の自治会からはじまった公 害反対の運動が,自治会を中心にした緑化運動,民生委員協議会を中心にす る高齢者地域福祉活動を通じて,多面的な地域改善の運動として学区全体に 広がってきている2)。  この一連の住民活動の中で,自治会ベースでおこなわれた公害排出工場と の交渉,工場移転跡地公園化の要求とその管理,高層建築による電波障害の 解決や,民生委員協議会ベースでおこなわれた入浴サービスや給食サービス の福祉の活動,自治会主催の寒餅つきや花祭り,婦人会主催の納涼盆踊りな 一249一

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今野裕昭 どの地域行事は,課題ごとに関連する諸団体がつくる委員会形式の活動形態 がとれら,課題ごとのアソシエーションが地域の中にいっぱいできるという スタイルがつくられてきた。こうした中で,昭和55年頃に「まちづくり」が はじまるまでには,地域の中で自治会が相対化され,地区内諸団体の緩や かな連合が可能になる地域構造になっていた。この年に地区全域から会員が 集まって結成された同志会が,年齢や階層性をこえた会員同士の結びつきを 強め,同志会会員・O Bが既成の地域集団の役員層に参入することによっ て,この緩やかな連携を特徴とする地域構造をさらに確固たるものにしてき た3)。  「まちづくり」のために昭和55年に結成された真野地区まちづくり推進会 は,各町の自治会長,自治会推薦者,地区内各種団体代表,地元商工業者代 表からなる70数人の団体で毎月3回定期的な会合をもち,老朽化した密集家 屋地区のハードな改造をめざし,街区計画の策定,街区道路の拡幅,集合住 宅の建設,長屋の共同建替えの推進を図ってきた。国のコミュニティ住環境 整備モデル事業,神戸市の長屋街区再生事業を導入しながら,都市計画にお ける行政と住民の問の,中間集団の役割を推進会は果たしてきた。地主,家 主,店子の関係が複雑な長屋地区にあって,住民相互の複雑な利害得失の絡 み合った困難な状況の中で,生活環境の一応の基盤整備をおこなってきた点 が高く評価されている。  こうした真野の地域構造の中にあって,今回の震災後いち早く住民の手に よって災害対策本部がつくられたのも,課題ごとにアソシエーションをつく る地域活動のスタイルが確立していたことが,生きたのではないかと考えら れる。 1) 震災前の真野地区の地域構造の詳細は、今野1995bを参照されたい。 2) こうした点については、今野裕昭「都市の住民運動と住民組織一神戸市長田区真野  地区のまちづくり運動一」『東北大学教育学部研究年報』34集(1986年)を参照され  たい。 3) 今野1993参照。 一250一

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大都市インナーエリアのコミュニティと震災対応

4.真野小学校災害対策本部成立の要件

 震災直後,被災者がその生活を全うするためには,「公」である行政と 「私」である個人(市民)との間に,両者をつなぐ「共」の部分が必要だっ た。真野で災害対策本部がおこなった活動,水,食料,物資といった生活に 基本的なものへのアクセスが保障されるしくみが,市民生活にとっての「共」 の部分にあたる。ここでみてきた真野の事例は,行政と個人(住民)の間に, 対策本部という「中間集団」が生まれてきた事例といえる。  真野の立ち上がり,「中問集団」の結成が早かった理由(要因)には,様 々なものが考えられる。 ①地震の被害が相対的に軽かったこと(もちろん,壊滅的な被害を受けた東 灘や,長田区の上沢,御菅,新長田駅周辺などに比べての話ではあるが)。 古い低層木造住宅が多いにもかかわらず,震度7の激震ベルトからわずかに 外れたために,見た目の上では全壊が比較的少なく,自力で這出せる,近所 の人で救け出せるという状況で済み,死傷者が比較的少なかったことも,住 民の心理からして早い立ち直りに影響しているといえる。 ②生活面では,主要な下水道が生きていたこと,生活水としてではあるが町 工場の工業用の井戸が結構あって,これを開放してくれたこと。 ③食料の確保,配布などに自発的に動ける住民が多くいたこと。これは,対 策本部を中心に活動したメンバーや自治会関係者の多くが,その家族が大丈 夫だったことにも依っている。 ④一早く町内のお年寄りや社会的弱者のことを考えて動ける人が多かったこ と。真野には一人暮らし老人友愛訪問のネットワークが張り巡らされており, 地震直後,友愛訪問のリーダーたちは,それぞれ自分が担当しているお年寄 りを一回り回るという行動をとっている。こうした日常の高齢者地域福祉活 動の積み上げが,大きく作用したことも事実である。 ⑤組織的に3日目に対策本部が立ち上げられた背景には,それまでのまちづ くり運動における組織づくりの実績が大きく作用している。 一251一

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